5月1日(金)の『東京新聞』さんから。コラムニスト・泉麻人氏の連載です。

あの町、このメシ 上野アメ横で西郷丼 『酒亭 じゅらく 上野店』 ぐるり東京

020“西郷像”をスタートして、目指すは“西郷丼”。晩春の上野さんぽ
 上野の西郷さんの前にやってきた。上野公園の一角にあるこの西郷隆盛像ほどポピュラーな銅像は他にないだろう。没後20年ほど経った明治30年代に高村光雲が手掛けた西郷像、脇に従えた薩摩犬のツン(ウサギ狩りにいくところらしい)も含めて、キャラが立っている。もっとも、西郷の顔だちは歴史書でもおなじみのキヨッソーネ作の肖像画をお手本にしたものらしく、そもそも弟の従道と親戚の大山巌のルックスをベースにしたもだという。
 あいにくの雨だったが、多くの観光客でにぎわう上野公園。取材時(4月中旬)には、若葉が出始めた桜の木が公園を彩っていた。
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 そこを始点に公園内を歩き始めた。桜の花の季節は過ぎ、動物園にパンダもいなくなったが、依然外国人の姿は多い。ここにくるといつも立ち寄る上野大仏(震災、戦災からしぶとく残った顔だけ飾られている)は、もう閉場の夕方4時を過ぎて拝めなかったけれど、五條天神や花園稲荷の参道を通りぬけて崖下の不忍池の方へ入った。弁天堂の周辺に建立された「めがね之碑」とか「スッポン感謝之碑」とか、昔からの上野の商業者たちが立てたユニークな石碑を瞥見(べっけん)して、池の南側を回って上野広小路東側のアメ横の一帯にやってきた。
 今回のターゲットは海産物や輸入雑貨の小店が並ぶブロックのさらに東方、JR高架線の狭間に続く飲み屋横丁の「酒亭 じゅらく」という店。西郷さんの銅像の前から出発したのは、ここの人気メニュー「西郷丼どん」というのをいただきたいからなのである。
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1日限定10食のランチメニュー「西郷丼」(2315円)。味噌汁とお新香付き。
 西郷丼というのを……、なんて書き方をしたけれど、僕はもう20年くらい前にこれを味わっている。場所は、西郷像の脇の崖際に存在した上野松竹デパートだったか、上野百貨店だったか……古びたショッピングビルのなかに入っていた「レストラン聚楽台」という同じ“じゅらく”系の店。確か、西郷丼がメニューに登場してまもない頃だったはずだが、その構造が当時のエッセー(『なぞ食探偵』)に記述されている。
 「アジサイの絵柄の大きな丼に、なんともゴージャスな具が盛り付けられている。真ん中にホウレンソウで縁どりされた温泉玉子が置かれ、豚の角煮(三個)、サツマ揚げ、明太子、鶏そぼろ、サツマイモ天、といった面々がそれを取り囲む。」
 要するに薩摩料理のラインナップを揃えた丼メシ、といったものだったが、大したボリュームだったことを覚えている。ちなみに西郷像脇のビルは「UENO3153」という新式のビルに改築されて「聚楽台」は入っていない。レストランとしては「じゅらく上野駅前店」というのがこの並びにあるけれど、西郷丼はここ酒亭(居酒屋)の看板メニューになっているようだ。
 夜はもちろん、昼飲みにも対応。玉子焼きなどの定番メニューや季節のアテとともに一杯いかが。
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 さて、久しぶりに注文した西郷丼、具の布陣は20年前と多少変わっていた。豚の角煮(鹿児島産黒豚使用)、明太子、温泉玉子といったあたりは不動だが、鶏そぼろは「さつま純然鶏もも岩塩焼き」という本格派に置き換わり、「きびなごの唐揚げ」が加わって、さつま揚げには西郷さんのキャラ絵が刻まれている。しかし、メシは悠々茶わん2杯分くらいはあって、相変わらずのボリュームでごわす。
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 お話を伺った店の責任者(レストラン営業1部業態リーダー)・川喜多淳一さんの名刺に〈笑顔をつないで100周年 1924〉と記したロゴマークが入っているが、1924年(大正13年)というのは関東大震災の翌年であり、「須田町食堂」という当初の店はその名のとおり、神田須田町交差点の名所・広瀬中佐像の西向かいあたりにあったという。
 15歳で新潟から上京した加藤清二郎という人物が創業者。リーズナブルな洋食(コロッケやハムライス)が震災後の新東京でウケて、とりわけ上野駅前の何軒かの店は、戦後の高度成長時代の上京者が初めて味わう洋食として知られるようになった。食堂にとどまらず、デパート、旅館業へと手を広げたが、ひと頃深夜のテレビでCMをよくやっていた「じゅらくよ〜」とマリリン・モンローのそっくりモデルがささやく伊東や水上の温泉ホテルももちろんココと同じ「じゅらく」だ。

今回訪れたお店
酒亭 じゅらく 上野店
住所 東京都台東区上野6-11-6
電話 03-3831-9640
営業時間 11:30~23:00(日曜、祝日11:30~22:00)
定休日 無休
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イラスト・なかむらるみ

上野で「じゅらく」というと、ファミリーレストランのさきがけのような「レストラン聚楽」が思い浮かびますが(幼い頃に行ったような記憶があります)、今回の「酒亭 じゅらく」さんも同じ聚楽グループのようです。聚楽グループといえば、一定以上の世代の方は『東京新聞』さんにもある「じゅらくよ~ん」というテレビCMが思い浮かぶと思われますが、そちらは同グループのホテルのCMでした。

「レストラン聚楽」は大正13年(1924)に神田須田町で開業した「須田町食堂」が最初で、翌14年(1925)には4店、昭和に入ってからは年間平均5店というハイペースでチェーンを広げたそうです。その中で上野が本拠となっていったようです。

大正15年(1926)12月、宮沢賢治が上京し、駒込林町の光太郎住居兼アトリエを訪問しました。その際、光太郎と賢治、それからもう一人の三人で、上野の聚楽に行って会食したという伝聞が、賢治研究の方面でまことしやかにまかり通っていた時期がありました。1970年代に出た『校本 宮沢賢治全集』の古い版の年譜の項に、そう書かれていたというのです。

しかし光太郎の回想には、賢治が訪ねてきたものの、アポ無しだったし、手が離せない状況だったため、玄関先で「明日もう一度来てくれ」と言って別れたと書かれています。おそらくその通りで、聚楽で三人で鍋をつついたというのはそう証言した人物の記憶違い、賢治や光太郎ではない誰かとの混同ということで落ち着いています。

ところが1970年代に出た『校本 宮沢賢治全集』の古い版の年譜だけ見て、未だに聚楽での会食があったと思い込んでいる人もいるようで、時折、ネットでそうした記述を見かけます。困ったものです。

閑話休題、 「酒亭 じゅらく」さんの「西郷丼」、ぜひご賞味あれ。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 7 『高村光太郎選集 Ⅳ 芸術論 下』

昭和27年(1952)9月15日 中央公論社 高村光太郎著
4
4函 4扉 4奥付
目次
 印象主義の思想と芸術
  一 概観 二 エドワール マネ 三 クロード モネ及び新印象派画家
  四 アルフレ シスレー
 五 カミーユ ピサロ 六 オーギユスト ルノワール
  七 エドガー ドガ其他
 八 ポール セザンヌ、附、後期印象派 九 附言 年表
 芸術雑感
  第三回文部省展覧会の最後の一瞥 緑色の太陽 ノラの型 詩歌と音楽
  ミラノの本寺とダ・ヰ゛ンチの壁画 芸術雑話 七つの芸術 芸術鑑賞その他
  彫刻に何を見る
 人と作品
  ホヰツトマンの事 ホヰツトマンのこと ヹルハアラン ドナテロ小感 アンドレ ドラン
 月報 詩人と彫刻家 豊島与志雄 高村さんの近況 草野心平 無機 松下英麿

全6巻で刊行の『高村光太郎選集』第5回配本です。

智恵子を主人公とした小説の新刊です。

尖(とんが)った山 高村智恵子と、同時代の人びと

発行日 : 2026年5月12日
著者等 : 入江いちろう
版 元 : 福島民報社
定 価 : 1,600円+税
コード : ISBN978-4-904834-74-9

「智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ。」

今年5月は、高村智恵子が生まれて140年目 智恵子抄で高名な高村智恵子は終生尖った人生を生きた その素顔に迫る書き下ろし小説

高村智恵子の生きた姿を、同時代の人々の証言(挿話)と本人の文章で描き、智恵子の実像に迫った掌編小説
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目次
 はじめに
 第一部 智恵子の人となり
  プロローグ
  第一章 長沼智恵子の写真 そして小畑ナツ
  第二章 挿話「智恵子の写真撮影」
  第三章 挿話「智恵子の交友録 宮澤トシ」
  第四章 挿話「智恵子の交友録 服部ミネ」
  第五章 病の智恵子 その言動
  第六章 病院での死
  第七章 智恵子の人となり 私見
  エピローグ
 第二部 智恵子と、同時代の人びと
  第一章 長沼今朝吉 そして、浅倉哲蔵
  第二章 高村光太郎 そして、古松茂藤治
  第三章 挿話「油井の人びと」
  第四章 明治病院百周年記念誌「百年のあゆみ」
  エピローグ
 あとがき
 おわりに
 参考文献
 追記


著者の入江氏から贈られたものです。版元は福島民報社さんですが、自費出版の扱いだそうで。だから、というわけでもないのでしょうが、同社の書籍サイトに掲載がありません(2年ほど更新もされていないようですが)。Amazonさんなどでも取り扱いがないようです。そこでこのブログで紹介して欲しいとのことでした。

『民報』さんに紹介の記事は載りました。

智恵子の生涯 小説に きょう 福大卒の入江さん出版

 福島市の福島大経済学部卒で、愛知県在住のパソコン関連会社社長、入江いちろうさん(74)は1日、小説「尖(とんが)った山 高村智恵子と、同時代の人びと」(福島民報社)を自費出版した。
 秋田県出身の入江さんは同大で学び、静岡県浜松市のヤマハ(旧日本楽器製造)に就職。定年退職後、会社を起業した。学生の頃から「智恵子抄」に興味があった。大学時代を過ごしたことや妻が福島市出身だったことで、福島に思い入れが強かった。智恵子の生涯を小説で描きたいと執筆を思い立った。
 本書は2部構成。1部は「智恵子の人となり」として智恵子の交友関係をひもとき、著者独自の視点で人物像に迫っている。2部は「智恵子と、同時代の人びと」。父の長沼今朝吉や夫の高村光太郎ら智恵子の関係者の生き方や実家「花霞酒造」の経営破綻など当時の資料を織り交ぜ、物語に仕上げた。
 入江さんは「今年は智恵子の生誕140年に当たる。彼女の功績や新たな魅力を知るきっかけになれば」と話している。
 A5判122ページ。1760円(税込み)。県内書店、福島民報販売店で取り扱っている。問い合わせは福島民報社事業局出版部(平日午前10時~午後5時)電話024(531)4182へ。


語り手的な主人公は入江氏ご自身が投影されているようですが、あくまで小説ですので、内容の大半はフィクションと思われます。

明治病院第一部に登場する「人びと」のうち、日本女子大学校において智恵子と同窓で、福島市の明治病院に嫁いだ幡ナツは、智恵子と浅からぬ縁がありました。女子大学校卒業後の明治42年(1909)、智恵子がそれまで住んでいた卒業生向けの寮が閉鎖され、ナツは自分も住んでいた駒込動坂の日本画家・夏目利政宅に智恵子も下宿できるよう手配してくれました。また、同45年(1912)、智恵子が太平洋画会展覧会に出品した油絵「雪の日」は福島の明治病院の庭を描いたと伝えられています。

本書の表紙は幡家の人々と撮った写真をモチーフにしたもので、貼り絵作家の小倉玲奈さんという方の作だそうです。写真自体は明治病院滞在時の明治45年(1912)はじめか前年暮れ頃に撮られたと推定されています。

そこで寮の件やこの写真を撮影した際のことなどが描かれています。そして語り手的な主人公の妻は、ナツの孫という設定です。

同じく第一部では、宮澤トシや服部ミネ。

トシは宮沢賢治の最愛の妹。「あめゆじゆとてちてけんじや」の人です。やはり日本女子大学校に学び、しかも家政科でしたから智恵子の後輩です。ただ、在学は大正4年(1915)~同8年(1919)で、明治40年(1907)に卒業した智恵子とはかぶっていません。小説では在学中のトシが光太郎智恵子夫妻の暮らす駒込林町のアトリエを訪れて、兄・賢治の作品の載った同人誌『アザリア』を読んでくれ、と光太郎に渡すという設定になっています。

服部ミネは、智恵子の油井小学校時代の恩師にして、一度教員になってから退職し、日本女子大学校に進学した服部マスの姪。智恵子はマスの影響もあって女子大学校に進みました。そしてミネ。特筆すべきは大正12年(1923)、関東大震災後のドサクサで、無政府主義者・大杉栄とその内縁の妻にして旧『青鞜』同人の伊藤野枝らを殺害した憲兵大尉・甘粕正彦の妻だったこと。小説では甘粕との結婚前に、ミネがマスに連れられてやはり駒込林町の光太郎智恵子の元を訪ねるという内容になっています。

このあたりはフィクションですが、そういうことが絶対に無かったとは言い切れない内容です。

第二部では、昭和4年(1929)の智恵子実家・長沼酒店の破産などが描かれています。福島の郷土資料等を詳しく調べられたようで、それを元にしています。この件についてはいろいろ裁判沙汰などもあり(後に智恵子の母・センと智恵子の妹夫婦が九十九里に移ったのも無関係ではありません)、関係者の子孫等が存命で、登場人物の名が実名でなく仮名になっている箇所があります(第一部でもそうでしたが)。このあたり、コンプライアンス的になかなか難しいのでしょう。

さて、福島県外で購入という場合、上記『民報』さん記事末尾の「問い合わせは福島民報社事業局出版部(平日午前10時~午後5時)電話024(531)4182へ」というところで電話注文も可能かも知れませんし、お住まいの地域の新刊書店さんに書名やISBNコード(ISBN978-4-904834-74-9)を伝えれば入手できるかと存じますのでよろしくお願いします。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 6 『高村光太郎選集 Ⅱ 詩 下』

昭和27年(1952)5月10日 中央公論社 高村光太郎著
2 (1)
2 (2) 2扉 2奥付
目次
 樹下の二人 鉄を愛す Lululi とげとげなエピグラム 氷上戯技 偶作 七 珍客 清廉
 月曜日のスケルツオ 白熊 傷をなめる獅子 少年を見る 狂奔する牛 車中のロダン 葱
 後庭のロダン 象の銀行 十大弟子 苛察 聖ジヤンヌ 夜の二人 雷獣 冬の奴
 無口な船長 滑稽詩 マント狒狒 象 森のゴリラ 北冥の魚 潮を吹く鯨
 あなたはだんだんきれいになる 怒 偶作 四篇 母をおもふ 或る墓碑銘 北東の風、雨
 冬の言葉 ミシエル・オオクレエルを読む 火星が出てゐる 偉大なるもの 美を見るもの
 「詩」 龍 あどけない話 同棲同類 何をまだ指してゐるのだ 存在 旅にやんで その詩
 彼は語る 二つに裂かれたベエトオフェン 花下仙人に遇ふ 天文学の話 ぼろぼろな駝鳥
 当然事 無限軌道 街上比興 さういふ友 あの音 夏書二題 北島雪山 古事一則
 或る日(昭和三年九月二十八日) 人生 ひとり酸素を奪つて 焼けない心臓 或る筆記通話
 触知 上州湯桧曽風景 無題 上州川古「さくさん」風景 冬 無題 刃物を研ぐ人
 耳で時報をきく夜 冷熱 孤坐 美の監禁に手渡す者 似顔 のつぽの奴は黙つてゐる
 南極 蝉を彫る 非ヨオロッパ的なる レオン・ドウベル 先生山を見る 晴天に酔ふ
 首の座 人生遠視 風にのる智恵子 村山槐多 ばけもの屋敷 「藤島武二画集」に題す
 「悪魔の貞操」に題す もう一つの自転するもの 荻原守衛 千鳥と遊ぶ智恵子
 値ひがたき智恵子 よしきり鮫 夢に神農となる 老耼、道を行く
 一艘の船が二艘になること 地理の書 山麓の二人 団十郎像由来 手紙に添へて
 レモン哀歌 芋銭先生景慕の詩 つゆの夜ふけに 初夏言志 亡き人に
 銅像ミキイヰッツに寄す へんな貧 梅酒 最低にして最高の道 秋風をおもふ
 太子筆を執りたまふ 荒涼たる帰宅 青年 与謝野夫人晶子先生を弔ふ 三十年 寒夜読書
 救世観音を刻む人 南瓜賦 美しき落葉 雪白く積めり 山菜ミヅ 暗愚小伝 山のひろば
 「ブランデンブルグ」 脱卻の歌 人体飢餓 東洋的新次元 山口部落 かくしねんぶつ
 クロツグミ 別天地 おれの詩 悪婦 岩手の人 若しも智恵子が 山からの贈物
 滑稽詩 二篇
  Rilke Japonica etc. 赤トンボ
 山荒れる 月にぬれた手 鈍牛の言葉 典型 クチバミ 元素智恵子 メトロポオル 裸形
 案内 あの頃 吹雪の夜の独白 田植急調子 噴霧的な夢 女医になつた少女 東北の秋
 大地うるはし 人間拒否の上に立つ
 月報 個人として(下) 高田博厚 高村光太郎の彫刻 真壁仁 強靱積極の生活 池田克己

全6巻で刊行の『高村光太郎選集』第4回配本です。収録詩篇は大正12年(1923)の「樹下の二人」から昭和26年(1951)の「人間拒否の上に立つ」まで、概ね編年体です。

智恵子の故郷・福島二本松で智恵子顕彰に当たられている「智恵子のまち夢くらぶ~高村智恵子顕彰会~」さん主催のイベントおよびそれとセットで開催されるコンサートの案内です。

高村智恵子生誕祭~智恵子を偲ぶ鎮魂の集い~

期 日 : 2026年5月17日(日)
会 場 : 智恵子生家/智恵子記念館周辺 福島県二本松市油井字漆原町36
時 間 : 8:45~
料 金 : 1,500円
申 込 : 熊谷健一 TEL/FAX 0243-23-6743 〒969-1404 二本松市油井八軒町75

智恵子の生家、記念館、「樹下の二人」詩碑などゆかりの地を説明を聴きながら巡り歩き最後に安達駅前「智恵子像」の前で参加者による「智恵子抄」朗読を行います。定員20名(先着順)。

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二本松市のさらに旧安達町内、それほど広くない範囲で智恵子ゆかりの地を巡るいわば文学散歩的な催しです。たぶん参加費に昼食代が含まれていると思われます。
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当方、令和5年(2023)とその翌年に参加いたしました。それほど広くない範囲ですが、歩いて巡るとなるとけっこう大変です(「青空ウォーク」と銘打ってそうしていた時期もかつてありましたが)し、雨天の場合も有り得るので、近年は夢くらぶさん会員の方の車に分乗して巡るスタイルになっています。

最後にJR東北本線安達駅前の智恵子像「今 ここから」(光太郎の父・光雲孫弟子の故・橋本堅太郎氏作)でオープンマイク的に朗読会だそうで。

それが終わった段階で、二本松市街地に移動して下記のコンサート鑑賞という流れのようです。おそらく希望者のみということになるのでしょうが。

モモの智恵子抄

期 日 : 2026年5月17日(日)
会 場 : 二本松市民交流センター 福島県二本松市本町2-3-1
時 間 : 15:00~
料 金 : 前売 3,500円 当日 4,000円
申 込 : モンデンビューロー  mondenmomo@mac.com

 高村智恵子さん生誕140年記念のイベントが今年の5月に二本松で行われます。そしてこれは2028年ミュージカル『智惠子抄』へのスタートでもあります。二本松市 二本松市教育委員会 二本松音楽協会 そして智恵子のまち夢くらぶの後援をいただきモンデンモモの智惠子抄 音楽劇『智恵子飛ぶ』そして前夜祭として劇団徳子福島公演『MOMO NO MOMO』の公演が行われます。
 いよいよ準備が本格的にはじまりました
 1990年から 智惠子抄を歌でお届けする活動が始まりました。そして2023年 舞踊音楽劇として『智恵子飛ぶ』が上演されました。今回リクエスト公演として高村智恵子さん生誕140年にむけ智恵子さんの生誕の地で再演されます。それは2028年のミュージカル『智惠子抄』への始まりでもあります。
 智恵子さんの学ばれた油井小学校の子供達に智恵子さんの素敵さを上演していただきたい演じていただきたいそんな思いから4歳から90歳までのプロと愛好家の最高の融合をモットーとする劇団徳子が 手がけます
 油井の子供達と大人たちと輝く智恵子さんの『懐かしい未来』を〜お伝えしたいとかんがえています。 素敵な、そしてすごい時代です!! 東京からたくさんの仲間たちが引っ越し公演をいたします。あなたも!!二本松に!!いらしてくださいね!!おまちしています。
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光太郎詩にオリジナルの曲を付けて歌われている、シャンソン系歌手・モンデンモモさんによるコンサートです。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 5 『高村光太郎選集 Ⅴ 随想 上』

昭和26年(1951)12月10日 中央公論社 高村光太郎著
5
5函 5扉 5奥付
目次
 回想録など
  回想録 子供の頃 母のこと 姉のことなど 美術学校時代 揺籃の歌 谷中の家
  智恵子の半生 二世代
 彫刻のことなど
  肖像雑談 自作肖像漫談 蝉の美と造型 ロダンの素描 ロダンの手記談話録
  自刻木版の魅力 彫刻的なるもの 彫刻寸言 美の健康性 芸術上の良知 永遠の感覚
  普遍と独自 美 比例均衡 美意識について 美の影響力 美を求める欲望 詩の深さ
  書について 気について 小感 言葉の事 生きた言葉 触覚の世界
  詩人の知つた事ではない
 アトリエにて
  小刀の味 信親と鳴滝 ある首の幻想 手 鷗外先生の「花子」 家
 
断片
  新茶の幻想 「道程」改訂版 内部の矛盾 木つ葉童子の手紙 ジヤン コクトウ
  さやゑん豆 鯉の木彫 或日 文語 智恵子の新盆 型
 月報 個人として(上) 高田博厚 アトリエのあつたお家 森田たま

全6巻で刊行の『高村光太郎選集』第3回配本です。「随想」の題ですが、評論とエッセイとが入り交じっています(どちらともつかないものもあるのですが)。

編年体ではなく、おおむね内容による分類。一応時期での区切りがあり、戦後のものは含んでいません。ただ、後に出る「随想 下」では遡って明治期のものが収められたりします。

毎年この時期にご紹介していますが、「ほんとの空」の広がる安達太良山の山開きが行われます。

第72回 安達太良山山開き001

期 日 : 2026年5月17日(日)

福島県出身のタレントなすびさん(安達太良山観光大使)が今年も山開きに参加!! ぜひ一緒に登山を楽しみましょう!!(記念撮影可能)

奥岳登山口(あだたら高原スキー場)でのイベント
 安全祈願祭【午前8時~】
  1年間の安達太良山登山の無事を参加者で祈願します。
  (荒天時はランデブー内で実施します)

山頂でのイベント
 ➀ペナント配布【午前9時30分~】
  先着3,000枚を配布します。(無くなり次第、終了となります)
 ②ほんとの空大声コンテスト【午前11時~】
  山頂で募集します。テーマに沿った内容で大声を出してもらいます。
  男性部門の大賞、女性部門の大賞を決定します。(定員20名)
  大賞には豪華景品をご用意しております。また、参加された方へも参加賞がございます。
  ※荒天時は中止となります。ご了承ください。
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かつて行われていた「ミズあだたらコンテスト」が昨年から無くなり、代わって「ほんとの空大声コンテスト」が山頂で予定されています。昨年も計画には入っていたのですが、荒天のため中止となってしまったので、今年行われるとすれば初の開催ということになります。

『広報にほんまつ』今月号、山開き全般。
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三保恵一市長の連載コラム。
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公式サイトにシャトルバスの情報がまだアップされていませんが、例年通りであればJR東北本線二本松駅から、中腹の岳温泉を経由、奥岳登山口までのそれが運行されるはずです。

ぜひ足をお運びください。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 4 『高村光太郎選集 Ⅰ 詩 上』

昭和26年(1951)10月10日 中央公論社 高村光太郎著
1
1函 1扉 1奥付
目次
 秒刻 マデル 博士 あらそひ 
 敗闕録
  ㈠われ千たび君を抱かむ ㈡君を見き ㈢遁れたる君は遣らばや
  ㈣眠りてあれか目覚めよか
 LES IMPRESSIONS DES OũONNAS
  TU VOIS?  LE SOURIRE CACHÉ  L'ABSINTHE 
  POUSSE―POUSSE Á LA GUM―WA
 友よ PRÉSENTATION 失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国 画室の夜
 熊の毛皮 人形町 甘栗 亡命者 寂寥 侵蝕 祈祷 或日の午後 声 新緑の毒素
 廃頽者より 『河内屋与兵衛』 髪を洗ふ女 手 『おもひで』と『夜の舞踏』と 白昼の空気
 金秤 はかなごと 地上のモナ・リザ 夜半 けもの 父の顔 泥七宝 恐怖 あをい雨
 友の妻 ――に 夏の夜の食慾 或る夜のこころ おそれ 犬吠の太郎 涙 からくりうた
 さびしきみち カフエにて ビフテキの皿 梟の族 冬が来る カフエにて 或る宵 夜
 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ 師走十日 戦闘 カフエにて 深夜の雪
 人類の泉 人に 山 よろこびを告ぐ 現実 冬が来た 冬の詩 牛 僕等 道程
 愛の嘆美 群集に 婚姻の榮唱 万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ 晩餐 五月の土壌
 淫心 秋の祈 わが家 晴れゆく空 小娘 海はまろく 花のひらくやうに 歩いても
 湯ぶねに一ぱい 無為の白日 序曲 丸善工場の女工達 米久の晩餐 
 雨にうたるるカテドラル かがやく朝 ラコツチイ マアチ クリスマスの夜 冬の送別
 真夜中の洗濯 五月のアトリエ 沙漠 落葉を浴びて立つ

 月報 根付の国 日夏耿之介 無題 吉野秀雄 山小屋の人 伊藤信吉

全6巻で刊行の『高村光太郎選集』第2回配本です。明治40年(1907)の「秒刻」から大正11年(1922)の「落葉を浴びて立つ」までの詩が、編年体で収められています。

しばらくの間、智恵子およびその故郷・福島二本松関連の話題が続くかも知れません。

今日は智恵子のソウルマウンテン・安達太良山にオープンした「「あ」の図書室」関連の報道を2本。

まず、業界紙『観光経済新聞』さん。

山頂駅に無料図書室をオープン 「あ」がモチーフ あだたら山ロープウェイ

 富士急安達太良観光(福島県二本松市)は11日、同社が展開するあだたら高原リゾートの「あだたら山ロープウェイ山頂駅」内休憩所をリニューアルし、「あ」をモチーフにした図書室をオープンした。文学にゆかりのある同地ならではの”静かな過ごし方”を提案。休憩室と展望室を兼ねた空間として、無料開放する。
 あだたら高原リゾートでは近年、グリーンシーズンの楽しみ方を拡充させる取り組みを展開している。2024年からは、「あだたらやま」の「あ」に着目した空間演出など、自然と遊び心を感じられる体験づくりを提供。山頂展望広場に設置された「あ」のオブジェはその代表作で、多くの来場者に親しまれている。
 今回新たにオープンする「あ」の図書室は静かな過ごし方を提案する空間として整備。高村光太郎の詩集『智恵子抄』に登場する「ほんとの空」の舞台として知られる安達太良山の山頂で本を手に取り、ゆったりとした時間を堪能できる。図書室には、詩集のほか登山などのアウトドア、 旅行、二本松市紹介関係の書籍が置かれている。
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「高村光太郎の詩集『智恵子抄』に登場する「ほんとの空」の舞台として知られる安達太良山の山頂」とありますが、正確には「安達太良山の山頂」ではありません。安達太良山系の薬師岳山頂ということで、ロープウェイは「山頂駅」と命名されていますが。安達太良山自体の山頂(標高1,700㍍)は、ここからさらに2時間ほど登ったところ。さすがに立派な建造物を建てるのは不可能でしょう。

続いて、TUFテレビユー福島さんのローカルニュース。

“ほんとうの空”の下で読書を…安達太良山の山頂駅に図書室オープン 福島

これから本格的な登山シーズンを迎えますが、それを前に、福島県の安達太良山の休憩所がリニューアルオープンです。この休憩所、空を見渡しながらあることを楽しめるそうです。

平岡沙理アナウンサー「きょうは雲一つない青空!気持ちいいですね!山頂駅にある休憩所がリニューアルしたということで、どんな施設に生まれ変わったのか行ってきます!」
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やってきたのは、標高1700メートル、日本百名山に数えられている安達太良山。早速ロープウェーに乗り、出発進行!といきたいところでしたが…高所恐怖症の平岡アナは若干苦笑い。それでも、ゴンドラに乗ると見える雄大な景色に、うっとりしています。

およそ10分、ロープウェーの旅を楽しんで山頂駅に到着!

