若干、先の話ですが、コロナ禍による中止/延期、又は無観客開催などの発表があるやもしれませんので、その前に。
東京混声合唱団特別演奏会~田中信昭と共に~東混オールスターズ
期 日 : 2021年8月31日(火)
会 場 : 東京芸術劇場 東京都豊島区西池袋1-8-1
時 間 : 19:00 開演(開場18:00)
料 金 : 一般:4,500円 学生:1,500円
【プログラム】
パレストリーナ:『教皇マルチェルスのミサ』より「サンクトゥス」
西村朗:混声合唱とピアノのための組曲『レモン哀歌』より「レモン哀歌」
上田真樹:混声合唱とピアノのための組曲『夢の意味』より「夢の意味」「夢の名残」
野平一郎:混声合唱のための幻想編曲集『日本のうた』より「ずいずいずっころばし」
小山清茂:「誕生祭」
ブラームス:「祝祭と格言」
シェーファー:「ガムラン」「ミニワンカ」
ラフマニノフ:『晩禱』より 第2曲、第9曲
三善晃:混声合唱曲『小さな目』より
【指揮】:田中信昭 / 山田和樹 / キハラ良尚 / 松原千振 / 大谷研二 / 水戸博之
山田茂 / 髙谷光信
山田茂 / 髙谷光信
【ピアノ】:中嶋香 / 萩原麻未
【合唱】: 東京混声合唱団
WEBサービス『カーテンコール』にて公演のLIVE配信を行います!
価格 1,500円(税込み) 購入・視聴はこちら
田中信昭氏は、指揮者にして東京混声合唱団の創設者。おん年93歳です。平成元年(1989)、赤坂草月ホールで開催された仙道作三氏作曲のオペラ「智恵子抄」初演の際、伴奏の10人編成アンサンブルの指揮をして下さったりもしました。
今回、田中氏の指揮で、西村朗氏作曲の「レモン哀歌」(平成21年=2009)がプログラムに入っています。この曲は、全3曲から成る「混声合唱とピアノのための組曲『レモン哀歌』」の最終曲。当方の把握しているところでは、全日本合唱連盟さん主催の「平成30年度(第71回)全日本合唱コンクール」の高校Bグループ(33人以上の大編成)に出場なさった九州地区代表・鹿児島高等学校音楽部さんが、この曲を自由曲に選ばれていました。
そちらを御紹介した時には気づかなかったのですが、YouTube上に、この曲がアップされていました。ただ、あまりバランスのいい演奏ではありませんが、楽譜を見ながら曲の感じを掴むのにはいいのかな、という動画です。
「混声合唱とピアノのための組曲」ですから、ピアノは単なる伴奏ではなく、ウェイトがかなり大きいと、ここしばらくの流行ですね。ただ、上記の動画ではピアノが大きすぎて歌詞がよく聴き取れません。
東混さんのコンサートでは、絶妙のバランスでの演奏が聴けることと存じます。
ご興味のある方、コロナ感染には十分お気を付けつつ、足をお運び下さい。また、WEBでのLIVE配信も用意されているとのことですので、ご活用下さい。
【折々のことば・光太郎】
二三日前の夜関上場の娘さん寒沢川にはまつて死んだ由、狐のわざといふ。
「関上場」は光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の地区名です。狐の件、光太郎は無論のこと信じなかったでしょうが、村人の中には、まことしやかにそう噂する人がいたようで、戦後になってもそうだったのだなぁと思いました。
田中信昭氏は、指揮者にして東京混声合唱団の創設者。おん年93歳です。平成元年(1989)、赤坂草月ホールで開催された仙道作三氏作曲のオペラ「智恵子抄」初演の際、伴奏の10人編成アンサンブルの指揮をして下さったりもしました。
今回、田中氏の指揮で、西村朗氏作曲の「レモン哀歌」(平成21年=2009)がプログラムに入っています。この曲は、全3曲から成る「混声合唱とピアノのための組曲『レモン哀歌』」の最終曲。当方の把握しているところでは、全日本合唱連盟さん主催の「平成30年度(第71回)全日本合唱コンクール」の高校Bグループ(33人以上の大編成)に出場なさった九州地区代表・鹿児島高等学校音楽部さんが、この曲を自由曲に選ばれていました。
そちらを御紹介した時には気づかなかったのですが、YouTube上に、この曲がアップされていました。ただ、あまりバランスのいい演奏ではありませんが、楽譜を見ながら曲の感じを掴むのにはいいのかな、という動画です。
「混声合唱とピアノのための組曲」ですから、ピアノは単なる伴奏ではなく、ウェイトがかなり大きいと、ここしばらくの流行ですね。ただ、上記の動画ではピアノが大きすぎて歌詞がよく聴き取れません。
東混さんのコンサートでは、絶妙のバランスでの演奏が聴けることと存じます。
ご興味のある方、コロナ感染には十分お気を付けつつ、足をお運び下さい。また、WEBでのLIVE配信も用意されているとのことですので、ご活用下さい。
【折々のことば・光太郎】
二三日前の夜関上場の娘さん寒沢川にはまつて死んだ由、狐のわざといふ。
昭和23年(1948)8月17日の日記より 光太郎66歳
「関上場」は光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の地区名です。狐の件、光太郎は無論のこと信じなかったでしょうが、村人の中には、まことしやかにそう噂する人がいたようで、戦後になってもそうだったのだなぁと思いました。