昨日は墨田区両国の両国シティコアさんに行っておりました。こちらのギャラリーΧ(カイ)さんで開催された「劇舎カナリア・シアター 『書声展』さっちゃんは戦争を知らない ちづちゃんは戦後を知らない 詩人と市井の人びと声なき声の展覧」拝観のためです。
光太郎と交流のあった岩手出身の詩人・宮静枝の詩集『さっちゃんは戦争を知らない』(平成13年=2001 熊谷印刷出版部)、『山荘 光太郎残影』(平成4年=1992 同)を軸にした朗読劇ふうの公演でした。『山荘 光太郎残影』は、まるまる一冊、昭和26年(1951)に静枝が令甥と子息二人とを伴って花巻郊外旧太田村の光太郎の山小屋(高村山荘)を訪問したことを題材とした詩集で、その年の第33回晩翠賞に輝いた作です。
受付で配られたフライヤー的なポストカードには、昭和26年(1951)の山小屋前での光太郎、静枝、そして子息の文彦氏の写真。『山荘 光太郎残影』にも同じショットが掲載されています。
会場がホールではなく、ギャラリーとして貸し出されているスペース。中央に大きな柱があり、四囲に椅子を配して聴衆はそこに座るという形。一応、正面は決まっているものの、それにとらわれず演者の皆さんは柱の周りを回りながら、朗読したり歌ったりでした。
中央の柱、周囲の壁、それから正面に書作品。基本的に静枝の詩句を書いたもので、子息・文彦氏の奥様で、書家であらせられる宮絢子氏の書です。そこで公演タイトルに「書声展」と謳われ、書と声のコラボ、という位置づけでした。
開演前に見て廻って撮影しました。
『山荘 光太郎残影』に収められた詩からも。したがって光太郎の名が。
飾り窓の女
疎林を透かして
日毎に静かな落日
ハンの木の紐花がこぼす金色の花粉
パリの飾り窓の女の
遠い記憶の耳飾りを ふと思っている
「疎林」「ハンの木」は、山小屋の周りに現在も群生している榛の木で、地元では「やつか」「やっか」と呼んでいます。
「パリの飾り窓」については、明治末の滞仏体験を静枝に語ったことに由来するのでしょう。光太郎は山小屋周辺がパリのフォンテーヌブローの森と似ている、などとも語ったそうです。
蟬を彫る
晩秋のうすら陽の中
無心に蟬を彫る光太郎
影がかすかに揺れる
遠くで山鳴りがしている
ノミを止めてふと思う
どこから――なにゆえ――
はるかな時間だったと思う
きのうのこと とも思う
放たれた一本の道を来るしかなかった
いま光太郎は心の遠い風景のなかで
一匹の蝉を残して去ろうとする
シー
心中でしきりに蝉が涕いている
祖国とは光太郎にして
一匹の蝉だったのだ
十七年を地中にひそんでいて
地上に七日生きる蝉の業と
光太郎の負った人間の業が重なって重い
旅は終焉に近い
やがて山荘は雪の柩となるだろう
作品として発表することはありませんでしたし、現存が確認できていないのですが、山小屋でも光太郎は蝉を彫っていました。複数の目撃証言が残っています。うち一点は帯留めに仕立て、宮沢賢治の実弟・清六の夫人に贈りました。そんな話も静枝との間で為されたのでしょうか。
さて、開演。
ささいけい子氏という方と寺田明子氏という方がメインで朗読されたり歌ったりでしたが、今回の公演のプロデューサー・山本健翔氏ご自身も出演され、書を書かれた絢子氏も朗読。文彦氏は最後のご挨拶まで喋られませんでしたが、正面の屏風の前で座られていました。その文彦氏視点での部分も多くありました。
先述の通り、静枝の詩集『さっちゃんは戦争を知らない』、『山荘 光太郎残影』を軸に、絢子氏のご両親の書き残されたもの(新潟・村上市の空襲で絢子氏の叔母様が亡くなられたそうで)、特攻兵の書き残した詩なども織り交ぜ、さらに劇作家・加藤道夫(女優の加藤治子氏の夫)のからみも。
全体に反戦を訴える内容で、まさに政治がおかしくなっている2026年の現代に刃を突きつけるような感じでした。
アンチテーゼとして、光太郎の負の遺産・黒歴史である翼賛詩「十二月八日」(昭和17年=1942)、「必死の時」(昭和16年=1941)、戦後になってそれを恥じた「わが詩をよみて人死に就けり」(昭和22年=1947)や「報告(智恵子に)」(同)、さらには「レモン哀歌」(昭和14年=1939)まで取り上げられました。
