3件ご紹介します。

まず7月11日(土)、『岩手日日』さん。

地元民が見た光太郎 花巻疎開80年 証言や逸話収録

 北上市江釣子の八重樫健一さん(76)は、彫刻家、詩人の高村光太郎(1883~1956年)の花巻市疎開80年を記念し、光太郎と地元の人々の交流をまとめた記念誌「高村光太郎の花巻疎開を語る 宮森祐昭の80年史」を発行した。高村光太郎記念会事務局長などを務めた故宮森祐昭さんらの談話をまとめ、地元民の目を通した光太郎の姿を伝えている。
 八重樫さんは宮森さんの義理のいとこ。長年光太郎の研究を行い、今年4月には研究成果をまとめた企画展を北上市内で開いた。
 記念誌は光太郎が太田村山口(現花巻市)に疎開していた7年間について宮森さんや妻の則子さん、疎開中に同村長を務めていた高橋雅郎さんらの証言を基に解説。オクラやパセリの栽培に挑戦して失敗したり、旧山口小学校の子どもが家に押し掛けてきた際に「突然やって来るのは泥棒かフランス革命だ」と説教したりするなど、親しみを感じさせる光太郎のエピソードを掲載している。
 八重樫さんは「地元民の視点から見た光太郎の姿を残したくて本にした。疎開から80年。当時を知る人たちで、しのぶ会なども開けたら」と語っている。
 記念誌は花巻市に寄贈され、市内4ヶ所の図書館で読むことができる。掲載資料などを紹介する企画展は、北上市の北上地区合同庁舎で今月末まで開かれている。

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4月にご紹介した北上市での展示「高村光太郎花巻疎開80年」に関してですね。図録というか、展示内容に関わる冊子が作られたとのことで。

光太郎の昭和20年(1945)から同27年(1952)にわたる花巻及び郊外旧太田村での生活に関しての地元の方々による回想、証言は、『高村光太郎山居七年』(昭和37年=1962 筑摩書房 新版・平成27年=2015 花巻高村光太郎記念会)や『201人の証言 啄木・賢治・光太郎』(昭和51年=1976 読売新聞社盛岡支局)に収められていますが、それらを補うものなのでしょう。

入手できることがあったらまたご紹介します。

続いて青森の地方紙『デーリー東北』さん、7月9日(木)の記事。

「りんご娘」が歌って踊ってPR 青森の魅力発信へMV撮影/十和田

 台湾や香港からの観光客向けに青森県の魅力を発信する曲「Waiha!AOMORI」のミュージックビデオの撮影が4日、十和田市の十和田湖畔休屋地区で行われた。撮影にはご当地アイドル「りんご娘」のメンバー4人も参加。これまで弘前市や青森市でもロケを行っており、今秋にも公開予定という。
 毎月約340万人が利用し、日本での遊び方や買い物、ホテルなどの情報を発信するサイト「樂吃購(ラーチーゴー)!日本」を運営するジーリーメディアグループ(東京都)が企画。曲中では、雪の多さや十和田湖、「朝ラー(朝からラーメン)文化」などを歌詞に盛り込んでいる。
 同日の撮影では、同湖畔の乙女の像の近くで、作詞を担当した同社の吉田皓一社長と、りんご娘が曲に合わせてダンスするシーンの撮影が行われた。
 吉田社長は「東京や大阪とは違う点や人情を強調した曲となっており、地元の人にも青森の良さに気付くきっかけにしていただければ」、りんご娘の金星さんは「青森の魅力を県内外だけでなく、国外にも発信する機会をいただけてうれしい。ご当地アイドルとして、胸を張ってやっていきたい」とアピールした。
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かつて王林さんが所属し、リーダーを務められていたご当地アイドルユニット「りんご娘」さんが参加したMV撮影が、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」近くで行われたというもの。りんご娘さんとしての楽曲ではなく青森をPRする「Waiha!AOMORI」で、りんご娘さんも加わっている、という位置づけでしょうか。

思い出したのは平成29年(2017)に青森県として制作した県のPR動画「ディス(り)カバリー青森」。この際も「乙女の像」を写し込んで撮影されました。
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「乙女の像」、今後とも貢献を続けてほしいものです(笑)。

ついでにもう1件、昨日の『東京新聞』さん一面コラム。光太郎についてはほとんどマクラですが(笑)。

筆洗

暑くなってきた。少し前までは朝晩であればエアコンなしでもやり過ごせたが、もういけない▼高村光太郎の詩に「きつぱりと冬が来た」という一節があったが、温暖化の近ごろは、冬よりも夏の方が「きつぱり」と来て、容赦のない印象がある。公園のセミの声も先週よりも大きく、しっかりしてきたようだ。やれやれ▼この季節、犬を飼う人が困るのは散歩だろう。夏場の散歩に推奨されている朝晩であっても、気温はなかなか下がらない。昼間に熱せられた地面の近いところを歩く犬である。しかも汗をかけないので、体温調整がうまくできない。犬用の「ネッククーラー」もあるが、あれも中の保冷剤がたちまち冷たくなくなり、どれほどの効果があるか▼この夏、熱波が襲った欧州では犬の散歩をどうしているのかと思えば英インディペンデント紙のサイトに専門家がこんなことを書いていた。「散歩しないで死んだ犬はいない。夏場に運動させすぎて死んだ犬はたくさんいる」▼なるほど、最近の暑さを思えば、夏の間だけは散歩の時間を極端に短くするか、思い切って見合わせるのも手なのかもしれない。散歩を楽しみに待つ犬には気の毒ながら危険は避けたい▼散歩中、落ち着かなくなり、歩行が不安定になったときは熱中症が疑われ、ただちに冷やしてやる必要があるそうだ。犬も歩けば熱にあたる。冗談ではなく。

今日現在、梅雨明けの発表になっていない地域がほとんどですが、それだけに湿度が高く蒸し暑い日が続いております。体調管理には十分お気を付け下さい。人間様もそうですが、コラムでは犬の暑さ対策。当方も愛犬が存命だった頃はたしかに大変でした。

現在いるこいつは散歩に連れ出す必要がないので助かっています(笑)。
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それでもいつにも増して、ぐでっとしていますが(笑)。

繰り返しますが、体調管理には十分お気を付け下さい。

【高村光太郎書誌】

選集等(翻訳・部分) 4 『現代譯詩集』増補決定版 現代日本文学全集93

昭和50年(1975)3月20日 筑摩書房
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目次
 於母影(新聲社) 海潮音(上田敏) 牧羊神(上田敏) 珊瑚集(永井荷風)
 白孔雀(西條八十) 明るい時(高村光太郎) 草の葉(有島武郎) 
 まざあ・ぐうす(北原白秋) 月下の一群(堀口大学) 車塵集(佐藤春夫)
 山内義雄譯詩集 海表集(日夏耿之介)
 解説 河盛好蔵
 作者紹介

光太郎訳の「明るい時」は、ベルギーの詩人エミール・ヴェルハーレンの詩集です。妻のマルト・マッサンとの日々を歌ったもので『智恵子抄』にも多大な影響を与えました。

福岡から演劇系の公演情報です。

夢宵の晩餐会〜グラスの中の物語 玄海椿×佐藤金之助=ピアノで綴る高村光太郎の世界

期 日 : 2026年7月26日(日)
会 場 : シアターカフェ 愛と青春のふる~れ 福岡市東区箱崎1-33-9 ウインドウビル3F
時 間 : 16:00~
料 金 : 観劇のみ 4,000円 (ワンドリンク&ワンフードオーダー)
      観劇+晩餐会 7,000円 (料理付き飲み放題)

智恵子抄、初の生演奏!それも、天才ピアニストと!新しい智恵子抄が生まれます!

 ・『春らんまん』関洋子・渋谷幸世(16:00〜)
 ・『小さなステージ』牧島富美(16:30〜)
 ・『智恵子抄』玄海椿✖️佐藤金之助(17:30〜)
 ・晩餐会(19:00〜21:00)
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福岡を拠点に活動されている玄海椿さん率いる「芝居屋企画」さんの主宰公演。玄海さんご自身はオリジナルの脚本による一人芝居をたくさんお持ちで、そのラインナップの一つに「智恵子抄」。これまでも複数回演じられていて、当方、平成24年(2012)には福岡まで拝見に伺いました。

今回は劇中の音楽が佐藤金之助氏という方のピアノで。佐藤氏はシャンソン系の方で、ピアノ演奏以外にご自分で歌われることもおありだとのこと。日本シャンソン・カンツォーネ振興協会さんのサイトによれば、当方がさんざんお世話になっている渡辺えりさんとの共演もおありだとか。世間は狭いなと思いました(笑)。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

選集等(翻訳・部分) 3 『人生の名著19 ゴッホの手紙 V・ゴッホ ノア・ノア P・ゴーガン ロダンの言葉 A・ロダン』

昭和43年(1968)10月30日 大和書房
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目次
 ゴッホの手紙 アルルの黄色い小さな家 V・ゴッホ 飯島耕一訳
 ノア・ノア ――タヒチ紀行―― P・ゴーガン 大島利治訳
 ロダンの言葉 A・ロダン 高村光太郎訳
  ロダン手記
    ヹヌス(ヴィーナス) フランスの自然 ランスの本寺 夜の本寺 花について
   女の肖像
   芸術家の一日
    庭園の朝 古代彫刻の断片 庭園の夕
   断片 若き芸術家達に(遺稿)
  筆録集
   ギユスターヴ・コキヨによる筆録 ジユヂト・クラデルによる筆録
   ポール・グゼルによる筆録
    肉づけ 芸術における神秘 芸術における動勢 断片
   フレデリク・ロートンによる筆録
    古代芸術の教訓(その一) 古代芸術の教訓(その二) 断片
   ロダンの手帳――クラデル編
    昔の仕事場と今日の学校 構造と肉づけ 古代芸術の伝統的法則
 解説 大岡信
 月報 芸術家との決定的な出会い 小海永二

「ロダンの言葉」からの抜粋がこの手の選集ものに組み込まれるケースもありました。

一昨日のこのブログで、岩波書店さんの「岩波文庫創刊100年記念 読者リクエスト復刊2027」について書きました。同文庫が来年で100周年だそうで、それに伴って絶版となっているものの復刊リクエストが行われているという件。

対象書籍に、光太郎著の美術評論集『緑色の太陽』、光太郎訳の『ロダンの言葉』が含まれているので、投票をお願いしますとしましたが、光太郎の父・光雲がらみを失念していました。こちらも2冊あります。

まず光雲の単著で『幕末維新懐古談』(平成7年=1995)。元版は昭和4年(1929)、萬里閣書房から刊行された『光雲懐古談』。その前半3分の2ほどの「昔ばなし」編を一冊にしたもので、光太郎の友人だった作家・田村松魚が光雲宅に出向いて、光太郎の同席の上、光雲に語ってもらい筆録した回顧談です。一部はそれ以前に公の場で語ったものも含まれます。

仏師・高村東雲の元での徒弟時代の思い出から、戊辰戦争など幕末維新の混乱期の世相、独立後に手がけたいくつかの代表作についての解説など、非常に興味深い内容です。
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ちなみに元版の題字揮毫は息子の光太郎です。

同様に「昔ばなし」のみを一冊にまとめたものは、昭和42年(1967)に中央公論美術出版から『木彫七十年』の題で、昭和45年(1970)には新人物往来社が『高村光雲懐古談』と題して、さらに岩波さんで文庫化した後の平成12年(2000)に日本図書センターから「人間の記録」シリーズの一冊で『高村光雲 木彫七十年』として刊行されています。すべて絶版です。
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ただ、ネットの青空文庫さんで、岩波文庫版を底本に全文が登録されていますし、それをさらに転用した電子書籍も出ているようです。そちらで手軽に読めるため、岩波文庫版の売り上げも落ちてしまったのかも知れません。

もう一冊、『戊辰物語』(昭和58年=1983)。
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底本は昭和3年(1928)に萬里閣書房から出た同名の書。
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『東京日日新聞』に昭和2年(1927)から翌年にかけて連載された「戊辰物語」、大正15年(1926)の連載の「五十年前」、そして単行本化の際に増補された「維新前後」の三章から成ります。

各界著名人やその係累の談話筆記で、語り手は金子堅太郎子爵、近藤勇五郎(新選組局長・近藤勇の娘婿)、落語家の三代目柳家小さんなど。そこに光雲も含まれています。光雲の談話はまず「威勢の見せ処、門松すす払い」「淋しい江戸の春」「銭湯の七不思議女湯の刀掛け」「御諚かしこし江戸城の広さ」の項に。それぞれの項に複数人の談話が収められています。それから「彫刻が紙袋に入れられて」という項はまるまる全編が光雲。明治初年、廃仏毀釈で仏像の注文が途絶え、多くの仏師が輸出用の象牙彫刻に転じ、粗悪なものも多く作られるようになったという話です。

これら2冊も復刊されて然るべきと思われます。御協力をよろしくお願い申し上げます。

【高村光太郎書誌】

選集等(翻訳・部分) 2 『世界の名訳詩集Ⅱ』世界の名詩集 別巻2

昭和42年(1967)12月15日 三笠書房 山室静編
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目次
 堀口大学 「月下の一群」抄 (詳細略)
 高村光太郎 「明るい時」「午後の時」「天上の炎」抄
  明るい時
   一(エミイル・ヹルハアラン) 二(同) 四(同) 十(同) 十五(同)
  午後の時
   一(エミイル・ヹルハアラン) 二(同) 三(同) 四(同) 十二(同)
  天上の炎
   新らしい都(エミイル・ヹルハアラン) 今日の人に(同) 
   或る夕暮の路ゆく人に(同)
  他の詩集から
   パン焼(エミイル・ヹルハアラン) 吾家のまはり(同)
 日夏耿之介 「海表集」「英国神秘詩鈔」「ワイルド詩集」「唐山感情集」抄(詳細略)
 堀辰雄(詳細略)
 解説 山室静

訳詩に特化した選集です。光太郎訳は全てベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレンの作品です。

昨日は墨田区両国の両国シティコアさんに行っておりました。こちらのギャラリーΧ(カイ)さんで開催された「劇舎カナリア・シアター 『書声展』さっちゃんは戦争を知らない ちづちゃんは戦後を知らない 詩人と市井の人びと声なき声の展覧」拝観のためです。
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光太郎と交流のあった岩手出身の詩人・宮静枝の詩集『さっちゃんは戦争を知らない』(平成13年=2001 熊谷印刷出版部)、『山荘 光太郎残影』(平成4年=1992 同)を軸にした朗読劇ふうの公演でした。『山荘 光太郎残影』は、まるまる一冊、昭和26年(1951)に静枝が令甥と子息二人とを伴って花巻郊外旧太田村の光太郎の山小屋(高村山荘)を訪問したことを題材とした詩集で、その年の第33回晩翠賞に輝いた作です。
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受付で配られたフライヤー的なポストカードには、昭和26年(1951)の山小屋前での光太郎、静枝、そして子息の文彦氏の写真。『山荘 光太郎残影』にも同じショットが掲載されています。

会場がホールではなく、ギャラリーとして貸し出されているスペース。中央に大きな柱があり、四囲に椅子を配して聴衆はそこに座るという形。一応、正面は決まっているものの、それにとらわれず演者の皆さんは柱の周りを回りながら、朗読したり歌ったりでした。
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中央の柱、周囲の壁、それから正面に書作品。基本的に静枝の詩句を書いたもので、子息・文彦氏の奥様で、書家であらせられる宮絢子氏の書です。そこで公演タイトルに「書声展」と謳われ、書と声のコラボ、という位置づけでした。

開演前に見て廻って撮影しました。
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PXL_20260713_053716331『山荘 光太郎残影』に収められた詩からも。したがって光太郎の名が。
 
   飾り窓の女

 疎林を透かして
 日毎に静かな落日
 ハンの木の紐花がこぼす金色の花粉

 パリの飾り窓の女の
 遠い記憶の耳飾りを ふと思っている

「疎林」「ハンの木」は、山小屋の周りに現在も群生している榛の木で、地元では「やつか」「やっか」と呼んでいます。

「パリの飾り窓」については、明治末の滞仏体験を静枝に語ったことに由来するのでしょう。光太郎は山小屋周辺がパリのフォンテーヌブローの森と似ている、などとも語ったそうです。

   蟬を彫る

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 無心に蟬を彫る光太郎
 影がかすかに揺れる

 遠くで山鳴りがしている
 ノミを止めてふと思う
    どこから――なにゆえ――
 はるかな時間だったと思う
 きのうのこと とも思う
 放たれた一本の道を来るしかなかった

 いま光太郎は心の遠い風景のなかで
 一匹の蝉を残して去ろうとする
 シー
 心中でしきりに蝉が涕いている

 祖国とは光太郎にして
 一匹の蝉だったのだ
 十七年を地中にひそんでいて
 地上に七日生きる蝉の業と
 光太郎の負った人間の業が重なって重い
 旅は終焉に近い

 やがて山荘は雪の柩となるだろう


作品として発表することはありませんでしたし、現存が確認できていないのですが、山小屋でも光太郎は蝉を彫っていました。複数の目撃証言が残っています。うち一点は帯留めに仕立て、宮沢賢治の実弟・清六の夫人に贈りました。そんな話も静枝との間で為されたのでしょうか。

さて、開演。
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ささいけい子氏という方と寺田明子氏という方がメインで朗読されたり歌ったりでしたが、今回の公演のプロデューサー・山本健翔氏ご自身も出演され、書を書かれた絢子氏も朗読。文彦氏は最後のご挨拶まで喋られませんでしたが、正面の屏風の前で座られていました。その文彦氏視点での部分も多くありました。

先述の通り、静枝の詩集『さっちゃんは戦争を知らない』、『山荘 光太郎残影』を軸に、絢子氏のご両親の書き残されたもの(新潟・村上市の空襲で絢子氏の叔母様が亡くなられたそうで)、特攻兵の書き残した詩なども織り交ぜ、さらに劇作家・加藤道夫(女優の加藤治子氏の夫)のからみも。

全体に反戦を訴える内容で、まさに政治がおかしくなっている2026年の現代に刃を突きつけるような感じでした。

アンチテーゼとして、光太郎の負の遺産・黒歴史である翼賛詩「十二月八日」(昭和17年=1942)、「必死の時」(昭和16年=1941)、戦後になってそれを恥じた「わが詩をよみて人死に就けり」(昭和22年=1947)や「報告(智恵子に)」(同)、さらには「レモン哀歌」(昭和14年=1939)まで取り上げられました。

終演後。
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文彦氏、絢子氏、山本健翔氏、それから客席にいらしていた文彦氏のお兄様の暠成(こうせい)氏とお話をさせていただき、連翹忌の集いへのお誘いを致しました。ここ2年間、生前の光太郎を直接ご存じの方のご参加がありませんで、ぜひいらしていただいて皆様に光太郎の思い出話を賜りたいと存じまして。暠成(こうせい)氏も昭和26年(1951)に光太郎の山小屋を訪れられています。
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ちなみにご一行が光太郎の山小屋を訪れられたのは昭和26年(1951)11月11日。その2日前の11月9日には、後に宮城県歌人協会会長などを務められた佐久間晟氏と、奥様でやはり歌人のすゑ子氏が、花巻温泉の仲居さん・八重樫マサの案内で山小屋を訪れています。
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この際の様子を奥様が歌誌『地中海』平成17年(2005)1月号に短歌と文章で書かれ、たまたまその情報を得ましてお二人に連絡、お二人がお住まいの仙台でお会いし、貴重なお話を伺う事が出来ました。その内容を『高村光太郎研究』第28号(平成19年=2007)に「高村山荘訪問記 佐久間晟・すゑ子夫妻聞き書き」として掲載させていただきました。
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お話を伺った後、それをご存じなかったので、ご夫妻に「2日後に光太郎を訪問された方の詩集です」と、『山荘 光太郎残影』を古書市場で見つけて贈りましたところ、非常に喜ばれました。

75年前、2日違いで光太郎を訪問された佐久間ご夫妻、宮ご兄弟2組のそれぞれからお話を伺え、奇縁を感じております。

以上、レポートを終わります。

【高村光太郎書誌】

選集等(翻訳・部分) 1 『美の本体 芸術に関する101章 ロダンの言葉 ゴッホの手紙 回想のセザンヌ ベートーヴェンの生涯』世界教養全集 12

昭和37年(1962)6月30日 平凡社
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目次
 美の本体 岸田劉生 (詳細略)
  解説 岸田麗子
 芸術に関する一〇一章 アラン 斎藤正二訳(詳細略)
  解説 斎藤正二
 ロダンの言葉 A.ロダン 高村光太郎訳 今泉篤男編
  ギュスターヴ コキヨ筆録 
  ロダン手記
   ヹヌス フランスの自然 ランスの本寺 花について 女の肖像
     若き芸術家達に(遺稿) 断片(『ロダンの言葉』より) 断片(『続ロダンの言葉』より)
  ジュヂト クラデル筆録 ポール グゼル筆録
  解説 今泉篤男
 ゴッホの手紙 V.ゴッホ 三好達治訳(詳細略)
  解説 石原八束
 回想のセザンヌ E.ベルナール 有島生馬訳(詳細略)
  解説 有島生馬
 ベートーヴェンの生涯 ロマン・ロラン 平岡昇訳(詳細略)
  解説 平岡昇

今日からのこの項、光太郎の翻訳を含む複数人による選集ものを扱います。文学全集ものが流行り出すと、海外の作品を集めたものも多く出版されるようになりました。

岩波書店さんの岩波文庫が来年で100周年だそうで、それに伴って絶版となっているものの復刊リクエストが行われています。

岩波文庫創刊100年記念 読者リクエスト復刊2027

あなたのリクエストであの岩波文庫がよみがえる

来年2027年、岩波文庫は創刊100年を迎えます。岩波文庫創刊100年を記念して、読者の皆さまからリクエストをお寄せいただき、長らく品切れておりました名著・名作書目を一挙復刊いたします。
いつか読もうと思っていたあの本や、憧れのあの人が愛読したというあの本を、今こそ手にしたい——。創刊100年のこの機に、読者の皆さまのそのような思いにお応えできますと幸いです。

■企画概要
皆さまからのリクエストを募集いたします。復刊希望の岩波文庫のタイトルをお教えください。リクエストは以下の方法でお受けします。
■リクエスト方法
<特設ページ>
特設ページにアクセスいただき復刊希望書籍をご選択のうえご投票ください。
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サイト上に候補作品がずらっと並んでいます。
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その中に、光太郎がらみが2冊。訳書『ロダンの言葉抄』と、美術評論集の『緑色の太陽』です。
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『ロダンの言葉抄』は、昭和35年(1960)に文庫化。大正5年(1916)に阿蘭陀書房から出た『ロダンの言葉』、同9年(1916)に叢文閣から出た『続ロダンの言葉』から、光太郎と交流のあった共に彫刻家の高田博厚と菊池一雄が再編した厚冊です。図版も数多く収録されており、理解の手助けとなっています。
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光太郎実弟にして鋳金の人間国宝だった豊周の『光太郎回想』(昭和37年=1962 有信堂)から。

 この頃、「ロダンの言葉」を訳しはじめたのは、兄にとっても、僕たちにとっても、今考えると全く画期的な大きな仕事だったと思う。
 雑誌にのった時は読まなかったけれど、本になってからは僕も繰返して愛読した。あの訳には実に苦心していて、ロダンの言葉を訳しながら兄の文体が出来上がっているようなところもあるし、芸術に対する考え方も決って来ているところが見え、また採用した訳語も的確で、「動勢」とか「返相」とか兄の造った言葉で今でも使われているものが沢山ある。そんな意味で、あれは兄には本当に大事な本だった。
 それだけに、他の学校は知らないが、上野の美術学校では、みなあの本を持っていて、クリスチャンの学生がバイブルを読むように、学生達に大きな強い感化を与えている。実際、バイブルを持つように若い学生は「ロダンの言葉」を抱えて歩いていた。その感化も表面的、技巧的ではなしに、もっと深いところで、彫刻のみならず、絵でも建築でも、あらゆる芸術に通ずるものの見方、芸術家の生き方の根本で人々の心を動かした。新芸術の洪水で何かを求めながら、もやもやとして掴めなかったものがあの本によって焦点を合わされ、はっきり見えて来て、「ははあ」と肯ずくことが一頁毎にある。ロダンという一人の優れた芸術家の言葉に導かれて、人々は自分の生を考える。そういう点で、あの本は芸術学生を益しただけでなく、深く人生そのものを考え、生きようとする多くの人々を益していると思われる。だからあの本の影響は思いがけないほど広く、まるで分野の違う人が、若い頃にあの本を読んだ感動を語っている。
 この本が、そんなに広く受入れられた原因の一つは、あの本の形式にもあるので、兄の読んだ種種な書物からの集積だから、自然にそうなったのだけれど、文章の区切りが大変短い。どんなに長くても数頁にしか渉らないから、読んでいて疲れないし、理解しやすい。この短かくて頭にはっきり全文が入るような形式が読者の感動をどんなに助けているかわからない。ことに本を読む習慣の少なかった美術学生にとって、これは有難かった。

正続それぞれの初版の後、叢文閣からペーパーバックの普及版正続が出、戦後にはやはり正続ともに新潮文庫のラインナップにも入りました。さらに平成17年(2005)に沖積舎から正続合本の復刻、平成19年(2007)には講談社文芸文庫で正続それぞれの抄出が出ました。すべて絶版です(講談社文芸文庫版のみまだ新刊で在庫があるようですが、重版は為されていないようです)。

『緑色の太陽』は、昭和57年(1982)が初版。当会顧問であらせられた故・北川太一先生の編集で、表題作「緑色の太陽」をはじめ、さまざまな雑誌や単行書に掲載された美術評論などを40篇ほど収めています。一部は随筆、文芸評論も。

表題作「緑色の太陽」は『スバル』第2年第4号(明治43年=1910)が初出。「人が「綠色の太陽」を畫いても僕は此を非なりとは言はないつもりである」という一節から採った題名で、その他、「僕は芸術界の絶対の自由(フライハイト)を求めてゐる。従つて、芸術家の PERSOENLICHKEITに無限の権威を認めようとするのである。あらゆる意味において、芸術家を唯一箇の人間として考へたいのである」という一節も有名です。「日本初の印象派宣言」とも評されています。

光太郎の評論集も現在、紙版の新刊で入手できるものは無く、電子書籍なら多少はあるか、という感じです。

それぞれ、特設サイトから復刊リクエストのいわば投票ができます。よろしくお願い申し上げます。

それにしても、光太郎がらみでない作もかなり絶版になっていて、今回の候補に入っているのに驚きました。特に「緑」の日本文学。詩集ですと、当会の祖・草野心平の『草野心平詩集』や、立原道造、伊東静雄、大手拓次、三好達治など軒並み絶版ですし、小説系でも谷崎潤一郎の『春琴抄』やら堀辰雄の『風立ちぬ』やら有島武郎の『生まれ生れ出ずる悩み』やら、それ絶版にしちゃいかんだろ、という感じです。

