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昨日は「第54回十和田湖湖水まつり」の模様をお伝えしましたが、同じく十和田湖でのイベントです。

十和田湖ウオーク2019

期 日   : 2019年7月21日(日
会 場 : スタート・ゴール 十和田湖ウォーク特設会場
                               青森県十和田市奥瀬十和田湖畔休屋486
時 間 : 1周コース(約50㎞) 集合5:30 開会式5:40 スタート6:00
         ファミリーコース(約12㎞) 集合9:50 開会式10:00
料 金 : 大人3,000円  中高生2,000円  小学生1,500円  小学生未満無料

十和田湖の湖畔1周(約50キロ)を踏破するイベント。湖畔の観光名所・休屋を発着点として起伏の多い約50キロに挑む一周コースと、遊覧船で湖上からの景観を楽しんだ後、子ノ口-休屋の約12キロを歩くファミリーコースを実施する。

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ぐるっと十和田湖を1周する「1周コース」(約50キロメートル)、休屋地区から遊覧船で奥入瀬渓流の入り口である子の口まで行き、そこから休屋地区に戻る約12キロメートルの「ファミリーコース」の2本立てだそうです。

1周、ファミリー両コースとも、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ、湖畔休屋地区の特設会場からスタート。ゴール地点も同じ。

これまでもこのイベントは開催されていました(ちなみに昨年は2コースで1,000人以上が参加したそうです)が、光太郎との絡みは無いだろうと思い、紹介せずにいました。しかし今年、フライヤーに「乙女の像」が描かれているのを見て、紹介せねば、と思った次第です(笑)。

ただ、おそらく像のかなり手前にある、冬場に「十和田湖冬物語」会場として使われる広場がスタート/ゴール地点なのでしょう。

参加申し込みは終わっているようですが、こういうイベントもあるんだということで。ことによるとキャンセル等で空きがあるかもしれませんし。

同じく光太郎ゆかりの地・花巻でも、来月「第22回 いわて花巻 イーハトーブの里ツーデーマーチ」が行われます。また近くなりましたらご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

一般に岩手県といふと地方の中の地方、田舎の中の田舎のやうに都会の人は考へてゐるやうですが、どういたしまして、その岩手県は美の宝庫のやうなところであると小生は考へてゐます。天然自然に於いてもさう。民衆文化の集積に於てもさう。又現にこの県民一般の美に対する感受性と美に於ける創造性とを考へても、さう思はずにゐられません。

雑纂「岩手県立盛岡美術工芸学校開校式祝辞」より
 
昭和23年(1948) 光太郎66歳

県立美術工芸学校は、現・岩手大学教育学部芸術文化課程造形コースさんです。そこで、多分にリップサービスも入っているような気がしますが、かけていた期待の大きさはこういうものでした。

開校当初の校長は森口多里、教授陣には深沢省三・紅子夫妻、舟越保武、堀江赳などがいました。

過日開催された「第54回十和田湖湖水まつり」の模様が報道されていますのでご紹介します。

まず、青森の地方紙『東奥日報』さん。

十和田湖湖水まつり14日まで/カヌー体験はデートにぴったり?/夜は迫力打ち上げ花火

 十和田湖に夏の訪れを告げる「十和田湖湖水まつり」が13日、青森県十和田市の休屋地区で開幕した。好天に恵まれた初日、観光客が湖畔を巡るツアーやカヌー体験などを満喫。夜は湖上から打ち上げられた花火を楽しんだ。まつりは14日まで。
 汗ばむ陽気になった初日、十和田湖に伝わる物語を聞きガイドと歩く「夏さんぽ」や、占い場を巡るツアー「占い場クルーズ」、十和田ビジターセンターでのクラフト体験、カヌー体験と多彩な催しが繰り広げられた。約1時間、カヌー体験をした東京都の実躍華(じつやくか)ちゃん(4)は「楽しかった。疲れなかったよ」と話した。夏さんぽでは、十和田奥入瀬観光機構の山下晃平さんが、湖に伝わる話を説明しながら十和田神社や乙女の像などのポイントを巡り散策した。
 午後6時から乙女の像がライトアップされ、会場の雰囲気を演出。花火観覧船4隻が運航され、同8時から船上からの打ち上げ花火を楽しんだ。今年は大曲花火大会などで活躍する秋田県大仙市の花火職人が手掛けた大迫力の大輪が湖面を彩った。
 14日はペダルボートレース(午前10時半~)やバルーンアート体験(午後2時~)も予定している。花火は午後8時から打ち上げられる。まつりは実行委員会が主催し、54回目。問い合わせは実行委(電話0176-75-1531)へ。

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続いてRAB青森放送さんのローカルニュース。

2019.8.9 みすず野十和田湖 湖水まつり(青森県)

夏の十和田湖観光の幕開けを告げる「十和田湖 湖水まつり」が始まり、訪れた観光客が湖畔を散策したり花火大会を楽しみました。
「十和田湖 湖水まつり」は十和田湖畔の休屋地区できのう13日開幕しました。
午後から青空が広がった湖畔には多くの観光客が訪れ、乙女の像までの遊歩道を散策したりボートに乗るなどして十和田湖の雄大な自然を満喫していました。
★観光客は
「すごくいいです。自然が豊かで」
「2人とも初めて来たんですけど、すごく透明度が高くてボート乗ったりしたんですけど」
「楽しかったね、きれい、すごくきれいでした。来てよかったです」
日が暮れると恒例の花火大会が開かれました。
ことしは秋田県大仙市の花火師が製作した大型花火など色とりどりの1200発が湖畔の夜空を彩りました。
「十和田湖 湖水まつり」はきょう14日まで開かれ、カヌー体験や夜には花火が打ち上げられます。

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最後に、秋田大曲に本社を置く『北鹿新聞』さん。 

湖上彩る大輪2400発 十和田湖「湖水まつり」 夏観光の幕開け告げる


小坂町と青森県十和田市にまたがる十和田湖
に夏の観光シーズンの幕開けを告げる「湖水まつり」(実行委主催)が13、14の両日、湖畔休屋で開催された。観光客らが湖畔の散策やカヌー体験、湖上花火など、昼夜を通してのイベントを楽しんだ。
 夏の十和田湖の活性化を目的に行われており、今年で54回目。呼び物の湖上花火は、大仙市の花火師による直径300㍍まで花開く10号玉を含め、1日約1200発、2日間で計約2400発が初夏の夜空に打ち上げられた。
 初日の13日は、整備された桟橋前広場や散策路、県境付近の桂ケ浜、「乙女の像」へと続く御前ケ浜などに国内外から訪れた家族連れや、カップルなどが陣取った。
 水面いっぱいに広がる水中花火、豪快な10号玉、スターマインなど数々の仕掛け花火が台船を使って湖上から打ち上げられると、詰めかけた見物客からは大きな歓声。夜空に広がる花火が湖面に反射し、美しさと豪快さを堪能していた。

ご紹介した各社報道、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」に触れて下さり、ありがたく存じます。

夏の観光シーズンとなります。ぜひ十和田湖へも足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

一時のやうなばかばかしい褒貶の議論もなくなつて、彼の彫刻はいま一つの静かな歴史的クリテリオムの壇上に立つて、遠い古代に於いてのみならずこの近代の現実に於いても尚ほ人力が人力以上をおもはせる境にまで到り得ることのあかしを示してゐる。

雑纂「「ロダン」後記」より 昭和24年(1929) 光太郎67歳

この年、昭和2年(1927)に刊行された光太郎著の評伝『ロダン』が白玉書房から再刊されることとなり(結局、ポシャりましたが)、そのために書かれた後書きから。

彫刻のみならず美術界全体に多大な影響を与え、いい意味で時代を「席巻」したロダン。毀誉褒貶の嵐は存命中、そして大正6年(1917)に没してからもしばらく続きました。戦後ともなるとほぼほぼその評価も定まり、そのあたりのことを言っているわけです。「クリテリオム」はラテン語で「基準」を表します。

光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ青森県十和田湖の夏の風物詩、「十和田湖湖水まつり」が今年も開催されます。 

例年通り「乙女の像」のライトアップが為されます。

2019.第54回十和田湖湖水まつり

期   日 : 2019年7月13日(土)・14日(日)
場   所 : 十和田湖畔休屋  十和田市十和田湖畔休屋486
時   間 : 9:00~22:00 

十和田湖に夏の観光シーズン幕開けを告げるお祭です。
花火大会では遊覧船が運航し、日中は十和田湖ひめますフェアやちょこっとカヌー体験、十和田湖夏さんぽなどのイベントが行われます。
ご家族、ご友人、カップルで十和田湖湖水まつりをお楽しみ下さい!

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イベント(内容が変わる場合がございます)
 7月13日 (土)
  09:00~19:00  十和田ビジターセンター開館
  09:00~21:00  十和田湖観光交流センター「ぷらっと」開館
  09:00~18:00  クラフト体験
  10:30~12:00  十和田湖夏さんぽ
  11:00~      オリジナルひめます弁当販売   
  11:00~      十和田神社 安全祈願
  11:00~      十和田湖保育園よさこい演舞
  13:00~14:00    ちょこっとカヌー体験
  14:30~15:30     〃
  16:00~17:00    〃
  15:30~17:30  夏さんぽ×占い場クルーズ
  16:00~19:00  地酒利き酒
  18:00~      花火観覧船乗船券販売開始
  18:00~22:00  乙女の像ライトアップ
  18:30~      花火観覧船乗船開始
  20:00~20:40  花火打上

 7月14日 (日)
  09:00~19:00  十和田ビジターセンター開館
  09:00~21:00  十和田湖観光交流センター「ぷらっと」開館
  09:00~18:00  クラフト体験
  10:30~11:30  十和田湖夏さんぽ
  10:30~      ペダルボートレース
  11:00~      オリジナルひめます弁当販売
  13:00~14:00  ちょこっとカヌー体験
  14:30~15:30     〃
  16:00~17:00      〃
  15:30~17:30  夏さんぽ×占い場クルーズ
  16:00~19:00  地酒利き酒
  18:00~      花火観覧船乗車券発売開始
  18:00~22:00  乙女の像ライトアップ
  18:30~      花火観覧船乗船開始
  20:00~20:40  花火打上
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湖畔の十和田湖観光交流センターぷらっとでは、昨年、光太郎に関する展示コーナーをリニューアル。青森在住で生前の光太郎をご存じの彫刻家・田村進氏制作の光太郎胸像、「乙女の像」制作に際し、光太郎が実際に使った彫刻台などの展示が為されています。

ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

日本製のオートミール其他の類似品は今のところ悪臭があつて口にするに堪へません。オーツの芳香をそのまま保存する方法を考へる人はないか、などと話し合ひました。

アンケート「この頃食卓にあつた話」より 昭和8年(1933) 光太郎51歳

「オーツ」は「クェーカー・オーツ」。現在も残るアメリカ製オートミールのブランドで、光太郎の好物の一つでした。日本製のばったもんは食するにたえず、さりとて輸入物は鮮度が落ちるということで、困っていたようです。

光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」(昭和28年=1953)の立つ、青森十和田市。

過日、ご紹介しました十和田市の劇団「エムズパーティー」さんによるDVD「乙女の像ものがたり 多言語字幕版」を、同劇団主宰の仲島みちるさんからいただきました。深謝です。

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もともとは、十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さんが、平成27年(2015)に刊行された書籍『十和田湖 乙女の像のものがたり』。光太郎の令甥、故・髙村規氏や、当会顧問・北川太一先生、乙女の像設置工事の際の技師だった小山義孝氏などへのインタビューなどから成り、当方も執筆させていただきました。

当方の主な執筆部分は「乙女の像」制作の背景をまとめた「「乙女の像」概説」、さらにそれとは別に「子供にもわかるものを」という注文があり、光太郎を主人公とし、史実を元にしたジュブナイルフィクション「乙女の像のものがたり」も書きました。

平成28年(2016)には、その「乙女の像のものがたり」を換骨奪胎し、十和田市の劇団エムズ・パーティーさんが朗読劇にされて公演、さらに「平成28年度 元気な十和田市づくり市民活動支援事業」の指定を受け、十和田市さんからの助成を受けてDVDを制作なさいました。

さらに、増加するインバウンドの方々向けにということで、今回、「多言語字幕版」が作成されまして、今日、十和田市で完成披露お披露目会が開催されています。

吹き替えで他言語に対応するにはとてつもない人手が必要ですが、字幕であればそうでもなく、いいアイディアですね。ただし、字幕を作成して下さった皆さん、やはりご苦労がいろいろおありだったと思われます。当方、翻訳されることなど全く夢想だにせずして書いたもので(笑)。

英語版は三沢市でALT(外国語指導助手)を勤められているエイダン・モリソンさん、韓国語版で同国の旅行会社に勤務されていたというカン奏子さん、中国語版(繁体字の台湾など向け/簡体字の中国本土向け)を中国で日本語教師や観光ガイドを務められていた立崎ヒロアキさんが担当して下さったそうです。附属のリーフレットもお三方によるものでしょう。

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日本語の字幕もついています。

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字幕の言語指定を切り替えると……。

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ハングル以外は、けっこう「なるほど」という感じです(笑)。

「乙女の像ものがたり」以外にも、「国立公園を楽しむためのルールとマナー」という項もあります。

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文化や生活習慣の違いというのもありますから、こういうことも大事なことですね。ちなみに十和田市さんでは、スマートフォンなどで読み込むQRコードを駆使した観光案内も実施なさっています。

