光太郎智恵子がその人生の永い時間を過ごした東京文京区から、写真コンクールの情報です。
主催:文京区観光協会 共催:文京区
募集期間 2021年8月1日(日曜日)~9月30日(木曜日)※当日必着
第59回文京区観光写真コンクール
文京区内の観光スポットや催しで賑わう様子、今も残る昔の情景、花の五大まつりの賑わいなど、見た人が足を運びたくなるような観光写真を募集します。
主催:文京区観光協会 共催:文京区
募集期間 2021年8月1日(日曜日)~9月30日(木曜日)※当日必着
各賞一覧
推薦(1点) 文京区観光協会会長賞 賞状・賞金2万・賞品
特選(1点) 文京区長賞 賞状・賞金1万・賞品
審査員特別賞(若干点) 賞状・賞金5千円・賞品
準特選(10点) 文京区議会議長賞、文京区教育委員会賞ほか 賞状・賞金・賞品
入選(10点) 賞状・賞品
佳作(10点) 賞状・賞品
ジュニア賞(4点) 賞状・賞品 ・図書カード
審査結果
11月下旬までに応募者全員に発送します。表彰式は12月12日(日曜日)に行います。
入賞作品は写真展に展示されます 。
応募規定
カラープリント四切り(ワイド四切り・サービス判四切りを含む)、またはA4サイズ 。
小・中学生対象のジュニア賞に限り2Lサイズ(127mm×178mm)可 。
デジタル写真可。ただし、画像修正・加工は不可。
色調補正(色調、コントラスト、明度調整など)は審査対象外となる場合があります。
色調補正(色調、コントラスト、明度調整など)は審査対象外となる場合があります。
銀塩印画紙にプリントしたもの。インクジェットプリントでの応募も可。
2019年4月以降に文京区内を撮影した作品。
※規定にあてはまらない作品は審査対象外となります。
応募細則
応募はアマチュアに限ります。
応募作品はお一人につき5点までとし(複数の部門で応募の場合も合計で5点まで)、
応募者本人が撮影した未発表のものに限ります。
不正な二重応募と主催者が判断した場合には入賞等を取消すことがあります。
個人を特定できる写真で応募する場合、その肖像権について、
必ず応募者が本人に許可を得てください。
万一、第三者と紛争が生じた際は、応募者自身の責任と費用負担によって 解決していただきます。
立ち入り禁止区域からの撮影や無許可での私有地からの撮影など、
モラルに著しく反した場合、第三者に不利益を与える場合は審査対象外となります。
新規で写真撮影する際には、三密を避ける・ソーシャルディスタンスの確保等、
新型コロナウイルス感染症対策を行ったうえでの撮影をお願いします。
応募方法
所定の応募票(コピー可)を作品ごとに貼付のうえ、
文京区観光協会へ持参または郵送してください。
応募票
PDF ファイルをプリントアウトしてご利用ください
応募先
〒112-0003 東京都文京区春日1-16-21 文京シビックセンター1階 文京区観光協会
お問い合わせ先
文京区観光協会 電話番号:03-3811-3321
第59回ということで、伝統あるコンテストですね。昨年まで、このブログでは御紹介していませんでしたが、存じ上げませんでした。今年になって気がつきましたのは、審査委員長が髙村達氏だということで、検索の網に引っかかったためです。これまでも委員長をなさっていたかもしれませんが、今年、初めて気づきました。
達氏、家督相続を放棄した光太郎に代わって髙村家を嗣いだ、光太郎実弟にして、鋳金分野の人間国宝・髙村豊周の令孫に当たられます。したがって、光太郎の父・光雲の令曾孫。
お父さまの故・髙村規氏も写真家で、高村光太郎記念会理事長を務められ、光雲、光太郎、豊周、そして智恵子の作品を高精細の写真データで遺されました。
文京区内、いわゆる「映(ば)える」スポットも少なからず存在するでしょうし、そうでなくとも、ありきたりの風景の中にも美が見いだせるはずですね。光太郎も「路傍の瓦礫の中から黄金をひろひ出すといふよりも、むしろ瓦礫そのものが黄金の仮装であつた事を見破る者は詩人である。」(「生きた言葉」 昭和4年=1929)と云っています。だからといって瓦礫の写真で応募しろ、という訳ではありませんが(笑)。
腕に覚えのある方、ぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
夕方山口小学校の門標をかく。
「山口小学校」は、光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近く(といっても1㌔近くありましたが)にあった小学校です。
この年4月、分教場から小学校に昇格し、新しい校舎も完成。その落成式が翌日と云うことで、門標の揮毫を頼まれていました。
こちらは翌年行われた学芸会の日に撮影された写真ですが、サンタ姿で乱入した(笑)光太郎の右側に、門標が写っています。いい字ですね。
現物は、当方、拝見したことがありません。現存するのでしょうか。
達氏、家督相続を放棄した光太郎に代わって髙村家を嗣いだ、光太郎実弟にして、鋳金分野の人間国宝・髙村豊周の令孫に当たられます。したがって、光太郎の父・光雲の令曾孫。
お父さまの故・髙村規氏も写真家で、高村光太郎記念会理事長を務められ、光雲、光太郎、豊周、そして智恵子の作品を高精細の写真データで遺されました。
文京区内、いわゆる「映(ば)える」スポットも少なからず存在するでしょうし、そうでなくとも、ありきたりの風景の中にも美が見いだせるはずですね。光太郎も「路傍の瓦礫の中から黄金をひろひ出すといふよりも、むしろ瓦礫そのものが黄金の仮装であつた事を見破る者は詩人である。」(「生きた言葉」 昭和4年=1929)と云っています。だからといって瓦礫の写真で応募しろ、という訳ではありませんが(笑)。
腕に覚えのある方、ぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
夕方山口小学校の門標をかく。
昭和23年(1948)12月2日の日記より 光太郎66歳
この年4月、分教場から小学校に昇格し、新しい校舎も完成。その落成式が翌日と云うことで、門標の揮毫を頼まれていました。
こちらは翌年行われた学芸会の日に撮影された写真ですが、サンタ姿で乱入した(笑)光太郎の右側に、門標が写っています。いい字ですね。
現物は、当方、拝見したことがありません。現存するのでしょうか。