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昨日は名古屋に行って参りました。
 
過日のブログで御紹介した作曲家・野村朗氏のリサイタルを聴きに、です。

 
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曲目は野村氏が光太郎の詩に作曲された「連作歌曲「智恵子抄」」がメインで、その他、やはり野村氏作曲による歌曲やピアノソナタ。歌曲は宮沢賢治や八木重吉などの詩も使われていました。演奏者の方々を含め、皆さん、名古屋音大の関係の方だそうです。
 
下記はパンフレットから自作解説。
 
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光太郎の詩にはいろいろな方が曲をつけて発表されています。それぞれに作曲者それぞれの解釈が表されていて、聴き較べるのも面白いものです。
 
今回、感心したのは「連作歌曲」というのがただのお題目でなく、全5曲に一本芯が通っていたことでした。単に光太郎の詩に曲をつけたものを並べているだけでなく、音楽的につながりをもった全5曲の構成となっていたのです(楽譜が拝見できればより詳しく指摘できるのですが……)。
 
ホールのロビーでは、光太郎の令甥、高村規氏ご提供の光太郎智恵子関連の写真パネルが展示されており、本番前後や休憩時間に聴衆が見入っていました。こういう工夫も必要ですね。
 
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5月には東京・日暮里でもリサイタルが開かれるそうです。追ってまた御紹介します。 
 
 
【今日は何の日・光太郎】3月10日
 
昭和58年(1983)の今日、「近代美術シリーズ」第16集の一つとして、光雲の「老猿」をデザインした60円切手が発行されました。

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名古屋在住の方から情報をいただきました。

TIAA全日本作曲家コンクール入賞記念 野村朗作品リサイタル 

期 日 : 平成25年3月9日(土) 
会 場 : 電気文化会館 ザ・コンサートホール 名古屋市中区栄2-2-5 地下鉄伏見駅下車
時 間 : 午後2時開場 午後2時30分開演
料 金 : 2,000円(全席自由) 
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野村氏は名古屋音楽短期大学作曲専攻卒。平成24年度東京国際芸術協会主催の第12回全日本作曲家コンクールの歌曲部門で入選、ということで、それを記念してのリサイタルだそうです。
 
その際の受賞作品が光太郎の詩に曲をつけた「千鳥と遊ぶ智恵子」。それを含む「連作歌曲「智恵子抄」」がプログラムのメインのようです。演奏者の皆さんも名古屋音大の卒業生だそうです。
 
興味のある方はどうぞ。
 
【今日は何の日・光太郎】2月20日

平成14年(2002)の今日、青山スパイラルホールで上演された智恵子を主人公とする、野田秀樹作、大竹しのぶ出演の一人芝居「売り言葉」が千秋楽を迎えました。

仙台レポートの3回目、最終回です。
 
宮城県美術館を後にし、一旦仙台駅まで戻りました。土産物を買い、地下鉄に乗って長町へ。ピアニスト齋藤卓子さん、朗読の荒井真澄さんによるコンサート「楽園の月」を聴きに行きました。会場は昨年5月にやはりお二人で「シューマンと智恵子抄」の公演をなさった古民家カフェ「びすた~り」さんです。「シューマンと智恵子抄」の時と同じく一関恵美さんの墨画の展示もあります。
 
少し早めに着いてしまったので、周辺を散策しました。かの広瀬川では白鳥がいました(それにしても仙台は雪深かったな、と思っていたら、昨日は当方の住む千葉県北東部でも8㌢の積雪となりました)。
 
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さて、会場に着きました。やはり眼鏡が曇って何も見えません。受付で出迎えてくださった一関さんが一関さんだと気づきませんでした(笑)すみません。
 
荒井さんのMCで始まった「楽園の月」、まずは一関さんのスピーチ。会場内に並ぶご自身の作品や、講師として教えた福祉施設の皆さんの作品などについてのご説明や、昨年、斎藤さん共々訪れたパリでのエピソードなどを披露されました。
 