来年、2020年は、東京オリンピック。訪日される外国の方は多いことでしょう。全国の観光地で、このような取り組みが広がってほしいものです。


【折々のことば・光太郎】

まるで鎌いたちのやうに忽然と来て忽然と去つたジヤン コクトウは、しかしいい土産を日本に置いていつた。それは醒めてゐる事の密度の高さをわれわれに印象させてくれた事だ。コクトウに比べるとわれわれはまだ眠たげに見える。まだ十分心身の隅々にまで意識がゆき渡つてゐないかに見える。

散文「某月某日」より 昭和11年(1936) 光太郎54歳

この年訪日した、フランスの詩人ジャン・コクトー。光太郎同様、詩以外にも絵画や小説、脚本、映画監督など、さまざまな分野で足跡を残し、「芸術のデパート」と呼ばれました。そうした部分から、光太郎はひそかにシンパシーを感じていたのかもしれません。ちなみに後にディズニー映画になった「美女と野獣」も、コクトーが最初に映画化しました。その際、来日した折に観た歌舞伎の印象がインスパイアされているという説もあります。

「異文化交流」、大切なことですね。


第63回連翹忌(2019年4月2日(火))の参加者募集中です。詳細はこちら

青森の地方紙『デーリー東北』さんに一昨日載った記事です。  

「十和田かるた」で市内PR 高清水小の児童が初制作

 「俳句日本一」を目指した教育活動を推進している十和田市立高清水小(原田克人校長)の全校児童29人は、観光地や特産品など市内の魅力を詰め込んだ「十和田かるた」を初めて制作した。昨年9月に実施した市内各地を徒歩やバスで巡る学校行事「十和田ウォーク」を通じ、五七五調の読み札と対応する絵札が完成。子どもたちの豊かな感性が際立つ作品となっており、同市の魅力発信に一役買いそうだ。
 同校では、これまで児童が地域や個人的な出来事を作品にしたかるたを制作。本年度は市全体を対象に拡大した。
 絵札には、十和田湖のシンボル「乙女の像」や女流騎手が的を射る「桜流鏑馬やぶさめ」、伝統工芸品の「きみがらスリッパ」「南部裂織」、特産品の「十和田湖ひめます」などが描かれた。
 制作に取り組んだ須田山遥さん(6年)は「な」の読み札を「長芋の とれる畑の 背に紅葉」とし、「ナガイモは市の名産。収穫時には葉が色づくので思いついた」と説明した。
 松田佳大けいた君(同)は「し」を「市役所の 上から見下ろす 空と山」と詠んだ。「展望フロアから見た青と緑の景色がきれいだった」とアピールした。
 原田校長は「子どもたちの感覚には驚かされるばかり。楽しみながら取り組んでいるので良かった」と述べた。
 同校は本年度、かるたを計4セット作り、地元の保育所などに配布。2019年度も増刷し、市の関係機関に配布する予定だ。

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いい話ですね。こういう活動を通じ、上からの押しつけではなく、楽しみながら「郷土愛」といったものが育まれていくのだと思います。

ちなみに「乙女の像」にはどんな句が添えられているのか、気になるところです(笑)。


【折々のことば・光太郎】

日本の古い銘木の緑茶のうまさを何に比べよう。この世の飲みものの中のあらゆる味を思ひ出してもこれに勝るものはない。リキュウル、否。灘の銘酒、否。ブウルゴオニユの古葡萄酒、否。ダアジリンの紅茶、否。それらのものの秀れた味は珠玉のやうだが、なほこの濃緑の奥深さを持つものは断じて無い。
散文「新茶の幻想」より 昭和10年(1935) 光太郎53歳

昭和10年(1935)5月の作。この年の今頃、智恵子がその終焉の地となった南品川ゼームス坂病院に入院しまして、とりあえず光太郎の生活は落ち着きを取り戻した時期です。そこで、紹介した一節の前に、茶が好きだった智恵子の回想が書かれ、末尾には「智恵子は今どうしてゐるだらう。千羽鶴は折れたか、茶の味は忘れたか。」と記されました。

この文章、長らく初出掲載誌が不明でしたが、同年6月30日発行の『週刊朝日』第27巻第31号に掲載を確認しました。

第63回連翹忌(2019年4月2日(火))の参加者募集中です。詳細はこちら

青森十和田発の情報です。状況をわかりやすくするために、まず地方紙『デーリー東北』さんの記事から。  

外国客向けに多言語パンフ製作 十和田の市民団体

 十和田市の市民団体「インバウンド十和田」(米内山和正会長)は、同市の魅力である「観光」や「食」を発信するため、多言語対応のパンフレットとホームページ(HP)、動画をそれぞれ製作した。日本語、英語、韓国語、中国語の簡体字と繁体字の5言語に翻訳。米内山会長は「増加する訪日外国人観光客に日本や十和田の魅力を知ってもらい、経済発展につなげたい」とアピールしている。
 団体は昨年4月に発足。経済の活性化や観光振興、婚活などの事業を展開している。5日、市役所を訪問し、小山田久市長にパンフレットなどの完成を報告。小山田市長は「まちづくりに協力していただきありがたい」と述べた。
 パンフレットなどには、ご当地グルメの「十和田バラ焼き」、特産品の「十和田湖ひめます」やニンニク、ナガイモ、ゴボウ、ネギといった代表的な野菜を掲載。さらに十和田湖や奥入瀬渓流、市現代美術館といった市内の観光地を紹介している。
 製作には、市の「元気な十和田市づくり市民活動支援事業」の補助金を活用。パンフレットは500部作成し、市内の観光施設で配布する。動画は23日午前10時から市民交流プラザ「トワーレ」で開く、完成お披露目会で公開する。HPアドレスはhttps://towada.site/spot.html

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というわけで、その完成お披露目会。  

十和田市の魅力を世界に発信!インバウンド対応 制作物完成お披露目会

期 日 : 2019年2月23日(土)
会 場 : 市民交流プラザトワーレ 多目的研修室 2・3  青森県十和田市 稲生町18-33  
時 間 : 10:00~12:00
料 金 : 無料

インバウンド十和田では、「十和田市の魅力を世界に発信!」と題した十和田市の魅力である「観光」と「食」のコンテンツを1つにまとめ、インバウンド対応(日本語・英語・韓国語・中国語簡体字・中国語繁体字)を施した「パンフレット・WEBページ・動画」の制作を行いました。こちらの完成お披露目発表会を下記日時で開催いたします。
また、同時開催として、劇団エムズパーティーが制作した朗読劇「乙女の像ものがたり多言語字幕版」の完成お披露目会を行います。

【第1部】  (10:00 ~ 10:20) 発表:インバウンド十和田
 十和田市の魅力を世界に発信!
 ・パンフレットの紹介 ・WEBページの紹介 ・動画の公開(英語字幕で公開)
 
【第2部】  (10:20 ~ 11:40)  発表:劇団エムズパーティー
 ・観光マナー動画の公開(英語字幕で公開)
 ・乙女の像ものがたり多言語字幕版の公開(英語字幕で公開)
 
【第3部】 (11:40 ~12:00)
 参加された外国人・翻訳者の方々との意見交換会
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増加するインバウンドの皆さん向けに、他言語版のパンフレッ
トが作成されたそうで、そのお披露目会。ついでに当方原作、劇団エムズ・パーティーの皆さんが演じられた朗読劇「乙女の像ものがたり」のDVDの、こちらも多言語字幕版を上映されるとのこと。

海外の方と、ひとくくりにはできませんが、光太郎をはじめとする「乙女の像」建立に関わった人々のドラマ、どのように受け止められるか興味深いところです。


お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

冬の季節ほど私に底知れぬ力と、光を包んだ美しさとを感じさせるものはない。満目蕭條といふ形容詞が昔からよく冬の風景を前にして使はれるが、私はその満目蕭條たる風景にこそ実にいきいきした生活力を感じ、心がうたれ、はげまされ、限りない自然の美を見る。

散文「満目蕭條の美」より 昭和7年(1932) 光太郎50歳

こよなく冬を愛した光太郎、「満目蕭條」の語も好みました。戦後になって、花巻郊外太田村の山小屋で蟄居生活を送るようになると、書にしたためたりもしました。

本来、「見渡す限りもの寂しいこと」の意なのですが、まじりけのない、余計なものをすべて削ぎ落とした、といった意味としてとらえ、そこに究極の美を見いだしたのでしょう。

光太郎最期の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップが行われる「十和田湖冬物語」が開幕しました。

地方紙『東奥日報』さんの記事。 

真冬の十和田湖に彩り/「冬物語」開幕

 真冬の十和田湖をイルミネーションで幻想的に彩る「十和田湖冬物語」が1日、十和田湖畔の特設会場で開幕した。多彩な雪像とイルミネーションで彩られた会場は、記念撮影を楽しむカップルや家族連れでにぎわった。
  オープニングセレモニーで、実行委員会の中村秀行委員長が「会場が盛り上がり、地域活性化につながればと願っている」とあいさつ。小山田久市長らと雪像に点灯した。今年のメイン雪像は「雪龍と龍王」が向かい合う構図で、ライトで照らすと迫力満点の雪像が浮かび上がった。
  この日は天候が荒れ模様で、気温は氷点下6度の冷え込み。雪が降りしきる中でも午後8時すぎ、メインの花火200発が打ち上げられると、冬の夜空に光の輪が鮮やかに映え、来場者から歓声が上がっていた。
  冬物語は24日まで。毎日午後8時から花火200発を打ち上げる。会場にはかまくらBarなどの飲食店が多数並ぶほか、バナナボートなどの雪遊びも楽しめる。
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続いて地方紙『デーリー東北』さん。

銀世界に花火、幻想的な空間十和田湖冬物語が開幕/青森

016 北奥羽地方を代表する雪祭り「十和田湖冬物語」が1日、十和田市の十和田湖畔休屋地区特設会場で開幕した。会場では夜間、ライトアップや花火の打ち上げがあり、幻想的な空間を演出。来場者は彩り豊かな銀世界に魅了されている。24日まで。
  毎年恒例のイベントで21回目。メインステージにある高さ5・4メートル、幅17・4メートルの大雪像「雪龍と龍王」、大小の雪のモニュメントやイルミネーションが来場者を出迎えている。
  会場内では青森、秋田両県の料理が味わえる「雪あかり横丁」、氷のグラスでカクテルが飲める「かまくらバー」が人気。初日から来場者が写真撮影を楽しむなど、寒さに負けずイベントを満喫していた。
  開催時間は平日が午後3~9時、土日祝日が午前11時~午後9時。花火の打ち上げは午後8時から毎日行われる。


同じ『デーリー東北』さんには、こんな記事も。 

「十和田湖冬物語」が2位 行ってみたい冬の絶景スポット/じゃらん調査

 旅行雑誌「じゃらん」を発行するリクルートライフスタイル(東京)が、全国の一般男女を対象に調べた「行ってみたい冬の絶景スポットランキング」で、十和田市のイベント「十和田湖冬物語」が2位に選ばれた。投票者からは花火とイルミネーションが織りなす幻想的な景色を評価する声が多く挙がった。
  調査は昨年12月27日から1月7日までの間、インターネットで実施。全国数十カ所の観光地やイベントの画像を挙げ、行きたい場所を投票(複数選択可)してもらう方式で、10~50代の男女529人が回答した。
  投票者からは「冬の花火と、イルミネーションとのコラボレーションがすてき」という声が多数寄せられた。また、「彩りが鮮やかで楽しそう」「幻想的。これをきっかけに青森に行ってみたい」などの感想があったという。
  実行委事務局・十和田湖国立公園協会の太田勝男事務局長は「地元関係者で作り上げるイベントが上位に入ったことに感激している」と結果を喜ぶ。「冬の十和田湖畔で打ち上げる花火は、澄んだ空気とカルデラの地形により高い音が響く。会場を訪れたからこそ体験できることもあるので、ぜひ多くの人に来てもらいたい」とアピールした。
  1位は新潟県津南町の「つなん雪まつり」(3月8、9日=2019年の本祭チケット売り切れ)だった。
  同社は「上位に選ばれたスポットはライトアップや花火など、雪上を華やかに彩る仕掛けがある」と説明。「冬は空気が澄み渡り、雪明かりがより一層美しく見える。(冬の絶景スポットは)寒さの中に心温まる景色が広がる点も魅力だ」としている。


2月1日(金)、地元の十和田市さん発行の『広報とわだ』には、大きな案内も。

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ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

人間はただ已み難い自分の世界からのみ進むべきだ。

散文「三陸廻り 五 女川(をながは)港」より
 昭和6年(1931) 光太郎49歳

女川港で、漁船に乗せてもらって漁師さんの仕事ぶりを体験してみようとした光太郎。どの船にも「旦那、何言つてござる」と断られ、素人が乗り込んでも迷惑にしかならないと気づき、浅はかな好奇心を恥じての一言です。

毎年ご紹介している青森県十和田湖畔でのイベントの情報です。 

冬と遊ぼう 十和田湖冬物語2019

開催期間 : 平成31年2月1日(金)~2月24日(日)
時  間 : 平日:15:00~21:00  土日祝日:11:00~21:00
会  場 : 十和田湖畔休屋特設イベント会場 
        青森県十和田市大字奥瀬字十和田湖畔休屋486番地
問合せ先 : 十和田湖冬物語実行委員会【事務局:(一社)十和田湖国立公園協会】 
        0176-75-2425

