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気がつけば9月も下旬です。少しずつ10月に行われるイベントの情報をお伝えします。

まずは「智恵子抄」をはじめ、光太郎詩にオリジナルの曲をつけて唄われている、シャンソン系歌手のモンデンモモさん情報。 2日続けての東北ツアーだそうで、1日目は秋田県鹿角市、2日目は福島県二本松市。ともに昔の酒蔵を使って行うそうです

モンデンモモ日本を歌う!

期  日 : 2015年10月2日(金)
時  間 : 18:30~
会  場 : 旧関善酒店 特設ステージ 秋田県鹿角市花輪字上花輪85 0186(23)7799
料  金 : 2,000円
曲  目 : 
 ふるさと 赤とんぼ 月の砂漠 小さい秋見つけた 紅葉 海ゆかば
 
カチューシャ 小さな喫茶店 一杯のコーヒーから 影を慕いて リンゴの唄
 高村光太郎  あどけない話 レモン哀歌 樹下の二人 千鳥と遊ぶ智恵子 道程
 宮澤賢治  雨ニモマケズ  石川啄木 一握の砂より  与謝野鉄幹 人恋ふる歌
 与謝野晶子 みだれ髪 君死に給ふことなかれ そぞろごと 黄金の釘 われも雛罌粟
 北原白秋 からたちの花  島村抱月 カチューシャの歌
 モンデンモモオリジナル 出逢いと旅立ち花輪線    他 
伴  奏 : たしまみちを (ギター)

モンデンモモ智恵子抄を歌う!

期  日 : 2015年10月3日(土)
時  間 : 15:00~ 昼の部 モンデンモモの智恵子抄モノドラマ
        18:30~ 夜の部 モンデンモモ日本の歌アラカルト
会  場 : 鐵扇屋酒蔵 福島県二本松市油井字八軒町45 0243(22)1322
料  金 : 昼夜各2,000円 通しで3,000円
曲  目 :
 
高村光太郎 あどけない話 レモン哀歌 樹下の二人 千鳥と遊ぶ智恵子 道程 案内 他
 ふるさと 赤とんぼ 月の砂漠 小さい秋見つけた 紅葉 海ゆかば
 カチューシャ 小さな喫茶店 一杯のコーヒーから 影を慕いて リンゴの唄
 宮澤賢治  雨ニモマケズ  石川啄木 一握の砂より  与謝野鉄幹 人恋ふる歌
 与謝野晶子 みだれ髪 君死に給ふことなかれ そぞろごと 黄金の釘 われも雛罌粟
 北原白秋 からたちの花  島村抱月 カチューシャの歌
 モンデンモモオリジナル 出逢いと旅立ち花輪線    他 
伴  奏 : たしまみちを (ギター)

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二本松会場の鐵扇屋さんというのは、智恵子生家・智恵子記念館のすぐ近くです。

モモさん、さらに翌日の10/4(日)には、やはり二本松で開催される智恵子命日「レモン忌」の集いにもご参加なさるとのことでした。「レモン忌」については明日、詳細情報を出します。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月22日

昭和26年(1951)の今日、花巻郊外太田村の山小屋を、『サン写真新聞』の取材で、写真家の阿部徹雄が訪問しました。

この際の訪問記は翌月の同誌に発表され、光太郎談話も掲載されました。また、平成22年(2010)、この際に撮られた13枚の写真と阿部宛の書簡4通が阿部の遺品の中から見つかりました。書簡は当方編集の「光太郎遺珠」に掲載させていただきましたし、写真は花巻高村山荘で大きく伸ばしたものを展示させていただいています。

お父様が光太郎と親交がおありだった関係で、連翹忌にもたびたびご参加下さっている、女優の渡辺えりさん。演劇以外にも歌手としてのご活動もなさっています。

今月16日の『朝日新聞』さんの岩手版に、以下の記事が載りました。

敬愛の光太郎・賢治へ 歌声届け 渡辺えりさん、花巻で来月公演

 女優で劇作家の渡辺えりさん(60)が「還暦記念コンサート」を6月1日、花巻市文化会館で開く。渡辺さんには高村光太郎や宮沢賢治の作品から触発された劇作品があり、2人にゆかりの花巻市で「感謝を込めて、力いっぱい歌いたい」と張り切っている。

