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一昨日から昨日にかけ、信州に行き、安曇野の碌山美術館さん、諏訪のサンリツ服部美術館さんと、2箇所廻っておりました。

一昨日の土曜、夕食を採ったあと仮眠し、深夜(日付が変わる前に)、台風12号をやり過ごしてから千葉の自宅兼事務所を出発。しかし、中央道八王子あたりで台風のシッポに追いついてしまいました。その後は雨の中を進み、塩尻の健康センターで入浴、仮眠、起きてまた入浴。昨日朝一番で、碌山美術館さんに向かいました。朝には台風も行ってしまっていて、雲は多めでしたが時折雨がぱらつく程度でした。

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北アルプスの山々。

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碌山美術館さん。

21日(土)から、夏期企画展「美に生きる―萩原守衛の親友たち―」が始まっています。

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お世話になっている濱田学芸員、それから今年度新任の高野館長にご挨拶(ほぼ毎年お邪魔している4月の碌山忌を今年は欠礼しましたので)。その後、展示を拝見しました。

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左の碌山館は、荻原守衛の彫刻の展示棟で、こちらの展示内容は不変です。手前にはおそらく女郎花(オミナエシ)。いい感じでした。企画展は第一展示棟、第二展示棟を使っていました。もう一棟、杜江館という建物もあり、一昨年の「夏季特別企画展 高村光太郎没後60年・高村智恵子生誕130年記念 高村光太郎 彫刻と詩 展 彫刻のいのちは詩魂にあり」ではそちらも使っていましたが、今回は2棟のみでした。「―萩原守衛の親友たち―」というサブタイトルで、第一展示棟が光太郎と柳敬助、第二展示棟に戸張孤雁と斎藤与里というラインナップでした。

第一展示棟は、もともと彼等の作品を常設展示している棟ですが、普段は収蔵作品のすべてが出ているわけではありません。今回は4人の作家の収蔵作品のおそらく全て、プラス他からの借り受け品も展示されていました。

光太郎彫刻は全てブロンズで、同館所蔵のもの。年代順に浅草の玉乗り芸人の幼い兄妹をモデルにした彫刻の部分的な残存「薄命児男児頭部」(明治38年=1905)、光太郎初の注文による肖像彫刻「園田孝吉像」(大正4年=1915)、事情があってかくまった横浜の少女をモデルとした「裸婦坐像」(大正6年=1917)、光太郎ブロンズの代表作「手」(大正7年=1918)、その力感がすばらしい「腕」(同)、零落した元旗本の花売り老人がモデルの「老人の首」(大正14年=1925)、同型のものが東京芸術大学の庭に立つ「高村光雲一周忌記念胸像」(昭和10年=1935)、そして生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の小型詩作(一体のみ・昭和27年=1952)、中型試作(一対・昭和28年=1953)、そして未完の絶作「倉田雲平胸像」(昭和29年=1954)。碌山美術館さんでは、買い足し買い足しで、10点もの光太郎ブロンズを購入して下さっています。花巻高村光太郎記念館さんを除けば、これだけ集まっているのはここだけです。

他の三人の作品も、改めて見るといいもので、特に斎藤与里の絵は、郷里・埼玉県加須市教育委員会からの借り受け品など、非常に華やかでした。

それから、同館で今年の4月に刊行された新刊書籍を頂いてしまいました。題して『彫刻家 荻原守衛―芸術と生涯―』。300ページ近くある大判の厚冊で、守衛の彫刻と絵画のカタログ・レゾンネ的なものプラス、かなり詳細な評伝も付されています。さらに光太郎を初めとする周辺人物の紹介なども。これで定価3,000円は掛け値無しにお買い得です。

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ぜひ足をお運びの上、お買い求め下さい。企画展は9月2日(日)までの会期です。