内  容 : ゆきあかり横丁/かまくらBar/冬花火/奥入瀬渓流氷瀑ツアー/
       スノーライド/スノーバナナ/
乙女の像ライトアップ
       雪像プロジェクションマッピング/かんじきふっとパス/
       雪のメモリアルフォト/ステージイベント/スノーパーク他

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開幕間近ということで、秋田県の地方紙『北鹿新聞』さん、1月27日(日)の記事。

雪像作り急ピッチ 十和田湖冬物語 2月1日の開幕へ 新企画にPマッピング

013 小坂町と青森県十和田市にまたがる十和田湖の冬を彩るイベント「十和田湖冬物語2019」は2月1日から24日まで、湖畔休屋で行われる。会場では現在、急ピッチで大雪像の制作が進められている。期間中は毎日、約200発の「冬花火」が打ち上げられるほか、新たな試みとして雪像に映し出すプロジェクションマッピングを行うなど、多彩なイベントで冬の十和田湖を満喫してもらう。
  冬物語は両市町の観光関係者でつくる実行委員会が1999年から毎冬、冬期間のにぎわいづくり、活性化を目的に開いている。
  見どころの一つ大雪像のテーマは「雪龍と龍王」。陸上自衛隊八戸駐屯地の隊員たちが15日に制作を開始し、連日約30人が作業に奮闘。現場には足場が組まれ、現在は彫り込み作業が行われている。完成後の大きさは高さ5・4㍍、幅18・6㍍になる見通し。今年は大雪像のほかに、プロジェクションマッピング用の雪像も作っている。
  隊長付の北谷水輝さん(34)は「自衛隊として協力や支援ができればと思っている。多くの来場者に楽しんでもらいたい」と話している。
  期間中のイベントとして、夜空に打ち上げられる冬花火は午後8時から5分間、約200発を計画。会場入り口では約3万個の発光ダイオード(LED)電球を使った光のゲート、トンネル、ツリーなどが点灯する。乙女の像のライトアップも行われる。
  両県の郷土料理を集めた「雪あかり横丁」では9店舗が並ぶ。十和田湖の県境画定10年を記念して両県の地酒を楽しめるコーナーもある。アルコールを味わえる「かまくらBar・酒かま蔵」も登場する。
  このほか、毎週末にステージイベントを実施するほか、会場ではものづくり工房やかまくら、すべり台などの雪遊びコーナー、雪上自転車体験などもあり、カップルや家族連れで楽しめそうだ。
  実行委によると、昨年は約23万5000人が来場した。「十和田湖の真っ白な雪を楽しみながら、遊びにきてください」と呼び掛けている。
  開催時間は、平日が午後3時~同9時、土日祝日は午前11時~午後9時まで。
  問い合わせは、十和田湖国立公園協会の実行委(電話0176・75・2425)。


例年通り、光太郎最期の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップが行われます。当方、平成26年(2014)昨年の2回、お邪魔しました。比較的温暖な気候の房総に住んでいる身にとっては、さながら異次元空間(笑)。とにかく寒いのと、豪雪を逆手にとって楽しんでしまおうという、活気溢れるイベントです。

ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

ノーネクタイ倶楽部の出現は遅蒔ながら結構だ。私は十数年来、この湿熱の日本の夏には洋服を着ずに居る。北緯五十度がらみの欧洲で発達した服装をそのまま長い間日本で適用してゐたのは不思議である。社会的必要から盛夏の候に西洋人なみに洋服を着てゐる日本の男性を見ると気の毒の感に堪へない。
散文「トウキヤウ スタイル」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

とにかく夏の暑さに弱く、冬の寒さを愛した光太郎ならではの言です。光太郎、十和田湖冬物語会場に行ったら、大喜びしてしまうのではないでしょうか(笑)。光太郎の好きだった地酒コーナーもありますし(笑)。

一昨日、昨日と、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」について触れましたので、その流れで。

昨年12月28日(金)の地方紙『東奥日報』さんに載った記事です。 

十和田湖畔観光 訪日客に優しく/市、ICTで実証実験/看板にQRコード→多言語でスポット案内

 青森県十和田市は、増加するインバウンド(訪日外国人旅行)需要を踏まえ、1月1日からICT(情報通信技術)を活用した多言語による観光案内の実証実験を開始する。QRコード付きのプレートを、十和田湖畔にある既存の観光看板や、乙女の像などの観光スポット計14カ所に設置。旅行者がスマートフォンなどで読み込むと、それぞれの言語に翻訳された案内を見られる仕組みだ。
  システムは、五所川原市の「立佞武多(たちねぷた)の館」でも採用しているPIJIN社(東京)の「QR Translator」。言語は英語、中国語(簡体字、繁体字)、韓国語に対応。
  英語の一部で、観光庁の「地域観光資源の多言語解説整備事業」の一環として環境省が翻訳した解説文を活用したほか、中国語は、9月に着任した中国出身の地域おこし協力隊員・上官妮娜さんが翻訳した。
  実証実験は、十和田八幡平国立公園が選定された、外国人客誘致の環境整備を集中的に進める「国立公園満喫プロジェクト」の一環で、2019年末までを予定。市観光推進課は「どの言語の利用が多かったかなどを分析し、今後の観光振興に生かしたい」としている。
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実際、十和田湖に足を運びますと、インバウンドの団体さんが目立ちます。かつて光太郎が、十和田湖はいずれ世界的な名所になる、と言っており、まぁそこまではともかく、海外の方々に人気のスポットの一つとなったことは間違いないでしょう。そうした面での対応として、この手の取り組みは重要なことだと思われます。

そうすることによって、日本を代表する芸術家の一人、光太郎についても広く知られてほしいものですし。

全国の観光地の皆さん、ご参考になさって下さい。


【折々のことば・光太郎】

友達よ、未知の魂よ、君たちの愛を以て私を包んでくれ。愛によってのみ人は育つ。

散文「工房よりⅣ」より 大正13年(1924) 光太郎42歳

人類皆兄弟。すべての日本人、そして海外の方々にもこう呼び掛けたいところです。争いや憎しみから人は育ちませんし、国と国とのつながりも育ちません。

もっとも、光太郎のこの一言、実は、だから大きな愛を以て私の彫刻を買ってくれ、という趣旨でもあるのですが(笑)。

テレビ東京さん系列で、昨日放映された「土曜スペシャル いい旅・夢気分 紅葉めざして乗り継ぎ旅スペシャル」。光太郎最後の大作「乙女の像」ががっつり取り上げられました。取り上げられるかどうか微妙だなと思って、このブログでは事前にご紹介しなかったのですが……。

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3本立ての1本目で、太川陽介さん、蛭子能収さんの「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」コンビに、マドンナ釈由美子さんの3人で、奥入瀬渓流、十和田湖、弘前などを巡るコース。

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「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」では、平成25年(2013)に、太川さん、蛭子さんに、さとう珠緒さんを加えた3人で、山形は米沢市から本州最北端・青森県大間崎を目指す途中に十和田湖、奥入瀬を通られました。平成28年(2016)にはDVDが発売されています。

今回は、八戸からスタート。

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蛭子さん、平成25年の記憶がありません(笑)。

路線バスで紅葉の奥入瀬渓流に向かい、途中下車。

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撮影日が10月30日(火)だったそうで、何とまあ、当方が彼地に行っていた2日後でした。

再びバスで、十和田湖畔休屋へ。

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真っ先にお二人が向かったのは……。

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「おお!」という思いと、「くっ、ブログで紹介しておくんだった」という思いでした(笑)。

光太郎の名もしっかり出して下さいました。

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また、いろいろなアングルから像を撮影して下さってもいました。

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ここで、マドンナ・釈由美子さんと合流。

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十和田湖畔で昼食。釈さんは十和田バラ焼きを召し上がっていました。

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さらに、宇樽部地区からボートで湖上散策。

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この日の宿は、昭和27年(1952)、光太郎も泊まった蔦温泉さん。

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翌日、八甲田山麓を越えて青森市へ。何と、酸ヶ湯温泉では雪。そういえば、当方が行ったとき、市役所の方が「そろそろ八甲田では降るでしょう」とおっしゃっていました。

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その後、黒石を経由して弘前へ、という行程でした。

3本立ての残り2本は、競馬の武豊騎手と、小泉孝太郎さんが、やはり光太郎も泊まった宝川温泉を含む群馬の名湯の数々、フィギュアスケートの村上佳菜子さんで、光太郎智恵子婚約の地・信州上高地。

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偶然でしょうが、光太郎ゆかりの地のオンパレードでした。

テレビ東京さん自体、または系列のBSテレ東さんなどで再放送があるといいのですが……。また、テレ東系でない地方テレビ局でも、いわゆる「番販」の形で、休日の昼間などに放映される場合があり、そうなってほしいものです。

情報が入りましたら、ご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

書く事以外に何の求めるところもない竹林の清さが其処にある。それは又竹林のやうな根の強さを思はせる。

散文「永瀬清子詩集「諸国の天女」序」より
 昭和15年(1940) 光太郎58歳

永瀬清子は現在の岡山県赤磐市(当方も一度足を運びましたが実にいいところです。)出身の女流詩人です。

10月27日(土)、福島二本松の智恵子生家・智恵子記念館を後に、再び北へ。「〽北へ行くのね ここも北なのに」の「潮騒のメモリー」状態だなと思いつつ(笑)。

東北本線安達駅から福島駅、新幹線を仙台でやまびこからはやぶさに乗り換え、七戸十和田へ。レンタカーを借りて十和田市街方面。ポニー温泉さんというところに1泊しました。

翌10月28日(日)、宿で朝食を摂った後、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ十和田湖方面を目指し、出発。この日は「奥入瀬渓流エコロードフェスタ」ということで、国道102号線、奥入瀬渓流沿いの部分にマイカー規制がかかっており、麓の焼山からシャトルバスに乗ることにしました。バイパスを使って遠回りすれば十和田湖まで行けたのですが、そちらが混むと面倒ですし、渓流の紅葉も見たかったので。

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焼山の駐車場。すでに山々は色づいていました。

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バスの車中から。

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あいにくの雨でしたが、かなりの人出でした。

十和田湖畔休屋地区に到着。こちらもすっかり紅葉が進んでいました。

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遊覧船の船着き場に近い、市の施設・十和田湖観光交流センター「ぷらっと」。

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こちらの2階、光太郎に関する展示のコーナーがリニューアルということで、式典が行われます。

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左が、青森市ご在住で、生前の光太郎をご存じの彫刻家、田村進氏制作の光太郎胸像。右には、「乙女の像」制作時に光太郎が使った彫刻用の回転台。ともに十和田市に寄贈され、こちらで展示することとなったものです。

田村氏制作の胸像は、名付けて「冷暖自知 光太郎山居」。

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昭和20年(1945)秋から、戦時中の翼賛活動を恥じ、花巻郊外旧太田村の山小屋に逼塞していた当時の光太郎の肖像です。題字の揮毫は当会顧問・北川太一先生。

下世話な話ですが、制作にかかる実費だけでもかなりのものでしょうが、田村氏、ポンと寄贈なさいました。なかなかできることではありません。

僭越ながら、当方が解説板を執筆させていただきました。

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光太郎遺品の回転台はこちら。

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「乙女の像」制作に際し、光太郎の助手を務めた青森野辺地出身の彫刻家・小坂圭二が手配して入手し、光太郎歿後は小坂がもらいうけ、さらに小坂歿後に小坂の弟子筋だった彫刻家の北村洋文氏の手に渡ったものです。

昨夏、千葉船橋にある北村氏のアトリエにお邪魔し、現物を初めて見、「よくぞこれが遺っていた」と感懐に包まれました。その際の経緯などはこちら


目玉はこの2点ですが、それ以外にもいろいろ。

窓には日除けを兼ねたタペストリー。古写真を使い、「乙女の像」完成までの経過を時系列で追うというコンセプトにもなっています。光太郎と一緒に写っているのが小坂圭二です。

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写真の選定にも当方に相談があり、さらに、写真であることにこだわらなければ、こんなのもいいんじゃないでしょうか、と、推薦したのが最後のカット。平成27年(2015)、十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さんの編集で刊行された『十和田湖乙女の像のものがたり』の挿画の一枚で、十和田市ご在住のイラストレーター・安斉将さんの作品です。

十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さんといえば、最後の「乙女の像」設置風景の写真は、同会の地道な調査で発見されたもの。こういう写真が残っていたというのも感慨深いものがあります。


さらに、一時的な展示となるそうですが、「乙女の像」の小型試作。

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また、1階には、回転台を寄贈なさった北村氏の彫刻も。

平成26年(2014)の「ぷらっと」オープンの際から、内部の解説板執筆等でご協力させていただいていますが、こうしてグレードアップしていくのが非常に嬉しい限りです。

さて、午前10時から、式典。その直前には、湖面にうっすらと虹が架かっていました。リニューアルを祝ってくれるかのようでした。

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小山田十和田市長のご挨拶。

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田村氏と北村氏に、感謝状の贈呈。

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その後、田村氏、北村氏、そして当方でトークセッション。

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当方からは、「乙女の像」のアウトライン、田村氏と北村氏には、それぞれの寄贈品についてなどを語っていただきました。さらに田村氏には光太郎、北村氏には小坂圭二、それぞれの生前の思い出等、それから、彫刻家の眼で観た「乙女の像」といったお話も。