 渡辺さんの父が光太郎や賢治が好きで、幼い頃から2人の作品に親しんできたという。これまで光太郎の作品から「月にぬれた手」、賢治から「天使猫」を作ってきた。上演には予算や時間もかかり、出演も大人数になるため、「小回りがきく」コンサートを開くことになったという。
 4月30日には同誌のイーハトーブ館で、賢治の弟の孫にあたる宮沢和樹さんと対談。渡辺さんは「光太郎は大事な人にあげる色紙に賢治の『雨ニモマケズ』を書いて贈った」と話し、宮沢さんは「光太郎先生は賢治の作品を最初に評価した人。それがなければ賢治は世に出なかったかもしれない」と話した。
 コンサートでは渡辺さん作詞のシャンソンやオリジナル楽曲を「歌い語る」という。賢治の「星めぐりの歌」も歌う予定だ。「花巻はしょっちゅう訪れていて、親戚がいるような気持ち。感謝の気持ちと震災からの復興への思いを込めて歌いたい」と話している。
 コンサートは6月1日午後6時半から、全席指定で4800円。公演の問い合わせは「オフィス3○○(さんじゅうまる)」(03・6804・4838)、チケットの問い合わせは市文化会館(0198・24・6511)へ。

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というわけで、「光太郎・賢治へ捧げるコンサートだそうです。

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ちなみに「還暦記念コンサート」としては、東京、そして渡辺さんの故郷・山形でも公演があります。

東京公演 
 2015年5月31日(日) 東京キネマ倶楽部 台東区根岸1丁目1-14
 昼公演 13:30開場 14:00開演
 夜公演 17:30開場 18:00開演

山形公演
 2015年6月2日(火) 山形市民会館 山形市香澄町2-9-45
 18:00開場 18:30開演

それぞれ問い合わせ等はオフィス3○○(さんじゅうまる)さんへ。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 5月27日

昭和22年(1947)の今日、花巻郊外太田村の山小屋で、詩人・宮崎稔の長男の命名揮毫をしました。

宮崎は、光太郎が取り持って、智恵子の最期を看取った智恵子の姪の春子と結婚。長男を「光太郎」と名付けました。

昨日は、東京大森で、「歌物語コンサート「智恵子抄」」を聴いて参りました。

会場は大森駅にほど近い雑居ビルの2階にある「風に吹かれて」というお店。「フォーク居酒屋」と銘打っていますが、比較的広い店内に、ステージがしつらえてあるライブハウス兼酒場といった趣でした。

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唄うは潮見佳世乃さん。ジャズ系もやられているということで、ハスキーボイスが素敵な雰囲気を醸し出すボーカルでした。先月の第59回連翹忌にご参加いただいています。先週リニューアルオープンなった花巻の高村光太郎記念館にも早速行かれたとのこと。すばらしい。

伴奏はたつのすけさん。フォークギターとキーボードを入れ替えながら、息のあった伴奏。一曲はソロの演奏もありました。

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オリジナル曲、民話系の「歌物語」のあと、後半が約30分の「智恵子抄」でした。光太郎詩9篇にオリジナルの曲を付け、全体を「歌物語」として構成されていました。

まずは、「樹下の二人」。「あれが阿多多羅山、/あの光るのが阿武隈川。」のフレーズが有名ですね。大正12年(1923)、智恵子の故郷、油井村(現・二本松市)を訪れ、智恵子の生家(裕福な造り酒屋)周辺を案内してもらっている光太郎というシチュエーションの詩です。結婚披露から8年半、智恵子もまだ健康、それなりに幸福な毎日を送っていた時期の作品で、のびのびと明るいドゥア(長調)で、それが表されていました。

2曲目は「智恵子は東京に空がないといふ、/ほんとの空が見たいといふ。」の「あどけない話」。昭和3年(1928)の詩ですが、智恵子の実家・長沼酒造は次第に家業が傾き、不動産登記簿によればこの詩が書かれた前日に家屋の一部が福島区裁判所の決定で、仮差し押さえの処分を受けています。翌昭和4年(1929)には、長沼家の全ての家屋敷は人手に渡り、実家の家族は離散、智恵子は帰るべきふるさとを失います。実家の斜陽化に心を痛め、しかしどうしてやることもできず、子供のように涙を流す智恵子。さらにそれを知りつつどうしてやることもできない光太郎。そういう姿が半音進行を多用し、不安をあおるようなメロディーで表現されていました。

