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昨日は横浜みなとみらいホールに行って、フルート奏者・吉川久子さんのコンサート「こころに残る美しい日本のうた 東北、その豊穣の大地に遊ぶ」を聴いて参りました。

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「心に残る美しい日本のうた」と冠してのコンサートは今回で10回目だそうです。10回を経るうちに東日本大震災が起こり、東北を中心に茨城、千葉など被災地への復興支援の目的が加わって、宮沢賢治、野口雨情などからのインスパイアが取り入れられるようになりました。一昨年は、「智恵子抄の世界に遊ぶ」というサブタイトルで、当方、今年と同じみなとみらいホールで拝聴して参りました。

それがご縁となり、昨年4月2日の第58回連翹忌で演奏をお願いし、花を添えていただきました。

今回は「東北、その豊穣の大地に遊ぶ」というサブタイトル。てっきり、東北全般への讃歌というコンセプトで、直接、光太郎智恵子と関わるわけではなさそうだと思いこんでいましたが、あにはからんや、プログラムの最初は、吉川さんご自身のMCによれば、智恵子へのオマージュとしての選曲だそうでした。

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その後、野口雨情(被災地・北茨城出身)の曲、休憩を挟んで後半は賢治の世界を中心に、伴奏のキーボード・海老原真二さん、パーカッション・三浦肇さんともども、素晴らしい演奏が披露されました。

こちらは終演後の吉川さん。

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さて、少し前に、名古屋在住の作曲家・野村朗氏からご連絡がありました。野村氏は「連作歌曲 智恵子抄」など、光太郎智恵子の世界を独唱歌曲で表現されています。

で、その内容は、吉川さんとのコラボで、10月に名古屋で演奏会を開きたいので、そのための協力要請でした。氏を中心に「智恵子抄実行委員会」という組織を立ち上げ、できれば1回限りでなく、光太郎智恵子ゆかりの地での開催なども視野に入れていらっしゃるとのこと。素晴らしい取り組みと存じ、快諾いたしました。

実は野村氏と吉川さんのコラボは、一昨年、「生誕130年 彫刻家高村光太郎」展が全国を巡回した際、愛知展会場の碧南市藤井達吉現代美術館さんでの関連行事として行う方向で動いたのですが、残念ながら双方のスケジュールが合わずに断念した経緯があります。それが2年越しで実現です。

また近くなりましたら詳しくご紹介しますが、早速、昨日のコンサートにはチラシが間に合って、配布されました。

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他にも「智恵子抄」の世界を音楽や朗読などで表現されている皆さんで、他の方とのコラボに抵抗のない方、ご賛同下さって、その後の開催に力を貸していただければと存じます。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 6月26日

昭和4年(1929)の今日、新宿中村屋において智恵子も出席した『青鞜』同人の「思ひ出の会」が開催されました。

平塚らいてうが中心となって、我が国初の女性だけによる雑誌『青鞜』が創刊されたのは、明治44年(1911)。創刊号の表紙は智恵子が手がけました。終刊は大正5年(1916)。その旧同人などが集まっての同窓会でした。

翌日の『朝日新聞』にはその模様が報じられ、写真も載りました。

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智恵子も写っているのですが、野上弥生子の陰になっており、顔の右側の輪郭だけで、目鼻立ちが不明です。非常に残念。2年後には心の病が顕在化、悲劇的な末路へと進む運命を暗示しているように見える、というと考えすぎでしょうか。

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昨年の第58回連翹忌で演奏をしていただき、会に花を添えて下さったフルート奏者の吉川久子さん。連翹忌で演奏をお願いしたのは、一昨年、「心に残る美しい日本のうた 智恵子抄の世界に遊ぶ」というコンサートをなさったのがご縁でした。

さて、直接、光太郎智恵子にからむわけではないようですが、近々、吉川さんが下記のコンサートをなさいます。

心に残る美しい日本のうた 東北、その豊穣の大地に遊ぶ

期 日 : 2015年6月25日(木)
時 間 : 開場13時  開演13時30分
会 場 : 横浜みなとみらいホール・小ホール 横浜市西区みなとみらい2-3-6
料 金 : 全席自由 2,500円
主 催 : 心に残る美しい日本の曲を残す会
出 演 : 吉川久子(フルート) 海老原真二(キーボード) 三浦肇(パーカッション)