【折々のことば・光太郎】

真の詩人は、いかなる素材、いかなる思想をも懼れない。詩が生命そのものの如き不可見であり又遍在である事を知るからである。

散文「詩そのもの」より 昭和5年(1930) 光太郎48歳

光太郎が使う「詩人」の語は、単に詩を作る者、というだけでなく、「芸術家」そのものを指すこともあるように思われます。たとえ言葉で詩を作らなくても、守衛のように優れた彫刻を作る者は「詩人」だ、みたいな。あらゆる芸術の根幹には「詩魂」が不可欠であるとの考えがその背後にあります。といって、自らはまだまだ、という謙虚さも持ちあわせているのが光太郎でした。

昨日開幕しました。

明治維新150年 NHK大河ドラマ特別展「西郷(せご)どん」

期    日  : 2018年7月28日(土)~9月17日(月・祝
会    場 : 大阪歴史博物館 大阪市中央区大手前4丁目1-32 
時    間 : 9時30分~17時
料    金 : 大人1,300円(1,170円) 高校生・大学生900円(810円)
         ※( )内は20名以上の団体割引料金
休 館 日 : 火曜日 ただし8月14日(火)は開館

大阪歴史博物館では、平成30年7月28日(土)から9月17日(月・祝)まで、6階特別展示室において、明治維新150年 NHK大河ドラマ特別展「西郷どん」を開催します。
明治維新から150年、平成30年(2018年)のNHK大河ドラマは「西郷(せご)どん」です。
明治維新のヒーロー・西郷隆盛には、肖像写真が一枚も残っておらず、その生涯は謎に満ちています。薩摩(鹿児島県)の下級藩士の家に生まれた西郷隆盛(小吉、吉之助)は、両親を早くに亡くし、家計を補うため役人の補佐として働きます。やがて薩摩藩主の島津斉彬(なりあきら)に目を留められた西郷は、斉彬の密命を担い江戸へ京へと奔走し、薩摩のキーパーソンとなっていきます。多感な青年期を経て、3度の結婚、2度の島流し。極貧の下級武士に過ぎなかった素朴な男は、勝海舟、坂本龍馬ら盟友と出会い、揺るぎなき「革命家」へと覚醒し、徳川幕府を転覆させます。類まれな「勇気と実行力」で明治維新を成し遂げた西郷ですが、最後は明治新政府と闘い、命を散らすことになります。
この展覧会では、NHK大河ドラマ「西郷どん」と連動し、西郷隆盛ゆかりの品や、同時代の歴史資料などを紹介、西郷の人間像と彼が生きた時代を浮き彫りにします。

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出品目録によれば、東京芸術大学さんで開催されていた東京展で出品された、光太郎の父・高村光雲が主任として制作に当たった西郷隆盛銅像の、顔がない「のっぺらぼう」写真は残念ながら展示されないようですが、他の西郷隆盛銅像に関する資料が出品されています。

ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

詩は無限なものだから何処からでも生れる。花園の花からでも、造花屋の花からでも、瓢箪からでも、吐月峰からでも。詩の言葉は原稿用紙の罫の間からも生れるだらう。典謨訓誥からも生れるだらう。街路に落ちてゐる生きた言葉からは確に生れる。感ずる心がなければ言葉は符牒に過ぎない。路傍の瓦礫の中から黄金をひろひ出すといふよりも、むしろ瓦礫そのものが黄金の仮装であつた事を見破る者は詩人である。

