光太郎に関わる各種の講座が開かれますので御紹介します。 

日本近代文学館 講座「資料は語る 資料で読む「東京文学誌」」

2013年4月20日(土)14:00~15:30
駒場東大前 日本近代文学館ホール
青春の諸相―根津・下谷 森鷗外と高村光太郎
講師:小林幸夫(上智大学教授)
大正6年10月9日、34歳の高村光太郎は、55歳の鷗外に呼ばれて観潮楼の門を潜った。
その折の事が「観潮楼閑話」に記されている。
それを原稿で読みながら二人の議論を考察し、あわせて『青年』に描かれた観潮楼付近に触れる。
 
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全6回の講座の1回目です。他の5回は「電車が作る物語-田山花袋と夏目漱石」「女性たちの東京-永井荷風と泉鏡花」「モダンな盛り場―浅草 川端康成・堀辰雄など」「震災と復興――銀座 水上瀧太郎・久保田万太郎・里見弴など」「太宰治―中央線時代の文学と恋。甲府の石原美知子~御茶ノ水の山崎富栄」。4月~11月まで、月1回の開講です。
 
参加費は6回で10,000円、1回のみで2,000円とのこと。当方、1回目のみ申し込みました。皆様もぜひどうぞ。

 
【今日は何の日・光太郎】3月16日

昭和27年(1952)の今日、花巻郊外太田村山口地区の屋号「田頭」高橋家で村人3,40人との酒宴に招かれました。

たびたびこのブログでご紹介している映画「希望の国」。

 
主演の夏八木勲さんが、この映画によって文化庁の芸術選奨文部科学大臣賞に輝きました。素晴らしい!
 
「反原発」の映画ですので、ある意味問題作。それが芸術選奨文部科学大臣賞というのは意外と言えば意外ですが、文化庁も懐の深さを見せたのでしょうか。賞の性質上、エンターテインメント性の強いものには与えられないと思いますが。
 
一昨日の朝日新聞の記事です。
 
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「智恵子」役の大谷直子さんにも賞をあげたいな、と思っていましたら、ちゃんと他の賞が出ていました。
 
まず「第67回日本放送映画藝術大賞」の優秀助演女優賞。惜しくも最優秀ではありませんでしたが、これも素晴らしい!
 
それから映画「希望の国」のオフィシャルサイトによれば「東京新聞映画賞特別賞」ということだそうですが、こちらは東京新聞さんのサイトを見ても記載がありません。どうなっているのでしょうか?
 
いずれにせよ、こうした受賞を通してもっともっとこの映画が話題になってほしいものです。
 
ところでやはり一昨日の朝日新聞、一面に載った写真です。
 
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これもある意味、ものすごい写真ですね……。
 
【今日は何の日・光太郎】3月15日

明治36年(1903)の今日、智恵子が福島高等女学校を卒業しました。卒業式では卒業生総代として答辞を読みました。
 
同校では、例年、卒業生総代として答辞を読むのは「声のいい生徒」とする習慣だったそうですが、この年に限り、智恵子の成績があまりにも群を抜いていたので、声の善し悪しうんぬんではなく、智恵子にやらせるしかない、ということになったそうです。

【今日は何の日・光太郎】3月14日

昭和25年(1950)の今日、講演旅行を終え、地元の青年二人の引く橇(そり)に乗って花巻郊外太田村山口の山小屋に帰りました。
 
『高村光太郎全集』別巻収録の年譜によれば、「三月十日、秋田県横手町で講演、二、三日滞在し、黒沢尻をまわって十四日に帰る。」の記述があります。『全集』には漏れていましたが、13日には黒沢尻町(現・北上市)でも講演を行いました。その際の筆録が残っており、「高村光太郎講演会」という題で「光太郎遺珠④」(平成21年=2009『高村光太郎研究(30)』所収)に収めてあります。
 
この筆録は岩手県北上市教育委員会発行の『きたかみ文学散歩』(平成16年=2004)から転載させていただきました。筆録の最後には、筆録をした黒沢尻町の小学校教諭斎藤充司による「●おしまいに」という短文が附されています。
 
講演の日、高村先生は、森口氏宅でにわとりの丸焼きを食べ、十四日の朝、郡司忠治氏と菊池啓治郎氏がつきそって山口の小屋に帰っていきました。雪道をそりにのせて、二人は汗だくだったようです。十三日の食事には、森口氏、郡司直衛氏、郡司忠治氏、小田島専司氏が加わっていました。
 
また、一緒に食事をした郡司直衛氏の回想も載っています。
 
 黒沢尻の駅に降り立った高村光太郎は、大きな防空頭巾にどんぶくはんど(綿入レ半纏)を着てリュックサックに防寒靴。全くの村夫子然。日本で初めてベレー帽をかぶって銀座を歩いたモダンボーイと誰が思うものか。
 横手の雪をみての帰途、「もう私には残された時間がないから」と云うのをお願いして講演会を開く。その講演に先立ち、お昼を茅葺の民家の二階で差し上げた。そこには空襲で家を焼かれた森口多里が疎開していた。
 その日は昭和二十五年の「三月十三日」。光太郎の誕生日であった。昼食のメニューは鶏の丸焼きにコリフラワとオニオン添え、これは森口夫人の力作で、それに母が手造りの五目ずしという簡素なものであった。具が美味しいとほめられる。母は「高村さんに褒められた」と一生の自慢であった。卓上には発酵し始めた山ぶどうの赤い液が、切子の徳利に入れて添えられていた。当時これが精一杯のもてなしであった。
 食卓は淋しかったが、美の奉仕者である二人の会話は途切れることなく続いた。ロダンの誕生日の話、ハムレットを見ながら気が付くと眼鏡を握りつぶしていた話などなど。森口はパリの街のどこの通りの、何番目のマロニエのどの枝が、一番早く花を咲かせるか知っていると自慢気に話した。二人のパリの思い出は盡きなかった。
 木マンサクもキブシも花にはまだ早く、ネコ柳を一本根元から切って、有田焼の染付の大花瓶に投げ入れ、講演会の壇上を飾った。会場は身動きできぬ程の聴衆で溢れていた。
 講演を終えて、「誕生日には智恵子と食事をするのです」というのを無理に引き止めてお泊まり頂く。翌朝、長ぐつを履こうとする足の大きなこと、靴に添えられた手の大きなこと。私は高村光太郎が〝美の世界の巨人〟であることを、そのときこころではなく、目で理解したのであった。
 
森口多里は美術評論家。岩手県立盛岡美術工芸学校の校長を務めていました。この直後、15日に光太郎から森口に宛てた書簡(『全集』第15巻)が残っています。
 
このたびは思ひもかけず黒澤尻で誕生日を迎へることとなり、貴下はじめ御家族一同のまことにお心こもつた饗宴にあづかり、忘れがたい記念の一日となりました事を深く感謝いたします。あの豪華なチキンをこの日いただいた事をたのしく思ひ出します、又帰途御恵贈の栄養物は山にては中々入手困難のものとてありがたく存じました、 帰路青年達二人に小屋まで送られ、小生足を痛め居りました事とて雪中の行進に大いに助かりました。(略)奥様御令嬢はじめ御一同様にくれぐれもよろしく小生の感謝をお伝へ下さい、
 
この満67歳の誕生日については、昭和51年(1976)読売新聞社盛岡支局刊行の『啄木・賢治・光太郎 201人の証言』にも記載されています。
 
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まだ戦争の爪痕が残り食糧事情も良くなかった時代に、このような歓待を受け、さらに青年二人の引く橇に乗って帰った光太郎。岩手の人々に敬愛されていた証でしょう。

昨日、NHKEテレで放映の「にほんごであそぼ」で、光太郎の「人に」(いやなんです あなたのいつてしまふのが-)が扱われました。
 
が、見逃しました。自分でブログに書いておきながら、放映時間を勘違いし、テレビをつけたらもう終わっていました。また放映されることを期待します。
 
さて、気になって先週調べてみましたところ、昨秋、こんなCDが発売されていました。
 
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「うなりやベベン」こと浪曲師の国元武春さんの歌による「ベベンの冬が来た」が収録されています。
 
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こういうところでも光太郎が扱われるのはうれしい限りです。こういったものを聞いて育った子供が自然と光太郎に興味を持ってくれれば、さらにいうことはありません。
 
