この季節、この手の公演が少ないのでありがたいところです。神奈川県から朗読の公演情報です。

朗読スペース・春の公演

期 日 : 2026年2月27日(金)
会 場 : 文化創造拠点シリウスマルチスペース 神奈川県大和市大和南1丁目8番1号
時 間 : 14:00~
料 金 : 無料

時は春 日は朝(あした) / R・ブラウン作、上田敏訳「春の朝」。山村暮鳥は/おおい雲よ/と、みちのくの空に、おのが心の在り様をゆったりと広げる。「レモン哀歌」「落葉」など、「アンソロジー四季の詩歌」19篇。「枕草子」は清少納言が里住まいのつれづれと中宮とのやりとりなどを個性豊かに綴る。「春はあけぼの・・・むらさきだちたる雲の・・・」に始まり、エピローグを含めいくつかの段を抽き出し現代文と共に紹介します。
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ただ、ネット上にあまり詳しい情報が出ていませんで、出演者の方など不明ですが、ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)45 『詩集 天上の炎』

昭和30年(1955)6月15日 新潮社(新潮文庫) 高村光太郎訳
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目次
 未来(序詩) 新しい都 昔の信仰 私の眼よ 誇 機械 熱烈な生活 港の突堤で
 今日の人に 健康 死者 問題 機会 トンネル 波止場で 私の都 わが友風景 木蔦
 東西南北 森 花の方へ 並木の第一樹 散歩 或る夕暮の路ゆく人に 私の集(題跋詩)
 ヴェルハアラン
 解説(金子光晴)

金子光晴による解説も含め、昭和28年(1953)に出た創元文庫版とほぼ同一の内容です。ただし、創元文庫版にあった、F・ヴァロトンによるヴェルハーラン肖像画の口絵は割愛され、逆に光太郎による評伝「ヴェルハアラン」(昭和8年=1933 原題「ヹルハアラン」)が追補されています。

なぜ立て続けに複数社から文庫化されたのか、そこは不明です。

昨日、途中まで書いて保存しておいた状態だったのを投稿してしまっていました。夕方になって削除したのですが「なんだこりゃ?」と思われた方、すみません。

あらためまして、この時期、中高大その他、入学試験がたけなわです。

そんな中、関西大学さんの日本史の問題に、光太郎の父・光雲が取り上げられました。
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(6)が、上野の西郷隆盛像制作の中心となった人物を問う穴埋め問題で、光雲の名が入ります。

予備校の先生によると思われる「評」が以下の通り。
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やや細かい知識が問われた」。常識の範疇かなと思っていましたが、確かに西郷像に関わるSNS投稿等には、「作者は高村光雲だったんだ、意外」といった文言も見られます。特に関西圏以西の方々にとってはこの像そのものが身近な存在ではないせいかもしれません。
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画像は像の鋳造完成後、西郷の故郷・鹿児島に移されて保存されていた木彫原型です。惜しくも太平洋戦争による空襲で焼け落ち、現存しません。

それでも「「老猿」などの作品でも知られる彫刻家」とヒントが書かれていますので、「高村光雲」とすぐ解るのではないかと思われます。「老猿」は中学校の歴史の教科書に出て来ます。
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上画像は平成27年(2015)検定、同28年(2016)発行の東京書籍さん中学生向け歴史教科書。裏表紙に「老猿」があしらわれています。

ちなみに表紙には智恵子が表紙絵を描いた『青鞜』も小さく。
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現行のものはデザインが変わってしまい、表紙/裏表紙にこれらの画像は含まれていませんが、本文では双方しっかり載っています。

関西大さんの入試に戻りますが、他に選択肢で彫刻家は「キ」に荻原守衛、「フ」で平櫛田中。逆に「平櫛田中って誰?」という声が聞こえそうですが。そう考えるとこの問題の正答率は高かったように思われますが、どうでしょうか。

それから今年は私立中学校の入試に、光太郎が取り上げられました。横浜市にある捜真女学校さん中学部の問題です。先週、ネット上にPDFファイルがアップされました。大問ひとつ丸々使われており、問題文が昨年2月2日の『朝日新聞』さん一面コラム「天声人語」。光太郎詩「道程」(大正3年=1914)をネタにしたものでした。

PDFファイルで読んで、なかなかよくできた問題だな、と思っていたのですが、なぜか程なく削除されてしまいました。出た時点でスクリーンショットを取っておけばよかったのですが……。ただ、いまだに検索エンジン上に痕跡が残っていまして、そこから小問一つのみ復元できました。

筆者が冬の雪景色を高村光太郎の「道程」と重ねて想像した理由としてふさわしいものを次の. ア. ~. エ. の中から一つ選び、記号で. 答えなさい。
 ア. 冬の寒さの厳しさが、努力の大変さや 決断することの難しさにたとえられたから。
 イ. 雪が積もった道の美しさが、作品の舞台にふさわしいと思えたから
 ウ. 新しい雪を一人で踏みしめて進む姿が、人生を切り開く決意と重なったから。
 エ. 降り積もった雪が、未来へ続く道しるべのように感じられたから。

どれを正解としても大間違いではないような気がしますが、まぁ「ウ」なのでしょう。

ちなみに捜真女学校さん、かつてかの小倉遊亀が美術教師として教壇に立っていたそうで。

ところで入試というと、昨年の今ごろ、大学入試共通テストにやはり「老猿」が取り上げられたよ、という記事を書きました。その際に貼り付けた画像が違ってるよ、と、つい最近コメント欄からご指摘がありました。慌てて訂正しました。面目ありません。

最初に書いた通り、入試たけなわ。公立高校などはこれからがピークですね。またどこかで光太郎智恵子、光雲が取り上げられてほしいものです。

常々思っていますが、歴史上の主な事項や主要(と思われる)人物の事績などは、受験に向けての知識というよりこの国に生きる人間としての教養として身につけておくべきものだと思います。あまりに細かいところまでは別として、ですが。昨今、あまりにも歴史に学んでいない言動を多く耳にしますので……。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)44 『ヴェルハアラン詩集』

昭和28年(1953)12月25日 創元社 高村光太郎訳
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目次
 フラマンド
  パン焼
 路傍
  たとへ
 錯覚の村村
  風
 生活の相貌
  海に向つて
 沸きかへる力
  わが人種 不可能 朝 砂浜で
 無量の壮麗
  空をたたふ 思想家 風を称ふ 吾家のまはり
 至上律
  ミケランジユ
 波うつ麦
  田舎の対話(六番) 燃える娘(村の唄) あけ渡せ(村の唄)
 全フランドル平原
  種馬 農家の庭
 小伝説
  小さな聖母(五月) サンジヤンさま(六月)
 天上の炎
  今日の人に 死者 東西南北 或る夕暮の路ゆく人に
 戦争の赤い翼
  一九一五年の春 病院 葬式
 あとがき 真壁仁

ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレン(1855~1916)の翻訳です。主な詩集から光太郎がセレクトし、大正から戦前にかけてさまざまな雑誌などに発表したものの集成で、この時点での新たな訳は含まれません。

4月に都内で行われる演劇公演に向け、出演者の募集が為されています。

朗読劇「ほんとの空・青い空」女性キャスト募集

 来る2026年4月9日(木)〜12日(日)シアター風姿花伝にて公演の朗読劇「ほんとの空・青い空」にご出演いただける女優の皆様を広く募集致します。
 本作は2020年に全国のコミュニティFMで放送したラジオドラマを朗読劇用に加筆してリメイクしたものになります。
 昭和19年〜20年・平成25年・令和8年の3年号を4世代にわたって描く平和と希望をテーマにしたファミリーヒストリーです。
 この作品の柱となる太平洋戦争中の女学校に通う女学生と、この女学校に通った主人公の孫で平成の女子大生の友人たちを募集します。メインキャストなどの詳細はSMASH ENTERTAINMENTの公式Xですでに公開しています。

オーディションのスケジュール
 2月23日募集締め切り 書類通過の方に連絡 必要に応じて面接・朗読オーディション
 2月末日出演者決定

合格後のスケジュール
 3月30日(月)夜間顔合わせ  3月31日(火)稽古開始(平日夜間・土日午後夜間)
 4月8日(水)劇場入り      4月9日(木)〜12日(日) 本番(全6公演)

オーディション参加費
 なし

合格後にかかる費用
 稽古場・劇場までの交通費と期間中の食費(自己負担) その他負担なし

報酬や給与、賞金や賞品、手当など
 報酬:チケットバック制 1枚目から1500円バック ノルマはありません。

応募資格
 プロ・アマ不問
 応募対象者は18歳から30歳くらいまでの女性
 昭和女学生・平成女子大生役の相応に見える方

応募方法
 メールにてご応募ください。
 メールの件名:ほんとの空・青い空 オーディション応募
 本文:送り主様の氏名・会社名・住所・連絡先・応募者の氏名を明記
 添付:全身&バストアップ写真・応募者プロフィール(ひとりにつき3MB未満)
 送り先アドレス:smash@itoa.co.jp
 締切:2020年2月23日(日)
 書類選考後2月25日までに必要に御応じて面接・朗読オーディション
 日時・場所は書類通過者のみに連絡

お問い合わせ
 smash@itoa.co.jp
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元になったラジオドラマは令和2年(2020)にオンエアされたもので、「仮面女子 雪乃しほりのワクワクサワー」という番組の中ででした。現在はメインパーソナリティーの交替に伴い「みんなあつまれ!ワクワクサワー」と改題されています。

その際のタイトルは「ほんとうの空・青い空」と、「う」が入っていましたが、今回は「う」が無くなり「ほんとの空・青い空」。本来、光太郎が詩「あどけない話」に書いた文言は「う」の無い「ほんとの空」ですので、正しく訂正されたわけです。さらに「加筆してリメイク」だそうで。ただ、どの程度「あどけない話」オマージュになっているのか、何ともいえませんが。

オーディション応募の条件として「昭和女学生・平成女子大生役の相応に見える方」だそうです。突っ込みどころがありますが(笑)、我こそはと思う方、ぜひどうぞ。

公演の詳細に関してはまた近くなりましたらご紹介します。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)43 『詩集 天上の炎』

昭和28年(1953)2月15日 創元社(創元文庫) エミイル・ヹルハアラン著 高村光太郎訳
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目次
 未来(序詩) 新しい都 昔の信仰 私の眼よ 誇 機械 熱烈な生活 港の突堤で
 今日の人に 健康 死者 問題 機会 トンネル 波止場で 私の都 わが友風景 木蔦
 東西南北 森 花の方へ 並木の第一樹 散歩 或る夕暮の路ゆく人に 私の集(題跋詩)
 解説(金子光晴)

ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレン(1855~1916)の詩集の翻訳です。

光太郎訳のオリジナルは大正14年(1925)に新しき村出版部からハードカバーで刊行され、さらに昭和26年(1951)には白玉書房版のペーパーバックも出ています。そして文庫本化が為されました。

解説を金子光晴が書いています。

北の大地から特別展情報です。

開館30周年特別展「文学館コレクションの輝き」

期 日 : 2026年1月31日(土)~3月22日(日)
会 場 : 北海道立文学館 札幌市中央区中島公園1番4号
時 間 : 9:30~17:00
休 館 : 月曜日 ただし2月23日(月・祝)は開館し、2月24日(火)休館
料 金 : 一般500(400)円、高大生250(200)円 中学生以下・65歳以上無料
      *観覧料のうち( )内は10名以上の団体料金

1966年の最初の北海道文学展以来、連綿と続けられてきた収集活動。現在の資料点数は38万点を超えます。 原則、分野別・作家別などに分類され配架される資料ですが、中には収蔵時のまとまりを保ちそれぞれの特色を存分に発揮しているものもあります。 装幀の美しい本が揃う蘭繋之文庫、作家の書斎を覗いたような船山馨文庫、北海道文学論考の基礎資料が集まる小笠原克文庫……。 本展では「〇〇文庫」「〇〇コレクション」などと称されるそれらの資料群に光を当て、文学の魅力を掘り下げていきます。意外性のある資料との出会いもお楽しみに。

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関連行事
 講演会「『声』から探る近代文学―昭和初期の自作朗読を聴く」
  日時 2月23日(月・祝)14:00~15:30
  当館講堂(聴講無料)  講師 新井高子(詩人)
  定員 60名 2月10日(火)9:00から電話受付(要申込、先着順)
 ギャラリーツアー
  日時 2月14日(土)、21日(土)、3月7日(土)、14日(土)、21日(土)
  いずれも11:00~約40分 特別展示室  ご案内 当館学芸員
  定員 先着約10名 当日自由参加 ※観覧券をお求めの上、展示室入口へ。
 ミニ解説&朗読会
  学芸員による10分間ミニ解説後の朗読
  日時 2月18日(水)、28日(土)、3月4日(水)、11日(水)、18日(水)
  いずれも11:00~約40分 特別展示室
  朗読作品
   (順不同) 萩原朔太郎「猫町」/三浦綾子「銃口」より一部/船山馨「笛」/
   小笠原克「北海道 風土と文学運動」より一部/森田たま「石狩少女」より一部
  定員 先着約30名 当日自由参加 ※観覧券をお求めの上、展示室入口へ。
 講座「コレクションを語る」
  日時 3月15日(日)14:00~15:00
  当館講堂(聴講無料)  ご案内 当館学芸員
  定員 60名 3月1日(日)9:00から電話受付(要申込、先着順)

館蔵資料のうち、肉筆もの、稀覯本など含む、まとめて寄贈されたコレクションにスポットを当てての展示だそうです。

公式サイトに出品リストは出ていませんが、光太郎の第一詩集『道程』(大正3年=1914)も出ているとのこと。地元紙『北海道新聞』さんの報道で知りました。ネット上ではリード文的なところしか読めませんが。

初版本、直筆稿…寄贈資料で作品に光 道立文学館で開館30周年特別展「文学館コレクションの輝き」

北海道立文学館(札幌市中央区中島公園)が作家や収集家からまとめて寄贈を受けた資料に光を当てた開館30周年特別展「文学館コレクションの輝き」が、同館で開かれている。詩人で彫刻家、画家の高村光太郎の初詩集「道程」(1914年)の初版本や、札幌出身の小説家船山馨(14~81年)の代表作「石狩平野」の自筆原稿など貴重な資料が並ぶ。
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小説家船山馨の代表作「石狩平野」の自筆原稿や親友の佐藤忠良が描いた口絵原画などが並ぶコーナー

同館では大正3年(1914)の『道程』を二冊お持ちで、一冊は通常のもの、それからもう一冊は白布装の異装本。こちらには光太郎自筆の書き込みも為されています。それらは一昨年に開催された特別展「100年の時を超える ―〈明治・大正期刊行本〉探訪―」で展示されました。今回も2種類出しているのかどうかは不明ですが。

どちらも今回のコンセプトであるまとめて寄贈されたコレクション中の「高橋留治文庫」に含まれています。「北海道拓殖銀行に勤める傍ら詩書を愛読した高橋留治氏(1911(明治44)年-1984(昭和59)年)が遺した膨大なコレクション」だそうで。高橋氏は、光太郎と交流の深かった詩人・宮崎丈二の研究もなさっていて、『評伝 無冠の詩人 宮崎丈二――その芸術と生涯――』(昭和49年=1974 北書房)という著書もおありでした。そこで同館ではやはり「高橋留治文庫」中の資料を中心に、平成28年(2016)には「文学館の中の美術―宮崎丈二」が開催されたりもしています。

公式サイトに出品リストは出ていませんが、フライヤーで紹介されているいわば「目玉」は、以下の通り。

・「北海道国郡全図」松浦開拓判官阿部弘(松浦武四郎) 明治2年(1869)
・船山馨自筆原稿「石狩平野」 昭和40年(1965)頃
・小笠原克『北海道 風土と文学運動』 昭和53年(1978)
・宮沢賢治『春と修羅』 大正13年(1924)
・蘭繁之によって作られた豆本全422集の内の一部 


このうち賢治の『春と修羅』も「高橋留治文庫」に含まれるものです。

関連行事も充実していますね。

ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)42 『みちのくの手紙 ―高村光太郎書簡集』

昭和28年(1953)2月5日 中央公論社 宮崎稔編
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目次
 昭和二十年 昭和二十二年 昭和二十三年 昭和二十四年 あとがき
 口絵写真 高村光太郎


姻戚だった茨城在住の詩人・宮崎稔が、自身や父で素封家だった仁十郎、妻・春子(智恵子の姪)に宛てた光太郎書簡を活字にしたものです。

収められているのは昭和20年(1945)と、同22年(1947)~24年(1949)のもの。抜けている21年(1946)と25年(1950)以後のものもあるのですが、採録されませんでした。その理由は不明です。

昭和22年(1947)の歌集『白斧』もそうでしたが、光太郎はこの出版に不同意。したがって奥付に光太郎の名は記されていません。それでも宮崎は強引に刊行に踏み切りました。こうした点が光太郎にとっては悩みの種の一つで、『高村光太郎全集』別巻の年譜では、当会顧問であらせられた北川太一先生、宮崎が没したこの年4月27日の項に「何かと光太郎の身辺を案じ、一面では光太郎の心労の一因でもあった宮崎稔が胃潰瘍による吐血の末、四十三歳で没した」と書きました。

過日、2月15日(日)に信州安曇野市で開催予定の「高校演劇部発表会 青春ドラマシアター2026」についてご紹介しましたが、同市には光太郎彫刻が常設展示されている碌山美術館さんがあるよ、ということでリンクを貼り付けました。

その作業の際に、久々にサイトを覗いてみたところ、同館発行の今年のカレンダーに光太郎作品2点の写真が使われていると知り、慌てて注文たところ、昨日届きました。

届いたのがこちら。
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A3版厚手の紙で、表紙的なのを含め各月1枚の全13枚。無綴です。一昨年の同館カレンダーはA4横版の冊子タイプだったので、この変更には驚きました。

いきなり1月と、それから11月が光太郎作品。
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左は11月で、光太郎絶作の「倉田雲平胸像」。右が1月で、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の中型試作です。

他のラインナップは以下の通り。
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当然、碌山荻原守衛の作品が中心ですが、守衛と直接交流があった光太郎、戸張孤雁や、やや遅れての笹村草家人と喜多武四郎、さらにほぼ現代の基俊太郎の作品が取り上げられています。全て彩色されていないものですので、モノクロ写真で十分その魅力が伝わってきます。

圧巻はやはり守衛の代表作「女」かな、という気がします。
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それから表紙的な1枚にあしらわれた、今井兼次設計になる本館・碌山館の尖塔部分もいい感じですね。

商品詳細、以下の通りです。

2026年碌山カレンダー

1月始まり・A3サイズ  150冊の限定販売品です

価格1,900円(税込)  別途:送料660円+払込手数料

碌山作品をメインに当館の収蔵作品を掲載しております。表紙、背表紙を含め14枚、すべてモノクロ写真。お好きなクリップに挟んでご掲示ください。(本品にクリップは付属されておりません)

商品のお問い合わせはこちら

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ぜひお買い求め下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)41 『智恵子抄』特装版 

昭和27年(1952)9月30日 龍星閣 高村光太郎著
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目次
 人に             明治四十五年七月
 或る夜のこころ        明治四十五年八月
 おそれ            明治四十五年八月
 或る宵            大正元年十月
 郊外の人に          大正元年十一月
 冬の朝のめざめ        大正元年十一月
 深夜の雪           大正二年二月
 人類の泉           大正二年三月
 僕等             大正二年十二月
 愛の嘆美           大正三年二月
 晩餐             大正三年四月
 樹下の二人          大正十二年三月十一日
 狂奔する牛          大正十四年六月十七日
 鯰              大正十五年二月五日
 夜の二人           大正十五年三月十一日
 あなたはだんだんきれいになる 昭和二年一月六日
 あどけない話         昭和三年五月十日
 同棲同類           昭和三年八月十六日
 美の監禁に手渡す者      昭和六年三月十二日
 人生遠視           昭和十年一月二十二日
 風にのる智恵子        昭和十年四月二十五日
 千鳥と遊ぶ智恵子       昭和十二年七月十一日
 値ひがたき智恵子       昭和十二年七月十二日
 山麓の二人          昭和十三年六月二十日
 或る日の記          昭和十三年八月二十七日
 レモン哀歌          昭和十四年二月二十三日
 荒涼たる帰宅         昭和十六年六月十一日
 亡き人に           昭和十四年七月十六日
 梅酒             昭和十五年三月三十一日
 うた六首                         
 智恵子の半生         昭和十五年九月
 九十九里浜の初夏       昭和十六年五月
 智恵子の切抜絵        昭和十四年一月 

「乙女の像」制作のため、光太郎が帰京した記念という今一つよく分からないコンセプトで発行されました。この頃、出版界では一種の限定本ブームが起こっており、その流れに乗ってのものでしょう。

内容、紙型は前年に刊行された「新版」と同一ですが、二重函で内函は布装、表紙は羊皮、限定200冊ということになっています。しかも外函には「百七拾冊製本、参拾冊廃棄」と書かれており、世に出た冊数はそんなものだったようです。

定価は通常の版が180円だったのに対し、こちらは1,500円でした。

よくある図書館さんでのミニ展示情報です。直接は光太郎に関わりませんが。

今月の展示 「種をまく」

期 日 : 2026年2月3日(火)~2月12日(木)
会 場 : さいたま市立中央図書館 さいたま市浦和区東高砂町11-1 (コムナーレ8階)
時 間 : 午前9時~午後9時
休 館 : 期間中無休
料 金 : 無料

