いわゆるアンソロジーです。
酒呑みへ捧ぐ、作家と酒をめぐる44編! 昭和の文豪や現代の人気作家によるエッセイ、詩、漫画、写真資料を収録。ほろ酔い、泥酔、二日酔い……そして今宵も酒を呑む。
目次
光太郎作品は、随筆「ビールの味」(昭和11年=1936)。「私はビールをのめば相当にのむが何もビールが特別に好きなわけではない」としつつ、明治末の欧米留学で初めて知ったビールの味など、さまざまな体験や蘊蓄が語られます。
光太郎とビールといえば、いろいろと武勇伝には事欠かないのでしょうが、当方は、この文章が書かれてからだいぶ後のこと、昭和26年(1951)12月7日のエピソードを思い起こします。
まずその日の日記から。
午前東京より横田正治、佐藤文治といふ二人の青年学徒来訪、 そのうち草野心平氏来訪、昨夜関登久也氏宅泊りの由、いろいろのもらひもの、ヰロリで暫時談話、 後洋服をあらためて一緒に出かけ、花巻伊藤屋にて四人でビール等、草野氏と共にタキシで台温泉松田家にゆき一泊、ビール等〈(あんま)〉
「横田正治」は、正しくは「横田正知」。のち、宮沢賢治や若山牧水らについての書籍を執筆しています。「伊藤屋」は、JR東北本線花巻駅前に健在です。
下の画像は、この日、光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋から、花巻電鉄の駅までの道中で撮られたもので、横田の撮影です。
その後の台温泉での思い出は、光太郎歿後すぐに刊行された『旅行の手帖』に載った「花巻温泉」という談話筆記に描かれています。「松田家」は「松田屋」の誤りです。松田屋旅館さんも健在です。
以前に草野心平と一緒に台を訪れたことがあるが、隣でさわぐ、階下じゃ唄う、向うで踊るという次第で、一晩中寝られない。そこでこっちも二人で飲み出した。二人の強いのを知って、帖場からお客なんか呑み倒しちまう、という屈強な女中が送り込まれたのに張合った。たちまち何十本と立ちならんだ。まったくいい気になって呑もうものなら、大変なことになるところだ。
古き良き時代、という感じですね(笑)。ただ、松田屋さんに泊まったのはこの時だけではないので、違う日のことかもしれません。
その草野の書いた「「火の車」盛衰記」も、『作家と酒』に載っており、光太郎も心平が経営していた居酒屋「火の車」常連だったため、光太郎の名が出て来るかと期待したのですが、残念ながらそれはありませんでした。
さて、何はともあれ、『作家と酒』、ぜひお買い求め下さい。
【折々のことば・光太郎】
ひる頃土門拳来訪、助手二人同道、今夜横手市の平源にゆき、明日秋田市にゆく由。写真撮影。三時頃辞去。元気なり。
この日のことも、後にエッセイで述懐しています。翌年の『岩手日報』に載った「芸術についての断想」から。
いつか土門拳という人物写真の大家がやってきた。ボクを撮ろうとしたわけだ。自分は逃げまわって、とうとううつさせなかった。カメラを向けられたら最後と、ドンドン逃げた。結局後姿と林なんか撮られた。写真というものは何しろ大きなレンズを鼻の前に持ってくる。(略)カメラという一ツ目小僧は実に正確に人間のいやなところばかりつかまえるものだ。
光太郎、土門の仏像写真などは高く評価していましたが、自分が撮影されるのは嫌いでした。そういう意味では、上記の横田撮影のものなど、非常に貴重なショットです。
作家と酒
2021年9月22日 平凡社編集部編 平凡社 定価1,900円+税酒呑みへ捧ぐ、作家と酒をめぐる44編! 昭和の文豪や現代の人気作家によるエッセイ、詩、漫画、写真資料を収録。ほろ酔い、泥酔、二日酔い……そして今宵も酒を呑む。
目次
1 酒呑みの流儀
正しい酒の呑み方七箇条/おいしいお酒、ありがとう 杉浦日向子
二十年来の酒 立原正秋
或一頁 林芙美子
ビールの歌 火野葦平
酒と小鳥 若山牧水
ビールの味 高村光太郎
あたしは御飯が好きなんだ! 新井素子
酒のエッセイについて 二分法的に 丸谷才一
2 酒の悪癖
酒徒交伝 永井龍男
失敗 小林秀雄
酒は旅の代用にならないという話 吉田健一
一品大盛りの味─尾道のママカリ 種村季弘
更年期の酒 田辺聖子
やけ酒 サトウハチロー
『バカは死んでもバカなのだ赤塚不二夫対談集』より 赤塚不二夫×野坂昭如
