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「智恵子抄」を扱って下さる公演を二つご紹介します。

まずは朗読系。

日本近代文学館リーディングライブ2017

期   日  : 2017年11月25日(土)
会   場  : 日本近代文学館 東京都目黒区駒場4-3-55
時   間  : 12時50分~16時
料   金  : 無料

紅葉が美しい今日このごろ♪今年も『日本近代文学館リーディングライブ』の季節がやってまいりました。入場無料で出入りも自由、ご予約も不要です。(入退場の際はお静かにお願いします・朗読中は会場内は暗いですのでお気をつけて)開演は12時50分に変更となりました。(開場:12時20分)
駒場公園内ですので、お散歩したり、ブックカフェBUNDANで「文豪が愛した食べ物や飲み物」を味わったり、「日本近代文学館開館50周年記念展 漱石・芥川・太宰から現代作家までー近代文学、再発見!」の最終日をじっくり観覧したり、様々な楽しみ方があります。お隣の東大では駒場祭も開催中!でも、ちょっとだけ朗読会をのぞいて下さると嬉しいです。出演者の方々には「トーク&ロウドク」をお願いしております!「朗読を楽しむための朗読会」!!芸術の秋を満喫していただければ幸いです(*^-^*)

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30名の出演者さんのうち、高木恵子さんという方が「智恵子抄」から朗読をなさるそうです。

このイベント、3年前にも他の方が「智恵子抄」を取り上げて下さっています。


もう1件、音楽系で。

日本歌曲に求める無限の楽しみ 第27回 似たもの同志・名曲探訪18 愛

期   日  : 2017年12月6日(水)
会   場  : 音楽の友ホール 東京都新宿区神楽坂6-30
時   間  : 19:00~21:00
料   金  : 4000円 (全席自由)

愛を題材とした日本の名歌曲を鑑賞する夕べ
日本歌曲の名作を集めて聴くシリーズコンサート。今回のテーマは愛。日本歌曲に造詣の深い塚田佳男の司会・解説でその魅力に迫る。

出 演 : 小林晴美・西由起子・山本佳代(ソプラノ) 廣澤敦子(メゾソプラノ)
      土崎譲(テノール) 
塚田佳男・小原孝(ピアノ) 
曲 目 : 「愛を告げる雅歌」から(中田喜直) 愛の主題による三章(湯山昭)
      「智恵子抄」から(清水脩)  よろこびのうたを(大中恩)
      しぐれに寄する抒情 他


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作曲家の故・清水脩氏は、合唱曲、独唱歌曲、さらには箏曲でも「智恵子抄」の詩篇や短歌に曲を付けて下さいました。現在でもけっこう演奏されています。

今回は、歌曲「智恵子抄」から。全12曲中のどれが歌われるかまでは把握していませんが。

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いつも書いていますが、さまざまな分野の表現者の皆さんに、どんどん光太郎作品へのオマージュをお願いしたいところです。


【折々のことば・光太
郎】

バルトークの悲しみや怒りが 第三の天で鳴つている。 
冬の夜風は現世を吹くが、 あの四重奏がもつと底から悲しくて痛くて。
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詩「弦楽四重奏」より 昭和29年(1954) 光太郎72歳

この年2月3日、日比谷公会堂で聴いたたブダペスト弦楽四重奏団のコンサートにインスパイアされての詩です。

バルトークの弦楽四重奏曲第6番がプログラムに入っていました。光太郎より2歳年上のバルトークは、ハンガリー王国の出身。第一次、第二次双方の世界大戦に翻弄され、昭和15年(1940)にアメリカに移住、5年後に彼地で歿しています。その波乱に富んだ生涯に、自らのそれが重なり合うような気がしていたのではないかと思われます。「第三の天」は、キリスト教での神の座です。


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こちらは、「パラ」ということで、日中韓の障がい者の方々による書の作品展がメインでしたが、特別展示と言うことで、光太郎を含む各界著名人の書も展示されていました。

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展示されていた光太郎の書は、当方、初めて見るものでした。一見して昭和10年代のものだな、とわかりましたが、帰ってから調べたところ、昭和17年(1942)の詩「みなもとに帰るもの」の一節でした。

   みなもとに帰るもの002

 万古をつらぬいて大御神(おほみかみ)はおはす。
 いのちのみなもとを知るもの力あり、
 微少なほ且つ大業を果す。
 おのが身に思ひわずらふもの、
 ひとへに暗くして大義に通ぜず。
 ただみなもとにかへるを知るもの、
 日月皎然、
 生と死とを問ふことなく、
 一切をあげて大御心にこたへまつる。
 冬と春と夏と秋とすでに去り、
 十二月八日再びきたる。
 軍神は死せず、
 いのちかがやきてわれらを導く。
 義勇公に奉ずるの時今日(こんにち)にあり。
 われらあらゆる道に立つもの、
 悉くいのちのみなもとにかへらんかな。
 みなもとに帰するものは力あるかな。

初出は昭和17年(1942)11月の『東京日日新聞』。「軍神につづけ」の総題で13人の詩篇が連載されたその第一回です。同紙ではこの詩としての題名は付けられて居らず、後に大政翼賛会文化部発行のアンソロジー『軍神につづけ』(昭和18年=1943)に収められた際、「みなもとに帰するもの」の題が付され、さらに同年の光太郎詩集『をぢさんの詩』で「みなもとに帰るもの」と改題されました。

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出品されていた書は色紙で、この詩の2行目から引用された「みなもとをしるもの力あり」。詩では「知る」と漢字ですが、書では「しる」と仮名表記になっていました。「光」一字のサインも入っていました。

この時期、特に学徒動員で出征する学生が、入営前に光太郎の元を訪れ、色紙や光太郎詩集の見返し、さらに日章旗などに揮毫してもらうということが多くありました。新聞雑誌や各種アンソロジー、そして光太郎自身の詩集などに矢継ぎ早に発表されたこの手の翼賛詩を読み、またはラジオで朗読された放送(この詩も昭和17年=1942の12月5日に俳優・岩田直二の朗読がオンエアされています)を聴いた若者達が、自らを奮い立たせるため、光太郎の書を求めたのです。

当方、実際のそういう体験談を複数の方々からお伺いしました。今春亡くなった埼玉県東松山市の元教育長・田口弘氏、光太郎と深い交流のあった、ともに画家の深沢省三・紅子夫妻の子息・竜一氏、東洋大学の学生だった藤尾正人氏。また、軍隊ではなく中島飛行機(現・スバル)の武蔵野工場に勤労動員されていた、女優・渡辺えりさんの父君・正治氏にも。

おそらく、出品されていた書も同じような経緯で書かれたものではないかと推定されます。当方がお話を伺った皆さんは、それぞれ九死に一生を得て戦後まで生き延びられましたが、この書をもらった人は、どういう運命をたどったのか、興味深いところです。

結局、戦場や動員先の工場などで露と消えた命も多数あり、光太郎はある意味、自らがそれらの若者を死に追いやったことを深く反省、戦後は花巻郊外太田村の山小屋で、自虐ともいえる過酷な蟄居生活を7年間続け、天職と考えていた彫刻も自らへの罰として封印し、贖罪に徹しました。

今回の展覧会は、中韓の皆さんの作品も多く展示されていました。日本にこういう詩人がいたということが、広く知られて欲しいものだと思いました。


豊島区役所さんをあとに、続いて、荻窪駅近くの荻窪小劇場さんに向かいました。こちらでは、Dangerous Boxさんという演劇ユニットによる「門ノ月~Aida~/智恵子抄」という公演を拝見。

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この手の公演(特に複数回上演される場合)で、満席になって入れないということはありえなかったので、今回もなめてかかっていましたが、案に相違し、ようやくキャンセル待ちで入れていただきました。小劇場ですのでキャパが少なかったというのもありますが、どうも、根強いコアなファンの方々が存在するようです。

一言でいうと、若い皆さんのパワーに圧倒されました(笑)。

「智恵子抄」系は、年配の方が演じるケースが多く、また、若い皆さんの劇団でも、脚本はベテランの方だったりし、どちらかというと「穏健な」舞台になる印象があります。また、やはりどうしても、一般の方々向けに光太郎智恵子の生涯的な部分を「説明」せざるを得ないかな、という気がします。たとえば昨年、十和田市で上演された地元劇団エムズ・パーティーさんによる「十和田湖乙女の像のものがたり」朗読劇は、当方が書いたジュブナイルを元にして下さいましたが、大半は「説明」でした。それはそれで小学生にでも理解してもらえることを目指した親切心なわけで、場合によっては必要です。

しかし、「理解されないのが怖い」という理由で、過度に「説明」をする必要はないのだな、と感じました。今回の舞台では、極力「説明」を避け、とにかく取り上げる「智恵子抄」の詩篇と、演者のパフォーマンスで勝負、という感じでした。あれを観て光太郎智恵子の生の軌跡が詳しく分かるかというと、そうではありません。しかし、わからないなりに感じるものは多々あったと思います。「Don't think! Feel!」ですね(古っ)。

説明抜きで感じさせるには、パワーが必要です。バックの音楽には神井大治さんという方のエレキ三味線が入り、かなりの大音量。それに負けずにノーマイクでやらねばなりませんから、光太郎役の役者さん、「絶叫」に近い朗読でした。20分ほどの上演時間でしたが、あれをあれ以上続けたら死ぬな、と思いました(笑)。

それから袴姿の智恵子役の女性、白い装束のダンサーの女性。現身(うつしみ)の智恵子と、さまざまなものから解放されたがる智恵子の内面のように見え、影と形の如く向かい合う光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のようだと感じました。

シュールといえばかなりシュール。これは若い皆さんでないと演じきれない演出だな、と思いました。

しかし、ある意味突き放して「感じ」させるだけでなく、理解を助けるための工夫もちゃんとされていました。朗読された光太郎詩篇のうち、現代では意味が通じにくい詩句は、わかりやすいように改変していたのです。「レモン哀歌」では「山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸」の「山巓」を「山のてっぺん」的に、「梅酒」の「厨に見つけたこの梅酒」の「厨(くりや)」を「台所」というふうに。著作権の中の同一性保持権(著作物及び その題号につき著作者の意に反して変更、切除その他の改変を禁止することができる権利)という観点から見ればNGですが、この場合には有りでしょう。

もう一つの演目、「門ノ月」の方は、自らも命を絶った殺人犯のいまわの際の夢幻、的な内容で、部分的には「智恵子抄」にもリンクしていました。こちらも熱のこもった舞台で、根強いコアなファンの方々が存在する理由がよくわかりました。

いつも書いていますが、書にしても舞台にしても、こういう活動を通し、光太郎智恵子の世界に興味を持って下さる人の輪が広がっていくことを祈念してやみません。


【折々のことば・光太郎】

一切が商品、一切が金、 あぶくのやうにゼニをつかんで 米粒ひとつも生産しない。 頭ばかりのゴーストが すばやく、ずるく、小またをすくひ、 口腹ばかりの怪物が 巷をうめてかけずりまはる。 ト、ウ、キ、ヤ、ウはどこにもない。

詩「東京悲歌」より 昭和28年(1953) 光太郎71歳

花巻郊外太田村から7年ぶりに帰ってきた東京。戦後の混乱期の残滓はまだあちこちに残っていたと思われます。そろそろ高度経済成長が始まる時期ですが、その分、環境問題などに対する配慮も無かった時代ですし、おそらく今の東京より醜い都市だったのではないでしょうか。

土曜日、久しぶりに都内でかなり長い距離を歩きました。道々、現代の東京であれば、かえって光太郎の眼には好ましく写る部分もあるのでは、とも思いました。

当方も加入しております団体、高村光太郎研究会の年に一度の研究発表会です。

第62回高村光太郎研究会

期   日 : 2017年11月18日(土)
時   間 : 午後2時から5時
会   場 : アカデミー向丘 東京都文京区向丘1-20-8
参 加 費 : 500円
問い合わせ : 03-5966-8383 (野末)

研究発表 :
 「吉本隆明「高村光太郎」再訪」      赤崎  学氏
 「詩作品に見る『をぢさんの詩』の位置」  岡田 年正氏

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当会顧問にして、晩年の光太郎に親炙した北川太一先生が、例年、ご意見番としてご参加下さっていますが、今年は夏頃からお加減がよろしくないとのことで、どうなりますことやら、です。

組織としての研究会には入会せず、発表のみ聴くことも可能です。入会すると年会費3,000円ですが、年刊機関誌『高村光太郎研究』が送付され、そちらへの寄稿が可能です。

研究発表会への事前の参加申し込み等は必要ありません。直接、会場にいらしていただければ結構です。ぜひ足をお運び下さい。終了後には懇親会も予定されています(別途料金)。
 

【折々のことば・光太郎】

大地無境界と書ける日は 烏有先生の世であるか、 筆を投げてわたくしは考へる。

詩「大地うるはし」より 昭和25年(1950) 光太郎68歳

蟄居生活を送っていた、花巻郊外太田村役場の新築落成記念に贈った「大地麗」の書に寄せた詩です。

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「烏有先生」は、漢の司馬相如「子虚賦」に登場する架空の人物。「烏有」は訓読すれば「烏 ( いづ ) くんぞ有らむや」、反語で「どうして有るだろうか、有るはずがない」の意。

つまり、大地に国境などの境界がなくなることは、現実にはあり得ないのだろうか、ということになります。この詩が書かれた昭和25年(1950)と言えば、朝鮮戦争。国内でもそのあおりで、自衛隊の前身である警察予備隊が創設されるなどしています。

最近入手した書籍・雑誌類を3点ご紹介します。

奥州二本松

2016/12/11 歴史春秋社 懸田弘訓監修 定価2,000円+税

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福島の出版社・歴史春秋社さんから出たムックです。同じシリーズで「奥会津」「いわき」「白河」なども出ています。

智恵子の故郷・二本松の歴史、自然、民俗、そしてゆかりの人物を取り上げる中で、智恵子も大きく扱われています。この項のご執筆は、先頃開かれた第23回レモン忌で記念講演をなさった福島県立美術館さんの学芸員をなさっている堀宜雄氏。

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さらに、女優・一色采子さんの父君で、智恵子像も多く手がけられた日本画家の故・大山忠作画伯、光太郎の父・光雲の孫弟子で、二本松駅前の智恵子像を制作された橋本堅太郎氏なども取り上げられています。

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月刊絵手紙 2017年10月号

2017/10/1 日本絵手紙協会 定価762円+税

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今年の6月号から「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」という新連載(全1ページ)が始まりました。今号は詩「或る筆記通話」(昭和4年=1929)が取り上げられています。

日本古書通信 2017年10月号

2017/10/15 日本古書通信社 定価667円+税

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慶応義塾大学教授・田坂憲二氏による紀行文「現代詩歌文学館とあらえびす記念館――岩手文学館紀行」が掲載されています。

書き出しで光太郎に触れて下さっています。しかし、「岩手と言っても啄木や賢治や光太郎だけではない。まだまだ面白い文学館があると勢い込んで出かけた」というわけで、北上市の日本現代詩歌文学館さんと、紫波郡紫波町の野村胡堂・あらえびす記念館さんのレポートです。

日本現代詩歌文学館さんには、最近は行っていませんが、資料の閲覧で3回ほどお邪魔した記憶があります。特に、全集未収録の光太郎書簡の所蔵があり、ご協力いただきました。

