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昨日は東京国分寺にコンサートを聴きに行って参りました。
 
「Prhymx(ぷらイム)」というユニット――テルミン奏者の大西ようこさんのお話とテルミン、三谷郁夫さんが聞き手、歌、朗読、ギターを務められての、題して「もうひとつの智恵子抄」。すばらしいコンサートでした。
 
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会場は、民家でした。外観は普通のマンションのような建物ですが、一歩足を踏み入れると、別世界。富士吉田にあった築300年以上の古民家の部材を移築したとのことで、いい感じでした。50畳近くあるのでしょうか、大広間的な空間が、音楽サロンとして活用されているそうです。
 
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プログラム的には、アンコールを含め、全10曲の演奏。その合間に大西さんと三谷さんのトークが入るという流れでした。
 
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曲目としては、既製のものがほとん000どで、9曲目の田中修一さん作曲「三つの情景」のみ、「智恵子抄」からのインスパイアということでしたが、既製の曲もそれぞれに「智恵子抄」の雰囲気にぴったり合っていました。カッチー二の「アヴェ・マリア」など、当方も大好きな曲です。
 
テルミンの演奏は、初めて生で聴き、非常に興味深く拝聴しました。というか、テルミンの実物(右の画像)を見たのも初めてでした。どうしてこれで微妙な音程や深い曲想が表現できるのか、まったく不思議です。
 
三谷さんはギターを弾きつつ歌い、朗読をなさり(まさに「弾き語り」ですね)、いい声だな、と感じました。ラフマニノフのピアノ協奏曲に乗せての朗読がありました。「智恵子抄」にはラヴェルやドビュッシーなどのフランス近代もの、またはショパンなどを使う方が多いのですが、ラフマと「智恵子抄」という取り合わせも違和感がありませんでした。
 
そして曲間のトーク。大西さんが光太郎智恵子についてよく調べられていて、感服しました。ご来場の方々は、みなさん光太郎智恵子についてあまり詳しくない方だと拝察されましたが、そういう方々にもわかりやすく、興味深いお話だったのではないでしょうか。
 
おおむね智恵子の生涯を追ったお話でしたが、智恵子の統合失調症が顕在化し、ゼームス坂病院に入院というあたりまででした。智恵子の死、『智恵子抄』の刊行、残された光太郎、『智恵子抄その後』、十和田の裸婦像といったあたりでの続編を期待します。
 
また、昨日の演奏曲目から抜粋されたCDも販売されていまして、1枚購入して参りました。是非お買い求めを。
 
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来月には、やはり大西さんの参加されている別のユニット、「otoyomi/おとよみ」さんによる「otoyoMuseum 四ノ館『智恵子抄」が開催されます。
 
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以下、コピペです。
 
 ■日時:2014年10月4日(土)13:30~、17:00~二回公演
 ■場所:現代座会館  JR武蔵小金井駅下車
 ■出演:otoyomi
    宝木美穂[朗読・歌]  大西ようこ[テルミン]  今井万里子[マリンバ]
 ■ゲスト:江上瑠羽[和太鼓]
 ■作曲:清道洋一 「智恵子抄」楽曲書き下ろし      
 ■入場料:<前売>一般:3,000円 中学生以下:1,500円
               <当日>一般:3,500円 中学生以下:2,000円
               ※前売は前日10/3(金)23:00締切。それ以降のお申込みは当日料金となります。
               ※未就学児のご入場はご相談ください。
   
 お問い合わせ・お申し込みはこちら
 MAIL:
otoyomi@hotmail.co.jp
 TEL :080-5910-1310 (B-project) 
 お名前・ご連絡先・公演時間・枚数をお知らせください。
 
 
よく同じことを方々で書いたり喋ったりしていますが、どんなにすばらしい芸術作品でも、我々のちの世の人間が、その価値を正しく理解し、次の世代へと受け継ぐ努力をしなければ、やがて歴史の波に埋もれてしまいます。そういう意味で、音楽や舞台芸術、美術作品、文筆作品などの二次創作で、偉人たちの業績をオマージュすることも非常に有効で、こうした取り組みは、実にありがたい限りです。
 
全国の表現者のみなさん、どんどん光太郎智恵子の世界を取り上げて下さい。ただし、健全なリスペクトの念を忘れずに。また、ご連絡いただければ、こちらで紹介したり、できるだけのサポートをしたりということも可能です。あくまで健全なリスペクトの念を持つであろうものに限りますが。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月21日
 
昭和30年(1955)の今日、光太郎終焉の地、中野のアトリエで、家政婦の堀川スイ子を雇いました。
 
堀川は中野家政婦会からの派遣。光太郎が亡くなるまで約半年間、アトリエ所有者の中西家のみなさん共々、光太郎の身の回りの世話をしました。
 
光太郎歿後の昭和34年(1959)、筑摩書房から刊行された草野心平編『高村光太郎と智恵子』という80余名の回想録がありますが、堀川も「高村先生の思ひ出」と題する一文を寄せています。なかなか心打たれる文章です。

昨日の『朝日新聞』さんに、第37回全日本おかあさんコーラス全国大会の模様を紹介する大きな記事が出ました。
 
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こちらは全日本合唱連盟さんの主催で、8月23日(土)24日(日)の2日間、新潟市のりゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館で行われました。
 
調べてみたところ、東京代表の団体が、光太郎がらみの曲を演奏してくださったとのこと。
 
以下、朝日さんの東京版、先月末の記事から。

東京)2団体がひまわり賞 おかあさんコーラス

 新潟市中央区の新潟市民芸術文化会館りゅーとぴあで開かれていた第37回全日本おかあさんコーラス全国大会(全日本合唱連盟、朝日新聞社主催、キユーピー協賛)に24日、都内から4団体が東京支部代表として出場。「女声合唱団ジュディ」「舫(もやい)の会女声合唱団」が優秀賞にあたる「ひまわり賞」を受賞し、「グローリア女声合唱団」「アンサンブル ウィスタリア」が「おかあさんコーラス賞」を受けた。
 「ジュディ」と「舫の会」はいずれも指揮者の岸信介さんが指導。信長貴富作曲「世界中の女たちよ」の中からそれぞれに選曲し、反戦のメッセージを発信した。
 「ジュディ」の37人は、息子の死体を捜す母は私でありあなただと歌う曲「たくさんの私」に、戦争の残酷さを浮き彫りにした。福嶋浩美代表(55)は「女性でなければわからない悲しみや、平和を祈る気持ちを、全世界に発信したいと思って歌いました」。
 「舫の会」の75人は、白い総レースのドレスをまとい、「温かいシチュー」を披露した。鍋をかき回し、温かいシチューをつくって、男たちを戦いに行かせないようにしよう――そう世界中の女性たちに呼びかける歌詩を、力強いハーモニーでダイナミックに歌った。茂木やゑ代表(72)は「今、どうしても伝えておきたい、という思いがあって。たくさんのおかあさんたちに、この歌を歌い継いでほしいと願いながら、歌いました」と話していた。
 「グローリア女声合唱団」は2回目の全国大会。18人とは思えない豊かな声量で、美しいハーモニーを響かせた。佐藤賢太郎作詩作曲の「女声合唱とピアノのための合唱組曲『文学へ』」から「ぼうず」「君が見た空」の2曲を披露。百人一首を使ったかるた遊び「坊主めくり」がテーマのコミカルな「ぼうず」も、高村光太郎の「智恵子抄」がテーマで旋律が美しい「君が見た空」も、きれいに合わせるのが難しかったという。田中美知子代表(71)は「全国大会では初めて発信する曲なので、歌ってみたいと思ってもらえるよう頑張りました」と話した。
 藤澤幸義子さん指揮の「ウィスタリア」は初出場。団員13人は木下牧子作曲の「にじ色の魚」「鷗(かもめ)」を、戦争で死んだ若者たちを思う女性の視点に立ってしっとりと歌った。「声高に叫ぶのでなく、静かに平和を願う母なる思いを表現しました」と藤田久美子代表(55)。
2014.08.25
 