平岡アナ「着きました!ちょっと怖かったです。行きましょう!気を取り直して!」

 「ほんとうの空」の下で、読書を
駅を降りて見えてきたのは、大きく書かれた「あ」の文字。ここが、新しくできた読書ラウンジ「あ」の図書室です。安達太良山の母音がすべて「あ」であることから、その名前が付けられました。
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4月11日にオープンしたこの図書室には、絵本や登山の本、さらにはマンガまで、およそ300冊がそろっています。こだわりは内装にも。
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平岡アナ「中は木が基調となっていて、この階段をのぼると、見てください!絶景が広がっています。柔らかな日差しも浴びられてとても心が落ち着きます」

安達太良山の空といえば、高村光太郎の妻・智恵子が愛した「ほんとうの空」。「あ」の図書室では、この「ほんとうの空」の下で、読書を楽しむことができます。大自然に囲まれた静かな空間で、登山や日々の疲れを癒してほしいという思いから、生まれました。
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東京から訪れた人「(この場所は)知らなくて、祖父がこっち出身で連れてきてもらいました。すごく景色も良くて来てよかったと思います」

新潟県から訪れた人「来てみてちょっとおもしろそうなのがあったから入ってみようかなという感じで、ゴンドラが真横に見えて、なかなか撮れないかなと思って」

「あ」の図書室は入場無料で、ゴールデンウィーク期間中の5月10日までは毎日営業しています。ぜひ皆さんも、静かな空間に癒されてみてはいかがでしょうか?図書室に行くまでのロープウェーは、別途料金がかかりますので詳しくはホームページでご覧ください。

二本松に足を運ばれる際は、ぜひお立ち寄りください。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 3 『高村光太郎詩集』創元選書

昭和26年(1951)9月15日 創元社 高村光太郎著
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目次
 明治四十年(一九〇七)
  秒刻 マデル 豆腐屋 博士 あらそひ
  敗闕録
   (一)われ千たび君を抱かむ (二)君を見き (三)遁れたる君は遣らばや
   (四)眠りてあれか眼覚めよか
 明治四十三年(一九一〇)
  Les impressions des oũonnas
   tu vois? le sourire cache l'absinthe pousse-pousse a la gum-wa 友よ
      Presentation 失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国  
 明治四十四年(一九一一)
  画室の夜 熊の毛皮 人形町 甘栗 庭の小鳥 亡命者 鳩 食後の酒 寂寥 侵蝕
  失走 縁日 狗ころ 祈祷 或日の午後 声 風 新緑の毒素 夏 頽廃者より
  「河内屋与兵衛」 髪を洗ふ女 「心中宵庚申」 なまけもの 手
  『おもひで』と『夜の舞踏』と 白昼の空気 金秤 はかなごと めくり暦
  地上のモナ・リザ 葛根湯 夜半 けもの あつき日 父の顔 泥七宝 恐怖
 明治四十五年(一九一二)
  青い葉が出ても 赤鬚さん あをい雨 友の妻 ――に  夏の夜の食慾 或る夜のこころ
  おそれ 犬吠の太郎 涙 からくりうた さびしきみち カフエにて 梟の族 冬が来る
  カフエにて 或る宵 夜 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ カフエにて
  師走十日 戦闘
 大正二年(一九一三)
  カフエにて 深夜の雪 人類の泉 人に 山 よろこびを告ぐ 現実 冬が来た 冬の詩
  牛 僕等 道程 愛の嘆美 群集に 婚姻の栄誦 万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ
  晩餐 五月の土壌 淫心 秋の祈
 大正五年(一九一六)
  わが家
 大正六年(一九一七)
  晴れゆく空 小娘 海はまろく 花のひらくやうに 歩いても 湯ぶねに一ぱい
  無為の白日
 大正九年(一九二〇)
  序曲 丸善工場の女工達
 大正十年(一九二一)
  米久の晩餐 雨にうたるるカテドラル かがやく朝 ラコツチイ マアチ
 大正十一年(一九二二)
  クリスマスの夜 冬の送別 真夜中の洗濯 五月のアトリエ 沙漠 落葉を浴びて立つ
 大正十二年(一九二三)
  樹下の二人 鉄を愛す Liluli 春駒 とげとげなエピグラム
 大正十三年(一九二四)
  氷上戯技 偶作 七 珍客 清廉 月曜日のスケルツオ
 大正十四年(一九二五)
  白熊 傷をなめる獅子 少年を見る 狂奔する牛 車中のロダン 葱 後庭のロダン
 大正十五年(一九二六)
  象の銀行 十大弟子 鯰 苛察 聖ジヤンヌ 夜の二人 雷獣 冬の奴 無口な船長
  滑稽詩 マント狒狒 象 森のゴリラ 北冥の魚 潮を吹く鯨
 昭和二年(一九二七)
  あなたはだんだんきれいになる 怒 偶作 四篇 母をおもふ 或る墓碑銘
  北東の風、雨 冬の言葉 ミシエル オオクレエルを読む 火星が出てゐる
  偉大なるもの 美を見るもの 「詩」
 昭和三年(一九二八)
  龍 あどけない話 同棲同類 何をまだ指しているのだ 存在 旅にやんで その詩
  彼は語る 二つに裂かれたベエトオフエン 花下仙人に遇ふ 天文学の話
  ぼろぼろな駝鳥 当然事 無限軌道 街上比興 さういふ友 あの音 夏書十題
 昭和四年(一九二九)
  北島雪山 古事一則 或る日 人生 ひとり酸素を奪つて 焼けない心臓 或る筆記通話
  触知 上州湯桧曽風景 無題 上州川古「さくさん」風景 冬 名所 昔話 無題
 昭和五年(一九三〇)
  のんきな会話 刃物を研ぐ人 耳で時報をきく夜 冷熱 孤坐
 昭和六年(一九三一)
  美の監禁に手渡す者 似顔 のつぽの奴は黙つてゐる 南極 蝉を彫る
 昭和七年(一九三二)
  非ヨオロツパ的なる レオン ドウベル 先生山を見る
 昭和八年(一九三三)
  晴天に酔ふ 首の座
 昭和十年(一九三五)
  人生遠視 風にのる智恵子 村山槐多 ばけもの屋敷 「藤島武二画集」に題す
  「悪魔の貞操」に題す
 昭和十一年(一九三六)
  もう一つの自転するもの 荻原守衛
 昭和十二年(一九三七)
  千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子 よしきり鮫 夢に神農となる 老耼、道を行く
 昭和十三年(一九三八)
  一艘の船が二艘になること 地理の書 山麓の二人 団十郎像由来 手紙に添へて
  子を産む書物
 昭和十四年(一九三九)
  レモン哀歌 芋銭先生景慕の詩 つゆの夜ふけに 初夏言志 亡き人に
  銅像ミキイヰッツに寄す へんな貧
 昭和十五年(一九四〇)
  梅酒 最低にして最高の道 秋風をおもふ 太子筆を執りたまふ
 昭和十六年(一九四一)
  荒涼たる帰宅 青年
 昭和十七年(一九四二)
  与謝野夫人晶子先生を弔ふ 三十年
 昭和十八年(一九四三)
  寒夜読書 救世観音を刻む人
 昭和十九年(一九四四)
  南瓜賦
 昭和二十一年(一九四六)
  雪白く積めり
 昭和二十二年(一九四七)
  山菜ミヅ 
  暗愚小伝
   家
    土下座 ちよんまげ 郡司大尉 日清戦争 御前彫刻 建艦費 楠公銅像
   転調
    彫刻一途 パリ
   反逆
    親不孝 デカダン
   蟄居
    美に生きる おそろしい空虚
   二律背反
    協力会議 真珠湾の日 ロマン ロラン 暗愚 終戦
   炉辺
    報告(智恵子に) 山林
  山のひろば
 昭和二十三年(一九四八)
  「ブランデンブルグ」 脱卻の歌 人体飢餓 東洋的新次元 山口部落 かくしねんぶつ
  クロツグミ 別天地
 昭和二十四年(一九四九)
  おれの詩 悪婦 岩手の人 若しも智恵子が 山からの贈物
 昭和二十五年(一九五〇)
  山荒れる 月にぬれた手 鈍牛の言葉 典型 クチバミ 元素智恵子 メトロポオル
  裸形
 案内 あの頃 吹雪の夜の独白 田植急調子 噴霧的な夢 女医になつた少女
  東北の秋
 昭和二十六年(一九五一)
  大地うるはし 人間拒否の上に立つ
 編纂覚え書 草野心平


編年体による、この時点で編纂者の草野心平が把握していた光太郎詩をほぼすべて網羅したものです。ただし、戦前・戦時中の翼賛的なものはほとんどカットしました。それ以外でも抜け落ちている詩篇はまだまだありましたが、それは心平の検索の網に引っかからなかったものでしょう。

広島市に本社を置く『中国新聞』さん。50周年を迎えたという文化面のコラム「緑地帯」で、過去に掲載されたもののアーカイブが掲載されているようです。3月には光太郎と交流のあった岡山県出身の詩人・永瀬清子のそれが載り、光太郎にも言及されていました。

先月末には、広島県出身の日本画家・奥田元宗で、「筆洗余滴」と題され、8回にわたって再掲されました。そのうち第6回で光太郎の書について触れられています。初出は昭和56年(1981)10月でした。

奥田元宋 筆洗余滴⑥私観書道(日本画家、1912~2003年)【緑地帯 半世紀のアーカイブから】008

 私が一番啓示を受けたのは高村光太郎の書である。光太郎の書は非常に鍛え上げられたもので、謹厳な内にも柔かさが内抱されており、黄庭堅の書にちかい。光太郎は黄庭堅が相当好きだったらしく、晩年には自分の部屋に伏波神詞の拓本を貼(は)っていたという。そのくらい心酔していた。
 それでいて書には光太郎自身が厳然と座しているのである。私は書には自信がない。若い時はずいぶん絵の箱書きで困った。落款(かん)は同じでいいが、箱書きの時は画題を書かなければならないわけだから簡単にいかない。
 大観先生を初めとして先達たちの箱書きは実に堂々として自信に満ち、立派である。それにくらべて自分のような悪筆はいったいどうしたらいいものだろうと思い悩んだが、ある時、光太郎の書論を読んでいると、前記の黄庭堅の書が非常に好きで習っているとあった。さっそく黄庭堅の法帖を求めて見ると、これが私の気分にもぴったりと、くるものがあった。
 それでへたな手習いを少しずつやってみたのである。そのせいか近来、年をとると書を書くことがそんなにつらくなくなって、むしろちょっとばかり楽しい面も出てきた。
 つまり、うまく書こうと思わないで、ただ自分自身の宿命に徹することを考え、たとえ下手でも自分自身の性格にさからわないように心がける。リラックスして紙に向かうことが出来、自分に納得すればいいと思うようになった。
 絵に没頭していると、ときどき絵そのものが見えなくなることがある。そんな時、私はいい書を見ることにしている。熱海美術館にある無準の「帰雲」という書が大好きだが、よい書を見ると自分の絵のうえの道もまたおのずと開けるような気がするのである。
 また池大雅の書が好きだが、その書を見ていると、何か心のつながりが、画家として共通の言葉を見い出して元気が出るのである。一点の書が私を大変勇気づけてくれることもしばしばである。
 書は一発勝負である。やり直しがきかない。書くらい直載(ちょくさい)に人間そのものが出てしまう芸術はない。その意味で書は非常にこわいものであると思う。やはり書は心の鏡なのだろうか。私は書は畢竟(ひっきょう)「道」だと思う。道はなまはんかの修業ではできるものではない。
(芸術院会員・日本画家)

光太郎と、中国北宋時代の書家・黄庭堅(山谷)との関わりについて語られています。奥田が読んだという「光太郎の書論」は、おそらく「黄山谷について」(昭和30年=1955)。この年に出た平凡社版『書道全集』第7巻の月報が初出です。
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この際ですので(どの際だ?(笑))全文を引用します。

 平凡社の今度の「書道全集」は製版がたいへんいいので見てゐてたのしい。それに中国のも日本のも典拠の正しい、すぐれた原本がうまく選ばれてゐるやうで、われわれ門外漢も安心して鑑賞できるのが何よりだ。
 今、このアトリエの壁に黄山谷の「伏波神祠詩巻」の冒頭の三句だけの写真がかかげられてゐる。「蒙々篁竹下、有路上壺頭」に始まる個所だ。多分「書道全集」の図版の原型になつた写真の大きな複写と思へるが、人からもらつた時一見するなり心をうたれて、すぐ壁にかかげたのである。それ以後毎日見てゐる。黄山谷の書は前から好きであつたが、この晩年の書を見るに及んでますます好きになつてしまつた。
 黄山谷の書ほど不思議な書は少い。大体からいつて彼の書はまづいやうに見える。まづいかと思ふとまづいともいへない。しかし普通にいふ意味のうまさはまず無い。彼は宋代に書家として蘇東坡、米元章と並んで三大家といはれてゐたが、他の二人とはまるでその性質がちがふ。東坡の書も米元章の書も実にうまい。まづいなどといふ分子はまるでない。どの一字をとつてみても巧妙である。そしてやはり唐代の余韻がある。新鮮ではあるが、唐代からの二王や顔真卿の縄張りをさう遠くは離れてゐない。どちらも妍媚だ。ところが黄山谷と来るとまるで飛び離れてゐる。黄山谷はむしろ稚拙野蛮だ。顔真卿の影響をうけてゐるといわれ、なるほどその趣もあるが、顔魯公よりも自由だ。勝手次第だ。一字ずつみると、その筆法は実に初心で、まるで習ひはじめの人のやうに筆をはねたりする。馬鹿にのんびりしてゐたり、又くしやくしやと書きつめる。線をたるんでゐるやうに書いたり、横に曲げたり、字のつづきも疎密にかまはない。行が片よつたり、字くばりがでこぼこだつたり、字の大小も方向も気にとめない。そして一々ぎゆつとおさへて書く。何しろひどく不器用に見える。
 それでゐて黄山谷の書は大きい。実に大きな感じで、これに比べると蘇東坡も米元章もなんだかよそゆきじみて来る。何よりも黄山谷の書は内にこもつた中心からの気魄に満ちてゐて、しかもそれが変な見てくれになつてゐない。強引さがない。よく禅僧などの墨せきにいやな力みの出てゐるものがあるが、さういふ厭味がまるでない。強いけれども、あくどくない。ぼくとつだが品位は高い。思ふままだが乱暴ではない。うまさを通り越した境に突入した書で、実に立派だ。彼の元祐年代頃の書と思ひくらべると、この「詩巻」の意味がよくわかる。
 朝、眼がさめると向ふの壁にかけてあるその写真の書が自然に見えるのだが、毎朝見るたびに、はつとするほどその書が新しい。書面全体からくる生きてるやうな精神の動きが私をうつ。この書が眼にはひると、たちまち頭がはつきりして、寝台からとび下りて、毎朝はじめて見るやうな思でその写真の前に立たずにゐられない。そして「蒙々篁竹下」とあらためてまた見る。吸ひよせられるやうな思で、「漢塁云々」まで来ると、もう顔を洗つたやうな気がする。まづいやうだなどといつては甚だ申しわけがない。それどころではないのである。尤もむかし王定国といふ人が彼の書を巧みでないといつたさうで、黄山谷自身も、この詩巻を書いた時は背中にできものができてゐて、手が思ふやうに動かないので字に成らなかつたといつたさうであるが、これはどうだか。手が動かうが動くまいが、こんな立派なものが書ければ申分ない。字に成らなかつたといはれるが、むしろその方がよかつたやうな気がする。殊にこの詩巻の自跋の数行はのびのびとしてゐて力強く、「水漲一丈、堤上泥深一尺」あたりの快さは無類である。随分癖のある書だが、それが少しもいやでなく、わざとらしくもない。そこがすばらしい。

かなり手放しの誉めようですね。しかしそれだけでなく、「まづいやうに見える。まづいかと思ふとまづいともいへない。しかし普通にいふ意味のうまさはまず無い」「内にこもつた中心からの気魄に満ちてゐて、しかもそれが変な見てくれになつてゐない。強引さがない」「強いけれども、あくどくない。ぼくとつだが品位は高い。思ふままだが乱暴ではない。うまさを通り越した境に突入」あたりには、彫刻にも通じる光太郎の芸術観――そのあるべき姿、理想――が表現されているように思われます。

黄山谷の書の複製をアトリエの壁に掛けてあったというのですが、亡くなった昭和31年(1956)の写真に写り込んでいました。左上の部分です。
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その山谷の書に見守られるように、光太郎自身も筆を執って箱書きをしています。交流の深かった美術史家の奥平英雄に贈った画帖「有機無機帖」のそれでしょう。余談ですが、脚に掛けているのは大正末か昭和初め、智恵子にせがまれて買ったイギリスの染織工芸家、エセル・メレ作のホームスパン毛布と思われます。

壁の複製は平凡社の『書道全集』刊行に際し作られたものの冒頭部分と考えられます。第7巻には「黄山谷について」が掲載された月報とともに、その全巻複製の広告も挟まっていました。
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全長二丈三尺三寸五分(7メートル超)、当時の価格で6,500円ですので、かなり高価でした。

奥田元宋の日本画も、紅葉を題材とした作品が有名ですが、どちらかというと奇を衒わない王道の、それでいて十分に個性の発揮されたものと思います。

奥田にとどまらず、そういう作風をよしとするさまざまな作家たちに与えた光太郎の影響の大きさを、しみじみと感じさせられました。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 2 『高村光太郎選集 Ⅲ 芸術論 上』

昭和26年(1951)9月1日 中央公論社 高村光太郎著
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目次
 オオギユスト ロダン ミケランジエロ・ブオナローティ 現代の彫刻 美の日本的源泉
 素材と造型
 造型小論
  彫刻十個條 彫刻鑑賞の第一歩 彫刻性について 自分と詩との関係
  ミケランジエロの彫刻写真に題す 能の彫刻美 能面の彫刻美 九代目団十郎の首
  戒壇院の増長天 唐招提寺木彫如来像 十大弟子 江戸の彫刻 木彫地紋の意義
  彫刻の方向
 月報
  兄のプロフイル 高村豊周 この源泉に汲まん 中村草田男 随所彫刻 菊池一雄

全6巻で刊行された『高村光太郎選集』第1回配本です。奥付等に記載がありませんが、編集に当たったのは当会の祖・草野心平。掲載作品の採録には、戦前からの光太郎ファンだった故・田口弘氏が作成したスクラップブックも活用されました。

開催中の企画展示についての報道を2件。

まずは京都から、『京都新聞』さん記事。

裂、糸、色… 染織家・志村ふくみさんの創作を支える言葉たち 根底にある思いは

  細見美術館(京都市左京区)で開催中の特別展「志村ふくみ 百一寿 -夢の浮橋-」では、紬織(つむぎおり)の人間国宝・志村ふくみさん(101)にまつわる数々の「言葉」に触れられる一角がある。
 作品の制作過程で生まれた「裂(きれ)」や紬織の根底をなす「糸」、自然が生み出す「色」…。随筆家でもある志村さんはそれらが持つ意味を、言語化して人々に伝えてきた。そして、詩人や歌人、文学者らが残した言葉に刺激を受け、活動の糧としてきた。
   志村さんの世界観を紹介する展示室に足を踏み入れると、詩人・高村光太郎(1883~1956年)が1932(昭和7)年に詠んだ詩「五月のウナ電」を志村さんが筆で写し、大小さまざまな裂で彩った作品が目に入る。ウナ電とは、かつてあった緊急電報のこと。宇宙から地球上のさまざまな動植物に向け、それぞれの生を謳歌(おうか)するよう警告を発する内容だ。
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高村光太郎の詩「五月のウナ電」を志村さんが自らの筆と裂で表現した作品

 今回の展示にゲスト企画者として携わった芸術学校「アルスシムラ」講師で、志村さんの弟子でもある染織家の外山もえこさんは「(志村さんは)この詩を人間への警告と受け取ったようです」と言う。自身の作品は自然の持つ命をいただいてできている、との信念を持つ志村さんならではの着眼点が表れていると言えるだろう。
   展示室には、志村さん自身が紡いだ言葉の自筆作品やパネルも並ぶ。裂は「糸のあわいから、響いては消えてゆくかすかなさざめきが、聞こえるかも知れない」。蚕がもたらす糸は生きていて、「抱きしめたいほどにいとし」く、色は「木の精なのです」(いずれも随筆集「一色一生」より)。志村さんが箱に収めてきた小さな裂も展示されている。
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志村さんの詩「裂によせて」の自筆作品

 2014年の随筆「冬の湖」は、生まれ故郷である湖国の自然への賛歌だ。JR湖西線に揺られて見た、枯れた葦(あし)と琵琶湖、雪。3者が織りなす色の対比を、「藍と金と白に立ち昇るのだ」と表す。
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故郷である滋賀の風景が放つ「色」を表した随筆

 特別展は5月31日まで。午前10時~午後5時。有料。5月4日を除く月曜と5月7日は休館。同館と京都新聞の主催。

細見美術館さんで開催中の特別展「志村ふくみ 百一寿 ―夢の浮橋―」の紹介です。

光太郎詩「五月のウナ電」(昭和7年=1932)をモチーフとした裂(きれ)。令和5年(2023)、都内の銀座大黒屋ギャラリーさんで開催された「志村ふくみ氏・洋子氏母子の作品展示販売会 五月のウナ電」の際にも展示されたものです。

続いて都内、『朝日新聞』さん。こちらは文京区立森鷗外記念館さんで開催中の特別展「近代文学でよむ文(ふみ)の京(みやこ)の坂と名所」について。

森鷗外や樋口一葉が表現した坂 森鷗外記念館で春の特別展

 文京区内の坂や名所について描写された、明治から昭和初期の近代文学が展示されている。
 森鷗外記念館(文京区)で春の特別展「近代文学でよむ文の京の坂と名所」が11日から開かれている。区内に数多くある坂や名所がどう描かれてきたのかに着目し、実際の地図に落とし込んで紹介する展示もある。6月28日まで。
 「坂の上に出た。地図では知れないが、割合に幅の広いこの坂はSの字をぞんざいに書いたように屈曲して附いている」。森鷗外は「青年」で根津神社の周辺をこう表現した。他にも樋口一葉や永井荷風らが表現した、区内17カ所の名所や坂の当時の情景を、一節を通して紹介する。
 展示の後半では、森鷗外がかつて暮らした千駄木に焦点を当てる。鷗外のほかにも高村光太郎や夏目漱石、江戸川乱歩なども住んでいたとされ、それぞれの作品からかつての町の様子や人々の暮らしを読み解くことができる。
 同館司書の岩佐春奈さんは「すでに行ったことのある坂や、よく歩く坂について、当時と現在との違いを楽しめる。また、展示をきっかけに興味を持った場所にこれから出かけてみるのもいいのでは」と話す。
 観覧料は600円。問い合わせは同館(03・3824・5511)へ。
009 010
この手の報道を見て「こんなんやってたんか? じゃぁ行ってみよう」という向きも少なからずいらっしゃるはずですので、ありがたいところです。

まだという方、こんなんやってるんで、じゃあ行ってみて下さい(笑)。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 1 『高村光太郎詩集』

昭和22年(1947)7月5日 鎌倉書房 草野心平編
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目次
 Ⅰ
  寂寥 新緑の毒素 はかなごと 父の顔 さびしきみち 戦闘 道程 万物と共に踊る
  秋の祈 小娘 序曲 米久の晩餐 かがやく朝 雨にうたるるカテドラル 沙漠
  冬の送別 五月のアトリエ 鉄を愛す 無口な船長 火星が出てゐる 氷上技戯 葱
  触知 晴天に酔ふ 冷熱 偶作十二 少年を見る 或る墓碑銘 冬の奴 怒 母をおもふ
  冬の言葉 刃物を研ぐ人 花下仙人に遇ふ 街上比興 その詩 首の座
 Ⅱ
  クリスマスの夜 ラコッチイ・マアチ 車中のロダン 後庭のロダン 聖ジャンヌ
  十大弟子 旅に病んで 存在 耳で時報をきく夜 村山槐多 レオン ドウベル 南極
  つゆの夜ふけに 芋銭先生景慕の詩 老耼、道を行く
 Ⅲ
  清廉 傷をなめる獅子 苛察 雷獣 龍
 Ⅳ
  人類の泉 僕等 愛の嘆美 晩餐 樹下の二人 鯰 夜の二人
  あなたはだんだんきれいになる 同棲同類 美の監禁に手渡す者 山麓の二人
  ばけもの屋敷 風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子 レモン哀歌
  荒涼たる帰宅 亡き人に 梅酒
 覚書 草野心平

比較的長期に亘る作品群から、主として光太郎以外の人物がセレクトして編んだものを『選集等』としてご紹介していきます。

まずは光太郎単独のものからですが、意外といえば意外、戦後になるまで、光太郎単独でのこの手のものは出されていませんでした。3人で一冊、とかはありましたが。

編集は当会の祖にして最も光太郎と親しかった詩人と言える草野心平でした。心平はこの後、何度もこの手の出版に携わっていきます。

本来はカバー付きですが、当方手持ちの者は裸本です。

福島県二本松市。4月23日(木)から智恵子生家/智恵子記念館さんで「令和8年度 高村智恵子生誕祭」が開催されていますが、その関連で。

まず智恵子生家/智恵子記念館さんと同じ旧安達町にある道の駅安達智恵子の里さんでのタイアップ的なイベント。

銘産コーナーより、5月の智恵子生誕祭のお知らせ

5月20日は「高村智恵子」の誕生日です!

銘産コーナーでは、5月のお菓子フェアを開催
5/1(金)~5/31(日)まで

~5月だけの限定商品もたくさんあります~
〈まつもと〉ねこどらレモン 〈星野屋〉レモン大福 〈虎屋〉ワッフルレモン味
智恵子のサブレ、レモン飴などなど盛沢山!
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手書きのPOP、温かみがあってなかなかいいと思います。

菓子処まつもとさんの「ねこどらレモン」はこんな感じ。
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智恵子のサブレ」は道の駅安達さんのオリジナル商品だそうです。どうりで高速のSAなどで見かけないなと思っていました。
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他にPOPにはありませんが、チーズケーキ工房&カフェ風花さんの新商品「ほんとの空サイダー」も道の駅安達さんで取り扱いを始めたそうです(東北自動車道安達太良SAでも)。

智恵子生家/智恵子記念館さんでの「令和8年度 高村智恵子生誕祭」そのものに関しては、『広報にほんまつ』の今月号で大きく紹介されています。先月号でもほぼ同じ内容の紹介がありましたが、今月も。
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同じ今月号では、智恵子のソウルマウンテン・安達太良山の山開き(5月17日(日))に関しても智恵子がらみで紹介されていますが、そちらはまたのちほどご紹介します。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)1 『彫刻真髄』

明治44年(1911)4月20日 博文館 荻原守衛著
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目次
 荻原守衛君小伝
 論説
  欧洲美術界の趨勢 仏国彫刻界 ロダンと埃及彫刻 義太夫と彫刻
  予が見たる東西の彫刻 談話の一節 彫刻芸術の大勢 成就院に遊ぶ 談片
  解剖学のはなし 迷へる青年美術家 信仰と美術との関係 芸術修業苦心談
  オランダの旅 
フロレンスの美術館を観る 公設展覽会評 東京市の銅像を論ず
  日本現時の彫刻界 
美術展覽会所感 彫刻家の見たる美人
  日本現代の彫刻は西洋のイミテエション
 荻原守衛氏 書籍等の跋文
  帰朝後の塑像製作年表 絵画制作年表
 側面観
  碌山荻原守衛君 井ロ喜源治   家庭に於ける荻原オヂサン 中村黒光
  荻原守衛君に就て 中村不折   故荻原守衛君に就て 柳敬助 
  同 戸張孤雁          死んだ荻原君 高村光太郎
  荻原守衛氏 小山菊野      荻原守衛君の追懐 齊藤与里
  四則 信濃毎日新聞       荻原君に就ての記臆 ウオター パック
  有の儘 戸張孤雁        新帰朝の青年美術家 東京朝日新聞
  木像の批評 中村星湖      荻原君のアトリエ 成功
  休憩室 相馬御風        故荻原守衛君追悼記 犀水生

「本人著作(部分)」の項でいの一番に紹介すべき書籍でしたが、失念していました。そこで昨日までのこの項の番号は訂正しました。

前年に急逝した光太郎の親友、碌山荻原守衛の一周忌にあわせての出版です。前半は生前の守衛が雑誌等に発表した文章や守衛に対する聞き書きで「論説」。後半の「側面観」が光太郎のそれを含む周辺人物の守衛評などです。

光太郎の「死んだ荻原君」は書き下ろしではなく、前年の雑誌『方寸』に発表された「死んだ荻原守衛君」の改題転載です。

北鎌倉から句集が届きました。光太郎のすぐ下の妹・静子(しづ)が詠んだ句を集めたものです。静子令孫にして彼の地でカフェ兼ギャラリー「笛」を切り盛りなさっている山端加寿子様よりの贈り物です。ありがたし。

山端静子句抄 明月谷

発行日 : 2026年4月2日
著者等 : 山端静子 著 山端加寿子 撰 石黒敦彦 解説 薯版画/装幀 山室眞二
版 元 : シンジュサン工房
定 価 : 非売

目 次 :
 口絵 写真 山端家の庭にて 1951年(昭和26年)8月12日
    山端静子より高村光太郎宛書簡 昭和22年(1947)7月12日
 祖母・山端静子と過ごした日々 山端加寿子
 明月谷
 解説・谷の年代記 石黒敦彦
 薯版静子句抄

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静子(しづ)は光太郎の3歳下で、智恵子と同じ明治19年(1886)生まれ。髙村家次男たる道利と双子でした。
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左から道利、静子、光雲、光雲に抱かれている三男・豊周、そして光太郎。光太郎の上に姉が二人いましたが、いずれも早世しています。

静子は明治37年(1904)頃、印刷業などをしていた山端寅三と結婚、戦前は現在の幡ヶ谷あたりに居住、寅三は当時の豊多摩郡代々幡町議会議員なども務めました。ちなみに寅三は光太郎の義弟ということになりますが、明治11年(1878)の生まれで、同16年(1883)出生の光太郎より年長でした。

戦災の関係もあって、山端家は戦後の昭和22年(1947)、北鎌倉明月谷に移転、静子は昭和34年(1959)に亡くなるまで彼の地に暮らし続けました。その間に令孫・加寿子様がお生まれになっています。

静子は、北鎌倉移転後、鶴ヶ岡八幡宮に近い杉本寺の住職も勤めた僧侶にして俳人の尾崎迷堂に師事、本格的に句作に取り組むようになりました。迷堂は水原秋桜子の系譜に連なり、句誌『えから』『ぬなは』などを主宰していました。

その句会が山端邸で行われたこともあったようです。平野たまみ氏「俳人・尾崎迷堂の研究(二)――その生涯と事蹟を辿る――」(『愛媛国文と教育』第14・15合併号 昭和58年 愛媛大学教育学部国語国文学会)中の、昭和26年(1951)の項から。

 迷堂の還暦祝賀会は、八月十九日、鎌倉市明月院谷戸にある山端静子居で行われた。山端静子は、「えから」時代からの迷堂の門人である。高村光太郎の実妹である彼女は、迷堂庵にもよく出入りしているが、そこでの会話は、俳句の事以上に、兄や兄嫁智恵子の話が多かったらしい。
  帰り花智恵子のことも聞かせけり  迷堂(昭和三五・一二“悼山端静子さん”より)
からも伺う事ができる。


さて、『明月谷』。静子の句が100句近くまとめられています。昭和22年(1947)頃から亡くなった同34年(1959)までのもの。静子64歳から76歳となっています(若干、年齢の換算が合っていないような気がしますが)。「抄」と冠されていますので、選集的な。加寿子様の撰です。

彼の地の風物を思い起こさせ、しみじみとさせられる句、思わずくすりとさせられる句など、さまざまですが、全体にかなり自由闊達に詠まれています。寡聞にして存じませんが、師の尾崎迷堂がそうだったのでしょうか、季重なりなど気にしていない句も目立ちます。

昭和31年(1956)4月2日、実兄の光太郎が没しましたが、その折と思われる句も。

 雪を着て一輪椿落ちにけり
 あな悲し永久の別れの卯月とは
 悲しみを更に大裸像冴え返る
 玉の緒のたえて兄妹春永久に


「雪を着て」は光太郎の没した日が季節外れの春の大雪だったことにちなみます。「大裸像」はアトリエにその石膏原型が遺されていた光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」。繰り返される「永久」の語はこの場合「とわ」と読むのでしょう。

他にも後年、光太郎忌日・連翹忌に題を採った句も。

 連翹や亡兄の好む黄の佳けれ

その他、夫の寅三が亡くなった際の句や、令孫・加寿子様を詠んだ句、上記の尾崎迷堂還暦句会の詠なども。

本文以外に、別刷り無綴じで、お近くにお住まいだという版画家の山室眞二氏の手になる薯版によるカード的な感じで8葉。上記「雪を着て……」の句も含まれていました。
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静子句の前後には、加寿子様による「祖母・山端静子と過ごした日々」、やはりお近くにお住まいで光太郎と交流の深かった詩人・尾崎喜八令孫の石黒敦彦氏による解説が附され、理解の手助けとなっています。