節分が過ぎれば、暦の上では春。まだまだ寒い日が続きますが、暖かくなって種蒔きの時期が来る前に、種について学んでみませんか。

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配付されているリーフレットだと思うのですが、PDFが公開されていました。3ページ目に光太郎の名。

「種まく人」と社章 
 昭和8年12月から、出版社の岩波書店はミレーの〈種まき〉によるマークを使用している。創業者の岩波茂男が農家の出であることなどが理由とされ、文化の種を蒔くという意味も込められている。 
 なお、岩波茂男はマークに使うためのメダル作りを詩人で彫刻家の高村光太郎に依頼したが、その出来栄えが気に入らず、別の人が描いたものがマークに使用された。その後、岩波書店30周年に、再度鋳造された高村のメダルが贈られ、高村の没後には広告などに用いられている。 
参考資料 『岩波書店七十年』、『高村光太郎選集別巻』 

問題のメダルはこちら。
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以前にも書きましたが、光太郎自身の回想が残っています。

 直径五寸、石膏型。(略)これは岩波茂雄さんにたのまれて作つたものだが、結局は岩波さんの気に入らないで、私がひきとつて持つてゐたものである。戦争がまだあまり烈しくなかつた頃だと思ふが、或日岩波さんがきて店のマークにするのだからミレーの種まく人をメダルに作つてくれといふことだつた。頭や手がメダルの円の外へはみ出しても構はないから、のびのびと作つてくれといふ。私も面白いと思つて、ニユーヨークのメトロポリタン美術館にある種まき絵を原本にして直径五寸の粘土メダルを作り、それを石膏型にして根津に居たメダル縮圧工作家にたのんで洋服の胸につけるバツジ大にプレツスしてもらつた。ところがこれを岩波さんの店に届けると物議がおこつた。種まきの人物があまり威勢がよく、かぶつてゐるおかま帽がまるで鉄かぶとのやうに見え、総体に軍国調のにほひがするといふことであつた。さういはれてみると、あの農夫のおかま帽はその頃みなのかぶつてゐた鉄かぶとじみてゐるのに気づき、私も苦笑してこれは止すことにした。その後岩波さんは誰かにたのんで、もつとおだやかな種まく人を描いてもらひ、それを店のマークにして岩波文庫はじめ其他の出版物に用ゐ、今日でもつづいてゐる。バツジに作つたかどうかは知らない。私は石膏の原型を引きとつて、アトリエにぶらさげて置いたが、これも焼けた。
(「焼失作品おぼえ書」 昭和31年=1956)

光太郎が引き取った原型以外に、鋳造のために取った原型が残っていたのでしょう。新たに贈られたメダルを元にしたというエッチングが、現在でもロゴとしていろいろなところで使用されています。
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ちなみにエッチングについて光太郎は「その後岩波さんは誰かにたのんで、もつとおだやかな種まく人を描いてもらひ、それを店のマークにして岩波文庫はじめ其他の出版物に用ゐ、今日でもつづいてゐる」と書きましたが、その「誰か」は画家の児島喜久雄という情報を得ています。ただ、まだよく分からない感じでして、もう少し調べてみます。

情報をお持ちの方はご教示いただけると幸甚です。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)40 『道程』復元版 

昭和26年(1951)7月15日 角川書店(角川文庫) 高村光太郎著
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目次
 一九一〇年
  失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国
 一九一一年
  画室の夜 熊の毛皮 人形町 甘栗 庭の小鳥 亡命者 鳩 食後の酒 寂寥 声 風
  新緑の毒素 頽廃者より 「河内屋与兵衛」 髪を洗ふ女 「心中宵庚申」 夏 なまけもの
  手 金秤 はかなごと めくり暦 地上のモナ・リザ 葛根湯 夜半 けもの あつき日
  父の顔 泥七宝 ビフテキの皿
 一九一二年
  青い葉が出ても 赤鬚さん あをい雨 友の妻 ――に 夏の夜の食慾 或る夜のこころ
  おそれ 犬吠の太郎 さびしきみち カフエにて 梟の族 冬が来る カフエにて
  或る宵 夜 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ カフエにて 師走十日 戦闘
 一九一三年
  人に カフエにて 深夜の雪 人類の泉 山 よろこびを告ぐ 現実 冬が来た 冬の詩
  牛 僕等
 一九一四年
  道程 愛の嘆美 群集に 婚姻の栄誦 万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ 晩餐
  五月の土壌 淫心 秋の祈
 解説 草野心平

昭和22年(1947)に札幌青磁社から出た『道程』復元版を文庫化というコンセプトです。仕掛け人はおそらく解説を執筆した当会の祖・草野心平。

この後、文庫本ブームが起きたのに伴い、光太郎の旧著が相次いで文庫化されていきます。

手持ちのものは昭和30年(1955)1月15日の9版でした。

現在、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の高村光太郎花巻疎開80年企画展「光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」につき、先月の地元紙『岩手日報』さんに続き、やはり地元紙の『岩手日日』さんが報じて下さいました。

花巻ゆかり 2人に焦点 高村光太郎記念館 賢治全集、写真展示

 詩人、童話作家の宮沢賢治(1896~1933年)と、彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)の関わりに焦点を当てた企画展は、花巻市太田の高村光太郎記念館で開かれている。
 賢治を世に広めるために光太郎が果たした役割などを資料で紹介し、花巻にゆかりある両偉人の人生が交錯した軌跡をたどる。3月31日まで。
 光太郎と賢治は、東京の光太郎のアトリエで1度だけ面会した。賢治没後の34(昭和9)年、東京で開かれた賢治追悼の会に賢治の実弟・清六が「雨ニモマケズ」の記された手帳を含む遺稿を持ち込み、これに光太郎をはじめとする著名人が感銘を受けた。それから全集刊行の動きが起こり、光太郎と詩人草野心平の手により同年、「宮沢賢治全集」(全3巻)が初めて文圃堂から刊行された。
 高村光太郎花巻疎開80年企画展「光太郎と賢治-宮沢賢治全集ができるまで」と銘打った同展では、最初の全集に加え、宮沢賢治全集全7巻(十字屋書店)、宮沢賢治文庫全7巻(日本読書組合)、宮沢賢治全集全11巻(筑摩書房)、光太郎揮毫(きごう)の書軸「東ニ病気ノ母アレバイッテ看病シテヤリ」、花巻で過ごす光太郎の写真などを展示。編さん者の一員として関わった賢治の友人の藤原嘉藤治の生涯や、光太郎、嘉藤治、清六の関係性にも触れている。
 展示している全集は、いずれも光太郎が編集や装幀作業に関わっており、自ら書きつづった題字や表紙の印刷についての所感も残されている。
 同展は市が主催。監修した高村光太郎連翹(れんぎょう)忌運営委員会の小山弘明代表は「賢治を世の中に出す大きな力になった一人が光太郎。2人をつないだ草野心平、清六、そこを埋めた嘉藤治らにより、賢治の作品が現在も読まれているということを知ってもらいたい」と意義を語る。
 今月21日午前10時からは、同市大通りのなはんプラザで小山代表、宮沢和樹林風舎代表取締役、瀬川正子共同園芸取締役によるトークイベントを開催する。参加無料。

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取材を受けたのは昨年12月でして、その折には「年内には記事にしたい」ということでしたが、一昨日に掲載されました。感触としては、記者氏、全くといっていいいほど賢治と光太郎の関わりをご存じなく、実に興味深そうで、「こりゃベタ記事にはするべきでない」と考えられたようで、お渡しした50ページほどの冊子資料を読み込まれてから大きく取り上げて下さったようです。ネット上ではリード文部分のみの公開となっていますが。

冊子資料は同館で販売されているかどうか(いろいろ面倒な事情がありまして)。記事の最後にあるトークイベントの際には大々的に売られると思われます。
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ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)39 『独居自炊』 

昭和26年(1951)6月15日 龍星閣 高村光太郎著
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目次
 独居自炊
 子供の頃
  父光雲のこと 母と姉 父の道をついで
 姉のことなど 母のこと 美術学校時代 彫刻家ガツトソン・ボオグラム氏
 ロダンの手記談話録 七月の言葉 一夏安居の弁 「道程」について 自分と詩との関係
 小刀の味 生きた言葉 触覚の世界 自作肖像漫談 へんな貧 春さきの好物 雷ぎらひ
 しやつくり病 ほくろ 悠久山の一本欅 谷中の家 二世代 蟻と遊ぶ 日記より
 がんがん三つ口 新茶の幻想 三十年来の常用卓 智恵子のにひ盆

光太郎エッセイ集としては2冊目。ただし戦時中の昭和18年(1943)、同じ龍星閣から出た『某月某日』とかなりの部分がかぶっています。

昨日、光太郎ゆかりの地・宮城県女川町の話題で『石巻かほく』さんの記事をご紹介しましたが、系列の『河北新報』さんが一面コラムで昨年12月に光太郎の名を出して下さっていました。見落としていました。

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正直は美徳だと思っていた。通用しない世界があるようだ。台湾有事を巡る高市早苗首相の発言に中国の反発が収まらない。「武力の行使を伴うものであれば存立危機事態になり得る」。つい本音が出てしまった▼台湾は民主主義が根付き、独自の統治機構がある。東日本大震災では多大な支援を頂いた。武力行使はあってはならない。ただ中国にも立場がある。1972年の日中共同声明で中国は「台湾は領土の不可分の一部」と表明し、日本は「十分理解し、尊重」すると応えた▼歴代政権が台湾問題にあいまいな表現を戦略的にとり続けたゆえんだ。とかく世論はリーダーに力強さを求め、物事に黒白をつけたがる。84年前の太平洋戦争前夜もそうだった。斎藤茂吉や高村光太郎、志賀直哉…。名だたる知識人が開戦の一報に快哉(かいさい)を叫んだ▼政治学者の中西輝政さんは、どちらにも決まらぬ気持ち悪さに延々と耐え抜くことが世界史に大をなす国の必要条件と指摘する。秘すれば花である。尖閣諸島も対立必至の国有化は避け、したたかに権益を保全する手があったのではないか▼外交は相手国と51対49を争う。完勝はない。首相は内輪受けする威勢のよさではなく、冷徹さと誠実さを併せ持ち、日本の国益と東アジアの平和を守り抜いてほしい。(2025・12・5)

2ヶ月前のものですが、事態は好転どころか、悪化の一途を辿っていますね。10月初めに自民党総裁選が行われ、明日はこの時期としては異例の衆議院選挙。総裁選前から続く政治的空白は4ヶ月以上に及び、物価高や円安、旧統一協会の問題など喫緊の課題がなおざりになったままです。逆にコラムでも取り上げられている問題発言など、余計なことばかり。ちなみに衆議院解散に伴って、審議中だったりした法案が何と74本も廃案となったそうで。永らく議論されてきた選択的夫婦別姓法案や、先の参院選で問題となった企業・団体献金を規制する政治資金規正法改正案もです(まぁ、74本の中にはギャグとしか思えない「ナントカ損壊罪」についても含まれるようですが)。ついでに言うなら来年度予算の編成にも大きく影響します。

さらに嘆かわしいのが、平和憲法を軽視し、息を吐くように嘘を吐き、G7や党首討論で敵前逃亡を繰り返す騒動の当事者やその取り巻きをもてはやす声の多さ。まさに戦前の我が国を彷彿とさせるという論評がありますが、その通りですね。

過日ご紹介した小関素明氏著『「大東亜戦争」幻想化と「戦争責任」の精神史 擬態に対峙する詩人たち』は、そのあたりで非常に示唆に富むものでした。昭和16年(1941)の太平洋戦争開戦直前、日中戦争の泥沼化、対日禁輸による各種の統制などで日本全体が包まれていた閉塞感に、開戦の詔勅や報が風穴を開け、これから訪れるであろうさらなる苦難の日々に思いを馳せることなく、ほとんどの国民がある種の開放感に包まれていたというものです。

コラムに名が上げられている通り、光太郎もその急先鋒の一人でした。同書では12月8日当日、大政翼賛会中央協力会議に参加していた光太郎の随想「十二月八日の記」が引用されています。

 時計の針が十一時半を過ぎた頃、議場の方で何かアナウンスのやうな声が聞えるので、はつと我に返つて議場の入口に行つた。丁度詔勅が捧読され始めたところであつた。かなりの数の人が皆立つて首をたれてそれに聴き入つてゐた。思はず其処に釘づけになつて私も床を見つめた。聴きゆくうちにおのづから身うちがしまり、いつのまにか眼鏡が曇つて来た。私はそのままでゐた。捧読が終ると皆目がさめたやうに急に歩きはじめた。私も緊張して控室に戻り、もとの椅子に坐して、ゆつくり、しかし強くこの宣戦布告のみことのりを頭の中で繰りかへした。頭の中が透きとほるやうな気がした。
 世界は一新せられた。時代はたつた今大きく区切られた。昨日は遠い昔のやうである。現在そのものは高められ、確然たる軌道に乗り、純一深遠な意味を帯び、光を発し、いくらでもゆけるものとなつた。
 この刻々の瞬間こそ後の世から見れば歴史転換の急曲線を描いてゐる時間だなと思つた。時間の重量を感じた。

ちなみに光太郎はこの頃の自分の愚かさを戦後になってしっかりと反省し、7年間もの過酷な蟄居生活を送ることとなります。

他の文学者たちのそれも紹介されています。

 今こそ全文化を目的意識と観念的規定の室から出して、凛然たる外気に当て、自然のままに生きてゆくものだけを生育せしめるやう、純粋化し、淘汰せねばならぬ。
 かういふ時期にこそ、文学には「文」の領域があることをはつきり認識することが出来る訳だ。今までのやうに「軍」や「政治」に追従してゐたのから去つて、明確に己が本然の使命の下に、今日の栄えある国民的試練の時を自力で生きてゆかなければならぬ。(河上徹太郎)

 本日みたいにうれしい日はまたとない。うれしいといふか何といふかとにかく胸の清々しい気持だ。(略)宣戦の大詔を三度聞き三度読んだ。(黒田三郎)

 涙が流れた。言葉のいらない時が来た。(坂口安吾)

 ふと、自分は、ラジオを聴く前と、別人になつてゐるやうな気がした。(略)一間も二間もある濠を、一気に飛び越えたやうな気持がした。(獅子文六)

 それを、ぢつと聞いてゐるうちに、私の人間は変わつてしまつた。強い光線を受けて、からだが透明になるやうな感じ、あるひは、聖霊の息吹きを受けて、つめたい花びらを胸の中に宿したやうな気持。日本も、けさから、ちがふ日本になつたのだ。(太宰治)

 まつたく一日として神経の安まる日はないのであつた。私たちは今の言葉でいふ、ノイローゼになつてゐた。これ以上、こんな緊張の日々が続くのは耐へられない。そこへもつて十二月八日の太平洋開戦だ。なにはとまれ、これでどつちかへ片づく。ヤレヤレといふ気もちであつた。(徳川夢声)

 十二月八日、大詔が渙発せられ、米英との国交が断絶せられた事は、生をこの聖代にうけたものの真に重大事と考ふべき事である。
 これこそ世界歴史への一大転換の御命令であつて、吾々は過去と遮断して全く別の体系に這入つたことを自覚せねばならぬのである。(中河与一)

 真剣になれるにはいい気持だ。僕は米英と戦争が始まつた日は、何となく昂然とした気持で往来を歩いた。
 くるものなら来いといふ気持だ。自分の実力を示して見せるといふ気持だ。(武者小路実篤)

今回の選挙について、開票結果が明らかとなる明日以降、この手の感想を抱く人がたくさん現れるような事態を懸念して已みません。杞憂に終わることを祈りますが……。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)38 詩集『天上の炎』 

昭和26年(1951)4月25日 白玉書房 エミイル ヹルハアラン著 高村光太郎訳
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目次
 序詩 未来 新しい都 昔の信仰 私の眼よ 誇 機械 熱烈な生活 港の突堤で
 今日の人に 健康 死者 問題 機会 トンネル 波止場で 私の都 わが友風景 木蔦
 東西南北 森 花の方へ 並木の第一樹 散歩 或る夕暮の路ゆく人に 題跋詩 私の集
 ヹルハアラン

ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレン(1855~1916)の詩集の翻訳です。

大正14年(1925)、新しき村出版部から出た初版の内容に、評伝「ヹルハアラン」(昭和8年=1933)を追補して刊行されました。

まず、毎年8月9日に「女川光太郎祭」を開催して下さっている宮城県女川町からのニュースです。地元紙『石巻かほく』さんより。1月31日(土)の記事です。

「女川から日本一、うれしい」トレーラーホテル・エルファロ 63室、国内最多に認定

 トレーラーハウスを活用した女川町女川2丁目の「ホテル・エルファロ」(63室)が、日本記録認定協会から部屋数が最も多い「日本最大の国産トレーラーハウスホテル」に認定された。女将(おかみ)の佐々木里子さん(57)は「アットホームなホテルが日本一になれてうれしい。多くの人に泊まってみてほしい」と語る。
   エルファロはトレーラーハウス40台を宿泊部屋に使う。東日本大震災で被災した旅館業者4社と株式会社エルファロで組織する共同事業体が運営。復興事業者の宿泊場所確保などにつなげようと、2012年12月に同町清水地区に開業した。復興事業の進展に伴い、17年8月に現在地のJR女川駅近くに移転した。
 車両は国産のトレーラーハウスを製造、販売する「カンバーランド・ジャパン」(長野県)の製品。国産木材を使い、梅雨や雪の湿気に強いという。カンバーランド社の関係者から「台数が日本一かもしれない」といった声を聞いていたため、ホテルの付加価値を高めて国内外に発信しようと、昨年12月に協会に申請し、今月9日に認定がかなった。
 エルファロの田中雄一朗社長(39)は「営業を続けてこられたのは地域の皆さんのおかげ。女川に日本一があるといういいニュースを届けられた」と喜ぶ。
 ピンクや緑などトレーラーのカラフルな外観も人気で、宿泊を目的にした旅行者も全国から集まる。能登半島地震で被災した石川県輪島市の旅館経営者や、セカンドハウスや集会所として購入を検討している人らも視察に訪れるという。佐々木さんは「いろいろな使い方ができるのも魅力」と語る。
 今後はギネス世界記録への申請も視野に入れる。田中社長は「メード・イン・ジャパンの魅力を女川から世界に発信したい」と話した。
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家族連れに人気なロフト付きの部屋。女将の佐々木さんは「アットホームな雰囲気を楽しんでほしい」と話す

JR石巻線女川駅裏のエルファロさん、女川光太郎祭でお邪魔した際にはほぼ毎回こちらに2泊させていただいており、それ以外にも個人的に宿泊したこともありまして、もう20泊以上しているはずです。

最初に泊めていただいたのが、平成26年(2014)。この頃は現在地ではなく、一山越えた谷間でした。平成23年(2011)の東日本大震災により壊滅した市街地の区画整理等がまだ進んでいなかったためです。「建築」ではないので認可がすぐおりたとのこと。その後、中心街の復興が進んだのに合わせ、可動式のトレーラーハウスとしての特性を生かして、平成29年(2017)に現在地に移転しました。
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トレーラー部分1台を前後に分割して2室になっているタイプにいつも泊めていただいておりますが、それでもベッドはツインでへたなビジネスホテルの部屋より広く、冷暖房やユニットバスなども完備されており、なかなかに快適です。難をいえば、方向音痴の方が敷地内で迷子になることくらい(笑)。

その他、1台で1室、ベッドが4つの大部屋もあり(ロフト付きというのはこのタイプでしょう)、ファミリー向けの対応も成されています。当会顧問であらせられた北川太一先生がご存命の頃、奥様、息子さんと3人でいらした際にご利用されていました。

メーカーのカンバーランド・ジャパンさんの所在地は長野市だそうで、それは存じませんでした。自宅兼事務所から車で10分足らずの川沿いにも、おそらく釣り人をメインターゲットとしたトレーラーハウス式の宿泊施設があり、そちらもそうなのかな、と思いました。能登半島地震に際しても活用が成されているとのことです。すばらしい。

そしてエルファロさん、日本版ギネスともいうべき日本記録認定協会さんから部屋数が最も多い「日本最大の国産トレーラーハウスホテル」に認定とのこと。さらに本家ギネスブック登録ということになれば、その話題性からも女川の活性化につながると存じます。そうなってほしいものです。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)37 『智恵子抄』 新版

昭和26年(1951)2月20日 龍星閣 高村光太郎著
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目次

 人に             明治四十五年七月
 或る夜のこころ        明治四十五年八月
 おそれ            明治四十五年八月
 或る宵            大正元年十月
 郊外の人に          大正元年十一月
 冬の朝のめざめ        大正元年十一月
 深夜の雪           大正二年二月
 人類の泉           大正二年三月
 僕等             大正二年十二月
 愛の嘆美           大正三年二月
 晩餐             大正三年四月
 樹下の二人          大正十二年三月十一日
 狂奔する牛          大正十四年六月十七日
 鯰              大正十五年二月五日
 夜の二人           大正十五年三月十一日
 あなたはだんだんきれいになる 昭和二年一月六日
 あどけない話         昭和三年五月十日
 同棲同類           昭和三年八月十六日
 美の監禁に手渡す者      昭和六年三月十二日
 人生遠視           昭和十年一月二十二日
 風にのる智恵子        昭和十年四月二十五日
 千鳥と遊ぶ智恵子       昭和十二年七月十一日
 値ひがたき智恵子       昭和十二年七月十二日
 山麓の二人          昭和十三年六月二十日
 或る日の記          昭和十三年八月二十七日
 レモン哀歌          昭和十四年二月二十三日
 荒涼たる帰宅         昭和十六年六月十一日
 亡き人に           昭和十四年七月十六日
 梅酒             昭和十五年三月三十一日
 うた六首                         
 智恵子の半生         昭和十五年九月
 九十九里浜の初夏       昭和十六年五月
 智恵子の切抜絵        昭和十四年一月 

