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髙村光雲・光太郎・豊周の制作資料
期 日 : 2021年12月10日(金)~12月19日(日)
会 場 : 東京藝術大学大学美術館 正木記念館2F 東京都台東区上野公園12-8
時 間 : 午前10時 ~午後5時
休 館 : 12月13日(月)
料 金 : 無料
本展では髙村光雲(1852~1934)・光太郎(1883~1956)・豊周(1890~1972)が制作時に使用した原型、道具、下図・スケッチ類を展示公開します。光雲は、生涯木彫制作を中心に創作活動を行いました。その制作方法は、髙村東雲工房で学んだ仏師としての直彫りによる方法から、明治30年以降に米原雲海(1869~1925)と共に始めた油土・石膏原型を使用する星取り法へと変化していきます。本展で展示する光雲が制作した石膏原型類からは、油土で造られた原型を石膏像に起こし、星取りをする過程を知ることができます。また、あわせて光雲・光太郎が使用した箆、彫刻刀類と豊周の制作道具類も紹介します。光雲工房の制作方法と光太郎の制作手法についてその有様と変化を見ることができるでしょう。
本展では髙村光雲(1852~1934)・光太郎(1883~1956)・豊周(1890~1972)が制作時に使用した原型、道具、下図・スケッチ類を展示公開します。光雲は、生涯木彫制作を中心に創作活動を行いました。その制作方法は、髙村東雲工房で学んだ仏師としての直彫りによる方法から、明治30年以降に米原雲海(1869~1925)と共に始めた油土・石膏原型を使用する星取り法へと変化していきます。本展で展示する光雲が制作した石膏原型類からは、油土で造られた原型を石膏像に起こし、星取りをする過程を知ることができます。また、あわせて光雲・光太郎が使用した箆、彫刻刀類と豊周の制作道具類も紹介します。光雲工房の制作方法と光太郎の制作手法についてその有様と変化を見ることができるでしょう。
展示協力 髙村達、加藤恵美子、山田亜紀
関連行事
彫刻の原型や道具類など、いわば制作の舞台裏に関する展示が中心のようですが、普段、眼にする機会の少ない分野で、いわば玄人好みという感じですが、非常に興味深いところです。
フライヤーに使われているのは、宮内庁三の丸尚蔵館さん所蔵の「鹿置物」(大正9年=1920)の石膏原型。
星取りを行って、木彫に仕上げたわけですが、当方、恥ずかしながら光雲が星取りを実践していた事は存じませんでした。
ちなみに星取りというのは、こういうことです。
東京都小平市さんで発行している『田中彫刻記』から。
その他、光太郎の彫刻でも、石膏原型が出品されるようです。
こちらは藝大さんの構内に立っている、「光雲一周忌記念胸像」(昭和10年=1935)。この石膏原型は当方、未見です。
追記・これは展示されていませんでした。すみません。
会期が短いのが残念ですが、ぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
屋根囲の杉皮30本哲夫さんが馬車で運びくる、
蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋、増築が為されましたが、そのついでに、元々の小屋の方も手を入れることになりました。屋根は瓦やスレートなどではなく、杉皮葺きで、その杉皮を交換するというのです。
関連行事
「髙村光雲・光太郎・豊周の制作資料」展 関連講演会
※事前予約制(定員80名)
日時:12月11日 13時(開場は12時30分)
会場:東京藝術大学美術学部 中央棟1階 第一講義室
内容:
・藤曲隆哉「髙村光雲資料と制作背景について」30分
・髙村達「レンズを通じてみた光雲・光太郎・豊周」30分
・田中修二(大分大学)
「近代日本彫刻史における髙村光雲の位置─彫刻史を創った彫刻家」30分
・藤井明(小平市平櫛田中彫刻美術館)「髙村光雲の周辺-平櫛田中を中心に―」30分
・座談会 「髙村光雲・光太郎・豊周研究のこれから(仮)」15:30~
毛利伊知郎(美術史家・前三重県立美術館長) 高村達 田中修二 藤井明 藤曲隆哉(司会)
彫刻の原型や道具類など、いわば制作の舞台裏に関する展示が中心のようですが、普段、眼にする機会の少ない分野で、いわば玄人好みという感じですが、非常に興味深いところです。
フライヤーに使われているのは、宮内庁三の丸尚蔵館さん所蔵の「鹿置物」(大正9年=1920)の石膏原型。
星取りを行って、木彫に仕上げたわけですが、当方、恥ずかしながら光雲が星取りを実践していた事は存じませんでした。
ちなみに星取りというのは、こういうことです。
東京都小平市さんで発行している『田中彫刻記』から。
その他、光太郎の彫刻でも、石膏原型が出品されるようです。
こちらは藝大さんの構内に立っている、「光雲一周忌記念胸像」(昭和10年=1935)。この石膏原型は当方、未見です。
追記・これは展示されていませんでした。すみません。
会期が短いのが残念ですが、ぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
屋根囲の杉皮30本哲夫さんが馬車で運びくる、
昭和26年(1951)7月10日の日記より 光太郎69歳
蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋、増築が為されましたが、そのついでに、元々の小屋の方も手を入れることになりました。屋根は瓦やスレートなどではなく、杉皮葺きで、その杉皮を交換するというのです。