野村胡堂・あらえびす記念館さんには、3年前に行きました。その際のレポートがこちら。胡堂の奥さんとなったハナが智恵子と同じ日本女子大学校卒で、在学中から智恵子と親しかったため、野村夫妻の結婚披露で智恵子が介添えを務めました。

ところで、この記事は連載ではありません。ぜひとも全国の文学館紀行を連載化していただき、光太郎記念館、智恵子記念館なども取り上げていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

そのためにわたくしに肉類が与へられ、 そのためにわたくしに畑の野菜が与へられ、 米と小麦と牛酪とがゆるされる。 智恵子の裸形をこの世にのこして わたくしはやがて天然の素中に帰らう。

連作詩「智恵子抄その後」中の「裸形」より
 昭和24年(1949) 光太郎67歳

自らの戦争協力に対する厳罰として、岩手の寒村に蟄居生活を送り、天職と考えていた彫刻を封印した光太郎。世の中から許されないうちは、自分でも許すことを潔しとしませんでした。その日を待ちながら、頭の中で渦巻いていた彫刻の構想は、最愛の智恵子の裸形。光太郎にとって、美とか愛とか人生とか、そういったものを彫刻で表そうとすると、もはやそれは智恵子の姿をとらざるをえなかったのだと思います。

この詩の書かれた4年後、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」として、それが結実します。

地方紙『福島民友』さんに昨日掲載された一面コラムです。

編集日記 中原中也の思い

 「汚れつちまつた悲しみに今日も小雪の降りかかる...」。中原中也の詩集「山羊の歌」に収録された代表的な作品だ。30年の短い生涯だった中也だが、その叙情あふれる描写は、日本の近代詩の歴史に大きな足跡を残した
 ▼「山羊の歌」は中也が生前に刊行した唯一の詩集で、装丁は高村光太郎が担当した。二人の仲介をしたのはいわき市出身の詩人、草野心平だったという。刊行したのはわずか200冊だが、そのうちの1冊は郡山市で少年期を過ごした作家の久米正雄に贈られている
 ▼本県ゆかりの文学者たちと深いつながりがある中也はことし生誕110年、没後80年を迎えた。その節目に合わせて郡山市のこおりやま文学の森資料館で中也の生涯をたどる企画展が開かれている
 ▼会場には自筆の原稿や日記のほか本人が着用していた丹前も展示されている。「僕の運勢は晩年はいいようですよ」と記された手紙は、病で亡くなる約1カ月前に母親にあてたものだ。字をたどりながら詩人の胸中に思いをはせた
 ▼福島市の詩人で、中原中也賞を受賞した和合亮一さんも中也の作品に影響を受けたという。中也のほとばしるような情熱が込められた詩は今も、読む者を魅了し続けている。


記事にあるとおり、中也の第一詩集「山羊の歌000」(昭和9年=1934)は、光太郎の装幀です。3年前に、秀明大学さんの学祭で、中也の署名本数冊、拝見してきました。

以下、光太郎の回想から。

 中原中也君の思ひがけない夭折を実になごり惜しく思ふ。私としては又たのもしい知己の一人を失つたわけだ。中原君とは生前数へる程しか会つてゐず、その多くはあわただしい酒席の間であつてしみじみ二人で話し交した事もなかつたが、その談笑のうちにも不思議に心は触れ合つた。中原君が突然「山羊の歌」の装幀をしてくれと申入れて来た時も、何だか約束事のやうな感じがして安心して引きうけた。(「夭折を惜しむ――中原中也のこと――」 昭和14年=1939 『歴程』第6号)

そして、中也の詩を評して曰く、

中原君の詩は所謂抒情詩の域を超えた抒情詩といふべきで、それは愬へたり、うたつたりする段階から遙に超脱して、心や物がそのまま声を発するものであつた。インキ壺を書くのでなくて、インキ壺が書くのであつた。むしろインキ壺がただ在るのであつた。その在り方が彼の抒情詩となつた。詩に於ける彼の領地は人の思ふよりも新しい。うまいやうな、まづいやうな、まづいやうなうまいやうなあの技巧は比類が無い。言葉は平明であるが、表現せられたものは奥深く薄気味わるい程混沌たるものが遠くにもやもやと隠れてゐる。殊に近く発表せられた作には何げない言葉そのものすら沈痛むざんの屈折光に射ぬかれてゐた。ラムボオをむやみに訳してゐるのを変に思つてゐたが、考へると彼にはあれを訳さずには居られない要因があつたのだ。(同)

そこからさらに、中也の人となり。

ラムボオの訳書を贈られて間もなく出しぬけに訃報をうけとつて私は茫然とした。所謂大死一番のところを彼はほんとに死んでしまつた。死んだものは為方ないが、此の難道をもう一度突破せしめたかつた。彼の根づよい、もつと大きな、真新しい日本的性格の詩がたくさん生れたに違ひないのだ。彼は又炯眼の士で、あの大きな眼で相手がどんな程度の人間かをよく見抜いた。相調子や身振りには中々ごまかされなかつた。それでゐて偏狭でもなかつた。飲むと相手にうるさ型だつたが、いよいよといふ処ではいつも或る節度を辨へてゐた。書いてゐると、あの酔つぱらつた浪花節が又ききたくなつて来て我ながらあはれな気がする。(同)

結局、全文を引いてしまいました。まさに追悼文のお手本のような、それでいて通り一遍、ありきたりのものではなく、深い哀悼の意が伝わってきます。


記事にある郡山での企画展はこちら。

特別企画展 中原中也 祈りの詩

期 日 : 2017年10月7日(土)~11月26日(日)
会 場 : 郡山文学資料館 福島県郡山市豊田町3-5
時 間 : 午前10時~午後5時
料 金 : 一般 200円(150円) 高校・大学生等 100円(70円)  ( )内団体料金
          中学生以下・65歳以上・障害者手帳をお持ちの方は無料
休館日 : 毎週月曜日(祝日の場合は翌日)

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 わが国の近代詩上において大きな足跡を残した、夭逝の詩人・中原中也。明治40年に山口に生まれ、昭和12年に30歳の短い生涯を閉じるまで珠玉の詩篇を現在に残す。その詩は、今なお多くの人々の心を魅了し続けて止まない。
 東日本大震災の際、「祈る」ことは大きな比重を占めた。「祈り」をテーマとする中也の詩は、私たちの胸に真っ直ぐ届き、心の奥底に響く魅力をもっている。本展では「祈りの詩」とともに、中也の短い生涯を紹介する。
 関連催しとして、中原中也記念館館長・中原豊氏の講演会を行うほか、澤正宏氏(福島大学名誉教授)・庄司達也氏(横浜市立大学教授)の講座を実施する。

関連行事

○文学講演会 「生誕110年・中原中也の可能性」
 中原 豊(中原中也記念館館長) 平成29年10月29日(日)午後1時30分から午後3時
 郡山市民文化センター 集会室 先着300名 無料 10月4日(水)より整理券を配布
  (配布場所:文学資料館・文化センター・市政情報センター)

○中也・現実の向こう側へ
 澤正宏(福島大学名誉教授)/11月4日(土)13:30~15:30/40名/10月4日(水)より/ミューカルがくと館(小ホール)

○蓄音機とSPレコードで聴く中原中也が愛でた音楽たち
 庄司達也(横浜市立大学教授)/11月16日(木)13:30~15:30/40名/10月17日(火)より/ミューカルがくと館(小ホール)
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お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

智恵子は死んでよみがへり、 わたくしの肉に宿つてここに生き、 かくの如き山川草木にまみれてよろこぶ。

連作詩「智恵子抄その後」中の「メトロポオル」より
昭和24年(1949) 光太郎67歳

「メトロポオル」は「大都市」「中心都市」などの意の仏語「Métropole」。英語では「メトロポリス」ですね。

岩手辺境の寒村に蟄居生活を送っていても、、そこに亡き智恵子がいると思えば、自分にとっては「メトロポオル」だというのです。

右は詩の終末部分の色紙揮毫です。

朗読系の公演情報です。

まず、福井市立美術館さんで開催中の「没後30年記念 高田博厚展 対話から生まれる美」の関連行事として。

新朗読劇『道程-高村光太郎・智恵子・高田博厚-』

期  日 : 2017年10月28日(土)
会  場 : 福井市美術館 3階講堂 福井市下馬3-1111
時  間 : ①午前11時~、②午後2時~、③午後5時~の3回
料  金 : 500円
定  員 : 各回80名
申し込み : 福井市美術館まで希望の公演時間、住所、氏名、電話番号を電話かFAX、
       またはメールにて
       (先着順)電話:(0776)33-2990 FAX:(0776)33-3114
            メールアドレス:takata-k@city.fukui.lg.jp

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 彫刻家・高田博厚(1900-1987 年) と精神的に深いつながりのあった17 歳年長の彫刻家で詩人の高村光太郎とその妻・智恵子。
 人や物事の本質を深く洞察した高村の詩を中心に、3 人の人間模様を新しい朗読劇で紹介します。

作・演出/ YUKKY
出演者/高橋だい(高田博厚 役)・佐々木雪雄( 高村光太郎 役)・黒田成美( 高村智恵子 役)


もう1件。

都内では、日本舞踊系の公演の中で、「智恵子抄」朗読が扱われるというものが開催されます。

真理パフェFourth

期  日 : 2017年11月4日(土)
会  場 : 上用賀アートホール 東京都世田谷区上用賀5-14-1-102
時  間 : 13:00開演 16:30終演予定
料  金 : 1,000円
申し込み : 090-4434-7116(事前申込制/当日ご来場も可)

第一部 舞踊
 舞踊:藤娘    真理
 舞踊:三社祭     好佳乃 真理
 朗読:智恵子抄より   石川弘子
第二部 ゲストとコラボ
 和楽器を交えた朗読:勧進帳    村瀬栞 石川弘子 真理
 舞踊:娘道成寺     好 好月 好美乃 好佳乃 バス麻紀 大川恵理
 新舞踊:水口智世江 真理
 和楽器を交えた朗読:古典落語より    村瀬栞 石川弘子 真理
第三部 まりとけいこ発表会
 演奏:松の緑    佐藤太三夫
 舞踊:羽根の禿    新野アコヤ
 舞踊:越後獅子    岸本苑子
第四部 みんなで合唱
 合唱:越後獅子
 ピアノ、バイオリン、三味線合奏:山岡知子 臼井正枝 真理
 合唱と合奏:メサイヤより3曲 日本女子大学附属中学同窓生
                                   
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女優の大川真理さんという方を中心とした催しだそうで、多くの方々がご出演、いろいろと実験的な試みが為されるようです。

それぞれ、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

作家はつくればいいでせう 政府は作家のやれるやうにすればいいでせう 無意味なことはうるさくて 禿あたまの赤トンボのやうです

詩「赤トンボ」より 昭和24年(1949) 光太郎67歳

「禿あたまに赤トンボがとまつて/秋の山はうるさいです」に始まるこの詩、「うるさいといへばわれわれにとつて/芸術院といふのもうるさいです」と続きます。

光太郎が日本芸術院会員に推されたのは、昭和22年(1947)。推挙を受けたのは、文学の第二部。戦時中の翼賛詩文を深く恥じ、蟄居生活を送っていた光太郎にとって、皮肉としか思えなかったのではないでしょうか。その際には断っていますが、その後も打診があったのでしょうか。単に名誉称号に過ぎず、経済的援助等が付されなかった文化勲章も槍玉に挙げています。

明日は「レモンの日」。智恵子命日にちなみます。忌日として「レモン忌」とも表されます。

006そこで、またまた智恵子の故郷・福島二本松に行って参ります。、二本松市内各所で現在開催中の「重陽の芸術祭2017」の一環として、智恵子生家を会場にダンスパフォーマンスの公演「智恵子・レモン忌 あいのうた」が行われるためです。智恵子を題材にした日本画を多く手がけた二本松出身の故・大山忠作画伯の息女にして女優の一色采子さん(連翹忌にもご参加いただいております)が朗読で参加されるとのことです。

さらに福島ご出身のダンサー・二瓶野枝さんによるモダンダンス。

先頃、智恵子生家にお伺いした際に、たまたまお会いした教育委員会文化課の方に「この座敷でダンスをやって大丈夫なんですか?」と訊いたところ、「そこまで激しい動きではないそうなので」ということでした。

どのような公演になるのか、非常に楽しみです。

そちらが午後6時からということで、またその前に近くのゆかりの地を廻ろうと考えております。明後日以降、レポートいたします。


朗読といえば、光太郎詩を朗読して下さるイベントが近々二つ。 

「満天星」ライブ第6回

期   日 : 2017年10月17日(火)
会   場 : 船橋市市民文化創造館(きららホール) 千葉県船橋市本町1-3-1フェイスビル6階
時   間 : 開場12時30分 開演13時00分
料   金 : 無料 (全席自由)
問い合わせ : 047−450−6648 「満天星」代表/上田悦子

プログラム :
 【第一部】 司会:大野栄子
  1 神無月     原作 : 宮部みゆき
  上田悦子
  2 花の詐欺師   原作 : 古屋信子    誉田信子
  3 泳げない魚   原作 : 池田晴海    櫻井芳佳
  4 鮒       原作 : 向田邦子    江本なつみ
 【第二部】 司会:江本なつみ
  5 余寒の雪    原作 : 宇江佐真理  成川洋子
  6 ラブ・レター  原作 : 浅田次郎   大野栄子
  7 智恵子抄    原作 : 高村光太郎  小林正子

一昨年にも、同じ方の「智恵子抄」朗読を含むイベント「第2回小さな朗読〜感動をつくる朗読をめざして〜」をご紹介しました。繰り返し取り上げて下さり、ありがたく存じます。

もう1件。 

第4回 JILA朗読コンクール入賞・入選記念 朗読の祭典

期   日 : 2017年10月25日(水)
会   場 : 深川江戸資料館 小劇場  東京都江東区白河1-3-28
時   間 : 開場18時30分 開演19時00分
料   金 : 2,500円 (全席自由)
問い合わせ : 03-3356-4140 JILAチケットセンター

プログラム :
 石橋  玲  夏目漱石 : 『夢十夜』より「第三夜」 (縄文太鼓:石橋俊一)
 村上 長子  志賀直哉 : 転生
 藤野 篤子  夏目漱石 : 『夢十夜』より「第八夜」
 岩井 奈美  夏目漱石 : 『夢十夜』より「第六夜
 渡邊 奈美  森 鷗外 : 牛鍋  (
三味線:藤沢しげみ)
 勝田のぞみ  峠 三吉 : 『原爆詩集』より「墓標」
 桜 さゆり  稗田阿礼 : 古事記 中巻 より  高村光太郎:山のともだち クロツグミ 

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いつも書いていますが、光太郎詩文は、内容的にも表現でもすばらしいところが多く、また、あからさまな七五調、五七調などを採らなくとも、光太郎自身「内在律」という言葉で表現した独特のリズム感、さらにはさりげない踏韻など、意外と朗読に向いています。どんどん取り上げていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

おれの詩はおれの実体以外になく、 おれの実体は極東の一彫刻家であるに過ぎない。 おれにとつて宇宙は構造の原点であり、 詩は構造の対位法(コントルポアン)だ。 西欧ポエジイは親愛なる隣人だが、 おれの詩の運行は一本軌道がちがつてゐる。