昨年、十和田市街で開催された講演会、「知っておきたい! 乙女の像ものがたり~秘められた光太郎の思い~」に当方を講師としてお招き下さった十和田市立三本木小学校地区安全・安心協働活動協議会さん代表の佐藤やえさん、十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会の吉崎明子さんなど、見知った顔も駆けつけて下さいました。

最後に、若手ガイドの地域おこし協力隊・山下晃平氏の案内により、「乙女の像」までのミニツアー。

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湖畔の木々もすっかり色づき、多くの観光客の皆さんでにぎわっていました。

半年ぶりに「乙女の像」と対面。

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光太郎が詩「十和田湖畔の裸像に与ふ」(昭和28年=1953)で謳ったように、「いさぎよい非情の金属が青くさびて 地上に割れてくづれるまで この原始林の圧力に堪へて 立つなら幾千年でも黙つて立つてろ。」と、見るたびに思います。

その後は再びシャトルバスで麓まで戻り、レンタカーを七戸十和田駅前で返却して、帰途に就きました。七戸十和田駅ではまた虹が出ていました。

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十和田湖、奥入瀬の紅葉、まだ楽しめます。「ぷらっと」、「乙女の像」と併せ、ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

此は到底、営利を外にした各方面の人の気が揃ふと言ふ珍らしい事情の起こらない限り出来ない為事である。私は此の刊行会の当事者のやうなむきな人達の一所に集つた珍らしい機会の到来に感謝する。

散文「「日本古典全集」に感謝す」より 大正15年(1926) 光太郎44歳

「為事」は、採算をほとんど度外視して、武者小路実篤の新しき村出版部から、与謝野夫妻等の編集で刊行された『日本古典全集』第一期50巻、第二期50巻を指します。

営利を外にした各方面の人の気が揃ふと言ふ珍らしい事情」。「ぷらっと」のリニューアルにも通じる話ですね。

昨日から一泊二日で東北に来ておりまして、帰りの新幹線はやぶさ号車中でこの記事を書いております。
昨日は智恵子の故郷、福島二本松で智恵子の生家・智恵子記念館を訪問しました。生家では、福島ビエンナーレ「重陽の芸術祭」の一環として、切り絵作家の福井利佐さんのインスタレーションが開催されており、裏手の記念館では、普段は複製が展示されている智恵子の紙絵の実物が展示されています。

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さらに北紀行を続け、昨夜は青森十和田市に宿泊。今日、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ十和田湖畔休屋地区にある市の施設、十和田湖観光交流センター「ぷらっと」内の光太郎コーナーリニューアル完成式典に参加しました。
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青森市ご在住の彫刻家・田村進氏の手になる光太郎胸像と、光太郎が「乙女の像」制作の際に実際に使用した回転台が寄贈され、田村氏、それから回転台を所有されていたやはり彫刻家の北村洋文氏、それぞれに感謝状が渡され、さらに当方を交えてのトークイベント。

その後、「乙女の像」を見て、帰途に着きました。
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詳しくは、明日以降、レポートいたします。

今週末は、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立っている青森十和田湖に行って参ります。

平成26年(2014)にオープンした、湖畔休屋地区の十和田湖観光交流センターぷらっと内部の、光太郎に関するコーナーがリニューアルされ、そのオープンセレモニーを行うというので、お招きを頂いた次第です。

もの自体は今年の4月から展示されているのですが、生前の光太郎をご存じの青森市ご在住の彫刻家・田村進氏から昨年寄贈された光太郎胸像「冷暖自知 光太郎山居」、それから「乙女の像」制作の際に実際に使われた彫刻用の回転台。こちらは「乙女の像」で光太郎の助手を務めた青森野辺地出身の彫刻家・小坂圭二がもらい受け、さらに小坂の弟子に当たる彫刻家・北村洋文氏の手に渡り、そしてやはり昨年、十和田市に寄贈されたものです。

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とりあえず仮に置いておいたという感じだったのを、説明板等をきちんと制作したりして、正式にお披露目ということのようです。その他にも、日除けを兼ねたタペストリーを窓に提げ、そこに「乙女の像」関係の古写真などをプリントするという件でご相談を受けたりもしました。

日時は10月28日(日)、10:00から。「ぷらっと」のオープンの時がそうでしたが、議員さんとかに集まっていただいての式典なのでしょう。

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式典後、トークセッションということで、田村氏、北村氏共々、お前も何かしゃべれと言われておりまして、「乙女の像」関連で少しお話をさせていただこうと思っております。

さらにその後、「乙女の像」まで行って、記念撮影だそうです。


ところで、十和田湖といえば、先だって、下記書籍が発売されました。

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NHKさんで好評放映中の「ブラタモリ」の書籍化です。既に14巻目だそうで、この巻は「箱根 箱根関所 鹿児島 弘前 十和田湖・奥入瀬」。このうち「十和田湖・奥入瀬」は、昨年9月放映分の内容に準拠しています。オンエアでは「乙女の像」は約2秒間出演(笑)。

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書籍では十和田湖全体の見所紹介的なページに記述がありました。

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ただ、説明は某サイトからのコピペのようで、あちこちでこの文章を見かけますが、少し閉口しています。

まず、「最後の作品」ではなく「最後の大作」。「乙女の像」完成後に、小品ではありますが、昭和28年(1953)「乙女の像」除幕式の際、関係者に配られた、大町桂月肖像をあしらった記念メダルが作られ、これが完成したものとしては光太郎「最後の作品」ですし、昭和29年(1954)から手がけ、未完成に終わりましたが「倉田雲平胸像」も、ある意味「最後の作品」です。

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それから「完成までに1年余りを費やした」。ひな形である小型試作の制作開始が昭和27年(1952)11月17日、七尺の本体原型が完成したのが翌年5月31日。1年かかっていません。さらにいうなら、このペースは光太郎としては異常に速いもので、その裏には自らの健康状態への不安があったと思われます。そこで、逆に「半年ほどで完成させてしまった」と書くべきですね。

その他、よく見かける誤りが、「乙女の像」台座の石が「福島産」であるとの記述。これは、地元の十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会の皆さんの地道な調査等により、「岩手産」であることが判明しています。従来、この像を含む周辺一帯の設計をした建築家・谷口吉郎が「福島産の折壁石」とあちこちに書き記してしまったため、福島産と思われてきましたが、折壁石というブランド名は岩手県東磐井郡室根村(現・一関市)の折壁地区で採れたことに由来します。

さて、その点はともかく、『ブラタモリ⑭ 箱根 箱根関所 鹿児島 弘前 十和田湖・奥入瀬』二重カルデラとしての十和田湖や、奥入瀬渓流の特異な成り立ちなど、非常に興味深い内容です。ぜひお買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

氏の詩は実に美しい。その美は実相の葉末に凝つた露滴のやうに自然に形成された美であつて、手先ばかりの作為が無く、偏局せず、破片でない。いつもまともで、精神の高さから生れてゐる。

散文「宮崎丈二詩集「白猫眠る」を読む」より
 
昭和7年(1932) 光太郎50歳

宮崎丈二は明治30年(1897)、銚子生まれの詩人です。大正期からさまざまな詩誌の刊行に関わり、それらに光太郎作品を積極的に載せていました。また、やはり光太郎と縁の深い岸田劉生とも交流があり、岸田の興した草土社にも参加するなど、画業でも優れた作品を遺しています。

やはり他者の詩の評ではありますが、詩とは斯くあるべき、という光太郎詩論が垣間見えます。

毎年開催されている「十和田湖湖水まつり」。光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップが為されます。 

第53回十和田湖湖水まつり

期 日 : 2018年7月14日(土)・15日(日)
場 所 : 十和田湖畔休屋  十和田市十和田湖畔休屋486
時 間 : 14日・15日 10:00~21:00 16日は花火予備日

十和田湖の夏の観光シーズンの幕開けを告げるまつり。湖上花火大会には、イルミネーションに飾られた遊覧船が花を添え、特設ステージでは様々なイベントが行われます。
1966年(昭和41年)から夏の観光イベントとして毎年行われ、十和田湖の夏の風物詩となっています。

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7/5現在、公式サイトにまだ詳細な情報が出ていないのですが、おそらく昨年と同様の内容と思われます。

休屋地区、遊覧船の船着き場前にある十和田市さんの施設「観光交流センターぷらっと」では、今年の4月から、青森市ご在住の彫刻家。田村進氏の手になる光太郎胸像や、昭和28年(1953)、光太郎が「乙女の像」の制作のために実際に使用した彫刻用回転台の展示が始まっています。併せて御覧下さい。

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【折々のことば・光太郎】

谷口氏のこの言は、日本のいわゆる「駅頭風景」の乱雑な、造型の混迷、意匠の喪失を見て発せられた痛切な慨嘆の声であるが、この「路傍の形」の重大性を一国文化の消長にかけて確認しているのは、いかにもこの新鋭建築家の正しい神経を感じさせる。

散文「谷口吉郎著「意匠日記」書評」より 昭和29年(1954) 光太郎72歳

谷口吉郎は、「乙女の像」の台座を含む、一帯の広場全体の設計を担当した建築家です。

「この言」とは、「民衆の造型的センスは、カンバンに、ポスターに、そればかりでなくポストの形に、警官の制服のスタイルに、あるいは橋の形などに、はつきりと表現されてくる」「世相の造形的美醜こそ、民衆の美的水準を示す」といったものでした。光太郎、我が意を得たり、という感じだったのでしょう。

4/30(月)、秋田の小坂町立総合博物館郷土館さんで、「平成29年度新収蔵資料展」を拝見した後、レンタカーを十和田湖に向けました。

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途中の紫明亭展望台から。

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画像中央あたりに、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」があります。

昼前に十和田湖畔休屋地区に到着。まずは「乙女の像」にご挨拶。こちらも小坂町同様、今年の2月以来です。ただ、その時は、「十和田湖冬物語2018」期間中で、ライトアップされている夜間に参りましたが、地吹雪的な感じで立っているのも困難、早々に立ち去ってしまっていました。

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残雪をバックに見るのはおそらく初めてで、いい感じだな、と思いました。

その後、遊覧船の波止場近くにある、十和田市さんの施設「観光交流センターぷらっと」へ。平成26年(2014)にオープンした施設で、無料の休憩所と、十和田湖特産のヒメマスや、十和田湖を広く世に紹介した明治の文豪・大町桂月、そして光太郎に関する展示も行っています。光太郎コーナーの説明板は、当方が執筆させていただきました。

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入ってすぐ、以前にはなかったジオラマの展示があり、「おっ」という感じでした。

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スケール大きめの十和田神社さん。それから、休屋地区全体のものと、2点です。

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「乙女の像」もちゃんとありました。

続いて2階へ。先月から、新たな展示物が2点、加わっています。まずは、昨夏寄贈された、光太郎胸像。作者は青森市ご在住の彫刻家・田村進氏です。平成元年(1989)、青森県中泊町に設置された、太宰治肖像「小説『津軽』の像(太宰治とたけ)」を制作したことで知られています。

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台座部分は新たに制作されました。刻まれている題名は「冷暖自知光太郎山居」。光太郎が、昭和20年(1945)10月から同27年(1952)10月までの7年間、戦時中の戦争協力を恥じ、岩手県花巻郊外旧太田村の粗末な山小屋に蟄居生活を送っていた当時の肖像彫刻で、直接のモチーフは、昭和24年(1949)10月、太田村の光太郎のもとを訪れた写真家の濱谷浩が撮影した写真です。

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「冷暖自知」とは「仏法の悟りは、人から教えてもらうものでなく、氷を飲んでおのずからその冷暖を知るように、体験して親しく知ることのできるものである。」(岩波書店『広辞苑』)の意。大正元年(1912)作の光太郎詩「或る宵」中の「彼らは自分等のこころを世の中のどさくさまぎれになくしてしまつた/曾て裸体のままでゐた冷暖自知の心を―― 」という一節に使われています。

題字揮毫は、晩年の光太郎と親しく交わり、その没後は筑摩書房『高村光太郎全集』の編集に当たるなどした、光太郎顕彰第一人者にして、当会顧問の北川太一先生です。

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力強い彫刻です。写真は拝見していましたが、実物は初めてで、想像していたよりも大きく、その点でも驚きました。

それから、こんなものも。

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これは一体何なのか、ということになりますが、下の方に写っている台がメインです。

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何とこちらは、昭和27年(1952)から翌年にかけ、東京中野のアトリエで、光太郎が「乙女の像」制作の際に使っていた彫刻用の回転台なのです。

当時の写真がこちら。

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この写真にも写っている、「乙女の像」制作の際の助手だった、青森野辺地出身の彫刻家・小坂圭二がこの台を譲り受け、さらに平成4年(1992)の小坂の歿後、小坂に師事した彫刻家・北村洋文氏の手に渡り、やはり昨年、北村氏から十和田市さんに寄贈されました。

昨夏、当方、その関係で千葉船橋の北村氏の工房にお邪魔し、現物を確認して参りました。その際の写真がこちら。

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金具は「サスペンダー」というそうで、上に載せた彫刻を固定するためのものですが、これも当時のものです。はじめにこの寄贈の話が出たのは一昨年くらいだったと記憶していますが、よくぞこれが残っていた、否、残して下さっていた、と感激しました。

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船橋から十和田へのトラックでの輸送やら、クレーンを使ってのぷらっと2階への据え付けやらも、大変でした。何せ、総重量が250キログラムほどある代物です。