ソフトとしての日本文学、一部の愛好家だけのものとするのではなく、日本国民共有の文化遺産として、次の世代へとしっかり受け継いでいくことが現代に生きる我々の一つの義務だと思うのですが。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 22 『純』百年文庫96

平成23年(2011)10月7日 ポプラ社 武者小路実篤/高村光太郎/宇野千代著
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目次
 武者小路実篤 馬鹿一
 高村光太郎 山の雪 宇野千代 八重山の雪
 人と作品 

ポプラ社さんの「百年文庫」。全100巻のシリーズもので、1冊に3人ずつが収められています。各巻のタイトルが漢字一文字になっています。「選集」というよりアンソロジーに近い形ですが、一応この項目に入れます。

昨日は当会の祖・草野心平を祀る「第61回天山祭り」列席のため、心平を名誉村民として下さった福島県川内村に行っておりました。
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雨天の場合には村の体育館での実施と予告されていましたが、幸い晴れましたので、本来の会場である天山文庫での実施。村での心平の別荘です。
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こちらが天山文庫。繰り返し書いていますが、昭和41年(1966)の竣工、光太郎の実弟で心平と親しかった髙村豊周も設立協力委員会発起人メンバーの一人でした。

千葉の自宅兼事務所から愛車を駆って3時間ちょっとの行程でした。早く着きましたので、敷地内の草野心平資料館さんを見学。
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心平と村との関わり、心平が村に残した書などさまざまな品々が展示されています。心平著作もずらりと並び、『富士山』(昭和18年=1943)、『天』(昭和26年=1951)など光太郎が題字を揮毫したものも。それから豊周子息の写真家、髙村規氏寄贈になる光太郎や髙村家がらみの写真パネルのコーナーも。

天山文庫内も見学。年に数か月、ここで過ごすこともあった心平の息遣いが未だに残っているような。
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故・谷川俊太郎氏と一緒の写真も。

心平から寄贈された蔵書類を収めた書庫。
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光太郎関連書籍もかなりの分量。光太郎と賢治実弟の清六が編んだ『宮沢賢治文庫』(装幀・題字も光太郎)など、稀覯書も。
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ただし、稀覯とは言えないものは同じ書籍が何冊もあったりします。

光太郎とも交流のあった永瀬清子の著書。署名本でした。
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そうこうしているうちに開始時間が近くなったので、前庭に。

心平大明神の写真(笑)。いい顔していますね。
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下の2枚は終了後に撮りましたが、奉納された酒。心平の大好物です。
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当会からも千葉の地酒を一升。

さて、開会。
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実行委員長・井出茂氏、遠藤雄幸村長らのごあいさつなど、それぞれに心に染みいるものでした。いろいろな会合での型どおりのそれとはひと味もふた味も違うような。

それから元教育長で心平と親しかった石井芳信氏のスピーチも、心平の人となりがよくわかるもので、実に貴重な証言でした。人使いの荒い心平の無茶振りエピソードも満載でしたが(笑)、それはそれで氏に対する心平の深い愛情に基づいたもので。

朗読は3本立て。まず心平肉声の録音が流され、続いて小中一貫の川内小中学園6年生児童が自作の詩を群読。最後に心平が主宰した『歴程』同人の伊武トーマ氏による「ヤマカガシの腹のなかから仲間に告げるゲリゲの言葉」。心平名言(迷言?(笑))の一つ「死んだら死んだで生きてゆくのだ」が含まれる詩です。バカボンのパパの言いそうな一言ですね(笑)。

開始前に撮った遠藤村長と伊武氏。
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伊武氏は当会主催の連翹忌の集いに何度か御参加いただいていますし、昨日はそういう方が数名いらっしゃいました。実行委員長の井出氏、いわき市立草野心平記念文学館の渡邊氏、詩人の吹木文音氏など。

このあと、郷土芸能等の披露があり、閉会となりました。

地方紙『福島民友』さんが報じています。

カエルの詩人・草野心平しのび「天山祭り」 福島・川内、児童ら詩を朗読

 福島県川内村の名誉村民で「カエルの詩人」として知られる草野心平をしのぶ「第61回天山祭り」が11日、同村の天山文庫前庭で開かれた。参加者が詩の朗読や郷土芸能の披露を通じて心平の魅力を再確認した。
 川内小中学園6年生や、心平らが創刊した同人詩誌「歴程」の同人が心平の詩を朗読。郷土芸能の「東郷神楽舞」「川内小唄」「川内甚句」も披露された。
 名誉村民となった心平が蔵書を村に寄贈したことを受け、村民が「天山文庫」を建設して1966年に完成し天山祭りが始まった。
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他社の報道がまだ見つかりませんが、出たらご紹介します。

いただいてきたいろいろ。変なやつが乱入していますが(笑)。
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米菓の原料となったお米は小中学園の児童さんたちが栽培したものを原料としているそうで。

いつもながらに心温まる時間でした。永続的に開催されることを祈念いたします。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 21 『昭和文学全集 第4巻 柳田国男 折口信夫 萩原朔太郎 宮澤賢治 高村光太郎 斎藤茂吉 高浜虚子 久保田万太郎 幸田露伴』

平成元年(1989)4月1日 小学館
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目次
 柳田国男(詳細略) 折口信夫(詳細略) 萩原朔太郎(詳細略) 宮澤賢治(詳細略)
 高村光太郎
 顔 人の首 九代目団十郎の首 自作肖像漫談 回想録 美術学校時代 荻原守衛
 ヒウザン会とパンの会 智恵子の半生 ミケランジェロの彫刻写真に題す (私はさきごろ)
 オオギュスト ロダンより 触覚の世界 小刀の味 蝉の美と造型 美の日本的源泉
 書について 黄山谷について 自分と詩との関係 詩について語らず 啄木と賢治
 山の雪 山の春 山の秋
 斎藤茂吉(詳細略) 高浜虚子(詳細略) 久保田万太郎(詳細略) 幸田露伴(詳細略)
 作家アルバム
 解説
  柳田国男 宮田登 折口信夫 岡野弘彦 萩原朔太郎 久保忠夫 宮澤賢治 天沢退二郎
  高村光太郎 粟津則雄 斎藤茂吉 本林勝夫 高浜虚子 稲畑汀子 久保田万太郎 古谷健三
  幸田露伴 篠田一士
 年譜
  柳田国男 岡谷公二 折口信夫 長谷川政春 萩原朔太郎 佐藤房儀 宮澤賢治 天沢退二郎
  高村光太郎 北川太一 斎藤茂吉 本林勝夫 高浜虚子 清崎敏郎 久保田万太郎 関場匣子
  幸田露伴 榎本隆司
 底本について 用字用語について
 月報
  置き土産 会田綱雄 柳田と折口、その沖縄の歌 来嶋靖夫
  昭和文学よもやま28 「外地」と昭和文学 鈴木貞美
  編集室より 次回配本

手持ちのものは平成5年(1993)の第二刷です。この時期にはこの手の文学全集ものの刊行はほとんどなされなくなり、重刷がかかるまで4年を要してもいます。需要があまりなくなった感があります。内容的にも一冊に数多くの作家の作品を収めるスタイルです。

雑誌の新刊です。

&Premium  No. 152 2026年8月号 Travel with Books / 旅と、本と。

発行日 : 2026年6月19日発売
版 元 : マガジンハウス
定 価 : 891円+税

今月の特集『旅と、本と』
 旅をするとき、あなたならどんな一冊を携えて出かけますか。その地にまつわる物語に触れながら町を歩けば、旅の経験はより忘れられないものになりますし、日常を離れ解き放たれた場所でひもといた本の一節が、より深く心に沁み入ることもあります。そして、旅をすることと本を読むことは、どこか似ているようにも思います。そこに何があるかわからない世界へ飛び込んでいく高揚感。それはBetter Life に大切な心を育むための、豊かな時間です。今号の&Premiumのテーマは「本と旅する、日本の美しい町案内」。物語と現実が緩やかに交差する町、旅の目的地にしたくなる書店、本に囲まれ〝知〞に浸る宿、穏やかな時間が流れる喫茶店……。読書を愛するローカルの人々に「本」を入り口に訪ね歩く、さまざまな旅のかたちを紹介してもらいました。そこに一冊の本があるだけで、目の前の景色は深い物語へと変わり、旅はもっと鮮やかに心に刻まれるはずです。
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特集が「Travel with Books 旅と、本と。」。
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おすすめの旅の行き先として取り上げられているのは……

 #1 Poets’Words詩人の言葉を巡る旅。 鹿児島 屋久島
 #2 Enormous Collection 3万冊の蔵書に包まれる旅。長野 茅野~蓼科
 #3 World of Novels 物語の世界に浸る旅。 岩手 遠野~花巻
 #4 Art & Architecture 建築やアートを巡る旅。 石川 金沢
 #5 Mingei & Craftwork 手仕事を辿る旅。 鳥取 鳥取~倉吉


それぞれの合間に、

 私を旅に誘った言葉。高橋久美子 三宅唱 ほか
 旅する気分で楽しめる作品集。 いわさきちひろ 原田泰治 ほか
 わざわざ行きたい、旅の目的地となる本屋。 小鳩書房 バロック ブックス 庭文庫 ほか
 旅先で手に入れたい、本屋のトートバッグ。 ブックナード レベルブックス ほか
 エッセイ、本と旅するということ。 文/岡本真帆
 Solo Trip Plans for Book Lovers 旅好き読書家たちの、1泊2日ひとり旅プラン。
 47都道府県のいい本屋がガイド。この街を歩くのが楽しみくなる本。

といった記事が配されています。

「#3 World of Novels 物語の世界に浸る旅。 岩手 遠野~花巻」では、花巻郊外旧太田村の高村山荘(光太郎が7年間の蟄居生活を送った山小屋)も紹介されています。
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その他、花巻では宮沢賢治記念館さん、山猫軒さん、茶寮かだんさん、イギリス海岸、蕎麦屋の嘉司屋さん、鉛温泉にあるKuneさんなどなど。
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「民話と物語が交錯する、遠野~花巻の旅を豊かにしてくれる6冊」ということで、光太郎の『山のスケッチ』(昭和41年=1966 中央公論美術出版)、賢治の『土神と狐』(平成27年=2015 好学社)が紹介されています。
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『山のスケッチ』は古書店などでしか入手できませんが。

というわけで、『&Premium』 No. 152 2026年8月号、ぜひお買い求め下さい。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 20 『近代詩 12人の詩人たち』

昭和60年(1985)5月6日 境忠一編 桜楓社
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目次
 北村透谷(詳細略) 島崎藤村(詳細略) 北原白秋(詳細略)
 高村光太郎
  道程「声」「根付の国」「道程」
  智恵子抄「樹下の二人」「あどけ ない話」「千鳥と遊ぶ智恵子」「レ モン哀歌」
  智恵子抄その後「メトロポオル」 「元素智恵子」
 萩原朔太郎(詳細略) 宮沢賢治(詳細略) 中野重治(詳細略) 中原中也(詳細略)
 立原道造(詳細略) 伊東静雄(詳細略) 金子光晴(詳細略) 西脇順三郎(詳細略)
 近代詩の源流
 参考文献 近代詩年表

大学の一般教養の授業などでテキストとして使われるために編まれたっぽい作りです。

武蔵野美術大学の前田恭二教授を通じて『世田谷美術館紀要』第27号を頂きました。同館学芸員の塚田美紀氏による論考「北川民次をめぐる大正初期の早稲田人脈――フュウザン会の画家・宮崎省吾との出会いから」が載っているためです。今年3月末の発行でした。
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北川民次は明治27年(1894)の生まれ。メキシコの画家として有名ですが、現在のところ光太郎智恵子との直接の関わりは確認できていません。問題はサブタイトルにある「宮崎省吾」。山形の米沢出身で、若き日の北川に絵画の手ほどきをした人物と位置づけられています。北川も宮崎も早稲田大学商学部予科に通っていました。

この宮崎省吾、光太郎と共に大正元年(1912)の第一回ヒユウザン会(のちフユウザン会)展覧会に油絵を出品しています。
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出品者名予告には智恵子の名もありますが、結局、智恵子は出品しませんでした。宮崎は「自画像」他を出品しています。

また、宮崎は同じ1912年(大正改元前の明治45年)4月には早稲田文学社主催装飾美術展覧会にも出品しています。この際には光太郎智恵子も。
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さらに5月には大阪の「吾八」という画廊のようなところで開催された「吾八団扇絵展覧会」に智恵子と共に出品しています。「吾八」店主の山内金三郎は東京美術学校出身でした。
日本美術年鑑 第3巻(大正元年度) 020
宮崎と光太郎らの繋がりには、やはりヒユウザン会中心メンバーだった斎藤与里あたりが介在しているのかな、という感じです。斎藤も上記の展覧会全てに関わっています。また、後述しますが、津田青楓の影も見え隠れします。

そして智恵子に限っていえば、宮崎の姉・千代が智恵子と同窓の日本女子大学校出身で、交流がありました。
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右上集合写真では、千代は左から二番目です。中央は後に同校校長となる井上秀です。

千代は家政学部の第一回卒(智恵子は四回卒です)。智恵子と親しくなり、大正3年(1914)、上野精養軒で開かれた光太郎智恵子結婚披露宴に出席しています。また、智恵子から千代宛の書簡5通が現存しており、貴重な資料です(智恵子書簡は70通たらずしか見つかっていません)。千代は母校で勤務した後、貿易商の高月一郎と結婚し、夫と共に仏領インドシナなどに滞在したこともありました。

母校での勤務は、津田青楓の回想『老画家の一生』(昭和38年=1963)では寮監だったとのこと。
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「亀吉」は津田自身です。

津田も光太郎智恵子と交流があった一人。光太郎とは留学仲間、智恵子は津田に絵を見てもらったことがあり、智恵子の有名な言葉として伝わる「世の中の習慣なんて、どうせ人間のこさへたものでせう。それにしばられて一生涯自分の心を偽つて暮すのはつまらないことですわ。わたしの一生はわたしがきめればいいんですもの、たつた一度きりしかない生涯ですもの。」は、津田の回想『漱石と十弟子』(昭和23年=1948)に書かれています。

智恵子と千代の親しい付き合いは、同じ東北出身ということもあって在学中からだったのか、或いはのちの省吾との関係からなのか、ニワトリが先か卵が先かで詳細が不明です。智恵子から千代宛の書簡も確認できている最初のものはそれぞれが卒業してしばらく経った大正元年(1912)のものですし。

松島光秋氏著『高村智恵子―その若き日―』(昭和52年=1977 永田書房)には、上記5通発見の様子、高月一郎・千代夫妻の長男の証言などが載っています。そちらを読んでも確たることは断言できない感じです。今後の課題としたいと思います。

さて、『世田谷美術館紀要』第27号所収の塚田美紀氏による論考「北川民次をめぐる大正初期の早稲田人脈――フュウザン会の画家・宮崎省吾との出会いから」。メインはあくまで北川民次ですが、宮崎姉弟についても光太郎智恵子とのからみなど言及されています。示唆に富むものでした。

最上部に奥付画像を載せてありますので、必要な方はそちらをご参照の上、お問い合わせ下さい。

ところで、宮崎省吾の絵画そのものは、図版などでは残っていますが、現物の所在が確認できていないようです。情報をお持ちの方、ご教示いただければ幸いです。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 19 『日本青春詩集』日本青春文学館12

昭和48年(1973)10月20日 立風書房 立風書房編集部編
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目次
 この青春のうたごえ――日本青春詩ノート―― 吉田精一
 土井晩翠(詳細略)
 高村光太郎
  失はれたるモナ・リザ 父の顔 犬吠の太郎 さびしきみち 冬が来た 冬の朝のめざめ
  牛 道程 雨にうたるるカテドラル 落葉を浴びて立つ 鉄を愛す 傷をなめる獅子
  象の銀行 冬の言葉 ぼろぼろな駝鳥 当然事 手紙に添へて ――に 郊外の人に
  人類の泉 樹下の二人 あどけない話 風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子
  レモン哀歌 亡き人に
 北原白秋(詳細略) 萩原朔太郎(詳細略) 室生犀星(詳細略) 佐藤春夫(詳細略)
 宮沢賢治(詳細略) 中原中也(詳細略) 立原道造(詳細略) 
 国木田独歩(詳細略) 河井酔茗(詳細略) 野口米次郎(詳細略) 蒲原有明(詳細略)
 
与謝野晶子(詳細略) 山村暮鳥(詳細略) 石川啄木(詳細略) 大手拓次(詳細略)
 
川路柳虹(詳細略) 三木露風(詳細略) 福士幸次郎(詳細略) 尾崎喜八(詳細略)
 
百田宗治(詳細略) 竹内勝太郎(詳細略) 村山槐多(詳細略) 笹沢美明(詳細略)
 
蔵原伸二郎(詳細略) 丸山薫(詳細略) 小熊秀雄(詳細略) 村野四郎(詳細略)
 
中野重治(詳細略) 伊藤整(詳細略) 安藤一郎(詳細略) 津村信夫(詳細略)
 
谷川俊太郎(詳細略)

光太郎を含む土井晩翠から立原道造まではまとまった数の作品を収め、独歩から谷川俊太郎までは1、2篇ずつという不思議な構成です。

光太郎の名が載った各地の新聞記事等、今日も2件ご紹介します。

まず仙台に本社を置く『河北新報』さん、7月5日(日)の記事。

大正時代にロダンブームがあった 熱狂のさなかに開かれた展覧会には著名文化人も関わる 岩手大教授が解明

 「近代彫刻の父」とされるフランスの彫刻家オーギュスト・ロダン(1840~1917年)に、大正期の日本が熱狂した「ロダンブーム」。岩手大の金沢文緒教授(西洋美術史)が、大学で2020年、偶然見つかった古い資料からブームの一端を解き明かした。長く幻とされた展覧会、ブームを起こした白樺派の文化人ら…。謎に迫った研究の成果は来年春、岩手県陸前高田市立博物館で公開される。
 探索のきっかけとなった資料は、ゴッホの絵画などを写した約200点の複製写真。大学施設の移転作業中に発見された。
 金沢教授の調査で、近代日本を代表する写真家野島康三(1889~1964年)が収集した写真と分かった。野島の死後、義理の弟が岩手大の非常勤講師だった縁で大学へ寄贈された。
 複製写真にロダン作品はなかったが、金沢教授は写真の入っていたファイル状の「紙挟み」に着目。6冊の紙挟み全てにフランス語で「オーギュスト・ロダンのデッサン」と印字されていた。
 紙挟みの出どころを追うと、野島が東京・神田で営んだ画廊「兜屋(かぶとや)画堂」で、1919~20年にあった展覧会の発行物と分かった。紹介されたのは、評価の高かったロダンのデッサンの複製写真。画廊の存在は先行研究で明らかにされていたが、この展覧会の詳細は不明だった。紙挟みは開催を裏付ける初めての資料だった。
 当時の新聞広告などから、展示されたのがダンテの「神曲」をモチーフとしたデッサンの複製写真集ということも判明した。写真集はフランスでも希少とされていた。
 浮世絵を愛好したロダンは、日本でのデッサン展を切望していたものの、生前に実現しなかった。遺志を受け継ぐように亡くなった2年後に開かれたのが、デッサンの複製展覧会だった。
 開催に向け、野島と親交のあった彫刻家・詩人の高村光太郎ら白樺派同人が奔走したことも突き止めた。高村は画廊運営にも携わり、作家大仏次郎が作品タイトルの翻訳を担うなど、白樺派以外の文化人の協力もあった。
 当時の資料を丹念に調べた一連の研究で、金沢教授は鹿島美術財団優秀賞を受賞。「最初は重要な資料と捉えず、学生の調査教材として扱っていた」と振り返る。複製写真は明治末期ごろから浸透した海外の芸術に触れる媒体だったが、多くは関東大震災や戦災で失われ、まとまった形で残る例は珍しいという。
 来年3月、名古屋市博物館からロダンの「考える人」を貸与されている陸前高田市立博物館で企画展を予定し、紙挟みや複製写真などを展示する。金沢教授は「大正期の日本人が西洋美術をどう受け入れていたのか、資料から読み取れる。多くの方に見てほしい」と話す。
 【ロダンブーム】 1910年代から20年代にかけて起きた現象。武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎らによって10年に創刊された文学雑誌『白樺』で、フランスの彫刻家ロダンの作品や思想が積極的に紹介され、日本の美術界や知識人の間で急速に流行した。
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画像にある岩手大学さんで見つかったゴッホ作品の写真が挟まれていた紙挟みが、大正8年(1919)と翌年に神田神保町の兜屋画堂で開催されたロダンのデッサンの複製を展示する展覧会のものだった、というわけで。

展覧会の名称は文献によって「ロダン複製素描展覧会」「ロダン素描複製画展覧会」と、まちまちでした。
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この開催に「高村光太郎ら白樺派同人が奔走したことも突き止めた」だそうですが、光太郎がどの程度関わっていたのかは不明です。

兜屋画堂は写真家の野島康三が開いた画廊で、野島は光太郎の盟友だった斎藤与里と親しく、また、画堂およびその後の野島自邸での展覧会出品者の中には光太郎実弟にして鋳金家の髙村豊周の名も記録されています。

光太郎の書き残したものの中に、野島の名は見えませんが、大正8年(1919)10月9日の『読売新聞』に載った談話筆記「僕のアメリカ行きも」には「小品の個人展覧会を今年中に兜屋あたりでやらうと思つてゐます」とありますし、翌大正9年(1920)の『時事新報』には兜屋で開催された大森商二の個展を紹介する「大森商二君の木炭画」が載り、雑誌『絵画清談』に転載されました。

記事にある岩手大学さんの金沢教授の研究、ぜひ目を通したいものだと思って調べたところ、記事に「鹿島美術財団優秀賞を受賞」とあったので、そこから調べてみると、鹿島美術財団さんのサイトで『鹿島美術研究 年報第42号別冊』がヒットし、教授の論文「ロダンのデッサン複製展覧会(兜屋画堂1919-1920)再考――野島康三旧蔵資料(岩手大学所蔵)の検討を通じて――」に辿り着きました。まだ斜め読みで、これから精読いたします。

やはり記事にある陸前高田で来春開催予定という企画展も拝見に伺おうかと思っております。

紹介すべき事項が山積しておりまして、もう1件。今朝の『朝日新聞』さんから。

自筆原稿66点発見 北原白秋、推敲重ねた跡 「通説見直す資料」

 詩歌の分野で活躍した北原白秋(1885~1942)の自筆原稿など66点が弟子宅で見つかった。寄贈された岩手県北上市の日本現代詩歌文学館(高野ムツオ館長)が5月下旬、発表した。加筆訂正を繰り返した書き込みから詩作の過程が伝わる貴重な資料だ。
 発見されたのは、白秋の詩集「白金之独楽(はっきんのこま)」「抒情(じょじょう)小詩選 わすれなぐさ」、白秋が編集した雑誌「ARS(アルス)」の原稿。「白金之独楽」の詩稿は、原稿用紙の余白や欄外に青、黒、赤の3種類のインクによる書き込みがあり、削除や加筆を重ねた跡がとどめられている。従来は一気に成立した詩集と捉えられてきた。
 調査にあたった東北大学の佐藤伸宏名誉教授(近代文学)は「いったん清書された原稿が幾度にも及ぶ推敲(すいこう)を重ね、初めて成立に至ったことが判明した。通説を根本から見直す決定的資料だ」と語る。
 雑誌「ARS」創刊号に寄稿した室生犀星、萩原朔太郎、山村暮鳥、高村光太郎らの自筆原稿や、白秋の編集手記もあわせて見つかった。白秋の弟子でアルス社で編集者を務めた歌人・中村正爾(しょうじ)宅にあり、遺族から寄贈された。日本現代詩歌文学館では2027年3月以降の展示を予定している。

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共同通信さんの配信記事などで既に5月には報じられていた件ですが、その際には光太郎の原稿が含まれていたことには触れられていませんでした。「何だ、光太郎のもあったのかい」という感じでした。

『ARS』創刊号(大正4年=1915)に載ったものだそうなので、ロダンの「ランスの本寺」翻訳と思われます。翌年に刊行された『ロダンの言葉』にも収められた一篇です。

「日本現代詩歌文学館では2027年3月以降の展示を予定」だそうで、もし光太郎のそれも出るようなら拝見に伺おうと思います。上記の陸前高田と近い時期ですし。

それぞれ近くなりましたら詳細情報を上げますのでよろしく。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 18 『北原白秋 高村光太郎 萩原朔太郎集』日本文学全集第19巻

昭和47年(1972)5月8日 集英社 北原白秋/高村光太郎/萩原朔太郎著
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目次
 北原白秋集(詳細略)
 高村光太郎集
  智恵子抄 造型詩篇 道程 雨にうたるるカテドラル 猛獣篇 火星が出てゐる 典型
  山のともだち
 萩原朔太郎集(詳細略)
 注解 作家と作品 伊藤信吉 年譜
 月報
  白秋最晩年の旅 木俣修 先輩高村さん 尾崎喜八 ふるさとの絆 丸山薫
  現代文学史13 小田切秀雄

以前にも書きましたが、昭和40年代から50年代、そんなに需要があったのかと思われるくらい、さまざまな文学全集ものが刊行されました。

光太郎の名が載った各地の新聞記事等、今日も3件ご紹介します。

まず『北海道新聞』さん、7月1日(水)の一面コラム。

<卓上四季>日本サッカーの道程016

高村光太郎の詩「道程」には長短ふたつのかたちがある。最初に発表されたのは100行を超える長い作品。小欄で以前に紹介した短いものより、モチーフが明確だ▼<僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る/道は僕のふみしだいてきた足あとだ/だから/道の最端にいつでも僕は立っている/何という曲りくねり/迷いまよった道だろう>。いろんな困難を乗り越えて、未踏の荒野をひたむきに前へ進んでいく。そんな姿がイメージされる▼思い浮かべるのはサッカーの日本代表チームである。W杯の晴れ舞台で王国ブラジルと対戦した。選手たちの規律と献身が光り、鮮やかに先制する。したたかな相手に翻弄(ほんろう)され、あとわずかなところで敗れたけれど、間違いなくナイスファイトだった。こころから拍手を送りたい▼W杯の初出場から28年。悔しさをばねに一歩ずつ進んで、大会ごとに着実に強くなってきた。思えば遠くへ来たものだ▼試合終了後のピッチで大粒の涙が流された。まずは休んで疲れをいやし、また前を向こう。そして4年後こそは喜びの涙に変えてみよう▼「道程」にはこんな一節もある。<ああ/人類の道程は遠い(略)歩け、歩け/どんなものが出て来ても乗り越して歩け/この光り輝やく風景の中に踏み込んでゆけ>。その歩みの先に未来が開けると信じたい。

詩「道程」の「長短ふたつのかたち」。「長」は大正3年(1914)3月の雑誌『美の廃墟』に掲載されたオリジナルの形で、102行もある長詩でした。引用されている詩句はその中からのものです。「短」の方は、同じ年の10月、第一詩集『道程』に収められたもので、オリジナルの形からばっさりと斬り捨て、9行の短い形に書き改められました。広く人口に膾炙しているのはこちらの形で、最終詩型です。

