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朗読イベントの情報です。 

大人のための朗読会 『道一その先』000

期 日 : 2019年1月26日(土)
会 場 : 成増アートギャラリーB (成増図書館向かい側)
                           板橋区成増3-13-1 アリエスビル3階
時 間 : 14:00~15:00
出 演 : 朗読ワークショップ 声流
内 容 : おくのほそ道(松尾芭蕉)、蠅(横光利一)、
                           道程(高村光太郎)
料 金 : 無料
  : 直接または電話で成増図書館 03-3977-6078 定員:40名(申込順)


光太郎の「道程」を取り上げて下さるそうで、ありがとうございます。大正3年(1914)年の作品ですので、105年経ちますが、まだまだ現代人の心の琴線に触れる部分を持った詩だと思います。

読書離れ、活字離れといったことが言われている昨今ですが、そうした傾向に歯止めをかけるためにも、こうした取り組みは重要なことだと思われます。逆に朗読は静かなブームだそうで、それが「静かな」に終わらないようにとも思います。

やはりこうして公共図書館さんなどが普及に力を入れて下さるのが手っ取り早いし、ある意味、使命のような気がします。地方の小都市などではなかなか難しいのでしょうが……。


【折々のことば・光太郎】

詩の文学性が究められるのは啓蒙的に有意義だ。その研究者は大きな学的貢献を為すであらう。けれども詩の生命はいこぢにまで其の文学性に因由しない。文学性は詩の持つ性質である事を止めない。詩の発生は全く別個のところに始まる。必要に始まる。道草を許さないところに始まる。

散文「詩の文学性」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

詩は個々人の内部から、心の叫びとして自然発生的に生まれ、結果としてそれが文学性を持つ、ということでしょうか。はじめから文学性溢れる詩を書こう、というスタンスはありえないということにもなるでしょう。

そうした詩の持つ性質が、朗読に適しているということでしょう。

過日ご紹介した『朝日新聞』さんの記事「(危機の時代の詩をたどって:5)同調圧力、戦時中に重ねて」で取り上げられていた、詩人の鈴木一平氏の作品「高村光太郎日記」が載った詩誌『てつき1』を取り寄せました。 

てつき1

2018/11/25 いぬのせなか座 定価500円

メンバーによる作品で構成される刊行物『てつき』創刊号。
2018年10月27日に開催された「仙台ポエトリーフェス2018」での朗読原稿、ならびに同年8月25日に行われた『彫刻1―空白の時代、戦時の彫刻/この国の彫刻のはじまりへ』(トポフィル) 刊行記念トークイベントをきっかけに高村光太郎の戦争協力詩をめぐって制作された鈴木一平の新作「高村光太郎日記」をはじめ、詩・小説など最新10作品を掲載。

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鈴木氏の「高村光太郎日記」は、散文詩的な作品。明治末から最晩年までの光太郎詩から詩句を拾い上げ、ちりばめられています。逆行しようとする時代に生きる現代人の漠たる不安感が仮託されているというところでしょうか。

氏ご本人の解説より。

「高村光太郎日記」は、2018年10月27日に行われた「仙台ポエトリーフェス2018」での朗読原稿を下敷きにしている。
朗読で高村光太郎の詩、とりわけ戦争協力詩を取り上げることにしたのは、同年の8月25日に彫刻家の小田原のどかさん、詩人の山田亮太さんと参加した『彫刻1――空白の時代、戦時の彫刻/この国の彫刻のはじまりへ』(トポフィル)刊行記念トークイベントが直接的なきっかけ。

彫刻 SCULPTURE 1 ――空白の時代、戦時の彫刻/この国の彫刻のはじまりへ』は、昨年6月に刊行されています。そちらには、やはり『朝日新聞』さんの「(危機の時代の詩をたどって:5)同調圧力、戦時中に重ねて」でご紹介された、山田亮太氏の「報国」という詩が掲載されています。

このあたりで皆さんがつながっていたのかと、納得いたしました。

上記「いぬのせなか座」さんのサイトから注文できます。ぜひお買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

好きなものを買ふのは買ふ人個人の勝手だから、第三者から文句を言ふ限りでないには違ひないがその代り、下らないものを買つた人間が第三者から下らない人間だと思はれるのも已むを得ない。

散文「日本人の買つたフランス美術」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

のちに日仏芸術社を興す、画商であったエルマン・デルスニスが集めた現代作品によるフランス美術展は、第一回が大正11年(1922)に開かれ、この年、10周年を迎えました。そこで、過去の同展で購入された名品を並べるというコンセプトで、10周年記念展覧会が開催されました。

ところが、それを見た光太郎曰く「おしなべて日本人が買つたものはフランスの俗つぽい、低級な、若しくは中途半端な「程のいい」美術品が多い」「さもなければ「有名」な作家の「有名」な作の小型のもの」「実際あの展覧会の大半以上の絵画やデツサンは日本に不要のもの」。そして上記の一節に続きます。

結局、明治の頃から日本人の審美眼が発達していないことを嘆いています。

当会顧問・北川太一先生のご著書をはじめ、光太郎関連の書籍を数多く上梓されている文治堂書店さんが刊行されているPR誌――というよりは、同社と関連の深い皆さんによる文芸同人誌的な『トンボ』の第七号が届きました。これまで同様、表紙は春陽会会員の成川雄一氏。相変わらず味のある絵で、花を添えて下さっています。

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いつの間にか連載を持つことになってしまい、拙稿も載っております。だいぶ以前にこのブログでご紹介した、『高村光太郎全集』未収録の随筆「海の思出」についてです。従来不明だった、明治40年(1907)、ニューヨークからロンドンへ渡った際に乗った船が、かのタイタニックと同じホワイトスターライン社のオーシャニックという船だったことが判明した件について書きました。


当会顧問・北川太一先生の玉稿も掲載されています。

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文治堂書店さんから刊行された、服部剛氏の詩集『我が家に天使がやってきた ダウン症をもつ周とともに』の書評欄に、詩人や医師、学生の皆さんのそれとともに掲載されています。心を病んでから奇跡のような紙絵を制作し始めた智恵子に絡め、的確な評です。


また、「編集後記」では、光太郎を敬愛し、膨大な量の書簡をほぼ一方的に送り続けた詩人・野沢一に触れられています。野沢は「日本のソロー」とも称されています。

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昭和4年(1929)から同8年(1933)まで、野沢が独居自炊の生活を送った山梨県の四尾連湖で、野沢を偲ぶ集いが今年の10月にあったそうで、そのレポートを兼ねています。


……という『トンボ』第七号。来春の第63回連翹忌にご参加下さる方には進呈いたします(ギャラ代わりに現物支給でごそっと頂いておりますので(笑))が、その前にご入用の方は、文治堂書店さん(bunchi@pop06.odn.ne.jp)までご連絡下さい。


【折々のことば・光太郎】

完全無缺な人格のやうに書き上げられたものよりも私などには其の瑕だらけな処を見せられた方がうれしい。

散文「「一隅の卓」より 一」より 大正12年(1923) 光太郎41歳

光太郎が翻訳もした、ロダンの秘書であったマルセル・チレルの書いたロダン伝記の評です。

いったいに伝記というもの、描こうとする人物へのリスペクトが不可欠ですが、だからといって暗黒面をなかったことにしてはいけないものでもありましょう。批判ばかりでも仕方がありませんが。

NHK Eテレさんの楊枝教育番組「にほんごであそぼ」。たびたび光太郎詩を取り上げて下さっていますが、「牛」(大正2年=1913)が使われました。12月4日(火)に最初の放映があり、来週18日(火)、再放送されます。 

にほんごであそぼ

NHK Eテレ 2018/12/18(火) 6時35分~6時45分/17時00分~17時10分

楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることができる番組。今回は、牛はのろのろと歩く…「牛」高村光太郎、投稿ややこしや、絵あわせ百人一首、歌/銀河鉄道の夜。

出演 美輪明宏、野村萬斎、野村裕基、小錦八十吉、おおたか静流 ほか


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「牛」は長い詩ですので、抜粋で。子供たちが入れ替わり立ち替わり、ワンフレーズずつ朗読。

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締めは、美輪明宏さん。

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過日、やはり「牛」からのインスパイアを含む、和合亮一さんの新刊詩集『QQQ』をご紹介した際にも書きましたが、子供達にはポジティブな「牛」を味わってほしいものです。

そのためには、大人たちが「平凡な大地」を子供たちに残してやらなければなりません。「放射線まみれの危険な大地」でなく、「平凡な大地」を、です。


【折々のことば・光太郎】

潜心(アリエエル パンセエ)のない、ただの縮小や模型は、彼にとつて何の可笑味もない。

散文「量の有する滑稽性」より 明治44年(1911) 光太郎29歳

「アリエエル パンセエ」は仏語の「arrière pensée」。「潜心」、つまり「心を落ち着けて一心に考えること」の意です。

元々の大きさ(量)に意味があるものを、無理矢理に縮小しても、滑稽にしかならないという論旨です。例として上げている一つがパリの凱旋門。今やパリ名所となっていますが、元々はローマ皇帝セプチミウス・セヴェルスがローマに建てさせた高さ21メートルのものを模し、ナポレオンが高さ15メートル足らずでイミテーションを作らせたもの。同様に、富士山を立体模型にしても雄大な感は得られない、と、まぁ、そのとおりですね。

同じような例、さらには場違いな建築装飾や、猿真似的な西洋の模倣が東京じゅうに溢れかえっている、という警句です。現代にも通じますね。

光太郎と交流があった北原白秋を主人公とする来春公開の映画「この道」のノベライズです。光太郎も登場します。ちょい役ですが(笑)。 

この道

2018/12/03 大石直紀著 小学館 定価1700円+税

童謡誕生100年に制作された映画『この道』の脚本から生まれたオリジナル小説。稀代の詩人・北原白秋と天才音楽家・山田耕筰の交流を通して人間味溢れる表現者たちの人生を描く。さらに映画の原点となった長編小説『ここ過ぎて 白秋と三人の妻』の著者である瀬戸内寂聴と北原白秋を演じた大森南朋、山田耕筰を演じたAKIRA、瀬戸内寂聴の秘書・瀬尾まなほによる『この道』スペシャル座談会、瀬戸内寂聴と主題歌を歌うEXILE ATSUSHIとAKIRAのスペシャル鼎談も収録。EXILE ATSUSHIが歌う主題歌「この道」CD付き。001

目次
プロローグ
第一章 三人の妻
 俊子(としこ) / 章子(あやこ) / 菊子(きくこ)
第二章 童謡の創作
 山田耕筰との出会い / 軍靴(ぐんか)の足音
エピローグ
「この道」スペシャル座談会
  瀬戸内寂聴 大森南朋 AKIRA 
瀬尾まなほ
「この道」スペシャル鼎談
  瀬戸内寂聴
ATSUSHI AKIRA


映画は未公開ですが、おそらくほぼ小説版の内容どおりだろうと思われます。この際ですから映画版もご紹介します。

この道

公 開 : 2019年1月11日(金) 全国ロードショー
上 映 : TOHOシネマズ日比谷ほか
出 演 : 大森南朋(北原白秋)  EXILE AKIRA(山田耕筰)  貫地谷しほり(北原菊子) 
      松本若菜(北原俊子)
 柳沢慎吾(鈴木三重吉) 羽田美智子(与謝野晶子)
      松重豊(与謝野寛) ほか
監 督 : 佐々部清
脚 本 : 坂口理子
音 楽 : 和田薫
配 給 : HIGH BROW CINEMA

 自由奔放な天才詩人・北原白秋と、西洋音楽を日本に導入した秀才音楽家・山田耕筰。この二人の友情から日本の「歌」が生まれた。もし彼らが居なかったら、日本の音楽シーンは全く違っていたかもしれない。童謡誕生100年の今年、白秋の波乱に満ちた半生を、耕筰との友情とともに、笑いと涙で描き出す映画『この道』。今、日本歌謡誕生の瞬間に立ち会うことができる。
 日本の子供たちの心を表す新しい童話や童謡を作りだそうと、文学者・鈴木三重吉は「赤い鳥」を1918年に創刊した。童謡もこの児童文芸誌の誕生とともに生まれたことになる。白秋と耕筰もここを舞台に名曲「からたちの花」や「この道」などを発表した。それまで、日本の子どもたちの歌は、各地に伝承されてきた「わらべ歌」か、ドイツから入ったメロディーに日本語の歌詞を乗せた「ドイツ童謡」しかなかった。日本人による日本人のための新しい歌が、白秋・耕筰コンビらによって生まれたのだ。
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監督が佐々部清氏と知り、驚きました。平成28年(2016)、光002太郎の『智恵子抄』もモチーフとして使われた「八重子のハミング」監督だったからです。ちなみに「八重子のハミング」で主演されていた升毅さんも、軍人の役でご出演されます。

先述の通り、光太郎はちょい役ですが、明治44年(1911)に開催された白秋詩集『思ひ出』出版記念会のシーンで登場します。そちら、史実では神田の都亭というレストランだったのですが、小説、映画では箱根の富士屋ホテルとなっていました。演じる役者さんは伊㟢充則さんという方だそうです。

与謝野夫妻が重要な登場人物で、寛を松重豊さん、晶子を羽田美智子さんが演じられます。羽田さん、平成27年(2015)、NHKさんの「趣味どきっ!女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門 第5回「智恵子、愛と死 自省の「道程」 高村光太郎×智恵子」」に出演され、その際には、いずれぜひ智恵子の役を演じてみたいとおっしゃっていましたが、姉貴分の晶子役です。美人すぎる晶子のような気がしますが(笑)。