佐藤賢太郎氏作詞作曲の「女声合唱とピアノのための合唱組曲『文学へ』」、一昨年に発表されたものだそうですが、楽譜が市販されておらず、今回の報道があるまで存じませんでした。ただ市販されていませんが、PDFで見ることができます。ただし「No copy」の文字が出るのでそのままプリントアウトすることは不可能です。正式な楽譜は佐藤氏に申し込んで取り寄せるという形なのでしょう。またmp3で演奏を聴くこともできます。
 
歌詞は光太郎の「あどけない話」をベースに佐藤氏が作詞したものです。「高村光太郎作詞」というわけではないので、今まで見落としていました。
 
ゆったりとしたテンポで、記事にもある通り、メロディーラインの綺麗な曲です。安達太良山の上に広がる雄大な「ほんとの空」が目に浮かぶような曲です。
 
組曲としての他の曲は『枕草子』へのトリビュート「朝の藤棚」、『小倉百人一首』に題をとった「ぼうず」、松尾芭蕉へのオマージュ「旅に」となっています。
 
全国の女声合唱団の皆様、レパートリーに加えられてはいかがでしょうか。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月4日
 
昭和8年(1933)の今日、智恵子ともども栃木県塩原温泉を訪れました。
 
昭和8年というと、智恵子の統合失調症がかなり進んでいた時期です。光太郎は智恵子の故郷近辺の温泉巡りでもすれば少しは病状が好転するかと考え、智恵子を連れて旅に出ました。昨年焼失した不動湯温泉、裏磐梯などを廻り、その最後に訪れたのが塩原です。しかし、9月中旬に東京に戻ったときには、智恵子の症状はさらに悪化していたそうです。
 
下記は塩原で撮られた一枚。現在伝わっている、智恵子最後の写真です。
 
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昨日の続きです。
 
8/30(土)、四ッ谷の紀尾井ホールにて、合唱の演奏会「The Premiere Vol.3 〜夏のオール新作初演コンサート〜」を聴いて参りましたが、今日はまず会場に入る前の話から。
 
四ツ屋駅から紀尾井ホールを目指して歩いていたところ、ホールの建物のすぐ隣に、こんな看板を見つけました。
 
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「尾張名古屋藩屋敷跡」は関係なく、左の方です。「ああ、ここが福田家さんか!」と驚きました。
 
福田家さんは、戦前から続く料亭で、昭和20年(1945)に紀尾井町に移転したとのこと。ここで(もっとも、建物は当時のものではなく、近代的なビルになってしまっていますが)、昭和27年(1952)の10月に、光太郎と元陸軍少尉にして栄養学者の川島四郎、詩人の竹内てるよとの座談会「高村光太郎先生に簡素生活と健康の体験を聞く」が行われ、翌年1月の『主婦之友』に掲載されました。
 
さらにその前後の同誌に載った「編輯室便り」から。
 
  美しき因縁
 
「この世は美しいよ。やつぱりいゝことはするもんだなあ」
 と感激性のH記者。老詩人高村光太郎先生を囲む座談会から先生を送つて帰社するなりひどく感心した様子で語り出した――
 座談会は、千代田紀尾井町の福田家といふ旅館で開いたが、座に着いた高村先生
「僕の山の家へね、食糧不足のころ、二度も沢山の食物を送つてくれた人があるんです。紀尾井町の福田さん……この家ぢやないかな」
 と感慨深さう。
 女中さんに聞いてみると、やつぱり先生の推察どほり、贈主は、この五月に亡くなつた先代主人福田マチさんだつた。
 福田さんは隠れた篤行で、これまでもしばしば話題になつた人、新聞か雑誌で高村先生の御生活を読んだことから、慰問品を送つたものらしい。
「お礼も云はず失礼したが……」
 高村先生は滅多に書かれない筆をとつて、福田家さんのために「美ならざるなし」と色紙に認め、心からほつとした面持。
 偶然選んだ会場ながら、思はぬ美しい因縁話で、かくはH記者を感心させた次第だつた。
 
 
その際に光太郎から贈られた色紙がこちらです。
 
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上記記事、画像とも福田家さんで非売品として出した『福田マチ』(昭和28年=1953)という書籍から採りました。
 
見知らぬ光太郎に援助をした福田家さんの女将も偉いと思いますが、何年も経って、それを忘れないでいた光太郎も偉いと思います。実は光太郎に食糧を送ったという人はかなりの数に上ります。
 
そういう縁のある福田家さんが、コンサート会場紀尾井ホールのすぐ隣でした。
 
さて、「The Premiere Vol.3 〜夏のオール新作初演コンサート〜」。光太郎作詞、三好真亜沙さん作曲になる「女声合唱とピアノのための 冬が来た」については昨日書きましたので、他の演奏について。
 
昨日も書いた通り、カワイ出版さん、ジョヴァンニレコードさんの協賛、協力により、若手作曲家に作曲の場を提供し、一流合唱団の初演と楽譜出版を同時に行い、さらにライヴ録音がCD化されるという企画です。今回は、4篇の合唱組曲と、編曲が1篇、初演されました。
 
三好さんのもの以外に初演された合唱組曲は以下の通りです。
 
宮岡絵美作詞、増井哲太郎作曲 混声合唱とピアノのための「平行世界、飛行ねこの沈黙」
水無田気流作詞、田中達也作曲 男声合唱とピアノのための「シーラカンス日和」
工藤直子作詞、名田綾子作曲  混声合唱とピアノのための「いのち」

何度か書いていますが、当方、混声合唱をやっております。所属する団は、指導者が大中恩先生の弟子で、千葉県のアンサンブルコンテストで銀賞をいただいたこともあり、そこそこ本格的にやっています。しかし当方は不真面目な団員で、週1の練習の時にしか楽譜を引っぱり出さず、しかも楽譜を見ながら歌う習慣が身についてしまっており、「次の本番は暗譜」と言われるとお手上げです(笑)
 
そういう立場で聴くと、それぞれ一流合唱団( CANTUS ANIMAEさん、なにわコラリアーズさん、松原混声合唱団さん)の演奏でしたので、素晴らしいものがあり、真剣に音楽に向き合っていない我が身が恥ずかしくなりました。
 
特によかったのが、名田綾子さん作曲の混声合唱とピアノのための「いのち」、終曲の「もしも」。「のはらうた」のシリーズなどで有名な、工藤直子さんの詩です。
 
 もしもいま いなくなるとしたら
 ここに こうしている
 「わたし」のままで いたい
 もしもいま いなくなるとしたら
 星のように月のように
 ほんのり光っていたい
 
 もしもいま いなくなるとしたら
 あちこちを みまわして
 すこし あわててみたい
 もしもいま いなくなるとしたら
 最後に わけしりぶって 
 少し笑っていたい
 
 もしもいま いなくなるとしたら
 空にむかって 大地にむかって
 呼びかけていたい
 
   あなたにあえてよかった
   生まれてきてよかった
   あなたに会えてよかった
   生まれてきてよかった
 
さらに北川昇さん編曲の「花は咲く」 。東日本大震災復興支援ソングということで、繰り返しNHKさんで流れています。当方も何種類かの編曲で何度も歌いました。今さらどのように料理するのだろうと思っていたら、なんとア・カペラ(無伴奏)での編曲でした。歌うはこの日の出演合唱団全員と、三好さんを含む作曲、指揮、伴奏などを務めた方々、総勢百数十人。これも感動でした。
 
周囲には聴きながら涙している人もいらっしゃいました。当方も、あの日、津波に呑まれて亡くなった女川光太郎の会の故・貝(佐々木)廣さんを思い出し、目がうるみました。さらに、先頃亡くなった高村規氏、昨年亡くなった鋳金家の齋藤明氏にも思いを馳せました。
 
そんな思いで帰宅したところ、高村規氏の親族の方からお葉書が届いておりました。ご親族として規氏、さらに元歌手の亜留さんのご逝去が続いたことへの思い等、綴られていました。
 
規氏葬儀の御様子、さらににもはや引退されて公人ではなかった亜留さんの訃報、このブログで紹介すべきか非常に迷いましたが、ご存じなかった方、ご存知でも葬儀等に足を運べなかった方のためにも書くべきと判断し、書かせていただきました。情報の発信というのも、なかなか難しいものです。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月1日
 
