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「十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会」さんの運営するサイト「十和田湖奥入瀬ろまん新聞」。「奥入瀬日記」という項目があり、こまめに更新され、現地の様子等がよくわかります。
 
今月7日に始まった「十和田湖冬物語2014」の紹介などで、ライトアップされた十和田湖畔の裸婦像(通称「乙女の像」)や、今年が100周年にあたる光太郎詩「道程」などについて触れてくださっています。ありがとうございます。
 
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それから、1週間ほど前の報道ですが、青森の地方紙『デーリー東北』さんで「十和田湖冬物語」開幕が報じられています。

北東北最大級 雪と光の祭典「十和田湖冬物語」が開幕

デーリー東北新聞社 2月8日(土)9時9分配信
 
 北東北最大級の雪祭り「十和田湖冬物語」が7日、湖畔休屋の特設会場で開幕した。さまざまな雪のオブジェがイルミネーションで彩られ、一面の銀世界ときらめく光が非日常的な空間を作り出している。3月2日まで。
 陸上自衛隊八戸駐屯地が約3週間かけて制作した雪像は、ねぶたと竿灯(かんとう)がテーマで、高さ8メートル、幅23・4メートルと圧巻の迫力。オープニングセレモニーでは、関係者が雪像に点灯して開幕を祝った。
 午後8時からは呼び物の「冬花火」が打ち上げられ、色とりどりの200発が漆黒の夜空を鮮やかに照らした。花火の打ち上げは期間中、毎日行われる。
 会場には、中に入って地酒やカクテルを楽しめるかまくらや大型すべり台、温泉を利用した足湯のコーナーも登場。出店が並ぶ「ゆきあかり横丁」では青森、秋田両県の郷土料理が味わえる。

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会期は3/2(日)まで。ぜひ足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 2月17日001

昭和58年(1983)の今日、疋田寛吉著『書人外書伝』が刊行されました。
 
取り上げられているのは歌人の会津八一、陶芸家の北大路魯山人、そして光太郎。専門の書家ではない三人ですが、その書は独特の光彩を放ち、書道史上、無視できないものとなっています。
 
帯に印刷された詩人・大岡信の推薦文より。
 
 世を去ってのち、ますます強い魅力を放射しつづける三書人をあえて一堂に会さしめ、三者三様の書のうちに、互いの差異を超えて貫道する書の真髄を透視し、えぐり出そうとする。(略)まことに気持のいい書の本が誕生したものだ。
 
読売新聞社刊。

十和田レポートの最終回です。
 
2/9(日)、蔦温泉をあとにし、最後の目的地である奥入瀬渓流館さんへ向かいました。
 
同館は、(財)十和田湖ふるさと活性化公社さんによる運営で、十和田湖や奥入瀬渓流のジオラマや年表、マップなどによる名所の紹介、スキーや電動アシスト付き自転車のレンタルなどを行っています。
 
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一番の目的は、大町桂月を紹介するコーナー。ここに光太郎作の彫刻「大町桂月メダル」が展示されています。
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昭和28年(1953)10月21日、「十和田湖畔の001裸婦像」(通称「乙女の像」)除幕式に際し、関係者に配布されたものです。直径は約12㌢。おそらく当時のものと思われるケースも付いています。
 
150個鋳造されましたが、大半は行方不明となっており、十和田・奥入瀬渓流認定ガイドの山一さん曰く、地元では4個ぐらいしか所在が確認できていないとのこと。
 
昨年、全国3館で巡回開催された「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」では、高村家に保存されている石膏原型が並びましたし、以前に開催された同様の企画展でも、やはり石膏原型が展示されています。当方、鋳造されたものはおそらく初めて見ました。
 
昭和28年(1953)の光太郎日記には、8月にこのメダルの制作を始め、9月には完成したこと、アトリエを訪れた桂月の子息が「亡父によく似ている」と語ったことなどが記されています。

ちなみに当方、青森市の青森県近代文学館さんに所蔵されていることは知っていました。

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この後に取りかかった「倉田雲平胸像」は未完のまま絶作となったため、完成した彫刻としては、このメダルが光太郎最後の彫刻作品です。そう思ってみると、改めて感慨深いものがありました。
 
ただ、光太郎作であるなどのキャプションが特についておらず、「そういう説明があった方がいいですね」と申し上げたところ、当方が書くことになり、早速昨日、メールにて送信しました。そのうちに添えられると思います。
 
その後、館内を見学。
 
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元プロレスラーという、起田高志さんがインストラクターを務めるコケ玉作り体験コーナー。親子連れがチャレンジしていました。起田さんは、昨年、それからつい最近も再放送でオンエアされたNHKBSのテレビ番組「発見!体感!川紀行」で紹介されていました。
 
また、奥入瀬渓流は非常に珍しいコケが群生しているとのことで、最近は「苔ガール」なる女性がたくさん出没しているそうです。
 
さらに館内で土産物を購入。
 
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土産物といえば、前夜、十和田湖冬物語の会場ではこんなものも買いました。
 
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十和田湖限定・乙女の像のご当地キティちゃんストラップです。
 
その後、山一さんの運転する車で七戸十和田駅へ。名残を惜しみつつ帰途に就きました。今回も非常に有意義な旅でした。お世話になりました山一さん、山田さん、吉崎さん、木村さん、小笠原さん、起田さん、山本さん、ありがとうございました。
 
ただ、豪雪のため行けなかった所もあり、また、他の季節の様相もじっくり見てみたいと思っています。また、十和田市としての事業のお手伝いもすることになりそうですので、また近々お邪魔することになりそうです。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 2月13日

昭和28年(1953)の今日、各地に預けていた智恵子の紙絵のほとんどが、光太郎のもとに戻りました。
 
戦時中、空襲による被害を想定し、光太郎は智恵子遺作の紙絵千点余を、知人を頼って山形、花巻、茨城取手の三箇所に分けて疎開させました。中央公論社画廊で開かれた紙絵展に合わせ、各所に寄贈された若干の作品を除き、それらが再び光太郎のもとにもどったというわけです。

十和田レポートの3回目です。
 
一夜明けて2/9(日)朝、前日も御案内くださった十和田・奥入瀬渓流認定ガイドの山一清一さんが、やはり観光ボランティアの木村さんとともに、車で迎えに来てくださいました。
 
この日の目的地は2箇所。まずは蔦温泉さんに向かいました。
 
「十和田湖畔の裸婦像」(通称「乙女の像」)は、十和田湖周辺が国立公園に指定されてから15周年の記念に、当地の景勝を紀行文で広く世に紹介した作家の大町桂月、道路整備等に腐心した元県知事の武田千代三郎、同じく元法奥沢村村長・小笠原耕一の、いわゆる「十和田の三恩人」顕彰のために作られたものです。
 
蔦温泉さんはその「三恩人」と縁が深く、特に大町桂月は蔦温泉さんに長く逗留、その最期も蔦温泉で迎えました。そのため桂月の墓がここ、蔦温泉にあります。また、昭和27年(1952)6月、裸婦像制作のための下見に訪れた光太郎も、蔦温泉さんに宿泊し、桂月の墓に詣でたりしています。
 
この日は前日、東京に45年ぶりの大雪をもたらした低気圧が北上、当地が大雪に見舞われました。たどり着いた蔦温泉さんもすっぽり雪に覆われていました。
 
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旅館は臨時休業中、桂月の墓も豪雪のため行くことができませんでした。
 
旅館に隣接する蔦温泉売店さんは開いていました。後で思えば、もしかすると当方一行のため開けてくださっていたのかもしれません。予定の中に、こちらのご主人・小笠原哲男氏にお話を伺う時間が設けてありましたので。
 
小笠原氏は十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会の会長さんで、青森在住の彫刻家・田村進氏のお兄様にあたられます。田村氏は光太郎忌日の連翹忌の集いにもご参加いただいたことがあり、昨年の連翹忌では、氏の近作・光太郎肖像レリーフの巨大画像を会場内に展示させていただきました。
 
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さらに最近は光太郎胸像の制作にもかかられているとのこと。また、氏は北津軽郡小泊村の「小説「津軽」の像記念館」さんにある太宰治と子守のタケの銅像を作られた方です。
 
小笠原氏には往時の蔦温泉さんや、裸婦像建立に関する貴重なお話を伺うことができ、ありがたいかぎりでした。旅館の内部や桂月の墓を見られなかったのが残念でしたが、また陽気のいい時に訪れようと思っています。
 
蔦温泉さんを後に、次なる目的地、奥入瀬渓流館さんへと向かいました。そちらについてはまた明日。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 2月12日

昭和24年(1949)の今日、岩手県笹間村の高橋澄子からの手紙を受けとりました。
 
笹間村は花巻市に編入され、「中笹間」「北笹間」といった地区名にその名残をとどめています。光太郎が暮らしていた旧太田村山口ともそう遠くない場所です。
 
昭和24年(1949)の光太郎の日記は、その存在が類推されながら、失われています。ただ、日記とは別に「通信事項」というノートが残されており、『高村光太郎全集』第13巻に収められています。それによると昭和24年2月12日に「高橋澄子といふ人よりテカミ(笹間村)」という記述があります。さらに2月14日には「高橋澄子さんへ返ハカキ(笹間村)」とも。
 
この返信の方が、一昨年でしたか、高橋澄子のご遺族から花巻の財団法人高村記念会に寄贈され、昨年、当方編集の「光太郎遺珠⑧」に掲載させていただきました。
 
おてがみ拝見いたしましたが、どういふわけか大変遅れてつきまして 小生入手は十二日でありましたので、十三日といふお話の日までに御返事出来ず、失礼いたしました。
いつに限らずおいで下されば小生在宅の時にはどなたにでもお目にかかります。
 右おくればせながら御返事まで
            二月十四日
                        高村光太郎
 笹間村
  高橋澄子様
 
