昨日、光太郎ゆかりの地・宮城県女川町の話題で『石巻かほく』さんの記事をご紹介しましたが、系列の『河北新報』さんが一面コラムで昨年12月に光太郎の名を出して下さっていました。見落としていました。
2ヶ月前のものですが、事態は好転どころか、悪化の一途を辿っていますね。10月初めに自民党総裁選が行われ、明日はこの時期としては異例の衆議院選挙。総裁選前から続く政治的空白は4ヶ月以上に及び、物価高や円安、旧統一協会の問題など喫緊の課題がなおざりになったままです。逆にコラムでも取り上げられている問題発言など、余計なことばかり。ちなみに衆議院解散に伴って、審議中だったりした法案が何と74本も廃案となったそうで。永らく議論されてきた選択的夫婦別姓法案や、先の参院選で問題となった企業・団体献金を規制する政治資金規正法改正案もです(まぁ、74本の中にはギャグとしか思えない「ナントカ損壊罪」についても含まれるようですが)。ついでに言うなら来年度予算の編成にも大きく影響します。
さらに嘆かわしいのが、平和憲法を軽視し、息を吐くように嘘を吐き、G7や党首討論で敵前逃亡を繰り返す騒動の当事者やその取り巻きをもてはやす声の多さ。まさに戦前の我が国を彷彿とさせるという論評がありますが、その通りですね。
過日ご紹介した小関素明氏著『「大東亜戦争」幻想化と「戦争責任」の精神史 擬態に対峙する詩人たち』は、そのあたりで非常に示唆に富むものでした。昭和16年(1941)の太平洋戦争開戦直前、日中戦争の泥沼化、対日禁輸による各種の統制などで日本全体が包まれていた閉塞感に、開戦の詔勅や報が風穴を開け、これから訪れるであろうさらなる苦難の日々に思いを馳せることなく、ほとんどの国民がある種の開放感に包まれていたというものです。
コラムに名が上げられている通り、光太郎もその急先鋒の一人でした。同書では12月8日当日、大政翼賛会中央協力会議に参加していた光太郎の随想「十二月八日の記」が引用されています。
ちなみに光太郎はこの頃の自分の愚かさを戦後になってしっかりと反省し、7年間もの過酷な蟄居生活を送ることとなります。
他の文学者たちのそれも紹介されています。
今こそ全文化を目的意識と観念的規定の室から出して、凛然たる外気に当て、自然のままに生きてゆくものだけを生育せしめるやう、純粋化し、淘汰せねばならぬ。
かういふ時期にこそ、文学には「文」の領域があることをはつきり認識することが出来る訳だ。今までのやうに「軍」や「政治」に追従してゐたのから去つて、明確に己が本然の使命の下に、今日の栄えある国民的試練の時を自力で生きてゆかなければならぬ。(河上徹太郎)
本日みたいにうれしい日はまたとない。うれしいといふか何といふかとにかく胸の清々しい気持だ。(略)宣戦の大詔を三度聞き三度読んだ。(黒田三郎)
涙が流れた。言葉のいらない時が来た。(坂口安吾)
ふと、自分は、ラジオを聴く前と、別人になつてゐるやうな気がした。(略)一間も二間もある濠を、一気に飛び越えたやうな気持がした。(獅子文六)
それを、ぢつと聞いてゐるうちに、私の人間は変わつてしまつた。強い光線を受けて、からだが透明になるやうな感じ、あるひは、聖霊の息吹きを受けて、つめたい花びらを胸の中に宿したやうな気持。日本も、けさから、ちがふ日本になつたのだ。(太宰治)
まつたく一日として神経の安まる日はないのであつた。私たちは今の言葉でいふ、ノイローゼになつてゐた。これ以上、こんな緊張の日々が続くのは耐へられない。そこへもつて十二月八日の太平洋開戦だ。なにはとまれ、これでどつちかへ片づく。ヤレヤレといふ気もちであつた。(徳川夢声)
十二月八日、大詔が渙発せられ、米英との国交が断絶せられた事は、生をこの聖代にうけたものの真に重大事と考ふべき事である。
これこそ世界歴史への一大転換の御命令であつて、吾々は過去と遮断して全く別の体系に這入つたことを自覚せねばならぬのである。(中河与一)
真剣になれるにはいい気持だ。僕は米英と戦争が始まつた日は、何となく昂然とした気持で往来を歩いた。
くるものなら来いといふ気持だ。自分の実力を示して見せるといふ気持だ。(武者小路実篤)