それから、童謡歌手という設定で、安田祥子さん、由紀さおりさん姉妹もご出演。なかなか豪華なキャストです。

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小説版では終盤、戦争の激化と共に、白秋、晶子、そして山田耕筰が翼賛詩歌を作らざるを得なくなるという話になります。この辺り、光太郎の歩みと関連し、興味深く拝読しました。それぞれの人物が戦争協力に際し、仕方がなかったのだ、という描き方でした。

その点、光太郎は、荒廃した人心を救いたいという意図はあったものの、智恵子を亡くした心の空白を埋めるかのような積極的な戦争協力で、戦後は多くの若者を鼓舞して戦地に送ったことを恥じ、「自己流謫」――自分で自分を流罪に処する――に入ります。

そういえば明後日、12月8日(土)は太平洋戦争開戦の日ですね。毎年の事ですが、自称「愛国者」「憂国の士」が、ネット上で光太郎自身が戦後に全否定した翼賛詩を紹介してありがたがる憂鬱な日です。

小説版の特別付録、「スペシャル座談会」で、瀬戸内寂聴さんが発言なさっています。

それ(白秋や山田耕筰のような人であっても戦争に翻弄されてしまう)が戦争なの。それがあの時代なの。戦争はすべてのものを奪っていくのです。今、日本はいつまた戦争になるかわからない状態です。映画でも戦争前夜を描いていますが、それと似た嫌な空気になっている。戦争は絶対あっちゃいけません。私は明日死ぬ命ですが、若い人たちには未来がある。それなのに戦争になったら、真っ先に戦場に連れて行かれるのは若い人たちなのです。映画を作った人が、そこまで考えていたかわかりませんが、これは「反戦」の映画でもあるのです。だから、若い人にこそ観てほしい。

その通りですね。

明日も「この道」関連で。


【折々のことば・光太郎】

日本を出でしは二月の霙ふる頃なりしを、今は早や青葉に樹々は埋もれ候。此間に為したる事、感じたる事、考へたる事、小生にとりてはまことに尠からず、此頃やうやく静かに眼をあげて世の有様を見るを得る様になり申し候。殆ど此れ迄に経験なき感情の中に幾月かを費やし候。

散文「紐育より 一」より 明治39年(1906) 光太郎24歳

与謝野夫妻の『明星』に掲載された、おそらく寛宛の書簡そのままの一節です。初めて海外に出、見るもの聞くものすべて新しい経験に、戸惑いつつも希望に胸ふくらませる若き光太郎の姿が見て取れます。

先週、H氏賞詩人で宮沢賢治の研究家としても知られる入沢康夫さんの訃報が出ています。 

入沢康夫さん死去 詩人・宮沢賢治研究

 実験的001な作風で1960年代以降の現代詩をリードした詩人で、宮沢賢治研究の第一人者としても知られた入沢康夫(いりさわ・やすお)さんが10月15日に亡くなった。86歳だった。
 松江市出身。仏文学者で明治大教授を務めた。55年に詩集「倖せそれとも不倖せ」を発表。68年の詩集「わが出雲・わが鎮魂」では、古事記などを踏まえた神話的世界を先鋭的な表現で作り出し、60年代以降の現代詩を代表する存在の一人となった。同作で読売文学賞を受賞。82年の詩集「死者たちの群がる風景」で高見順賞、94年の「漂ふ舟」で現代詩花椿賞など受賞多数。98年に紫綬褒章、2008年に日本芸術院会員。
 宮沢賢治の研究では「新校本宮澤賢治全集」の編集委員を務めた。宮沢賢治学会イーハトーブセンターの代表理事を務め、宮沢賢治賞も受けた。
(『朝日新聞』2018/11/30)


光太郎と交流のあった賢治の研究家ということで、平成11年(1999)の『賢治研究』に掲載された「賢治の光太郎訪問」など、二人の交流についても論考を残されています。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

此の多くの無惨の死者が、若し平和への人類の進みに高く燈をかかげるものとならなかつたら、どう為よう。

散文「小倉豊文著「絶後の記録」序」より 昭和24年(1949) 光太郎67歳

小倉豊文は明治32年(1899)生まれの元広島大学名誉教授。千葉県生まれですが(千葉には小倉姓、意外と多くあります)、旧制広島文理科大学卒業後、同校助教授だった昭和20年(1945)8月6日に、原爆投下に遭いました。奥様はその後、原爆症で亡くなり、その経緯を綴ったのが『絶後の記録』です。

小倉は『宮沢賢治の手帳研究』(昭和27年=1952)を著すなど賢治研究でも知られ、入沢氏と同じく宮沢賢治賞を受賞しました。おそらく二人は面識があったと思われます。

このところ、2週間おきぐらいにこの手の投稿をしているような気がしますが、光太郎の名がでた新聞雑誌の記事を数本。

まずは『毎日新聞』さん高知版。11月11日(日)の掲載です。 

支局長からの手紙:僕の後ろに道は /高知

 久しぶりのいい知らせでした。弊社003主催の毎日農業記録賞で、高知市の農業、吉村忠保さん(46)が中央審査委員長賞に輝きました。46回目となる今年、一般部門には218編の応募があり、4段階にわたる審査を経て、吉村さんの「つなぐということ~中山間地域からの情報発信」が最優秀賞に。食用の花「エディブルフラワー」に着目し、軌道に乗せるまでの経緯をつづりました。応募の時点から優れた内容だと思っていましたが、全国トップの賞、さらに農林水産大臣賞までとは想像しませんでした。
 「ひと」で紹介するため、土佐山弘瀬の自宅を訪ねました。高知市に移り住んだ者にとって、土佐山地区の険しさには驚かされます。市街地からほんの30分走っただけでまるで秘境。山が迫り、巨岩の転がる谷が広がります。そんな鏡川沿いの自宅で吉村さん夫妻が出迎えてくれました。
 エディブルフラワーは生食のため、できるだけ農薬の使用を控える必要があります。先輩農家を訪ね、工夫を重ねてようやく栽培できるようになったそうです。しかし売れません。直売所に持って行っても「花が食べれるがかえ?」と聞かれるばかり。それでも日曜市に店を構え、シェフなどの間に少しずつ広まっていきました。
  「自分たちが作ったものを『可愛い』『面白い』とお客さんが買ってくれる。喜んでもらえる顔を見ることが何よりうれしい」。2人はホームページで積極的に情報を発信し、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)も駆使して販売網を広げています。お小遣いを握りしめた女の子が、日曜市で買ってくれたことが忘れられないと言います。
 吉村さんには多くの顔があります。かつて役場に勤務し、村議やサラリーマンの経験もあるそうです。現在は農業だけで生計を立てており、高知市中心部の農協特産センター「とさのさと」の出荷者協議会会長としても活躍します。本業とは別にアマチュア劇団で舞台監督の顔もあるそうです。
 そんな経歴をお聞きし、失礼ながら「こういう人こそが新しいことに挑戦するのだろう」と感じました。好きな言葉を伺うと、「僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる」とおっしゃいます。ご存じ、高村光太郎の詩です。本人も自覚しているのだ、と心の中で拍手を送りました。
 そんな吉村さんには大切な助っ人がいます。摘み取った花を加工し、SNSに写真をアップし、商談会や日曜市にいつも同行する妻の奈々さん(40)です。吉村さんが「奈々なしではできない」と言うほどのおしどり夫婦ぶりです。受賞作では女性を農業経営に参画させる必要性、女性ならではのセンスの重要性も説きました。
 地元のテレビ番組でも取り上げられ、エディブルフラワーは大きな注目を集めています。しかし市場規模はまだ小さく、吉村さんでさえ収入全体の3分の1を占める程度だと言います。今後の目標を伺うと、「加工用のユズ、直売所向けの野菜と合わせ、全体の出荷額を上げていきたい。農業は面白い。それをぜひ伝えたいのです。障害のある子どもたちが生き生きと畑で働いている姿を見たことがあります。そんなこともいつかやってみたい」。道は切り開いていくもの。その言葉に実感がこもっています。 【高知支局長・井上大作】

毎日農業記録賞は、「農」「食」「農に関わわる環境」への関心を高めるとともに、それそれに携わる人たち、これから携わろうとする人たちを応援する賞だそうです。

何と言っても「食」は人間生活の根本にかかわる事柄ですし、「食」に直結する「農」に携わる皆さんには、本当に頭が下がります。


続いて同じ『毎日新聞』さんの石川版、11月22日(木)。 

沢知恵さん、詩人・永瀬清子を歌う ハンセン病療養所が結ぶ2人 24日、金沢 /石川

 金沢市で少女時代を過ごした詩人、永瀬清子(1906~95年)の作品を、歌手の沢知恵さん(47)が歌うライブが24日午後2時から、金沢市柿木畠のジャズ喫茶「もっもっきりや」 である。2人に面識はないが長く瀬戸内のハンセン病療養所に通い、詩を通じて入園者と交流したという共通点がある。沢さんは「金沢が育てた永瀬の世界に触れてもらえたら」と語る。
 永瀬は岡山県赤磐市出身で、幼少期から16歳までを金沢で過ごした。高村光太郎らと共に、宮沢賢治の遺稿から「雨ニモマケズ」を見い出した逸話が知られる。第二次世界大戦末期、戦火を逃れ東京から赤磐に戻ってからは、約40年間にわたり、 岡山県・長島にあるハンセン病療養所に通って入園者に詩を指導した。
  一方、沢さんは牧師の父に連れられ、生後6カ月で香川県・大島のハンセン病療養所「 大島青松園」を訪問。子供を持つことを禁じられた入園者たちに我が子のように可愛がられたという。東京芸術大在学中に歌手デビューし、2001年から毎夏、青松園でコンサートを開催。同園のハンセン病回復者で、高見順賞を受賞した詩人の故・塔和子と交流を深めた。14年に「高齢の回復者の最期の時に寄り添いたい」と千葉県から岡山市に引っ越し、大島と長島に通う。 沢さんは、「誰もが尊重され、自分の人生を全うできる世の中であってほしい」と願ったという永瀬の詩を「歴史文化に培われた金沢の繊細さと、岡山のどっしりした面がある。 震えるような感性の言葉がちりばめられている」と評する。
 24日のライブはピアノ弾き語りで、塔の作品も歌う。ゲスト出演は親交のあるフォークシンガー、中川五郎さん。

岡山県赤磐市出身の女流詩人で、昭和15年(1940)刊行の詩集『諸国の天女』の序文を光太郎に書いてもらうなどしている永瀬清子の紹介に、光太郎を使って下さいました。


お次は『福島民友』さん。11月23日(金)の記事です。 

包装紙完成「ほんとの空は希望のブルー」 12月から小売店活用

 県産品の風評払拭(ふっしょく)に向け、NPO法人ふくしま飛行協会などが開発していた包装紙のデザインが完成した。同NPOの斎藤喜章理事長が22日、県庁で鈴木正晃副知事に報告し「風評払拭の新たな手段としていきたい」と語った。
 包装紙は約1万部作製。お歳暮シーズンに合わせ、12月1日からJAふくしま未来、県生活協同組合連合会などの県内小売店で活用される。青を基調としたインパクトのある包装紙が県内外にお歳暮と一緒に届くことで、風評払拭と県産品の魅力拡大を狙う。
 デザインは福島ガイナの村上愛美造形部クリエーターが担当。詩人・彫刻家の高村光太郎が二本松市出身の妻智恵子との愛をつづった「智恵子抄」に登場する「ほんとの空」の青をイメージして蒼龍を描き、福島市の書道家半沢紫雪さんが「ほんとの空は希望のブルー」と揮毫(きごう)した。
 報告を受けた鈴木副知事は「さまざまな方の協力を得て完成した素晴らしいデザイン」と取り組みに感謝した。同NPOの甚野源次郎顧問、JAふくしま未来の菅野孝志組合長、県生活協同組合連合会の佐藤一夫専務理事、村上さん、半沢さんが一緒に訪れた。
 包装紙のデザインは29日の福島民友新聞社などに全面広告で掲載される。

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今年6月に、「ほんとの空」をイメージした包装紙を開発するという記事が出まして、それが完成したそうです。「蒼龍」というより「恐竜」という気がしますが(笑)。


さらに11月26日(月)の『福島民報』さん。11月18日(日)に開催された「高村智恵子没後80年記念事業 全国『智恵子抄』朗読大会」の模様が報じられています。

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写真は優秀賞に輝いたいわき市の吉岡玲子さん。「人類の泉」(大正2年=1913)を朗読なさいました。


最後に雑誌『月刊絵手紙』さん。12月号の連載「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」。昭和28年(1953)の講演会筆録「美と真実の生活」から。

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昭和26年(1951)、花巻郊外太田村の山小屋(高村山荘)に逼塞していた当時の写真が添えられています。


高村山荘といえば、隣接する花巻高村光太郎記念館さんで、来月から新たな企画展が始まります。また近くなりましたら詳細をご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

批評の照射は批評家の放出する光線の仕業である。その光線が在来通りならば照射されるものも亦在来の映像を露呈する。その光線が未知のものであれば、其処に未見の存在が現出する。批評家とはこの世の未知をおびき出していち早く存在の新生面を人間界に齎すもののことである。

