先週、修学旅行系の報道としてもご紹介しましたが、東日本大震災の津波で、甚大な被害を受けた宮城県女川町。当時の女川第一中学校の生徒の皆さんの発案で、町内の各浜、21箇所に津波の際の避難の目安となるランドマークとして「いのちの石碑」が設置され続けてきました。最初の企画の段階で、かつて女川港の光太郎文学碑が募金で費用をまかなって建てられたことに倣い、「いのちの石碑」も募金活動で資金を集めるということになりました。その意味では、光太郎文学碑の精神を受け継ぐプロジェクトです。

昨日、その「いのちの石碑」、当初予定の最後の1基が除幕されました。

最後の1基ということで、全国的に報道がなされました。自宅兼事務所で購読している『朝日新聞』さんも社会面で報じて下さいましたし、共同通信さんが記事を配信したため、全国の地方紙の多くがとりあげたようです。それら新聞報道は明日ご紹介いたします。

今日は、テレビのニュースから。

まず、NHKさん。

震災伝える“いのちの石碑” 最後の1基が完成 宮城 女川町

 東日本大震災の記憶や教訓を1000年先まで伝えようと、宮城県女川町の当時の子どもたちが、10年かけて町内の20か所余りに建ててきた“いのちの石碑”の最後の1基が完成し、披露されました。
 宮城県女川町は東日本大震災で最大で高さ14.8メートルの津波に襲われ、町民の8%に当たる800人以上が亡くなりました。
 震災の年に地元の中学校に入学した生徒たちは、1年生の社会の授業で震災について話し合い、1000年先まで震災の記憶や教訓を伝えようと、町内21か所の津波の最高到達点の付近に“女川いのちの石碑”を建てることを計画しました。
 3年生になった頃には募金活動でおよそ1000万円を集め、女川中学校の敷地内に最初の石碑を完成させました。
 石材会社の協力も得てその後も建立を進め、計画からおよそ10年たった21日、最後の21基目が完成して披露されました。
 除幕式には、活動の中心となった卒業生7人のほか多くの支援者が集まり、カウントダウンとともに石碑の幕を下ろしました。
 石碑にはすべて、当時の生徒が考えた五七五のメッセージが刻まれていて、21日に披露された石碑には、8年前に最初に建てた物と同じ「夢だけは壊せなかった 大震災」と書かれていました。
 当時、鉱物学者になりたいという夢を持っていた生徒が詠んだもので、集めていた石を家ごと流されても自分の夢を持ち続けた気持ちが表されています。
 これまで建てられた石碑は、国土地理院の自然災害伝承碑に登録され、県外の中学校が修学旅行で訪れるなど、伝承の拠点になっているということです。
 “女川いのちの石碑”を建てる活動の中心メンバーの1人、鈴木智博さん(22)は、「家族を亡くした僕のような経験をしてほしくないので、今後も石碑を通して、震災を伝える活動をしていきたい」と語っています。
 鈴木さんは、小学6年生のときに起きた東日本大震災で母親と祖父母を亡くしました。一時は仙台市や奈良県に避難していましたが、その後、女川に戻り中学校の社会の授業をきっかけにこの活動を始めました。
 現在は鈴木さんや同級生10人ほどで活動を続けています。大学生になってからは月に1回程度、修学旅行生や観光客を石碑まで案内し、震災の教訓を伝えてきました。
 また、子どもたちが災害から命を守る方法を学べるようにと、「いのちの教科書」というハンドブックも製作しました。今後は、この「教科書」を全国の小学校や中学校に届け、防災の大切さを伝えたいとしています。
 石碑を建てる活動が完了し、鈴木さんは「10年活動を続けてきて、目標が達成したことはすごくうれしいです。1000年先の人にも家族を亡くした僕のような経験をしてほしくないので、建てて終わりではなく、今後は石碑を通して震災を伝えるほか、教科書をいろんな人に届けるための活動を続けていきたいです」と話していました。
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ANN系、全国放送。

震災の教訓を後世に 「いのちの石碑」21基目が完成

 東日本大震災の教訓を後世に伝えようと宮城県女川町の当時の中学生たちが考えた「いのちの石碑」の21基目が完成し、21日に披露されました。
 2011年、震災直後に女川中学校に入学した生徒たちは「1000年後の命を守る」を合言葉に町内21カ所の高台に津波避難を呼び掛けるため石碑の建設を進める取り組みを始め、建設費用およそ1000万円を募金や寄付で集めました。
 1基目の建設から8年、当初目標としていた21基の最後となる石碑が完成し、設置されました。
 21基すべてに「もし、大きな地震が来たらこの石碑よりも上へ逃げてください。逃げない人がいても、無理矢理にでも連れ出してください」と刻まれています。
 女川中学校の卒業生・鈴木智博さん(22):「終わりではなく、これをどんどん次の世代につないでいくのが今後の自分たちの活動のひとつになっていくので頑張っていきたい」
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JNN系、tbc東北放送さん。

女川いのちの石碑 目標の21基目完成

 女川町出身の若者たちが震災の教訓を語り継ごうと町内に建立を進めていた石碑は目標としていた21基全てが完成しました。
 女川小中学校で行われた21基目の披露式には、石碑を建立した「女川1000年後のいのちを守る会」のメンバーや町の関係者らが出席しました。
 この石碑は震災直後に入学した当時の女川中の生徒らが震災の教訓を後世に伝えようと町内21の浜の津波到達点よりも高い場所に建立を続けてきたものです。在校中に募金で資金を集めて卒業後も活動を続け、震災発生から10年あまりで目標の21基を立て終えました。
会のメンバーは今後も石碑を活用した語り部活動などで震災の教訓を伝えていきます。
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FNN系、仙台放送さん。

「この石碑よりも上に逃げて」女川いのちの石碑 目標の21基目がついに完成 <宮城県> 

 女川町で東日本大震災の発生直後から中学校の生徒たちが進めていた、津波の到達地点に石碑を建てる活動で21日、目標だった21基目の石碑が完成しました。
 21日女川小中学校の横に建てられたのは、21基目の「女川いのちの石碑」です。
この石碑は、震災の発生直後に中学生になった女川町の子どもたちが「千年後の命を守る」を合言葉に建てられたものです。
 町内21カ所にある浜の津波の到達地点に、石碑を建てることが目標で、資金の1000万円は、募金で集めました。
 石碑には「もし、大きな地震が来たら、この石碑よりも上に逃げてください」「家に戻ろうとしている人がいれば、絶対に引き止めてください」などと刻まれています。
 活動を続けてきた伊藤唯さん
 「ここまでやってきた活動は、絶対に無駄にならないですし、これからの活動につながるような第一歩を踏めたと思う」
 活動を続けてきたメンバーは、今後も、いのちを守る取り組みを続けていきたいとしています。
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ある意味、驚いたのが、この活動に取り組んできた若者たちが、「これで終わりでなく、第一歩」的なコメントをしていることでした。これまでの10年ほどの活動でも、様々な困難があったはずなのですが……。頼もしい限りです。

明日は同じ件で、新聞各社の報道等をご紹介します。

【折々のことば・光太郎】

二時間ばかり大気浴、今日心地よし、


昭和26年(1951)5月30日の日記より 光太郎69歳

宿痾の肺結核による肋間神経痛も少し治まり、この日は調子が良かったようです。蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋周辺で、マイナスイオンを満喫したとのこと。