まずは地方紙『福島民友』さん。10月7日(木)の記事です。智恵子記念館での紙絵実物の公開と、智恵子生家の二階部分特別公開について。

高村智恵子の紙絵実物展示 二本松の記念館、生家居室も公開

 二本松市出身の洋画家高村智恵子を顕彰する同市智恵子記念館と智恵子の生家は2日、秋の特別公開を始めた。普段展示していない紙絵の実物などを通し、来場者が智恵子に理解を深めている。
 記念館では11月14日まで、智恵子が病床で制作した紙絵の実物が展示されている。紙絵は紙質が悪く、照明などで劣化しやすいため通常、複製を展示する。このため本物に触れる機会を―と年2回、実物を展示していて、今回は「青い魚と花」や「菊」「小鉢」「ぶどう」など10点を選んだ。
 生家では、非公開の智恵子の居室が特別公開されている。智恵子は、福島高等女学校を卒業するまでと、詩人で彫刻家の高村光太郎と結婚後に帰省すると居室で過ごしたという。公開は11月14日までの土、日曜日と祝日の午前9時~午後4時。
 開館時間は午前9時~午後4時30分(最終入館は同4時)。水曜日休館。入館料は高校生以上410円、小・中学生210円。問い合わせは同館(電話0243・22・6151)へ。
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続いて、FNN系のニュース番組から。トピックニュース的に、経済的な部分での新たな取り組みの紹介ということで、岳温泉の「あだたらの宿扇や」さんが取り上げられました。10月9日(土)に放映されたようです。

後継者不足解消へ...個人版M&Aマッチング

働く人に役立つプラスαな考え方に注目する「αism」。後継者を探したい人と、あとを継ぎたい人。その両者を結ぶ新たなプラットホーム。
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天然温泉100%の源泉かけ流し。
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情緒あふれる和風旅館のオーナーは、飲食業を本業とする男性。今、トレンドになりつつある、個人による新たな事業承継の形とは。

福島・二本松市にある名湯「岳温泉」。メインストリートにある「扇や」は、天正2年創業の400年以上続く老舗の旅館。
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歴史に裏打ちされたおもてなしが魅力のこちらの旅館だが、東日本大震災をきっかけに経営は苦境に立たされていた。
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「扇や」女将・鈴木亜矢さん「(従業員)みんなの生活が成り立たなくなってしまったら本当に申し訳ないことですし、そちらはすごく最後まで悩んでいた」
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この旅館の存続の危機に手を挙げたのが、新たにオーナーに就任した菅又信也さん。
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「扇や」をM&Aで取得・菅又信也オーナー「元々、自分が旅館が好きだったのもあるが、この扇やが閉じてしまうと、この温泉街にとっても非常にダメージですし、1つのめぐり合わせかなと」
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菅又さんと旅館をめぐり合わせたのは、ネット上で事業の後継を探したい人と、あとを継ぎたい人をM&Aで結ぶプラットホーム「BATONS(バトンズ)」。

菅又さんの場合、飲食業を経営しながらセカンドキャリアの充実のため、この旅館をM&Aした。

菅又オーナー「安達太良山の中腹にある温泉街なんで、(高村)光太郎さんの書であったり、高村智恵子さんの紙絵、切り絵、この土地を感じてもらえるところに、力を置いてやってきています」
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この事業承継により、おかみさんはじめ22人の雇用はそのまま維持され、温泉街の空洞化回避にもつながった。
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バトンズが扱う事業承継の案件、およそ3,670件のうち、970件余りは500万円以下。

これまでの経験を生かし、起業を考えていた人や夢だった仕事への手掛かりとして、個人による小規模の事業買収のケースが増えているという。

「バトンズ」大山敬義CEO「地元のいいもの、それを生かしたものは、やろうと思っても、東京にいて始められるものでもない。あるいは、それを知る機会さえない。多くのやる気のある若者が、地方に行くことで地域の活性化にもなる。それが1つのネット時代のM&A事業承継の形なのかなと思います」

「なるほど」という感じでした。実際、岳温泉さんでも、東日本大震災後、廃業を余儀なくされた旅館が複数あります。また、コロナ禍の影響もあるのでしょう、全国で有名旅館等が閉鎖、というニュースも耳にします。都内でも、数年前に鳴り物入りでオープンした、ある文豪の名を冠した高級旅館も暖簾を下ろすそうで……。

これはもしかすると、私設美術館、私立文学館などの文化施設にも適用できるのかな、などとも感じました。行政が支援に入ったり、第3セクター化したりするだけでは、根本的な解決にはならないような気もしています。公設の館も、逆にこうしたシステムを使って民間に譲渡するなどもありのような気がします。

今後、こうした取り組みがどんどん広がっていくことを期待します。

【折々のことば・光太郎】

やぶやにて(すきやき)少々たべ、ハイヤーでかへる。


昭和26年(1951)1月20日の日記より 光太郎69歳

やぶや」は、現在も花巻中心街で営業を続ける老舗の蕎麦屋さんです。宮沢賢治の御用達でもありました。

ハイヤーで帰ったのは、滞在していた花巻病院長・佐藤隆房宅。普段、数㌔㍍の距離なら歩く光太郎でしたが、この時期、結核性の肋間神経痛などでかなり体調を崩していました。