散文「生きた言葉」より 昭和4年(1929) 光太郎47歳

いわゆる美辞麗句を好まなかった光太郎らしい言です。

東北の新聞2紙から。

まずは青森の地方紙『東奥日報』さんの一面コラム。今月23日の掲載分で、先週行われた「十和田湖ウォーク」にからめでです。

天地人 2018年7月23日分

 夏の一日、久しぶりに十和田湖に出かけた。湖畔の「乙女の像」まで足を延ばしたのは、子どものころの遠足以来かもしれない。高村光太郎の晩年の傑作とされる一対の裸婦像は、十和田湖の美を象徴する。彫像の前に、にぎやかな女性旅行者たち。手を合わせるように向き合う乙女のポーズに興じながら写真を撮り合っていた。
 乙女の像から少し奥まった所にある十和田神社は近ごろパワースポットとして人気という。杉木立を抜け境内に入ると、バックパック姿の外国人旅行者が、ベンチに腰を下ろし、霊験あらたかな空気に浸っていた。
 一段と深みを増した緑がぐるり。水面(みなも)を渡る風がすうっと頬をなでる。湖上遊覧では圧倒的なパノラマに解放感を味わった。
 いつからか観光地としての衰退が叫ばれている十和田湖である。しかし悠久の時が創り出した雄大な自然美は、きらきらと多彩な表情を見せ、底知れぬ力を感じさせる。最近は、奥入瀬渓流のコケに注目したエコツーリズムや湖畔のカヌー体験など、新たな切り口でこの一帯の魅力を伝える体験型観光も増えているという。
 きのう全国から千人超が参加した十和田湖ウオークもその一つだろう。神秘の湖の周りを歩いて歩いて1周50キロ。存分にいい汗をかいた後の温泉や冷えたビールは、体にしみたに違いない。いつもよりずっと深い眠りも堪能できたのではないか。


確かにインバウンドの方々が目立つようになった十和田湖周辺ですが、国内の方々にも、もっと訪れていただきたいものです。


続いて『朝日新聞』さんの岩手版。昨日の掲載です。 

光太郎の花巻 再現 記念館でジオラマ公開

 彫刻家で詩人の高村001光太郎(1883~1956)が終戦後の7年間、山居生活を送った当時の花巻を再現したジオラマ模型が、花巻市太田の高村光太郎記念館の企画展「光太郎と花巻電鉄」で公開されている。
 模型は幅1・8メートル、奥行き1・2メートル。旧花巻町役場や花巻病院、光太郎が揮毫(きごう)した宮沢賢治の「雨ニモマケズ詩碑」、商店街や花巻温泉、高村山荘など約70の建造物とその風景が、実物の約150分の1のジオラマで再現されている。光太郎が移動手段として利用した「花巻電鉄」も再現され、「馬面電車」と呼ばれた独特の細い電車がジオラマの中を駆け巡っている。
 光太郎は東京のアトリエを空襲で失い、知人の賢治の実家を頼って花巻市に疎開、戦後の7年間は旧太田村山口(花巻市太田)の山小屋で暮らした。ジオラマは、光太郎が暮らした当時の雰囲気を伝える企画展の目玉で、東京都品川区のジオラマ制作者、石井彰英さんに依頼し、市内の光太郎研究の専門家が情報提供して制作されたという。
 同館は「光太郎は山荘にこもっていたのではなく、市街地や温泉にも出かけて多くの人と交流していた。懐かしい情景と光太郎の足跡を感じてほしい」。展示は11月19日まで(会期中、休館なし)。問い合わせは同記念館(0198・28・3012)。(溝口太郎)


今月14日に始まった花巻高村光太郎記念館さんでの企画展「光太郎と花巻電鉄」をご紹介下さいました。以前も書きましたが、各紙一斉に報じられるより、小出しにしていただけると、その都度読んだ方がいらしていただけるので、ある意味ありがたいところです。『岩手日日』さん、『読売新聞』さんではすでに報じられています。

しかし『朝日』さんの記事にある「市内の光太郎研究の専門家が情報提供」というのは、市内ご在住の『花巻まち散歩マガジンMachicoco(マチココ)』編集長の北山氏と、千葉県在住の当方がごっちゃになっているようです(笑)。


十和田湖、そして花巻。夏の旅行シーズン、ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

詩とは人が如何に生くるかの中心より迸る放射のみ。定形無し、定理無し、定住無し、捉ふ可からず、しかも人中に遍漫す。故に詩は無限に変貌す。

散文「余はかく詩を観ず」全文 昭和2年(1927) 光太郎45歳

他にも佐藤春夫、堀口大学らの同じ題の文章が掲載されており、アンケートに分類してもいい内容ですが、『高村光太郎全集』では第8巻の評論の巻に掲載されています。

新刊情報です。 

仏像と日本人 宗教と美の近現代

2018年7月25日  碧海(おうみ)寿広著 中央公論新社(中公新書) 定価860円+税 

仏像鑑賞が始まったのは、実は近代以降である。明治初期に吹き荒れた廃仏毀釈の嵐、すべてに軍が優先された戦時下、レジャーに沸く高度経済成長期から、〝仏像ブーム〟の現代まで、人々はさまざまな思いで仏像と向き合ってきた。本書では、岡倉天心、和辻哲郎、土門拳、白洲正子、みうらじゅんなど各時代の、〝知識人〟を通して、日本人の感性の変化をたどる。劇的に変わった日本の宗教と美のあり方が明らかに。