散文「富士正晴詩人論集序」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳

なるほど、眼の曇った批評家にかかれば、作家の新しい面などには眼が向きません。的確な批評というものの必要性は、光太郎の言う通りですね。

とは言う条、批評のための批評、何とか新しい事を言わねばと無理くりひねり出した批評、批評という名の自己顕示、自分の事を棚に上げての批判のみに終始する批評などは、勘弁してほしいものです。

新刊情報です。 

QQQ

2018/10/31 和合亮一著 思潮社 定価2,400円+税

わたしたちそのものがこの風景だ? もはや疑問そのものが? 牛の姿をしている? (「QQQ」)

「わたしは夜になると/寂しい場所にある大きな刑務所へと歩きます/道なりが続いていて車も人もいないのです」(「蛾になる」)。騒然とした無人の現在を超え、全身で立ち上がる絶対的な問い。「現代詩手帖」連載時に反響を呼んだ「QQQ」を収録、和合亮一が挑む未来のためのシュルレアリスム! 装幀=中島浩

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各地の地方紙に、配信記事として書評が出ています。 

『QQQ』和合亮一著 埋められた言葉を掘り起こす 

 福島市に住む詩人の和合亮一は、2011年の原発事故の直後からツイッターで発信し続けた『詩の礫』で広く知られる。新詩集『QQQ』は現代詩への原点回帰であり、新たな跳躍でもある。シュールレアリスムの難解さとユーモア、恐怖と混沌がひしめき合い、共存している。
 作品全体を覆うのは、生きることの不条理だ。原発事故後に拡散した放射性物質の存在が、意識から去ることがない福島での暮らし。その中で不条理が幾重にも重なり、居座っていることが分かる。
 タイトルの「QQQ」は、クエスチョンのQを三つ連ねた。表題詩は、全ての行の最後に「?」が付いている。高村光太郎の詩「牛」を下敷きに、被ばくした牛をモチーフに据えて書いた。
「やせた牛はのろのろ歩く?/やせた牛は土を踏みしめて歩く?/やせた牛は平凡な草のうえを歩く?/足を右から出してまた右から出してまた右から出す?/尋ねてみたいことがある?/草を食べるってどういうこと?」「わたしたちそのものがこの風景だ?/もはや疑問そのものが?/牛の姿をしている?」(「QQQ」)
 疑問形でしか語れない風景が、詩に刻まれている。
 私は今夏、久しぶりに福島を旅した。車で福島市を出発し、飯舘村、南相馬市、そして浪江町へ。除染廃棄物が入ったフレコンバッグの山を至る所で見る。帰還困難区域が広がる。被ばくした牛たちが静かに草を食む。
 だが和合は私のような旅人ではない。住人として、この風景と向き合わなければならない。その生活は、あまりにもシュールだ。
「町に戻ってきても 良いということになった/飲料のための水が 貯められている 山の上のダムの底に/震災直後からの放射性物質が 沈殿している/それは 水とは決して混ざり合わないので//安全です その説明が 繰り返しなされた/人々は 心配でたずねる いや/大規模な 除染の作業などをして/かき回したりしないほうが良いのである と 教えられる」(「十二本」)
 異常ともいえる日常への怒りがひたひた伝わってくる。なにしろ、家の庭には汚染土が埋まっているのだ。いったいこの状況をどう受け止めろというのか。
「わたしの家の庭には 今もまだ/土の中に土が埋められています/言葉の中に言葉が埋められています」(「風に鳴る」)
 人はどんな異常にも慣れる。慣れなければ、叫ぶしかないからだ。慣れて言葉を失い、やがて沈黙する。しかし詩人は、異常と日常の間で、叫びと沈黙の間で、不条理のただ中で、埋められた言葉を掘り起こす。分かりやすい言葉ではなくても。
「ところで黒板は宇宙の半分である/わたしたちは十万年の歴史に火を点けたばかり」(「自由登校」)
(思潮社 2400円+税)=田村文


平成23年(2011)の東日本大震災後、SNS等も活用しながら詩を発信し、福島の現状を訴え続けたりもしている和合氏。光太郎ファンでもあられ、光太郎詩「牛」(大正2年=1913)を下敷きにした「QQQ」を、今年の『現代詩手帖』6月号に発表(そちらは存じませんでした)、他の近作と共にまとめた詩集です。

大正2年(1913)、光太郎は大地を踏みしめてゆっくりと力強く歩む牛に自らの姿を仮託しましたが、「QQQ」で牛に仮託されているのは、いまだ復興の進まない福島の歩み……。

他にも原発問題をモチーフとした詩が複数収められており、はっとさせられます。

「いくつかの街がそのまま ある日/空き部屋のような状態になってしまった/いつまでも次の住人はやって来ない/締め切ったままの部屋」 (「空き部屋」)

「〈生活圏外〉は「除染しない」のに/〈生活圏内〉は「再稼働」するのですか」 (「圏外へ」)

「この間 久しぶりに家に戻ったら/たくさんのネズミが行ったり来たりをしていた/子ども部屋の ミッキーマウスの ぬいぐるみが/ぼろぼろに囓られていて 情けなくて」 (「家族」)

どこが「アンダーコントロール」なのかと、問いたいところです。


ところで、光太郎の「牛」、というと、来週、NHK Eテレさんの幼児教育番組「にほんごであそぼ」で取り上げられます。近くなりましたらまたご紹介します。

子供達にはポジティブな「牛」を味わってほしいものです。そして大人の皆さんには、ネガティブにならざるをえない『QQQ』を味わってほしいものです。


【折々のことば・光太郎】

詩の言葉には冪がある。それ故わたしの持論としては詩の最善の鑑賞法は黙読にある。或は一行を読みかへし、或は数行を一度に読む。冪根がその間に展開する。書かれた言葉の並列だけしか読み得ない読者は最も浅い鑑賞者といはねばならない。しかし詩が言葉である以上、朗読によつて言葉の持つ威力が言葉自体の中から自律的に迸出して来て、発声による生きたニユウアンスが生れ、此処に又別の面が、朗読によるより外、味ふ事の出来ない面があらはれるといふ事も事実である。

散文「照井瀴三著「詩の朗読」序」より 昭和11年(1936) 光太郎54歳

「冪」は「べき」。高校の数学に出てくる「べき乗」の「べき」です。

光太郎、朗読することが最善の鑑賞法とは考えていませんが、朗読によっってしか表し得ないものもある、というスタンスですね。

11月23日(金)、ゆいの森あらかわさんを後に、都電荒川線で護国寺方面を目指しました。次なる目的地じゃ、文京区のアカデミー音羽さん。こちらで第63回高村光太郎研究会が開催されました。

例年、発表者はお二人。

まずは間島康子さん。文芸誌『群系』同人で、同誌に光太郎がらみの寄稿も何度かなさっています。

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発表題は「五篇の詩とその周辺」。文筆家の眼でご覧になった光太郎詩、という内容でした。

「五篇」は、「根付の国」(明治43年=1910)、「道程」(大正3年=1914)、「母をおもふ」(昭和2年=1927)、「のつぽの奴は黙つてゐる」(同5年=1930)、「ばけもの屋敷」(同10年=1935)。すべて光太郎詩の中では比較的有名なもので、それぞれ人生のターニングポイント的な時期の作でもあります。

また、ご発表を聴いていて感じたのですが、それぞれの詩に「自虐」的な要素が含まれているように思えました。「根付の国」は、欧米留学から帰って見た「日本人」のカリカチュア。この詩だけ読むと、痛烈な批判に見えますが、同時期の詩などを併せて読むと、描かれている対象の「日本人」には、光太郎自身も含まれています。「母をおもふ」と「のつぽの奴は黙つてゐる」には、世俗的な成功とは無縁で、父母に心配をかけたり、世間から白い眼で観られたりする自己の姿。そういう結果が予想されても、自分の信じる道を突き進むのだ、というのが先行する「道程」ですが、それとても「こんな自分にはとてつもなく困難な道になるだろう」という、一種の自虐が見て取れます。そして、そうした生活が智恵子の心の病を引き起こす一つの要因となったという「ばけもの屋敷」。

どうも光太郎というと、脳天気な人生賛歌のみの詩人、というイメージを持たれているような気がしますが、そんな単純なものではない、というところを声を大にして言いたいですね。

閑話休題、間島さん。かつてニューヨークご在住の経験がおありだそうで、光太郎が暮らしていた屋根裏部屋のアパートのあった場所(現在はリンカーンセンターという施設だそうで)、光太郎が通ったアート・ステューデント・リーグ(おそらく当時のままの建物)などの画像をレジュメに入れて下さっていました。



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ロンドンパリもそうですが、いずれ欧米各地の光太郎の足跡を追う旅など、してみたいものです。


続いてのご発表は、佛教大学総合研究所特別研究員の田所弘基氏。発表題は「「夏の夜の食慾」解釈」。

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「夏の夜の食慾」は、大正元年(1001912)の比較的長い詩。この時期の光太郎詩には、類例が他にもありますが、ある種の象徴として、さまざまな事物が一見脈絡もなく盛り込まれているものがあります。そこに脈絡を見いだし、どういったものの象徴なのかを細かく読み解こうという試みでした。つい読み過ごしてしまいがちな詩語の一つ一つの裏側に、なるほど、こういう背景があるのかと、興味深く拝聴しました。

田所氏曰く、食慾などの生理的な欲求のおもむくままの生活を一旦は封印し、「魂の国」を希求する態度が見て取れるとのこと。しかし、もう少し後になると肉体が欲する生理的現象を肯定的に受け入れていくようになるわけで、当方、どうしてもそこに智恵子との恋愛の成就が深く関係しているように思えます。

ちょうどこのテーマで論文を書かれているところだそうで、ご勤務先の研究紀要等に発表されるのでしょう。どんな論文になるか、楽しみです。


ところで、当会顧問の北川太一先生、おみ足の調子がよろしくないとのことで、外出は控えられており、不参加。残念でした。で、参加者はご発表のお二人を含めて10名でした。まぁ、もっと少ない年もあったのですが、さらに多くの皆さんのご参加を期待したいところです。何か良い方策はないものでしょうか。


【折々のことば・光太郎】

生れに由るほど動かし難い強さはないのである。

散文「臼井喜之介詩集「望南記」序」より 昭和19年(1944) 光太郎63歳

臼井喜之介は、大正2年(1913)生まれの詩人。その故郷・京都に生まれ育ち、そのことが「由緒の遠い旧都の地に人となつた同君の事とて、そのゆかしい雰囲気に纏綿する不可言の詩情が極めて自然にその詩に含蓄せられ」(上記同文)ているというのです。

遠く明治期に、日本初の印象派宣言とも評される「緑色の太陽」で、「僕等が死ねば、跡に日本人でなければ出来ぬ作品しか残りはしないのである。」と書いた、生まれ育った環境に対する、こちらは肯定的な言ですね。

昨日は「高村智恵子没後80年記念事業 全国『智恵子抄』朗読大会」についてレポートを書きましたが、近々都内で行われる光太郎詩を扱う朗読系公演を2本、ご紹介します。 

表現同人じゃがいも11月公演 光チーム

期   日 : 2018年11月23日(金・祝)~25日(日)
時   間 : 11/23 19:00~  11/24 13:00~  11/25 16:00~
会  場  : 小劇場じゃがいも村 中野区鷺ノ宮4-1-13 吉田ビル 地下1階
料  金  : 1,500円 (風チームとの通し観覧2,000円)

  水杜明寿香 「永訣の朝」 作:宮沢賢治  「火星がでてゐる」  作:高村光太郎
  山本真弓   「器量のぞみ」 作:宮部みゆき
  石井行    「眠り姫の国の話。」 作:石井行
  多田伸也   「走れメロス」 作:太宰治
  外丸麦    「雪だるまの幻想」 作:岸田國士 翻案:麦人

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平成26年(2014)に、同じ会場で「一人語り『智恵子とゐふ女』」という公演があり、拝見して参りました。その際に出演された声優の麦人氏のお弟子さん?的な方々のようです。

やはり声優の水杜明寿香さんが、光太郎詩「火星が出てゐる」(大正15年=1926)を朗読なさいます。


もう1件。 

joプロジェクト《キョウユウ》第7回公演 朗読館「文豪散歩」名作シリーズ【コンパクト版】第1/10集

期 日 : 2018年11月25日(日)
時 間 : 14:00 (開場:13:30)
会 場 : シネマハウス大塚 東京都豊島区巣鴨4-7-4-101
料 金 : 一般 1,800円  学生・22歳以下 1,500円

 「タイトルだけは知っている」「学校で習った」・・・けれど、実は読んだことがない、内容をすっかり忘れてしまった、という経験はありませんか? 長きに渡って読み継がれてきた作品は、時代を超え、瑞々しく、味わい深く、私たちの心に沁みてきます。普遍のテーマ、美しい言葉の響き。。。『文豪散歩』は、心に残りやすいよう作品をコンパクトにまとめ10回シリーズでお送りする朗読館。今一度、名作に触れてみてください。

菊地茜
 俳優。 お芝居空間イスモナティに立ち上げメンバーとして所属。舞台の他、朗読・読み聞かせの活動もして
いる。
 
野田香苗
 朗読家。活動名は、言葉と音楽を仲良しにする研究室「和みの風」。童話、小説、随想、詩を中心に既存の
作品を朗読する。和洋様々な楽器奏者との共演により音楽の力を信じ、言葉の響きを大切に作品の世界を届けている。ブログ http://wafuu.exblog.jp/