くりかえしこのブログで警告していますが、オリジナルの102行の形がネット上などで「全文」と紹介されることがあります。「全文」ではなく「初出発表形」もしくは「原型」とすべきですね。そうしないと9行に圧縮された「最終詩型」がまるでまがい物という意味になってしまいます。あくまで102行の形は光太郎自身がボツにした形ですし。

同じくスポーツ関連で、『スポーツニッポン』さん、7月4日(土)の記事。

なぜ? ロッテはドーム球場での試合が苦手 この日で5連敗、今季は2勝16敗2分けと大きく負け越し◇パ・リーグ ロッテ2―3ソフトバンク(2026年7月3日 みずほペイペイD)015

 「東京には空がない」――。詩集「智恵子抄」にそうつづったのは詩人の高村光太郎だ。
 ロッテは空がない、もとい空が見えない球場での試合が極端に苦手だ。
 この日のみずほPayPayドームでのソフトバンク戦も1点差で惜敗。これで今季、ドーム球場での試合は2勝16敗2分け。5月10日のソフトバンク戦からは2分けを挟んで5連敗となった。
 屋根がなく、独特の強風で知られる本拠地ZOZOマリンスタジアムでは今季、20勝13敗1分けと大きく勝ち越している。風がなく、プレーがしやすいはずのドーム球場がこれだけ苦手なのは「謎」と言っていい。 

こういう内容の前振りで「あどけない話」(昭和3年=1928)を持ってくるか?と笑いました。しかし、他チームがZOZOマリン独特の強風への対応に手こずるのはうなずけますが、なぜロッテの選手は無風のドーム球場を苦手としているのでしょうか? 風が吹いていないと実力が発揮できないという体質になっているのでしょうか? たしかに謎ですね。

最後に7月4日(土)の『日本経済新聞』さんから。

図書館のすすめ 女優・戸田菜穂

 私の家のそばには図書館がある。集中いや全集中したい時に図書館の二階へ行く。そこはもう私の愛する静けさと、ページをめくる音、ペンの音のみの世界。今もそこにいる。スマホは玄関に置いていく。
 絵本コーナーは小上がりになっていて、お母さんが子供を膝に乗せ読み聞かせをしている。私ももっと読んであげれば良かったと、胸がちくっとする。
 小学生用の机では、児童が宿題をしたり、昆虫図鑑を読んだりしている。ああ懐かしい光景。
 大人の机は人気があり、土日の朝は座席券をもらうために行列になるらしい。私は空いている平日のお昼前後によく行く。
 そういえば中学高校の頃、広島の図書館によく通っていた。あの周りはライバルだらけの逃げ場のない空間に身を置かなければ集中できなかったし、みんなが黙々と勉強する気配が気に入っていた。
 先日、娘の学校の先生に国語の勉強の仕方を聞いたところ、「いつも選ぶ本棚から七歩先の本を手に取って見て下さい」と言われた。大人もまだ知らない世界が山ほどある。大人も勉強しよう、その背中を子供はちゃんと見ているし、そこから国語の世界への興味が広がるのだと理解した。
 すぐに実践、七歩先にあった美術のコーナーで「高村光太郎 美に生きる」という本を手に取る。そこには高村が地方の小学校に贈った書が載っていた。素朴な飾らない字でふり仮名もつけて「正直 親切」と。
 子育てで一番大切な言葉に出合えた! 早速筆ペンで「正直 親切」と書いて、子供部屋の高い所に張っておいた。

『高村光太郎 美に生きる』は、平成10年(1998)に二玄社さんから刊行された、当会顧問であらせられた故・北川太一先生の編著です。光太郎令甥の写真家、故・髙村規氏撮影になる光太郎作品等の写真図版がふんだんに使われています。
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「正直親切」の書は、光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外太田村の山小屋(高村山荘)にほど近い、太田小学校山口分教場が昭和26年(1951)に山口小学校に独立昇格した際、校訓として贈った言葉を書いたものです。
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戦後らしく左から右へ、さらに入学したての一年生でも読めるようにと、新仮名遣いでルビまで書きました。ただ、まだ拗音表記のルールが徹底されていなかったようで「よ」は大きなサイズです。ちなみに旧仮名遣いだと「しやうぢきしんせつ」でした。

書自体は花巻高村光太郎記念館さんで所蔵。ここから文字を写した碑が廃校となった山口小学校跡地、光太郎の母校の荒川区立第一日暮里小学校さん、光太郎と交流のあった故・田口弘氏が教育長を務められていた埼玉県東松山市の新宿小学校さんにそれぞれ建っています。
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それにしても、この言葉に「子育てで一番大切な言葉に出合えた!」とまで感銘を受けられた戸田さん、さすがに「NHK俳句」司会もなさった方だな、と思いました。

明日もまだ新聞記事に光太郎の名、というネタで。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 17 『石川啄木 高村光太郎 宮澤賢治集』現代日本の文学6

昭和46年(1971)10月1日 学習研究社 石川啄木/高村光太郎/宮澤賢治著
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目次
 石川啄木集
  石川啄木文学紀行 啄木の旅 草野心平
  一握の砂 悲しき玩具 あこがれ 呼子と口笛 ローマ字日記
  註解 紅野敏郎 年譜 石川啄木文学アルバム 評伝的解説 久保田正文
 高村光太郎集
  高村光太郎文学紀行 光太郎と一緒の旅を振り出しに 草野心平
  道程 「道程」以後 猛獣篇 「猛獣篇」時代 智恵子抄 典型 「典型」以後
  註解 紅野敏郎 年譜 北川太一 高村光太郎文学アルバム 評伝的解説 北川太一
 宮澤賢治集
  宮澤賢治文学紀行 何度も訪れた花卷 草野心平
  春と修羅 四又の百合 インドラの網 雁の童子 北守将軍と三人兄弟の医者
  註解 紅野敏郎 年譜 宮澤賢治文学アルバム 評伝的解説 天沢退二郎
 月報
  著者を語る 石川啄木 ストライキ 金田一京助 高村光太郎 兄の思出二・三 藤岡孟彦
  宮澤賢治 「修羅の渚」にて 宮澤清六
  石川啄木・高村光太郎・宮澤賢治主要文献一覧 紅野敏郎編
  石川啄木・高村光太郎・宮澤賢治旅行ガイド 湧田佑
  最終回の編集を終えて 編集長 桜田満

岩手ゆかりの三人が一冊にまとめられています。手持ちのものは昭和47年(1942)の再版です。

立て続けに光太郎の名が新聞各紙に。光太郎メインだったりはしないものがほとんどですが。3回に分けてご紹介します。

6月28日(日)、『岩手日報』さん。

盛岡少年刑務所で高村光太郎祭

 盛岡少年刑務所(鈴木雅美所長)は12日、盛岡市上田の同刑務所で第49回高村光太郎祭を開き、受刑者約50人が更正と社会復帰への誓いを新たにした。
 光太郎が揮毫(きごう)した「心はいつでもあたらしく」の書と写真に献花。代表者が詩集の読書感想文と作文を発表し「道程」と「孤独が何で珍らしい」の詩を読み上げた。
 高村光太郎が1950年に同刑務所で講演したことから、78年以降に毎年開催してきた。鈴木所長は「高村さんの詩を理解し、人生を前向きに力強く生きてほしい」と呼びかけた。


記事にあるとおり、昭和53年(1978)から毎年開催されている行事です。年によって報道されるかされないかというところですが、令和5年(2023)には珍しく岩手めんこいテレビさんのローカルニュースで取り上げられました。かつては外部講師による光太郎についての講演もありました(当方も10年前にやらせていただきました)が、コロナ禍が契機だったかなという感じで、それは無くなったようです。

021朗読されたという「孤独が何で珍らしい」は以下の通り。昭和5年(1930)、鹿児島の同人雑誌『南方詩人』に寄せた一篇です。このころは送り仮名のルールが確立されておらず、現代では「珍しい」ですが光太郎を含め「珍らしい」とする場合が多くありました。誤植ではありません。
 
   孤独が何で珍らしい
 
 孤独の痛さに堪へ切つた人間同志の
 黙つてさし出す丈夫な手と手のつながりだ
 孤独の鉄(かな)しきに堪へきれない泣虫同志の
 がやがや集まる烏合の勢に縁はない
 孤独が何で珍らしい
 寂しい信頼に千里をつなぐ人間ものの
 見通しのきいた眼と眼の力
 そこから来るのが尽きない何かの熱風だ

たとえ孤独であっても、孤独な者同士が手を差し出し合って野合ではない心の繋がりが生まれ、しかしあくまで個は個、という二重三重のロジックでしょうか。「寄らば大樹の陰」的な「がやがや集まる烏合の勢」の政治家たちにつきつけたい一篇ですね。

続いて掲載順が前後しますが6月27日(土)、『朝日新聞』さん書評欄。

『詩人茨木のり子の誕生 西尾の少女の物語』 熊谷誠人〈著〉 感受性育んだ母との幸福な経験016

 今年、生誕100年、没後20年を迎えた詩人・茨木のり子。関連書籍が次々と刊行される中、発見のつまった宝箱のような評伝が世に出た。
 茨木が詩を書き始めたのは24歳。本書はそこに至るまでの時期に絞り、驚くべき調査力と的確な作品の読み解きによって、少女時代の茨木の姿をあざやかに浮かびあがらせる。茨木の没後、作品の管理に携わり、全集の編纂(へんさん)などにも協力してきた甥の宮嵜治氏は〈穏やかに笑うティーンエイジャーののり子のポートレートがここに完成した〉という言葉を寄せている。
 茨木は、若い世代に向けた詩の入門書『詩のこころを読む』や、与謝野晶子や高村光太郎の評伝など、すぐれた散文の仕事も残している。だが自身の生い立ちやプライベートな事柄についてはあまり書き残しておらず、本書で初めて明らかにされたことは多い。中でも茨木の人生と作品を深く知るために重要と思われるのが、11歳で死別した母親への思いだ。
 母の死が心の傷になったことは、詩人の吉原幸子との対談でちらりと漏らしているだけで、詩として表現することはなかった。そこには父の後妻となった人への配慮もあったのではないだろうか。
 著者は茨木が書いたNHKのラジオドラマ「電話」の脚本を発見する。出演した女優・山本安英の回想録にタイトルが出てくるが内容は不明だったこの作品は、母を亡くした小学生の男の子が心の中の電話で母と対話し、それを支えに生きる物語だった。そこには〈母を失ったのり子が、どんなふうにして自分の心の傷との折り合いをつけて日々を生きていったのかを読み解く鍵が隠されているように思います〉と著者は書く。
 現在の愛知県西尾市に住んでいた茨木は、宝塚歌劇を愛した母に連れられ、名古屋や東京で公演を観(み)ている。著者はその日付や演目、出演者までを特定する。そして当時の茨木の日記にある、東京からの帰路の列車で宝塚歌劇団の一行に遭遇しサインをもらっったという喜びと興奮に満ちた記述を裏付けるのである。
 少女期、母とともに美しいものにふれた幸福な経験。それを明らかにすることは、その後の戦時下で彼女を精神的に支え、詩人としての感受性を育んだものを知る手がかりとなる。掘り起こされた伝記的事実が、茨木作品の深い読みへといざなうのだ。
 茨木のり子の研究を続けてきた著者は、彼女が育った愛知県で長く教職にある人。戦時中の学校生活など、時代背景についてもわかりやすく解説されている。若い読者にぜひ届いてほしい一冊だ。(評・梯久美子 ノンフィクション作家)

茨木のり子は、生誕100年ということで、ちょっとしたブームです。「わたしが一番きれいだったとき」や「自分の感受性くらい」など、鋭い刃物を突きつけられるような一篇です。

詩のこころを読む』は昭和54年(1979)、岩波書店さんから出た岩波ジュニア新書の一冊。同世代かそれに近いの詩人たちの作品を取り上げています。「与謝野晶子や高村光太郎の評伝」は、『うたの心に生きた人々』。さ・え・ら書房さんから昭和42年(1967)に刊行され、後にちくま文庫(筑摩書房さん)ラインナップに入りました。与謝野晶子、光太郎、山之口貘、金子光晴の4人の評伝で、さらに平成19年(2007)、童話屋さんで4分冊として復刊し、光太郎のそれは『智恵子と生きた 高村光太郎の生涯』の題で出ています。
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晶子、光太郎、山之口貘の章は良い感じです。ただ、金子光晴のそれは、まぁ一般的にそうなので仕方がないのかも知れませんが「戦時中も反戦を貫いた」という感じの書き方になっており、実は翼賛詩文もそれなりに書いていたことに触れられていないのが残念です。どうも金子本人より取り巻きが躍起になってそれが「無かったこと」にしたいようで、そのため当方は金子の詩は眉に唾をつけないと読めません。

閑話休題、『詩人茨木のり子の誕生 西尾の少女の物語』、ご興味おありの方、ぜひお買い求め下さい。

長くなりますが、溜まってしまっているのでもう1件。6月28日(日)の『毎日新聞』さん。この日は大きなニュースが無かったようで、1面トップで、さらに3面にも続く長い記事でした。

「星野リゾートの自由人」(その1) 「地域の遺産」未来につなぐ

 西洋の古城を思わせる赤レンガ造りの建物が古都・奈良に威風を放つ。明治時代に建てられた5大監獄の一つ「旧奈良監獄」(奈良市般若寺町)。東大寺や奈良公園がある奈良観光の中心から北に約2キロ、古刹(こさつ)も残る閑静な住宅街に面して異形の建築はある。
 明治政府が不平等条約解消のため、受刑者の人権にも配慮した近代国家としての有りようを欧米列強に示さんと威信をかけて建設、1908(明治41)年に完成した。半円アーチを多用するロマネスク様式が取り入れられ、5大監獄で唯一建物群がほぼ完全な形で残る。
 2017年に100年以上にわたる刑務所としての役割を終えて国の重要文化財に指定された。そして今年、この歴史的建造物は高級ホテルと博物館として生まれ変わった。
  運営するのは高級リゾートホテルの展開で知られる「星野リゾート」。 国の重要文化財としては初めて、施設所有権を国が保有したまま民間に運営を委ねるコンセッション方式の民間活用で事業が進められる。 18年に首相の施政方針演説で、観光立国推進の目玉として取り上げられた一大プロジェクトだ。
 狙いは、民間の資金やノウハウを活用して公共文化財の維持・継承を図ることだ。星野リゾートは高級ホテル「星のや奈良監獄」(48室)と「奈良監獄ミュージアム」を組み合わせて収益化することで、「地域の遺産」を未来につなぐ。
 ミュージアムでは、史料の保存・展示にとどまらず、刑務所をテーマにアートも展開する。コンセプトは「美しき監獄からの問いかけ」。規律が支配する空間で「自由」について考えを巡らす体験を提供したい――。
 画一的なホテルチェーンとは異なり、施設ごとにその地の魅力を掘り起こし、掛け合わせ、新たな価値を生み出すという星野リゾートらしさが存分に盛り込まれた。

突き動かす好奇心
  肌寒く静けさに包まれた4月上旬のある晩、赤レンガの壁沿いを一人、足早に駆ける女性がいた。月末に開業するミュージアムの館長、八十田(やそだ)香枝さん(53)。プロジェクトのカギを握る一人だ。
 向かったのは展示棟。受刑者の暮らしなどを紹介するパネル展示を何度も読み返した。日中は国の担当者との打ち合わせなど館長業務に忙殺される。夜間が八十田さんの「自習」時間だ。開業まで1カ月に迫ると「通勤時間がもったいない」と近くに部屋も借りた。 
 エネルギッシュに動き回り、人一倍声が大きい。これまで星野リゾートで20年以上、ホテルや旅館の運営に携わってきた。「星野リゾートの自由人」を自称し、その印象はまさに大阪のおばちゃんだ。
 自らを突き動かすのは好奇心。館長就任を打診された時、大阪のホテルで思い入れのあるプロジェクトを進めていたが、即断した。「監獄で働くなんて普通のサラリーマンでは経験できない」。立ち止まるより、行動あるのみ。そんな言葉が似合う半生だった。
 大阪市内の下町生まれ。両親はキタの繁華街・北新地ですし店を営み、父が大将、母がおかみさんだった。動物好きで、子どもの頃には天王寺動物園に50回以上通ったほど。動物園で働くことを夢見ていたが、中学生の時に高村光太郎の詩「ぼろぼろな駝鳥(だちょう)」を読んでショックを受けた。
 詩にはこんな一節がある。
 〈何が面白くて駝鳥を飼うのだ。動物園の四坪半のぬかるみの中では、脚が大股すぎるぢゃないか〉
 野生で生きるはずのダチョウが動物園で自由を制限されているという詩の世界を思い涙した。飼育員ではなく、野生動物を保護する仕事を志すようになった。
 19歳の時には「アフリカの国立公園で働けないかな」と思い立ち、1人で旅立った。「母には泣かれ、おばあちゃんからは、帰ってこられないと思ったのか香典をもらいました」。アフリカでの夢はかなわなかったが国内で仕事を探し、97年、24歳で就職したのが、長野・軽井沢を拠点に野生動植物の調査やネーチャーツアーを行う自然保護団体「ピッキオ」だった。
 ピッキオは星野リゾートが92年に作った「野鳥研究室」が前身で、当時は同社の一部署。八十田さんはピッキオの森のいきもの案内人として、星野リゾートが営む軽井沢町の温泉や別荘の宿泊者に向けたガイドツアーを担当した。
 団体客を連れて森を歩き、野鳥や草木について解説。明るい性格を生かしたガイドは子供たちの心を刺戟した。ムササビの観察会をはじめ、ドラム缶風呂を用意したり、バウムクーヘンを焼いたりと体験を重視する企画に取り組んだ。
 仕事は充実していた。ただ30歳を前にある願望がこみ上げてきた。生や死、自身の生き方を真剣に考えてみたいというものだった。
 自立した活動のためには収益事業も重要だ――。野性動物の保護活動に対する星野リゾートの運営方針に違和感はなかった。
 1997年、同社が営む長野県軽井沢町の自然保護団体「ピッキオ」の職員になった八十田香枝さん(53)。野性動物を保護する仕事を志して見つけた職だったが、純粋な慈善活動や調査研究だけをするわけではない。「野鳥の森を保護するにも費用がかかる。ガイドでもうけないと事業は残らない」。商売人の家で育った八十田さんは収益源となるガイドツアーに熱心に取り組み、自然と会社の方針を体現していた。(以下略)
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星野リゾートさんが新たに手がけた奈良監獄ミュージアムさんの館長・八十田香枝氏の密着ドキュメントです。

八十田氏、元々動物好きということでしたが、光太郎詩「ぼろぼろな駝鳥」(昭和3年=1928)を読んで野性動物保護の道へ。アフリカへも行き、そちらで働くことは叶わなかったものの、星野リゾートさんでそうしたお仕事に……という流れです。

引用した部分のあとにも同じ位の長さで記事が続きますが、あまりに長いので割愛します。その後、八十田氏は「お金や利益が関わらなくても動物や人のために動けるんだろうか」と自問した末、インドの病院で大地震に伴う被災ボランティアをなさったり、帰国後は沖縄や大阪で星野リゾートさんの地域進出事業の先遣隊を務めたりなさったそうです。そして現在の奈良監獄ミュージアムさんに異動。おそるべきバイタリティーです。

そういう方の転機の一端を光太郎詩が担ったというのは、ある意味恐ろしいといえば恐ろしいことと思います。一篇の詩で人生が左右されてしまう、というわけで。

明日も3件ご紹介します。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 16 『高村光太郎 宮澤賢治集』日本近代文学大系第36巻

昭和46年(1971)6月10日 角川書店 伊藤信吉解説 飛高隆夫/恩田逸夫注釈
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目次
 凡例
 解説 伊藤信吉
 高村光太郎集
 宮沢賢治集
 高村光太郎集注釈 飛高隆夫
  道程 猛獣篇
 宮沢賢治集注釈 恩田逸夫
  春と修羅 補注 『春と修羅』関係地図
 参考文献
 年譜

 月報
  高村光太郎の情念と表現のあいだ――とくに『智恵子抄』について―― 藤島宇内
  『春と修羅』のころ 福島章
  作家の筆跡 高村光太郎 宮沢賢治
  明治大正風俗語典20 槌田満文
  編集後記

収録詩篇に出てくる語の注釈が実に充実しています。光太郎の部を担当された飛高隆夫氏はこのお仕事を基にさらに発展させ、『高村光太郎『道程』全詩鑑賞』(平成21年=2009 明治書院)という書籍も出版されました。

今朝の段階で村のサイト等に詳細な公式情報がまだ出ていないのですが、もう今週末です。当会の祖・草野心平を祀るイベントです

第61回天山祭り

期 日 : 2026年7月11日(土)
会 場 : 天山文庫 福島県双葉郡川内村大字上川内字早渡513
       雨天時は旧川内中学校体育館 川内村大字下川内字宮渡29
時 間 : 午前10時~正午
料 金 : 1,000円

多くの形に親しまれております天山祭りでありますが、この度61回目の開催を迎える運びとなりました。万障繰り合わせのうえ、御参加いただきますようご案内申し上げます。
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元々は心平を祀る祭りではありませんでした。時系列的には、心平が「蛙の詩人」として名を馳せる→村に棲息するモリアオガエルが縁で心平が名誉村民に認定→心平が蔵書数千冊を村に贈る→その収蔵庫兼心平の別荘として「天山文庫」を村で建設→その落成記念に第1回天山祭り開催(昭和41年=1966)→以後、何度も心平が祭りに参加→昭和63年(1988)に心平が没すると心平を偲ぶ祭りへと変化、といった流れです。

さらに一時全村避難を余儀なくされた東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故後は、復興の祈念・確認といった意味合いも付加されるようになりました。
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以前にも書きましたが、心平と親しかった光太郎実弟の豊周が、天山文庫の設立協力委員会発起人に名を連ねました。豊周以外には井上靖、金子光晴、唐木順三、河上徹太郎、川端康成、小林勇、武田泰淳、谷川徹三、中野重治、西脇順三郎、古田晁、松方三郎、武者小路実篤、村野四郎、山本健吉。心平人脈の広さがうかがえるメンバーですね。
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いただいた案内には当日の詳細なプログラム等が印刷されていませんでしたが、例年通りであれば心平詩の朗読、郷土芸能等の披露がメインと思われます。

梅雨時ですので、本来の会場の天山文庫前庭でできない場合も多く、過去3年間のうち第58回(令和5年=2023)と第60回(令和7年=2025)は屋内でした。第59回(令和6年=2024)以来の天山文庫での開催が望まれます。昨年まで雨天時は村役場近くの村民体育センターさんでしたが、役場の移転に伴いそちらが取り壊されるようで、今年は旧川内中学校体育館だそうです。

ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 15 『高村光太郎・宮澤賢治集』現代日本文学大系27

昭和44年(1969)9月15日 筑摩書房 高村光太郎/宮澤賢治集著
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目次
 高村光太郎集
  巻頭写真 筆蹟
  道程 「道程」以後 猛獣篇 「猛獣篇」時代 典型 「典型」時代
  オオギユスト ロダン 自分と詩との関係 智恵子の半生 父との関係 荻原守衛
  宮澤賢治集
   巻頭写真 筆蹟
   春と修羅 第一集 春と修羅 第二集 よたかの星 どんぐりと山猫 注文の多い料理店
  ポラーノの広場 風の又三郎 銀河鉄道の夜 農民芸術概要綱要
 〔付録〕
  高村光太郎 草野心平 高村光太郎山居七年――山に入るまで 佐藤隆房
  わが生涯 高村光太郎/高見順 高村光太郎の回想 伊藤信吉
  宮沢賢治の童話の世界 寺田透 詩人・宮沢賢治 山本太郎
  年譜 著作目録 
 月報
 光太郎対賢治 天沢退二郎 光太郎と社会思想 高田博厚 心象開眼 紀野一義
 高村光太郎・宮沢賢治研究案内 紅野敏郎

手持ちのものは昭和54年(1979)の第11刷です。

6月30日(火)、堺市のさかい利晶の杜さん内のさかい利晶の杜×文豪とアルケミスト企画展 明キ星ヲ繋グ。」を拝観後、与謝野晶子記念館さん常設展示を拝見しました。

前身の「与謝野晶子文芸館」だった頃にお邪魔したことがあるのですが、その翌年にリニューアルされてからは初めてでした。
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常設展示も部分的にいろいろ入れ替えながらやられているようで、コーナー展示では「与謝野晶子と寛(鉄幹)の書」と銘打たれていました。
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明治44年(1911)、夫・寛の外遊資金を捻出するために書かれ、支援者らに買ってもらった「百首屏風」。
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複数点、出ていました。

奥の方は完全な常設展示のようで、寛・晶子夫妻の生涯の紹介など。
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人物相関図的な。
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不肖の弟子(笑)、光太郎も。
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下にモニターがあり、人物を選んで表示させることができます。
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別の場所には、光太郎の心の師・ロダンも。
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光太郎は、明治41年(1908)から翌年にかけてのパリ留学中に展覧会場でロダンに会っていますが、まだ何者でもない自分に気後れを感じたのでしょう、結局、声をかけることができませんでした。その少し前には親友だった荻原守衛は物怖じせずにロダンを訪ねていますし、明治45年(1912)の与謝野夫妻もそうでした。どうも光太郎には人見知り的な一面もあったようです。

晶子の実家の菓子舗、駿河屋を復元したコーナー。
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その脇には、夫妻の主な訪問先等を紹介する巨大なモニター。こちらもタッチパネルで都道府県ごとに検索ができます。これは存じませんでしたが、光太郎第二の故郷・岩手花巻にも夫妻の足跡が残っていました。ただし、夫妻の花巻行は昭和6年(1931)。光太郎が居着く十数年前でした。
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戦後の光太郎もたびたび宿泊した花巻温泉に夫妻の歌碑があるそうで、存じませんでした。

夫妻の足跡は、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のたつ青森十和田湖(大正14年=1925)、当方自宅兼事務所のある千葉県香取市(明治44年=1911と昭和6年=1931)にも残されていますが、そちらは割愛されていました。

常設展示、こんな感じでした。

1階ロビーでは、昔の堺の街並みを再現したジオラマが展示されていたり、さまざまなグッズの販売も行われたりでした。
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ぜひ皆様も足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 14 『現代名詩選(上)』

昭和44年(1969)8月25日 新潮社(新潮文庫) 伊藤信吉編
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目次
 島崎藤村 土井晩翠 与謝野鉄幹 与謝野晶子 河井酔茗 伊良子清白 薄田泣菫
 蒲原有明 石川啄木 北原白秋 三木露風 木下杢太郎 高村光太郎 川路柳虹
 野口米次郎 福士幸次郎 山村暮鳥 武者小路実篤 千家元麿 白鳥省吾 百田宗治
 福田正夫 大手拓次 三富朽葉 竹内勝太郎
 解説 伊藤信吉

