『週刊ポスト』さんの2021年9月10日号に、光太郎の父・光雲の名。巻末の「山下裕二×壇蜜/美術館へ行こう」という連載です。
この連載、8月20日号から港区の芝増上寺さんが扱われていて、その4回目です。
デザイン:古宇田實、彫刻:高村光雲『台徳院殿霊廟模型』(中門・透堀・拝殿・相之間・本殿)明治42年(1909年) Royal Collection Trust/(c) Her Majesty Queen Elizabeth II 2021
「台徳院殿霊廟模型」。記事にある通り、明治43年(1910)に開催されたイギリスでの博覧会出品のため制作され、その後、英王室に寄贈されましたが、平成25年(2013)に里帰りし、修復作業後、同27年(2015)にオープンした増上寺さんの宝物展示室で常設展示されています。当方も一度、拝見に伺いました。
元々、増上寺さんにあった、徳川二代将軍・秀忠の墓所「台徳院殿霊廟」(太平洋戦争の空襲で焼失)を10分の1スケールにしたもので、東京美術学校が依頼を受け、光雲は監修という立場でした。光雲が彫った部分もあるかもしれませんが、全体には工房作の扱いですね。
ところで山下氏、いわゆる「超絶技巧」系の工芸作品等の魅力を広めた仕掛け人のお一人ですが、どうも光太郎が「超絶技巧」系を「生命(ラ・ヴィ)が無い」と切り捨てたことを根に持たれているようで、あちこちで光太郎をけちょんけちょんにけなされています。技法や素材云々にかかわらず、「生命(ラ・ヴィ)が無い」ものはやはり駄目、光太郎の言も至極もっともだと思うのですが、いかがでしょうか。
山下氏、一方、光雲は、どちらかというと「超絶技巧」系に近い立ち位置だったということで、その限りではないようです。光雲は光雲で、輸出向けの牙彫(象牙彫刻)など、粗製濫造のものが多い、と、批判していたのですが……。
閑話休題。「台徳院殿霊廟模型」、先述の通り、増上寺さんの宝物展示室で常設展示されています。一見の価値あり、ですのでよろしく。
【折々のことば・光太郎】
「学校」は、蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くの山口小学校です。生け捕りにしたキジは、光太郎が捕まえたのか、先生たちなのか、この記述だけでは不明ですが、翌日にはその肉を分けてもらっています。
この連載、8月20日号から港区の芝増上寺さんが扱われていて、その4回目です。
増上寺・宝物展示室【4】壇蜜、日英友好「建築模型」の存在感に見入る
日本美術応援団団長で美術史家・明治学院大学教授の山下裕二氏と、タレントの壇蜜が、日本の美術館や博物館の常設展を巡るこのシリーズ。今回は東京都・港区の増上寺・宝物展示室の第4回。2人が日英両国の友好の証である貴重な「模型」を見る。デザイン:古宇田實、彫刻:高村光雲『台徳院殿霊廟模型』(中門・透堀・拝殿・相之間・本殿)明治42年(1909年) Royal Collection Trust/(c) Her Majesty Queen Elizabeth II 2021
山下:日本文化を紹介する趣旨で明治43年の日英博覧会へ出品された建築模型で、明治末期の伝統工芸や建築の最高の技術が結集されています。台徳院殿霊廟は徳川2代将軍の秀忠公の墓所で、3代・家光公が寛永9年に増上寺で造営したもの。この霊廟を基に日光東照宮も造営されました。
壇蜜:装飾美を誇る日光東照宮の原点だったとは。霊廟は境内で見学できますか。
山下:明治時代に一般公開されて観光地となり戦前には国宝に指定されていましたが、昭和20年に大空襲で焼失してしまいました。
壇蜜:戦火で……。模型が残っていたのは貴重です。
山下:日英博覧会を訪問した記念に英国国王のジョージ5世へ献上された後、英国王室のロイヤル・コレクションとして保管されていたのです。日英友好400年の平成25年にエリザベスII世女王より日英文化交流の歴史的記念物として日本で展示するよう提案があり、増上寺へ長期貸与という形で里帰りしました。
壇蜜:模型は日英両国が築いた友好の証なのですね。
山下:展示前の修復・組み立て作業中に重要な部品をチャールズ皇太子が直々に届けられたことも。令和元年に天皇陛下の「即位礼正殿の儀」で来日された折には、宝物展示室を訪れて模型をご覧になりました。
【プロフィール】
山下裕二(やました・ゆうじ)/1958年生まれ。明治学院大学教授。美術史家。『日本美術全集』(全20巻、小学館刊)監修を務める、日本美術応援団団長。
壇蜜(だん・みつ)/1980年生まれ。タレント。執筆、芝居、バラエティほか幅広く活躍。近著に『三十路女は分が悪い』(中央公論新社刊)
●増上寺・宝物展示室
【開館時間】10時~16時(最終入館15時45分)※当面の間、平日は11時~15時閉館(最終入館14時45分)
【休館日】火曜(祝日の場合は開館)
【入館料】700円 ※徳川将軍家墓所拝観共通券1000円
【住所】東京都港区芝公園4-7-35
「台徳院殿霊廟模型」。記事にある通り、明治43年(1910)に開催されたイギリスでの博覧会出品のため制作され、その後、英王室に寄贈されましたが、平成25年(2013)に里帰りし、修復作業後、同27年(2015)にオープンした増上寺さんの宝物展示室で常設展示されています。当方も一度、拝見に伺いました。
元々、増上寺さんにあった、徳川二代将軍・秀忠の墓所「台徳院殿霊廟」(太平洋戦争の空襲で焼失)を10分の1スケールにしたもので、東京美術学校が依頼を受け、光雲は監修という立場でした。光雲が彫った部分もあるかもしれませんが、全体には工房作の扱いですね。
ところで山下氏、いわゆる「超絶技巧」系の工芸作品等の魅力を広めた仕掛け人のお一人ですが、どうも光太郎が「超絶技巧」系を「生命(ラ・ヴィ)が無い」と切り捨てたことを根に持たれているようで、あちこちで光太郎をけちょんけちょんにけなされています。技法や素材云々にかかわらず、「生命(ラ・ヴィ)が無い」ものはやはり駄目、光太郎の言も至極もっともだと思うのですが、いかがでしょうか。
山下氏、一方、光雲は、どちらかというと「超絶技巧」系に近い立ち位置だったということで、その限りではないようです。光雲は光雲で、輸出向けの牙彫(象牙彫刻)など、粗製濫造のものが多い、と、批判していたのですが……。
閑話休題。「台徳院殿霊廟模型」、先述の通り、増上寺さんの宝物展示室で常設展示されています。一見の価値あり、ですのでよろしく。
【折々のことば・光太郎】
学校で雉子生捕 昭和23年(1948)10月13日の日記より 光太郎66歳
「学校」は、蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くの山口小学校です。生け捕りにしたキジは、光太郎が捕まえたのか、先生たちなのか、この記述だけでは不明ですが、翌日にはその肉を分けてもらっています。