東北大震災から丸4年が経過しました。被災地はいまだに復興途上にあり、多くの人々が仮設住宅で暮らしています。原発事故のあった福島では、いまだに故郷に戻る見通しさえ叶わない人々がいます。復興が順調に進み、故郷に人々の笑顔と賑わいが戻る日が一日も早く来ることを、願わずにはいられません。
震災以降、コンサートでは宮沢賢治、智恵子抄、野口雨情と、被災地に馴染み深い人物像を通して、東北の豊かさを童謡や抒情歌に託して紹介してきました。
第10回を数える今年の記念コンサートは、「東北、その豊穣の大地に遊ぶ」と題して、岩手、宮城、福島に残る童謡、民謡、民話などにスポットをあて、東北の大地のぬくもりと、心やさしい人々の魅力を伝えていきます。
本年も横浜在住のフルート奏者・吉川久子が、ご来場の皆さんと岩手、宮城、福島に届けとばかりに、復興への想いを一つにします。
ご来場を心からお待ちしています。

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直接、光太郎智恵子に関わるコンサートではないようですが、東北への想い、ということで、東北に縁の深い光太郎智恵子を偲びつつ聴きたいと思います。


実は先月23日、やはり直接光太郎智恵子にからまない吉川さんのコンサートを聴いて参りました。場所は当方生活圏近くの千葉県印旛郡栄町にある千葉県立房総のむら

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千葉県立房総のむらは、「参加体験型博物館」と位置づけられているユニークな施設です。竜角寺古墳群という大規模な古墳群の中に建ち、自然公園的な面もあります。また、江戸時代の街並みが復元され(モデルは当方の住む香取市の旧市街)、それぞれの建物で、そば打ちや伝統工芸品などの制作といった、さまざまな体験学習ができるようになっています。ここではよくテレビ番組などのロケも行われています。

また、復元だけでなく、実際の文化財の建造物も移築保存されています。愛知の明治村のような感じです。

そのうちの一つが、旧学習院初等科正堂。明治32年(1899)の建築で、国の重要文化財です。元は東京尾張町にあったものが移築されています。ここがコンサート会場でした。

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学習院ということは、光太郎もその同人だった白樺派の主要メンバー、志賀直哉、有島兄弟、武者小路実篤らが学んだ場所です。そう思って観ると、感慨深いものがありました。

室内も実にいい感じです。

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面積を考える時、我々柔道経験者は「試合場が何面取れる」と考えます(笑)。試合場一面は、昔は50畳でした。現在はルールが改正され、40.5畳ないしは32畳です。ここは優に2面、間を開けなければ3面取れます。

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この机兼椅子は、当時の物ではないのでしょうが、雰囲気にはぴったりです。
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ステージです。柱も見事な造作です。

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窓や扉も大きく、重厚感に溢れていました。

建物だけでなく、もちろん吉川さんの演奏も素晴らしいものでした。

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さすがに、最近もセルビア大使館や秋篠宮ご夫妻を前に演奏なさったり、JR鎌倉駅の発着メロディー(電子音でないのは非常に珍しいそうです)も手がけられたりなさってている実力派です。


25日の「東北、その豊穣の大地に遊ぶ」も期待しております。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 6月6日

昭和23年(1948)の今日、花巻郊外太田村の山口分教場校庭で、花巻賢治子供の会の演劇公演を観ました。

賢治の教え子だった照井謹二郎の作った児童劇団で、前年に続き2度目の太田村公演。光太郎の慰問が大きな目的でした。

この日の演目は「カイロ団長」「小兎(英語劇)」「どんぐりと山猫」でした。

過日のブログでご紹介しましたピアニスト・荒野(こうの)愛子さんのCD「『智恵子抄』によるピアノとクラリネットのための小曲集」が届きました。
 
早速聴いてみました。
 
「ピアノとクラリネットのための小曲集」ということで、当然ですが全てインストゥルメンタルです。ピアノは荒野さん、そこに新實(にいのみ)紗季さんのクラリネットが入ります。曲は全て荒野さんのオリジナルです。曲目は以下の通り。
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 1. アトリエにて
 2. 人類の泉
 3. 深夜の雪
 4. 僕等
 5. 樹下の二人
 6. あどけない話
 7. 分岐
 8. 風にのる智恵子~千鳥と遊ぶ智恵子
 9. 値ひがたき智恵子
 10. 同化
 11. 終曲Ⅰ--亡き妻智恵子
 12. 終曲Ⅱ--夜風も絶えた
 
