002保守系のオピニオン誌『月刊日本』さん2021年9月号。「さよならだけが人生だ」という、いわゆる偉人的な人々の簡略な評伝である連載があり、今号は光太郎が取り上げられています。

当初、WEBの検索に引っかかった際、「さよならだけが人生だ 高村光太郎」とのみあって、「はてな?」と思いました。「さよならだけが人生だ」は、井伏鱒二が漢詩の翻訳に当て、その後、広く一般に使われるようになったフレーズだからです。実際に購入してみて、疑問は氷解。連載の題名でした。

2ページの短い評伝ですが、押さえるべきところはきちんと押さえられています。文末に(南丘)とクレジットがあり、同誌の奥付に「発行人」としてお名前が掲載されている、南丘喜八郎という方によるご執筆のようです。

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保守系の雑誌らしく、「大東亜戦争」の語が使われています。しかし、全体としては、光太郎が翼賛活動に走ったことを、肯定もせず非難もせず、紹介しています。ただ、どちらかというと、「やらかした」的な紹介の仕方になっています。

『智恵子抄』で「智恵子は東京に空が無いといふ、/ほんとの空が見たいといふ」と詠んだ詩人が、大東亜戦争開戦と同時に、強烈な「愛国者」に変身した。何故か?

その命題に対しては、

光太郎は心の空白を埋めるかのように戦争賛美の詩を書き始めたのだ。

としています。

ことはそう単純ではなく、様々な要因が絡み合って、光太郎の「転身」があったのですが、2ページの短い評伝では、当時の複雑な光太郎の精神史を詳述する紙幅がなかったと解釈したいところです。

そして、戦後の花巻郊外旧太田村での生活を「隠遁生活」とし、光太郎の次の言葉を引用されています。

私は戦時中戦争に協力しました。戦争に協力した人は追放になっています。私には追放の指令が来ませんが、自分自ら追放、その考えでこう引込んでいるのです

そして、光太郎を「真摯な『求道者』」として下さっています。

太田村での7年間を、「反省などしていなかった」ととらえる人がいるようです。ところが、光太郎は自らの来し方を「暗愚」と位置づけ、繰り返し自らの過ちを詩文に書き記し、肉声でも語っています。その真摯な吐露を信用できないとするのでしょうか。

確かに、徹底的な反省をしたのであれば、『麦と兵隊』などで戦時中にもてはやされた火野葦平のように、自裁するのが本当かも知れません(まぁ、火野が自ら命を絶ったのも、そう単純な話ではないのでしょうが)。「暗愚」という自己評価も、「甘い」「言い訳がましい」とする向きもあるようです。

しかし、光太郎が自らの戦争責任に、真摯に向き合おうとした、その姿勢そのものは、決して否定されるべきものではないと思います。

ちなみに、この件に関して議論するつもりはありませんので、頓珍漢なコメント等はお断りいたします。

ところで『月刊日本』さん。保守系の雑誌でありながら、現政権批判的な論調の記事が多いのが意外でした。「東京五輪が深めた「国民の分断」」、「権力者による、権力者のための東京五輪」、「安倍前首相「不起訴不当」議決の意味」、「菅なきあとの日本」、「「まさか」の菅退陣政局」など(逆に、これぞネトウヨ、というような、まるでカルト宗教の如き論、尻に火が付いているのに余裕こいている某老害者の寄稿なども載っていますが(笑))。まぁ、「保守」=「自民党支持」というわけではないと、そういうことなのでしょう。

ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

宮沢さんから送られた風呂桶の組み立てぬもの既に学校に届き居る事を知る。校長先生がその係りにて余に風呂場をつくつてくれるといふ村人の好意をきく。

昭和23年(1948)9月2日の日記より 光太郎66歳

この風呂桶は現存し、平成29年(2017)、花巻高村光太郎記念館さんでの企画展「光太郎と花巻の湯」で展示されました。
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ただ、薪を大量に燃やさなければならず、結局、あまり使われることはなったそうです。