巻頭の目次に詳細な表示がありませんが、採録されている光太郎詩は以下の通り。

 失はれたるモナ・リザ 寂寥 冬が来る 冬が来た 道程 秋の祈 小娘
 落葉を浴びて立つ 鉄を愛す 鯰 ぼろぼろな駝鳥 火星が出てゐる 或る墓碑銘
 首の座 上州湯檜曾風景 刃物を研ぐ人 もう一つの自転するもの 蟬を彫る 樹下の二人
 あどけない話 千鳥と遊ぶ智恵子 山麓の二人 レモン哀歌 亡き人に 梅酒
 雪白く積めり 月にぬれた手 女医になつた少女 クロツグミ 十和田湖畔の裸像に与ふ


手持ちのものは昭和61年(1986)の第24刷です。

6月30日(火)、京都の何必館さんでの「コレクション 近代芸術家の書」展拝観の後、大阪に向かいました。次なる目的地は堺市のさかい利晶の杜さんです。こちらでは「さかい利晶の杜×文豪とアルケミスト企画展 明キ星ヲ繋グ。」が開催中です。

JR堺駅に到着。意味不明の巨大モニュメントがお出迎え(笑)。
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歩いてさかい利晶の杜さんへ。
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2階に与謝野晶子記念館さん。こちらが会場のようです。
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常設展示室と、企画展示に使う部屋とに分かれているようで、まずは企画展示。

各地の文学館さんなどで同様の企画がこれまでにも多数行われてきたゲーム「文豪とアルケミスト」とのタイアップ企画で、ゲームのキャラクターがポスターや展示室の扉に描かれ、室内には等身大パネルも。光太郎、とびきりのイケメンです(笑)。
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展示品は与謝野寛・晶子を中心に、夫妻の弟子筋にあたる吉井勇、光太郎、北原白秋、石川啄木の関連の品々。すべて堺市博物館さん所蔵のものです。与謝野晶子記念館さん自体が堺市博物館さんの出先機関のような位置づけだそうです。
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『明星』(復刻)。
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寛・晶子の貼り交ぜ屏風。
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吉井勇関連。
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光太郎装幀の勇歌集『酒ほがひ』(復刻)。ちなみに本物は昨日今日と神田神保町の東京古書会館さんで開催の「明治古典会七夕古書大入札会」下見展観で展示されています。

光太郎肉筆原稿「自伝」。入手した人物が折本に仕立てたようです。
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創元社の『全詩集大成日本詩人全集』第2巻に収められた散文で、開かれているページには『明星』での短歌から詩へと移っていった経緯などが記されています。

光太郎も挿画を担当した『晶子短歌全集』。
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光太郎以外に藤島武二、中澤弘光が挿画を描いた巻も。

事前に見た地元の情報サイトで、光太郎作品として「短歌の言葉」も挙げてありましたが、そちらは寛の作品でした。

白秋。
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啄木。
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昔のもの以外にも、パネル展示などで光太郎らの言葉をいろいろと。
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企画展の方は、こんな感じでした。

続いて常設展示も拝見しましたが、長くなりますので明日に回します。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 13 『高村光太郎・宮澤賢治集』豪華版 日本現代文学全集16

昭和44年(1969)1月30日 講談社 高村光太郎/宮澤賢治著
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目次
 高村光太郎集
  巻頭写真 筆蹟
   道程(全) 造型詩篇 猛獣篇 「道程」以後 智恵子抄 典型(全) 「典型」以後
   ヹルハアラン詩集
  美について
   ロダンの生涯 ロダンとマイヨルの好悪に就て 触覚の世界 小刀の味 書について
   彫刻性について 自作肖像漫談 蝉の美と造型 信親と鳴滝
  詩について 
   詩歌と音楽 生きた言葉 自分と詩との関係 某月某日 雅歌
  随想
   家 ある首の幻想 ルイ十六世所刑の図 人の首 百三十五番 装幀について
      九代目団十郎の首 手 ほくろ 制作現況 工房にて
  智恵子のこと
   智恵子の切抜絵 智恵子の半生
  みちのく便り
   開墾 夏の食事 山の雪 山の春 みちのく便り 四 山の秋
  アトリエにて
   父との関係 荻原守衛 焼失作品おぼえ書
  ロダンの言葉
   ヹヌス フランスの自然 ランスの本寺 夜の本寺 本寺別記
  続ロダンの言葉
   花について 女の肖像 芸術家の一日 手紙
  作品解説 亀井勝一郎 高村光太郎入門 伊藤信吉 年譜 参考文献
 宮澤賢治集 (詳細略)

手持ちのものは昭和55年(1980)の第19刷です。

6月30日(火)、日帰りで京都・大阪に行っておりました。京都では祇園の何必館(かひつかん)さんで「コレクション 近代芸術家の書 展」、大阪は堺で「さかい利晶の杜×文豪とアルケミスト企画展 明キ星ヲ繋グ。」などを拝見。3回に分けてレポートいたします。

まずは京都。

東海道新幹線で京都駅に降り立ち、さらにJR奈良線と京阪本線を乗り継いで祇園四条駅へ。駅を出ると目の前が四条通に面した京都南座さんで「ありゃ、ここかい」という感じでした。最近めったに行かなくなりましたが、昔は年に1、2回は京都に行っており、何度も歩いた場所でした。東へ進み続ければ突き当たりは八坂神社さんです。
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スマホの地図アプリを起動、何必館さんを探すと、八坂神社さん方面に歩くとすぐとのこと。何度も歩いていた場所でしたが、これまで気づかずに通り過ぎていました。
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こちらが何必館さん。敷地面積はそれほどではありませんが、地階から5階までが展示フロアとなっており、総床面積はそれなりに。街なかにある美術館さんなどでよくあるスタイルです。

昭和56年(1981)開館で、日本画の村上華岳の作品を中心に、北大路魯山人、山口薫の洋画などがコレクションの柱だそうです。今回は「近代芸術家の書」ということで、村上、魯山人、そして光太郎、さらに川端康成、棟方志功、梅原龍三郎、平櫛田中、奥村土牛、須田剋太、富本憲吉、会津八一、加藤唐九郎、小倉遊亀、熊谷守一。約60点が展示されていました。なかなかに眼福でした。

公式サイトで光太郎の書は、戦後の花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)で書かれた短歌「山にゆきて何をしてくる山にゆきてみしみしあるき水のんでくる」を書いた幅が紹介されていましたが、他にも出ているだろうと思っていたところ、ビンゴでした。「山にゆきて……」以外に2点が出ていました。

まず横長の紙に「甘酸是人生」と書いたものが額装されて。同じ文言をやはり戦後、親交があった花巻のリンゴ農家の故・阿部博氏に贈っています。「甘酸」はリンゴの味にひっかけているわけで。そちらは現在、花巻高村光太郎記念館さんで常設展示されています(下画像)。
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平成27年(2015)にNHK Eテレさんで放映された「趣味どきっ!女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門 第5回 智恵子、愛と死 自省の「道程」 高村光太郎×智恵子」では、この書が大きく取り上げられました。

何必館さんで展示中のものも戦後のものと思われます。撮影不可ということで画像がありませんが。

それから短歌「あゝこれ山 空を劃りて 立てるもの かたらす(ず)おろか さひ(び)てたつもの 」を分かち書きした大きな書。短歌自体は明治37年(1904)、第一期『明星』辰歳第11号に載った「赤城山の歌」19首のうちの一つです。「劃りて」は「かぎりて」、「おろかさひ(び)て」の「さび」は接尾語で名詞に付いて「~のように」といった意味となり、「愚か者のように」あるいはもっと突っ込めば「愚直に」といった意味でしょう。この年、光太郎は断続的に2ヶ月近く赤城山麓に滞在、8月には東京からやって来た与謝野寛、石井柏亭、伊上凡骨らを迎え、共に赤城山に登っています。

揮毫されたのはおそらく昭和戦前ではないかと思いました。明治大正の頃は大きな紙に書を書くことはほとんどやりませんでしたし、戦後の書はもっとかすれの激しい彫刻刀で刻みつけるような書体ですが、こちらは比較的流麗な筆遣いです。また、使われている紙が竹の模様を漉き出したちょっと高級そうな紙で、戦後にはこういった紙は入手不可能だったと思われます。終戦後すぐには粗悪なボール紙を色紙代わりにしていたこともありました。

ちなみに短歌「あゝこれ山」を書いた短冊、「赤城山の歌」に含まれるものだということで、群馬県立土屋文明記念館さんで所蔵され、平成31年(2019)の同館の第103回企画展「文学者の書―筆に込められた思い」で展示されたりもしています。

余談ですが、「甘酸是人生」、「あゝこれ山」共に、サムネイルの小さな画像で見ただけでそれとわかる悪質なニセモノがよく売られています。ご注意を。

何必館さんでは平成23年(2011)にも今回と同じく「近代芸術家の書」展を開催なさいました。その際に刊行された図録的な書籍『近代芸術家の書』が、今回も受付で販売されています。「甘酸是人生」は載っていませんが、短歌「山にゆきて」、同じく「あゝこれ山」は画像が掲載されています。
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それから「山にゆきて」の方は、ポストカードも。ただしバラ売りではなく魯山人や梅原龍三郎らの書のそれとともに8枚セットです。

ぜひ足をお運びの上、お買い求め下さい。

明日は「京阪」の「阪」。堺市の「さかい利晶の杜×文豪とアルケミスト企画展 明キ星ヲ繋グ。」についてレポートいたします。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 12 『人生の名著 2 藤村感想集 智恵子とわが青春 私の個人主義』

昭和43年(1968)1月25日 大和書房 島崎藤村/高村光太郎/夏目漱石著
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目次
 藤村感想集 島崎藤村(詳細略)
 智恵子とわが青春 高村光太郎
  1 智恵子の半生 智恵子の切抜絵 新茶の幻想 九十九里浜の初夏
    某月某日
  2 わたしの青銅時代 青春の日 遍歴の日
  3 詩について 生きた言葉 所感
  4 みちのく便り 山の春 山の秋 美と真実の生活
 私の個人主義 夏目漱石
 解説 藤島宇内

 月報
  藤村と私 羽田知都子
  光太郎の詩 小林智子
  現代に必要な漱石の精神 登坂宏
  古い本 新しい本 新庄嘉章訳 『ジイドの日記』 堀秀彦

散文のみを集めています。

都内からいっぷう変わった公演情報です。

劇舎カナリア・シアター 『書声展』さっちゃんは戦争を知らない ちづちゃんは戦後を知らない 詩人と市井の人びと声なき声の展覧

期 日 : 2026年7月13日(月)
会 場 : ギャラリーΧ(カイ) 東京都墨田区両国2-10-14 両国シティコア内
時 間 : 15:00/18:30
料 金 : 1,500円(全席自由)

「わが詩をよみて人死に就けり」と戦時の詩作を悔い、反省し、山荘に籠った高村光太郎。その許を訪れ、「心の責め」を思いやった詩人宮静枝は、生涯に渡り平和を希求する詩を書き続けました。そして戦地で地獄を見て、戦争を「人間愚」と呼び、無反省な戦後に「反省のみがわれわれを道化芝居から救い出してくれる」と訴えながら、自裁した劇詩人加藤道夫。そんな詩人たちのことばと、静枝の身内である宮絢子さんと、そのご家族の戦争への思いを、書と声で展覧します。
「おかあさま、タカムラコータローとマッカーサーとどっちがえらいの?」と、光太郎の前で、母に問うた文彦さんも共に。「でもどうしておとなは せんそうすきなんだろうナ みんなでそうだんして せんそうしないことにしたらいいのにね」山本健翔

スタッフ 書:宮絢子 構成・演出:山本健翔 音楽:ささいけい子 製作:劇舎カナリア

キャスト 
ささいけい子 山本健翔 寺田明子 宮文彦 宮絢子
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案内文に「書と声で展覧」とありますが、「書」の方は書家の宮絢子氏の作品。「声」では「キャスト」にクレジットされている方々が朗読されるのではないでしょうか。

「キャスト」のお一人、宮文彦氏は、生前の光太郎をご存じの方です。お母さまが詩人の故・宮静枝氏。戦前から光太郎と交流があり、戦後の昭和26年(1951)、花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)に隠棲していた光太郎を訪れ、その際の体験を基に平成4年(1992)『詩集 山荘 光太郎残影』を上梓、第33回晩翠賞を受賞されました。

その際に同行したのが甥御さんの千葉氏、そして息子さんの文彦氏と暠成(こうせい)氏でした。
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書の宮絢子氏は文彦氏の奥様で、姑である静枝氏の詩句などを書かれることもおありです。

やはり静枝氏の詩集『山荘』と、文彦氏のお兄様・暠成(こうせい)氏とのからみで、今年5月9日(土)には三軒茶屋で「朗読とお話 宮静枝の詩に投影された高村光太郎の戦後」というイベントが開催されたとのことです。世田谷区さんの広報誌で事前に小さく紹介が出ていましたが、気づきませんで「あ゛~」と思っていたところでした。
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今回は予約を入れさせていただきました。皆様もぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 11 『カラー版 日本の詩 2 石川啄木 北原白秋 山村暮鳥 高村光太郎 宮沢賢治』

昭和42年(1967)5月15日 現代芸術社 金子光晴/高橋新吉監修
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目次
 カラー
  紺屋のおろく(白秋) 砂山(白秋) 城ヶ島の雨(白秋)
  東海の はたはたと ふるさとの 初恋(啄木)
  口笛 わが庭の かにかくに や はらかに(啄木)
  雲 おなじく ある時(暮鳥) 三人の処女(暮鳥) 荒涼たる帰宅(光太郎)
  千鳥と遊ぶ智恵子(光太郎) レモン哀歌(光太郎) 十一月三日・雨ニモマケズ(賢治)
  高原 市場帰り(賢治)
 グラビア
  道程(光太郎) 落葉松(白秋) 我を愛する歌(啄木) だんす 烙印(暮鳥)
  老漁夫の詩(暮鳥) 梅酒(光太郎) ぼろぼろな駝鳥(光太郎) 春と修羅(賢治)
  岩手軽便鉄道の一月(賢治)
 本文
  我を愛する歌(啄木) 煙一 煙二(啄木) 秋風のこころよさに(啄木)
  忘れがたき人人(啄木)
 手套を脱ぐ時(啄木) 沈める鐘(啄木)
  はてしなき議論の後(啄木)
  柳河(白秋) 六騎(白秋) 薊の花(白秋) あかき木の実(白秋) 片恋(白秋)
  春の鳥(白秋) 赤い夕日に(白秋) 幻滅(白秋) 汐首岬(白秋) 曼珠沙華(白秋)
  ちんちん千鳥(白秋) かやの木山の(白秋) ペチカ(白秋) この道(白秋)
  祭りもどり(白秋) 芭蕉(白秋) 泊り舟(白秋) 待ちぼうけ(白秋)
  岬(暮鳥) いのり(暮鳥) なやみに就て(暮鳥) 父上のおん手の詩(暮鳥)
  詩人・山村暮鳥氏(暮鳥) 月 おなじく(暮鳥)
  冬が来た(光太郎) 犬吠の太郎(光太郎) 秋の祈(光太郎) 車中のロダン(光太郎)
  ばけもの屋敷(光太郎) 手紙に添えて(光太郎) 人に(光太郎) 晩餐(光太郎)
  樹下の二人(光太郎) あなたはだんだんきれいになる(光太郎)
  風にのる智恵子(光太郎) 値ひがたき智恵子(光太郎) 山麓の二人(光太郎)
  春と修羅・序(賢治) 雲の信号 岩手山(賢治) 原体剣舞連(賢治)
  永訣の朝(賢治) 政治家(賢治) 和風は河谷いっぱいに吹く(賢治)
  生徒諸君に寄せる(賢治) 眼にて言ふ(賢治)
 解説(三好豊一郎)
 略年譜

 ソノシート
 1 高原 荒涼たる帰宅 かやの木山 待ちぼうけ この道 ペチカ 砂山 ちんちん千鳥
 2 泊り舟 芭蕉 城ヶ島の雨 落葉松 はたはたと 初恋 やはらかに 口笛 東海の かにかくに
   ふるさとの わが庭の
 演奏者 大町ますみ 田中路子 板橋勝 中村博之 ルナ・アルモニコ 新室内楽協会

いかにも「昭和」という感じの作りです。写真の具合といい、附録にソノシートが付いていることといい。ソノシートは作曲者名が書かれていませんが、それぞれ独唱歌曲です。光太郎の「荒涼たる帰宅」は昭和30年(1955)、故・清水脩氏作曲の歌曲集「智恵子抄」最終曲。大町ますみ氏(ボニージャックスの故・大町正人氏の奥様)の歌、伴奏は新室内楽協会でした。

都内から演奏会情報です。

歌曲アンサンブル研究会 第287回 7月例会 〈文月コンサート〉正会員と一般会員による演奏

期 日 : 2026年7月8日(水)
会 場 : 日暮里サニーホール 東京都荒川区東日暮里5丁目50−5
時 間 : 18:30開演
料 金 : 無料

プログラム
 1. R.Schumann / F.Rückert  Widmung 献呈
  F.P.Tosti / R.Pagliara  Rosa 薔薇
  S.Gastaldon / Flick-Flock  Musica proibita 禁じられた音楽
  中瀬康彦 (Ten)  矢部伸子 (Pf)
 2. W.A.Mozart / J.Campe bendempfindung an Laura ラウラに寄せる夕べの想い
  / C.Overbeck  Sehnsucht nach dem Frühling 春への憧れ
  石井敏子 (Sop) 矢部伸子 (Pf)
 3. 山田耕筰 / 北原白秋 からたちの花 鐘が鳴ります この道
  宇佐美知子(Ms) 髙野京子 (Pf)
 4. F.J.Fétis / 不詳 Aria di chiesa 教会のアリア
  中田喜直 / 加藤周一 さくら横ちょう
  田島靜子 (Sop) 高取達也 (Pf)
 5. 朝岡真木子 / 大竹典子 さくら舞台
  朝岡真木子 / 高村光太郎 組曲「智惠子抄」より レモン哀歌
  広川法子 (Sop) 末松茂敏 (Pf)
 6. J.Turina / R.Campoamor ‘Poema en forma de canciones’ 「歌のかたちの詩」より
  Ⅱ. Nunca olvida... 忘れない    Ⅲ. Cantares うた (カンターレ)
  Ⅳ. Los dos miedos 二つの恐怖 Ⅴ. Las locas por amor 至上の愛
  濱田喜代美 (Sop)  髙野京子(Pf)
 7. 別宮貞雄 / 大木惇夫 歌曲集「淡彩抄」より 泡 蛍 別後 燈 春近き日に
  横田 理恵 (Sop)  山本 奈々子 (Pf)
 8. C.Guastavino / F.Silva La rosa y el sauce 薔薇と柳
  G.Fauré / P.Verlaine Clair de lune 月の光
  M.Legrand / E.Marnay Paris-Violon パリ-ヴィオロン
  加藤智子(Ms) 入佐弥生 (Pf)
 9. 助川敏弥 / 金子みすゞ 
  歌曲集「夕顔」より みそはぎ だれがほんとを
  歌曲集「薔薇の町」より 金魚 星とたんぽぽ
  大垣ひで美(Sop) 末松茂敏 (Pf)
 10. G.Fauré / P.Verlaine Mandoline マンドリン
  C.Debussy / P.Verlaine Mandoline マンドリン
  A.Roussel / H.Pierre Amoureux séparés op.12-2 離れ離れ
  / R.Chalupt Sarabande op.20-2 サラバンド
  神谷明美 (Sop)  南日美奈子 (Pf)
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歌曲アンサンブル研究会」さんの主催。ただ、本式の演奏会というわけではなく、毎月行われている「例会」の一環です。「例会」は会員対象の公開講座、そこでレッスンを受けた歌い手さんなどによる試演会、定期公演などバリエーションに富んでいて、今回は試演会に近い形なのかな、という感じです。したがって入場無料です。といってもプロまたはそれに準ずる皆さんの演奏ですのでそれ相応のレベルのものでしょう。

6月18日(木)に川崎で行われた6月例会が公開講座で、講師は作曲家の朝岡真木子氏。3組の歌い手さんとピアニストの方が朝岡氏作曲の独唱歌曲を朝岡氏ご本人のご指導の下、公開レッスンをうけるという形でした。

その際に組曲「智惠子抄」中の「レモン哀歌」でレッスンを受けられたソプラノの広川法子氏、ピアノの 末松茂敏氏が同曲を演奏なさいます。そうなのかなと思っていたのですが、やはりコンサートで演奏されるという前提で講座の選曲もなさったのかと腑に落ちました。

ちなみに会場の日暮里サニーホールさんからJR線を渡って北西方向に徒歩10分ほどで、光太郎の母校・荒川区立第一日暮里小学校さんがあります。
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裏門的な「さくら門」前に光太郎自筆の書から文字を採った「正直親切」の碑があります。
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昭和26年(1951)、蟄居生活を送っていた花巻郊外太田村の山小屋近くにあった太田小学校山口分教場が山口小学校に昇格した際、校訓として贈った言葉ですが、第一日暮里小さんでは、昭和60年(1985)、創立百周年記念に、この言葉を刻んだ碑を建立しました。以来、同校では「正直親切」を校訓とし、学校だよりの題名などにも使って下さっていますし、光太郎に関わる学習等もなさっています。

さらにそのすぐ近くには、明治末から大正はじめにかけ、智恵子が通っていた太平洋画会の後身・太平洋美術会研究所さん(智恵子が通っていたころとは場所が変わっていますが)。こちらでは通りに面したウインドウに智恵子筆のデッサンが。
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ついでにというと何ですが、ぜひお立ち寄り下さい。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 10 『現代詩歌集』日本文学全集29

昭和41年(1966)5月3日 河出書房新社 村野四郎編 
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目次

 詩
  思ひ出<北原白秋> 道程<高村光太郎> 月に吠える<萩原朔太郎>
  現代詩集
   薄田泣菫 蒲原有明 河合酔茗 三木露風 川路柳虹 千家元麿 山村暮鳥 堀口大学
   西条八十
 佐藤春夫 室生犀星 宮沢賢治 金子光晴 西脇順三郎 三好達治
   中原中也 丸山薫 伊東静雄 立原道造 田中冬二 草野心平 村野四郎 北川冬彦
   中野重治 高橋新吉
 短歌
  みだれ髪<与謝野晶子> 一握の砂<石川啄木> 赤光<斎藤茂吉>
  現代歌集
   長塚節 窪田空穂 北原白秋 若山牧水 吉井勇 島木赤彦 中村憲吉 古泉千樫
   土屋文明 釈迢空 会津八一 佐藤佐太郎 木俣修 宮柊二
 俳句
  虚子句集<高浜虚子>
  現代句集
   正岡子規 河東碧梧桐 荻原井泉水 飯田蛇骨 尾崎放哉 水原秋桜子 山口誓子
   日野草城 中村草田男 加藤楸邨 石田波郷 川端茅舎 西東三鬼 久保田万太郎
 注釈 村野四郎
 解説(付年譜) 村野四郎

小説系がメインの文学全集もので、このように詩歌を一冊にまとめることが時々ありました。まるでおまけのような扱いでしたが(笑)。

まずテレビ番組の放映情報を2件。

プレイバック日本歌手協会歌謡祭

BSテレ東 2026年7月1日(水)  17:56〜19:00

楽曲
「大江戸出世小唄」合田道人         「東京音頭」香西かおり
「東京ラプソディ」大川栄策         「九段の母」塩まさる
「東京ブギウギ」森サカエ          「君の名は」青山和子
「東京のバスガール」初代コロムビア ローズ  「智恵子抄」二代目コロムビア・ローズ
「東京ドドンパ娘」渡辺マリ         「東京五輪音頭」福田こうへい
「あゝ上野駅」松原健之           「東京でだめなら」水前寺清子
「それぞれの原宿」ロス・インディオス&NINA 「東京砂漠」内山田洋とクール・ファイブ
「東京迷路」藤圭子             「池袋の夜」青江三奈
「東京セレナーデ」都はるみ

<司会>合田道人
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「東京」をテーマにした楽曲の特集のようですね。

昭和39年(1964)、故・二代目コロムビアローズさんが唄ってヒットした「智恵子抄」(丘灯至夫作詞/戸塚三博作曲)のアーカイブ映像が流れます。唄い出しが「東京の空、灰色の空……」です。

もう1件、こちらはおそらく光太郎の名は出て来ないとは思われますが。

秘湯ロマン

地上波テレビ朝日 2026年7月4日(土)  03:00〜03:30

日本全国の秘湯と呼ばれる温泉の魅力を紹介します。今回の秘湯は岩手県、鉛温泉「藤三旅館」、夏油温泉「元湯夏油」、「夏油温泉観光ホテル」。

 ◇出演者 【旅人】映枝 【ナレーション】丸山未沙希
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光太郎が花巻郊外旧太田村で昭和20年(1945)から7年間の蟄居生活を送っていた際に何度か足を運び、日記や随筆に語られている鉛温泉藤三旅館さんが取り上げられます。

同館名物の深さ約1.3㍍の「白猿の湯」が紹介されるのでしょう。旅館の本館と白猿の湯は、最近、国登録有形文化財(建造物)に指定されました。

それぞれぜひご覧下さい。

テレビと言えば、光太郎詩が時折取り上げられますので、このブログで何度もご紹介してきたNHK Eテレさんの「にほんごであそぼ」にご出演されていた美輪明宏さんがお亡くなりになりました。

時事通信さんの配信記事。

歌手で俳優の美輪明宏さん死去、91歳 「ヨイトマケの唄」「黒蜥蜴」

018 「ヨイトマケの唄」で知られ、性別を超えて強烈な存在感を放った歌手で俳優の美輪明宏(みわ・あきひろ、本名丸山明宏=まるやま・あきひろ)さんが20日午前9時30分、老衰のため死去した。91歳だった。所属事務所が28日、公式サイトで発表した。葬儀は近親者のみで済ませた。
 長崎市で生まれ、10歳で被爆した。歌手を目指して上京し、国立音大付属高校を中退後、16歳でプロ活動を始めた。銀座のシャンソン喫茶「銀巴里(ぎんぱり)」で美貌の歌手として話題を呼び、1957年に「メケ・メケ」、65年には自ら作詞作曲した「ヨイトマケの唄」がヒットした。
 作家の三島由紀夫と親しく、三島の戯曲「黒蜥蜴(くろとかげ)」の舞台で主役の盗賊を演じ、代表作となった。劇作家の寺山修司が書き下ろした「毛皮のマリー」も67年の初演から主役を務めた。
 声優としても、宮崎駿監督の長編アニメ「もののけ姫」「ハウルの動く城」で存在感を発揮。テレビでは「オーラの泉」(テレビ朝日系)などのバラエティー番組で活躍し、若者にも支持された。
 2012年には、NHK紅白歌合戦に77歳で初出場。工事現場で働く母と成長した子の思いを描いたヨイトマケの唄を熱唱し、話題になった。19年に軽い脳梗塞で入院したが、復帰後も幅広く活動を続けていた。