終演後。
光太郎と交流のあった岩手出身の詩人・宮静枝の詩集『さっちゃんは戦争を知らない』(平成13年=2001 熊谷印刷出版部)、『山荘 光太郎残影』(平成4年=1992 同)を軸にした朗読劇ふうの公演でした。『山荘 光太郎残影』は、まるまる一冊、昭和26年(1951)に静枝が令甥と子息二人とを伴って花巻郊外旧太田村の光太郎の山小屋(高村山荘)を訪問したことを題材とした詩集で、その年の第33回晩翠賞に輝いた作です。
受付で配られたフライヤー的なポストカードには、昭和26年(1951)の山小屋前での光太郎、静枝、そして子息の文彦氏の写真。『山荘 光太郎残影』にも同じショットが掲載されています。
会場がホールではなく、ギャラリーとして貸し出されているスペース。中央に大きな柱があり、四囲に椅子を配して聴衆はそこに座るという形。一応、正面は決まっているものの、それにとらわれず演者の皆さんは柱の周りを回りながら、朗読したり歌ったりでした。
中央の柱、周囲の壁、それから正面に書作品。基本的に静枝の詩句を書いたもので、子息・文彦氏の奥様で、書家であらせられる宮絢子氏の書です。そこで公演タイトルに「書声展」と謳われ、書と声のコラボ、という位置づけでした。
開演前に見て廻って撮影しました。
『山荘 光太郎残影』に収められた詩からも。したがって光太郎の名が。疎林を透かして
日毎に静かな落日
ハンの木の紐花がこぼす金色の花粉
パリの飾り窓の女の
遠い記憶の耳飾りを ふと思っている
「疎林」「ハンの木」は、山小屋の周りに現在も群生している榛の木で、地元では「やつか」「やっか」と呼んでいます。
「パリの飾り窓」については、明治末の滞仏体験を静枝に語ったことに由来するのでしょう。光太郎は山小屋周辺がパリのフォンテーヌブローの森と似ている、などとも語ったそうです。
蟬を彫る
晩秋のうすら陽の中

無心に蟬を彫る光太郎
影がかすかに揺れる
遠くで山鳴りがしている
ノミを止めてふと思う
どこから――なにゆえ――
はるかな時間だったと思う
きのうのこと とも思う
放たれた一本の道を来るしかなかった
いま光太郎は心の遠い風景のなかで
一匹の蝉を残して去ろうとする
シー
心中でしきりに蝉が涕いている
祖国とは光太郎にして
一匹の蝉だったのだ
十七年を地中にひそんでいて
地上に七日生きる蝉の業と
光太郎の負った人間の業が重なって重い
旅は終焉に近い
やがて山荘は雪の柩となるだろう
作品として発表することはありませんでしたし、現存が確認できていないのですが、山小屋でも光太郎は蝉を彫っていました。複数の目撃証言が残っています。うち一点は帯留めに仕立て、宮沢賢治の実弟・清六の夫人に贈りました。そんな話も静枝との間で為されたのでしょうか。
さて、開演。
ささいけい子氏という方と寺田明子氏という方がメインで朗読されたり歌ったりでしたが、今回の公演のプロデューサー・山本健翔氏ご自身も出演され、書を書かれた絢子氏も朗読。文彦氏は最後のご挨拶まで喋られませんでしたが、正面の屏風の前で座られていました。その文彦氏視点での部分も多くありました。
先述の通り、静枝の詩集『さっちゃんは戦争を知らない』、『山荘 光太郎残影』を軸に、絢子氏のご両親の書き残されたもの(新潟・村上市の空襲で絢子氏の叔母様が亡くなられたそうで)、特攻兵の書き残した詩なども織り交ぜ、さらに劇作家・加藤道夫(女優の加藤治子氏の夫)のからみも。
全体に反戦を訴える内容で、まさに政治がおかしくなっている2026年の現代に刃を突きつけるような感じでした。
アンチテーゼとして、光太郎の負の遺産・黒歴史である翼賛詩「十二月八日」(昭和17年=1942)、「必死の時」(昭和16年=1941)、戦後になってそれを恥じた「わが詩をよみて人死に就けり」(昭和22年=1947)や「報告(智恵子に)」(同)、さらには「レモン哀歌」(昭和14年=1939)まで取り上げられました。
終演後。