それらによれば、尾崎喜八がすぐ近所に引っ越してきたのは本当に偶然だったそうで、それも昭和41年(1966)。したがってこの地で喜八と静子が顔を合わせることはなかったそうです。また、「明月谷」のタイトルで分かる通り、山端家、尾崎家ともあじさい寺として有名な明月院さんと同じ谷戸ですが、そのアジサイは喜八の進言で植えられ始めたとのこと。それは存じませんでした。喜八の墓は明月院さんにあります(通常非公開)。また、やはりこの地で暮らし、光太郎と交流のあった詩人・伊藤海彦などとの縁についても。

同封されていたカフェ兼ギャラリー「笛」さんの案内フライヤー画像を載せておきます。毎年秋には光太郎・喜八展的な展示が為され、近年はその一環で朗読会も行われています。今年も予定に入っているようです。
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ご興味おありの方、ぜひ「笛」さんに足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)36 『光太郎智恵子』増補版

昭和43年(1968)1月5日 龍星閣 高村光太郎 高村智恵子著
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目次
 高村光太郎篇
  詩 散文
  書簡
   高村(長沼)智恵子 長沼今朝吉 長沼せん子 長沼せき子 長沼修二 齋藤せつ子
   柳八重子 水野葉舟 中原(曽我・小野)綾子 更級源蔵 秋廣あさ子 真壁仁
   宮崎稔 難波田龍起 富士正晴
 高村智恵子篇
  詩 散文
  書簡
   長沼御両親 長沼せん子 長沼修二 齋藤新吉 せつ子 柳八重子
 補遺


一昨日ご紹介した初版(昭和35年=1960)刊行後に発見された書簡9通が補われています。

4月29日(水)、文京区の千駄木・根津を後に、地下鉄を乗り継いで日本橋人形町に向かいました。

続いての目的地は日本橋社会教育会館さん。
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複合施設で、1階から5階までが中央区立日本橋小学校さん、6・7階に区立図書館さんが入り、8・9階でホール、さらに会議室に使える部屋など公民館的な機能も付帯されています。この日は祝日でしたので、小学校の授業はありませんでした。

ちなみにこの場所、明治はじめには西郷隆盛邸だったそうで。
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ホールで行われた「一龍齋貞奈芸歴10周年記念講談会」で、智恵子を主人公とした講談を拝聴に参上したわけですが、この日は午前中から貞奈さんの所属されている事務所・オフィス10さんの10周年祭りということで、さまざまな演目が行われていました。10周年祭り自体は5月6日(水)まで7日間にわたって続き、毎日複数の高座がかかります。
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無題
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ホールの緞帳。安藤広重の東海道五拾三次「日本橋」があしらわれていました。粋ですね。
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少し早く着いたので、ホールのホワイエで開場を待っていたところ、フリーアナウンサーの早見英里子さん、朗読家の出口佳代さんのユニット「ERIKO&KAYO」のお二人がいらっしゃいました。いらっしゃるとは聞いていませんでしたが、早見さんは昨年、御茶ノ水で開催された「夏の太陽講談会 読めなかった講釈を読もう〜」にもいらしてましたので、不思議はありませんでした。出口さんは講談初体験だとのこと。せっかくですので並んで座らせていただきました。
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さて、開演。

まずはオープニングアクト的に、MC的なこともなさった神田蓮陽さんによる「越の海」。江戸時代に実在した小兵力士・越の海勇蔵を主人公とした古典的な講談でした。若手の神田さん、実に初々しい感じで、「勉強させていただきます」とおっしゃって始められたあたり、好感が持てました。

続いてメインの貞奈さんで「智恵子の恋」。昨年初披露された新作で、明治34年(1901)、智恵子が福島高等女学校に進む頃から大正3年(1914)に光太郎と結婚披露を行うまでの内容。智恵子視点で、口数は少ないながらウィットに富み、負けず嫌いな一面も併せ持っていたその姿が生き生きと、そしてけっこうコミカルに語られました。当時としては珍しかった高等女学校進学や、ましてや県で1人とか2人とかの女子大学校入学を両親にお願いする場面、一学年上の平塚らいてうとのテニス対決、光太郎と知り合う以前、太平洋画会での宮崎与平・渡辺文子との三角関係など。

昨年の初演時よりもアップデートされていた部分もあり、なるほど、と思わせられました。

ここで仲入り(休憩)、そしてワンクッション。ゲストのラバーガールのお二人によるコントが3本。貞奈さんがお二人のコントをYouTubeで何本もご覧になってツボにはまり、ぜひ出演してくれと交渉なさったそうです。

笑えました。自分の隣に座っていた出口さんは、早見さんに「佳代ちゃん、笑いすぎ」とつっこまれるほど笑っていました(笑)。

そして再び貞奈さんで、後半「智恵子の変」。光太郎との結婚披露から、昭和13年(1938)の逝去まで。前半の「恋」が「変」に代わり、シリアスな面が強調されました。「変」はその変化の「変」、それから智恵子の精神に起こった「異変」の「変」、さらに生涯の仕事と定めた油絵を「私ならいいものが描ける」とする自分と「私には描けるわけがない」とするもう一人の自分との闘いとしての「変」(「応天門の変」、「本能寺の変」、「禁門の変」などの「変」です)という意味もあるのかな、などと思いながら拝聴しました。

貞奈さんご自身、野田秀樹氏脚本で大竹しのぶさんの一人芝居として初演された「売り言葉」(平成14年=2002)からインスパイアを受けたとおっしゃっていましたが、確かに講談と云うより一人芝居という感じが強かったように思われました。

実家の裕福だった造り酒屋の破産、家族の不祥事や病没、そして自身の油絵の停滞、さらには光太郎との貧困生活など、さまざまな要因が絡み合って徐々に毀れていく智恵子が語られます。しかし、「売り言葉」ほどには光太郎をディスる感じではありませんでした。確かに光太郎の対応にはいろいろ問題があったのも事実ですが、それをあまりにも前面に押し出し、光太郎の犠牲になった智恵子、とされると「何だかなあ……」ですが、そうなっていなかったので良かったと思いました。

ただ、貞奈さんご自身「まだまだ荒削りで」とおっしゃっていましたし(確かにそういう感は否めませんでした。無理もありませんが)、細かなエピソードなどよく調べてらっしゃると感心させられたもののところどころ史実と異なったり(以前はそれが定説だったりした部分ですが)、こういうエピソードも入れればいいのに、という点もありました。そのあたり、今後さらによりよいものにエボリューションして行っていただきたいものです。

終演後、ラバーガールのお二人と貞奈さん。
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さらに会場が捌けた後で「ERIKO&KAYO」のお二人と。
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ご出演の方々などの、今後のさらなるご活躍を祈念いたしてレポートを終わります。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)35 『光太郎智恵子』特装版

昭和35年(1960)11月10日 龍星閣 高村光太郎 高村智恵子著
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目次
 高村光太郎篇
  詩 散文
  書簡
   高村(長沼)智恵子 長沼今朝吉 長沼せん子 長沼せき子 長沼修二 齋藤せつ子
   柳八重子 水野葉舟 中原(曽我・小野)綾子 更級源蔵 秋廣あさ子 真壁仁
   宮崎稔 難波田龍起 富士正晴
 高村智恵子篇
  詩 散文
  書簡
   長沼御両親 長沼せん子 長沼修二 齋藤新吉 せつ子 柳八重子

昨日ご紹介した8月に出た初版と紙型は同一ですが、二重函、三方金朱箔押装で表紙は「総丸革白最上羊皮」。限定60冊の刊行でした。

昨日は都内に出ておりました。

メインは日本橋人形町で開催された講談の公演「一龍齋貞奈芸歴10周年記念講談会」でしたが、その前に文京区千駄木の区立森鷗外記念館さんでの特別展「近代文学でよむ文の京の坂と名所」を拝観しましたので、まずはそちらからレポートいたします。

6月6日(土)には本展監修に当たられている東海大学さんの大木志門教授による関連行事としてのご講演「文京から花開いた文学散歩―野田宇太郎と観潮楼を起点に」があり、申し込んでいるのですが、抽選に当たるかどうか分かりませんし、何より早く見ておきたいと考えまして、昨日お邪魔しました。

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明治24年(1891)から東京美術学校の教壇に立った鷗外。光太郎もその講義を聴き、卒業後も交流は続きました。光太郎はこの場所にあった鷗外自邸の観潮楼での歌会に参加したこともありますし、それから大正6年(1917)には酔ったはずみで鷗外の悪口を披瀝(光太郎は否定していますが)、それを聞きつけた鷗外にここに呼び出され、こっぴどく怒られました。呼び出される直前に光太郎が送った釈明の書簡が新たに出て来て、同館で令和4年(2022)に開催された特別展「鷗外遺産~直筆原稿が伝える心の軌跡」で展示されたこともありました。

そんなこともありつつも鷗外は光太郎の才を買い、明治42年(1909)の光太郎の徴兵検査では手心を加え(鷗外は軍医総監でしたので)、徴兵免除にしてやっています。光太郎の父・光雲が裏で手を回したようですが。

エントランスでは鷗外先生がお出迎え。地下展示室のホワイエでも。
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光太郎の魂を背負って歩いていると自負する当方としては、自身が怒られているようで思わず「すみません」と心の中で謝ってしまいます(笑)。

右上はオンラインゲーム「文豪とアルケミスト」中の鷗外。配信元のDMM GAMESさんとのタイアップ企画で、他にも光太郎、鷗外、室生犀星、江戸川乱歩の等身大パネルも門番のように佇んでいます。
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中央は武石弘三郎作の鷗外像。

さて、展示を拝見。

最近、ちょっとしたブーム(これも「文豪とアルケミスト」などの影響があるようですが)の文学散歩的な要素を前面に押し出し、文京区内の「坂」と「名所」を古写真や錦絵などを使って紹介し、そこを題材とした近代文学作品の一節をパネルに印刷、掲載誌なども並べるという構成です。

「坂」は、この場所である団子坂をはじめ、無縁坂、切通坂、富坂、庚申坂、切支丹坂。「名所」は根津神社、東京帝大、森川町、湯島天神、本郷三丁目、お茶の水、江戸川(神田川)、砲兵工廠、牛天神、蒟蒻閻魔、伝通院、護国寺、小石川植物園、吉祥寺、そしてこの場所・千駄木。

その作品の一節等が使われたのは、鷗外を筆頭に、石川啄木、泉鏡花、江戸川乱歩、尾崎紅葉、川端康成、北原白秋、幸田露伴、佐藤春夫、志賀直哉、島崎藤村、高浜虚子、谷崎潤一郎、田山花袋、寺田寅彦、徳田秋声、徳永直、永井荷風、中野重治、夏目漱石、野上弥生子、樋口一葉、二葉亭四迷、正宗白鳥、宮本百合子、武者小路実篤、室生犀星、森田草平、横光利一、吉井勇、吉屋信子、若山牧水、そして我らが光太郎。かなりの人数です。文京区おそるべし、と思いました。

しかしこれ以外にも、文京ゆかりの文人はまだまだいます。思いつくまま挙げてみれば、犀星との関係で萩原朔太郎もこのあたりを訪れていますし、大正10年(1921)には国柱会がらみで宮沢賢治が本郷菊坂に居住、平塚らいてう(森田草平の『煤煙』で少し紹介されましたが)は駒込曙町で育ち、観潮楼のすぐ近くで『青鞜』を創刊しました。さらに当会の祖・草野心平は光太郎アトリエ兼住居にいりびたって時にはゲロを吐いて酔いつぶれたり(笑)……。他にも坪内逍遥、中里介山、林芙美子あたりも足跡を残しているはず。まぁ、「坂」や「名所」に関する紹介すべき適当な文章が見つからないというようなこともあるのかもしれませんし、きりがないということにもなるかもとも思いました。

光太郎については、主に3ヶ所。

まずアトリエ兼住居のあった千駄木の項で、詩「平和時代」。初出の『文藝春秋』第6巻第1号(昭和3年=1928)で掲載ページを開いての展示でした。
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   平和時代

 冬の夕方そとを歩くと、
 あの妙につやのある銀盤性の空に、
 もう星がぱらぱらと見えかかり、
 下界では何処ともなくどんよりただよふ
 青やかな焚火のけむりの薄靄が、
 路の隙間といふ隙間を埋めてゐる。
 電燈の球がだいだい色に色めく頃には、
 駒込千駄木林町に、
 ちよつと人通りが途絶えるものだ。
 さういふ時こそ、002
 通りすがりの垣根ごしに、
 ふつと鋤焼のにほひがしたり、
 又少しゆくと、往来のまんなかに、
 一塩らしいさんまの匂が流れて来たり、
 そこらの下水から石鹸(シヤボン)くさい湯気が立つてゐたり、
 いろんな親密な生活にめぐり合ふ。
 つきあたると坂になるから、
 あの上から又下町の灯を見て来ようとつい思ふ。

 平和な間にこそ可憐な姿は見て置かうと。

最終行「平和な間にこそ……」は草稿では抹消されています。

当時の千駄木界隈の様子がよくあらわされています。この十数年後には米軍による空襲でこの一帯は火の海となり、光太郎アトリエ兼住居も、鷗外の観潮楼も烏有に帰すことになるのですが。

同じく千駄木の項で、随筆「美術学校時代」から。

僕の住居は矢張り今の林町だつたが、まだあの辺一帯は田畑や竹藪で道の両側は孟宗竹が密生してゐた。(略)学校にも近いので都合はよかつたが、あの団子坂などが昔は随分と急な坂で人力車などは上ることが出来なかつた。やうやく上つても今度は下りる時には止まらない。命がけで上つたり下りたりするような坂であつた。下の谷中道の両側はずつと田圃になつてをり、山岡鉄舟の全生庵等があつた。毎年秋になると団子坂は菊人形で賑はつた。森鷗外先生はその頃から団子坂上の藪下といふ所に居られて馬に跨つて通つて居られるのを見かけた。

ちなみに「美術学校時代」、『高村光太郎全集』完結時には初出掲載誌不明でしたが、昭和17年(1942)の雑誌『知性』第5巻第9号が初出と判明しています。展示はこの文章の載った光太郎随筆集『某月某日』(昭和18年=1943)でした。

それから明治37年(1904)の美校在学中の日記「彫塑雑記」の一節。

昨夕加藤景雲氏に誘はれて約束したる通り朝八時加藤氏と二人新小金井の名ある江戸川ぶちなる花をながめて観世の月並能を見にゆく。

加藤景雲は光雲高弟の一人、「江戸川」は現在の神田川です。

他にも解説パネルに光太郎の名が数ヶ所。それから、二つある展示室をつなぐ通路には、光太郎を含め、上記の今回取り上げられた30名ほどの肖像写真と略歴。同じものは図録にも載っていました。閉口したのは光太郎の項の最後に「同(明治)42年には駒込動坂町に住んだ」とあったこと。大間違いです。そのような事実はありません。

どうも智恵子と混同してしまったようです。智恵子はそれ以前に入居していた日本女子大学校の卒業生用の楓寮が閉鎖となり、同郷で同窓だった幡ナツが、自分も下宿していた日本画家の夏目利政宅に智恵子が住めるよう計らってくれました。その夏目家が動坂町でした。

来館者アンケートに上記の件を書いて専用ポストに入れておきましたが、図録はともかくパネルは訂正されるかどうか……というところです。無地の白いシールでも貼って抹消していただきたいのですが。

図録がこちら。
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60ページほどで、あまり厚くもなくコンパクトにまとまっていて、価格も880円と良心的です。

展示品の図版以外にも、監修に当たられた東海大学さんの大木志門教授の玉稿、見開きで綴じ込まれた紹介されている「坂」「名所」のマップなど、なかなかのものです。

拝観後、展示でも紹介されていた根津神社さんまで足を伸ばしました。
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「文京つつじまつり」が開催中(今日まで)で、たくさんの出店(でみせ)が。ただ、花の見頃はもう過ぎてしまっている感じでした。
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こちらには、観潮楼以前に鷗外が暮らした家屋が移築され、「舞姫の家」として公開されています。
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元はホテルが所有、泊まれるプランなどもありましたがホテルが廃業。移転に関してはいろいろすったもんだがあったようですが、とにもかくにも残されたのは良かったと思います。

当方も関わっている光太郎終焉の地・中野区の中西利雄アトリエは残念ながら現地保存は成らず、マンション建設のため解体されました。
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しかし消滅というわけではなく、部材は保管、「舞姫の家」同様、移築という方向で動いているところです。いずれよい報告ができることを願って已みません。

この後、日本橋人形町へ。続きは明日。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)34 『光太郎智恵子』

昭和35年(1960)8月31日 龍星閣 高村光太郎 高村智恵子著
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目次

 高村光太郎篇
  詩 散文
  書簡
   高村(長沼)智恵子 長沼今朝吉 長沼せん子 長沼せき子 長沼修二 齋藤せつ子
   柳八重子 水野葉舟 中原(曽我・小野)綾子 更級源蔵 秋廣あさ子 真壁仁
   宮崎稔 難波田龍起 富士正晴
 高村智恵子篇
  詩 散文
  書簡
   長沼御両親 長沼せん子 長沼修二 齋藤新吉 せつ子 柳八重子

「本人著作(部分)」の項、光太郎が没した昭和31年(1956)までのものとするつもりでおりましたが、この書籍のみは別格で例外とします。

『智恵子抄』『智恵子抄その後』の版元の龍星閣で、それらの補遺というか裏面史というか、そういう意図で編みました。主に光太郎智恵子から諸方に送られた書簡がメインです。上記目次の名前はその宛先です。光太郎智恵子への来翰ではありません。



光太郎にちらっと言及されている新刊書籍を2冊。

刊行順に、まず小説家の五木寛之氏と元外交官・佐藤優氏の対談です。

一寸先は闇

発行日 : 2026年3月25日
著者等 : 五木寛之 佐藤優
版 元 : 幻冬舎(幻冬舎新書)
定 価 : 940円+税

2025年12月25日——昭和が始まって100年目となった。「激動の昭和」といわれながらも戦後はどこか無自覚な平和(=戦争のない状態)が80年続いた。が、今やルールとパラダイムは完全に変わった。世界情勢は予測不能となり、かつ瞬時に変貌するのだ。その中で、変わらぬもの、変わるべきものは何か。民衆大衆の地から「虫の目」で見上げる五木寛之氏と、歴史を俯瞰する「鳥の目」を持つ佐藤優氏が、縦横無尽に語り合う。とくに「昭和の最初の20年」を追体験でき、日本の限界を知る寄る辺となる多面的歴史篇。希望と激励の書。
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目次
 まえがき
 第一部 戦争と歌
  時代を読み取る「動体視力」
  戦時の社会は秩序正しく引き締まる
  国家と国民の「一体感」があった戦前・戦中
  少年飛行兵や少年戦車兵への憧れ
  強制ではないボランティアとしての「翼賛」
  「民草の平等」が実感できた戦中の社会
  暴力も食事も平等に与えられた軍隊
  「歌」がもたらした一体感
  明治維新は歌と共にやって来た
  人間を高揚させる歌のない時代
  戦後の学生運動にも「歌」があった
  演歌は未組織労働者の『インターナショナル』
  歴史から見落とされてきた「勤労学生」
  音楽フェスティバルを好むプーチン大統領
  歌は時代を映し出す鏡
  マッチングアプリと性的プロレタリアート
  投資や起業が流行り、労働者の誇りは失われた
  新自由主義ですべてが「ビジネス」に
 第二部 知識人の役割
  二・二六事件より黒豹脱走と阿部定事件が注目された戦前
  庶民が切迫感を抱いたのは空襲が始まってから
  軍国主義に便乗した戦中のインテリ
  戦前、戦中、戦後を通してベストセラーを出した田邊元
  西田幾多郎と京都学派
  軽井沢と箱根に移住したエリートは信用できない
  「戦陣訓」に関与した徳富蘇峰と島崎藤村
  西洋思想に抵抗した知識人が大東亜戦争を「聖戦」にした
  京都学派とハイデガー
  沈黙すべきときには沈黙する
  ソ連文学の名作
  内村剛介と瀬島龍三
  日本ペンクラブの果たすべき役割
  問答無用の「論破」が言論を荒らす
  ポストモダニズムと新自由主義
 第三部 沖縄という“外部”領域
  14歳で沖縄戦を経験した母親
  自決のために渡された手榴弾
  「国に騙されないために高等教育を受けろ」
  親に「公務員だけはダメだ」といわれたが
  ソ連で経験した「アウトサイダー」の世界
  なぜ盛岡で冷麺、宇都宮で餃子なのか
  沖縄返還の日に見た「黒い日の丸」
  満州のハルビン学院と上海の同文書院
  政治的差別だけが残った沖縄
  「寺」のない沖縄の宗教
  琉球人を日本人とは「別民族」としたアメリカの報告書
  日本の「5・7・5」、沖縄の「8・8・8・6」
  安室奈美恵と翁長雄志
  沖縄から直木賞が出ない理由とは
  壊れかけた壺から光を取り出す
 第四部 共同幻想の瓦解
  戦前と戦後をつなぐ「満州」
  シンボル不在の平成・令和
  次の1万円札の肖像は大谷翔平?
  平成以降に大きく変わったジェンダー問題
  粗野で下品な国際政治
  アメリカ幻想は完全に崩壊した
  アメリカに依存した「戦後の昭和物語」の終焉
  ウクライナで撤去されるプーシキン像
  楽観に逃げず「一寸先は闇」を覚悟する
  徴兵制の復活もあり得る
  いまの日本は「新しい戦中」への瀬戸際
  日本の潜在能力を生かすも殺すも教育次第
  よくできていた旧日本軍のマニュアル
  「暴走する正義」の恐ろしさ
  すでに「昭和」は消えた
  個人の自己喪失感がファシズムを生む
 あとがき


昭和7年(1932)のお生まれで、ほぼ「昭和」全体を生き抜いてこられた五木氏と、昭和35年(1960)のお生まれの佐藤氏の対談。佐藤氏による「まえがき」は今年の2月19日(木)付になっており、対談自体はその少し前、昨年中だったのでしょう。「まえがき」では2月の衆議院選挙にも触れられていますが、その後の高市政権、首相個人による数々の暴走や迷走、タガの外れた状態や茶番劇、それらに対するデモの勃興、おさまらない物価高騰など国民生活の混乱等については言及されていません。また、国際情勢にも言及があり、ウクライナ問題などは俎上に乗せられていますが、2月末からのアメリカのイラン攻撃には間に合わなかったようです。

「一寸先は闇」というタイトルがそれらを予言しているかのようではあります。その意味では、現在の状況を踏まえてまた続編を出していただきたいところです。もっとも、やはり「一寸先は闇」。1ヶ月後にどんな状況になっているのか予想もつきませんが……。

それにしても色々な部分で示唆に富む書です。

特に終戦時に13歳だった五木氏の戦争体験など。思うに現役の文学者で戦前、戦時中を直接語れる方はもうほとんど残っていないのではないでしょうか。その意味でも、五木氏にはまだまだ頑張っていただかねばならないと思います。

光太郎については、「第一部 戦争と歌」中の「強制ではないボランティアとしての「翼賛」」という項で。昨秋刊行された氏のエッセイ集『昭和の夢は夜ひらく』でもそうでしたが、昭和15年(1940)に光太郎が作詞し、飯田信夫が作曲、徳山璉(たまき)の歌唱でそこそこヒットした歩くうた」について語られています。

佐藤  五木さんのお話をうかがっていると、やはり戦中のリアルな世情は当時のことを知る人から聞く必要があると痛感します。いまの映画やテレビドラマなどでは、庶民はみんな戦争を嫌がっていたかのように描かれますが、決してそんなことはなかった。

五木  そうです。僕たち子どもだけではなく、自分の父親を含めて周囲の大人たちもそうでした。もちろん反戦運動などをやって獄舎(ごくしゃ)につながれた人たちもいたでしょうが、それはごく一部の存在だったでしょうし、そんな話は僕らの目に届くところには出てきません。ですから、子どものころは反戦的な考え方が世の中にあることも、意識しませんでした。
 なにしろ、高村光太郎(1883年~1956年)のような詩人さえ翼賛的(よくさんてき)な歌をつくった時代でしたからね。当時の高村光太郎は、戦後でいうなら谷川俊太郎(1931年~2024年)みたいな存在です。誰もが愛し尊敬する国民詩人ですから、みんな感動しますよ。
 とくに忘れられないのは、高村光太郎が作詞した『歩くうた』(1941年)という歌です。「歩け歩け南へ北へ、歩け歩け東へ西へ」とくり返すだけなんだけど、僕らはそれを口ずさみながら戦意を高揚(こうよう)させていたわけです。

「戦後でいうなら谷川俊太郎(1931年~2024年)みたいな存在」はちょっと持ち上げすぎのように感じますが……。

もう1冊。こちらは小説です。

ビブリア古書堂の事件手帖 Ⅴ~扉子と謎めく夏~

発行日 : 2026年4月25日
著者等 : 三上延
版 元 : KADOKAWA(メディアワークス文庫)
定 価 : 890円+税

実在の本を手がかりに紐解く、“古書と秘密”の物語。ビブリア扉子編5巻!
ビブリア古書堂の娘が開く、謎への扉――。
その夏、不在中の両親に代わり、ビブリア古書堂を任された少女。美しい女店主とよく似た顔立ちで、本への好奇心と洞察力も母親譲り。だが異なるのは表情豊かで物怖じしないその性格。特殊な依頼に首を突っ込まぬよう少女の監視役を任された少年は、持ち込まれた古書に秘められた謎を、少女が鮮やかに解き明かしていく姿を目の当たりにする。戦時中ある男を救った『シャーロック・ホームズの饋還』と、残されたいたずら書き。
真夏の鎌倉を駆ける「探偵と助手」の物語が始まる――。
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目次
 プロローグ
 第一話 『シャーロック・ホームズの歸還』(岩波文庫)
 第二話 森山大道『写真よさようなら』(写真評論社)
 第三話 中原中也『山羊の歌』(文圃堂書店)
 エピローグ

三上延氏の「ビブリア古書堂の事件手帖」シリーズ、平成23年(2011)の「栞子さんと奇妙な客人たち」に始まり、12巻目です。三上氏ご本人曰く「遅筆」だそうですが、息の長いシリーズとなっています。

北鎌倉駅近くにある架空の古書店「ビブリア古書堂」が舞台で、7巻目の「栞子さんと果てない舞台」まではその女店主・篠川栞子が主人公。8巻目「扉子と不思議な客人たち」からはその娘・扉子に主人公がバトンタッチしました。扉子編になって5冊目ということでタイトルに「Ⅴ」と入っています。

この手のシリーズものではあまり例がないのではないのでしょうか、主人公をはじめとした登場人物たちが、執筆年代と共にほぼリアルタイムで年を取っていきます。第1巻で20代だった最初の主人公・栞子がやがて結婚し、娘の扉子が生まれ、その扉子に主人公のたすきが渡されて、扉子は現在高校生で店を手伝っている、というわけです。

栞子・扉子の母娘二代にわたり、本業の古書売買以外に、店に持ち込まれる古書にまつわる様々な奇妙な相談――盗まれた古書のありかをつきとめてほしいとか、故人が古書に書き込んだ書き込みの意味を解いてほしいとか――を解決していくという推理小説仕立てが基本ストーリーです。アシスタントは栞子には店員の五浦大輔(途中で栞子と結婚します)、扉子だと高校の後輩・樋口恭一郎(元々、ビブリア古書堂に持ち込まれた奇妙な相談が縁で)。

栞子・扉子の母娘二代と書きましたが、実は栞子の母にして扉子の祖母・智恵子もそうした依頼を受けていました。ただ、栞子とは考え方の相違などで対立することもあり(対決もありました)、智恵子は別に暮らしています。

さて、最新刊「~扉子と謎めく夏~」。シリーズ12冊目にして初めて光太郎の名が出て来たように思われます。「第三話 中原中也『山羊の歌』(文圃堂書店)」で、光太郎が装幀、題字を揮毫した中原中也の『山羊の歌』が扱われ、中也が光太郎に頼み込んで装幀・揮毫をして貰ったことなどが語られます。「それだけかい!」と云われると「それだけです」ですが(笑)。

ちなみにネタバレになるので詳細は書きませんが、問題の『山羊の歌』は中也から関係の深いある人物に贈られた献呈署名入り……という設定です。

ところで栞子の母にして扉子の祖母・智恵子。名前は我らが智恵子から採ったものと思われますが、今のところ「智恵子抄」がらみのエピソードは出てきていませんし、とにかく謎の多い人物として描かれています。いずれ「智恵子抄」にまつわる話となることを期待しています(平成23年(2011)から新刊が出るたび読み続け、次の巻こそは、と思いつつ12巻目になりました(笑))。
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というわけで、『一寸先は闇』/『ビブリア古書堂の事件手帖 Ⅴ~扉子と謎めく夏~』、それぞれぜひお買い求め下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)33 『ポケット 四季の温泉旅行 作家画家の温泉だより』

昭和31年(1956)9月15日 自由国民社 長谷川国雄編
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目次
 ここで遊び台で泊まる 花卷  彫刻家 高村光太郎
 夜霧にうかぶ湯女  浅虫  画家 野間仁根
 こけしの聖地 鳴子  日本山岳会 渡辺公平
 ろうたけき乙女も空し 上ノ山  歌人 結城哀草果
 山の中の近代ホテル 小原  劇作家 伊馬春部
 筵一枚に雑魚寝する 蒸の湯  作家 伊藤永之介
 混浴のおもしろみ 岳温泉  作家 榊山潤
 時は古りゆく悲しさよ 裏磐梯  作家 中山義秀
 私の生れたところ 日光湯元  随筆家 福田蘭童
 白いお尻に紅葉が一枚 塩原  作家 鹿島孝二
 断崖の湯と平原の湯と 川原湯  評論家 野田宇太郎
 ひとり寝てきく湯もみ唄 草津  評論家 市川為雄
 西洋・日本風を対比 小涌谷  随筆家 渋沢秀雄
 郭公の声・老鶯の囀り 芦の湯  作家 中河与一
 雑木林の自然の匂い 仙石原  作家 北條誠
 迸り出ずる水晶の湯 姥子  画家 高岡徳太郎
 ニースの日本版です 熱海  画家 佐野繁次郎
 蜜柑と沢庵が名物 伊豆山  画家 高畠達四郎
 花の匂いが流れる 伊東 作家 浜本浩
 いまは同じ色になった 古奈長岡  作家 吉行淳之介
 新婚にすすめたい 峰温泉  旅行家 古田保
 故里の湯への祈り 湯ヶ島  作家 井上靖
 野良帰りの一風呂 下賀茂  画家 鈴木信太郎
 湯桧曽・谷川・上牧など 水上  東大助教授 中屋健一
 部屋から見る孫のスキー 赤倉  登山家 黒田初子
 広い道が湖に消える 上諏訪  美術評論家 北川桃雄
 左千夫の歌に惹かれて 浅間  作家 福田清人
 失恋の傷を癒す 岩代熱海  中国文学者 魚返善雄
 発哺・上林などもよい 熊の湯  東洋大学教授 田部重治
 雪の中の温泉に限る 山代山中  作家 深田久弥
 明治の末のものがたり 下呂  作家 江馬修
 自然美の明朗豪快さ 白浜  画家 鍋井克之
 淀君も子供ほしさに 有馬  作家 竹中郁
 湧き上る雲の壮大さ 城崎  作家 村雨退二郎
 砂丘を見物して三朝へ 鳥取  画家 長谷川三千春
 内湯が引けはじめた 道後  作家 北町一郎
 安来節と茶庭づくり 玉造  旅行家 山路ゆう
 遊ぶ湯のさと 芦原  随筆家 渡辺寛
 元湯・新潟・小地獄など 雲仙  画家 野口弥太郎
 太宰府もすぐ近い 二日市  作家 長谷川健
 安上りシステムもある 別府  作家 中村地平
 錦江湾を一望する 霧島  画家 吉井淳二
 二軒で建て増し競争 古里  作家 火野葦平
 口説き落した一節は 登別  作家 寒川光太郎
 高山植物に胸躍らす 層雲峡  日本山岳会 村井米子
 星を売る男もある 定山渓  作家 多田裕計
 ここは函館の奥座敷 湯の川  仏文学者 高橋邦太郎
 春・夏・秋・冬の温泉・早わかり