「通信事項」には「ハカキ」とありましたが、封書でした。現在、花巻の高村光太郎記念館に展示されています。
 
ただ、光太郎が受けとった方の書簡を見ていないので、どういった事情なのかがわかりません。ご遺族の方もわからないとのこと。
 
情報をお持ちの方はご教示いただければ幸いです。

十和田レポートの2回目です。
 
2/8(土)、夕刻、十和田・奥入瀬渓流認定ガイドの山一清一さんが運転する車で、十和田湖畔・休屋に到着しました。
 
こちらの多目的広場的スペースで、7日(金)から「十和田湖冬物語2014」が開催されています。
 
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一言で言えば、十和田湖の冬を愉しもうというイベントです。
 
この機会に光太郎作の彫刻、十和田湖畔の裸婦群像・通称「乙女の像」を久しぶりに見てみたいと思い、行ってみた次第です。「十和田湖冬物語2014」期間中は、夕方から夜にかけ、ライトアップがされているとのこと。
 
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会場の駐車場に車を駐め、十和田湖自然ガイドクラブ会長の吉崎明子さんと合流、乙女の像目ざして歩きました。
 
湖畔の波打ち際は、雪と氷で幻想的な雰囲気になっていました。
 
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歩くこと10分弱、乙女の像にたどり着きました。
 
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雪を固めて作ったたくさんの灯籠に電球がともされ、像には2方向からスポットライト。すっかり日の暮れた空に浮かびあがっています。
 
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この像と対面するのは約20年ぶり。感動しました。
 
この像には約2分の1スケールの中型試作があり、昨年、全国3ヶ所巡回で開かれた「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」に展示された他、花巻の高村光太郎記念館、福島二本松の智恵子記念館にも収蔵されており、昨年だけで10回以上見ました。
 
しかし、やはり2分の1スケールの中型試作とは、まったく迫力が違いますね。
 
この像を謳った光太郎の詩に、次の作品があります。
 
   十和田湖畔の裸像に与ふ001

銅とスズとの合金が立つてゐる。
どんな造型が行はれようと
無機質の図形にはちがひがない。
はらわたや粘液や脂や汗や生きものの
きたならしさはここにない。
すさまじい十和田湖の円錐空間にはまりこんで
天然四元の平手打をまともにうける
銅とスズとの合金で出来た
女の裸像が二人
影と形のように立つてゐる
いさぎよい非情の金属が青くさびて
地上に割れてくづれるまで
この原始林の圧力に堪へて
立つなら幾千年でも黙つて立つてろ。
 
約20年前に初めて見た時も感動しましたが、その時は夏の昼間。今回、冬の黄昏に浮かび上がるその姿は、まさに「天然四元の平手打をまともにうけ」ているように見え、この詩句が実感できました。
 
ちなみに像のかたわらにはこの詩を刻んだ詩碑も建てられていす。
 
名残惜しいと思いつつ、心の中で再訪を誓い、乙女の像をあとにしました。帰りは十和田神社の境内を通って、「十和田湖冬物語」会場へ。
 
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札幌雪祭りと同じように、巨大な雪像が作られています。やはり札幌同様、自衛隊さんによるもので、雪を使っての築城訓練の一環という位置づけだと思います。
 
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会場内にはプレハブの飲食店が軒を並べ、最近、B級グルメとして注目を浴びている「十和田バラ焼き」などが売られています。当方、うどんにおでん、ヒメマスの塩焼き、さらに「乙女餅」なるものを食べました(お代は山一さん、吉崎さんにもって頂いてしまいました。ありがたや。)
 
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さらに天然温泉を引いてきての足湯(100円)もあり、冷えた体にありがたいものでした。
 
この日は7時30から特設ステージで津軽三味線や和太鼓の演奏などがあり、さらに8時からは花火。そのころになると、来場者も数百人、ことによると1000人近く集まっていたのではないかと思われました。

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花火を見終わったところで、吉崎さんに別れを告げ、山一さんの運転で、奥入瀬の宿まで送って頂きました。ゆっくりと温泉につかり、就寝。
 
確かに寒いのは寒いのですが、雪国の人々のエネルギー的なものを感じました。「十和田湖冬物語」、3月2日まで開催されています。ぜひ足をお運び下さい。
 
続きはまた明日。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 2月11日

明治22年(1889)の今日、大日本帝国憲法が発布されました。
 
宮中正殿での発布式のあと、明治天皇は青山練兵場で行われる観兵式に向かうため、馬車で市中に出ました。この日の東京も雪だったそうです。
 
その時のことを謳った光太郎の詩があります。
 
   土下座(憲法発布)007
 
誰かの背なかにおぶさってゐた
上野の山は人で埋まり、
そのあたまの上から私は見た。
人払をしたまんなかの雪道に
騎兵が二列に進んでくるのを。
誰かは私をおぶったまま、
人波をこじあけて一番前へ無理に出た。
私は下におろされた。
みんな土下座をするのである。
騎兵巡査の馬の蹄が、
あたまの前で雪を蹴つた。
箱馬車がいくつか通り、
少しおいて、
錦の御旗を立てた騎兵が見え、
そのあとの馬車に
人の姿が二人見えた。
私のあたまはその時、
誰かの手につよく押へつけられた。
雪にぬれた砂利のにほひがした
――眼がつぶれるぞ――
 
この詩が発表されたのは昭和22年(1947)。太平洋戦争中、空虚な戦意昂揚の詩を大量に書き殴って、多くの前途有望な若者を死地へ追いやったという反省から書いた20篇から成る連作詩「暗愚小伝」の冒頭を飾る詩です。
 
この時、数え7歳の光太郎の頭を押さえつけ、「眼がつぶれるぞ」と言ったのは誰でしょうか。父・光雲、祖父・兼吉、あるいは光雲の弟子の誰かでしょうか。そうい具体的な人物、というよりは、この頃の光太郎を取り巻いていた「明治」の空気の象徴、と捉えた方がいいのかも知れません。

一昨日、昨日と、1泊2日で青森は十和田方面に行って参りました。今日からそのレポートを致します。
 
東京駅午前11:00発の東北新幹線はやぶさに乗り込み、七戸十和田駅に着いたのは午後14:12。新幹線が新青森まで延伸され、青森もぐっと近くなりました。
 
七戸十和田駅には、十和田・奥入瀬渓流認定ガイドの山一清一さんが待っていて下さいました。昨秋、青森テレビの皆さんと一緒に、千駄木の高村家、北川太一先生邸に御案内した際のメンバーのお一人です。
 
事前に、同じく千駄木に同行された十和田市役所民生部まちづくり支援課の山本課長補佐に、十和田に行く旨をお伝えしましたところ、詳細な行動計画を作って下さり、しかも現地での移動は山本氏の四駆のワゴン車、運転は山一さんというVIP待遇でした。当初予定では山本氏の運転で御案内下さるはずでしたが、氏がインフルエンザでダウン、変わって山一氏が案内役を買って出て下さいました。
 
まずは奥州街道沿いに十和田市街へ。
 
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当然と言えば当然なのですが、奥州街道は国道4号線です。国道4号といえば、都内では日光街道。当方の出身大学そばを走っているので、学生時代は車やバイクでうろついていましたし、最近も福島二本松でよく走る道でして、青森の方には怒られそうですが、「こんなところまで4号線がのびているのか」と、変な感動をしてしまいました。
 
さて、最初に寄ったのは、十和田市現代美術館さん。最近、十和田市は、この館を中心に現代アートの街としても徐々に有名になってきました。

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当方、美術館に行くことは多いのですが、やはり光太郎がらみで近代の作品に接することが多く、現代アートは不案内です。そういう意味では現代の作品の数々は新鮮でした。
 
その後、国道102号で奥入瀬方面へ。宿は焼山という地区にある十和田湖温泉郷内で、一旦チェックインし、荷物を置くために立ち寄りました。行くまで気がつかなかったのですが、すぐ近くに十和田湖温泉スキー場というのがありました。それだけに雪はやはり深く、山一さんがスキー場で借りて下さった長靴が役に立ちました。
 
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車は奥入瀬渓流沿いに十和田湖方面へ。途中、銚子大滝に寄っていただきました。ここには、昭和28年(1953)10月21日、光太郎の十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)と同じ日に除幕された佐藤春夫の詩碑があります。
 
こちらの除幕式が午前中、午後が乙女の像の除幕式で、光太郎は両方に参加しました。昨秋、その時の映像をお送りいただき、非常に驚いたものです。
 
春夫の詩碑はすっかり雪に埋もれており、そうと教えていただかなければ、どこにあるのかも解らない状況でした。 

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ただ、たとえ雪に埋まっていなくても、現在では碑面がすっかり苔むしていて、ほとんど読めないとのこと。その苔も国立公園内の風物の保護を目的とした自然公園法の規定により、勝手にはがせないそうです。
 
そして車はいよいよ十和田湖畔に。子の口、宇樽部を過ぎ、休屋地区へと向かいます。こちらで先週金曜日から行われている「十和田湖冬物語2014」というイベントが、今回の十和田行きの大きな目的の一つでした。
 
そちらについては、また明日。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 2月10日

明治45年(1912)の今日、日本橋大伝馬町の三州屋で開かれた「パンの会」に参加しました。
 
明治42年(1909)に3年余の欧米留学から帰朝した光太郎は、『スバル』執筆者の面々を中心に巻き起こっていた「パンの会」の喧噪に巻き込まれました。
 
「パンの会」とは、フランスのカフェ・ゲルボア(サロンからしめ出されたマネを中心に集まった、若い文学者と美術家達のカフェ文芸運動)を模して始められたもので、東京をパリに、隅田川をセーヌ川に見立て、エキゾチシズムを求めた耽美主義的芸術運動です。その名称はドイツの総合雑誌『パン』を中心にして起こった芸術運動「パンの会」に由来します。「パン」とはギリシャ神話の牧羊神の名ですが、大逆事件で過敏になっていた日本の当局は「麺麭(パン)」を要求する社会主義者の集まりかと警戒したという逸話があるそうです。
 
その狂瀾も長くは続かず、徐々に退屈なものとなって「パンの会」は終焉します。

先程、十和田から帰って参りました。001
 
昨日の東京は45年ぶりの大雪ということで、心配していた「十和田にたどり着けるか?」という懸念はまったくの杞憂に終わり、予定通りに到着。現地では現地の様々な皆さんにお世話になり、非常に有意義な十和田紀行でした。