昭和16年(1941)にオリジナルの『智恵子抄』を刊行した龍星閣が戦時の休業から復興、前年に出した『智恵子抄その後』に続き、満を持して『智恵子抄』を再刊しました。

それに伴い、昭和22年(1947)から5版まで出ていた白玉書房版は絶版。そちらに収められていた戦後の詩「松庵寺」「報告」は削除されて、オリジナルの形に戻りました。

この赤い表紙の新版が、平成まで版を重ねることになります。

信州松本平地区から演劇公演の情報です。

高校演劇部発表会「青春ドラマシアター2026」

期 日 : 2026年2月15日(日)
会 場 : 安曇野市豊科公民館ホール 長野県安曇野市豊科4289番地1
時 間 : 10:00~14:20
料 金 : 無料

さあ、青春ドラマシアターの季節がやってきました。高校生たちの熱く充実した芝居を思う存分にお楽しみください。そして今年も、松本地区2高校演劇部が参加します。これは例年以上に盛り上がること間違いなし! こんな近くで高校生の芝居をまとめて観られる機会はありません。ぜひ、お越しいただき、高校演劇のパワーを感じてください。 

参加予定(出演順)
 ◎豊科高校    10:15~10:45 「さいのはな」 
 ◎南安曇農業高校 11:00~11:30 「サヨナラは雨の日・・・」 
 ◎松本県ヶ丘高校 11:45~12:05 「私には、言えない。」 
 ◎松本深志高校  13:00~13:35  「智恵子の深呼吸」 
 ◎穂高商業高校  13:50~14:20  「豚がいれば良かった教室」
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松本市と安曇野市の高校5校の演劇部さんによる競演。そのうち松本深志高校さんが「智恵子の深呼吸」という演目です。
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登場人物は光太郎智恵子の二人のみ。脚本はやはり地元で演劇部顧問をなさっている郷原玲氏という方だそうです。

松本深志高校さんといえば、旧開智学校の流れを汲む伝統校。松本市に隣接する安曇野市には光太郎の親友だった碌山荻原守衛を顕彰し、当方もさんざんお世話になっている碌山美術館さんがあり、光太郎ブロンズが複数常設展示されている他、企画展でもたびたび光太郎智恵子関連を取り上げて下さっています。明治43年(1910)に守衛が早世した際には、光太郎も安曇野に足を運びました。

その安曇野で光太郎智恵子の演劇ということで、喜びに堪えません。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)36 『智恵子抄その後』 

昭和25年(1950)11月15日 龍星閣 高村光太郎著
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目次
 智恵子抄その後
  元素智恵子 メトロポオル 裸形 案内 あの頃 吹雪の夜の独白
 太田村山口にて
  年越し 雪解けず 開墾 早春の山の花 田植急調子 もしも智恵子が
  季節のきびしさ 七月一日 山の少女 噴霧的な夢 ある夫人への返事 信親と鳴瀧
  智恵子の遺作展 村にて 再び村にて 女医になつた少女 夏の食事 九月三十日
 あとがき

函には「詩集」と冠されていますが大半は散文で、言わば「詩文集」というべきものです。オリジナル『智恵子抄』(昭和16年=1941)の版元・龍星閣が昭和19年(1944)に戦争の激化に伴い休業を余儀なくされましたが、この年、再開。その記念出版的な意味合いもありました。

標題になっている連作詩「智恵子抄その後」は、この年1月の雑誌『新女苑』に発表されたもので、他に智恵子に直接関わるものは詩「もしも智恵子が」(昭和24年=1949)、詩「噴霧的な夢」(昭和23年=1948)、散文「智恵子の遺作展」(昭和25年=1950)のみ。「智恵子抄」を舞踊にした藤間節子のリサイタルのパンフレットに寄せた「村にて」(昭和24年=1949)、「再び村にて」(昭和25年=1950)に智恵子の名が出て来ますが、メインではありません。

そういった意味では若干の羊頭狗肉感があるものです。

手持ちのものは昭和32年(1957)の版ですが、その時点で既に第18刷。翌年に刊行された新版『智恵子抄』とセットでよく売れていたようです。

今週土曜日のオンエアです。

土曜ゴールデン 温泉タオル集め旅21 この冬行きたい雪見の絶景露天SP 八幡平~花巻12湯 in岩手

地上波テレビ東京 2026年2月7日(土) 18:30〜20:55

これまで全国各地の温泉地を巡ってきた大久保・川村の温泉タオル集め旅。21回目の舞台となるのは、歴史と自然に包まれ、さまざまな泉質の名湯・秘湯がひしめく“岩手県”へ!旅をするのは、温泉好きな大久保佳代子と、温泉ソムリエアンバサダーの資格を持つ、たんぽぽの川村エミコ。道中には・・・
▽乳白色の野趣あふれる露天風呂
▽立ったまま入浴する深さ1.25mの足元湧出の混浴
▽あわい緑色の美肌の湯など

岩手山の美しい稜線を望み、八幡平の山並みに囲まれた秘湯・松川温泉をスタート。入浴ヘビーローテーション。各施設のロゴ入り温泉タオルを計9枚集めながら、花巻温泉郷の奥座敷、新鉛温泉にある愛隣館の露天風呂に翌日午後5時までのゴールを目指す、1泊2日のガチンコ旅です!地元の人に聞き込みをしながら、その土地ならではの“絶品グルメ”や、“絶景の観光スポット”を大満喫。

スタートとゴール以外、向かう温泉地は2人で自由に決めてOK。ただし、温泉に入浴してからでなければタオルを買うことができない!せっかく温泉に入っても、タオルがレンタルのみや無地だった場合はノーカウントという厳しいルールも健在。今回の助っ人には、特別に2名が参戦!さらに旅を盛り上げます! 1日目に迎えたのは、お笑いトリオ3時のヒロインのゆめっち。2日目に迎えたのは、タレントの岡田結実。

2019年『女芸人No.1決定戦 THE W』で優勝を飾り、人気の波に乗るゆめっちと、2025年4月に一般男性との結婚を発表し、幸せオーラ全開の岡田は、1日5回以上の度重なる入浴や、モデル顔負けの早着替えに耐え、旅の助っ人として活躍できるのか? これまで13勝7敗と高い確率で成功を収めている大久保・川村。果たして21弾の舞台となる岩手県で無事ロゴ入り温泉タオルをゲットし、ゴールできるのか?

出演者 大久保佳代子(オアシズ)、川村エミコ(たんぽぽ) 
ゲスト ゆめっち(3時のヒロイン)、岡田結実
ナレーション 杉本るみ
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温泉好きの当方としては外せない番組で(笑)、ほぼ毎回拝見しています。

大久保佳代子さん、川村エミコさんのコンビと、毎回異なるゲストの方が温泉地巡りをし、温泉宿や公共入浴施設で販売されているタオルをゲット、そこに宿や施設オリジナルのロゴが入っていればOK、おおむね1泊2日で設定された規程枚数のタオルを集められればご褒美の豪華料理にありつけるというルールです。

令和3年(2021)4月に放映が始まり、今回で21回目。これまで光太郎智恵子の足跡が残る温泉地が何度か取り上げられました。福島岳温泉さん、栃木那須塩原温泉さん、信州別所温泉さんなど。しかし岩手が舞台になったことはなかったように思います。ただ、その2ヶ月前に放映されたシーズンゼロ的な「土曜スペシャル 冬本番! 雪見の名湯&絶景露天風呂SP~いいお湯・夢気分~」では、光太郎や宮沢賢治が愛した大沢温泉さんが取り上げられました。

今回は「花巻12湯」がサブタイトルに入っています。12湯には大沢温泉さん、それからやはり光太郎が通った鉛温泉さん、花巻温泉さん、台温泉さん、そして志戸平温泉さんが含まれます。番組説明欄に「立ったまま入浴する深さ1.25mの足元湧出の混浴」とあるのは鉛温泉さんですね。それからゴールは
新鉛温泉の愛隣館さん。こちらは新しい宿ですが、12湯で初めて光太郎が浸かった西鉛温泉の系譜を継ぐ温泉地です。

2年程前だったか、番組のオリジナルグッズプレゼントにスマホから応募しまして、その際にコメント欄的な項目があったので「ぜひ花巻12湯を」と書きました。おそらく他にも同じような意見が寄せられていたのでしょう。

視聴可能な方、ぜひご覧下さい。テレ東系の放映が無い地域の方は、TVerさんなどの配信サービスでどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)35 『典型』 

昭和25年(1950)10月25日 中央公論社 高村光太郎著
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目次
 序
 雪白く積めり
 暗愚小伝
  家
   土下座 ちよんまげ 郡司大尉 日清戦争 御前彫刻 建艦費 楠公銅像
  転調
   彫刻一途 パリ
  親不孝
   親不孝 デカダン
  蟄居
   美に生きる おそろしい空虚
  二律背反
   協力会議 真珠湾の日 ロマン ロラン 暗愚 終戦
  炉辺
   報告 山林
 「ブランデンブルグ」
 脱卻の歌
 人体飢餓
 東洋的新次元
 おれの詩 悪婦
 山荒れる
 月にぬれた手
 鈍牛の言葉
 典型 
 田園小詩
  山菜ミヅ 山のひろば 山口部落 かくしねんぶつ クロツグミ クチバミ 別天地
  岩手の人 山からの贈物 この年

旧著の再編や選詩集的なものを除くと、光太郎生涯最後のオリジナル詩集です。光太郎没後に『典型以後』が出されますが、そこに光太郎の意図は介在されていません。光太郎としてもおそらく生涯最後のオリジナル詩集となるだろうという予感はあったと思われます。

発行日が10月25日。第一詩集『道程』(大正3年=1914)も10月25日でした。意図してこの日にしたのか、偶然なのか、何ともいえないところですが。

短歌系の話題で2件。

まずは1月14日(水)に皇居・宮殿「松の間」で開かれた歌会始の儀に関連して、『福島民友新聞』さんから。

「空がきれい」亡き妻の言葉歌に…歌会始、福島の86歳佳作

007 新春恒例の「歌会始の儀」が14日、皇居・宮殿「松の間」で開かれた。題は「明」で、天皇、皇后両陛下や皇族、一般の入選者10人の歌が独特の節回しで披露された。天皇陛下は、新たな年の平安を祈った時の気持ちを詠まれた。昨年9月に成年式を終えた秋篠宮家の長男悠仁さまは初めて出席した。
 福島県内関係では、福島市の逸見征勝さん(86)が詠んだ「退院にあらず転医の道すがら『空がきれい』と妻は明るし」が佳作に選ばれた。逸見さんは2019年に初入選して以来の応募で、24年に亡くなった妻静子さんとの日常を歌にした。
 逸見さんは「図らずも妻にささげる歌になった。ご厚意に感謝する」と喜ぶ。
 登山好きで長年「山」を短歌にし続け、吾妻山を歌った19年の歌会始で初入選した。しかしこの後、静子さんが倒れ、リハビリ生活に。「そんな中、妻が空を見て『きれい』と言った。この言葉を歌にしたかった」。気丈な静子さんの姿がお題の「明」に重なった。自身もここ数年で足腰を痛め、リハビリのため通院する日々を送る。山や短歌から遠のいた。応募は19年以来。
 きっかけは知人が持ってきた今年の歌会始の募集記事だった。作品を練る中で、妻の何げない一言が思い出されたという。
 「山にこだわってきたが、生活の変化に合った短歌を詠みたい」。共にリハビリに励む仲間との時間をはじめ、日常の一こまを歌にしようと思いを巡らせる逸見さん。創作意欲に火を付けてくれた静子さんに「ヒントをありがとう」と口にした。

佳作に選ばれた短歌、直接光太郎智恵子に関わるわけではありませんし、作者の方がそれを意識していなかったのではとも思いますが、「福島」「空」「山」「病妻」といったキーワードから、光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)が彷彿とさせられるものですね。あと一歩及ばず「佳作」ということで、皇居・宮殿「松の間」でのご本人による披露には至りませんでしたが。

平成25年(2013)の歌会始では、やはり福島の方が「安達太良の馬の背に立ちはつ秋の空の青さをふかく吸ひ込む」という歌で入選され、「(高村光太郎の)『智恵子抄』にうたわれたように、安達太良山の上には福島の本当の空がある。津波の影響や原発の問題がある中、福島のよさを知ってもらおうと歌を作りました」とのコメントを発表されました。それが頭にあったので、今回の方の作にも一脈通じるものがあるなと思った次第です。

続いてNHK財団さん、NHK厚生文化事業団さん主催の「新・介護百人一首」。2ヶ月前の話ですが、発表された入選作中の一首に、こちらは完全に「智恵子抄」の語。

「新・介護百人一首2025」入選作品100首が決定!

 このたび、皆さまからたくさんのご応募をいただきました「新・介護百人一首2025」につきまして、厳正なる選考の結果、入選作品100首が決定いたしました。
 入選作品100首は、こちら→(2025 入選作品100首)よりご覧いただけます。ぜひ「介護する」「介護される」中で感じた思いが込められた短歌をお楽しみください。
 今回も全国から 5,840人の皆さまより、合計 12,943首の短歌が寄せられました。ご応募いただいた皆さま、誠にありがとうございました。
 なお、入選作品を収めた作品集は 2026年2月頃 に発行し、応募者の皆さまへ進呈する予定です。
 これからも「新・介護百人一首」にご注目ください。
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百首に選ばれたうちの一首がこちら
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手を振りてデイサービスに妻は行き静かになりて智恵子抄読む」。歌会始の福島の方の作品に通じる内容。これも福島の方の作歌だったら出来過ぎかなと思いましたが、茨城県の方の作品です。

どちらの歌も、作者の方の姿に光太郎が重なって見えます。光太郎の場合は智恵子に対し「介護」ではなく「看護」でしたが。

それにしても、いずれこうした立場になることもあり得るな、と思いました。逆も然りです。心の準備はしておきたいものですね。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)34 『印象主義の思想と芸術』 筑摩選書

昭和24年(1949)8月5日 筑摩書房 高村光太郎著
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目次
 一 概観  二 エドワール マネ  三 クロード モネ及び新印象派画家
 四 アルフレ シスレー  五 カミーユ ピサロ  六 オーギユスト ルノワール
 七 エドガー ドガ其他  八 ポール セザンヌ 附 後期印象派
 九 附言  年表

昨日ご紹介した『造型美論』とセットで、戦時中の昭和17年(1942)に厚冊のハードカバーで出された『造型美論』を、2分割してペーパーバック化したうちの一冊です。「印象主義の思想と芸術」は、元々は大正4年(1915)に単体で刊行されたものでしたが、昭和17年(1942)の『造型美論』に組み入れられ、そしてまた切り離されて刊行されました。

ちょっと前ですが、1月21日(水)の『朝日新聞』さん岩手版に以下の記事が載りました。

岩手独特の住所表記「地割=チワリ」の謎 逆境公務員の苦心の結果?

 岩手では普通でも、県外出身者は首をかしげる住所表記の「地割」。私も昨年4月に盛岡に赴任して初めて知った。「ちわり」と読むらしい。これは岩手だけ? だとしたらなぜ? 1年足らずぼんやり抱えていた疑問について、探ってみた。
 「○○市××第5地割30番」のように使われる「地割」。私は岩手に接する青森、秋田、宮城の3県で勤務経験があるが、大字(××)に続く表記は「丁目」「番地」が一般的だ。
 ネットで検索すれば関連情報は出てくるが、確証が持てない。まずは手堅そうな岩手県庁のいくつかの部署に尋ねたが、答えは出ず。中には「他県にはないのですか?」と驚く職員もいた。かつて調査したことがあるという県立図書館も、当時の担当者が不明で詳細な説明はできないとのこと。
 探し回った結果、かつて似た疑問を覚え、調べたという県立博物館専門学芸調査員の工藤健さんに出会えた。
 「『地割』は岩手で独自に生まれたと考えられます。確認できる史料で最初に現れるのは、明治初期の地租改正時。県が地権者に発行した『地券』に出てくるんです」
 地租改正は、明治新政府が行った課税制度の改革だ。それまで村落単位で課せられていた税は、個人への課税に変わった。県や府が実態調査し、土地の所有者を証明する「地券」を地権者に発行。そこに「地割」の文字が記されたという。
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■仙台藩領はなし008
 ではなぜ、そんな文言が記されたのか? ヒントは江戸後期、盛岡藩が徴税のために作った地図にあった。
 各村の地図には、線引きされて「い」「ろ」「は」などと仮名で印が付いた区画が記されていた。その各区画が地租改正後、「第○地割」となっていったことが史料から確認できたという。
 「この『い』『ろ』『は』にもそれぞれ、元来の地名がありました。しかし、個人の土地所有の根拠となる地券に『地割』と記されたことで、そっちが正式な地名になっていったんです」
 このため、北上市近辺より南の仙台藩領だった地域は「地割」がない。元は盛岡藩でも、地租改正の作業時には岩手県ではなかった今の八幡平市の一部も同様だ。こうしたことからも地租改正時、岩手県が盛岡藩の資料を基に、独自に「地割」を導入したことが分かる、と工藤さんは解説する。
 しかし、元の地名をなくして数字化するとはずいぶん大胆な……。
 「証拠がなく、あくまで想像ですが」と断った上で、工藤さんは語る。
 「明治の新政府から届く膨大な命令に、なんとか対応しようとした県職員の苦心の末の策だったのでは。大量の事務仕事を乗り切るため、整理しやすい地名にしたのかもしれません」

■3分割に耐えて
 戊辰戦争で幕府側に付き、賊軍となった盛岡藩は明治に入り3分割され、他藩の管理下に。1870(明治3)年にそのひとつが盛岡県になった後も、江刺県(旧盛岡藩領)や胆沢県(旧仙台藩領)との統廃合などを経て、今の岩手県として落ち着くのは76(明治9)年。地租改正は、そのさなかの大事業だった。
 「岩手で『地割』が生まれた時代の印象は、高村光太郎が『岩手の人沈深牛の如(ごと)し』とうたった詩に重なります。逆境でも人々は思慮深い牛のように沈着に耐え、『その成すべきを成す』日に備えていたのでしょう」
 地租改正から45年。盛岡出身の原敬が初の平民宰相に就いた。そう考えると、「地割」の語感も味わい深く響いた。


「地割」。当方も以前から気になっていました。実際、花巻の高村光太郎記念館さんの住所が「花巻市太田第3地割3-9」だったり、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんは「花巻市轟木第7地割203」だったりするものですから。

地租改正、地券発行の際に分かりやすく、という説はうなずけますね。ちなみに以前に書きましたが、自宅兼事務所のある千葉県北東部では住所に「イ」「ロ」「ハ」が使われていて、これも珍しいケースだそうです(他に石川県にもあるそうですが)。自分の生まれた場所は「佐原市佐原ロ」でしたし、よく行く隣町の県立図書館さんの分館は「旭市ハ」。「くち」や「はち」と間違えられます(笑)。これらも同じような由来なのかも知れないなと思いました。

記事にある「岩手の人沈深牛の如(ごと)し」は、詩「岩手の人」(昭和23年=1948)の一節です。

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 岩手の人眼(まなこ)静かに、
 鼻梁秀で、
 おとがひ堅固に張りて、
 口方形なり。
 余もともと彫刻の技芸に游ぶ。
 たまたま岩手の地に来り住して、
 天の余に与ふるもの
 斯の如き重厚の造型なるを喜ぶ。
 岩手の人沈深牛の如し。
 両角の間に天球をいただいて立つ
 かの古代エジプトの石牛に似たり。
 地を往きて走らず、
 企てて草卒ならず、
 つひにその成すべきを成す。
 斧をふるつて巨木を削り、
 この山間にありて作らんかな、
 ニツポンの脊骨(せぼね)岩手の地に
 未見の運命を担ふ牛の如き魂の造型を。

記事ではちょっと無理くり取って付けたような引用ですが(笑)、光太郎に触れて下さりありがとうございます。

こうした先人の遺した地名も、一つの文化遺産です。そうした意味でしっかりと受け継いでいくべきものと思われます。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)33 『造型美論』 筑摩選書

昭和24年(1949)3月10日 筑摩書房 高村光太郎著
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目次
 現代の彫刻
  実技家の場合 概観 二つの源流について 時間的一瞥 フランスの彫刻 ブルデル
  マイヨル デスピオ ベルナアル 「ぢか彫り」騒動 穏健群 形式主義群団
  ドイツの彫刻 イギリスの彫刻 残余の諸国 現代日本の彫刻
 素材と造型
  素材と造型 造型といふ語 造型芸術 造型本能 造型芸術の本質 造型的諸要素
  造型美 造型芸術の種類 素描 日本画と色彩 日本画に於ける油画について 彫刻
 造型小論
  彫刻に何を見る ミケランジエロの彫刻写真に題す 蝉の美と造型 ロダンの素描
  鷗外先生の「花子」 木彫地紋の意義 仏画賛 彫刻性について 展覧会偏重の弊 手
  能面の彫刻美 九代目団十郎の首 本面について アンドレ ドラン 彫刻十箇條

戦時中の昭和17年(1942)に厚冊のハードカバーで出された同名の書を、2分割してペーパーバック化したうちの一冊です。もう一冊は『印象主義の思想と芸術』。明日、紹介します。