詩「おれの詩」より 昭和23年(1948) 光太郎66歳

冒頭部分では「おれの詩は西欧ポエジイに属さない。/二つの円周は互に切線を描くが、/つひに完くは重らない。」とあります。

洋の内外という問題ではなく、日本詩人の詩に対しても同様です。「白秋、露風、柳虹といふやうな詩人のおかげで、詩は結局自分の言葉で書けばいいのだといふ、以前からひそかに考へてゐてしかも思ひきれなかつた事を確信するに至つた。」(「美術学校時代」昭和17年=1942)と書きつつ、「藤村――有明――白秋――朔太郎――現代詩人、といふ系列とは別個の道を私は歩いてゐます。」(「詩について語らず――編集子への手紙――」昭和25年=1950)とも書いています。

といって、自分の詩のみが良くて、他は話にならん、的な独善的といえる見方はしていません。他人は他人、自分は自分、なのです。

全国に47の教室を展開するNHK文化センターさんの講座で、光太郎が取り上げられます。ともに東北で、仙台といわきです

東北ゆかりの作家たち

会 場 : NHK文化センター仙台教室006
       仙台市青葉区立町27-21
        仙台橋本ビルヂング2F
期 日 : 2017/10/3~12/19の第1・3火曜 (全6回)
時 間 : 15:30~17:00
講 師 : 宮城教育大学名誉教授 渡辺善雄
料 金 : 受講料(税込み)16,848円
       資料がある場合は別途コピー代

太宰治、石川啄木、斎藤茂吉らは東北出身です。島崎藤村は教師として仙台に赴任し、高村光太郎は花巻に疎開しました。東北の風土を背景に、どのような文学が形成されたのか考えます。

宮澤賢治の世界 交友編

会   場 : NHK文化センターいわき教室012
        いわき市平字小太郎町3-4
         NHKいわき放送会館
期   日 : 2017/10/16(月)・11/13(月)・12/11(月)
         (全3回)
時   間 : 13:00~14:30
講   師 : いわき賢治の会会長/賢治学会会員 小野浩
料   金 : 会員 6,091円  一般(入会不要) 6,739円
         資料代別途

賢治の生涯は37年間でしたが、生前、詩人・童話作家として評価されず、中央で活躍する場はありませんでした。当時、賢治の才能を絶賛していたのが草野心平でした。
さらに心平の詩友・黄瀛(こう・えい)、そして高村光太郎。賢治と3人の交友を学びます。


小野氏は連翹忌ご常連。いわき市立草野心平記念文学館にお勤めで、昨日ご紹介した二本松市の「智恵子講座」でも講師を務められたことがあります。その他、あちこちのイベントでご一緒させていただいております。



それぞれ残席がまだあるとのこと、お近くの方、ぜひどうぞ。


ちなみに、賢治といえば、明日のテレビ放映で賢治や光太郎が愛した花巻の大沢温泉さんが取り上げられます。

朝だ! 生です旅サラダ013


地上波テレビ朝日 2017年9月30日(土)
                                   8時00分~9時30分

◇内容I ゲストの旅
 和歌山出身の田中理恵さんが念願の白浜へ!海と温泉のリゾート地・白浜で、初めての白良浜&(秘)グルメ&パワースポットを楽しんだ後、海と一体に見えるお風呂の絶景に感激!さらに、レジャーランドで人気のパンダ&イルカを満喫…そして感涙!?
◇内容Ⅱ 海外の旅
 様々なルーツを持つ人々が暮らす多民族国家・シンガポールで、世界の文化を楽しみます!カラフルで可愛い“プラナカン"文化やアラブ街、インド街を巡ります。また、夜だけ営業するナイトサファリを体験!ヒョウ、ライオンなど、夜行性の動物たちが活発に動く姿に感激!
◇内容Ⅲ 俺のひとっ風呂
 「宮沢賢治の愛した湯治宿」を目指します!カッパ伝説の町・遠野からスタートし、カッパ釣りに挑戦!?ミネラル分の豊富な水を与えられて育つブランドポークを味わい、目的の湯治宿へ!川のせせらぎを聞きながら、宮沢賢治も浸かったという露天風呂を楽しみます。
◇内容Ⅳ ヒロドが行く!日本縦断コレうまの旅
 “くいだおれの街"大阪の最終回!今回は、夜の街でコレうま探し!美食家が集まる大人の隠れ家に、ヒロド驚愕!繁華街・北新地なども巡り、プレゼントに選んだのは!?
◇内容Ⅴ 生中継のコーナー
 ラッシャー板前が、福井県・越前町からリポート!「太アナゴ&越前さかなまつり」をご紹介!

出演者 神田正輝 向井亜紀 勝俣州和 三船美佳 ラッシャー板前 森川侑美(旅サラダガールズ)
      ヒロド歩美(ABCアナウンサー) 田中理恵(体操・元日本代表)

ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

東洋の美はやがて人類の上に雨と注ぎ、 東洋の詩は世界の人の精神の眼にきらめくだらう。 夏の雲のやうに冬の星のやうに、 朝の食卓の白パンのやうに、 夜の饗宴のナイフのやうにフオクのやうに。

詩「東洋的新次元」より 昭和23年(1948) 光太郎66歳

戦時中、翼賛詩として「西洋」に対峙する「東洋」を礼賛していた光太郎ですが、自らの戦争責任にいたいする深い反省を経たあとは、よりグローバルな視点から「東洋」の発展を願う方向に転じています。

青少年向け、いわゆるライトノベル系の新刊です。

詩葉さんは別(ワカレ)ノ詩を詠みはじめる

2017年8月30日 樫田レオ著 角川書店(ファミ通文庫) 定価648円

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もう一度、大切な人に想いを伝えられたら――

大切な想いや言葉が形となった《迷い言》が視える藍川啓人は、数年前の事故で亡くした幼馴染、高森閑香の《迷い言》に出会う。事故の時、助けられず後悔していた啓人は、彼女の本当の想いを知るため《迷い言》の声を聞くことができる《伝え人》、梅ヶ枝詩葉の元へ連れて行くことに。そして詩葉の力を借りて、閑香が伝えられなかった最期の言葉を聞こうとするのだが――。大切な人への想いを巡る、切なくて暖かく、そして少しほろ苦い感動の青春ストーリー。


「詩葉」は「うたは」。登場人物の名前です。

「言霊」の考え方を根底に置いて、ストーリーが展開されます。世の中には、無念の死を遂げた人々が大切な人へ最期に伝えようとした「言葉」が霊魂のように漂っており、それを実体視できる能力を持った「伝え人」が、伝えたかった相手に仲介する、というのです。その伝えたかった最期の言葉を引き出すために、古今の文学作品の一節に宿る「言霊」の力が使われます。僧正遍昭や菅原道真の古歌、近代では石川啄木や若山牧水の短歌、短歌に限らず江戸川乱歩の残した格言「現世(うつしよ)は夢 夜の夢こそまこと」など。

003そしてメインで使われるのが、光太郎の「郊外の人に」(大正元年=1912)の一節。

 わがこころはいま大風(おほかぜ)の如く君にむかへり
 愛人よ
 いまは青き魚(さかな)の肌にしみたる寒き夜もふけ渡りたり
 されば安らかに郊外の家に眠れかし

さまざまな逡巡の末、智恵子と共に生きていこうという決意を固めたことを高らかに謳うもので、昭和16年(1941)の詩集『智恵子抄』に収められました。のちの昭和31年(1956)の新潮文庫版にも踏襲されています。

物語では、この新潮文庫版がモチーフとして使われ、智恵子の紙絵をあしらったカバーも重要なファクターとなっています。

久々にこの手のジャンルのものを読みましたが、それだけに新鮮な感動を味わえました。ぜひお買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

詩をすてて詩を書かう。 記録を書かう。 同胞の荒廃を出来れば防がう。 私はその夜木星の大きく光る駒込台で ただしんけんにさう思ひつめた。

連作詩「暗愚小伝」中の「真珠湾の日」より
 昭和22年(1947) 光太郎65歳

その言葉通り、太平洋戦争開戦後は、「詩」とは言いがたい空虚な言葉の羅列に過ぎぬ作品が量産されました。そしてそのものずばりの『記録』という詩集(昭和19年=1944)も刊行されました。

ただ、その目的は、鬼畜米英の誅戮ということではなく、「同胞の荒廃を出来れば防」ぐということ。確かに光太郎の遺した大量の翼賛詩は、前線での戦闘や軍隊生活を謳ったものはあまりなく、どちらかというと銃後の国民の心構えを説くものが主流でした。それにしても、その罪深さは言うまでもありませんが……。

一昨日、文京区の弥生美術館さんで開催中の企画展「命短し恋せよ乙女 ~マツオヒロミ×大正恋愛事件簿~」を拝見した後、永田町の国立国会図書館さんに向かいました。

6月に拝見した杉並区立郷土博物館さん所収の光太郎書簡について掘り下げて調べるため、思想家の江渡狄嶺関連、それから来月、青森十和田市で講演を仰せつかっているため、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」について、いろいろと文献を渉猟いたしました。

その後、江東区住吉へ。過日ご紹介した朗読会「響きあう詩と朗読」を拝聴して参りました。会場は江東区公会堂ティアラこうとうさん。

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やはり光太郎がらみのイベントは雨に見舞われます。ちょうど着く頃に雨が降り出しました。

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光太郎を含む古今東西のさまざまな詩文を、6人の方が朗読されました。

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お一人目の清水けいこさん、「智恵子抄」から9篇の詩を朗読なさいました。伴奏的に、長谷川美鈴さんの篠笛が入り、幽妙な雰囲気が醸し出されました。

今回、ご案内を下さった、文芸同人誌『青い花』同人で、詩人の宮尾壽里子さんが3番目にご登場。光太郎詩「母をおもふ」他、「母」をモチーフとした詩6篇を朗読されました。こちらはYOSHI氏のピアノによる伝・カッチーニ「アヴェ・マリア」が伴奏でした。西條八十の「帽子」もラインナップに入っていました。森村誠一氏の「人間の証明」で引用され、同作が角川映画になった際は、故・ジョー山中さんが歌ったテーマソング(英訳)で、一躍有名になった詩です。

その他、さまざまな詩文の朗読。知っている作品と、そうでないものと、半々くらいでした。聴いている方としては、そのくらいのバランスがちょうどいい感じです。各朗読者の皆さん、それぞれに工夫を凝らし、終わってみれば2時間強の長いプログラムでしたが、それを感じさせませんでした。

何度も書いていますが、光太郎詩は意外と朗読向きです。完全な定型というわけでない作品でも、光太郎が「内在律」と呼ぶ独特のリズム感や、わざとらしくない程度の踏韻、そして何よりその内容とするところ(もちろんそうでない愚作、駄作の類も存在しますが)。

プロアマ問わず、多くの皆さんに取り上げていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

最も低いところに自ら救ふものがあり、 おのづから人類の光と美とに導くもののあることを知れ。 今はただ苦難の鍛へに堪へよ。 やがて清冽そのものを生み得るのは外ならぬわれわれだ。

詩「絶壁のもと」より 昭和21年(1946) 光太郎64歳

終戦記念日の『新岩手日報』に掲載されました。一年前の玉音放送、その後の混迷の一年間を振り返っています。やはり荒廃した人心を救おうとするその呼び掛けに、一部からは戦時中の翼賛活動を棚に上げて、という批判も起こりました。そうした声、そして自らの内なる声に導かれ、自己の戦争責任を省察する連作詩「暗愚小伝」が構想されていきます。

詩人でもあり、朗読もなさっている宮尾壽里子さんからご案内を頂きました。宮尾さん、これまでもお仲間の皆さんと、 「2016年 フルムーン朗読サロン IN 汐留」、「第5回 春うららの朗読会」等で、光太郎詩を取り上げて下さっています。

響きあう詩と朗読

期  日 : 2017年8月30日(水)
時  間 : 開場18:30  開演19:00
場  所 : 江東区公会堂ティアラこうとう 小ホール 東京都江東区住吉2-28-36
料  金 : 3,000円(全席自由・税込)

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演 目 :
宮尾壽里子 ピアノ:YOSHI
 <ポエジー母>より 三好達治「乳母車」  高村光太郎「母をおもふ」  西條八十「帽子」 
 草野心平「青ィ花」  宮尾壽里子「母になる日」  吉田一穂「母」

勝田のぞみ J.D.ベリズフォード(訳:西崎 憲)『喉切り農場』

岩井奈美 F.G.ロルカ(訳:小海永二)  『ガリーシアの六つの詩篇』 
 ヴァイオリン:松田 彩 ピアノ:室井悠李
 Ⅰ サンティアゴの町への恋歌  Ⅱ 小舟に乗った聖母マリアのロマンセ Ⅲ 少年店員の歌
 Ⅳ 死んだ若者の夜想曲  Ⅴ 死んだロサリア・カストロのための子守唄
 Ⅵ サンティアゴの月の踊り
 芥川龍之介『地獄変』

ひらやす かつこ J.R.ヒメネス(訳:長南 実)
 『プラテーロとわたし』より「プラテーロ」「春」「秋」

清水けいこ 篠笛:長谷川美鈴
  高村光太郎『智恵子抄』より「郊外の人に」「晩餐」「あどけない話」
 「あなたはだんだんきれいになる」「樹下の二人」「風にのる智恵子」 「荒涼たる帰宅」
 「梅酒」「レモン哀歌」


恐縮ながら招待券を頂きました。楽しみにしております。


それから、情報を得るのが遅れて、もう明日になってしまっていますが、もう1件。朗読と云うより詩吟系のイベントのようです。

京の文化絵巻2017 ~文学吟詠舞劇と邦楽の飛翔~

期  日 : 2017年8月12日(土)
時  間 : 開場14:30  開演15:00
場  所 : 京都芸術センター 講堂 京都市中京区室町通蛸薬師下る山伏山町546-2
料  金 : 1,000円

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演 目 :

 文学吟詠舞劇 「智恵子抄 断章―千鳥と遊ぶ智恵子―」
  原詩 高村光太郎   構成詩・付曲 廣 青隴   舞振付 藤蔭静樹
  文学吟詠:廣 青隴 古川瀞女 増田松洲 栗田瀞惠  村田青雪 黒田桜風 松浦哲山
       増田興洲
  舞:藤蔭静樹 藤蔭静亜樹
 
 -古典芸能十八番中の十八番 道成寺もの-より 「古道成寺」
  作曲 岸野治郎三、八重崎検校  出演 箏 早瀬久恵
  歌・三絃 大木冨志 粟田彰輝 梶田和栄

文学吟詠舞劇というジャンル、どんなものかと非常に興味があるのですが、いかんせん参上できません。

お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

生れてまだ二十年にもならないだらう青年は まるで天からもらつた水晶玉のやうにきれいだ。 その純潔をまもつてくれ、青年よ。

詩「純潔」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳

その青年たちを戦場へと追いやるための詩を、この後、光太郎は大量に書き殴ることとなってゆきます。戦後はその贖罪のため、花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)での、自虐とも云える蟄居生活に入るわけです。

「女性の生き方、心のあり方 を考える中高年の主婦向け」「時流に流されない、心豊かな生き方や、魅力的な人との出会いを提案していく」「主婦たちに贈るこころマガジン」という『月刊清流』。

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最新号の9月号。「詩歌(うた)の小径」という連載で、「あどけない話――高村光太郎」が2ページにわたり掲載されています。

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智恵子の故郷・福島二本松にそびえる安達太良山の写真、光太郎との出会いと別れ、詩集『智恵子抄』、そして詩「道程」と「あどけない話」が紹介されています。