明治44年(1911)の今日、智恵子が表紙絵を描いた雑誌『青鞜』が創刊されました。
 
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昭和57年(1982)、暁教育図書さん刊行の『日本女性の歴史 大正の女性群像』という書籍から画像を採らせていただきました。
 
103年前ですが、いま見てもつくづく素晴らしいデザインですね。

東京国分寺でのコンサートです。
 
ただし、チケットは完売だそうです。

「もう一つの智恵子抄」

期 日 : 2014年9月20日(土)
時 間 : 15時開演(14時半開場、17時終演予定)
会 場 : 小俣邸  国分寺市泉町3-26-6TEL:042-325-0969
      アクセス JR中央線西国分寺駅より徒歩5~6分駐車場はありません。
       玄関の杉玉が目印。当日は看板が出ています。
       ※演奏会場には、靴を脱いでお上り頂きます。
       ※スリッパはございませんので、靴下ご注意ください。
出 演 : ぷらイム(Prhymx)お話・テルミン:大西ようこ聞き手・歌・朗読・ギター:三谷郁夫
入場料 : 3,000円(前売)/3,500円(当日)
       ※前売は前日9/19(金)正午締切。
       ※それ以降のお申込みは当日料金となります。
プログラム : 三つの情景(Trois Scènes pour Thérémine et Guitare):田中修一他
チケット・お問い合わせ : 彩企画(大西) 080-5436-0828 theremin-japan@ezweb.ne.jp
 
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智恵子はなぜ人でなくなってしまったのか?
そんな智恵子をなぜ光太郎は「だんだん美しくなる」と詠ったのか?
そんな『智恵子抄』の謎と真実に迫り、また裏話も楽しんでいただきます。
ご案内役は、大西ようこ、三谷郁夫。
勿論、ぷらイムの演奏もお楽しみいただきます^^
限定30名ですので、お申し込みはお早めに。(完売だそうです)
会場となる小俣邸は、知る人ぞ知る、住宅街の中にある隠れ家的音楽サロン。家の殆どの部材は、富士吉田にあった300年以上前の古民家から移築された物です。玄関をくぐるとそこは異空間の古民家。骨董好きのご亭主による設えは、どこを見ても情趣豊かな遊び心に溢れています。
宝探しの積もりで、会場もお楽しみください。

 
テルミン奏者の大西ようこさん、ギターの三谷郁夫さんのお二人による演奏会です。
 
会場が定員30名ということで、既にチケットは完売だそうですが(当方も買いました)、報道関係の方などもお読みいただいているかと存じますので、ご紹介しておきます。
 
また近くなりましたら詳しく書きますが、同じ大西ようこさんと、マリンバ奏者の今井万里子さん、和太鼓奏者の江上瑠羽さん、そして朗読の寶木美穂さんによる「音楽と朗読・歌で綴る智恵子抄」というコンサートが、10月4日(土)に武蔵小金井で開催されます。
 
大西ようこさん、過日の髙村規氏のご葬儀でお見かけしました。ご焼香なさる際に、どこかでお会いした方だな、と思ったのですが、ネットの画像でお顔を拝見していた次第です。
 
お仲間の寶木さんのブログによれば、二本松まで取材に行かれたり、大西ようこさんが、智恵子抄研究家? というくらい文献を読み込まれたりなさっているそうですので、期待しております。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月27日
 
昭和23年(1948)の今日、花巻郊外太田村の山小屋に、新制盛岡高校の女生徒10人ほどが訪れました。
 
小屋が狭いので、1㎞ほど離れた小学校に移動、そこで雑談をしたり、光太郎が自作の詩の朗読をしたりと、愉しい時間を過ごしたようです。

昨日は東京外苑前のライヴバー、Z.imagineさんに行って参りました。光太郎の詩にオリジナルの曲を付けて歌われているシャンソン歌手、モンデンモモさんのライヴでした。
 
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光太郎詩に曲を付けた「樹下の二人」「梅酒」の他、オリジナル詞の「私の智恵子抄」、それからフォーレの「夢のあとに」に乗せての朗読「あをい雨」、さらに光太郎智恵子の周辺人物、平塚らいてう、宮澤賢治に関する曲などを演奏なさいました。
 
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また、シャンソンや日本の古い歌(「ゴンドラの唄」「宵待草」)、ゲストでモモさんのお知り合いの方もステージに立たれ、もりだくさんの内容でした。
 
光太郎智恵子の世界は、さまざまな分野の表現者の感性に訴えかけるようで、音楽、演劇、絵画、文芸、朗読その他いろいろな二次創作等がなされています。こうした風潮が途切れることなく続いてほしいものです。
 
また、そうした活動に取り組まれている方、ご連絡いただければご紹介しますので、よろしくお願い申し上げます。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 7月7日
 
昭和59年(1984)の今日、神田の東京古書会館で明治古典会七夕古書大入札会が開催されました。
 
この年の目録のトップに、光太郎からプロレタリア詩人、中野秀人に宛てた書簡11通が大きく掲載されています。
 
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昭和2年(1927)~5年(1930)、滞欧中だった中野に宛てたエアメール……当時はまだ船便ですね。

光太郎の詩などにオリジナルの曲を附けて歌っているモンデンモモさんから、来月のライヴのご案内をいただきました。

Gマジックライブ VOL8 2014

日 時 : 2014年7月6日(日) 15:00~
会 場 : Z.imagine 港区北青山2-7-17 青山鈴越ビルB1F
      東京メトロ銀座線 外苑前駅 神宮球場方面出口下車 2番・3番出口を出てすぐ
料 金 : ¥3,000(ドリンク別) 学割あり
 
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ぜひ足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 6月21日
 
昭和26年(1951)の今日、花巻郊外太田村の山口小学校校長・浅沼政規と、読売文学賞の賞金の使い道を相談しました。
 
当日の日記から。
 
学校の学芸会用の幕の為に2万円寄附せんと思ふ。校長さんに話す。
 
前の年に刊行した詩集『典型』が、第二回読売文学賞に選ばれたのが前月。その賞金をそっくり寄附してしまおうというわけで、下記の幕ができあがりました。
 
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描かれているのは山口小学校の校章。このデザイン案も光太郎です。
 
浅沼政規著『高村光太郎先生を偲ぶ』(平成7年 ひまわり社)より。
 
 昭和二十六年、高村先生が読売文学賞の賞金を寄付してくれ、そのお金で式場用の幕を新調することになり、校章の図案を高村先生にお願いすることにしました。高村先生は快く承諾して、図案を作ってくれることになりました。
 お願いしてから何日かあと、高村先生から
「いろいろ考えてみました。花の模様はどこでも採っているのですが、ここではあまり特徴になりません。文字の図案化もただそれだけの意味です。ここの名産とか、特に関係のあることを考えて見ました。その結果、栗の図案を考えてみましたが、どうでしょうか。ここは栗の産地で、たくさん栗の木があり、栗は大きくなり、木は丈夫で堅く強く、実は青いうちはいがで包まれていますが、熟すといがが開き、丸々とした実がつやつや美しく、食べると、なににもましてうまい。うまいものの代名詞ともなっているくらいです。栗の実の雌しべを上向きにし、それを円で囲み、山口と文字を入れます」
 と図に描いてくれました。
「なるほど栗はここの土地に合うし、堅実を表しますので、それにいたしましょう」
 職員とも相談し、図画の得手な菊池高雄先生が図案を描いて、小屋にいって高村先生に見ていただき、それを校章として決定し、幕に染めることになりました。
 式場用幕は五つで、ステージの前上方の垂れ幕の左と右に校章を大きく染めることになりました。
 
山口小学校は廃校となりましたが、この幕は大切に保存されています。

【今日は何の日・光太郎 補遺】 2月19日

平成12年(2000)の今日、藍川由美さんのCD「「國民歌謡~われらのうた~國民合唱」を歌う」がリリースされました。
 
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このアルバムには光太郎作詞、飯田信夫作曲の「歩くうた」(昭和15年=1940)が収められています。故・小沢昭一さんやボニージャックスさんなども「歩くうた」を収めたCDアルバムをリリースされていますが、藍川さんは、当時の楽譜のままを忠実に演奏されている点が特徴です。
 