光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップも行われているイベント「十和田湖冬物語2026」。一昨日開幕し、報道が為されています。残年ながら「乙女の像」にからめてのそれが見当たりませんが。

地方紙『東奥日報』さん。

きらめく"冬花火" 十和田湖畔で「冬物語」開幕/2月23日まで

 十和田湖畔の冬を満喫できるイベント「十和田湖冬物語」(実行委員会主催)が30日、青森県十和田市休屋地区の多目的広場で開幕した。会場では恒例の花火が打ち上げられ、冬の夜空を彩った。2月23日まで。
 雪が降りしきる中、午後8時に花火がスタート。次々に打ち上がる花火が辺り一面を照らし、訪れた観光客らが見入った。おいらせ町から家族5人で訪れた、百石小4年の山田胡桃さん(10)は「紫色の花火がきれいだった」と笑顔で話した。
 会場には屋台村「雪あかり横丁」が登場。ヒメマスの塩焼きや馬肉鍋、きりたんぽなど、十和田市や秋田県の温かいグルメが並び、多くの来場者が列を作った。このほか、雪の滑り台や、奥入瀬渓流の氷瀑(ひょうばく)をイメージしたフォトスポットが設けられ、会場はにぎわった。
 火曜から木曜は定休日(祝日の2月11日は営業)。花火は期間中、毎日午後8時から約150発を打ち上げる。土曜、日曜は「冬の国境祭」と題し、北東北3県の芸能パフォーマンスなどが披露される。イベントの詳細は公式ホームページで確認できる。
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『東奥日報』さんでは別の記事でも。

雪遊び、グルメ 多彩に/十和田湖冬物語

 青森県十和田市の十和田湖畔休屋地区で開かれている「十和田湖冬物語」。多くの観光客や親子連れらが訪れ、雪遊びやグルメ、花火など多彩なイベントを楽しんでいる。
 全長約15メートルの雪の滑り台は子どもたちに大人気。家族4人で初めて訪れた、大阪府豊中市の茨木咲良さん(7)は「雪は初めて見た。楽しくて、雪が好きになった」と笑顔を見せた。
 期間中は雪上で楽しむバナナボートや、青森県や秋田県のグルメが並ぶ屋台村「雪あかり横丁」、奥入瀬渓流の氷瀑(ひょうばく)をイメージしたフォトスポットなどを楽しむことができ、夜には花火が打ち上がる。土曜、日曜には北東北3県の芸能パフォーマンスなどを行う。
 会期は23日まで。火曜から木曜は定休日(祝日の11日は営業)。イベントの詳細は公式ホームページで確認できる。
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鹿角きりたんぽFMさん。

冬花火の美しさで魅了 十和田湖冬物語

 秋田と青森にまたがる十和田湖で冬の恒例のイベントが始まり、名物の花火の美しさが来場者たちを魅了しました。
 ことしで28回めとなる「十和田湖冬物語」が30日に始まり、夜には呼び物の花火のショーが休屋地区で行われました。
 音楽と一体化した演出になっており、曲の場面ごとにふさわしい色と形の花火がおよそ5分間、打ち上げられました。
 冬の澄んだ夜空に映る花火の美しさは格別で、赤やオレンジの光りが広がるたびに、訪れた人たちから歓声が上がっていました。
 東京都世田谷区から訪れていた30代の男性は、「東京から来たので雪自体が珍しいのに、花火と一緒の幻想的な世界を見られて感動しました。息子の2歳の誕生日なので、いい思い出になりました」と話していました。
 会場には、両県の名物などが提供される飲食のブースや、雪の大型滑り台なども設けられていて、訪れた人たちが思い思いのスタイルで楽しんでいました。
 また去年に続き、イベントと連動した冬の体験型アクティビティーも用意されていて、カヌー遊びやガイドウオーク、湖畔でのサウナなどで楽しませています。
 実行委員会では、「雪を楽しみたい外国人などが近年増えていて、手ごたえを感じている。ことしもイベントの期間中、十和田湖から青森、秋田の周遊を活発にしたい」と話しています。
 十和田湖冬物語は来月23日までの、祝日以外の火曜、水曜、木曜を除き、十和田湖休屋の多目的広場で開かれます。
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地方紙『北鹿新聞』さん。

十和田湖の魅力発信 花火や屋台村 23日まで「冬物語」 土、日は「冬の国境祭」も

 冬の北東北を代表するイベント「十和田湖冬物語」が先月30日、十和田湖畔の休屋で開幕した。今月23日まで土、日、祝日と月、金曜日に開かれる。夜に花火が打ち上げられるほか、会場の屋台村では温かい地元グルメが販売される。
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ぜひ足をお運びの上、幻想的な「乙女の像」ライトアップもご覧いただければと存じます。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)32 詩集『智恵子抄』

昭和22年(1947)11月25日 白玉書房 高村光太郎著
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目次
 人に             明治四十五年七月
 或る夜のこころ        明治四十五年八月
 おそれ            明治四十五年八月
 或る宵            大正元年十月
 郊外の人に          大正元年十一月
 冬の朝のめざめ        大正元年十一月
 深夜の雪           大正二年二月
 人類の泉           大正二年三月
 僕等             大正二年十二月
 愛の嘆美           大正三年二月
 晩餐             大正三年四月
 樹下の二人          大正十二年三月十一日
 狂奔する牛          大正十四年六月十七日
 鯰              大正十五年二月五日
 夜の二人           大正十五年三月十一日
 あなたはだんだんきれいになる 昭和二年一月六日
 あどけない話         昭和三年五月十日
 同棲同類           昭和三年八月十六日
 美の監禁に手渡す者      昭和六年三月十二日
 人生遠視           昭和十年一月二十二日
 風にのる智恵子        昭和十年四月二十五日
 千鳥と遊ぶ智恵子       昭和十二年七月十一日
 値ひがたき智恵子       昭和十二年七月十二日
 山麓の二人          昭和十三年六月二十日
 或る日の記          昭和十三年八月二十七日
 レモン哀歌          昭和十四年二月二十三日
 荒涼たる帰宅         昭和十六年六月十一日
 亡き人に           昭和十四年七月十六日
 梅酒             昭和十五年三月三十一日
 松庵寺            昭和二十年十月五日
 報告             昭和二十一年十月五日
 うた六首                         
 智恵子の半生         昭和十五年九月
 九十九里浜の初夏       昭和十六年五月
 智恵子の切抜絵        昭和十四年一月
 記

昭和16年(1941)龍星閣発行のオリジナルの内容に、戦後の詩「松庵寺」と「報告」を追加して出版されました。

沢田伊四郎の龍星閣は太平洋戦争の激化に伴い昭和19年(1944)に休業。『智恵子抄』は店頭から姿を消していましたが、需要があると踏んだ白玉書房の鎌田敬止が復刊させました。

巻末に置かれた光太郎筆の「記」には以下の記述があります。

 今度あたらしく白玉書房をはじめられる鎌田敬止氏は沢田伊四郎氏の快諾を得て、「智恵子抄」の再出版を企てられ、その事を私に諮られた。

しかしこの件に関しては鎌田と沢田で認識の違いがあったようで、沢田は認めたつもりはないと激怒。沢田は昭和24年(1949)に龍星閣を再興し、翌年には『智恵子抄』を再刊します。それに伴い白玉書房版は昭和25年(1950)の第五版を以て絶版となりました。

手持ちのものはその第五版です。

昨日は久しぶりに九十九里町に行っておりました。昭和9年(1934)、心を病んだ智恵子が、実家の造り酒屋の破産後この地に移っていた実母・センと妹夫婦の暮らしていた小さな家(田村別荘)に預けられ、半年あまり療養生活を送ったところです。

何度も足を運んでいる場所ですが、昨日はフリーアナウンサーの早見英里子さん、朗読家の出口佳代さんのお二人をご案内する目的でした。

光太郎智恵子ファンでもあるお二人、昨年の第69回連翹忌の集い、中野区で7月に開催された「中西アトリエをめぐる文人たちの朗読会」で光太郎詩の朗読をお願いし、それから11月には光太郎ゆかりの北鎌倉「笛」さんでの朗読会にもご出演。

さらにお二人で「ERIKO&KAYO」というユニットを結成、光太郎智恵子ゆかりの地に行かれ、朗読のライブ動画をSNSに上げられてもいます。
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その一環で、ぜひ九十九里町にも行ってみたいとのことで、ご案内した次第です。

JR千葉駅まで来ていただいたお二人を拾い、愛車を駆って九十九里へ。まずは通り道の東金九十九里有料道路・今泉パーキングの光太郎智恵子像。二人揃っての像は全国でここだけです。
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自動車道を下り、智恵子が暮らしていた田村別荘跡地。保養施設サンライズ九十九里さん近くのテニスコート付近です。昭和47年(1972)に、元の場所から500㍍ほど離れた隣町の大網白里町に移築され、「智恵子抄ゆかりの家」として保存されていましたが、それも平成11年(1999)にいろいろあって解体され、現在は跡形もありません。
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右上は平成のはじめ頃採った写真です。

続いて「千鳥と遊ぶ智恵子」(昭和12年=1937)の光太郎筆跡が刻まれた詩碑。
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光太郎没後の昭和36年(1961)、地元の俳句グループが発願し、当会の祖・草野心平が骨折って建てられました。碑陰記は心平の筆です。元々は砂浜だった場所ですが、碑と波打ち際の間に九十九里東金道路が出来、そのため古墳のような盛り土をしてかさ上げを行ったのですが、それでも海は見えなくなってしまいました。下画像は碑の除幕の翌年、昭和37年(1962)に刊行された『光太郎のうた』(社会思想社現代教養文庫 伊藤信吉編)の表紙です。建立当初はこんな感じでした。
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ここで「ERIKO&KAYO」による「千鳥と遊ぶ智恵子」朗読の動画収録。はたで聴いていてもさすがのクオリティーでした。

九十九里東金道路のガードをくぐり、さらに東日本大震災後に造られた巨大防潮堤を越えて海岸へ。
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千鳥は見当たりませんでしたが、鷗が一羽。

その後、昼食。せっかくなので地(じ)のものを召し上がっていただこうと思い(実は縄文系の自分が食べたかったのですが(笑))、浜焼きのお店「浜茶屋網元」さんへ。
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お二人、浜焼きは初体験だそうでしたが、ご満足いただけたとのことで、何よりでした。

食後、すこし北上して道の駅ならぬ海の駅九十九里さんへ。
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漁業系のちょっとした資料館的スペースと、地元の海産物や土産物の販売コーナー、それからパスしましたが2階はフードコートです。

これで九十九里町をあとにしました。

千葉駅に向かう途中、立ち寄ったのがこちら。
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東金市の「たぶん…世界一小さいチョコレート工場」さん。元々は米菓のメーカーさんが5年ほど前にオープンさせた工場兼店舗で、昨年、立て続けにテレビ番組で紹介されまして、通り道だし寄ってみようかと。

海の駅さんでもこちらでも、「ERIKO&KAYO」のお二人、ごっそり買われていました(笑)。千葉にお金を落として下さり、県民を代表して御礼申し上げます(笑)。

そんなこんなの珍道中でしたが、「ERIKO&KAYO」のお二人、今後も聖地巡礼とその地での朗読動画収録を続けられるとのことで、またご案内することになるかと存じます。他の方も、このての文学散歩ツアーのご用命があればガイド兼運転手を務めますので、お声がけ下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)31 歌集『白斧』特装限定本

昭和22年(1947)11月20日 十字屋書店 高村光太郎著 宮崎稔編
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目次
 無題 二首     明治三十三年十月
 無題 六首     明治三十三年十一月
 無題 十一首    明治三十四年一月
 無題 五首     明治三十四年六月
 ささ舟 十三首   明治三十四年七月
 無題 十一首    明治三十五年
 白斧 二十三首   明治三十七年一月
 無題 九首     明治三十七年八月
 赤城山の歌     明治三十七年十一月
 無題 九首     明治三十九年一月
 無題 十九首    明治四十二年十月
 無題 十六首    明治四十一年十一月
 無題 十一首    明治四十三年十一月
 工房より 五十首  大正十三年八月
 工房より 二十八首 大正十三年十一月
 工房より 八首   大正十四年一月
 那須にて 二首   大正十四年十月
 智恵子抄 六首      
 岩手移住後 五首    
 無題 十五首
 コロタイプ版 著者墨蹟
  地を去りて 赤城山 己の前に 太田むら

昨日ご紹介した通常版と同一の内容ですが、版型が二回りほど大きく、さらに光太郎墨跡が多く挿入されています。昨日書き忘れましたが、その部分の目次に誤植が多く、「赤城山」は「ああこれ山」、「己の前に」は「我が前に」です。

手持ちのものは本来ついていたカバーが失われています。

本日開幕です。

十和田湖冬物語2026

期 日 : 2026年1月30日(金)~2月23日(月・祝)
会 場 : 十和田湖畔休屋 多目的広場 青森県十和田市奥瀬十和田湖畔休屋
時 間 : 平日 午後4時~午後8時30分
 土日祝 午前11時〜午後9時
休 業 : 火曜日、水曜日、木曜日(2月11日(水)を除く)

あの光景に出会いたくて。
 1999年に始まった「十和田湖冬物語」は28回目を迎えます。親に連れられ、雪にまみれたあの日の子どもはいま、自分のこの手を引いている。温泉宿の夜、語り合った友人たちもあの頃から少しずつ、みんな、シワが増えた。⁡そんな長い月日が経っても十和田湖の冬は今年も美しく、あたたかく、灯ります。
⁡ 澄んだ夜空を彩る「冬花火」。匂いの先には「雪あかり横丁」。湯気の向こうで笑い合う人たち。時には、吹雪に鼻水を垂らすことも。それでも、ここが好きで、また来てしまう。
 ⁡冬の十和田湖へ。あの光景が、きっと待っている。

●冬花火
 真冬の澄み切った夜空を彩る冬花火。音楽との競演もお見逃しなく!
 大切なあの人へ メッセージ花火 一発8,800円~
 各開催日 20:00~
●屋台村「雪あかり横丁」
 ローカルの食材を使った美味しいグルメを楽しもう!
 平日 16:00~20:30 休日 11:00~21:00
●週末限定!冬の国境祭(くにざかいまつり)
 北東北の祭りや、地元有志によるパフォーマンスは必須!
 なまはげ太鼓/津軽三味線/ねぶた囃子/あけぼの祭典委員会/北里三原色他よさこい4団体
 花巻鹿踊
●かまくらの中で地酒やカクテルが楽しめる「かまくらバー」→中止
●スノーパーク
 会場には大きな雪の滑り台が誕生! あなたは何して遊ぶ?
●「乙女の像」ライトアップ
 イベント開催日のみ 17:00~20:30
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3回お邪魔しましたが、とにかく寒いイベントです(笑)。それを逆手にとって、寒さを楽しんでしまおうというわけで(笑)。

一時期、プロジェクションマッピングなどを主体にした時期もありましたが、数年前に旧に復し、屋台村をメインにした冬花火や雪のステージでのパフォーマンスが中心のスタイルに戻りました。昨年からだったと思いますが、光太郎第二の故郷・岩手花巻から鹿踊りの皆さんも参加なさっています。

そして、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップも為されます。
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ただ、メイン会場からやや離れていまして、なかなかそちらまで足を運ぶ方は多くないようですが。吹雪の時などは遭難にくれぐれもご注意下さいのレベルです。
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八戸駅、十和田市街からのシャトルバスも完備。

ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)30 歌集『白斧』

昭和22年(1947)11月20日 十字屋書店 高村光太郎著 宮崎稔編
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目次
 無題 二首     明治三十三年十月
 無題 六首     明治三十三年十一月
 無題 十一首    明治三十四年一月
 無題 五首     明治三十四年六月
 ささ舟 十三首   明治三十四年七月
 無題 十一首    明治三十五年
 白斧 二十三首   明治三十七年一月
 無題 九首     明治三十七年八月
 赤城山の歌     明治三十七年十一月
 無題 九首     明治三十九年一月
 無題 十九首    明治四十二年十月
 無題 十六首    明治四十一年十一月
 無題 十一首    明治四十三年十一月
 工房より 五十首  大正十三年八月
 工房より 二十八首 大正十三年十一月
 工房より 八首   大正十四年一月
 那須にて 二首   大正十四年十月
 智恵子抄 六首      
 岩手移住後 五首    
 無題 十五首
 コロタイプ版 著者墨蹟
  赤城山 己の前に

第一期、第二期『明星』などに載った光太郎短歌を集めた歌集です。光太郎、最後までこの歌集の出版には同意せず、姻戚だった詩人の宮崎稔が強引に出版を押し切りました。そのため、光太郎自身は関与していない旨の宮崎による「覚え書」が奥付の前に貼り込まれています。

奥付は昭和22年(1947)11月20日ですが、「覚え書」は昭和23年(1948)2月25日付。この頃まで上梓がずれ込んだようです。

神戸のギャラリーでの個展開催情報です。既に始まっています。

内田太郎 + 小泉孝司 「IMAGINES ! 空想の世界へ」

期 日 : 2026年1月24日(土)~2月8日(日)
会 場 : GALERIE L'OEIL(ギャラリーロイユ) 神戸市中央区北長狭通3−2−10
時 間 : 13:00~18:00
休 館 : 水曜日、木曜日
料 金 : 無料

現実と虚構、その境界を行き来する二人の画家が不思議で思索的な絵画の世界へご案内します。想像力をひらく、二人展です。

アーティスト
内田太郎
佐賀県生まれ。九州産業大学芸術学部美術学科卒業。出鱈目な科学法則が成り立つ夢の中のような世界や、宇宙の外側の空間を思いつつ、写実というスタイルで現実と想像の間の世界を描く。

小泉孝司
同志社大学経済学部卒業。高橋睦郎、横溝正史、松本清張等の挿絵、装画を描きながら、オリジナル作品を制作。絵本 「手のひらのねこ」 文•舟崎靖子 (偕成社) 、画集 「七番目の空」 (光琳社出版)
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内田太郎氏は、最近ちょっと流行りの超写実絵画系に近いのでしょうか。先にグレートーンで印影を描き、後から色を乗せていくグリザイユという手法で描かれているようです。

000小泉孝司氏は、ルネ・マグリットを思わせるシュールな世界観。プロフィールに「高橋睦郎、横溝正史、松本清張等の挿絵、装画」とあるので少し調べたところ、角川書店さんの『野性時代』で'70年代に横溝の「病院坂の首縊りの家」が連載されていた際の挿画が小泉氏によるものでした。また、松本清張の未完の絶筆「神々の乱心」が『週刊文春』さんに'90年代に連載された際も。

その小泉氏の出展作の一つが「ほんとうの空」と題されています。光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来と思われます。画廊主氏曰く「空の向こうの「闇」が雲の切れ間から差し込み、草原に立つ1本の木を燃え上がらせる彩墨・棒絵具で描かれた、シュールで幻想的な風景」。なるほど。

ご実家が和紙問屋さんだそうで、この作品も和紙に彩墨や棒絵具で描く独自の技法を駆使されているそうです。

先日、渋谷区で開催された写真展「UNBOUND#2」では、「智恵子抄」からのインスパイアの写真が展示されましたが、この手の二次創作は大歓迎です。もっとも、そこにリスペクトの精神を込めていただかないと困りますが。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)29 『道程』復元版

昭和22年(1947)6月15日 札幌青磁社 高村光太郎著 
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目次
 一九一〇年
  失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国
 一九一一年
  画室の夜 熊の毛皮 人形町 甘栗 庭の小鳥 亡命者 鳩 食後の酒 寂寥 声 風
  新緑の毒素 頽廃者より 「河内屋与兵衛」 髪を洗ふ女 「心中宵庚申」 夏 なまけもの
  手 金秤 はかなごと めくり暦 地上のモナ・リザ 葛根湯 夜半 けもの あつき日
  父の顔 泥七宝 ビフテキの皿
 一九一二年
  青い葉が出ても 赤鬚さん あをい雨 友の妻 ――に 夏の夜の食慾 或る夜のこころ
  おそれ 犬吠の太郎 さびしきみち カフエにて 梟の族 冬が来る カフエにて
  或る宵
 夜 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ カフエにて 師走十日 戦闘
 一九一三年
  人に カフエにて 深夜の雪 人類の泉 山 よろこびを告ぐ 現実 冬が来た 冬の詩
  牛 僕等
 一九一四年
  道程 愛の嘆美 群集に 婚姻の栄誦 万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ 晩餐
  五月の土壌 淫心 秋の祈