他にも光太郎と交流の深かった人物――与謝野晶子から鉄幹への恋文を紹介する記事があったり、オノマトペ(擬音語・擬態語)に関する記事では、宮沢賢治に触れたりするなど、そのあたりも興味比較拝読しました。また、光太郎との関わりはほとんどありませんでしたが、正岡子規に関する特集もありました。

旬の女性たちもたくさん取り上げられています。TBS系のテレビ番組「プレバト!!」中の「俳句の才能査定ランキング」査定人の俳人・夏井いつきさん。それから、当方、柔道経験者なもので、以前から存じていました天野安喜子さん。358年続く花火の宗家「鍵屋」の15代目にして、国際柔道連盟審判員です。

一般書店さんには置いて居らず、オンライン通販か電話での申し込みのみだそうです。当方は雑誌販売サイトのFujisan.co.jpから購入しました。

皆様もぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

五月はしやべる、五月はうたふ。 頬白、せきれい、駒鳥、つばくろ。 まるで少女の遊び時間。
詩「五月のうた」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳

もう8月ですが、当方自宅兼事務所周辺、早朝はホトトギスなどの野鳥の声に満ちています。それから2階の戸袋の上に雀が巣を作ってしまいまして、その声も。日が昇る頃にはヒグラシに始まり、やがてミンミンゼミ、アブラゼミたちの大合唱。自然が豊かなのはいいことです。

詩集や詩歌評論などの出版に力を入れられている土曜美術出版さん刊行の月刊誌『詩と思想』。その今月号に拙稿が載っております。

以前に「智恵子抄」を取り上げて下さった雑誌で、存じていましたのでお受けしました(生意気なようですが、思想的に光太郎の精神と相容れなかったり、社としての矜恃が感じられなかったりするところからの依頼はお断りすることにしています)。

連翹忌の歴史や現状などについて書いてくれという依頼でしたので、そのような内容を。ところが文治堂書店さんのPR誌『トンボ』の方でも同一内容の指定があり、同じような内容になってしまいました。ただ、『誌と思想』さんの方が字数を多く指定されましたので、詳しく書いています。

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画像もほしいというので、今年をはじめ、最近の連翹忌の様子、それから昭和31年(1956)の光太郎葬儀の写真を提供しました。

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今年の連翹忌で朗読と演奏のコラボをお願いした、ヴォイスパフォーマー・荒井真澄さんと、テルミン奏者大西ようこさん、それからお父様が光太郎と交流がおありで、連翹忌ご常連の渡辺えりさんなどなど。

連翹忌のよい宣伝になったかなと思います。

ところが、1箇所、とんでもない誤りをそのままにしてしまいました。昭和13年(1938)の智恵子の没年を14年としてしまったのです。認めたくないのですが、歳のせいか、最近、パソコンのミスタッチが多くなっています。たいがいはすぐ画面上でおかしなことになっていると気づいて訂正するのですが、ここはそのまま流してしまったようです。ゲラが送られてきて、校正もしたにもかかわらず気づきませんでした。

「3」と「4」もそうですが(テンキーではなくキーボード左上)、多いのはやはり隣のキーに触れてしまうこと。たまに「こうたろう」と叩いたつもりが「O」と「P」を間違えて「kぷたろう」などとなります(笑)。それから変換ミスですね。多分このブログでもやらかしていると思います。もっと気をつけねば、と思いました。

大きな書店さんでは雑誌コーナーに並んでいると思われますし、同社サイトから、またはAmazonさんなどでも注文可能です。ぜひお買い求め下さい。定価1,300円+税です。


【折々のことば・光太郎】

狂瀾怒涛の世界の叫も この一瞬を犯しがたい。 あはれな一個の生命を正視する時、 世界はただこれを遠巻にする。

詩「梅酒」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳

前年に亡くなった智恵子が生前に作っておいた梅酒を台所で見つけ、智恵子を偲びながらそれを味わう、という詩です。

日中戦争は膠着状態、泥沼化。欧州では既に大戦の火蓋が切られています。それが「狂瀾怒涛の世界の叫」。しかし、それも亡き妻を偲ぶ「この一瞬」を「遠巻にする」というのです。

すでに翼賛詩をたくさん書き始めている光太郎ですが、智恵子に思いを馳せる時のみ、強引な言い方ですが人間性を回復できていたように思われます。それも翌年までのことですが……。

朗読系イベント情報です。
会 場 : ポルコポルコ 埼玉県越谷市千間台西3丁目1−17
時 間 : 11:00~14:30
料 金 : 第1部 3,800円(アイスティー、チーズケーキ付)  第2部 1,000円

プログラム

第1部 フルート×語りのおとばなライブ 「秘密のおとばな部屋」

 宇高杏那/フルート フルーティスト。作曲も手がける。 フルートオーケストラ「響き」コンサート・ミストレス。
 和久田み晴 /語り 語り手・声優。NHK Eテレ『すすめ!キッチン戦隊クックルン』バニラおばさん役、各種ナレーション・ボイスオーバー等出演。

秘密の隠れ家で、様々な本のページをめくれば人生の様々な機微に遭遇する…
その時きっと、その言葉と音は、あなたの人生にリンクしていく。声と音楽を通して本を味わう1時間!

「ミルクパン」和久田み晴 著
「すりごま」和久田み晴 著
「わが名はピーコ」(角川文庫刊『めろめろ』所収)  犬丸りん 著
「レモン哀歌」(『智恵子抄』所収)  高村光太郎  著
「100万回生きたねこ」(講談社刊)  佐野洋子 著
 物語作品には、すべて宇高杏那&靖人両氏によるオリジナル曲が作曲されています。


第2部 ブクブク交換会

テーマに合った本を持ち寄って、紹介しあって交換するイベント♪
自分では手にとらないであろう本との出会いは面白いもの。
小説に限らず、絵本、ハウツー本、漫画などなど、おススメのものであればなんでもOK!
自分の好きな本を紹介するとき、その人の人柄や本質的なものが現われるのだそう。
本を通して、人とのつながりができるのも、このイベントの面白いところ!
1部から引き続き、おとばなの和久田と宇高も参加♪

※お好きなテーマの本をお持ちください。
※1人2冊くらいお持ちいただくと楽しいです。
※本は新品でも中古でも大丈夫です。
※本は交換してしまうので、持ってきた本は原則手元には戻りません。
 
《今回のテーマ》
 ・知らなかったことを知れた本  ・勇気づけられた本  ・夏休みを思い出す本

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ユニット「おとばな」さん。クラシックギターの宇高靖人氏も加わったフルメンバーで、昨年には「フルートとギターと語りのコンサート『おとばなノスタルジア館』」という公演もなさり、やはり「レモン哀歌」を取り上げて下さいました。ありがたや。

その際は他に用事があって聴きに行けませんでしたが、今回もその前後、岩手に行っておりますので、聴きに行けません。残念です。

ご都合のつく方はぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

昔から此の島の住民は知つてゐる、 嵐のあとに天がもたらす あの玉のやうに美しい秋の日和を。
詩「日本の秋」より 昭和13年(1938) 光太郎56歳

この項、『高村光太郎全集』の掲載順に言葉を拾っておりますので、季節外れとなることもしばしばです。関東は梅雨明けとなり、本格的な夏となりました。当方、光太郎ほどに夏に弱くはありませんが、さすがに35度を超える猛暑日は体にこたえます。「玉のやうに美しい秋の日和」が来ることをイメージしつつ、乗り切ろうと思っております。

光太郎終焉の地、東京都中野区からイベント情報です。

常設展示「日本の文豪 第7回 志賀直哉、北原白秋、高村光太郎」

期 日 : 平成29年7月29日(土)~11月23日(木)
会 場 : 中野区立中央図書館 東京都中野区中野二丁目9番7号
時 間 : 午前9時から午後9時
休館日 : 毎月第2月曜日(その日が国民の祝日の場合は直後の休日でない日)

中央図書館では、年間常設展示として『日本の文豪』を開催しています。手稿や色紙の複製をはじめとする図書館の所蔵資料を紹介いたします。皆さまのご来館をお待ちしています!

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一昨年から始まり、現在は、「第6回 直木三十五、芥川龍之介、斎藤茂吉」が開催中です。そちらの説明では、イラストレーター高松啓二氏による文豪の肖像が展示されているとのこと。昨年の展示でも、高松氏の作品が展示されたようです。

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光太郎を含む第7回もこの試みは続くのではないかと思われます。

ここ数年、ゲームアプリやアニメ、コミックやグッズなどで「文豪」が静かなブームです。こういった方面からのアプローチもありかな、と思います。


【折々のことば・光太郎】

意識の境から最後に振り返つて わたくしに縋る この妻をとりもどすすべが今は世に無い わたくしの心はこの時二つに裂けて脱落し 闃(げき)として二人をつつむ此の天地と一つになつた。

詩「山麓の二人」より 昭和13年(1938) 光太郎56歳

昭和8年(1933)、智恵子の心の病を癒すべく、福島不動湯温泉蔵王青根温泉などをめぐった湯治旅行の最初、裏磐梯を訪れた際の記憶を元に書かれた詩の終末部分です。前半部分には有名な「――わたしもうぢき駄目になる」のリフレインが効果的に使われています。

それまで一心同体たらんと目指していた光太郎智恵子夫妻。その一方が「駄目になる」ことは、もう一方も「駄目になる」ことにつながりはしないでしょうか。智恵子にとっての「駄目になる」は、夢幻界の住人となること。光太郎にとっての「駄目になる」は、孤高の芸術探求の姿勢を捨て、「二人をつつむ此の天地と一つにな」ること。そして、「此の天地」は、確実に戦時へと向かい、国民一人一人が泥沼の戦争へと駆り出されていく時期だったのです。

毎年この時期に行われる、古書業界最大の市(いち)、七夕古書大入札会。先週、出品目録が届きました。ネット上でも見られるようになっています。

毎年、光太郎関連も貴重な出品物があります。目録では作者ごとに並べてあり、光太郎メインは「文学」の№102~106。もの自体はいいものが多いのですが、以前から都内の古書店さんが在庫として持っていたものばかりで、目新しいものはありませんでした。昨年と同じ出品物も含まれています。

№102の「高村光太郎詩稿 三枚」。大正15年(1926)の第二期『明星』に発表された「滑稽詩」です。

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№103で「高村光太郎詩稿額 一面」。昭和15年(1940)、『文芸』が初出の詩「へんな貧」です。

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№104は「高村光太郎草稿 三枚」。昭和18年(1943)に刊行された木村直祐、宮崎稔共編詩集「再起の旗」の序文です。

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№105、「高村光太郎書簡 一通」。これも以前から都内の古書店のサイトに在庫として掲載されていましたが、逆の意味で興味を引かれています。というのは、全く同じ文面の葉書が別に存在するのです。そして、こちらはどうも光太郎の筆跡とは異なっています。そのわりには封筒もついており、どういうことだろうと不思議に思います。出品物全点を手に取って見ることができる下見展観がありますので、その際に確認してみようと思っています。

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№106が「高村光太郎を巡る草野心平・尾崎喜八書簡葉書」。詩人志望の青年に、断念するよう忠告する内容の光太郎書簡が二通。画像上半分は、詩集を出版したいので序文を書いてくれ、という求めに対し、断りの書簡と共に別便で送られてきた詩稿を返送した際の包装と鉄道荷札です。尾崎喜八、草野心平からの書簡も附いています。

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これ以外に、光太郎メインではない出品物で、光太郎のものも含まれているものがあり、かえってこちらに興味を引かれています。

№347に「更科源蔵「犀」“種薯”紀念号 草稿及書簡・ハガキ類綴」。北海道弟子屈で開拓にあたりながら詩作を続けた詩人・更科源蔵の詩集『種薯』(昭和5年=1930)を特集した雑誌『犀』(同6年=1931)のための草稿など。光太郎の「更科源蔵詩集「種薯」感想」の草稿も含まれています。これは実物を見たことがなく、また、画像を見ると原稿用紙欄外にいろいろ書き込みがあり、非常に興味深いものです。

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北海道の方では、新たな文学館の建設計画があり、そのあたりに収蔵されれば、と思っています。

さらに№346で「文学者葉書集 七九枚」。光太郎のものも含まれています。『高村光太郎全集』等未収録のものであってほしいと思っております。

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№338には「ARS 六冊」。大正4年(1915)のもので、6冊すべてに光太郎訳の「ロダンの言葉」が掲載されています。

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他にも光太郎に関わる出品物がありそうな気配です。

出品物全点を手に取って見ることができる下見展観が、7月7日(金)午前10時〜午後6時、7月8日(土)午前10時〜午後4時に行われます。会場は神田神保町の東京古書会館さん。別件の用事もあり、当方は8日に行って参ります。

皆様も是非どうぞ。


【折々のことば・光太郎】
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幽暗の水底(みなぞこ)にふかく沈んで 三十六鱗にひびく苛烈の磁気嵐に耐へ、 一切を感じて静かに息する鯉を彫る。 波をうてば瀧をも跳ぶし、 雲にのれば龍と化する、 あの鯉の静まり返つた幽暗の烈気を彫る。

詩「鯉を彫る」より
 昭和11年(1936) 光太郎54

木彫「鯉」は、新潟の歌人・松木喜之七の依頼で彫り始めましたが、結局、納得の行く作が出来ず、断念しました。光太郎としてもかなり力を入れて取り組んでいて、この詩からもそれがうかがえます。

複数点完成させた「鯰」と異なり、鱗の処理がどうしてもうまくいかなかったとのこと。

土門拳による制作風景の写真が残っています。

主に北海道の文学に注目する北方文学研究会さん発行の同人誌『北方人』の第27号を頂きました。いつも送って下さっていて、恐縮です。

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さらに恐縮なことに、当会発行の『光太郎資料47』をご紹介下さっています。

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また、当方も寄稿している文治堂書店さん発行の同人誌、「トンボ」第3号の紹介も。ありがたいことです。

それから、釧路で発行されている同人誌『河太郎(かたろう)』の紹介の中に、光太郎の名が。

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光太郎と交流のあった更科源蔵、猪狩満直といった詩人が北海道出身だったり移住したりしていた関係、北海道で発行されていた雑誌に光太郎の寄稿がたびたびあったためですね。とりあえずネットで発行元らしきところを見つけ、送って下さるよう頼んでみました。届きましたらまたご紹介します。


その『トンボ』の第4号も届きました。

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3名の方々による、先頃亡くなった同社創業者の渡辺文治氏の追悼文が掲載されており、当会顧問・北川太一先生の玉稿も含まれています。

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その他、半ば強引に2ページ分の連載を持たされてしまい(笑)、今年で61回目を迎えた連翹忌の歴史と現況について書け、という指示でしたので書きました。

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掲載誌をごそっと送られていますので、ご入用の方はこちらまで。


【折々のことば・光太郎】

足もとから鳥がたつ 自分の妻が狂気する 自分の着物がぼろになる

詩「人生遠視」より 昭和10年(1935) 光太郎53歳

光太郎にとっては不意打ちのようだった智恵子の心の病の顕在化、それにより智恵子が夢幻界へと飛び立ってしまったこと、それに伴う喪失感などが、見事に表現されています。

しかし、病が顕在化したとされる昭和6年(1931)夏から3年半経って、その間に智恵子の自殺未遂、青根温泉などへの湯治旅行、九十九里浜での転地療養などを経、南品川ゼームス坂病院へ入院させる頃に書いた詩です。