藍川さんは東京芸術大学出身の声楽家。ジャンルを超え、明治~昭和の日本歌曲をよく取り上げていらっしゃいます。藍川さんの公式ホームページはこちら
 
この他にも藍川さんには「華燭 藍川由美丘灯至夫をうたう」というアルバムもあり、昭和39年(1964)に二代目コロムビア・ローズさんが歌った「智恵子抄」が収められています。
 
丘灯至夫は作詞家。舟木一夫さんの「高校三年生」、テレビアニメ「ハクション大魔王のうた」等で有名です。

 
さて、来月、藍川さんのコンサートがあり、その中では光太郎作詞の「こどもの報告」が歌われる予定です。作曲は箕作秋吉です。 

「日本のうた編年体コンサート」⑫ 文部省『日本國民歌』と日本放送協會『國民歌謠』

日 時  2014年3月30日(日) 19:00開演
会 場  東京文化会館小ホール 東京都台東区上野公園5 上野駅[JR公園口]から徒歩約1分
出 演  藍川由美 (歌)/蓼沼明美 (ピアノ)/片山杜秀 (話)
入場料  3,000円(全席指定)/学生券:1,000円 (当日扱いのみ)
問い合わせ:オフィス小野寺  03-6804-8444
 
 
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作詞・作曲とも当時の錚々たるメンバーですが、現在では忘れ去られている歌が多いと思います。こうした歌曲が存在したということを、きちんと記録に残して行くことも大切なことではないでしょうか。ただし、「これぞ日本人の魂」的なアプローチは慎むべきかと思いますが。
 
「こどもの報告」については、当方刊行の冊子『光太郎資料』第41集(4月2日・連翹忌の日に発行予定)で取り上げています。ご希望の方はコメント欄等からご連絡下さい。

もう1件、やはり来月行われるコンサート情報です。

金田潮兒教授 歌曲コンサート ~定年退職記念~ 学芸の森より 愛etc…

日 時  2014年3月3日(月) 16:00開演
会 場  東京学芸大学内 芸術館 学芸の森ホール 東京都小金井市貫井北町4−1− 1
   東京学芸大学芸術・スポーツ科学系 音楽・演劇講座 作曲研究室
料 金 : 無料

司会進行:山内雅弘(作曲研究室主任)
歌:鎌田直純 大野徹也 横山和彦 嶋﨑裕美 小林大作 石﨑秀和(以上声楽研究室教員)
ピアノ:亀澤奈央 小田切舞美 守谷温子(以上本学卒業生 賛助出演)
尺 八:福田輝久(特別出演)
ヴァイオリン:濱川夏楠(本学学部4年)
女声アンサンブル:鈴木菜穂子 糸塚奈保子 川井愛梨 千葉なつみ(以上本学大学院生)

問い合わせ: 042-329-7569(作曲研究室・山内) 042-329-7572(声楽研究室・小林) 
 
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金田潮兒氏は作曲家にして東京学芸大学教授。
 
「高村光太郎詩集「智恵子抄」より『いやなんです』」という曲がラインナップに入っています。
 
こうした方面で光太郎が取り上げられるのも大事なことだと思っています。ありがたいかぎりです。

女優の渡辺えりさんからお葉書をいただきました。新春コンサートのご案内です。
 
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渡辺さん、このブログで何度もご紹介させていただいておりますが、お父様が光太郎と交流があった方で、えりさんご自身、幼い頃からそのお父様の薫陶を受け、光太郎を敬愛なさっています。
 
先日、当方が花巻に行った折、えりさんがご両親と一緒に花巻にいらしたと聞きました。お父様、しばらく入院なさっていたとのことですが、めでたくご退院ということで、十和田から花巻と、光太郎ゆかりの地をご両親と旅されたそうです。花巻高村記念会高橋氏曰く、お父様も実にお元気だったとのこと。
 
以下、えりさんのブログにリンクします。
 
 
その後もえりさん、名古屋の高校で講演をなさったそうで、その中で光太郎にも触れられたそうです。ありがとうございます。
 
そしてご案内をいただいたコンサート。もしかしたらMCで光太郎がらみのお話があるかも知れません。
 
もうお一人、光太郎の詩にオリジナルの曲を付けて歌われているシャンソン歌手、モンデンモモさん。「モモの智恵子抄2013秋」ということで、二本松、福島市、そして原宿でコンサートをなさいました。
 
当方、このところ地方出張が多く(また明日から愛知です)、日程が合わずに参上できませんでしたが、成功裏に終わったようで何よりでした。
 
以下、モモさんブログから。
 
 
ちなみにモモさんのピアノ伴奏を務めていらっしゃるピアニストの砂原嘉博さん、以前に渡辺えりさんのピアノ伴奏もなさったことがあるそうで、世間は狭いものだと思いました。
 
お仲間の皆さんがそれぞれに活躍なさっています。こちらも頑張らねば、と決意を新たにいたしました。
 
【今日は何の日・光太郎】 11月21日

昭和28年(1953)の今日、『昭和文学全集008 第二十二巻 高村光太郎集 萩原朔太郎集』の印税として、角川書店から1,570,205円の小切手を受け取りました。
 
現在でも150万円といえば大金ですね。ましてや昭和20年代の150万円というと、現在の価値に換算したらどのくらいになるのでしょうか。
 
実は晩年の光太郎、この手の収入がかなりありました。しかし生活は質素。そこも光太郎の偉いところだと思います。
 
ちなみにこの書籍の月報には前年、十和田湖上で撮った光太郎スナップが載っています。いい写真です。

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光太郎の詩に自作の曲を付けて歌われているシャンソン歌手・モンデンモモさん情報です。
 
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「モモの智恵子抄2013秋」ということで、福島と東京、3カ所のツアーが予定されています。
 
2013/11/16(土) 二本松コンサートホール 18:00~ 1500円 問 0243-24-2830 鈴木
2013/11/17(日) 福島市古関裕而記念館  19:00~ 2000円 問 090-4476-0223 白川
2013/11/19(火) 原宿アコスタディオ 19:00~ 3000円 問 080-6772-3746 モンデンビューロ
 
ぜひ足をお運びください。
 
【今日は何の日・光太郎】 10月23日

大正12年(1923)の今日、柳八重に手紙を書きました。
 
柳八重は日本女子大学校での智恵子の先輩。その夫・敬助は画家で、光太郎とは留学中から親交がありました。そうした関係もあり、明治44年(1911)の光太郎と智恵子の出会いをお膳立てしたのが八重です。
 
敬助はこの年5月に病没、9月から遺作展が日本橋三越で始まりましたが、その初日に関東大震災が起こり、三越は炎上、多くの作品が灰燼に帰しました。
 
そのことに対してのお悔やみの手紙が、90年前の今日、書かれたというわけです。光太郎の痛恨の意が良く表されています。
 
 暫く御無沙汰しました。
 今度の災厄については市民一同いづれも悲痛な経験を負はされましたが、私自身として、柳君の遺作の事ほど切実に悲しまされた事はありません。身に近く、苦しい気がします。
 あなたの御心持を推察する事は更に強い圧迫です。
 けれど事実は二度とあともどりしない事を思へばどう考へてもどう為ようもなく又どう言ひやうもありません。
 せめて友人間にまだ散らばつてゐる遺作をあなたの許に集め寄せる事が出来れば一つの慰めになるかと思ひました。
 それで柳君帰朝後間もなく(〇九年)かかれた画で私の大事にしてゐた人物画(十号)を柳君にお返し為ようと思つて今日持参しました。此は柳君の精神的一面をよくあらはした好い画で私の愛好措かないものです。どうかアトリエにお置き下さい。額ぶちが手許に無いので額ぶち無しで持参しました。
 いづれ又おめにかかつた時、
   十月二十三日                                     高村光太郎
  柳八重子様
 