文彦氏、絢子氏、山本健翔氏、それから客席にいらしていた文彦氏のお兄様の暠成(こうせい)氏とお話をさせていただき、連翹忌の集いへのお誘いを致しました。ここ2年間、生前の光太郎を直接ご存じの方のご参加がありませんで、ぜひいらしていただいて皆様に光太郎の思い出話を賜りたいと存じまして。暠成(こうせい)氏も昭和26年(1951)に光太郎の山小屋を訪れられています。
ちなみにご一行が光太郎の山小屋を訪れられたのは昭和26年(1951)11月11日。その2日前の11月9日には、後に宮城県歌人協会会長などを務められた佐久間晟氏と、奥様でやはり歌人のすゑ子氏が、花巻温泉の仲居さん・八重樫マサの案内で山小屋を訪れています。
この際の様子を奥様が歌誌『地中海』平成17年(2005)1月号に短歌と文章で書かれ、たまたまその情報を得ましてお二人に連絡、お二人がお住まいの仙台でお会いし、貴重なお話を伺う事が出来ました。その内容を『高村光太郎研究』第28号(平成19年=2007)に「高村山荘訪問記 佐久間晟・すゑ子夫妻聞き書き」として掲載させていただきました。
お話を伺った後、それをご存じなかったので、ご夫妻に「2日後に光太郎を訪問された方の詩集です」と、『山荘 光太郎残影』を古書市場で見つけて贈りましたところ、非常に喜ばれました。
75年前、2日違いで光太郎を訪問された佐久間ご夫妻、宮ご兄弟2組のそれぞれからお話を伺え、奇縁を感じております。
以上、レポートを終わります。
今日からのこの項、光太郎の翻訳を含む複数人による選集ものを扱います。文学全集ものが流行り出すと、海外の作品を集めたものも多く出版されるようになりました。
この際の様子を奥様が歌誌『地中海』平成17年(2005)1月号に短歌と文章で書かれ、たまたまその情報を得ましてお二人に連絡、お二人がお住まいの仙台でお会いし、貴重なお話を伺う事が出来ました。その内容を『高村光太郎研究』第28号(平成19年=2007)に「高村山荘訪問記 佐久間晟・すゑ子夫妻聞き書き」として掲載させていただきました。
お話を伺った後、それをご存じなかったので、ご夫妻に「2日後に光太郎を訪問された方の詩集です」と、『山荘 光太郎残影』を古書市場で見つけて贈りましたところ、非常に喜ばれました。
75年前、2日違いで光太郎を訪問された佐久間ご夫妻、宮ご兄弟2組のそれぞれからお話を伺え、奇縁を感じております。
以上、レポートを終わります。
【高村光太郎書誌】
選集等(翻訳・部分) 1 『美の本体 芸術に関する101章 ロダンの言葉 ゴッホの手紙 回想のセザンヌ ベートーヴェンの生涯』世界教養全集 12
解説 岸田麗子
芸術に関する一〇一章 アラン 斎藤正二訳(詳細略)
解説 斎藤正二
ロダンの言葉 A.ロダン 高村光太郎訳 今泉篤男編
ギュスターヴ コキヨ筆録
ロダン手記
ヹヌス フランスの自然 ランスの本寺 花について 女の肖像
ロダン手記
ヹヌス フランスの自然 ランスの本寺 花について 女の肖像
若き芸術家達に(遺稿) 断片(『ロダンの言葉』より) 断片(『続ロダンの言葉』より)
ジュヂト クラデル筆録 ポール グゼル筆録
解説 今泉篤男
ゴッホの手紙 V.ゴッホ 三好達治訳(詳細略)
解説 石原八束
回想のセザンヌ E.ベルナール 有島生馬訳(詳細略)
解説 有島生馬
ベートーヴェンの生涯 ロマン・ロラン 平岡昇訳(詳細略)
解説 平岡昇







































































































































































































































































































































