美輪さんの故郷・長崎の『長崎新聞』さん。

美輪明宏さんが死去…10歳で被爆、平和と不戦訴え 「長崎のスター」に感謝と悼む声

 長崎市出身の歌手で俳優の美輪明宏さんが91歳で死去した。10歳の時に長崎で被爆した美輪さんは戦争や被爆の体験をしばしば語り、平和と不戦のメッセージを積極的に発信し続けた。28日、訃報に接した県内には悲しみが広がり、悼む声が次々に上がった。
 美輪さんは2015年7月、同市の県美術館で長崎新聞社などが主催した「瀬戸内寂聴展」の関連イベントで来崎し、作家・僧侶の故瀬戸内寂聴さんと対談。出征して戦死した知人を長崎駅で見送った際、「死ぬなよ」と息子の足にすがった母が憲兵に突き飛ばされ、出血したエピソードを涙ながらに語った。
 折しも自衛隊の任務を拡大した安全保障関連法が安倍政権下で成立する直前。「最後に見た母親の姿が血だらけなんて。それをまた政治の連中はやろうとしている。責任が重いのは賛成している選挙民。真剣に考えて」と語気を強めて訴えた。
 長崎原爆被災者協議会の田中重光会長(85)は、かつて舞台運営に関わっていた際、まだ20代だった美輪さんに出演してもらったことがあるという。「芸能界ではっきり物を言う人は嫌われるが、社会に影響の大きい人が平和が大事だと言ったのは価値あること。貴重な人だった」と惜しんだ。
 南島原市西有家町のいその産婦人科院長、磯野潔さん(72)は幼少時の美輪さんを知る母元子さん(故人)の話を書き留めており、今年3月に有家史談会が発行した郷土研究誌「嶽南風土記第33号」に寄稿した。
 寄稿によると、元子さんの実家は長崎市丸山町にあった産婦人科医院。美輪さんの実家が経営していたカフェ「世界」が近所にあり、元子さんは美輪さんの母に頼まれ、小学生の美輪さんを合唱団の練習に連れて行っていた。美輪さんは「特別可愛(かわい)らしくもの静かな雰囲気の少年」。練習前にレストラン「銀嶺」に寄ると、元子さんたちと一緒にコーヒーを飲みながらクラシック音楽のレコードに聴き入っていた。
 磯野さんは「テレビで美輪さんの素晴らしい歌を聴くたびに母の話を思い出し、シンパシーを感じていた」としのんだ。
 美輪さんは昨年、有家史談会会長の生駒輝彦さん(79)の依頼を受け、嶽南風土記第32号に直筆の「ヨイトマケの唄」の歌詞を寄稿していた。生駒さんは「地方の小さな郷土誌の依頼を快諾してくれた。尊敬の念に堪えない」と感謝した。
 母方の遺骨が代々納骨されているという本行寺(長崎市西小島2丁目)の馬場泰宣住職(48)は長崎や福岡で舞台があるたび、お参りに来ていたと明かす。「長崎、日本のスターでありながら、年下の自分にも腰の低い口調で優しく接してくれた。被爆者を含め、いろいろな人の心の支えになっていた」と話した。
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美輪さん、「にほんごであそぼ」では「みわサン」というキャラクターで声のご出演。光太郎詩の一節もたびたび読んで下さいました。
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「にほんごであそぼ」に関するインタビュー。

 私、子どもが大好きなんですよ。あの無邪気なものって本当に何ものにも代えがたい宝物だと思っていますしね。『にほんごであそぼ』には、かわいい子どもがいっぱい出ますでしょう。子どもって勝手なことを言って、勝手なことをしますからね、それがまたかわいらしくて、この番組がとっても気に入っています。
 出演に関しては、有識者で番組の監修を務めていらっしゃる齋藤孝教授からお電話をいただきました。「短歌や俳句を一首詠んでもらえれば、それだけでいい」とおっしゃったので「それならお手伝いができますね」とお引き受けしたんです。ところが出番が多くて、いろいろなことをするようになり「約束が違うじゃないの!」って(笑)。でもよろしかったですよ。だってかわいい子どもたちに会えますから。
 自宅の前には保育園があり近くに小学校もあるのですが、よく道を歩いていると、出会い頭に子どもたちから「わあ、みわサンって本当にいるんだ」と驚かれるんです(笑)。いつだったかしら、確かナレーションを担当した連続テレビ小説『花子とアン』の打ち上げの席で、脚本家の中園ミホさんとお話していたら、いつのまにか子どもたちに囲まれていて、不思議そうにこっちを見ていたこともありました。「子どもに人気があるんですね」なんて言われましたけど、やっぱりこっちが好きだと向こうも好いてくれるんですね。

また、平成25年(2013)にNHK総合さんで放映された探検バクモン 「男と女 愛の戦略」にゲスト出演され、「智恵子も「平凡の凡」な男はつまらないと感じていたはず」といったコメントをなさいました。

美輪さんといえば、中曽根康弘元首相に大啖呵を切ったことでも有名ですね。
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昨今の提灯持ち御用タレントどもには爪の垢でも煎じて飲め(死語ですが)と言ってやりたいものです。

謹んでご冥福お祈り申し上げます。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 9 『北原白秋 高村光太郎 宮澤賢治集』現代文学大系15

昭和40年(1965)11月5日 筑摩書房 北原白秋/高村光太郎/宮澤賢治著
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目次
 北原白秋集
  邪宗門 思ひ出 抄 水墨集 抄 海豹と雲 抄 黒檜 抄
 高村光太郎集
  道程 「道程」以後 典型
 宮澤賢治集
  春と修羅第一集 手帳より 風の又三郎 銀河鉄道の夜 注文の多い料理店
  セロ弾きのゴーシュ 農民芸術概論綱要
 年譜
 人と文学 村野四郎

 月報
  黒い眼鏡――最晩年の白秋先生―― 木俣修
  そのおもかげ 尾崎喜八
  賢治三十三回忌 真壁仁
  小さなエピソード 倉持功
  現代文学事典㉗ゾライズム

手持ちのものは昭和44年(1969)の第7刷です。たくさんの種類が出ていた文学全集ものですが、短期間でこれだけ重版がかかっていたのかと驚きます。

光太郎第二の故郷・岩手花巻のワンデイシェフの大食堂さんで、主に「食」を中心とした光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんがメニュー考案、調理まで手がけ、ランチとして提供する「こうたろうカフェ」。厳冬期を除く毎月末に1回、出店されています。

今月分が6月24日(水)でした。
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基本的には光太郎の遺した日記を基に、自炊で作った料理や使った食材などを参考にしたメニューです。細目は「ふわっとハンバーグ」「エビの春雨サラダ」「ミヅのおひたし」「卵焼き」「オクラとワカメのスープ」「茗荷竹味噌ご飯」「旬の漬物」「みそまんじゅう」「コーヒー」。

卵焼きにはうさぎの焼き印。
うさぎ焼き印
味噌まんじゅうも手作りだそうです。
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ワンデイシェフの大食堂さんは、お店のキッチンを貸し、腕自慢の個人や団体がそれを借りて調理、ランチを饗するというスタイルのお店で、1食1,000円だそうです。毎週出店されている方もいれば、やつかの森さんのように月イチとか2週に1回いうところもああり、今月は約20組の出店がありました。おそらく毎月そんな感じなのでしょう。ワンデイシェフの大食堂さんのInstagram投稿によれば、やつかの森さんの「こうたろうカフェ」はことのほか人気だそうで。
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015やつかの森さんは、毎月15日には光太郎が7年間の蟄居生活を送った旧太田村の道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント、ミレットキッチン花(フラワー)さんで限定販売される豪華弁当「光太郎ランチ」のメニュー考案もなさっています。

その道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さん、開所6周年だそうで、7月5日(日)にはそれを祝うイベントが。正確には開所が令和2年(2020)8月7日でしたのでまだ6周年になりませんが、前倒ししてやるようです。6周年って半端だなと思ったところ、昨年は5周年祭があったとのことでしたが、それは見落としていました。

ワンデイシェフの大食堂さん、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さん、これからも地域で愛され続けてほしいものです。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 8 『北原白秋 高村光太郎 萩原朔太郎』日本の文学17

昭和40年(1965)4月5日 中央公論社 編集委員 谷崎潤一郎他
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目次
 北原白秋
  邪宗門 思ひ出 東京景物詩及其他 畑の祭 真珠抄 白金之独楽 水墨集 海豹と雲
  桐の花 雲母集 雀の卵 風隠集 海阪 白南風 夢殿 渓流唱・橡 黒檜 牡丹の木
 高村光太郎
  道程 智恵子抄 典型 短歌
 萩原朔太郎
  月に吠える 定本 青猫 純情小曲集 氷島 散文詩 アフォリズム
 註解
 解説
 年譜

 月報
  三人の詩人<対談> 伊藤整 伊藤信吉
  現代文学の流れ15 「昴」について 
  画家紹介

この時期、こんなに需要があったのかと思うくらい、様々な文学全集ものがいろいろな出版社から出ていました。

ひと頃よりだいぶ規模は小さくなりましたが、それでも日本最大の古書入札市、都内の古書籍商さんの組合・明治古典会さんが主催する「七夕古書大入札会」。出品物を直接手に取ってみられる「下見展観」が開催されます。

七夕古書大入札会下見展観

期 日 : 2026年7月3日(金)・4日(土)
会 場 : 東京古書会館 千代田区神田小川町3-22
時 間 : 3日(金) 午前10時〜午後6時 4日(土) 午前10時〜午後4時
料 金 : 無料

七夕古書大入札会(七夕)とは、明治古典会が開催する国内最大かつ最も歴史あるオークションです。入札形式で行われ、最高値を入札した方に落札されます。入札会の前に東京古書会館で行われる下見展観(プレビュー)は一般のお客様もご入場いただき、出品される貴重な文化資料や美術品をお手に取ってご覧いただけます。
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ほぼ毎年、何らかの光太郎がらみの出品があります。今年は署名本、書簡など。

まず昭和25年(1950)、光太郎生前最後の単行詩集『典型』の識語署名本。
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昭和26年(1951)となっていますし「読売文学賞受賞」という帯が付いていますので、重版と思われますが、見返しに表題作「典型」の一節「小屋にゐるのはひとつの典型 一つの愚劣の典型だ」が毛筆で記されています。ちなみに箱の題字も光太郎自身による木版を基にしています。

書簡が3セット。

年代順に、明治33年(1900)9月25日、父・光雲の高弟だった加藤景雲にあてた墨書のかなり長い封書。都内の古書店さんで数年前から売りに出しているものですが、改めて出品されました。巻物に仕立てられているようです。
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キャプションに「朶木庵発信」とあり、まるで場所のような書き方ですが、「朶木庵」はこの頃光太郎が俳句を投稿する際に使っていたペンネームなので、場所というニュアンスではありません。

それから、中央公論社の編集者だった栗本和夫に宛てた戦前から戦後にかけての書簡群が、封書と葉書に分けて出品されます。
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加藤景雲宛てを含め、全て筑摩書房『高村光太郎全集』に収録されています。

さらに、光太郎の装幀になる吉井勇著『酒ほがひ』(明治43年=1910)。「ほがひ」は古語「ほがふ(寿ふ)」の名詞化。
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表紙と、それから画像にはありませんが裏表紙にペルシャ文字があしらわれたデザインです。この頃、光太郎はペルシャ系にも興味を持っていました。

『高村光太郎全集』別巻(平成10年=1998)所収の、当会顧問であらせられた北川太一先生による「高村光太郎聞き書」(昭和30年=1955~昭和31年=1956)の一節。

――ペルシャには随分関心をもっていらっしゃいますね。

 アメリカのはじめの頃、ペルシャに行ったら帰らないつもりだった。ペルシャ語なんか習ったりして、なんでもいいからあそこに行って生活しようと思った。ニューヨークでは、もう生活できないような気がして、こんなことならメディアの文化の中にとけ込んで生活しようと思い、本当に行きかけた。あの頃は美術を捨ててもいいと思った。それを親父や弟からも反対され、真日毎日そんなことで頭の中がぐらぐらしていた。アメリカが嫌だからじゃなくて、もっといいところがあればそっちに行きたいという気持ち。


「メディア」はこの場合、古代カスピ海沿岸にあったメディア王国を指します。まぁ「中東」といった意味合いでの使用でしょう。そちらの方に行きたいというのがどの程度本気だったのかは何ともいえませんが……。

昭和3年(1928)の雑誌『地上楽園』に載った「紐育より巴里へ」の中にも「其頃はペルシヤのテヘランへ行かうと思つて計画した事もあつた」という一節があります。

ただし『酒ほがひ』装幀に使われたペルシャ文字は、「酒ほがひ」の意味を翻訳したかったらしいのですが、専門家によれば誤字があるとのことです。

とりあえず直接光太郎に関わる出品物は以上です。もう1点、「美ならざるなし」と書かれた戦後と思われる色紙も出品予定でしたが、今朝見たらなぜか出品取り止めになっていました。
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目録を見ていて驚いたのは、光太郎の姉貴分・与謝野晶子の「百首屏風」が出ていたこと。
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複数の作例があるのですが、これまで市場に出て来たことはほとんど無いのでは、と思われます。基本的には明治44年(1911)、夫・寛の外遊資金を捻出するために書かれ、支援者らに買ってもらったものです。ただ、その際の作ではない晩年のものなども存在するようですが。

下見展観、基本的には出品物を手に取って見ることができます。通常、文学館等では厳重にガラスケースなどに収められているものに触れられる貴重な機会です。入札は加盟している古書店さんを通じて行う形になります。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 7 『現代詩人全集(四) 近代Ⅳ』

昭和36 年(1961)9月10日 角川書店(角川文庫) 著者代表 室生犀星
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目次
 高村光太郎
  失はれたるモナ・リザ 根付の国 食後の酒 寂寥 冬が来る 冬が来た 道程
  秋の祈 わが家 小娘 雨にうたるるカテドラル 落葉を浴びて立つ 鉄を愛す 葱
  後庭のロダン 雷獣 白熊 象の銀行 火星が出てゐる 刃物を研ぐ人 首の座
  ばけもの屋敷 ぼろぼろな駝鳥 上州湯桧曽風景 上州川古「さくさん」風景 似顔
  蝉を彫る もう一つの自転するもの 荻原守衛 郊外の人に 樹下の二人 夜の二人
  あどけない話 同棲同類 山麓の二人
 武者小路実篤 (略)
 千家元麿 (略)
 尾崎喜八 (略)
 高橋元吉 (略)
 片山敏彦 (略)
 中勘助 (略)
 生田春月 (略)
 室生犀星 (略)
 宮崎孝政 (略)
 福士幸次郎 (略)
 百田宗治 (略)
 白鳥省吾 (略)
 富田砕花 (略)
 福田正夫 (略)
 井上康文 (略)
 三野混沌 (略)
 解説 伊藤信吉

手持ちのものは昭和44年(1969)3月30日の第8版です。

京都から演奏会情報です。

和編鐘コンサートin法然院 愛と平和の祈り~いのちの響きに耳をすまして~

期 日 : 2026年7月4日(土)
会 場 : 法然院 京都市左京区鹿ヶ谷御所ノ段町30番地
時 間 : 17時〜19時
料 金 : 前売 4,000円 当日4,500円

自然と同じ「揺らぎ」と「波動」を持つ和編鐘の調べの中で、東日本大震災の原発事故で避難した小学生の作文・長崎の被爆詩人の詩などと共に、あらゆる命が触れ合い、混ざり合い溶け合い、響き合う世界をお届けします。

 第1部 平和の祈り
  長崎被爆詩人福田須磨子の詩朗読
  東日本大震災原発事故避難者の小学生作文朗読
  法話「愛は地球を救わない」 法然院貫主 梶田真章
  和編鐘「火の祈り」など
 第2部 智恵子抄より「ある愛の物語」
  脚本、作曲 有機音
  朗読 佐野真希子 和編鐘 ゆきね(有機音)
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「和編鐘」は、寺院や家庭のお仏壇などで使われる「お鈴(りん)」3オクターヴ分を逆さまに吊したような打楽器で、演奏なさる有機音(ゆきね)氏のオリジナルだそうです。西洋のカリヨンやチューブラーベルに近いといえば近いような。
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これまで、今回もプログラムに入っている「智恵子抄より ある愛の物語」が演目に入っていた演奏会を都内の代々木能舞台さん、矢来能楽堂さんさんで2回拝聴し、それプラス兵庫県の神戸聖愛教会さんで開催された演奏会では賛助出演させていただき、光太郎智恵子や「智恵子抄」についてべしゃくる機会を賜りました。

久々に「智恵子抄より ある愛の物語」で、京都の法然院さんを会場に。ご住職の法話や東日本大震災・長崎原爆に関する朗読が盛り込まれているそうです。ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

また、8月9日(日)には神奈川県相模原市で、今回と同じく「智恵子抄より ある愛の物語」、それからやはり長崎原爆がらみの演奏会も予定されています。そちらはまた近くなりましたらご紹介いたします。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 6 『高村光太郎 山村暮鳥 日夏耿之介 堀口大学 千家元麿』現代日本名詩集大成3

昭和36 年(1961)1月20日 創元社 著者代表 日夏耿之介
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目次
 高村光太郎
  詩集 道程
   一九一〇年
    失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国
   一九一一年
    画室の夜 熊の毛皮 人形町 甘栗 庭の小鳥 亡命者 鳩 食後の酒 寂寥 声
    風 新緑の毒素 頽廃者より 「河内屋与兵衛」 髪を洗ふ女 「心中宵庚申」 夏
    なまけもの 手 金秤 はかなごと めくり暦 地上のモナ・リザ 葛根湯 夜半
    けもの あつき日 父の顔 泥七宝 ビフテキの皿
   一九一二年
    青い葉が出ても 赤鬚さん あをい雨 友の妻 「――に」 夏の夜の食慾
    或る夜のこころ おそれ 犬吠の太郎 さびしきみち カフエにて 梟の族
    冬が来る カフエにて 或る宵 夜 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ
    カフエにて 師走十日 戦闘
   一九一三年
    人に カフエにて 深夜の雪 人類の泉 山 よろこびを告ぐ 現実 冬が来た
    冬の詩 牛 僕等
   一九一四年
    道程 愛の嘆美 群集に 婚姻の栄誦 万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ 晩餐
    五月の土壌 淫心 秋の祈
  詩集 典型
   序 雪白く積めり
   暗愚小伝
    家
     土下座 ちよんまげ 郡司大尉 日清戦争 御前彫刻 建艦費 楠公銅像
    転調
     彫刻一途 パリ
    親不孝
     親不孝 デカダン
    蟄居
     美に生きる おそろしい空虚
    二律背反
     協力会議 真珠湾の日 ロマン ロラン 暗愚 終戦
    炉辺
     報告 山林
   「ブランデンブルグ」 脱卻の歌 人体飢餓 東洋的新次元 おれの詩 悪婦
   山荒れる 月にぬれた手 鈍牛の言葉 典型
   田園小詩
    山菜ミヅ 山のひろば 山口部落 かくしねんぶつ クロツグミ クチバミ
    別天地 岩手の人 山からの贈物 この年
  覚え書(宮崎稔) 
 山村暮鳥
  詩集 聖三稜玻璃   詩集 雲   (詳細略)
 日夏耿之介
  詩集 転身の頌    (詳細略)
 堀口大学
  詩集 砂の枕       (詳細略)
 千家元麿
  詩集 自分は見た   (詳細略)
 解説 鮎川信夫 

昨日ご紹介した『全詩集大成 現代日本詩人全集 第二巻』もそうでしたが、この時期、創元社さんは文学全集的なものにかなり力を入れていたようです。

ちょっとだけお手伝いさせていただいた企画展示です。

没後七〇年 會津八一とかな書の魅力

期 日 : 2026年7月1日(水)~9月23日(水・祝)
会 場 : 新潟市會津八一記念館 新潟市中央区万代3-1-1
時 間 : 10:00~18:00
休 館 : 毎週月曜日 海の日の7/20は開館、7/21休館、9/21~9/23は開館 
料 金 : 一般 500円 大学生 300円 高校生 200円 小・中学生 100円
      団体は20名以上20は2割引 土・日・祝日は小・中学生は無料
      會津八一誕生日の8月1日(土)は無料 

 今年で没後70年を迎えた歌人、書家、東洋美術史学者の會津八一(1881〜1956)。八一の墨蹟には、自作の歌や俳句を揮毫した「かな書」が残っており、独創的な書風が高く評価されています。
 30代から50代ごろまでの八一は、漢字とひらがなが混在した表記で、連綿体(複数の文字を切れ目なく続けて書く書体)を用いて揮毫していました。ところが歌の音調を大切にしていた八一は、60代以降はひらがなを主体として、しかも放ち書き(文字を続けて書かずに、一文字一文字離して書くこと)を用いて書くようになります。このように、八一のかな書は読みやすさばかりではなく、文字と余白(文字や絵などが配置されていない空間)とのバランスを意識した絶妙な書きぶりとなって完成したのです。
 本展では、鑑賞者の視覚と聴覚に訴える八一の「かな書」の変遷を辿ります。加えて、八一とゆかりのある歌人(良寛、正岡子規、斎藤茂吉、吉野秀雄、相馬御風、吉井勇など)や芸術家(棟方志功、高村光太郎、中川一政など)のかな書も展示し、歌人や芸術家が揮毫したかな書の幅広い表現にも迫ります。
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関連イベント

館長就任記念講演会「會津八一と歌の書」
 講師 角田勝久( 新潟市會津八一記念館館長/新潟大学教授)
 日時 2026年7月20日(月祝) 午後2時~3時半
 会場 日報ホール(新潟日報メディアシップ2階)
 聴講料 500円(事前申込制)
 定員 120名

角田勝久館長による作品解説会
 講師 角田勝久(新潟市會津八一記念館館長)
 日時 2026年7月11日(土) 午前11時~約50分
 会場 当館展示室(申込不要/要当日観覧券)

学芸員による作品解説会
 展示解説を行い、合わせて展示作品に関連した作品をケースなしで展示し、
 作品の扱い方についてもご説明します。
 講師 学芸員
 日時 会期中の第2・4日曜日
 7/12、26:初めて歌碑を建立した奈良・新薬師寺の拓本
 8/ 9、23:いろいろな「無」の書の味わい
 9/13 :自然を詠んだ「村荘雑事」の世界)
 午前11時~約50分
 会場 当館展示室(申込不要/要当日観覧券)

文壇きっての達筆の一人としても知られる秋艸道人と号した會津八一は光太郎より2歳年上。没年は光太郎と同じ昭和31年(1956)でした。それほど親しい交渉はなかったようですが、光太郎は昭和15年(1940)に八一から歌集『鹿鳴集』を贈られています。八一の門人で光太郎と親しいと言っていい間柄だった吉野秀雄に宛てた書簡から。

又先日會津八一博士より歌集をいただき愛読いたして居りますが図らず貴下の校正にかかるものなる事を知り、その上貴下の一文をも拝読、一入懐しく思ひました、

フライヤー裏面に小さい画像がありますが、八一と同時代の人物ということで、光太郎の書も一点展示されます。その手配でちょっとだけお手伝いさせていただきました。
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若干横長の色紙で、短歌が揮毫されています。

吾山になか(が)れてやまぬ山みつ(づ)のやみか(が)たくして道はゆくなり 光太郎

昭和28年(1953)5月9日、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため借りていた中野の中西利雄アトリエで、中央公論社の松下英麿、栗本和夫のために書いた短冊を含む何枚かのうちの一つです。

短歌自体は前年まで暮らしていた花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)での詠で、昭和24年(1949)頃に「此山にながれてやまぬ山水のやみがたくしてこの道はゆく」と詠んだ歌が初案と推定されています。

他に先述の吉野秀雄をはじめ、良寛、正岡子規、斎藤茂吉、相馬御風、吉井勇、棟方志功、中川一政らの書画が出ます。

ぜひ足をお運びください。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 5 『全詩集大成 現代日本詩人全集 第二巻 三木露風 木下杢太郎 石川啄木 高村光太郎』

昭和30年(1955)3月5日 創元社 著者代表 高村光太郎
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目次
 三木露風
  自伝 廃園 寂しき曙 白き手の猟人 幻の田園 良心 蘆間の幻影
  信仰の曙 (詳細略)
 木下杢太郎
  小伝 食後の唄 木下杢太郎詩集 (詳細略)
 石川啄木
  小伝 あこがれ 啄木遺稿 (詳細略)
 高村光太郎
  自伝
  道程
   一九一〇年
    失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国
   一九一一年
    画室の夜 熊の毛皮 人形町 甘栗 庭の小鳥 亡命者 鳩 食後の酒 寂寥 声     
    風 新緑の毒素 頽廃者より 「河内屋与兵衛」 髪を洗ふ女 「心中宵庚申」 夏
    なまけもの 手 金秤 はかなごと めくり暦 地上のモナ・リザ 葛根湯 夜半
    けもの あつき日 父の顔 泥七宝 ビフテキの皿
   一九一二年
    青い葉が出ても 赤鬚さん あをい雨 友の妻 人に(原題「――に」)
    夏の夜の食慾 或る夜のこころ おそれ 犬吠の太郎 さびしきみち カフエにて
    梟の族 冬が来る カフエにて 或る宵 夜 狂者の詩 郊外の人に
    冬の朝のめざめ カフエにて 師走十日 戦闘
   一九一三年
    人に カフエにて 深夜の雪 人類の泉 山 よろこびを告ぐ 現実 冬が来た
    冬の詩 牛 僕等
   一九一四年
    道程 愛の嘆美 群集に 婚姻の栄誦 万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ 晩餐
    五月の土壌 淫心 秋の祈
  道程改訂版
   道程以後
          わが家 小娘 無為の白日 海はまろく 雨にうたるるカテドラル 沙漠
    クリスマスの夜 冬の送別 五月のアトリエ ラコツチイ・マアチ
    落葉を浴びて立つ 樹下の二人 鉄を愛す 氷上戯技 珍客 葱 車中のロダン
    後庭のロダン 十大弟子 聖ジヤンヌ
   猛獣篇時代
    清廉 傷をなめる獅子 狂奔する牛  苛察 雷獣 龍
   編纂者の言葉(三ツ村繁蔵)
  智恵子抄
  高村光太郎詩集(鎌倉書房版)
   Ⅰ
    序曲 米久の晩餐 かがやく朝 無口な船長 火星が出てゐる 触知 晴天に酔ふ
    冷熱 偶作十二 少年を見る 或る墓碑銘 冬の奴 怒 母をおもふ 冬の言葉
    刃物を研ぐ人 花下仙人に遇ふ 街上比興 その詩 首の座
   Ⅱ
    旅に病んで 存在 耳で時報をきく夜 村山槐多 レオン ドウベル 南極
    つゆの夜ふけに 芋銭先生景慕の詩 老耼、道を行く
   Ⅲ
   Ⅳ
    夜の二人 あなたはだんだんきれいになる 同棲同類 美の監禁に手渡す者
    山麓の二人 ばけもの屋敷 風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子
    