以下、あくまで当方の個人的感想です。全体に切ない感じのメロディーラインで統一されていますが、決して暗い雰囲気ではなく、一種の清澄さを感じます。宗教曲にも通じるような。詩の「言葉」に頼らず、音楽のみで表現するのはかなり難しいと思いますが、あえてそれに挑戦したところにピアニストとしての荒野さんの矜恃が感じられましたし、実際、それが成功していると思います。
 
「あどけない話」を聴けば、安達太良山の山の上に広がる智恵子の「ほんとの空」が目に浮かびますし、「風にのる智恵子~千鳥と遊ぶ智恵子」では、九十九里浜の千鳥の鳴き声がピアノで表現されています。荒野さんのピアノに寄り添うような新さんのクラリネットも澄んだ音色で、音楽世界の幅を広げています。
 
ぜひお買い求めを。荒野さんのブログから註004文できます。

 
【今日は何の日・光太郎】 11月7日

明治8年(1875)の今日、光太郎の両親・光雲とわかが結婚しました。
 
その前年に年季奉公が明けて独立した光雲ですが、この年数えで24歳でした。わかは光雲の師・東雲の妹の日本橋小舟町の穀物問屋・金谷善蔵に嫁いでいたおきせの養女(わかは実父の呉服商・金谷浅吉が亡くなり、子供がなかった浅吉の弟・善蔵の養女となりました)。この年、善蔵が病没、店も閉めることとなり、不憫に思った光雲がわかを見そめたというところです。光雲より6歳下の数え18歳でした。

10月となりました。
 
10月前半に行われるイベント情報は紹介しましたが、10月後半のイベントを何回かに分けてご紹介します。
 
まず、ピアニスト荒野愛子(こうのあいこ)さんのコンサート。
 
荒野さん、平成18年(2006)にリリースされた「オトヒトシズク」というピアノインストゥルメンタルのオリジナル曲を集めたアルバムで、「レモン哀歌」という曲をラインナップに入れられました。
 
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さらに10月20日には以下のアルバムがリリースされます。 

『智恵子抄』による ピアノとクラリネットのための小曲集

荒野愛子 ピアノ010
新實紗季 クラリネット
 
1. アトリエにて
2. 人類の泉
3. 深夜の雪
4. 僕等
5. 樹下の二人
6. あどけない話
7. 分岐
8. 風にのる智恵子~千鳥と遊ぶ智恵子
9. 値ひがたき智恵子
10. 同化
11. 終曲Ⅰ--亡き妻智恵子
12. 終曲Ⅱ--夜風も絶えた


さらにCDの発売を記念してコンサートも開かれるそうです。
 
<日時> 2013年10月26日(土) 開場 18:00  開演 18:30
<出演> 荒野愛子 ピアノ  新實紗季 クラリネット  田辺日太 朗読
<料金> 2,500円
<場所> 両国門天ホール 墨田区両国1-3-9 ムラサワビル1-1階 Tel:080-3172-3891(黒崎)

 
荒野さんブログ http://aikokono.blogspot.jp/
 
光太郎の詩を歌詞にしたり、あるいはオリジナルの詩を作ったりで、歌で光太郎智恵子の世界を取り上げるケースは結構ありますが、インストゥルメンタルでどのようにその世界を表現されるのか、非常に興味があります。
 
コンサートにはぜひ行きたいのですが、同じ日に福島川内村での草野心平忌日の集い「かえる忌」があり、講演を頼まれており、そちらに参ります。残念です。
 
【今日は何の日・光太郎】 10月1日

明治39年(1906)の今日、ニューヨークの美術学校・アート・スチューデント・リーグの夜学に通い始めました。
 
講師には、それ以前に光太郎を通勤助手として雇ってくれた彫刻家のガットソン・ボーグラムがいました。
 
ボーグラムはその名前より作品で有名です。代表作は、どなたも一度は画像や映像でご覧になったことがあるのではないでしょうか。これです。画像はフリー百科事典「ウィキペディア」さんからお借りしました。
 