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また、どの時点で作品の「完成」とするか、といったお話もされました。福祉施設の皆さんはそのあたりの見極めが非常に上手いそうです。このあたり、彫刻にも関わる話だな、と思いながら聴いていました。光雲に代表される伝統的な木彫では「こなし」といって、作品の最後の仕上げに物凄くこだわります。そうした立場に立つと、ロダンの様な荒々しいタッチは「こなれていない」と見え、未完成のものにしか見えないそうです。一昨日、昨日と書いた佐藤忠良の彫刻などは、仕上げまでかなり丁寧に為されており、柔らかさにつながっているような気もしました。この点についてはまた、折を見て書きたいと思います。
 
さて、いよいよ斎藤さんのピアノ。今回はショパンとドビュッシーです。前回(昨年5月の『シューマンと智恵子抄』)は、どうしても荒井さんの朗読を中心に聴いたため、正直、ピアノの方にはあまり意識が向きませんでした。しかし今回は、荒井さんの朗読は曲間にされることが多く、ピアノにも集中できました。個人的にフランス近代物は大好きで、しかも名手・斎藤さんが目の前で弾かれているわけで、至福のひと時でした。ピアノもオーストリアのベーゼンドルファー。昨年11月にモンデンモモさんのコンサート「モモの智恵子抄2012」があった原宿のアコスタディオさんもベーゼンドルファーでした。その時に伴奏を務めた砂原嘉博さんに「べードルには88鍵より多い鍵盤のタイプがあるんですよ」と教わりました。びすた~りさんのべードルがまさにそれで、88鍵プラス低音に4鍵、全て真っ黒な鍵が足されているタイプでした。
 
光太郎はショパンに関してはほとんど言及していませんが、ドビュッシーについては同時代の人間ということもあったのでしょう、高く評価していました。ロマン・ロランの書いた「クロオド デユビユツシイの歌劇-ペレアス、メリザンド-」の翻訳(明治44年=1911『高村光太郎全集』第17巻)も手がけていますし、親友だった陶芸家バーナード・リーチのデッサンやエッチングを褒めるのにドビュッシーを引き合いに「其の優雅な美しさを持つ或作品にはドビユツシイの「アラベスク」の美を思はせるものもある」(「リーチを送る」大正9年=1920『全集』第七巻)と書いています。また、昭和8年(1933)に岩波書店から刊行された『岩波講座世界文学7 現代の彫刻』(『全集』第五巻)の中では、ロダンの出現にからめ、19世紀後半のフランスの芸術界を評して「フランスそのものが自分の声を出しはじめたのである」とし、「音楽に於けるドビユツシイ、詩に於けるマラルメ、皆その意味に於いてフランス再発見の声である」と書いています。
 
荒井さんの朗読は、曲の合間にヴェルレーヌやボードレール、島崎藤村など。これまた美声に聞き惚れました。ドビュッシーとヴェルレーヌ、ボードレールも因縁浅からぬものがあり、光太郎もちゃんとその点を押さえています。
 
「ペレアス エ メリザンド」で近代音楽界の大家となつたクロオド ドビユツシイは、其の以前既に近代詩人の詩に作曲してゐた。(中略)マラルメ、ヹルレエヌ、ボオドレエルに次いでは、ピエル ルイ等がドビユツシイに最も多く作曲された詩人である。
(「詩歌と音楽」明治43年=1910『全集』第8巻)
 
ふと、外を見るとまた雪。「雪見酒」ならぬ「雪見ピアノ」もいいものだな、と思いました。そして終演。
 
次は「雪見風呂」です。当初の予定では仙台郊外の秋保温泉に行くつもりでしたが、時間の都合もあり、市内の温泉入浴施設に行きました。それでも凄い雪のため、あちこちで立ち往生したり事故を起こしたりしている車があり、仙台駅に戻ったのはぎりぎりの時間でした。しかし、やはり雪のため新幹線も遅れており、結局は余裕でしたが。仙台名物牛タンの駅弁を食べながら、帰途に就きました。
 
というわけで、有意義な仙台行でした。今後ともお三方のご活躍を祈念致します。

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お三方が活動されている「アクテデュース」さんのHPから。
左から齋藤卓子さん 一関恵美さん 荒井真澄さん。
 