値ひがたき智恵子 レモン哀歌 荒涼たる帰宅 亡き人に 梅酒
   覚書(草野心平)
  典型
   序 雪白く積めり 
   暗愚小伝
    家
     土下座 ちよんまげ 郡司大尉 日清戦争 御前彫刻 建艦費 楠公銅像
    転調
     彫刻一途 パリ
    反逆(原題「親不孝」)
     親不孝 デカダン
    蟄居
     美に生きる おそろしい空虚
    二律背反
     協力会議 真珠湾の日 ロマン ロラン 暗愚 終戦
    炉辺
     報告 山林
   「ブランデンブルグ」 脱卻の歌 人体飢餓 東洋的新次元 おれの詩 悪婦
   山荒れる 月にぬれた手 鈍牛の言葉 典型
   田園小詩
    山菜ミヅ 山のひろば 山口部落 かくしねんぶつ クロツグミ クチバミ
    
別天地 岩手の人 山からの贈物 この年
   覚え書(宮崎稔)
  高村光太郎詩集(創元選書版)
   明治四十四年(一九一一)
    侵蝕 失走 縁日 狗ころ 祈祷 或る日の午後 『おもひで』と『夜の舞踏』と
    白昼の空気 恐怖
   明治四十五年(一九一二)
    涙 からくりうた
   大正五年(一九一六)
    わが家
   大正六年(一九一七)
    晴れゆく空 花のひらくやうに 歩いても 湯ぶねに一ぱい
   大正九年(一九二〇)
    丸善工場の女工達
   大正十一年(一九二二)
    真夜中の洗濯
   大正十二年(一九二三)
    Liluli 春駒 とげとげなエピグラム
   大正十三年(一九二四)
    月曜日のスケルツオ
   大正十四年(一九二五)
    白熊
   大正十五年(一九二六)
    象の銀行 滑稽詩 マント狒狒 象 森のゴリラ 北冥の魚 潮を吹く鯨
   昭和二年(一九二七)
    偶作 四篇 北東の風、雨 ミシエル オオクレエルを読む 偉大なるもの
    美を見るもの 「詩」
   昭和三年(一九二八)
    あどけない話 何をまだ指してゐるのだ 二つに裂かれたベエトオフエン
    天文学の話 ぼろぼろな駝鳥 当然事 無限軌道 さういふ友 あの音 夏書十題
   昭和四年(一九二九)
    北島雪山 古事一則 或る日 人生 ひとり酸素を奪つて 焼けない心臓
    或る筆記通話 上州湯桧曽風景 無題 上州川古「さくさん」風景  名所
    昔話 無題
   昭和五年(一九三〇)
    のんきな会話 孤坐
   昭和六年(一九三一)
    似顔 のつぽの奴は黙つてゐる 蝉を彫る
   昭和七年(一九三二)
    非ヨオロツパ的なる 先生山を見る
   昭和十年(一九三五)
    人生遠視 「藤島武二画集」に題す 「悪魔の貞操」に題す
   
昭和十一年(一九三六)
    もう一つの自転するもの 荻原守衛
   昭和十二年(一九三七)
    よしきり鮫 夢に神農となる
   昭和十三年(一九三八)
    一艘の船が二艘になること 地理の書 団十郎像由来 手紙に添へて 子を産む書物
   昭和十四年(一九三九)
    初夏言志 銅像ミキイヰツツに寄す へんな貧
   昭和十五年(一九四〇)
    最低にして最高の道 秋風をおもふ 太子筆を執りたまふ
   
昭和十六年(一九四一)
    青年
   昭和十七年(一九四二)
    与謝野夫人晶子先生を弔ふ 三十年
   昭和十八年(一九四三)
    寒夜読書 救世観音を刻む人
   昭和十九年(一九四四)
    南瓜賦
   昭和二十四年(一九四九)
    若しも智恵子が
   昭和二十五年(一九五〇)
    元素智恵子 メトロポオル 裸形 案内 あの頃 吹雪の夜の独白 田植急調子
    噴霧的な夢 女医になつた少女 東北の秋
   
昭和二十六年(一九五一)
    大地うるはし 人間拒否の上に立つ
   編纂覚え書(草野心平)

「全詩集大成」のタイトル通り、刊行された詩集を追う形で作品を配置しています。ただし、戦時中の愚にもつかない翼賛詩集三冊『大いなる日に』『をぢさんの詩』『記録』は無視されています。また、『智恵子抄』収録詩篇は他の詩集の項に分散されています。

昭和31年(1956)、光太郎が没する直前、草野心平に編集を託し、その年の7月に初版が刊行された新潮文庫版『智恵子抄』。デザイナー・皆川明氏による新たなカバーデザインとなった新装版が発行されました。

新潮社さんのプレスリリースから。

不朽の名作、高村光太郎『智恵子抄』(新潮文庫)がminä perhonenデザイナー・皆川 明さんによる新装版カバーで登場。

詩人・彫刻家でもあった高村光太郎と、画家・紙絵作家の妻、智恵子。情熱のほとばしる恋愛時代から、短い結婚生活、智恵子の発病、そして永遠の別れ……。夫の光太郎がふたりの深い愛を謳った名詩集が『智恵子抄』です。

高村智恵子の切り絵を敬愛し、『智恵子抄』を長年愛読してきたminä perhonenデザイナー、皆川 明さんによる美しい切り絵で装いを新たにしました。 新装版は2026年「新潮文庫の100冊」にラインナップされており、全国書店にてお買い求めいただけます。

【切り絵でつながる『智恵子抄』】 
2026年は高村光太郎没後70年の年。長年カバーに使用されてきた高村智恵子による花柄の切り絵から、次の世代へとより長く愛され続けられるように、皆川 明さんによる花と鳥の切り絵を使用したカバーにうまれかわりました。 

光太郎と智恵子をイメージした鳥と花の切り絵は、切り絵ならではの細やかな影の表情を再現するために、カメラマンの白石和弘さんに撮影していただき、どこか懐かしく優しい雰囲気を持つ、手元にずっと置いておきたくなるような本となりました。 

【皆川 明さんのコメント】 
にがくて、すっぱくて、ときどき あまい 苦しくて愛おしいいのち
 
愛とはつかめない光のようでもありおおわれた影のようでもある。
宿命の海原で泳ぎ心の空を翔ぶように生きる姿が放つ光と影は智恵子の生きた証であり光太郎の生きがいであった。 

【書籍内容】
明治の末年、グロキシニヤの鉢植えをもってアトリエを訪れた智恵子嬢を“人類の泉”と讃えた恋愛時代から、「東京に空が無い」と語り合った幸福な結婚生活を経て、夫人の発病、そして昭和十三年十月にやってきた永遠の別れ――。死後なお募る思いを「智恵子の裸形を残して、わたくしは天然の素中に帰ろう」と歌い、昭和三十一年四月の雪の夜に逝った詩人の、全生涯を貫く稀有な愛の詩集である。

【著者紹介】高村光太郎(タカムラ・コウタロウ)
(1883-1956)上野公園の西郷隆盛像で知られる木彫家光雲の長男として東京に生れる。東京美術学校で彫刻、洋画を学ぶ。1906年、欧米留学。パリでは美術・彫刻の他、ヴェルレーヌ、ボードレールらの詩を学んだ。帰国後、気鋭の美術評論、評伝、エッセイを次々と発表して注目された。1914年、処女詩集『道程』で芸術院賞を受賞。1941年、『智恵子抄』を刊行。1950年、『典型』で読売文学賞を受賞。他に『ロダン』『造形美論』『暗愚小伝』など著書多数。享年73。

【書籍データ】
【タイトル】『智恵子抄』
【著者名】高村光太郎
【造本】文庫
【定価】473円(税込)
【ISBN】978-4-10-119602-2
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カバーデザインの皆川明氏、座右の一冊的に『智恵子抄』を挙げて下さったことがおありです。

把握している範囲では、令和3年(2021)6月にマガジンハウスさんから出たムック『& Premium特別編集 あの人の読書案内。』、同年12月、同じくマガジンハウスさんの雑誌『BRUTUS』、2022年1月1日・15日合併号。後者に載ったものは令和6年(2024)発行のムック『BRUTUS特別編集 合本 本が人をつくる。』に再録されました
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皆川氏曰く「好きだという気持ち以上の、お互いを肯定している無垢な二人の関係が伝わってくるようで、恋愛小説よりも強い気持ちが感じられます」「カフェに座ってこれを読んでいると落ち着く、というと簡単な表現ですが、頭の中には好きな世界が広がって、外側には違うカルチャーがある。それが案外心地いい

そういう思い入れがおありの皆川氏に白羽の矢を立てた新潮社さん、グッジョブです。

これまで、百数十刷を数える中で、何度か装幀・カバーデザインが変遷しています。
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昭和31年(1956)の初版(左上)刊行時には、パラフィンカバーと帯のみ。昭和35年(1960)頃の版から新潮文庫全体としてカラー印刷のカバーがかけられるようになりました(右上)。袖には「カバー 眞淵聖」とクレジットが入っていますが、眞淵聖という人物、寡聞にして不分明です。

収録詩篇の改訂等があっての改版が昭和42年(1967)12月。その際に左下の智恵子紙絵を使ったカバーに変更されたと思われます。そして右下はつい最近まで使われていたカバー。

智恵子紙絵のカバーでなくなるのは少し寂しい気もしますが、おそらく巻頭の口絵には智恵子紙絵画像が残るのではないかと思われます。最近までの版で7葉使われていました。
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そして『智恵子抄』、「新潮文庫の100冊」ラインナップに復帰というのが嬉しいところです。昭和51年(1976)から毎年夏に行われているフェアで、今年で50周年とのこと。
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『智恵子抄』は昭和51年(1976)の初回から平成21年(2009)頃までラインナップに入っていましたが、その後に外れ、残念に思っておりました。それが復活ということで、ありがたし。大きめの新刊書店さん等では100冊を平積みにする特設コーナーなども作って下さいますし、売り上げが伸びるでしょうから。

ちなみに50年連続でラインナップ入りしているのは以下の10冊だそうです。

『こころ』夏目漱石/『人間失格』太宰治/『銀河鉄道の夜』宮沢賢治/『黒い雨』井伏鱒二/『塩狩峠』三浦綾子/『老人と海』ヘミングウェイ/『罪と罰』〈上下〉ドストエフスキー/『車輪の下』ヘルマン・ヘッセ/『変身』カフカ/『異邦人』カミュ

というわけで、新装版『智恵子抄』、ぜひお買い求め下さい。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 4 『高村光太郎集 萩原朔太郎集 宮澤賢治集』現代日本文学全集24

昭和29年(1954)7月25日 筑摩書房 高村光太郎/萩原朔太郎/宮澤賢治著
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目次
 高村光太郎集
  道程
   失はれたるモナ・リザ(明治四十三年) 生けるもの 根付の国
   画室の夜(明治四十四年) 熊の毛皮 人形町 甘栗 庭の小鳥 亡命者 鳩 食後の酒
   寂寥 声 風 新緑の毒素 頽廃者より 「河内屋与兵衛」 髪を洗ふ女 「心中宵庚申」
   夏 なまけもの 手 金秤 はかなごと めくり暦 地上のモナ・リザ 葛根湯 夜半
   けもの あつき日 父の顔 泥七宝 ビフテキの皿 青い葉が出ても(明治四十五年)
   赤鬚さん あをい雨 友の妻 ――に 夏の夜の食慾(大正元年) 或る夜のこころ
   おそれ 犬吠の太郎 さびしきみち カフエにて 梟の族 冬が来る カフエにて
   或る宵 夜 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ カフエにて 師走十日
   人に(大正二年) カフエにて 深夜の雪 人類の泉 山 よろこびを告ぐ 現実
   冬が来た 冬の詩 牛 僕等 道程(大正三年) 愛の嘆美 群集に 婚姻の栄誦
   万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ 晩餐 五月の土壌 淫心 秋の祈
  「道程」以後
   わが家(大正五年) 小娘(大正六年) 湯ぶねに一ぱい
   丸善工場の女工達(大正九年) 米久の晩餐(大正十年)
   クリスマスの夜(大正十一年) 沙漠 樹下の二人(大正十二年) 珍客(大正十三年)
   清廉 白熊(大正十四年) 傷をなめる獅子 狂奔する牛 車中のロダン 葱
   象の銀行(大正十五年) 十大弟子 鯰 苛察 夜の二人
   あなたはだんだんきれいになる (昭和二年) 怒 或る墓碑銘 美を見るもの
   龍(昭和三年) あどけない話 花下仙人に遇ふ ぼろぼろな駝鳥 或る日
   上州湯桧曽風景(昭和四年) 刃物を研ぐ人(昭和五年) 孤坐
   美の監禁に手渡す者(昭和六年) 蝉を彫る 先生山を見る(昭和七年)
   晴天に酔ふ(昭和八年) 人生遠視(昭和十年) 風にのる智恵子 村山槐多
   もう一つの自転するもの(昭和十一年) 荻原守衛 千鳥と遊ぶ智恵子(昭和十二年)
   値ひがたき智恵子 夢に神農となる 老耼、道を行く 山麓の二人(昭和十三年)
   団十郎像由来 レモン哀歌(昭和十四年) 芋銭先生景慕の詩 へんな貧
   梅酒(昭和十五年) 荒涼たる帰宅(昭和十六年) 寒夜読書(昭和十八年)
   救世観音を刻む人 南瓜賦(昭和十九年)
  典型
   雪白く積めり(昭和二十一年)
   暗愚小伝(昭和二十二年)
    家 転調 反逆 蟄居 二律背反 炉辺
   「ブランデンブルグ」(昭和二十三年) 脱卻の歌 人体飢餓 東洋的新次元
   おれの詩(昭和二十四年) 悪婦 山荒れる(昭和二十二年) 月にぬれた手
   鈍牛の言葉 典型
   田園小詩
    山菜ミヅ(昭和二十二年) 山のひろば 山口部落(昭和二十二年) かくしねんぶつ
    クロツグミ クチバミ(昭和二十五年) 別天地(昭和二十三年)
    岩手の人(昭和二十四年) 山からの贈物 この年
  「典型」以後
   元素智恵子(昭和二十五年) 案内 吹雪の夜の独白 噴霧的な夢 女医になつた少女
   人間拒否の上に立つ(昭和二十六年) 山のともだち
   十和田湖畔の裸像に与ふ(昭和二十九年)
 萩原朔太郎集  (略)
 宮澤賢治集    (略)
 高村光太郎の詩業 草野心平 萩原朔太郎 河上徹太郎 
 もろともにかがやく宇宙の塵となりて 谷川徹三 解説 伊藤信吉
 年譜
 月報
  彫刻の先覚高村光太郎 石井鶴三 高村光太郎氏素描 難波田龍起 萩原朔太郎断片 伊藤整
  朔太郎残影 恩地孝四郎 兄とレコード 宮澤清六

ともに生前に交渉のあった朔太郎と賢治と共に一冊が構成されたことについて、晩年の光太郎はどう感じたでしょうか。

昭和6年(1931)夏、当時あった新聞『時事新報』の依頼で紀行文「三陸廻り」執筆のため光太郎が訪れ、それを記念して光太郎文学碑が建てられ、さらに毎年「女川光太郎祭」が有志により開催されている宮城県女川町。6月21日(日)に町制施行100周年の記念式典が開催されました。

仙台に本社を置く『河北新報』さん、当日の一面コラム。

河北春秋(6/21)

東日本大震災後に再建された宮城県女川町はコンパクトで海が見える街として注目される。海岸広場の震災遺構「旧女川交番」の展示には「これからも海とともに生きることを選んだ」と決意が記してある▼中心部の道の駅「おながわ」から女川港を望むと海のきらめきがまぶしいほど。防潮堤に頼らないまちづくりと誤解されることもあるが、リアス海岸の貴重な平地を減らさないよう町全体を防潮堤の高さ以上にかさ上げしてできた▼「還暦以上は口を出さず」も女川の復興を象徴する言葉。若手商工者らが震災翌年、岩手県紫波町の公民連携のまちづくり「オガールプロジェクト」を学び、再建に生かした▼道の駅ではテナントを決めた後に入居者の意向に沿い建物を整備するオガール流を取り入れた。テナントの一つ「お魚いちばおかせい」は、海を眺めて海鮮丼を食べられるテラス席が連日にぎわう。「目指したのは女川の海や景色、人の温かさまで楽しんでいただける場所」と店の人は言う▼女川町ではきょう、町制100周年の式典が開かれる。95年前の1931(昭和6)年、町を訪れた詩人高村光太郎は「新興の気力が海岸には満ちている」と記し、海岸広場の文学碑に刻まれている。その気風は震災後のまちづくりにも生きている。

6月20日(土)の河北新報さん系の『石巻かほく』さんでも引用された「三陸廻り」の一節がこちらでも。ありがたし。

式典の模様を報じる記事、同じく『河北新報』さん。

「力を合わせて輝かしい未来を」 宮城・女川の児童生徒が力強く宣言 町制施行100周年式典

 宮城県女川町の町制施行100周年を祝う記念式典が21日、町生涯学習センターであった。町内の団体代表や行政区長ら、関係者約350人が出席。これまでの町の歩みを振り返り、新たな未来に向け心を一つにした。
 須田善明町長はあいさつで「この地に可能性を見いだした人々がさまざまな壁を乗り越えて結集し、切り開いてきた」と町の100年の歩みについて紹介。
 2011年に発生した東日本大震災の津波が町にもたらした甚大な被害と復興過程を振り返り、「年配者が現役世代にかじ取りを委ねた町づくりの在り方に、地域で受け継がれてきた精神性やアイデンティティーが表れた。次の100年に向かうための大切な羅針盤だ」と述べた。
 式典では、女川小中学校の児童生徒12人が登壇。「未来へのメッセージ」として「豊かな自然と笑顔で包まれた町が発展していけるよう、力を合わせて輝かしい未来を作っていきます」と力強く宣言した。
 女川町は1926(大正15)年、当時の女川村が町に移行して誕生し、4月に100周年を迎えた。
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『石巻かほく』さん。

女川町100周年 発展願う 記念式典、歩み振り返る

 女川町は21日、町制施行100周年の記念式典を町生涯学習センターで開いた。町内の行政区長や団体代表ら関係者計約350人が出席。甚大な被害を受けた東日本大震災とその後の復興、水産業の振興など100年の歩みを振り返り、町のさらなる発展を願った。
   須田善明町長は式辞で、第2次世界大戦や震災などの苦難を振り返り「幾多の試練があったが、変化を恐れず、時代の壁にチャレンジして乗り越えてきた」と語った。町の礎を築いた先人や現在の町民に感謝し「郷土の未来に、一つでも多くの笑顔と希望と幸せをともしていけるよう、力を合わせて歩んでいく」と決意を述べた。
 式典では、写真で歴史を振り返ったり、町民が町の好きなところを紹介したりする記念映像を上映した。女川小中学校の児童生徒12人は「未来へのメッセージ」を発表。「女川は震災を経てより強く生まれ変わった。復興の支援に感謝し、震災の教訓を必ず次の世代に伝える。伝統と歴史を大切に、輝かしい未来をつくっていく」と誓った。
 式典に出席した、町行政区長会の阿部求会長(78)=小乗行政区長=は「100周年を迎えられて感無量だ。これからは若い方がまちづくりに参加し、町を盛り上げてほしい」と期待した。
 メッセージを発表した女川中3年の千葉一夢珂(ひめか)さん(14)は「記念すべき年に女川中生であることを誇りに思う。震災を乗り越えたように、つらいときには手を取り合える町民でありたい」と話した。
 女川町は1926年4月、町制施行で女川村が町に移行して誕生した。オープニングでは、2020年度に女川小中学校で文化芸術体験講座を開いた、仙台市出身のジャズピアニストで作曲家の秩父英里さんが演奏を披露した。
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ちなみに女川町、大正15年(1926)の町制施行以来、一度も他の市町村との合併をしていないという、全国的にも稀有な例だそうです。

町中心部が壊滅状態となるほどの甚大な被害をもたらした東日本大震災から15年の今年、町制施行100周年の新たな門出を迎えたというのも奇縁と感じます。まだまだ課題は山積と思われますが、新しい女川の発展を願って已みません。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 3 『高村光太郎 萩原朔太郎集』昭和文学全集22

昭和28年(1953)10月15日 角川書店 高村光太郎/萩原朔太郎著
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目次
 高村光太郎集
  筆蹟(うゐのおくやま)
  道程
   失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国 画室の夜 食後の酒 寂寥 声
   新緑の毒素 廃頽者より 髪を洗ふ女 なまけもの 地上のモナ・リザ あつき日
   父の顔 泥七宝 犬吠の太郎 さびしきみち ビフテキの皿 梟の族 冬が来る 夜
   狂者の詩 師走十日 戦闘 山 よろこびを告ぐ 冬が来た 冬の詩 牛 道程
   群集に 婚姻の栄誦 瀕死の人に与ふ 五月の土壌 秋の祈 侵蝕 或日の午後
   白昼の空気 疾走 縁日 狗ころ 祈祷
  「道程」以後
   晴れゆく空 海はまろく 花のひらくやうに 無為の白日 丸善工場の女工達
   米久の晩餐 雨にうたるるカテドラル かがやく朝 ラコツチイ マアチ 冬の送別
   五月のアトリエ 沙漠 落葉を浴びて立つ 鉄を愛す 春駒 月曜日のスケルツオ
   氷上戯技 珍客 車中のロダン 葱 後庭のロダン 無口な船長 わが家 小娘
   真夜中の洗濯 歩いても 湯ぶねに一ぱい 序曲 クリスマスの夜
   とげとげなエピグラム 聖ジヤンヌ
  「猛獣篇」時代
   清廉 象の銀行 白熊 傷をなめる獅子 狂奔する牛 鯰 苛察 龍 雷獣 象
   北冥の魚 潮を吹く鯨
  「猛獣篇」以後
   冬の奴 ミシエル・オオクレエルを読む 火星が出てゐる 偶作八篇
   二つに裂かれたベエトオフエン 花下仙人に遇ふ 天文学の話 或る墓碑銘
   ぼろぼろな駝鳥 当然事 無限軌道 夏書十題 ひとり酸素を奪つて 焼けない心臓
   上州湯桧曽風景 その詩 怒 母をおもふ 冬の言葉 何をまだ指してゐるのだ
   彼は語る 街上比興 さういふ友 あの音 北島雪山 上州川古「さくさん」風景 冬
   無題 刃物を研ぐ人 孤坐 美の監禁に手渡す者 似顔 のつぽの奴は黙つてゐる
   南極 蝉を彫る 先生山を見る 晴天に酔ふ 首の座 村山槐多 ばけもの屋敷
   もう一つの自転するもの 荻原守衛 手紙に添へて 芋銭先生景慕の詩
   つゆの夜ふけに 初夏言志 銅像ミキイヰツツに寄す へんな貧 最低にして最高の道
  智恵子抄より
   ――に 或る夜のこころ おそれ 或る宵 郊外の人に 冬の朝のめざめ   深夜の雪
   人類の泉 人に 僕等 晩餐 樹下の二人 夜の二人 あなたはだんだんきれいになる
   あどけない話 同棲同類 風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子
   山麓の二人 レモン哀歌 荒涼たる帰宅 亡き人に 梅酒
  「智恵子抄」その後より
   元素智恵子 メトロポオル 裸形 案内 あの頃 吹雪の夜の独白
  典型
   「ブランデンブルグ」 人体飢餓 東洋的新次元 おれの詩 山荒れる 月にぬれた手
   鈍牛の言葉 典型 山菜ミヅ 山のひろば 山口部落 クロツグミ 別天地 クチバミ
   岩手の人 山からの贈物 女医になつた少女 東北の秋 大地うるはし
   暗愚小伝
    家
     土下座 ちよんまげ 郡司大尉 日清戦争 御前彫刻 建艦費 楠公銅像
    転調
     彫刻一途 パリ
    反逆
     親不孝 デカダン
    蟄居
     美に生きる おそろしい空虚
    二律背反
     協力会議 真珠湾の日 ロマン ロラン 暗愚 終戦
    炉辺
     報告(智恵子に) 山林
   回想録など
  回想録
   子供の頃 母のこと 姉のことなど 美術学校時代 智恵子の半生 智恵子の新盆
   智恵子の半生 智恵子の切抜絵
  随想
   年越し 雪解けず 開墾 早春の山の花 季節のきびしさ 夏の食事 山の雪
   山の人々 山の春 雷ぎらひ しやつくり病 三十年来の常用卓 ほくろ
  詩について
   自分と詩との関係 詩の深さ 小感 言葉の事 生きた言葉 詩人の知つた事ではない
   文語 「道程」改訂版 宮澤賢治
  芸術論
   造型小論 彫刻性について 能の彫刻美 能面の彫刻美 十大弟子 江戸の彫刻
  彫刻のことなど
   蝉の美と造型 ロダンの素描 ロダンの手記談話録 自刻木版の魅力 彫刻的なるもの
   彫刻寸言 美の健康性 芸術上の良知 永遠の感覚 普遍と独自 比例均衡
   美意識について 美の影響力
  出さずにしまつた手紙の一束
  解説 伊藤信吉
  年譜
 萩原朔太郎集  (略)
 解説 伊藤信吉

 
月報 第二十二号
  一つのこと 草野心平 高村光太郎氏 室生犀星 萩原君の詩 日夏耿之介
     萩原さんといふ人 三好達治
 朔太郎と光太郎 笹沢美明
 主要研究書目・参考文献

戦後の混乱も徐々に収まり、いわゆる「文学全集」ものが各社から刊行が相次ぐようになると、光太郎もラインナップにほぼ必ず入るようになりました。光太郎単独で一冊が編まれた場合もあり、数人で一冊の場合も多くありました。

都内から映画の上映情報です。既に始まっています。

羽田澄子 生誕百年記念 福祉、芸術、ジェンダーを通して日本を描く

期 日 : 2026年6月13日(土)~6月26日(金)
会 場 : シネマヴェーラ渋谷 渋谷区円山町1-5 KINOHAUS(キノハウス) 4F
時 間 : 11:00~
料 金 : 1本立て入替制 一般 1300円 シニア 1100円 学生 700円 中学生以下 600円

岩波映画からキャリアを始め、幅広い作品を作り続けた女性ドキュメンタリー作家のパイオニア羽田澄子監督の全貌に迫ります。

上映作品
 早池峰の賦
 痴呆性老人の世界
 女たちの証言 -「労働運動のなかの先駆的女性たち」-
 元始、女性は太陽であった・平塚らいてうの生涯
 山中常盤
 嗚呼 満蒙開拓団
 角屋七郎兵衛の物語-ベトナムの日本人町-
 薄墨の桜
 古代の美
 住民が選択した町の福祉
 ―続 住民が選択した町の福祉―問題はこれからです
 あの鷹巣町のその後
 あの鷹巣町のその後 続編

羽田澄子(1926-)
1926年、大連生まれ。自由学園卒。「岩波写真文庫」の編集から映画製作に転身し、『教室の子供たち』(羽仁進)などの助監督を経て、1957年『村の婦人学級』で監督デビュー。岩波映画で多くの作品を手がけた後、1977年に夫でプロデューサーである工藤充と初の自主映画『薄墨の桜』を完成、記録映画作家として新たな道を切り拓く。自由工房を拠点に、『早池峰の賦』(1982、芸術選奨文部大臣賞)や、『痴呆性老人の世界』(1986)、『歌舞伎役者 片岡仁左衛門』(1992-94)、『-元始、女性は太陽であった-平塚らいてうの生涯』(2001)、秋田県鷹巣町シリーズ(1997-2006)など話題作を次々に発表した。女性ドキュメンタリー監督のパイオニアである。
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日本女子大学校で智恵子の一級上の先輩だった平塚らいてうの一生を追ったドキュメンタリー映画「元始、女性は太陽であった 平塚らいてうの生涯」(平成13年=2001 140分)がラインナップに入っていました。6月13日(土)のオープニングの作品がそちらで、7回の上映。昨日も上映され、あとは6月25日(木)の1回のみとなってしまいました。もう少し早く気がつけば良かったのですが。

元始、女性は太陽であった 平塚らいてうの生涯

日本の女性運動の先駆けであり、女性による文芸誌「青鞜」の「元始、女性は太陽であった」という宣言で知られる平塚らいてう。「その名を聞くとすべての女性の心に灯りがともる」と羽田監督は言う。生前の映像がほとんどない中、らいてうの生涯を資料や証言によって追う。文学的というしかない心中未遂事件、「青鞜」発刊、政治参加運動、反戦運動、母性保護と、自分の人生と共に思想も広がっていく。思想は私生活に及び、結婚制度に反対して入籍せず、子供も私生児として自分の戸籍に入れた。また、経済的にも家計を支えた。とにかくユニークで魅力的で頑固ならいてうの人間的魅力に溢れた作品!