現代でいうところのムックのような感じです。

光太郎の「ここで遊び台で泊まる 花卷」は、同じ自由国民社からこの年4月20日発行の『旅の手帖』第26号が初出の、光太郎生前最後の談話筆記です。

この『ポケット 四季の温泉旅行』、『旅の手帖』第26号の売れ行きが良かったようで、内容はそのままにムックとして刊行したもののようです。

紹介すべき事項の山積で後回しになっておりましたが、新刊書籍のご紹介も少しずつ。「エッセイ」と銘打っていますが、評論に近いものです。

詩旋律 詩の美 高畑耕治エッセイ集

発行日 : 2026年4月15日
著者等 : 高畑耕治
版 元 : 愛のうたの絵ほん
定 価 : 2,700円+税

「詩の美 高畑耕治エッセイ集」の第1冊目

「詩旋律」では、日本語の詩の美、詩の抒情は言葉の音楽、歌の調べによって生まれてきたこと、生まれることを、優れた作品と、歌論、詩論から浮き彫りにする。

第一章と第五章は、詩と詩作、文学、芸術についてのエッセイ。第二章は口語自由詩をめぐる中原中也、高村光太郎、萩原朔太郎の詩論をとらえなおす。第三章は和歌の調べ。万葉集、和泉式部、式子内親王、藤原定家、永福門院の、美しい心に響く歌の調べを聞きとり、藤原俊成の歌論にもふれる。第四章は俳句の調べ。松尾芭蕉、与謝蕪村、小林一茶の句と種田山頭火の自由律俳句には、美しい音楽性が響いていることに耳を澄ませる。
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<目次>
 第一章 詩想
  詩を生むもの 詩が生まれでるふたつのかたち 詩を息づかせるもの なぜ言葉で
  詩だから伝えられるもの 詩のしらべ 詩と詩集についての覚え書 詩と若さ 詩の容姿
  詩って、ほんとはなんだろう 詩想『詩集 こころうた こころ絵ほん』
  詩想『詩集銀河、ふりしきる』 作品が生まれる、時 
 第二章 口語自由詩の韻律
  中原中也の「ゆたりゆたり」 高村光太郎、胸中から迸り出る言葉
  萩原朔太郎
   『月に吠える』序 「自由詩のリズムに就て」 
   『詩の原理』 詩語としての口語論 小倉百人一首の韻律美 『恋愛名歌集』
   歌の韻律美と口語自由詩
 第三章 和歌の調べ
  万葉集、好きな歌 藤原俊成『古来風躰抄』 和泉式部、あくがれる魂の歌
  式子内親王、言魂の韻律美 藤原定家の象徴詩 永福門院、調想不離の美
  伏見天皇宸翰「源氏物語抜書」散らし書きの花
 第四章 俳句の調べ
  書の美。松尾芭蕉と近現代文学者の直筆 変体仮名 俳句の調べ 松尾芭蕉の破調
  与謝蕪村、音の美 小林一茶。見据える目
 種田山頭火の自由律俳句
 第五章 詩想の木魂
  日本語のかそけさ 詩行中の意味のまとまり、息継ぎの間、句切り
  脚韻は詩であるための必須条件ではない 和歌の韻律 言葉の音楽性 詩の創作
  創作意思
 音数律論の偏狭さ 作品宇宙の必然 現代の詩の可能性について
  メロディーの翼
 現代詩の衰弱の主要因 中国詩との個性の違い
  寄物陳思、正述心緒の泉の清流
 日本語生来の資質と美の姿
  詩、定型詩の音数律と韻律のひみつ 
詩歌の韻律と朗読について
  無限諧音詩歌 日本語詩とフランス語詩、英語詩とドイツ語詩
  言葉の発音の変化 詩を愛す。 文語と短詩のこと 「日本詩の押韻」九鬼周造を再読して
  芸術、作品について 文語生まれの音感 現代短歌の文語表現について
  芸術作品の驚きとときめき 芸術家の言葉の棘を 現代短歌と現代詩
  詩と短歌の文語表現
 詩と、芸術表現について 降り注がれ、授けられた詩歌
  現代性と、花鳥風月
 小説と脚本と詩 文学、創作のこと 言葉の生命力
  詩と詩作について
 出典・参照文献

著者の高畑耕治氏、詩人だそうです。そこで実作者としての立場からの詩論、詩作の方法論といった内容が中心です。

興味深かったのは、ご自分がいわゆる「現代詩人」というくくりの埒外に居る、というスタンス。全体に古人へのリスペクトや敬愛に貫かれつつ、いわゆる「現代詩人」たちには容赦がありません。

例えば

言葉の象牙の塔をこねくりあげて、一般の読者にはわからないだろうと仲間うちで持ちあげあう人の知的な言葉の書き連ねを、私は詩とは思えず、いいと感じません。そのような奇抜性をてらい競う言葉遊びは、万葉集にも「無心所着歌(むしんしょじゃくか)」などとしてあったし、いつの時代にもあったけれどつまらないと思います。 (詩と詩集についての覚え書)

詩界(というものが意味あるものならば)、そこでは、現代詩の愛好家が偏狭な詩観、特権を押しつけて、詩を貧しくしていると、私は感じてきました。現代詩人どうしが与えあう仲間うちの賞の受賞作に、私が感動する詩はあまりありません。 (詩って、ほんとうはなんだろう)

私が現代詩より現代短歌に惹かれてしまうのはなぜか。現代詩が高学歴お勉強知識こそ優れているという世俗の常識エリート学歴崇拝社会に侵され、賢い頭で言葉の組み合わせの綾を弄び淫し自嘲しつつそれでも賢くて凄いだろと、高等遊民であると思い込んだ高みから普通の人、「大衆」を馬鹿だと見下げる傲慢さに閉じこもりカチコチに枯れてしまっていて、感情、想い、感性、感受性にこそ詩心(しごころ)が宿ること、美しい、ほんとうの、善くあれるかもしれない、希望、願い、心の響き、音楽、心の絵、色彩やどる詩歌、ポエムが詩であることを、忘れ気づけず衰えているからです。 (現代短歌と現代詩)

なるほど。

しかし、フォローも忘れていません。

ただし、現代詩というくくりは曖昧で、わたしが心から共感する詩を今、書かれている詩人はいらっしゃるので、集団としてすべていっしょくたにしてしまうのは愚かです。詩はあくまで一人きりの個性からの表現ですから。 (詩って、ほんとうはなんだろう)

ここまで含めれば、激しく同意します。

そして近代詩、万葉・古今・新古今などの秀歌、古典俳句などを例に、メインタイトルの「詩旋律」、特に音韻論を中心に論が展開されていきます(ただ、先達の評論家等が既に指摘している論考を抜き書きという部分が多いのですが)。また、関連する音楽や朗読についても言及されています。

近代では、萩原朔太郎を中心に、光太郎や中原中也、宮沢賢治などの作品が敬すべき対象として取り上げられています。光太郎に関しては「高村光太郎、胸中から迸り出る言葉」という項が設けられている他、他の箇所でも論じられています。

全編とにかく詩歌への愛が語られ、その情熱には頭が下がりました。

「ポエム」という語が、揶揄の意味合いで使われるようになって既に久しいと思われます。しかし、詩という形式でしか表せないものは確かにあるわけで、そうである限り「詩」というジャンルが生き延びていかねばならないと感じました。

というわけで、ぜひお買い求めを。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)32 『天平彫刻』増補版 

昭和29年(1954)11月5日 生活百科刊行会 児島喜久雄編者代表
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目次
 天平彫刻について 上野直昭
 天平時代の仏像に対する断片的考察 木下杢太郎
 天平彫刻の技法について 高村光太郎
 天平彫刻私観 平櫛田中
 天平彫刻雑感 安田靱彦
 素材より見たる奈良彫刻の特性 野間清六
 天平仏像の構造法 新納忠之介
 奈良時代の鋳もの 香取秀真
 東大寺建立と天平の仏像 筒井英俊
 戒壇院四天王像に見る「格」に就て 丸尾彰三郎
 天平時代の彫刻と万葉集との関係 久松潜一
 天平の肖像彫刻 小林剛
 天平彫刻と写真 大口理夫
 天平彫刻と様式問題 児島喜久雄
 須菩提 廣津和郎
 新薬師寺本尊に関する問題 田中倉琅子
 図版解説
 図版目次
 原色版 三月堂 帝釈天図(安田靱彦氏画 明治四十一年写生)
 写真版 
  第一図 東大寺三月堂 不空羂索観音像
  第二・三図 東大寺三月堂 月光菩薩像
  第四図 東大寺三月堂 吉祥天像
  第五図 東大寺三月堂 不空羂索観音像宝冠化仏
  第六図 東大寺三月堂 金剛力士(東方)像
  第七図 東大寺三月堂 金剛力士(西方)像
  第八・九図 東大寺三月堂執金剛神像
  第十図 東大寺戒壇院 持国天像
  第十一図 東大寺戒壇院 増長天像
  第十二図 東大寺戒壇院 廣目天像
  第十三図 東大寺戒壇院 多聞天像
  第十四・十五図 新薬師寺伐折羅大将像
  第十六・十七図 興福寺 阿修羅像
  第十八図 興福寺 羅睺羅像
  第十九図 興福寺 須菩提像
  第二十図 興福寺 富樓那像
  第二十一図 法隆寺夢殿 行信僧都像
  第二十二・二十三図 唐招提寺開山堂 鑑真和上像
  第二十四・二十五図 聖林寺 十一面観音菩薩像
  第二十六・二十七図  東大寺大仏殿前燈籠扉音声菩薩像
  第二十八図 東大寺大仏蓮弁毛彫
  第二十九図 東大寺誕生釈迦仏像
  第三十図 薬師寺金堂 日光菩薩像
  第三十一図 薬師寺金堂 薬師如来像
  第三十二図 唐招提寺金堂 毘蘆舎那仏像

昭和19年(1944)の初版(小山書店)は、製本所が空襲されたため店頭に並ぶ前にほとんどが焼失してしまったそうです。戦後の昭和23年(1948)には同じ小山書店が復刊。さらに増補版と言うことで、版元を変えてこの版が出されました。おそらく、いわゆる「チャタレイ夫人裁判」のからみで小山書店が昭和25年(1950)に倒産したこととも無関係ではないでしょう。

昨日は都下多摩市の聖蹟桜ヶ丘に足を運んでおりました。今年の連翹忌の集いに際し、ご案内いただいた「多摩ファミリーシンガーズ演奏会 はじまりの場所から未来へ」拝聴のためでした。

まったく個人的なことになりますが、亡父がノンキャリアの国家公務員で本省勤務のない地方局回りだったため、半世紀以上前、近く(といっても数キロ離れていますが)に4年半ほど住んで居りました。しかし機会もなくそのあたりを再訪したことがこれまでありませんでした。そこで演奏会にお邪魔する前に、懐かしさに駆られてかつて住んでいたあたりを散策。

半世紀以上前にも流れていた小川。護岸工事が為されていましたが、暗渠にするわけでもなく健在。なんとカルガモの親子がすーいすい(笑)。
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現在はがっつり住宅地になっていますが、自分が暮らしていた頃は田んぼが広がっていた一角でした。この川から水を引いていた用水路でザリガニやドジョウ、タニシなどを掴まえていた記憶があります。森にはミヤマクワガタなどもいました。

多摩川べりの住んでいた家を含め十数棟あった官舎はすべて無くなり、高層マンションになっていました。

1年間通った幼稚園と、3年生の途中まで在籍した小学校。小学校の方は自分が通学していた頃あった木造校舎は無くなっていましたが、幼稚園の方は当時の建物だったのでびっくりしました。
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ちなみに小学校の校歌歌詞には「桜ヶ丘の聖蹟やー」という一節がありました。

というわけで聖蹟桜ヶ丘駅前の、関戸公民館さん。8階がコンサート会場でした。
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ホール入り口にはNHKさんの「おかあさんといっしょ」でうたのおにいさんを務められた坂田おさむ氏からの花。今回、坂田氏作曲の楽曲も演奏されるということで。
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主宰の髙山佳子氏。
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このところ毎年、当会主催の連翹忌の集いにご参加下さっています。以前から他の連翹忌ご常連の藤原歌劇団・本宮寛子氏などと音楽繋がりで交流がおありだったそうですし、宮沢賢治作品を取り上げたりで、そちらのご関係も。

プログラムは2部構成。第一部は合唱。
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東日本大震災後の平成24年(2012)に初演された「ほんとの空」が演奏され、それを聴きたいがために伺った次第です。

作詞は福島郡山ご在住の後藤基宗子氏、作曲は髙山氏が「たま・みゆき」のペンネームで。
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光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとの空」の語をタイトルに、「阿多多羅山(安達太良山)」も謳い込まれています。髙山氏から頂いたCDで拝聴していたのですが、生の演奏は初めてでした。

合唱は、下は小学1年生から上はOG、賛助出演という方々の大人の皆さんまでで、曲によって人数が変わりましたが最大20数名(1曲だけ、客席からさらにOGの方々が10名ほどステージに上がって加わった曲もありましたが)。基本、女声合唱でした。「児童合唱」と謳われていますが、かなりのレベルでその意味では舌を巻かされました。

合間に髙山氏や大人の出演者の方によるMCで曲紹介など。飽きさせない工夫が為されていました。高野辰之作詞の「春の小川」が、元々の文語体から口語体に歌詞が改変されているというお話など「へー」という感じでした。

第二部はおなじみの昔話をミュージカル仕立てで。
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それぞれの昔話をモチーフとした既存の童謡も歌われましたが、それ以外の部分は髙山氏の作曲だったのでしょう。

第一部では緊張気味だった子供たちも、第二部では実にのびのびと。楽しみながら演じているのが伝わってきて、好感が持てました。小学校高学年以上は代わる代わるソロで歌う場面もありましたが、その技倆もなかなかのものでした。

なんやかやで様々なジャンルのプロフェッショナルの演奏を日頃から聴き、最近は自分でもプロデュース的なこともやらせていただいていますが、久々に聴いた児童合唱、違った意味で心が洗われました。

アンコールも終わった終演後と、さらにホワイエで帰る聴衆を見送りつつ歌う団員の皆さん。
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右画像の右端に髙山氏。少しお話をさせていただいて帰りました。

多摩ファミリーシンガーズさん、来年は50周年だそうで、一人の指導者が50年というのも実に稀なケースとのこと。ただ、少子化の影響は避けがたく、昔は120名とかの大所帯だったそうですが、現在は前述の通りOGや賛助という方を含めて20数名。それでもそれならそれでやりようはあるわけで、今後ともさらなるご活躍を祈念いたします。

幸い、キャパ250席ほどのホールはほぼ満席。出演者の関係者も少なくはないのでしょうが、それ以外の固定ファン的な感じの方々が多かったように思われました。

こうした小さな(というと失礼かも知れませんが)文化の灯り、消してはならないと思います。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)31 『日本の詩歌』毎日ライブラリー 

昭和29年(1954)4月5日 毎日新聞社 高村光太郎編
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目次
 日本詩歌の特質 高村光太郎   日本の詩歌の系譜 吉田精一
 現代詩概観 三好達治      近代短歌 木俣修
 近代俳句 加藤楸邨       あとがき 毎日新聞社図書編集部
 年表              索引

光太郎編となっていますが、実際に編集実務を担ったのは版元の毎日新聞社図書編集部であることが「あとがき」によってわかります。

光太郎の「日本詩歌の特質」は、この年の1月27日~30日にかけて『毎日新聞』に連載されたものです。

都内から朗読系の公演情報です。

きむらきょうやの温故知新〜葛藤〜

期 日 : 2026年5月4日(月・祝) 5月5日(火・祝)
会 場 : スタジオドラゴンカフェ 東京都杉並区久我山5-21-6 センタービル
時 間 : 5/4 18:00~ 5/5 13:00~ 18:00~
料 金 : 1公演 自由席 3,000円 2公演分 自由席 5,500円 3公演分 自由席 8,000円

日々、悩み迷い苦しみ「葛藤」を抱える貴方に「エネルギー」浴びせます! 芸能人格付けチェック、がっちりマンデー、ちびまる子ちゃんのナレーションでお馴染みの国民的ナレーター「きむらきょうや」と教え子たちが一所懸命にエネルギー放ちます!

そのタイトルは! 「きむらきょうやの温故知新〜葛藤〜」 今回は旧き文学作品から。いや〜昔の人も私と同じように「葛藤」抱えてるんだ…と新しい気づきになればと! 文豪達のお力を借りてお届けします!

出演者
 5月4日(月・祝) 及川司 重役室長 大福 平野こまり 風晴由圭 
 5月5日(火・祝) 亀井貢 日向寺ひろこ 大福 中村桃歌 平野こまり
 5月5日(火・祝) 亀井貢 重役室長 大福 中村桃歌 風晴由圭
※きむらきょうやは3公演共出演致します。

5月4日(月) 18時
 高村光太郎 「智恵子抄」抜粋 及川司
 小川未明 「野ばら」 平野こまり 大福
 芥川龍之介 「尾生の信」 重役室長
 樋口一葉 「裏紫」 風晴由佳
 中島敦 「山月記」 きむらきょうや
 この日のみシークレットゲスト

5月5日(火) 13時
 高村光太郎 「智恵子抄」抜粋 亀井貢
 太宰治 「待つ」 日向寺ひろこ
 小川未明 「野ばら」 中村桃歌 大福
 樋口一葉 「裏紫」 平野こまり
 中島敦 「山月記」 きむらきょうや

5月5日(火) 18時開演
 高村光太郎 「智恵子抄」抜粋 亀井貢
 小川未明 「野ばら」 中村桃歌 大福
 芥川龍之介 「尾生の信」 重役室長
 中島敦 「山月記」 きむらきょうや
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アニメ「ちびまる子ちゃん」、バラエティー「がっちりマンデー!!」「芸能人格付けチェック」などでご活躍中のきむらきょうや(木村匡也)氏と、氏主宰の「木村きょうや声優・ナレータープロ養成塾」の皆さんによる朗読公演だそうです。

2日にわたり3公演、それぞれ演目が異なるそうですが、「智恵子抄」(抜粋)は全てに入っています。ありがたし。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)30 『世界美術全集 第4巻 古代エジプト』 

昭和28年(1953)9月5日 平凡社 下中弥三郎編
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目次
 エジプトの文化
 エジプトの建築
 エジプトの彫刻
 エジプトの絵画
 エジプトの工芸
 図版 原色版 一三図 グラビア版 一七九図 本文挿図 二一八図
 参照地図
 図版解説
 年表
 参考書目録
 挿図目録
 図版目録

光太郎執筆箇所は「図版解説」中の「41 カ・フ・ラー王坐像」「43 ラー・ヘテプ、ネフェルト坐像」「48 シェイク・エル・バラド」「50 書記坐像(部分)」。すべて彫刻作品です。

3年半にわたる欧米留学中、明治40年(1907)から翌年にかけてロンドンに滞在していた光太郎。大英博物館にも足繁く通い、エジプト彫刻のプリミティブな美に惹かれました。パリから会いに来た荻原守衛とその魅力について語り合ったこともあったそうです。

一昨日から福島二本松の智恵子生家/智恵子記念館さんで「令和8年度 高村智恵子生誕祭」が開催されています。

地方紙『福島民友』さんから、予告的な案内記事。他の様々なイベントとともに紹介されました。

【どこいこ】おでかけスポット情報・浜通り(4月24日~)

■高村智恵子生誕祭 開催中
 二本松市の智恵子の生家・智恵子記念館。5月24日まで。25日から週末・祝日に生家2階の智恵子の居室を特別公開、5月10日までは奇跡といわれる智恵子の紙絵実物を展示している。
 生家は明治初期に建てられた造り酒屋で、酒銘は花霞。智恵子は1886年5月20日に生まれ、育った。5月9、10、19、20日に縁側で「花霞」振る舞い酒、16、17、23、24日に1階で、上川崎和紙で作る紙絵体験を行う。午前9時~午後4時30分。水曜日定休(祝日除く)。入館料は410円(小・中学生210円)。問い合わせは同館(電話)0243・22・6151
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ご紹介下さったのはありがたいのですが水曜日定休(祝日除く)」とあるのは誤りですね。今年は生誕祭期間中は無休だそうです。
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平常時は確かに水曜定休のところ、今年は智恵子生誕140周年ということもあるからでしょうか、二本松市さんとしては気合いを入れているようです。お間違いなきよう。

それから同じく『福島民友』さん、あだたら山ロープウェイ山頂駅にオープンした「【あ】の図書室」について。4月17日(金)掲載の記事です。

「ほんとの空」の下、出会う一冊 ロープウエーの駅に図書室

 「ほんとの空」の下、読書と眺望がのんびり楽しめる図書室が福島県二本松市のあだたら高原リゾート・ロープウエイ山頂駅に登場した。
 安達太良山(あだたらやま)は6文字全て「あ」音のため【あ】の図書室と名付けられ、智恵子抄や二本松に関する本をはじめ、登山、旅、温泉、花の本や雑誌、児童書など約300冊が並んでいる。土足厳禁のサロン風スペース。
 奥岳登山口から結ぶロープウエーの運行は午前8時半~午後4時半。料金は往復一般2200円、4歳~小学生1700円。水曜日運休(祝日除く)。同駅近くには薬師岳パノラマパークがあり、標高1350メートルからの景色が楽しめる。
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続いて『朝日新聞』さん、4月21日(火)の夕刊。

(私のイチオシコレクション)二本松市智恵子記念館 橋本真紀

■紙絵に託した、光太郎への愛と感性 市教育委員会文化課主任主事・橋本真紀
 大胆な配色とシンメトリーの構図。シンプルかつ目を引くこの「紙絵」は、高村光太郎の詩集「智恵子抄」のモデルとして知られる妻、智恵子(1886~1938)が最晩年、紙を折り、切り抜いて作った作品です。
 「東京には空がない」とこぼした智恵子は、当館がある福島県油井村(現二本松市)の造り酒屋の家に生まれました。大学を卒業後、女性としては当時まだ珍しい洋画家として歩み始めますが、芸術界の巨匠になっていく夫とは対照的に、徐々に心身を病んでいきます。創作活動の行き詰まりが一因ともいわれます。
 しかし亡くなる約2年前から病床で紙絵作りに没頭し、千数百点もの作品を残しました。本作は、ピンクと青の反対色の組み合わせが印象的です。当時は配色が病的と指摘されたこともありましたが、感性の赴くままに表現した、智恵子の芸術性が存分に開花した作品の一つです。
 紙絵は、病床で誰にも見せず、ひそかに作られました。千代紙や包装紙、薬の袋が、マニキュアはさみを使って大胆に、時に繊細に切り出され、鮮やかに組み合わせられました。それらは、光太郎にだけ見せたといいます。紙絵は、智恵子の思いを託した光太郎へのメッセージだったのではないでしょうか。
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  一方、洋画家・智恵子の作品として確認されている油絵は3点しかありません。うち1点が大正初期、帰省中に描かれたと伝わる「花(ヒヤシンス)」です。署名はなく、額装されていない状態で見つかりました。もしかすると、未完成なのかもしれません。
 若い頃、完璧主義の一面があったという智恵子は、どんなに筆を進めても満足できず、何より芸術家である夫・光太郎に認められたいと、理想と現実の間でもがいていたのだと思います。
 光太郎を愛し、認められたいと願った若き日から、最期は智恵子にしかなし得ない表現で、光太郎ただ一人のために作品を残したのです。
(聞き手・三品智子)
 
011《二本松市智恵子記念館》 福島県二本松市油井漆原町36(☎0243・22・6151)。午前9時~午後4時半(入館は30分前まで)。水(祝休の場合は翌平日)休み。410円。紙絵は保護のため複製展示。23日~5月10日は実物を公開予定。


市教育委員会文化課主任主事 橋本真紀 
 はしもと・まき 2022年から現職。智恵子の誕生日と命日に合わせた「生誕祭」「レモン祭」の企画運営や生家のライトアップイベントを手がける。

橋本氏、当方もさんざんお世話になっている方ですので「ありゃま」という感じでした。

「おやっ」と思ったのは、油絵「ヒヤシンス」について。「額装されていない状態で見つかりました」という点、存じませんでした。郷里で見つかったとか、署名がないなどの点は、旧安達町発行の図録的な書籍『命と愛のメッセージ』(初版・平成4年=1992/改版・平成14年=2002)に、当会顧問であらせられた故・北川太一先生が書かれていましたが。
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考えてみればあり得る話ですが、改めてよくぞこの絵が残っていてくれたものだ、と思わせられます。

同じく二本松にあったはずの、智恵子が祖父・次助を描いた肖像画は行方不明です。明治40年(1907)の日本女子大学校卒業後、郷里に帰らず東京で絵画の修業を続けたいという智恵子の希望に対し、はじめ反対していた家族たちもこの肖像画を見て「これほどの腕前なら……」と翻意したというエピソードがあり、ぜひ見てみたいものなのですが……。どこかからひょっこりでてこないものかと思っております。

最後にやはり『朝日新聞』さん、4月15日(水)付の読者投稿川柳欄。
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お題が「智恵」ということで、入選句の七句が掲載されました。秀逸句的な作が「智恵子なら戦地に空は無いといふ」。選評では「「智恵子抄」の類句多」だそうで、「ほんとの空」に関し、それなりに人口に膾炙しているのだなと嬉しくなりました。ただ、内容が内容だけに手放しで喜ぶのも不謹慎かとは存じますが。

これを読んで想起させられたのが、俳人・秋元不死夫の句「鳥わたるこきこきこきと罐切れば」。戦後間もない昭和21年(1946)の作で、まだ回復しない食糧事情の中、入手した貴重な缶詰めを缶切りで開ける様子。そしてふと見上げた空には渡り鳥、という情景です。

この句に関しては貴重な缶詰めとか、「こきこきこき」のオノマトペとかに着目した評が為されることがほとんどですが、やはり季語である「鳥わたる」を中心に据えれば、戦争が終わり、空を飛んでいるのは爆撃機でも戦闘機でもなく渡り鳥だ、平和な世になったんだなぁ、という実感が見てとれるような気がします。

ちなみに秋元は戦時中、新興俳句の同人誌、その作者らが治安維持法に基づいて大量検挙された「京大俳句事件」で2年間投獄されました。戦後、自由の身となったというのもこの句の背景にあるのでしょう。

つくづくこういう句が詠まれる世に戻してはならないと思うのですが、国会審議を経ない閣議決定とやらでなし崩し的に武器輸出が容認されるとのこと。我々の納めた税金が人殺しのための武器に使われる、日本製の無人ドローンなどで戦地の「ほんとの空」が覆われるなど、あってはならないことだと思うのですが……。

しかしおよそ一般教養や常識に欠ける幼稚なネトウヨなどには「「智恵子なら戦地に空は無いといふ」の句も、何を言ってるのかさっぱりわからないのでしょうね。嘆かわしいものですが、そういう輩が多数派とならないようにしていきたいものです。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)29 『世界美術全集 第25巻 日本Ⅳ』 

昭和26年(1951)11月30日 平凡社 下中弥三郎編
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目次
 近代日本の成立と発達 
 明治、大正、昭和の建築
 明治、大正、昭和の彫刻
 明治、大正、昭和の日本画(版画を含む)
 明治前期の西洋画
 印象主義以後
 明治、大正、昭和の工芸
 図版 原色版 一七図 グラビア版 一二八図 本文挿図 二七六図
 図版解説
 年表
 参考書目録
 挿図目録
 図版目録

光太郎執筆箇所は「図版解説」中の「17 老夫 長沼守敬」「18 老猿 高村光雲」「21 銀盤(柳敬助像) 荻原守衛」「23 北條虎吉肖像 荻原守衛」。

大先輩の長沼や亡父光雲はともかく、早世さえしなければ共に手を取り合って日本彫刻界をリードしていくはずだった親友の荻原守衛の作を解説というあたり、光太郎にとっては特別な感慨があったのではないでしょうか。

4月22日(水)、第116回碌山忌のため安曇野市の碌山美術館さんにお邪魔しましたが、そちらに着く前の寄り道について。

信州、それから隣接し、こちらからの通り道にもなる甲州には、光太郎智恵子ゆかりの人物の記念館等や、光太郎智恵子の作品を所蔵・展示して下さっている美術館等がかなりあり、碌山美術館さんに足を運ぶ際にはそれらにも立ち寄るのがルーティンでして、それがまた一つの楽しみになっています。

今年立ち寄ったのは、長野市信里(のぶさと)地区の小山清茂記念展示室。同地出身の作曲家・小山清茂(大正3年=1914~平成21年=2009)を顕彰する施設です。
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清茂には光太郎詩に作曲した「樹下の二人」という曲があります。昭和50年(1975)の作品で、箏曲です。奏者が箏を弾きながら「あれが阿多多羅山……」と語るスタイル。歌うというよりは語る感じです。箏曲奏者の友渕のりえ氏による委嘱作品で、全音楽譜出版さんから楽譜が公刊され、友渕氏のCD「日本の唄 友渕のりえの世界」(平成3年=1991)に収められています。
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その後も箏曲奏者の方々に時折取り上げられ、下野戸亜弓氏の2種類のCD「下野戸亜弓箏曲リサイタル2005」(平成17年=2005)、「万葉の恋歌 箏歌<KotoUta>をうたう」(平成25年=2013)にも収められています。

演奏会でも、最近ですと朝香麻美子氏が平成29年(2017)に都内の紀尾井ホールさんで開催された「箏・三弦リサイタル ~女性のあり方をよむ~」で取り上げて下さいました。

それから、浜根由香氏。平成26年(2014)に、東日本大震災の復興支援ということもあり、津波被害の大きかった福島県南相馬市で開催された「浜根由香 東北を謳う」というコンサートでこの曲も演奏して下さいました。その際は拝聴に伺い、浜根氏とお話しさせていただきましたし、後日発行されたライブ録音のCDも送っていただきました。ところが浜根氏、ほどなく平成28年(2016)にまだお若くして急逝。報せを受けて絶句しました……。

