花巻郊外旧太田村、昭和20年(1945)秋から戦後の7年間を光太郎が暮らした山小屋(高村山荘)敷地内に、光太郎の遺品などを展示するために「高村記念館」が竣工したのが、昭和41年(1966)のことでした。

看板の揮毫は、草野心平。


古い建物なため、空調も無く、夏場は開け放った入り口からオニヤンマが舞い込み、光太郎彫刻に止まったりしていました。それはそれで趣があってよかったと思います。
その後、倉庫として使っていましたが、このほど、内部をきれいに一新し、「森のギャラリー」としての活用が開始されました。
先月末、市民講座「夏休み親子体験講座 新しくなった智恵子展望台で星を見よう」で、お邪魔した際に、内部を見せていただきました。


新しい記念館に並べきれない収蔵品の一部――高田博厚作の光太郎胸像、智恵子紙絵の複製など――が展示されているほか、長テーブルなども配され、ちょっとしたイベントに使えるようにしてあります。
オープンを報じた8月25日の『岩手日日』さん。

同じ『岩手日日』さんの8月27日付。

こんなチラシを作り、呼び掛けたそうです。

講座の様子の画像も送っていただきました。

記事に有るとおり、光太郎が望んでいたという、この地の芸術・文化活動の拠点という意味合いでのリニューアルです。狭い建物ですのでキャパは限られますが、こうした講座や、ギャラリーとしての作品展示、それからコンサート等にも使えそうですし、いろいろ活用の方法がありそうです。
光太郎ゆかりの地で、ちょっとしたイベントを行いたい、という方、窓口は一般財団法人花巻高村光太郎記念会さんです。もちろん何でもありというわけではないでしょうが、問い合わせてみて下さい。
【折々のことば・光太郎】
願くは精神の鼓舞これを凌いで われら面目一新の大道に立ち、 武装せざる平和の妙致を随処に捉へ 精神の美と深とに匹儔を絶たん。
詩「武装せざる平和」より 昭和20年(1945) 光太郎63歳
我が国は敗戦により、否応なしに武装解除させられたわけですが、それを逆に好機として、「武装せざる平和」の実現に向くべきだとの論。戦時中の翼賛詩からの変わり身の早さは置くとして、のちの憲法第9条の精神を先取りしている点は、やはりさすが光太郎です。
「核戦力を中心とする自衛的国防力を100倍、1000倍に強化していかなければならない」とするどこかの国の指導者に贈りたい言葉です。