三田朱美
 フリーアナウンサー。joプロジェクト《キョウユウ》主宰。FM愛媛を経て、 フリー後は、bayfm、NACK5ほかFMラジオでニュースやパーソナリティーを。司会、カルチャースクール講師、企業VPナレーション、朗読等を中心に活動中。はなすきく主宰。

芥川龍之介作「杜子春」 宮沢賢治作「やまなし」 高村光太郎作「智恵子抄」より
壺井栄作「二十四の瞳」

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フリーアナウンサー・三田朱美さんとそのお仲間達のようです。「智恵子抄」から朗読をなさって下さるとのこと。


それぞれ今週末であまり日にちがありませんが、とりあえずご紹介しておきます。


【折々のことば・光太郎】

今の世にこれほど素直な、ありのままな詩を見るのは珍しい。しかもそれが正しい技術によつてゆるみなき表現を持ちおのづから人間生活の深い実相と感動とを人にさとらしめる。書いているところはほんの身辺の日常事であるが、それが不思議に瑣末の感を起させず、凡俗の気をきれいに絶つてゐる。

散文「大木實詩集「故郷」序」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳

大木實は大正2年(1913)生まれの詩人。

やはり他者の詩の評でありながら、光太郎の目指す一つの境地も表されているように感じます。

昨日は智恵子の故郷・福島二本松で、「高村智恵子没後80年記念事業 全国『智恵子抄』朗読大会」を拝聴して参りました。

会場は二本松コンサートホールさん。これまでもたびたび智恵子がらみの公演等で使われています。昭和63年(1988)開館ですが、ネオバロック風の味のある建物です。どうも、建築家の藤森照信氏による先月の碌山美術館さん開館60周年記念講演「碌山美術館の建築と建築家について」を聴いて以来、この手の建築を見ると「古典主義」だの「ロマネスク」だの「バロック」だの「ゴシック」だのと、気になってしかたがありません(笑)。

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午後1時、開演。

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最初に、過日、同じく「高村智恵子没後80年記念事業」の一環として行われました、「智恵子検定 チャレンジ! 智恵子についての50問」の表彰式。当方、プレゼンテーターを務めさせていただきました。

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その後、本編に。

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主催の智恵子のまち夢くらぶ・熊谷代表、来賓を代表して三保恵一二本松市長のご挨拶。

審査員の皆さん。

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閉会式でのショットですが、中央が審査委員長・福島大学名誉教授・澤正宏氏。左端は先述の熊谷氏、そのお隣が太平洋美術会の坂本富江さん、右から二人目で地元二本松にお住まいの詩人・木戸多美子さん、右端がやはり智恵子顕彰の団体で、智恵子を偲ぶレモン忌主催の智恵子の里レモン会会長・渡辺秀雄氏。

さて、いよいよ朗読。今回、24名の予定で募集したところ、26名応募があり、しかし1名の方はご欠席とのことで、25名となりました。当日開演前にくじ引きで順番を決め、前後半に分けて、まずは前半13名。

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休憩をはさんで後半12名。

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圧倒的に女性が多く、男性は3名でした。それから、その点がちょっと寂しかったのですが、県外からのご出場は2名のみ。ただ、県内の方々は、浜通りのいわき、相馬、南相馬、中通りでも郡山、福島、伊達など、地元二本松以外からのご参加の方が多く、その点はよかったと思いました。

皆さん、それぞれに工夫を凝らした朗読をされたり、朗読以外でご自分の思いを語られたり、いろいろでした。原発事故にからめて熱く想いを語られた方もいらっしゃいました。事前には25名という多人数ですので、途中でダレてしまうのでは? と危惧しておりましたが、そういうこともなく、終わってみればけっこうあっという間でした。

審査集計の間に、アトラクション。地元の箏曲サークル・福箏会さん。一昨年には智恵子生家で演奏をご披露なさいました。今回は定番の「六段」と、これも二本松市民のソウルソング「智恵子抄」。ちなみに作詞の故・丘灯至夫氏は二本松に近い小野町のご出身で、一昨日には品川プリンスホテルで「故丘灯至夫さんの作品を歌う会」があったとのこと。ほぼ毎年開催されていて、今年で15回目だそうです。

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ダンスサークル・スタジオGENさん。モンデンモモさんのCDをバックにソシアルダンス。

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このあとすぐに審査発表……のはずでしたが、審査が大もめだそうで、なかなか結果が出ません。それもそうでしょう。25名の方、本当に甲乙つけがたいところがありました。しかし、甲乙つけなければならないのが審査員のつらいところ(当方、審査員を仰せつからなくて本当によかったと思いました(笑))。

そして、いよいよ発表です。以下の通りとなりました。

 大賞   宮尾壽里子さん 埼玉県越谷市 「山麓の二人」
 優秀賞 緑川明日香さん いわき市     「樹下の二人」
   〃  吉岡玲子さん   いわき市     「人類の泉」
   〃  斎藤イネさん   南相馬市     「樹下の二人」
 特別賞 七海貴子さん   郡山市      「あどけない話」
   〃  宗像りか子さん  郡山市      「人に」
 奨励賞 丹治美桜さん   福島市      「レモン哀歌」
   〃  菅野久子さん   二本松市    「智恵子の切抜絵」

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大賞の宮尾さんは、詩人でもあり、都内で何度も「智恵子抄」系の朗読講演をなさっている方で、さすがにさすがでした(笑)。

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奨励賞のお二人のうち、丹治美桜さんは、最年少の小学4年生(右上画像)。先述の智恵子検定にも参加してくださいました。将来が楽しみです(笑)。もうお一方は、おそらく逆に最高齢、90歳になられたという菅野久子さん。詩ではなく散文の「智恵子の切抜絵」を読まれましたが、民話のような語り口で、味がありました。

その他の受賞者の皆さんも、それぞれにすばらしい朗読でしたので、納得です。ただ、「あの人が入らなかったのか」というのもあったのですが、受賞者数に制限がありますので、しかたありますまい。審査員の皆さんも泣く泣く枠に収めざるをえず、ご苦労なさったと思われます。

終了後、二本松駅前のアーバンホテルさんで懇親会。

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会場には、地元の書家の方の作品でしょうか、光太郎詩「あどけない話」を書いた軸。

書といえば、朗読大会の賞状は、手漉きの紙に、地元の方が手書きで書かれたそうで、そうしたお話も披露されました。

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先述の智恵子検定、当日、智恵子生家での個展のため受検できなかった、朗読審査員の坂本富江さん、問題を貰ってご自宅でやってみたそうで、すると、50点満点中の49点だったとのこと。非公式ですが特別に「ゴールドマイスター」の認定証授与。

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夢くらぶ熊谷代表がおっしゃっていましたが、智恵子顕彰にかかわっているおかげで、そうでなければ知り合うはずもなかったいろいろな人と輪を広げられるし、一番喜んでいるのは天国の智恵子ではなかろうか、とのこと。そのとおりですね。

朗読大会、これが初の試みでしたが、2回、3回と続いて欲しいものです。審査員はやりたくありませんが(笑)。


【折々のことば・光太郎】

美を追はずしておのづから美を樹てる。已むを得ざるところに発足するものは強い。
散文「田村昌由詩集「蘭の国にて」序」より
 昭和17年(1942) 光太郎60歳

田村昌由は大正2年(1913)北海道生まれの詩人です。

この手の光太郎の文章の特徴でもありますが、他者への評でありつつ、自らの求める詩の在り方をも色濃く示しています。

朗読大会、出場者の方々それぞれに、光太郎の「已むを得ざるところ」の心の叫びを表現して下さいました。泉下の光太郎も喜んでいることでしょう。

年に一度開催されている高村光太郎研究会が、今年も行われます。 

第63回高村光太郎研究会

期      日 : 2018年11月23日(金・祝)
時      間 : 午後2時から5時
会      場 : アカデミー音羽 3階学習室A 東京都文京区大塚5‐40‐15
参    加    費 : 500円
問い合わせ  : 03-5966-8383 (野末)

研究発表 :
  「五篇の詩とその周辺」     間島康子氏
  「「夏の夜の食慾」解釈」     田所弘基氏

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ご発表の間島康子氏は、文芸同人誌『群系』同人。同誌に光太郎がらみの論考等を何度か寄稿されていて、いつもお送り下さっています。

同じく田所弘基氏は、肩書きが変わっていなければ佛教大学総合研究所特別研究員。一昨年の高村光太郎研究会でもご発表なさいました。


当会顧問にして、晩年の光太郎をご存じである斯界の権威、北川太一先生も、ご体調がよろしければご参加下さいます。また、終了後には懇親会(別料金)も予定されております。

会には入会せずとも、聴講、懇親会参加のみも可能(事前の参加申し込み等は必要ありません)ですし、年会費3,000円で、研究会の案内、年刊機関誌『高村光太郎研究』が送られ、寄稿も可能です。


ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

詩人を忘れがたく思ふのにもふたいろある。所謂文化史的な意味から詩の進化のかどかどに忘れがたい功績をのこした詩人も心に残る。これがひとつ。又その詩が詩史上の相対関係の如何に拘らず直接に心をうつが故に忘れがたい詩人もある。これがひとつである。

散文「清水房之丞詩集「炎天下」序」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳

清水房之丞は群馬県出身の詩人。清水は後者だというのですが、光太郎は後者に属する多くの若い無名詩人の詩集などに、喜んで序跋文を寄せたり、装幀や題字揮毫を引き受けたりしました。ただ、本当にその作品なり人物なりに認めるべきものが無ければそうしませんでしたが。

この序文の原稿はご遺族の元に現存しており、平成16年(2004)、群馬県立土屋文明記念文学館さんで開催された企画展「群馬の詩人―近現代詩の革新地から―」に出展され、拝見して参りました。

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以前からこの件に関し、ちょこちょこ記述しておりましたが、いよいよ日にちが迫って参りました。 

高村智恵子没後80年記念事業 全国『智恵子抄』朗読大会

期   日  : 平成30年11月18日(日)
場   所  : 
二本松市コンサートホール 福島県二本松市亀谷1-5-1
時   間  : 午後1時から
観 覧 料 金   : 1,000円

発 表 時 間   : 『智恵子抄』、『智恵子抄その後』他、高村光太郎詩1作品の朗読と
         自分の想いを5分以内で
発  表  順  : 前半12名、後半12名を当日抽選で決定
          追記 昨日電話があり1人多い25名となったそうです。
朗読者参加費 : 2,000円(小中学生1,000円)
表   彰  : 大賞1名  優秀賞3名  特別賞 奨励賞若干名

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初の試みということで、参加者が集まるかどうか不安視されており、そこで、これまで各地で「智恵子抄」系などの朗読をなさった下さった方々をご紹介したところ、けっこう釣れました(笑)。

仙台ご在住で連翹忌でも朗読をしていただいた荒井真澄さん、いわき市に住まわれ、同市の草野心平記念文学館さんなどのイベントに出演されている緑川明日香さん、埼玉にお住まいで、都内で朗読イベント等を主催されている詩人の宮尾壽里子さん。それから、郡山で活動されている宗方和子さんにも案内を送っていただいたところ、宗方さんが講師を務められているカルチャースクールでの生徒さんが数名。

先月中頃の時点で既に23名の応募があり、あと1名、というお話でした。

審査委員長は、福島大学名誉教授・澤正宏氏。その他の審査員には、太平洋美術会の坂本富江さん、地元二本松にお住まいの詩人・木戸多美子さんなど。

当方は入っていません。山吹色の饅頭を貰って「お主もワルよのう」とやりたかったのですが(笑)。ただ、過日行われた「智恵子検定 チャレンジ! 智恵子についての50問」の表彰式を兼ねるそうで、表彰状授与をせよと命ぜられておりますので行って参ります。

その他、アトラクション的に地元の琴の団体さんの演奏なども予定されているそうです。

ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

詩人は機微を見る。寸言片語の間に底辺の全生活をも把握する。

散文「海野秋芳詩集「北の村落」序」より 昭和16年(1941) 光太郎59歳

海野秋芳は、大正6年(1917)、山形県出身の詩人です。結核のため昭和18年(1943)、27歳で早世しています。

海野の故郷・山形県西村山郡朝日町の朝日町エコミュージアムルームさんに、この文章の光太郎自筆原稿が収蔵、一般公開されています。

「全国『智恵子抄』朗読大会」に出場される皆さんには、光太郎の見た「機微」をぜひ表現していただきたいものです。

当会の祖にして、光太郎の年下の友人筆頭・草野心平を偲ぶ催しです。 

没後31回忌「心平忌」・第25回「心平を語る会」

期    日  : 平成30年11月11日(土)
場    所  : いわき市草野心平生家 いわき市小川町上小川字植ノ内6-1

時    間  : 11時〜13時30分
料    金  : 500円

内 容
 11時〜 墓前祭 読経後、記念撮影。
     常慶寺の心平墓前にて香華、心平ゆかりの故人への焼香
 11時40分〜 心平粥、心平餅の会食
 12時〜 小川の歌合唱
 12時10分〜13時 NUUさんミニライブ

唄 NUU(ぬう)氏
詩を書き、曲を産み、唄う人。2007年〜2009年、いわきアリオス「おでかけアリオス」アーティストとして来市、市内各地でコンサートを行う。2008年5月、草野心平の詩に曲をつけうたったアルバム「つんつん つるんぶ つるんぶ つるん」をリリース、草野心平記念文学館で全曲初演。

