花巻行レポートの3回目です。
 
高村記念会の浅沼氏のご厚意で、本宮さんともども車で大沢温泉さんまで送って頂きました。大沢温泉さんは花巻西方の山間にある温泉で、豊沢川の清流に面し、高村山荘からは10㎞弱。光太郎もたびたび泊まった温泉です。
 
佐藤隆房著『高村光太郎山居七年』(高村記念会 初版昭和37年 増補版同47年)に「先生の温泉行はたびたびでした。東京や盛岡から来るお客さんの中には、自動車で先生を温泉に案内して一緒に泊まるものもありますし、先生も旅の後などには、温泉で休養をとることを楽しんだようです。」という一節があります。大沢温泉さん以外にも、花巻にはたくさんの温泉があり、光太郎の日記や書簡などから、志戸平温泉さん、鉛温泉さん、花巻温泉さん、台温泉さんなども利用していたことが分かります。

光太郎が暮らしていた頃には花巻電鉄というローカル線があり、花巻温泉行きの路線(鉄道線)と、大沢温泉さん、志戸平温泉さん、鉛温泉さんなどの花巻南温泉峡に向かう路線(軌道線)の二本がありました。光太郎は花巻市街に出る時にこの軌道線をよく利用しており、大沢温泉さんに行く時もこれに乗った話が、やはり『高村光太郎山居七年』に記されていますし、昭和28年(1953)に撮影されたブリヂストン美術館制作の美術映画「高村光太郎」にも光太郎がこの電車に乗っているカットがあります。
 
大沢温泉さんは、通常の温泉旅館的な「山水閣」、長期の湯治客のための「自炊部」、築百六十年という趣のある別館「菊水館」の三つに分かれています。このうち光太郎が最もよく利用したのが山水閣、次いで菊水館だったそうです。山水閣はその後リニューアルされて近代的な建物になりましたが、リニューアルの際に、光太郎がよく泊まった部屋は間取りもできるだけ当時に近く、また、欄間や柱などの部材も当時の物を再利用し、「牡丹の間」と名付け、光太郎ゆかりの部屋として、一種の貴賓室のような扱いにしているそうです。今回、本宮さんが泊まったのがこの牡丹の間。当方、図々しくも部屋の中を見せていただきました。当方が泊まったのは-というかこのところ花巻行の際に定宿としているのが-菊水館です。
 
さらに宮澤賢治も幼い頃よくこの大沢温泉さんに来たそうで、写真も残っています。山水閣では賢治や光太郎など、ゆかりの人々の書や写真パネルなどを廊下に設けた展示コーナーに並べています。光太郎に関しては直筆の書「顕真実」、花巻鳥谷崎神社に建てられた碑の拓本などが展示されています。

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温泉はアルカリ性の泉質で、ものすごく肌がすべすべになり、女性には喜ばれるかもしれません。大沢温泉さんのパンフレットには「光太郎は花巻を愛し、大沢温泉を『本当の温泉の味がする』と喜びました」とありますし、再三引用する『高村光太郎山居七年』には、光太郎の語った内容として「大沢温泉は川向きの室で、夜になると豊沢川の流れの音がするし、カジカの鳴声もするし、閑静で、考えごとの仕事などにとてもよい」と記されています。
 
当方、この部分を読んで、「光太郎がいた頃はカジカがいたんだ。すごいなあ」と思っていました。カジカガエルというと、深山幽谷というイメージでしたので、21世紀の現在にはもういないだろうと頭から決めてかかっていました。実際、これまで大沢温泉でカジカの声を聞いたことはありませんでしたし。しかし、今回、露天風呂に浸かっていると、何とカジカの鳴き声が聞こえるではありませんか! 実際のカジカの声を聞いたのは生まれて初めてでした。考えてみれば、当方、大沢温泉さんには雪の季節にしか泊まったことがなく、カジカは冬眠中だったわけすね。
 
みちのく花巻。光太郎や賢治ゆかりの地としての文化遺産の側面と、こうした自然豊かな面をこれからも大切にしていっていただきたいものです。
 
のんびり一泊し、帰って参りました。とても有意義な花巻行でした!