時折、上映が行われています。把握できている限りでは、京橋の国立映画アーカイブさんで平成28年(2016)令和4年(2022)に。おそらく他にも為されていたのではないかと思われます。

当方、DVDで拝見しました。
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明治44年(1911)、らいてうが主宰し、智恵子が創刊号表紙絵を描いた雑誌『青鞜』についても詳しく言及されており、智恵子にも触れられます。
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創刊号に、「山の動く日来る」で有名な詩「そぞろごと」を寄せた与謝野晶子についても。
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その他、故・瀬戸内寂聴氏や故・青木生子氏などもご出演。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 2 『現代詩集 第一巻 高村光太郎 草野心平 中原中也 蔵原伸二郎 神保光太郎』

昭和14年(1939)12月15日 河出書房 神保光太郎著作者代表
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目次
 猛獣篇其他 高村光太郎
  触知 老耼、道を行く 桃の実 地理の書 寸言 つゆの夜ふけに
  銅像ミキイヰツツに寄す レオン ドウベル 南極 うつたうしきもの
  芋銭先生景慕の詩 人生遠視 晴天に酔ふ 偶成二首 エピグラム
  猛獣篇より
   雷獣 冷熱 マント狒狒 象 森のゴリラ 潮を吹く鯨 北冥の魚
 猛烈な天 草野心平(略)
 帰郷 中原中也(略)
 四月雹ふる 蔵原伸二郎(略)
 雪崩 神保光太郎(略)

 月報
  現代詩の性格 白木茂
  編集後記

 内容見本
  刊行の辞
  執筆者紹介
   猛獣篇其他 高村光太郎 猛烈な天 草野心平 帰郷 中原中也 四月雹ふる 蔵原伸二郎
   雪崩 神保光太郎 祈祷歌 丸山薫 暁と夕の詩 立原道造 古風なガス燈の町 田中冬二
   反響 伊東静雄 春と修羅 宮澤賢治 晩秋 萩原朔太郎 河 北川冬彦 竹葉集 高橋新吉
   紋 金子光晴 相模野抄 三好達治
  詩集のことなど
  諸家推薦の辞
   「現代詩集」を推す 斎藤茂吉 「現代詩集」を薦む 茅野蕭々
   「現代詩集」に寄す 横光利一 嘱望 豊島与志雄 醇乎たる詩精神 谷川徹三
   新しいパルナツスの華 中島健蔵
  組方見本

光太郎自身が作品の選択と校訂も行っています。

智恵子が亡くなった翌年の刊行で、そろそろ本腰を入れて翼賛詩文の執筆を始めた時期となり、こちらでの作品選択等にもきな臭さが漂っています。帝国海軍の潜水艦をモチーフとした詩「北冥の魚」、初出掲載誌の『鵲』第30号(昭和14年=1939)や、手元に残した草稿にそういう指定が無いのに、連作詩「猛獣篇」に組み込むという操作が行われています。ついに潜水艦までが「猛獣」になってしまったか、という感じです。

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明治後半から昭和20年(1945)まで、光太郎が住んでいた文京区千駄木(大正3年=1914から昭和10年=1935の間は智恵子も暮らしていました)に新たな施設が竣工しました。

プレスリリースから。

吉野石膏、千駄木にアートライブラリーを竣工 文化資産の保存・活用を通じた企業の社会貢献と、千駄木で新たな魅力の発信へ

 せっこう(石膏)を原料とする建築材料の製造・販売事業等を展開する吉野石膏株式会社(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:須藤 永作)は、創業家ゆかりの地である東京都文京区千駄木において、「千駄木林町 須藤記念アートライブラリー」を建設し、竣工しました。
本施設は、故 須藤恒雄会長、故 須藤永一郎会長の邸宅跡地に整備されたアートライブラリーです。
 ここでは、吉野石膏美術振興財団(現・千代田区丸の内)の約8,000冊の美術図書が閲覧できます。
 そして、吉野石膏が長年収集し、山形美術館と天童市美術館に寄託してきた絵画コレクションも本施設に集約し、展示します。
 また、所蔵するコレクションの展示にとどまらず、近代アートも含めた、企画展も行っていきます。

◆本施設の背景
 東京都文京区千駄木は、森鴎外記念館や高村光太郎旧居跡などの文化施設が点在し、文化人に縁のある地域です。
 本施設の敷地にかつてあった、故 須藤恒雄会長、故 須藤永一郎会長の邸宅では、吉野石膏黎明期に幹部が集い、会社の将来を語り合う場でした。
 「千駄木林町 須藤記念アートライブラリー」は、そうした歴史を持つ土地において、邸宅に宿る記憶や思想を受け継ぎながら、吉野石膏と吉野石膏美術財団が持つ文化資産を未来へ継承する場として整備したものです。

◆本施設について
 設計は建築家・隈研吾氏率いる隈研吾建築都市設計事務所が手掛け、日本の伝統的な建築様式である校倉造りに着想を得た、「AZEKURA」のデザインを採用しました。
 施行は大林組が手掛けました。
 多目的に利用可能な空間を屋内外に備えるほか、敷地内には旧邸宅の一部が再現されており、歴史的な記憶を未来へ紡ぐ設計となっています。

◆今後について
 今後は蔵書や美術品の収蔵および公開に向けた準備を段階的に進め、2027年秋頃の本格的な運用開始を目指してまいります。
 本施設の竣工は一つの到達点であると同時に、吉野石膏が培ってきた文化的な活動や価値を未来へ継承していく新たなスタートでもあります。
 今後は本施設を舞台に、多くの方々が文化や芸術に触れる機会を創出し、文化資産の継続的な保存と活用に貢献してまいります。
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「タイガーボード」の吉野石膏さんですね。場所的には創業者の邸宅跡地ということで、現在の須藤公園に隣接するあたりではないかと思われます。
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上記は森まゆみ氏著『「谷根千」地図で時間旅行』より。光太郎アトリエだけでなく、旧林町155番地の光太郎実家(光雲邸)、森鷗外の観潮楼(現・文京区立森鷗外記念館さん)、『青鞜』の最初の編集所があった物集高見邸跡などもすぐ近くです。また、須藤邸の左下(南西)に「この辺原っぱだった」とありますが、このあたりが光太郎詩「落葉を浴びて立つ」(大正11年=1922)の舞台ですし、その北に位置する「丸善工場」は「丸善工場の女工達」(大正9年=1920)に謳われています。

吉野石膏さん、公益財団法人の吉野石膏美術振興財団を傘下にお持ちです。そちらには、まず主に近代絵画のコレクション。
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現在は、一部が山形美術館さんと天童市美術館さんへ寄託されているそうですが、手元に戻すそうで。「なぜ山形?」と思ったのですが、吉野石膏さんが元々は山形の吉野鉱山での石膏原石採掘から始まった企業だということで、山形との関係が深いということです。

それから、書籍。美術評論家の故・中山公男氏、美術史研究者の故・前川誠郎氏、同じく小佐野重利氏から寄贈された美術関係書籍、図録等が数千冊あるそうで、それらの閲覧もできるようになるとのことです。稀覯本にあたるようなもの(特に雑誌系)が含まれていると嬉しいのですが。

そしてプレスリリースによれば「所蔵するコレクションの展示にとどまらず、近代アートも含めた、企画展も行っていきます」とのことですので、この地にゆかりの光太郎智恵子・光雲らに関するそれも行っていただきたいものです。

オープンは今秋だそうです。またその頃に取り上げさせていただきます。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 1 『高村光太郎集 室生犀星集 萩原朔太郎集』現代詩人全集 第九巻

昭和4年(1929)10月15日 新潮社 高村光太郎 室生犀星 萩原朔太郎著
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目次
 高村光太郎集
  「道程」時代
   失はれたるモナ・リザ 根付の国 画室の夜 鳩 食後の酒 寂寥 声 新緑の毒素
   髪を洗ふ女   「心中宵庚申」 はかなごと 地上のモナ・リザ 葛根湯 あつき日
   泥七宝 赤鬚さん ――に 或る夜のこころ さびしきみち カフエにて 冬が来る
   そればつかりは 現実 或る宵 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ 戦闘 人に
   深夜の雪 冬が来た 牛 道程 愛の嘆美 婚姻の栄誦 瀕死の人に与ふ 晩餐
   五月の土壌 秋の祈
  「道程」以後
   無為の白日 海はまろく 花のひらくやうに 晴れゆく空 丸善工場の女工達
   雨にうたるるカテドラル 沙漠 米久の晩餐 ラコッチイ マアチ 落葉を浴びて立つ
   五月のアトリエ 冬の送別 かがやく朝 樹下の二人 鉄を愛す Liluli 春駒
   月曜日のスケルツオ 氷上戯技 珍客 葱 車中のロダン 後庭のロダン 十大弟子
   無口な船長
  「猛獣篇」時代
   清廉 象の銀行 白熊 傷をなめる獅子 狂奔する牛 鯰 苛察 龍 雷獣
  「猛獣篇」以後
   滑稽詩 夜の二人 冬の奴 ミシエル オオクレエルを読む 火星が出てゐる
   偉大なるもの あなたはだんだんきれいになる 詩人 笑 美を見る者 「詩」
   北東の風、雨 偶作八篇 二つに裂かれたベエトオフエン 旅にやんで
   花下仙人に遇ふ 天文学の話 或る墓碑銘 ぼろぼろな駝鳥 当然事 あどけない話
   無限軌道 青空 古事一則 死ねば 無いからいい 一人づつが 或る日 人生
   ひとり酸素を奪つて 焼けない心臓 或る筆記通話 触知 上州湯桧曽風景 その詩
   非ユークリツド的
 室生犀星集(略)
 萩原朔太郎集(略)

今日からのこの項、「選集等(部分)」ということで、光太郎を含む数人の作品が一冊にまとめられているものを扱います。ある程度の分量が載っているものに限り、数篇しか載っていないものは別に「詩華集等」ということで後ほど。

『高村光太郎集 室生犀星集 萩原朔太郎集』。光太郎自身が作品の選択と校訂も行い、大正3年(1914)の詩集『道程』以後、久しく単行詩集を刊行しなかった光太郎の、実質的には弟2詩集となりました。目次には入っていませんが、短い自伝が附されており、そちらは書き下ろしです。

3件ご紹介します。

掲載順に、まず6月16日(火)『毎日新聞』さん夕刊。アナウンサーの近藤サトさんの寄稿です。

Media NOW! 動画隆盛とAI世界 芸術とは、人間とは何か=近藤サト

002 大学でアナウンスの実習授業を受け持つようになって15年になります。アナウンサーや音声表現者を目指す学生の受講が主ですが、15年の間に実習内容はかなり変わりました。今年初めて導入したのは動画制作です。これまでアナウンス実習では、さまざまな声の表現を学ぶことに特化してきましたが、なぜ、本来は番組制作実習で行う動画の撮影、編集が必要になったかというと、最近は音声表現者のみならず個人の動画配信が共通認識になってきたからです。
 音声表現者本人による動画配信は認知度の向上に限らず、販路や業務拡大につながる可能性が十分にあります。また多くの企業が動画選考を採用しているように、動画はすでに映りたい人だけのものですらなくなりました。
  その中でより効果的な動画を作るためには、声や体の表現に加え、高性能な編集アプリの使用や有効な配信のためのマーケティングも必要です。15年の間に、それら全てを一人でこなす技術が発達し、また今それができることは重要な能力だと判断しています。
 その上、栄華を誇ったテレビの足元が揺らいでいるとなれば、メディアを目指す学生には転換期の後に来るものに対しての備えが不可欠です。
 小中学生が将来なりたい職業ランキングでも依然、動画投稿者は人気があります。ユーチューバーがランクインしたばかりの頃、大人は「世も末か」と嘆きましたが、それもすでに過去。最近は姿や素性を明かさず、仮装のキャラクターで投稿するVチューバーが人気です。
 ですが、私が今行っている実習もあと何年もしないうちに全てAIで可能になるでしょう。もちろん、声自体も生成AIが本人になり代わり発声します。実習そのものが意味を持たなくなる可能性も。
 そうなったときにきっと直面するのは、芸術とは何か、美とは何か、人間とは何かという根源的な問いかもしれません。私は自分の命に限りがあるからこそ、その声の力や耀きがあると信じています。70年前、高村光太郎は「どのような転換が行われても芸術のよりどころとなる一点はいのちの有無にかかっているにちがいない」と言いました。学生を見ていると、今をどう生き、表現するかという切ない思いを感じます。
 ただもし、AIが死の概念を持ち得たら、その声は「いのち」すら宿すのでしょうか?

引用されているのは光太郎最晩年の昭和31年(1956)元日発行の『新潮』に載ったエッセイ「生命の創造-アトリエにて8-」の末尾の一節です。その部分を含む最終段落のみ引用します。

 いのちあるものを見るのは無限にたのしい。いのちあるものはまた無限にかなしい。このよろこびとかなしみとを定着しようとして人間は芸術といふ形に於て神をまね、神を冒した。今人間はそのいのちさへ、いのちなき物質から合成しようとしてゐる。芸術も亦大いに動乱を起して飛躍せねばならない世紀が来る。この世に芸術が生れてから幾十万年になるのか、この後人類が生きのびるのは幾千万年になるのか。芸術はどんな変貌を重ねてゆかうとするか。今日までの芸術はまだわかい。考えると目まひのするやうな今後の長い年月を思うと、今日芸術といはれてゐるやうなものが、果していつまでもその形式を持続してゆくかどうか分らない。ただどのやうな転変が行われても、芸術のよりどころとなる一点はいのちの有無にかかつてゐるにちがひない。人間の手による生命の創造が可能になつても、生きて動き、生れて死ぬいのちがこの世にある限り、人間は芸術によるいのちの創造を決してやめないだらう。

旧ソ連の科学者、アレクサンドル・オパーリンが来日して「生命の起源」について講演をしたことに触発されて書かれたものですが、そこから芸術論にもってゆき、近藤さんが引用したように「芸術のよりどころとなる一点はいのちの有無にかかつてゐるにちがひない」と結んでいます。常に「生(ラ・ヴィ)」を芸術の絶対の価値として生きてきた光太郎、最後までそれを貫き通しました(戦時中にはぶれましたが)。

それにしても、近藤さんの文章の前半にある、昨今の大学で行われているというメディア関連の授業内容、「そんなことまで学べるんだ」と、うらやましい限りです。ただ「個人での配信」には注意が必要ですね。世の中に問うレベルに達していないもの、ガセ情報、悪意はないものの間違いだらけなど、まだまだ何でも有りの状態ですし(したがってこのブログではほとんど無視しています)、そういったものは淘汰されるのではなく逆に増えていくような気がしています。

続いて熊本の地方紙『人吉新聞』さん、6月18日(木)の一面コラム。

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「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」。明治から昭和初期に活躍した詩人・高村光太郎さんの詩集「道程」を代表する一節で、各々が歩む人生の軌跡を表しており、教科書にも採用されている▼人は誰しも母から生まれ、幼少期を経て大人となり、そして晩年を迎えて人生に終わりを告げる。だからこそ毎日を懸命に生き、後世のために何かを残し、それをまた次の世代が引き継いでいく。その繰り返しが歴史を紡いできた▼過日、ある祝宴に出席する機会があった。お祝いに駆け付けた関係者で会場は混み合い、主役との思い出話は尽きなかった。人は決して一人では生きられず、家族や他者の支えがあってこそと改めて感じた▼80歳を超えたある経営者は「自分がこの世を去ってからも人々の記憶に残り、評価されるような事業家でありたい」と思いを口にした。第一線を退いた後も全国を飛び回り、社業発展に尽くしている経営者もいる。そのバイタリティーにいつも驚かされ、その度に尊敬の念を抱いている▼決められた道を歩むのではなく、自分自身で未来を切り開く大切さを高村さんは説いた。結果以上に過程を重要視し、次につなげていきたい。

光太郎数え32歳の詩「道程」(大正3年=1914)の冒頭部分が引用されていますが、先述の最晩年の「生命の創造」における「生きて動き、生れて死ぬいのちがこの世にある限り、人間は芸術によるいのちの創造を決してやめないだらう」と呼応しているようにも見えますね。

最後に宮城県の『石巻かほく』さん。昨日の記事です。

女川町制施行100周年 海と人とともに

 女川町は1926年の町制施行から100年を迎えた。
 「まだ寂しい港町だが、新興の気力が海岸には満ちている」。31年に町を訪れた彫刻家で詩人の高村光太郎は紀行文にそう記した。
 町は藩制時代の牡鹿郡女川組の20の浜が母体。海と山が迫る平地に漁村が連なった。三陸の豊かな漁場と天然の良港に恵まれ、水産の町として発展してきた。
 穏やかな海は時に牙をむいた。未曽有の災害となった東日本大震災では大津波が町をのみ込んだ。あれから15年。復興を遂げた町は変わらずに海と共にある。太平洋に向かって開かれた街並みに、なりわいの音や子どもたちの声が響く。新興の気力は今に通じる。
 町制施行100周年記念式典は21日午後1時半から、町生涯学習センターで開かれる。

須田善明町長インタビュー
 「女川町」が誕生して100年。29代で7人目の町長である須田善明氏に、100周年を迎えた思いや未来への展望をインタビューした。(聞き手は相沢春花)
-4月に町制施行100周年を迎えた。
 「戦争や東日本大震災などさまざまなことがあった。苦難に屈さず、皆さんが歩んできたからこその100年だ。これからも合併はせず、女川町であり続けたい」
-自身も女川町で生まれ育った。好きな風景や思い出は。
 「震災後に立ち入れなくなったが、崎山公園から眺める景色が大好きだった。今は御殿峠から見る風景が好き。万石浦方面まで一望できる。女川駅前のプロムナードから見る日の出もいい。れんが道の向こうにまっすぐ昇る初日の出を初めて見た時は感動した」 
 「子どもの頃は山で遊んだ記憶ばかり。小学1年ぐらいの時に、田んぼだった場所でけがをした脚の傷は今も残っている。通っていたのは女川二小。女川一小との学区の境にあった雑貨店で、両校の児童たちが集まる空間も面白かった」
-100周年の節目を盛り上げる施策は。
 「季節ごとの恒例行事をボリュームアップさせる。最大のイベントは秋に予定する音楽フェス。町民の皆さんが100周年を盛り上げるための取り組みも、町の予算でバックアップしていく」 
 「『結って生む』をテーマに、新型コロナウイルスの流行などで途切れたものを結い直す機会にしたい。町と関わってくれていた人たちとのつながりをもう一度結び直し、次の100年につながるものを新しく生んでいきたい」
-次の100年に向かう中で、人口減少などの課題にどう取り組むか。
 「町内外から活動人口を獲得しなければならない。人的資源が限られる中、いかに地域産業を細らせずに守っていくかは大きなテーマだ」 
 「つまらない町に人は集まらない。行政のまちづくりは、面白いことが展開される土壌をつくること。頑張っている人、真剣に何かと向き合っている人を応援する環境が女川にはある。『女川で種を植えたい』と思ってもらえる町であり続けたい」

記念イベント続々、フェスや運動会
 女川町は町制施行100周年に合わせ、町民に楽しんでもらったり、町を盛り上げたりするための記念行事を企画している。恒例の祭りを拡大したものや新たに実施するイベントなどで、1年を通してさまざまな催しが町を彩る。
 目玉行事は、今秋に開催を予定する音楽フェス(名称未定)。2日間の日程を予定し、町開催の音楽イベントでは過去最大となる1万人規模の来場を見込む。
 1日目はロックフェス形式。2日目は幅広い年代に楽しんでもらおうと、演歌や歌謡曲などのステージも構想する。町民は無料で招待し、多彩な音楽に触れてもらう計画。
 10月12日には、町民や町内で働く人を対象にした「大運動会」が開かれる。町スポーツ協会が主催し、未就学児から高齢者まで全世代がチームで楽しく競い合える競技を検討している。詳細が決まり次第、町の広報誌などで周知する。
 音楽フェスと大運動会以外の記念行事の予定は次の通り。
【7月】
▽4日 町民音楽祭第1弾「スーパー銭湯アイドル『純烈』コンサート」
▽26日 おながわみなと祭り100周年記念ドローンショー
▽29~31日 サッカープレミアリーグU-11 チャンピオンシップ2026
【8月】
▽15日 タイムカプセル開封
【9月】
▽19日 地区対抗ペタンク大会
【10月】
▽25日 オリンピックデーラン

◇日程調整中
▽おながわ秋の収獲祭(10月)▽芸術鑑賞会第2弾(11月)▽おながわ冬のまつり(12月か来年1月)▽eスポーツ大会(1月)▽町民カラオケ大会(2月)▽おながわ春のまつり(3月)▽町民音楽祭第2弾(3月)
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引用されている「まだ寂しい港町だが、新興の気力が海岸には満ちている」は、昭和6年(1931)の『時事新報』に連載された紀行文「三陸廻り」の一節です。その前後を抜粋します。

 牡鹿半島のつけ根のぎゆつとくびれて取れ相な処、その外側の湾内に女川がある。船で廻ると一日がかりだが石巻からバスで行けば水産学校のある渡波(わたのは)を通りぬけ、塩田のある万石浦に沿つて二時間足らずの道程だ。朝七時に出ると九時には着く。女川で船を見つけるつもりで出かける。女川湾は水が深くて海が静かだ。多くの漁船が争つて此の足場のいい港へその獲物を水上げする。海岸には東北水産株式会社といふものが巨大な清潔な魚市場を築造して漁船を待つてゐる。三陸沿岸では一番新らしい一番きれいな水上げ場だ。女川は極めて小さな、まだ寂しい港町だが、新興の気力が海岸には満ちてゐる。活発な魚類の取引を見てゐると今に釜石あたりをも凌ぐ様になるかも知れない気がする。ところで、海に面する此の新鮮きに対比して、町そのもののぼろの様な古さと小さきとには驚かされる。この古さは珍しい。魅力は此の新古均等の無いところにある。

光太郎が訪れたのは町制施行後5年という時期でした。光太郎は女川に隣接する石巻をスタートし、主に船を使って沿岸を北上、女川以外に、金華山、気仙沼、釜石、宮古などを訪れ、全10回のイラスト入り紀行文を書きました。
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その事績を記念して、平成3年(1991)に、「高村光太郎文学碑」4基が、女川港に建てられました。翌年からは光太郎がこの旅のために東京を発った8月9日に、「女川光太郎祭」が催されることとなり、現在も続いています。そちらは町の主催でも共催でもありませんので、上記記事の行事予定には入っていませんが、例年通り8月9日(日)に開催される予定です。今年は日曜にあたりますし、ぜひおいでください。詳細は後ほど。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 48 『高村光太郎 作品アンソロジー 戦争への道、戦争からの道』

令和7年(2025)6月 田畑書店 高村光太郎著 大木志門編
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目次
 「ぼろぼろな駝鳥」(動物詩集) 
「未曽有の時」(戦時詩集) 「某月某日」(エッセイ)
 「暗愚小伝」(連作詩) 「智恵子抄その後・典型」(戦後詩集) 「山の人々」(エッセイ)
 「新しい天の火」(晩年詩集) 「文人たちの思い出」(回想集)
 チュートリアルブック「戦争への道、戦争からの道」(大木志門)

解説の「チュートリアルブック」を含め、9冊の分冊になっています。表紙はDMM GAMESさんから配信されているオンラインゲーム「文豪とアルケミスト」の光太郎。同ゲームとのタイアップでの出版でした。

手前味噌で恐縮ですが、執筆させていただいた書籍です。2月には出ていましたが、ようやくサイトに情報がアップされましたので、このタイミングで。

令和7年度高村光太郎記念館特別展 中原綾子への手紙 高村光太郎発中原綾子宛 書簡集

発行日 : 2026年2月28日
著者等 : 小山弘明監修
版 元 : 花巻市立高村光太郎記念館
定 価 : 1,100円(税込)

高村光太郎記念館受付で販売しています。郵送での販売も行っています。注)郵送での購入については、図録購入申込書をご覧ください。

購入をご希望の方は、申込書に必要事項をご記入のうえ、送料分の切手を同封し、ご送付ください。図録代は、現金または郵便定額小為替でお支払いください。なお、現金でお送りいただく場合は、現金書留をご利用ください。
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目次
 書簡[高村光太郎発、中原綾子宛]
  昭和四年(一九二九)
  昭和六年(一九三一)   昭和九年(一九三四)   昭和十年(一九三五)
  昭和十一年(一九三六)  昭和十二年(一九三七)  昭和十三年(一九三八)
  昭和十四年(一九三九)  昭和十五年(一九四〇)  昭和十六年(一九四一)
  昭和十七年(一九四二)  昭和十九年(一九四四)  昭和二十年(一九四五)
  昭和二十四年(一九四九) 昭和二十五年(一九五〇) 昭和二十六年(一九五一)
  年代不明
 原稿[綾子著書・主宰雑誌へ]
  「惻隠」に寄す  はしがき  みちのく便り  みちのく便り(二)
  みちのく便り(三)  みちのく便り
 参考資料
  通信事項メモ  日記  綾子「第二期明星の頃」  詩集『灰の詩』口絵 書
  綾子「高村先生のお手紙」  綾子歌集『閻浮提』から
  高村光太郎・中原綾子関連略年譜