演 奏 良原リエ氏
音楽家。アコーディオニスト、トイピアニスト、トイ楽器奏者として映画「ターシャテューダー 静かな水の物語」をはじめ、TV、アニメ、CM、ミュージカルなどの演奏、制作に関わる。著書に「たのしい手づくり子そだて」(アノニマ・スタジオ)「トイ楽器の本」(DU BOOKS)など。

13時〜 詩の朗読とライアー(ハープ)演奏 本間ゆかりさん、栗原康子さん
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山梨県立文学館さんで開催中の企画展「歿後30年 草野心平展 ケルルン クックの詩人、富士をうたう。」のオープニングセレモニーにもご出演なさった声優・ライアー奏者の本間ゆかりさんはじめ、アトラクション系が充実しているようです。

ぜひ参上したかったのですが、同じ日に埼玉東松山で開催中の「高田博厚展2018」関連行事の野見山暁治氏と堀江敏幸氏の対談を予約してしまいましたので、欠礼いたします。この季節はこうした文化的行事が目白押しで、なかなか日程の調整が付きません。

代わりに、と言っては何ですが、皆様、ぜひどうぞ。

ちなみに当方が卓話(講話)を仰せつかった一昨年の様子がこちら。ご参考までに。


【折々のことば・光太郎】001

詩人とは特権ではない。不可避である。

散文「草野心平詩集「第百階級」序」より
 昭和3年(1928) 光太郎47歳

『第百階級』は、きちんと出版されたものとしては心平の第一詩集。今年で刊行90周年ですね。

光太郎は心平の才能を愛し、最大級の賛辞を送りました。詩人たらざるを得ない者のみが不可避的に詩人として存在し、心平もその一人である、といったところでしょうか。

もちろん光太郎自身も、でしょうが。

各地の公立図書館さん等での講座です。 

文学講座「近代詩歌の名作に親しむ秋」

期 日 : 2018年10月21日(日)
場 所 : 豊中市庄内公民館 大阪府豊中市三和町3丁目2番1号
時 間 : 13:30~15:00
料 金 : 無料
講 師 : 川内通生さん  (近代文学研究家)

近代を代表する詩人、石川啄木、宮沢賢治、高村光太郎について、一日ずつ、それぞれの作品を紐解きながら、その時代背景や考えかたを学んでみませんか。関連資料の紹介もあります。

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10月レコード鑑賞会 秋を感じる名曲集

期 日 : 2018年10月24日(水)
場 所 : コミュニティーCafé ぶんぶん 三重県亀山市東御幸町63 亀山市文化会館
時 間 : 13:30~15:30
料 金 : 500円(喫茶代)

故・加藤剛朗読による智恵抄、収穫の歌、小さい秋見つけた 他
※諸般の事情により、急遽曲目が変わる場合もあります

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朗読・朗読講座(大人のためのお話し会)

期 日 : 2018年10月27日(土)
場 所 : 三郷市立北部図書館  埼玉県三郷市彦成3丁目364番地
時 間 : 午後2時~3時30分頃まで 
料 金 : 無料

「奥の細道 立石寺(りっしゃくじ)~象潟(きさがた)」(松尾芭蕉作)の一部抜粋朗読とミニ解説
「道程」高村光太郎作 朗読講座 皆さんと一緒に朗読します。    
対象:16歳以上のかた 持ち物:筆記用具

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それぞれお近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

彼のやうな人にはめつたに会はない。この白皙の貴公子は巴里に生れればよかつた。このやうな詩人をあれだけで死なしめた日本の貧しさ、あはれさを思ひ、憮然とする。

散文「尾形亀之助を思ふ」より 昭和23年(1948) 光太郎66歳

尾形亀之助は、草野心平の『歴程』同人の詩人。明治33年(1900)、宮城県の素封家の家に生まれました。定職を持たず、実家からの仕送りで生活していましたが、実家の没落後は貧窮に陥り、昭和17年(1942)、衰弱死しています。

10月9日(火)、前日まで1泊2日で福島二本松、山形天童と廻っておりましたが、今度は北鎌倉に向かいました。明月院さんの上(歩いて365歩)の笛ギャラリーさんで開催中の「回想 高村光太郎 尾崎喜八 詩と友情 その七」拝見のためです。

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基本、カフェですが、店内の壁などを使ってギャラリーとしても活用されています。ご主人・山端氏の奥様が、光太郎のすぐ下の妹・しずの令孫にあたられます。ご近所には、光太郎と交流の深かった詩人・尾崎喜八がかつて住んでいて、今も令孫・石黒氏がお住まいです。

この日の午前中に伺うことをお伝えしておいたところ、石黒氏(右)もいらしていました。左は山端氏です。

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後ろの壁の中央に掲げられているのは、大正8年(1919)、雑誌『白樺』10周年記念の会が催された芝公園三縁亭での写真。

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後列左から、尾崎喜八、佐竹弘行、八幡関太郎、新城和一、椿貞雄、バーナード・リーチ、小泉鉄、近藤経一、木下利玄、岸田劉生、志賀直哉、長与義郎、そして光太郎。前列中央が武者小路実篤です。

左右には、肉筆を含む尾崎と光太郎の書。

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書籍類もずらり。

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そして、反対側の壁際には、光太郎ブロンズ「聖母子像」。

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大正13年(1924)、尾崎の結婚祝いに光太郎が贈ったもので、ミケランジェロの模刻です。石膏原型は既に失われ、鋳造もこれ一点しか確認されていない、非常に貴重なものです。毎年催されているこの展示でも、毎年展示されているわけではなく、まさに眼福。

尾崎の妻・實子は、光太郎の親友の作家、水野葉舟の娘。光太郎は實子を我が子のように可愛がっていました。

その他、ロマン・ロランと交流のあった尾崎関連で、ロランからの葉書(複製)、光太郎が装幀、題字を手がけた尾崎訳のロラン著書『花の復活祭』(昭和2年=1927)。

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尾崎や光太郎の肖像写真。

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それから、昭和2年(1927)刊の光太郎による書き下ろし評伝『ロダン』。「それ、サイン入りですよ」とおっしゃるので、確認してみましたら、なんとまぁ、高田博厚宛でした。


このあと、会期は11月6日(火)までの火曜、金曜および10月13日(土)、27日(土)、28日(日)。是非足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

今私の山小屋の外で北西の風が潮騒のやうに鳴つてゐる。ふかい積雪の上にオリヨンが南中を少し越えた。下弦の月はまだ出ない。時計はないが、まづ二十一時前後といふところだらう。丁度あの頃三河島の林家さんか東方亭に彼があらはれた時刻だ。黙つて隣へ坐りさうな気がする。

散文「倉橋弥一さん」より 昭和21年(1946) 光太郎64歳

倉橋弥一は光太郎より一世代あと、明治39年(1906)生まれの詩人です。昭和20年(1945)に、交通事故で死去。その追悼文の末尾の部分です。

「林家」、「東方亭」、ともに光太郎行きつけの飲食店で、倉橋もここによく来ていたとのこと。さりげなく書かれた中にも、深い哀悼の意が伺える名文ですね。

北鎌倉・明月院さん近くにある、光太郎の妹の令孫に当たる山端夫妻が営むギャラリー兼カフェ「笛ギャラリー」さんからご案内を頂きました。 

回想 高村光太郎 尾崎喜八 詩と友情 その七

期 日 : 2018年10月5日(金)~11月6日(火)
        火、金曜および10月13日(土)、27日(土)、28日(日)
場 所 : 笛ギャラリー 神奈川県鎌倉市山ノ内215 0467-22-4484
時 間 : 10:00~16:00
料 金 : 無料

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毎年この時期に催されており、ご近所に住まわれている、光太郎と交流の深かった詩人・尾崎喜八の令孫・石黒氏との共同開催で、両家に伝わる光太郎・喜八関連の資料を店内に展示なさいます。例年、光太郎や喜八の肉筆資料が展示されていますが、今年はそれプラス、ロマンロラン訳書なども並べるとのこと。

もう7回目で、目新しい物はないと謙遜されていましたが、貴重な資料が並ぶのは間違いありません。

当方、平成26年(2014)、27年(2015)、28年(2016)と、3回お邪魔しました。最初にお邪魔したときには、尾崎喜八のお嬢さんで、さらには光太郎の親友・水野葉舟の令孫でもあった榮子様(上記チラシ左端の少女)がご存命で、店内にいらっしゃり、智恵子に抱っこして貰ったことなど、いろいろ貴重なお話を聞かせていただきました。

今年は来週、参上いたします。皆様も是非どうぞ。


【折々のことば・光太郎】

もう一つ。此を書くのを忘れてはいけない。尾崎君に「みいちゃん」がついて居ることだ。實子さんは日本のマダムの最も好い手本である。この小父さんは實子さんを知つてゐる事が馬鹿にうれしい。實子さんの事ならいつでも二挺ピストルの役をつとめる気で居る。

散文「「渝らぬ友」――尾崎喜八――」より 昭和3年(1928) 光太郎46歳

喜八に関する評論の末尾の部分です。ここまでの部分で、喜八の人となり、業績などについての讃辞が並び、最後に喜八の妻にして、光太郎の親友・水野葉舟令嬢の實子(上記画像右端)のことを書き添えています。子供の出来なかった光太郎、實子を実の娘のように可愛がっていました。

市民講座の紹介です。

まずは埼玉県越谷市から。  

合同読書会 高村光太郎「智恵子抄」

期   日  : 平成30年9月29日(土)
場   所  : 
越谷市立図書館2階視聴覚ホール 埼玉県越谷市東越谷四丁目9番地1
時   間  : 13:30~15:30
講   師  : 松本孝氏(作家)
料   金  : 無料

彫刻家、画家でもあり、近現代を代表する詩人でもある高村光太郎が、妻・智恵子のことを、結婚する前から死後の約30年間書き続けた詩集「智恵子抄」について、作家の松本孝氏が講演します。

松本孝
作家。昭和13年、埼玉県草加市生まれ。昭和35年、埼玉県公立中学校国語科の教員となる。教鞭をとるかたわら文芸を学ぶ。現在、埼玉文芸家集団会員。受賞に、文部大臣奨励賞、松下幸之助賞、旺文社社長賞、旺文社学芸奨励賞、埼玉文芸賞準賞、埼玉県文化ともしび賞、草加市文化賞。

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続いて、手前味噌ですが……。  

公開講座 高村光太郎と房総

期   日  : 平成30年10月1日(月)
場   所  : イオンカルチャークラブユーカリが丘店
         千葉県佐倉市西ユーカリが丘6丁目12番地3
         イオンタウンユーカリが丘店 東街区2F

時   間  : 10:30~11:30
講   師  : 小山弘明(高村光太郎連翹忌運営委員会代表)
料   金  : 受講料 2160円  教材費 300円

彫刻家・詩人の高村光太郎は、妻・智恵子ともども房総各地をたびたび訪れました。房総を題材にした詩集『智恵子抄』の所収の詩文などを鑑賞し、智恵子との鮮烈な生の軌跡に迫ります。

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手前味噌ついでに(笑)、もう1件。こちらは少し先の話ですが。  

高村光太郎と房総談

期   日  : 平成30年10月13日(土)  11月10日(土) 全2回
場   所  : 株式会社カルチャー成田カルチャーセンター
          千葉県成田市ウィング土屋24イオンモール成田2F
時   間  : 10:30~12:00
講   師  : 小山弘明(高村光太郎連翹忌運営委員会代表)
料   金  : 受講料 4,752円  教材費 330円

詩人、彫刻家の高村光太郎と妻の智恵子夫人について夫妻と房総との関わりを中心に学んでいきます。

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10/1、佐倉市の方は全1回、成田市の方は全2回。当然ながら後者の方はより詳細に、前者はダイジェスト的にとなります。

それぞれ人が集まりませんと開設されずポシャってしまいますし、セコい話ですが、当方のギャラは受講してくださる方の人数による歩合制なので、一人でも多くの方に受講していただきたく存じます(笑)。

よろしくお願い申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

彼の心身に具象した詩そのものの精神と機能とは、優に彼の宗教を内に包んでゐる。彼の宗教は彼の詩を通過してのみ顕現する。ここに彼の偉大な詩的宿命があつた。
散文「(宮澤賢治は)」より 昭和22年(1947) 光太郎65歳

生涯、どの宗教にも本格的に帰依できなかった光太郎。その点では自らと賢治の生き様とに一線を画す見方をしていたようです。

ここでいう「詩」には、膨大な数の童話の類も含めて指しているようにも思われます。

9月22日(土)に開幕した、当会の祖・草野心平にスポットを当てる山梨県立県立文学館さんの企画展「歿後30年 草野心平展 ケルルン クックの詩人、富士をうたう。」。NHKさんのローカルニュースで取り上げられました。  

