昨年から引き続き、コロナ禍による毎年恒例のイベント等の中止が相次いでいます。そうなると、こちらで勝手に「今年も中止だろう」と思い込んでいたものの、実は開催されていた、というケースもありまして、こちらがそうでした。

年に一度の、古書業界最大の市(いち)、七夕古書大入札会。出品物全点を手に取って見ることができる下見展観が、神田神保町の東京古書会館さんを会場に行われています。

昨年は中止だったのですが、今年は規模を縮小して開催されていました。下見展観が7月2日(金)・3日(土)、入札が4日(日)でした。
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終わってから気づき、目録を送付していただきました。届いてびっくり、例年の半分程の厚さで、それだけ出品点数が少なかったというのがそれだけで分かりました。光太郎に関しても、複数の出品がありましたが、特に目新しいものは無く、下見展観に行く必要はありませんで、その意味では助かりました。

一応、こんなものが出品されていたということで、御紹介します。

まず、詩集『道程』初版本(大正3年)。
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カバーは無く、背に少し痛みが見られます。入札最低価格が10万円。まぁ、妥当なところです。

あとは肉筆もの。出品番号順に紹介します。

昭和19年(1943)に書かれた、臼井喜之介詩集『望南記』の序文。少し前に東京都古書籍商業協同組合のサイト「日本の古本屋」に出ていたような気がします。筑摩書房さんの『高村光太郎全集』第8巻に所収されています。
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詩「突端に立つ」(昭和17年=1942)他四篇の詩稿。昭和19年(1944)に刊行された『歴程詩集2604』のための浄書稿で、他に「或る講演会で読んだ言葉」(同)、「朋あり遠方に之く」(昭和16年=1941)、「三十年」(昭和17年=1942)の四篇です。一昨年も出品されていました。
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光太郎の父・光雲の高弟だった加藤景雲宛の書簡(明治33年=1900)。こちらは現在も「日本の古本屋」に出品されています。

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最後に、これだけは「おっ」と思ったのですが、三重在住だった詩人・編集者(?)の東正巳にあてたハガキがごっそり21通。
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これも以前にまとめて売りに出た経緯があります。そこで、東宛の書簡は戦後の花巻郊外旧太田村時代のものが『高村光太郎全集』に29通掲載されていますし、『全集』完結後に発見し、当方編集の「光太郎遺珠」に載せたものが4通あります。画像から判別できるものは、ほぼすべてこれらに含まれていました。ただし、可能性は低いのですが、一枚一枚精査すれば、全集等に洩れているものも絶対にないとは言えない、という気もしました。

ちなみについ最近も、ネットオークションで東宛の光太郎葉書が1枚、出ていました。これも『全集』収録済みのものでしたが。

東は和歌山で『海原』という文芸同人誌的なものを主宰しており、光太郎は「早春の山の花」(昭和23年=1948)という散文を寄稿しました。他に、光太郎から東宛の書簡も誌面に何度も掲載されています。

そういう意味では既知のものではありますが、内容的には興味深い記述を含む書簡群です。旧太田村で蟄居生活を送っていた当時の光太郎は、きちんとした「作品」として彫刻を発表することはありませんでしたが、手すさびというか、腕を鈍らせないための鍛錬というか、そんな感じで小品を制作していたらしいことが、東宛の書簡群から垣間見えるのです。

東は光太郎に、彫刻材として椿の木片や、珊瑚の一種である「ヤギ」というものを贈り、その礼が書かれていますし、光太郎は東に、標本というか、死骸というか、ともかくクマゼミを送ってくれるよう依頼し、東もそれに応えて送っています。そして光太郎、「これを彫るのが楽しみです」的なことを礼状に書いています。

残念ながら、そうして彫られた蝉は現存が確認できていませんが、詩人の竹内てるよや、地元ご在住で光太郎の山小屋によく行っていた浅沼隆氏は、山小屋で蝉を見た、という証言をされていますし、光太郎の短歌にも「太田村山口山の山かげに稗をくらひて蝉彫るわれは」(昭和21年=1946)というものがあり、あながちフィクションではなさそうです。

どこからか、戦後の蝉がぽろっと出て来ないものかと、期待してはいるのですが……。

【折々のことば・光太郎】

午后郁文集(写真アルバム)を熟覧。中々興味あり。文化人の顔面、概してせせこまし。写真といふものの美の限界をおもふ。


昭和23年(1948)8月24日の日記より 光太郎66歳

『郁文集』は、写真家の吉川富三が撮った各界有名人のポートレート集。正式な出版は昭和37年(1962)でしたが、この頃には原型が出来上がっていたらしく、吉川は光太郎に写真を撮らせてくれるようお願いしがてら、これを見本として送っていました。

光太郎の写真嫌いは比較的有名ですが、翌月には、山小屋を訪れた吉川の撮影に応じています。