一昨日、昨日と、二代目コロムビア・ローズさんについて御紹介しましたが、今日まで同じネタで行かせていただきます。
 
下の画像は昭和39年(=1964)8月、日本コロムビア発行の冊子「智恵子のふるさとを訪ねて」です。全26頁で、ソノシートが4枚付いています。おそらく「智恵子抄」のヒットを受けて発行されたものだと思います。
 
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26頁にわたってローズさんの写真がたくさん載っていますが、興味深いのは二本松周辺で撮影された写真が多いこと。観光客誘致に貢献したということで、作詞の丘灯至夫さん、作曲の戸塚三博さんともども、当時の二本松市長から感謝状が出され、その贈呈式のため二本松を訪れた際のものです。
 
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智恵子の生家や安達太良山、阿武隈川河畔、二本松霞が城など、智恵子のゆかりの地でのショットも多く、特に生家では昭和30年代に撮影された写真は他でほとんど見たことがなく、貴重なものだと思います。
 
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この当時、というか、とっくの昔に長沼家は人手に渡っており、建物も結構荒れていたようです。それが80年代終わりの頃の竹下内閣のときのふるさと創成事業で全国のすべての自治体に1億円が給付され、それを使って現在の形に整備されました。それがなかったらもはや朽ち果ててしまっているのではないかと思います。そう考えると、当時の安達町の英断には感心します。
 
花巻では昭和20年から光太郎が7年間暮らした山小屋が「高村山荘」として保存されています。ところが千葉の九十九里にかつてあった、智恵子が昭和9年に療養していた家(田村別荘)は、しばらくは移築されて保存されていたのに、地元の無理解と感情的な行き違いから解体されてしまいました。残念なことです。何でもかんでも古いものを保存すべきとも思いませんが、だからといって、これもどうかと思います。高村山荘やら智恵子の生家やらが残ることによって、光太郎智恵子の記憶が残り続ける契機になるわけですから。
 
「断捨離」などという言葉が流行りですが、同じことは古い書籍やレコードなどにもいえると思います。今回紹介した「智恵子のふるさとを訪ねて」なども、よくぞ残っていた、という感じです。明日はその辺を。