本日も、新刊紹介です。

思想をよむ、人をよむ、時代をよむ。 書ほどやさしいものはない

2021年8月30日 石川九楊著 ミネルヴァ書房 定価2,500円+税

あんな書こんな書、珍書奇書

西郷隆盛、副島種臣、徳川綱吉、大塩平八郎、九代目市川團十郎、平塚らいてう、南方熊楠、岡本かの子など書からすべてをよみとおす。

一画一画、一字一字の書の背景には、その人物の思想や生きた時代が宿る。王羲之、顔真卿、副島種臣、そしてこれまであまり取り上げられることのなかった西郷隆盛、大塩平八郎、岡本かの子に至るまで、一話一話読み切りで、古今東アジアの書を巡り、人と思想、時代を読み解く一冊。
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目次
序 書ほどやさしいものはない
Ⅰ 一月一書、季節を楽しむ
   一月 歳(王羲之「蘭亭叙・八柱第一本」) 
   二月 雪(伝嵯峨天皇「李嶠雑詠残巻」)
   三月 陽(褚遂良「雁塔聖教序」)
   四月 花(副島種臣「杜甫曲江対酒詩句」)
   五月 風(良寛「夢左一覺後彷彿」)
   六月 雨(副島種臣「帰雲飛雨」)
   七月 水(藤原佐理「詩懐紙」)
   八月 遊(藤原行成「白氏詩巻」)
   九月 雲(池大雅「徐文長詩四種」)
   十月 恋(「紙撚切道済集」)
   十一月 清(松花堂昭乗「長恨歌」)
   十二月 酒(伝醍醐天皇「白楽天詩句」)
Ⅱ タテ画、ヨコ画、十字選
   瘦せたところも肥えたところもある描線
   点画の成立
   筆あそび(書)の発生
   石刻文字、「十」字八態
   刻字の虚像
   篆刻の文字から――星光のごとく、光芒のごとく
   権威を写し込んだ「政治文字」
   余計な力を加えず、世界を横切っていく
   呪符か、祝符か
   無意識層まで法華経
   名刀の「十」字
   一幅の水墨画
   古典的(アルカイック)な書法
   自身の哲学を裏切る書
   彫刻的筆画
   革命家の書
   明治新政府と時代への否定と逆転
   「十」字の原風景
   幾何学的、建築的、書的美学の集積
   印刷活字のモデル
   女手(ひらがな)書法の漢字
   左右対称を超える多析法の美学
   書の近代の誕生
   右から左の「十」字
   硬筆の書きぶりから生まれた「十」字
   文学の文体(スタイル)がのぞける
Ⅲ 一人一書、浮世ばなし
   人の短を言わず、己の長を説かず――空海
   天に則り私を去る――夏目漱石
   一日作さざれば一日食わず――西田幾多郎
   過ては則ち改むるに憚ることなかれ――徳川綱吉
   独立自尊新世紀を迎う――福澤諭吉
   簡素――島崎藤村
   敬天愛人――西郷隆盛
   災難に逢う時には災難に逢うがよく候――良寛
   徳は孤ならず――志賀直哉
   為政清明――大久保利通
   やみがたくして道はゆくなり――高村光太郎
   仰天有始――岡倉天心
   無――白隠慧鶴
   桃花細逐楊花落(とうかさいちくようかおち)――副島種臣
   敏於事而慎於言(ことにびんにしてげんをつつしむ)――犬養毅
   伝国之辞――上杉鷹山
   六十一歳自画自賛像――本居宣長
   無限生成――平塚らいてう
   荀子識語――大塩平八郎
   白楽天詩句――伝醍醐天皇
   寸松庵色紙――筆者不詳
   虹いくたび――川端康成
   神島建立歌碑表面自筆草稿――南方熊楠
   日本美術院院歌――横山大観
   井上馨宛書状――九代目市川團十郎
Ⅳ 珍書奇書、あんな書こんな書
   「古今和歌集」の背景――伝醍醐天皇「白楽天詩句」
   縮織か絞染を思わせる――円珍書状
   連綿がひらがなを生んだ――虚空蔵菩薩念誦次第紙背仮名文書
   天平時代の落書――写経生楽書
   ガリ版文字のような――金農「昔邪之廬詩」
   蛇のような、ツチノコのような――空海「崔子玉座右銘」
   一筆書きの書――呉説「王安石蘇軾三詩巻」
   狂草の逸品――許友「七絶二首」
   骨書きの書――宋・徽宗「夏日詩」
   日本墨蹟のはじまり、やぶれがぶれ――一休「漁父」
   輪舞曲(ロンド)を踊ろう――解縉「文語」
   こんな字、書いてみました。――空海「崔子玉座右銘」
   聖草・韮、雉の舞い――雑書体・鳥毛篆書屛風
   体は金文、心は草書――傅山「七絶十二屛」
   集字聖教序に瓜二つ――唐招提寺木額字
   無法と無茶、そして狂――一休宗純「靈山徹翁和尚示榮衒徒法語」
   逆入法成立以前の「古文」書法――王樹「易経謙卦」・傅山「七絶十二屛」
   巨大な構想――副島種臣「杜甫曲江対酒詩句」(上)
   巨大な構想――副島種臣「杜甫曲江対酒詩句」(下)
   書くことの楽しさ――居延出土習字簡
   上へ・下へ・伸ばして伸ばす――張旭「自言帖」
   「右ハライ」こそ書の始まり――嵩山太室石闕銘
   消えた文字の謎を解く――掛字と掛筆(上)「寸松庵色紙」
   溶ける文字、溶ける筆画――掛字と掛筆(下)「香紙切」
あとがき
人名・事項索引