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目次

 まえがき
 序章 仏像巡りの基層
  1 寺院とは何か  2 前近代の古寺巡礼  3 江戸の開帳
 第1章 日本美術史の構築と仏教―明治期
  1 廃仏毀釈と文化財  2 フェノロサ・岡倉天心・小川一真  3 博物館と寺院
 第2章 教養と古寺巡礼―大正期
  1 古美術を巡る風習  2 和辻哲郎の『古寺巡礼』  3 教養としての仏像
 第3章 戦時下の宗教復興―昭和戦前期
  1 危機の時代の仏像  2 美術の拒絶―亀井勝一郎
  3 秘仏をめぐる心性―高村光太郎
 第4章 仏像写真の時代―昭和戦後期①
  1 資料・美術・教化  2 古寺「写真」巡礼―土門拳と入江泰吉
  3 礼拝と展示のあいだ
 第5章 観光と宗教の交錯―昭和戦後期②
  1 古寺と仏像の観光化  2 信じることと歩くこと―白洲正子
  3 古都税をめぐる闘争
 終章 仏像巡りの現在
  1 仏像ブームと『見仏記』  2 美と宗教のゆくえ
 あとがき 参考文献


著者の碧海氏は、龍谷大学などで教鞭を執られている宗教学者。その見地から、近代以降の「仏像」受容の変遷を追った好著です。

第3章の「秘仏をめぐる心性―高村光太郎」では、永らく秘仏とされ、明治期にフェノロサによってそのヴェールが剥がされた法隆寺夢殿の救世観音像を軸に、光太郎の美術観を論じています。

要約すれば、光太郎にとって「美」とは、手にとって見せられる形而下的なものではなく、人意以上のものの介在によって生み出される形而上的なもの、従って、宗教観に近い美術観であったという指摘。「なるほど」と思いました。

他の部分はまだ斜め読みですが、路傍の石仏に花を手向け、信仰の対象として拝む見方と、博物館や美術館、さらには観光地と化した寺院で美術作品として仏像を見る見方との相剋、明治以降の「仏像」の見方の変遷と、そのターニングポイントに位置した人々を論じています。

ぜひお買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

Ima koko de ‘Shi’(Uta) wo tsukuru toki ni kanjita koto wo itte miru to, fudan ‘Shi’ wo kaku toki ni niyakkai ni shite furisuteyô to shitemo hanarenai mono wa, kodomono toki kara kyôiku sareta Shina no moji to kangofû no iiarawashikata de aru ; sore ga jama ni natte honto ni Essentialna mono wo dasenai koto ga yoku aru. Dasu koto ga dekinai nominarazu, sono yûrei no yôna mono ga Essentialna mono wo kabusete shimatte, kaette namajikka omomuki wo soete kuru.

談話筆記「Rômaji de shi wo kaku toki no kokoromochi 」より
大正12年(1923) 光太郎41歳

雑誌『ローマ字』に載った談話筆記のため、ローマ字表記です。漢字仮名交じりに書き下してみます。

今ここで「詩」(歌)を作る時に感じた事を言つてみると、普段「詩」を書く時に荷厄介にして振り捨てようとしても離れないものは、子供の時から教育された支那の文字と漢語風の言ひ表し方である。それが邪魔になつてほんとにエツセンシヤルなものを出せない事がよくある。出す事が出来ないのみならず、その幽霊のやうなものがエツセンシヤルなものをかぶせてしまつて、却つてなまじつか趣をそへて来る。

言葉の有りようについて、深い省察を常に行っていた光太郎ならではの言です。ただ、戦時中には空疎な漢文訓読風、大言壮語調の翼賛詩を乱発することになってゆくのですが……。