【今日は何の日・光太郎】3月13日

明治16年(1883)の今日、光太郎が生まれました。
 
ただし、戸籍上は14日となっています。しかし、家族も光太郎自身も13日が誕生日ということでやっていたそうです。今年で生誕130年というわけです。
 
明日は光太郎誕生日ネタで書いてみます。

昨日に引き続き、震災と光太郎関連を。
 
先週の『読売新聞』さんの青森版の記事です。

観光客「魅力あれば戻る」 風評被害 

 寒風吹きすさぶ2月下旬。県内有数の観光地・十和田湖畔休屋地区は静まりかえっていた。メーンストリートのホテルや土産物屋は多くがシャッターを下ろし、道の両脇には雪がうずたかく積もったまま。
 「お客さんはすぐ戻ってくれると思っていたが、2年たっても戻らない。どう手を打てばいいのか、出口が見えない」
 本県側の湖畔で唯一、冬季営業を続けるホテル「十和田荘」の中村秀行社長(57)の表情は険しい。
 バブル崩壊後の1990年代後半以降、減少傾向が続いていた湖への観光客。追い打ちをかけたのが、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故だった。十和田市などによると、震災前の2010年に比べ、客足は11年は6割程度、12年も7~8割程しか戻っていない。特に外国人観光客は一時ほぼゼロになり、風評被害の影響が顕著に表れた。観光客の関心は西日本に移り、今も東北地方全体で観光客が戻りにくい状況だ。
 観光関係者らでつくる十和田湖国立公園協会によると、震災後、湖畔の宿泊施設は8軒中4軒が閉鎖。売店の閉店が相次いだ。撤去費用がない施設は放置され、景観を壊すという悪循環に陥っている。
 「復活できるかどうか、正念場の3年目になる」。そんな危機感が官民に広がる中、再起に向けたアイデアが出始めている。
 十和田市は、名産「十和田湖ひめます」の販路拡大や宿泊クーポンの発行など、観光再生に向けた事業を来年度当初予算案に盛り込んだ。今年で設置60周年を迎えた湖畔の観光名所「乙女の像」の作者高村光太郎と妻・智恵子の愛をモチーフに「恋の名所」として湖をPRする案も浮上。市観光推進課の岡山新一課長は、「もはや風評被害で言い訳はできない。魅力があれば必ずお客さんは戻ってくる」と強調する。
 かつて十和田神社への参道沿いに栄えた門前町を再現する構想を温めるのは、十和田湖の冬祭り「十和田湖冬物語」を手がけるレストラン経営鈴木章悦さん(42)。十和田湖観光が衰退した要因について「企業努力が少なく観光客に飽きられてしまったのでは」と話す。これからは民間が自由にアイデアを出し、行政がフットワークよく支援することが重要だと指摘する。
 震災で顕在化した観光地としての足腰の弱さ。克服に向け、鈴木さんは意気込む。「昔はシャッターを開ければお客さんが来たが、もうそうはいかない。必ず『十和田湖は良くなった』と言わせたい」
2013年3月8日 読売新聞)
 
「魅力ある街づくり」。大切なことです。
 
当方の住む千葉県香取市も、ほんの10数年前まではさびれた街でしたが、江戸時代以来の古い街並みを生かし始めたところ、観光地として再生しました。首都圏に近いというのも大きいのですが、古民家や歴史遺産をうまく活用し、個性的な店が並ぶようになったのが大きいと思います。
 
相変わらずテレビ等のロケも多く行われており、NHK大河ドラマ「八重の桜」(会津藩本陣金戒光明寺のシーン)や、NTTドコモの堀北真希さん出演のCMなどは香取市で撮影されています。
 
しかし、やはり震災の爪痕は深く、半壊した古民家、液状化でガタガタになった道路などの改修もなかなか進みません。それでも一時激減した観光客の皆さんがかなり戻ってきました。ありがたいことです。
 
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十和田をはじめ、東北はやはり首都圏からのアクセスの問題もあるかと思います。それでも記事にあるとおり、「魅力があれば必ずお客さんは戻ってくる」と信じ、努力を続けてほしいと思います。
 
【今日は何の日・光太郎】3月12日

明治22年(1889)の今日、岡倉天心の勧めで、街の仏師だった光雲が東京美術学校に奉職することになりました。

「あの日」から2年経ちました。言わずと知れた東日本大震災です。
 
宮城では、光太郎顕彰活動に関わっていた方が津波に呑まれ、亡くなりました。そのお仲間で、ご家族を亡くされた方もいらっしゃいます。
 
福島では、原発事故の影響で、今も不自由な毎日を過ごされている方々がいらっしゃいます。
 
さて、おそらくこの時期に合わせたのでしょう。以前にこのブログで御紹介した映画「希望の国」(園 子温監督)のDVDとブルーレイが発売されました。 
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大谷直子さん演じる主人公の妻「智恵子」には高村智恵子のイメージが投影されています。
 
その大谷さんや、主人公役の夏八木勲さん、その息子役の村上淳さん(NHK大河ドラマ「八重の桜」の土方歳三役)ら、キャストの方々、さらに園監督はじめスタッフの皆さんの本音が収まったメイキングのディスクも付いています。
 
本編ももちろん、このメイキングのディスクがすごい内容でした。福島の原発周辺、宮城の石巻や気仙沼など、ロケ地となった場所の映像、そしてそこに暮らす人々の肉声……。
 
特に、被災地に行かれたことのない方にはぜひご覧いただきたい内容です。
 
今年の連翹忌でも、被災地の方々からの参加申し込みが届いております(当方の生活圏も一応被災地ですが)。復興の現状、復興されていない現状など、語っていただきたいと思っています。
 
【今日は何の日・光太郎】3月11日

大正2年(1913)の今日、読売新聞社で第2回フユウザン会展が開かれ、光太郎は塑像「男の首」を出品しました。
 
このフユウザン会展は、公設の展覧会に反旗を翻す新進作家達のアンデパンダンとして注目されました。第1回展はその前年秋。しかし、同人間の価値観の違いから、2回で終焉となりました。

昨日は名古屋に行って参りました。
 
過日のブログで御紹介した作曲家・野村朗氏のリサイタルを聴きに、です。

 
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曲目は野村氏が光太郎の詩に作曲された「連作歌曲「智恵子抄」」がメインで、その他、やはり野村氏作曲による歌曲やピアノソナタ。歌曲は宮沢賢治や八木重吉などの詩も使われていました。演奏者の方々を含め、皆さん、名古屋音大の関係の方だそうです。
 
下記はパンフレットから自作解説。
 
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光太郎の詩にはいろいろな方が曲をつけて発表されています。それぞれに作曲者それぞれの解釈が表されていて、聴き較べるのも面白いものです。
 
今回、感心したのは「連作歌曲」というのがただのお題目でなく、全5曲に一本芯が通っていたことでした。単に光太郎の詩に曲をつけたものを並べているだけでなく、音楽的につながりをもった全5曲の構成となっていたのです(楽譜が拝見できればより詳しく指摘できるのですが……)。
 
ホールのロビーでは、光太郎の令甥、高村規氏ご提供の光太郎智恵子関連の写真パネルが展示されており、本番前後や休憩時間に聴衆が見入っていました。こういう工夫も必要ですね。
 
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5月には東京・日暮里でもリサイタルが開かれるそうです。追ってまた御紹介します。 
 
 
【今日は何の日・光太郎】3月10日
 
昭和58年(1983)の今日、「近代美術シリーズ」第16集の一つとして、光雲の「老猿」をデザインした60円切手が発行されました。

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昨日は、連翹忌会場である日比谷松本楼様に行って参りました。昨年5月、仙台で「シューマンと智恵子抄」というコンサートを開催されたピアニストの齋藤卓子さんとご一緒させていただきました。

 
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今度の連翹忌では、斎藤さんのピアノに合わせ、「墨画」の一関恵美さんに実際に描いていただくというパフォーマンスをご披露していただきます。そのため、斎藤さんとメールのやりとりをしている中で、会場の下見も可能ですよ、という話になり、昨日、ご案内した次第です。一関さんは所用のため上京できず、斎藤さんと二人で松本楼様を訪れました。
 
本来ならそのお二人に朗読の荒井真澄さんが加わるのですが、荒井さんは御都合が合わず、今度の連翹忌には参加されません。残念ですが、来年以降に期待しましょう。
 
しかし、お二人でも素晴らしいパフォーマンスが拝見できることと期待しております。お二人は昨年、パリに行かれ、あちらで同様のパフォーマンスをなさったそうです。すごいですね。
 
会場の2階大広間を見せていただいた後、少し時間がありましたので、1階のレストランでお茶しました。松本楼様と言えば、光太郎・智恵子も食べた氷菓(アイスクリーム)。昨日の都心は初夏のような陽気でしたので、ちょうど良い具合でした。
 
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こちらのアイスクリームは昨年11/30、BSジャパンの「小林麻耶の本に会いたい<本に会える散歩道 日比谷>」で紹介された逸品です。
 
美人と差し向かいでお茶。これも役得ですが、こうしたシチュエーションに慣れないせいか、緊張しました(笑)。斎藤さんは岩手の宮古にご在住です。もうすぐ3.11ということもあり、自然と震災の話になりました。それからもちろん光太郎を巡る話(斎藤さんのお誕生日は奇しくも智恵子の命日、レモン忌の10月5日だそうです。奇遇ですね)。
 
長らく音楽に携わってこられた中で、光太郎の詩は、詩そのもののリズム感(白秋などの定形詩的なものの)とかそういったことではなく、バックに流れる音楽を感じる、というお話でした。そして冬を愛した光太郎の精神、東北人としての震災に対する思い、そういったもろもろの熱い思いをこめて、当日は一関さんとのコラボに臨まれるそうです。ご期待下さい!
 