地方紙『山形新聞』さんの一面コラム、25日日曜日の掲載分です。

談話室 2017/06/25付

▼▽江戸時代後期に清貧、自由の生涯を貫いた僧良寛。歌人、書家として知られるが漢詩も多く残した。中にこんな一節がある。「花開く時蝶来(ちょう)り 蝶来る時花開く」。花にも蝶にも作為などない。互いに招き、導かれる。
▼▽その人の訃報にふと良寛の詩が浮かんだ。山形市の吉田コトさん。99年の人生は波乱に富む。20歳の頃「宮沢賢治名作選」の編集に関わった。没してからまだ5年。原稿は岩手・花巻の生家の柳行(やなぎごう)李(り)に入ったままだった。賢治の弟清六が手渡す原稿を、行李の蓋(ふた)に仕分けた。
▼▽「名作選」は無名だった詩人・童話作家再発見のきっかけとなる。高村光太郎ら文化人との交流も生まれた。私生活では22歳で結婚。子宝にも恵まれるが太平洋戦争のさなか、夫が病で半身不随になる。戦後は山形市に一銭店「天満屋」を開き、大黒柱として生活を支えた。
▼▽貧乏暮らしながら店には多くの人が訪れ、交流の場になった。人生相談を持ち掛けられたり、山形大の苦学生にはご飯を振る舞ったり。知的好奇心も衰えない。80歳を過ぎても週1回、東北芸術工科大に通って講義を聴講した。「時には蝶、時には花」を体現した人だった。


訃報の記事も載ったようなのですが、ネット上で不鮮明な画像でしか発見できませんでした。それによると土曜が葬儀だったそうなので、亡くなったのは先週でしょうか。吉田コトさん。作家の吉田司氏のお母様で、宮沢賢治の教え子だった松田甚次郎を助け、賢治実弟の清六ともども、昭和14年(1939)に刊行された『宮沢賢治名作選』の編集実務に当たられた方です。

その編集に当たっていた頃、「山形賢治の会」で一緒だった詩人の真壁仁の紹介で、本郷区駒込林町の光太郎と会っています。以下、平成20年(2008)、有限会社荒蝦夷さん刊行の『吉田コト子思い出語り 月夜の蓄音機』より。

「山形賢治の会」を立ち上げて間もなく、000中央大学に進学していた弟が軽い脊椎カリエスを患った。一人で下宿生活が送られなくなったので、私が上京して炊事の面倒を見ることになった。(略)高村光太郎さんに初めて会ったのはこのころだ。真壁さんから私に手紙が来たんだっけ。「高村先生に会いに上京します。ご一緒しましょう」って。私が『宮沢賢治名作選』を手伝っていたころ、政次郎さんが私に光太郎さんの話を聞かせてくれたことがあったの。賢治が生前、『春と修羅』だったか詩集を自費出版して、いろんな人に送ったらしいんだけど、お礼の返事をよこしたのが高村光太郎と詩人の草野心平の二人だけだったんだって。賢治はその葉書がくちゃくちゃになっても、お守りみたいに大事にしてたって。その話を聞いて私は光太郎さんに会ってみたくなったんだ。それで清六さんに紹介状を書いてもらったんだけど、まだ光太郎さんに会いに行ってなかった。真壁さんはこの紹介状のことを知ってて、私を誘ってくれたんだね。

『春と修羅』(大正13年=1924)の礼状をよこしたのが、光太郎と心平だけだったという話。他では読んだことがないのですが、有り得る話です。くちゃくちゃになった葉書を賢治がお守りのように持っていたというのも。そこで2年後に、賢治は光太郎を訪ねていったのでしょう。

上京した真壁さんと二人で光太郎さんを訪ねた。真壁さんは、私のことを三割も五割も足して光太郎さんに話してくれたっけ。「コトさんは真面目で一生懸命、本も読むし文章も書く」って。光太郎さんが「詩の勉強をなさい。書けるように教えてあげます」って言ってくれた。だのに私ったら「授業料が高いでしょう」なんて言ったんだよ、高村光太郎に向かって(笑)。田舎っぺだよね。そして「詩を書くよりも孤児院のお手伝いのような仕事がしたいと思っています」なんて話もした。親のいない寂しさを味わっていたから、ホントにそんな仕事がしたかったの。光太郎さんは「手伝いなんて言わずに、自分で作りなさい。相談にのってあげるから、またいらっしゃい」と言ってくれた。

残念ながら、光太郎の書き残したものの中に、この会見の模様は確認できません。ただ、同行した真壁仁に送った光太郎書簡から、昭和14年(1939)の3月から4月頃だったと推定できます。

余談になるけれど、太平洋戦争が終わるころ、光太郎さんは賢治の生家を頼って岩手に疎開したでしょう。そのあと、なんのときだったかは忘れたけれど、とにかく光太郎さんが山形に立ち寄ったことがあるの。光太郎さんから「もう二度と山形に来ることもないでしょうから、ぜひ会いましょう」と葉書をもらった。そこで、山形駅まで会いに行ったの。確か末っ子の司を背中におぶってた。だから、司も光太郎さんに会ってることになるの。

これは昭和25年(1950)10月のことです。県綜合美術展のため、光太郎は山形を訪れています。審査は断りましたが、批評なら、ということでした。11月1日には料亭野々村で、翌日には山形市教育会館美術ホールで、美術講演会が催され、この際には女優・渡辺えりさんのご両親もそれを聴かれています。渡辺さんのお父様・正治氏は戦時中から光太郎と親交がおありでした。

光太郎からコトさんへの葉書というのも、『高村光太郎全集』等に漏れています。残っていればいいのですが……。

コトさん、戦後は身体が不自由になられたご主人を支えつつがんばられたそうでしたが、実は当方、まだコトさんがご存命とは存じませんでした。99歳だったそうで……天寿ですね。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

とどめ得ない大地の運行 べつたり新聞について来た桜の花びらを私ははじく もう一つの大地が私の内側に自転する

詩「もう一つの自転するもの」より 昭和7年(1932) 光太郎50歳

前年には満州事変、この年には傀儡国家の満州国建国、五・一五事件。翌年には国際連盟脱退と、この国は泥沼の戦争へと一歩一歩進んでいました。

そうした世情とは別に、自分の中には「もう一つの自転するもの」があると宣言していた光太郎ですが、智恵子の心の病がのっぴきならないところまで進むと、「わたくしの心はこの時二つに裂けて脱落し/闃として二人をつつむこの天地と一つに」(「山麓の二人」)なるのです。

明日から3日間、テレビ番組でぽつりぽつりと光太郎智恵子が取り上げられます。

まずは、これまでも時折光太郎智恵子を取り上げて下さっている、NHK Eテレさんの「にほんごであそぼ」。明日と明後日の放映で「あどけない話」がラインナップに入っています。さらにそれぞれ来月に入ってからも再放送があります。

にほんごであそぼ

2歳から小学校低学年くらいの子どもと親にご覧いただきたい番組です。日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることができます。

2017年6月28日(水)・7月12日(水) NHK Eテレ 6:35~6:45   再放送 17:00~17:10  
文楽/智恵子は東京に空が無いといふ「あどけない話」高村光太郎、うなりやベベン/触らぬ神に祟り無し(ことわざ)、ひゃくにん・いっしゅの百人一首劇場/契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山…(清原元輔)、歌/浜辺の歌、五十三次ロケンロー。

2017年6月29日(木)・7月13日(木) NHK Eテレ 6:35~6:45   再放送 17:00~17:10  
玉屋鍵屋、文楽/智恵子は東京に空が無いといふ「あどけない話」高村光太郎、ヨシタケ×山陽のおよおよ/「蟹工船」小林多喜二、歌/浜辺の歌、五十三次ロケンロー。


「文楽」とありますが、同番組では、豊竹咲甫太夫さんらによる人形浄瑠璃文楽で、古今の文学作品の一節を演じるコーナーがあります。


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金曜日には、BS放送の番組で。 

武田鉄矢の昭和は輝いていた 昭和のロングセラー蚊取り線香&コカ・コーラ

2017年6月30日(金) BSジャパン  21時00分~21時54分

「激動の時代」と言われた「昭和」は、日本人が振り返りたくなる魅力にあふれています。 この番組では、昭和を象徴する「人」「モノ」「できごと」から、毎回ひとつのテーマをピックアップ。当時の映像・写真を盛り込み、「昭和」の魅力を再発掘していきます!

◆夏のシンボル「金鳥・蚊取り線香」。長い間売れ続ける商品の隠された物語。渦巻きの秘密や、記憶に残る美空ひばりさんのCMに驚きの真実があることが判明!世界初の明治の蚊取り線香も登場。 ◆夏の清涼飲料水「コカ・コーラ」アメリカ発の飲料が日本で流行した立役者は?その知られざる苦労と懐かしのCMで、昭和の若者風俗を懐古します。

司 会 武田鉄矢 須黒清華(テレビ東京アナウンサー)
ゲスト 上山久史(大日本除虫菊株式会社専務取締役) 荻原博子(経済ジャーナリスト)
     町田忍(庶民文化研究所所長)

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コカ・コーラの項で、光太郎がちらっと紹介されるはずです。

光太郎の第一詩集『道程』に、「狂者の詩」という詩が収められています。初出は大正元年(1912)12月の雑誌『白樺』です。その中で「コカコオラ」の語が使われており、文学作品におけるコーラの最も早い使用例の一つです。

コーラと光太郎については、以前のこのブログでもご紹介しています。こちらをご覧下さい。

少し前に、花巻高村光太郎記念会さんから電話がありました。番組制作会社からの問い合わせに関してのヘルプ要請でした。問題は「狂者の詩」の読み方。「詩」一文字が「し」なのか、「うた」なのか、ということでした。

基本的にルビが振らていない漢字の読み方は、よほど度外れた読み方でない限り、不正解とは言えません。したがって、「し」と読んでも、「うた」と読んでもいいと思います。ただ、作者(光太郎)がどちらをイメージしていたのかを考えることは可能です。時代背景的に、「詩」を「うた」と読むようになるのはおそらくそれほど古い習慣ではないはずで、「し」の方が正解に近い気がします。だからといって、「うた」と読んだら×、というわけではないと思います。どうしても「うた」と読みたければ、どうぞ、それで結構――と答えておきました。

同様の問い合わせは結構あります。

少し前に、作曲家の野村朗氏からは、詩「樹下の二人」(大正12年=1923)に出てくる「愛の海ぞこ」の読み方を訊かれました。「うみぞこ」か「うなぞこ」か、と。『広辞苑』を調べても、どちらの読み方も登録されていません。もはや、こういう場合にはどちらで読んでも不正解とは言えないでしょう。ただし、他の詩との整合性ということを考えると、明治40年(1907)作の「博士」という詩の中に、「大海底」と書いて「おほうなぞこ」とルビが振られている箇所があり、「うなぞこ」の方が正解に近いのかな、という気がします。しかし、だからといって、「うみぞこ」と読んでもダメ出しはできないでしょう。

固有名詞についても、結構困る場合があります。やはり野村氏から、それからそれ以前に「日曜美術館 智恵子に捧げた彫刻 ~詩人・高村光太郎の実像~」制作のお手伝いをしていた中で、詩「案内」(昭和25年=1950)中の「毒が森」に関して、レファレンス依頼がありました。光太郎が戦後の七年間を暮らした花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)付近の地名として、「うしろの山つづきが毒が森。」という一節があります。こちらは固有名詞ですから、さまざまな読み方は無いわけで、本当の読み方は「ぶすがもり」です。

狂言の題目にもありますが、猛毒のトリカブトの別名が「附子(ぶす)」。そこからの連想で、「毒」に「ぶす」と訓読みを当てる場合があり、地名やら人名やらで使われています。ちなみに不美人を「ブス」というのは、トリカブトを食べて苦悶する人のような顔、という連想から来ているとか。

光太郎の山小屋の裏山も、正しくは「ぶすがもり」です。サイト「岩手の自然 毒ガ森山塊」などにもそう紹介されています。ところが、地元でも「ぶすがもり」という地名が忘れられつつあるようで、毎年5月の花巻高村祭で、地元の方がこの詩を朗読しますが、「どくがもり」と読んでいます。もはや地名としての「ぶすがもり」が忘れ去られているのであれば、「どくがもり」と読んでもいいのかな、などと思っております。

こうした詩句の読み方に関しては、ある意味、これだという正解が存在しない場合が多いと思います。大切なのは、読む人それぞれが、これはどう読むのだろう、とか、こう読む根拠は、などと考えを廻らせることではないでしょうか。とはいうものの、エラいセンセイなどが、いわゆる「論文」で、たった一語の読み方にこだわって、ああでもない、こうでもないとやっているのを見ると、「木を見て森を見ず」の感がぬぐえませんが。

さて、「武田鉄矢の昭和は輝いていた」。「し」と読むのか「うた」と読むのか、とりあえず注視します。もっとも、テレビ番組の場合、収録の尺などの関係で、レファレンスした内容がばっさりカットされることも珍しくありません。光太郎に触れずじまい、と、それは避けていただきたいのですが、どうなることやら……。


【折々のことば・光太郎】

潔さと美と飢と入水とを等分に持つたドウベル 低くなり得ぬもの詩人ドウベル
詩「レオン ドウベル」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

レオン・ドーベルは、フランスの詩人。貧困の中でマルヌ川に投身自殺したそうです。パリにいた彫刻家・高田博厚がその胸像制作にあたり、光太郎も援助しました。

詩人が「低くなる」というのは、自分の主義主張を曲げ、大衆や権力者に阿(おもね)る作品を書く、ということでしょうか。それができなかったドーベルに、光太郎は真の詩人の姿を見ているのだと思われます。

ところが光太郎自身は、この頃から大政翼賛の方向へ梶を切り始めます。この年は満州事変のあった年でした。おそらく、智恵子の心の病を引き起こした、「都会のまんなかに蟄居」(「蟄居」 昭和22年=1947)するような生活への反省、そうした生活を続けることで自身も心を病みそうな予感、そういったものが、光太郎を動かしていったものと思われます。

0044月に亡くなった詩人の大岡信氏。『朝日新聞』に連載されていたコラム「折々のうた」などで、光太郎に触れて下さっていました。


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静岡三島の大岡信ことば館さん、大岡さんが永らく勤務されていた明治大学さん、そして大岡信研究会さんの主催で、追悼の集いが開催されます。

ご家族での密葬は既に終えられ、一般弔問者対象だということです。

大岡信さんを送る会

期 日 : 2017年6月28日(水)
時 間 : 18:00-20:00 (献花17:00~)
会 場 : 明治大学アカデミーホール(アカデミーコモン内3階)
       千代田区神田駿河台1-1

プログラム
 司会 桜井洋子(アナウンサー)
 1.開会の辞:西川敏晴(各主催者を代表して大岡信研究会会長による挨拶)
 2.弔辞
   弔辞① 粟津則雄(文芸評論家、フランス文学者、いわき市立草野心平記念文学館長)
   弔辞② 菅野昭正(世田谷文学館館長、フランス文学者)
   弔辞③ 谷川俊太郎(詩人)
 3.在りし日の大岡信さん(映像)
 4.ピアノ演奏:一柳慧(作曲家 ピアニスト)
 5.大岡信の詩の朗読:白石加代子(女優)
 6.ジュリエット・グレコの歌(映像)
 7.「大岡信さんと明治大学」:土屋恵一郎(明治大学学長)
  8.お礼のことば:大岡かね子