信州安曇野の碌山美術館さんの企画展情報です。

美に生きる―萩原守衛の親友たち―

期 日 : 2018年7月21日(土)~9月2日(日
会 場 : 碌山美術館 長野県安曇野市穂高5095-1
時 間 : 9時~17時10分
料 金 : 大人700円 高校生300円 小中学生150円
休館日 : 会期中無休

荻原守衛は彫刻家としての資質にも恵まれ、才能あふれる友人にも恵まれました。

彫刻家、詩人として多くの影響を与えた高村光太郎。
彫刻・挿絵・版画などのジャンルを手掛けて繊細な作品を制作した戸張孤雁。
肖像画家として活躍した柳敬助。
日本の洋画界に大きな足跡を残した斎藤与里。

美に生きた四人のそれぞれの芸術をご覧ください。

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同館では、常設で光太郎作品を複数展示して下さっているのですが、改めて企画展として取り上げるということです。

同じ地域のサンリツ服部美術館さんでは、企画展「明治維新150年記念 幕末から昭和の芸術家たちと近代数寄者のまなざし」が開催されており、光太郎の父・高村光雲の木彫が出ています。

当方、今週末に併せて行って参ります。皆様も是非どうぞ。


【折々のことば・光太郎】

絵画なら絵具や筆のタツチ、彫刻なら線の波動や表面の触感、詩歌なら言葉の節奏(リズム)や文字の音色(ねいろ)が直接に人に其の表さうとした情調を与へなければならぬ。画かれたもの、刻まれたもの、歌はれたものの当体に重きを置き過ぎると間違つて来る。

散文「詩歌と音楽」より 明治42年(1909) 光太郎27歳

青年期の光太郎、「何を」より「いかに」を重視していたことがわかります。といっても、「何を」の部分も何でも良いと思っていたわけではないのでしょうが。

このところ、このブログで紹介すべき事項が多く、後手後手に回りがちです。こちらも既に始まっている企画展です。

花子 ロダンのモデルになった明治の女性

期 日 : 2018年7月8日(日)~9月24日(月・振休)
会 場 : 岐阜県図書館 岐阜市宇佐4-2-1
時 間 : 10時~18時
料 金 : 無料
休館日 : 毎週月曜(祝日の場合は翌日)、毎月最終金曜

県図書館では、企画展「花子 ロダンのモデルになった明治の女性」を下記のとおり開催します。
明治期にヨーロッパへ渡り、女優として活躍した花子(本名太田ひさ)は、帰国後の20余年を岐阜の地で過ごしました。
彫刻家ロダンがモデルとした唯一の日本人であり、森鴎外の短編小説のモデルとしても有名な花子の魅力と生涯を、写真や文献などで紹介します。

岐阜女子大学名誉教授・澤田助太郎氏から寄贈された花子関係資料やロダン作の花子像などを展示
 花子をモデルにしたロダン作のブロンズマスク2体(岐阜市、公益財団法人岐阜市国際交流協会所蔵作品)
 花子像の写真(ロダン作、新潟市美術館、国立西洋美術館等の所蔵品写真)
 ヨーロッパ巡業当時の写真、演劇関係資料他
 花子を題材とした文芸作品(森鷗外「花子」、高村光太郎「小さい花子」等
 花子に関する諸研究資料

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関連事業

花子トーク(全2回)
 場所:岐阜県図書館 2階 研修室(申込不要、各回先着60名) 時間:14:00~15:30
 第一回 : 平成30年7月22日(日)「花子と高村光太郎」
         講師:丸山幸太郎氏(岐阜女子大学教授兼地域文化研究所長)
 第二回 : 平成30年8月5日(日)「森鴎外の『花子』-岐阜ゆかりの女優の活躍」
         講師:林正子氏(岐阜大学副学長・地域科学部教授)

「花子」紙芝居と映画
 期日:平成30年8月19日(日)
 場所:岐阜県図書館 2階 多目的小ホール(申込不要、先着90名)
  <三味線紙芝居「花子」> 13:30~14:30  脚本・語り・三味線:伊藤今日子氏
  <なつかシネマ上映会> 14:30~15:30
     映画「プチト・アナコ~ロダンが愛した旅芸人花子~」