詩人草野心平 没後30年企画展

 昭和を代表する詩人で富士山をテーマにした作品も数多く残した草野心平の企画展が、21日から甲府市の県立文学館で始まりました。
 福島県出身の草野心平は、山梨県でも創作活動を行った昭和を代表する詩人で、企画展はことし没後30年となるのにあわせて開かれ会場には、直筆の詩や絵画などおよそ250点が展示されています。
このうち「三百の龍よ」という詩の墨書では「マグマよ富士を破れ」と草野心平が愛し、書き続けてきた富士山の詩が力強く描かれています。
 また、依頼を受けて作詞を手がけた甲府南高校の校歌は「夏は炎熱、冬寒く」と甲府の自然を表現しています。
このほか、詩だけでなく絵画の題材にも富士山が選ばれ昭和43年に描かれた「空海富士」は真っ青な空のなかに雪をかぶった富士山の姿を描いています。
 県立文学館の伊藤夏穂学芸員は、「山梨にもゆかりがある草野心平の作品、特に富士山をテーマにした独自の表現を体験してほしい」と話しています。
 この「草野心平展」は、11月25日まで甲府市の県立文学館で開かれています。

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光太郎が題字を揮毫した詩集『富士山』(昭和18年=1943)。

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心平作詞の甲府南高校さん校歌。普通、校歌に入れないような「夏は炎熱 冬寒く」といったフレーズも。如何にも心平らしいところです。

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チラシやポスターにも使われている心平の描いた絵。

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9月30日(日)、ギャラリートークを担当される伊藤学芸員。

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当方も写っていました(笑)。

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同時開催的に、1階の閲覧室では覆刻資料を中心とした「草野心平の世界」も行われています。

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ところで、昨夜はNHK Eテレさんで「福島をずっと見ているTV vol.74 復興からその先へ~川内村の夏~」が放映され、川内村名誉村民であった心平にも触れられました。

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村に戻って、心平の住まいだった天山文庫で働いていらっしゃる志賀風夏さんの紹介。

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志賀さんには夢があるそうで……

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なるほど。ぜひ実現させていただきたいものです。

さらに、村の盆踊り大会的なイベントにも密着。番組ナビゲーター役で、川内村ご出身のミュージシャン・渡辺俊美さんが、オリジナル曲の「予定」をご披露。天山文庫が謳われています。

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再放送が、やはりNHK Eテレさんで9月29日(土)、午後1時からあります。ぜひご覧下さい。

併せて山梨県立文学館さんの企画展「歿後30年 草野心平展 ケルルン クックの詩人、富士をうたう。」もよろしくお願い申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

彼の詩篇は彼の本体から迸出する千のエマナチヨンの一に過ぎない。彼こそ、僅かにポエムを書く故にポエトである類の詩人ではない。そして斯る人種こそ、われわれは長い間日本から生れる事を望んでゐたのである。

散文「宮澤賢治に就いて」より 昭和9年(1934) 光太郎52歳

心平と共に編集にあたり、さらに装幀、題字も手がけた、文圃堂書店版『宮澤賢治全集』内容見本に載った文章の一節です。

エマナチヨン」は「エマネーション(emanation)」。放射性希ガス元素の総称です。

僅かにポエムを書く故にポエトである類の詩人ではない」。なるほど賢治然り、光太郎然り、そして心平然りですね。

昨日は山梨県甲府市に行っておりました。山梨県立文学館さんで今日開幕の企画展「歿後30年 草野心平展 ケルルン クックの詩人、富士をうたう。」開会式にお招きいただき、馳せ参じた次第です。

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午後1時半過ぎ、到着。


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企画展会場の2階ロビーに特設会場がしつらえられ、午後2時から開会式が始まりました。

心平長男、故・草野雷氏夫人の智恵子さん。

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同館三枝館長。

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テープカット。

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このあと、内覧ということで、展示を拝見しましたが、予想以上の充実ぶりに驚きました。

「Ⅰ 誕生・少年時代」「Ⅱ 生きぬく詩人 日本と中国」「Ⅲ 躍動する詩の世界」で、心平の生涯を追い、さまざまな展示。

その中で、特に交流の深かった人物として「「天才」宮沢賢治」、「「巨人」高村光太郎」というコーナーも設けられていました。

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光太郎のコーナーでは、光太郎が寄稿した昭和2年(1927)の『銅鑼』第12号(連作詩「猛獣篇」第一作の「清廉」が収められています)、心平が編んだ鎌倉書房版『高村光太郎詩集』(昭和22年=1947)、創元選書版『高村光太郎詩集』(同26年=1951)、ガリ版刷りの『猛獣篇』(同37年=1962)、心平と光太郎の往復書簡1通ずつ(戦後、花巻郊外太田村に蟄居生活を送っていた光太郎に帰郷を促し、光太郎はその心づかいに感謝しつつも拒否)、さらに心平自筆の毛筆詩稿「高村光太郎死す」(同31年=1956)。

ちなみに「高村光太郎死す」は、当会顧問・北川太一先生の所蔵で、昨日は子息の北川光彦氏がいらしていました。

その他の部分でも、光太郎と心平は不即不離のような関係でしたので、いたるところに光太郎関連の展示物。光太郎が装幀や題字の揮毫、序文を手がけた心平詩集、二人の共同作業で世に出た『宮沢賢治全集』その他、光太郎が寄稿した心平編集の雑誌(『歴程』、『学校』など)やのアンソロジー等々。

それから、こんな000写真も大伸ばしでパネル展示されていました。昭和28年(1953)10月21日、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式当日に撮影されたものだそうで、光太郎は写っていませんが、心平と佐藤春夫夫妻、さらに心平が足繁く通い、光太郎も足を運んだ新宿のバー「みちくさ」の女将・小林梅などが写っています。

それから、同じく心平が足繁く通った、川内村関連の展示も。そこで昨日は川内村から長福寺さんの矢内大丘住職もお見えでした。以前に川内村での「かえる忌」でご一緒させていただいた方で、久闊を叙しました。

ちなみに今夜、午前0時からNHK Eテレさんで「福島をずっと見ているTV vol.74 復興からその先へ~川内村の夏~」が放映されます。村での心平の住まい・天山文庫も紹介されるようです。ぜひご覧下さい。

そして「Ⅳ 富士をうたい、富士を愛す」。

心平は早くから富士山を詩作のモチーフとしていましたし、棟方志功との共同作業で詩画集『富士山』を出したり、自身でも富士山の絵を描いたりしました。また、自身の誕生祝いにと、昭和40年代から50年代に、たびたび富士山を訪れたそうです。そうした縁もあってか、山梨県立甲府南高校さんの校歌の作詞を手がけています。

そうした甲州との関わりがあって、今回の企画展が実現したわけですね。

内覧のあと、レセプション。

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アトラクション的に、詩人・いとうのぼる氏、声優の本間ゆかりさんによる心平詩の朗読。

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本間さんはさらにライヤーという竪琴的な楽器の演奏も。

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幻想的な音色が、心平詩の世界にぴったりでした。

お土産に、図録と館報をいただきました。いつもながらに同館の図録は充実の内容です。

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館報には同展に寄せた和合亮一氏の文章も載っており、興味深く拝読しました。

同展、今日から11月25日までの開催です。ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

内にコスモスを持つものは世界の何処の辺遠に居ても常に一地方的の存在から脱する。内にコスモスを持たない者はどんな文化の中心に居ても常に一地方的の存在として存在する。岩手県花巻の詩人宮澤賢治は稀にみる此のコスモスの所持者であつた。彼の謂ふところのイーハトヴは即ち彼の内の一宇宙を通しての此の世界全般のことであつた。

散文「コスモスの所持者宮澤賢治」より 昭和8年(1933) 光太郎51歳

心平が編集し、光太郎も寄稿した『宮澤賢治追悼』に載った文章の一節です。今回の山梨県立文学館さんの企画展にも出品されています。

この後、折に触れ、光太郎は賢治を絶賛する文章や談話を発表しますが、その最初のものです。その結果、生前は無名だった賢治がどんどん世の中に認められて行きます。

山梨県から、当会の祖・草野心平をメインとする企画展の情報です。 

歿後30年 草野心平展 ケルルン クックの詩人、富士をうたう。

期 日  : 平成30年9月22日(土)~11月25日(日)
場 所  : 
山梨県立文学館 山梨県甲府市貢川1丁目5番35号
時 間  : 9:00~17:00
料 金  : 一般 600円(480円) 大学生 400円(320円)( )内20名以上の団体 
休館日     : 月曜日(9/24、10/8開館)  9/25 10/9

 「春のうた」をはじめとする蛙の詩で知られる草野心平。中国・嶺南(れいなん)大学留学の頃より本格的に詩作を始め、その起伏に富んだ人生の中で個性的な詩を多く生み出しました。 心平を魅了し、創作の重要なテーマの一つとなったのが富士山です。数々の詩にうたい、書や絵画でも富士の魅力をダイナミックに表現しました。本展では、富士山来訪のエピソードや本展では、富士山来訪の エピソードや、山梨県立甲府南高等学校の校歌作詞など、山梨との関わりについても紹介。原稿、書、絵画などの資料を通じて、草野心平の生涯と生命力溢れる詩の世界をご覧ください。

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関連行事

講座「草野心平と富士山―展示のみどころ―」 
日時 9月30日(土) 13:30~14:40 
講師:伊藤夏穂(当館学芸員) 会場:研修室  定員:150名

島田雅彦講演会「牧歌への回帰」 
日時 10月21日(日) 13:30~15:00 
講師:島田雅彦氏(小説家) 会場:講堂   定員:500名

蜂飼耳講演会「草野心平、詩の理想を求めて」 
日時 10月28日(日) 13:30~15:00 
講師:蜂飼耳(詩人・作家) 会場:研修室  定員:150名

阿毛久芳講演会 「宮沢賢治、高村光太郎、そして草野心平―コスモス、世界共通意識と孤絶意識にかかわって―」 
日時 11月10日(土) 13:30~15:00 
講師:阿毛久芳氏(都留文科大学名誉教授) 会場:研修室 定員:150名

すべて参加費無料。要申し込み。


今日現在、館のサイトに詳細情報が出ていない000ので(かなり前に一度出たのですが、なぜか削除されています)。詳細が不明な点が多いのですが、チラシによれば館蔵のもの以外に、いわき市立草野心平記念文学館さん、塩尻市立古田晁記念室さんなどの所蔵品が並ぶようです。そういえば、古田晁記念室さん、心平関連の展示もけっこうあったと思い出しました。

光太郎関連が展示されるかどうか不明ですが、昭和18年(1943)に刊行された心平詩集『富士山』は、光太郎が題字を揮毫しており、並ぶのではないかと思っております。

9/22追記 館のサイトで同展の詳細、復活しました。光太郎関連展示物も予想以上にたくさん出ていました。詳しくは9/22の記事をご参照下さい。 

また、関連行事のうち、都留文科大学名誉教授・阿毛久芳氏の講演会では、光太郎にも触れて下さるようです。

展示の会期は今週の土曜からですが、前日の金曜日に開会式及びレセプションということで、案内を頂きました。当方、まずそちらに行って参ります。

皆様も是非足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

方向は人を救ふ。その方向の如何を問はず、方向を持つ事は既に何かである。まして自己の心情の表白に能く形を与へ得る疎通の道を知つた時、窮まれる者がその方向を一つの手がかりとするに不思議はない。

散文「ヹルハアラン」より 昭和8年(1933) 光太郎51歳

光太郎が、詩集『天上の炎』、『明るい時』、『午後の時』などを翻訳したベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレンの評伝から。

「天才は天才を知る」といいますが、光太郎は、ヴェルハーレンや、アメリカのホイットマンなどに、理想的な詩人としての魂を見いだしていました。そして、年少の友人・心平にも。

九州福岡から、公開講座の情報です。 

2018年度秋学期市民講座 「日本の近・現代詩入門」

期   日 : 2018年9/4・18、10/2・16・30、11/13・27、12/11 (各火曜)
会   場 : 福岡女学院大学生涯学習センター天神サテライト校
                           福岡市中央区天神2-8-38協和ビル9F
時   間 : 13時~14時30分
料   金 : 受講料16,800円  教材費200円
講   師 : 日本現代詩人会会員 徳永 節夫

近年、詩が以前より存在感がなくなってきたように思えます。詩から受ける感動が少なくなってきたのは、小、中学校での詩の授業が表現技術を身につけるだけのスキル学習化しているのも原因の一つと考えています。宮沢賢治の「永訣の朝」や高村光太郎の「レモン哀歌」の心の奥からの感動。そして、今書かれている「現代」詩のわからなさにも挑戦してみようと思います。

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というわけで、「日本の近・現代詩入門」という講座の中で、光太郎も取り上げて下さるそうです。ありがたや。

お近くの方、ぜひどうぞ。

ちなみに、当方も千葉県の佐倉市と成田市で、「高村光太郎と房総」という公開講座を持たせていただくことになりました。また近くなりましたら詳細をご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

ただ心を傾けつくしただけではまだ足りない。自己の真情を、縦横無礙に何処へ出しても堂々と通るやうに表現するのが詩の力であるやうだ。

散文「雑誌『新女苑』応募詩選評」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳

ふむふむ。

まずいただきもの。

詩人で朗読等の活動もなさっている宮尾壽里子様から、文芸同人誌『青い花』の第90号をいただきました。これまでも宮尾様や他の同人の方が、光太郎に関わる寄稿をなさっていて、その場合にはこちらのブログでご紹介させていただいております。


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今回も宮尾様の玉稿で、書評です(全6ページ)。取り上げられているのは2冊。まず、西浦基氏の『高村光太郎小考集』、それから中村稔氏の『高村光太郎論』。いずれも好意的にご紹介なさっています。