敬助の作品は、やはり交流のあった荻原守衛の個人美術館である信州安曇野の碌山美術館などで見ることができます。

閲覧数が20,000回を超えました。ありがとうございます。
 
昨日は外苑前のライヴハウス・Z IMAGINでの、シャンソン歌手・モンデンモモさんのライヴレコーディング「G-MAGIC MOMO LIVE」に行って参りました。
 
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「土地★人★神話」(仮題)という新作アルバムのためのもので、来年3月リリース予定だそうです。モモさん曰く「ご当地ソング集のようなもの」とのことですが、出雲や福島でも活動なさっているということで、「智恵子抄」や出雲神話などに関する歌、それから「人」ということで宮澤賢治の「雨ニモマケズ」、平塚らいてうの「元始女性は太陽であつた」などにオリジナル曲を付けたものも含まれます。
 
以前も書きましたが、継続してやられているというところが素晴らしいと思います。
 
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【今日は何の日・光太郎】 9月24日

平成15年(2003)の今日、70余年の時を経て、行方不明だった木彫「栄螺(さざえ)」の発見が報じられました。
 
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これは昭和5年(1930)、大阪の高島屋長堀店で開催された「木耀会木彫展覧会」に出品され、即売会も兼ねていたためにそこで買われ、以後、行方が不明でした。というか、「木耀会木彫展覧会」に出品されたということもわかっていませんでしたし、正確な製作年代もわかっていませんでした。
 
ただ、光太郎が自作の彫刻を語った昭和20年の「回想録」(『高村光太郎全集』第10巻)では、この作品が一つのエポックメーキングだったと記されていて、重要な作品です。
 
見つかった「栄螺」には絹の袋がついていました。そこには光太郎自筆の短歌。
 
いはほなす さざえの 貝の かたき戸の うごくけはひの ほのか なるかも
 
光太郎はこのように自作の木彫に袋や袱紗(ふくさ)をつけ、自作の短歌を添えることが多くありました。ちなみに袋や袱紗は智恵子が縫ったそうです。現在、岡山県井原市立田中美術館で開催中の「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」では、こうした袋や袱紗が多数展示されています。
 
ところが、この「栄螺」、「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」に出品されていません。もちろん袋も。所蔵している愛知県のメナード美術館さんが、自館の所蔵名品展で展示したいとのことです。そちらの情報も入り次第お伝えします。

昨日、奥出雲で歌われたモンデンモモさん情報です。
 
今週金曜日(9/13)、二本松市でコンサートだそうです。 

福モモプロジェクト・復興支援コンサート「音楽と歌で楽しいひとときを!」

2013年9月13日(金)
時間/18:00~20:00 
場所/二本松市市民交流センター 1F 多目的室
入場無料
出演/歌手 モンデンモモ ピアニスト 砂原dolce嘉博 
賛助出演/トランペッタ― 長屋伸浩 メゾソプラノ 紺野由香里  ピアノ 本多裕子
主催 二本松ロータリークラブ お問合せ 090-2270-4460 【高橋】
 
また、この日、午前中には智恵子の母校・二本松市立油井小学校で児童たちとの音楽集会的な活動に参加されるそうです。子供たちは鼓笛隊で二代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」を演奏するとか。
 
 
それから9/23(月・祝)には外苑前でライヴレコーディング。 

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2013年9月23日(月・祝)
時間/17:00~
場所/Z.imagine 港区北青山2-7-17 青山鈴越ビルB1F 03-3796-6757

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光太郎との関わりで宮澤賢治「雨ニモマケズ」、智恵子との関わりで平塚らいてう「元始女性は太陽であった」など、モモワールドがどんどん拡大中のようです。
 
【今日は何の日・光太郎】 9月9日

明治25年(1892)の今日、光太郎の姉・咲(さく)が肺炎のため歿しました。数え16歳の早逝でした。
 
さくは日本画を狩野派に学び、かなりの力量を持っていたといわれ、光雲にとっては期待の娘、光太郎にとっては自慢の姉でした。
 
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先ほど、出雲から帰って参りました。
 
今日は午前中、シャンソン歌手のモンデンモモさんと、奥出雲町のアマチュア合唱団・コールしゃくなげさんのジョイントコンサートを聴きました。
 
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数年前、当方が合唱編曲した「樹下の二人」(モモさん作曲)が本邦初演(おそらく)。編曲しながらキーボードやパソコンで聴いていましたが、人間の肉声で聴くのは初めてでした。やはり機械ではなく人間の声は温かみが感じられ、いい物だと再認識しました。
 
他にもコールしゃくなげさん、モンデンモモさんともに定番の曲をたくさん演奏して下さったので、心地よいコンサートでした。
 
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出雲は光太郎・智恵子とはおそらく直接の関係はありません。こういう土地でもその魅力を多くの人々に分かっていただきたいもので、その意味では非常にありがたい企画でした。
 
近々、松江でも他の合唱団のみなさんが、「樹下の二人」を演奏される由。午後はその団の方々がご案内してくださり、亀嵩温泉(松本清張の『砂の器』の舞台だそうです)や、弥生時代の銅剣が大量に出土した荒神谷遺跡などを廻り、空港まで送っていただきました。感謝に堪えません。
 
出雲というと縁結びの神様の地。こうして人と人との縁が広がってゆくのだなと実感した2日間でした。
 
【今日は何の日・光太郎】 9月8日

昭和17年(1942)の今日、『都新聞』に詩「真珠港特別攻撃隊」が掲載されました。
 
この詩はこの年11月、箏曲奏者・今井慶松によって箏曲作品として作曲され、共立講堂で演奏されました。この時のプログラム、パンフレット等を探していますが、なかなか見つかりません。情報をお持ちの方はご教示いただけると幸いです。

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今朝、千葉の自宅を発ち、島根県は出雲地域に来ています。ローカル線を乗り継ぎ移動中です。

明日、シャンソン歌手・モンデンモモさんと地元のアマチュア合唱団の皆さんによるジョイントコンサートがあり、そちらを聴きに行きます。

プログラムの中に、光太郎の「樹下の二人」にモモさんが曲をつけた歌が含まれています。おそらくは混声四部合唱バージョンで、さらにおそらくは当方が数年前に編曲したものでしょう(そういう仕事もしています)。

今日は出雲大社と県立古代出雲歴史博物館に行って来ました。今年は遷宮があり、TVでも随分取り上げられていているためか、雨にもかかわらず多くの観光客で賑わっていました。博物館では東日本ではあまり見られぬ銅鐸などを興味深く拝見しました。

しかし、ブロンズ彫刻の鋳造と関連づけて見ている自分に苦笑しました。

コンサートについてはまた明日。

【今日は何の日・光太郎】 9月7日

昭和30年(1955)の今日、中野のアトリエで通いの家政婦さんを雇いました。

注文していたCDが届きました。  
2013.06.26 発売¥2,286+税/WPCL-11429001

1. ええじゃないか日本 
2. 山のあなた 
3. すずめのこ 
4. やせがえる 
5. 夏は来ぬ 
6. ことわざしりとり 
7. なせばなる 
8. 雲 
9. 浜辺の歌  
10. きりぎりすの山登り 
11. 道程 (高村光太郎「道程」より) 
12. 故郷  000
13. 竹 
14. キックキックトントン (宮沢賢治「雪渡り」より) 
15. 冬景色 (文部省唱歌) 
ボーナストラック  「元気コンサート in 福島」より
16. さよなら
17. 元気でいこう!ごもじもじ 
18. もちづくし (侭田亀治郎「糯尽」 狂言「業平餅」 井上ひさし「薮原検校」より)
 
NHKEテレ(旧NHK教育テレビ)で放映中の子供向け番組「にほんごであそぼ」の最新CDです。

子供向けCDと侮るなかれ。「道程」は坂本龍一さんの作曲です(他に「すずめのこ」「やせがえる」「なせばなる」「もちづくし」も)。さらにそれぞれの曲のピアノ伴奏も坂本さん自身が務めています。
 