内容的には大正3年(1914)の初版と同一です。戦時中に「改訂版」「再訂版」が出ましたが、戦後になって旧に復したこの版が出されたわけです。

復興期の物資不足の折、造本は並製、函はなくカバー装です。

光太郎と断続的に長い付き合いのあった佐藤春夫旧蔵資料の数々(光太郎関連を含む)が、佐藤の故郷・和歌山県新宮市の佐藤春夫記念館さんに寄贈されました。

まず、寄贈資料の一部を委託保管していた実践女子大学さんの1月21日(水)付けプレスリリース。

実践女子大学で24日に作家・佐藤春夫の遺品の受贈式典。13000点以上が遺族から出身の和歌山県新宮市に

 大正期浪漫主義の旗手として活躍し、詩と小説の両分野において戦後にいたるまで文壇を牽引した作家・佐藤春夫(1892~1964)の旧蔵資料が、遺族の髙橋百百子氏より和歌山県新宮市立佐藤春夫記念館に寄贈されることになり、受贈式典が1月24日、実践女子大学渋谷キャンパスで遺族・新宮市長・実践女子大学学長らが出席して行われます。記録・保存のためデジタル撮影した新資料(挿絵原画・執筆資料・原稿・書簡等)だけで13000点以上に及びます。太宰治が芥川賞の受賞を望み、選考委員だった佐藤に懇願した書簡などがこれまでの調査でわかっており、今後、多くの文壇資料の発見が期待されます。
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高村光太郎作の肖像画や芥川賞を望む太宰治の佐藤に宛てた書簡など
 今回寄贈されるのは、和歌山県立近代美術館に保管中で、高村光太郎が若き佐藤を描いた「佐藤春夫像」(油彩画1914年)および実践女子大学に保管中の佐藤春夫資料一式(写真カット数13253枚分ほか)。
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 これらの資料は、佐藤春夫の長男佐藤方哉氏(1932~2010)が保管していたもの(一部は甥の竹田龍児氏(1908~1994)保管分を含む)で、2010年方哉氏没後、髙橋百百子氏(龍児氏長女・1941~)・牛山百合子氏(佐藤春夫研究者・1929~2020)・河野龍也氏(東京大学准教授/実践女子大学客員研究員・1976~)が、実践女子大学の支援を受けて整理を進めてきました。調査の過程で、芥川賞を懇願する太宰治の4mにおよぶ書簡(2015年報道)、佐藤春夫の1904年中学進学前後の日記(同)、芥川龍之介との親交を示す新出書簡(2022年報道)、太宰治の病状を報告する井伏鱒二の書簡(2023年報道)など発見が相次ぎ話題となりました。太宰治書簡は1935年~36年にかけて佐藤春夫に送られた43通(うち撮影済み42通)が確認されています。

今後「佐藤春夫デジタル文庫」を開設へ
 実践女子大学は2022年8月、新宮市立佐藤春夫記念館と連携協定を結び、研究協力関係にあることから、今回の受贈式の会場を提供することになりました。大学図書館・文芸資料研究所を中心に、今後「佐藤春夫デジタル文庫」を開設する計画もあります。
 寄贈された資料は式典後、新宮市(新宮市立佐藤春夫記念館)の帰属となり、一部は2026年秋に移転開館予定の佐藤春夫記念館の展示に活用されます。ただし当面は、現在資料を保管している和歌山県立近代美術館(高村光太郎油彩画)と実践女子大学(佐藤春夫資料一式)が管理を代行します。

谷崎、芥川ら著名な作家と幅広い交流。近年、海外からも注目され
 佐藤春夫は新宮市出身。1918年に小説「田園の憂鬱」でデビュー。谷崎潤一郎、芥川龍之介との交流や、井伏鱒二、太宰治、戦後は第三の新人など幅広い人脈を誇り「門弟三千人」と称されました。1960年には文化勲章を受章しています。近年では「女誡扇綺譚(じょかいせんきだん)」(1925年)ほか1920年の台湾旅行関連作品や、漢詩漢文の自由訳、魯迅の翻訳紹介に先鞭をつけたことなど、文化交流に果たした役割が海外からも注目され、2020年には台湾文学館で特別展が開催されました。
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河野龍也・東京大学准教授/実践女子大学客員研究員のコメント
 新宮市立佐藤春夫記念館は文京区関口にあった旧邸を移築して1989年に開館したもの。当時、記念館には春夫長男の方哉(まさや)氏から春夫の遺品が寄贈されたが、書簡や原稿、絵画資料等のうち未整理のものが佐藤家にはまだ多数残されていた。方哉氏の没後、資料の調査を進めてきた。2026年、記念館が新宮市内で移築再開されるにあたり、春夫の故郷である新宮のために役立てたいと、ご遺族が資料の寄贈を決断された。実践女子大学による調査協力も継続される。近代文学を代表する作家の貴重な資料をこれだけの規模で散逸させずに保管されてきたご遺族の努力に敬意を表したい。
 1927年に竣工した佐藤春夫邸は第二次世界大戦中の空襲被害に遭わなかった。戦前からの文壇資料が失われず残っていたのは極めて貴重。特に佐藤春夫は近代文学者では屈指の人脈を誇る。生涯にわたって受け取った手紙には、近代の文壇史が凝縮されている。春夫の師である与謝野鉄幹・生田長江・馬場孤蝶・永井荷風をはじめ、同世代の芥川龍之介・谷崎潤一郎・堀口大学・室生犀星、門弟であった井伏鱒二や太宰治など、年代や顔ぶれも豊か。書簡の分析から、文壇の人間関係で新しく分かることも多いだろう。
 今回の寄贈品に、文学資料と美術資料が含まれていることも注目される。文学資料で大正期から晩年に及ぶ原稿の下書きが貴重。作品の推敲過程が分かる。特に大正期のものは記念館にもほとんど所蔵されていなかった。美術資料では高村光太郎による若き日の春夫像、石井柏亭による表紙絵原画、谷中安規の版画、島田訥郎の挿絵原画のほか、春夫自身によるデザイン案も残されている。今回の資料から、文学と美術の垣根を超えて芸術活動に取り組んだ春夫の全体像がさらに明らかになっていくことに期待したい。

【佐藤春夫資料受贈式典】
日 時:1月24日10:00-10:30
会 場:実践女子大学渋谷キャンパス(東京都渋谷区東1-1-49)501教室
    その後、17階会議室(ファカルティラウンジ)にて展示資料を見学
出席者:髙橋百百子氏、上田勝之・新宮市長、辻本雄一・佐藤春夫記念館長、難波雅紀・実践女子大学学長、河野龍也・東京大学准教授/実践女子大学客員研究員ほか

受贈式典を報じた『紀南新聞』さん記事。

佐藤春夫の資料寄贈 太宰や芥川の書簡など1万3千点 記念館で展示予定

 大正、昭和期に活躍した新宮市名誉市民の作家、詩人・佐藤春夫の肖像画や、同時期に活躍した名だたる文豪が春夫に宛てた書簡などの貴重な資料が24日、同市新宮の佐藤春夫記念館に寄贈された。肖像画は親友の高村光太郎が描いたもので、太宰治、井伏鱒二など親交が深かった作家から送られた書簡のほか、執筆資料、原稿など実践女子大学(東京都)がデジタル化した1万3000点以上の膨大な資料とともに、一部が10月ごろリニューアルオープン予定の同館で展示される見通し。
  資料は春夫の長男・方哉さん(故人)が保管していたもので、方哉さんが2010(平成22)年に死去して以降、遠戚にあたる高橋百百子(ももこ)さんらが同大学の支援を受けて整理を進めた。芥川賞の受賞を熱望していた太宰が、当時選考委員だった春夫に「第二回の芥川賞は、私に下さいまするやう(よう)。伏して懇願申し上げます」と訴える書簡や、挿絵入りの芥川龍之介の手紙など当時の文豪たちと春夫の関係が伝わるものが確認されている。
 1989(平成元)年の記念館開館に際し、方哉さんから一部の資料が寄贈されたが、未整理のものが佐藤家に大量に残されていたという。東京都文京区の旧宅は、幸い空襲をまぬがれていた。
 肖像画は、春夫と家族ぐるみの付き合いがあった光太郎が1914(大正3)年に描いた油彩画。和歌山市吹上の県立近代美術館に保管されており、合わせて寄贈が決まった。
 東京都渋谷区のキャンパス内で同日、寄贈式が行われ、高橋さんから辻本雄一館長、上田勝之市長ら市関係者に肖像画と目録が手渡された。高橋さんは「春夫の地元で展示してくれてありがたい。大切に保存されることを願う」と話した。辻本館長は「文化的な展示に力を入れていきたい」と応じ、上田市長は「名誉市民第一号の関係資料を寄贈いただいたことは、地域の文化意識を高める大切な機会となる。資料群は地域の文化遺産を守り、育てるうえで極めて貴重であり、次代へとつなぐ架け橋になる」と期待感を示した。
 また、記録、保存のためデジタル撮影が施されており、大学図書館内でも専門コーナーが設置される計画がある。国文学に詳しい河野龍也・東大准教授(実践女子大客員研究員)は「貴重な資料をこれだけの規模で散逸せず保管した遺族の努力に敬意を表したい。春夫が生涯にわたって受け取った手紙は、近代の文壇史が凝縮されている。春夫の全体像がさらに明らかになることを期待したい」とコメントした。
 春夫は1892(明治25)年、旧新宮町生まれ。上京後の1918(大正7年)、自らの病的な心情を描写した「田園の憂鬱」でデビューし、数々の小説や詩、評論を残した。市出身で、短編小説「岬」で芥川賞を受賞した作家・中上健次にも影響を与えた。
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寄贈を受けた新宮市立佐藤春夫記念館さんは、移転準備のため休館中。今秋、リニューアル開館予定だそうで、資料の一部はその際に展示予定だとのこと。

光太郎筆の佐藤肖像は和歌山県立美術館さんに寄託されていて、こちらも帰属が移ったそうですが、当面は同館で管理代行とのこと。他の資料類も引き続き実践女子大さんに留め置かれるようです。ちなみに上記画像に写っているのはセレモニー用に制作された複製でしょう。

13,000点以上にも及ぶということで、既に知られている貴重な資料以外にも、とんでもないものが含まれている可能性もありますね。

生涯にわたって受け取った手紙には、近代の文壇史が凝縮されている。春夫の師である与謝野鉄幹・生田長江・馬場孤蝶・永井荷風をはじめ、同世代の芥川龍之介・谷崎潤一郎・堀口大学・室生犀星、門弟であった井伏鱒二や太宰治など、年代や顔ぶれも豊か。」と書簡の件が報じられていますが、そこに光太郎からのものが含まれていないかと期待しております。付き合いが長かったにもかかわらず、光太郎から佐藤宛の書簡はこれまで一通しか確認できていません。それも筑摩書房版『高村光太郎全集』には掲載されて居らず、20年程前に古書店で売りに出されたものでした。
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もっとも、光太郎没後にすぐ始まった全集の編纂には佐藤も関わったはずなので、その時点で提供されなかったということは、既に佐藤の手元に無かったのかも知れませんが。

いずれにしても「佐藤春夫デジタル文庫」の開設が待たれます。

新宮の記念館さんにはまだ足を運んだことがありませんで、今秋、リニューアル開館後には一度ぜひ行ってみようと思っております。みなさまもぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)28 『道程』再訂版

昭和20年(1945)1月15日 青磁社 高村光太郎著
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目次
 画室の夜        明治四十四年一月
 寂寥          明治四十四年三月
 声           明治四十四年五月
 新緑の毒素       明治四十四年六月
 はかなごと
 父の顔         明治四十四年七月
 泥七宝         明治四十四年七月――翌年六月
 犬吠の太郎       大正元年九月
 さびしきみち      大正元年十月
 戦闘          大正元年十二月
 山           大正二年十一月
 冬の詩         大正二年十二月
 牛           大正二年十二月
 僕等          大正二年十二月
 道程          大正三年二月
 愛の嘆美        大正三年二月
 瀕死の人に与ふ     大正三年三月
 五月の土壌       大正三年五月
 秋の祈         大正三年十月
「道程」以後
 わが家         大正五年
 晴れゆく空               大正五年
 小娘          大正六年
 無為の白日
 海はまろく
 花のひらくやうに
 序曲          大正九年二月
 米久の晩餐       大正十年八月
 雨にうたるるカテドラル 大正十年十月
 かがやく朝       大正十年十月
 クリスマスの夜     大正十一年
 沙漠                       大正十一年
 冬の送別        大正十一年四月
 五月のアトリエ     大正十一年五月
 ラコツチイ・マアチ   大正十一年十一月
 落葉を浴びて立つ    大正十一年十一月
 冬の子供        大正十一年十二月
 鉄を愛す        大正十二年五月
 氷上戯技                  大正十三年
 偶作十一                  大正十三年
 少年を見る       大正十四年五月
 或る墓碑銘               昭和二年十二月
 葱                        大正十四年十二月
 車中のロダン      大正十四年八月
 後庭のロダン      大正十四年二月
 十大弟子        大正十五年
 聖ジヤンヌ       大正十五年
 冬の奴         昭和元年十二月卅日
 怒                        昭和二年三月
 偶作八篇        昭和二年
 母をおもふ       昭和二年八月
 その年私の十六が来た  昭和二年
 冬の言葉        昭和二年十二月
 なにがし九段      昭和三年五月
 旅に病んで       昭和三年十二月
 存在          昭和三年十一月
 何をまだ指してゐるのだ 昭和三年九月
 その詩         昭和三年十二月
 耳で時報をきく夜    昭和五年十月
 刃物を研ぐ人      昭和五年六月
「猛獣篇」より
 清廉          大正十三年十二月
 傷をなめる獅子     大正十四年三月
 苛察          大正十五年二月
 雷獣          大正十五年六月
 龍           昭和三年三月

詩集『道程』は大正3年(1914)に初版刊行、昭和15年(1940)には「改訂版」が出され、さらにこの「再訂版」。いずれも収録詩篇は大きく異なります。太平洋戦争末期と言っていいこの時期に、なぜ一篇の翼賛詩も含めずにこの「再訂版」を編んだのか、実に不思議な詩集です。

文庫サイズの小さな本で、戦後の昭和21年(1946)1月15日に第二刷が出されました。

1月25日(日)、原宿キャットストリートのMIL galleryさんでの写真展「UNBOUND#2」拝観後、新橋に向かいました。次なる目的地はパナソニック汐留美術館さん。こちらで1月15日(木)に開幕した企画展「美しいユートピア 理想の地を夢みた近代日本の群像」の拝観です。
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同じ敷地内には旧新橋停車場駅舎。古建築好きにはたまりません。
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隣接するパナソニック東京汐留ビルさんの4階がパナソニック汐留美術館さんです。
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今回、光太郎に直接関わる展示はほとんどありませんが、関わりの深かった人物が多く取り上げられているため参上しました。はじめは、お世話になっている宮沢和樹氏(宮沢賢治実弟・清六の令孫)のご講演が関連行事に組まれている2月14日(土)に伺うつもりでいましたが、そちらの予約があっという間に埋まり、だったらとっとと観に行こうと思った次第です。

周辺人物系は、まず白樺派。光太郎も写った大正8年(1919)、雑誌『白樺』10周年記念の会が催された芝公園三縁亭での写真が出ていました。

下記は手持ちの資料から採ったものですが、これのおおむねキャビネサイズのもの。神奈川近代文学館さんへの寄託品だそうで、おそらく当時のもので、写っている誰かか縁の深い人物の旧蔵と思われます。
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前列は左から柳宗悦、木村荘八、武者小路実篤、清宮彬、犬養健。後列も同じく左から尾崎喜八、佐竹弘行、八幡関太郎、新城和一、椿貞雄、バーナード・リーチ、小泉鉄、近藤経一、木下利玄、岸田劉生、志賀直哉、長与義郎、そして光太郎。

ここに写っている人々――リーチや岸田、柳などの作品も出ていていい感じでした。

それから宮沢賢治。花巻宮沢賢治記念館さんや、和樹氏の林風舎さんの所蔵品がかなり借り受けられており、多くは複製でしたが、十分に賢治のエッセンスを感じることができました。
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来月、花巻で和樹氏らとのトークショーに出演するので、少しでも賢治精神に触れておこうというのが今回の主目的でした。

これらとは別に、福島出身で現代の賢治著書に装画をした吉井忠によるスケッチ「花巻豊里(沢?)町 宮沢政次郎氏(賢治父)宅」も興味深く拝見。昭和18年(1943)のもので、2年後にはここに光太郎が疎開することになるわけで。
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他に山本鼎、立原道造、竹久夢二らに関する展示もなかなかに充実していました。

帰りがけ、ミュージアムショップで図録(2,200円)を購入。掲載論考等、これから精読させていただきます。
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会期は3月22日(日)まで。ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)27 『をぢさんの詩』三版

昭和19年(1944)10月20日 太陽出版社 高村光太郎著
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目次
 序 さくら 軍艦旗 こどもの報告 カタバミの実 約束 路ばた 迎火 少年に与ふ
 少女に 少女立像 五月のうた 少女の思へる 少女よ こころに美をもつ 変貌する女性
 新しき日に 逞しき一念 手紙に添へて 与謝野夫人晶子先生を弔ふ 山道のをばさん
 女性はみんな母である わが大空 新穀感謝のうた 歩くうた 鬱勃たる健康
 私は青年が好きだ 神の如く行へ みなもとに帰るもの 純潔のうた 四月の馬場
 新緑の頃 みかきにしん 漁村曙 仕事場にて 神これを欲したまふ さかんなるかな造船
 供木のことば 無口な船長 春駒 氷上戯技 大きな嚔 晴天に酔ふ 初夏言志
 先生山を見る 偶成二首 蝉を彫る 提督戦死

初版は前年11月に出、この版で版元が武蔵書房から太陽出版社に代わりました。その経緯は不明です。紙型は同一ですが、造本がハードカバーからペーパーバックに変わっています。

1月17日(土)にも上京したのですが、昨日も2件の展覧会を観て回りました。レポートいたします。

まず、渋谷区原宿で写真展「UNBOUND#2」を拝見して参りました。おそらく若手中心と思われる56名の写真家さんたちによる合同展です。
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現地に行ってから気づいたのですが、会場のMIL galleryさん、MIL 2ndさん、いわゆるキャットストリートに面していました。
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昨年11月、福岡で開催されたポートレート展「Fixtyle Portrait Fukoka 8th」に、「智恵子抄」オマージュの作品で参加されたYasuyuki Ibaraki氏という方が、同一の作品を出品なさるということで参上した次第です。
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昨年の福岡での展示と同一の作品もあれば、そうでないものも含まれ、いずれにしても確かに「智恵子抄」の世界観と感じました。「レモン哀歌」(昭和14年=1939)全文が掲げられていましたが、それ以外に智恵子の心の病が顕在化してからの「人生遠視」(同10年=1935)、「山麓の二人」(同13年=1938)あたりからのインスパイアかな、と。勝手な感想ですが。
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他の出品作家の方々の作品も一通り拝見。バリエーションに富んでいて、見飽きることがありませんでした。
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予想より多くの方で賑わっていて最初は意外に感じましたが、56名もの方々の作品が展示されているということで、出品作家の皆さんのお知り合いという風体の方が目につき(高級そうなカメラを首からぶら下げた方など)そういうことか、と納得。書道や絵画の公募展もこんな感じだっけというわけで。

会期が短かったのが残念でしたが、いたしかたありますまい。

出品作家の皆さんの今後のさらなるご活躍を祈念いたします。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)26 『詩集 記録』

昭和19年(1944)3月20日 龍星閣 高村光太郎著
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目次
 序篇
  白熊 象の銀行 北東の風、雨 のんきな会話 非欧米的なる 秋風をおもふ
  未曾有の時 新しき御慶 紀元二千六百年 重大なる新年 新年に与ふ 危急の日に
 主篇
  大詔渙発 彼等を撃つ 夜を寝ざりし暁に書く 特別攻撃隊の方々に
  或る講演会で読んだ言葉 独居自炊 帝都初空襲 戦歿報道戦士にささぐ
  民国の民と兵とに与ふ 真珠港特別攻撃隊 感激をかくさず 神とともにあり 新天地
  覆滅彼にあり われらの道 戦に清めらる 決戦の年に志を述ぶ 殄滅せんのみ
  紀元節を迎ふ 「撃ちてし止まむ」 あそこで斃れた友に 海軍魂を詠ず 軍人精神
  突端に立つ 厳然たる海軍記念日 五月二十九日のこと 山本元帥国葬
  報道の士をたたふ
 われらの死生 ビルマ独立 友来る おん魂来りうけよ 勤労報国
  粛然たる天兵 
救世観音を刻む人 フイリッピン共和国独立 四人の学生 全学徒起つ
  戦に徹す
 断じてかへさず 激戦未だ終らず 大決戦の日に入る
  第五次ブーゲンビル島沖航空戦
 十二月八日三度来る

『大いなる日に』(昭和17年=1942)、『をぢさんの詩』(同18年=1943)に続く三冊目の翼賛詩集です。

「序篇」は太平洋戦争開戦前の作品群。かつて帝国主義や人種差別を告発するものとして発表した連作詩「猛獣篇」に含まれる大正14年(1925)の「白熊」と同15年(1926)の「象の銀行」(ともに米国留学中の体験に基づく内容です)が、単にアメリカを批判しているということからここに収められるという光太郎自身による韜晦が行われています。

ちなみに「象の銀行」は永らく初出発表誌が不明でしたが、ソウルで発行されていた『朝鮮芸術雑誌 朝』の創刊号(大正15年5月 朝鮮芸術社)と判明しました。

「主篇」は太平洋戦争開戦後のもの。

全ての詩篇に新たに書き起こした前書きが附され、その時々の光太郎の心境がよくわかります。
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奥付では3月20日発行となっていますが、「天皇陛下」を「天皇下陛」とする切腹ものの誤植が見つかり、シールを貼っての訂正のため、実際に店頭に並んだのは5月頃だったようです。

現在、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の高村光太郎花巻疎開80年企画展「光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」につき、地元紙『岩手日報』さんが報じて下さいました。