しかし、問題は帰りでした。東京駅までは東北新幹線、ほぼ時間通りに帰ってくることが出来ましたが、東京駅から普段使っている高速バスが今日は全面運休。しかたなく電車に乗ったのですが、途中で何度も立ち往生し、結局、千葉県香取市の自宅に着くまで、東京駅から5時間かかりました。普通なら往復してもおつりが来る時間です。
 
正直、疲れました。
 
十和田レポートは明日以降、詳しく掲載します。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 2月9日

大正3年(1914)の今日、詩「道程」の原型を執筆しました。
 
原型は翌月刊行された雑誌『美の廃墟』に掲載されました。その段階では、何と102行もある長大な詩でした。それが約7ヶ月後に詩集『道程』に収められる際に、ばっさり削られ、僅か9行に圧縮されました。
 
ここでは、ちょうど100年前の今日執筆された、102行の原型をご紹介します。コピペ等で使うのは結構ですが、勝手に表記を変えないでください。テキトーなところで一行空きを作ったり、書いていない場所にルビを振ったりなどはご遠慮下さい。
 
  道程
 
どこかに通じてゐる大道を僕は歩いているのぢやない
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
道は僕のふみしだいて来た足あとだ
だから
道の最端にいつでも僕は立つてゐる
何といふ曲りくねり
迷ひまよっつた道だらう
自堕落に消え滅びかけたあの道
絶望に閉ぢ込められたあの道
幼い苦悩にもみつぶされたあの道
ふり返つてみると
自分の道は戦慄に値ひする
支離滅裂な
又むざんな此の光景を見て
誰がこれを
生命(いのち)の道と信ずるだらう
それだのに
やつぱり此が生命(いのち)に導く道だつた
そして僕は此処まで来てしまつた
このさんたんたる自分の道を見て
僕は自然の広大ないつくしみに涙を流すのだ
あのやくざに見えた道の中から
生命(いのち)の意味をはつきり見せてくれたのは自然だ
僕をひき廻しては眼をはぢき
もう此処と思ふところで
さめよ、さめよと叫んだのは自然だ
これこそ厳格な父の愛だ
子供になり切つたありがたさを僕はしみじみと思つた
どんな時にも自然の手を離さなかつた僕は
とうとう自分をつかまへたのだ
恰度その時事態は一変した
俄かに眼前にあるものは光りを放射し
空も地面も沸く様に動き出した
そのまに
自然は微笑をのこして僕の手から
永遠の地平線へ姿をかくした
そして其の気魄が宇宙に充ちみちた
驚いてゐる僕の魂は
いきなり「歩け」といふ声につらぬかれた
僕は武者ぶるひをした
僕は子供の使命を全身に感じた
子供の使命!
僕の肩は重くなっつた
そして僕はもうたよる手が無くなつた
無意識にたよつてゐた手が無くなつた
ただ此の宇宙に充ちみちてゐる父を信じて
自分の全身をなげうつのだ
僕ははじめ一歩も歩けない事を経験した
かなり長い間
冷たい油の汗を流しながら
一つところに立ちつくして居た
僕は心を集めて父の胸にふれた
すると
僕の足はひとりでに動き出した
不思議に僕は或る自憑の境を得た
僕はどう行かうとも思はない
どの道をとらうとも思はない
僕の前には広漠とした岩畳な一面の風景がひろがつてゐる
その間に花が咲き水が流れてゐる
石があり絶壁がある
それがみないきいきとしてゐる
僕はただあの不思議な自憑の督促のままに歩いてゆく
しかし四方は気味の悪い程静かだ
恐ろしい世界の果へ行つてしまふのかと思ふ時もある
寂しさはつんぼのやうに苦しいものだ
僕はその時又父にいのる
父はその風景の間に僅ながら勇ましく同じ方へ歩いてゆく人間を僕に見せてくれる
同属を喜ぶ人間の性に僕はふるへ立つ
声をあげて祝福を伝へる
そしてあの永遠の地平線を前にして胸のすく程深い呼吸をするのだ
僕の眼が開けるに従つて
四方の風景は其の部分を明らかに僕に示す
生育のいい草の陰に小さい人間のうぢやうぢや匍ひまはつて居るのも見える
彼等も僕も
大きな人類といふものの一部分だ
しかし人類は無駄なものを棄て腐らしても惜しまない
人間は鮭の卵だ
千万人の中で百人も残れば
人類は永久に絶えやしない
棄て腐らすのを見越して
自然は人類の為め人間を沢山つくるのだ
腐るものは腐れ
自然に背いたものはみな腐る
僕は今のところ彼等にかまつてゐられない
もつとこの風景に養はれ育(はぐく)まれて
自分を自分らしく伸ばさねばならぬ
子供は父のいつくしみに報いたい気を燃やしてゐるのだ
ああ
人類の道程は遠い
そして其の大道はない
自然は子供達が全身の力で拓いて行かねばならないのだ
歩け、歩け
どんなものが出て来ても乗り越して歩け
この光り輝やく風景の中に踏み込んでゆけ
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、父よ
僕を一人立ちにさせた父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程の為め

青森の地方紙『デーリー東北』さんで、一昨日に掲載された記事です。

十和田市、湖畔休屋の遊覧船ターミナル取得を検討 観光拠点施設に

 昨年12月に破産した十和田湖観光汽船(青森市)が所有していた湖畔休屋の遊覧船ターミナルについて、十和田市が建物の取得を検討していることが31日、地元関係者らへの取材で分かった。地元の理解を得た上で建物を購入し、案内所機能を強化した上で、観光拠点施設として活用する方針とみられる。
 遊覧船ターミナルは桟橋前広場に面した国有地に建っており、2005年に完成した。鉄骨造りの2階建てで、総床面積は約695平方メートル。
 遊覧船乗客の待合所として定着し、運航する2社が昨年までチケット販売の拠点としていた。しかし、十和田湖観光汽船の破産で使用できなくなる可能性が指摘されていた。
 遊覧船は4月から休屋発着便のみとなり、十和田観光電鉄(同市)の単独運航に切り替わるが、ターミナルを引き続き使用するかどうかは決まっていなかった。建物が市の所有に移れば、建物の一部を借りて従来通りのチケット販売が続けられることになる。
 さらに市は、建物の改修も計画しているもよう。関係者によると、十和田湖に関連した歴史・文化を紹介するスペースを新たに開設し、大町桂月や高村光太郎といった湖ゆかりの文化人の資料を展示する予定
 近くで総合案内所を運営する十和田湖国立公園協会が、ターミナル内に移転する可能性もある。
 取得が決まれば、市は十和田湖観光汽船の破産管財人を務める岩谷直子弁護士(青森市)と売買契約を結ぶとみられる。
 ターミナルの取得について、市は取材に「現時点では答えられない」としている。
 
一昨年のこのブログで、十和田観光汽船さんに触れました。その時は民事再生手続きに入る、というものでしたが、昨秋、それも断念、破産ということになったそうで、残念です。
 
十和田湖で遊覧船を運航する十和田湖観光汽船(青森市)は15日、民事再生法による経営再建を断念し、年内にも破産手続きに入る方針を固めた。
 同社は青森地裁に提出した再生計画案に基づき立て直しを目指してきたが、見込んだほど業績改善が進まなかったため、14日付で地裁から再生手続きの廃止決定を受けた。このまま事業を続けても負債が膨らみかねず、「悔しいが、どうしようもない」(松橋泰彰社長)と再建断念を決めた。
 同社代理人の長谷一雄弁護士(東京都)によると、乗客8万5000人、約1億2000万円の売り上げ目標に対し、今年度の業績は「1~2割下回る状況」。運航本数の縮小や営業期間の短縮で経費を節減してきたが、肝心の客足の回復が鈍く、財務を抜本的に改善するまでには至らなかった。
 慢性的な経営不振に加え、東日本大震災による観光客の激減がダメージとなり、同社が約5億7000万円の負債を抱えて民事再生法の適用を申請したのは2012年8月。水面下で探ってきた同業他社との事業統合も不発に終わり、頼みの再生手続きが頓挫したことで再建への手立てを失った。松橋社長によると12月中旬にも破産手続きに入る見通しだ。
 期間限定で雇用していた従業員約35人は15日に退職したが、残る従業員で窓口業務は24日まで続ける。
 共同で遊覧船事業を手がけてきた十和田観光電鉄(十和田市)は単独で運航を続ける方針だが、慢性的な赤字部門をいつまで抱えていられるかは不透明で、「運航体制は今後の検討課題」としている。
 十和田市観光商工部の母良田篤夫部長は「少しでも乗客を増やそうと支援してきただけに、残念だ。十和田湖観光にとって遊覧船は欠かせない魅力。今後は残る1社に頑張ってほしい」と肩を落とした。
2013年11月17日  読売新聞)
 
一昨日の報道は、そのターミナルビルだった建物に、十和田湖に関連した歴史・文化を紹介するスペースを新たに開設し、大町桂月や光太郎といった湖ゆかりの文化人の資料を展示する計画があるらしいという報道ですね。
 
実現すればそれはそれでいいことだと思います004が、複雑な気持ちです。
 
さて、当方、今週末に1泊で十和田湖に行くことに致しました。7日の金曜日からスタートするイベント、「十和田湖冬物語2014」を観て参ります。
 
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そのための切符の手配で、昨日、自宅最寄りのJR佐原駅に行きました。窓口で切符を頼んでいると、ちょうど足下に「乙女の像」。驚きました。

JRさんで「青森・函館 津軽海峡紀行」というキャンペーンを行っているとのことで、その宣伝でした。
 
思わずケータイで写真を撮りましたが、駅員さんは「?」という表情でした(笑)。
 
そちらのものではなく、青森限定のパンフレットが置いてあったので貰ってきました。「十和田湖冬物語2014」が大きく扱われています。幻想的な感じですが、どう考えても寒そうです。過日の岩手もかなりの雪でしたが、今回も覚悟して臨みます。
 