その「樹下の二人」作曲者の小山清茂の記念室が長野市にあるということで、参上。ちなみに小山清茂、当方と戦国時代まで遡ればつながるであろう遠い遠い親戚のようです。当方、死んだ父親は信州上田の出身で、先祖は真田氏と同じ滋野一党の国衆末席。天文年間の武田氏の信州侵攻に伴って居城を落とされ、そのまま真田もろとも武田の配下に入りましたが、一族の一部は武田と対立していた村上義清を頼って北上、村上義清は上杉と与しました。おそらく地理的に見て清茂の先祖はそちらの一派と思われます。

さて、小山清茂記念展示室。篠ノ井村山健康スポーツセンターさんの中に設けられていて、長野市のとっぱずれというわけでもありませんが、そこそこの山の中でした。我らの先祖も参戦したであろう川中島の古戦場もそう遠くない場所です。

附近はこんな風景。いかにも山里といった感じでした。
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そして篠ノ井村山健康スポーツセンターさん。
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玄関を入ってすぐ左が記念展示室でした。
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元は同じ建物の別の部屋だったそうですが、現在は広い会議室的な部屋の一角をアコーディオンカーテンなどで仕切り、普段は施錠しています。
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アコーディオンカーテン向かい側の壁には、やはりこのあたり出身の漫画家・岡村延博氏の描いた清茂。
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解錠していただいて、中へ。
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所狭しとばかりに遺品や写真、楽譜、レコードなど。

あまり期待していなかったのですが「樹下の二人」関連もあり(同曲、代表作というほどではないので)、「おお!」でした。

まず直筆の楽譜。
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作曲を委嘱した箏曲奏者・友渕のりえ氏の色紙。
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友渕氏、おそらく平成28年(2016)の開室に際して協力されたのでしょう。その前年の揮毫です。

年譜にも「樹下の二人」作曲が記載されていました。
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思わず「ぷっ」と吹きだしたのがこちら。
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清茂が作曲した地元の鬼無里中学校さんの校歌をプリントしたタペストリーですが、作詞が……
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何と当会の祖・草野心平でした(笑)。これは存じませんでした。

ちなみに鬼の無い里と書いて「きなさ」と読みますが、旧鬼無里村は山一つ越えたところで、現在は長野市に編入されています。鬼無里中学校さん、今年度限りで閉校だそうで……。そうなるとこのコンビによる校歌も無くなってしまうわけでしょうから、残念です。下記は同校サイトから。
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帰ってから調べたところ、心平・清茂コンビの校歌は他にもけっこうあり、平成25年(2013)に夏の全国高校野球を制した群馬の前橋育英高校さんのそれもそうでした。となると、甲子園球場にこのコンビの手になる校歌がガンガン流されていたのですね。気づいていませんでした。


そうして小山清茂記念展示室をあとに、碌山美術館さんへと向かいました。ここで昨日の「信州レポート その1 第116回碌山忌。」につながります。

今回は自宅兼事務所隣町の成田市から圏央道→関越道→上信越道と乗り継いで長野市の小山清茂記念展示室、そして更埴市から長野道に入って安曇野碌山美術館さん。帰りは長野道→中央道→首都高→東関道で帰りました。1都7県を走破し、我ながらよくやるよ、です(笑)。さすがに疲れて昨日は、朝5時に猫に起こされて餌やりをしてから二度寝。そのためブログの更新が遅れました(笑)。

これに懲りずに甲信方面に行く際にはさらなるスポット拝観を続けるつもりで居ります。まだまだ行くべきところが残されていますので。

以上、信州レポートを終わります。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)28 『世界美術全集 第17巻 ルネサンスⅡ 西洋十六世紀』 

昭和26年(1951)3月25日 平凡社 下中弥三郎編
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目次
 ルネサンスの偉大と頽廃
 イタリアの美術
  イタリア美術総説 イタリアの建築 イタリアの彫刻 レオナルド・ダ・ヴィンチ
  ミケランジェロ・ブオナローティ ラファエルロ・サンツィオ
  フィレンツェ画派とシエナ画派 北イタリア画派 ヴェネツィア画派 イタリアの工芸
 スペインの美術
 フランスの美術
 ネーデルランドの美術
 イギリスの美術
 ドイツの美術
 図版
  原色版 一六図 グラビア版 一四八図 本文挿図 二四三図
 参照地図
 図版解説
 年表
 参考書目録
 挿図目録
 図版目録

光太郎はこのシリーズ5冊に寄稿しましたが、この巻がその分量が最も多く、ミケランジェロの項はほぼ光太郎の筆になるものです。

「ミケランジェロ・ブオナローティ」及び「図版解説」中の「2 アダムとエバの楽園追放」「4 サン ピエトロ寺のクーポラ」「24 スカラの聖母」「25 ピエタ」「26 奴隷(部分)」「27 ダビデ(頭部)」「28 モーセ(部分)」「29 聖母子」「30 朝」「32 夕」「34 ロンダニー二のピエタ」「35 ブルタス胸像」「56 システィーナ礼拝堂天井画」「57 アダムの創造」「59 エレミヤの右の裸像」「60 人体デッサン」「61 顔デッサン」「62 キリスト(「最後の晩餐」中央像)」です。

昨日は日帰りで信州に行っておりました。

主目的は安曇野市の碌山美術館さんで開催された、光太郎の親友だった彫刻家・碌山荻原守衛の忌日「碌山忌」のものろもろ。守衛は明治43年(1910)に亡くなりましたので、昨日で第116回でした。
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午前6時頃、千葉の自宅兼事務所から例によって愛車でかっ飛んで行ったのですが、少し遠回りして長野市に立ち寄ったり、途中で昼食を摂ったりで、着いたのは正午過ぎでした。
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13:30から講演があるということで、まずはその前に館内散策。
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真っ先に向かうは第一展示棟。光太郎作品が常設で展示されています。
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光太郎らの作品は入れ替えながらの展示となるため、行くたび展示されている作品が変わっており、現在は「手」(大正7年=1916)、「腕」(同)、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の中型試作(昭和28年=1953)、そして絶作の「倉田雲平胸像」(昭和29年=1954)。多い時はもう少し出して下さっていますが、今年は9月19日(土)~11月23日(月)の日程で「光太郎智恵子展」的な企画展をまたやって下さるそうなので、それに向けて今は少なめにしているようです。

第二展示棟。こちらは現在、守衛を敬愛し、ある意味その系譜を継いで、さらに館の設立に尽力した石井鶴三や笹村草家人、基俊太郎らの作品が並んでいます。
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また、特に企画展とは謳っていませんが、杜江館という棟では国指定重要文化財の守衛作「北條虎吉像」石膏原型も出ていました。令和5年(2023)、竹橋の東京国立近代美術館さんで開催された「東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密」にも出品されたものです。

そして本館とも云うべき碌山館。今井兼次設計による教会ふうロマネスク建築は館全体のシンボルでもあります。
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こちらは内部撮影可。
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シンボル中のシンボル「女」。
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守衛パリ留学中の作品で、光太郎がぜひ石膏にとって日本に持ち帰るようにと進言したため残った「坑夫」。
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ちなみに「坑夫」はお隣の穂高東中学校さんにも建てられています。台座のプレートは昭和30年(1955)、最晩年の光太郎の筆。平日で生徒さんもいる時間帯ですので、のちほど敷地外から。
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再び碌山館内部。奥の小部屋。
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守衛の年譜や現存しない彫刻の写真、光太郎を含む関係者の紹介等。上記「女」「坑夫」の解説板もそうですが、令和4年(2022)に行った碌山館補修のためのクラウドファンディングで余った資金をこちらの改訂にも使ったようで、きれいにアップデートされています。

碌山館裏の光太郎詩碑。
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つい先だって、登録有形文化財指定が決まった「グズベリーハウス」と「美術の倉」。
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館庭は天然の植物園。山吹やドウダンツツジなどが満開でした。
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恒例の草花の即売会も。今年は「三時草」というのを一鉢100円で購入しました。何だか娘がなぜか多肉植物にはまっていまして(笑)。
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右上は今撮ったもの。

そうこうしているうちに講演会で、再び杜江館に。下画像は講演会場の杜江館2階の窓から見たアルプスの山々。館庭からは見えにくいのですが、ここからはバッチリです。
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講師の丸尾リサ氏(右上画像は後の「偲ぶ会」でのもの)は、同館友の会のメンバーで、明治美術学会などにも所属されているとのこと。守衛、そしてその師・ロダンとの比較研究ということで、パリにもしばらく滞在なさっていたそうです。また、連翹忌の集いにもご参加下さったことがおありとおっしゃっていました。当方が引き継ぐ前のことだったようで、気がつきませんでした。
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今年の連翹忌においで下さった平沢重人新館長のご挨拶に続き、さっそくご講演。演題は「ロダンの後継者荻原守衛」。特に「女」に焦点を絞って、その構造や守衛の構想の中に、静止したポーズの中にも筋肉や骨格の動きというか、力というかが意図され、そのため止まっていてもアクションやひいては生命感といったものが存分に感じられる、といったお話。
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それはロダンやミケランジェロ、さらに遡って古代ギリシャ彫刻から学んだものであろうとし、そして本邦アカデミズム系の彫刻にはそうした要素が希薄だと、ある意味、厳しい指摘も。確かにおっしゃるとおりで、だから光太郎もアカデミズム系は「人形のよう」と断じましたし、当方も例えば守衛同様、重要文化財指定を受けているあるアカデミズム系彫刻家の作品を見てもあまり感心できません。異論もありましょうが。

こうした点を鑑みると、かえすがえす守衛の早世が惜しまれます。

その後、車2台に分乗して守衛の墓参。
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例年ですと荻原家ご当主の義重氏がいらっしゃるのですが、少し体調を崩されているということで、残念ながら今年はお会いできませんでした。来年以降、またお会いできることを祈念いたしております。
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墓所から見た常念岳。守衛も愛した山です。

館に戻り、18:00からグズベリーハウスで「偲ぶ会」。
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これも毎年恒例の、光太郎詩「荻原守衛」(昭和11年=1936)参会者全員による群読からスタート。
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式辞的なご挨拶。まず安曇野市教育長・橋渡勝也氏。続いて元館長にして現・代表理事の高野博氏。
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平沢館長による1年間のご報告。一昨年、昨年とこの場にいらした当時の安曇野市長・太田寛氏(館の理事も兼任されていました)など、関係の方々の物故報告もあり、粛然とさせられました。やはり元館長で複数の守衛関連ご著書等があり、さらに連翹忌にも複数回ご参加下さった仁科惇氏も昨年亡くなったそうで、それは存じませんでしたので尚更でした。
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続いて今年3月末でご退任となった幅谷啓子前館長に花束贈呈。
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館長就任以前にも断続的に同館に勤務されたりなさった幅谷氏、ご挨拶の中では感極まって涙されていました。お疲れさまでした。

その後は和気藹々と会食。幅谷氏を筆頭に関係の女性陣、学芸員の武井敏氏などが腕をふるわれた手料理、心ののこもったそれに舌鼓を打たせていただきました。
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19:30に閉会、片付けをして20:00頃に帰途に就きました。その時間帯ならおおむね24:00頃自宅兼事務所にたどり着く、シンデレラ状態です(笑)。

昼間の話に戻りますが、昨日は入場無料ということもあってか、団体のツアーも入り(何と奈良県からのそれも)、盛況でした。館としては入場料が取れないのは痛し痒しでしょうが、今度はリピーターとしてご家族でいらしていただきたいものです。

上の方に書きましたが、9月19日(土)~11月23日(月)の日程で「光太郎智恵子展」的な企画展をまたやって下さるそうなので(平沢館長、今年の連翹忌で渡辺えりさんをロックオンし、関連行事でトークショーという約束を取り付けたそうです。やり手ですね(笑))、その頃にでも皆様方も是非どうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)27 『九官鳥 松木喜之七遺稿集』 

昭和25年(1950)12月 松木岳二 松木祥三 鞍立道子編刊
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目次
 扉(故人自筆)
 九官鳥の前書
 歌の記録  山の記録 
 思い出の記
  松木喜之七氏と私の鯉 高村光太郎      松木さんを憶ふ 富田砕花
  松木大人の七年忌をよみておくる 堆朱楊成  松木氏を憶ふ 堅山南風
  痛惜無限 伊原宇三郎            松木喜之七を偲ばん 飯塚琅玕齋
  松木さん 小山良修             忘れ難い松木さん 羽下修三
  思出の一端 河合卯之助           スキー追憶 小川勝次
  竹馬の友を憶う 加藤清一          戦友松木喜之七君 駒形十吉
  永遠の松木さん 反町栄一          蓮花香炉(写真)板谷波山
 カット 向井潤吉 北原千鹿 河合卯之助
 あとがき

松木喜之七は新潟・長岡の素封家でした。古美術好きの仲間と図って光太郎の父・光雲の作品展「高村光雲遺作木彫展観」を長岡の料亭で開催、その縁で光太郎の知遇を得ました。そして光太郎に鯉の木彫を依頼。それを制作中の光太郎を撮った土門拳の写真が遺されています。
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ところが光太郎自身が納得のいくものが出来ず、断念してしまいました。代わりに、と、光太郎は「鯰」の木彫を松木に渡しました。それが現在、愛知県小牧市のメナード美術館さんで所蔵しているものです。そうこうしているうちに松木は太平洋戦争末期、もういい年だったにもかかわらず「根こそぎ動員」で徴兵され、戦死してしまいました。

『九官鳥』は短歌も趣味だった松木の遺稿を中心に、遺族が自費出版したものです。光太郎は上記「鯉」の件などを書き下ろして寄稿しました。

詩人の高祖保などもそうですが、実際に交流のあった人物の戦死の報が戦後になってから次々と光太郎に寄せられ、改めて光太郎は自らの戦争責任を痛感させられることとなったように思われます。

講談師・一龍齋貞奈さんによる創作講談です。

一龍斎貞奈 芸歴10周年記念公演 オフィス10・10周年祭り

期 日 : 2026年4月29日(水・祝)
会 場 : 日本橋社会教育会館 東京都中央区日本橋人形町1丁目1番17号
時 間 : 開場17:40 開演:18:00
料 金 : 2,500円

演 目 : 長編創作講談「高村智恵子の恋~そして変へ」
出 演 : 一龍斎貞奈 ゲスト ラバーガール

講談師生活10周年記念ということで、真打昇進へのカウントダウンが聞こえてくる時期に入りました。立派な真打ちになれるよう、話芸でも集客力でも今の実力を明らかにすべく会を企画。昨年の入門10周年&昭和100年記念講演で創作した「高村智恵子の恋」を長編講談に仕上げました。ゲストは大尊敬する先輩のラバーガールさん! 私が楽しみ!
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講談師・一龍齋貞奈さん。昨年、新作講談「高村智恵子の恋」を高座にかけられ、今回と同じ会場での初演は他用のため聞き逃しましたが、神田での再演を拝聴させていただきました。

なかなか詳しく智恵子について調べられていて、細かなエピソードなどもしっかりちりばめられ、大正3年(1914)の光太郎との結婚披露までの若き日の智恵子の姿が生き生きと語られていました。その際からそういうおつもりだったとのことですが、その後の智恵子までを描いた「そして変へ」を追加とのこと。「変」は智恵子の精神の「変調」ということで「変」と思われますが、もしかするとさらに別の意味が込められるのかもしれません。

我ながら一ヶ所に留まっていられない回遊魚のようだなと思いつつ(ちなみに今日はこれから信州安曇野で、光太郎の親友・荻原守衛を偲ぶ碌山忌に出席して参ります)、こちらもチケット予約いたしました(笑)。

皆様もぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)26 『世界美術全集 第21巻 日本Ⅲ』 

昭和25年(1950)11月20日 平凡社 齋藤道太郎編
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目次
 総論  建築・庭園  工芸  絵画  彫刻  図版解説  年表  参考書目録
 図版目録  英文目録
 図版  原色版 一八図  グラビア版 一二六図  本文挿図 一七一図

光太郎執筆部分は「彫刻」中の「一 総説」。のち、中央公論社版『高村光太郎選集』に収められた際、「江戸の彫刻」と改題されました。

近々開催の公演で、合唱とミュージカルだそうです。

はじまりの場所から未来へ

期 日 : 2026年4月26日(日)
会 場 : 多摩市立関戸公民館ヴィータホール 東京都多摩市関戸四丁目72番地
時 間 : 13:30開場 14:00開演
料 金 : 大人 1,500円 高校生以下 1,000円

指揮・構成 : 髙山佳子
出 演 : 多摩ファミリーシンガーズ 穂積浩子 堀川法子(Pf)

第一部
 ぼくらはうたう ゆかいに歩けば 夜明けの馬 ほんとの空 おさんぽたんけんたい
 のびろ竹の子 他
第二部
 おとぎばなしファンタジー むかしむかし物語

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タウン紙『タウンニュース』さん多摩版に予告記事が出ていました。

多摩ファミリーシンガーズ 歌と芝居のステージ 26日、関戸公民館〈多摩市〉

 多摩市を拠点に活動する児童合唱団・多摩ファミリーシンガーズ(高山佳子代表)による演奏会「はじまりの場所から未来へ」が4月26日(日)、関戸公民館ヴィータホールで開催される。午後2時開演(1時30分開場)。
 1977年に発足、来年50周年を迎えることから、子どもたちが考えた未来に向かう舞台を披露する。
 第1部は3・11東日本大震災にちなんだ「ほんとの空」のほか、「ぼくらはうたう」「ゆかいに歩けば」「夜明けの馬」などを歌う。
 第2部では「おとぎばなしファンタジー むかしむかし物語」と題して、小さな子どもたちも知っているような桃太郎や浦島太郎、サルカニ合戦、花咲かじいさん、舌切りすずめといった昔話を演じる=写真。
 高山代表は「50年指導を続け子どもたちがそれぞれ社会への意識を持って歌い続けてくれた。これからの日本を作っていく新しい力になってくれることを願っています」と話している。
 入場料は大人1500円、高校生以下1000円(全席自由)。チケットの申込み・問合せは多摩ファミリーシンガーズ事務局【電話】042・375・8558。
団員募集
 現在、同合唱団では団員を募集している。5歳から15歳までの男女児童生徒。ジュニア・ミドルクラス(年少〜小3)、シンガーズクラス(小4〜高3)。練習日は毎週土曜日午後1時30分〜5時、第2水曜日午後3時〜5時(小学生以下)、練習会場は関・一つむぎ館ほか。見学・体験会日は毎週土曜日(午後2時〜3時30分)。事前申込み(メールinfo@tamasingers.org)。
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第一部で演奏される「ほんとの空」。『タウンニュース』さんにあるとおり、東日本大震災後にその復興支援のため作られた合唱曲です。震災から15年ということで、今回のプログラムに入れられてのではないかと思われます。

作詞は後藤基宗子氏、作曲は多摩ファミリーシンガーズさんを主宰され、ご指導や今回の演奏会でも指揮を務められる髙山佳子氏。「たま・みゆき」のペンネームで作曲されています。
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言わずもがなですが「ほんとの空」の語は光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来。歌詞には「あどけない話」にも謳われる「阿多多羅山(安達太良山)」が謳い込まれています。

震災翌年の平成24年(2012)に東京府中の森劇場さんで開催された社団法人日本童謡協会さんの「子どものコーラス展」で初演。翌平成25年(2013)には、智恵子の故郷・福島二本松、それも智恵子生家/智恵子記念館近くの安達文化ホールさんで行われた「東日本大震災復興支援コンサート ほほえみをあなたに」で演奏されました。その後、作曲者の髙山氏から楽譜とCDをいただき、そちらで拝聴しましたが、生の演奏は聴いたことがありません。

髙山氏、このところ毎年連翹忌の集いにご参加下さっていて、今回のフライヤーもその折にいただき、参会の皆様などにお配りいたしました。

こりゃ行かざぁなるめい、ということで、拝聴に伺います。個人的に、開場の関戸公民館さんのある聖蹟桜ヶ丘近くに半世紀以上前ですが3年半ほど住んでいたことがありまして、旧居附近、母校など歩いてこようかとも思っております。

閑話休題、ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)25 『世界美術全集 第24巻 西洋十九世紀Ⅲ』 

昭和25年(1950)5月30日 平凡社 齋藤道太郎編
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目次
 総論
 十九世紀後半の芸術思潮
 建築
  近代建築様式の黎明
 彫刻
  ロダン《フランス》  バルトロメ《フランス》 
  ドガ、ルノアル、ゴーガンの彫刻《フランス》  ベルギーの彫刻家たち《ベルギー》
  ヒルデブラントとその周囲《ドイツ》
 絵画
  新印象主義《フランス》  ポール・セザンヌ《フランス》
  オーギュスト・ルノアル《フランス》  ポール・ゴーガン《フランス》
  オディロン・ルドン《フランス》
  ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ、モロー、カリエール、ラファエリ、コッテなど 《フランス》
  ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ《オランダ》  ドイツにおける理想主義の間奏曲《ドイツ》
  ジェームス・アンソール《ベルギー》  スイスの絵画《スイス》
  ジョヴァンニ・セガンティーニ《イタリア》
 工芸
  近代工芸運動とその発展
 図版
  原色版 一八図  グラビア版 一四二図
 本文挿画 二五三図
 参照地図
 図版解説
 年表
 参考書目録
 挿図目録
 図版目録

光太郎は「図版解説」中のいずれもロダン彫刻「10 考える人」「17 姉と弟」を担当しています。

このシリーズでは光太郎、五冊にわたって同じく「図版解説」に稿を寄せました。

まず毎月ご紹介しています、光太郎第二の故郷・岩手花巻で主に「食」を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんの活動。

毎月15日には光太郎が7年間の蟄居生活を送った旧太田村の道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント・ミレットキッチン花(フラワー)さんで調理・販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」。やつかの森さんがメニュー考案に携わられています。

今月分がこちら。
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品目は「チキンとウインナーのソテー」「焼き鮭」「ポテトサラダ」「ほうれんそうのおひたし」「紫芋の甘煮」「椎茸の含め煮」「ばっけ味噌の焼きおにぎり」「よもぎ入りパンケーキ小豆添え」「漬物」。

「ばっけ」は光太郎がことのほか好んだふきのとうです。味噌と合わせて焼きおにぎりにトッピング、香ばしそうですね。

道の駅内での店頭販売は毎月10食限定ですが、今月は事前に別途20食の注文があったそうで、喜ばしい限りです。

同じくやつかの森さんがこちらは調理まで担当する「こうたろうカフェ」。市内のワンデイシェフの大食堂さんで概ね月末にやつかさんが出店しています(ワンデイシェフの名の通り、さまざまな団体、個人がキッチンを借りて出店する方式のお店です)。

今月は28日(火)の予定で、既にメニューが告知されています。「食の匠のバクロウおこわ」「コロコロチーズ入りミートローフ」「マカロニサラダ」「エッグボート」「クルミとゴボウの甘辛煮」「タラボの胡麻和え」「赤魚のお吸い物」「クレープシュゼットのオレンジバター」「コーヒー」だそうです。

「食の匠のバクロウおこわ」とあるのは、令和6年度の「岩手県 食の匠」に認定された、やつかの森さんのメンバー・新渕和子さんが得意とする「ばくろう茸」を使用して作ったもの。花巻では正月などに振舞われるごちそうだとのこと。

「光太郎ランチ」「こうたろうカフェ」、いずれも基本的に光太郎が実際に自炊していたメニューや使った食材を参考に現代風アレンジを加えたもの。いずれも永く続いてほしい取り組みです。

もう1件、花巻市の『広報はなまき』4月15日号から。月2回発行の同誌は15日発行分に「花巻歴史探訪[郷土ゆかりの文化財編]」という連載が為されており、市の施設などに所蔵されている逸品の数々が紹介されています。光太郎に関しても時折取り上げられ、今号も。

3月いっぱいまで花巻高村光太郎記念館さんで開催されていた企画展「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」の流れで、光太郎が題字を揮毫した文圃堂版『宮沢賢治全集』が紹介されています。

高村光太郎の題字 宮沢賢治全集

 宮沢賢治の作品は、今や全集はもとよりそれぞれの作品や絵本、作品の評論や関連の随筆、研究など、数多くの出版物が発刊されています。しかし、宮沢賢治の作品を広く知らしめることに高村光太郎が大きく関わっていたことはあまり知られていません。
 宮沢賢治は、大正十五(一九二六)年上京した際に、高村光太郎に会いに行っています。その頃、高村光太郎は既に著名な作家でしたが、宮沢賢治はまだ無名でした。
 賢治は昭和八(一九三三)年に若くして亡くなります。賢治を高く評価していた光太郎はとても残念がり、賢治の作品を世に出すべく、詩人の草野心平らとともに作品の出版に取り組みます。幸い賢治の弟の宮沢清六が、兄賢治の思いを受け、数多くの原稿を保管していたため、賢治が亡くなった翌年には全集を発刊する動きとなりました。ただし、宮沢賢治を知る人がまだ少ない中、初めての全集はすべての作品を収録したものではありませんでした。
 昭和九(一九三四)年に文圃堂書店(東京)から発刊された最初の『宮沢賢治全集』では、高村光太郎がその装丁を考え、題字の文字を書いています。
問い合わせ 高村光太郎記念館 ☎28-3012  
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「最初の『宮沢賢治全集』では、高村光太郎がその装丁を考え、題字の文字を書いています」とありますが、正確にはその後に出た三種類の全集(日本読書購買利用組合『宮沢賢治文庫』を含む)でも、装幀、題字揮毫を手がけています。

『広報はなまき』のこの項、自筆ものが紹介されることはしばしばありましたが、出版物(それも近代の)が扱われたのは珍しいことです。それでも稀覯本や文学史上のエポックメーキング的なものはやはり文化財的な扱いが成されてしかるべきだな、と改めて思いました。

今後もこういったものの紹介をして頂きたいものです。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)24 『現代詩講座 2 詩の技法』 

昭和25年(1950)5月30日 創元社 村野四郎他著
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目次
 1 現代詩の構成 村野四郎  現代詩のレトリック 丸山薫
   現代詩の韻律 神保光太郎 現代詩のボキャブラリー 野田宇太郎
   現代詩のイデエ 吉田一穂
 2 日本詩の詩型について 日夏耿之介  西洋の詩に於ける定型詩について 鈴木信太郎
 3 現代詩のイマアジュとその表現 安西冬衛   詩語としての日本語 釈迢空
   現代詩に於ける「俳句」と「短歌」 三好達治   個性と表現 草野心平
 4 抒情詩 伊藤信吉   自由詩 北園克衛   散文詩 神西清
   定型詩 中村真一郎
 5 私の詩作について 高村光太郎   私の詩作について 金子光晴
   私の詩作について 草野心平    私の詩作について 中野重治
   私の詩作について 西脇順三郎   私の詩作について 三好達治
   私の詩作について 釈迢空
 6 歌のための詩 野上彰   歌謡曲の作詩法 佐伯孝夫

戦後5年が経ち、内容的にも戦争の影は無くなって、平和な時代となったのだなという感じです。

光太郎を筆頭に7人が書いている「5」の章は目次だと全て「私の詩作について」と題されていますが、本文ではそれぞれに別個の題が付いており、光太郎の稿は「詩について語らず(編集子への手紙)」。

光太郎の詩論としてなかなかに興味深いものです。

 詩の講座のために詩について書いてくれといふかねての依頼でしたが、今詩について一行も書けないやうな心的状態にあるので書かずに居たところ、編集子の一人が膝づめ談判に来られていささか閉口、なほも固辞したものの、結局その書けないといういはれを書くやうにといはれてやむなく筆をとります。
 ところが、書けないといういはれを書かうとするとこれが又なかなか書けません。なぜ書けないかがはつきり分るくらゐなら、当然それは書けるわけであり、本当はただいはれ知らずに書けないのだといふ外はないのでせう。
 詩は書いてゐながら、詩そのものについて語ることが今どうしても出来ないのです。どうしてでせう。以前には断片的ながら詩について書いたこともありましたが、詩についてだんだんいろいろの問題が心の中につみ重なり、複雑になり、却て何も分らなくなつてしまつた状態です。今頃になつてますます暗中摸索といふ有様なのです。
 元来私が詩を書くのは実にやむを得ない心的衝動から来るので、一種の電磁力鬱積のエネルギー放出に外ならず、実はそれが果して人のいふ詩と同じものであるかどうかさへ今では自己に向つて確言出来ないとも思へる時があります。明治以来の日本に於ける詩の通念といふものを私は殆ど踏みにじつて来たといへます。従つて、藤村――有明――白秋――朔太郎――現代詩人、といふ系列とは別個の道を私は歩いてゐます。詩といふ言葉から味はれるあの一種の特別な気圧層を私は無視してゐます。私は生活的断崖の絶端をゆきながら、内部に充ちてくる或る不可言の鬱積物を言語造型によつて放電せざるを得ない衝動をうけるのです。このものは彫刻絵画の本質とは全く違つた方向の本質を持つてゐて、現在の芸術中で一ばん近いものを探せば、恐らく音楽だらうと考へますが、不幸にして私は音楽の世界を寸毫も自分のものにしてゐないので、これはどうすることも出来ず、やむなく言語による発散放出に一切をかけてゐる次第です。実は言語の持つ意味が邪魔になつて、前に述べた鬱積物の真の真なるところが本当は出しにくいのです。バッハのコンチェルトなどをきいてひどくその無意味性をうらやましく思ふのです。言語による以上、言語の持つ意味を回避するのは言語に対する遊戯に陥る道と考へるので、その意味をむしろ媒体として、その媒体によつて放電作用を行ふといふわけです。それからさきの方法と技術と、その結果としての形式と、その発源としての感覚領域とについては今なほいろいろと研鑽中の始末で、これが又、日本語といふ特殊な国語の性質上、実に長期の基本的研究と、よほど視力のきいた見通しとを必要とするので、なかなか生半可な考へ方に落ちつくわけにゆきません。ともかく私は今いはゆる刀刃上をゆく者の境地にゐて自分だけの詩を体当り的に書いてゐますが、その方式については全く暗中摸索といふ外ありません。いつになつたらはつきりした所謂詩学(ポエテイク)が持てるか、そしてそれを原則的の意味で人に語り得るか、正直のところ分りません。私は以上のやうな者であり、又以上のやうな場に居ます。これで今私が詩について書けないといふいはれを書いたことになるでせうか。ともかくもこの通りです。

色を変えた部分あたりは多くの研究書等で引用される箇所です。

齢68歳、もはや晩年の光太郎にしてまだきちんと方法論を掴めていない、と、これは謙遜でも何でもなく、まさにそのとおりだったのでしょう。あくまで己の本業は彫刻だ、という意識がその裏にあるのでしょうが。

毎年恒例、5月20日(水)の智恵子誕生日に合わせ、さまざまなコンテンツでそれを盛り上げる智恵子生誕祭が、智恵子の故郷・福島二本松で開催されます。

高村智恵子生誕祭

期 日 : 2026年4月23日(木)~5月24日(日)
会 場 : 智恵子生家/智恵子記念館 福島県二本松市油井字漆原町36
時 間 : 9:00~16:00
休 館 : 期間中無休
料 金 : 大人(高校生以上)410円(360円)
      子供(小・中学生)210円(150円) (  )内団体料金
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本市(旧安達町)出身の芸術家・高村智恵子の生誕日である5月20日にかけて、令和8年度春季自主事業「高村智恵子生誕祭」を開催します。また、今年は智恵子生誕140年を迎えることから、記念特別企画も実施しますので、この機会にぜひご来館ください。