近々書きますが、今度の連翹忌では他にも凄いサプライズがあります。まだまだ連翹忌ご参加希望の方のお申し込みを受付中です。こちらをご参考にお申し込み下さい。


【今日は何の日・光太郎】3月9日

明治45年(1912)の今日、数寄屋橋有楽座で開催された「東京仮装会」の発起人に、永井荷風、市川左団次らと共に名を連ねました。
 
この時の案内状を発見しました。いずれ活字に致します。

少年写真新聞社刊『図書館教育ニュース』という刊行物があります。学校図書館向けのもので、本編はB2判のポスターサイズでカラー印刷、付録にB4判二つ折りの冊子がついています。月3回の刊行で、公称7,000部。学校の図書室などに掲示するものです。
 
今日発行の第1300号は、「詩と美の世界に生きた高村光太郎 理想的な生き方や妻への愛情を詩に込めた旧道的な生涯」という題で、光太郎がメインに扱われています。
 
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 道を写したイメージ写真のバックには詩「道程」が印刷されています。
 
本編の編集は版元の少年写真新聞社さんですが、監修は花巻の高村記念会です。
 
また、付録の冊子には「「彫刻」と「詩」、高村光太郎芸術の二本柱」という題で、拙稿が掲載されています。1月末ぐらいでしたか、花巻の高村記念会さんを介して執筆依頼があり、書かせていただきました。
 
学校図書館向けということで、一般には流通しない刊行物ですが、学校の先生方、勤務校で購読されている場合にはご高覧下さい。
 
付録に掲載の拙稿は、PDFファイルの形でご提供できます。ご入用の方はお申し付け下さい。本編は版元の少年写真新聞社さんに連絡すれば、もしかすると入手できるかも知れません。
 
【今日は何の日・光太郎】3月8日

昭和38年(1963)の今日、第6回高村光太郎賞の受賞者が発表されました。詩部門は高橋元吉、金井直、田村隆一の3名、造型部門は堀内正和、西大由の2名でした。

3日前に光太郎関連のテレビ放映情報を載せましたが、その後また見つけましたので御紹介します。 

BS朝日 2013年3月8日(金) 22時00分~22時54分 

「宮沢賢治と東北」をテーマに2週連続の前編。岩手県が生んだ詩人・宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の精神。そして厳しい自然に向き合い生きる人々の姿に迫ります。

番組内容
「雨ニモマケズ、風ニモマケズ…」東北の厳しくも優しく美しい自然が生み出した人と動物と宇宙とが繋がる宮沢賢治の世界観。賢治が残した美しい日本語には、人のあり方やお互いを思いやる心があふれています。雪の花巻の風景をバックに、今の東北に生きる人々が語る賢治の言葉…。賢治が生き、言葉を紡いだ東北・花巻の雪景色。物語の舞台となった場所や、賢治の暮らした場所の冬の風景をお届けします。宮沢賢治のゆかりの地をたどるのは作家のロジャー・パルバースさん。賢治の「雨ニモマケズ」を「Strong in the rain」と訳して海外に紹介。他にも、「銀河鉄道の夜」や賢治の多くの詩の英訳を行っています。

出演者  ナレーション 竹内結子 ナビゲーター ロジャー・パルバース

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紹介欄に「高村光太郎」の文字がありませんが、おそらく光太郎が昭和11年(1936)に揮毫した、花巻に立つ「雨ニモマケズ」の碑が扱われるのではないかと思います。

もう1件。 

にほんごであそぼ

NHK Eテレ 2013年3月12日(火) 7時30分~7時40分 再放送 17時15分~17時25分

日本語の豊かな表現に慣れ親しんで楽しく遊びながら『日本語感覚』を身につけることにより、コミュニケーション能力や自己表現する感性を育てることをねらいとしています。

番組内容
日本語の豊かな表現に慣れ親しんで楽しく遊びながら『日本語感覚』を身につけることをねらいとしている。今回は、山のあなたの空遠く「幸」住むと人のいふ「山のあなた」カールブッセ・上田敏 訳、いやなんです あなたのいってしまふのが「人に」高村光太郎、文楽/小謡~浄瑠璃風~「釣女」より、さんよう痛快にほんご劇場/「浦島太郎」~ひょうたんからこま~、歌/「でんでらりゅうば」「ベベンの草枕」

出演者 小錦八十吉 神田山陽 豊竹咲甫大夫 鶴澤清介 おおたか静流 うなりやベベン ほか

明日、同じ番組で「あどけない話」が扱われる放映がありますが、来週には「人に」が扱われるとのこと。このバージョンは見たことがありません。
 
それぞれ、ぜひご覧下さい。


【今日は何の日・光太郎】3月7日

昭和27年(1952)の今日、岩手県立盛岡美術工芸学校に、卒業式の祝電を送りました。

昨日に引き続き、各地から寄せられた案内の御紹介。今日はシャンソン歌手・モンデンモモさんのライヴです。
 
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5月は智恵子の生まれ月ということで、昨秋にもモモさんのライヴが行われた原宿・アコスタディオさんが会場で開催されています。
 
今回は日本女子大の智恵子さんというテーマで、平塚らいてうなどもからめるようです。
 
当方、こちらも協力ということで、また引っ張り出されるようです。
 
お申し込み、お問い合わせ等は上記画像のチラシをご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎】3月6日

明治33年(1900)の今日、『東京美術学校校友会雑誌』第2号に、光太郎の短歌「まど近くなくなる蛙我が宿の夜をゆかしみ来る友もがな」が載りました。

活字となったものとしては、現在確認されている最も古い光太郎作品です。

いろいろなところから、いろいろな案内、刊行物等届いております。順次御紹介します。

二本松市 智恵子のまち夢くらぶ主催 智恵子講座 '13

智恵子の故郷、福島・二本松で地道に活動を続けられている智恵子のまち夢くらぶさん主催の講座です。
 
この講座も長く続いています。今年は光太郎とその周辺人物をテーマに行うとのことです。
 
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当方にも講師の依頼があり、お受けすることにしました。
 
申し込み等の詳細は、上の画像をご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎】3月5日

昭和41年(1966)の今日、中央公論美術出版から、光太郎の太田村時代の素描集『山のスケッチ』が刊行されました。

閲覧数が10,000件を超えました。ありがとうございます。芸能人のツイッターとかは1日でそのくらい行くのでしょうが、こちらは開設304日にして10,000件。まぁ、細々と地味にやっていきます。
 
さて、近々放映されるテレビ番組の情報です。 

にほんごであそぼ

NHKEテレ(旧教育テレビ) 2013年3月8日(金) 7時30分~7時40分 再放送17時15分~17時25分 
 
日本語の豊かな表現に慣れ親しんで楽しく遊びながら『日本語感覚』を身につけることにより、コミュニケーション能力や自己表現する感性を育てることをねらいとしています。
番組内容
日本語の豊かな表現に慣れ親しんで、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることをねらいとしている。今回は、智恵子は東京に空が無いといふ。「あどけない話」高村光太郎、文楽/雨が、あがつて、風が吹く。…「春宵感懐」中原中也、絵あわせかるた/光る地面に 竹が生え「竹」萩原朔太郎、投稿ごもじ/ありが はるきくん・おおの こうたろうくん、うた/「じゅうにかげつ」「早春賦」。

出演者 小錦八十吉,鶴澤清介,おおたか静流 ほか
 
おそらく平成17年(2005)に放映されたものの使い回しだと思われます。この回の内容はDVD化されて販売されています。

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この番組、昨秋には「道程」を扱った放映がありました。小さい頃からすぐれた日本の文学に触れることは大事だと思います。
 
その他、やはり3.11が近いせいでしょうか、このところ「東北」が扱われるケースが多いですね。
 
以下、「花巻」や「十和田」をキーワードにして検索の網にかかっています(光太郎が扱われるかどうかはわかりませんが)。 

発見!体感!匠(たくみ)の輝き 北上川紀行 きらり!東北の秋

NHKBSプレミアム 2013年3月9日(土) 11時00分~12時00分 
 
東北一の大河・北上川の知られざる魅力を俳優の内田朝陽が探る。川が育んだ魅惑の工芸品が次々登場。中尊寺金色堂、輝きの秘密。宮沢賢治が愛した温泉、絶景と料理に感動。

番組内容
岩手県と宮城県を貫く東北一の大河・北上川の知られざる魅力を探る。源流は意外な場所に。釣り人あこがれの美しき盛岡さおの軽さの秘密。華麗で頑丈な岩谷堂タンスに職人が仕掛けた驚きのカラクリ。世界遺産・中尊寺金色堂には驚くべき、世界とのつながりが。秀衡塗の新たな挑戦。日本の川なのにイギリス海岸? 宮沢賢治が愛した花巻の風景や温泉。美味・天然うなぎ。俳優・内田朝陽さん、絶景と川の恵みの「詰め合わせ」に感動。

出演者 内田朝陽 

東北トラベラー! #4

CS旅チャンネル 2013年3月10日(日) 8時30分~9時00分 
 
「青森県」紀行 東北観光情報 東日本大震災復興 八戸市 海の幸 蕪嶋神社 三沢市 温泉宿 美肌の湯 郷土料理 十和田市 芸術の街 柳澤ふじこ 津島綾乃

番組内容
東北の観光情報番組。復興を遂げようとしている東北の様々な観光地を、旅好きな女性二人が訪れます。元気にがんばっている観光地の人々、しっかりと復興を遂げ観光客を待ちわびる施設などの様子を、現地の人々のメッセージを交えて紹介していきます。 第4話「青森県」 青森県の主要観光地から観光情報をリポートします。冷たい北国の海ならでは、八戸の海の幸に舌鼓!古くから美人の湯として親しまれている温泉宿では、身も心もゆったり癒されます。旅のクライマックスは、アートによる町づくりが行われている十和田市へ。青森の元気をお伝えします!