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ちなみに自宅周辺では、既に先月末からオオイヌノフグリやホトケノザが咲き、蜂が飛んでいます。雪国の皆さんには怒られそうですね(笑)。
 
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【今日は何の日・光太郎 補遺】 2月3日

昭和29年(1954)の今日、日比谷公会堂でブダペスト弦楽四重奏団の演奏を聴きました。
 
クラシック音楽にも造詣の深かった光太郎、岩手太田村に住んでいた頃は、時折訪れた花巻の町でレコードを聴くくらいで、禁断症状でしょうか、山林を歩きながらバッハの「ブランデンブルグ」が幻聴で聞こえた、というエピソードがあります。
 
その意味では、帰京後、こうした機会が増えたのは幸いでした。
 
ちなみにこの時の曲目はバルトークの弦楽四重奏曲第6番、ミローの同12番、そしてバーバーの弦楽四重奏曲ロ短調。これは別名「弦楽のためのアダージョ」。映画「プラトーン」のテーマとして使われたものですね。
 
この夜の印象をもとに、ずばり「弦楽四重奏」という詩が書かれています。

東京で北川太一先生を囲んでの新年会を行った11日(土)、青森十和田では、十和田湖奥入瀬観光ボランティアガイドの皆さん、地元の自然ガイドクラブの方々を中心に、十和田湖畔の裸婦群像―通称「乙女の像」―に関する勉強会を行ったそうです。
 
昨秋、当方も同行した北川太一先生宅と、光太郎の令甥・規氏が住まわれる高村家訪問の様子のビデオを観ながらだったとのこと。
 
 
毎日まじかに見ている湖畔休屋の方が「乙女の像は高村光太郎の作品である。とはご紹介しますが、『裸婦群像(乙女の像)は十和田の深く美しい自然から、世界に向けて発信する命を繋ぐ愛と救済のシンボル』だったとは知りませんでした。ご案内の際は、乙女の像に込められた光太郎の深い想いを伝えたい。」と感想を述べていました。
 
今回の企画テーマ「乙女の像を探る」から地元の私達は、十和田湖畔に建つ「乙女の像・裸婦群像」の意味を少し分かった気がします。
 
十和田湖の美しさも深いけど、乙女の像も深いなぁ〜・・・
 
その通りですね。
 
ちなみに十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さんのサイト、今月初めにも「十和田湖畔に建つ裸婦群像[2]」と題して記事が書かれています。
 
本当にそんじょそこらに無秩序に建つ銅像や野外彫刻とは違い、彼の地の宝ですので、大切にしていっていただきたいものです。
 
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画像は昔のテレホンカード。今の季節、こんな感じなのかなと思います。当方、来月には十数年ぶりに対面してきます。
 
ところで十和田といえば、やはり11日(土)、地元青森の地方紙『デーリー東北』さんの一面コラム「天鐘」に光太郎が紹介されました。
 
 

天鐘(2014/01/11掲載)

  高村光太郎は、動物篇という詩の連作でさまざまな動物を取り上げた。ニューヨークにある動物園のオリの前で、シロクマを見つめる男がいた。せっかくの日曜日にである▼〈彼は柵にもたれて寒風に耳をうたれ/蕭条(しょうじょう)たる魂の氷原に/故しらぬたのしい壮烈の心を燃やす〉という一節がある。オリの中に閉じこめられたシロクマに許されていたのは、北極圏に広がる氷原の記憶を呼び起こして、懐かしむ以外になかった▼さらに詩では〈白熊といふ奴はつひに人に馴(な)れず/内に凄(すさま)じい本能の十字架を負はされて紐育(ニューヨーク)の郊外にひとり北洋の息吹をふく〉とその孤独を歌う。人間に捕獲され、自由だった北極から連れて来られたのだろう▼シロクマにとっては、平成も決して平穏な時代ではない。生息地から無理やり引き離されるのではなく、生息地の北極圏で生き、子孫を残していくことが極めて困難になっているからである。絶滅の恐れも指摘される。これもまた、人間に起因する▼人間活動を原因とする地球温暖化は、異常気象や氷雪の融解などさまざまな異変を地球上にもたらしている。国連の気象変動に関する政府間パネルは、警鐘を鳴らし続けている▼地球温暖化によって食糧生産が減少し、人間の安全が脅かされると予測する。適応できる限界を超える異変さえ見込まれる。国家・国益の狭い枠にとらわれない〝地球的な思考〟がなければ、難局を解決できないのではあるまいか。
 
引用されているのは大正14年(1925)に書かれた「白熊」という詩です。明治39年(1906)から翌年にかけてのアメリカ滞在中の経験を元に書かれたもので、遠く故郷を離れた、異郷にある自分と動物園の白熊を重ねています。
ちなみに「動物篇」とあるのは「猛獣篇」の誤りです。
 
コラムでは地球温暖化の問題に話を広げています。今年元日のブログに書きましたが、通称「乙女の像」を作った頃の光太郎は、日本とか西洋とかいったくびきから解放され、地球規模の視点を得ていたといえます。
 
光太郎もさすがに地球温暖化までは予想していなかったとは思いますが、地球規模の視点を得ていた光太郎の作品として、通称「乙女の像」に対峙していただきたいものです。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月14日

明治36年(1903)の今日、光雲が第5回内国勧業博覧会審査官に任命されました。
 
当ブログ、閲覧数30,000件を超えました。ありがとうございます。

青森からのイベント情報です。 

十和田湖冬物語 2014

[期間]   2014年02月07日~2014年03月02日

雪と氷に覆われる神秘的な冬の十和田湖では、十和田湖のシンボルともいえる乙女の像が闇に浮かび上がります。また、周辺の散策路も雪明かりでほんのりと照らされ幻想的です。イベントでは「雪月花」をテーマとした冬花火とライトショーが行われるほか、郷土芸能や郷土料理、かまくら内でお酒も楽しめます。

[会場]   十和田湖畔休屋 特設イベント会場
[住所]   〒018-5501 十和田市十和田湖畔休屋

[問合せ先]   十和田湖冬物語実行委員会(十和田湖総合案内所内)  ☎ 0176-75-2425

[イベント内容]
  ■冬花火:期間中毎日 20:00~20:10
  ■乙女の像ライトアップ:期間中毎日 17:00~21:00
  ■津軽三味線ライブ:平日/19:00・20:30、土日祝/20:30
  ■ステージイベント:土日祝/19:30~
  ■ゆきあかり横丁:平日15:00~21:00、土日祝11:00~21:00
  ■酒かま蔵:期間中毎日 19:00~21:00
  ■かまくらBar:期間中毎日 18:00~21:00
  ※この他にも、様々なイベントが行われます。
  ※予定が変更になる場合もあります。
 
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昨年は乙女の像建立60周年で、今年にかけ、さまざまな顕彰活動が企画されています。こちらは恒例のイベントですが、真冬の十和田も乙なものだと思います。ぜひ足をお運び下さい。今年は当方もうかがう予定です。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月9日

昭和10年(1935)の今日、智恵子の親友だった秋広あさ子に葉書を書きました。
 
拝啓 只今小包にて結構な林檎をたくさん頂戴仕り難有存上げます、ちゑ子の大好物ゆゑ病中にても林檎だけは喜んでいただきます、 小生寸暇無きため御返礼もお送りいたしがたく失礼仕候へどもとりあへず畧儀ながら葉書にて御礼まで申述べます、
 
秋広は日本女子大学校での智恵子の同窓。同じ寮で暮らしたこともあり、当時の回想などが「智恵子様のこと」という題名で、昭和34年(1959)の草野心平編『高村光太郎と智恵子』(筑摩書房刊)に掲載されています。
 
智恵子が統合失調症を発症したのち、親身になって心配し、智恵子を訪ねてきたり、この葉書にあるように見舞いの品を送ったりしました。
 
以下、「智恵子様のこと」より。
 
お二階の機(はた)に腰かけて無心に筬(おさ)を動してた智恵子様が、人の気配に目を上げられた時、遠くをみつめる様な目指しで何か一生懸命に思い起そうとしてらつしやる御様子。‶智恵子さん、おぼえてらつしやる? アサ子ですよ!″遠くから一本の綱を漸く探り当てた様に微笑んでうなずいた智恵子様は、もうお話の出来ない美しい人形になつてしまわれたれたのでした。

先月、十和田の皆様を東京千駄木の高村家、そして高村光太郎記念会事務局長の北川太一先生のお宅にご案内しました。
 
その時の話、それからそれを十和田市長に報告したという件が彼の地で報道されたそうです。
 
高村家、北川邸訪問については、青森テレビの川口浩一氏の書かれた文章が『毎日新聞』さんに載りました。
 
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市長への報告については『東奥日報』さん。
 
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全文ご紹介します。
 
今年で建立60周年を迎えた十和田湖畔の「乙女の像」について調査研究に取り組んでいる十和田市の十和田湖・奥入瀬観光ボランティアの会が11月中旬、制作者・高村光太郎のおいや光太郎研究の第一人者を訪ね、乙女の像にまつわるエピソードを聞いた。会のメンバーは27日、十和田市役所を訪れ、小山田久市長に調査成果を報告、像に込められた光太郎の思いなどを次世代に伝えていく決意を示した。
 
 乙女の像は、詩人で彫刻家の高村光太郎が制作した1対のブロンズ裸婦像。十和田湖を広く世に紹介した文人・大町桂月、当時の県知事・武田千代三郎、地元村長・小笠原耕一の3氏の功績をたたえ、国立公園指定15周年を記念して1953(昭和28年)に県が建立した。
 会のメンバーは11月15日、光太郎のおいに当たる高村規さん(83)=東京在住=と、光太郎全集を編集した研究者・北川太一さん(88)=同=を訪問。両氏は、乙女の像が前のめりの2体により無限性を意味する三角形を構成していることや、光太郎自身は「十和田のための裸婦群像」と呼んでいたことなどを指摘した。
 また、妻・智恵子がモデルになったとの定説については、北川さんは「必ずしもそうではない」とした上で、「裸婦群像は、3人の功労者への思い、平和への祈り、十和田の深く美しい自然から世界に向けて発信する、命をつなぐ愛と救済のシンボル。生身の智恵子でもない、もっと永遠のもの」と解説したという。
 さらに、光太郎が家族から「みつたろう」と呼ばれていたが、父・光雲と彫刻上の意見が合わず、反抗心から意識して「こうたろう」の名を使い続けたこと、智恵子の本名はカタカナの「チヱ」であることなど、新たな発見があった。
 訪問調査に参加した吉崎明子さん(73)は「十和田湖の自然を大切にした光太郎の思いをあらためて知ることができた」と話し、同会の小笠原哲男会長(84)は「今後、調査結果などをマンガにして子供向けのガイド本を発刊し、次の世代に伝えていきたい」と話した。
 