このブログで何度かご紹介して参りました、日本人女優・花子。確認できている限り、唯一、ロダンの彫刻モデルを務めた日本人です。そういうわけで、昨年公開された映画「ロダン カミーユと永遠のアトリエ」にも登場していました。ロダンが花子をモデルに作った彫刻は十数点、うち、いくつかは日本でも見られます。

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光太郎は昭和2年(1927)、郷里の岐阜に花子を訪ね、その模様を出版社・アルスから書き下ろしで刊行した評伝『ロダン』に書き残しています。その際の章のタイトルが「小さい花子(プチ ト アナコ)」。上記要項に「高村光太郎「小さい花子」」とありますので、評伝『ロダン』が展示されるということでしょう。

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光太郎から花子に宛てた、訪問させてもらってありがとうございました、的な書簡も現存しています。

また、花子に関しては、光太郎の師・森鷗外が短編小説「花子」を明治43年(1910)に発表しています。今回はそちらの関連の展示物もあるようです。

関連事業としての講演会「花子と高村光太郎」が、明日、開催されます。

それから8月19日(日)には、映画「プチト・アナコ 〜ロダンが愛した旅芸人花子」の上映。この作品は存じませんでした。調べてみましたところ、平成7年(1995)の制作だそうです。物語は、舞踏家の古川あんずさん演じる晩年の花子が、麿赤兒さん扮する光太郎に、ロダンとの思い出を語る形で進行するそうで、ぜひ拝見したいものです。

ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

強いと一緒に広く生きたい。大きく生きたい。のびやかに成長したい。そして、此と共に堪へがたく渇き求めるものは知識である。生きた知識である。

散文「文芸界の広さ」より 大正元年(1912) 光太郎30歳

2年後に発表された詩の代表作「道程」にも通じるような、「生」への渇望が見て取れますね。

光太郎第二の故郷・花巻から市民講座の情報です。

≪絵画の見方とその歴史Ⅶ≫ 彫刻 高村光太郎と高田博厚 日本近代彫刻の系譜

期 日  : 2018年7月21日(土)
会 場 : 花巻市東和図書館 視聴覚室  岩手県花巻市東和町安俵6区90
時 間 : 午後1時30分から午後3時まで
料 金 : 無料
講 師 : 萬鉄五郎記念美術館 館長 中村光紀氏
対 象 : 高校生以上 先着40名
申 込 : 萬鉄五郎記念美術館館 電話(0198-42-4402)かFAX(0198-42-4405)

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萬鉄五郎記念美術館さんは、花巻高村光太郎記念館さんと花巻市街をはさんで反対側、旧東和町にあります。萬鉄五郎は、ここ旧東和町で明治18年(1885)に生まれました。大正元年(1912)には、光太郎らと共に洋画の革新グループ・ヒユウザン会(のちフユウザン会)に参加し、フォービズム、キュビズム的な絵画を描きました。ただ、不思議なことに光太郎は萬に関しては著作の中に殆ど記述をしていません。

その萬鉄五郎記念美術館の館長・中村光紀氏による講座です。氏はもと『岩手日報』さんの学芸記者だったそうで、その当時から高田博厚と交流が深かったとのこと。そこで高田を通しての光太郎についてお話しいただけるようです。

ちなみに萬鉄五郎記念美術館さんでは、写真展「岩合光昭の世界ネコ歩き」を開催中。

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高村光太郎記念館さんの企画展「光太郎と花巻電鉄」と併せて足をお運び下さい。「光太郎と花巻電鉄」に関しては、7月15日発行の『広報はなまき』さんに紹介記事が出ています。

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石井彰英氏作のジオラマから画像が採られていますが、実にいい感じですね。


【折々のことば・光太郎】

一度争ひを通り越した理解は大きなものであるけれども、争ひのない安直な理解ぐらゐ憎む可く厭ふべきものはない。さう言ふ理解に満足するのは恥ぢである。

散文「明治の時代を劃せる作品」より 明治45年(1912) 光太郎30歳

ろくな議論も為されないまま、数の論理でどんどん通される重要法案、或いは、今この時期に通す必要があるのか、というようなトンデモ法案。これらも「恥」だと思うのですが……。