上の分厚い木の板を外すと現れる金属の回転機構部分、これが何と、戦時中の高射砲の部品なのです。

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昭和28年(1953)5月26日付の『東京新聞』さんに載った、「生活に流れる〞詩〟を拾つて 美術映画「高村光太郎」クランク・イン」と言う記事に「戦争の道具を平和な仕事に使つてるんです」という高射砲台座の回転台をまわしたりするところを丹念に撮影」という記述があります。ちなみに今もスムーズに回転します。

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像の顔や手などの高い部分の制作では、光太郎は脚立に登り、下で助手の小坂が回転台を廻して使っていたのだろうと思われます。

戦時中の高射砲はこちら。この根元の部分ですね。ただ、写真は八八式野戦高射砲ですが、高射砲も○○式という型番がいくつかあり、自走式になっているもの、据え付け式のものなど、バリエーションが色々あるようで、そのどれなのかまでは特定できませんでした。

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今回、十和田湖まで赴いたのは、新たに寄贈されたこの2点を拝見するためで、さらにこの2点の説明板の執筆を頼まれました。現在は何のキャプションもなくただ置いてあるだけで、特に回転台の方は一般の人が見てもその正体が何なのか、わからないでしょう。出来るだけ早く原稿を仕上げ、十和田に送るつもりです。

その辺りの打ち合わせを十和田市の観光推進課長・山本氏と致しまして、その後、千葉の自宅兼事務所に帰りました。

十和田湖、これから新緑のいい季節でしょう。皆様もぜひ足をお運びの上、「ぷらっと」にお立ち寄り下さり、新たな展示を御覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

私は一人の男性としてあらゆる女性の内に潜む母性の愛に跪くものである。さうして其によつて浄められようとするものである。無限の奥行あるその深みから幾度でも人を蘇らせる幽妙なその力を受けようとする者である。

散文「母性のふところ」より 大正13年(1924) 光太郎42歳

智恵子の顔を持つ「乙女の像」、そこにも光太郎は「母性」を感じていたのかもしれません。

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東北レポートの2回目、青森十和田湖……に、行く前に、昨日書きました秋田県小坂町の件が報道されていますので、ご紹介します。

高村光太郎の手紙新たに多数発見

 彫刻家で詩人の高村光太郎が出版社と編集の相談をした手紙など、34通が新たに見つかり、3月から秋田県小坂町の博物館で展示されることになりました。
 手紙は高村光太郎が昭和17年から29年にかけて、出版社「龍星閣」の代表、澤田伊四郎さんに送った67通で澤田さんの自宅でもあった東京・千代田区の龍星閣で遺族が保管していました。
 澤田さんが秋田県小坂町出身だったことから小坂町に寄贈され、町や専門家が調べたところ、34通が未公開であることがわかりました。
 高村光太郎は龍星閣から代表作の詩集「智恵子抄」を出版していて、昭和24年12月の手紙では、続編にあたる「智恵子抄その後」の出版について、高村は「まづものにならないと思ひます」などと書いていて、出版に乗り気ではなかったことがわかります。
 岩手県花巻市の高村光太郎記念館のアドバイザーを務める小山弘明さんは「これほどの量の手紙が見つかることはあまりなく、驚いた。出版の経緯なども書かれ、文学史的にも価値が高い」と話しています。
 手紙は、3月11日から小坂町の総合博物館郷土館で開かれる企画展で一般公開される予定です。
(2018/02/14 NHK NEWSWEB秋田)

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秋田ではNHKさんのローカルニュースで放映されました。当方も出演させていただきました(笑)。

高村光太郎の書簡34通発見 秋田

 彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年001)が詩集出版を巡り編集者とやりとりした書簡34通が、秋田県小坂町で見つかった。いずれも全集に収められておらず、担当者は「高村研究の空白部分を埋める価値がある」としている。
 小坂町立総合博物館郷土館の安田隼人学芸員(34)によると、書簡は1942~54年のもの。代表作の詩集「智恵子抄」の続編「智恵子抄その後」について「ものにならないと思います」と記しており、高村が出版にあまり乗り気ではなく、書籍として売れるかどうか不安を感じていたことがうかがえる。
 青森県十和田市の湖畔に立つ高村最後の彫刻「乙女の像」を巡り、設置場所の視察のため「十和田湖を見に行くことになりそうです」などと書いたものもある。
 書簡の相手は、詩集を出版した竜星閣(東京都千代田区)の元社長で、小坂町出身の故沢田伊四郎氏。昨年5月ごろ、同社から高村など複数の作家や画家の書簡、メモ類を寄贈された町立総合博物館が調査していた。
 同館は3月11日~5月20日、今回見つかった書簡34通を無料で一般公開する。
(2018/02/14 共同通信)


共同通信さんの配信を元に、『日本経済新聞』さんや全国の地方紙に記事が載ったようです。


さて、そちらの調査中に、青森県十和田市役所の山本様が車で迎えに来て下さり、十和田湖へ。十和田湖も西半分は小坂町ですが、県境を越えた青森側の休屋地区で、「十和田湖冬物語2018」が開催中です。当方、平成26年(2014)に一度お邪魔し、2度目でした。

まずはライトアップされている光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」を見に行きました。4年前は湖畔を歩いていきましたが、今回は十和田神社さんの参道を歩きました。こちらには雪灯籠的なものが設置されています。画像は山本様の撮影したもので、写っている不審な男は当方です(笑)。

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この辺りは除雪もきちんとなされ、さらに杉並木などの樹木のおかげでしょうか、雪はそれほどではありませんでした。ところが、「乙女の像」近くまで行くと、まともに湖からの風雪が舞って来ており、道なき道。

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「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」(「道程」大正3年=1914)状態でした(笑)。

ちなみに明朝、NHK Eテレさんの幼児向け番組「にほんごであそぼ」中で、坂本龍一氏作曲の「道程」が放映されます。以前に放映されたものの使い回しですが。 

にほんごであそぼ

NHK Eテレ 2018年2月16日(金)  6時35分~6時45分   再放送 2018年3月2日(金) 6時35分~6時45分

2歳から小学校低学年くらいの子どもと親にご覧いただきたい番組です。日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることができます。
今週は、リクエスト&ちょい暗記特集! 鈴と、小鳥と、それから私。みんなちがって、みんないい。「私と小鳥と鈴と」金子みすゞ、花鹿亭/「不老不死」桂宮治、投稿ちょちょいのちょい暗記/8級「寿限無」、歌/道程、私と小鳥と鈴と。

出演 美輪明宏 三世桐竹勘十郎 小錦八十吉 桂宮治 ほか


閑話休題。ライトアップされた「乙女の像」。

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画像ではわかりにくいところですが、湖からの風が積もった雪を舞い挙げ、地吹雪となっていました。この像へのオマージュとして作られた光太郎詩「十和田湖畔の裸像に与ふ」(昭和28年=1953)には、「すさまじい十和田湖の円錐空間にはまりこんで/天然四元の平手打をまともにうける/銅とスズとの合金で出来た/女の裸像が二人/影と形のやうに立つてゐる。」とありますが、まさしくそういう感じでした。


その後、メイン会場へ。

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陸上自衛隊八戸駐屯地の隊員さんたちが002作った大雪像兼メインステージでは、さまざまなパフォーマンス。それから、パビリオン的に、かまくらバーやかまくらチャペル、雪の滑り台などなど。

青森県側なのに、なぜか「秋田犬コーナー」も。おりこうさんなわんこで、モフモフでした(笑)。

昨秋、BS朝日さんで放映された「暦を歩く #140「乙女の像」(青森県十和田湖)」に、女将さんがご出演なさった十和田神社さんの鳥居近くのもりた観光物産さんが出されているプレハブのお店で夕食をいただきました。

外はマイナス10℃。低温のためスマホの電源が落ち、入らなくなった時もあった状態でしたので、生き返りました。

メインイベントは、午後8時からの花火。直前には大雪像を使ったプロジェクションマッピングで、「乙女の像」も写りました。

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幻想的な光景に、歓声が上がっていました。


「十和田湖冬物語2018」、今月25日の日曜日までです。ぜひ足をお運びください。

この後、また山本様に小坂町まで送っていただき、宿泊。翌日は岩手。明日、レポートいたします。


【折々のことば・光太郎】

われわれは古代人の闊達な心を以て世界のあらゆる美を併呑し駆使し、日本の持つ美の源泉から更に新鮮無比な未曾有の美を創造して、あまねく其の光を以て世界を包みこむやうになる時代に向つて邁進せねばならないのである。
散文「内面的力量の問題」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳

太平洋戦争中の文章ということで、きな臭さも感じられますが、趣旨としては誤りではありませんね。

昨日から一泊二日で、秋田の小坂町、青森で十和田湖、そして岩手花巻を回りました。先ほど帰途につき新幹線🚄車中でこれを書いております。
詳しくは明日以降レポート致しますが、秋田の小坂では、新たに町に寄贈された光太郎から出版社・龍星閣(詩集『智恵子抄』版元)社主の澤田伊四郎に宛てた書簡の調査をして参りました。既に『高村光太郎全集』に掲載されているものが三十数通、そして掲載されていないものも同じくらい。これには驚きました。来月11日から、小坂町立総合博物館郷土館さんの企画展で一部が展示されます。

続いて十和田湖へ。「十和田湖冬物語」を拝見。光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップなど、拝見しました。

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昨夜は小坂町に宿泊。そして今日は岩手花巻。郊外旧太田村の高村光太郎記念館さん他を回りました。

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どこもさすがに雪深い状況でしたが、行く先々で関係の方々に大変お世話になり、スムーズに動くことができました。感謝。

明日以降、詳しくレポート致します。

今年もこの季節になったか、という感じです。毎年ご紹介している青森県十和田湖畔でのイベントの情報です。

十和田湖冬物語2018

冬の澄んだ夜空に打ちあがる花火をはじめ、乙女の像ライトアップ、ゆきあかり横丁、人気のグリューワイン、幻想的なイルミネーション…
この他、様々なイベントをご用意しております。
ご家族、ご友人、恋人と…十和田湖の冬をお楽しみください♪

開催期間 : 平成30年2月2日(金)~2月25日(日)
時  間 : 平日:15:00~21:00  土日祝日:11:00~21:00
会  場 : 十和田湖畔休屋特設イベント会場 
       青森県十和田市大字奥瀬字十和田湖畔休屋486番地

問合せ先 十和田湖冬物語実行委員会【事務局:(一社)十和田湖国立公園協会】 
     0176-75-2425

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例年どおり、光太郎最後の大作にして、十和田湖のシンボルともいうべき「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップがなされます。
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その他、こちらもライトアップされる陸上自衛隊さんによる大雪像、その前でのステージイベント、光のゲート&トンネル、雪のすべり台やかまくら、湖上遊覧船のイルミネーション、そして毎日20時からの打ち上げ花火など、盛りだくさんの内容です。食のコーナーや体験コーナーも充実。なぜか青森なのに秋田犬コーナーも(笑)。

最近はアクセスもしやすくなりました。東北新幹線の七戸十和田駅、八戸駅からシャトルバスが出ていますし、さらに弘前から周遊観光バスも出ます。

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当方、来月半ばに別件で、やはり十和田湖畔に位置する秋田県小坂町に参ります。ついでと言っては何ですが、久々に冬物語も拝見する予定でおります。

皆様もぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

美は到るところに在る。美は又到るところに創り得る。

散文「比例均衡」より 昭和13年(1938) 光太郎56歳

しかし、一つの大きな自然の理法――比例均衡――にのっとったものでなければ、美たり得ないと論が展開します。そうした意味では、十和田湖畔における「乙女の像」の比例均衡の美は、やはり現地に行って観ないと、実感できません。

先月末、青森県十和田市で講演をして参りました。題して「、「知っておきたい! 乙女の像ものがたり~秘められた光太郎の思い~」。その際のレポートがこちら

主催の三本木小学校地区安全・安心協働活動協議会代表の佐藤様が、地方紙『デーリー東北』さんに載った記事を郵送してくださいました。

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恐縮です。

前後して、青森県上北地域県民局さんからは、DVDが送られてきました。以前に制作に協力した観光PR用のもので、「~水と森が生命(いのち)を紡ぐ(つむぐ)~ 「十和田湖「深」発見(「しん」はっけん)の旅」 」。3月くらいには完成していたようですが、どうも手違いがあったようで、こちらに届いておりませんでした。

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「監修協力」ということで、ジャケットに名前を載せていただいております。

早速、拝見。

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チャプターが7つに分かれており、当方の監修協力は最後から二つ目の「乙女の像ストーリー ~乙女の像と人々の想い~」と題された部分です。前半部分を執筆し、一昨年、十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さん編集で刊行された『十和田湖乙女の像のものがたり』という書籍の内容を元に作られています。

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光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の制作経緯などを、当時の画像や動画を交えて紹介しています。

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元々、十和田湖周辺の国立公園指定15周年を記念する事業として、指定の礎を築いた作家・大町桂月、元知事・武田千代三郎、元村長・小笠原耕一の三人を顕彰するモニュメントとして、太宰治の実兄・津島文治知事が光太郎に依頼しました。

間に入ったのが、佐藤春夫。さらに草野心平らが光太郎を助け、完成にこぎつけました。

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並行して光太郎の生涯もダイジェストで紹介。

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ブリヂストン美術館さん制作の美術映画「高村光太郎」(昭和29年=1954)や、「乙女の像」除幕式の記録フィルムからの動画も。