賢治全集 支えた光太郎 花巻で企画展 デザインした貴重初版 作品広めた弟らも紹介

 彫刻家・詩人高村光太郎(1883~1956年)らと宮沢賢治全集の関わりを伝える企画展が、花巻市内で開かれている。光太郎が装丁した全集を展示し、賢治の実弟らも編集に携わったエピソードなどを紹介。貴重な資料から、賢治作品を世に広めようと尽力した功労者の軌跡を知ることができる。
 同市太田の高村光太郎記念館に数十点の資料が並ぶ。見どころは童話や詩を集約した4種類の全集計28冊で、珍しい初版も含まれる。企画展を主催した市によると、全集をまとめて披露するのは初の試み。初版は数が少なく、劣化もあり、一般の人が目にするのは貴重な機会という。
 展示資料で光太郎が全集の題字などをデザインしたと解説。編集に関わった賢治の実弟・清六と親友・藤原嘉藤治(かとうじ)のやりとりを記す書簡の複製には、方言を分かりやすく言い換えようとしていた記録などが残り、当時の思いに触れることができる。
 光太郎関連の事業に取り組む同市の合同会社「やつかの森」が協力。藤原正代表は「彫刻家の光太郎がこだわったデザインを見てほしい。賢治のために力を添えたことはあまり知られていない」と説明する。
 同社によると、戦争空襲で宮沢家を頼り、同市旧太田村に疎開した光太郎が、賢治作品を高く評価していたという。
 3月31日まで。午前8時半~午後4時半。期間中無休。入館料は一般350円、高校生・学生250円、小中学生150円。
 2月21日は同市大通りのなはんプラザで、全集をテーマにしたトークショーを開催。全国で光太郎の顕彰活動を行う小山弘明さん=千葉県香取市=らを招く。問い合わせは市生涯学習課(0198・41・3587)へ。

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記事を書かれたのが新人記者氏だそうで、いろいろ突っ込みどころがあるのですが(光太郎が疎開したのは花巻町中心街の宮沢家で太田村には戦後になってから移ったとか、当方は「全国で顕彰活動」というわけではないとか)、大きく取り上げて下さったのはありがたいところです。

ところで記事終末にある関連行事としてのトークイベントのフライヤーが完成したそうで、載せておきます。
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足をお運びくださらば幸甚に存じます。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)25 『をぢさんの詩』

昭和18年(1943)11月3日 武蔵書房 高村光太郎著
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目次
 序 
さくら 軍艦旗 こどもの報告 カタバミの実 約束 路ばた 迎火 少年に与ふ
 少女に 少女立像 五月のうた 少女の思へる 少女よ こころに美をもつ 変貌する女性
 新しき日に 逞しき一念 手紙に添へて 与謝野夫人晶子先生を弔ふ 山道のをばさん
 女性はみんな母である わが大空 新穀感謝のうた 歩くうた 鬱勃たる健康
 私は青年が好きだ 神の如く行へ みなもとに帰るもの 純潔のうた 四月の馬場
 新緑の頃 みかきにしん 漁村曙 仕事場にて 神これを欲したまふ さかんなるかな造船
 供木のことば 無口な船長 春駒 氷上戯技 大きな嚔 晴天に酔ふ 初夏言志
 
先生山を見る 偶成二首 蝉を彫る 提督戦死

青少年向けとして編まれた翼賛詩集です。交流のあった詩人の高祖保が編纂に当たってくれました。高祖には申し訳ありませんが、平易な口調で書かれた詩が多く、それだけにかえってグロテスクさが際立ちます。「これこそが光太郎詩の精髄、真髄、真骨頂」と涙を流さんばかりにありがたがる意味不明のあんぽんたんがいて困っているのですが……。

1月21日(水)の『朝日新聞』さん一面コラム「天声人語」。光太郎詩「冬が来た」(大正2年=1913)と「道程」(同3年=1914)を引いて下さいました。

(天声人語)きつぱりと冬が来た

「冬が来た」と題した詩を、高村光太郎が編んでいる。それは〈きつぱりと冬が来た〉と始まる。〈八つ手の白い花も消え/公孫樹の木も箒になつた〉。ご存じの方も多いだろう。あの有名な詩〈僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る〉と同じ詩集に載っている▼寒い冬が、やって来た。きのうは大寒の入りだった。1年で、もっとも冷え込みが厳しい時期とされる。実際に今週、強い寒気が列島に流れ込み、しばらく居座るようだ▼名著『風土』で、和辻哲郎は寒さと冷たさについて考察している。乾いた西欧の冬に、冷たい空気はあっても、身に沁みるような寒さはない。湿潤な日本の冬と違って「人間を委縮させずにはおかないような、暴圧的な寒さはない」と論じた▼思い出すのは、かつて駐在した旧満州の地、中国東北部の乾燥した冬だ。零下30度にもなる冷気は寒さというより、痛みだった。ゾクッとしたときはもう手遅れとも言われた。見えない何かに体が蝕(むしば)まれる恐怖である▼土地の人は“先”に注意するよう教えてくれた。耳の先、手や足の先、頭の先。そういえば「冷たい」の語源は「爪痛し」との説がある。靴下を重ね、手袋をはめ、人は丸くなって、じっと、待つ。天地の道、極まれば則(すなわ)ち反(かえ)ると唱えながら、春を待つ▼高村は書く。〈ああ、自然よ/父よ/僕を一人立ちにさせた広大な父よ/僕から目を離さないで守る事をせよ〉。近所にある梅の木に目をやれば、その枝に、ぷくりとした芽がゆれていた。

まったくこの冬の寒さは厳しく感じられます。ひと頃、毎年のように暖冬だと言われていた時期は何だったんだろうという感じです。まぁ、これが本来の自然の姿なのでしょうが。

自宅兼事務所のある比較的温かな千葉県の北東部でも、既に2回降雪がありました。最初は1月2日(金)から翌日未明にかけて。
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この時は4~5㌢の積雪。それから一昨日も、朝起きたらうっすらと屋根に積もっていました。どうもまだ降るような気がしています。「カマキリが高い場所に卵を産むとその冬は積雪が多い」という俗信があり、そのとおり昨秋、2階のベランダの外壁に産卵したカマキリがいまして。
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それにしても、雪国の皆さんのご苦労はいかばかりかと存じます。ご自愛下さい。

しかし、冬至を過ぎて一ヶ月、確実に陽光は春近しの感を呈してきました。もう少しの辛抱ですね。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)24 『随筆 某月某日』

昭和18年(1943)4月20日 龍星閣 高村光太郎著
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目次
 十二月八日の記 子供の頃 美術学校時代 姉のことなど 母のこと ロダンの手記談話録
 某月某日 七月の言葉 一夏安居の弁 詩の深さ 中央協力会議の印象
 芸術による国威宣揚 美の力 戦時下の芸術家 某月某日 美術館の事その他 戦時の文化
 間違のこと 自作肖像漫談 春さきの好物 雷ぎらひ 普遍と独白 しやつくり病
 上野の現代洋画彫刻 某月某日 三十年来の常用卓 某月某日 ほくろ 悠久山の一本欅
 谷中の家 某月某日 蟻と遊ぶ 豊島与志雄氏著「猫性語録」 小感 某月某日
 がんがん三つ口 新茶の幻想 

光太郎初の随筆集です(一部、随筆と言うより評論と言った方が良いものも含みます)。タイトルの「某月某日」は、その題で『改造』、『歴程』、『知性』、『帝国大学新聞』に寄稿していて、そこから採りました。他もすべて新聞、雑誌等への寄稿からの転載で、書き下ろしは含まれません。

版元は『智恵子抄』と同じ龍星閣。おそらく、光太郎の美術評論集『美について』(道統社)と『造型美論』(筑摩書房)が相次いで刊行され、それなりに好評だったため、社主の沢田伊四郎が、それなら随筆集もと思い立ったのではないかと考えられます。

同年10月の第2刷から函がカバーに代わり、昭和19年(1944)の第3刷まで確認出来ています。計45,000部が刊行されました。

都内での演奏会情報です。さまざまなコンテンツの用意された「都民音楽フェスティバル」の一環として開催されます。
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日本の歌・シリーズNo.4 日本のうた~歌曲集への誘い

期 日 : 2026年1月30日(金)
会 場 : 東京文化会館小ホール 台東区上野公園5-45
時 間 : 18:15開場/19:00開演
料 金 : 指定席 3,000円 学生割引(U-25):指定席 2,000円
      ハート割引(障害者手帳をお持ちの方):指定席 1,500円

曲 目 : 團伊玖磨:五つの断章 木下牧子:花のかず
      畑中良輔:八木重吉による五つの歌 山田耕筰:幽韻 別宮貞雄:智恵子抄
出 演 :
盛田麻央 Mao Morita/ソプラノ
国立音楽大学院修了。パリ・エコール・ノルマル音楽院、パリ国立高等音楽院修士課程を修了。第12回東京音楽コンクール第2位など。オペラやコンサートに多数出演。二期会会員、国立音楽大学非常勤講師。

紀野洋孝 Hirotaka Kino/テノール
東京藝術大学卒業。宗次エンジェル基金/(公社)日本演奏連盟奨学生として同大学院修士課程を修了。日本歌曲の研究で同大学院博士課程を修了。博士号(音楽)取得。日本トスティ歌曲コンクール2015第2位。令和元年度奏楽堂日本歌曲コンクール第2位。

松浦宗梧 Shugo Matsuura/バリトン
福島県伊達市出身。東京音楽大学声楽専攻卒業。新国立劇場オペラ研修所第25期修了。第36回奏楽堂日本歌曲コンクール歌唱部門 第2位、畑中良輔賞を受賞。オペラ・歌曲の分野で幅広いレパートリーを活かして活動中。声楽を菅野宏昭、阿部絵美子に師事。

森裕子 Yuko Mori/ピアノ
東京藝術大学附属高校、同大学、同大学院修了。シュトゥットガルト音大でソロと歌曲伴奏法を学ぶ。奏楽堂日本歌曲コンクール優秀共演者賞、日本音楽コンクール木下賞(共演賞)。東京藝術大学非常勤講師。日本演奏連盟正会員。
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故・別宮貞雄氏作曲の歌曲集「智恵子抄」がプログラムに入っています。おそらく全9曲「Ⅰ 人に」「Ⅱ  深夜の雪」「Ⅲ 僕等」「Ⅳ 晩餐」「Ⅴ あどけない話」「Ⅵ 人生遠視」「Ⅶ 千鳥と遊ぶ智恵子」「Ⅷ 山麓の二人」「Ⅸ レモン哀歌」が演奏されるのではないかと思われます。

歌われるのは紀野洋孝氏。実演以外にも日本歌曲の研究で東京藝術大学さんの大学院博士課程を修了なさった方ですが、その際に取り上げたのが別宮氏の「智恵子抄」だったそうです。これまでも同曲集をさまざまな機会で歌われたり、CDに組み入れたりされています。

令和元年度奏楽堂日本歌曲コンクール入賞記念コンサート。
第二回 掬月会。

CDも含め、そのほとんどの機会で伴奏を務められた森裕子氏が今回もピアノを弾かれます。同曲集、言葉を大切にしつつ抒情的なメロディーで紡がれ、また全9曲を通してのドラマティックな展開が印象的な作品です。

紀野氏からご案内を頂いたのですが、その日は先約が入っており、伺えません。代わりに、というと何ですが、皆様、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)23 『智恵子抄』第9刷

昭和18年(1943)4月20日 龍星閣 高村光太郎著
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目次
 人に             明治四十五年七月
 或る夜のこころ        明治四十五年八月
 おそれ            明治四十五年八月
 或る宵            大正元年十月
 郊外の人に          大正元年十一月
 冬の朝のめざめ        大正元年十一月
 深夜の雪           大正二年二月
 人類の泉           大正二年三月
 僕等             大正二年十二月
 愛の嘆美           大正三年二月
 晩餐             大正三年四月
 樹下の二人          大正十二年三月十一日
 狂奔する牛          大正十四年六月十七日
 鯰              大正十五年二月五日
 夜の二人           大正十五年三月十一日
 あなたはだんだんきれいになる 昭和二年一月六日
 あどけない話         昭和三年五月十日
 同棲同類           昭和三年八月十六日
 美の監禁に手渡す者      昭和六年三月十二日
 人生遠視           昭和十年一月二十二日
 風にのる智恵子        昭和十年四月二十五日
 千鳥と遊ぶ智恵子       昭和十二年七月十一日
 値ひがたき智恵子       昭和十二年七月十二日
 山麓の二人          昭和十三年六月二十日
 或る日の記          昭和十三年八月二十七日
 レモン哀歌          昭和十四年二月二十三日
 荒涼たる帰宅         昭和十六年六月十一日
 亡き人に           昭和十四年七月十六日
 梅酒             昭和十五年三月三十一日
 うた六首                         
 智恵子の半生         昭和十五年九月
 九十九里浜の初夏       昭和十六年五月
 智恵子の切抜絵        昭和十四年一月

内容的にはそれまでの版と同一ですが、昭和16年(1941)の初版以来、そのままとなっていた誤植を訂正し、全面的に改版がなされました。

かつて光太郎自筆の正誤表を挟んだ初版が市場に出たことがありましたが、これらがすべて反映されています。
智恵子抄正誤表

「智恵子抄」オマージュの作品も展示される写真展です。

UNBOUND#2

期 日 : 2026年1月24日(土)・25日(日)
会 場 : MIL gallery 渋谷区神宮前4-25-28 2F
      MIL 2nd      渋谷区神宮前4-25-29 2F  
時 間 : 1/24 12:00~21:00 1/25 9:00~11:00
料 金 : 無料

いわゆる裏原宿(ウラハラ)。圧巻の56名の作品が展示されます。MIL GallaryとMIL 2ndは隣り合わせです。どなたでもお気軽にお立ち寄りください。

主催者X投稿より

写真が好きな人も、展示は久しぶりな人も、たまたま通りかかった人も。

56人の写真家が、それぞれの「今」を持ち寄る展示UNBOUND #2 を開催します。ジャンルも、撮り方も、距離感もばらばら。だからこそ、きっと一枚くらい、自分の感覚に引っかかる写真があると思います。この展示は、僕自身が「今の写真の面白さ」をちゃんと見たくて、そして、ちゃんと誰かに届けたくてスタートしました。ありがたいことに前回は多くの人が足を運んでくれて、「来てよかった」「思ってたよりずっと良かった」そんな声をたくさんもらいました。

気負わずで大丈夫です。ふらっと入って、数枚見て、出ていくだけでもいい。でももし時間があれば、 
少しだけゆっくり見ていってください。56通りの「今」の中に、あなたの感覚と重なる一枚がきっとあります。
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昨年11月、福岡で開催されたポートレート展「Fixtyle Portrait Fukoka 8th」に、やはり「智恵子抄」インスパイアの作品で参加されたYasuyuki Ibaraki氏という方が、同一の作品を出品なさるようです。
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さすがに福岡は遠いな、と、昨年は欠礼しましたが、ありがたいことに都内での開催ということで、これは行かざぁなるめい、です。ついでというと何ですが、他にも展覧会のハシゴをして参ります。

皆様もぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)22 『詩集 大いなる日に』

昭和17年(1942)4月20日 道統社 高村光太郎著
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目次
 序 秋風辞 夢に神農となる 老耼、道を行く 天日の下に黄をさらさう 若葉 地理の書
 その時朝は来る 群長訓練 正直一途なお正月 初夏到来 事変二周年 君等に与ふ
 銅像ミキイヰツツに寄す 紀元二千六百年にあたりて へんな貧 源始にあり ほくち文化
 最低にして最高の道 無血開城 式典の日に 太子筆を執りたまふ われら持てり
 強力の磊塊たれ 事変はもう四年を越す 百合がにほふ 新穀感謝の歌 必死の時
 危急の日に 十二月八日 鮮明な冬 彼等を撃つ 新しき日に 沈思せよ蒋先生
 ことほぎの詞 シンガポール陥落 夜を寝ざりし暁に書く 昭南島に題す

『道程』(大正3年=1914)、『智恵子抄』(昭和16年=1941)に続く第3詩集です。ほぼ全編これ翼賛詩で、前年の『智恵子抄』とのあまりのギャップは、知らない人が読んだらとても同一人物の詩集とは思えないほどといえるでしょう。

しかし、元々ここに収められた詩篇は『智恵子抄』収録の珠玉のそれと並行して書かれていたものです。戦後の詩「元素智恵子」の中では、「うちに智恵子の睡る時わたくしは過ち/耳に智恵子の声をきく時わたくしは正しい」と書きました。これらの詩篇を書いていた時が「うちに智恵子の睡る時」だったのでしょう。

『智恵子抄』には実に色々な側面がありますが、そのうちの一つとして、次のような面もあったのではないかと考えます。すなわち、智恵子との日々を一冊の詩集にまとめることで、それを総括し、またそうした日々への訣別を宣言するという意味合い。

そして俗世間との関わりを極力避けて、芸術精進に生きようとした智恵子との生活が智恵子の心を病ましめたという反省、悔恨から、180度方向を転換し、自ら積極的に世の中と交わる方面に舵を切りました。もしかすると、そうでもしないと智恵子を失った空虚な自分も心を病むという危機感があったかもしれません。

そうした内面がよく表されているのが、収録されている「最低にして最高の道」(昭和15年=1940)です。戦時アトリエ前ピン

   最低にして最高の道
 
 もう止さう。
 ちひさな利慾とちひさな不平と、
 ちひさなぐちとちひさな怒りと、
 さういふうるさいけちなものは、
 ああ、きれいにもう止さう。
 わたくし事のいざこざに
 見にくい皺を縦によせて
 この世を地獄に住むのは止さう。
 こそこそと裏から裏へ
 うす汚い企みをやるのは止さう。
 この世の抜駆けはもう止さう。
 さういふ事はともかく忘れて
 みんなと一緒に大きく生きよう。
 見えもかけ値もない裸のこころで
 らくらくと、のびのびと、
 あの空を仰いでわれらは生きよう。
 泣くも笑ふもみんなと一緒に
 最低にして最高の道をゆかう。

道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント、ミレットキッチン花(フラワー)さんが毎月15日に限定10食で出品している弁当「光太郎ランチ」。今年最初の販売が行われました。
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メニューはぶり大根、揚げじゃがいもの甘辛煮、菜花のおひたし、切干大根の酢の物、卵焼き、そば粉クレープ、赤飯、芋羊羹とのこと。

そば粉をパン状にするのは光太郎がよく行っていた調理法です。他も基本的に光太郎日記等から作った料理や使った食材を参考にし、現代風にアレンジしています。メニュー考案やリーフレットの作成はやつかの森LLCさんです。

令和2年(2020)10月から販売が始まり、もう5年以上です。できうるかぎり続けていただきたいものです。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)21 『造型美論』

昭和17年(1942)1月26日 筑摩書房 高村光太郎著
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目次
 素材と造型
 造型小論
  彫刻に何を見る ミケランジエロの彫刻写真に題す 蝉の美と造型 ロダンの素描
  鷗外先生の「花子」 木彫地紋の意義 仏画賛 彫刻性について 展覧会偏重の弊 手
  能面の彫刻美 九代目団十郎の首 本面について アンドレ ドラン 彫刻十箇條
 現代の彫刻
 印象主義の思想と芸術

大正4年(1915)刊行の『印象主義の思想と芸術』、昭和8年(1933)刊行の『現代の彫刻』全文、それから共著で刊行された書籍の光太郎担当部分、さらに前年刊行の『美について』に洩れていた雑誌等に発表した評論などを集めて一冊にしたものです。

昭和18年(1943)の第四刷まで確認出来ています。物資不足が深刻化しつつあり、第四刷ではそれまでの函が無くなり、代わりにカバー装となりました。

光太郎第二の故郷・岩手花巻から。

まずは1月15日(木)発行の『広報はなまき』。毎月15日発行分には最終ページに「花巻歴史探訪[郷土ゆかりの文化財編]」という連載が為されており、市の施設などに所蔵されている逸品の数々が紹介されています。光太郎に関しても時折取り上げられ、今号も。
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一昨年にご遺族から市に寄贈された、与謝野晶子の弟子にして主に第二期『明星』に依った歌人の中原綾子に宛てた光太郎書簡のうちの一通です。

歌人・中原綾子宛のはがき 太田村山口から発出

 彫刻家で詩人として知られる高村光太郎。昭和20年4月の空襲で東京のアトリエを失った光太郎は、同年5月、宮沢賢治の実家に疎開しました。敗戦後の同年10月には、太田村(当時)の山口地区に移住し、粗末な山小屋(現在の高村山荘)で7年間一人暮らしをしました。
 このはがきは、昭和26年3月に、光太郎が歌人・中原綾子宛てに2枚続けて出したはがきの1枚です。肋間(ろっかん)神経痛に悩まされ、1カ月ほど花巻病院長宅や温泉で療養したことが書かれています。花巻病院長とは、宮沢賢治の主治医でもあった佐藤隆房のことです。佐藤は、光太郎の花巻疎開にも尽力し、光太郎没後は財団法人高村記念会を設立。光太郎が住んだ「高村山荘」の保存と光太郎の顕彰に力を注ぎました。
 使われているのは昭和26年の年賀はがきですが、光太郎は3月に使っています。ちなみに、お年玉くじ付き年賀はがきは、昭和25年から始まりました。

◎特別展「中原綾子への手紙」
 ■会期…2月28日(土)まで
《同時開催》 ◎高村光太郎花巻疎開80年企画展「光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」
 ■会期…3月31日(火)まで


記事にあるとおり、花巻高村光太郎記念館さんで特別展「中原綾子への手紙」が開催中ですが、寄贈された書簡がかなりの量なので、4期に分けての展示です。今回紹介されたものが現在出ているかどうかは不明です。

