千葉県印西市で、古民家を改装し、「印西書道塾」を運営なさっている書家の菊地雪渓氏が、光太郎の言葉を揮毫された作品です。
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菊地氏からご案内のメールを賜り、早速、購入させていただきました。
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書かれている光太郎の言葉は、「心はいつでもあたらしく 毎日何かしらを発見する」。昭和24年(1949)、蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近辺を学区とした太田中学校に、校訓として贈った言葉です。

太田中学校は統合のため、現在は花巻市立西南中学校さんとなっています。同校の生徒さん達は、コロナ禍前、毎年5月15日(光太郎が疎開のため東京を発った日)に行われていた高村祭にご出席下さり、この言葉を歌詞に盛り込んだ「精神歌」を演奏して下さっていました。
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こちらが光太郎の書。
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前半部分は翌年、盛岡少年刑務所さんにも贈りました。光太郎自身、気に入った言葉だったのでしょう。

菊地氏、他にも智恵子の言葉を含む、さまざまな扇を取り揃えていらっしゃいます。オンラインで注文可。ぜひ皆様もご購入下さい。

【折々のことば・光太郎】

静かにしてゐる、肋間神経痛まだあり、 昨夜つもる 夜ドローランをのむ。

昭和26年(1951)2月9日の日記より 光太郎69歳

「ドローラン」は鎮痛剤です。中上健次の小説「灰色のコカコーラ」では、ドローランを大量に服用してラリっている若者が描かれています。

文豪と薬物といえば、太宰治のパピナール、坂口安吾でヒロポンなどがすぐ思い浮かびます。光太郎はジャンキーにはならずに済んだようですが、上記の日記、体調の話になったり、雪の件を書いたり、すぐまた薬のことに戻ったりと、話題があちこちに飛んでいます。少しヤバかったのではないかと、心配になりました(笑)。