続いて、心を病んでしまった智恵子を、千葉の九十九里にいた母と妹夫婦のもとに預けていた昭和9年(1934)を回想して作られた「千鳥と遊ぶ智恵子」「風にのる智恵子」。二つの詩の詩句を行ったり来たりしながら、「人間商売さらりとやめて/もう天然の向うへ行つてしまつた智恵子」「もう人間であることをやめた智恵子」が謳われます。激しい曲調と、「ちい、ちい、ちい、ちい、ちい――」という千鳥の鳴き声が印象的でした。

ほとんどアタッカ(曲間を開けないこと)で、「値(あ)ひがたき智恵子」。

智恵子は見えないものを見、000
聞えないものを聞く。

智恵子は行けないところへ行き、
出来ないことを為る。

智恵子は現身(うつしみ)のわたしを見ず、
わたしのうしろのわたしに焦がれる。

智恵子はくるしみの重さを今はすてて、
限りない荒漠の美意識圏にさまよひ出た。

わたしをよぶ声をしきりにきくが、
智恵子はもう人間界の切符を持たない。

詩と音楽が一体となって迫り、胸が締め付けられるような思いがしました。

そろそろ智恵子の臨終を謳う「レモン哀歌」かな、と思ったら、時間の流れを少し遡って「山麓の二人」でした。九十九里で智恵子が療養した前年の昭和8年(1933)、自分にもしもの事があった場合の智恵子の身分保障のため、それまで無視してきた入籍を果たし、悲しい新婚旅行に出かけた先の、裏磐梯での光景です。こちらはア・カペラ(無伴奏)での朗読。徐々に静謐な世界に入っていく暗示のように感じられました。

次が予想していた「レモン哀歌」でした。哀愁漂うメロディーに乗せ、天に昇っていく智恵子が謳われます。ここまでフォークギターの伴奏だったのが、曲の途中でキーボードに替わり、見事に変化をつけているなと思いました。

最後が智恵子歿後の昭和14年(1939)に作られた「亡き人に」。ここでモール(短調)からドゥア(長調)に戻り、まとめがつけられました。

雀はあなたのやうに夜明けにおきて窓を叩く
枕頭のグロキシニヤはあなたのやうに黙つて咲く

朝風は人のやうに私の五体をめざまし
 あなたの香りは午前五時の寝部屋に涼しい

私は白いシイツをはねて腕をのばし002
夏の朝日にあなたのほほゑみを迎へる

今日が何であるかをあなたはささやく
権威あるもののやうにあなたは立つ

私はあなたの子供となり
 あなたは私のうら若い母となる

あなたはまだゐる其処にゐる
 あなたは万物となつて私に満ちる

私はあなたの愛に値しないと思ふけれど
 あなたの愛は一切を無視して私をつつむ


「歌物語「智恵子抄」」はここまで。このように、途中途中でいろいろと変化をつけながら、単調になったり、バラバラの寄せ集めになったりせず、しっかり一本の流れとして全体の構成を考えてのステージだったことに非常に感心しました。当方はそれぞれの詩の背景を知っていて、なおかつ納得のいく構成だったので、いっそう楽しめました。光太郎智恵子の世界をあまりご存じでない方も、全体の流れで「智恵子抄」の世界にひたれたのではないでしょうか。実際、終演後の他のお客さんの反応も上々でした。

この9篇からなる構成が短いバージョンだそうで、もっと長いバージョンもあるそうで、ぜひ聴いたみたいものです。そうした機会にはお知らせいただくようお願いしておきましたので、期待しております。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 5月7日

昭和21年(1946)の今日、花巻郊外太田村の昌歓寺で「仏供養」という法会に参列しました。

前年秋から太田村の山小屋(高村山荘)での独居生活を始めた光太郎、確認できている限り、初めての遠出です。太田村は非常に信心篤い人々が多く、たくさんの村人が集まり、さらに県下の各郡から僧侶が一人ずつ派遣されて、盛大な法会だったそうです。太平洋戦争での戦没兵士等の追善読経も行われました。

昌歓寺では、昭和25年(1950)の一回だけ、光雲・智恵子の法要もやってもらいましたし、十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)制作のため、再び上京したあとに、観音像の制作を光太郎に依頼しています。ただし、それは叶いませんでしたが。

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