「坂本龍一」というネームバリューでありがたがるわけではありませんが、やはりひと味違いますね。例えば「道程」。歌詞として使っているのは有名な冒頭の二行「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」だけ。それを不思議なメロディーに乗せて、2回リフレインしています(歌っているのは同番組に出演している子役)。したがって1分30秒の短い曲です。くどくど作らずサビの部分だけ、という感じですが、一度聴いたら忘れられないきれいな、しかし不思議なメロディーです。
 
ボーナストラック3曲は、昨年12月28日、福島県文化センターで開催された「にほんごであそぼ 元気コンサート in 福島」のライヴ録音です。この時は、坂本さんや尺八奏者の藤原道山さんなどがゲスト出演、「道程」も演奏されたそうです。その模様は今年1月6日にテレビ放映されたのですが、見逃しました。
 
その「にほんごであそぼ 元気コンサート in 福島」もDVDとして発売されましたので、早速注文しました。届いたらまたレポートします(ネタは小出しにするのがブログを長く続ける秘訣です)。
 
さて、奇しくも「道程」「福島」というキーワードで、来週月曜日、7月22日午後1時半からイベントがあります。宇宙飛行士の山崎直子さんの講演会です。会場は福島市公会堂。明日はそちらをご紹介します(ネタは小出しにすべし。くどいようですが)。
 
【今日は何の日・光太郎】 7月20日

昭和48年(1973)の今日、NHK総合テレビで放映の光太郎智恵子を描いた「銀河テレビ小説 生きて愛して」が、最終回を迎えました。
 
「銀河テレビ小説」は昭和40年代から平成のはじめまで、NHK総合テレビで放映されていた夜の帯ドラマです。一定以上の年代の方には懐かしいでしょう。「生きて愛して」は昭和48年(1973)6月1日から7月20日までのオンエア。智恵子役が大空真弓さん、光太郎役が片岡孝夫(現・片岡仁左衛門)さんでした。他に渡辺美佐子さん、水沢アキさんなどが出演されていました。

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ちなみに仁左衛門さんの次女・片岡京子さんは、平成12年(2000)に津村節子さん原作の「智恵子飛ぶ」が新橋演舞場で舞台化された際、智恵子役を演じました。ただし、元々智恵子役をやる予定だった女優さんが身内の不祥事で急遽降板してしまったための代役でした。光太郎役は平幹次郎さん、のち近藤正臣さん(京都公演)でした。
 
時を隔てて親子で光太郎・智恵子を演じるというのも不思議な縁ですね。

昭和12年(1937)に作られた光太郎の詩に「わが大空」というものがあります。
 
  わが大空002
 
こころかろやかに みづみづしく
あかつきの小鳥のやうに
胸はばたき
身うちあたらしく力満つる時
かの大空をみれば
限りなく深きもの高きもの我を待つ
ああ大空 わが大空
 
こころなやましく いらだたしく
逃げまどふ狐のやうに
胸さわだち
身の置くところも無きおもひの時
かの大空をみれば
美しくひろきものつよきもの我を待つ
ああ大空 わが大空

昭和18年(1943)に刊行された光太郎の詩集『をぢさんの詩』に収録されていますし、光太郎が手元に残した草稿も現存するので、詩の内容はわかっていました。
 
草稿の欄外には「音楽学校へ 唱歌歌詞として」という書き込みがあり、東京音楽学校(現・東京芸大)に歌詞として提供したと読み取れます。しかし、長らく初出発表誌が不明で、結局は作曲されないままお蔵入りになったのかと思われていました。
 
ところが、一昨年、国立国会図書館の近代デジタルデータで公開された当時の音楽教科書(師範学校、高等女学校、実業女学校用)の中に、この「わが大空」の楽譜が掲載されていました。
 
しかし、現代では忘れ去られてしまった曲なわけです。
 
作曲は故・松本民之助。坂本龍一氏の師にあたり、子息の松本日之春氏も作曲家として活躍中です。当方、たまたま日之春氏のインストゥルメンタルのCDアルバムを持っています。エスニックサウンド的な不思議な曲が並んでいます。そして弟子が坂本龍一氏。するとやはり師匠も一筋縄ではいきません(笑)。
 
この「わが大空」も、これが本当に1930年代の作曲か、というような曲調です。他にも光太郎作詞の歌曲は複数あるのですが、大半は軍歌調の平易なメロディーです。ところがこの「わが大空」は現代音楽のはしり、といった感じです。
 
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4分の3拍子、♩=108という速めの指定で、一、二番とも変イ長調(A♭)で始まり、中間部でロ長調(B)に転調、再び変イ長調に戻って終わる構成になっています。
 
だいたい、変イ長調(A♭)というとフラット4つで演奏しにくいので、もう半音下げてト長調(G)にした方がずっと簡単です。転調してロ長調(B)に変わりますが、今度はシャープが5つ。これも半音下げれば変ロ長調(B♭)となりフラット2つで済みます。そうしないところに何らかのこだわりがあるのでしょうが、こだわる理由がよくわかりません。
 
まあ、歌う方は固定ドでなく移動ドで捉えるのがほとんどですので、キーが何であろうがそれほど影響はないのかもしれませんが、それにしてもダブルシャープも多用しており、楽譜が煩瑣です。
 
それ以外にも一、二番で旋律、リズムに違いもありますし、二部合唱で作られていて、二つのパートでかなりポリフォニック(リズムや歌詞の配置に違いがあること)になっていますし、和音の構成も一筋縄ではいかず、さらに各パートとも音域が広い作りになっています。
 
ピアノ伴奏は前奏と間奏の部分しか掲載されていませんが、それだけでも凝った作りになっているのがわかります。全体としてはどれほど凝った伴奏になっているのだろう、などと思ってしまいます。
 
というわけで、歌曲としてのクオリティーは非常に高いのですが、はっきりいうと、当時の師範学校、高等女学校、実業女学校の生徒が、この曲をしっかり合唱できたわけがありません。それほど難易度の高い曲です。そうした点が、この曲が忘れ去られてしまった原因の一つだろうと思われます。
 
昨日も書きましたが、楽譜は当方刊行の冊子『光太郎資料』の今秋発行号に掲載します。ご入用の方はご連絡下さい。
 
それから、この「わが大空」、レコード化された記録が見あたりません。もしその辺りの情報をお持ちの方がいらっしゃいましたらご教示いただけると幸いです。
 

【今日は何の日・光太郎】 7月11日001

昭和2年(1927)の今日、白根・草津・信州別所などを回った9日間の旅から帰りました。
 
以前のこのブログにも書きましたが、信州別所は当方父祖の地です。ここは「信州の鎌倉」ともいわれ、鎌倉時代の堂宇や仏像などが数多く残っています。特に珍しいのが安楽寺というお寺にある八角三重塔(国宝)。現存する近世以前の木造の塔で八角形になっているのはこれが唯一の例だそうです。
 
一見、四重に見えますが、一番下の屋根は裳階(もこし)という庇(ひさし)で、内部構造は三重です。
 
さて、光太郎、この旅の途上で購入したこの塔の絵葉書を、詩人の宮崎丈二に送っています。
 
御はがき忝く拝見、此間中からかけ違つてばかり居ておめにかかれずに居ます。
初夏の暑さで頭を悪くしたのと山恋しさに堪へないのとで三日から白根山方面の山を歩き、二三の温泉へも入浴して昨日かへりました。おかげで心身一新した感があり、此夏十分に働けさうです。いづれ又。
高村光太郎
 
父祖の地なので、子供の頃から何度も行った場所ですが、ここを光太郎も訪れたんだなと思うと感慨深いものがあります。

先週、隣町・成田でパソコンの楽譜作成ソフトを購入してきました。
 
当方が年2回刊行しています冊子『光太郎資料』の中に、光太郎作詞だったりする歌曲等を紹介する項があり、そのために必要だからです。
 
4月にそれまで使っていたデスクトップのパソコンが壊れ、新しく買い換えたのですが、楽譜作成ソフトなど標準装備されているわけもなく、壊れたパソコンにインストールしていたものをもう一度インストールしようとしたら、OSが異なるので不可。
 