リポーター:柳澤ふじこ(青森県出身)、津島綾乃(青森県出身)

 
【今日は何の日・光太郎】3月4日

大正8年(1919)の今日、智恵子の母校・日本女子大学校の創設者、成瀬仁蔵が歿しました。
 
光太郎は亡くなる直前に成瀬の胸像制作の依頼を受け、成瀬を見舞っています。この像はこだわりをもって作り、完成までに実に14年かかりました。

再三お伝えしています花巻の高村記念館リニューアルに関する続報です。
 
まず花巻市HPから市長さんの施政方針。3/1の議会で発表されたようです。 

市長施政方針演述 平成25年第1回(平成25年3月議会) 抄

 平成25年度の目標と力点001
  よって、平成25年度はこれまで築き上げてきた賑わいと活気を逸することなく、観光、スポーツそして文化で、更に熱く強く逞しく、賑わいと活気ある一年を創出してまいりたいと思います。
 まず、観光面では、昨年「いわてデスティネーションキャンペーン」が展開されましたが、アフターデスティネーションキャンペーンとして、好評を博した花巻BB(べつばら)フェアを開催するとともに、新たに宿泊型観光を推進するための花巻オリジナルツアー「銀河鉄道の夜」を巡るツアーの運行や「SL銀河鉄道」の活用など、広域観光の拡大にも取り組んでまいります。
 また、スポーツのイベントとしては、プロバスケットボールbjリーグや日本ハンドボールリーグなど昨年開催した大会をはじめ、新たに全日本マスターズハンドボール大会、全国選抜フットサル大会、全日本クレー射撃選手権大会、バドミントン日本リーグ、全国女子選抜フットサル大会など、スポーツコンベンションビューローのサポートのもと、年間を通して全国レベルの大会を積極的に開催してまいります。
 そして、今年からは特に文化によるまちづくりにも力を入れてまいります。
 「賢治さんの香りあふれるまちづくり」がスタートして2年目の今年は、賢治さんが亡くなってちょうど80年目の年にあたります。この節目のイベントとして冨田勲氏が手掛け日本フィルハーモニー交響楽団が演奏する「イーハトーヴ交響曲」の公演を行うとともに、NHKのど自慢が当市で開催されます。また、市博物館では、賢治作品などを題材にした「藤城清治 光と影展」を開催するほか、特別展「北斎漫画展」の開催など市民をはじめ県内外の皆さんに、普段目にすることができない芸術作品を紹介する機会を設けてまいります。
 さらには、賢治生誕120年となる2016年(平成28年)を目標に、今年から宮沢賢治記念館や宮沢賢治童話村一帯を「賢治胡四王の森」として、ハード・ソフト両面の整備に着手してまいります。また、新幹線新花巻駅から「賢治胡四王の森」までの区間につきまして、賢治にちなんだモニュメントや案内板を整備してまいります。
 加えて、今年は高村光太郎生誕130年の記念の年となっていることから、花巻歴史民俗資料館を新たに高村光太郎記念館として改修整備し、国内唯一の記念館としての価値を高めてまいります。


続いて『毎日新聞』岩手版の報道。 

花巻市:13年度当初予算案 スポーツ施策重点 一般会計は前年度2.1%減 /岩手

毎日新聞 2013年03月01日 地方版
 花巻市は前年度比2・1%減の総額426億1030万円の13年度一般会計当初予算案を発表した。16年度の岩手国体を念頭にスポーツ施策や、文化施設整備に重点配分した。

 歳出のうち、スポーツ施設整備に約3億3900万円、スポーツ大会・合宿誘致に約950万円を計上。文化関連では、宮沢賢治生誕120年を迎える16年をめどに全面改修を予定している宮沢賢治記念館の設計費などを含む「賢治のまちづくり推進事業」に約1億2300万円、高村光太郎記念館整備にも約1400万円を計上した。  


さらに地元紙『岩手日報』の報道です。 

光太郎作品、ゆったり鑑賞 花巻の記念館が移転

 彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)を顕彰する花巻市太田の高村記念館が5月、3倍以上の広さとなって生まれ変わる。生誕130年の節目に合わせ、約300メートル先の市花巻歴史民俗資料館に移転し、手狭で作品が〝すし詰め〟だった状態を解消。ゆったりとした空間で、光太郎の作品と偉業をさらに輝かせる。
 移転後の床面積は約330平方メートルとなり、十分な空間の中で作品を展示することが可能。作品や光太郎に関する解説も充実させていく。今の記念館にはない空調設備の設置で、後世に作品を残す環境も整う。冬季休館(12月16日~3月末)はやめ、通年開館にする。
 移転日は、光太郎が東京で戦災に遭い、花巻市に疎開した45(昭和20)年の日付にちなんで5月15日。資料館の花巻人形やこけし、農具などは同市高松の市博物館に移す。
【写真=高村光太郎の顕彰施設として生まれ変わる市花巻歴史民俗資料館。展示スペースは現在の高村記念館の3倍超の広さとなる】


4/2の連翹忌では、花巻高村記念会の皆様に詳しいお話を聴けるのではないかと期待しております。

 
【今日は何の日・光太郎】3月3日

昭和28年(1953)の今日、草野心平が経営していた伝説の居酒屋「火の車」を訪れました。

たびたび御紹介しております昨年刊行された『スケッチで訪ねる『智恵子抄』の旅』
 
著者の坂本富江様から『都政新報』という地方紙の2/26日号が届きました。東京の自治体専門紙だそうです。その中に坂本様のお書きになった「私と智恵子」という記事が。これは「ブログに載せなさい」ということだと思いますので、載せます(笑)。
 
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智恵子に対する熱い思いが伝わってくるいい文章です。
 
コピー等ご入用の方は坂本様まで。こちらにご連絡いただければ仲介は致します。また、都政新報社様から現物が購入可能かも知れません。
 
坂本様、今度は3/15に、光太郎の母校である第一日暮里小学校(旧・日暮里尋常小学校)で6年生対象にお話をされるそうです。ご活躍の由、何よりです。
 
【今日は何の日・光太郎】3月2日

昭和6年(1931)の今日、光太郎が表紙の文字を書いた雑誌『詩之家』第7年第3号が発行されました。
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「La maison de la poesie」。仏語で雑誌名の『詩之家』を表したものです。
 
と、ここまで書いて、「今日は2日だったか」と思いました。光太郎忌日・連翹忌まであと1ヶ月ということになったわけです。おかげさまでご参加お申し込み、たくさんいただいておりますが、とにかく裾野を広げたいので、新規のお申し込みもお待ちしております。詳しくはこちらをご参照下さい。

6月29日(土)から千葉市美術館を皮切りに開催される企画展「彫刻家・高村光太郎展」図録のために略年譜等を作成中ですが、並行して文献目録も鋭意作成中です。
 
もちろん光太郎に関してある程度の分量の記述があるものに限っていますが、今回の企画展が「彫刻家・高村光太郎展」であるため、主に造型美術に関する文献を載せています。したがって本人著作のうち、詩集、歌集、翻訳の一部は割愛しました。
 
「割愛」ということになると、基本的に次のものも割愛しました。
 ・ 研究書等で詩歌を中心とし、彫刻に関する記述のほとんどないもの
 ・ 主に「書」に関するもの
 ・ 特集号を除く雑誌類
 ・ 研究紀要、館報、図録類
 ・ 電子書籍類
 ・ パンフレット類
 ・ 智恵子や光雲をメインとしているもの
 
中には実にすばらしいものもあるのですが、「彫刻家」としての光太郎に関する記述が少ないものは割愛せざるを得ません。残念と言えば残念です。
 
それでも150点を超える文献を網羅しています。そのまま図録に載るか、美術館側から「多すぎるのでカットしてくれ」と言われるのか、まだ判りませんが、できればそのまま載せていただきたいものです。「彫刻家としての光太郎を知るブックガイド150点」という位置づけですので。
 
図録にはさらに「展覧会歴」001も載せます。そちらはこれから作成します。また、当方の編集ではなく、千葉市美術館の学芸員さんの労作ですが、光太郎の書いたものの中から、個々の彫刻に関わる内容のものの抜粋。こちらにも『全集』未収録の、最近見つけたものをお願いして載せていただきます。
 
図録ですから当然、個々の彫刻の写真も載ります。そう考えると、今回の図録はかなりすごいものになりそうです。ぜひお買い求めを!
 
