光太郎第二の故郷ともいうべき岩手県花巻市がらみで2件。
まずは市の広報誌『広報はなまき』9月15日号。「花巻歴史探訪」という連載があり、市内に遺る先人達の逸品が紹介されていますが、光太郎関連も時折取り上げて下さっています。今号は昭和26年(1951)、光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くの山口小学校に、校訓として贈った書「正直親切」です。
現物は、花巻高村光太郎記念館さんに所蔵されています(常設展示は為されていません)。
山口小学校は廃校となり、跡地にこの書を写したモニュメントが建てられています。また、少年字時代の光太郎が通った荒川区のさん、光太郎と交流のあった故・田口弘氏が教育長を務められていた埼玉東松山のさんにも、この書を写した石碑がそれぞれ建てられています。
続いて、「光太郎ランチ」。花巻で光太郎顕彰活動を進められている「」さんがメニュー作成に関わられています。昨年した「」さんのテナント「」さんで、毎月15日だけの限定販売です。
まずは市の広報誌『広報はなまき』9月15日号。「花巻歴史探訪」という連載があり、市内に遺る先人達の逸品が紹介されていますが、光太郎関連も時折取り上げて下さっています。今号は昭和26年(1951)、光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くの山口小学校に、校訓として贈った書「正直親切」です。
現物は、花巻高村光太郎記念館さんに所蔵されています(常設展示は為されていません)。
山口小学校は廃校となり、跡地にこの書を写したモニュメントが建てられています。また、少年字時代の光太郎が通った荒川区のさん、光太郎と交流のあった故・田口弘氏が教育長を務められていた埼玉東松山のさんにも、この書を写した石碑がそれぞれ建てられています。
続いて、「光太郎ランチ」。花巻で光太郎顕彰活動を進められている「」さんがメニュー作成に関わられています。昨年した「」さんのテナント「」さんで、毎月15日だけの限定販売です。
今月販売分がこちら。
末永く愛されて欲しいものです。
【折々のことば・光太郎】
三上秀吉氏に「山脈」の字を今朝書き発送。
「三上秀吉」は、当時九州に暮らしていた小説家。息女の三上慶子氏も作家です。「山脈」は三上が主宰していた文芸同人誌で、光太郎にその題字揮毫を依頼しました。ところが、その光太郎の文字が未見です。「山脈」の何冊かはプランゲ文庫(GHQの戦史室長であったゴードン・ウィリアム・プランゲ博士が、その歴史的価値に注目し、米国機関で一括所蔵・保存することに努め、現在は博士の希望通りメリーランド大学さんに寄贈されている占領期の雑誌類。日本の国会図書館さんでも「プランゲ文庫」として閲覧可)に含まれているのですが、そちらの題字は活字とのことで……。
情報をお持ちの方は御教示いただければ幸いです。
末永く愛されて欲しいものです。
【折々のことば・光太郎】
三上秀吉氏に「山脈」の字を今朝書き発送。
昭和23年(1948)12月27日の日記より 光太郎66歳
「三上秀吉」は、当時九州に暮らしていた小説家。息女の三上慶子氏も作家です。「山脈」は三上が主宰していた文芸同人誌で、光太郎にその題字揮毫を依頼しました。ところが、その光太郎の文字が未見です。「山脈」の何冊かはプランゲ文庫(GHQの戦史室長であったゴードン・ウィリアム・プランゲ博士が、その歴史的価値に注目し、米国機関で一括所蔵・保存することに努め、現在は博士の希望通りメリーランド大学さんに寄贈されている占領期の雑誌類。日本の国会図書館さんでも「プランゲ文庫」として閲覧可)に含まれているのですが、そちらの題字は活字とのことで……。
情報をお持ちの方は御教示いただければ幸いです。