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4月11日(木)、文京区立森鷗外記念館さんの特別展「一葉、晶子、らいてう―鷗外と女性文学者たち」、田端文士村記念館さんの「恋からはじまる物語~作家たちの恋愛事情~」展とハシゴした後、渋谷に向かいました。

目指すは渋谷区文化総合センター大和田さん内の渋谷伝承ホール。

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こちらで劇団Yプロジェクトさんのプロデュース公演「ブーケdeコンセール 詩劇と音楽」を拝見。

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2部構成で、第1部が「ラフマニノフの抒情(ロマン)」。八谷晃生さんという方によるピアノで、ロシアのセルゲイ・ラフマニノフの「プレリュードニ長調Op.23-4」と「ピアノソナタ2番Op36変ロ長調」の2曲が演奏されました。曲目の通り第2部へのプレリュード(前奏曲)的な感じでした。

そして第2部が「長編詩劇・高村光太郎の生涯 愛炎の荒野。雪が舞う、」。事前の告知で、内容的には光太郎の生涯を追う、というのは何となくわかりましたが、それをどう料理するのかまではわかっていませんでした。開演前にいただいたパンフレットを見ましたところ、出演される役者さんたちの一言ずつやプロフィールなどが。1チーム8人ずつ、2チームが交互に3日間で6公演、当方が見たのはBアクトさん(下記画像右半分の皆さん)による公演です。

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Aアクトさんを含め、「高村光太郎という芸術家の生涯を少しでも伝えられたら」、「様々な表現で高村光太郎の生涯をキャスト一丸になりお伝えします」、「光太郎という人間を全身で感じていただけると感激です」といった記述。キャスト名は書かれていません。代わりに、「劇中で語られる人物紹介」ということで、光太郎の父・光雲にはじまり、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」一帯の公園設計を担った谷口吉郎まで、50名超の名が(ただ、宮沢賢治など、この欄に抜けている人物も実際には居ました)。

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「語られる人物」であってキャストというわけではないのだろう、と思って読んでいましたところ、第2部開演。

舞台は基本、暗がりです。椅子が8脚並べられ、黒づくめの役者さんたちが座っています。第1部でピアノ演奏をなさった八谷さんがBGM的に舞台下手(しもて)隅でピアノ演奏(これがうるさすぎず、適度な音量で豊かに情感を添え、絶妙でした)。役者さんたちは、一人ずつ前に出て来て、光太郎詩文の朗読やナレーションによる状況説明。そこだけスポットが当たるようにしてありました。お一人の担当部分が終わる頃、次の役者さんが出て来てバトンタッチ。基本、その繰り返しでした。つまり、全員が光太郎というわけで、だから上記「一言」でああしたご発言だったのかと納得いたしました。

役者さんたち、それぞれに熱のこもった語りで、8人がめまぐるしく交替することで変化も生じ、当然ながら取り上げる詩文によって語り口を変え、ぐいぐい引き込まれました。単なる語りだけでなく、最小限ではありましたが動きも入り、視覚的効果も考えられていました。

前半は「智恵子抄」収録の詩篇を軸に、光太郎智恵子の純愛のドラマ的な。「なるほど、無難にまとめているな」という感でした。しかし、後半、智恵子歿後になって、ある意味、意外な展開となります。特に太平洋戦争開戦後に光太郎が大量に書き殴った翼賛詩が、かなりの数、取り上げられました。通常、演劇等で光太郎が扱われる場合、この時期はさらりと流されるのが普通です。光太郎の人生最大の汚点であるわけで(この時期こそが憂国烈士・光太郎の真骨頂、とする愚か者も多くて困っているのですが)、扱いが難しいというのが理由でしょう。

しかし、今回の公演では陰惨な、空虚な、安直な、浅薄な、愚劣な、こけおどし的な、がらんどうな、悪魔的な、紋切り型の、子供だましの 、狂気さえ感じる、罪深い翼賛詩の数々が語られました。順不同ですが、「十二月八日」、「さくら」、「シンガポール陥落」、「必死の時」、「琉球決戦」、「軍艦旗」など。光太郎に余り詳しくない観客の方々は、かなり意外の感を持たれたのではないでしょうか。

このあたりにじっくり焦点を当てる演劇は少なく、類例を挙げれば、当会会友・渡辺えりさんの脚本になる「月にぬれた手」(平成23年=2011)くらいでしょうか。木野花さん演じる老婆が光太郎に投げつけた「戦争中にこいづが書いた詩のせいでよ、その詩ば真に受げて、私の息子二人とも戦死だ。」「おめえがよ、そんなにえらい芸術家の先生なんだらよ。なしてあんだな戦争ば止めながった? なしてあおるだげあおってよ。自分は生ぎでで、私の息子だけ死ねばなんねんだ。」という台詞がありました。

といって、今回の公演も、単に光太郎をディスるだけでなく、光太郎同様に、或いはそれ以上に軽々しく大政翼賛に走った文学者たちも語られ、さらに戦後にはそういった面々が無節操な豹変ぶりをやらかしたこともやり玉に挙げていました。そして一人光太郎のみ、花巻郊外旧太田村での不自由な蟄居生活――「自己流謫(るたく)」――「流謫」は「流罪」に同じ――で、自らの罪に向き合ったことも語られました。この時代こそが、ヒューマニスト光太郎を語る上で最も重要な時期なわけで、ここをしっかり描いて下さったのもありがたいところでした。

終末は再び「智恵子抄」。「樹下の二人」(大正12年=1923)で、幕。

あらためてパンフレットを読み返してみると、最初のページに「光太郎の言葉に触れることは、時代の分節点にある今日、何かを教えてくれるのではないでしょうか」とありました。なるほど、と思いました。

終演後のホワイエ。

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急いで帰る都合があり、役者さんのお一人とだけ少しお話しさせていただき、名刺をお渡しして帰りました。

すると、昨日、脚本・演出を担当された小野寺聰氏から、自宅兼事務所にご丁寧にお電話がありまして、上記のような感想をお伝えし、その他いろいろお話しさせていただきました。そういうケースも珍しいので、恐縮いたしました。役者さんたちは、いろいろな劇団などから集まった特別編成だそうで、今のところ再演の予定はないというお話でした。ただ、光太郎の生き様的な部分に感銘を受けた役者さんもいらして、さらにちゃんとやりたいみたいなお話もあったそうです。期待したいところです。