「十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会」さんのサイトには、この記事についての記述があります。
 
また、市のホームページでしょうか、こちらのサイトには市長への報告について記載されています。
 
今後も光太郎顕彰の拠点の一つとして、十和田の皆さんには頑張っていただきたいものです。
 
【今日は何の日・光太郎】 12月9日

明治33年(1900)の今日、与謝野鉄幹晶子夫妻の新詩社茶話会に出席、初めて多くの新詩社同人と顔を合わせました。

もう1日、十和田ネタで書きます。
 
一昨日、BSジャパンで「空から日本を見てみよう+ 青森県八戸から 紅葉の奥入瀬渓流、十和田湖へ」が放映され、湖畔の裸婦像、通称「乙女の像」が紹介されましたが、来週も十和田湖周辺がテレビ放映で扱われます。 

美しい日本に出会う旅 憧れの紅葉 絶景スペシャル~京都・日光・奥入瀬・北アルプス

BS-TBS 2013年12月4日(水)  19時00分~20時54分
 
美しい日本に出会う旅に出かけましょう!行ってみたい、あこがれの地。この目で見てみたい、あの絶景。味わってみたい絶品料理の数々。日本の美しい魅力を訪ねます。
 
日本全国、紅葉の大絶景を楽しむスペシャルです。北アルプス、立山黒部アルペンルートではロープウェイで紅葉を天空散歩。雄大な立山連峰を彩る錦の紅葉に出会います。青森、十和田湖から奥入瀬渓流へ。清流の流れと紅葉の彩りを堪能します。秘境蔦温泉では絶景の沼めぐり。秋田では角館武家屋敷散策と乳頭温泉を楽しみます。日光、世界遺産輪王寺の庭園「逍遥園」で安らぎの庭園美を感じます。“もみじ”日本一の名所と言われる愛知、香嵐渓。山を彩る4000本のもみじは圧巻の絶景です。紅葉の京都では、和菓子や和紙細工など、職人の手仕事からも季節を感じ、寺社仏閣の彩りを満喫します。
 
旅の案内人 中村勘九郎
 
また裸婦像が紹介されるといいのですが……。
 
ところで、十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さんからいただいたペットボトル入りの「十和田湖美水」、おいしくいただいております。そのまま飲むもよし、珈琲やお茶を淹れるのに使うもよし、で、重宝しております。
 
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ついでにもう1件、テレビ放映情報です。ただ、過去に放送されたものの使い回しかも知れません

にほんごであそぼ

NHKEテレ 2013年12月2日(月)  8時40分~8時50分 再17時15分~17時25分
 
2歳から小学校低学年くらいの子どもと親を対象に制作。番組を通して、日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけてもらうことをねらいとしている。コミュニケーション能力や自己表現する感性を育てる番組。今回は、きっぱりと冬が来た「冬が来た」高村光太郎、野村萬斎/冬至、うた/冬景色、道程
 
出演 小錦八十吉,野村萬斎,おおたか静流
 
【今日は何の日・光太郎】 11月28日007

大正3年(1914)の今日、『時事新報』に彫刻制作のモデル募集広告を出しました。
 
●モデル  体格よき婦人を求む当方彫刻家 午前在宅(本郷区駒込林町二十五 高村光太郎)
 
彫刻制作において、モデルの手配には常に苦労していました。依頼を受けての肖像彫刻であればその本人をモデルにすればよいのですが、そうでなければ友人知己を拝み倒してモデルになってもらったり、智恵子をモデルにしたりしています。
 
008変わったところでは、大正6年(1917)作の「裸婦坐像」。画像は光太郎令甥にして写真家・髙村規氏の撮影になるものです。詳しいいきさつが不明なのですが、駒込林町のアトリエに一時かくまった横浜のチャブ屋(外国人相手の売春宿)で働いていた百合子という女性をモデルにしています。
 
この彫刻のモデルを智恵子だと勘違いしている記述を時折見かけますが、違います。
 
また、ある時雇った男性のモデルが、いわゆる露出狂で、宴会などの席上で得意になって全裸になるなどということがあり、結局は光太郎曰く「日比谷公園の入口に立つて演説をはじめ、火星から地球攻撃の軍隊が来るといつて絶叫し、つひに病院に入れられて、そこで死んださうである。」とのことでした(「モデルいろいろ-アトリエにて6・7-」昭和30年=1955)。
 
同じ文章によれば『時事新報』の広告も、応募者はたくさんあったものの、よい体格の者がおらず、逆に「めいめいに窮迫した身上話などを長々と述べ立てて、是非使つてくれといふやうに要請されるので、これを断るのに骨が折れ、おまけにその日一日分の日当を払はなければ、気の毒でかへせなかつた。」ということでした。

 
湖畔の裸婦像、通称「乙女の像」が約20秒紹介されtました。最近、十和田湖周辺を紹介する番組があっても、この像は紹介されないケースが多かったので、よかったと思います。

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その他にも十和田湖周辺に関する豆知識が満載で、「そうだったのか」という点が多くありました。地元の方にはあたりまえなのかもしれませんが、十和田湖が二重カルデラ湖だとか、紅葉のシーズンには遊覧ヘリコプターが出るとか、当方の知らないことばかりでした。
 
まさに「錦秋」の映像も美しく、この番組のコンセプトである「空撮」がうまく活かされていました。公式サイトはこちら

この番組、好評だった回はDVD化されて販売されています。今回の2週にわたる青森編もそうなることを望みます。
 
ところで、以前にご紹介した「十和田湖畔遊歩道の愛称募集」、結果が出ました。以下、十和田湖国立公園協会さんのページから。 

十和田湖畔遊歩道の愛称決定!

経過概要
十和田湖畔遊歩道の愛称募集は8月から9月末の間で募集して参りましたところ、465件のご応募をいただき、愛称選考委員会による審査の結果、下記のネーミングが最優秀賞に決定いたしました。
たくさんのご応募をいただき、誠にありがとうございました!

最優秀賞
 
乙女の湖道 (おとめのこみち)

応募総数
 全国39都道府県から465件の応募がありました。

決定理由

親しみやすいこと、呼びやすいこと、幅広い年代層に受け入れられること、周辺観光スポット名(十和田神社から乙女の像~御前ヶ浜~開運の小道~桂ヶ浜)と調和すること、オリジナリティであること等を基本として選考いたしました。

 
「乙女の湖道」、いいセンスですね。
 
これを機に錦秋の十和田湖、さらに「空から日本を……」でも少し紹介されましたが、2月には「十和田湖冬物語2014」というイベントも開かれます。ぜひ足をお運び下さい。当方も機会を見て行って参ります。
 
ちなみに下の画像は昔のテレホンカードです。今、こんな感じなのでしょうね。
 
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【今日は何の日・光太郎】 11月27日

大正5年(1916)の今日、光太郎翻訳『ロダンの言葉』が刊行されました。
 
光太郎が敬愛していた彫刻家、オーギュ007スト・ロダンが折に触れて語った言葉を、近しい人々が筆録していたものを集めての翻訳です。したがってロダンの母国・フランスに『ロダンの言葉』という書籍があったわけではありません。
 
版元は北原白秋の弟・鉄雄が経営していた阿蘭陀書房。右がその画像ですが、保存のためのパラフィン紙を函にかけてあるので薄ぼけています。すみません。題字は光太郎の書です。白抜きの文字にする籠書きという手法で、光太郎はこれを得意にしていました。味のある文字ですね。
 
光太郎はさらに大正9年には『続ロダンの言葉』を翻訳刊行、正続併せて後に普及版や文庫版などが出て、美術を専攻する若者に大きな影響を与え続けました。
 
特に舟越保武、佐藤忠良ら、一世代後の彫刻家達は、こぞってこの本に大きく影響を受けたと公言しています。

今週火曜日、BSジャパンにて放送された「空から日本を見てみよう+ 青森県八戸から 紅葉の奥入瀬渓流、十和田湖へ」を拝見しました。
 
八戸からスタートし、十和田市、奥入瀬渓流が詳しく紹介されていました。そしていよいよ十和田湖へ、光太郎作の裸婦像が映るかな、と思ったところで番組終了。なんと青森編は2週連続でした。
 
というわけで、来週火曜日の放送内容をご紹介します。 

空から日本を見てみよう+ 絶景! 紅葉の青森県十和田湖から雄大な秋田県八幡平へ

BSジャパン 2013年11月26日(火)  20時00分~20時55分
 
紅葉の最盛期を迎える青森県十和田湖の絶景を堪能し秋田県へ。鉱山で栄えた小坂町や鹿角市を経て雄大な山並みの広がる八幡平まで、不思議な発見をしながら眺めて行きます。
 
全国屈指の人気紅葉スポット十和田湖からスタート。色づく紅葉と青い湖のコントラストが織りなす絶景を眺めて行きます。湖に突き出る半島の断崖や鱒の養殖場、70年を超える歴史を誇る木造三階建ての十和田ホテルなどを見ながら、山を越えて鉱山で栄えた秋田県小坂町の中心へ。かつての栄華を今に伝える味わい深い娯楽施設などを見て行きます。その後鹿角市では田んぼの中に不思議なストーンサークルを発見。十和田南駅からJR花輪線に沿って飛んで行きます。きりたんぽ鍋を味わいさらに進むと、巨大な煙突が建つ一角が。ここも鉱山の跡地。日本で最も多い採掘量を誇った時期もある尾去沢鉱山は鉱脈に沿って掘り進んだ地下トンネルが実に総延長700kmにも及ぶ、想像を絶する規模です。紅葉の美しい湯瀬渓谷沿いの温泉を経て、雄大でなだらかな山並みの八幡平へ。山頂からの絶景を堪能します。