ちなみに文面は以下の通り。001

おてがみ忝くいただきました。小生今冬
は旧臘おしせまつてから肋間神経痛と
いふものにやられ、中々ひどく字も書けない
位でした。それで一カ月近く、山を不在に
して花巻病院長私宅や温泉に行つて
ゐました。山に帰つてからも痛みはまだ
治らず、雪道歩行困難なので引籠つて
ゐます。不在中の郵便物山積、整理
もつかず、又筆とるのが苦手なので爾
来諸方に御無音失礼してゐます。
御恵贈の小包はたしかに年末年始の頃
無事落手しまして、いろいろ珍らしくいた
だきましたが、発病当時の事とて、つい
其由申上げずにそのままだつたものと思へます
ツヅク

この年の光太郎は結核性の肋間神経痛に悩み、それまで行っていた農作業もほぼ放棄するほど症状が悪化していました。ただ、翌年になると小康状態を得ることになります。 「花巻病院長」は佐藤隆房。宮沢賢治の主治医で、その詩「S博士に」のモデルとしても知られています。宮沢家ともども光太郎の花巻疎開に尽力、宮沢家が昭和20年(1945)8月10日の花巻空襲で全焼した後、郊外旧太田村に移るまで約1ヶ月間、光太郎を自宅離れに仮寓させてもくれました。「温泉」は隣村・湯口村(現・花巻市)の大沢温泉さんです。

同展についてはこちら。

花巻レポート 高村光太郎記念館特別展「中原綾子への手紙」他。
『広報はなまき』8月15日号。
東北地方紙記事等。

寄贈された書簡の全文を翻字し、画像や解説をつけて図録的な書籍として出版する企画が進行中です(執筆を担当しています)。2度ほどゲラの確認を致しましたが、翻字にしても解説文にしても我ながら誤字脱字が多く「バカか、お前は」と自分で自分を叱りたくなっております(笑)。wordで原稿を作成したのですが、普段使い慣れていないせいかもしれません。そちらに関してはまた改めてご紹介いたします。

さて、特別展「中原綾子への手紙」、2月28日(土)までです。同時開催の「光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」ともども、よろしくお願い申し上げます。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)20 『美について』

昭和16年(1941)8月20日 道統社 高村光太郎著
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目次
 詩精神 国民的美意識 芸術と国民生活 永遠の感覚 奉祝展に因みて 彫刻家の場合
 美の健康性 芸術上の良知 自分と詩との関係 肖像雑談 言葉の事 美 書について
 気について 比例均衡 美意識について 小刀の味 彫刻新人展評 一彫刻家の要求
 詩人の知つた事ではない 日本語の新しい美 七つの芸術 童謡、民謡、小唄 冬二題
 触目いろいろ 生きた言葉 触角の世界 楽聖をおもふ 日本工業美術界に望む 
 彫刻的なるもの 或る音の幻想 自刻木版の魅力 美の立場から 裸体画について 家
 彫刻鑑賞の第一歩 バーナード・リーチを送る 芸術鑑賞その他 ホヰトマンのこと
 岩石のやうな性格 ロダン逝く 芸術雑話 ガツトソン・ボーグラム先生 芭蕉寸言

さまざまな雑誌等に発表された美術評論、文芸評論の集成で、奥付に依れば『智恵子抄』と同じ日の刊行です。昭和17年(1942)8月31日の第10版まで確認できています。手持ちのものは昭和16年(1941)9月15日の2刷です。

目次部分に誤植が多く、「日本語の新しい美」は「日本語の新しい美を」と「を」が抜けていますし、「ホヰトマン」は「ホヰツトマン」、また、「触角」は「触覚」です(光太郎は昆虫ではありません(笑))。

昨日朝、NHK Eテレさんで放映の「アートシーン」で紹介され、知った次第です。
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KeMCo新春展2026「馬の跳ねる空き地」

期 日 : 2026年1月8日(木)~2月7日(土)
会 場 : 慶應義塾ミュージアム・コモンズ 東京都港区三田2-15-45
時 間 : 11:00~18:00
休 館 : 土日祝 特別開館 1月24日(土)、2月7日(土)臨時休館 1月26日(月)
料 金 : 無料

 2026年の干支は「午(うま)」。古来より、馬はその力強さ、美しさによって、移動・輸送から狩猟・農耕、娯楽まで、さまざまな場面で文明の発展を支えてきました。新年の幕開けを飾る本展覧会では、慶應義塾の多様なコレクションから、馬にまつわる稀覯本(きこうぼん)、絵巻物、浮世絵、埴輪など多様な作品を一堂に集め、馬と人との永い関係をたどり、改めてその魅力に迫ります。
 また、特別企画として、慶應義塾ゆかりのさまざまな芸術家が手掛けた、慶應義塾幼稚舎内雑誌『仔馬』の表紙原画もあわせてご紹介いたします。

主な出品作品
 『ポリグラフィア』、ヨハネス・トリテミウス著、1561年、慶應義塾図書館
 『ラテン語時禱書』、1480年頃、西洋中世写本コレクション、慶應義塾図書館
 二重橋楠公銅像、楊斎延一画、1899年、ボン浮世絵コレクション、慶應義塾図書館
 馬形埴輪、古墳時代後期、文学部民族学考古学専攻
 「ギバサン(四季のための二十七晩)」舞台写真、小野塚誠撮影、個人蔵
 『仔馬』、慶應義塾幼稚舎(撮影:村松桂(株式会社カロワークス))
 仔馬、岡本太郎、1965年、慶應義塾幼稚舎
 「『じゃじゃ馬馴らし』マーティン・ハーヴェイとN・デ・シルヴァ主演 プリンス・オブ・ウェールズ劇場」、小山内演劇絵葉書コレクション、慶應義塾図書館
 熊野新宮神宝図、宇治田忠郷撰、寛政6年(1794)、慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)
 群馬図、雲渓永怡筆、室町時代、常盤山文庫(慶應義塾寄託)
 アキレウスとヘクトール、ハンス・ゼーバルト・ベーハム作、 1518-30年頃、慶應義塾
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「主な出品作品」、そしてフライヤーに皇居前広場の「楠正成像」を描いた錦絵(明治32年=1899)。東京美術学校として請け負い、光太郎の父・光雲が主任となって制作されたものです。
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描いたのは楊斎延一。明治期の浮世絵師です。

同じ三枚組の「西郷隆盛像」も手がけ、そちらは江戸東京博物館さんに収蔵されており、同館が改修中だった一昨年には上野の東京都美術館さんで開催された「館外展示 出張!江戸東京博物館」で展示されました。
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当方、そちらをあしらったクリアファイルを所持しております。
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昨日の「アートシーン」で気づき、知っていれば1月17日(土)の上京時に行ったのに、と思ったのですが、土日祝は休館ということで、結局だめでした。

他に馬にまつわる内外の考古資料や古典籍、江戸期の絵巻、岡本太郎の書、さらには手塚治虫の『リボンの騎士』まで出ています。

ぜひ足をお運びください。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)19 『詩集 智恵子抄』

昭和16年(1941)8月20日 龍星閣 高村光太郎著
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目次
 人に             明治四十五年七月
 或る夜のこころ        明治四十五年八月
 おそれ            明治四十五年八月
 或る宵            大正元年十月
 郊外の人に          大正元年十一月
 冬の朝のめざめ        大正元年十一月
 深夜の雪           大正二年二月
 人類の泉           大正二年三月
 僕等             大正二年十二月
 愛の嘆美           大正三年二月
 晩餐             大正三年四月
 樹下の二人          大正十二年三月十一日
 狂奔する牛          大正十四年六月十七日
 鯰              大正十五年二月五日
 夜の二人           大正十五年三月十一日
 あなたはだんだんきれいになる 昭和二年一月六日
 あどけない話         昭和三年五月十日
 同棲同類           昭和三年八月十六日
 美の監禁に手渡す者      昭和六年三月十二日
 人生遠視           昭和十年一月二十二日
 風にのる智恵子        昭和十年四月二十五日
 千鳥と遊ぶ智恵子       昭和十二年七月十一日
 値ひがたき智恵子       昭和十二年七月十二日
 山麓の二人          昭和十三年六月二十日
 或る日の記          昭和十三年八月二十七日
 レモン哀歌          昭和十四年二月二十三日
 荒涼たる帰宅         昭和十六年六月十一日
 亡き人に           昭和十四年七月十六日
 梅酒             昭和十五年三月三十一日
 うた六首                         
 智恵子の半生         昭和十五年九月
 九十九里浜の初夏       昭和十六年五月
 智恵子の切抜絵        昭和十四年一月

意外といえば意外ですが、『道程』(大正3年=1914)に次ぐ第二詩集です(『道程』改訂版を除く)。

龍星閣主・沢田伊四郎の発案で編まれ、それまでの全作品の中から、智恵子に関わるものの抄出ということで、「抄」の一字が附されました。ただ、ここに収められなかった智恵子関連の文筆作品はけっこうあります。作品の選択はほぼ光太郎の意志に依ったものと思われますが、連続性などを意識してのことのようです。

例えば智恵子に語りかける口調で書かれた詩の間に、そうでない客観描写の作品を挟むというようなことは光太郎が避けました。そのため、日比谷松本楼での一コマを謳った「涙」(大正元年=1912)などは割愛されています。

短歌も「うた六首」、それから「樹下の二人」に附された「みちのくの安達ヶ原の……」以外にも智恵子モチーフの作が複数あるのですが、採用されませんでした。短歌の方は詩と異なり、手控えの原稿を残していなかったからかもしれません。

太平洋戦争開戦直前に出版されたこの『智恵子抄』、冒頭の「いやなんです/あなたのいつてしまふのが――」に戦時の女性らは出征する男性たちに対する自らの思いを重ね合わせ、男性陣は残された恋人がそう思ってくれているであろうとの思いを胸に戦地に赴きました。

一人の女性に対する愛を一冊にまとめた我が国では前例のなかったこの詩集は、そうした世相も背景に広く世に受け入れられ、戦時にも関わらず、版元の龍星閣が休業を余儀なくされる昭和19年(1944)までの間に13刷まで版を重ねました。

昨日は今年初めて上京し、新宿のSOMPO美術館さんで「開館50周年記念 モダンアートの街・新宿」を拝見して参りました。
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ちなみに同館を訪れるのは平成16年(2004)の「高村光太郎展 彫刻、絵画、書――「いのち」の造型」展以来、21年半ぶりでした。
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今回は、近代美術の発信地の一つとして大きな役割を担うこととなった新宿界隈に焦点を当てるもので、そこに文学とのからみも語られ、総合的にとらえようという試みでした。

まずエレベータで5階へ。そこから4階、3階と下る順路となっている、よくあるパターンでした。まずは「ⅰ章 中村彝と中村屋 ルーツとしての新宿」。光太郎の親友だった碌山荻原守衛の小品2点「灰皿」と「香炉」(撮影禁止)が、いきなり最初にお出迎え。
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その後は守衛同様、中村屋サロンの主要メンバーで新宿にアトリエを構えた中村彝が中心でした。

その流れで「コラム1 文学と美術」。
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白樺派が大きく取り上げられ、ロダンや武者小路実篤、岸田劉生などが語られます。光太郎は中村屋サロンとともに白樺派の一員でもありました。右上は光太郎も寄稿した『白樺』第1巻第8号ロダン号(明治43年=1910)。

ここにフォービズムの影響を色濃く受けた光太郎の自画像(大正2年=1913)。
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同じ新宿の中村屋サロン美術館さんの所蔵で、同館の常設展示(コレクション展)にしょっちゅう出ているのですが、考えてみるとそちらに最近足を運んで居らず、久々に拝見しました。

光太郎とも交流のあった美校の後輩にして歌人の宮柊二の叔父・宮芳平の「歌」(大正4年=1915)。宮は中村彝に師事した画家でした。
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大正3年(1914)、美校在学中の宮は文展に出品するも落選。すると、宮は審査員だった森鷗外の観潮楼(光太郎アトリエ兼住居の近くです)に乗り込んで、なぜ落選だったのかと問い詰めるという暴挙に出ました。結局、鷗外にうまいこと言いくるめられて(笑)矛先を収め、以来、鷗外と個人的に交流するようになるのですが。そのあたり、鷗外の短編小説「天寵」に語られています。ちなみに今回の出品作「歌」も文京区立森鷗外記念館さんからの借り受けです。
無題
その「天寵」が載った『ARS』の創刊号(大正4年=1915)。光太郎も『ロダンの言葉』の一部を寄稿しています。
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『ARS』といえば、版元の阿蘭陀書房は北原白秋の実弟・鉄雄が社主。まさに「文学と美術」が現出されている一角でした。同様に、光太郎と親しかった岸田劉生による、これまた光太郎の盟友の一人・武者小路実篤の肖像(大正3年=1914)。
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ネットや各種書籍によく画像が載っているのですが、東京都現代美術館さんの所蔵だそうで、そうだったのか、という感じでした。

ⅱ章は「佐伯祐三とパリ/新宿 往還する芸術家」、ⅲ章が「松本竣介と綜合工房 手作りのネットワーク」。松本も光太郎と交流があり、解説パネルにその旨記述がありました。ありがたし。
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そして今回のフライヤーやポスターに使われている目玉作品「立てる像」(昭和17年=1942)。過日ご紹介したパナソニック汐留美術館さんでの「美しいユートピア 理想の地を夢みた近代日本の群像」展では、こちらの下絵がフライヤーに使われています。松本も最近またあちこちで取り上げられる機会が増えてきたように感じています。

最後は現代につながる展示となり、終了。

昨日は開幕して間もない休日ということで、けっこう賑わっていました。皆様もぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)18 『道程』改訂普及版

昭和15年(1940)11月20日 山雅房 高村光太郎著
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目次
 道程
  失はれたるモナ・リザ  明治四十三年十二月十四日
  画室の夜        明治四十四年一月十二日
  寂寥                       明治四十四年三月十三日
  声           明治四十四年五月二十日
  新緑の毒素       明治四十四年六月十一日
  はかなごと
  地上のモナ・リザ    明治四十四年七月六日
  父の顔         明治四十四年七月十二日 
  泥七宝         明治四十四年七月――翌年六月
  ――に         明治四十五年七月二十一日
  或る夜のこころ     大正元年八月十八日
  おそれ
  犬吠の太郎       大正元年九月二十六日
  さびしきみち      大正元年十月八日
  梟の族         大正元年十月二十日
  或る宵         大正元年十月二十三日
  郊外の人に       大正元年十一月二十五日
  冬の朝のめざめ     大正元年11月三十日
  戦闘          大正元年十二月十四日
  人に          大正二年二月十八日
  人類の泉        大正二年三月十五日
  山           大正二年十一月四日
  冬の詩         大正二年十二月六日
  牛           大正二年十二月七日
  僕等          大正二年十二月九日
  道程          大正三年二月九日
  愛の嘆美        大正三年二月十二日
  婚姻の栄誦       大正三年三月六日
  万物と共に踊る     大正三年三月九日
  瀕死の人に与ふ     大正三年三月十四日
  晩餐          大正三年四月二十五日
  五月の土壌       大正三年五月十六日
  秋の祈         大正三年十月八日
 道程 以後
  わが家         大正五年
  小娘          大正六年
  無為の白日
  海はまろく
  雨にうたるるカテドラル 大正十年十月
  沙漠
  クリスマスの夜     大正十一年一月
  冬の送別        大正十一年四月
  五月のアトリエ     大正十一年五月
  ラコツチイ・マアチ   大正十一年十一月
  落葉を浴びて立つ    大正十一年十一月
  樹下の二人       大正十二年三月
  鉄を愛す        大正十二年五月
  氷上戯技
  珍客
  葱
  車中のロダン      大正十四年
  後庭のロダン      大正十四年二月
  十大弟子        大正十五年
  聖ジヤンヌ       大正十五年
 猛獣篇 時代
  清廉          大正十三年十二月
  傷をなめる獅子     大正十四年
  狂奔する牛
  鯰           大正十五年
  苛察          大正十五年
  雷獣          大正十五年六月
  龍           大正十六年
 【編纂者の言葉】 三ツ村繁蔵

奥付では「百五十部限定版」「書店版」と同じく昭和15年(1940)11月20日となっていますが、実際には昭和16年(1941)4月25日に「普及版」が出されました。「書店版」にあった函は廃され、カバー装になりました。以後、版型やカバーデザインを変えつつ昭和18年(1943)までに9刷を重ねました。

手持ちのものは昭和17年(1942)10月20日の8版。カバー無しの裸本ですが、見返しに編集者兼詩人だった小池吉昌宛の献呈署名が書かれています。コレクションの中で唯一の光太郎署名本です。あまり署名や識語の有無にこだわらないのですが、一冊くらいあっても良いかな、と購入しました。

重版の裸本で、蔵書印や書き込みもあり、そうなると市場価値は500円~1,000円というところですが、サイン入りということで、たしか18,000円くらいで入手しました。ほとんどサイン代です(笑)。

「智恵子抄」、「ほんとの空」の語を使われてしまっては、紹介しないわけに参りません(笑)。

【東京開催】二本松市移住出張相談会

期 日 : 2026年1月18日(日)
会 場 : ふくしまぐらし相談センター窓口 千代田区有楽町2-10-1東京交通会館8F
時 間 : 10時30分~17時00分 ※ご相談1回あたり約45分×6回
料 金 : 無料

二本松市移住出張相談会とは
 「ふくしま市町村出張相談デスク」として、二本松市の移住担当職員と福島県の移住相談員(※)がタッグを組み、皆さんの移住などに関する相談を受け付ける1日だけの相談会です。
※福島県が東京有楽町に設置する移住相談窓口「ふくしまぐらし相談センター」の相談員。

 移住って何から始めればいいの・・・という移住全般の相談から、移住してから不安なこと、市町村に住んでいないとわからないリアルなことなど・・・移住生活に興味はあるけれど具体的にイメージできない方、移住に向けて一歩踏み込んだ話をしたい方など、ぜひこの機会にお気軽にご相談ください。

福島県二本松市はこんなところです
 首都圏から新幹線で約2時間程度。「智恵子抄」で詠われた『ほんとの空』が広がる二本松市は城下町として栄え、温泉や里山など田舎暮らしをしたい方の望むものが揃う一方、病院や公園などの遊び場も多く、子育て世帯も住みやすい街です。福島県の中でも、県庁所在地である福島市と、人が多く集まる商業都市である郡山市のちょうど中間地点に位置しており、利便性にも優れています!

ご相談内容の例
 地域おこし協力隊制度・募集情報のご紹介
 二本松市での暮らし、仕事、住まいについてのご相談
 具体的な移住支援制度についてのご紹介
 子育て支援についてのご案内
 移住された方の事例についてのご紹介

お問い合わせ 二本松市秘書政策課総合政策係 移住窓口
 〒964-8601 福島県二本松市金色403番地1
 電話 0243-24-7120 ファックス 0243-22-7023
 Mail sougouseisaku@city.nihonmatsu.lg.jp
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申し込み〆切が1月15日(木)まででしたが、まだ空きがあるかもしれませんし記録のためにもご紹介しておきます。

ところで、フライヤーにある「Uターン」と「Iターン」は解りましたが、「Jターン」というのは存じませんでした。「J」の字面からして、「U」まで戻らなくても途中まで、という意味なのかと思って調べたら、そんな感じでした。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)17 『道程』改訂版 書店版

昭和15年(1940)11月20日 山雅房 高村光太郎著
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目次
 道程
  失はれたるモナ・リザ  明治四十三年十二月十四日
  画室の夜        明治四十四年一月十二日
  寂寥                       明治四十四年三月十三日
  声           明治四十四年五月二十日
  新緑の毒素       明治四十四年六月十一日
  はかなごと
  地上のモナ・リザ    明治四十四年七月六日
  父の顔         明治四十四年七月十二日 
  泥七宝         明治四十四年七月――翌年六月
  ――に         明治四十五年七月二十一日
  或る夜のこころ     大正元年八月十八日
  おそれ
  犬吠の太郎       大正元年九月二十六日
  さびしきみち      大正元年十月八日
  梟の族         大正元年十月二十日
  或る宵         大正元年十月二十三日
  郊外の人に       大正元年十一月二十五日
  冬の朝のめざめ     大正元年11月三十日
  戦闘          大正元年十二月十四日
  人に          大正二年二月十八日
  人類の泉        大正二年三月十五日
  山           大正二年十一月四日
  冬の詩         大正二年十二月六日
  牛           大正二年十二月七日
  僕等          大正二年十二月九日
  道程          大正三年二月九日
  愛の嘆美        大正三年二月十二日
  婚姻の栄誦       大正三年三月六日
  万物と共に踊る     大正三年三月九日
  瀕死の人に与ふ     大正三年三月十四日
  晩餐          大正三年四月二十五日
  五月の土壌       大正三年五月十六日
  秋の祈         大正三年十月八日
 道程 以後
  わが家         大正五年
  小娘          大正六年
  無為の白日
  海はまろく
  雨にうたるるカテドラル 大正十年十月
  沙漠
  クリスマスの夜     大正十一年一月
  冬の送別        大正十一年四月
  五月のアトリエ     大正十一年五月
  ラコツチイ・マアチ   大正十一年十一月
  落葉を浴びて立つ    大正十一年十一月
  樹下の二人       大正十二年三月
  鉄を愛す        大正十二年五月
  氷上戯技
  珍客
  葱
  車中のロダン      大正十四年
  後庭のロダン      大正十四年二月
  十大弟子        大正十五年
  聖ジヤンヌ       大正十五年
 猛獣篇 時代
  清廉          大正十三年十二月
  傷をなめる獅子     大正十四年
  狂奔する牛
  鯰           大正十五年
  苛察          大正十五年
  雷獣          大正十五年六月
  龍           大正十六年
 【編纂者の言葉】 三ツ村繁蔵

