テレビ番組の再放送情報を2件。
まずはNHKさんの「連続テレビ小説カムカムエヴリバディ」。
稔(松村北斗)の出征を見届けた安子(上白石萌音)。稔の子を授かっているとわかったのは、稔が出征したふた月後のことでした。ラジオからは連日アメリカからの攻撃の知らせが流れ、勇(村上虹郎)も徴兵が決まり、戦争はさらに安子たちの日常を変えていきました。時が経(た)ち、安子は元気な女の子を出産しました。名前は『るい』。稔が考えた名前です。しかしその名前に込められた本当の意味は、周囲には明かせないもので…
【出演】上白石萌音,村上虹郎,YOU,西田尚美,段田安則,松村北斗
本放送は11月22日(月)でした。
先週放映された予告編で流れた、光太郎作詞の「歩くうた」が使われました。戦時中のシーン、女学生たちが「歩くうた」を歌いながら行進するように歩いていきます。軍事教練か勤労動員か、その行きか帰りか、という感じでした。
そのかたわらでは、主婦たちが集まって、なにやら作業をしています。なんとまぁ、竹槍の製作中でした。
当時の世相を表すポスターなどの小道具。
光太郎作詞、飯田信夫作曲、そして徳山璉(たまき)の歌唱による「歩くうた」は、「国民歌謡」としてラジオで繰り返し流され、レコードも発売されで、それなりにヒットしました。おそらくそれを受けて、「歩け歩け運動」というのが提唱され、できるだけ交通機関を使わず、歩くことが奨励されました。燃料や電力を軍事用に優先させるためですね。
幼児向けのこんな絵本も出版されました。昭和16年12月(1941)初版で、その後も版を重ねています。
当時の母親たちが、こんなものを子供に読み聞かせていたのかと思うと、ぞっとします。
光太郎の「歩くうた」にしても、他の翼賛詩とともに、年少者向けの詩集『をぢさんの詩』(昭和18年=1943)に収録されました。自称・研究者の中にも、「この時期の作品こそ、光太郎詩の真髄だ。「一億一心」「滅私奉公」「八紘一宇」の精神が体現されていて、まことに素晴らしい!」と、涙を流して有り難がるアナクロニストが存在するのが嘆かわしい限りです。
ちなみにもうすぐ太平洋戦争開戦の12月8日ですが、毎年、にわか光太郎ファンが、SNS上に光太郎詩「十二月八日」(昭和17年=1942)などを引用しまくります。まるで軍歌を大音量で流して走る街宣車のようですね。
閑話休題、その後、ドラマでは……
歩いたり竹槍を作ったりしていても、戦争相手は容赦してくれないわけで……。
もう1件、再放送情報を。
光太郎最後の大作、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」が紹介されます。
それぞれ、御覧になっていない方、ぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
新小屋は少々しける。柱など生木のせいか。しかし静かにねられる。鼠も蛾もゐない。
蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋、完成した増築部分で初めて就寝した際の記録です。小屋は奥羽山脈の麓で、二尺も掘れば水が湧くという場所。水の利には困りませんでしたが、湿気が多いのは夏場の難点でした。
まずはNHKさんの「連続テレビ小説カムカムエヴリバディ」。
連続テレビ小説カムカムエヴリバディ(16)「1943-1945」
NHKBSプレミアム 2021年11月27日(土) 09:45〜10:00稔(松村北斗)の出征を見届けた安子(上白石萌音)。稔の子を授かっているとわかったのは、稔が出征したふた月後のことでした。ラジオからは連日アメリカからの攻撃の知らせが流れ、勇(村上虹郎)も徴兵が決まり、戦争はさらに安子たちの日常を変えていきました。時が経(た)ち、安子は元気な女の子を出産しました。名前は『るい』。稔が考えた名前です。しかしその名前に込められた本当の意味は、周囲には明かせないもので…
【出演】上白石萌音,村上虹郎,YOU,西田尚美,段田安則,松村北斗
本放送は11月22日(月)でした。
先週放映された予告編で流れた、光太郎作詞の「歩くうた」が使われました。戦時中のシーン、女学生たちが「歩くうた」を歌いながら行進するように歩いていきます。軍事教練か勤労動員か、その行きか帰りか、という感じでした。
そのかたわらでは、主婦たちが集まって、なにやら作業をしています。なんとまぁ、竹槍の製作中でした。
当時の世相を表すポスターなどの小道具。
光太郎作詞、飯田信夫作曲、そして徳山璉(たまき)の歌唱による「歩くうた」は、「国民歌謡」としてラジオで繰り返し流され、レコードも発売されで、それなりにヒットしました。おそらくそれを受けて、「歩け歩け運動」というのが提唱され、できるだけ交通機関を使わず、歩くことが奨励されました。燃料や電力を軍事用に優先させるためですね。
幼児向けのこんな絵本も出版されました。昭和16年12月(1941)初版で、その後も版を重ねています。
当時の母親たちが、こんなものを子供に読み聞かせていたのかと思うと、ぞっとします。
光太郎の「歩くうた」にしても、他の翼賛詩とともに、年少者向けの詩集『をぢさんの詩』(昭和18年=1943)に収録されました。自称・研究者の中にも、「この時期の作品こそ、光太郎詩の真髄だ。「一億一心」「滅私奉公」「八紘一宇」の精神が体現されていて、まことに素晴らしい!」と、涙を流して有り難がるアナクロニストが存在するのが嘆かわしい限りです。
ちなみにもうすぐ太平洋戦争開戦の12月8日ですが、毎年、にわか光太郎ファンが、SNS上に光太郎詩「十二月八日」(昭和17年=1942)などを引用しまくります。まるで軍歌を大音量で流して走る街宣車のようですね。
閑話休題、その後、ドラマでは……
歩いたり竹槍を作ったりしていても、戦争相手は容赦してくれないわけで……。
もう1件、再放送情報を。
ニッポン美景めぐり 十和田・奥入瀬
BSフジ 2021年11月28日(日) 03:30~04:00日本の美しい景観を求めて、俳優・和合真一がカメラ片手に日本各地をめぐる旅番組。
今回の旅先は、青森県の十和田市。十和田ビジターセンターで十和田湖の歴史を学ぶ。名産のひめます料理やご当地グルメを味わう。美しい景勝地、奥入瀬渓流を散策。大自然が生んだニッポンの美景をご紹介。
7月19日(月)に初回放映があり、今月初めにも再放送されまして、確認できている限り3度目の放映です。旅人:和合真一 ナレーター:服部潤
光太郎最後の大作、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」が紹介されます。
それぞれ、御覧になっていない方、ぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
新小屋は少々しける。柱など生木のせいか。しかし静かにねられる。鼠も蛾もゐない。
昭和26年(1951)6月9日の日記より 光太郎69歳
蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋、完成した増築部分で初めて就寝した際の記録です。小屋は奥羽山脈の麓で、二尺も掘れば水が湧くという場所。水の利には困りませんでしたが、湿気が多いのは夏場の難点でした。