9月18日(土)は、9月26日(日)に開催予定で、当方が講師を務めさせていただく「」の打ち合わせで、文京区千駄木の旧安田楠雄邸庭園に行って参りましたが、その前に都内2つの美術館さんをハシゴしました。
まず訪れた、小平市平櫛田中彫刻美術館さんを後に、続いて向かったのは、新宿中村屋サロン美術館さん。こちらでは企画展「自身への眼差し 自画像展 Self-Portrait」が開催中です。
光太郎のそれを含む、約40点の自画像が、おおむね時代順に展示されています。順路に従って、年代別に拝見。
まずは「第1章 明治初期の画家たち -再現描写の追及-」。それまで「自画像」という概念がほぼ無かった日本の画家達が、西洋絵画の本格的流入と共に取り組んだ、鹿子木孟郎ら、草創期の作品群です。したがって、極めて写実的、アカデミックな作風から始まり、徐々に白馬会系などが、印象派風の技法を取り入れる、といった流れです。
続いて、「第2章 明治中期・後期の画家たち -自己の内面の表現-」。ここに光太郎の自画像(大正2年=1913)も含まれます。単なる外形描写にとどまらず、自己の内面を掘りさげる、という方向に。技法的にはポスト印象派の影響も色濃く見られるようになります。光太郎の自画像も、明らかにフォービズム系です。
そして、この第2章では、岸田劉生、斎藤与里、藤田嗣治ら、光太郎と交流の深かった面々の作が並び、興味深く拝見しました。テレ東さんの「新美の巨人たち」で、よくそういう描写がありますが、閉館後の館内で、絵から抜け出した彼らが、昔話に花を咲かせていそうな気がします(笑)。
最後が「第3章 大正・昭和の画家たち -公と個の間、関係性の中の自己認識-」。ここまで来ると、かなり現代風だな、という感じです。
図録が販売されていましたが、購入せずに帰りました。光太郎の自画像は掲載されていませんでしたので。元々この展覧会、日動美術財団さんの所蔵品を中心としたもので、図録も同財団発行。それに対し、光太郎の自画像は中村屋さんの所蔵で、そのあたりの大人の事情があるのではないかと思われます。
コロナ禍ということもあるのでしょうか、ギャラリートーク的なことは行われず、オンラインでの紹介となっています。先述の3章での章立てにしたがい、現在は「第1章 明治初期の画家たち -再現描写の追及-」。今後、2章と3章についてもアップされる予定です。
同展、12月5日(日)まで。コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
十一時半学校行。雪ふかくつもり、長靴を没す。炭俵の曲木(丸型)にてカンジキを作りたれど、途中で靴が外れたり。
蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村、この時期が最も雪深い時期です。
まず訪れた、小平市平櫛田中彫刻美術館さんを後に、続いて向かったのは、新宿中村屋サロン美術館さん。こちらでは企画展「自身への眼差し 自画像展 Self-Portrait」が開催中です。
光太郎のそれを含む、約40点の自画像が、おおむね時代順に展示されています。順路に従って、年代別に拝見。
まずは「第1章 明治初期の画家たち -再現描写の追及-」。それまで「自画像」という概念がほぼ無かった日本の画家達が、西洋絵画の本格的流入と共に取り組んだ、鹿子木孟郎ら、草創期の作品群です。したがって、極めて写実的、アカデミックな作風から始まり、徐々に白馬会系などが、印象派風の技法を取り入れる、といった流れです。
続いて、「第2章 明治中期・後期の画家たち -自己の内面の表現-」。ここに光太郎の自画像(大正2年=1913)も含まれます。単なる外形描写にとどまらず、自己の内面を掘りさげる、という方向に。技法的にはポスト印象派の影響も色濃く見られるようになります。光太郎の自画像も、明らかにフォービズム系です。
そして、この第2章では、岸田劉生、斎藤与里、藤田嗣治ら、光太郎と交流の深かった面々の作が並び、興味深く拝見しました。テレ東さんの「新美の巨人たち」で、よくそういう描写がありますが、閉館後の館内で、絵から抜け出した彼らが、昔話に花を咲かせていそうな気がします(笑)。
最後が「第3章 大正・昭和の画家たち -公と個の間、関係性の中の自己認識-」。ここまで来ると、かなり現代風だな、という感じです。
図録が販売されていましたが、購入せずに帰りました。光太郎の自画像は掲載されていませんでしたので。元々この展覧会、日動美術財団さんの所蔵品を中心としたもので、図録も同財団発行。それに対し、光太郎の自画像は中村屋さんの所蔵で、そのあたりの大人の事情があるのではないかと思われます。
コロナ禍ということもあるのでしょうか、ギャラリートーク的なことは行われず、オンラインでの紹介となっています。先述の3章での章立てにしたがい、現在は「第1章 明治初期の画家たち -再現描写の追及-」。今後、2章と3章についてもアップされる予定です。
同展、12月5日(日)まで。コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
十一時半学校行。雪ふかくつもり、長靴を没す。炭俵の曲木(丸型)にてカンジキを作りたれど、途中で靴が外れたり。
昭和24年(1949)1月6日の日記より 光太郎67歳
蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村、この時期が最も雪深い時期です。