一般のお客様もご参加いただけます。
参加ご希望の方は、平服でお越しください。会費はいただきません。
また供花、供物、御香典はすべてご辞退させていただきます。


谷川俊太郎さんをはじめ、錚々たるメンバーですね。大岡氏の功徳のほどが偲ばれます。かくありたいものです。


【折々のことば・光太郎】

腹をきめて時代の曝しものになつたのつぽの奴は黙つてゐる。 往来に立つて夜更けの大熊星をみてゐる。 別の事を考へてゐる。

詩「のつぽの奴は黙つてゐる」より 昭和5年(1930) 光太郎48歳

「のつぽの奴」は、身長180㌢超の光太郎です。詩の冒頭近くにも使われています。

親爺のうしろに並んでゐるのは何ですかな。へえ、あれが息子達ですか、四十面を下げてるぢやありませんか、何をしてるんでせう。へえ、やつぱり彫刻。ちつとも聞きませんな。(略)いやにのつぽな貧相な奴ですな。名人二代無し、とはよく言つたもんですな。

舞台は昭和3年(1928)4月16日、東京会館で行われた光太郎の父・高村光雲の喜寿祝賀会です。口さがない参会者のひそひそ話(だいぶ「盛っている」ような気がしますが)を引用しているという設定です。

光太郎にしてみれば、世間並みの栄達など、縁もなければ興味もありません。しかし、世間的にはそれでは通用しないわけで、確かにある種の「曝しもの」ですね。しかし、祝賀会からの帰り道、天極に輝く大熊座(北斗七星)を見上げ、その立ち位置を甘んじて受けようと覚悟を語っています。

大岡信さん曰く、

昭和の四、五年頃に「詩・現実」という雑誌に高村が詩を発表しているんです。あれは一種同伴者的な雑誌ですけど、あの中でこの種の高村の詩を見ると、むしろ一番急進的で左翼的なんです。迫力があります。断言のいさぎよさみたいなので、他の人のはインテリ的な口振りがつきまとうから、マルクス主義について言っても、アナーキズムについて言っても、どことなく間接的なんですけど、高村の詩が出てくると非常に強烈ですね。
(「討議 超越性に向かう詩人の方法 その生涯をつらぬいたもの」 『現代詩読本 高村光太郎』 昭和53年=1978 思潮社)

なるほど。

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昨日の『朝日新聞』さんに載った訃報です。

西郷竹彦さん死去

 西郷竹彦さん(さいごう・たけひこ、本名・隆俊=たかとし、文芸教育研究協議会会長)12日、急性肺炎で死去、97歳。葬儀は家族のみで営む。喪主は妻京子さん。同協議会が7月29日に神戸市で開く「文芸研神戸大会」の中で、「偲(しの)ぶ会」を催す予定。著書に「西郷竹彦文芸・教育全集」など。

『東京新聞』さんにも、ほぼ同一の訃報が掲載されたようですが、他紙はネット上では見あたりませんでした。

当方、氏の御著書を一冊持っており、朝刊を広げてお名前を訃報欄で目にし、「あらららら……」と思った次第です。

それが黎明書房さんか004ら平成5年(1993)刊行の『名詩の美学』。小中高の教科書に採用されたものを中心に、光太郎を含む30余名の近現代詩人の作品を取り上げ、「美の構造仮説にもとづく解釈」(「はじめに」より)が為されています。

どちらかというと国語教員向けに書かれたようで、カバーには「小・中・高における詩の「読解鑑賞指導」の限界を明らかにし」という文言も記されています。版元の黎明書房さんは、教育関係図書の出版で実績を持っています。西郷氏ご自身、訃報にあるとおり、文芸教育研究協議会会長であらせられ、鹿児島県立短期大学文学科で教鞭を取られていました。

しかし、純粋に教員向けかというとそうでもなく、授業指導のあり方を提案するとかではないので、いわゆる「教育書」の範疇には入りません。個々の詩の作品論集成です。

光太郎詩は「ぼろぼろな駝鳥」(昭和3年=1928)が扱われています。題して「たがいに異質な感情の止揚――高村光太郎「ぼろぼろな駝鳥」」。

終末部分を引用させていただきます。

 この詩の美の構造を図式的に表現するならば、次のようになるだろう。
 怒りの口調に悲しみの心を述べる。悲哀の姿に滑稽をさえ感じさせ、さらに滑稽であることでいっそうのみじめさ、哀れさをひきおこさせる。卑属にまみれた姿の中に超俗の姿を、また失われた聖なるものの姿を垣間見せる。美をねがい救いを求め、理想にあこがれる姿に愚と聖を同時にとらえ、小さな素朴の中に無辺大の夢を追う。つまり駝鳥にして駝鳥にあらざるもの――人間――をともに描き出す。
 ここに、この詩の美の構造を見ることができる。たんに〈怒り〉〈憤怒〉〈批判〉〈抗議〉とのみ見てはならない。

なるほど。

調べてみましたところ、「増補版」が平成23年(2011)の上梓、まだ在庫があるようです。目次は以下の通り。

 序 現実をふまえ、現実をこえる世界―佐藤春夫「海の若者」
 1 矛盾するイメージの二重性―井伏鱒二「つくだ煮の小魚」
 2 美の典型をとらえる―村野四郎「鹿」
 3 一瞬にして永遠なる世界―三好達治「大阿蘇」
 4 イメージの筋が生みだすもの―小野十三郎「山頂から」
 5 現実と非現実のあわいの世界―中原中也「一つのメルヘン」
 6 象徴化されていくプロセス―萩原朔太郎「およぐひと」
 7 日常性に非日常を見る―長谷川龍生「理髪店にて」
 8 心平詩〈つづけよみ〉―草野心平「天」「作品第拾捌」「海」
 9 否定態の表現―中野重治「浪」
 10 たがいに異質な感情の止揚―高村光太郎「ぼろぼろな駝鳥」
 11 現実が虚構である世界―丸山 薫「犀と獅子」
 12 無意味(ナンセンス)の意味―谷川俊太郎「であるとあるで」
 13 自他合一の世界―安水稔和「水のなかで水がうたう歌」
 14 一即一切・一切即一―高見 順「天」
 15 自己の存在証明―石原吉郎「木のあいさつ」
 16 天を見下ろす逆説―山之口 貘「天」
 17 自己分裂・喪失の悲喜劇―藤富保男「ふと」
 18 根拠なき推理の生む虚像―藤富保男「推理」
 19 生命の芽ぶくドラマ―安東次男「球根たち」
 20 まとめられぬまとめ―詩の美のかぎりない多様さ
 21 二相ゆらぎの世界(宮沢賢治)―その1「烏百態」
 22 二相ゆらぎの世界(宮沢賢治)―その2「永訣の朝」
 補説 西郷文芸学の基礎的な原理―主として「話者の話体と作者の文体」について

ぜひお買い求めください。


なお、当方、もう一冊、氏の名が「監修」でクレジットされている書籍も持っています。しかし、重大な瑕疵のあるものですのでご紹介は控えさせていただきます。ただし、その瑕疵に西郷氏は関わっていません。あくまで出版社としての矜恃を持たない間抜けな版元のボーンヘッドで、監修者としての氏が実に気の毒に思われます。

閑話休題。改めまして、謹んで西郷氏のご冥福をお祈り申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

憤りか必至か無心か、 この人はただ途方もなく 無限級数を追つてゐるのか。
詩「刃物を研ぐ人」より 昭和5年(1930) 光太郎48歳

「刃物」は彫刻刀や鑿の類、「刃物を研ぐ人」、「この人」は光太郎自身です。

まさに飽くなき美の探求、そこに生涯をかける意志の表出ですが、それはどこまでいっても終わりのない道程でもあります。人生もとっくに後半生に入っていることを自覚し、残された時間で自分はどこまで進めるだろう、という、青年期の単なる無邪気な夢の追求では済まされない、悲壮感も読み取れます。

そしてそっくり我が身にも……と感じる今日この頃です(笑)。

出版社コールサック社さんから、季刊詩誌『コールサック』の第90号が届きました。昨年の連翹忌に主幹の鈴木比佐雄氏がご参加下さり、そのご縁から毎号送って下さっています。恐縮です。

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その上、毎号のように光太郎に触れて下さっていて、その点でも恐縮です。3月に発行された第89号では、光太郎と交流のあった山梨出身の詩人・野澤一(明37=1904~昭20=1945)のご子息で、連翹忌ご常連の野澤俊之氏が、父君に関するエッセイを寄せられていました。題して「神秘の湖〝四尾連湖〟に寄せる思い」。

今号では、野澤一の詩、9篇が掲載されています。すべて野澤生前唯一の詩集『木葉童子詩経』から選ばれています。そして野澤のプロフィールの中で、光太郎に触れられています。

『木葉童子詩経』は、昭和9年(1934)、6年間に001わたる山梨県四尾連湖畔に丸太小屋を建てての独居自炊の様子を謳ったもので、光太郎にも贈られました。

光太郎から野澤への礼状が遺っています。

啓上 “木葉童子詩経”一巻今日拝受、 忝く存じます、
以前原稿の御送附をうけてそれぎりになつてゐた事を思ひ出しました、其時は丁度妻が危篤状態の際で一切を放擲してゐた時でした、
妻の病気はまだ続いてゐますが 今は読書の余裕も出来ました、早速拝読します、

日付は昭和9年(1934)4月25日。智恵子の心の病がのっぴきならなくなり、千葉九十九里浜に転居していた智恵子の母・センと、妹・節子一家のもとに智恵子を預ける直前です。

「危篤状態」云々は、昭和7年(1932)、睡眠薬アダリンを大量に服用しての、智恵子の自殺未遂を指します。

その後、野澤は昭和14年(1939)から翌年にかけてと、死の直前に、光太郎にあてて近況報告やらその時々の思いやらを綴った書簡を実に数百通、ほとんど一方的に送り続けました。いずれも3,000字前後の長いもの。光太郎からの返信はほとんどなく、ほぼ一方通行の書信です。

そのエネルギーに押されてか、光太郎は、随筆「某月某日」(昭和15年=1940)中で、野澤をして次のように評しています。
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二百通に及ぶこの人の封書を前にして私は胸せまる思がする。そしてこれこそ私にとつての大竜の訪れであると考へる。私は此の愛の書簡に値しないやうにも思ふが、しかし又斯かる稀有の愛を感じ得る心のまだ滅びないのを自ら知つて仕合せだと思ふ。

『木葉童子詩経』は、昭和51年(1976)と、平成17年(2005・右画像)に、文治堂書店さんから再刊されています。

一昨日のこのブログで、文治堂書店さん創業者の渡辺文治氏の訃報を書きまして、その中で、当会顧問の北川太一先生の「惚れ込んだ売れそうもない良い本を、少しずつ世に送り出」すという同氏の姿勢に受けた感銘を紹介いたしました。こう言っては失礼ですが、この『木葉童子詩経』もその一冊といえそうです。

さらにはこうした無名詩人を毎号取り上げる『コールサック』も、社は違えど、同じにおいを感じます。

それぞれ出版文化の継承という意味でも、意義のある仕事です。継続していただきたく存じます。そして願わくは、「売れそうもない」という状態でなくなることを、と思います。


【折々のことば・光太郎】

うそは決してつくまい、 正しい人にならう、真理を究めよう、 すなほに、やさしく、のびのびと、 朝日のやうにいきいきと進まう。

詩「春の一年生」より 昭和5年(1930) 光太郎48歳

光太郎の手元に残された草稿に「冨山房教科書一年生用のために」とのメモ書きがあります。

以前にも書きましたが、「一年生」といっても、冒頭近くに「小学校はもう昔」とあるので、小学一年生ではなく、小学校卒業後に進む、旧制中学校(5年制)や高等女学校などの一年生でしょう。

ただ、この詩が載った当時の教科書がまだ確認できていません。情報をお持ちの方は、こちらまでご教示いただければ幸いです。

それにしても、昨今話題の「もりかけ問題」(蕎麦は関係ありません(笑))関係者に朗読させてみたいものです(笑)。

一昨日、昨日に続き、今月行われる朗読系イベントのご紹介を。

今日は仙台からの情報です。 

朗読とテルミンで綴る 智恵子抄

期     日 : 2017年6月24日(土)
時     間 : 午後の会 14:30 開場 15:00 開演    夜の会 18:30開場 19:00 開演
会     場 : Jazz Me Blues Nola(ジャズミーブルースノラ)
          仙台市青葉区錦町1-5-14ノーバル・ビル1F 
料     金 : 前売り \3,500  当日 \4,000   ワンドリンク付き
問い合わせ : Happy Voice Project (アライ) 070-5474-3444
出   演 : 朗読 荒井真澄     テルミン 大西ようこ
後   援 : 一般財団法人 花巻高村光太郎記念会   高村光太郎連翹忌運営委員会

~ 詩人・彫刻家 高村光太郎が綴った夫人への愛の詩集『智惠子抄』
  テルミンの哀愁あふれる旋律と共に、二人の想いが現在に蘇る

朗読(予定):
 『智惠子抄』より
  「人に」「人類の泉」「樹下の二人」「あなたはだんだんきれいになる」
  「あどけない話」「風にのる智惠子」「千鳥と遊ぶ智惠子」「レモン哀歌」「亡き人に」
 『智惠子抄その後』より
  「メトロポオル」「あの頃」「案内」

演奏曲目(予定):
 星めぐりの歌(宮沢賢治) 『智惠子抄』より(清道洋一)
 『三つの情景』より(田中修一)『二つの風舞』より(橘川琢)
  浜辺の歌(成田為三)  白鳥(サン=サーンス)
  愛の哀しみ(クライスラー) モルゲン(R.シュトラウス)

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というわけで、朗読家の荒井真澄さんと、テルミン奏者の大西ようこさんとのコラボによるコンサート。それぞれ、数年前から「智恵子抄」系での活動などもいろいろなさってこられた方々です。

荒井さん。

大西さん。 

きちんとしたコンサートでのご共演は今回が初めてとなりますが、連翹忌の取り持つ縁で意気投合されたお二人、これまでもちょこちょことコラボが実現していました。


仙台方面で光太郎智恵子事績について調査することもありますので、当方も馳せ参じます。皆様もぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

これが出来上ると木で彫つた山雀が あの晴れた冬空に飛んでゆくのだ。 その不思議をこの世に生むのが 私の首をかけての地上の仕事だ。

詩「首の座」より 昭和4年(1929) 光太郎46歳

「首の座」は、人が首を切られるときに座る場所、またはそのような絶体絶命の状況。「土壇場」ともいいます。できれば座りたくない場所ですが……。

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光太郎、自分の彫刻制作は、首の座に据えられてやるような、命がけの仕事だと言っているわけですね。

「山雀」は「やまがら」。日本全域に広く分布している野鳥です。ただし、光太郎が彫ったという山雀の木彫は確認できていません。(「白文鳥」や「うそ」は現存していますが)。

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もしかすると、出来上がったところで本当に飛んで行ってしまったのかもしれません(笑)。「画竜点睛」の故事を下敷きにしているようですね。

6月は各地で光太郎詩を取り上げて下さる朗読イベントなどがいろいろあります。

まず、山梨県韮崎市から。

大人の為の朗読会・朗読のつどい 

心に響く詩や文学作品を耳から味わいます。他者の選ぶ本の良さを体感し、読書の幅を広げてみませんか?