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よくまとまっていました。


また、前半の「歴史と文化 ~History&Culture」の部分でも、「乙女の像」の紹介が。やはり昔の動画が使われています。

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それ以外の部分でも、ところどころに「乙女の像」。

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チャプター5の「アクセス~Access~」までは、一括してyoutubeにアップされています。


「歴史と文化 ~History&Culture」の「乙女の像」紹介は15分25秒くらいから。

「乙女の像ストーリー ~乙女の像と人々の想い~」の部分は、残念ながらyoutubeにはアップされていないようです。

DVDとしては非売品のようですが、関係機関等には配布されていると思われます。広く活用されてほしいものです。


ついでと言っては何ですが、やはり先月末にオンエアされた、BS朝日さんの「暦を歩く #140「乙女の像」(青森県十和田湖)」。5分間番組で、「私たちが愛唱してきた「歌」を通して、日本の風景を見つめ直す番組です。それぞれの歌に息づく日本人の原風景を、一篇の詩のような美しい映像でお届けします。」というコンセプトだそうです。

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講演の翌日、十和田湖に行った際、十和田神社さんの鳥居近くのもりた観光物産さんの女将さんに、ロケがあったという話は聞いておりました。ところが、オンエアを見てびっくり。なんと、女将さんがご出演。そういう話は聞いていませんでした。

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この番組は再放送がないようで残念ですが、美しい映像や、そこに息づく人々の想いなど、残すべきもののように思われます。他の回と一括してDVD化などされないものでしょうか。


【折々のことば・光太郎】

ヤマト民族よ深く立て。 地盤の岩盤を自分の足でふんで立て。

詩「岩盤に深く立て」より 昭和26年(1951) 光太郎69歳

サンフランシスコ講和条約の発効による、連合国による占領の終結が背景にあります。

それから66年経ちました。しかし、宗主国の親分が来れば、ポチが尻尾を振ってお出迎えする状態。結局はいまだに「ヤマト民族」は「自分の足で」「立て」ていないようですね。

十和田湖でチラシをゲットして参りました。

奥入瀬渓流エコツーリズム市民のつどい

期   日 : 2017年10月27日(金)
会   場 : 十和田市民文化センター 青森県十和田市西三番町2-1
時   間 : 13:00~
料   金 : 無料
問い合わせ : ℡ 0176‐22‐5200

第1部 講演 元外務大臣 田中真紀子氏 「神秘の奥入瀬渓流に魅せられて」
第2部 コンサート コールアゼリア(十和田市) 「湖畔の乙女」「出逢いを求めて」「奥入瀬大滝の歌」「奥入瀬」

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第2部で、地元十和田市の合唱団「コールアゼリア」さんがご出演、ご当地ソングを披露なさいます。

「湖畔の乙女」は、作詞・佐藤春夫。光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」へのオマージュとして作られました。作曲は県立三本木高校の教諭だった長谷川芳美。同校生徒によって、乙女の像除幕式(昭和28年=1953)の際に披露されました。

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昭和39年(1964)には、本間千代子さんの歌唱でコロムビアレコードからリリースされ、ヒットしました。地元のバスガイドさん達が必ず歌ったり、今回演奏されるコールアゼリアさんがレパートリーにされたりして、歌い継がれてきました。


先日開催された当方の講演会「知っておきたい! 乙女の像ものがたり~秘められた光太郎の思い~」でも、最後に会場の皆さんで大合唱。講演でパワーポイントを使いましたので、その流れでカラオケ風のスライドを作りました。

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今回演奏される「奥入瀬大滝の歌」も、佐藤春夫・長谷川芳美コンビの作です。

「出逢いを求めて」は、昭和61年(1986)、芹洋子さんの歌でリリースされました。サブタイトルが「十和田湖へ」。こちらもご当地ソングで、乙女の像も詠み込まれています。当方、平成8年(1996)のシングルCDを持っています。

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昭和61年(1986)版のアナログレコードは、十和田国立公園50周年記念、平成8年(1996)版のCDは同60周年記念。どちらも青森県の肝煎りのようです。当方の持っているCDの題字は、当時の青森県知事・木村守男氏の揮毫です。

現在の三村知事も多方面でご活躍中ですが、乙女の像の発願も、当時の知事・津島文治。太宰治の実兄です。そうした観光PRに力を入れる伝統のようなものがあるのでしょうか。良いことだと思われます。

ちなみにアナログレコードには、ジャケットに乙女の像をあしらった青森観光連盟発行の特別盤があるそうです。B面なしの片面盤だそうで、珍しいものですね。

こうしたご当地ソング、今後とも歌い継がれていって欲しいものです。


日曜日には、「湖畔の乙女」関連のテレビ番組放映があります。

暦を歩く #140「乙女の像」(青森県十和田湖)

2017年10月29日(日)  20時54分~21時00分

日本には四季がある、歌がある−。 草木や花々、川の流れや空の色、多様な生きものたち、人々の日々の暮らしや祭り…。 私たち日本人は、一年の時の移ろい=「暦」を四季折々の「歌」に織り込み、この国ならではの感性を磨いてきました。私たちが愛唱してきた「歌」を通して、日本の風景を見つめ直すとともに、それぞれの歌に息づく日本人の原風景を、一篇の詩のような美しい映像でお届けします。

「あはれ いみじき 湖畔の乙女 ふたりむかひて 何をか語る」
紅葉の名所として知られる、青森県の十和田湖。湖畔には、二人の乙女が向かい合った像が佇んでいます。昭和28年の秋にお披露目されたこの像は、高村光太郎の最後の彫刻作品です。この像の制作を支えた佐藤春夫は、「湖畔の乙女」という詩を紡ぎました。この歌は、後に本間千代子が歌い、全国に知られるようになりました。

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5分間番組ですが、毎回、全国各地の美しい風景に乗せて、いい作りになっています。今年1月放映第99回でも、智恵子の故郷・福島二本松ロケで、「智恵子抄」に触れて下さいました。

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ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

大きくバトンを宙にゑがいて このニツポンのもろもろの美を つよくメイジヤアの積極調にたて直せ。

詩「あいさつ」より 昭和24年(1949) 光太郎67歳

ニツポンのマイナア調を暫くすてよ。」で始まるこの詩、わびさびに代表される日本人の気質―それはそれで奥ゆかしいものではあるけれども―を見直し、世界に通用する「積極調」に立て直せ、と述べています。

第二次大戦による全世界の悲惨な被害、それも復興しないうちに緊張が高まる東西冷戦。その中で敗戦国ニッポンの行く末が案じられています。

10/21(土)、つつがなく講演「知っておきたい! 乙女の像ものがたり~秘められた光太郎の思い~」を終え、翌日は、その「乙女の像」を観に行きました。約2年ぶりでした。

前日に続き、十和田市役所観光推進課にお勤めで、十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会員でもあられる山本様が車を出して下さり、十和田市街の宿泊先から、十和田湖へ。

途中のかつて光太郎も訪れた奥入瀬渓流。台風21号の影響で小雨でしたが、紅葉の見頃でした。

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渓流沿いの国道102号線を上りきり、十和田湖畔・子(ね)の口から左折、乙女の像の建つ休屋(やすみや)地区を目指しました。

途中の宇樽部地区にあった、昭和27年(1952)、翌28年(1953)にそれぞれ光太郎が一泊した旅館「東湖館」の建物が、老朽化のため解体されてしまっていました。一昨年にはまだ健在だったのですが、残念です。

さて、休屋地区に到着。十和田神社さんの鳥居近くのもりた観光物産さんの駐車スペースに車を駐めさせていただきました。こちらの女将さんは十和田湖国立公園婦人部副会長。十和田湖にお邪魔した際には、ほぼ毎回立ち寄らせていただいております。

十和田神社さん。

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そして、乙女の像。まだ8時過ぎくらいでしたが、既に小雨の中、観光客の皆さんが多数。ありがたいことです。

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当方、2年ぶりに観る乙女の像ですが、何度観ても飽きることがありません。

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周りの木々の紅葉も見事でした。


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再会を約して、像としばしのお別れ(次は来春に訪れるつもりです)。もりた観光物産さんに寄り、土産を購入、お茶をいただき、十和田湖をあとにしました。

山本様の車で、七戸十和田駅まで送っていただき、新幹線に乗車。風雨が強ければそのまま帰るつもりでしたが、まだそれほどでもなかったので、智恵子の故郷・福島二本松に立ち寄りました。14日から始まった恒例の「二本松の菊人形」を観るためです。

ここ数年、光太郎智恵子の菊人形が出ており、もうそれが定番となるのかな、と思い、過日、二本松市コンサートホールで開催された「震災復興応援 智恵子抄とともに~野村朗作品リサイタル~」を拝聴に行った際に、設営中だった菊人形会場の霞ヶ城公園に行ってみました。その折に、会場で作業をされていた方にうかがったところ、今年は光太郎智恵子の人形はない、とのことでしたが、自分の目で「ない」ことを確かめたく思っておりました。また、光太郎智恵子人形はないにせよ、お世話になっている二本松観光大使にして女優の一色采子さんのお顔から型を取った人形や、現代アートの「重陽の芸術祭2017」がらみも観たかったもので。

さて、会場の霞ヶ城公園。

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少しずつ雨脚が強くなってきまして、足早に会場内へ。

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今年のテーマは、「「EDO TRIP 菊花繚乱!徳川時代絵巻」だそうです。

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このあたりが、一色さんの人形なのかな、という感じでした。

会場内には、「重陽の芸術祭2017」の一環として、福島大学の学生さんによる墨絵作品「百鬼夜菊」。お化け屋敷的なブースでした(笑)。

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最後まで会場内を歩きましたが、やはり光太郎智恵子人形、今年はありませんでした。昨年、それがあったガーデンゾーンの同じ場所には、七福神と二本松少年隊の人形。残念でしたが、いたしかたありません。

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会場を出て、天守台方面にあるはずの現代アート作家のヤノベケンジさんによる巨大な猫のモニュメント、お城の紅葉も観たかったのですが、ズボンがびしゃびしゃになってきて、断念。これで帰りました。


ところで、別件ですが、紅葉と言えば、今日のテレビ放映。今年の1月に初回放映があった、光太郎智恵子も紹介されたNHK BS1の番組の再放送があります。 

にっぽんトレッキング100「絶景満載!峡谷のクラシックルート~長野・上高地~」

NHK BSプレミアム 2017年10月24日(火)  12時00分~12時30分 

北アルプスの玄関、長野・上高地。今ではバスで直行できるこの場所も、かつては徒歩で二日かけて歩いた。そんなクラシックルートを辿り、知られざる穂高岳の絶景に出会う。

穂高や槍ヶ岳の玄関口として知られる上高地。そこへ向かうかつての登山道は、今「クラシックルート」と呼ばれ、脚光を浴びている。目の当たりにしたのは、七色に染まる峡谷の山肌。日本の近代登山の父と呼ばれるウォルター・ウェストンは、それを「驚嘆すべき色彩の響宴」と評した。さらにその先には「日本で一番雄大な眺望」とたたえた絶景が待っているという。著名な登山家たちが愛した風景を辿り、手付かずの大自然を満喫する。

出演 仲川希良  語り 渡部沙弓

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テレビ放映と言えば、今週土曜には、乙女の像がらみの番組も。長くなりましたので、そちらは明日、ご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

人類がかかげる一つの意慾。 何と烈しい人類の已みがたい意慾が ぎつしりこの新年につまつてゐるのだ。

詩「この年」より 昭和24年(1949) 光太郎67歳

翌年元旦の『読売新聞』のために書かれた詩の一節です。

第二次大戦が終わって4年と数ヶ月。いまだ世界情勢は不安定ながら、平和を希求する人類全体の声を代弁しています。しかし、それと裏腹に、翌年には朝鮮戦争が勃発。いつの時代もかかげる「意慾」と現実のギャップが大きい、困った「人類」です……。

一昨日行われた十和田市立三本木小学校地区安全・安心協働活動協議会さん主催の講演会、「知っておきたい! 乙女の像ものがたり~秘められた光太郎の思い~」講師を仰せつかり、1泊2日で青森に行って参りました。レポートいたします。

早い時は自宅兼事務所最寄り駅を午前4時台に出る始発列車に乗るのですが、一昨日は講演会が夜の開催でしたので、ゆっくり出かけました。

東北新幹線で八戸駅に到着したのが午後2時過ぎ。十和田市役所観光推進課にお勤めで、十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会員でもあられる山本様がお迎えに来て下さり、翌日まで運転役を務めて下さいまして、非情に助かりました。

まず向かったのは、八戸クリニック街かどミュージアムさん。

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こちらで開催中の「5周年記念秋期展旅と名所――広重から北東北の新版画・鳥瞰図まで」を拝見。広重の浮世絵、川瀬巴水(光太郎と同じ明治16年=1883生まれです)の新版画、そして吉田初三郎の鳥瞰図などで、北東北の風景を扱ったものがメインでした。

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その中で、やはり地元に関わるお宝ということで、光太郎が「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のために習作として作った手を鋳造したもの、それから同じく「乙女の像」の中型試作の首の部分だけが展示されていました。

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「手の習作」は3月に千葉県立美術館さんで拝見して約半年ぶり、中型試作の首だけ、というのは初めて拝見しました。どういう経緯で首だけの鋳造が存在するのか、当方にも分かりません。

