基本、自然科学系の企画展示なのですが……。

身近な海のベントス展

期 日 : 2021年10月12日(火)~12月26日(日)
会 場 : 兵庫県立人と自然の博物館 兵庫県三田市弥生が丘6
時 間 : 10時~17時
休 館 : 月曜日
料 金 : 大人200(150)円 大学生150(100)円 70歳以上100(50)円
      ( )内団体料金 高校生以下無料 

水の底に生息する生物を総称してベントス(底生生物)といいます。私たちの生活圏のすぐそばにある沿岸海洋には、カニ、貝類、海藻などの多種多様なベントスが生息しています。本展示企画では、兵庫県を中心とした日本沿岸で見られるベントスと人の生活、文化、歴史との関わりについて紹介します。標本や展示を見て少しでもベントスに興味を持っていただければ幸いです。

身近な海には驚くほど多様な生物が生息しています。海の生物多様性、そして人と海、人とベントスの関係を標本、地形模型、映像、水槽展示を通してお伝えします。
・美しいカニ類、貝類、海藻類などの標本を約100点展示(予定)
・地味で不思議なベントス「フジツボ」を10種類以上水槽展示(予定)
・超貴重。詩人・高村光太郎が海を前に詠んだ短歌の直筆短冊も公開
・ダイバーが25年に渡って撮影した神戸の海洋生物を大迫力の画面でスライドショー上映
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005超貴重。詩人・高村光太郎が海を前に詠んだ短歌の直筆短冊」は、当方所蔵のものです。揮毫されている短歌は明治39年(1906)、留学のため横浜港を出航したカナダ太平洋汽船の貨客船・アセニアンの船上で詠んだ短歌。翌年元日発行の雑誌『明星』未歳第1号に掲載されました。

光太郎にとって、初めての長い船旅で、季節風の影響もあり、海は大荒れ。しかも乗った船、アセニアンが総排水量3,882トン、外洋を航海する船としては小さなもので、大揺れだったそうです。そのワイルドな海に乗り出した感覚を、まるで太古の民が初めて丸木舟で外洋に漕ぎ出した時に感じた驚きのようだとしています。

その時点では「海を観て太古の民のおどろきをわれふたたびす大空のもと」。それが明治43年(1910)の雑誌『創作』に再録された際には、初句が「海にして」と改められており、以後、その形で流布しました。

短冊の初句は「海をみて」。従って、明治43年(1910)以前の揮毫と推定できます。

この短冊、元々光太郎の父・光雲の弟子であった故・小林三郎氏の旧蔵で、小林氏のご息女(この方も亡くなっています)からいただきました。富山県水墨美術館さんで今週から始まる「チューリップテレビ開局30周年記念「画壇の三筆」熊谷守一・高村光太郎・中川一政の世界展」にお貸しすることも考えていたのですが、同展、短冊や色紙などの小さな書はあまり出さず、大幅のものを中心にということで、それは無くなりました。

会場の兵庫県立人と自然の博物館さんの学芸員氏が、平成30年(2018)翌年、光太郎ゆかりの地・宮城県女川町で開催された女川光太郎祭(昨年、今年はコロナ禍のため中止)にご参加、光太郎詩の朗読をなさいまして、その関係で、こちらに貸し出し依頼が来ました。

この他、光太郎智恵子光雲関係のさまざま、依頼があれば展示等のためにお貸ししますし、当方手元に無いものは、仲介できる場合もありますので、ご関係の方、お考え下さい。

さて、「身近な海のベントス展」。コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

ねてゐうちち黒沢尻より斎藤充司氏他4人の小学教師遊びにくる、豚鍋をつくりて食事。ジン酒一本もらふ。皆「典型」持参。署名。


昭和26年(1951)1月8日の日記より 光太郎69歳


「斎藤充司氏」に関しては、こちら。日記が失われている前年の昭和25年(1950)にも、少なくとも2回、光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋を訪問し、写真を撮影しています。

「典型」は、やはり前年に刊行された、光太郎生前最後の詩集(選詩集等を除く)です。