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近代日本人は聖書のメッセージをどう受け止めたのか? 日本キリスト教史の泰斗が深い共感を持って描く!

時代を超えて日本社会に大きな影響を与えるベストセラー、聖書。近現代に活躍した30人が汲み上げたメッセージとは?

【内容紹介】
日本聖書協会季刊誌SOWERの人気連載「人物と聖書」待望の単行本化。近代日本の各方面で活躍した日本人が、キリスト信徒であるなしに関わらず、聖書とどう向き合い、生き方にどのような影響を受けたのか。日本キリスト教史の第一人者鈴木範久氏が探る、近代日本キリスト教史人物伝。『学燈』(1999年)に掲載された「鈴木大拙の聖書」も収録。

 <収録人物>
夏目漱石、鈴木大拙、田中正造、萩野吟子、内村鑑三、石井亮一、太宰治、井口喜源治、高村光太郎、市川栄之助、川端康成、山室軍平、倉田百三、新島襄、石坂洋次郎、新渡戸稲造、芥川龍之介、西田幾多郎、長谷川保、吉野作造、中勘助、野村胡堂、坂田祐、賀川豊彦、音吉、堀辰雄、山本五十六、萩原朔太郎、斎藤勇、八木重吉

 【著者紹介】
1935年生まれ、専攻は宗教学宗教史学、現在立教大学名誉教授。
 著書に「明治宗教思想の研究」(東京大学出版会)、「内村鑑三日録」全12巻(教文館)、聖書の日本語(岩波書店)など多数。



購入、拝読するまで気づかなかったのです000が、同じ日本聖書協会さんが刊行している雑誌『SOWER』に連載されていたものの単行本化でした。光太郎の項「高村光太郎と聖書」は、平成16年(2004)の第23号に掲載されており、既読でした。

サブタイトルは「美のうしろにあるものを表現しようとした詩人・彫刻家」。

まず、詩「クリスマスの夜」(大正10年=1921)からイエス・キリストについての部分が紹介されています。この詩は親友の作家・水野葉舟の家で行われたクリスマスの集いからの帰途を謳ったものです。葉舟は、日本のキリスト教教会の形成に大きな役割を果たした植村正久から洗礼を受けていました。

東京美術学校彫刻科を卒業し、研究生として残っていた明治38年(1905)、光太郎は葉舟に連れられて植村の下を訪ねますが、入信には至りませんでした。そのあたりにも言及されています。

また、特異なキリスト者・新井奥邃との関わりや、昭和24年(1949)の雑誌『表現』に載ったアンケート「私の愛読書」で、「各年代を通じての座右の書は」という設問に「聖書、仏典、ロダン等。」と答えていることなどが紹介されています。

さらに、今年2月に亡くなっ001た、元埼玉県東松山市教育長で、光太郎と交流のあった田口弘氏についても触れられています。光太郎が敬虔なキリスト教徒だった田口氏に贈った数々の書の中には、聖書の文言を揮毫したものも含まれ、その関係です。

しかし、結局光太郎は入信せずじまいでした。そのあたりの心境は、『聖書を読んだ30人』には取り上げられていないアンケート「名士の信仰」(大正8年=1919、『東京日日新聞』)にも語られています。

私はいろいろの境地をだんだんに通つて来て、今では、吾々人間以上の或る大きな精神が此世に厳存する事を、理屈無しに信じ切るやうになりました。それがキリスト教の神とはまだぴつたり合ひません。私は此から進む処に居るのですから、自分の信仰がどういふ具体的の形になつて来るかは自分でもわかりません。此以上確な事を言ふと嘘になります。

また、光太郎と仏教の関係にも似た点があります。

『聖書を読んだ30人』によれば、光太郎のように、受洗はせずとも
聖書やキリスト教の教えに影響を受けた文化人は多かったようです。上記目次にある人々の多くがそうでした。中には山本五十六など、こんな人まで、と思うような人物も含まれ、興味深く拝読しました。

ぜひお読み下さい。


【折々のことば・光太郎】

おれはまだうごかぬ うごくときはしぬとき

詩「或る筆記通話」より 昭和4年(1929) 光太郎47歳

詩「或る筆記通話」前文は以下の通り。

おほかみのお――レントゲンのれ――はやぶさのは――まむしのま――駝鳥のだ――うしうまのう――ゴリラのご――河童のか――ヌルミのぬ――うしうまのう――ゴリラのご――くじらのく――とかげのと――きりんのき――はやぶさのは――獅子のし――ヌルミのぬ――とかげのと――きりんのき――をはり

「――」の直前の一字をつなげれば、「おれはまだうごかぬ うごくときはしぬとき」となる仕組みです。ある意味、ふざけた詩ですね(笑)。「詩」というものの概念を破壊しようともしていたふしの見える、年少の友人・草野心平あたりの影響もあるかもしれません。

狼やら隼やら、光太郎が好んだ「猛獣」的なものが羅列されています。実際、駝鳥、ゴリラ、鯨、獅子と、連作詩「猛獣篇」のモチーフになった鳥獣も含まれています。

しかし、異質なものが二つ。「レントゲン」と「ヌルミ」。「レントゲン」はX線照射の機械というより、X線の発見者であるドイツの物理学者、ヴィルヘルム・コンラート・レントゲンでしょう。「ヌルミ」はフィンランドの陸上選手、パーヴォ・ヌルミです。

なぜ鳥獣に混じって人名が、という気がしますが、以外と単純な理由なのではないでしょうか。すなわち「れ」と「ぬ」で始まる鳥獣が思いつかなかったということでしょう。「羚羊(れいよう)」や「ヌー」は、まだ日本では知られていなかったように思われます。

しかし「鵼(ぬえ)」を光太郎が知らなかった、あるいは思いつかなかったとは思えません。「鵼」は猿の顔、狸の胴体、虎の手足を持ち、尾は蛇という(諸説あり)妖怪です。「鵼のぬ」でもいいような気がしますが、「鵼」は採用しませんでした。おそらく、「鵼」は政財界の黒幕的な、よくわからない怪しいもの、それも腹黒、邪悪、下劣というイメージ(現在の政権やら官僚中枢やらナントカ学園やらナントカ会議にうようよしているようですが)をともなうためではないでしょうか。

「河童」はよくても「鵼」はだめ。勝手な想像ですが(笑)光太郎の美意識が見えます。同時に、これはやはり敬虔なキリスト者の発想ではないでしょう。

余談ですが、「ヌルミのぬ」の部分は、しばらくの間、「ヌカルミのぬ」と誤植され続けていました。陸上のヌルミは五輪金メダル9つの英雄だったのですが、泥濘……(笑)。