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現在でもアメリカの観光案内などでよく紹介されるもので、サウスダコタ州キーストーンにあるマウント・ラッシュモアの岩壁に作られた巨大彫刻です。制作は1927(昭和2年)~1941(同16年)。モチーフはすべてアメリカ大統領のワシントン、ジェファーソン、ルーズベルト、そしてリンカーン。
 
ボーグラムはこの作品以前にもジョージア州のストーンマウンテンの岩壁に作られた、南北戦争の英雄、リー将軍やジャクソン将軍などの巨大レリーフを手がけています。こちらは1910年代。ただ、途中でスポンサーと対立して手を引いていますが。
 
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昭和26年(1951)に発表された光太郎の談話筆記「青春の日」によれば、このレリーフを作る際、ボーグラムは光太郎に手伝いに来いと手紙を送ったそうです。
 
しかし光太郎、こういう彫刻には関心を示せず、また、ボーグラムに対しても人間的には尊敬していたようですが、彫刻家としては余り高い評価を与えていなかったようで、協力要請を断っています。
 
歴史に「たら・れば」は禁物ですが、もし断らずに、このレリーフや後のマウント・ラッシュモアの巨大彫刻などのプロジェクトに参加していれば、光太郎の名も今とは違った形で伝わっているのではないかと思います。

昨日は横浜みなとみらいホールにて、フルート奏者・吉川久子さんのコンサート、「こころに残る美しい日本のうた 智恵子抄の世界に遊ぶ」を聴いて参りました。
 
とてもいい演奏会でした。
 
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もちろん吉川さんの演奏がメインで、曲間に吉川さんご自身が『智恵子抄』収録詩の朗読をなさったり、光太郎智恵子についての解説をなさったりという構成でした。
 
曲目は以下の通り。
 
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直接、智恵子に関わる曲はありませんでしたが、既存の曲の組み合わせでもたしかに『智恵子抄』の世界がうまく表現されていたように感じました。
 
吉川さんのフルートはもちろんすばらしく、伴奏のお二人(キーボード・海老原真二さん、パーカッション・三浦肇さん)の演奏も非常に工夫されていました。特にパーカッションは、いろいろな楽器……というより道具? を使って、効果音のような音を奏でていたのが面白く感じました。時に鳥のさえずり、時に虫の声、そうかと思えば川のせせらぎ、九十九里の波の音、などなど。
 
さらに曲間の吉川さんのMC。通り一遍の解説でなく、よく調べているな、と感心いたしました。数年前に発見された光太郎の短歌「北国の/女人はまれに/うつくしき/うたをきかせぬ/ものの蔭より」を引用されて、智恵子が時折、造り酒屋だった実家の杜氏たちが歌っていた酒造りの歌などを口ずさんでいたことに結びつけるなど。この短歌、一般にはほとんど知られていないはずですので。また、太陽が赤いという固定観念に異を唱える光太郎の評論「緑色の太陽」の話、智恵子の恩師・服部マスの話など、ずいぶんお調べになったのがわかりました。実際、二本松にも行かれたというお話でした。
 
それにしても、平日の昼間にもかかわらず、440席ほぼ満員でした。吉川さん、「こころに残る美しい日本のうた」と冠したコンサートはこれまでも定期的に続けてこられたようで、コアなファンがいらっしゃるようでした。「智恵子抄」だから、というお客さんがどの程度だったのか、興味のあるところですが。
 
いつも同じことを書いていますが、こういう形でも光太郎・智恵子の世界を広めていただけるのは、本当にありがたいことです。
 
当方も明日は二本松に参り、智恵子のまち夢くらぶさん主催の「智恵子講座’13」にてしゃべって参ります。このところ、月に1~2件、この手の仕事が入っています(もっと増えるといいのですが……)。与えられた場で光太郎・智恵子の世界を無題1広めて行きたいと思います。
 
【今日は何の日・光太郎】 6月15日

昭和27年(1952)の今日、裸婦像制作のための現地視察で、十和田湖に向けて花巻郊外太田村の山小屋を出発しました。
 
画像は一昔前のテレホンカードです。
 
裸婦像に関しては、また折を見て詳述します。
 

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