以上、都内レポート終わります。


【折々のことば・光太郎】

今更罹災の体験などと改まつてきかれると変なもので、私などは独身者の事とて万事が簡単至極である。罹災者達の中には病人や老幼者をかかへて敢闘した人達も多い事と思ふが、さういふ人達に対して深甚の同情を禁じ得ない。
散文「罹災の記」より 昭和20年(1945) 光太郎63歳

この年4月13日(昨日ですね)の空襲で、亡き智恵子と過ごした駒込林町25番地のアトリエ兼住居は灰燼に帰しました。自らも既に老年に入っていた光太郎、自分はともかく「病人や老幼者をかかへて敢闘した人達」への気遣いを優先させています。しかし、同じ文章の終末では「敵の腰砕け、敵の気力折れ尽きるまで、戦に冷徹して、神明からうけた大和民族の真意義を完たからしめねばならない」とも発言しています。

その愚昧さに気づくまで、あと数ヶ月を要します。

昨日は新橋演舞場さんに行っておりました。

光太郎智恵子とは直接関連がないのですが、当会会友・渡辺えりさんが主演(キムラ緑子さんとのダブル主演)を務められている「喜劇 有頂天団地」を拝見。

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渡辺さんからは新たな公演やコンサートのたびにご案内を頂くのですが、ずっと欠礼続きで申し訳なく思っていたところ、共演されている一色采子さんからもお手紙が届き、さらに渡辺さんの事務所からお電話も。お二方からの圧力に抗しきれず(笑)……。

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上の方はコピーのようですが、最終四行は自筆。「大山」は一色さんの本名。二本松でレモン忌など智恵子関連のイベントにいらっしゃる際は私人として、ということで「大山采子」さん名義でご出席されています。亡くなったお父様が、智恵子と同じ二本松のご出身で、文化勲章を受章された日本画家・大山忠作画伯。同郷のよしみで、智恵子をモチーフにした絵も複数遺されています。

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左は「智恵子に扮する有馬稲子」。昭和51年(1976)、やはり新橋演舞場さんで公演があった「有馬稲子 秋の名作公演」で、北条秀司作「智恵子抄」も演目に入っており、その際に楽屋でスケッチが為されたとのこと。

北条秀司作「智恵子抄」といえば、昭和32年(1957)、明治座での初演は光太郎とも交流のあった故・初代水谷八重子さんが智恵子を演じられましたが、後に同じ水谷さん主演で昭和46年(1971)に新橋演舞場さんで再演されていいます。

他にも新橋演舞場さんでは、平成12年(2000)に、津村節子さん原作の「智恵子飛ぶ」の公演も行われています。その際の智恵子は片岡京子さん(最近、永谷園さんのCMでよく見かけます)でした。

ちなみに片岡さんの「智恵子飛ぶ」は、平成13年(2001)には京都南座さんでも公演されました。今回の「喜劇 有頂天団地」も来年、南座さんで京都公演があります。

ところで、何が「有頂天」なのかというと、やはり渡辺さんとキムラさんによる「喜劇 有頂天旅館」(平成27年=2015)、「喜劇 有頂天一座」(平成30年=2018)などが既にあり、いわばシリーズです。このうち、「喜劇 有頂天一座」は、初代水谷八重子さんの「智恵子抄」を書いた北条秀司の「女剣劇朝霧一座」(昭和34年=1959)を下敷きにしています。

キムラさんといえば、平成27年(2015)までBS朝日さんで放映されていた5分間番組「いにしへ日和」のナレーションを務められていました。同番組では「#107 福島県・二本松市・智恵子の空」(2014)、「#122 岩手県・花巻市・高村光太郎と大沢温泉」の2回、光太郎智恵子に触れてくださいました。

さて、「喜劇 有頂天団地」。「団地」といっても箱形4階建て等の団地ではなく、建て売り分譲住宅等の建ち並ぶ団地。渡辺さんは新しく建て売り分譲された区画に入居した主婦の役です。一色さんはその隣人・キムラ緑子さんの義妹という設定でした。

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公式サイトから、あらすじを。

 昭和50年代の初め。
 郊外の住宅街の一角に、昨今の、いわゆるミニ開発と呼ばれる小規模の建売住宅建設が進んでいた。そのせまい敷地に突然、赤や緑や茶色の屋根の賑やかな家がしんこ細工の様に6棟、軒を接して建て込んできたので、近所ではかなり目立つ存在になっていた。
 新入居者達にとっては、幾多の艱難辛苦に耐えローンを組み、やっと手に入れた住宅である。そうであれば傍目にはどう映ろうともわが城。マントルピースあり、シャンデリアあり、大型カラーテレビも鎮座している。
 その一軒が隅田家。秀子夫人と娘の杏子、それに舅の大造が住んでいる。主人は外国航路の船員としてサンフランシスコに行っている…事になっている。
 この隅田家の裏隣りが徳永家。同価格の同規格なのでまるで双子のように隅田家と似ている。徳永家はくに子夫人。主人の伸一郎と姑の富江と同居している。伸一郎は帝国ホテルに勤めている…事になっている。
 ある日、隅田家で6棟の新入居者と長年この土地で暮らしている高見沢勝子達との寄り合いが行われた。議題は「風紀粛正」、と言っても下着の干し方、ゴミの出し方、と言った話題であった。
 更に、この住宅の裏にもう2軒住宅が建つことになり、隣人たちは色々な思惑に苛まれて行く…。

途中、休憩をはさみ3時間あまり(上演のみで約2時間半)。長丁場の内容でしたが、芸達者な皆さんの熱演で、終わってみればけっこうあっという間の感がありました。

終演後、花を持って楽屋にお邪魔しまして、渡辺さん、一色さんとお話をさせていただきました。引き出物的にいただいてきたものがこちら。

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渡辺さんからは、渡辺さんの故郷・山形のお米。

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一色さんからはかわいらしい名入りの手ぬぐい。

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それぞれのキャラクターがよく表れています(笑)。

新橋演舞場さんでの公演は12月22日(土)まで、来年1/12(土)~27(日)には、先述の通り京都南座さんで京都公演です。ぜひ足をお運びください。

ところで、渡辺さんのブログの最新記事では、今月10日(月)に新国立劇場さんであった、「演劇のおしごと Vol.2 ~「劇作家」とは?」というトークイベントのレポートが。お父様の渡辺正治氏と光太郎の交流のお話もなさって下さったとのこと。一色さんは昨年、二本松の智恵子生家で「智恵子・レモン忌 あいのうた」と銘打ち、「智恵子抄」の朗読をなさってくださいました。