実施企画

智恵子の生家 2階特別公開
通常公開していない「智恵子の居室」を下記の日程で特別公開します。また、2階にて『智恵子自作の小物入れ』も展示します。
公開日:4月23日(木)~5月24日(日)までの間の土・日・祝日及び5月20日(水)
公開時間:午前9時00分~午後4時00分

智恵子の「紙絵」の実物展示
奇跡といわれる「紙絵」の実物展示をおこないます。
展示期間:4月23日(木)~5月10日(日)
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 ~智恵子生誕140年記念特別企画~ 復活!長沼酒造『花霞』ふるまい
智恵子生誕140年を記念し、生家に清酒『花霞』が復活!数量限定でふるまいを行います。
実施日:5月9日(土)、10日(日)、19日(火)、20日(水)の4日間
実施時間:午前10時00分~午後4時00分
 ※運転される方、20歳未満の方の飲酒は固く禁止します。
  なお、お酒以外の物販もありますのでぜひお楽しみください。
【協力】大天狗酒造株式会社
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上川崎和紙で作る「智恵子の紙絵体験」
上川崎和紙を使用し、智恵子の紙絵をモチーフにしたグッズを作成できます。また、ちょっとした喫茶スペースとお土産コーナーも併設します。
開催日:5月16日(土)、17日(日)、23日(土)、24日(日)の4日間 
【協力】二本松市和紙伝承館
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智恵子とおそろい!?ハートの小物入れを作ろう
生家2階公開時に展示する『智恵子自作の小物入れ』風ハートの小物入れを作ってみませんか。
実施期間:4月23日(木)~5月24日(日) 
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昨年は生誕祭期間中に、当会プロデュースのコンサート「音楽と朗読『智恵子抄』~愛はここから生まれた」を智恵子生家一階座敷で開催しました。筝曲及びテルミンの演奏に乗せた、詩集『智恵子抄』の朗読公演で、荒井真澄さん(朗読)、大西ようこさん(テルミン)、元井美智子さん(箏曲)のトリオによるものでした。

今年の生誕祭ではその手の企画がありませんが、同じお三方による公演を秋の「レモン祭」期間中の11月8日(日)にやはり智恵子生家一階座敷で予定しています。ちなみにその前後、同じく「レモン祭」に合わせてにほんまつ城報館さんで光太郎智恵子展的な企画展も開催されます。10月17日(土)には関連行事としての当方の講演も。まだ先の話ですが。

また、民間の「智恵子のまち夢くらぶ~高村智恵子顕彰会」さんでは、5月17日(日)に二本松市交流センターさんでシャンソン系歌手のモンデンモモさんによる「智恵子抄」コンサートを企画されています。同日には智恵子ゆかりの地を巡ったり、オープンマイク的に参加者に「智恵子抄」詩篇を朗読してもらったりする企画「智恵子を偲ぶ鎮魂の集い」が予定されています。のちほどまた詳細をご紹介します。

今年は光太郎没後70年であると同時に、智恵子生誕140年にも当たります。『広報にほんまつ』今月号では、生誕祭と共にそちらの紹介も。
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「智恵子生誕140年記念ロゴマーク」も制定されました。
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智恵子の紙絵ふう、だそうで。「ほんとの空」をイメージしたであろう空色の四角が直線の正方形になっていないあたりもこだわりがあるようです。

というわけで、ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)23 『天平彫刻』 小山美術新書1

昭和23年(1948)9月25日 小山書店 児島喜久雄編者代表
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目次
 天平彫刻について 上野直昭
 天平時代の仏像に対する断片的考察 木下杢太郎
 天平彫刻の技法について 高村光太郎
 天平彫刻私観 平櫛田中
 天平彫刻雑感 安田靱彦
 素材より見たる奈良彫刻の特性 野間清六
 天平仏像の構造法 新納忠之介
 奈良時代の鋳もの 香取秀真
 東大寺建立と天平の仏像 筒井英俊
 戒壇院四天王像に見る「格」に就て 丸尾彰三郎
 天平時代の彫刻と万葉集との関係 久松潜一
 天平の肖像彫刻 小林剛
 天平彫刻と写真 大口理夫
 天平彫刻と様式問題 児島喜久雄
 須菩提 廣津和郎
 新薬師寺本尊に関する問題 田中倉琅子
 図版解説
 図版目次
  原色版 三月堂 梵天帝釈天(安田靱彦氏画 明治四十一年写生)
  写真版 
   第一図 東大寺三月堂 不空羂索観音像(入江泰吉氏撮影)
   第二図 東大寺三月堂 月光菩薩像(入江泰吉氏撮影)
   第三図 東大寺三月堂 日光菩薩像(松山志郎氏撮影)
   第四図 東大寺三月堂 吉祥天像(入江泰吉氏撮影)
   第五図 東大寺三月堂 執金剛神像(入江泰吉氏撮影)
   第六図 東大寺戒壇院 持国天像(松山志郎氏撮影)
   第七図 東大寺戒壇院 廣目天像(松山志郎氏撮影)
   第八図 興福寺 須菩提像(松岡光彦氏撮影)
   第九図 唐招提寺開山堂 鑑真和上像(入江泰吉氏撮影)
   第十図 唐招提寺衆宝王菩薩像(奈良博物館撮影)
   第十一図 聖林寺 十一面観音菩薩像(米田大三郎氏撮影)
   第十二図 東大寺三月堂 不空羂索観音宝冠化仏(松山志郎氏撮影)
   第十三図 東大寺大仏殿前 銅造燈籠扉音声菩薩(入江泰吉氏撮影)
   第十四図 薬師寺金堂 三尊像(佐藤辰三氏撮影)
   第十五図 新薬師寺伐折羅大将像(入江泰吉氏撮影)

製本所が空襲されたため、店頭に並ぶ前にほとんどが焼失してしまった昭和19年(1944)の初版を戦後になって復刊したものです。本文の紙型は初版と同一ですが、写真図版はかなりの異同があります。

光太郎の親友にして、ロダンに師事した碌山荻原守衛を偲ぶ碌山忌が開催されます。今回で第116回となります。

第116回碌山忌

期 日 : 2026年4月22日(水)
会 場 : 碌山美術館 長野県安曇野市穂高5095-1
時 間 : 10:00~ コンサート
      13:30~ 記念講演 「オーギュスト・ロダンの後継者 碌山荻原守衛」
           講師 丸尾リサ氏 杜江館
      16:00頃~ 墓参
      18:00頃~ 偲ぶ会 グズベリーハウス
料 金 : 当日終日入場無料 偲ぶ会のみ参加費1,000円

公式サイト等に情報が出ていないのですが(どうしちゃったのかな、という感じですが)、電話で問い合わせました。もしかすると細かな点で聞き違いがあるかも知れませんが、ご寛恕の程。

コンサートはおそらく地元の皆さんを中心に。記念講演は4月22日の当日ではない年もあるのですが、今年は当日ですのでありがたいところです。墓参は少し離れた場所にある守衛の墓(中村不折揮毫)へ。歩いていける距離ではありませんので、荻原家の方や館で出して下さる車に分乗して参ります。

そして18時頃から、先頃国指定有形文化財に登録されたグズベリーハウスで「偲ぶ会」。例年通りであれば会の冒頭に光太郎詩「荻原守衛」(昭和11年=1936)を参会者全員で群読します。その後、関係のご婦人がたによる手料理等が饗され、そちらを頂きつつ和気あいあいと歓談。

と、まぁ、そんな流れです。

下記は今年の連翹忌の集いで託されて参会の皆様にお配りした最新のフライヤー2種類です。
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余談ですが、同館の館庭、天然の植物園状態です。画像はX(旧ツィッター)からお借りしました。
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そこで碌山忌の日(それ以外も?)にはさまざまな草木の苗や種子の販売も行われることがあります。

数年前にゲットしてきたシャガの苗を自宅兼事務所の庭に植えたところ、どんどん増殖し、現在満開です。
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また何か手に入れてこようと思っております。

皆様方も是非どうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)22 『能楽全書 第六巻 能・狂言の鑑賞』

昭和19年(1944)11月10日 創元社 矢部良策編
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目次
 能の美 阿部次郎       能の力 安倍能成
 能の絵画美 有島生馬     能の彫刻美 高村光太郎
 能の詩趣 土岐善麿      狂言の写真 瀧井孝作 
 謡本の話 高安吸江      能の曲目編成法 山崎楽堂
 能及び能楽堂の音響 小幡重一 能及び能楽堂の照明 朝比奈貞一
 附録
  能現行曲目 狂言現行曲目 能・謡曲文献解題 狂言文献解題 能・謡曲・狂言用語
 
敗戦まであと半年余り。物資不足はとっくに深刻化していたこの時期に、よくこんなしっかりした造本の書籍が刊行できたなという感じです。

3件ご紹介します。

まず、ラジオ。

保阪正康が語る昭和人物史 詩人 草野心平 第1回

NHKラジオ(AM) 2026年4月18日(土) 12:15-12:45

詩人の草野心平は、明治36年福島県の生まれ。大正8年に上京し慶應義塾に学びますが中退し、大正10年に中国広州の嶺南大学に入学しました。その後、兄の影響で詩を作り始め、同人誌「銅鑼」を創刊して高村光太郎とも知り合い、親交を深めます。昭和27年10月にラジオ第1で放送した「婦人の時間 智恵子抄について」では、命日を迎えた光太郎の妻・智恵子の思い出や、智恵子が残した「紙絵」の芸術性について語っています。

出演 保阪正康 梯久美子

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この番組では、4月4日(土)と18日(土)に「詩人・彫刻家 高村光太郎」として2回にわたり、光太郎の肉声が流されました。

まず自作詩の朗読。4月4日(土)の第1回では「風にのる智恵子」(昭和10年=1935)と「千鳥と遊ぶ智恵子」(昭和12年=1937)。いずれも昭和9年(1934)に智恵子が千葉九十九里浜で療養していた頃を回想して後に書かれた詩です。それから4月18日(土)の第2回で、智恵子没後の詩「梅酒」(昭和15年=1940)も流されました。すべて昭和27年(1952)、NHKのラジオ放送のため、花巻温泉松雲閣で詩人・真壁仁と行った対談後に収録されたものです。

他に対談。「彫刻と人生」と題した美術史家で晩年の光太郎に親炙した奥平英雄との対談で、昭和28年(1953)12月27日の録音、翌年1月7日に文化放送さんでオンエアされたものから、第1回、第2回ともに抜粋で取り上げられました。

第2回の方はNHKさんの聞き逃し配信サイトらじる★らじるで4月18日(土)午後0:45まで聴取可能です。

そして光太郎に続き、やはり2回にわたり当会の祖・草野心平。4月18日(土)の第1回では昭和27年(1952)10月6日にNHKラジオでオンエアされた「婦人の時間 智恵子抄について」から。光太郎とそれほど交流の深くなかった人物ではなく、最も側にいた心平の証言ですので、貴重だと思います。当方、聴いたことがありません。

肉声と言えば、昭和の終わりまで生きた心平の肉声はたくさん残っていると思われます。しかし、光太郎がらみとなるとそう多くはないでしょう。

市販されたものとしては、かつてNHKさんで販売していたCD『昭和の巨星肉声の記録 文学者編 室生犀星 高村光太郎』(平成8年=1996)に光太郎との対談「芸術よもやま話」が収められています。昭和30年(1955)のもので、確認出来ている限り光太郎肉声としては最後の録音です。光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」についても語られています。
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同じ対談は平成2年(1990)、同じくNHKさんで発行した『NHKカセットブック 肉声できく昭和の証言 作家編6』にも収録されています。
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それから、別テイクで『オーディオ詩集 高村光太郎』。株式会社アポロンで発行していた「アポロンカセットライブラリー」のラインナップの一つで、昭和52年(1977)のものです。
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27篇の詩朗読を含み、うち25篇は俳優の岡田英次(昭和42年=1967の松竹映画「智恵子抄」で柳敬助をモデルとした椿英介役でした)、そして2篇(「鉄を愛す」「樹下の二人」)が心平の朗読です。また、合間合間の10ヶ所ほどに心平による解説も入っています。「智恵子抄」収録詩篇や光太郎智恵子との思い出などが語られ、「保阪正康が語る……」で流されるのと同一音源なのかな、と思いましたが、こちらは明らかに光太郎没後の内容で、カセットの発行の頃に新たに録音されたもののようでした。

このカセット、デジタルでの復刻が望まれるところです。ちなみに同じシリーズでやはり心平が朗読、解説を担った「宮沢賢治詩集」もあります。

さて、紹介すべき事項が山積しており、テレビ番組についても。

やはり4月18日(土)のオンエア。

<土曜サスペンス>浅見光彦シリーズ22 首の女殺人事件

BSフジ 2026年4月18日(土) 13:00〜15:00

福島と島根で起こった二つの殺人事件。ルポライターの浅見光彦(中村俊介)と幼なじみの野沢光子(紫吹淳)は、事件の解決のため、高村光太郎の妻・智恵子が生まれた福島県岳温泉に向かう。光子とお見合いをした劇団作家・宮田治夫(冨家規政)の死の謎は? 宮田が戯曲「首の女」に託したメッセージとは? 浅見光彦が事件の真相にせまる!!

出演者 中村俊介 紫吹淳 姿晴香 菅原大吉 冨家規政 中谷彰宏 伊藤洋三郎 新藤栄作
    榎木孝明 野際陽子 ほか
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繰り返し再放送が為されているものですが、推理作家の故・内田康夫氏が昭和61年(1986)に発表された『「首の女(ひと)」殺人事件』を、ほぼ忠実に映像化した2時間ドラマです。初回放映は平成18年(2006)、光太郎彫刻の贋作を巡る殺人事件が描かれ、二本松の智恵子生家、花巻の旧高村記念館等でのロケが行われました。
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もう1件。こちらは来週。

歴史探偵 西郷隆盛 3つのミステリー

地上波NHK 総合 2026年4月22日(水) 22:00〜22:45

明治維新の英雄・西郷隆盛。日本史きっての有名人ながら、実はその生涯は謎だらけ。希代のカリスマとして新時代を築きながら、なぜ自らつくった政府に反旗を翻したのか?そして一度は逆賊とされながら、再び絶大な人気を得ることになったのはどうしてか?西郷をめぐる数々の謎を、各地に残る史料や証言、さらに上野の銅像などから徹底調査!今なお“西郷どん”が愛され続ける理由も解き明かす。あなたの知らない西郷がここにいる。

【司会】佐藤二朗 片山千恵子 【出演】多摩大学客員教授 河合敦 【リポーター】岡崎太希
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番組内容説明欄に「上野の銅像」とあり、光太郎の父・光雲が主任となって制作された西郷隆盛像も大きく取り上げられそうです。光雲の名が出るかどうか、というところですが……。

それぞれぜひご試聴ください。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)21 『天平彫刻』 小山美術新書1

昭和19年(1944)11月10日 小山書店 児島喜久雄編者代表
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目次
 天平彫刻について 上野直昭
 天平時代の仏像に対する断片的考察 木下杢太郎
 天平彫刻の技法について 高村光太郎
 天平彫刻私観 平櫛田中
 天平彫刻雑感 安田靱彦
 素材より見たる奈良彫刻の特性 野間清六
 天平仏像の構造法 新納忠之介
 奈良時代の鋳もの 香取秀真
 東大寺建立と天平の仏像 筒井英俊
 戒壇院四天王像に見る「格」に就て 丸尾彰三郎
 天平時代の彫刻と万葉集との関係 久松潜一
 天平の肖像彫刻 小林剛
 天平彫刻と写真 大口理夫
 天平彫刻と様式問題 児島喜久雄
 須菩提 廣津和郎
 新薬師寺本尊に関する問題 田中倉琅子
 図版解説
 図版目次
  原色版 三月堂 梵天帝釈天(安田靱彦氏画)
  写真版 
   第一図 東大寺三月堂 不空羂索観音像(松山志郎氏撮影)
   第二図 東大寺三月堂 月光菩薩像(松山志郎氏撮影)
   第三図 東大寺三月堂 日光菩薩像(松山志郎氏撮影)
   第四図 東大寺三月堂 月光菩薩像(入江泰吉氏撮影)
   第五図 東大寺三月堂 日光菩薩像(入江泰吉氏撮影)
   第六図 東大寺三月堂 吉祥天像(入江泰吉氏撮影)
   第七図 東大寺三月堂 執金剛神像(入江泰吉氏撮影)
   第八図 東大寺戒壇院 持国天像(佐藤辰三氏撮影)
   第九図 東大寺戒壇院 増長天像(佐藤辰三氏撮影)
   第十図 東大寺戒壇院 廣目天像(佐藤辰三氏撮影)
   第十一図 東大寺戒壇院 多聞天像(佐藤辰三氏撮影)
   第十二図 東大寺戒壇院 持国天像部分(入江泰吉氏撮影)
   第十三図  東大寺戒壇院 増長天像部分(入江泰吉氏撮影)
   第十四図  東大寺戒壇院 廣目天像部分(入江泰吉氏撮影)
   第十五図 東大寺戒壇院 多聞天像部分(小川晴暘氏撮影)
   第十六図 増長天踏鬼(入江泰吉氏撮影)
   第十七図 廣目天踏鬼(入江泰吉氏撮影)
   第十八図 興福寺 阿修羅王像(佐藤辰三氏撮影)
   第十九図 興福寺 阿修羅王像部分(佐藤辰三氏撮影)
   第二十図 興福寺 五部浄像(佐藤辰三氏撮影)
   第二十一図 興福寺 須菩提像(佐藤辰三氏撮影)
   第二十二図 唐招提寺開山堂 鑑真和上像部分(小川晴暘氏撮影)
   第二十三図 唐招提寺開山堂 鑑真和上像(佐藤辰三氏撮影)
   第二十四図 法隆寺夢殿 行信僧都像(小川晴暘氏撮影)
   第二十五図 新薬師寺 伐折羅像(佐藤辰三氏撮影)
   第二十六図 聖林寺 十一面観音菩薩像(佐藤辰三氏撮影)
   第二十七図 東大寺大仏殿前 銅造燈籠扉(佐藤辰三氏撮影)
   第二十八図 東大寺大仏殿前 燈籠扉音声菩薩細部(松山志郎氏撮影)
   第二十九図 東大寺三月堂 不空羂索観音宝冠化仏(松山志郎氏撮影)
   第三十図 東大寺誕生釈迦仏像(松山志郎氏撮影)
   第三十一図 大安寺 聖観音像(佐藤辰三氏撮影)
   第三十二図 薬師寺金堂 三尊像(佐藤辰三氏撮影)
   第三十三図 法隆寺綱封蔵光背(小川晴暘氏撮影)

編輯にあたったのは、上記「保阪正康の……」の光太郎の回で対談者として音声が流れた美術史家の奥平英雄。その奥平の回想『忘れ得ぬ人々』(平成5年=1993、瑠璃書房)によれば、
 
製本所から小山書店に届けられたのはごく一部(部数は不詳)で、大半は十一月二十四日の空襲で製本所に在庫のまま灰燼に帰してしまった。マリアナ基地を飛び立ったB29約七十機が東京を初爆撃、神田錦町、鎌倉町一帯を爆撃した際、製本所も災害を被ったからである。こうして苦心の末出来上った『天平彫刻』も少数を残したまま烏有に帰したのである。したがって僅かに残った初版本は幻の書ともいうべき稀覯本となった。

とあります。

確かに昭和23年(1948)と同29年(1954)の復刻は時折市場に出ていますが、19年(1943)の初版は見かけません。しかし、実際のところ、「幻の書」と呼べるかどうか、と感じています。というのは、当方、三回、この本を手にしたからです。
 
まず、カバーなしの裸本を見つけて購入しました。その後、上記画像のカバーつきが売りに出ていたのでそれも入手。裸本は神奈川近代文学館さんに寄贈しました。さらにその後、たまたま訪れた名古屋の古書店でも初版を見かけ、手にとってみました。また、国会図書館さんにも19年版の所蔵があります。

それらは光太郎ら執筆者に届けられたものなのかもしれません。

東日本大震災から15年ということで、今年は例年に較べ、3.11が過ぎても震災がらみの報道等が多いように感じています。記憶の風化を防ぐためにも重要なことですね

震災で甚大な被害を受けた宮城県女川町の「いのちの石碑」。避難の際の目印となるようにと、津波到達地点より高い場所、全21箇所に設置されたランドマークです。平成25年(2013)から当時の中学生たちが、同じ女川町の、あの日津波に呑まれて亡くなった貝(佐々木)廣氏が中心となって建てられた光太郎文学碑を参考に、「100円募金」で建てました。いわば光太郎文学碑の精神を受け継ぐプロジェクトです。最後の21基めの完成が令和3年(2021)でした。

そちらにも関わる内容で、MMTミヤギテレビさん制作のニュース映像。

「自分も力になりたい」震災後 人口減少進むふるさとに戻った『27歳』、津波で失った家業再建した家族のもとに…・宮城

 人口減少が進む宮城・女川町に、1人の男性が戻ってきました。津波で失った家業を再建した家族のもとで、ふるさとを支えていきます。
 3月末。女川町の高台にあるビジネスホテル「ステイイン鈴家」。木のぬくもりが感じられる食堂でひとり、夕食会場の準備をするのは鈴木元哉さん(27)。
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 元哉さん「きょうは60人以上ですね、66人とか」
 2025年の夏。元哉さんは経営する両親の後を継ぐため、地元へと戻りました。
004 003
 東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた女川町。800人あまりが、犠牲となりました。
 当時、元哉さんの両親は、町の中心部で祖父の代から続く旅館を営んでいました。
005 006
  元哉さん「(Q震災前が?)こういうやつ(写真)ですね。旅館で、町の真ん中のところで旅館やってました。だいぶ中心部で、一番大きい建物がマリンパル女川ってところだったんですけど、そこの裏にあった建物だったので」
 自宅兼店舗だった旅館は、津波にのまれました。目先の生活もままならない避難生活、それでも両親は地元・女川で商売を続けるため、震災から3年後の2014年、海を見渡す高台に現在のホテルをオープンしました。
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 元哉さんは、震災当時 小学校の卒業間近。母や弟・妹と高台の病院に逃げ、津波を目の当たりにしました。

 中学に入学して同級生とともに行ったのは、津波が到達した地点より高い場所に避難の目印を建てる『いのちの石碑』プロジェクトです。
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 “1000年後の命を守る”――中学1年生からアイディアを出し合い、修学旅行で行った東京でも募金活動も行いました。女川町に21あるすべての浜に石碑を建て、防災の教科書制作にも取り組みました。
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 元哉さん(2016年当時)
「思いを一つ一つ教科書を通してより多くの人に伝えられたらなと思い、もっと内容を深くして多くの人に伝えていきたい」
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 高校卒業後は、仙台の大学へ。就職先に選んだのは、東京の企業でした。
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 元哉さん「いずれ戻ってもいいかなと思ってたんですけど、(両親に)頼るのも嫌なので、今後伸びる業界で、確実に手に職がつくところって選んで東京のITの会社に新卒で入った」

 就職して4年。今の環境を変えたいと、考えていた時です。両親から「女川に戻ってこないか」と打診され、故郷に戻ることを決めました。
 元哉さん「他の田舎にいくとか、他の土地で働くってのも全然あったんですけど、戻るならやっぱり女川がいいなって思って」
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 ビジネス利用での長期滞在や団体客が多い「ステイイン鈴家」。料理を担当するのは父・哲也さんです。
 父・哲也さん「まだ包丁持ってまもないので。 やれることって限られるから、 補助役」
 普段の料理と、お客さんに出す料理は別物。父の背中を見ながら、一つ一つ仕事を覚えるため“修行”の毎日です。 30合のコメを炊くのも元哉さんの仕事。
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 元哉さん「だいぶ一苦労です。間違えちゃうと、30合無駄になっちゃうので。何回かそういうミスしてるんで、 ヒヤヒヤしながらおコメ研いでます。って忘れちゃったので(やり直し…笑う)」

 震災前 1万人以上いた女川町の人口は5600人ほどにまで減少しました。家族も、元哉さんの決断を喜んでいます。
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 母・由美子さん「これから大変だなと実感してたんですけど、心から本当によく帰ってきてくれたなっていう感謝の気持ちでいっぱいですね。震災後、人口もすごい流出してて、 若者の流出が止まらないってこともありましたので、 これから先 女川町とか町全体として力入れていかないと」
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 生まれ育った大切な故郷が、これからもっと元気になるように――。
 元哉さん「大人になってから戻ってきて、 全然見方が変わっていて、学生だった頃わからなかった大人の頑張りとか、 裏でこういうことやってたんだっていうのがひしひしと伝わったので、自分もその力になりたいというか。20~30年は頑張って働きたいなと思ってますし、もしまかせてくれるようなものやことがあれば力になりたいなと思ってます」

鈴木元哉さん。これまでも「いのちの石碑」の何基目が今度はどこどこに建った的な報道の際に何度かご登場。下記は平成30年(2018)のローカルニュースから。
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鈴家さんの息子さんとは存じませんでした。鈴家さんには平成27年(2015)の女川光太郎祭の折に2泊させていただきました。

それから、今回のニュースで、震災前は町中心部でマリンパル女川さんの裏手にあったとあり、さらに当時の画像を見て驚きました。
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光太郎文学碑が女川に出来て間もない平成の初め頃、それを見に初めて女川に行った際に泊めていただいたのもおそらくこちらでした。屋号まで記憶にありませんでしたが、画像を見て思い出しました。予約もせず飛び込みでしたが、快く泊めて下さったのを覚えています。

その鈴家さんの息子さんだったか……と、感慨深い次第です。

いわゆるUターン。人それぞれに個別の事情や考えがあるので、闇雲に推奨するというわけではありませんが、東京一極集中や地方の過疎化への対策として、悪いことではありません。当方も一応Uターン組ですし、息子は鉄砲玉のように各地を転々としていますが、娘はUターンで帰ってきています。

「地方創生」という言葉、最近はあまり聞かれなくなりました。大事なことだと思うのですが……。もっとも、地方だ都会だと云う前に、この国そのものが存立危機事態、国難ではどうにもなりません。わざわざそうしようとしているとしか思えない輩の跳梁跋扈が非常に気になる昨今ですが……。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)20 『名品手帖 日本美術論集』 

昭和19年(1944)8月15日 創芸社 大口理夫編
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目次
 一 夢殿観音菩薩像に就て 菅原安男  
二 十大弟子 高村光太郎
 三 観心寺秘仏 白畑よし       四 鳳凰堂に於ける建築意匠 大岡實
 五 青不動画 亀田孜         六 隆能源氏を模写して 縣治朗
 七 吉野水分の女神 丸尾彰三郎    八 駿牛図巻に就いて 森暢
 九 西芳寺の庭 田中倉琅子      一〇 伝周文筆山水図屏風に就て 谷信一
 一一 雪舟画山水論試稿 熊谷宣夫   一二 等伯の松林図屏風 土居次義
 一三 光琳燕子花図屏風 大口理夫   一四 大雅小懐録 龍村謙
 一五 陶磁三名工 豊田次郎坊主人
 図版目次
 一-二 夢殿観音像 奈良 法隆寺蔵  三-六 十大弟子像 奈良 興福寺蔵
 七-九 如意輪観音像 大阪 観心寺蔵 一〇 同像台座連弁 大阪 観心寺蔵
 一一-一五 鳳凰堂 京都 平等院所在 一六 鳳凰堂阿弥陀如来像 京都 平等院蔵
 一七 鳳凰堂天蓋 京都 平等院蔵   一八-一九 青不動像 京都 青蓮院蔵
 二〇-二二 源氏物語絵詞 東京 尾張徳川黎明会蔵
 二三-二四 玉依姫命像 奈良吉野水分神社蔵
 二五 駿牛図残闕 男爵 益田太郎氏蔵   同 帝室博物館蔵
 二六 駿牛図残闕 東京 田中親美氏蔵   同 東京 瀬津伊之助氏蔵
 二七 西芳寺庭園          
 二八 湘南亭 京都 西芳寺所在
 二九-三〇 伝周文筆山水図屏風 侯爵 前田利建氏蔵
 三一-三二 伝周文筆山水図屏風 神奈川 原壽枝子氏蔵
 三三 雪舟筆慈照院伝来山水図(部分) 帝室博物館蔵
 三四-三五 雪舟筆曼珠院伝来山水図 帝室博物館蔵
 三六 雪舟筆天橋立図 侯爵 山内豊景氏蔵
 三七-三九 等伯筆松林図屏風 子爵 福岡孝紹氏蔵
 四〇-四二 光琳筆燕子花図屏風 東京 根津美術館蔵
 四三-五六 十便十宜画冊 山口 桝谷晴弘氏蔵
 五七-五八 木米作呉須山水絵煎茶碗 岡山 小野久彦氏蔵
 五九 道八作赤絵赤壁賦水注 岡山 小野久彦氏蔵
 六〇 保全作旭薄螳螂図茶碗 帝室博物館蔵