話は変わりますが、デスクトップのパソコンが壊れたため、一部の方のメールアドレスがわからなくなっています。yahoo!さんのメールアドレスに送って下さっている方は大丈夫なのですが、NTTさんのメールアドレスに送っていただいている方で、最近、当方からメールが来ないな、という方、メールいただければ幸いです。
 
閑話休題。楽譜作成ソフトの話でした。この手のアプリケーションソフトはネットからダウンロードすればよい、とお考えの向きもいらっしゃるでしょうが、広く知られたメーカーのごく当たり前のソフトならともかく、特殊なアプリケーションとなると、ウイルス感染の危険性などが気になり、ダウンロードで入手する気になりません。結局買い直しました。
 
それにしても、入手するのに苦労しました。
 
以前使っていたソフトは地元の家電量販店で購入したので、今回も行けばあるだろうと思って行ってみたら売っていません。しかたなく、日を改めて地元より大きい成田の家電量販店2軒を回りましたが、やはりありません。そこでショッピングモールに入っている大きな楽器店に行って、ようやく見つけました。しかし、棚に並んでいる箱をレジに持って行くと「店には在庫がありませんので、メーカーさんから取り寄せになります」とのこと。
 
需要と供給のバランスという経済の原則が働いているのですね。都会ならともかく、地方ではこの手のものの需要がないのでしょう。まぁ、取り寄せ、といっても3日ほどで届いたのでよかったのですが。
 
早速、楽譜作成を始めました。以前使っていたデスクトップが壊れる前に作りかけていたデータが使えたので、助かりました。曲は昭和12年(1937)に作曲された光太郎作詞の二部合唱「わが大空」。松本民之助の作曲です。
 
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いろいろと面白い背景もあり、その辺りの解説を交えて当方刊行の冊子『光太郎資料』に掲載します。次号は10月初めに刊行予定です。
 
せっかくですので、明日はその解説の部分を換骨奪胎してブログに載せようと思います。
 
【今日は何の日・光太郎】 7月10日

大正11年(1922)の今日、『時事新報』に光太郎の書いた森鷗外の追悼文「頭の良い厳格な人―鷗外追悼―」が掲載されました。
 
鷗外は前日、9日に亡くなっています。数え61歳。6日には有名な遺言を認(したた)めました。曰く「余ハ石見人(いはみじん)森林太郎トシテ死セント欲ス」。「林太郎(りんたろう)」は本名です。遺言に従って、その墓標にはただ「森林太郎墓」とのみ刻まれました。

昨日は乃木坂国立新美術館で太平洋美術展を観たあと、原宿のアコスタディオさんに向かいました。シャンソン歌手・モンデンモモさんのライブです。何度もご紹介してきていますが、光太郎の詩にご自分で作曲され、発表なさっています。
 
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今回は2部構成でした。1部は主に明治末から大正初めの光太郎智恵子が結ばれる時期にポイントを絞り、新曲も多く交えてステージを組みました。モモさんの凄いところは、聴くたびに曲が増えていることです。昨日も今までなかった「N-女史に」とか「或る夜のこころ」、「淫心」などが披露されました。また、智恵子が雑誌『青鞜』の表紙を描いたことをふまえ、平塚らいてうにもからめ、らいてうの書いた「元始、女性は太陽であつた」も歌にしていました。
 
2部は旧曲からのセレクトで、光太郎智恵子の後半生を謳うステージ。その冒頭で5分ほど時間をいただき、レクチャーして参りました。1部で扱われていた明治末から大正初めは、光太郎の内部で満たされない思いが渦を巻き、詩として吐き出されていたり、智恵子との恋愛の成就でそれが満たされ、有頂天になって高らかに詩が謳われたりしたこと、その後は平穏な生活が続き、詩作が途絶えたことなどです。光太郎に限らず詩人全般に言えることですが、平穏な日々を送っている間は詩作が少なく、マイナスの鬱屈した思いや逆にプラスの高揚感で満たされている日々になると詩作が増えます。
 
光太郎に関して言えば、大正3年(1914)の結婚披露から10年ほどの間は詩作が少なく、比較的平穏な日々だったといえます。それが大正12年(1923)頃から再び詩作が多くなるのは、智恵子との生活に「きしみ」が見えてきたからだ、ということで、2部につなげました。このレクチャーが意外と好評だったのでよかったと思います。どさくさに紛れて光太郎生誕130周年記念で花巻の記念館がリニューアルオープンしたことや、来月から始まる「彫刻家・高村光太郎展」の宣伝もさせていただきました。
 
2部まで終わり、アンコールは「道程~冬が来た」。お客様(坂本富江様もいらしていました)の反応も上々でした。光太郎詩以外にも、サティの「Je te veux」やフォーレの「夢のあとに」を歌付きで入れたのも良かったと思います。相変わらず伴奏の砂原嘉博さんのピアノも冴え渡っていました。
 
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終演後の会場で
 
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地下のホールから地上に上がると、なぜかキティーちゃんとダニエル君(笑)。同じビルを拠点にサンリオさんのイベントカーが走り回っていました。
 
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【今日は何の日・光太郎】5月20日

明治19年(1886)の今日、福島県安達郡油井村(現・二本松市)で、智恵子が誕生しました。
 
智恵子は生誕127年になります。

昨日、京都の大覚寺で光雲作の木彫3点の発見を報じたニュースを御紹介しましたが、やはり昨日、ニュース検索でもう1件ヒットしました。

東日本大震災:福島の空うたった詩 多摩で作曲、感動呼ぶ 2合唱団、二本松で31日に支援コンサート

毎日新聞 3月27日(水)11時9分配信
 
 多摩地域で活動する合唱グループ「多摩童謡友の会」と児童合唱団「多摩ファミリーシンガーズ」が合同で31日、福島県二本松市で東日本大震災復興支援のコンサートを開く。同市の仮設住宅や借り上げ住宅には約50キロ離れた同県浪江町から避難してきた約2500人が暮らしている。団員らは「避難して来ている人たちや二本松市民が歌で心を癒やして元気になってくれたら」と期待する。
 
 きっかけは東京電力福島第1原発事故の翌月のことだった。テレビ番組で「歌のお姉さん」を務めたことがあり、両合唱団を主宰する高山佳子さん=多摩市在住=の元に、詩人の後藤基宗子(きそこ)さん=福島県郡山市在住=から一編の詩が送られてきた。作曲の依頼だった。
 
 <空をよごしたのは誰 誰 誰>
 <阿多々羅山(あだたらやま)の向こうに磐梯山が見える街>
 <ほんとの空だけ君に残したい>
 事故後の心の移ろいが表れた詩に胸を打たれ、「ほんとの空」という合唱曲が出来上がった。高山さんは「阿多々羅山(安達太良山)のふもとの二本松市は(詩人の)高村光太郎の妻智恵子さんの古里。智恵子抄に出てくる『東京に空がない。阿多多羅山の上の青い空がほんとの空』という一節に思いを重ねた」と振り返る。

 昨年10月。多摩ファミリーシンガーズが多摩市の音楽会で披露したこの歌に、聴きに来ていた二本松市出身で東京多摩ロータリークラブの高野隆夫さん(72)が感動。「仮設に住むお年寄りに聞いてもらいたい」と高野さんが現地の「二本松あだたらロータリークラブ」に連絡をとり、両クラブ主催のコンサート開催が決まった。
 高山さんは2月末には童謡友の会の主婦らと二本松市を訪ね「ふるさとは心の中に」という歌も作った。「古里に帰ることができない浪江町の人たちに、心の中の古里をよりどころに明日に向かって歩いてほしいとの気持ちを込めた」という。

 31日は二つの合唱団の10~90代のメンバーら54人が両曲を合唱するほか、童謡25曲を歌う。入場無料。問い合わせは二本松あだたらロータリークラブ事務局(0243・23・3211)。
〔都内版〕3月27日朝刊
 

東日本大震災復興支援コンサート

ほほえみをあなたに 童謡は心のふるさと

 心いやすなつかしく温かい歌で ともに歌い ともにほほえむ
さぁ~あつまろう! 元気がでるよ!!
公演案内より
     震災の復興支援として、福島で行われるコンサートに出演します。
 