【今日は何の日・光太郎】3月1日

大正12年(1923)の今日、有島武郎に塑像「手」が贈られました。
 
有島はそれに応えて詩「手」を作り、光太郎彫刻を讃えましたが、3ヶ月後、自ら命を絶ちました。

画像は光太郎令甥にして写真家・髙村規氏の撮影になるものです。

6月29日(土)から千葉市美術館を皮切りに開催される企画展「彫刻家・高村光太郎展」図録のために略年譜等を作成中ですが、やはり光太郎の彫刻は少ない、と思いました。
 
作成中の略年譜には、その年に作ったと判明している彫刻も載せているのですが、空白の年が結構あるのです。当方、光太郎の生涯で、彫刻をあまり作らなかった時期が3回あるととらえていました。
 
1回目は海外留学から帰国した明治末~大正初期。この時期は光雲を頂点とする旧い日本彫刻界と対立、作っても発表する場がない状態で、彫刻より油絵に専念していました。
 
2回目は智恵子の統合失調症がひどかった時期。すなわち智恵子が発症した昭和6年(1931)から智恵子の死の13年頃(1938)。
 
3回目は戦時による物資欠乏から戦後の花巻郊外太田村での隠遁生活の時期。
 
ところが一概にそうともいえないと感じました。智恵子の統合失調症がひどかった時期も、年に2,3作を作っている年もあります。逆に智恵子が亡くなってすぐの昭和14、15年(1939,1940)の方が、年に1作ずつしか記録がありません。また、別に身辺に重大な問題はなかったのに、昭和3年(1928)には1作、翌4年(1929)にはなし。
 
これはどういうことなのかな、と思いましたが、どうも展覧会に発表したり、注文を受けて販売したりしなかったので記録に残っていないのではないかと考えています。少し前の【今日は何の日・光太郎】に書いた日本女子大学校から依頼された成瀬仁像の像も、完成までに14年かかる中で、「毎年一つずつ作っては壊ししていた」的なことを書いていますし、有名な「蝉」の木彫も「10個ぐらいは作った」と書いています。しかし残っている「蝉」は4つ程です。
 
結局、作るだけ作って何処にも発表したり販売したりせず、手元に残っていた彫刻が結構あったのではないかと推定されます。しかし、それらは昭和20年(1945)4月の空襲で、アトリエと共に灰になってしまったわけでしょう。
 
かえすがえすも残念です。
 
さて、図録用に略年譜と共に「参考文献目録」も作成中です。明日はそのあたりについて。
 
【今日は何の日・光太郎】2月28日

昭和4年(1929)の今日、叢文閣から『ロダンの言葉』正続の改装普及版を刊行しました。

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昨日のブログで御紹介しましたが、6月29日(土)から、3館巡回で企画展「彫刻家・高村光太郎展」が開催されます。

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最初に行われる千葉市美術館から依頼を受け、図録の一部を執筆することになりました。現在、鋭意作成中です。
 
まずは光太郎の略年譜。北川太一先生編の『高村光太郎全集』(筑摩書房)別巻に、100ページを超える詳細な年譜が載っており、そこから抜粋させていただいています。また、それだけでなく、『全集』別巻は平成10年の刊行なので、その後に判明した事実も織り込んでいます。
 
たとえば光太郎は大正元年夏に千葉の犬吠埼に行っていますが、その日付は不明でした。それが数年前に見つけた編集者の前田晃にあてた書簡から、9月4日に帰京したことが判っています。
 
また、同じ年の秋には文展(文部省美術展覧会)の評を「西洋画所見」の題で『読売新聞』に連載しています。従来は11月16日に掲載された第11回で完結と思われており、『全集』第6巻には第11回までしか収録されていませんでした。しかし、これも数年前、11月17日に掲載された第12回を見つけ、これが間違いなく最終回と判明しました。今度の年譜には「1912 明治45・大正元 11/1~17 全12回にわたり、『読売新聞』に文展評「西洋画所見」を連載。」と書きます。『全集』のみを見て「16日だろ」「12回じゃないぞ」と言わないで下さい。間違いではありませんのでよろしく。ちなみにこの「西洋画所見」、第8回で夏目漱石の文展評を「陳腐だ」とこきおろしていることで有名です。
 
他にも昨年のブログでレポートしましたが、海外留学中、アメリカからイギリスに渡航する際に乗った船がホワイトスターライン社の「オーシャニック」と判明したのでそれも書きましたし、他にも従来の年譜になかった講演会の記録なども載せました。
 
と、まぁ、いろいろ新事実も織り込んでいるのですが、それもこれも元にさせていただいた北川太一先生の労作の年譜があってこそのことであります。

 
まだ先の話ですが、是非ともご来場の上、図録もご購入下さい。

 
【今日は何の日・光太郎】2月27日

明治39年(1906)の今日、海外留学の最初の目的地、ニューヨークに到着しました。

ブログ掲載に関し、こちらも正式発表を待っていましたが、先週発表されましたので御紹介します。
 
ほぼ今年いっぱい行われる3館巡回の企画展で、あと2館は西日本、中部日本なのですが、そちらの当該館からはまだ正式発表がないので、皮切りに当たるもののみ御紹介します。  

期 日 : 平成25年6月29日(土)~8月18日(日)
会 場 : 千葉市美術館
時 間 : 10:00~18:00 金土は20:00まで
休 館 : 第一月曜日(7月1日、8月5日)
料 金 : 一般 1000円(800円) 大学生 700円(560円) 小・中学生、高校生無料
      ( )内団体料金

近代日本の彫刻家を代表する存在である高村光太郎(1883-1956)の生誕130周年の節目を迎えて開催される本展覧会では、彼の彫刻家としての原点ともいえる木彫作品を重視するとともに、彼が参照したロダン(1840-1917)をはじめとするヨーロッパの彫刻家、佐藤朝山(1888-1963)や藤川勇造(1883-1935)などの同時代の日本の彫刻家たちの作品と妻・智恵子(1886-38)が制作した紙絵を併せて展示することによって、光太郎の造形世界について再考を試みます。
 
同時開催 高村光太郎の周辺
「彫刻家・高村光太郎展」展の開催に合わせ、当館の所蔵作品のなかから、彼と関わりのあったアーティストたちの作品を中心にご紹介します。

(同館HPより)
 
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今回の企画展の特色は、とにかく「彫刻家」としての光太郎にこだわること。したがって、今までの企画展でよく並べられていた著書や筆跡などの類は並びません。そのかわり、若き日の習作に始まり、現存する光太郎彫刻の
ほとんどすべてが並ぶ予定です。
 
特筆すべきは木彫の作品。これもほとんどが出品予定です。今までの企画展ではブロンズの作品は必ず出品されていましたが、木彫はあまり出品されませんでした。ブロンズは同じ原型から鋳造した同一のものがたくさんあるのに対し、木彫は一点のみということも理由ですし、「木」というある意味あえかな素材であり、また、施されている着色が経年による劣化で薄く成りつつあるという問題もあるためです。
 
同じ理由で、光太郎木彫を持っている美術館等も、常設展示では出していません。先日、北川太一先生との雑談の折、そういう話題になり、「ああいう木彫をじかに見て啓示を受ける若い人もいるだろうに、もったいないね」とおっしゃっていました。その通りだと思います。でも、保存という観点から見ればしょうがないのでしょう。
 
しかし、今回はほとんどの木彫が出品されます(残念ながら平成14年(2002)に七十余年ぶりに所在が確認された「栄螺(さざえ)」は出品されません)。図録もものすごいものができそうです(当方も一部を担当します)。
 
この機会にぜひ、光太郎彫刻の世界をご覧下さい。他の2館についても、正式発表があり次第、御紹介します。
 
【今日は何の日・光太郎】2月26日

大正12年(1923)の今日、帝国ホテルで開かれた「与謝野寛先生生誕50年記念晩餐会」に出席、発起人代表としてスピーチしました。

昨日のブログで御紹介した岩手花巻の高村記念館リニューアルの件、『読売新聞』さんの岩手版で昨日報道されました。

花巻歴史民俗資料館、光太郎記念館に衣替え

 「智恵子抄」などで知られる詩人で彫刻家の高村光太郎(1883~1956)が戦中戦後に暮らした花巻市に5月、新たに高村光太郎記念館がオープンする。生誕130年を迎えるのを機に市が同市太田の花巻歴史民俗資料館を記念館に刷新する。
 
 高村光太郎は、太平洋戦争末期、親交のあった宮沢賢治(1896~1933)の弟・清六氏(1904~2001)の家があった旧花巻町(現在の花巻市)に疎開。戦後は旧太田村(同)のあばら家に移り、7年間、農耕自炊の生活を送りながら創作活動を行った。
 