お二人には光太郎智恵子の伝導というお仕事も続けていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

「ああ、僕はやつぱり日本人だ。JAPONAISだ。MONGOLだ。LE JAUNEだ。」と頭の中で弾機(ばね)の外れた様な声がした。

散文「珈琲店より」より 明治43年(1908) 光太郎26歳

パリジェンヌの女性と一夜を過ごし、二日酔いの眼で見た洗面所の鏡に映る自らの姿を見た時の回想です。

3年以上の月日を過ごしても、結局、真に「西洋」を理解することは不可能と、この時に悟った光太郎、帰国を決意します。しかし、帰った日本の美術界は、守旧と情実と忖度の横行する旧態依然。孤独な闘いが始まります。

ちなみに渡辺えりさんのお父様は、昭和61年(1986)、パリの光太郎も通ったカフェ、クローズ・デ・リラで開催された第30回連翹忌にもご参加下さいました。

昨日は福島県の郡山市、それからいわき市に行っておりました。2回に分けてレポートいたします。

まずは郡山。市中心部の郡山市公会堂で開催された、「第2回朗読パフォーマンス声人(こえびと)LIVE ∞生きる∞」。を拝見して参りました。

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会場の郡山市公会堂は、建物自体が登録有形文化財に指定されています。こういう場所での公演というのもいいものだと思いました。

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この手の建造物は、通常、入口の扉を開けるとホワイエ的な空間があるのですが、ここはそうではなく、いきなりホールなので、びっくりしました。

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今回、客席としては使用しませんでしたが、2階席もあったりして、これまたレトロでいい感じでした。

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会場後方には、書家の方が書かれたという「あどけない話」(昭和3年=1928)。

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先月拝見に伺った「第38回日本教育書道藝術院同人書作展」でも感じましたが、書家の皆さん、光太郎詩からインスパイアを受けるというケースが多いようで、ありがたいかぎりです。

「ほんとの空」と安達太良山の水彩画も。

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ご出演は朗読パフォーマンス声人(こえびと)さん。郡山のコミュニティFM・ココラジでパーソナリティーを務められている宗方和子さんという方が代表で、宗方さんが講師を務められているカルチャースクールでの生徒さん達がメンバーだそうでした。

智恵子の故郷、二本松に近い郡山で、地元の方々がこうした公演をなさって下さるというのが非常にありがたいところです。

二部構成で、第1部は『朗読 アラカルト』、三つの作品から。ロバート・マンチ作「ラヴ・ユー・フォーエバー」――岩崎書店さんから刊行されている絵本です―――。斎藤隆介作「ベロ出しチョンマ」――今年の連翹忌で朗読をお願いした山田典子さんがご出演された朗読系の演劇公演「智恵子から光太郎へ 光太郎から智恵子へ ~民話の世界・光太郎と智恵子の世界~」でも取り上げられました。我が故郷・千葉県の義民・佐倉宗吾伝説を元にしています。そして、黒柳徹子さんの「窓ぎわのトットちゃん」からの抜粋。

以前にも書きましたが、公共交通機関に揺られている際に読むミステリーや時代小説などを除き、光太郎関係以外はあまり読まない当方にとって、こうした朗読系公演で、普段接しない作品に接するのは実に新鮮な感じです。また、出演者の方々の、一生懸命伝えようとする姿勢にも好感が持てます。

第2部が「ドラマリーディング  ロンド ~智恵子抄 雷火~」。「佐藤春夫原作」となっていまして、佐藤の『小説智恵子抄』を下敷きにはなさったのでしょうが、ほぼほぼオリジナルの脚本で、宗方さんの手になるものだそうでした。「雷火」は光太郎詩「おそれ」(大正元年=1912)中の「あなたの今言はうとしてゐる事は世の中の最大危険の一つだ/口から外へ出さなければいい/出せば即ち雷火である」から採られた一言です。ちなみにこのフレーズ、智恵子からの愛の告白を意味します。

明治末の光太郎智恵子の出会いから、昭和13年(1938)の智恵子の死(今年が歿後80周年です)までの、光太郎詩の朗読を中心に、二人の共棲生活の軌跡が描かれていました。説明に当たる部分は説明に終始せず、主に智恵子が母・センや親友・田村俊子に送った手紙を朗読するというかたちで説明し、うまい手法だな、と思いました。また、時間の経過と共に光太郎智恵子役の方が交代し(20代、結婚当初、智恵子晩年の頃と3組)、それで時間の経過を表すという手法も用いられ、面白い試みだなと思いました。

「ドラマリーディング」と銘打っていますので、出演者の皆さんは、基本的に台本片手に演じられていました。今年の1月に目黒で拝見した「MAIA STARSHIP朗読劇 いやなんです あなたのいってしまふのが −智恵子抄より」もそうでしたが、下手に暗記しようとしてかえって「こうだったっけ?」的に自信なさげになったり、間違いだらけの朗読やセリフ回しになったりするより、割り切って台本片手の方がずっといいと感じました。何より、出演者の方々の熱演あってのことですが。

ヤマ場では、ダンサー・橋本みなみさんがご登場。千々に乱れる智恵子の心を舞踊で妖しく表現。

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橋本さん、ベリーダンスがご専門だそうで、中東系の音楽に乗せての舞でしたが、壊れて行く智恵子がよく表現されていました。

最後は出演者全員で「あどけない話」の朗読。

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左から、柳敬助、智恵子晩年の頃の光太郎、青年期の光太郎、結婚当初の光太郎、智恵子の姪にしてその最期を看取った長沼(のち宮崎)春子、晩年の智恵子、智恵子の母・セン、結婚当初の智恵子、20代の智恵子、柳八重