また、合間に歌人の松平盟子氏と当方のコラボで行った公開講座「愛の詩集<智恵子抄>を読む」の評も入れて下さっています。ありがたや。

ご入用の方、仲介いたしますので、こちらまでご連絡ください。 


もう1冊、定期購読しております日本絵手紙協会さん発行の『月刊絵手紙』。

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花巻高村光太郎記念館さんのご協力で、昨年の6月号から「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」という連載が為されています。

今号は、昭和35年(1960)、智恵子の故郷・福島二本松の二本松城跡に建てられた光太郎詩碑の拓本から。詩「あどけない話」(昭和3年=1928)の有名なフレーズ「阿多多羅山の山の上に/毎日出てゐる青い空が/智恵子のほんとの空だといふ」です。

碑は当会の祖・草野心平らが中心となって建てられました。光太郎の筆跡を、光太郎や智恵子とも面識のあった二本松の彫刻家・斎藤芳也が木彫に写し、それを原型にしてブロンズに鋳造したパネルがはめ込まれています。この碑も建立から60年近く経つかと思うと、感慨深いものがあります。

『月刊絵手紙』、版元のサイトから購入可能です。ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

すべて透徹したものには一つの美が生ずる。

散文「雑誌『新女苑』応募詩選評」より 昭和14年(1939) 光太郎57歳

「透徹」。いい言葉ですね。

朗読系の公演です。 

Jun企画「言葉の奥ゆき 通(アゲイン)」~夏休みの宿題~

期   日 : 2018年8月30日(木) ~9月2日(日) 全7回
時   間 : 8/30 16:00 19:00  8/31 19:00  9/1 13:00 16:00  9/2 13:00 16:00
会   場 : WESTEND STUDIO 東京中野区新井5-1-1
主   催 : 劇団スタジオライフ
料   金 : 各回1枚 4,300円

今回は~夏休みの宿題~ということで、夏休みの読書感想文の宿題に応じる如く、古今東西の作品を朗読させていただきたく思います。それこそ―モーパッサンから有島武郎まで、ジャンルに拘らず物語も加えて、心に響く珠玉の作品を集めました。そして前回は、詩のみの朗読参加だった宇佐見輝、千葉健玖にも一作品を担って貰います。朗読の後には、毎ステージ、出演メンバーと倉田によるトークセッションも開催いたします。

朗読は、モーパッサン「ジュール叔父」、有島武郎「一房の葡萄」他を予定しております。詩は、島崎藤村、北原白秋、高村光太郎他を予定しております。朗読は、一人一作品となり、2回出演の場合も同じ作品になります。詩は、<詩>のメンバーだけで行う場合と、<朗読&詩>のメンバーも加わって行う回とがあります。各回、出演者によるトークセッションがあります。

※朗読・詩の作品、出演者は都合により変更になる場合があります。

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細かい部分がよくわからないのですが、ともかくも、光太郎詩を朗読で取り上げて下さるようです。

初日の8月30日(木)は、都内3箇所で、歌曲、そして朗読で、光太郎が扱われるわけで、ありがたい限りです。

ご興味のある方、お問い合わせの上、足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

詩はもとより技術を要するが、小さな技巧よりも大きなまことが望ましい。心の内側から真に出たものを処理する事が望ましい。さうすれば必ず何処かに新鮮さが生ずる。

散文「雑誌『新女苑』応募詩選評」より 昭和14年(1939) 光太郎57歳

深尾須磨子のあとを継いで光太郎が選者となった、月刊誌『新女苑』の投稿詩の選評です。昭和14年(1939)から同16年(1941)まで36回、光太郎の選評が載りました。そのうち、これは、と思う一節のある回からワンフレーズずつ書き抜きます。

今回にしてもそうですが、他者の、しかも一般読者の作品に対する選評でありつつ、端的に光太郎の詩論が表れているものが多く、なるほど、と思わせられます。

雑誌系新刊2冊、ご紹介します。 

虹 第9号

2018年7月7日  虹の会発行 非売


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詩人で同誌主宰の豊岡史朗氏による論考「高村光太郎 詩集『道程』」31ページが掲載されています。なかなか読み応えのあるものです。

ご入用の方、仲介いたしますので、こちらまでご連絡ください。 

月刊絵手紙 2018年8月号

2018年8月1日  日本絵手紙協会  定価762円+税

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花巻高村光太郎記念館さんのご協力で、昨年の6月号から「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」という連載が為されています。

今号は、花巻郊外太田村在住時の昭和27年(1952)に書かれた詩「山のともだち」。登場する「ともだち」は、カッコー、ホトトギス、ツツドリ、セミ、トンボ、ウグイス、キツツキ、トンビ、ハヤブサ、ハシブトガラス、兎、狐、マムシ、熊、カモシカ。いかに豊かな自然に囲まれての生活だったかがわかります。ただ、裏を返せば過酷な生活だったことにもつながりますが……。

昭和22年(1947)、雑誌『至上律』に口絵として載った太田村の水彩スケッチ(現物が花巻高村光太郎記念館さんに所蔵されています)画像も掲載されています。

こちらから購入可です。ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

僕は詩人ぢや無い。只自分の思つて居る事を詩や画に現はすに過ぎないんだ。
談話筆記「詩壇の進歩」より 明治45年(1912) 光太郎30歳

……だ、そうです。

昨秋、光太郎詩集の代表作の一つ、『智恵子抄』を昭和16年(1941)に刊行し、その後も光太郎の詩集や散文集などを手がけた出版社龍星閣創業者・故澤田伊四郎氏(小坂町出身)の遺品のうち、光太郎や棟方志功関連の資料およそ5,000点が寄贈され、今春、企画展「平成29年度新収蔵資料展」でそれらの一部を展示された、秋田県小坂町の総合博物館郷土館さん。

常設展示でそれらの資料の内の一部を展示することになり、展示が始まったそうです。

NHKさんのローカルニュースから。 

出版人 澤田伊四郎展

 小坂町出身で、竹久夢二の画集などを数多く手がけた出版人、澤田伊四郎にまつわる資料の展示が小坂町の博物館で始まり、当時の書籍など貴重な資料を見ることが出来ます。
 小坂町の博物館「郷土館」では、今月から新たに、東京・千代田区の出版社「龍星閣」に関する資料が常設展示されています。
  「龍星閣」の創業者、澤田伊四郎は小坂町出身で、去年、遺族から2500点あまりの書簡や、およそ500冊の本や雑誌が寄贈されました。
 このうち、常設展には調査が終わった54点が示されています。
 大正ロマンを代表する画家、竹久夢二の画集は、革張りで、本の三方が金ぱくで装飾された豪華なつくりになっていて、澤田の出版へのこだわりをうかがい知ることができます。
また、彫刻家で詩人の高村光太郎が「龍星閣」から出版した詩集「智恵子抄」の初版本には光太郎が智恵子を思って詠んだ詩が直筆で書かれています。
 小坂町総合博物館「郷土館」の安田隼人学芸員は、「多くの人から要望があったため常設展示することにしました。竹久夢二の特装本などは貴重なもので、これだけ美しい本を見る機会は少ないので、ぜひ見に来て、龍星閣の仕事ぶりを知ってほしいです」と話していました。

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当方、2月GWに現地に伺い、報道されている署名本や書簡類を拝見して参りましたが、とてつもなく貴重な資料です。花巻高村光太郎記念館さんを除くと、こうしたものが常設で見られる場所は他にはほとんど無いように思います。

ぜひ足をお運びください。



【折々のことば・光太郎】

おしなべて考へてみると、外国の詩に、黙読して始めて其の味を味はふべき様なのは少い。朗読してはとても聴かれないが、黙読すれば面白いといふ様なのは少い。黙読しても面白いが、朗読すれば尚ほ面白いといふのが多い。黙読してゐるうちに自然と朗読されてしまふ様なのが多い。

散文「詩歌と音楽」より 明治43年(1910) 光太郎28歳

昨日のこのコーナーでも「詩歌と音楽」という文章から引きましたが、たまたま同じ題名の別の散文です。

具体例として挙げているのは、ヴェルレーヌの詩。光太郎は前年までのパリ在住時に、プルースト研究家のマリー・ノードリンガー女史にフランス語を習っていましたが、その際に女史がテキストとして使ったのが、ヴェルレーヌなどの詩でした。それを暗誦させられた光太郎、はじめは童謡の歌詞かと思ったそうで、それほど平易かつリズミカルなわけです。また、欧州の詩の特徴としての踏韻なども聴いて心地よいと感じる原因の一つでしょう。

そして帰国後、日本でも平易な口語表現などを使って詩を書いていた北原白秋らがいて影響され、光太郎の詩作が本格化します。「黙読しても面白いが、朗読すれば尚ほ面白い」というのが、光太郎の詩作の一つの理想型になって行ったのではないでしょうか。

一昨日、郡山市公会堂での「第2回朗読パフォーマンス声人(こえびと)LIVE ∞生きる∞」を拝見し終え、愛車をいわき市に向けました。磐越道をいわき三和ICで下り、いわき市立草野心平記念文学館さんへ。このルートは、途中が物凄い山道なのですが、こういう場合のために、現在の愛車はRVです。

午後6時近くに到着。7,8月の土日は、午後8時まで開館していると言うことで、ありがたい措置でした。

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開催中の企画展「開館20周年記念 夏の企画展 宮沢賢治展 ―賢治の宇宙 心平の天―」に合わせ、館外から賢治がらみのオブジェなどがお出迎え。

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館内に入って、「あれっ」という感じでした。ロビーで、コンサート的な催しが行われています。チラシにはその旨の記述がなかったので、「あれっ」という感じでした。

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横田恭子さんのピアノに乗せ、緑川明日香さんの「銀河鉄道の夜」朗読。あとで聞いたところでは、企画展の関連行事として行っているわけではないので、チラシには載っていないとのことでした。

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緑川さんは、平成26年(2014)にいわき市芸術文化交流館アリオスで開催された「いわき賢治の会設立記念事業 賢治の宇宙 心平の天」の際に、光太郎の、「あどけない話」(昭和3年=1928)と「レモン哀歌」(昭和14年=1939)を朗読して下さったので、存じていました。

そちらがほぼ終了するところだったので、そのまま展示室へ。

当会の祖・草野心平と、宮澤賢治の交流についてのさまざま資料が展示されていました。生前に無名だったまま早世した賢治のプロデュースという部分では、光太郎もひとかたならず骨を折りましたので、光太郎がらみの展示も。

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光太郎関連は、花巻高村光太郎記念館さんの所蔵品が貸し出されており、初めてみるものではありませんが、興味深く拝見しました。また、一つの目玉が光太郎が揮毫し、花巻に建つ「雨ニモマケズ」詩碑碑文の書。久しぶりに拝見しましたが、迫力のある書です。

さらには「雨ニモマケズ」が記され、賢治歿後、その「発見」の現場に光太郎も立ち会った手帖も。これを光太郎が手に取って見て、「ホウ」と唸ったのかと思うと、感無量でした。


別室では、鉄の彫刻家・安斉重夫氏による賢治ワールドをモチーフにした彫刻群。こちらは撮影可でした。

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ロビーには、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の企画展「光太郎と花巻電鉄」のポスターも。チラシは既に無くなってしまったそうで、多くの方にいらしていただきたいものです・

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その後、担当の小野学芸員や、緑川さん、横田さんらとお話をさせていただき、帰途に就きました。

会期は来月26日まで。ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

地方的特殊性をどんなに深く持つてゐてもよいどころか、深く持つてゐればゐるほど良いけれども、その体格性能に於て少しも一般人類にはたらきかける素質を持つてゐないものである場合には、それは一地方的存在として終わらねばなるまい。

散文「芸術上の良知」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳

「地方的特殊性」を深く持っていながら、それに加えて一地方的の存在から脱する「コスモス」を所持していたのが賢治だと、光太郎は別の機会に述べています。同じことは心平にも言えるような気がします。

まずは『毎日新聞』さん千葉版の記事から。

成田・二人でひとつの展覧会 /千葉

 17~22日、上町500、なごみの米屋總本店2階、成田生涯学習市民ギャラリー。
 成田市の絵手紙講師、大泉さと子さんと、同市で一閑張りのバッグなどを制作する佐藤信子さんによる2人展。
 大泉さんは宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」をダルマの絵とともに書いた作品や、三里塚記念公園にある高村光太郎の文学碑「春駒」の拓本、墨で書いた自身の「春駒」のほか、丸い形のはがきなど遊び心あふれる約100点を並べる。大泉さんは「絵手紙は相手を思って描き、心を伝えることができる」と話す。
 佐藤さんは福島第1原発事故によって、福島県南相馬市小高区から成田市に移り住んで6年になる。事故前は籠やざるに和紙を張り、その上から柿渋を何度も塗り重ねて作る一閑張りと絵手紙制作を南相馬で教えていた。今回はバッグや籠、ざるなど新作約100点を展示する。
 2012年に佐藤さんの個展で知り合い、交流が続いている2人は「絵手紙と一閑張りのコラボレーションは初の試み。ぬくもりを感じる展覧会にしたい。多くの人に見てほしい」と来場を呼びかけている。
 ギャラリー(0476・22・2266)は10~16時(最終日15時まで)。【渡辺洋子】

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というわけで、隣町ですので早速行って参りました。

会場は成田駅から成田山新勝寺へと向かう参道沿いです。車では時々通る道ですが、久しぶりに歩きました。

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なかなかレトロで良い感じの通りです。外国の方もちらほら。