     プログラム
     故郷 我は海の子 早春賦 月の沙漠 虹の彼方に 荒城の月 波浮の港 
     トルコマーチ コキリコのうた ほんとの空 ほか
 
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気付いたのが昨日で、予定が合わず行けません。残念です。お近くの方はぜひ足をお運び下さい。
 
また、「ほんとの空」を収録した楽譜とCDも販売されていたのですが、発行元の日本童謡協会様に問い合わせましたところ、すでに品切れとのこと。これも残念です。
 
【今日は何の日・光太郎】3月28日

昭和31年(1956)の今日、雑誌『新潮』に連載の随筆「アトリエにて」の最後の一枚を書きました。リアルタイムで発表されたものとしては絶筆となりました。

昨日に引き続き、各地から寄せられた案内の御紹介。今日はシャンソン歌手・モンデンモモさんのライヴです。
 
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5月は智恵子の生まれ月ということで、昨秋にもモモさんのライヴが行われた原宿・アコスタディオさんが会場で開催されています。
 
今回は日本女子大の智恵子さんというテーマで、平塚らいてうなどもからめるようです。
 
当方、こちらも協力ということで、また引っ張り出されるようです。
 
お申し込み、お問い合わせ等は上記画像のチラシをご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎】3月6日

明治33年(1900)の今日、『東京美術学校校友会雑誌』第2号に、光太郎の短歌「まど近くなくなる蛙我が宿の夜をゆかしみ来る友もがな」が載りました。

活字となったものとしては、現在確認されている最も古い光太郎作品です。

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東京駅22時20分発、最終の高速バスに乗りました。

今日は原宿、アコスタディオさんで、モンデンモモさんのコンサート「モモの智恵子抄2012」がありました。

二本松や川内村と違って、ほぼ全曲が光太郎の詩にモモさんのオリジナルのメロディーを付けた歌。さらにモノドラマ形式の凝った演出でした。

その上、光太郎と縁の深かった宮澤賢治、草野心平にも触れるという欲張りな内容でした。

そこで当方の出番。三人のつながりをレクチャーし、心平の詩「秋の夜の会話」をモモさんと朗読しました。

こういう形でも、光太郎智恵子の世界を一般の皆さんに広めていくことも大切なことだと思います。

今週は土曜日に「高村光太郎研究会」での発表もあり、我ながら八面六臂です(笑)

聴きにいらしていただいた皆様、ありがとうございました。それからモモさんはじめ、キャストとスタッフの皆さん、お疲れさまでした!

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福島は二本松に来ています。

高村光太郎の詩に曲をつけて歌われているシャンソン歌手、モンデンモモさんのコンサートツアーに帯同、今、演奏中です。

今日は二本松信用金庫さんの主催で、パーティー/イベントホール二本松御苑さんでの開催です。「レディースコンサート」と銘打ち、定番のシャンソンやポピュラー系がメインです。光太郎詩の曲も「樹下の二人」「あどけない話」などもプログラムに入っています。

百人ちょっとの集客を見込んでいたそうですが、フタを開けてみれば二百近いお客様。被災地福島でも、平日の夜に音楽を味わえる余裕ができてきたということでしょうか。

明日は同じく福島の川内村に回ります。

シャンソン歌手・モンデンモモさんのコンサートツアー、最終日は東京原宿です。

モモの智恵子抄2012

期 日 : 2012年11月19日(月)
会 場 : 原宿アコスタディオ 東京都渋谷区神宮前1丁目23-27
時 間 : 19:00~
料 金 : 前売り3,000円 当日3,500円
 
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こちらは砂原嘉博さんのピアノにのせ、歌と朗読によるモノドラマ「智恵子抄」。
 
直接モモさんにお問い合わせ下さい。前売り3000円、当日3500円です。
tel080-6772-3746  fax 042-316-7223 mondenmomo@mac.com 

昨日のブログで速報したものについて、何回かに分けて詳報します。
 
まず、「宇宙人」シャンソン歌手、モンデンモモさんのコンサート。

期 日 : 2012年11月16日(金)
会 場 : 二本松御苑 福島県二本松市金色久保222-7
時 間 : 18:00~
料 金 : 500円(コーヒー&ケーキ付)

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光太郎の「智恵子抄」の詩にご自分で作曲なさった曲をつけ、歌われているモモさん。本業はシャンソンです。

この「まつしんレディースクラブ特別企画 モンデンモモ ♪谷間に三つの鐘が鳴る♪」では、シャンソンやポピュラー系を中心に、「智恵子抄」の曲も織り交ぜて、というコンセプトだそうです。
 
「まつしん」は「二本松信用金庫」。上記のチラシでは「まつしん各営業店窓口にて入場整理券を購入してください」となっていますが、地元でない方など、直接モモさんにお問い合わせ下さい。コーヒー、ケーキ付きで500円だそうです。5,000円じゃありませんよ、500円、ワンコインです。
tel080-6772-3746  fax 042-316-7223   mondenmomo@mac.com
 
曲目は 百万本のバラ ラストダンスは私と 誰よりも君を愛す 愛の讃歌 聖母たちのララバイ 谷間に三つの鐘が鳴る ハナミズキ 夜明けの歌 カーネーション など。伴奏はピアニスト、砂原嘉博さんです。 
 
会場はパーティー/イベントホールの二本松御苑さん。
 
秋の夜、素敵な歌声とピアノの調べに身をゆだねてみませんか?

嵐のように現れて、嵐のように去っていきました。宇宙人。
 
その名は「モンデン・モモ」。そういう名前なので「何人ですか?」と訊かれるそうです。すると、自分で「宇宙人です」と答えるそうです。
 
その実態は、東京芸術大学声楽科出身のシャンソン歌手です。ちなみに「モンデン」は本名で、漢字で「門田」だそうです。
 
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オフィシャルページ http://www.momoly.net/TOP.html
 
正統派のシャンソン以外にも、桐朋学園芸術短期大学で講師をなさったり、他にも子供達とのミュージカルとか、いろいろと手を広げてらっしゃいます。
 
その中の一つが、光太郎の『智恵子抄』などの詩にご自分で曲をつけて歌われること。これまでにその系統では3枚のCDをリリースされています。
 
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2枚目のCD 「モモの智恵子抄」2005年 北川太一先生が推薦文を寄せられています。
 
当方とは、10年くらいのつきあいになるでしょうか。1枚目のCDを出された頃ネットで購入し、ライヴのお誘いを受けて足を運んだりしているうちに、いろいろお手伝いをさせていただくようになりました。3年前には楽譜集も出版され、そちらの編集や解説、一部の曲では合唱編曲を当方が行ったりもしました。
 
いろいろな方が光太郎の詩に曲をつけた作品を発表されていますが、モモさんの曲の特徴としては、メロディーラインの美しさです。やはり、バックボーンにシャンソンがあるせいでしょう。
 
さて、モモさん。来月、「智恵子抄」系を織り込んだコンサートツアーを企画なさっていて、その打ち合わせに見えられました。成田の音楽機材業者に用事がおありだということで、ついでに香取までいらしていただきました。
 
11/16(金) 18:00~ 二本松御苑さん(パーティー/イベントホール)での「レディースコンサート」が皮切りです。こちらは「智恵子抄」はメインではなく、シャンソンが中心だそうです。
 
翌11/17(土)には、やはり福島の川内村にある旅館、小松屋さんで、囲炉裏を囲みながらのライヴ。

川内村は、原発事故で一躍有名になってしまった村ですが、光太郎を敬愛してやまなかった詩人・草野心平ゆかりの地です。毎年7月には心平を偲ぶ「天山祭り」というイベントが開かれています。この日は光太郎、草野心平、そして二人と関わりの深い宮澤賢治をからめるそうです。
 
そして移動日をはさんで、11/19(月)には原宿のアコスタディオさんで「モモの智恵子抄2012 智恵子飛ぶ」。モノドラマ形式でがっつりやるそうです。
 
当方、サポートスタッフとして帯同します。興味のある方、上記リンクのモモさんのオフィシャルページまたはブログから連絡を取ってみてください。

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