期     日 : 2017年6月17日(土)
時     間 : 午後2時から3時
会     場 : 韮崎市市民交流センターNICORI ニコリ2階会議室9
            山梨県韮崎市若宮一丁目2番50号
料     金 : 無料
問い合わせ   : 韮崎市立大村記念図書館 0551-22-4946
プログラム   :
 梅薫る         藤沢周平 作    朗読・深澤恵美子さん
 頭のふりかけ購入記   東海林さだお 作  朗読・飯久保博幸さん
 蜘蛛の糸        芥川龍之介 作   朗読・斎藤豊子さん
 智恵子抄        高村光太郎 作   朗読・金丸芳子さん
 注文の多い料理店    宮沢賢治 作     朗読・清水薫さん

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このブログで繰り返し述べていますが、光太郎詩――というか詩に限らず散文なども――意外と朗読向きです。そういうふうに意識して作っていたわけではないのでしょうが、日本語に対する鋭敏な感覚が行き届いているため、結果として、朗読してみると非常にしっくりし、日本語としての美しさが際だつように思います。

むろん、内容が伴ってのことです。朗読してみてリズム感にあふれ、語感もすばらしい、しかし、では、その作品を通して何を訴えたいの? 内容が無いよう、と、つっこみたくなる作品が取り上げられることが多々あります。その点、光太郎作品は、大自然への讃仰、人間賛歌、さまざまな人々へのエール(それが昂じて戦時中には道を踏み誤りましたが)など、いずれも単純そうに見えてそれぞれひとひねりがあり、いいもの揃いです。

プロアマ問わず、朗読愛好者のみなさん、ぜひ光太郎作品をどんどん取り上げて下さい。


【折々のことば・光太郎】

その詩は姿を破り姿を孕む。 その詩は電子の反撥親和だ。 その詩は眼前咫尺に生きる。

詩「その詩」より 昭和3年(1928) 光太郎46歳

「咫尺」は「しせき」と読み、その前の「眼前」と同じく「至近距離」の意。詩は人情の機微や人間生活に密着したものでなければならない、的な考えの表出と捉えたいところです。

一昨日、千葉県八千代市の秀明大学さんに
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行って参りました。同大のサイトに「近代文学展示館」の情報がアップされ、これは、と思った次第です。

同大学長の川島幸希氏、近代文学初版本コレクターとして有名な方で、氏のコレクションを中心に、平成24年(2012)から毎年の学祭「飛翔祭」で、それらを展示するコーナーを設けられていました。初年が「芥川龍之介展」、以下、「梶井基次郎展」、「宮沢賢治展」、「太宰治展」、そして昨年は「夏目漱石展」。それぞれ新発見を含むとんでもなく貴重な稀覯本や肉筆ものの展示があり、毎年、報道されていました。

当方、平成26年(2014)の「宮沢賢治展」を拝見に伺いました。大正3年(1914)の光太郎第一詩集『道程』私家版(通常と異なる三方金の装幀、識語署名入り)など、光太郎がらみの展示品も数多く並んでいたためです。

で、同大図書館の一角に、「近代文学展示館」が設置され、5年分の展示に関わる資料が並べられているということで、またそれらが拝見できるかと思い、行って参りました。

結果的には私家版『道程』は展示されていませんでしたが、ぽつぽつと光太郎に関わるものが並んでおり、興味深く拝見しました。

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部屋は3室に分かれ、第1室が「夏目漱石展」資料。初版本や草稿などのカラーコピーが中心でした(他室も同様)。

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『吾輩ハ猫デアル』上、明治38年(1905)。

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左は『心』、大正3年(1914)、右が「坊つちゃん」が収められた『鶉籠』、明治40年(1907)。

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光太郎は文展(文部省美術展覧会)の評をめぐり、漱石にかみついたことがありました。権威的なものへの反抗、という意味では、光太郎は「坊つちゃん」的性向が色濃かったように思われます。


第2室に、「太宰治展」、「宮沢賢治展」、「梶井基次郎展」関連。

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太宰初版本の数々。

光太郎と太宰、面識はなかったようですが(あったとしても、戦時中、文学者の大きな会合などで顔を合わせた程度)、太宰実兄の津島文治が青森県知事として光太郎に「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の制作を依頼したり、佐藤春夫や三田循司など、共通の友人知己がいたりといったことはありました。

『高村光太郎』全集には、太宰の名は児童文学者・堀尾勉にあてた書簡で1回だけ出てきます。

太宰治の事は一種の時代の象徴と感じます。

書かれたのは昭和23年(1948)、太宰自裁直後です。


そして「宮沢賢治展」のコーナー。

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光太郎も編集に名を連ね、装幀を担当した最初の『宮沢賢治全集』(文圃堂、昭和9年=1934)が置いてありました。

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飛翔祭の時もそうでしたが、自由に手に取れるというのがすばらしいところです。

他の部屋もそうなっていますが、壁には学生さんたちによるさまざまなレポートなど。光太郎が碑文を揮毫した花巻の賢治詩碑についてのものもありました。

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大きく報道された新発見の賢治書簡。ただしこの手のものはカラーコピーです。

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続いて「梶井基次郎展」。

梶井の名は『高村光太郎全集』には出てきませんが、まったく光太郎とつながりがなかったかといえばそうでもなく、同じ雑誌に寄稿したりしています。

昭和5年(1930)の『詩・現実』。光太郎詩の中では有名な方の部類に入る「のつぽの奴は黙つてゐる」、それから梶井の「闇の絵巻」が掲載されています。

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第3室は、まるまる「芥川龍之介展」関連。

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芥川の名も、太宰同様、『高村光太郎全集』には一度だけの登場です。昭和19年(1944)刊行の詩集『記録』で、各詩篇に前書きをつけた中の、「北東の風、雨」のもの。

「資本論」の定訳が普及せられ、一方、芥川龍之介全集の刊行が着手せられたのも此年である。

昭和2年(1927)という年についての説明です。


詩人としてある程度著名だった光太郎ですが、こうしてみると、いわゆる「文壇」の人ではなかったというのが実感されます。「私は何を 措 いても彫刻家である。彫刻は私の血の中にある。私の 彫刻がたとひ善くても悪くても、私の宿命的な彫刻家である事には変りがない。 」(「自分と詩との関係」、昭和15年=1940)と語っていた光太郎、やはり自分の意識としてはそうだったのでしょう。

さて、秀明大学さんの近代文学展示館。事前の申し込みが必要ですが、上記のようにいろいろ貴重なものを手に取れたり、写真撮影もOKだったりと、破格の好条件で見られる機会です。ぜひご利用下さい。


【折々のことば・光太郎】

その詩は奥の動きに貫かれてゐる。 その詩は清算以前の展開である。 その詩は気まぐれ無しの必至である。

詩「その詩」より 昭和3年(1928) 光太郎46歳

いわゆる文壇から距離を置いていた光太郎が、詩を多作した理由についても、上記「自分と詩との関係」に述べられています。

 以前よく、先輩は私に詩を書くのは止せといつた。さういふ余技にとられる時間と精力とがあるなら、それだけ彫刻にいそしんで、早く彫刻の第一流になれといふ風に忠告してくれた。それにも拘らず、私は詩を書く事を止めずに居る。
 私は自分の彫刻を護るために詩を書いてゐるのだからである。自分の彫刻を純粋であらしめるため、彫刻に他の分子の夾雑して来るのを防ぐため、彫刻を文学から独立せしめるために、詩を書くのである。私には多分に彫刻の範囲を逸した表現上の欲望が内在してゐて、これを如何とも為がたい。その欲望を殺すわけにはゆかない性来を有つてゐて、そのために学生時代から随分悩まされた。若し私が此の胸中の氤氳を言葉によつて吐き出す事をしなかつたら、私の彫刻が此の表現をひきうけねばならない。勢ひ、私の彫刻は多分に文学的になり、何かを物語らなければならなくなる。これは彫刻を病ましめる事である。

まさに「奥の動きに貫かれ」た「清算以前の展開」、「気まぐれ無しの必至」だったというわけですね。

日本絵手紙協会さん発行の雑誌『月刊絵手紙』の2017年6月号をご紹介します。

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同誌では、これまでもたびたび光太郎智恵子を取り上げてくださり、先月号では「すべては「詩魂」ありてこそ 高村光太郎の書」という題で、10ページの特集を組んでくださっていました。

そして今号からは、「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」という新連載が始まりました。ありがたや。

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今月号は、詩「粘土」(大正3年=1914)から15行ほどが抜粋されています。サブタイトルの「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす」は、その最終行に含まれる詩句です。バックには光太郎ブロンズ彫刻代表作の一つ「手」(大正7年=1918)があしらわれています。

おそらく来月号以降もこんな感じで続くのでしょう。いつまでも続けていただきたいものです。

同誌は一般書店での販売は行っておらず、同会サイトからの注文となります。1年間で8,700円(税・送料込)。お申し込みはこちらから。


【折々のことば・光太郎】

その詩をよむと詩が書きたくなる。 その詩をよむとダイナモが唸り出す。 その詩は結局その詩の通りだ。

詩「その詩」より 昭和3年(1928) 光太郎46歳

光太郎は詩人として著名ですが、評論などの散文では詩の方法論的なものをほとんど書き残していません。

代わりに、というわけでもありませんが、この「その詩」が、光太郎の考えていた詩の方法論を端的に示しています。ただし、あくまで詩ですので、直截な表現ではなく、象徴や比喩を多用し、しかし味わい深い方法論が展開されています。

NHK Eテレさんの子供向け番組「にほんごであそぼ」。「楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることができる番組」というコンセプトで、時折、光太郎の詩を取り上げて下さっています。今週、ひさびさに光太郎詩が使われます。

にほんごであそぼ

NHK Eテレ 2017年5月11日(木) 6:35~6:45  再放送 17:00~17:10(4月から放送時間変更)

2歳から小学校低学年くらいの子どもと親にご覧いただきたい番組です。日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることができます。今週はごもじもじ・リクエスト特集!歌舞伎/「菅原伝授手習鑑」竹田出雲・三好松洛・並木千柳、飛行機さんよう/「人に」高村光太郎、ごもじもじ、ちょい暗記/7級「十二ヶ月」、文楽/河童のゴーカート、歌/あかたすんどぅんち~しーやーぷー~、よさ恋そめし

出演 美輪明宏,神田山陽,三世 桐竹勘十郎,中村勘九郎,中村勘太郎,おおたか静流 ほか

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「飛行機さんよう」は、講談師の神田山陽さんのコーナーで、なぜか飛行機の着ぐるみを装着なさっています。下記は一昨年、「冬が来た」を扱って下さった回。

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今回は「人に」ということですが、光太郎の「人に」という詩は二つあります。

一つは明治45年(1912)7月作のもの。大正に改元となって9月、雑誌『劇と詩』への発表当初は「N――女史に」という題でした。大正3年(1914)の詩集『道程』に収められた際に「――に」と改題、内容もかなり改訂され、さらに最終的には昭和16年(1941)の詩集『智恵子抄』の巻頭を飾っています。

最終詩形がこちら。

   人に003

 いやなんです
 あなたのいつてしまふのが――

 花よりさきに実のなるやうな
 種子(たね)よりさきに芽の出るやうな
 夏から春のすぐ来るやうな
 そんな理窟に合はない不自然を
 どうかしないでゐて下さい
 型のやうな旦那さまと
 まるい字をかくそのあなたと
 かう考へてさへなぜか私は泣かれます
 小鳥のやうに臆病で
 大風のやうにわがままな
 あなたがお嫁にゆくなんて

 いやなんです
 あなたのいつてしまふのが――

 なぜさうたやすく
 さあ何といひませう――まあ言はば
 その身を売る気になれるんでせう
 あなたはその身を売るんです
 一人の世界から
 万人の世界へ
 そして男に負けて
 無意味に負けて
 ああ何といふ醜悪事でせう
004
 まるでさう
 チシアンの画いた絵が
 鶴巻町へ買物に出るのです

 私は淋しい かなしい
 何といふ気はないけれど
 ちやうどあなたの下すつた
 あのグロキシニヤの
 大きな花の腐つてゆくのを見る様な
 私を棄てて腐つてゆくのを見る様な  
 空を旅してゆく鳥の
 ゆくへをぢつとみてゐる様な
 浪の砕けるあの悲しい自棄のこころ
 はかない 淋しい 焼けつく様な
 ――それでも恋とはちがひます
 サンタマリア
 ちがひます ちがひます
 何がどうとはもとより知らねど
 いやなんです
 あなたのいつてしまふのが――
 おまけにお嫁にゆくなんて
 よその男のこころのままになるなんて


おそらく、今回の「にほんごであそぼ」で取り上げて下さるのは、これでしょう。平成25年(2013)の放映でも、こちらが取り上げられました。

追記 午後になって番組公式ホームページが更新されました。それによるとやはり「いやなんです」の「人に」でした。

もう一つの「人に」は、大正2年(1913)の作。やはり智恵子をモチーフとしますが、詩集『道程』に採られたものの、詩集『智恵子抄』には収録されませんでした(草野心平編の新潮文庫版『智恵子抄』 昭和31年=1956には入っています)。その分、前記「人に」より知られていません。

   人に

 遊びぢやない
 暇つぶしぢやない

 あなたが私に会ひに来る005
 ――画もかかず、本も読まず、仕事もせず――

 そして二日でも、三日でも
 笑ひ、戯れ、飛びはね、又抱き
 さんざ時間をちぢめ
 数日(すうじつ)を一瞬に果す
 ああ、けれども
 それは遊びぢやない
 暇つぶしぢやない
 充ちあふれた我等の余儀ない命である
 生である
 力である
 浪費に過ぎ過多に走るものの様に見える
 八月の自然の豊富さを
 あの山の奥に花さき朽ちる草草や
 声を発する日の光や
 無限に動く雲のむれや
 ありあまる雷霆や

 雨や水や
 緑や赤や青や黄や
 世界にふき出る勢力を
 無駄づかひと何うして言へよう
 あなたは私に躍り
 私はあなたにうたひ
 刻刻の生を一ぱいに歩むのだ
 本を抛つ刹那の私と
 本を開く刹那の私と
 私の量は同(おんな)じだ
 空疎な精励と
 空疎な遊惰とを
 私に関して聯想してはいけない
 愛する心のはちきれた時
 あなたは私に会ひに来る
 すべてを棄て、すべてをのり超え
 すべてをふみにじり
 又嬉嬉として


こちらもいい詩ですね。もっと知られてほしいものです。


さて、「にほんごであそぼ」。ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

正しさ、美しさに引かれるから 磁石の針にも化身するのだ。 あたりまへな事だから 平気でやる事をやらうとするのだ。

詩「当然事」より 昭和3年(1928) 光太郎46歳

「磁石の針にも化身」は、光太郎が好んで揮毫した「いくらまはされても針は天極をさす」に関わります。ぶれない自分の表象です。

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「正しさ、美しさに引かれ」、「あたりまえな事」を「平気でやる」。簡単なようで、難しいことです。

当方の所属するアマチュア合唱団は、全日本合唱連盟に加盟しています。そちらの会報、といいながらA4判120ページ超の厚い雑誌形態をとる『ハーモニー』第180号が団に届きまして(割り当てで団として購読しなければなりません)、一冊、もらってきました。新刊の楽譜やCDの新譜、コンサート情報などで、時折、光太郎作詞の合唱曲の情報が載っているためです。