後ろのスクリーンには、会場後方に展示されていた「あどけない話」の書と、安達太良山の水彩画が映り、心憎い演出でした。

終演後、出演者の皆さんによるお見送り。

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この公演、郡山市の「ファミリーホームいぶき」さんで生活している子供たちの通学支援チャリティーを兼ねているとのことで、募金箱に募金をし、さらに、宗方さんと少しお話をさせていただきました。今後、二本松でのレモン忌や当会主催の連翹忌等でご縁が持てればと思っております。

その後、いわき市の草野心平記念文学館さんで開催中の「開館20周年記念 夏の企画展 宮沢賢治展 ―賢治の宇宙 心平の天―」へ。そちらについては明日、レポートいたします。


【折々のことば・光太郎】

基調としての季節感に裏うちされぬ日本文学といふものをあまり見なかつた。日本文学にとつて季節の感情ほど読者に直接にアッピイルし易い武器はなかつた事を意味する。日本特有のセンチメンタリズムには必ず背景として又基調として、月が冴えたり、花が散つたり、風鈴が鳴つたり、虫がすだくといふやうな「身にしみる」道具が具備する。

散文「日本の秋と文学」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

いわゆる「もののあはれ」。それはそれでいいとして、それだけにたよっている浅薄な文芸作品はいただけないというのです。同時に、自分は決してそんなものは書かないぞという表明でもありましょう。

昨日は、両国で劇団劇団空感演人さんによる「チエコ」という演劇を観て参りました。

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平成25年(2013)にも同じ会場、同じ劇団(当時の劇団名は「空感エンジン」)の公演があり、その時以来の2度目の拝見。さすがに4年半ぶりでしたので、細かな部分は覚えて居らず、拝見しながら「ああ、ここはこういうシーンだったな」、「あれっ、こんな流れになるんだったっけ?」という感じでした。

主な舞台は、旧本郷区駒込林町の光太郎アトリエ。肺結核のため智恵子が歿し、光太郎が詩集『智恵子抄』を編もうとしている時期――昭和15年(1940)ごろというところでしょうか。最初に登場するのは、光太郎と、智恵子の最期を看取った智恵子の姪・長沼春子。春子は智恵子歿後も家政婦さんのようにアトリエに同居しているという設定です。そこに光太郎を敬愛する後輩詩人、中原綾子と草野心平(当会の祖です)、さらに途中から光太郎に代わって高村家の家督を継いだ実弟の豊周、そしてかつて智恵子の親友で、長いこと洋行していた田村俊子も加わります。この「現在」の場面と、智恵子存命中の「過去」の場面とを行ったり来たりしながら、物語が進みます。

光太郎智恵子にあまり詳しくない方でも、物語が進むにつれ、こういう経緯があったのか、と、非常にわかりやすく作られています。また、若い役者さんたちの、一生懸命な姿にも好感が持てました。先週からの公演で、合計6組の役者さんたちが入れ替わりながらということで、お互い競い合う的な部分もあるのでしょうか。

そして、結局、智恵子が心を病んだのは誰のせいでもない、という描き方です。心を病んだ智恵子も、最期には「紙絵」によって芸術家としての才を開花させることができたとし、初めは光太郎を糾弾していた田村俊子も納得します。そこで、終幕後は爽やかな余韻が残ります。一歩間違うと、何らの問題意識も提示しないまま、お涙頂戴の甘ったるいメロドラマで終わってしまう危険性もはらむ手法ですが、そこをそうさせないように、役者さんたち、そして脚本・演出の野口麻衣子さん(開演前と終演後、少しお話をさせていただきました)のご努力が見えました。何というか、皆さん、「優しい気持ち」でこの芝居に当たられているような……。

終演後の舞台挨拶。

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左から、長沼春子、豊周、光太郎、智恵子、田村俊子、心平、中原綾子です。

台本を販売していたので、購入して参りました。1,500円でした。

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来週月曜まで、まだ空席がありそうですので、お問い合わせの上、ぜひ足をお運びください。子供さんにも安心してみせられる芝居です。


【折々のことば・光太郎】

芸術作品を製作する者の側からいふと、独自性よりも普遍性を心がける方が正しいのではないかと思ふ。芸術の基準は人類共通の根本に据ゑて置くべきで、殊更に一民族乃至一個人の特性に意識的に凝り固まるべきではないと考へたい。
散文「普遍と独自」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳

さりとて、独自性を軽視するというわけでもなく、しかし、独自性は自ずと表れるべきものであるとも光太郎は言います。たしかにどんな芸術でも、没個性も困りものですが、「自分が、自分が」という意識が強すぎるものに対しては、引いてしまうことが往々にしてあります。

空感演人さんの「チエコ」、そうした意味での普遍性も感じさせるものでした。

昨日今日と、都内に用事。光太郎関連以外の雑事もいろいろあって、それぞれトンボ返りです。暇なら都内に宿泊していたのですが。

昨日は夕方に自宅兼事務所を出、目黒区の神泉に行っておりました。渋谷から京王線、もう一駅行くと、しょっちゅう行っている日本近代文学館さんのある駒場東大前ですが、神泉で下りるのは初めてでした。

暮れにこのブログでご紹介しました朗読劇「いやなんです あなたのいってしまふのが −智恵子抄より」 を拝見して参りました。

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会場は、shibuya gallery「Arc」さん。何とまぁ、古いマンションの一室でした。靴を脱いで上がるという。かえって都内だと、こういうのもありなんだな、と思いました。キャパも20名ほどでした。

下の画像は開演前。基本、椅子二つにキャストのお二人(光太郎・智恵子)が座って演じられる形でした。右の斜めの木枠はイーゼルを表しています。時折、お一人ががその前に立ったりもしました。

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それから、左側の壁にスクリーン。ここに、光太郎詩が投影されます。

智恵子歿後の「梅酒」に始まり、『智恵子抄その後』中の「あの頃」、題名ともなっている「いやなんです/あなたのいつてしまふのが――」で始まる「人に」、そして「おそれ」、「郊外の人に」、「遊びぢやない」で始まる「人に」、「金」、「淫心」など。さらに合間に光太郎役の方、智恵子役の方のセリフがいろいろと入ります。それぞれ「なるほど、こんなことを言ったかもしれない」と思わせるものでした。脚本を書かれた方、よくお調べになられていたようでした。役者の方の感情移入も見事でした。