同日刊行された「百五十部限定版」と内容、紙型は同一です。「百五十部限定版」で青いクロス貼りの表紙に金押しされていた「獅子の顔」素描は空押しになり、見返しに印刷されていた光太郎署名はありません。定価は「百五十部限定版」が4円80銭、こちらは2円80銭です。

さらにこの後「普及版」が刊行されます。

このブログ中、昨年の大晦日に書いた記事で少しだけご紹介しておいた新刊書籍ですが、改めて。

「大東亜戦争」幻想化と「戦争責任」の精神史 擬態に対峙する詩人たち

発行日 : 2025年12月30日
著者等 : 小関素明著
版 元 : 人文書院
定 価 : 6,800円+税

戦後社会に瀰漫する欺瞞と擬態、その正体を暴く

開戦の報に国民が覚えた高揚感。そして敗戦後、その熱狂をまるで“なかったこと”のように振る舞い始めた国民。この巨大な断絶の深淵には何が横たわっているのか。「大東亜戦争」という呼称が国民に与えた幻想と、戦後の空虚な平和主義の根源にある欺瞞を解き明かし、我々が未だ直視できずにいる「戦争責任」に対峙する。

著者 小関素明
1962年生まれ。立命館大学大学院文学研究科博士課程修了。現在、立命館大学教授。専門は近代日本政治史・近代日本政治思想史。著書に『日本近代主権と「戦争革命」』(日本評論社、2020年)、『日本近代主権と立憲政体構想』(日本評論社、2014年)、『現代国家と市民社会』(共編著、ミネルヴァ書房、2005年)、『新しい公共性』(共編著、有斐閣、2003年)など。
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目次
 はじめに
 序章 情念に分け入る精神史をめざして
  1 本書の問題意識――「戦争協賛」と「戦争責任」の思想化に向けて
  2 本書の分析課題と視座
  3 本書で使用する史料について
 第Ⅰ部 「大東亜戦争」の幻影と煩悶
  第一章 日米開戦の衝撃と翻弄
   1 開戦の衝撃と変貌する詩人たち
   2 「宣戦の詔書」の作用――高揚感の国民的拡がり
   3 「大東亜戦争」の特性と天皇制の関涉
  第二章 表現者の幻覚と煩悶――「真の自己」の渇望と探究
   1 自我と美感の転相――高村光太郎
   2 表現の原郷への帰還と「本当の自己」との葛藤――野口米次郎
   3 言語表現の新境の眺望と天皇
  第三章 「大東亜戦争」道義化の蹉跌
   1 「国民文学」の蹉跌と「大東亜戦争」聖戦化の限界
   2 「メシア国家」の幻影――「近代の超克」論の限界
   3 「戦意高揚」戦略の限界
  第四章 敗戦時における国民の擬態の前景化
   1 心的空白状態の到来
   2 「民主化」受容の屈曲――他動的「国民主権」の到来
   3 死の至近化と言葉の限界効用
 第Ⅱ部 孤塁からの開削
  第五章 「荒地」への収斂
   1 「戦争体験」の特質とその思想化
   2 「紙屑を捨てない」主体性――「何も信じない」ことを原点に
   3 詩作のオントロギー—―「詩の特権性」としての「在らざるものの力」の創造
  第六章 「橋上の人」の写像と射程
   1 「直接性」への懐疑――庶民感覚と兵士の目線への不信
   2 「荒地」という「可能性」――文明の蘇生に向けて
   3 「橋上」からの近代批判
  第七章 戦後社会の擬態の摘発
   1 「深い絶望」の探求
   2 バチルスとしての教説的「平和主義」に抗して――『死の灰詩集』批判
   3 病巣への肉迫
  第八章 戦争責任の実効化と言語表現の新地平
   1 「意味の回復」と愛への覚醒
   2 金子光晴における象徴主義の刷新
   3 表現のアポリアを超えて
   4 孤独の快楽と可能性としての「間隙」への対峙
  終章「大東亜戦争」と「戦争責任」の精神史から見えてくるものは何か
 あとがき
 事項索引
 人名索引

第二章「表現者の幻覚と煩悶――「真の自己」の渇望と探究」中に「1 自我と美感の転相――高村光太郎」という項がありますが、そこ以外にも随所(特に前半)で光太郎に触れられています。

タイトルに「大東亜戦争」の語が使われていますが、右翼がよく「あの戦争は欧米列強の植民地支配から東亜を解放するための聖戦だった」という文脈でその語を使うのとは異なります。著者・小関氏は、「 「大東亜戦争」という呼称は、日米開戦四日後の一九四一年一二月一二日の閣議において定められた呼称であり、日本の戦争目的を粉飾するための独善性が色濃く投影されており、学術用語としてはアジア・太平洋戦争という呼称の方が相応しいのはいうまでもない」としつつ、「しかし、当時の日本国民のほぼすべてが、アジア・太平洋戦争ではなく、「大東亜戦争」という呼称に表象された理念に魅了されて戦争に同調し、協力した。(略)それをアジア・太平洋戦争という学術用語に置き換えたのでは、戦争に同調した国民の心理と情念に肉迫しにくい」というスタンスから、「大東亜戦争」で統一されています。

そして「世界の大国米国と戦端を開くに際して、甚大な犠牲が予想されるにもかかわらず、多くの国民はどのような感覚で開戦を受感し、高揚感にとらわれたのか、敗戦後に自ら戦争目的に雷同し陶酔した直近の過去にどう向き合ったのかということの検証」といった点が本書のテーマと位置づけられています。

そこで前半では、光太郎、三好達治、野口米次郎といった、翼賛詩を数多く書いた詩人たちの作品を俎上に乗せ、作者自身の内面の剔抉、それらの作品の受容状況といったところが語られます。

他に坂口安吾や太宰治、武者小路実篤、火野葦平らの小説家、斎藤茂吉ら歌人等にも言及されますが、メインは詩。これについてはこのように語られています。

 なぜ詩なのか。それは詩の特質ともいうべき言葉の精妙さと関連している。短縮した表現で人間の内面世界を表さなければならない詩は、散文以上に言葉の濃度と旋律に重きが置かれる。読み手は濃密な言葉と旋律に載せられた表現者の内面世界を解凍し、それに共感、心服したり、覚醒させられたりする。それが読み手に影響を与えるためには、詩は読み手にも共通する思いを掬い取るとともに、それを明晰化し、さらには一歩先んじていることが必要である。

そうしてそういう機能を担った光太郎の翼賛詩考察。なかなかに鋭い視点でした。特に光太郎ファンとして心が痛んだのは、「撃つ」という語に関して。

まぁ、「撃ちてし止まん」などとプロパガンダ的スローガンに使われ、当時の流行語のような側面もあったと思いますが、光太郎も複数の翼賛詩で「撃つ」という語を多用しています。しかし小関氏にかかれば「これはさらに露骨にいえば敵を「殺す」ということである」「高村は「殺す」、「みなごろし」という直截な表現を避けながら、事実上敵を「殺す」ということに「この生活の一切をかけ」る決意を「美の世界を守りぬこう」という覚悟に重ね合わせて述べているが、「撃つ」というベールを被せた表現に逆に表現者の苦渋と義務感のうち混じった壮絶さを感じさせる」。

この生活の一切をかけ」「美の世界を守りぬこう」は、詩「決戦の年に志を述ぶ」(昭和18年=1943)の一節です。更にいうなら小関氏曰く「ここに芸術性は何もない」。まったくその通りです。しかし、「こうした詩こそ光太郎の真骨頂」と涙を流して有り難がる愚物が多いのも現状ですが。
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平時であれば決して許されない殺人教唆的な物言い、さらにはこうした詩に鼓舞されて戦場へ赴いた多くの前途有為な若者たちが逆に「撃」たれたこと、それらを深く悔いて、戦後の光太郎は花巻郊外旧太田村に7年間の蟄居生活を送ることになります。そこは本書の主旨ではないので、戦後の壮絶な蟄居生活にはほとんど触れられていないのが残念といえば残念ですが。

後半はほとんどの国民が「敗戦後、その熱狂をまるで“なかったこと”のように振る舞い始めた」ことの検証。ここでは天皇制の問題にも触れつつ、鮎川信夫や金子光晴、吉本隆明ら、「荒地派」がメインです。同派は「敗戦後の日本社会の気運がいかに欺瞞に覆われ、それを看過してやり過ごすことがいかに人間の存在を歪めるかということを詩表現のモチーフとして拘りつづけた一群の詩人たち」と位置づけられています。まぁ、それはそうなのでしょう。ただ、金子などは数は少ないながらも戦時中にコテコテの翼賛詩を書いていたことにはほとんど触れられていないようで、その上で論じていただければ、という気はしました。

それにしても戦後80年、そして実にきな臭い状況に陥っているこの国を二度と誤った道に進ませないためにも、こうした問題を考える上で実に示唆に富んだ書籍です。ぜひお買い求めを。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)16 『道程』改訂版 百五十部限定版

昭和15年(1940)11月20日 山雅房 高村光太郎著
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目次
 道程
  失はれたるモナ・リザ  明治四十三年十二月十四日
  画室の夜        明治四十四年一月十二日
  寂寥                       明治四十四年三月十三日
  声           明治四十四年五月二十日
  新緑の毒素       明治四十四年六月十一日
  はかなごと
  地上のモナ・リザ    明治四十四年七月六日
  父の顔         明治四十四年七月十二日 
  泥七宝         明治四十四年七月――翌年六月
  ――に         明治四十五年七月二十一日
  或る夜のこころ     大正元年八月十八日
  おそれ
  犬吠の太郎       大正元年九月二十六日
  さびしきみち      大正元年十月八日
  梟の族         大正元年十月二十日
  或る宵         大正元年十月二十三日
  郊外の人に       大正元年十一月二十五日
  冬の朝のめざめ     大正元年11月三十日
  戦闘          大正元年十二月十四日
  人に          大正二年二月十八日
  人類の泉        大正二年三月十五日
  山           大正二年十一月四日
  冬の詩         大正二年十二月六日
  牛           大正二年十二月七日
  僕等          大正二年十二月九日
  道程          大正三年二月九日
  愛の嘆美        大正三年二月十二日
  婚姻の栄誦       大正三年三月六日
  万物と共に踊る     大正三年三月九日
  瀕死の人に与ふ     大正三年三月十四日
  晩餐          大正三年四月二十五日
  五月の土壌       大正三年五月十六日
  秋の祈         大正三年十月八日
 道程 以後
  わが家         大正五年
  小娘          大正六年
  無為の白日
  海はまろく
  雨にうたるるカテドラル 大正十年十月
  沙漠
  クリスマスの夜     大正十一年一月
  冬の送別        大正十一年四月
  五月のアトリエ     大正十一年五月
  ラコツチイ・マアチ   大正十一年十一月
  落葉を浴びて立つ    大正十一年十一月
  樹下の二人       大正十二年三月
  鉄を愛す        大正十二年五月
  氷上戯技
  珍客
  葱
  車中のロダン      大正十四年
  後庭のロダン      大正十四年二月
  十大弟子        大正十五年
  聖ジヤンヌ       大正十五年
 猛獣篇 時代
  清廉          大正十三年十二月
  傷をなめる獅子     大正十四年
  狂奔する牛
  鯰           大正十五年
  苛察          大正十五年
  雷獣          大正十五年六月
  龍           大正十六年
 【編纂者の言葉】 三ツ村繁蔵

大正3年(1914)刊行のオリジナル『道程』から詩篇を抜粋し、さらにその後の作品を加えて刊行されました。表紙に昭和11年(1936)の雑誌『歴程』初出のペン素描「獅子の首」を金押しであしらっています。

昭和17年(1942)に、この詩集により同16年度の第一回帝国芸術院賞を受賞。出版された昭和15年(1940)には光太郎は大政翼賛会中央協力会議議員にも就任し、上梓や受賞にはそのための箔づけというかご褒美というか、そういう匂いが感じられます。

ご当地フレーム切手を除き、唯一、光太郎肖像が切手デザインに使われた平成12年(2000)の「20世紀デザイン切手」シリーズ第9集に含まれる80円切手は、この詩集に関わります。これは昭和15年(1940)から同20年(1945)までの題材8種類を1シート10枚構成にしたものでした。
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展覧会情報のご紹介を続けてきましたので、もう1件。

美しいユートピア 理想の地を夢みた近代日本の群像

期 日 : 2026年1月15日(木)~3月22日(日)
      前期1月15日(木)~2月17日(火) 後期2月19日(木)~3月22日(日)
会 場 : パナソニック汐留美術館 港区東新橋1-5-1 パナソニック東京汐留ビル4階
時 間 : 10:00~18:00 2月6日(金)、3月6日(金)、20(金)、21 (土)は午後8時まで開館
休 館 : 毎週水曜日 ただし2月11日と3月18日は開館
料 金 : 一般 1,200円 65歳以上 1,100円 大学生・高校生 700円 中学生以下 無料
      土曜日・日曜日・祝日は日時指定予約(平日は予約不要)

ユートピアは、イギリスの思想家トマス・モアの小説タイトルで、「どこにもない場所」を意味します。同じくイギリスの社会思想家、ウィリアム・モリスは自著『ユートピア便り』の中で、暮らしと芸術の総合を唱え、今ここにある課題をみつめ、どこにもない理想を夢みています。その思想が紹介された20世紀の日本でも、ユートピアは暮らしをめぐる課題と理想となりました。そして20世紀を通じあらゆる場所で、美術、工芸、建築など幅広いジャンルを結ぶ共同体が模索されます。新時代の異文化体験を通して近代化しつつあった日本は、かつての日本でもなく、同時代の世界のどこにもない場所だったのです。

この展覧会では暮らしにまつわる過去をたずね、未来を夢みるさまざまな運動を、「ユートピア」と呼びます。そして「美しさ」にまつわる芸術、装飾工芸、建築デザインにテーマを絞り、暮らしの中の「美しいユートピア」をみつめます。さらに「美しいユートピア」の歴史をたずねるだけでなく、未来への手がかりとします。美しい暮らしを求める20世紀日本のユートピアをたずね、当時の来るべき世界を振り返り、今日のユートピアを思い描く方法を探ります。

第1章 ユートピアへの憧れ 
 西欧に憧れ、アジアにめざめる。
雑誌『白樺』、「民藝」運動などから20世紀日本の理想主義が芽生える
 ジョン・ラスキン、ウィリアム・モリスの影響を受けた20世紀日本の理想主義を紹介します。20世紀初頭の大正デモクラシーに象徴される当時の日本では「民」が一つのキーワードでした。西欧美術に憧れ、自由と個性を尊重し自らのルーツを振り返った雑誌『白樺』。その白樺派同人たちの交流の中から柳宗悦が中心となり、民衆の暮らしの中の美を説いた「民藝」運動は、「民」をめぐる前後の理想主義を代表します。

第2章 たずね求める 周縁、国外でのフィールドワーク
 民家研究、民具調査など「民」をめぐるフィールドワークが、ジャンルや国境を越えてミュージアムを育む
 近代化するみずからの足元をみつめた、民家や民具などをめぐるフィールドワークを紹介します。農山漁村や周辺地域、民族をたずねる交流はジャンルや国境を越えて、失われてゆく「民」を記録し、未来へつなぐ「ミュージアム」を育みました。渋沢敬三が計画し今和次郎や蔵田周忠(ちかただ)も参画した国立の民族学博物館構想の図面も展示いたします。

第3章 夢みる 都市と郊外のコミュニティ
 関東大震災後、郊外アトリエや芸術家村が生まれる。その交友から「新人画会」が理想を戦後へつなぐ
 蔵田周忠や立原道造など、建築家や詩人、芸術家による関東大震災後の郊外アトリエや芸術家コロニーへの夢を紹介します。1920年代の都市化と鉄道網の発達は郊外住宅地の発達を促しました。分離派建築会の会員であった蔵田は、モリスに倣った田園のユートピアを目指し、世田谷や杉並に文学者や芸術家たちが集って住むモダンで快適なコミュニティを設計しました。同時期、アトリエ村の一つ、池袋モンパルナスの交友に始まる「新人画会」の理想はのちに戦後美術の出発点とされました。

第4章 試みる それぞれの「郷土」で
 山本鼎、宮沢賢治、竹久夢二、ブルーノ・タウト…郷土や「ドリームランド」で表現者の実践が始まる
 山本鼎の農民芸術運動や宮沢賢治の活動、竹久夢二、ブルーノ・タウトの美術工芸運動は、「ドリームランド」としての「ふるさと」に、美しい暮らしをもたらす協働の実践でした。同時代、前後して官民による郷土改良や産業化が始まりました。山本鼎の日本農民美術研究所で制作された工芸品やそのデザイン画、宮沢賢治によるドローイング、タウトデザインによる工芸品などを展示します。

第5章 ふりかえる/よみがえる ユートピアのゆくえ
 戦後復興をデザインする芸術・建築と、「失われてゆく世界」を記録し未来への手がかりを求める運動が前後して生まれ…
 戦後まもなく、芸術、建築による都市再生に着手した群馬県高崎の文化活動家・井上房一郎と、彼に協力した建築家レーモンド夫妻や磯崎新。そして高度経済成長期の大きく変貌する都市と社会で向かうべき方向を模索して、日本の伝統的な共同体を実測調査し図面化した60年代後半からの「デザイン・サーヴェイ」。それらの動きは芸術と民衆の力を原動力に未来への手がかりをつかもうとしたものです。
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関連行事

ミュージアムコンサート「美しいユートピアをたずねて」
展覧会で紹介する群馬音楽ホールを拠点とする群馬交響楽団の演奏、そして音楽と美術と建築をめぐるトークをお楽しみいただくコンサートです。2回とも同じ内容です。

Program エリック・サティ:ジュ・トゥ・ヴー/ピアソラ:リベルタンゴ 他
出 演 群馬交響楽団 弦楽カルテット
トーク 服部想之介(声優)
日時 2月7日(土)
 ①午後1時30分~午後2時10分(開場午後1時)
 ②午後4時~午後4時40分(開場午後 3時30分)
定 員 各回110名、要予約
聴講費 無料(ただし本展の観覧券が必要です)
会場 パナソニック東京汐留ビル 5階ホール
*未就学児はご遠慮ください。
*展覧会観覧には、事前の日時指定予約が必要です。

展覧会記念講演会「祖父、清六から聞いた宮澤賢治」
宮澤賢治の8歳年下の弟、祖父清六から聞いた「賢治さんの美術、宗教、科学に対しての考え方。日常での様子。
自分へ向けて書いた『雨ニモマケズ…』の願い。」を、残された資料、家族写真などをスクリーンに映しながらお話しいただきます。

講 師 宮澤和樹氏(宮澤賢治、8歳下の実弟清六の孫、株式会社林風舎代表取締役)
日 時 2月14日(土)午後2時~午後3時30分(開場午後1時30分)
定 員 150名、要予約
聴講費 無料(ただし本展の観覧券が必要です)
会 場 パナソニック東京汐留ビル 5階ホール
*未就学児はご遠慮ください。
*展覧会観覧には、事前の日時指定予約が必要です。

キーワードは「ユートピア」。この国にそれを現出しようと活動した人々の軌跡を追うもので、一種の地政学な要素を含みつつ、しかしその対象が特定の地域ではなく架空の「ユートピア」。なるほど、そういうアプローチもありか、と感じました。

光太郎に関しても軽く関わります。「第1章 ユートピアへの憧れ」で白樺派が取り上げられ、光太郎も写った「白樺創刊十周年記念写真」(大正8年=1919)が出ます。それから「第4章 試みる それぞれの「郷土」で」には宮沢賢治関連の展示品(賢治記念館や林風舎さんの所蔵品)がたくさん並びますので、光太郎も寄稿した雑誌『農民芸術』など。
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他にも出品目録に依れば賢治関連で、現代の賢治著書に装画をした吉井忠による絵画「花巻豊里町 宮沢政次郎氏(賢治父)宅」が「第2章 たずね求める 周縁、国外でのフィールドワーク」に出品されます。「豊里町」は「豊沢町」の誤植ではないかと思うのですが……。誤植と言えば、「グスコーブドリ」とすべきところも「グスコンブドリ」となっています。当方、賢治に関してそれほど詳しいわけではないのでよくわかりませんが、最初の構想では「グスコンブドリ」だったとか、そういうわけではありませんよね。

賢治関連が多数出品ということで、関連行事として賢治実弟・清六令孫の和樹氏による講演が予定されています。ちょうどその1週間後には花巻で、賢治の親友だった藤原嘉藤治の顕彰をなさっている瀬川正子氏、それから当方と3人でのトークイベントも企画されており、和樹氏、大忙しですね。

どうせならその日に拝見に伺おうかと日程を調整しております。皆様もぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)15 『現代の彫刻』岩波講座世界文学第七回配本

昭和8年(1933)6月5日 岩波書店 高村光太郎著
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目次
 実技家の場合 概観 二つの源流について 時間的一瞥 フランスの彫刻 ブルデル
 マイヨル デスピオ ベルナアル 「ぢか彫り」騒動 穏健群 形式主義群団 ドイツの彫刻
 イギリスの彫刻 残余の諸国

「岩波講座世界文学」はいわゆる分冊もの。光太郎はこれ以外にも長沼重隆や辰野隆らとの共著で第9回配本『近代作家論』にも執筆しています(のちほどご紹介します)。

50余ページのペーパーバックですが、ロダン亡き後の世界の彫刻界についての非常にわかりやすい概論です。

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