9月18日(土)は、9月26日(日)に開催予定で、当方が講師を務めさせていただく「」の打ち合わせで、文京区千駄木の旧安田楠雄邸庭園に行って参りましたが、その前に都内2つの美術館さんをハシゴしました。
後ほど詳しく御紹介しますが、10月8日(金)から富山県水墨美術館さんで開催される企画展「画壇の三筆 熊谷守一・高村光太郎・中川一政の世界展」に協力させていただいておりまして、そのポスターやチラシを置いていただこうと、まぁ、いわば営業。それから、2館で開催中の企画展を拝見するのも目的でした。
まず、小平市の平櫛田中彫刻美術館さん。
こちらでは、光太郎の父・光雲の孫弟子にして、JR東北本線二本松駅前の智恵子像「ほんとの空」、同じく安達駅前の「今ここから」の作者、故・橋本堅太郎氏の作品を集めた「橋本堅太郎展-無分別」が開催中です。
2体の智恵子像は、橋本市のお父さまで、やはり彫刻家だった橋本高昇が二本松出身という縁もあって制作されました。そして「今ここから」の方は、橋本市の遺作となった作品です。
後ほど詳しく御紹介しますが、10月8日(金)から富山県水墨美術館さんで開催される企画展「画壇の三筆 熊谷守一・高村光太郎・中川一政の世界展」に協力させていただいておりまして、そのポスターやチラシを置いていただこうと、まぁ、いわば営業。それから、2館で開催中の企画展を拝見するのも目的でした。
まず、小平市の平櫛田中彫刻美術館さん。
こちらでは、光太郎の父・光雲の孫弟子にして、JR東北本線二本松駅前の智恵子像「ほんとの空」、同じく安達駅前の「今ここから」の作者、故・橋本堅太郎氏の作品を集めた「橋本堅太郎展-無分別」が開催中です。
2体の智恵子像は、橋本市のお父さまで、やはり彫刻家だった橋本高昇が二本松出身という縁もあって制作されました。そして「今ここから」の方は、橋本市の遺作となった作品です。
残念ながら、今回、2体の智恵子像に関する展示はありませんでした(石膏原型か習作でも出ていれば、と思ったのですが)。ただ、氏の得意とした数々の女性像が並び、2体の智恵子像と相通じるテイストを感じました。
橋本作品は一部を除き、撮影可でした。
左下は代表作「竹園生」の雛形。星取の赤い点が残っています。右下は「まとう」と題された作品。
続いて「希№2」(左下)、「無題」(右下)。
「流木 その四」(左下)、そしてこれも代表作「清冽」(右下)。
きれいなだけの作ではなく、時に、荒々しい彫り跡が残っていたりもします。しかし、それが却って生命感を醸すのに役立っているようにも見えました。そして、人体構造を熟知した上で、さらに確かなデッサン。止まっているポーズでも躍動感を感じられるところは、ロダンなどの影響も見て取れるような気がします。
光太郎とも親しかった平櫛田中に師事した橋本氏、もちろん、氏なりの個性も持ちつつ、系譜的にはやはり相通じるものがあるのかな、と思いました。
その田中の作品群も久々に拝見し、眼福の思いでした。
それにしても、コロナ禍ということもあり、きちんとした彫刻をまとめて観たのは、実に久しぶりでした。まだ油断は禁物ですが、ぼちぼちコロナ禍も収束・終息に向かいつつあるようで、以前のように気軽に展覧会を堪能できる日も遠くないのかな、という気がし、喜ばしく思います。
今回の企画展としての図録は発行されていませんでした。代わりに、橋本氏の作品写真集の豪華本が販売されていました。見本を手にとってめくると、平成23年(2011)の出版で、当然、遺作の「今ここから」は載っていません。「ほんとの空」も見あたりませんでした。
ところが、別の作品を発見し、びっくり仰天。当方、何度か実物を目にしていたのに、それが橋本氏の作品と知らなかった(アホですね(笑))彫刻がありました。
こちらです。
光太郎と縁の深い、宮沢賢治の像。花巻農業高校さんの敷地内に移転されて建っている、羅須地人協会(賢治の旧居)の前に設置されています。平成18年(2006)の作ということでした。橋本氏が亡くなった時の報道に「宮沢賢治像」の語があったのですが、これだとは思いませんでした。
橋本作品は一部を除き、撮影可でした。
左下は代表作「竹園生」の雛形。星取の赤い点が残っています。右下は「まとう」と題された作品。
続いて「希№2」(左下)、「無題」(右下)。
地下展示室では、「つたえあい」(左下)、「Largo」(右下)。
「渓流」(左下)、ステンレスを使った「風をきく」(右下)。「流木 その四」(左下)、そしてこれも代表作「清冽」(右下)。
きれいなだけの作ではなく、時に、荒々しい彫り跡が残っていたりもします。しかし、それが却って生命感を醸すのに役立っているようにも見えました。そして、人体構造を熟知した上で、さらに確かなデッサン。止まっているポーズでも躍動感を感じられるところは、ロダンなどの影響も見て取れるような気がします。
光太郎とも親しかった平櫛田中に師事した橋本氏、もちろん、氏なりの個性も持ちつつ、系譜的にはやはり相通じるものがあるのかな、と思いました。
その田中の作品群も久々に拝見し、眼福の思いでした。
それにしても、コロナ禍ということもあり、きちんとした彫刻をまとめて観たのは、実に久しぶりでした。まだ油断は禁物ですが、ぼちぼちコロナ禍も収束・終息に向かいつつあるようで、以前のように気軽に展覧会を堪能できる日も遠くないのかな、という気がし、喜ばしく思います。
今回の企画展としての図録は発行されていませんでした。代わりに、橋本氏の作品写真集の豪華本が販売されていました。見本を手にとってめくると、平成23年(2011)の出版で、当然、遺作の「今ここから」は載っていません。「ほんとの空」も見あたりませんでした。
ところが、別の作品を発見し、びっくり仰天。当方、何度か実物を目にしていたのに、それが橋本氏の作品と知らなかった(アホですね(笑))彫刻がありました。
こちらです。
光太郎と縁の深い、宮沢賢治の像。花巻農業高校さんの敷地内に移転されて建っている、羅須地人協会(賢治の旧居)の前に設置されています。平成18年(2006)の作ということでした。橋本氏が亡くなった時の報道に「宮沢賢治像」の語があったのですが、これだとは思いませんでした。
さて、「橋本堅太郎展-無分別」、11月23日(火・祝)までの予定です。コロナ感染にはお気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
ボールペンで書いてみる。スルスルすべるやうな感じなれど、面白味なし。インキが油のやうなり。
ボールペン、意外と歴史は新しいのですね。調べてみたところ、昭和18年(1943)、ハンガリーで発明され、日本には戦後になって入ってきたようです。
光太郎のボールペン、この日、交流のあった編集者から届いた小包に入っていたものです。おそらく、初めて手にしたのでしょう。
【折々のことば・光太郎】
ボールペンで書いてみる。スルスルすべるやうな感じなれど、面白味なし。インキが油のやうなり。
昭和24年(1949)1月4日の日記より 光太郎67歳
ボールペン、意外と歴史は新しいのですね。調べてみたところ、昭和18年(1943)、ハンガリーで発明され、日本には戦後になって入ってきたようです。
光太郎のボールペン、この日、交流のあった編集者から届いた小包に入っていたものです。おそらく、初めて手にしたのでしょう。