敗戦のちょうど一年前に刊行された美術評論集です。

本邦美術名品の紹介ですが、西洋美術を一切排するあたり、大和民族の優秀性を喧伝し、国民の一致団結、戦意高揚を図り、そして国威発揚といった意図が透けて見えます。

今日も2件、ご紹介します。

まず4月1日(水)付け『毎日新聞』さん。

山田詠美さん(作家) 女流という「鬼」書く使命 『三頭の蝶の道』 先輩作家らの生、小説に003

 女流。昭和のある時期まで女性作家たちはそう呼ばれた。侮蔑的な意味もあり、今や文壇では死語となった。だが「女流と呼ばれていた時代の人たちが切磋琢磨(せっさたくま)しながら小説を書いてきた事実をなかったことにはできない」と作家の山田詠美さんは言う。
 デビュー40周年の節目に発表された新刊『三頭の蝶(ちょう)の道』(河出書房新社)で描くのは、女流という呼び名をプライドに変え、小説を編んだ女たちの物語だ。
 同時代に活躍した女性作家3人をめぐる群像劇。3章構成の各章は、それぞれの死にまつわる場面から始まり、編集者や親交のあった作家、親族らの回想から、彼女たちの生きた時間がひもとかれる。山田さんと交流のあった河野多恵子さんや瀬戸内寂聴さん、大庭みな子さんらを思わせる人物が登場するが、物語はあくまでフィクションの形をとる。
  3人の大作家は互いに<愛に近い敬意、そして嫉妬に近い憎しみ>を募らせつつ、ひたすら自分の文学世界を追求した。「性別なんか関係なく、文学を愛してきたんだっていうところは強調したかった」。その姿は、男も女も超えた「文学の鬼」だ。 <作家は、脳内で人を殺せてこそ、花。そう思わない?> 登場人物の一人、河合理智子の言葉にはすごみがある。
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 山田さんが作家デビューしたのは、男女雇用機会均等法が成立した1985年。26歳の時に書いた『ベッドタイムアイズ』で、河野さんらが選考委員を務める文芸賞を受賞したのがきっかけだった。芥川賞・直木賞初の女性選考委員として河野さんや田辺聖子さんらが就任した87年には、『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』で直木賞を受賞。時代の変化を肌で味わってきた。
  「女流の名をものともせず、自分が人間であることを文学で証明していくような人たちの姿を、私は末席で見続けた最後の世代」と自認する。ある日、若い女性作家が女流という言葉に吐き気がすると書いた文章を読み、違和感を覚えた。「『女流』たちがいたから、あなたたちが自由にものを書ける世界が広がったのではないか」と。 その名に誇りと無念さを抱きながら、今に続く道をならしてきた「女流」。彼女たちのことを小説に残すのは私しかいない。そんな「使命感」が本作に向かわせた。
 執筆の際、「先輩たちのことを思い浮かべるだけで広がるものがあった。何しろ存在そのものがドラマチックな人が多かったから」と振り返る。
 瀬戸内さんは最晩年、自身と河野さん、大庭さんのことを小説『いのち』(2017年)に書いたが、「同じ相手と付き合っていても人によって見え方は違う。私が見たものはそうではない、というところも意識しました」と話す。
 タイト15年、亡くなる約3週間前に病院へ見舞いに行った時のこと。「飛んでいる蝶を見て『あ、蝶が2匹』と言ったら、『蝶は1頭2頭と数えるの』と教えてくれました。その時、いつかこのことを書く時が来るって思ったんです。河野さんとのお別れは近いと感じていたから、ちょっとセンチメンタルにもなっていたのね」
 人間には見えないとされる、蝶だけの道のイメージと、自らの文学に身をささげた「女流」作家の生が重なり、物語が動き始めた。
 戦前、女の書く小説は主流ではないとみなされた時代に、女性作家たちは「日本女流文学者会」を立ち上げた。男性に名付けられるのではなく、自ら「女流」と名乗ることで自分たちの文学を肯定したのだ。<差別語を逆手に取って、自分たちの存在を主張するのは、言葉による決起ね>と理智子は言う。
 そうやって奮起し、闘ってきた女たちの歴史をこそ書き留めたかった。
 「女流という言葉は差別用語だから使うのはいけない、と言うのは簡単です。その中にあるさまざまな事情を書くのが小説であり、世の中が言っている事や『正しさ』みたいなものに小説はくみしない」
 小説家は、全員で何かを糾弾するところから「一人抜けて書く」ことを常に意識すべきだと考える。「数が多いと自分が強くなった気になるけど、それじゃダメ。弱いところにいて書かないと」. 敬愛する先輩たちも「女流」の旗の下にただ集まったのではない。文学に魅入られた一人一人が自分だけの言葉があると確信し、探し求めていた。「それらがだんだんと絡み合い、生まれてきた熱いもの」が時代を切り開いてきた。本作はその「熱い」年月を、山田さんだけの目と、耳と、感覚で捉えた一冊だ。 後ろの道しか見えない. 作家の道を歩み続けて40年 これからを問うと「私ね、高村光太郎(の『道程』)じゃないけど、後ろの道しか見えない」と返ってきた。「あした死ぬかもしれないっていつも思っていて、そうすると昨日までのことが重要に思えてくる」。いくつもの足跡が残る「昨日」が小説を形作るものになっていく。 「一つの小説を書き終えて、さあどうしようと考えていると、体の中に埋め込まれた記憶の引き出しが開くの。それでまた、ああそうだ、私まだまだこれを書かないと死ねないわって思うんです」

光太郎詩「道程」(大正3年=1914)はほんの刺身のツマ以下ですが(笑)。

本題は「女流」の語。現代の文壇では死語となったそうですが、確かにかつてはあたりまえのように使われていました。「女流文学」と大きな括りの場合もあれば、ジャンルごとに「女流作家」「女流詩人」「女流歌人」などとも。

女性と男性とでは、やはり物の見方、考え方、その他いろいろな相違は確かにあるのでしょう。しかしそれが生来のものである部分と、社会から「推奨」乃至は「強制」されたものである部分とがあるような気がします。そうした「推奨」乃至は「強制」に抗ってきた人々の歴史があってこそ文壇で「女流」の語が死語となったのだ、と、いうわけで。

山田氏の『三頭の蝶の道』、登場人物のモデルは河野多恵子、瀬戸内寂聴、大庭みな子を彷彿とさせられるそうですが、大正末から昭和一桁の生まれの人々ですね。さらに遡れば、この人々と交流があったり、影響を及ぼしたりした一世代前の「女流」として、光太郎智恵子とも交流の深かった与謝野晶子や平塚らいてうなどが浮かびますし、そこまで有名でなくても智恵子の親友で瀬戸内寂聴が評伝的小説を書いた田村俊子もいます。もっと遡れば樋口一葉などに近代としての源流があるのでしょう。山田氏曰く「女流の名をものともせず、自分が人間であることを文学で証明していくような人たち」。

ところで、文壇で「女流」の語が使われなくなったとはいえ、未だに「女性ならではの……」「女性特有の……」などといった形容は生き残っているような気はします。「男性ならでは……」「男性特有……」とは言いませんね。また、文学に限りませんが「女子力」というのも考えてみれば不思議な言葉ですね。

ちなみに現代、「女流」の語が現役で残っているのは囲碁・将棋の世界。囲碁の世界はよく存じませんが、将棋だと男女の別を撤廃し女流にもプロ編入に門戸を開いているようですが、現実にそれに挑戦する例は少なく、また、それで勝ち抜いた女流棋士はまだいないようです。今後の活躍に期待します。

さて、もう1件。4月7日(火)付けの『福島民報』さん一面コラム。

あぶくま抄 継承の旅路

震災と原発事故から、ちょうど2カ月後。沈んだ「ほんとの空」を、一機の自衛隊ヘリが横切った。計画的避難区域に指定された飯舘村と川俣町の上空に差しかかった時だった。「あそこがそうですね」▼声の主は、被災地訪問から帰路に就かれた今の上皇ご夫妻。言葉から、うかがえる。お二人がどれだけ「ふくしま」に心を寄せ、事前に状況を把握されていたか。県民とともに歩むご意思は、天皇、皇后両陛下に受け継がれた。即位後初めて浜通り入りされた。住民と温かく語らい、いばらの歩みに理解を深めている▼思いはさらに、世代を超えてつながれる。両陛下のご意向で長女愛子さまが同行されている。4年前、成年に当たっての記者会見。「苦難の道を歩む方々に思いを寄せ続けることも大切にしたい」と語った。はにかむ表情は待ちわびた春の陽光のよう。15年間固く張り詰めた心の氷を優しく、静かに解かす。今、清らかな風が舞う▼愛子さまのお名前の由来は、孟子の「人を愛するものは、他人も常にその人を愛す」。誰かを愛する人の輪が幾重にも、ほんとの空を覆ってくれたら。おじいさまと、おばあさまも、きっとそう願っておいでだ。

光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとの空」の語を繰り返して下さいました。ありがたし。「誰かを愛する人の輪が幾重にも、ほんとの空を覆ってくれたら」、そのとおりですね。

現実には真逆に「国論を二分する」とか何とか、わざわざ分断を煽ろうとする女性がなぜかもてはやされている現状で、実に頭の痛いところですし、その女性は何の権限があってか愛子さまをないがしろにしようとしているようですが……。

ところで東日本大震災、それに伴う原発事故から15年。明日はその関連で。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)19 『佐藤惣之助覚え帖』 

昭和18年(1943)8月25日 桜井書店 潮田武雄編
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目次
 大正型の詩人 河合酔茗     
 追弔三句 北原白秋
 詩魔佐藤惣之助氏 高村光太郎   佐藤惣之助君を憶ふ 川路柳虹
 ばら 室生犀星          佐藤惣之助君を想ふ 千家元麿
 佐藤惣之助君を悼む 白鳥省吾   佐藤は生きてゐる 福田正夫
 惣之助さん 深尾須磨子      遅いお礼 井上康文
 惣之助さんと交遊 勝承夫     佐藤惣之助さん 三好達治
 想ひ出の花束 高木斐瑳雄     男には三分の非人情 笹沢美明
 佐藤惣之助氏と私 尾崎士郎    遙かな潜水夫 釈迢空
 昔の水音 荻原井泉水       佐藤君の脚本 渥美清太郎
 佐藤氏を憶ふ 保田与重郎     うまのあつた釣友達 上山草人
 畏友・佐藤さん 大村能章     四十年の友 室積徂春
 憶ひ出 野間仁根         佐藤惣之助を悼む 高田力蔵
 夢の断片・釣と旅 飯田九一    畏友佐藤惣之助を追悼す 鈴木保徳
 大魚さん 高橋心一        折本会と佐藤君 雲井隣静
 酔花佐藤を憶ふ 栗原愛塔     故佐藤惣之助君追憶 佐藤栄秀
 川崎と兄さん 加藤斧青      ある夜の佐藤氏 潮田謙三郎
 惣之助の幼い頃 佐藤うめ     夫のこと 佐藤周子
 痛哭唱 潮田武雄         回想断片 椎橋好
 惣師死別 飯倉尚         五十年の旅 塩川秀次郎
 追悼惣先生 渡辺修三       あの日あの頃 久保田彦穂
 先生の俳句 門脇英鎮       惣師のことども 伊波南哲
 告別式の日其他 清水房之丞    楡の花が散ります 古川賢一郎
 「詩の家」の頃 杉浦杜夫       北南 津喜山一穂
 五月十五日 丸山泰        思想体系のない 三ツ村繁蔵
 雲丹を送らざるの記 夢野艸一   古赤絵の味 岡田悦哉
 最初のこと最後のこと 岡田榛名  巨師の横顔 中島勝利
 先生の霊に捧ぐ 村上就徳     ひとひらの蟲と化したまひし 戸塚八重子
 パパの思ひ出 天野静子      おもひで 壺田花子
 南方的詩人 澤木隆子       消えし人 永瀬清子
 ひぐらし 方等みゆき       先生の御臨終記 小山省
 惣之助の素描 椎橋好       後記 室生犀星
 佐藤惣之助ノート

前年に亡くなった詩人の佐藤惣之助の追悼文集です。ちなみに佐藤は作詞家でもあり、代表作は阪神タイガースの応援歌「六甲おろし」。逆に言うと、それ以外の部分では忘れられつつあるかな、という感じです。

光太郎は佐藤が主宰した詩誌『詩之家』にたびたび寄稿、さらにその題字も書いています。また、それより以前にやはり佐藤主宰の『テラコツタ』『嵐』などにも寄稿しているようなのですが、それらがかなり稀覯の部類に入るようで、いまだに確認出来ていません。情報をお持ちの方、ご教示頂ければ幸いです。

今年、光太郎は没後70周年、智恵子は生誕140周年です。

だから、と言うわけでもないのでしょうが、このところ、2人の名を新聞紙上でよく見かけます。ちょうど4月2日(木)の連翹忌前後のこのブログでも計4件ご紹介しました。

その後もそれが続きまして、今日明日と2日間に分け、また4件ほどご紹介します。

まず『東京新聞』さん、4月4日(土)掲載の劇作家・鴻上尚史氏によるコラム。

知識人まで「狂喜乱舞」した12月8日…太平洋戦争を選んだのは「国民」だった〈鴻上尚史の月2回コラム〉003

 「戦争反対」に関するSNS上の発言がまだ話題ですが、「戦争反対」に対する批判というか突っ込みで「戦争に賛成する者なんかいない。当たり前のことを偉そうに言うな」という反論を、ちらほらと見かけるようになりました。
  ◆開戦した12月8日、知識人が感じたことは
 まあ、確かに、「戦争賛成」とSNSで投稿する人は、日本では珍しいかもしれません。
 「ガザ攻撃支持」とか「ウクライナ撃滅」だの「イラン撃破」なんて勇ましい(?)言葉を海外のSNSで見ることはありますが、今のところ、戦争そのものを無条件で全面的に肯定した書き込みをする人は、日本では少数派でしょう。
 みんな一応、建前というか、原則としては「戦争はよくない」「戦争はなるべくはしてはいけないものだ」というスタンスだと思います。
 『朝、目覚めると、戦争が始まっていました』(方丈社)という本があります。
 昭和16年、12月8日のアジア・太平洋戦争が始まった日に、日本人はどう感じ、何を考えたのかを、当時の知識人・著名人50人余りの日記や回想録から集めた本です。
◆坂口安吾は東条首相の話をラジオで聞いて…
 戦後思想の巨人、吉本隆明氏は、17歳の時で、開戦のニュースを聞いた時は「ものすごく解放感がありました。パーッと天地が開けたほどの解放感でした」と回想しています。
 『ごん狐』が教科書で有名な童話作家、新美南吉は28歳の時で、「いよいよはじまったかと思った。何故か體(からだ)ががくがくと慄(ふる)へた。ばんざあいと大聲(おおごえ)で叫びながら駆け出したいやうな衝動も受けた」と書きました。
 『堕落論』で戦後注目された、坂口安吾は35歳の時で、東条首相の話をラジオで聞いて、「涙が流れた。言葉のいらない時が来た。必要ならば、僕の命も捧げねばならぬ。一歩たりとも、敵をわが国土に入れてはならぬ」と感じました。
◆多くの著名人が「新世界が始まるような」感情に
 同じく作家の横光利一は43歳の時で、「戦はついに始まった。そして大勝した。先祖を神だと信じた民族が勝ったのだ。自分は不思議以上のものを感じた。出るものが出たのだ」と書きました。
 詩人室生犀星は52歳で、「十二月八日」と題した詩は、冒頭
「何かを言いあらわそうとする者/そして言いあらわせない者/よろこびの大きさに打たれて/ここで凝乎として喜んでいる者/よろこび過ぎて言葉を失った瞬間/人は初めて自分の我欲をなくし/何とかして/偉大な喜びをあらわしたいとあせる」
としました。
 同じく詩人の高村光太郎は58歳。「おのずから身うちがしまり、いつのまにか眼鏡が曇って来た」「世界は一新せられた。時代はたった今大きく区切られた。昨日は遠い昔のようである。現在そのものは高められ確然たる軌道に乗り、純一深遠な意味を帯び、光を発し、いくらでもゆけるものとなった」
 民俗学者の折口信夫は54歳で「宣戦のみことのりの降ったをりの感激、せめてまう十年若くて、うけたまはらなかったことの、くちをしいほど、心をどりを覺(おぼ)えた」と書きました。
 歌人の斎藤茂吉は59歳。「老生ノ紅血躍動!」と書きました。
 軍人や政治家が開戦を肯定的に評価するのは、当然かもしれませんが、圧倒的多数の著名人や知識人が12月8日を「感動し、落涙し、身が引き締まる思いがし、新世界が始まるような」肯定的な感情で迎えたことが、この本から分かります。
◆だからこそ「戦争反対」と言い続けたい
 反発したのは、ほんの少数。
 詩人の金子光晴は45歳で「僕は、アメリカとの戦争が始まった時、二、三の客を前にしながら、不覚にも慎みを忘れ、『ばかやろう!』と大声でラジオにどなった」と回想しました。
 「芸術は爆発だ」の岡本太郎は30歳。「まさか──私はガク然とした。日本は独伊と同盟を結んでいた。しかしそれは米英などとのさまざまの交渉を有利に展開するためのかけひきであって、強硬なのも結局ポーズだけかと思っていたのに。
 もう入隊はきまっている。ああ、オレは間違いなく死ぬんだ。死んでやろう。私ははり裂ける思いで家の外に飛び出した。ふりあおいだ冬空は限りなく青かった」と書きました。
 軍部が暴走したわけでも、政府にだまされたわけでも、資本家が先頭を走ったわけでもなく、まず国民が率先して戦争を選んだ。そして、戦争が始まったことに狂喜乱舞した。
 だからこそ、ふだんから「戦争反対」と言い続け、魂の奥底まで刻むことが大切なのだと僕は思います。

引用されている光太郎作品は「十二月八日の記」と題する散文です。昭和16年(1941)のこの日、光太郎は議員を務めていた第二回中央協力会議出席のため丸ノ内の大政翼賛会本部に居ました。しかし予定の時刻を過ぎても会議が始まらず、待たされている間に開戦の詔勅が放送され、引用されているのはそれを聴いての感想の部分です。

その他、まだ学生だった吉本隆明、新美南吉、坂口安吾、横光利一、室生犀星、折口信夫、斎藤茂吉……。異口同音に開戦時を語っています。岡本太郎や金子光晴は「反発」と扱われています。しかし岡本太郎はともかく、金子光晴に関しては額面通りに受け取れません。以前にも書きましたが、金子は戦後になって、本人というより取り巻きの操作で「戦時中も反戦を貫いた」という評が為され、そのように受けとめられています(現代の文芸評論界の大御所もころっと騙されています)が、開戦後には数は少ないもののコテコテの翼賛詩文を書いて発表しています。光太郎ほどの積極的協力ではなかったにせよ「戦時中も反戦を貫いた」とはとても言い難いのです。「『ばかやろう!』と大声でラジオにどなった」のも、ヒューマニスティックな心の叫びというより、個人的なものにすぎないでしょう。

軍部が暴走したわけでも、政府にだまされたわけでも、資本家が先頭を走ったわけでもなく、まず国民が率先して戦争を選んだ。そして、戦争が始まったことに狂喜乱舞した。」この愚を繰り返してはいけないわけですが、昨今の世情をみるに、つのるのは危機感ばかりです。

その後、戦争を煽った光太郎は戦後になってそれを深く悔い、花巻郊外旧太田村の劣悪な環境で7年間もの蟄居生活を送りました。その間、天職と定めていた彫刻も封印。それは自らに課した最大の罰でした。だから光太郎は偉い、と言うつもりもありませんが(犯した罪は消えませんので)、他のほとんどの文学者たちは、戦時中の行動を無かったことにしたり、強制されてのもので本意ではなかったと言い訳したり、戦後になっても皇国史観から抜け出せずに開き直ったりしました。

そんな醜い姿は見たくありませんね。

続いて『朝日新聞』さん。編集委員・高橋純子氏の稿。4月11日(土)掲載分です。

(多事奏論)現れぬ首相と光の波 主権者のパワー、畏れぬわけには

002 高市早苗首相に聞きたいことがある。
 先の総選挙で歴史的大勝を収めたからこそ、依然として高い支持率を維持しているからこその純粋かつ単純、そして根本的な疑問。感情的にならぬようゆっくりと、腹に力を込めて、聞きたい。
 どうしてあなたは、なんのためにあなたは、首相になったのですか?
     *
 これほど「現れない」首相は前代未聞だろう。新年度予算案をめぐる参院集中審議への出席は10時間弱。石破茂政権の4分の1。おきて破りの型破り。この国に住まう人びとが必死に働いて納めた税金をどう使うのか。この国が抱える多くの課題に、どう対処するつもりなのか。首相たるもの、国権の最高機関である国会で説明し、できるだけ多くの納得を得るよう力を尽くすのは当然のことだ。イロハのイ、50音ならア、アルファベットならA。そこから始まる。そこからしか始まらない。
 中東情勢の緊迫化は、私たちの生活にどのような影響を及ぼすのか。情報が入り乱れ、日に日に増す人びとの不安をなだめられるのは、政治リーダーの明確なメッセージしかない。ただし、メッセージとは単なる言葉ではない。思いの乗った、身体性を宿した言葉だからこそ人びとに届き、刺さる。ゆえに政治リーダーは「現れ」なければならないのだ。
 ところが高市首相は記者会見を開かない。ぶら下がり取材もごくまれ。言いたいことがある時はXに投稿し、終わり。
 たとえば4月4日夕の投稿は「中東情勢に伴い供給が制約を受ける可能性がある重要物資の安定確保のための高市内閣の取組の現状について、説明致します」と、○○を実現した、××を進めていると日報のごとく細かく列挙したうえで、「繰り返しになりますが、原油及び石油製品の『日本全体として必要な量』は確保されています」。そして最後は「高市内閣の総力を挙げて、きめ細かく対応してまいります!」
 “日本全体として必要な量”をカギカッコでくくる「大本営発表」ぶりも鼻につくが、それよりなにより、供給不足や値上げに頭を抱えている業者、人工透析が続けられるのかと不安におびえている患者らへ向けた、いたわりやねぎらいがひとことも、ただのひとこともないことには驚きを禁じ得ない。そして最後、突如として繰り出される「!」。私はやってる!私は間違ってない!――どんな局面でも「私」が前面に出てくる、この感じ。私はシンプルに、こわいと思う。
 智恵子は「東京には空がない」と言ったが、私は「高市首相には『畏(おそ)れ』がない」と言いたい。多寡はともかく安倍―菅―岸田―石破首相には確かにあった、国民の命を預かっているという、畏れ。
 想像してみる。権力者が極限状態に置かれ、「玉砕せよ!」と命を下さねばならぬ局面を。高市氏はとても滑らかに命じてみせるのではないかと、危惧する。
     *
004 「戦争反対!」「憲法守れ!」「高市政権いますぐ退陣!」。コール&レスポンスが夜空に響く。歩道を埋め尽くす色とりどりのペンライトがそのたびに揺れ、美しい波となる――。8日夜、国会前で開かれたデモに、主催者発表で3万人が参加した。「国民なめるな!」のコールも聞こえる。この国の主は主権者ひとりひとりであることを、主権者にはパワーがあることを、光の波は教える。畏れを知らぬ首相もいずれ、この波を見るだろう。畏怖(いふ)せずにいられないはずだ。まともな権力者であるならば。

智恵子は「東京には空がない」と言った」は本題とはあまり関係ありませんが(笑)。しかし、「東京には空がない」と言った智恵子は、光太郎曰くかつてこの国に存在していた(現代でもそれに近い輩が居ますが)「傍若無人のがさつな階級」を「身ぶるひする程いやがつていた」そうです。

010   報告(智恵子に)
 
 日本はすつかり変りました。
 あなたの身ぶるひする程いやがつてゐた
 あの傍若無人のがさつな階級が
 とにかく存在しないことになりました。
 すつかり変つたといつても、
 それは他力による変革で
 (日本の再教育と人はいひます。)
 内からの爆発であなたのやうに、
 あんないきいきした新しい世界を
 命にかけてしんから望んだ
 さういふ自力で得たのでないことが
 あなたの前では恥しい。
 あなたこそまことの自由を求めました。
 求められない鉄の囲ひの中にゐて、
 あなたがあんなに求めたものは、
 結局あなたを此世の意識の外に逐ひ、
 あなたの頭をこはしました。
 あなたの苦しみを今こそ思ふ。
 日本の形は変りましたが、
 あの苦しみを持たないわれわれの変革を
 あなたに報告するのはつらいことです。

自らの半生と戦時中の翼賛活動を省察する連作詩「暗愚小伝」(昭和22年=1947)終末近くに置かれた詩です。新潮文庫版の『智恵子抄』に掲載されています。敗戦後のGHQ主導による大変革を目の当たりにし、それを智恵子がどう受けとめるか、という内容です。

そういうのであれば、なぜ智恵子が「身ぶるひする程いやがつていた」「傍若無人のがさつな階級」にとことん協力したんだ、と突っ込みたくなりますが、それをやらないわけにはいかない世情だったわけで……。

つくづく「傍若無人のがさつな」人物の思うようにされる、そういう世の中に戻してはいけないと、強く思います。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)18 『日本の母』 

昭和18年(1943)4月18日 春陽堂書店 日本文学報国会編
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目次
 序 徳富猪一郎
 日本の母を頌ふ 作詞 佐藤春夫
 信仰で乗切る荒波(樺太・水本ハマコさん) 甲賀三郎
 北海道の原野を開墾(北海道・浅井リヘさん) 丸山義二
 巨きな母の手(青森県・豊川やささん) 土師清二
 嬰児・妊婦の温き母(岩手県・伊藤尚子刀自) 土屋文明
 黙々と二十年(秋田県・佐々木スヱさん) 和田伝
 日本一子宝部隊長(宮城県・白戸キミさん) 辰野九紫
 雄々しや女集配手(山形県・土井於末さん) 結城哀草果
 三代続く誉れの寡婦(福島県・室井キヤさん) 加藤武雄
 忠臣の裔(東京府・篠尾はる子さん) 菊池寛
 浅草の「日本の母」(東京府・平間りつさん) 久保田万太郎
 明朗に豊かに生きてゐる人(茨城県・八代まつさん) 佐藤春夫
 出征兵を叱る慈愛(栃木県・新井種子刀自) 長谷川伸
 家の為に子の為にお国の為に(群馬県・小板橋はるさん) 佐佐木信綱
 母性愛像ををろがむ(千葉県・富田てるさん) 吉植庄亮
 遺愛の柿の木紅し(埼玉県・金子淳美さん) 大佛次郎
 女手一つに護る田畑(神奈川・村野かめよさん) 岩田豊雄
 巻頭(まきがしら)の妻の心(新潟県・星野とよさん) 貴司山治
 女手で通した牛飼(富山県・三村ちよさん) 尾崎一雄
 白衣の夫と卅七年(石川県・遠藤常盤さん) 深田久弥
 良き母は良き妻(福井県・高島フジヲさん) 中野実
 遺骨を抱きしめて(岐阜県・沼田ミツさん) 日比野士郎
 真実こもる農作物(長野県・井上ツタエさん) 川端康成
 山道の小母さん(山梨県・井上くまさん) 高村光太郎
 萩咲く日(静岡県・鈴木せいさん) 水原秋桜子
 男勝りの鎌・腰に(愛知県・橋本すずさん) 富安風生
 母ひとり子ひとり(滋賀県・高橋政栄さん) 野澤富美子
 花売り・日雇ひ二十年(京都府・谷本このさん) 川田順
 右眼犠牲の機織り(大阪府・西田フジさん) 藤澤恒夫
 老いてなほ増産報国(奈良県・松辺キクさん) 西條八十
 扶助も断り青物行商(三重県・横山ちうさん) 古谷綱武
 尊し・音なき愛の鞭(和歌山・久保まつゑさん) 大庭さち子
 心に責む子の戦病死(兵庫県・前川きみさん) 豊田正子
 故山に独り墓守り(鳥取県・山谷よしさん) 舟橋聖一
 石見の国に我見たり(島根県・岡村トキさん) 尾崎喜八
 戦死した子に済まぬ(岡山県・武田春さん) 棟田博
 港の誇る「母の水船」(広島県・中村セキノさん) 竹田敏彦
 空の子へ愛の座布団(山口県・氏木アキさん) 中山義秀
 平凡の美徳(香川県・棚田キノさん) 壺井栄
 塩田に働く健女(徳島県・西トクヱさん) 海野十三
 戦盲の夫へ戦況地図(高知県・入間貴久衛さん) 濱本浩
 五児に通ふ鍬の心(愛媛県・高井キクヨさん) 岡田禎子
 誉の家守る苦闘三年(福岡県・三原乙女さん) 白井喬二
 切々の書に戦友泣く(佐賀県・桃井フデさん) 小島政二郞
 陶土にまみれ廿年(長崎県・太田フキさん) 福田清人
 男も唸る材木担ぎ(大分県・森島マサキさん) 真杉静枝
 親の心知る子供達(熊本県・野口ハルさん) 坪田譲治
 兄は陸軍弟は海軍(宮崎県・高山ハツヲさん) 中村武羅夫
 兵隊さん故伜さん〃(広島県・小村セイさん) 戸川貞雄
 南風の章(沖縄県・比嘉カナさん) 劉寒吉
 跋 読売新聞社編集局長 中浦義親

光太郎が詩部会長を務めていた日本文学報国会によるものです。当時の『読売報知新聞』とタイアップ、同紙に49回にわたって連載された「日本の母」を一冊にまとめたもの。

黙々とわが子を育み、戦場に送る無名の「母」を顕彰するため、各府県の軍人援護会などの協力で取材対象者をピックアップし、光太郎ら49人の文士を現地に派遣して書かれました。

光太郎の稿「山道の小母さん」で取り上げられている井上くまは、山梨県南巨摩郡穂積村(現・富士川町上高下(かみたかおり)地区)在住の寡婦で、早くに夫を亡くし女手一つで育てた2人の息子は共に召集、この時点で次男の方は満州で戦病死していました。

それでも気丈に生きる彼女に会って感動した光太郎は、「山道のをばさん」という詩も作りました。現地にはこの際に光太郎が訪れたゆかりの地ということで、短句「うつくしきものみつ」を刻んだ碑が建てられています。

上記『朝日』さんで槍玉に挙げられている「傍若無人のがさつな」人物、こういう書籍が出版される世の中に戻したいのでしょうか。

智恵子主人公の演劇公演情報を2件。

日程順に、まずは栃木から。

百景社ツアー2026『売り言葉』宇都宮公演

期 日 : 2026年4月18日(土)・4月19日(日)
会 場 : アトリエほんまる 宇都宮市本丸町1-39
時 間 : 4月18日(土)14:00 / 19:00  4月19日(日)14:00
料 金 : 一般:3,000円 U22(22歳以下):1,500円

彫刻家であり詩人でもあった高村光太郎が、妻・智恵子のことを綴った『智恵子抄』。純愛詩集として知られたこの作品を題材として、野田秀樹が"智恵子"側の目線から描いたのが「売り言葉」です。昨年百景社アトリエにて、一人芝居として書かれたこの戯曲を女優3人で上演、好評を博しました。今年は本作でツアー公演を行います。百景社初の宇都宮公演、そして5年ぶりのツアー公演!