【今日は何の日・光太郎】1月29日

大正15年(1926)の今日、ロマン・ロラン友の会結成。光太郎も参加しています。

昨日は朗読のCDを御紹介しましたが、今日はやはり最近入手した合唱のCDを御紹介します。

最近人気の作曲家、鈴木輝昭氏の合唱曲集です。4つの組曲(計16曲)が収録されています。そのうちの一つが「組曲 智恵子抄 ~女声合唱とピアノのための~」。「Ⅰ.レモン哀歌」「Ⅱ.亡き人に」「Ⅲ.裸形」の3曲から成っています。
 
元々、福島県立橘高校合唱団の委嘱作品で、同校は昨年までの3年間、この3曲を1曲ずつ自由曲として全日本合唱コンクール全国大会に出場、金賞1回と銀賞2回に輝いています。橘高校は智恵子の母校・福島高等女学校の後身です。
 
そういうわけで、演奏は橘高校合唱団。コンクールのライヴ録音ではなく、作曲者自ら立ち会ってのテイクです。
 
価格は税込み3,000円。他に宮澤賢治の詩に曲をつけた「組曲 春と修羅~無伴奏混声合唱のための~」「ネネムの歌《イーハトーヴ組曲第2集》」などが収められています。

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「ハーモニーの祭典 高等学校部門 VOL.3 Bグループ 第64回全日本合唱コンクール全国大会」 ブレーン株式会社

その橘高校合唱団が昨年、全日本合唱コンクール全国大会で銀賞を獲得した際のライブ録音が含まれています。曲目は「組曲 智恵子抄」中の「Ⅱ.亡き人に」。
 
価格は同じく税込み3,000円です。
 
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橘高校合唱団、先日行われた今年の全日本合唱コンクール全国大会でも銀賞を獲得しています。今年はどんな曲をやるのだろうと思っていましたが、やはり鈴木輝昭氏の作曲で、新川和江作詞の曲でした。
 
智恵子の後輩達、頑張っています。

今日、10月21日は、昭和18年(1943)、神宮外苑で学徒出陣の壮行式があった日だそうです。昭和アーカイブス的な番組などで映像を御覧になった方もいらっしゃると思います。
 
そういうわけで、昨日の朝日新聞土曜版の連載「うたの旅人」では、信時潔(のぶとききよし)作曲の「海ゆかば」が扱われました。
 
ある程度の年代以上の方は「ああ、あの曲か」と思い当たられるでしょう。その壮行式の際にも、それからラジオの大本営発表-山本五十六連合艦隊司令長官の戦死(昭和18年)、アッツ島守備隊の全員玉砕(同)などの悲劇的な報道のバックには必ず使われたとのことです。
 
信時は童謡「一番星みつけた」などの作曲者でもありますが、戦時中は「海ゆかば」のような軍歌、戦時歌謡も作っていました。当方が刊行している冊子『光太郎資料』に「音楽・レコードと光太郎」という項があり、いずれそこで詳細を記しますが、その中には光太郎作詞のものもあります。
 
一つは昭和16年(1941)作、「新穀感謝の歌」。宮中で行われていた新嘗祭に関わるものです。
 
   新穀感謝の歌
 
 あらたふと
 あきのみのりの初穂をば
 すめらみことのみそなはし
 とほつみおやに神神に
 たてまつる日よいまは来ぬ
 (二番以降略)

もう一曲は昭和17年(1942)作、「われら文化を」。これは岩波書店の歌として作曲されたものですが、世相を反映した歌詞になっています。
 
  われら文化を
 
 あめのした 宇(いへ)と為す
 かのいにしへの みことのり
 われら文化を つちかふともがら、
 はしきやし世に たけく生きむ。
 (二番以降略)
 
ちなみにこの曲は平成20年(2008)、財団法人日本伝統文化振興財団から発行されたCD6枚組「SP音源復刻盤 信時潔作品集成」に収録されています。「新穀感謝の歌」は収録されていません。どうも発表当時もレコードにならなかったようです。もし「新穀感謝の歌」のレコードについてご存知の方がいらっしゃいましたら御一報下さい。

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光太郎も信時も、そして個人ではなく企業としての岩波書店も、そしてその他ほとんど全ての人々が、否応なしに戦時体制の歯車として組み込まれていったのです。
 
と、書くと、「いやそうではない。光太郎は衷心から鬼畜米英の覆滅を願い、赤心から大君のためにその命を捧げ奉る覚悟であったのだ」という論者がいます。はたしてそうなのでしょうか……。

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