このブログ、高村光太郎を中心に、その周辺に関し、色々と書いていますが、詩についてあまり書いていないような気がしています。そこで、今日明日あたりは時候にそった光太郎作の詩について書いてみましょう。
 
まず今日は天皇誕生日ということで、今上天皇の皇太子時代に関する詩を。

  皇太子さま
 
 ぼくらの皇太子さま。003
 あたしたちの皇太子さま。
 この前の馬上のお姿にくらべると
 なんといふ御成人ぶり。
 りつぱな皇太子さま。
 明かるい皇太子さま。
 おそれおほいけれど
 お友だちのやうな皇太子さま。
 皇太子さまも運動がお好き。
 ぼくらも好き。
 あたしたちも好き。
 皇太子さまのやうに健康で
 みんなと仲よく勉強して
 またこんどお写真を拝むまでに
 もつと大きくなりませう。
 皇太子さまが赤坂離宮に
 毎日たのしくおいであそばすと思ふと
 ぼくらもたのしい。
 あたしたちもうれしい。
 皇太子さまばんざい。

昭和21年(1946)1月8日作。同年2月3日発行『週刊少国民』第5巻第4,5合併号に発表された詩です。『高村光太郎全集』第三巻に収録されています。
 
発表誌が年少者向けの雑誌ですので、このような詩になっています。同日、同誌編輯部の和田豊彦に宛てた書簡(『全集』第14巻)には「皇太子さまの詩、同封しました。先だつてのおてがミにより、低学年生にもわかるやうにと書きました」とあります。
 
この詩が書かれた昭和21年(1946)といえば、太平洋戦争が終わった翌年。世の中の価値観が一変した時期です。もう少し後の5月には食糧メーデープラカード事件というのがあり、天皇を揶揄する「詔書 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」というプラカードが問題になったりもしています。その時期にこういう詩を書いているところに興味深いものがあります。
 
何も光太郎はがちがちの体制派、右翼というわけではありません。たしかに戦時中には大政翼賛会に関わり、国民を鼓舞する詩をたくさん書きましたが、戦後になってしっかりとそのあたりは自己省察をしています。しかし、だからといって、「朕はタラフク食ってるぞ」の方向には行かないのです。
 
この時期にあえて皇室への敬意を表出していることを、「蛮勇」と見るか「英断」と見るか、そこは読む人の解釈ですね。当方、左右両翼日和見主義ですので論評は差し控えます。
 
ただ、光太郎、この「皇太子さま」を書いた2日後には、暴走していった軍部や政府を厳しく糾弾する詩も書いています。
 
  国民まさに餓ゑんとす
 002
 国民まさに餓ゑんとして
 凶事国内に満つ。
 台閣焦慮に日を送れども
 ただ彌縫の外為すべきなし。
 斯の如きは杜撰ならんや。
 斯の如くして一国の名実あらんや。
 必ずしも食なきにあらず、
 食を作るもの台閣を信ぜざるなり。
 さきに台閣農人をたばかり
 為めに農人かへつて餓ゑたり。
 みづから耕すもの五穀を愛す。
 騙取せられて怒らざらんや。
 農人食を出さずして天下餓う。
 暴圧誅求の末ここに至り、
 天また国政の非に与せず、
 さかんに雨ふらして大地を洗ひ
 五穀痩せたり。
 無謀の軍をおこして
 清水の舞台より飛び下りしは誰ぞ。
 国民軍を信じて軍に殺さる。
 われらの不明われらに返るを奈何にせん。
 国民まさに餓ゑんとして
 凶事国内に満つ。
 国民起つて自らを救ふは今なり。
 国民の心凝つて一人となれる者出でよ。
 出でて万機を公論に決せよ。
 農人よろこんで食を供し、
 国民はじめて生色を得ん。
 凶事おのづから滅却せざらんや。
 民を苦しめしもの今漸く排せらる。
 真実の政を直ちに興して、
 一天の下、
 われら自ら助くるの民たらんかな。

やがて、こうした怒りは、そうした軍部や政府に荷担して戦争推進に一役も二役もかった自分に向けられて行きます。それが翌年発表された連作詩「暗愚小伝」です。
 
当方、こういうところに光太郎の人間的魅力を感じます。戦時中、戦争推進の詩を書きながら、戦後になると掌を返したように「あれは軍の命令で仕方なくやったことだ」と開き直ったり、何事もなかったかのように民主主義を謳歌する詩を書いたり、あまっさえ同じような詩を書きながら光太郎らを糾弾したりした詩人のいかに多かったことか。
 
光太郎は、公的には戦犯として罰せられなかった自分を、自分で罰しました。その結果が「自己流謫(るたく)」と名付けた不自由な山村での独居自炊。「流謫」=「流刑」です。
 
しかし、結局、「戦時中、戦争推進の詩を書きながら、戦後になると掌を返したように「あれは軍の命令で仕方なくやったことだ」と開き直ったり、何事もなかったかのように民主主義を謳歌する詩を書いたり、あまっさえ同じような詩を書きながら光太郎らを糾弾したりした詩人」は、今ではその名さえ忘れられつつあります。世の中、そういうものですね。
 
教訓。「人を呪わば穴二つ」。
 
何だか話が予想外の方向に進んでしまいました。乱筆御免。