 太田地区には、そのあばら家が「高村山荘」として保存されており、近くには光太郎を顕彰する国内唯一の記念館が財団法人高村記念会(花巻市)によって運営されている。しかし、展示スペースは78平方メートルと狭く、所蔵する資料を展示しきれていない。空調設備もなく、資料の傷みも懸念されていた。
 
 そのため、財団が昨年、資料館の活用を市に要望し、展示品の「十和田湖裸婦像原型」など美術品5点(評価額6000万円相当)や、記念館整備資金として500万円の寄付を申し入れていた。
 
 市によると、現在の記念館は冬は営業していないが、新しい記念館は通年営業とし、光太郎の花巻での暮らしをメーンテーマに、彫刻や絵画、詩などを展示する。現在の歴史民俗資料館の展示品は市博物館に移す。
 
 光太郎が花巻に疎開した5月15日に行われる「高村祭」に合わせてプレオープンし、15年に全体の整備を終える計画という。事業費は未定。
 
 5月時点の展示スペースは現記念館の3倍弱にとどまるが、最終的には、資料館の収蔵庫も展示室に改装し、現在の6倍ほどの広さになる計画。市は「公の施設として記念館を設置し、国内唯一の記念館として存在価値を高めていきたい」としている。
 
2013年2月24日 読売新聞)
 
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公式発表がありましたら、詳細を御紹介します。

 
【今日は何の日・光太郎】2月25日

大正8年(1919)の今日、智恵子の母校、日本女子大学校から創立者・成瀬仁蔵の胸像制作を依頼されました。

完成、除幕されたのは昭和8年(1933)。実に14年かかりました。

このブログで時々触れていますが、花巻市郊外太田地区に、昭和20年(1945)から同27年(1952)まで、光太郎が暮らした山小屋が「高村山荘」として保存されています。
 
その山荘からほど近いところに、光太郎の遺品や彫刻、書画を展示する「高村記念館」があります。開館は昭和41年(1966)。花巻の財団法人・高村記念会が管理運営しています。
 
当方も、なんやかやで10回ほど行ったと思います。非常に素朴で味わい深い館です。夏場は開け放した入口からオニヤンマが迷い込み、館内を飛び回っていました。
 
しかし、建物自体が老朽化し、また、展示も充分とは云えないということで、今年、これも近くにある現在の花巻市歴史民俗資料館を新たな高村記念館とし、全面的にリニューアルされることになりました。
 
当方、昨秋には花巻の高村記念会から聞いていましたし、協力要請もあったのですが、正式発表がまだ、ということでこのブログでも触れずにいました。
 
しかし、正式発表はまだなのですが、2月19日の花巻市議会での議員説明会の議題にのぼり、それを受けて地元紙に報道されてしまいました(「されてしまった」というのも変ですが……)。また、花巻市議会議員さんや大沢温泉さんのブログなどにも掲載されています。
 
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詳しくはやはり正式発表があってからご紹介しますが、差し支えない範囲を今日書きましょう。
 
まず、今年はプレオープンということで(5月15日の花巻高村祭の日に合わせるそうです)、来年には周辺環境等の整備、本格オープンは再来年です。展示スペースはかなり広くなり、企画展等も開催できるスペースを設けるとのこと。そして、現在は冬期間閉鎖ですが、やがては通年開館を考えているとのことです。
 
これを機に、多くの皆様にご来館いただきたいと考えています。
 
先程書いた通り、詳細は正式発表があってからまた書きます。
 
【今日は何の日・光太郎】2月24日

昭和55年(1980)の今日、晩年の光太郎と交流があり、光太郎没後10年間開催された彫刻と詩二部門の「高村光太郎賞」選考委員も務めた彫刻家・本郷新の葬儀が、光太郎と同じ青山斎場で行われました。

一昨日、昨日に引き続き、あちこちの美術館、文学館等での企画展で光太郎作品が展示されているものをご紹介します。  

佐々木一郎展~岩手の雪に魅せられて~

期 日 : 平成25年1月26日(水)~3月24日(日)
会 場 : もりおか 啄木・賢治青春館 岩手県盛岡市中ノ橋通1-1-25
時 間 : 10:00~18:00
休 館 : 毎月第2火曜日 ただし、第2火曜日が祝祭日の場合は開館
料 金 : 無料

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盛岡出身の画家、佐々木一郎(大正3年=1914~平成21年=2009)の展覧会で、同館でシリーズとして行っている企画展「発掘・盛岡ゆかりの画家シリーズ」の一環です。

佐々木は、岩手大学教授や岩手美術協議会会長等を歴任、戦後、花巻郊外太田村在住の頃の光太郎と交流がありました。その関係で、光太郎日記(『高村光太郎全集』第12巻・13巻)に名前がよく出てくるほか、光太郎からの書簡も数多く残っており、『高村光太郎全集』第21巻に収録されています。
 
この企画展では、佐々木の作品以外にそうした光太郎からの書簡、光太郎が書いた岩手県立盛岡美術工芸学校開校式祝辞などが展示されているようです。
 
と、一昨日から3連発で各地の企画展で光太郎作品も展示されているものを御紹介しましたが、まだまだこの手のものはあるかも知れません、光太郎がメインでないと、なかなか情報を得るのが困難です。今後開催予定のものを含め、情報をお持ちの方はお知らせいただければ幸いです。

 
【今日は何の日・光太郎】2月23日

昭和28年(1953)の今日、芝・伊皿子の松で、雑誌『中央公論』掲載のための座談「敗けた国の文化」(『高村光太郎資料』第三集)を行いました。

他の出席者はバーナード・リーチ、柳宗悦、濱田庄司、石川欣一でした。

昨日に引き続き、あちこちの美術館、文学館等での企画展で光太郎作品が展示されているものをご紹介します。   

期 日 : 平成25年1月26日(土)~3月24日(日)
会 場 : 神奈川県立近代美術館葉山館 神奈川県三浦郡葉山町一色2208-1
時 間 : 午前9時30分から午後5時
休 館 : 月曜日(ただし祝日および振替休日の場合は開館)
料 金 : 一般 900円(団体800円)20歳未満・学生 750円(団体650円)65歳以上 450円
      高校生 100円


「保存、修復という作品の知られざる部分に光をあてることによって、近代日本美術の問題点を探り、新たなる発見を浮かび上がらせようとする展覧会」だそうで、岸田劉生、藤田嗣治、松本竣介などを中心に明治期から昭和前期までの約60名による油彩画、水彩画、約170点が並んでいるそうです。
 
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光太郎の作品は大正2年の油絵「上高地風景」1点。また、約60名ということで、光太郎と交流のあった画家の作品も数多く展示されています。黒田清輝、岸田劉生、藤田嗣治ら有名どころもいれば、あまり観る機会の多くない村山槐多、柳敬助、南薫造らの作品も並んでいるそうです。
 
別件ですが「上高地」ということで、先月のブログで御紹介したBSフジのテレビ番組「絶景百名山 「秋から冬へ 上高地・徳本峠」」、再放送があります。2013/03/01(金)22:00~22:55 です。見逃した方はぜひご覧下さい。光太郎・智恵子のエピソードが約3分間あります。
 
【今日は何の日・光太郎】2月22日

昭和24年(1949)の今日、花巻郊外太田村の山小屋に、村人の好意で初めて電灯がともりました。
 
光太郎がこの小屋に入ったのが昭和20年(1945)の秋ですから、約3年半、電気のない生活を送っていたのです。

あちこちの美術館、文学館等での企画展。ちょぼちょぼと光太郎作品も展示されています(またはこれからされます)。いくつかご紹介します。

 

期 日 : 平成25年2月23日(土)~4月14日(日) 
会 場 : 兵庫県丹波市立植野記念美術館 兵庫県丹波市氷上町西中615番地4
時 間 : 午前10時~午後5時
休 館 : 毎週月曜日(月曜日が祝日の場合はその翌日)
料 金 : 一般 300円 大学・高校生 200円 小学生100円
 
 
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「ある銀行家の日本画コレクション」というのは、「長谷川コレクション」ということで、調べてみましたところ、山形銀行、殖産銀行の関連のようです。山形美術館に300点近くが寄贈され、同館の常設展示で入れ替えをしながら並べられているようです。
 
丹波の企画展はその中からのセレクトのようで、001光太郎の色紙「牛」が含まれています。
 
昭和12年(1937)10月31日に、山形の長谷川吉三郎(元山形銀行頭取)に宛てた書簡(『高村光太郎全集』第14巻)にこの作品について書かれています。
 
拝啓、其後御無沙汰に打過ぎ居りました。夏の暑さなどに遮られ、のびのびとなつて居りました色紙を今日の日曜日に書きましたゆゑ不出来ながら明朝小包にてお送りいたします。文字の方は拙詩“牛”の中の一行に有之、デツサンの方はコンテにて描きました。彫刻の方も追々着手の運びといたします。
 