今回の選挙について、開票結果が明らかとなる明日以降、この手の感想を抱く人がたくさん現れるような事態を懸念して已みません。杞憂に終わることを祈りますが……。
ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレン(1855~1916)の詩集の翻訳です。
大正14年(1925)、新しき村出版部から出た初版の内容に、評伝「ヹルハアラン」(昭和8年=1933)を追補して刊行されました。
正直は美徳だと思っていた。通用しない世界があるようだ。台湾有事を巡る高市早苗首相の発言に中国の反発が収まらない。「武力の行使を伴うものであれば存立危機事態になり得る」。つい本音が出てしまった▼台湾は民主主義が根付き、独自の統治機構がある。東日本大震災では多大な支援を頂いた。武力行使はあってはならない。ただ中国にも立場がある。1972年の日中共同声明で中国は「台湾は領土の不可分の一部」と表明し、日本は「十分理解し、尊重」すると応えた▼歴代政権が台湾問題にあいまいな表現を戦略的にとり続けたゆえんだ。とかく世論はリーダーに力強さを求め、物事に黒白をつけたがる。84年前の太平洋戦争前夜もそうだった。斎藤茂吉や高村光太郎、志賀直哉…。名だたる知識人が開戦の一報に快哉(かいさい)を叫んだ▼政治学者の中西輝政さんは、どちらにも決まらぬ気持ち悪さに延々と耐え抜くことが世界史に大をなす国の必要条件と指摘する。秘すれば花である。尖閣諸島も対立必至の国有化は避け、したたかに権益を保全する手があったのではないか▼外交は相手国と51対49を争う。完勝はない。首相は内輪受けする威勢のよさではなく、冷徹さと誠実さを併せ持ち、日本の国益と東アジアの平和を守り抜いてほしい。(2025・12・5)
2ヶ月前のものですが、事態は好転どころか、悪化の一途を辿っていますね。10月初めに自民党総裁選が行われ、明日はこの時期としては異例の衆議院選挙。総裁選前から続く政治的空白は4ヶ月以上に及び、物価高や円安、旧統一協会の問題など喫緊の課題がなおざりになったままです。逆にコラムでも取り上げられている問題発言など、余計なことばかり。ちなみに衆議院解散に伴って、審議中だったりした法案が何と74本も廃案となったそうで。永らく議論されてきた選択的夫婦別姓法案や、先の参院選で問題となった企業・団体献金を規制する政治資金規正法改正案もです(まぁ、74本の中にはギャグとしか思えない「ナントカ損壊罪」についても含まれるようですが)。ついでに言うなら来年度予算の編成にも大きく影響します。
さらに嘆かわしいのが、平和憲法を軽視し、息を吐くように嘘を吐き、G7や党首討論で敵前逃亡を繰り返す騒動の当事者やその取り巻きをもてはやす声の多さ。まさに戦前の我が国を彷彿とさせるという論評がありますが、その通りですね。
過日ご紹介した小関素明氏著『「大東亜戦争」幻想化と「戦争責任」の精神史 擬態に対峙する詩人たち』は、そのあたりで非常に示唆に富むものでした。昭和16年(1941)の太平洋戦争開戦直前、日中戦争の泥沼化、対日禁輸による各種の統制などで日本全体が包まれていた閉塞感に、開戦の詔勅や報が風穴を開け、これから訪れるであろうさらなる苦難の日々に思いを馳せることなく、ほとんどの国民がある種の開放感に包まれていたというものです。
コラムに名が上げられている通り、光太郎もその急先鋒の一人でした。同書では12月8日当日、大政翼賛会中央協力会議に参加していた光太郎の随想「十二月八日の記」が引用されています。
時計の針が十一時半を過ぎた頃、議場の方で何かアナウンスのやうな声が聞えるので、はつと我に返つて議場の入口に行つた。丁度詔勅が捧読され始めたところであつた。かなりの数の人が皆立つて首をたれてそれに聴き入つてゐた。思はず其処に釘づけになつて私も床を見つめた。聴きゆくうちにおのづから身うちがしまり、いつのまにか眼鏡が曇つて来た。私はそのままでゐた。捧読が終ると皆目がさめたやうに急に歩きはじめた。私も緊張して控室に戻り、もとの椅子に坐して、ゆつくり、しかし強くこの宣戦布告のみことのりを頭の中で繰りかへした。頭の中が透きとほるやうな気がした。