『智恵子抄』以外からも、彫刻のヌードモデルのため雇った17歳の少女を謳った「五月の土壌」なども使い、うまいなと思いました。智恵子の嫉妬心的な描写のためです。また、徐々に浮き彫りになっていく光太郎と智恵子の微妙な齟齬なども、「餓死よりは火あぶりの方をのぞむ」という「夜の二人」に対し、智恵子のセリフとして「私はどちらも望んでいない」と言わせるなどの工夫も見られました。

「あどけない話」を経て、後半は「人生遠視」、「千鳥と遊ぶ智恵子」、「山麓の二人」、「値ひがたき智恵子」などで壊れていく智恵子、「レモン哀歌」、そして「荒涼たる帰宅」で、その死を描いて終わります。光太郎智恵子に詳しくない方でも、二人の生の歩みが理解しやすかったのではないでしょうか。

変わっているな、と思ったのは、役者さんが最後まで台本片手に演じられること。「朗読劇」と銘打っていますので、それもありかなと思いましたが、確かに下手に暗記しようとしてかえって「こうだったっけ?」的に自信なさげになったり、間違いだらけの朗読やセリフ回しになったりするより、割り切って台本片手の方がずっといいと感じました。完璧に覚え、自信を持って演じられるなら、そちらの方がいいのでしょうが。当方、趣味での音楽活動の際は暗譜はせず(出来ず、でもありますが)、楽譜を見ながら演奏することがほとんどです。それに近い考えなのかな、と思いました。

それにしても、若い役者さんお二人の、一生懸命な姿には、好感が持てました。

終演後、主宰の方とお話をさせていただきました。8年位前から構想されていたとのこと。すばらしい。今後も違った形で光太郎智恵子を取り上げるかも、的なお話もあり、ぜひそうしていただきたいものです。例によって連翹忌の営業もしておきました。

21日の日曜までの公演です。上記リンクよりお問い合わせの上、まだ空席があるようでしたら、ぜひ足をお運びください。

今日は朝から光太郎の母校・荒川区立第一日暮里小学校さんに行って参ります。ゲストティーチャーのアシスタントのそのまたアシスタントです(笑)。けっこうどさくさまぎれに強引に入れていただきました。こちらもトンボ返りです。明日はそちらをレポートいたします。


【折々のことば・光太郎】

詩とは気である。気の実である。気の実なる限り、宇宙に詩は遍満する。気の実無き限り、千万の美辞も、天来の意匠も詩を成さない。

散文「七つの芸術」中の「七 詩について」より
 昭和7年(1932) 光太郎50歳

昨日も数々の光太郎詩篇に宿る「気」を感じて参りました。やはり目で読むより耳で聴く方が、それを感じます。

昨日は千葉県柏市に行き、朗読系の演劇公演「智恵子から光太郎へ 光太郎から智恵子へ ~民話の世界・光太郎と智恵子の世界~」を拝見・拝聴して参りました。

会場は柏駅近くのアミュゼ柏クリスタルホール。平日にも関わらず、300席ほどがほぼ満席でした。

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開演前に戴いたプログラムを拝読。主催でご出演もなさっていた山田典子さんのご挨拶が最初に印刷されていました。

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山田さんのプロフィールはこちら。

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2部構成で、第1部が「~民話の世界~」。さらにその中でも2本立てで、最初が「耳無し芳一」。源平の争乱最後の戦い・壇ノ浦の合戦があった山口県下関に伝わる民話で、小泉八雲が『怪談』で取り上げて有名になった話です。山田さんが朗読、伴奏的に久保田晶子さんが琵琶を演奏なさいました。

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当方、琵琶の生演奏は初めて聴きました。ちょっと爪弾いただけでも哀愁の漂う音色、不思議な楽器です。

続いて斉藤隆介原作の「ベロ出しチョンマ」。オペラ歌手・大久保光哉さんの「歌い語り」、伴奏は久東寿子さんの二十五弦箏でした。一般的な箏は十三絃、一度、十七絃箏を使った演奏を聴いたことがありますが、リードギターの箏に対し、ベースギターのようだと思って聴きました。今回は二十五絃一張で、高音から低音まで実に音域が広く、ピアノのようだと思って聴きました。

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休憩を挟んで第2部、いよいよ「~光太郎と智恵子の世界~」です。

構成の妙を感じました。

まずピアノ独奏「「智恵子抄三章」へのプロローグ 智恵子の世界への誘い」。演奏は青木俊子さん。美しいメロディーラインの中にも哀愁が漂い、プレリュードとして見事な導入だと思いました。

その後は、山田さんの朗読と、大久保さんの歌が交互に為され、光太郎智恵子出会いの頃から智恵子の死までが描かれました。

朗読の台本的なところは、佐藤直江さん作の「星になった智恵子」。智恵子一人称の独白スタイルです。

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千葉県での公演だから、ということもあったのでしょうか、大正元年(1912)の銚子犬吠埼でのエピソードが紹介され、お客さんの(おそらく光太郎智恵子にはお詳しくない)反応が、「えっ、犬吠埼?」という感じでした。

犬吠埼についてはこちら。当方生活圏です。

九十九里浜のエピソードもあれば、なお良かったと思いました。

大久保さんの歌は、青木省三さん作曲の「智恵子抄三章」。存じませんでしたが、岡山の合唱団の依嘱作品としてア・カペラで作られたものを編曲し直しての使用だそうです。

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ピアノは新居美穂さんにバトンタッチ。

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歌とピアノの関係が面白く、歌われたフレーズと同じメロディーをピアノが追いかけて繰り返すという手法が使われていて、こういう手もあるんだなと思いました。

第1部も含め、それぞれの方の熱演で、引き込まれるステージでしたし、語りと音楽を交互に配し、変化を付ける構成が非常に効果的だったと思いました。

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この手の公演で、光太郎智恵子の世界を取り上げていただけるのは、実に有り難く存じます。これを通して、光太郎智恵子の世界に興味を抱いて下さる方が増えていってほしいものです。


