10月31日(日)、六本木の国立新美術館さんで、第8回日本美術展覧会(日展)を拝見した後、初台へ。駅からほど近い住宅街の中にある、代々木能舞台さんで「和編鐘コンサート in 代々木能舞台 響きにつつまれていのちの煌めきの中へ 智恵子抄 愛と絆の調べ」を拝聴して参りました。
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代々木能舞台さん、場所が場所だけに、6月に「山本順之師の謡と舞台への思いを聴く会」を拝聴しに行った南青山の銕仙会能楽研修所さんのように、屋内に能舞台がしつらえてあるものとばかり思いこんでいました。しかし、さにあらず。客席は屋内でしたが、舞台は庭に。なるほど、これなら登録有形文化財指定もうなずけるな、と思いました。この日は光太郎がらみのイベントの通例で雨でしたが、画面中央の軒から雨だれがしたたり落ちている状態で、それはそれで趣がありました。
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こういう空間構成ですので、換気はばっちりです。寒いくらいでした。
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さて、午後1:30開演。二部構成で、第一部は「和編鐘で奏でる日本の音風景 日本の詩と季節の音風景」。万葉集や夏目漱石、石川啄木、与謝野晶子らの短歌、俳句を、河崎卓也さんが朗唱。その合間に、ゆきねさんの和編鐘と、田中泉代賀さんの十七絃によるオリジナル曲。

和編鐘というのは、当方、初めて聴きました。西洋音楽のチューブラーベルに近いのかな、という感じでしたが、チューブラーベルが2オクターブ未満であるのに対し、和編鐘は3オクターブ(やりようによっては、もっと増やせるかもしれません)。音色としては、とにかく残響が長いので、不思議な感じでした。ペダルを踏みっぱなしにしてピアノでコード演奏をするような。音量もかなりあり、半屋外のこの日の舞台でも、その意味では問題ありませんでした。逆に、かなりの音量でありながら、耳に優しい響きだとも感じました。その響きに誘われたのか、かなりの音量にもかかわらず、隣に座っていた老人男性は、いびきをかいてねていました(笑)。

第二部が、メインの「智恵子抄 愛はすべてをつつむ」。
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河崎さんが、「智恵子抄」所収の詩四篇と、それが書かれた前後の光太郎智恵子についての解説。詩の朗読中、ゆきねさんは、和編鐘ではなく、手持ちの鈴などを邪魔にならない程度に鳴らし、それもまたいい感じでした。

合間にやはり和編鐘によるオリジナル曲。こちらでは、箏はなく和編鐘のみでした。マリンバやビブラフォンのように、4本、または6本というわけにはいかないようで、マレットは2本でしたが、それでも速い動きで残響を生かした分散和音、トレモロ……。音量が大きいだけに、間違うと悲惨なことになりそうでしたが、さすがにそういう場面はありませんでした。

メロディー的にも、「智恵子抄」の感傷的な感覚、ある種のノスタルジー、そして胸が張り裂けそうな光太郎の思いなどが、しっかりと表現されていました。

終演後。
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「智恵子抄」、今回が初演だそうですが、これでお蔵入りとなることなく、再演、再々演、さらに曲目を増やし、箏なり笛なりとの合奏……と、発展させて行っていただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

ひる青年集配人くる、菊岡久利氏より余の十四歳頃のシシ合彫を送りくる。箱書の事、

昭和26年(1951)4月13日の日記より 光太郎69歳


詩人・菊岡久利の回想から。

僕はそれを鎌倉の古物店で見つけたのだが、人々は、まだ塗らない鎌倉彫の生地のままの土瓶敷ぐらゐに思つたらしい。一五センチ四方、厚さ二センチの板にすぎないのだから無理もなく、ながくさらされてゐたものだ。
(略)
当時まだ岩手の山にゐた高村さんに届けると、『どうしてかゝるものを入手されたか、不思議に思ひます。確かにおぼえのあるもので、小生十三、四の頃の作』と書いて来、レリーフの裏に、
 五十五年
 青いぶだうが
 まだあをい
と詩を書いてよこしてくれたものだ。
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右上の画像、左端に「明治廿九年八月七日 彫刻試験 高村光太郎」の署名。この年、下谷高等小学校を卒業した数え十四歳の光太郎は、東京美術学校の予備校として同窓生たちが作った共立美術学館予備科に入学、中学の課程を学んでいます(翌年には東京美術学校に入学)。その頃の懐かしい作品が、なぜか鎌倉からひょっこり現れ、入手した菊岡が光太郎に鑑定を依頼、まちがいなく自作だということで、新たに裏書きをしてくれたというわけです。

五十五年 青いぶだうが まだあをい」。菊岡は「詩」と書いていますが、これは俳句と言っていいと思います。筑摩書房『高村光太郎全集』にはなぜか脱漏している句です。