昨年4月から今年2月にかけ、花巻高村光太郎記念館さんで4期に分けて開催された特別展「中原綾子への手紙」で展示された、光太郎から歌人の中原綾子に宛てた書簡等70点ほどの全点を画像入りで紹介するものです。いつもそう書いていますが、何度見ても光太郎の文字は味があります。
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中原綾子は与謝野晶子門下の歌人です。短歌以外に自由詩の詩集なども遺しています。光太郎とは大正期に与謝野家での歌会で知り合い、光太郎晩年まで断続的に交流が続きました。戦後の7年間、光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)や、昭和27年(1952)に移り住んだ中野の貸しアトリエにも綾子は足を運んでいます。

書簡類は一昨年、綾子の令孫から花巻市に寄贈されました。大部分は筑摩書房『高村光太郎全集』に既出のものでしたが、一部、未収録のものも含まれていました。

すべての翻字と、それぞれの背景の解説を執筆させていただきました。『高村光太郎全集』に収める段階では、当会顧問であらせられた北川太一先生が筆写したものから活字にしたのですが、その筆写が誤っていたりするところもあったり、走り書きに近く判読に苦しむ文字があったりでした。その作業中、何だか集中力が途切れて当方も誤写し、花巻市の担当の方に「ここはこうじゃありませんか?」と指摘され、「ああ、たしかに」と訂正する箇所も多く、赤面しきりでした。

書簡の中で特筆すべきは、昭和10年(1935)前後の心を病んだ智恵子の具体的な病状を記した一連のもの。光太郎は親友だった水野葉舟にも同様の書簡を送りましたがその数は少なく、綾子にあてたものはかなりの分量です。そのため、光太郎智恵子の研究書などの類によく引用され、いわば『智恵子抄』裏面史のような感じで扱われています。

例えば、

ちゑ子の病状悪化とで殆と寧日なく今年も既になくならうといたして居ります、ちゑ子の狂気は日増しにわろく、最近は転地先にも居られず、再び自宅に引きとりて看病と療治とに尽してゐますが連日連夜の狂暴状態に徹夜つづき、さすがの小生もいささか困却いたして居ります、何とか方法を講ずる外ないやうに存じます、
(略)
此を書いてゐるうちにも ちゑ子は治療の床の中で出たらめの嚀語を絶叫して居る始末でございます、
看護婦を一切寄せつけられぬ事とて一切小生が手当いたし居り 殆と寸暇もなき有様です、
(昭和9年=1934 12月28日)

一日に小生二三時間の睡眠でもう二週間ばかりやつてゐます、病人の狂躁状態は六七時間立てつづけに独語や放吟をやり、声かれ息つまる程度にまで及びます、拙宅のドアは皆釘づけにしました、往来へ飛び出して近隣に迷惑をかける事二度。器物の破壊、食事の拒絶、小生や医師への罵詈、薬は皆毒薬なりとてうけつけません、今僅かに諸岡存博士の発熱療法といふのにたよつてゐます、もう三回注射しました、注射すると熱が四十度近く出て、其で幾分でも恢復の途につくのだといふ事です、まだ効果は見えませんが四五回はやつてみるつもりです、(昭和10年=1935 1月8日)

チヱ子は今日は又荒れてゐます、アトリエのまん中に屹立して独語と放吟の法悦状態に没入してゐます、さういふ時は食物も何もまつたくうけつけません、私はただ静かに同席して書物などよんでゐます、仕事はまつたく出来ません、(昭和10年=1935 1月22日)

チヱ子もさびしく病室に孤坐してひとり自分の妄想の中にひたりこみ、相変らず独語をくり返してゐる事でせう、先日あつた時わりに静かにはしてゐるものの、家に居る時と違つて如何にも精神病者らしい風姿を備へて来たのを見て実にさびしく感じました、まはりに愛の手の無いところに斯ういふ病人を置く事を何だか間違つた事のやうに感じました、 仕事といふ使命さへ無ければ一生をチヱ子の病気の為に捧げたい気がむらむらと起ります、チヱ子、チヱ子と家でくりかへし呼びます(昭和10年=1935 3月12日)

などなど。

いわゆるジェンダー系の論者やその信奉者は、こういう内容が細かく書かれていないので詩集『智恵子抄』は嘘くさい、きれいすぎる、生身の智恵子が居ない、などとほざいています。

反論は幾らでもできます。まず、いくら「詩は心の叫びだ」などといったところで、こういう内容をわざわざ詩に細かく書く必要があるのか、ということ。

また、光太郎はもし智恵子の心の病が寛解した際、心の病に関する光太郎の文筆を読んだらどう思うだろうかということを、光太郎は気にしていました。綾子がそれを指摘し、「なるほど」と思ったようです。

先日お送りした短詩について発表の御心配をうけ、小生まるで気がつかなかつた事なので成程と思ひました、
(略)
小生はまるで気がつきませんでしたが智恵子が全快でもしたあとでそれを見たら変なものだろうとも考へました、(昭和10年=1935 2月8日)

「先日お送りした短詩」は、初めて智恵子の心の病を謳った「人生遠視」です。

それでも少し後には結局、智恵子の心の病を中心にした詩を書いています。「風にのる智恵子」「千鳥と遊ぶ智恵子」「山麓の二人」など。白眉というべきは「値(あ)ひがたき智恵子」。

  値(あ)ひがたき智恵子無題

 智恵子は見えないものを見、
 聞えないものを聞く。

 智恵子は行けないところへ行き、
 出来ないことを為(す)る。

 智恵子は現身(うつしみ)のわたしを見ず、
 わたしのうしろのわたしに焦がれる。

 智恵子はくるしみの重さを今はすてて、
 限りない荒漠の美意識圏にさまよひ出た。

 わたしをよぶ声をしきりにきくが、
 智恵子はもう人間界の切符を持たない。

浅い読み方しかできない人は、この象徴的な詩句の一言一言の裏側にどれだけ深い光太郎の苦悩があるのかが見えないのでしょうね。

「参考資料」の項には、綾子の光太郎に関する文筆も収めました。特にいいなと思ったのは、綾子歌集『閻浮提(えんぶだい)』(昭和35年=1960)に載った短歌。60首ほどが光太郎がらみで、旧太田村の山小屋を2度訪れた際のもの、東京にいて光太郎の詩集『典型』(昭和25年=1950)を読んで戦前を思い出した詠、そして昭和31年(1956)の光太郎の死に際しての挽歌。

いくつか引いてみます。

 おどろきてわれを見たまふ先生にもの言はざるは泣かざらんため

 畏みて高村翁と人は言へわれには若き光大郎先生20250321_131554

 さよならと手を振りたまふ先生にべそかける顔をふりむけにけり

 先生を岩手の山の一つ家に閉ぢこむる雪の都にも降る

 先生のアトリエ焼けてわが知らぬ他人の家の建ちてありけり

 駒込の林町二十五番地にわがなつかしき昔は残る

 先生の小屋の屋根見ゆ萩すすき 野菊なんどは踏みしだき急ぐ

 高村光太郎 死す てふ文字が眼に痛し氷の山に月照れるごとし

 壇上に白木の柩ひとつありて森林の気は四囲をこめたり(告別式にて)

また、綾子詩集『灰の詩』(昭和34年=1959)に口絵として載った光太郎色紙の画像なども。

花巻市役所の生涯学習部生涯学習課生涯学習係さんに申し込めば送って下さるそうです。ぜひお買い求め下さい。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 43『高村光太郎詩集』

平成14年(2002)3月13日 高村記念会 高村光太郎著 北川太一編
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目次
 『道程』
  失はれたるモナ・リザ 根付の国 声 廃頽者より 父の顔 泥七宝(抄) 友の妻
  人に 涙 おそれ さびしきみち 或る宵 郊外の人に 人類の泉 よろこびを告ぐ
  冬が来た 牛 道程 秋の祈 雨にうたるるカテドラル 米久の晩餐 クリスマスの夜
  鉄を愛す とげとげなエピグラム(抄)
 『猛獣篇』とその時代
  清廉 白熊 傷をなめる獅子 鯰 象の銀行 苛察 ぼろぼろな駝鳥 象 森のゴリラ
  氷上戯技 車中のロダン 火星が出てゐる 冬の奴 花下仙人に遇ふ 母をおもふ
  冬の言葉 当然事 さういふ友 上州湯桧曽風景   孤独が何で珍らしい 刃物を研ぐ人
  耳で時報をきく夜 レオン ドウベル もう一つの自転するもの ばけもの屋敷 荻原守衛
  堅冰いたる 手紙に添へて 孤坐 つゆの夜ふけに お化け屋敷の夜
  銅像ミキイヰツツに寄す へんな貧 蝉を彫る 独居自炊 美しき落葉
 『智恵子抄』
  樹下の二人 あなたはだんだんきれいになる あどけない話 同棲同類
  美の監禁に手渡す者 人生遠視 山麓の二人 風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子
  値ひがたき智恵子 レモン哀歌 荒涼たる帰宅 梅酒 松庵寺 元素智恵子
  メトロポオル 裸形 案内 あの頃 吹雪の夜の独白
 『典型』
  雪白く積めり 「ブランデンブルグ」 人体飢餓 月にぬれた手 山荒れる 典型
  クチバミ 大地うるはし 十和田湖畔の裸像に与ふ 弦楽四重奏 生命の大河
 年譜

昭和44年(1969)、旺文社文庫版『高村光太郎詩集』を定本に、四六判で出されたものです。当時の高村記念会(現・花巻高村光太郎記念会)さんの刊行です。現在も花巻高村光太郎記念館さんで販売中です。

手元にあったはずなのですが見当たりませんで、失念しておりました。

昨日は神奈川県川崎市に行っておりました。JR川崎駅前のミューザ川崎さんで開催された「歌曲アンサンブル研究会 第286回 6月例会」拝聴のためでした。
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プロまたはそれに準ずるクラシック系歌手の皆さんなどの団体で、毎月の「例会」では公開講座や「試演会」と銘打たれたコンサートなども行われています。公開講座はおそらく中堅からベテランと思われる歌手の方や、作曲家の皆さんなどが講師を務められ、会員の方から希望者が公開でレッスンを受けるという形式のようです。

昨日の講師は作曲家の朝岡真木子氏。三人の歌手の方とそれぞれのピアノ伴奏の方が、朝岡氏作曲の歌曲をテキストになさいました。
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会場はよくある音楽練習室的なちょっと広めの部屋。場合によっては小ホール的な使い方もできるのかな、と思われました。ただ、ステージはありません。そこでグランドピアノを囲んで並べられた椅子に聴講者が座って聴くという形です。もう足を洗いましたが(笑)、学生時代、それから社会人になってからもわりと本格的に合唱をやっていた当方としては「この配置、懐かしいなぁ」という感じでした。

講師の朝岡氏は聴講者と向かい合う形で座られ、だいたい40分くらいずつ、3組の皆さんに対する公開レッスン。レッスンを受ける歌手の方々は、通常時のそれとは異なり聴講者に向かって歌う形ですので、その意味での緊張感もあったと思います(当方は絶対やりたくありません(笑))。

取り上げられた朝岡氏作品は、与謝野晶子作詩「君死にたもうことなかれ」、川瀬巴水の新版画からインスパイアされた林望氏作詞の 歌曲集「夕暮れ巴水」から短い2曲、そして組曲「智惠子抄」から「レモン哀歌」。
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「3組の皆さん」と書きましたが、朝岡氏、ピアノ伴奏の方に対しても「ここはもっと、こう」的なアドヴァイスを頻繁に入れられ、ピアノは添え物ではないというところをがっつりと。最初から最後までご自身の曲だけを扱われる「朝岡真木子歌曲コンサート」では全曲おん自らピアノを弾かれる朝岡氏ならではだなと思いました。

もちろん歌手の方に対しても、要所要所でいろいろと助言やら提案やら。多く発せられたのが「楽譜にはそこまで書いていませんが……」という一言がついたそれ。確かに楽譜はあくまで最小限の記号としてしか書いてありませんので、細かなニュアンスやら作曲家の意図やらは演奏者が汲み取って表現しなければなりません。音符や休符や「p」「ff」「クレッシェンド」などは言ってしまえば機械的なプログラミング言語のようなものにすぎませんし、たとえ欄外に「sostenuto」とか「meno mosso」とか書かれていても、作曲者の意図が完璧に表現し切れているわけではないのでしょう。実際、途中で演奏を止めて入れられる朝岡氏の一言一言が、「なるほど」の連続でした。

そして作曲者の意図を汲み取るプラス、歌い手さんなりピアニストさんなりのそれぞれの表現者が自分で「ここはこうしたい」みたいなことを盛り込んで行くべきで(朝岡氏、そういうことをどんどんやってください、というスタンスでした)、それが全く無かったらそれこそボーカロイド的な無味乾燥の演奏になってしまうでしょう(一概にボーカロイド的なものを否定するわけではありませんが)。自分で合唱をやっていた頃の楽譜など真っ黒になるくらい書き込みしたっけな、などと思いながら拝聴していました。

組曲「智惠子抄」が収められた『朝岡真木子歌曲集2』(「君死にたもうことなかれ」も入っています)。全音さんから令和4年(2022)に刊行されました。そして今月、第3版が出ました。昨日はこれを片手に拝聴いたしました。ただ奥付は6月25日で、まだ正式には流通していないらしく、全音さんのサイトでは今日現在で「在庫切れ」となっていますが。
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巻末の「詩と付記」の項で、朝岡氏に請われ、詩集『智恵子抄』および作曲された「人に」「あどけない話」「千鳥と遊ぶ智恵子」「値(あ)ひがたき智恵子」「レモン哀歌」の解説を執筆いたしました。初版と第2版にはそれが無く、そういうページが欲しいというわけで。

「おやすい御用です」と、バーッと書いて送ったところ、過分な執筆料を頂いてしまいました。「過分」というより「法外な」ともいうべき金額でした(笑)。普段、通常の出版社相手ですと「掲載誌何冊か現物支給のみ」程度のことも珍しくありませんので(笑)、嬉しいやら申し訳ないやら……。まぁ、全音さんというより朝岡氏のポケットマネーだったようですが。

正式に発売になったらぜひお買い求め下さい。

ちなみに昨日は、一度、花巻にお連れした宮沢賢治作詞の曲なども歌われている黒川京子氏、3月の「朝岡真木子歌曲コンサート第9回」で組曲「智惠子抄」から「人に」と「あどけない話」を歌われた前澤悦子氏もいらしていました。前澤氏、組曲「智惠子抄」をまた歌いたいとおっしゃっていたそうですし、昨日の講座で「レモン哀歌」を取り上げて下さった広川法子氏、ピアノの末松茂敏氏も、今度は演奏会でもラインナップに入れていただきたいところです。さらに朝岡氏には他の光太郎詩をテキストとした新作も期待したいと思っております。

というわけで、以上、レポートを終わります。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 47 『高村光太郎詩集 道程』豊かなことば 現代日本の詩①

平成21年(2009)11月10日 岩崎書店 高村光太郎著 伊藤英治編
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目次
 一 詩人
  根付の国 刃物を研ぐ人 あたり前 道程 ぼろぼろな駝鳥 父の顔 母をおもふ
  その年私の十六が来た パリ 友よ 最低にして最高の道 さびしきみち 詩人
 二 風にのる智恵子
  風にのる智恵子 あどけない話 鯰 千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子 レモン哀歌
  荒涼たる帰宅 おそろしい空虚 報告(智恵子に) 美に生きる
 三 樹下の二人
  十和田湖畔の裸像に与ふ 冬が来た 冬の言葉 秋の祈 上州川古「さくさん」風景
  雪白く積めり 山 樹下の二人 犬吠の太郎
 四 山のともだち
  クロツグミ 山からの贈物 山口部落 冬の子供 少年に与ふ 山のともだち
  女医になつた少女 山の少女 別天地
 高村光太郎略年譜

児童書の出版を中心に手がける岩崎書店さんの「豊かなことば 現代日本の詩」シリーズの1冊。まだ新刊で取り寄せができるようです。

大阪から企画展示情報です。

さかい利晶の杜×文豪とアルケミスト企画展 明キ星ヲ繋グ

期 日 : 2026年6月27日(土)~9月6日(日)
会 場 : さかい利晶の杜 大阪府堺市堺区宿院町西2丁1番1号
時 間 : 9:00~18:00
休 館 : 7月21日(火)、8月18日(火)
料 金 : 大人 300円 高校生 200円 中学生以下無料

明治33年(1900)に与謝野鉄幹によって文学美術雑誌『明星』が刊行され、石川啄木、北原白秋、吉井勇などの若い歌人たちの才能を開花させました。本展では、その『明星』に関わりが深い5人の文豪に焦点をあて、直筆資料や作品集などの展示とともに、彼らの作品をパネルで紹介します。また、「文豪とアルケミスト」とのタイアップ展示として、キャラクターの等身大パネルも展示します。

展示内容とみどころ
① 歴史的資料・文学作品の展示(すべて堺市博物館蔵)
 与謝野鉄幹・晶子合筆掛軸(1934年)
 与謝野鉄幹・晶子合筆歌 貼交屏風 二曲一双(1931年以降)
 北原白秋 歌集「桐の花(初版)」(1913年)
 石川啄木 歌集「悲しき玩具(再版)」(1912年)
 高村光太郎 自筆原稿「短歌の言葉」および原稿「自伝」(1955年)
 吉井勇 与謝野晶子原稿「朝の客」(題字:吉井勇)
② 「文豪とアルケミスト」タイアップ展示・特典
 キャラクターパネル: 対象文豪5名の等身大キャラクターパネルを館内に設置。
 限定グッズ販売: さかい利晶の杜でしか手に入らない「限定アクリルスタンド」を販売。
 来場者特典(数量限定): 公式InstagramまたはX(旧Twitter)の本企画展に関する投稿を
 リポスト(リツイート)した画面を提示すると、先着で「限定しおり」が無料配布されます
 (無くなり次第終了)。
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関連イベント
 ■こども向け 絵本よみきかせ
  *日 時* 7月20日(月・祝)10:20~10:50/11:30~12:00
  *会 場* 茶室広間 ※靴下の着用が必要です
  *参加費* 無料
  *申込み* 不要、0歳児~参加OK ※読む絵本は、4歳以上の向けのものとなります
  *出 演* 声の表現 ハミングプロ代表:千代(せんだい) 真由美氏
 ■大人向け 朗読会
  *日 時* 8月11日(火・祝)10:30~11:30
  *会 場* 茶室広間 ※靴下の着用が必要です
 *参加費* 無料
 *申込み* 7月1日(水)9:00より申込み開始(先着30名)
 *出 演* 山根基世の朗読指導者養成講座修了生:藤本えり氏、望月えみこ氏

文京区立森鷗外記念館さんで開催中の特別展「近代文学でよむ文(ふみ)の京(みやこ)の坂と名所」などもそうですが、ゲーム「文豪とアルケミスト」とのタイアップ企画。各地の文学館さんなどで同様の企画がこれまでにも多数。花巻高村光太郎記念館さんと宮沢賢治記念館さんなど4館でも、令和4年(2022)にスタンプラリーの形で実施されました。ただ、キャラクターの多いゲームですので、いつもいつも光太郎が取り上げられるわけではありません。

今回は、与謝野夫妻を祀るさかい利晶の杜さんが会場ということで、夫妻に師事し、第一期『明星』によった光太郎、北原白秋、石川啄木、吉井勇が取り上げられます。

光太郎に関しては自筆原稿の展示だそうですが、「「短歌の言葉」および原稿「自伝」(1955年)」とあります。「自伝」の方は、おそらく創元社の『全詩集大成日本詩人全集』第2巻に収められた散文でしょう。筑摩書房『高村光太郎全集』第8巻に収録されています。原稿の現物は見たことがありません。
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もう1点の「短歌の言葉」というのがよくわかりません。「高村光太郎全集」等でそういう題名の作品は載っていません。もしかすると色紙や軸装されていないマクリの状態の書かな、という気もしていますがはっきりしたことは何とも……。

追記 「短歌の言葉」は光太郎ではなく与謝野寛のものでした。誤記されていたあるサイトを鵜呑みにしていました。

これは見に行くしかないかな、と思っております。皆様方も是非どうぞ。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 46 『高村光太郎選書』ミニブックスシリーズ

平成18年(2006)7月19日 リベラル社 高村光太郎著
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目次
 人に 深夜の雪 僕等 道程 樹下の二人 あなたはだんだんきれいになる 母をおもふ
 あどけない話 もう一つの自転するもの 値ひがたき智恵子 山麓の二人 レモン哀歌
 亡き人に 梅酒 最低にして最高の道 荒涼たる帰宅 報告(智恵子に) 若しも智恵子が
 女医になつた少女 山からの贈物 月にぬれた手 元素智恵子 メトロポオル 案内
 あの頃
 語句註
 高村光太郎の略歴

「ミニブックスシリーズ」の1冊で、その名の通り文庫本より小さい14.5×8.5㌢です。「豆本」というほどではありませんが。

花巻で食を中心とした光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんがメニュー考案をなさり、光太郎が7年間の蟄居生活を送った旧太田村の道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント・ミレットキッチン花(フラワー)さんが毎月15日に限定10食調理・販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」。今月分です。
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「鮭の塩焼き」「ベーコンとスナップエンドウのオリーブオイル添え」「わらびの煮物」「ミズのおひたし」「ニラ入り卵焼き」「五目ご飯」「柴漬けとおかかのまぜご飯」「レモンゼリー」。光太郎の日記などを元に、光太郎が自炊したメニューや使った食材などを参考に組み立てられています。

これまで800円だったのが、今月から物価高騰の影響で880円に値上げとのこと。

同様に光太郎の日記などを元に、光太郎が自炊したメニューや使った食材などを参考にして、やつかの森さんが調理にあたってランチを饗する「こうたろうカフェ」。市内のワンデイシェフの大食堂さんで、こちらはほぼ月イチで行われています。今月は24日(水)で、予定されているメニューが以下の通りです。
 ・ふわっとハンバーグ ・エビの春雨サラダ ・ミヅのおひたし ・卵焼き
 ・オクラとワカメのスープ ・漬物 ・茗荷竹味噌ご飯 ・みそまんじゅう・コーヒー

基本的に予約が必要なようですが、ぜひ足をお運び下さい。

やつかの森さん、花巻市主催の市民講座「わかくさ女性学級」で、6月9日(火)には「こうたろう散歩道~光太郎詩碑巡り・光太郎と賢治全集~」の講師も務められたそうです。
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散策コース
花巻の中心街を歩く文学散歩的な講座で、市役所近くの学び学園さんがスタートとゴール、約3㎞の行程とのこと。そちらの画像も送って下さいました。

昭和20年(1945)8月15日、光太郎が社務所で終戦の玉音放送を聞いた鳥谷崎神社さん。
0鳥谷崎神社
その玉音放送を題材とした「一億の号泣」詩碑
1詩碑 2一億の号泣 3一億の号泣詩碑
昭和20年(1945)からほぼ毎年、智恵子や両親の法事を行ってもらっていた松庵寺さん。

4松庵寺 5松庵寺の詩碑 7短歌の詩碑
詩「松庵寺」(昭和20年=1945)の詩碑が二基(終戦後の一時期、光太郎を自宅離れに住まわせてくれた花巻病院長・佐藤隆房揮毫のものと、英訳のもの)、それから光太郎が母・わかを謳った短歌「花巻の 松庵寺にて 母にあふ はははりんごを たべたまひけり」を刻んだ歌碑(右上画像)。

宮沢賢治実家に疎開中、光太郎も被災した昭和20年(1945)8月10日の花巻空襲の傷痕が残る花川橋
8花川橋の銃弾痕跡
9銃弾痕跡
近くに落とされた爆弾の破片で欄干が破損したままになっています。

その他、画像がありませんが、光太郎も訪れた記録のある旧菊池家住宅西洋館、光太郎が疎開していた宮沢家などもコースに入っていました。

まなび学園さんに戻って、30分の「光太郎と賢治全集」講話。
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意外と参加者の皆さん、ご存じないことばかりだったとのことです。

昼食。今月分の「光太郎ランチ」とほぼ同じものをミレットキッチン花さんに用意して貰ったとそうです。事前に注文しておけばそういうことも可能だとのことで。
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この手の花巻などでの文学散歩、やはり地元の方々に知っていただくのは大事なことですし、地元でない方もぜひ体験していただきたいものです。やれと言われればツアーコンダクターはお引き受けいたします(笑)。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 45 『高村光太郎詩集』大活字本シリーズ

平成16年(2004)1月18日 角川春樹事務所(ハルキ文庫) 高村光太郎著
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目次
 詩集『智恵子抄』より
  人に 或る夜のこころ 郊外の人に 晩餐 樹下の二人 狂奔する牛 鯰 金 夜の二人
  あなたはだんだんきれいになる あどけない話 同棲同類 人生遠視 風にのる智恵子
  千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子 山麓の二人 或る日の記 レモン哀歌
  荒涼たる帰宅 亡き人に 梅酒 若しも智恵子が 智恵子抄その後 元素智恵子
  メトロポオル 裸形 案内 あの頃 吹雪の夜の独白 噴霧的な夢 智恵子と遊ぶ 報告
 詩集『道程』より
  失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国 鳩 食後の酒 寂寥 声
  地上のモナ・リザ 父の顔 冬が来る 或る宵 夜 狂者の詩 よろこびを告ぐ 冬が来た
  道程 淫心
 猛獣篇・造型詩篇
  白熊 苛察 ぼろぼろな駝鳥 マント狒狒 後庭のロダン 首の座 刃物を研ぐ人
  村山槐多 孤坐 美しき落葉 十和田湖畔の裸像に与ふ
 詩集『典型』より
  暗愚小伝
   家
    土下座(憲法発布) ちよんまげ 郡司大尉 日清戦争 御前彫刻 建艦費 楠公銅像
   転調
    彫刻一途 パリ
   反逆
    親不孝 デカダン
   蟄居
    美に生きる おそろしい空虚
   二律背反
    協力会議 真珠湾の日 ロマン ロラン 暗愚 終戦
   炉辺
    報告(智恵子に) 山林
  鈍牛の言葉 典型 クロツグミ
 拾遺詩篇(一九〇七~二五年)
  秒刻 恐怖 さびしきみち 海はまろく 小娘 雨にうたるるカテドラル
 拾遺詩篇(一九二六~三二年)
  校庭 冬の奴 怒 花下仙人に遇ふ 母をおもふ その年私の十六が来た 天文学の話
  或る墓碑銘 冬の言葉 さういふ友 焼けない心臓 上州湯桧曽風景 或る筆記通話
  激動するもの 孤独が何で珍しい 友よ 似顔 もう一つの自転するもの
 拾遺詩篇(一九三三~五〇年)
  ばけもの屋敷 堅冰いたる へんな貧 少女に 危急の日に 十二月八日
  シンガポール陥落 寒夜読書 紀元節を迎ふ 必勝の品性 石くれの歌 山の少女
 解説・瀬尾育生 高村光太郎、オークルジョーンの裸体
 エッセイ・道浦母都子 七・五坪の光と陰
 略年譜
 主要参考文献

詩集の構成を根幹としつつ、生前の単行詩集には収められなかった詩篇を編年体でカバーした編集です。現在でも新刊として入手出来るようです。

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