【折々のことば・光太郎】

私はもう少しこの深い天然のふところに落ち込んで、 雀をまねるあの百舌のおしやべりを聞きながら、 心に豊饒(ほうねう)な麻酔を取らう、 有りあまるものの美に埋もれよう。

詩「落葉を浴びて立つ」より 大正11年(1922) 光太郎40歳

季節はずれですみません(笑)。以前にも書きましたが、このコーナー、『高村光太郎全集』第一巻から始め、ほぼ掲載順に「これは」と思うフレーズを引用していますので、季節外れになることもしばしばです。

光太郎が好んで色紙などに揮毫した言葉に「美ならざるなし」「うつくしきものみつ」といったものがあります。天然の作り上げたもの、全てに「美」を感じとっていたことがうかがえます。こういう感性は自分でそれを大事にしなければ、と思わないと、摩滅してしまうような気がします。そうならないように、心がけたいと思います。

昨夜は、2日に執り行った第60回連翹忌の後始末もほぼ終わり、時間が取れたので、東京・新橋に行っておりました。

内幸町ホールさんにて開催の、「第29回ゆーりんプロデュース公演 ~詩と語りと芝居で紡ぐ~「智恵子抄」」拝見のためです。

主催は声優としてもご活躍中のよこざわけい子さんが代表を務められる「ゆーりんプロ」さん。かなりの大所帯のようで、1回の公演で20名以上のキャスト、それが10公演(複数回ご出演される方もいらっしゃいますが)。したがって、同プロあげての大規模な公演だったようです。

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一昨日から公演が始まり、昨夜は2回目の公演で、「☽チーム」さんという方々のご出演でした。一昨日は「☆チーム」さんだったので、「☽チーム」さんとしては初の舞台でした。

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こちらは会場のホワイエ。パネルで関連写真等の展示が為されていました。

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こちらで今回の公演のテーマ曲「春の吹雪」という曲のCDが販売されており、早速ゲットしました。よこざわけい子さんの作詞だそうです。ジャケットには光太郎の愛した連翹の花。

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ホワイエのテーブルには桜とレモン。こういう細か001なこだわりは好ましいですね。

さて、いよいよ公演を拝見しました。

途中休憩なしで、2時間10分ほどの長い舞台でした。光太郎の実弟・豊周の子息で写真家の故・規氏が、ストーリーテラー。

社会思想社さんから規氏や当会顧問の北川太一先生、故・伊藤信吉氏の編による『紙絵と詩 智恵子抄』が刊行された昭和40年(1965)に、その出版にからめて、若き日の規氏が光太郎智恵子を回想する、という設定でした。そこで、公演のパンフレットは同書の表紙を模したデザインになっていました。

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生前の規氏に、千駄木のご自宅碌山美術館さんなどでお話を伺ったことを懐かしく思い出しました。

物語は、明治末のパンの会の狂躁あたりから、光太郎智恵子の出会い、恋愛時代、結婚生活、そして実家の没落や進まない絵画修行から、徐々に心を病む智恵子、そしてその死、智恵子没後の光太郎と、ほぼオーソドックスに進みました。親しくさせていただいている渡辺えりさん作の「月にぬれた手」などは、かなり前衛的で、観る人を選ぶ芝居、という感じでしたが、こちらはかなりわかりやすい作りでした。

また、プロジェクタで古い写真を投影するなどの演出も見事でしたし、脚本も、当時の関係者の回想などからの引用が効果的に使われ(智恵子の主治医だった斎藤玉男など)、好感が持てました。

2時間10分の長い舞台でしたし、役者さん達の熱演もあり(生身の人間が目の前で演じているのを観る、というインパクトは大きいと思います。)、一般の方々にも二人の辿った道程が理解しやすかったのではないかと思います。当方も制作のお手伝いさせていただいたNHKさんの「日曜美術館」や「歴史秘話ヒストリア」などは、よくまとまってはいましたが、いかんせんそれぞれ45分間と尺が短く、ある意味、消化不良の感がぬぐえませんでした。

個人的には岩手太田村時代の話がもう少しあっても良かったのかな、という気もしましたが、欲張りすぎでしょうか。

終演後の出演者の方々。

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本公演は明日まで、さらに会場で戴いたチラシによると、「よこざわけい子 声優・ナレータースクール 第二十三期生 卒業公演」ということで、11日(月)~14日(木)、同じ内幸町ホールさんで公演があるそうです。

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ぜひ足をお運びください。


【折々の歌と句・光太郎】

「ゴンドラ」にゆらりと乗りぬ春の宵  明治42年(1909) 光太郎27歳

一昨日からの連作で、イタリア・ベネチアでの作。すべて留学仲間の画家・津田青楓(パリ在住)に送った絵葉書にしたためられたものです。

昨日は、練馬区江古田にて、微笑企画第4弾「一人芝居 人に~智恵子抄より~」を観て参りました。
 
素晴らしい舞台でした。
 
場所は江古田駅近くの兎亭さんという、カフェ+レンタルイベントスペース。地階に会場がありました。
 
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縦長のさして広くないスペースで、舞台とギャラリーの仕切り、段差等が一切無く、それだけに一体感が感じられました。
 
一人芝居ということで、智恵子を演じ000られたのは微笑企画主宰・井餘田笑子さん。熱演でした。

まず驚いたのは、ダンスパフォーマンス的な要素がふんだんに採り入れられていたこと。それもかなり激しい動きで、昂ぶる光太郎への愛情や、結婚生活の中での煩悶といった部分が表現されていました。光太郎智恵子をあつかうものとしては、ある意味「静かな」舞台を見慣れていましたので、新鮮でした。
 
脚本的にも、いろいろと感心しました。智恵子の内面がよく剔りだされており、単なる「お涙ちょうだい」の純愛ものでなく、さりとて「智恵子を犠牲に自己の芸術を作りあげた非道な光太郎」という観点でもありませんでした。
 
『青鞜』のメンバーの一部が、結局はただの女子会的になってしまっているとか、光太郎智恵子の結婚生活において、徐々に智恵子の家事分担が増えていったことを、智恵子自身が「光太郎のために」と自分に言い聞かせ、しかし、その裏には、自分の才能不足からの逃避があった、などという点には、「なるほど」と思わされました。
 