詩「牛」は有名な「道程」と同じ大正3年(1914)の作。115行もある大作で、これも意外と有名な作ですね。
 
「コンテ」は素描用の画材で、クレヨンに近いものです。したがって厳密には日本画ではありません。他の出品作は富岡鉄斎、川合玉堂、川端龍子などのバリバリの日本画で、その中でこの光太郎色紙は異彩を放っています。チラシによれば夏目漱石の画も出品されるようです。
 
3/19を境に出品作の入れ替えだそうで、「牛」がその前なのか後なのか、それとも全会期通しで並ぶのか、わかりかねます。すみません。
 
【今日は何の日・光太郎】2月21日

昭和28年(1953)の今日、来日した陶芸家バーナード・リーチと久しぶりに再会、旧交を温めました。

名古屋在住の方から情報をいただきました。

TIAA全日本作曲家コンクール入賞記念 野村朗作品リサイタル 

期 日 : 平成25年3月9日(土) 
会 場 : 電気文化会館 ザ・コンサートホール 名古屋市中区栄2-2-5 地下鉄伏見駅下車
時 間 : 午後2時開場 午後2時30分開演
料 金 : 2,000円(全席自由) 
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野村氏は名古屋音楽短期大学作曲専攻卒。平成24年度東京国際芸術協会主催の第12回全日本作曲家コンクールの歌曲部門で入選、ということで、それを記念してのリサイタルだそうです。
 
その際の受賞作品が光太郎の詩に曲をつけた「千鳥と遊ぶ智恵子」。それを含む「連作歌曲「智恵子抄」」がプログラムのメインのようです。演奏者の皆さんも名古屋音大の卒業生だそうです。
 
興味のある方はどうぞ。
 
【今日は何の日・光太郎】2月20日

平成14年(2002)の今日、青山スパイラルホールで上演された智恵子を主人公とする、野田秀樹作、大竹しのぶ出演の一人芝居「売り言葉」が千秋楽を迎えました。

光太郎と交流のあった岡山の詩人、永瀬清子に関する紀行の2回目です。
 
清子の生家を後にし、イベント「朗読会 永瀬清子の詩の世界~想像の詩人~」が行われる赤磐市くまやまふれあいセンターに着きました。
 
敷地内にはやはり清子の詩碑がありました。
 
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また、清子の詩に出てくる花々を集めた「詩006の庭」という花壇もありました。季節が季節ですので、ほとんど花は咲いていませんでしたが、唯一、紅梅だけが花を咲かせていました。
 
そういえば、昨日書き忘れましたが、この日、2月17日の清子の命日は「紅梅忌」と名付けられているそうです。
 
さて、会場内に入り、いよいよイベントの開幕です。
 
司会は山陽放送パーソナリティーの遠藤寛子さん。まずは地元の方々による清子作品の朗読、合唱でした。ステージ上の幔幕も、清子の詩にちなむ、地元の方々作成の「諸国の天女」。
 
続いて第10回永瀬清子賞表彰式。これは県内の小中学生が対象で、小学校低学年の部、同高学年の部、中学校の部に分かれ、今年は応募総数476点。そのうちの入賞者の表彰と、自作の詩の朗読がありました。
 
こういう地域密着の企画を織り込むというのも、大事なことだと思いました。連翹忌ではなかなかこのあたりが難しいところです。
 
休憩を挟んで、H氏賞を受賞されたことのある詩人の山本純子氏による講演。講演というより、朗読講座といった内容でした。
 
テキストには清子の詩、自作の詩、それから谷川俊太郎や草野心平などの詩が使われました。光太郎の詩が使われなかったのがちょっと残念でした。
  
イベントの始まる前と終わった後、いつもいろいろとご案内やら資料やらを送って下さる清子のご息女・井上奈緒様や、永瀬清子の里づくり推進委員会の白根直子様とお目にかかれたのも幸いでした。
 
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また、白根様の労作、『詩人 永010瀬清子の生涯』も手に入り、早速、帰りの新幹線車中で拝読しました。こちらには、昭和9年(1934)の第1回宮沢賢治友の会の写真も掲載されており、光太郎も映っています。
 
というわけで、なかなか有意義な岡山行きでした。
 
街をあげて、まあはっきり言えばあまり有名ではない詩人の顕彰活動をしっかりと地域密着で行っているという点に頭が下がりました。
 
ただ、一昨日のブログに書いたとおり、1泊2日の1日目が空振りだったのが痛かったのですが、今年中にまた別件で岡山に行く機会がありますので、その時にはついでにそちらに寄り、また収穫を得たいと思っております。
 
【今日は何の日・光太郎】2月19日

昭和38年(1963)の今日、講談社から『日本文学全集40 高村光太郎・宮澤賢治集』が刊行されました。

さて、岡山永瀬清子紀行です。
 
永瀬清子は明治39年(1906)2月17日、岡山県赤磐郡豊田村松木(現赤磐市)に生まれました。亡くなったのは平成7年(1995)2月17日。なんと、誕生日と命日が一緒という偶然です。というわけで、昨日の2月17日にイベント「朗読会 永瀬清子の詩の世界~想像の詩人~」があったわけです。
 
光太郎とは、一昨日の【今日は何の日・光太郎】に書きましたが、昭和9年(1935)、新宿で宮沢賢治を追悼する「第一回宮沢賢治友の会」が開かれ、そこで知り合いました。その席上、遺品の手帳から「雨ニモマケズ」が見つかりました。その後、昭和15年に刊行された第二詩集『諸国の天女』の序文を光太郎が書いています。
 
詩集『諸国の天女』より、表題作です。007
 
  諸国の天女
 
諸国の天女は漁夫や猟人を夫として
いつも忘れ得ず想つてゐる、
底なき天を翔けた日を。
 
人の世のたつきのあはれないとなみ
やすむひまなきあした夕べに
わが忘れぬ喜びを人は知らない。
井の水を汲めばその中に
天の光がしたたつてゐる
花咲けば花の中に
かの日の天の着物がそよぐ。
雨と風とがささやくあこがれ
我が子に唄へばそらんじて
何を意味するとか思ふのだらう。
 
せめてぬるめる春の波間に
或る日はかづきつ嘆かへば
涙はからき潮にまじり
空ははるかに金のひかり
あゝ遠い山々を過ぎゆく雲に
わが分身の乗りゆく姿
さあれかの水蒸気みどりの方へ
いつの日か去る日もあらば
いかに嘆かんわが人々は
 
きづなは地にあこがれは空に
うつくしい樹木に満ちた岸辺や谷間で
いつか年月のまにまに
冬過ぎ春来て諸国の天女も老いる。
 
その後も光太郎との交流は続き、戦後、清子が中野のアトリエを訪れたりもしました。清子の随筆集『かく逢った』(昭和56年=1981 編集工房ノア)の巻頭にはその時の様子が書かれています。
 
さて、昨日、岡山市内のホテルをチェックアウト、せっかく来たのだからと、日本三名園の一つ後楽園と、岡山城を歩きました。 

 
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当方、岡山は山陽自動車道を車で通過したことはありましたが、ちゃんと行ったのは初めてです。
 
その後、岡山駅から山陽本線に乗り、永瀬清子の里、赤磐方面に向かいました。
 
下りるべき駅は熊山駅ですが、そこは通り過ぎ、次の和気駅で下車。せっかく来たのですから、温泉に行かない手はありません。鵜飼谷温泉という温泉があり、入ってきました。よく行く花巻の大沢温泉と同じ、アルカリ性の泉質で、肌がすべすべになりました。
 
寄り道はこの辺にして、いざ永瀬清子の里へ。
 
熊山駅に戻り、改札を出ると大きな案内板。なんと、永瀬清子の詩碑や生家があるではありませんか!
詩碑は会場へ行く途中、生家は会場の近くです。それは存じませんでした。
 
駅近くの吉井川にかかる橋を渡ると、詩碑がありました。昭和23年(1948)作の「熊山橋を渡る」と言う詩の一節が刻まれています。 
 
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さらに歩くこと20分。松木の集落に入り、案内板にしたがって生家を目指すと、生家の直ぐ手前に和気清麻呂の墓がありました。隣の「和気駅」の「和気」は「和気氏」の「和気」だったのですね。
 
さて、生家。
 
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「大永瀬」といわれた素封家の一族で006、かつては立派な家だったことが窺えます。しかし現在は痛みが激しく、「永瀬清子生家保存会」という団体が募金をつのり、維持、修理を行っているそうです。
 
清子はここで生まれ、父親の仕事の都合で幼い頃ここを離れますが、戦争の関係で昭和20年(1945)にここに戻り、同40年までここにいたそうです。以前に赤磐市の永瀬清子の里づくり推進委員会様から、『全集』未収録の光太郎から清子宛書簡4通の情報をいただき、「光太郎遺珠」に掲載しましたが、その4通はここに届いたものです。そう思うと感慨深いものがありました。
 