ビール会社征伐 夢野久作
3 わたしの酒遍歴
ホワイト・オン・ザ・スノー 中上健次
音痴の酒甕 石牟礼道子
酒の楽しみ 金井美恵子
eについて 田村隆一
先生の偉さ/酒 横山大観
酒のうまさ 岡本太郎
私は酒がやめられない 古川緑波
ビールに操を捧げた夏だった 夢枕獏
妻に似ている 川上弘美
4 酒は相棒
ブルー・リボン・ビールのある光景 村上春樹
薯焼酎 伊丹十三
サントリー禍 檀一雄
香水を飲む 開高健
人生がバラ色に見えるとき 石井好子
パタンと死ねたら最高! 高田渡
風色の一夜 山田風太郎×中島らも
冷蔵庫マイ・ラブ 尾瀬あきら
『4コマ ちびまる子ちゃん』より さくらももこ
こういう時だからこそ出来るだけ街で飲み歩かなければ 坪内祐三
焼酎歌 山尾三省
5 酒場の人間模様
未練 内田百閒
カフヱーにて 中原中也
三鞭酒 宮本百合子
星新一のサービス酒 筒井康隆
とりあえずビールでいいのか 赤瀬川原平
「火の車」盛衰記 草野心平
水曜日の男、今泉さんの豊かなおひげ 金井真紀
終電車 たむらしげる
光太郎作品は、随筆「ビールの味」(昭和11年=1936)。「私はビールをのめば相当にのむが何もビールが特別に好きなわけではない」としつつ、明治末の欧米留学で初めて知ったビールの味など、さまざまな体験や蘊蓄が語られます。
光太郎とビールといえば、いろいろと武勇伝には事欠かないのでしょうが、当方は、この文章が書かれてからだいぶ後のこと、昭和26年(1951)12月7日のエピソードを思い起こします。
まずその日の日記から。
午前東京より横田正治、佐藤文治といふ二人の青年学徒来訪、 そのうち草野心平氏来訪、昨夜関登久也氏宅泊りの由、いろいろのもらひもの、ヰロリで暫時談話、 後洋服をあらためて一緒に出かけ、花巻伊藤屋にて四人でビール等、草野氏と共にタキシで台温泉松田家にゆき一泊、ビール等〈(あんま)〉
「横田正治」は、正しくは「横田正知」。のち、宮沢賢治や若山牧水らについての書籍を執筆しています。「伊藤屋」は、JR東北本線花巻駅前に健在です。
下の画像は、この日、光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋から、花巻電鉄の駅までの道中で撮られたもので、横田の撮影です。
その後の台温泉での思い出は、光太郎歿後すぐに刊行された『旅行の手帖』に載った「花巻温泉」という談話筆記に描かれています。「松田家」は「松田屋」の誤りです。松田屋旅館さんも健在です。
以前に草野心平と一緒に台を訪れたことがあるが、隣でさわぐ、階下じゃ唄う、向うで踊るという次第で、一晩中寝られない。そこでこっちも二人で飲み出した。二人の強いのを知って、帖場からお客なんか呑み倒しちまう、という屈強な女中が送り込まれたのに張合った。たちまち何十本と立ちならんだ。まったくいい気になって呑もうものなら、大変なことになるところだ。
古き良き時代、という感じですね(笑)。ただ、松田屋さんに泊まったのはこの時だけではないので、違う日のことかもしれません。
その草野の書いた「「火の車」盛衰記」も、『作家と酒』に載っており、光太郎も心平が経営していた居酒屋「火の車」常連だったため、光太郎の名が出て来るかと期待したのですが、残念ながらそれはありませんでした。
さて、何はともあれ、『作家と酒』、ぜひお買い求め下さい。
【折々のことば・光太郎】
ひる頃土門拳来訪、助手二人同道、今夜横手市の平源にゆき、明日秋田市にゆく由。写真撮影。三時頃辞去。元気なり。
昭和26年(1951)5月21日の日記より 光太郎69歳
この日のことも、後にエッセイで述懐しています。翌年の『岩手日報』に載った「芸術についての断想」から。
いつか土門拳という人物写真の大家がやってきた。ボクを撮ろうとしたわけだ。自分は逃げまわって、とうとううつさせなかった。カメラを向けられたら最後と、ドンドン逃げた。結局後姿と林なんか撮られた。写真というものは何しろ大きなレンズを鼻の前に持ってくる。(略)カメラという一ツ目小僧は実に正確に人間のいやなところばかりつかまえるものだ。
光太郎、土門の仏像写真などは高く評価していましたが、自分が撮影されるのは嫌いでした。そういう意味では、上記の横田撮影のものなど、非常に貴重なショットです。