出演者

伊武雅刀(くもじい) 柳原可奈子(くもみ)
 
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ついでにもう一つ、テレビ放映情報です。  

もっと温泉に行こう! #49「福島県 岳温泉・土湯温泉編」

フジテレビNEXT 2013年11月28日(木)  23時00分~24時00分
 
今回訪れるのは、福島県二本松市にある岳温泉と福島県福島市にある土湯温泉。 岳温泉の泉質は無味澄透で無臭、天然湧泉の中でも珍しい酸性泉で、他の温泉では体験することのできない湯上り後の爽快感を、心ゆくまで感じてほしい温泉である。 土湯温泉は、古より湯治場として利用されており、自然環境にも恵まれ、豊富な泉質・湯量が特徴の温泉地である。
 
#38の「花巻編」を以前にこのブログでご紹介しました。番組紹介では「かの文豪、宮沢賢治や高村光太郎も愛した温泉地として知られる。」と紹介され、花巻の風景として、光太郎が碑文を揮毫した宮澤賢治の「雨ニモマケズ」詩碑が映ります。こちらは不定期に再放送され続けています。
 
で、今回の#49「福島県 岳温泉・土湯温泉編」は最新作で、初公開になります。岳温泉は智恵子の愛した安達太良山の「ほんとの空」の下にあり、土湯温泉は光太郎智恵子そろって訪れています。
 
以前にも書きましたが、この番組は「※撮影のためバスタオルを着用しています」というテロップが出ません。そのテロップを出す必要がない珍しい番組です。そのためオンエアは深夜限定。ただし、有料のCS放送ですので、契約していないと見られません。007
 
【今日は何の日・光太郎】 11月22日

昭和27年(1952)の今日、中野のアトリエにガスを引きました。
 
炊事、それから暖房にも使用していたようです。
 
花巻郊外太田村山口の山小屋では、右の画像のように囲炉裏で生活していたわけで、それから考えると雲泥の差ですね。

今日は東京・千駄木に行って参りました。
 
青森・十和田から、奥入瀬観光ボランティアの会の方が上京、十和田湖畔の裸婦群像建立60周年ということで、改めて像の意義、背景を学びたいということで、高村光太郎記念会理事長で、光太郎の令甥・高村規氏、それから同事務局長の北川太一先生それぞれのお宅でお話を聞かれるのに同行しました。
 
他に十和田市役所の方、青森テレビのクルーもご一緒で、青森テレビさんでは今日の様子を番組で取り上げるとのことでした。
 
当方、十和田の皆さんが、高村邸、北川邸にいらしたことがないというので、道案内でした。東京駅で一行と待ち合わせて合流、一路、千駄木に向かいました。まずは北川太一先生のお宅、その後、昼食を近くの食堂で取り、午後は高村邸へ。道々、千駄木駅や団子坂、不忍通りから入った路地、さらに光太郎アトリエ跡などでもロケを敢行しました。こういう場合のご多分に漏れず、やはり雨でした。
 
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高村規氏、北川太一先生、ともにお元気で、主に裸婦像をめぐっての当時のお話などを聴かせていただきました。当方も見たことのない、当時の写真や光太郎自筆の構想メモなども拝見でき、非常に有意義な時間でした。
 
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高村邸
 
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北川太一先生とボランティアの会の方
 
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光太郎自筆構想メモ
 
十和田では今後もいろいろと光太郎顕彰活動的なところを進めて行くとのことで、有り難いかぎりです。そのため、みなさん光太郎智恵子についてかなりお調べになっていて、感心させられました。
 
また、お土産までいただいてしまいました。
 
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その名も「湖畔のおとめ」というブッセ。早速、帰っていただきました。チーズクリームを使った素朴な味わいがいい感じでした。
 
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さらに事前には観光ボランティアの会の方から、段ボールで宅配便が。何かと思って開けてみると……
 
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「十和田湖美水」が24本! 二酸化ケイ素(シリカ)が溶け込んでいるというミネラルウォーターです。感謝、感激。ありがとうございました。
 
ところで十和田といえば、テレビ放映情報があります。 

空から日本を見てみよう+ 青森県八戸から 紅葉の奥入瀬渓流、十和田湖へ

BSジャパン 2013年11月19日(火)  20時00分~20時55分
 
番組初の青森県。漁業の盛んな八戸市から、紅葉の最盛期を迎える奥入瀬渓流沿いに進み十和田湖まで、絶景を堪能、そして不思議な発見をしながら空から眺めて行きます。
 
八戸市を河口とする奥入瀬川沿いに十和田湖まで飛んでゆきます。八戸市に入るといきなり見たこともないスケールの巨大な穴を発見。これは海抜マイナス160mまで掘り進めた石灰石の鉱山で不思議な景色を形成しています。続いて奇妙な土偶の親子の像を発見。その先の八戸漁港はイカの水揚げが日本一。朝市も活気で溢れています。奥入瀬川を遡った畑が広がる一帯では野菜の栽培が盛ん。青森県はリンゴの他、ゴボウやニンニクの生産が日本一で、変わった種植えや収穫の様子を見学します。その先の十和田市は、かつては馬の生産で栄えた町で、最近は町じゅうがアートで彩られています。さらに奥入瀬川を進むと紅葉が広がり渓流の入口に着きます。滝の見える露天風呂の温泉ホテルを経て、渓流沿いの紅葉を眺めて行きます。奥入瀬渓流はコケが育ちやすく、渓流沿いを散策しながら様々な形のコケを発見できます。銚子大滝を過ぎるといよいよ十和田湖が見えてきます。

出演者  伊武雅刀(くもじい) 柳原可奈子(くもみ)

 
ぜひご覧下さい。
 

【今日は何の日・光太郎】 11月15日

昭和2年(1927)の今日、上野の日本美術協会で「大調和第一回展」が開幕しました。光太郎は「某夫人の首」など彫刻五点を出品、展覧会委員も務めました。
 
「大調和展」。官設の展覧会ではなく、武者無題小路実篤、岸田劉生等が音頭を取って始まった展覧会です。
 
「某夫人」とは智恵子です。右がその彫刻の画像。
 
残念ながらこの作品は現存が確認できていません。この他にも智恵子を造った彫刻がありましたが、すべておそらく昭和20年(1945)、太平洋戦争下の空襲で焼失してしまったと考えられています。「いや、これなら、うちの蔵にあるぞ」ということにでもなれば、「超」のつく大ニュースです。蔵をお持ちの方、お調べになってみては?
 
今日も話題になりましたが、十和田湖畔の裸婦群像、「顔は智恵子」とよくいわれますが、光太郎自身は公には明言していません。

先日、このブログ内の【013今日は何の日・光太郎】で、十和田湖畔の裸婦像(通称「乙女の像」)除幕式について書きました。

そちらが昭和28年(1953)の10月21日ということで、今年は60周年を迎えたわけです。そこで、地元・十和田では60周年を記念して、いろいろと顕彰活動が行われています。
 
例えば記念講座
 
 
さらに智恵子忌日・レモン忌へのご参加。

などなど。
 
来年には「子供たちにも理解できるもの」ということで、マンガによるガイド本の作成が企画されているそうです。
 
当方、レモン忌会場にて十和田の皆さんの知遇を得、お手伝いをすることとなりました。
 
その関係で、「研究の資料となれば」ということで、十和田市のまちづくり支援課様からDVDが送られてきまして、早速拝見しました。
 
驚きました。なんと昭和28年10月21日に行われた、裸婦像除幕式の模様を撮影した動画が入っていたのです。
 
元は青森県の社会教育センターに保管してある16㍉フィルムで、約8分間の動画です。はじめは同じ日に除幕された奥入瀬渓谷・銚子大滝の佐藤春夫詩碑除幕の様子。続いて裸婦像除幕式の模様でした。
 
残念ながら音声はないのですが、銚子大滝でも十和田湖畔でも、立って歩いて喋っている光太郎の姿が映っています。
 
光太郎が写っている動画としては、同じ年にブリヂストン美術館が作成し、翌年公開された「美術映画 高村光太郎」というものがあり、こちらは有名です。先日のNHKさんの「日曜美術館」でも、「こういうものがありますよ」とお教えし、番組内で使ってもらいました。それが唯一、生前の光太郎の写った動画だろうと長らく思っていたところに、除幕式の動画があったということで、非常に驚いたわけです。
 
戦時中の大政翼賛会中央協力会議を撮影した動画も現存しますが、光太郎が中心に写っているカットはないようで、写っているとしても隅の方だと思われます。
 
ちなみに除幕式の動画には、佐藤春夫、谷口吉郎(裸婦像台座設計者)、津島文治(太宰治実兄・当時の青森県知事)、藤井照子(裸婦像制作時のモデル)、そして草野心平の姿も。銚子大滝のカットでは、心平、足下の覚束ない佐藤春夫の手を引いて歩いています。佐藤春夫碑についてはこちら
 
DVDが届いたのが川内村の「かえる忌」前日で、当方講演の中に心平と光太郎の交流の一つとして裸婦像の件も話す予定でしたので、不思議な縁を感じました。
 
当日の光太郎のスピーチが載った青森県の『教育広報』の存在を知ったのも数年前ですし、同時に地元紙などに載った光太郎郎談話もいくつか見つけてはいます。ただ、まだまだ地元にはこの手の資料が眠っていそうな気がするので、これを機に調べてみようと思っています。
 
ところで裸婦像。先週の『デーリー東北』さんで紹介されました。 

十和田湖畔に紅葉シーズン到来(2013/10/23 08:49)