【作】野田秀樹  【潤色・演出】志賀亮史
【出演】山本晃子、鬼頭愛(以上、百景社)、久保庭尚子
000
「売り言葉」は野田秀樹氏の脚本。平成14年(2002)に大竹しのぶさんによる一人芝居として南青山スパイラルホールさんで初演されました。翌年、野田氏の『二十一世紀最初の戯曲集』(新潮社)に収められ、その後、プロアマ問わず多くの劇団さんや個人の方による公演が毎年のように全国で行われています。今回の百景社さんも、昨年、茨城の土浦で公演なさっています

数ある光太郎智恵子系の演劇の中で、最もシニカルな見方で描かれたもので、光太郎との生活の中で徐々に毀れていく智恵子が表現されていますが、浅い見方しかできない人は光太郎のモラハラ的な部分のみしか目につかず「これで光太郎が嫌いになった」……。

たしかに光太郎は「芸術家たる者、かくあるべし」という部分を自らにストイックなまでに課し、実践しようとしました。しかし、それと同じことを智恵子に強制したかというと、そこは何とも言えません。もはや当事者にしか分からないことでしょうし、当事者二人それぞれでも受け止め方は微妙に異なるでしょうし。

当方としては、光太郎は智恵子に対し「芸術家たる者、かくあるべし」という理想の姿を智恵子に「望み」はしたものの「強制」まではしていなかったのではないかと思っています。光太郎は智恵子の油絵の才能を、そこまで高く評価していませんでした。となると、要求するハードルの高さもそれほどではなかったような気がします。

却って智恵子の方が「芸術家たる者、かくあるべし」という幻想に取り憑かれ、自らハードルの高さを高く設定し、自分で自分を追い詰めていたのではないかと……。もちろん「芸術家たる者、かくあるべし」と追求する姿勢は光太郎に感化されてのものではあったでしょうが。

しかしなかなかそれが思うようにうまくいかない→故郷の造り酒屋に帰って安達太良山の山の上に毎日広がる「ほんとの空」を見て活力を取り戻す→しかし東京に戻るとやはりだめ、の繰り返しでした。それを光太郎も容認していたわけで、つい先日も引用しましたが、「私と同棲してからも一年に三四箇月は郷里の家に帰つてゐた。田舎の空気を吸つて来なければ身体(からだ)が保(も)たないのであつた」(「智恵子の半生」 昭和15年=1940)。光太郎としてはかなり智恵子に自由にさせていたわけです。

ところが、智恵子が追い詰められているという時に光太郎がどれだけ適切なケアをできたのかというと、結果的にはそれが不十分だったわけで、そうして智恵子は毀れてしまったと言えるでしょう。光太郎としては「後から考えればそうだった」と百も承知で『智恵子抄』を編んだのだと思われます。だから戦後の詩文集『智恵子抄その後』の「あとがき」に「「智恵子抄」は徹頭徹尾くるしく悲しい詩集であつた。」と書いているのだと考えられます。

そういったことに思いを馳せながら観ていただきたい脚本です。

百景社さん、「ツアー」と銘打ってらっしゃいます。宇都宮公演を皮切りに、全国4箇所で講演を打たれるそうです。今後の予定は以下の通り。

 津公演  2026年5月16日(土)~5月17日(日)【会場】津あけぼの座(三重県津市)
 長崎公演 2026年5月30日(土)~5月31日(日)【会場】アトリエPentA(長崎県長崎市)
 上田公演 2026年6月13日(土)~6月14日(日)【会場】犀の角(長野県上田市)
 
上記のように諸刃の剣的な要素の濃い脚本ですので、「これで光太郎が嫌いになった」という人が増えないことを望みます。

紹介すべき事項が山積しておりまして、もう1件。富山での公演。

劇団「喜び」公演「智恵子抄」

期 日 : 2026年4月19日(日)
会 場 : ウイング・ウイング高岡 富山県高岡市末広町1番8号
時 間 : 昼の部14:00~ 夕の部18:00~
料 金 : 前売 大人 3,000円 中高生 1,500円/当日 大人 3,500円 中高生 1,500円

出 演 : 茶山千恵子 平田久子

高村光太郎「智恵子抄」に心酔して40年になります。演劇を続けながら、いつか「智恵子抄」を演りたいと強く願うようになり、自分なりの脚本を書いたのが12年前です。それから一人芝居で「智恵子抄」を公演し、1年半前には東京公演に挑戦しました。昨年から、智恵子さんの故郷である福島県二本松に何度も出向き、生家を訪れてきました。私にとっても第二の故郷になりました。

今回の公演では、30年ぶりに再開した平田久子さんに、宮崎春子「紙絵の思い出」を朗読して頂きます。春子さんは智恵子さんの姪で、介護をしてくれました。久子さんは春子さんのイメージにピッタリなので楽しみなんですよ。

朗読から一人芝居へと構成しています。皆様、どうぞお楽しみに~
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富山県高岡市ご在住の茶山千恵子氏。連翹忌の集いにもご参加下さり、地元で光太郎智恵子に関する市民講座講師を務められたり、ご自宅を開放なさって花巻のやつかの森LLCさん考案のレシピを元に調理された「光太郎ランチ」を予約の方に振る舞われたりと、精力的に活動されています。

「智恵子抄」は、令和元年(2019)に富山で、そして一昨年には荻窪小劇場さんで上演されました。こちらは「売り言葉」とは異なり、智恵子へのリスペクト溢れる演出です。

画家の平田久子氏が友情出演的な感じで、智恵子の姪で当時の一等看護婦の資格を持ち、南品川ゼームス坂病院で智恵子の最期を看取った宮崎春子の回想「紙絵のおもいで」を朗読なさるそうです。

それぞれご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)17 『続仏蘭西詩集』 

昭和18年(1943)1月20日 青磁社 菱山修三編
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目次
 山内義雄 共和国戦死者に捧ぐる歌 ポオル・クロオデル
 菱山修三 未知なるものへの祈り ジュウル・シュペルヴイエル
 淀野隆三 ものみな黄昏初める時 レオン-ポオル・フアルグ
 堀口大学 A・O・パルナブウトの詩篇より ヴアルリイ・ラルボオ
 井上究一郎 火 フランシス・ジヤム
 堀辰雄 生けるものと死せるものと ノワイユ侯爵夫人
 青柳瑞穂 マルドロオルの歌 ロオトレアモン
 花島克巳 節度 ポオル・ヴエルレエヌ
 鈴木信太郎 綺語詩篇 ステフアヌ・マラルメ
 高村光太郎 午後の時 エミイル・ヹルハアラン
 あとがき

昭和16年(1941)に同じ青磁社から出た『仏蘭西詩集』の続編という位置づけです。光太郎訳はベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレンの「午後の時」。ヴェルハーレンが妻のマルト・マッサンとの日々を謳った「智恵子抄」にも通じる内容です。

正続ともに戦後にかけ、複数の版が存在します。

昨日開幕の特別展です。

特別展「近代文学でよむ文の京の坂と名所」

期 日 : 2026年4月11日(土)~6月28日(日)
会 場 : 文京区立森鷗外記念館 東京都文京区千駄木1-23-4
時 間 : 10:00〜18:00
休 館 : 4月27日(月)・28日(火) 5月25日(月)・26日(火) 6月22日(月)・23日(火)
料 金 : 一般600円(20名以上の団体:480円)  中学生以下無料

 文の京(ふみのみやこ/文京区)には、根津神社や小石川植物園、団子坂など明治以前から現在に至るまで親しまれている名所や坂がたくさんあります。また、明治初期に本郷に移転した東京大学の周辺には、のちに作家となる若者たちが多く暮らしていました。
 明治から昭和初期の近代文学の中には、文の京を人々が行きかい、名所が登場する作品があります。鴎外『青年』では主人公が根津神社を通り過ぎ、夏目漱石『三四郎』は東京大学構内、石川啄木『天鵞絨(ビロウド)』は混雑した本郷三丁目、徳田秋声『みち芝』は牛天神(北野神社)、中野重治『むらぎも』は富坂、泉鏡花『外科室』は小石川植物園が書かれました。志賀直哉は『クマ』で飼い犬を追って護国寺へと走ります。樋口一葉は、日記に名所への外出を書き残しました。
 他方、鴎外の住んだ観潮楼は、秋に菊人形でにぎわった千駄木、団子坂上に建っていました(現・当館所在地)。周辺には高村光太郎、宮本百合子、室生犀星、江戸川乱歩なども住み、千駄木は彼らの生活圏であり、作品にも書かれました。
 本展では、明治から昭和初期の近代文学に書かれた文の京の坂と名所を紹介します。100年ほど前の風景や人々の営みを近代文学でよんでいきます。 
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イベント情報

「文豪とアルケミスト」 タイアップ企画
2026年4月11日(土)~2026年6月28日(日)
特別展会期中(2026年4月11日~6月28日)、文豪転生シミュレーションゲーム「文豪とアルケミスト」(DMM GAMES)とのタイアップ企画を行います。
地下展示室入口に描き起こしイラストのバナーと、森鴎外、高村光太郎、室生犀星、江戸川乱歩の等身大パネルを展示しています。
開催期間(4/11~6/28)のみ、《鴎外胸像》も共に撮影いただけます。SNSへのアップもOKです。文京区・千駄木にて、皆様のお越しをお待ちしております。
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特別展ギャラリートーク
2026年4月29日(水)
展示担当者による特別展「近代文学でよむ文の京の坂と名所」のギャラリートークです。
申込不要のイベントです。当日の展示観覧券をお持ちください。
日時:2026年4月29日(水・祝)14時~(30分程度)

デビュー前に団子坂で暮らした乱歩の生活と、この地を舞台にした小説「D坂の殺人事件」についてお話しします。
講師:杉本佳奈 氏(立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター助教)
日時:5月23日(土)14時~15時30分
会場:文京区立森鴎外記念館 2階講座室
定員:50名(事前申込制)
料金:無料(参加票と本展覧会観覧券(半券可)が必要)
申込締切:5月8日(金)必着

近年の旅行熱や「文豪」ブームなどで再脚光を浴びている文学散歩。その起源や魅力を鴎外や文京ゆかりの作家たちとともに語ります。
講師:大木志門 氏(東海大学教授)
日時:6月6日(土)14時~15時30分
会場:文京区立森鴎外記念館 2階講座室
定員:50名(事前申込制)
料金:無料(参加票と本展覧会観覧券(半券可)が必要)
申込締切:5月22日(金)必着

出品目録に依れば光太郎著書『某月某日』(昭和18年=1943)が出ています。その他、予告解説文には光太郎の名があるので、解説パネル等で鷗外同様団子坂近くに居を構えた光太郎についても少しは触れられているのではないでしょうか。それが無かったら見識を疑います(笑)。

関連イベントとして、ゲーム「文豪とアルケミスト」とのタイアップ企画。こちらではゲームキャラクターとしての光太郎の等身大パネル(上の画像で左端)も出ているそうです。

それから、6月6日(土)には東海大学さんの大木志門教授によるご講演。「文京から花開いた文学散歩―野田宇太郎と観潮楼を起点に」と題されています。

野田宇太郎は文学散歩的な視点をメインに明治大正の文学史を俯瞰した書物を多く著し、そのうち『パンの会』(昭和24年=1949)は、当時花巻郊外旧太田村に隠棲していた光太郎にも送られ、光太郎からの礼状が遺されていますし、光太郎が当会の祖・草野心平に宛てた書簡や高見順との対談で、同書に深く感心したことが述べられています。また、野田はずばり『文学散歩』という雑誌も主宰。十和田湖にからめた光太郎の小特集を組んだり(昭和36年=1961)もしてくれました。直接、野田と光太郎に面識があったのかどうかは光太郎側からの資料では不明ですが。

講師の大木教授は昨年、神田の八木書店さんで開催された「近代文学特別講座 活字をはみだすもの 第25回 高村光太郎「独居自炊」の思想―宮崎稔宛書簡から」の講師も務められ、その際に知遇を得ました。タイアップ企画の「文豪とアルケミスト」にも関心を寄せられ、『文豪とアルケミストを本気で考えてみた』を共著で出されるなど、柔軟な思考をお持ちの方です。

当方、こちらを申し込みました。抽選に当たることを祈念しております。その前に展示のみは来週あたり拝見に伺うつもりです。

皆様方も是非どうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)16 『日本美術の鑑賞 古代編』 

昭和17年(1942)6月20日 帝国教育会出版部 北川桃雄/奥平英雄編
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目次
 序
 伊勢神宮 伊東忠太 ブルーノ・タウト
 埴輪 濱田耕作         法隆寺の建築 伊東忠太
 法隆寺の五重塔 関野貞     法隆寺の釈迦三尊 フェノロサ
 百済観音 会津八一 植田壽蔵     夢殿観音 フェノロサ
 夢殿秘仏抄 中村憲吉 島木赤彦 香取秀真 会津八一
 中宮寺観音 和辻哲郎      大和の国法起寺 木下利玄
 広隆寺の弥勒 田澤坦      法隆寺金堂阿弥陀浄土 児島喜久雄
 法隆寺の壁画 安田靭彦     薬師寺三重塔 足立泰
 薬師寺聖観音 木村素衛     薬師寺金堂薬師堂 足立康
 新薬師寺香薬師像 松本栄一   東大寺三月堂 関野克
 法華堂不空羂索観音 植田壽蔵  三月堂月光像 源豊宗 岡倉天心
 三月堂執金剛 瀧井孝作     戒壇院の増長天 高村光太郎
 戒壇院四天王 岡倉天心     夢殿 岸田日出刀 会津八一 北原白秋
 興福寺八部衆像 大口理夫    興福寺十大弟子 高村光太郎
 聖林寺十一面観音 和辻哲郎   唐招提寺金堂 東伏見邦英
 鑑真和上像 北原白秋      唐招提寺千手観音 東伏見邦英
 薬師寺の吉祥天女 和辻哲郎   鳥毛立女屏風 中井宗太郎
 神護寺薬師如来 源豊宗     法華寺十一面観音 植田壽蔵
 観心寺の秘仏 瀧井孝作     唐招提寺木彫如来形像 高村光太郎
 道明寺十一面観音 濱田耕作   高野の赤不動 野口米次郎
 清涼殿 中村憲吉        京都御所 岸田日出刀
 鳳凰堂 関野貞         定朝の阿弥陀像 矢代幸雄
 厳島神社 関野貞        光堂 泉鏡花
 一字金輪像 源豊宗       浄瑠璃寺吉祥天女像 丸尾彰三郎
 舞楽面 野間清六        普賢菩薩像 秋山光夫
 孔雀明王図 濱田耕作      二十五菩薩来迎図 西田直二郎
 高野山聖衆来迎図 田中一松   西本願寺三十六人集 佐佐木信綱
 源氏物語絵巻 田中一松     信貴山縁起 上野直昭
 鳥羽僧正の蛙 室生犀星     鳥獣戯画 森田恒友
 伴大納言絵詞 福井利吉郎    無著・世親像 丸尾彰三郎
 快慶「八幡神像」 野間清六     快慶「地蔵菩薩」 三才笹吉
 空也上人の像 西田直二郎    鞍馬寺の聖観音 村上華岳
 頼朝像 熊谷宣夫        北野天神縁起 大塚保治
 一遍上人絵伝 上野直昭     明恵上人像 平福百穂
 高野山不動堂 足立康      古瀬戸 小山富士夫
 解説 北川桃雄 奥平英雄

執筆者順ではなく、取り上げられている作品の時代順での配置。したがって、光太郎の文章は3箇所でとびとびに掲載されています。

それにしても戦時中によくまぁこれだけの豪華な執筆陣のものを出せたな、と思われます。物故者の旧稿もかなり入っていますが。

智恵子のふるさと、福島二本松からの情報。

まず市の広報誌『広報にほんまつ』今月号。同市は令和元年(2019)に「全国さくらシンポジウム」会場となり、それ以来その際のキャッチコピーで光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとの空にさくら舞う」を、毎年の4月号に転用し、市内の桜の名所を紹介しています。
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そして桜がらみの各種情報。その中で、智恵子の生家などを巡る周遊バス「二本松春さがし号」についても。

その件で、地方紙『福島民報』さん記事。

二本松市街地の桜楽しんで 観光協企画の循環バス運行

 福島県二本松市市街地の桜を楽しむ循環臨時バス「二本松春さがし号」は6日、運行を始めた。15日まで毎日6便が走る。
 にほんまつ観光協会の企画。JR二本松駅発着で、智恵子の生家、霞ケ城公園、大隣寺などを巡る。割安な1日フリー乗車券は中学生以上500円、小学生250円。
 初日にJR二本松駅前で出発式を行い、塩田英勝にほんまつ観光協会事務局長、鈴木友和福島交通二本松営業所長がテープカットした。
 問い合わせは同営業所 電話0243(23)0123、または観光協会 電話0243(24)7702へ。
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運行されている福島交通さんサイトから。

二本松の名所旧跡を巡る「二本松春さがし号」を運行いたします。

 二本松駅前より、詩人で彫刻家である高村光太郎の妻智恵子が育んだ住まい、少年隊も眠る丹羽家の菩提寺「大隣寺」などを巡る、二本松市内を循環する “二本松春さがし号”臨時バスを運行しますので、是非ご利用ください。
【注意事項】
・道路交通状況等により遅れが発生します。列車への乗り継ぎには十分余裕をお取りください。
・混雑時のマスク着用にご協力ください。
 ご理解ご協力を重ねてお願い申し上げますとともに、皆様のご乗車をお待ちいたしております。

運 行 日   : 2026年4月6日(月)~4月15日(水)毎日運行
運賃・時刻表  : 「二本松春さがし号」ご案内(以下PDFよりご確認ください)
お問い合せ先  : 福島交通㈱二本松営業所 0243-23-0123
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1日フリー乗車券で大人でもワンコインだそうですから、実に良心的ですね。

続いて智恵子のソウルマウンテン・安達太良山情報。奥岳登山口周辺であだたら高原リゾートを展開する富士急さんのプレスリリースから。

詩人・高村光太郎の妻 智恵子 が焦がれた “ほんとの空” の下、あだたら山ロープウェイ山頂駅に絶景読書ラウンジ【あ】の図書室 4月11日 始動

 富士急グループの富士急安達太良観光株式会社(福島県二本松市、取締役社長:渡邉康治)が展開する「あだたら高原リゾート」(同市)では、あだたら山ロープウェイ山頂駅にある休憩所をリニューアルし、2026年4月11日(土)に【あ】の図書室をオープンいたします。
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 あだたら高原リゾートでは、2024年のグリーンシーズンに山頂での楽しみ方を拡充する取り組みとして、「あだたらやま」の「あ」に着目した空間演出など、自然と遊び心を感じられる体験づくりを行ってきました。山頂展望広場に設置された【あ】のオブジェも、その一環として多くの来場者に親しまれています。
 今回新たにオープンする【あ】の図書室は、文学にゆかりのあるこの地ならではの“静かな過ごし方”を提案する空間です。安達太良山は、高村光太郎の詩集『智恵子抄』に登場する「ほんとの空」の舞台として知られ、その空を焦がれた智恵子の想いが今も息づいています。雄大な自然と、四季折々に表情を変える山並みに囲まれた山頂で、本を手に取り、ゆったりとした時間をお過ごしいただけます。
 日常から少し離れた場所で、デジタルデトックスとともに味わう、すこやかなひとときをお楽しみください。

【あ】の図書室概要
■リニューアルオープン 2026年4月11日(土)
■営業時間 9:00~16:00
※ロープウェイの上り最終15:50、下り最終16:20
■利用料金 無料 ※山頂に行くロープウェイの料金が必要となります。
【ロープウェイ料金】
 大人(中学生以上)片道: 1,300円、往復2,200円
 小人(4歳~小学生)片道: 1,000円、往復1,700円
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【あ】のオブジェ
 ロープウェイ山頂広場には「あだたらやま」の「あ」をモチーフにした不思議なモニュメント【あ】のオブジェがあります。大小さまざまな「あ」が並ぶ「あ」の道の先には、高さ約180cmのモニュメントがあり、安達太良山の空と阿武隈の山並みを背景に撮影を楽しめるフォトスポットとなっています。
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「あだたら高原リゾート」施設概要
■ロープウェイからの絶景、薬師岳パノラマパークからの雄大な景色を一望
 「日本百名山」の一つに数えられる安達太良山は、標高1,700mで夏でも涼しい環境で大自然を満喫できます。あだたら山ロープウェイに乗って約10分の空中散歩を楽しんだ後、山頂駅からは阿武隈山系や福島市街地を一望。さらに、散策道を10分程歩いたところにある「薬師岳パノラマパーク」では、高村光太郎が『智恵子抄』の中で「ほんとの空」と謳ったことで知られる、青く澄みきった空と絶景の大パノラマが楽しめるほか、山肌にはハートの形を発見することができ、見どころいっぱいです。
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■絶景露天風呂「あだたら山奥岳の湯」でリフレッシュ!
 標高約950mに位置する「あだたら山奥岳の湯」は、遮るもののない眺望が自慢の露天風呂です。また、内湯は「源泉かけ流し」で、泉質は全国的にも珍しいph2.5の酸性泉で、筋肉痛や神経痛、疲労回復、また皮膚病への効能や美肌効果もあると言われております。
【施設概要】
・営業日 年中無休※メンテナンス休業あり
・営業時間 10:00~19:00(最終入館18:30)
・施設内容 内湯(9㎡)、露天風呂(20㎡)※男女別
・利用料金 大人800円/小人(4才~小学生)500円
・泉質 単純酸性温泉
・適応症 神経痛・筋肉痛・関節痛・運動麻痺・慢性消化器病・冷え性・疲労回復・健康増進
     慢性皮膚病

「あだたら高原リゾート」営業概要
・営業時間 8:30~16:30
  ※日によって異なり、定休日もあります(HPをご参照下さい)
・お問い合わせ 福島県二本松市奥岳温泉 TEL:0243-24-2141
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奥岳登山口から出発するロープウェイの山頂駅に、今日「【あ】の図書室」がオープンするそうです。なぜに【あ】かというと、「だたらやま」の「あ」でもありますし、「あだたらやま」がローマ字だと「ADATARAYAMA」で、母音が全て【あ】ということに由来します。一昨年にはやはり山頂駅の外に「【あ】のオブジェ」が設置され、そちらと呼応する感じですね。

ところで「【あ】のオブジェ」、てっきり期間限定での設置だと思い込んでいまして、昨年4月に山頂駅に行った際に見逃しました。次に行く際には「【あ】の図書室」ともども拝見します。ちなみに山頂駅近くの薬師岳パノラマパークには、有名な「この上の空がほんとの空です」碑がありますので、これから行かれる方、そちらにもどうぞ。

長くなりましたがもう1件、お付き合い下さい(笑)。

やはり『福島民報』さんで、4月7日(火)掲載のコラム。

こけし

▽二本松市のチーズケーキ工房&カフェ風花が開発した新商品「ほんとの空サイダー」が人気を集めている。▽詩集・智恵子抄で詠まれた「ほんとの空」をイメージし、クチナシ由来の天然着色料で空色を表現。県産リンゴ果汁を用いた味わいが特徴。安達太良山の風景をラベルに描いた。360円(税込み)。店内のほか、道の駅安達などで販売している。▽企画担当の長田花梨さんは「温泉後の一杯に安達太良山を眺めつつ味わって」と青空のように爽やかなドリンクをPRしている。
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過日、当方も購入して参りました「チーズケーキ工房・カフェ風花&もりのこうぼう」さんの「ほんとの空サイダー」。人気を集めているそうで、「おお!」という感じでした。

実際、気になる方が多いようで、花巻からも「オンラインで手に入らんか?」と問い合わせがありましたし、過日の連翹忌の集いに持っていって光太郎智恵子関連の新刊書籍やパンフレット等と一緒に並べておいたら、参会の方から「これ、都内で手に入りませんかね?」。ちなみに持っていった一本は渡辺えりさんにさしあげました(笑)。

いろいろ調べたのですがどうも現地に行かないと無理っぽい感じです。「チーズケーキ工房・カフェ風花&もりのこうぼう」さんは岳温泉近く、それから今回の『民報』さんで、道の駅安達智恵子の里さんでも販売と知りました。智恵子生家/智恵子記念館に行った際にゲットしようと思いました。

他にも二本松・安達太良山・ほんとの空がらみのいろいろがあるのですが、他にも紹介すべき事項が山積しておりまして、また後日。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)13 『ミケランヂェロ』 

昭和16年(1941)8月20日 アトリヱ社 天田文雄編
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目次
 ミケランヂエロの彫刻作品に題す 高村光太郎
 図版
 ミケランヂエロ年譜 富永惣一
 図版目次


ミケランジェロ・ブオナローティは、ロダン同様、あるいはそれ以上に光太郎が敬愛し続けた彫刻家です。その大判の彫刻写真集です。光太郎の文章が巻頭に置かれ、序文に近い感じですが、一応、部分的執筆の項に入れました。

たまたまなのでしょうが、発行日が昭和16年(1941)8月20日。これは詩集『智恵子抄』初版、それから散文集『美について』それぞれの発行日と全く同じ日です。

この項、刊行順に紹介していますが、一昨日取り上げた『仏蘭西詩集』、昨日の『生活と文化技術』と順番が前後してしまいました。すみません。

NHKラジオさんで放送されている「保阪正康が語る昭和人物史」。 3月までタイトルが「放送100年 保阪正康が語る昭和人物史」で、毎週日曜日の夜にオンエアされていましたが、4月から「放送100年」が取れて、単に「保阪正康が語る昭和人物史」と改題、放送時間も土曜の昼に変更となったそうです。そのリニューアル後の記念すべき初回が、「詩人・彫刻家 高村光太郎 第1回」ということで、先週4月4日(土)のオンエアでした。光太郎の肉声も流されました。
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聞き逃し配信の「らじる★らじる」さんで拝聴しました。ご出演は評論家の保阪正康氏と、ノンフィクション作家・梯久美子氏。番組途中までは、お二人の光太郎智恵子への思いなど。概ね好意的に光太郎を評して下さり、敬愛の念が感じられ、その点は良かったと思いました。

一つ気になったのは「家事」。画家として大成することを目指していた智恵子が「家事」に追われ……みたいな。お二人ともそういう論調でした(光太郎を非難するという感じではありませんでしたが)。

実際、智恵子没後の光太郎の散文「智恵子の半生」に以下の一節があります。

互にその仕事に熱中すれば一日中二人とも食事も出来ず、掃除も出来ず、用事も足せず、一切の生活が停頓(ていとん)してしまふ。さういふ日々もかなり重なり、結局やつぱり女性である彼女の方が家庭内の雑事を処理せねばならず……

結局やつぱり女性である彼女の方が家庭内の雑事を処理せねばならず」。この一言を以て「光太郎=結局は男尊女卑論者」説的なものがまかり通っています。80~90年代に毒舌のジェンダー論でテレビ番組に引っ張りだこだった女性論者など、頭からそう決めつけています。

しかしよく読むと、「一切の生活が停頓」する「さういふ日々」が「かなり重なり」ということは、実際にそういうことがたびたびあったわけで、智恵子が日々「家事」に追われていたわけでもないことが読み取れます。

また、同じ「智恵子の半生」で、

私と同棲してからも一年に三四箇月は郷里の家に帰つてゐた。田舎の空気を吸つて来なければ身体(からだ)が保(も)たないのであつた。

とあり、光太郎がゴリゴリの男尊女卑主義者であれば、そんなことは絶対に許さなかったのではないかと思われます。

また、光太郎は長男でありながら家督相続を放棄し、髙村家は実弟の豊周が嗣いで、光太郎は実家からは出たため、智恵子は舅姑の光雲夫妻と同居せず、「嫁」という立場ではなく、その分楽だったような気もしますし。それから、光太郎智恵子を知る人々の証言として、「光太郎が八百屋などで買い物をしているのはよく見かけたが、智恵子が買い物に出ているのは見たことがない」というのもあります。結局、光太郎、この当時としては一般の男性よりもかなり理解があったのではないかと思われますし、少なくとも「家父長論」的なものに縛られる人物ではなかったと断言できます。

閑話休題、放送の話に戻ります。番組中盤で、いよいよ光太郎肉声。

まずは昭和27年(1952)3月、やはりNHKのラジオ放送のため、花巻温泉松雲閣で詩人・真壁仁との対談が収録された後に収録された自作詩朗読3篇のうち、「風にのる智恵子」(昭和10年=1935)と「千鳥と遊ぶ智恵子」(昭和12年=1937)。いずれも昭和9年(1934)に智恵子が千葉九十九里浜で療養していた頃を回想して後に書かれた詩です。それから、智恵子没後の詩「梅酒」(昭和15年=1940)も収録されましたが、今回はオンエアされませんでした。

以前にも引用しましたが、録音に立ち会ったNHKの熊谷幸博アナウンサーの回想から。

 さらに私どもは詩の朗読の録音もお願いした。これも快く承諾されて、智恵子抄の中から“千鳥と遊ぶ智恵子”“梅酒”“風にのる智恵子”の三編を朗読された。梅酒のくだりではちょっと涙ぐんで朗読がとぎれた。この感動が伝わって私も涙ぐんだ。
(『日本放送史 下』昭和40年=1965 日本放送協会放送史編集室編 日本放送協会)

3篇全ての朗読はかつてNHKさんで販売していたCD『昭和の巨星肉声の記録 文学者編 室生犀星 高村光太郎』に収められています。その直前に収録された真壁との対談、それから下って最晩年の昭和30年(1955)、当会の祖・草野心平と行った対談も。
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また、「千鳥……」と「梅酒」の朗読は、平成14年(2002)山川出版社発行の中学校教材用CD『中学校 音の国語』にも収められています。それから「レモン哀歌」が現代の中田薫さんという方の朗読で。
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どちらも絶版のようですが……。

詩の朗読の後、美術史家で晩年の光太郎に親炙した奥平英雄との対談で、昭和28年(1953)12月27日の録音、翌年1月7日に文化放送さんでオンエアさた「彫刻と人生」から抜粋で。こちらは主に最近の生活ぶり。前年に生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため上京して住んでいた中野の貸しアトリエで、一部はその前に7年間隠棲していた花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)での暮らしです。

こちらは奥平著『晩年の高村光太郎』特装本(瑠璃書房 昭和52年=1977)に対談を収録したカセットテープが附録として付いており、そちらをお貸ししました。
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「彫刻と人生」は、新潮社さん発行の『新潮カセットブック 高村光太郎詩集』(平成2年=1990)に一部が収録されています。どちらも古書籍市場等でしか入手できないようですが……。

ほぼ全文は『高村光太郎全集』第11巻に文字起こしして収められています。ところが良寛の書について述べた数十秒程の部分がなぜか脱漏していまして、その部分は高村光太郎研究会さん発行の『高村光太郎研究(30)』(平成21年=2009)中の当方連載「光太郎遺珠」に収録しました。

さて、4月4日(土)の「第1回」、聞き逃し配信の「らじる★らじる」さんで4月11日(土)午後0:45の配信終了まで聴けます。どうぞお聴き下さい。

また、「第2回」のオンエアが今週末。

保阪正康が語る昭和人物史 詩人・彫刻家 高村光太郎 第2回

NHKラジオ(AM) 2026年4月11日(土) 12:15-12:45

今年没後70年の高村光太郎。大正3年に結婚した智恵子は、次第に体調を崩し、昭和13年に亡くなります。昭和16年太平洋戦争が始まると光太郎は戦争賛美の詩を多数作り、敗戦後は花巻市郊外の山荘で自給自足の生活を送ります。その折々の気持ちをどう表現しているのか?昭和27年3月放送の「自作朗読」で、光太郎は智恵子を思う詩「梅酒」を朗読。昭和29年1月文化放送の「彫刻と人生」では戦後の人生を語っています。

出演 保阪正康 梯久美子


「彫刻と人生」の「第1回」で放送されなかった部分から抜粋があります。

ついでというと何ですが(笑)、当会の祖・草野心平編が4月18日(土)と4月25日(土)です。以前に頂いた企画書的なデータによれば4月18日(土)は「婦人の時間 智恵子抄について」(昭和27年=1952)、4月25日(土)で「わが文学わが回想」(昭和58年=1983)から心平肉声が流れるようです。

それぞれぜひお聴き下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)15 『生活と文化技術』 

昭和16年(1941)11月20日 白水社 網戸武夫編者代表
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目次
 国防と文化 岸田国士      芸術と国民生活 高村光太郎
 生活の真の楽しさ 島木健作   生活と文化 内藤濯
 生活の秩序 片山敏彦      平衡感覚の鍛錬 颯田琴次
 医者の立場から 小林彰     家と生活合理化の方向 大泉博一郎
 住居・生活・文化 網戸武夫   国語教育 高倉テル
 これからの親の責任 波多野勤子 児童文化と児童観の問題 百田宗治
 演劇と生活 遠藤慎吾      文化政策 城戸幡太郎
 文化と教養 上泉秀信

太平洋戦争開戦目前ということで、目次を見てもキナ臭い感じです。光太郎の「芸術と国民生活」は、この年4月の心平主宰『歴程』に載ったものの転載です。

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