世界は一新せられた。時代はたつた今大きく区切られた。昨日は遠い昔のやうである。現在そのものは高められ、確然たる軌道に乗り、純一深遠な意味を帯び、光を発し、いくらでもゆけるものとなつた。
この刻々の瞬間こそ後の世から見れば歴史転換の急曲線を描いてゐる時間だなと思つた。時間の重量を感じた。
ちなみに光太郎はこの頃の自分の愚かさを戦後になってしっかりと反省し、7年間もの過酷な蟄居生活を送ることとなります。
他の文学者たちのそれも紹介されています。
今こそ全文化を目的意識と観念的規定の室から出して、凛然たる外気に当て、自然のままに生きてゆくものだけを生育せしめるやう、純粋化し、淘汰せねばならぬ。
かういふ時期にこそ、文学には「文」の領域があることをはつきり認識することが出来る訳だ。今までのやうに「軍」や「政治」に追従してゐたのから去つて、明確に己が本然の使命の下に、今日の栄えある国民的試練の時を自力で生きてゆかなければならぬ。(河上徹太郎)
本日みたいにうれしい日はまたとない。うれしいといふか何といふかとにかく胸の清々しい気持だ。(略)宣戦の大詔を三度聞き三度読んだ。(黒田三郎)
涙が流れた。言葉のいらない時が来た。(坂口安吾)
ふと、自分は、ラジオを聴く前と、別人になつてゐるやうな気がした。(略)一間も二間もある濠を、一気に飛び越えたやうな気持がした。(獅子文六)
それを、ぢつと聞いてゐるうちに、私の人間は変わつてしまつた。強い光線を受けて、からだが透明になるやうな感じ、あるひは、聖霊の息吹きを受けて、つめたい花びらを胸の中に宿したやうな気持。日本も、けさから、ちがふ日本になつたのだ。(太宰治)
まつたく一日として神経の安まる日はないのであつた。私たちは今の言葉でいふ、ノイローゼになつてゐた。これ以上、こんな緊張の日々が続くのは耐へられない。そこへもつて十二月八日の太平洋開戦だ。なにはとまれ、これでどつちかへ片づく。ヤレヤレといふ気もちであつた。(徳川夢声)
十二月八日、大詔が渙発せられ、米英との国交が断絶せられた事は、生をこの聖代にうけたものの真に重大事と考ふべき事である。
これこそ世界歴史への一大転換の御命令であつて、吾々は過去と遮断して全く別の体系に這入つたことを自覚せねばならぬのである。(中河与一)
真剣になれるにはいい気持だ。僕は米英と戦争が始まつた日は、何となく昂然とした気持で往来を歩いた。
くるものなら来いといふ気持だ。自分の実力を示して見せるといふ気持だ。(武者小路実篤)
今回の選挙について、開票結果が明らかとなる明日以降、この手の感想を抱く人がたくさん現れるような事態を懸念して已みません。杞憂に終わることを祈りますが……。
【高村光太郎書誌】
本人著作(全体)38 詩集『天上の炎』
昭和26年(1951)4月25日 白玉書房 エミイル ヹルハアラン著 高村光太郎訳
目次 序詩 未来 新しい都 昔の信仰 私の眼よ 誇 機械 熱烈な生活 港の突堤で
今日の人に 健康 死者 問題 機会 トンネル 波止場で 私の都 わが友風景 木蔦
東西南北 森 花の方へ 並木の第一樹 散歩 或る夕暮の路ゆく人に 題跋詩 私の集
ヹルハアラン
ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレン(1855~1916)の詩集の翻訳です。
大正14年(1925)、新しき村出版部から出た初版の内容に、評伝「ヹルハアラン」(昭和8年=1933)を追補して刊行されました。






















































































































































































































































































