当会顧問であらせられ、昨年、逝去された北川太一先生の御著書をはじめ、光太郎智恵子に関する書籍を多数刊行して下さっているさん。そのPR誌的な『とんぼ』の第13号が届きました。
今号は光太郎がらみ、北川先生関連の文章が多く掲載されています。
まず巻頭に、光太郎終焉の地・中野のアトリエの持ち主でいらっしゃる中西利一郎氏の玉稿。光太郎がここで暮らした最晩年の回想や、北川先生がここを訪れ、光太郎に親炙するに至った経緯などが書かれています。
文治堂書店主・勝畑耕一氏は、「小川義夫さんを悼む」という一文。ご生前の北川先生を支え、各種出版のサポート等をなさっていた、北斗会(北川先生が高校教諭だった頃の教え子さん達の会)会長であらせられた、故・小川義夫氏の追悼文です。
巻末近くに、北川先生のご遺著『遺稿「デクノバウ」と「暗愚」』書評が4本。どれも的確な評でした。
『とんぼ』には掲載されていませんが、新聞各紙に載った同書の書評のコピーも同封されていました。全国紙と一部の地方紙に載った書評は当方も把握しておりましたが、地方紙のそれの中には未見のものもあり、有り難く存じました。
最も驚いたのが、『北海道新聞』さん。当会会友にして、同書に北川先生追悼文も寄せられた、渡辺えりさんが執筆された、長いものでした。
それから、『山梨日日新聞』さんと『信濃毎日新聞』さんも。
『遺稿「デクノバウ」と「暗愚」』、お読みになっていない方、文治堂書店さんのサイトからご注文下さい。
話を『とんぼ』に戻します。あとは、光太郎関連では、拙稿「連翹忌通信」の連載が載っております。こちらもご入用の方、文治堂さんのサイトからお願いいたします。頒価500円です。
【折々のことば・光太郎】
ひる頃東京より帝大文科の生徒山口三夫といふ人来訪、宮沢さんに寄つた由、二時過ぎ辞去、
「山口三夫」は、のち、フランス文学者(特に光太郎も敬愛していたロマン・ロラン研究)となる人物です。調べてみましたところ、山口には『遍歴』という雑誌に載った「高村光太郎の悲劇」という文章があり、調べてみようと思いました。
以前にも書きましたが、のち、様々な分野で活躍する人々が、無名時代に光太郎の元を訪れ、薫陶を受けたという例が結構あったようです。
今号は光太郎がらみ、北川先生関連の文章が多く掲載されています。
まず巻頭に、光太郎終焉の地・中野のアトリエの持ち主でいらっしゃる中西利一郎氏の玉稿。光太郎がここで暮らした最晩年の回想や、北川先生がここを訪れ、光太郎に親炙するに至った経緯などが書かれています。
文治堂書店主・勝畑耕一氏は、「小川義夫さんを悼む」という一文。ご生前の北川先生を支え、各種出版のサポート等をなさっていた、北斗会(北川先生が高校教諭だった頃の教え子さん達の会)会長であらせられた、故・小川義夫氏の追悼文です。
巻末近くに、北川先生のご遺著『遺稿「デクノバウ」と「暗愚」』書評が4本。どれも的確な評でした。
『とんぼ』には掲載されていませんが、新聞各紙に載った同書の書評のコピーも同封されていました。全国紙と一部の地方紙に載った書評は当方も把握しておりましたが、地方紙のそれの中には未見のものもあり、有り難く存じました。
最も驚いたのが、『北海道新聞』さん。当会会友にして、同書に北川先生追悼文も寄せられた、渡辺えりさんが執筆された、長いものでした。
それから、『山梨日日新聞』さんと『信濃毎日新聞』さんも。
『遺稿「デクノバウ」と「暗愚」』、お読みになっていない方、文治堂書店さんのサイトからご注文下さい。
話を『とんぼ』に戻します。あとは、光太郎関連では、拙稿「連翹忌通信」の連載が載っております。こちらもご入用の方、文治堂さんのサイトからお願いいたします。頒価500円です。
【折々のことば・光太郎】
ひる頃東京より帝大文科の生徒山口三夫といふ人来訪、宮沢さんに寄つた由、二時過ぎ辞去、
昭和26年(1951)7月15日の日記より 光太郎69歳
「山口三夫」は、のち、フランス文学者(特に光太郎も敬愛していたロマン・ロラン研究)となる人物です。調べてみましたところ、山口には『遍歴』という雑誌に載った「高村光太郎の悲劇」という文章があり、調べてみようと思いました。
以前にも書きましたが、のち、様々な分野で活躍する人々が、無名時代に光太郎の元を訪れ、薫陶を受けたという例が結構あったようです。