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こちらが米屋さん。地域では羊羹があまりにも有名ですが、全国区なのでしょうか。こちらの2階が生涯学習市民ギャラリーとなっています。これは存じませんでした。最近流行のメセナ(企業の社会貢献)でしょう。

開場前に着いてしまい、店裏の喫煙コーナーで一服。こちらのレトロな洋館は「成田羊羹資料館」。やはり米屋さんの施設です。洒落が効いています(笑)。

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10時になりましたので、いざ、会場へ。

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成田の三里塚ご在住の大泉さと子さんという方が、地元の三里塚記念公園に建つ詩碑に刻まれている光太郎詩「春駒」(大正13年=1924)を書いた作品などが展示されています。

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温かみのある作品ですね。

三里塚記念公園は、元々、宮内庁の御料牧場があったところでした。その近くに移り住んだ親友の作家・水野葉舟を訪ね、光太郎も何度か足を運んでいます。最近はやんごとなき方々用の防空壕も公開されています。

詩碑の拓本も展示されていました。

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大泉さん、絵手紙講師ということで、昨年の6月号から「高村光太郎のことば」を連載して下さっている『月刊絵手紙』さん主宰の小池邦夫氏の弟子筋に当たられるそうです。小池氏からの絵手紙も展示されていました。

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となると、『月刊絵手紙』さんで紹介があるかも知れないなと思いました。今月号がそろそろ届く頃です。

それから、光太郎と縁の深い宮澤賢治の「雨ニモマケズ」。良い感じです。

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「二人でひとつの展覧会」ということで、もうお一方は佐藤信子さん。「一閑張(いっかんばり)」の作品を展示されていました。竹や木で作った骨組みに和紙を貼り、柿渋で固めるという伝統工芸です。

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こちらも味のあるものでした。

上記『毎日新聞』さんの記事によれば、佐藤さんは震災後、福島県南相馬市小高区から移り住まれたとのこと。こちらにも光太郎詩「開拓十周年」(昭和30年=1955)が刻まれた碑があり、不思議な縁を感じました。


会期は22日(土)まで。成田山新勝寺に参拝がてら、ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

予期して居る通りに書かれたものは、僕等に取つては充(つま)らない。僕等の考へて居るのは、自然が自分の胸を打つて来た時に直ちにパレツトなり泥なりを取つて、其の刹那の感興を製作の上に映す。其の結果が何うなるか、それは分らない。

談話筆記「純一な芸術が欲しい」より 明治45年(1912) 光太郎30歳

造形芸術にしても、文学にしてもそうだと言います。あらかじめ綿密な計算を施した上での制作、それはそれでいいのでしょうが、やはり興の赴くまま、持てる力を展開させていくという制作手法を光太郎は良しとしていたようです。確かに小説などで、いかにも、という伏線の張り方を眼にすると、興ざめの感がぬぐえないことがよくありますね。

うっかりご紹介するのを失念していまして、始まってしまっています。 
会 場 : いわき市立草野心平記念文学館  福島県いわき市小川町高萩字下タ道1番地の39
時 間 : 9時~17時(入館16時30分まで)
       7、8月の土曜日は9時~20時(入館19時30分まで)
料 金 : 一般 430円(340円)/高・高専・大生 320円(250円)/
      小・中生 160円(120円) ( )内は20名以上団体割引料金
休館日 : 月曜日 ただし7/16(月)は開館、7/17(火)が休館
      8/13(月)臨時開館

詩人・童話作家の宮沢賢治(1896~1933)による「雨ニモマケズ」は、東日本大震災後、あらためて世界に発信されました。無力の自覚にたって他者を思いやり、助け合う精神が再認識され、彼の作品があらためて注目されています。
本展では、1924年からの10年間、賢治の宇宙と心平の天が重なりあった生前交友に光をあてながら、心平が広めた賢治世界の魅力を紹介します。

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関連行事

講演と朗読コンサート 「雨ニモマケズ」
 7月 29日㈰ 14時 ~15時 30分 
 講演 宮澤和樹  ㈱林風舎 代表取締役 宮澤賢治親族 
 朗読 宮澤やよい「宮澤賢治所有のヴァイオリン」を演奏 宮澤香帆

講演会 賢治と心平 ̶「世界的だなどといふことは……」̶
 7月 8日㈰ 14時 ~15時 30分 
 栗原 敦 (実践女子大学名誉教授)

対 談 「賢治と心平の対話」   
 7月 15日㈰ 14時 ~15時 30分
 牛崎敏哉(宮沢賢治記念館学芸員) 小野 浩(当館専門学芸員)

作品ガイド 賢治ファンタジーの時空ツアー  
 7月 22日㈰ 14時 ~15時 30分
 安斉重夫(彫刻家 イーハトーブ奨励賞2011年受賞)

いずれも会場は文学館小講堂で、聴講、鑑賞無料、先着150名、お申し込み不要です。


地元紙『福島民友』さんの報道から。 

宮沢賢治直筆の手帳や資料、いわきで展示 草野心平との縁示す

 いわき市の草野心平記念文学館企画展「宮沢賢治展―賢治の宇宙心平の天」は7日、同館で開幕した。全国で今年初出展となる「雨ニモマケズ」の一節が記された直筆の手帳など、貴重な資料が展示されている。8月26日まで。
 同館20周年記念事業の一環。賢治が死の前日に記した資料「絶筆二首」や、本県ゆかりの詩人草野心平、高村光太郎との縁を示す資料や水彩画など約120点を展示している。会場には、同市在住の鉄の彫刻家安斉重夫さんが賢治の童話の世界をテーマに手掛けた作品も並ぶ。
 初日には、企画展に協力した賢治の実弟宮沢清六さんの孫和樹さんも訪れ、来館者に「草野心平がいなければ高村光太郎との出会いもなく、賢治の作品が世の中に認められるきっかけも生まれなかった」と説明した。
 開館時間は午前9時~午後5時(土曜は同8時)。休館日は毎週月曜と7月17日(同16日は開館)。観覧料は一般430円、高校・高専・大学生320円、小・中学生160円。会期中は講演会や対談も開催する。問い合わせは同館(電話0246・83・0005)へ。


当初は、心平、賢治、光太郎、そして黄瀛の、4人の詩人の交流といった企画展にする予定だったらしいのですが、光太郎と黄瀛は脱落(笑)。まぁ、手を広げすぎずに心平と賢治に絞ったということでしょうか。

それでも、光太郎が揮毫し、花巻に建つ「雨ニモマケズ」詩碑碑文の書が展示されますし、他にも光太郎に関わる展示物がありそうです。

当方、来週末に行って参ります。皆様も是非どうぞ。


【折々のことば・光太郎】

外山卯三郎先生の厳格な監督だけあつて、企画そのものの秀抜さに加へて印刷の立派なことも、在来のものの比ではありません。児童美意識の助長に絶好の教材であると思ひ、喜んで此を世に推せんする次第です。

散文「教材社「児童の図画工作」推薦文」より
 昭和27年(1952) 光太郎70歳

外山卯三郎(とやまうさぶろう)は、詩人・美術評論家です。

気になったのは「助長」の語。早く育てたいあまり、田の苗を指で引っ張って結局は枯らせてしまったという中国の故事から、マイナスの意味での使い道しかないとばかり思っていました。そこで、「言葉に厳格な光太郎にしては、間違った使い方をしているな」と思いましたが、よくよく調べてみると、「助長」にはポジティブな意味で生育を助けるという意味もちゃんとありました。勉強になりました(笑)。

昨日は神田の東京古書会館さんで開催された明治古典会七夕古書大入札会2018の一般下見展観に行っておりました。

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今年も光太郎関連の資料が出品され、それぞれ手にとって拝見して参りました。

特に気になっていた書簡類は細かく拝見。

まず、詩人で編集者の井上康文とその妻・淑子に宛てた4通。すべて筑摩書房『高村光太郎全集』未収録のものでした。井上に宛てたものは、光太郎から以外にも出品されており、当会の祖・草野心平からのものなどもありました。

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そして、北海道弟子屈の詩人・更科源蔵にあてたもの。署名本や写真などとともに一括の出品でした。

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封書が9通、葉書が57枚ということで、これらが『高村光太郎全集』未収録のものであったら大変だと思っていたのですが、どうやらすべて収録済みのものでした。最も古いもので昭和3年(1928)、一番最近のものは昭和27年(1952)。『高村光太郎全集』には130通ほど掲載があり、その約半分ということになります。

署名本は、ほぼ署名と「謹呈 更科源蔵雅兄」といった文言のみでしたが、昭和22年(1947)の『道程復元版』のみ、それに関する短歌「わかき日のこの煩悩のかたまりを今はしづかにわが読むものか」がしたためられていました。それからおそらく署名本が送られてきた際の小包の包装から切り取ったと思われる更科宛の宛名部分なども付いていました。

できれば北海道の文学館さんなどで手に入れておいていただきたい品々です。


それから、やはり短歌をしたためた短冊。他の歌人のそれと220枚で一括の中に、光太郎のものも一枚入っていました。明治43年(1910)の雑誌『スバル』に発表された「爪きれば指にふき入る秋風のいと堪へがたし朝のおばしま」。ただし、揮毫の時期はもう少し後のようでした。


その他、既知のものでしたが、色紙や草稿の類など。ことによると100年の時を経て、光太郎が筆を執った実物を手に取ってみることができ、眼福というか、貴重な経験でした。

今日も午後4時まで、一般下見展観が行われています。


時間に余裕があれば、六本木の国立新美術館さんにまわり、「第38回日本教育書道藝術院同人書作展」をもう一度拝見しようかとも思ったのですが、他の雑用もあり、トンボ返り。

やはり会場にいらして下さった太平洋美術会・高村光太郎研究会の坂本富江さん経由で、「智恵子抄」の詩篇を書かれて会長賞(最優秀賞)に輝かれた菊地雪渓氏から、作品に込めた思いを記した文書を頂き、それを踏まえてもう一度拝見しようと思ったのですが、古書会館さんで時間を使いすぎました。

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書家の方々はこういう苦労をなさっているのだな、と、新鮮でした。

できれば来年の連翹忌にて、展示させていただき、皆様にも見ていただきたいものです。

こちらは明日まで。ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

総じてブルデルの芸術の底流をなすものは深い詩的精神の横溢であり、事実彼は自ら詩筆を執つてゐる。むしろ古風な格調を尚んで荘重の趣あるその詩篇を自らゴチツク風の文字で揮灑したのを読むのは、まるで彼の地下窖からほのかに漏れる錬金の硫煙をかぐ思がする。

散文「清水多嘉示著「巨匠ブルデル」序」より
 昭和19年(1944) 光太郎62歳

ロダンの後継者たる彫刻家ブールデルの評伝に寄せた一文から。

このブールデルへの評は、現代の光太郎自身への評と置き換えても成り立つような気がします。まさに昨日、光太郎の書の数々を手に取ってみて、改めてそう思います。

毎年この時期に行われる、古書業界最大の市(いち)、七夕古書大入札会。先週、出品目録が届きました。ネット上でも見られるようになっています。

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毎年光太郎に関する出品物が何かしらあり、中には筑摩書房さんの『高村光太郎全集』未収録の資料等が出る年もあって、目が離せません。

今年の目録で、光太郎がらみは以下の通り。

まず出版物としてベルギーの詩人エミール・ヴェルハーレンの訳書『天上の炎』(大正14年=1925)。

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書籍自体はそれほどの稀覯本というわけではありませんが、見返しに光太郎の署名が入っています。函も欠損していません。


肉筆類が5点。出品番号順に最初が「高村光太郎草稿」。昨年も同じものが出ましたが、大正15年(1926)の第二期『明星』に発表された「滑稽詩」です。

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草稿がもう1点。「高村光太郎草稿 無題」となっていますが、昭和16年(1941)の『ヴァレリイ全集』内容見本のための短文です。

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続いて、大量の資料が一括で、「高村光太郎署名本・書簡・葉書他」。北海道の詩人、更科源蔵に宛てた封書が9通、葉書57枚、写真が3葉、戦時中から歿後すぐの著書10冊です。

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更科に宛てた書簡類は、『高村光太郎全集』に既に130通近く掲載されていますが、それに含まれるものなのか、あるいはそれと別のものなのか、よく調べてみないと何とも言えません。


書簡類の一括出品でもう1件。詩人で編集者の井上康文と、やはり詩人だった妻の淑子にあてた4通。

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こちらは完全に未知のものが含まれています。


最後に色紙。以前から都内の古書店さんが在庫としてお持ちだったものです。

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おそらく智恵子を詠んだと思われる短歌「北国の女人はまれにうつくしき歌をきかせぬものゝ蔭より」。昭和5年(1930)頃の筆跡と推定されます。


その他、昨年もそうでしたが、文学者からの書簡一括的な出品物に光太郎のものが含まれている場合があり、注意が必要です。


出品物全点を手に取って見ることができる下見展観が、7月6日(金)午前10時〜午後6時、7月7日(土)午前10時〜午後4時に行われます。会場は神田神保町の東京古書会館さん。当方は初日に行って参ります。

皆様も是非どうぞ。


【折々のことば・光太郎】

当事者にとつては自明の事柄のやうに思はれることでも、これを手にする第三者にとつてはそのいはれを知りたいと思ふのも自然である。

散文「「日伊文化研究」書評」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳

どこまでその背景などを説明するか、大事な問題ですね。

当方も時々頼まれる雑文や講演・講座、それからこのブログでもそうですが、悩むところです。

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