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意外なところに、光太郎智恵子の名が。

毎号ではない不定期の掲載のようですが、「歌のふるさと 歌碑をたずねて」という連載があります。この場合、歌碑の「歌」は短歌の「歌」ではなく、「歌曲」の「歌」。合唱曲、独唱曲を問わず、歌曲の歌詞が刻まれた、全国に建つ碑を紹介するページです。これまでに、「箱根八里」、「宵待草」、「早春賦」、「小さい秋みつけた」などが紹介されています。

今号では、群馬の前橋に建つ「チューリップ」碑(「さいた さいた チューリップのはなが……」 井上武士作曲・井上と近藤宮子作詞)および、品川にある「レモン哀歌」碑が紹介されています。

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光太郎、智恵子 愛と悲しみの絶唱「レモン哀歌」

 「そんなにもあなたはレモンを待つてゐた/かなしく白くあかるい死の床で…」
 彫刻家で詩人の高村光太郎が妻・智恵子の最期をうたった詩「レモン哀歌」の碑が東京都品川区にあります。光太郎・智恵子というと福島のイメージが強いのですが、智恵子は品川区南品川のゼームス坂病院で亡くなりました。病院はすでにありませんが、その跡地に地元の団体によって、この碑が建てられました。
 二人の愛の軌跡、詩集「智恵子抄」は清水脩氏により音楽化され、「智恵子抄巻末のうた六首」は合唱の名曲として親しまれています。「智恵子抄」の中の一編である「レモン哀歌」も鈴木憲夫、西村朗、平吉毅州といった人たちが合唱曲にし、近年では鈴木輝昭氏の曲を智恵子の母校の後身である福島県立橘高校が歌い、コンクール全国大会(第62回・金沢)で金賞を受賞しました。
 「レモン哀歌」は「…写真の前に挿した桜の花かげに/すずしく光るレモンを今日も置かう」で終わります。碑の前にはレモンが絶えません。
【アクセス】 JR京浜東北線・東急大井町線大井町駅・京浜急行線新馬場駅下車いずれも徒歩10分
 (元編集委員 川村泰志)


智恵子の歿した翌年(昭和14年=1939)001に作られた「レモン哀歌」は、元々、歌曲の歌詞として作られたものではなく、後世の作曲家の皆さんが曲をつけてくださったもので、「歌碑」というよりあくまで「詩碑」というのが当方の感覚ですが、このコーナーでの紹介、それもありかな、という気はします。

建立されたのは、智恵子没後50年の昭和63年(1988)。尽力してくださった「品川郷土の会」さんの当時の会長・土屋恒行氏、会員の武田喬氏が、昨年、相次いで亡くなりました。今回の記事、お二人にいいはなむけになるような気がします。

ここにあったゼームス坂病院は、大正12年(1923)の創立。院長の斎藤玉男は東京帝国医科大学を卒え、大正3年(1914)から翌年にかけ、ドイツ、アメリカに留学し、日本医科大学教授を経て、同院を開設しました。「学者としても一流で、人柄も温厚篤実の士として知られ、病院経営や精神衛生の制度面などから、多角的に積極的に発言」(『東京の市立精神病院史』昭和53年=1978、東京精神病院協会)したそうです。ちなみに斎藤茂吉は弟子筋に当たります。

昭和20年(1945)には、東芝大井病院と改称、心療内科は無くなりました。さらに同39年(1964)に東大井の現在地に移転、東芝中央病院、東芝病院と名称が変わり、現在に至っています。

碑は推定される智恵子の身長と同じに設計し、150㌢㍍ほど。光太郎の自筆原稿から文字を写しました。


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当方、20年ほど前にたしか2回見に行ったきりで、しばらくここを訪れていません。何やかやで近くの浜松町や駒場東大前などにはしょっちゅう行っていますが、都心ですとかえって「浜松町まで行ったからついでに南品川に」という感覚にならないから不思議です。

都心から離れれば離れるほど、「盛岡に行くからついでに花巻に立ち寄る」「名古屋に用があるのでついでに京都まで足を伸ばす」ということがあるのですが……。

閑話休題。『ハーモニー』さんの記事の最後に「碑の前にはレモンが絶えません。」とあって、数年経つと建てられたことすら忘れ去られてしまう文学碑が少なくない中、ありがたく存じます。

土屋氏、武田氏の追悼も兼ね、近々、20数年ぶりに行ってみようと思いました。みなさまもぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

桃の実は気高くて瑞気があつて いくらか淫靡でやや放縦で 手に持つてゐると身動きをする。 のりうつられさうな気はいがする。

詩「偶作十五篇」より 昭和2年(1927) 光太郎45歳

「レモン」ならぬ「桃」。 この頃手がけていた木彫「桃」に関わります。

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彫刻としての桃もそうですが、この詩からも桃のみずみずしい生命感が感じられますね。写真は光太郎令甥・髙村規氏によるものです。

東京調布市の武者小路実篤記念館さんからご案内をいただきました。

春の特別展 「武者小路実篤の出版事情 『白樺』『大調和』を中心に」

期 日 : 2017年4月29日(土)~6月11日(日)
場 所 : 調布市武者小路実篤記念館 東京都調布市若葉町1-8-30
時 間 : 午前10時から午後4時
休館日 : 月曜日
料 金 : 大人 200円   小・中学生 100円

いつも「言いたいこと」に満ちあふれ、何かを書かずにはいられなかった実篤は、明治43(1910)年に同人雑誌『白樺』を創刊して以来、ほぼ切れ目なく主宰雑誌を持ち、出版依頼が途切れれば自ら主体となって出版社を興してでも執筆を続けました。
『白樺』は全160号、順調に発行し続けられたかのようにみえますが、内実はどうだったのでしょうか。今回の展覧会では、発行所や印刷所・製版所など、あまり注目されることの少ない「出版の裏方・裏事情」にもスポットを当てます。
また、2017年は、実篤が昭和2(1927)年に雑誌『大調和』を創刊して90周年目に当たります。雑誌をよりどころにユニークな公募展を生み出した『大調和』。生涯を通じて幅広い交友を持った実篤の、人脈の源泉の一つはここに見いだせると言えるでしょう。
そのほか、実篤の発案で作られた日本で最初の文庫本「村の本」や、自作を振り返る機会ともなった全集の刊行などを取り上げ、絶え間なく続いた実篤の出版活動をたどります。

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『白樺』、『大調和』ともに武者小路の主宰した雑誌で、光太郎が主要執筆者の一人でした。そんなわけで、チラシ表面の集合写真には光太郎も写っています。

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後列左端にいる武者から一人おいて光太郎。智恵子と運命的な邂逅を果たした直後の撮影です。

光太郎、『白樺』には、明治43年(1910)11月の第1巻第8号から、大正12年(1923)年5月の第14巻第5号まで、多くの作品を寄せています。詩、評論、随筆、そして翻訳が多く、大正6年(1917)から翌年にかけては、連載も持っていました。アメリカの詩人、ウォルト・ホイットマンの「自選日記」、そして「ロダンの言葉」(これらは後に単行本化されました)です。『大調和』には、昭和2年(1927)から翌年にかけて、やはり詩や評論、随筆、翻訳などを寄せています。

その他、やはり武者が主宰した『生長する星の群』、『心』などの雑誌でも、光太郎は主要執筆者の一人でした。そんなわけで、昭和31年(1956)4月4日の光太郎葬儀では、武者が葬儀委員長を務めています。

おそらく今回の展示でも、光太郎にからむ内容となるでしょう。


関連行事として講演会が予定されています。

講演会 「『白樺』を支えた洛陽堂主人 河本亀之助」

期  日 : 2017年5月28日(日)
場  所 : 調布市東部公民館 東京都調布市若葉町1丁目29番地21
時  間 : 午後1時30分から3時
講  師 : 田中英夫氏 
      『洛陽堂 河本亀之助小伝 損をしてでも良書を出す・ある出版人の生涯』
          〈平成27
年 燃焼社〉著者
料  金 : 無料
定  員 : 50名
申し込み : 往復葉書で記念館へ

『白樺』の版元が洛陽堂に決まったいきさつには、河本、武者小路公共【きんとも】・実篤兄弟を引き合わせた、楽之会【らくしかい】(高島平三郎主催)の存在がありました。
また、13年5ヵ月続いた『白樺』の発行は160号を数え、1回を除き欠号もなく順調に継続していたかのように見えますが、内実はどうだったのでしょうか。
河本をとりまく人間模様や、発行者側の事情を中心に語っていただきます。


ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

彫刻はおそろしい。 圓いものを圓く作る。 圓いものが果して圓いか。 僭越は罰せられる。

詩「偶作十五篇」より 昭和2年(1927) 光太郎45歳

本当にたまたまですが、この詩も雑誌『大調和』に発表されました。

丸い物の丸い形を再現するのが具象彫刻ですが、彫刻家が設定するその丸さは、ある意味彫刻家の捉えた丸さです。3Dプリンタならいざ知らず、まったく正確な再現ではありません。まぁ、3Dプリンタとて、ナノレベルで見れば正確な再現はできていないでしょう。ましてや人間の手で、造物主たる神のような作業を行おうという、そこが「僭越」、と、当方は解釈します。

明日まで展示「検閲官 ―戦前の出版検閲を担った人々の横顔」が開催されている、千代田区立千代田図書館さんでの次の展示です。 

展示 10分で出会う吉本隆明展 ~晶文社『吉本隆明全集』によせて~

期 日 : 2017年4月25日(火)~7月22日(土)
場 所 : 千代田区立千代田図書館9階 展示ウォール 
       千代田区九段南1-2-1千代田区役所9階・10階
時 間 : 月~金 午前10時~午後10時 土 午前10時~午後7時  日・祝 午前10時~午後5時
休館日 : 第4日曜日
料 金 : 無料
主 催 : 千代田区立千代田図書館 晶文社

吉本隆明さんを知っていますか?
吉本さんは、思想家であり、文学者でもあります。若い方々には、「吉本ばななのお父さん」としてより広く知られているかもしれません。化学の専門教育を受けるいっぽう、詩人として世に出た彼は、会社勤めをしながら詩作や評論活動をつづけ、詩情と合理性をあわせもった思想家として、時代時代の世論や知識人に影響をあたえました。
吉本さんが「戦後最大の思想家」と呼ばれるほどのゆるぎない思想を、戦後の混沌とした価値観の中で打ち立てることができたのは、なぜなのでしょうか。さまざまな価値観がリアルタイムで共有される、「正解」のない現代、吉本さんの、何者にもよりかからない「自立」の力が、より魅力的に感じられます。
今年は平成24年の死去から5年、本展では吉本さんの人生と膨大な業績を、パネル・著書や関連書籍(一部を除き貸出可)・愛用品・書斎の写真などで紹介します。

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戦後、この国で初めて光太郎を真っ正面から取り上げた故・吉本隆明。当会顧問・北川太一先生とは、東京工業大学等でご同窓、光太郎がらみで終生、交流を続けられました。

その没後、晶文社さんから『吉本隆明全集』(全38巻・別巻1)の刊行が始まり、これまでに刊行された第5巻(月報に北川先生玉稿掲載)、第4巻、第7巻第10巻第12巻などで、光太郎に言及した文筆作品が所収されています。

その『吉本隆明全集』が第Ⅱ期刊行に入るということで、いろいろ行われている記念イベントの一環としての展示です。

先週には同じく記念イベントの一環、「糸井重里さん×ハルノ宵子さんトークイベント「はじめての吉本隆明」が開催されました。当方、申し込んだのですが、すでに先着順で定員に達しており、聴けませんでした。残念。

今回は関連行事として講演会が予定されています。 

講演会「ビジネスに活かす「吉本隆明」」

期 日 : 2017年5月24日(水曜日)
場 所 : 千代田区立千代田図書館9階=特設イベントスペース 
時 間 :  午後7時~8時30分
料 金 : 無料 定員50名 申し込み不要 先着順
講 師 : 山本哲士さん(文化科学高等研究院ジェネラル・ディレクター)

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ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

こほろぎの声をきくと、 物の哀れどころか、あべこべに、 十悪業が目をさます。 こんな男にかかつては、 詩も歌もおしまひです。

詩「殺風景」より 昭和2年(1927) 光太郎45歳  

「十悪業」は「じゅうあくごう」と読み、仏教用語です。「十悪業道」とも。

 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』によれば、(1) 殺生,(2) 盗み,(3) 邪淫,(4) いつわり (妄語) ,(5) 中傷 (両舌) ,(6) ののしり (悪口) ,(7) ざれ口 (綺語) ,(8) 貪り,(9) 怒り,(10) 誤った考え (邪見) の 10種。 (1) ~ (3) が身体動作に関するもの,(4) ~ (7) が言語表現に関するもの,(8) ~ (10) が心理作用に関するもの。

「殺生」や「盗み」はともかく、社会矛盾に対し痛烈な「怒り」を覚えていた光太郎、詩歌の中で「両舌」やら「悪口」やら「綺語」やらは、確かに開陳していました。光太郎にとっての詩歌は「花鳥諷詠」たり得ない、ということなのでしょう。

秋田から、生涯学習系の講座情報です。

【あきたスマートカレッジ】文学リレー講座~戦中・戦後の文学~高村光太郎

期  日 : 2017年4月22日(土)・5月27日(土)・6月24日(土)
会  場 : 秋田県生涯学習センター 秋田市山王中島町1-1
時  間 : 午前10時から午前11時30分まで
講  師 : 秋田県生涯学習センター シニアコーディネーター 北条常久氏
受講料  : 1回420円
内  容 :
  4 /22(土) 高村光太郎① 青年光太郎『道程』~彫刻家父光雲と詩人光太郎~
  5 /27(土) 高村光太郎② 光太郎と智恵子『智恵子抄』~智恵子の愛に清められ~
  6 /24(土) 高村光太郎③ 戦中・戦後の光太郎『暗愚小伝』~花巻高村山荘での生活~

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講師の北条常久氏には、『詩友 国境を越えて―草野心平と光太郎・賢治・黄瀛』というご著書があり、一昨年には、光太郎・宮沢賢治、黄瀛、そして草野心平をとりあげる講座を「支え合う文学者たち 『歴程』高村光太郎・宮沢賢治・草野心平・黄瀛」という講座を、同じ秋田生涯学習センターさんでなさいました。

今回は光太郎中心で、全3回。ありがたい限りです。リレー講座とあるのは、その後、他の講師の方々が3回ずつ、太宰治、三島由紀夫、大江健三郎に関しての講座を持たれるためです。

こうした市民講座的なものでも、光太郎智恵子、光雲などについて、もっともっと取り上げていただきたいものです。関係者の皆さん、ご検討を。

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【折々のことば・光太郎】

母を思ひ出すと俺は愚にかへり、 人生の底がぬけて 怖いもの がなくなる。 どんなことがあらうともみんな 死んだ母が知つているやうな気がする。

詩「母をおもふ」より 昭和2年(1927)
 光太郎45歳

右が光太郎の母・わか。この詩の書かれた2年前に大腸カタルで没しました。当会顧問北川太一先生の筆になる『高村光太郎全集』別巻の光太郎年譜のその項には、

純情で、江戸の昔のやり方を通し、自分を無にしていつも澄んでいた母の姿は、愛情深い典型的な女性として、光太郎の心の中に祀られる。

と記されています。

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