 十和田八幡平国立公園の十和田湖畔が紅葉シーズンを迎え、全国から訪れる観光客らが木々の色づきを楽しんでいる。十和田湖国立公園協会によると、22日現在は5割程度。見頃は今月末まで続く見込みだ。
 同日の休屋地区は曇りで時折小雨がぱらついた。湖畔のシンボルで建立から60周年を迎えた高村光太郎作による乙女の像周辺の樹木も黄や赤に染まり始め、観光客を引き付けていた。
 乙女の像と同じ〝還暦〟を記念し、夫婦で旅行に訪れた埼玉県上尾市の会社員赤尾友康さん(60)は「秋に来たのは初めて。すごくきれい」と喜んだ。
 
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本当に、多くの人でにぎわってほしいものです。
 
【今日は何の日・光太郎】 10月28日

昭和62年(1987)の今日、草野心平が文化勲章受章者に選定されました。
 
心平がらみのネタが続いたところで、今日のこのエピソード。これも不思議な縁を感じます。
 
たびたびこのブログでご紹介している二本松出身の画家・大山忠作も文化勲章受章者ですが、氏の伝記『安達太良の虹―大山忠作伝―』(2012 栗城正義著 歴史春秋社)によれば、福島県出身の文化勲章受章者は5人しかいなかったそうです(今年、郡山出身の磁気記録工学研究者・岩崎俊一氏が選定されたので6人目)。そのうち2人が光太郎と縁があるというのも面白いですね。

10/6(日)、福島は二本松旧安達町地区で行われた智恵子忌日の集い「レモン忌」。昨日も書きましたが、青森は十和田から、22名もの皆さんが参加なさいました。
 
レモン忌に来られる前に花巻の山荘や記念館を観てこられたとのこと。熱心ですね。当方が説明ボードを執筆したと言ったら驚かれていました。
 
なぜ十和田から大挙して? ということになりますと、今年は光太郎作の「十和田湖畔の裸婦像」(乙女の像)が建立されて60周年ということで、彼の地ではいろいろと記念事業的なところに取り組まれている、その一環としての研修旅行的な意味合いだそうです。
 
「十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会」さんのサイトに、「レモン忌」のレポートがアップされています。
 
その席上、いろいろな情報やらお土産やらをいただきましたのでご紹介します。
 
まず情報。
 
「乙女の像建立60周年記念事業」とのことで、残念ながら先月で募集は終わってしまいましたが、像に通じる湖畔の遊歩道の愛称募集が行われていたそうです。
 
こういう募集があったとは存じませんでした。まだまだ情報収集力が足りません。反省しました。
 
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遊歩道にフットライトを設置、像まで行ける時間を延長したそうです。いずれ愛称が決定したらまたお伝えします。010
 
その他にも、こちらはこのブログで以前にご紹介しましたが、十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さんが中心となって、裸婦像の背景を探る講演などの「ろまんヒストリー講座」が行われています。来年には講演の内容などをまとめた書籍を発行したいとのことでした。
 
ところで、5月頃、当方自宅兼事務所に東京のイベント会社から、今年の秋に裸婦像に関わる企画展を行いたいとの協力要請の電話がありましたが、その後、なしのつぶてでした。どうなっているのかな、と思っていましたところ、企画展示の案は予算の都合で立ち消えになったとのこと。残念です。
 
十和田の皆さんからはお土産もいただきました。奥入瀬源流水のペットボトルです。ありがとうございました。
 
もったいなくてなかなか飲めません。キンキンに冷やして飲む、珈琲を淹れるのに使う、などと考えています。
 
それから、10/1には日本郵政さんの東北支社で、オリジナル フレーム切手『十和田湖畔「乙女の像」建立60 周年記念』が発行されたとのこと。

 
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「レモン忌」会場に20セットほどお持ち下さり、希望者に販売して下さいました。通信販売は行って居らず、青森県内の郵便局でしか手に入らないとのこと。これはレアです。これこそもったいなくて使えません。
 
ちなみに50円が10枚。ですから額面500円なのですが、頒価は900円。日本郵政さん、商売がうまいですね(笑)しかしネット販売等に対応すれば売り上げはもっと伸びるような気もするのは素人考えでしょうか。
 
というわけで、今回のレモン忌では、二本松の皆さんと十和田の皆さんの交流が実現しました。さらに花巻の皆さんも含め、東北圏で交流を深めていきたい由。すばらしいお考えだと思いました。出来ることはどんどん協力していこうと思います。
 
【今日は何の日・光太郎】 10月8日
 
昭和13年(1938)の今日、駒込林町のアトリエで、智恵子の葬儀が執り行われました。
 
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3年後の昭和16年(1941)8月、詩集『智恵子抄』が刊行されますが、おそらくそのための書き下ろしとして、この日のことを謳った詩「荒涼たる帰宅」が作られました。
 
  荒涼たる帰宅011
 
あんなに帰りたがつてゐた自分の内へ
智恵子は死んでかへつて来た。
十月の深夜のがらんどうなアトリエの
小さな隅の埃を払つてきれいに浄め、
私は智恵子をそつと置く。
この一個の動かない人体の前に
私はいつまでも立ちつくす。
人は屏風をさかさにする。
人は燭をともし香をたく。
人は智恵子に化粧する。
さうして事がひとりでに運ぶ。
夜が明けたり日がくれたりして
そこら中がにぎやかになり、
家の中は花にうづまり、
何処かの葬式のやうになり、
いつのまにか智恵子が居なくなる。
私は誰も居ない暗いアトリエにただ立つてゐる。
外は名月といふ月夜らしい。
 
感情を表す言葉を一切排除し、淡々と経過を追っています。逆にそれだけに光太郎の空虚感がクローズアップされています。
 
この後、戦後になるまで、発表された詩の中に智恵子が謳われることはなくなります。
 
愛する者の死を謳い、愛する者に別れを告げ、「詩人」としての光太郎も、一度、死にました。この後はひたすら空虚な戦争詩のオンパレードとなっていくのです。

先月のブログでご紹介した青森・十和田湖での「ろまんヒストリー講座」、第一回の模様が報道されています。

建立60周年「乙女の像」 誕生秘話など紹介

 十和田市の十和田湖・奥入瀬観光ボランティアの会(小笠原哲男会長)は8月29日、市視聴覚センターで「ろまんヒストリー講座」を開き、元青森県近代文学館室長で、市教育長の米田省三さん(64)が「乙女の像誕生秘話」と題し、像の作者高村光太郎の人生を紹介した。
 講座は、十和田湖の魅力に導かれて建立された乙女の像60周年を機に、あらためて歴史を振り返ろうと、同会が進めている「ろまんヒストリー発信事業」の一環。約60人が興味深く聞き入った。
(『デーリー東北新聞』 2013.9.2)
 
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主催する「十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会」さんのサイトにも紹介されています。

 
今月末には第2回の講座があるとのことです。
 
9月26日(木) 19:00〜
十和田市視聴覚センターAV研修室
講師 川口浩一(ATV青森テレビアナウンサー)
入場無料
 
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【今日は何の日・光太郎】 9月3日
 
明治37年(1904)の今日、智恵子の妹・チヨが誕生しました

イベント情報です。 

乙女の像建立60周年記念講座

期 日 : 平成25年8月29日(木) 
会 場 : 十和田市視聴覚センターAV研修室(十和田市文化センター2階)
時 間 : 19:00~20:30
料 金 : 
無料

  : 米田省三氏(十和田市教育長)

 
主催は「十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会」さん。「平成25年度元気な十和田市づくり市民活動支援事業」の対象事業となっているようです。
 
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当方、「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」の岡山展開会式が翌30日なので、こちらには行けませんが、紹介だけさせていただきます。
 
【今日は何の日・光太郎】 8月17日

昭和29年(1954)の今日、中野のアトリエに三河島のトンカツ屋・東方亭の主人が訪れました。
 
東方亭は戦前から戦中にかけ、光太郎がよく通った店です。武田麟太郎の短編小説「好きな場所」(昭和16年=1941)によれば、はじめ光太郎は店では正体を隠し、火葬場の職員と名乗っていたとのこと。どこまで真実かわかりませんが、国策協力を余儀なくされていた時期に、肩書きなしの一個人に戻れる数少ない場所だったのはまちがいないでしょう。
 
店の長女、明子さんはのちに戦後の混乱期に苦学の末、医師となり、光太郎は彼女をモチーフにした詩「女医になつた少女」(昭和24年=1949)を作ったりしています。

今週、テレビ放映で十和田湖が相次いで紹介されます。 

発見!体感!緑輝く渓流 奥入瀬川紀行

2013年7月31日(水)  22時00分~23時00分 NHKBSプレミアム
 
美しい渓流で知られる青森県の奥入瀬川。河口から源流までを俳優の藤本隆宏さんが旅する。絶品のカニに舌鼓。山の秘湯を体感。緑輝く奥入瀬渓流の絶景を心ゆくまで堪能する


番組内容
青森県を流れる奥入瀬川。森の中を縫うように続く渓流の美しさで全国に知られる。俳優の藤本隆宏さんが、河口から十和田湖までを旅する。まずは漁師さん絶賛のカニ料理に舌鼓。野鳥の楽園では珍しい鳥を発見。開拓にかけた人々の知られざる歴史にも触れる。さらに、本州一の透明度を誇る赤沼の自然を体感。山の秘湯で疲れを癒やし、最後は、達人の案内で、緑に輝く奥入瀬渓流の絶景を心ゆくまで堪能する。奥入瀬の夏の魅力が満載。

出演者 藤本隆宏

 


 

土曜スペシャル「涼しい湖畔を探索!湖ぐるり一周!ふれあい旅2」

2013年8月3日(土)  18時30分~20時54分 テレビ東京1
 
山梨・山中湖を一周!!世界文化遺産・富士山を一望できる露天風呂やスケルトンカヌー、グルメを堪能▽北海道・洞爺湖湖畔の牧場で酪農体験&希少動物観察!!▽秋田・十和田湖

番組内容
暑さが厳しいこの時期、心地よい湖の風を感じながら湖畔をぐるりと歩けば涼しさ満点!絶景はもちろんのこと、その土地ならでは名所や名湯、旬の味覚もご紹介します。 巡るのは、山中湖、十和田湖、洞爺湖の3つ。スピード満点のボートツアーを体験したり、展望台から湖を一望できる絶景を堪能したり、湖畔の丘上にある牧場で酪農体験をしたり、貴重な動物を観察したり…。豊かな自然を存分に楽しみます! また、湖畔には立ち寄り湯のある施設も複数存在。温泉で休息をはさみながら進んでいくため、ゆったりと旅を楽しむことができます。 湖畔を一周したからこそ味わえる、スケール感満点で最高のひととき。ぜひ、夏の旅のご参考にいかがですか?
 