演出的にも、スペースの狭さ、舞台とギャラリーの仕切り、段差等が一切無いことを逆手に取り、観客の眼の前まで歩み寄って語りかけたり、凝った和風のBGMが効果的に使われていたりという点が良かったと思います。
 
何より井餘田さんの、一種、きりっとした感じに非常に好感が持てました。画像は終演後、あいさつをされる井餘田さんです。
 
残念なのは、あまり宣伝もされていなかったようで、もともと狭いスペースということもあり、観客は20名程だったこと(最初から限定20名と告知されていました)と、一回限りの公演であること。もっと多くの方に観ていただきたいという意味で残念です。
 
昨日のこのブログでは音楽での光太郎作品インスパイアを取り上げましたが、演劇系でも、もっともっと光太郎智恵子の世界をいろいろな方に、井餘田さんのように、それぞれの解釈で取り上げていただきたいものです。演劇関係の皆さん、よろしくお願い申し上げます。「『智恵子抄』? 「お涙ちょうだい」の古くさい話じゃん」という考えは、違います!!
 

【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月25日
 
昭和4年(1929)の今日、東京会館で行われた、与謝野晶子50歳の祝いの発起人を務めました。
 
当時の『朝日新聞』です。見出しは25日になっていますが、記事本文では22日となっています。見出しを優先しました。
 
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昨日は智恵子命日「レモンの日」ということで、染井霊園の高村家墓所に行って参りました。
 
生憎の雨でしたが(というか、わりと有名な話ですが、光太郎がらみの日は見事なくらいいつも雨です)、香華とレモンをお供えして参りました。
 
高村家墓所の周りになぜか黒猫が二匹。睦まじくじゃれあっていました。光太郎智恵子夫妻も駒込林町のアトリエで黒猫を飼っていたことを思い出し、猫たちが光太郎智恵子に見えました(笑)。
 
その後、両国に移動、劇団空感エンジンさんの舞台、「チエコ」を見て参りました。
 
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演劇等で、アイロニカルな視点で光太郎智恵子を描く場合も少なからずありますが、この舞台では最期に智恵子が救われるような、そしてそれによって光太郎も救われる的な終わり方で、なかなかいい感じでした。
 
さりとて全てを肯定するのでなく、よく言われる「光太郎が智恵子を追い詰めた」的な光太郎を糾弾する部分も、智恵子の親友・田村俊子の台詞で表されていました。俊子は、智恵子の絵画作品が放っていた輝きが結婚後に失われたことを残念がり、あまっさえ夢幻界の住人として逝ったことを抗議します。しかし、七年にわたる光太郎の看護の苦労を知り、さらに夢幻の縁で智恵子が作った紙絵を見て、矛先を収めるという流れでした。
 
キャストは7人(光太郎智恵子夫妻、田村俊子、智恵子の姪・宮崎春子、光太郎の弟・豊周、光太郎を敬愛する後輩詩人・草野心平と中原綾子)。若い役者さん達のフレッシュな体当たりの演技で、好感が持てました。
 
脚本的にも、それぞれの登場人物がその当時こんなことを言っていたとしてもおかしくない、またはこんなエピソードが実際にあったかも知れないと思わせるような無理のない、わかりやすいものでした。
 
時折、前衛的すぎて何を表現したいのかさっっっぱりわからない舞台もありますが、今日の「チエコ」は非常にわかりやすいものでした。そういう意味では「レモンの日」の今日、智恵子に対してのよい供養となったのではないでしょうか。
 
公演は明日10/7(月)までと、10/9(水)~14(月・祝)。1日2~3回の公演で、それぞれ3班にわかれて、6班のべ42人の役者さんが出演されます(一部、重なっているようです)。こうした若い方々に頑張っていただき、さらに光太郎智恵子の世界を広めていっていただきたいものです。
 
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さて、当方、今日は福島二本松での智恵子を偲ぶ集い「第19回レモン忌」に行って参ります。
 
例の「日曜美術館」は録画予約済み。帰ってからじっくり観ます。ご覧下さった方、ご感想等お寄せいただければ幸いです。ただし、当方あくまでアドバイザーですので苦情を持ち込まれても困りますが(笑)。
 
【今日は何の日・光太郎】 10月6日

平成元年(1989)の今日、赤坂草月ホールで仙道作三氏作曲のオペラ「智恵子抄」初演が行われました。
 
型破りのキャスト2人だけのオペラで、智恵子役は010連翹忌や女川光太郎祭ご常連の本宮寛子さん、光太郎役は高橋啓三さん。伴奏は田中信昭さん指揮の10人編成管弦アンサンブルでした。
 
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アクセス数5,000件を突破しました。ありがとうございます。
 
福岡から帰ってきました。今回の福岡行きは、玄海椿さんの一人芝居「智恵子抄」が目的でした。
 
玄海さんは、劇団ひまわり福岡アクターズスクールの講師を務めるかたわら、ご自身で「椿演劇塾」を主宰、後進の育成にも力を入れられています。もちろんご自身の舞台も。九州を拠点に「舞台人生37年」だそうで、平成12年に独立、ご自分で脚本を書いた一人芝居が約20本。「智恵子抄」はそのうちの一つだそうです。
 
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今回の公演は「グラン・ジュテ」と銘打ったツアーの2日目。これは玄海さんのお嬢さんの平田愛咲(あずさ)さんとのジョイントです。
 
愛咲さんはミュージカル女優という分類になるのでしょうか。東京の東宝ミュージカルアカデミーのご出身で、本年、ハンガリーで行われた「第1回シルヴェスター・リーヴァイ国際ミュージカル歌唱コンクール」でグランプリを獲得された他、はいだしょうこさんとのWキャストで松平健さん主演のミュージカル「王様と私」などにご出演なさっています。

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愛咲さんのステージは、そういうわけでミュージカルの劇中歌が中心。それだけでなく、お仲間の堀江慎也さんをゲストに、デュエットやタップダンスなども織り交ぜたステージでした。
 
「グラン・ジュテ」としては、今月7日の福岡ふくふくホールを皮切りに、昨日の福岡ロックハリウッドビル・Eternity(ダイニングバーです)、今日は大分、さらに長崎、東京、また福岡、そして熊本と続くとのことです。
 