書家の石川九楊氏の新著です。

これまでも数々の御著書の中で、光太郎の書をかなり好意的に評して下さっていた石川氏、今回もそうしてくださいまして、有り難いかぎりです。

まず「Ⅱ タテ画、ヨコ画、十字選」。古今の書作品(中には「作品」とも言い難い個人的な筆跡なども含みますが)中の「十」の一文字にこだわり、いわゆる能書家と言われるような人々、特徴的な書で有名な人々が、どのように「十」の字を書いているのか、といった考察です。

光太郎に関しては、詩集『智恵子抄』のために書き下ろされたと推定されている詩「荒涼たる帰宅」の手控え原稿から。「十月の深夜のがらんどうなアトリエ」の「十」。
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石川氏曰く、

 高村の筆跡は全般にガリ版の文字のように明快で、歯切れがよく、韻(ひび)きが高い。
 『智恵子抄』の完結を意味するこの詩の「十」はその一例、ヨコ画は一点のゆるみもなく緊張をもって長くなり、タテ画は起筆部に力をこめて、ヨコ画のちょうど中央を交叉する。「スー・カリ」という規則正しい音が、何とも快い。
 近代の作家や詩人のような書字の崩れ、新聞記者のような角のとれた丸文字化などとは無縁、隔絶している。彫刻家。高村の持つペンは鑿(のみ)。


なるほど。

それからもう一箇所、「Ⅲ 一人一書、浮世ばなし」中の「やみがたくして道はゆくなり――高村光太郎」。こちらは、光太郎書の代表作の一つ、「吾山に……」の短歌を書いた絹本を俎上にのせています。
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この中で、三行目の「つ」と「の」が、石川氏のお気に入り。

「川(つ)」字の第一筆相当部は、まず、木の表面に薄く斜めに彫刻刀を「スイ」と入れる。その後は、刀の角(かど)で、軽く筋をつけるように終筆部を切り込む。
 そして最終第三筆相当部では力を入れまた抜くリズムを繰り返しながら「グイ・グイ・グイ」と削り込み、最後に「ハラリ」と切り落とす。
 つづく「の」の字の「グリ・グリ・グリ・グリ」と螺旋(らせん)状に深く彫り込む様が圧巻。この二字をなぞるだけで、この作品は書というより彫刻であり、それはすなわち高村光太郎が詩人である以上に彫刻家であったことがはっきり見えてくる。


何だか、長嶋茂雄さんの「球がこうスッと来るだろ。そこをグゥーッと構えて腰をガッとする。あとはバァッといってガーンだ。シャーッときてググッとなったらシュッと振ってバーンだ。」のような感じもしますが(笑)。

ちなみに問題の「吾山に……」の書、現在、富山県水墨美術館さんで開催中の「チューリップテレビ開局30周年記念「画壇の三筆」熊谷守一・高村光太郎・中川一政の世界展」で展示中です。

さて、『思想をよむ、人をよむ、時代をよむ。 書ほどやさしいものはない』、ぜひお買い上げ下さい。

【折々のことば・光太郎】

今日は山口小学校の卒業式なれど出席せず、まだ出かけられぬ状態にあり、昨年は出かけて祝辞をのべ、又式後御馳走になりたる事を記憶す、


昭和26年(1951)3月24日の日記より 光太郎69歳

以前にも書きましたが、この年のこの時期が、七年間の花巻郊外旧太田村の山小屋蟄居生活で、最も体調が悪かった時期でした。