これらすべて、八戸クリニックさんのご先代の個人コレクションから始まったそうで、地元に関わるお宝ということでコツコツ集められたとのこと。頭が下がります。


その後、一路、十和田市街へ。

一泊お世話になる十和田シティホテルさんにチェックイン、不要な荷物を置いていきました。

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講演会のポスターを掲示して下さっていました。

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画像右は、階段に飾られていた色紙。よくある、ここに宿泊した芸能人のサインがずらっと並んでいる中の1枚です。清水邦夫氏作・演出の舞台「哄笑―智恵子、ゼームス坂病院にて―」で光太郎を演じられた小林勝也さんのお名前が真っ先に目に入り、「あれっ」と思ってよく見てみました。すると、「哄笑」の十和田公演の際のもので、驚きました。帰ってから調べましたところ、「哄笑」、たしかに平成5年(1993)に十和田市公演がありました。

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ちなみに小林さん、昨年のNHKさんの大河ドラマ「真田丸」では、前田利家役で存在感を放たれていました。智恵子役の松本典子さんは平成26年(2014)にご逝去。この方々の泊まった宿に泊まるかと思うと、感慨深いものがありました。


さらに、灌漑事業などで十和田の開発に功績のあった、新渡戸三代の銅像を拝見。

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こちらは野辺地潮出身の彫刻家、小坂圭二の作品です。小坂は「乙女の像」制作に際し、光太郎の助手を務めた人物です。

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そんなこんなで、講演会場の東公民館さんに到着。心配していた天気も、開会まではもちました(やはり途中で雨になりましたが)。それから、もう一つ心配していたお客さんの入りも、定員200名には届きませんでしたが、130ほどはお集まり下さったとのことで、ありがたいかぎりでした。

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午後6時、開会。主催の三本木小学校地区安全・安心協働活動協議会佐藤やえさんのご挨拶。

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この日がちょうど、十和田湖畔に「乙女の像」が除幕された日ということで、乙女像64回目の誕生祝い(笑)。右に座られている方は光太郎だそうで(笑)。

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その後、当方の講演に入りました。パワーポイントでスライドショーを展開しつつ、前半は光太郎の生涯をダイジェストで、後半は「乙女の像」について、約2時間でした。聴きにいらして下さった十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さんの方が、レポートして下さっています。過分なお褒めの言葉に恐縮です(汗)。そちらから画像を拝借。

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無事終了後、三本木小学校地区安全・安心協働活動協議会の皆さん、十和田市役所の皆さんなどと打ち上げ。巨大なホタテなど美味しい青森の海産物をいただき、大満足でした。

翌日は十和田湖方面へ。明日、レポートいたします。


【折々のことば・光太郎】

野放しの一人民には違ひないこの微生物の 太田村字山口のみじめな巣に 空風火水が今日は荒れる。 嵐に四元は解放せられ、 嵐はおれを四元にかへす。
詩「山荒れる」より 昭和24年(1949) 光太郎67歳

野放しの一人民には違ひないこの微生物」は、光太郎。大宇宙の中のちっぽけな存在に過ぎない、という意味です。

空風火水」の「四元」は、のちに「乙女の像」完成後に像を謳った「十和田湖畔の裸像に与ふ」(昭和28年=1953)でも、「すさまじい十和田湖の円錐空間にはまりこんで/天然四元の平手打ちをまとにうける」として使われます。

通常は「地水火風空」の五大元素として、仏教にもつながるインド哲学に出てくるものですが、なぜか「四元」。このあたり、少し調べてみます。

昨日から1泊2日で、青森に行っており、さきほど帰宅いたしました。

昨日は八戸で美術館拝観、十和田市街で講演、今日は奥入瀬渓流を通って十和田湖、そして帰りがけに福島二本松に寄りました。

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道中、台風の影響はあまりなかったのですが、帰ってきてから、暴風雨の中、愛犬の散歩(笑)。自宅兼事務所敷地内では、排泄をしませんので……。東北遠征より、それで疲れてしまいました(笑)。

詳しくは明日以降、レポートいたします。

今日から1泊2日で、青森県十和田市に行って参ります。

メインは当方の講演で、十和田市立三本木小学校地区安全・安心協働活動協議会さんの主催で、題して「知っておきたい! 乙女の像ものがたり~秘められた光太郎の思い~」。

ちょうど64年前の今日、十和田湖畔休屋御前ヶ浜に、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」が除幕されたので、そのメモリアルデーに合わせての開催です。

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現地では、数年前から十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会の皆さんが、「乙女の像」を見直す活動をいろいろと展開して下さり、同会編集・刊行の『十和田湖乙女の像のものがたり』という書籍で、前半部分を執筆させていただきました。そのうちのジュブナイル「乙女の像のものがたり」を、同市の劇団「エムズ・パーティー」さんが朗読劇として上演して下さったり、DVD化して下さったりもしています。

平成26年(2014)には、十和田湖畔に十和田市の施設「十和田湖観光交流センターぷらっと」がオープンし、展示コーナーのうち、光太郎に関わる部分のパネルを執筆させていただいたり、昨年はATV青森テレビさんで製作された特別番組「「乙女の像」への追憶~十和田国立公園指定八十周年記念~」に出演させていただいたりもしました。

そんなこんなで今回の講演会が実現しました。ありがたいことです。

昨日の地方紙『東奥日報』さんに、告知記事が出たとのこと。

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「定員200人」というのがプレッシャーです(笑)。別に200人を前にしゃべるのは苦痛ではありませんが、果たして何人集まるかと、そっちです(笑)。

間に入っていただいた十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会の方からのメールに、「乙女の像の誕生日ということで、ケーキを献菓することにしていますが、そのときに乙女の像や光太郎が登場するそうです。」という一節がありました。

堅苦しい話ばかりでなく、こういう楽しい催しも企画されているようですので、お近くの方、ぜひどうぞ。


ついでというと何ですが、十和田湖まで足を伸ばし、「乙女の像」を約2年ぶりに観て参ります。また、「乙女の像」のための手の試作をブロンズに鋳造した作品が展示されている、八戸クリニック街かどミュージアムさんで開催中の「5周年記念秋期展旅と名所――広重から北東北の新版画・鳥瞰図まで」も拝見して参ります。

詳しくは帰りましてから。


【折々のことば・光太郎】

おれはのろまな牛(べこ)こだが じりじりまつすぐにやるばかりだ。

詩「鈍牛の言葉」より 昭和24年(1949) 光太郎67歳

光太郎は、その若き日から自らを牛に例えた詩を作っています。大正2年(1913)には、そのものずばり「牛」という115行にもわたる長大な詩を書きました。「牛はのろのろと歩く」というフレーズがリフレインされ、「じりじりまつすぐにやる」と呼応しています。

時にその道を踏み誤ることもあった光太郎ですが、牛のように「のろのろ」「じりじり」というスタイルは、終生ぶれませんでした。そうありたいものですね。

手前味噌になりまして恐縮ですが、当方が講師を務めさせていただきます講演会が、青森十和田市で開催されます。 

三本木小地区安全・安心協働活動協議会講演会「知っておきたい! 乙女の像ものがたり~秘められた光太郎の思い~」

期   日 : 2017年10月21日(土)
会   場 : 十和田市立東公民館 十和田市大字三本木里ノ沢1-240
時   間 : 18:00~20:30 
料   金 : 無料 申し込み不要
講   師 : 高村光太郎連翹忌運営委員会代表 小山弘明
問い合わせ : 三本木小地区安全・安心協働活動協議会・佐藤☎ 090-4552-2375

昭和28年10月21日は、乙女の像の誕生日。今年で64歳になります。乙女の像は、国立公園指定15周年記念事業として、十和田開発に功績のあった三氏を顕彰するために建てられました。なぜ『智恵子抄』で知られる高村光太郎が制作することになったのか、なぜ2体が向き合っているのか、光太郎のどんな思いが込められているのか…etc。十和田湖のシンボルに秘められた歴史と浪漫を紐解きます。

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今月号の『広報とわだ』さんに紹介が載りました。

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途中で休憩を挟み、100分ほど。前半は、光太郎の生涯をダイジェストで、後半は「乙女の像」について詳しく、と考えております。一昨年、十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さん編集による『十和田湖乙女の像のものがたり』という書籍が刊行され、前半部分を執筆し、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」についてがっつり調べましたので、その成果です。プロジェクタで画像等を投影しながら、また、光太郎の肉声も流す予定です。

お近くの方、ぜひどうぞ。


十和田湖、といえば、昨夜というか今日未明、地上波TBSテレビさんで放映された「タビフク。#63十和田湖・奥入瀬」。存じませんでしたが、この番組は2週間でワンセットとなっており、来週12日(木)のやはり未明に後編が放映されます。

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出演は、NHKさんの朝ドラ「ひよっこ」に出演されていた小島藤子さんと、やはり女優の宮崎香蓮さん。

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前編は、十和田市現代美術館さん、南部裂織の里さん、そして十和田プリンスホテルさんでした。

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来週の後編では、十和田湖、奥入瀬渓流だそうです。

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タビフク。#64「十和田湖・奥入瀬 後編」小島藤子&宮崎香蓮

地上波TBS 2017年10月11日(水) 25時58分~26時28分(10月12日(木)午前1時58分~2時28分)

プライベートでも仲の良い二人が究極のおしゃれ女子タビに。ひよっこの寮長・小島藤子&女優・宮崎香蓮が青森県・十和田湖・奥入瀬渓流へ。
素敵な日本の風景、極上のホテルルーム、あこがれのおしゃれ女子女子たちとまばゆいファッション・・・オンナの子の憧れがいっぱいにつまった番組。高精彩の4Kカメラにより撮影されています。残念ながら現在の地上波TVでは2Kフルハイビジョンでの放送となりますが、それでも映像の美しさは格別です。ぜひ極上の日本の風景をお楽しみください。

出   演   者 小島藤子&宮崎香蓮
番組案内役 タビフク。コンシェルジュ 季葉(きわ)

「乙女の像」、ちらっとでもいいので写ってほしいものです。


さて、今日は智恵子の命日「レモンの日」。今から智恵子の故郷・二本松に行って、連翹忌等でお世話になっている一色采子さんの出演される公演「智恵子・レモン忌 あいのうた」を拝見して参ります。


【折々のことば・光太郎】

小学校の教育は大学の教育よりも大切です。 本当の人間の根源をつくるからです。
詩「お祝のことば」より 昭和23年(1948) 光太郎66歳

光太郎が蟄居生活を送っていた、花巻郊外太田村山口地区の山小屋の近くにあった太田小学校山口分教場。
近くといっても、山小屋から500メートルほど離れていましたが、その間には民家は一軒もありませんでしたので、最寄りの建造物といえば、これでした。光太郎が山口地区に移り住んだ昭和20年(1945)秋、山小屋が落成するまで、ここの宿直室に1ヶ月ほど寝泊まりしていました。

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その後も、郵便物はここまでしか届けてくれず、光太郎が散歩がてら取りに行って職員室でお茶を飲みながらだべったり、児童が山小屋に届けてくれたりしていました。そうした縁もあり、児童や教職員と光太郎は深い交流を持ち、光太郎は「風の又三郎」の学校のようだ、と評していました。

分教場から山口小学校へと昇格したのは昭和23年(1948)。光太郎は落成式に招待され、この詩を朗読しました。従来、生前に活字になった記録が確認されていませんでしたが、地方紙『花巻新報』の、この年12月7日の号に載った開校式報道の中で引用されていたことが判明しています。

昭和45年(1970)には閉校、その後、市の歴史民俗資料館として活用されていましたが、平成の初め頃、老朽化のため解体されました。

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跡地にはスポーツキャンプ村屋内運動場(通称・高村ドーム)が建設され、毎年5月15日の高村祭が雨天の場合の会場として使われています。また、光太郎が校訓として贈った「正直親切」の書を刻んだ碑も建てられています。

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テレビ放映情報です。

ブラタモリ #81 十和田湖・奥入瀬 ~十和田湖は なぜ“神秘の湖”に?~

NHK総合 2017年9月2日(土) 午後7時30分~8時15分

出演 タモリ/近江友里恵アナウンサー ナレーション 草彅剛 テーマソング 井上陽水

ブラタモリ、十和田湖・奥入瀬へ!
十和田湖といえば、青森と秋田の県境に広がる美しい湖。奥入瀬渓流とあわせて、年間100万の観光客がやってくる人気スポットです。
新緑のシーズンから秋の紅葉、そして厳しい雪景色と、1年を通じて「神秘的」な風景が楽しめる場所ですが・・・でもそもそも、どうして十和田湖は“神秘の湖”になったのでしょうか?十和田湖、そして奥入瀬の不思議な成り立ちと知られざる姿を、タモリさんがブラブラ歩いてひも解きます。
まずやってきたのは、十和田湖の湖畔。湖底に現れる神秘的な「白い筋」が、十和田湖の成り立ちを解き明かすカギだった?なぜか喫茶店の「ココアと練乳」であきらかになる十和田湖誕生の秘密!・・・っていったいどういうこと!?
実は十和田湖は、火山の噴火によって出来たカルデラ湖。しかもなんと出来たてホヤホヤの、世にも珍しい「二重カルデラ湖」だった!ボートで湖へ出たタモリさん、目の前にそそりたつ急な崖に大興奮!この崖こそ、火山の中身が見えるというダイナミックな神秘だった!
さらに十和田湖の神秘といえば、もともと魚がいなかったという湖に、なぜか棲んでいるヒメマス。ヒメマスが養殖できたのも、「二重カルデラ」がつくった湖の神秘的な地形がきっかけだった?
さらに美しい滝と渓谷で知られる、奥入瀬渓流へ。十和田湖の水がただひとつ流れ出るスポットにも神秘がいっぱい!14あるという滝に隠された、1万5000年前の奇跡とは?奥入瀬の美しい森を作り出したのは・・・何と「コケ」だった?コケが織り成す神秘的なミクロの世界にタモリさんもビックリ!