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玄海さんの部は、20作品あるというレパートリーの中からいろいろやられるそうで、「智恵子抄」は7日と昨日だけだそうです。他には「坂本龍馬が愛した女」「唐人お吉」などなど。
 
玄海さん演じる智恵子。光太郎と知り合った頃から、結婚、その後の貧窮生活、絵画への絶望、実家の破産を経て、夢幻界を彷徨う姿、そしてその終焉までを情念たっぷりに表現されていました。ほんとに「情念」という言葉がぴったりで、「女はコワい」と思いました。細かなエピソードなどもよく調べられていて感心させられましたし、智恵子の魂の叫びは「さもありなん」という感じでした。それでも光太郎智恵子をおとしめるものではなく、そうならざるをえなかった二人、といった点はしっかりと踏まえられていたように思います。
 
終演後、お弟子さん達と一緒に、会場のEternityさんでの打ち上げに参加させていただきました。皆さん、心から演劇を愛されている方ばかりでした。連翹忌にもお誘いしましたし、機会があれば東京や東北でも「智恵子抄」を演じてみたいそうです。自分の所のイベントで呼んでみよう、という方がいらっしゃいましたらお声がけ下さい。仲介いたします。
 
いつも書いていますが、こういう分野でも光太郎智恵子をどんどん扱っていただくのはありがたいことです。また、劇団ひまわりさんで使っている子供達のテキストに「あどけない話」が昔からずっと載っているとのこと。これもありがたいことです。明治大正昭和の初めに、峻烈な「生」の試みに挑んだ光太郎智恵子の世界、いつまでも語り継がれてほしいものですから。

さて、昨日観て参りました渡辺えりさん率いる劇団おふぃす3○○(さんじゅうまる)さんの舞台、「月にぬれた手」と「天使猫」をレポートします。
 
会場は座・高円寺さん。休日で二本立てということもあって、二公演とも233席、満員でした。ちなみに花巻高村記念会の高橋氏もいらしていました。夜行バスで花巻との往復だそうで、お疲れ様です。

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昨日は昼の部でまず13:00開演の「天使猫」。宮澤賢治が主人公です。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という賢治の名言を軸に、理想と現実のはざまで苦悩・葛藤する賢治の姿が描かれています。そんな賢治を温かく見守る弟の清六や妹のトシ、逆に非難・嘲笑する人々、そして賢治を取り巻く「イーハトーヴ」の大自然などとのからみが、幻想的な賢治童話に乗せて展開されます。

<配役>
 猫/保坂嘉内/きつね/生徒B/紳士……手塚とおる
 宮沢賢治……土屋良太
 トシ/ひばりの母/山猫/ヤス……馬渕英俚可
 清六/岩手山……宇梶剛士
 (山の役、というのもすごいものがありました。渡辺さんのブログに画像があります。)
 信夫/校長/うさぎの父/生徒A/別当/政次郎……谷川昭一朗
 絹江/ホモイ/イチ……渡辺えり
 キヌ/稲妻小僧……奥山隆   斎藤……醍醐直弘   川村……原田菜奈
 菊地/ひばりの子……佐藤友紀 小原……石山知佳   伊藤……加藤ちえり
 清六少年……川口龍      シゲ……加藤亜依   マツ……川崎侑芽子
 タケ……小出奈央       ウメ……金田彩乃

光太郎は配役として設定されていませんが、ストーリーの中で何度も「高村光太郎先生」として語られました。

夜の部は17:00開演で「月にぬれた手」。光太郎が最晩年を過ごした中野のアトリエ、それに先立つ花巻の山小屋が物語の舞台です。戦時中に自分が書いた詩を読んで散っていった若い命、夢幻界の住人となった智恵子に対する悔恨が浮き彫りにされています。最晩年の光太郎は「脱却」という語を好んで使いましたが、そこに到るまでにはどれほどの苦悩があったことか……。この舞台ではそれを表現しようとしているのだと思います。木野花さん演じる村の農婦が光太郎に投げつける「戦争中にこいづが書いた詩のせいでよ、その詩ば真に受げて、私の息子二人とも戦死だ。」「おめえがよ、そんなにえらい芸術家の先生なんだらよ。なしてあんだな戦争ば止めながった? なしてあおるだげあおってよ。自分は生ぎでで、私の息子だけ死ねばなんねんだ。」という台詞、重たいものがありました。
 
「天使猫」にしてもそうですが、重いテーマを扱いながら、ユーモラスな描写も多く(ウサギのかぶりもので走り回る渡辺さんには客席から爆笑が起こりました。)、それが救いとなっている部分も多かったと思います。特に「月にぬれた手」では、光太郎ファンにしかわからないような小ネタが散りばめられていたり、当方もよく存じ上げている実在の方々がモデルになっていたりと、そうした部分でも楽しめました。

<配役>
高村光太郎……金内喜久夫                智恵子……平岩紙
わか(光太郎の母)……神保共子      春子(智恵子の姪)……藤谷みき

【光太郎と交流を持つ近隣の住人たち】
はじめ/秀……神保共子                   良枝(はじめの母)/伸……木野花
節子(秀の娘)……平岩紙

【光太郎を訪ねてくる人々】
長沼千代子……渡辺えり                    田辺正夫/北山……小椋毅
八千代(正夫の婚約者)……藤谷みき

【山口小学校】
校長……木野花                               村長……藤谷みき
子供たち……加藤亜依、小出奈央、佐藤友紀、醍醐直弘、内川啓介
 
「天使猫」は6/3(日)まで。「月にぬれた手」は5/28(月)まで。まだ若干の空席のある日もあるそうですので、おふぃす3○○(さんじゅうまる)さんまでお問い合わせ下さい。

今日は渡辺えりさん率いる劇団おふぃす3○○(さんじゅうまる)さんの舞台、「月にぬれた手」と「天使猫」の二本立てを観に行きます。

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開演は午後なので、午前中は国会図書館さんで調べもの。当方、千葉県在住ですが、千葉県といっても田舎の方で、都心に出るのも一苦労でして、上京(本当にそういう感覚です)する際には複数の用事を片付けることにしています。

詳しくは帰ってからご報告致します。

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