出演者  山中湖 野村真美&藤田朋子  十和田湖 TIM&田代さやか
  洞爺湖 アンガールズ
 
どちらの放映でも、十和田湖畔の裸婦像(乙女の像)、取り上げられるといいのですが……。
 

【今日は何の日・光太郎】 7月28日000

昭和21年(1946)の今日、花巻郊外太田村山口の山小屋で、ネズミに布団をかじられました。
 
山小屋生活に入って初めての夏。いろいろ苦労も多かったようです。この次の年の冬には、こんな短歌も作っています。
 
わが前にとんぼがへりをして遊ぶ鼠の来ずて夜を吹雪くなり
 
毒物を置きて鼠にあたへむとしつつ厳しき寒夜を感ず
 
画像は明治29年(1896)、数え13歳の時の光太郎作木彫手板です。

【今日は何の日・光太郎】 7月4日無題1
 
昭和29年(1954)の今日、十和田湖畔の裸婦像のモデルを務めた藤井照子が結婚の報告に訪れました。
 
十和田湖畔の裸婦像。顔は智恵子の面影、とよくいわれますが、制作に際してはモデルを使っています。
 
は昭和28年(1953)10月21日、十和田湖での除幕式で撮影されたものです。
 
右が光太郎、左がモデルを務めた藤井照子。久しぶりの再会を喜ぶショットです。
 
というわけで……でもないのですが、今日は十和田湖ネタを。 
 
まず、ニュース検索で1件ヒットしましたのでご紹介します。 

「湖畔の乙女」13日に最後の合唱

 十和田市などの音楽愛好家らでつくる「湖畔の乙女」を歌い継ぐ会(五十嵐明子代表=東京在住)は13日、十和田湖畔休屋の乙女の像の前で「湖畔の乙女」「奥入瀬大滝の歌」(いずれも佐藤春夫作詞、長谷川芳美作曲)を歌う集いを開く。十和田湖を訪れる観光客のためにバスガイドによって歌われるなど、長年親しまれてきた歌を後世に残そうと、2004年に始まった集いは、10回目の区切りの今年が最後となる。

 二つの歌は、乙女の像の建立を祝い、彫刻家・高村光太郎の友人だった文豪・佐藤春夫が本県に2編の詩を寄託し、当時三本木高校の音楽教師だった長谷川芳美さん(故人)が曲をつけて誕生した。

 1953(昭和28)年の除幕式で同校の生徒らによって披露され、湖畔の乙女は10年後にレコード化も実現。東京・新宿の歌声喫茶で歌われるなど全国的な愛唱歌となった。

 集いは、二つの曲が本県に関わる音楽資料の保存活動を行っている県音楽資料保存協会に登録されたのを機に、長谷川さんの教え子らが中心となって始めた。十和田湖のシンボル・乙女の像は今年が建立60周年で、“還暦”に当たる。歌う集いも当初目標とした10年の節目を達成し、参加者の高齢化などを理由に今回を歌い納めにするという。

 同会事務局の藤田みつさん(80)=十和田市=は「よく10年間続けられたと思う。これからも歌い継がれることを祈りながら、湖に向かって歌声を響かせたい」と話す。

 集いの参加は申し込み先着45人で、8日締め切り。参加費はバス代などを含め千円。13日は十和田市役所前に午前8時45分に集合し、バス内で練習しながら現地に移動。午前11時から行われる「十和田湖湖水まつり」の開会式で合唱を披露する。

 申し込みは、はがきかファクスで、同会事務局の藤田さん方(郵便番号034―0031、十和田市東3の5の32、電話兼ファクス0176-23-2356)へ。同会は、会員有志合唱団と十和田フィルハーモニー管弦楽団の演奏で2曲を収録したCDを作製、1枚千円で販売している。


 
記事にあるとおり、「湖畔の乙女」の方は全国区の歌になりました。レコードは本間千代子さんの歌でリリースされています。
 
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活動されてきた皆様、お疲れ様でした。今後は地元のアマチュア合唱団などでレパートリーとして歌い継いでほしいものです。
 
 
十和田湖、といえば昨年6月にオンエアされたものの再放送ですが、テレビ放映も近々あります。  

「いい旅・夢気分「大人気!初夏の青森 新緑の奥入瀬と旬のご馳走」

2013年7月7日(日)  11時30分~12時30分 BSジャパン
 
今注目の観光地・青森へ!奥入瀬渓流では涼やかな新緑と水のせせらぎに癒されます。十和田湖畔の名湯は風情満点。レトロな街並みの弘前では話題の「奇跡のりんご」を紹介。

番組内容
緑の風を感じる青森の旅!奥入瀬渓流では涼やかな新緑が見ごろ。水のせせらぎに癒されます。十和田湖では人気のクルージング。船上からの景色は風情満点。夜は十和田湖温泉郷で宿泊。源泉かけ流しの名湯は価値あり。翌日は田舎館村へ。名物の田んぼアートは圧巻!洋館の町・弘前は異国情緒満点。話題の「奇跡のりんご」を使ったフレンチ、有名カフェや高級ホテルも注目のブナコの器作りにもチャレンジします。

出演者 川合俊一、松本明子、中島史恵  
   ナレーション  大和田伸也

裸婦像が紹介されるといいのですが。

明後日、6月2日に放映されるテレビ番組の情報です。 

のんびりゆったり 路線バスの旅「早春の青森 十和田湖をめざして」

NHK総合1・東京 2013年6月2日(日) 17時30分~18時00分
 
太平洋に面した八戸から十和田湖を目指す。旅人は俳優の平岳大さん。市場の朝ごはん、競走馬の牧場訪問、ちびっ子相撲道場に入門など、ふるさとを愛する人々の笑顔に出会う
番組内容
舞台は青森県。太平洋に面した八戸から、秋田県と境を接する十和田湖を目指す。旅人は俳優・平岳大さん。八戸では港近くの市場で朝ごはん。市場のお母さんから元気をもらう。古くからの馬の産地、五戸町の牧場で馬とスキンシップ。新郷村の謎の踊り“ナニャドラヤ”も紹介。桜満開の十和田市では、ちびっ子相撲道場の子どもたちに出会う。十和田湖では、まだ雪が残る山々の絶景に感動。ふるさとを愛する人々の笑顔に出会う旅。

出演者 旅人 平岳大

この時期に「早春の十和田湖」というのがすごいですね。
 
十和田湖といえば、少し前に展覧会企画制作会社から電話がありました。今秋、十和田湖にある十和田ビジターセンターという施設で、光太郎作の裸婦像に関わる企画展を行いたいとのことで、協力要請でした。
 
十和田湖のシンボルともいえる、光太郎作の裸婦像(乙女の像)は、昭和28年(1953)の除幕。したがって今年で竣工60周年に当たります。それを記念して、ということですね。まだ具体的な話になっていないのですが、詳細が入り次第お伝えします。

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画像は昔のテレホンカードです。
 
【今日は何の日・光太郎】 5月31日

昭和26年(1951)の今日、詩集『典型』で受賞した第二回読売文学賞の賞金10万円を受け取りました。
 
しかし光太郎、当時住んでいた花巻郊外太田村山口地区に、この賞金をそっくり寄付してしまっています。地区ではこの10万円で、橋を架けたり、青年会の旗を作ったり、小学校の儀式用の幕を作ったりしたそうです。

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昨日から、青森県の十和田湖で「十和田湖冬物語2013」というイベントが開かれています。
 
以下、社団法人十和田湖国立公園協会さまのサイトから。

十和田湖冬物語2013

 十和田湖冬物語特設会場で開催される北東北最大級の雪祭。
期間中は【津軽三味線ライブ】等のステージイベントの他、青森・秋田の地産品の数々が味わえる【ゆきあかり横丁】、【かまくらBar】、【酒かま蔵】【雪の大型すべり台】、【十和田湖畔温泉足湯】、赤ちゃん用の授乳スペース・キッズスペースが人気の【あったかこどもハウス】といった施設が目白押し!
夜には冬花火も上がり、冬の十和田湖畔を盛り上げます

ご家族で、カップルで、ご友人で、冬の十和田湖を存分にお楽しみ下さい!
スタッフ一同、お客様のお越しを心よりお待ちしています☆

※ イベントの内容が変更になる場合がございます。

開催期間:2013年2月1日(金)~24日(日)
開催時間:平日15:00~21:00 / 土日祝11:00~21:00
駐 車 場:約600台(無料)
開催場所:十和田湖畔休屋 (十和田湖冬物語特設会場)
住   所:〒018-5501 青森県十和田市大字奥瀬字十和田湖畔休屋486

【雪のゲート】
雪と光のゲートがお客様をお出迎え致します。

【乙女の像ライトアップ】
冬物語期間中は雪灯籠(スノーランプ)が設置され、幻想的な雰囲気に湖畔を彩ります。

【冬花火】
お客様から最も人気のあるイベントの一つが冬花火♪
凛と静まりかえった夜空に咲く大輪の花火は必見です!


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昨年には原発事故の風評被害で観光客が減少し、遊覧船の会社が経営破綻というショッキングな報道がありました。逆風にめげず、がんばってほしいものです。
 
と、紹介しておきながら申し訳ないのですが、当方、今月はあちこち出かける機会が多く、こちらはパスするつもりです。もしかして、会期終わり頃に余裕があったら行って来るかも知れません。
 
【今日は何の日・光太郎】2月2日

昭和22年(1947)の今日、明治末の新詩社時代からの親友だった作家、水野葉舟が歿しました。

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