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というわけで、NHKさんの人気番組「ブラタモリ」。地質学の普及への貢献が評価され、日本地質学会さんから表彰されたりもしています。

今週はお休みですが、来週土曜日、9月2日の放送で、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ十和田湖と、奥入瀬渓流が取り上げられます。予告編では、「乙女の像」は写っていませんでしたが、ぜひとも写っていてほしいものです。

他にも光太郎智恵子ゆかりの地で、銚子犬吠埼や安達太良山など、地質学的に特異な場所がいろいろありますので、そちらも取り上げて下さればとも存じます。


【折々のことば・光太郎】

石くれは動かない 不思議なので しやがんで いつまでも見てゐた

詩「石くれの歌」より 昭和20年(1945)頃 光太郎63歳頃

光太郎が手元に残した紙切れに書かれていたもので、おそらく雑誌等には未発表の詩です。ただ、実現しませんでしたが、戦争末期に『石くれの歌』という詩集を刊行する意図があったことは確かで、それに関わるという推理が可能なため、「昭和20年(1945)頃」としています。

不動の「石」に対し、自分でも余り予期していなかった「動き」――過激な戦争協力――をしてしまった、せざるをえなかった光太郎、何を見ていたのでしょうか……。

先日、十和田市役所の方から、最新の十和田湖関連のパンフレット類を頂きました。

まずは十和田市としての観光ガイドパンフレット『とわだ旅』。「街なか編」「奥入瀬編」そして「十和田湖編」の三種類があり、それぞれA5判16ページ、オールカラーの冊子になっています。

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このうち「十和田湖編」で、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」が紹介されています。

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それから別冊の、A3判1枚両面印刷を4つ折りにした「とわだ旅~ゆったり癒しの感動体験~」にも。

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また、平成26年(2014)にオープンした、「十和田湖観光交流センターぷらっと」の新しいパンフも併せて頂きました。こちらはA5判8ページの冊子です。

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展示コーナーの内容が説明されています。

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特産のヒメマス養殖に生涯を捧げた和井内貞行、十和田湖の魅力を初めて広く紹介した大町桂月。

そしてわれらが光太郎。

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ありがたいですね。


この「ぷらっと」に、来春、青森在住の彫刻家にして、生前の光太郎を知る田村進氏による光太郎胸像のブロンズ彫刻が寄贈され、展示される予定です。

その寄贈を報じた地元紙2紙の画像も頂きました。

まず『デーリー東北』さん。

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『デーリー東北』さんの記事は、ネット上でも読めましたが、やはり実際の紙面で見る方が、いい感じです。

続いて、『東奥日報』さん。

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この光太郎胸像と共に、さらに、もう1点、「乙女の像」にまつわるなかなかすごいお宝が、やはり来春から「ぷらっと」で展示されることになりそうです。

そちらの方は、詳細が公表されましたらまたこのブログにてご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

父なく母なく妻なく子なく、 木端(こつぱ)と粘土と紙屑とほこりとがある。 草の葉をむしつて鍋に入れ、 配給の米を余してくふ。

詩「独居自炊」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳

前年12月8日に太平洋戦争が開戦。この前後はほとんど程度の低い翼賛詩のオンパレードです。そうした中で、ふと謳われた身辺雑事。かえってこういう詩に、光太郎の魂のありようが見て取れます。

青森県さんのサイトから。
県では、関西圏での観光PRの一環として、滑舌の悪い芸人として人気の諸見里大介氏と青森県民がラップバトルするムービー「ディス(り)カバリー青森」第2弾を公開します。

日程
2017年08月09日〜2018年03月31日 

お問い合わせ 誘客交流課 国内誘客グループ 大庭 017-734-9384  

更新日付:公開日:2017年8月9日


早速、拝見。

「ディス(り)カバリー」は、「ディスカバリー(discovery)=発見」と、「ディスリスペクト (disrespect)=侮辱する」からの造語「ディスる」を、さらに組み合わせたものですね。

青森を「ディスる」吉本新喜劇座員の諸見里大介さんが、県内各地で青森県民の皆さんと「ラップ対決」をするというシチュエーションです。

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三内丸山遺跡、八戸屋台村みろく横町。

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そして、2分03秒頃から、十和田湖。

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諸見里さんと「対決」するのは、謎の女子高生二人組。

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光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の前でも、バトル。ただし、仲間割れも(笑)。

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諸見里さんも負けていません。

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と言いつつ、彼は沖縄出身だそうですが(笑)。

酸ヶ湯温泉では……

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謎のおじさんが……

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何と、その正体は……

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青森県知事・三村申吾氏。「ちじ」ではなく「つづ」だそうで(笑)。

こんなカットも。

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諸見里さん、最後は「改心」(笑)。

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追記 2018年3月をもってYoutubeさんでの公開が終了してしまいました。

ここまで開き直ると、かえって痛快です。半分以上は意味不明ですが(笑)。

当方、10月に十和田に講演に行くことになりました。皆様ぜひ青森へ!


【折々のことば・光太郎】

この世に何が起らうと、 こころに美を持つ 凛々しい女性の居るかぎり 人は荒まず滅びない。

詩「こころに美を持つ」より 昭和16年(1941) 光太郎59歳

上記動画で、開き直って青森の魅力を訴える、特に女性の姿を見て、なるほどな、と思いました。

毎年開催されている「十和田湖湖水まつり」。光太郎最後の大作である「十和田国立公園功労者記念碑のための裸婦群像(通称・乙女の像)」が建つ、青森十和田湖でのイベントです。

第52回十和田湖湖水まつり

期 日 : 2016年7月15日(土)・16日(日)
場 所 : 十和田湖畔休屋  十和田市十和田湖畔休屋486
時 間 : 15日・16日 10:00~21:00 17日は花火予備日 クルージングのみ10:10~

十和田湖に夏の観光シーズン幕開けを告げるお祭です。
花火大会では遊覧船が運航し、日中はよさこい演舞やクラフト体験、湖畔散策ガイドなどのイベントが行われます。
ご家族、ご友人、カップルで十和田湖湖水まつりをお楽しみ下さい!

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例年通り、「乙女の像」のライトアップがなされます。当方、一度拝見しましたが、湖面に打ち上げられる花火をバックに幻想的な姿が呈されます。

ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

険しさは人を浄め、 はげしさは人を高める。

詩「冬が来る」より 昭和12年(1937) 光太郎55歳

この言葉だけ読めば、確かにその通りですね。

しかし、詩の終末に「けさの新聞があの朔北の遠くから私をひつぱたく」とあり、この詩は11月の執筆ですので、日本軍の上海占領や、大本営の設置、中国国民政府の南京から重慶への遷都などが背景にあるようです。南京大虐殺は翌12月の出来事です。

青森の地方紙『東奥日報』さん、先週の記事から。

十和田湖の魅力知って 大学生ツアー

 青森県弘前000市と十和田湖を結ぶ予約制のシャトルバスを運行している「りんごのふるさとシャトルバス運営協議会」(会長・櫻田宏弘前市観光振興部長)と弘前大学はこのほど、弘大生対象のモニターツアーを実施した。近年十和田湖観光から遠のいている若年層に魅力をアピールし、バスの利用を促進するのが狙い。昼前に休屋地区に着いた県外出身者中心の弘大生16人は、ガイドの案内で湖畔のスポットを巡った。
 一行は弘前市の弘大文京キャンパスを朝に出発し、秋田県の小坂鉱山事務所跡を見学した後に休屋に到着。2班に分かれてガイド付きで散策した。
 ガイドの1人は弘大OBで、十和田市の地域おこし協力隊活動2年目の山下晃平(こうへい)さん(27)。高村光太郎による「乙女の像」、十和田神社、修験者たちが修行や祈りを行っていた洞窟の跡が連なる「開運の小道」などを案内し、ナナカマド、ダケカンバ、ヤマツツジなど湖畔の豊かな植生の解説も織り交ぜた。
 十和田市が外部業者に委託して行った昨年10月の調査では、十和田湖地区への観光客はシニア層が中心で、将来的な「十和田湖ファン」の獲得が課題になっている。山下さんは見学を終え、休屋を去る学生たちに「土日でもこの通り、人が少ない。観光で食べている方も多いので、お客さんにもっと来てほしい。若い人がなかなか来てくれないことが悩みなので、感じたことをリポートにまとめて」と話していた。
 参加者の理工学部1年生・井畑礼さん(18)=札幌市出身=は、十和田湖を訪れるのが中学の修学旅行以来といい、「自然に触れる良い機会になった。今度はもっと天気のいい日に、友達と一緒に来てみたい」と話した。初めて訪れた理工学部大学院2年の女性=静岡県出身=も「今度は湖の上からの景色を見てみたい」と再訪に前向きだった。


十和田湖に限らず、当方、行く先々の観光地的な場所で、たしかに若年層の姿は少なく感じます。よく目にするのはいわゆるシニア世代の皆さん。その方々はお孫さんを連れて、というのではなく、老夫婦お二人でとか、気のあったお仲間同士でというのが目立つように思われます。家族形態やらそれぞれの年代のライフスタイルやらの変化が大きいのでしょう。

若年層にとっては、昔ほど「旅」というものにロマンを感じなくなっているのかもしれません。「旅をしないやつはダメだ」と決めつけるつもりは毛頭ありませんが、やはり見聞を広めるという意味では、百聞は一見にしかず、あちこち出かけるのが効果的です。

旅行にはお金がかかる、列車料金が高い、新幹線などで移動してもその先のローカル線や路線バスがどんどん廃止されている、高速道路料金も高い、第一、最近の若者は車離れ、バイト代はスマホ料金に消える、世の中全体不景気だし、わざわざ外に出ずともネットやテレビで居ながらにして情報は手に入る、スキーやら登山やらツーリングやらサイクリングやらも下火、娯楽形態の変化、仲間としじゅう一緒にいなくてもSNSでつながっているから行動を共にする必要もない、そして何といっても少子化……。要因を挙げればきりがありませんね。

そこであきらめてしまって、各自治体や観光関係者も手をこまねいていてはいけないわけで、記事にあるような試みもその打開のための一つの方策でしょう。

旅離れ現象が続く中でも、魅力的なテーマパーク、人気のイベントなどには人が集まっています。だからといって、ナントカ村とかの中途半端なテーマパークや、十分な計画性のない、一過性の流行イベントを観光地に誘致し、結局、長期的には人が来ずに負のレガシィとして残るというケースも少なくありませんね。そういう方向ではなく、あるものをいかに活用するか、いかにその魅力を発信するかが鍵だと思います。

各自治体や観光関係の皆さん、よろしくお願いいたします。


【折々のことば・光太郎】

詩とは文字ではない、言葉である。 言葉とはロゴスではない、アクトである。
詩「非ユークリツド的」より 昭和4年(1929) 光太郎47歳

「ロゴス」は論理、「アクト」は行動。

意味のない文字の羅列に過ぎないものではなく、実感を伴う言葉を生かしたものこそが詩であると、この頃からはやり始めた現代詩的なものへの警句でしょうか。もう少し早い時代の作であれば、空虚な美辞麗句を並べただけの新体詩、文語定型詩への訣別宣言と捉えられますが。若い詩人たちに、あるいは自らへの自戒も含め、過去の新体詩、文語定型詩の陥った陥穽にはまるべからず、ということかもしれません。

あるいは、内容の尖鋭さのみが優先され、詩としての言葉の美しさをなおざりにしていたプロレタリア詩的なものへの反発、という側面もあるかもしれません。

昨日ご紹介した、青森十和田市の劇団・エムズ・パーティーさんからいただいたDVD「愛と平和への願い ~乙女の像のものがたり」、市役所さんを経由して届きました。

一緒に封筒に入っていたのがこちら。

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A4判24ページオールカラー、豪華なパンフレットです。奥付等がないので、いつの発行かわかりませんが、比較的新しいもののようです。

光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」がそちこちに。

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現在開催中の、「十和田湖冬物語」の紹介でも。

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感謝いたしております。


十和田湖といえば、一昨日、NHK総合さんでオンエアされた「スタジオパークからこんにちは」の第2部で、青森放送局制作の「クローズアップあおもり 十和田湖をみつめて」が放映されました。

この番組は第1部と第2部に分かれ、第2部では「NHK54局からこんにちは」と題して、各地のNHK支局がその地域向けに放送した地域情報番組を全国放送しています。

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製作期間一年、四季折々の美しい自然や、そこに生きる人々の営みを追っていました。

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「乙女の像」も、冒頭タイトル部分と「夏」の部の終わりに、数秒ずつ2回出演(笑)。

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ありがたや。

BS放送などもあることですし、この手の番組の放映がもっと広まってほしいものです。


今年は十和田に行く機会がありそうで、一昨年以来です。皆様もぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

お前にただ一つ入用なのは力だ 力は何処から来る 力は天然から来る

詩「妹に」より 大正5年(1916) 光太郎34歳

「妹に」は、光太郎より11歳下の末妹・よしに宛てた詩です。光太郎には姉が2人いましたが、いずれも夭折。3番目に生まれた光太郎が長子となりました。それだけに弟妹思いの念は強かったようです。この詩の結句も、「邪念のない妹よ 兄はいつでもお前の後ろに立つてゐる」となっています。

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