庭には復元された井戸もありました。
 
水屋の壁には復元に芳志を寄せた方のお名前が。その中には詩人の新川和江氏、日高てる氏のお名前も。
 
清子は女流詩人の草分け的存在でもあり、後の女性詩人たちからも敬愛されていたのがよくわかります。
 
そろそろ「朗読会 永瀬清子の詩の世界~想像の詩人~」の時間なので、会場のくまやまふれあいセンターを目指しました。
 
田圃の畦道をショートカットで歩きます。よくみるとそこここに野ウサギの糞。すごいところです。だいたいコンビニの一軒もありません。それこそSLが黒煙を吐いて走っていても何の違和感もないでしょう。
 
さて、会場に到着。続きは明日書きます。

 
【今日は何の日・光太郎】2月18日

嘉永5年(1852)の今日(旧暦ですが)、浅草で光太郎の父、高村光雲が誕生しました。

黒船来航の前年です。

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岡山を後にして、東京に向かう新幹線のぞみに乗りました。

昨日、岡山に来て、瀬戸内海沿岸の瀬戸内市牛窓というところに調査に行きました。しかし目的の施設が開いておらず、空振り。今年中にまた岡山を訪れる用件があるので、また出直します。

昨夜は岡山市内に宿泊、今日は赤磐市というところに行きました。光太郎と交流があった永瀬清子という詩人に関するイベントがあり、参加しました。

山あいののどかな里でいいところでした。

詳しくは帰ってレポートします。

【今日は何の日・光太郎】2月17日

明治40年(1907)の今日、智恵子の末弟・修二が誕生しました。

一昨日、「伊藤信吉没後10年記念展」を観に行った高崎の群馬県立土屋文明記念文学館へは、自家用車で行きました。もう一カ所、お目当ての場所があったためです。
 
群馬県立土屋文明記念文学館を後にし、前橋インターから関越自動車道に乗り、南下。埼玉県に入ってしばらく走り、東松山インターで関越道を下りました。そのまま更に一般道を南下、目指すは東武東上線の高坂駅です。
 
高坂駅から西にのびる通りは、「彫刻通り」と名付けられ、光太郎と交流のあった彫刻家・高田博厚(明33=1900~昭62=1987)の作品が32体、配されています。なぜここに、というと、昭和57年(1982)に、高田が東松山市で講演と彫刻展を行ったことがきっかけだそうで、おそらく当時の教育長で、やはり光太郎と交流のあった田口弘氏の尽力があったのではないかと推測されます。同市の新宿小学校には、田口氏の尽力で、光太郎の筆跡を刻んだ「正直親切」の石碑が昭和58年(1983)に建立されています。

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彫刻群の設置は昭和61年(1986)、高坂駅西口の区画整理に伴ってことでした。
 
ただ光太郎と交流があった彫刻家の作品群、というだけでなく、ずばり「高村光太郎」像があるので、今回、足をのばしたわけです。以前からそれがあるというのは知っていましたが、なかなか機会がなく、延び延びになっていました。新宿小の石碑は以前に見に行ったのですが、その時には高坂駅前の彫刻の存在を知りませんでした。当方、やはり子供の頃、東松山に3年余り住んでいたのですが、離れて数十年経つと疎くなります。
 
さて、こちらが光太郎像。

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昭和34年(1959)の作です。晩年の光太郎の肖像ということでしょう。何だか古代ギリシャの哲人の像、といっても通用しそうです。

ここの作品には、高田の一言がそれぞれの台座に刻まれています。曰く、
 
日本の彫刻界で彼のように聡明確実な腕を持った者は一人もいなかった。 その上彼の世間を相手にしない孤高な魂はそれに気品を与えた。彼は木盆にヴェルレーヌの、 「われは選ばれたる者の怖れと喜びを持つ」を原語で自ら彫りつけていた。
 
光太郎本人をよく知る高田の言ということで、興味深いものがあります。
 
ちなみに「ここの」、と書きましたが、同じ原型から鋳造された光太郎像は、岩手花巻の花巻北高校校庭にもあります。こちらは昭和51年(1976)の設置。光太郎詩「岩手の人」の一節が台座に刻まれています。
 
岩手の人 沈深牛の如し。両角の間に天球をいだいて立つ かの古代エジプトの石牛に似たり。地を往きて走らず、企てて、草卒ならず、つひにその成すべきを成す。

同校と光太郎に直接の関連はありませんが,光太郎の精神に共鳴した同校卒業生父兄らによって建立されました。

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さらにもう一点、屋内展示ですが、信州塩尻の古田晃記念館にもこの光太郎像が収蔵されています。古田晃は筑摩書房の創立者で、やはり光太郎と交流がありました。
 
探せばまだ全国の美術館等のどこかにある016のかも知れません。ご存じの方はご教示いただけると幸いです。
 
高坂駅西口の高田博厚彫刻群。宮沢賢治もいました。
 
こちらも凛とした感じですね。
 
さて、今日、明日と1泊2日で、岡山に行ってきます。
 
1/16のブログで御紹介しましたが、光太郎と交流のあった詩人・永瀬清子関連のイベントに参加します。他にもやはり光太郎と交流のあった詩人・高祖保の関係で、調査をして参ります。我ながら自分のフットワークの軽さに感心しています(笑)。
 
【今日は何の日・光太郎】2月16日

昭和9年(1935)の今日、新宿で宮沢賢治を追悼する「第一回宮沢賢治友の会」が開かれ、その席上、遺品の手帳から「雨ニモマケズ」が見つかりました。
 
その場にいたのが、光太郎や草野心平。そして永瀬清子も。なかなかすごい偶然ですね。

昨日、高崎市の群馬県立土屋文明記念文学館で「伊藤信吉没後10年記念展~風の詩人に会いに来ませんか~」を観て参りました。
 
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伊藤信吉(明39=1906~平14=2002)は、前橋市の出身の詩人。詩人としても有名ですが、実際に交流のあった他の詩人たちの研究、評論の分野でも有名です。
 
企画展では伊藤自身の詩業についての展示もありましたが、他の詩人たちとのつながりを強調した展示もありました。そのコーナーは詩人ごとに分類されています。すなわち島崎藤村、光太郎、萩原朔太郎、室生犀星、草野心平、中野重治。
 
光太郎のコーナーでは、伊藤の書いた光太郎に関する草稿、光太郎から伊藤宛の書簡、光太郎の著書、光太郎に関する伊藤の著書など20点近くが並んでいました。
 
「ほう」と思ったのは、伊藤の書いた句幅2点。
 
  歎けとて秋海鳴りの九十九里   智恵子の昔をしのびて
 
  木枯らしや太田村の小屋を如何に吹く  花巻、光太郎山荘
 
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九十九里や花巻の山小屋を訪れるにしても、光太郎と直接関わりのあった氏にしてみれば、特別な感懐があったのでしょう。
 
展覧会は3/17(日)まで。ぜひ足をお運びください。
 
【今日は何の日・光太郎】2月15日

昭和28年(1953)の今日、ヴェルハーレン著・光太郎訳の詩集『天上の炎』が創元文庫のラインナップに加えられました。

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本物のピカソ、やってくる 埼玉・川越の中学校

 本物のピカソやルノワール、人間国宝らのアート作品が、16日から2日間、川越市今福の市立福原中学校体育館で展示される。人間国宝美術館(神奈川県湯河原町)と真鶴アートミュージアム(同県真鶴町)による「出張美術館」の一環。
 なかなか美術館に足を運ぶことがない人や子どもたちが本物に触れる機会をつくり、震災や不況の中にある日本を元気にしようと、両美術館が昨年から始めた企画。今年は福島県郡山市の専門学校とともに同校が選ばれた。
 展示するのは、両館が所蔵する絵画、彫刻、陶器など約100点。ピカソやルノワール、シャガール、コローら海外の有名画家の作品に加え、国内からも棟方志功、岡本太郎、高村光雲、梅原龍三郎、東山魁夷、平山郁夫、横山大観、北大路魯山人、草間彌生らによる超一級の芸術作品がそろう。
 16、17日の午前9時30分~午後4時。学芸員の説明もある。16日午後(時間未定)には、東京芸術大学の北郷悟副学長が来校し、作品を解説する。
 入場無料。駐車場が狭いため公共交通機関の利用を呼びかけている。問い合わせは同校(049・243・4140)。
朝日新聞デジタル 2013-02-09

お近くの方、足を運ばれてみてはいかがでしょうか。
 
川越は江戸時代、特産のサツマイモのキャッチコピーを「九里四里(栗より)美味い十三里」とし、江戸から川越までの距離、13里(約50㎞強)がサツマイモの別名となりました。都心から50㎞強、池袋から東武東上線で約40分、以外と近いところです。当方、子供の頃、2年余り住んでいました。蔵作りの古い街並みがいい感じです。
 
都内の方もどうぞ足を運ばれてみて下さい。
 
【今日は何の日・光太郎】2月14日

昭和16年(1941)の今日、『読売新聞』に15回にわたって掲載された座談「新女性美の創造」が最終回となりました。光太郎の他に宮本百合子、豊島与志雄などが参加しました。

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左から3人目、光太郎

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