早くにご案内を頂きながら、紹介するのを失念していました。 

なつやすみ所蔵企画展 え! からはじまる、ストーリー。

期 日 : 2018年7月3日(火)~9月24日(月・祝)
会 場 : メナード美術館  愛知県小牧市小牧五丁目250番地
時 間 : 10:00~17:00
料 金 : 一般 900円(700円)   高大生 600円(500円)   小中生 300円(250円)
         ( )内は20名以上の団体料金および前売料金
休館日 : 月曜日(祝休日の場合は直後の平日)

美術から物語へ、物語から美術へ ふたつが出会った時、いったい何が生まれるのか…。

 切っても切れない縁にある美術と物語。素晴らしい物語は、読めばその情景が鮮明に脳裏に浮かび、素晴らしい絵画は、画中で展開される物語を想像させます。
 画家たちもまた聖書やギリシア神話、オペラなどに触れ、浮かんだイメージを多くの絵画に残しており、文筆家たちはイメージを装幀そうていや挿画そうがはもちろん、情景描写など文学的表現そのものに活かそうとしました。
 互いの表現を求め合う美術と文学。本展は、このふたつの出会いによって生まれた新たな物語を当館のコレクションの「え(絵)」に探すものです。それは「え!」という驚きをともなうものかもしれません。

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同館に所蔵されている光太郎の木彫「001鯰」(昭和6年=1931)が出品されています。

現存が確認されている3点のうちのひとつです。残り2点は、上野の東京国立博物館さんに寄託されているものと、竹橋の国立近代美術館さん所蔵のもの。3点とも時々展示されますが、常設展示というわけではありません。

他にも同館の所蔵作品は逸品ぞろいで、出品リストによれば、今年、横浜美術館さんで大理石像が出て大きな話題となったロダンの「接吻」のブロンズをはじめ、岸田劉生、梅原龍三郎、藤田嗣治、佐藤忠良、松本竣介ら、光太郎と関わりの深かった作家の作がずらり。

この機会をお見逃しなく。


もう1件。

昨秋、北海道小樽にオープンした似鳥美術館さんからの情報です。 

新収蔵作品のお知らせ

似鳥美術館に、新しく作品が三点増えました。
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高村 光太郎《十和田湖畔裸婦像のための手》
詩人であり、彫刻家であった高村光太郎。
似鳥美術館二階で多数の作品を展示中の高村光雲は、実父である。
本作は、十和田湖畔にある裸婦像「乙女の像」制作にあたって習作として作られたもの。

 平櫛 田中《燈下萬葉良寛上人像》《仙桃》
高村光雲らと並ぶ、日本近代彫刻の代表的な作家の一人。
この度の新収蔵作品二点には、木彫への彩色が施されている。

 高村光雲に関わりのある作家の作品が、続けて新収蔵となりました。
ますます充実の似鳥美術館彫刻コレクションを、ぜひ観にいらしてください。

※高村 光雲《観音》は展示をお休み致します。


というわけで、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」(昭和28年=1953)のための習作です。光太郎歿後、何点かブロンズに鋳造されたうちの一点です。

大正7年(1918)制作の代表作「手」から連なる観音菩薩の「施無畏印」の形、荒々しい肉付けながらも優美さも内蔵するフォルムなど、公開を想定しなかった習作ではありますが、逸品です。

同館では、もともと光太郎の父・光雲やその弟子筋の作品の収集に力を入れて下さっており、そうした流れで購入されたようです。

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収蔵されている光雲作品は、左上→右下の順で、「魚籃観音像」(昭和9年=1934)、「聖観音像」(制作年不明)、「郭子儀」(昭和4年=1929)、「大黒天像」(大正13年=1924)、「投網打つ恵比寿像」(制作年不明)。弟子筋では米原雲海、山崎朝雲の作が収められており、さらにここに平櫛田中と光太郎の作が加わるわけで、なかなか充実のラインナップです。


それぞれぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

日本の今の作家の名を一々上げて、それに就いて論ずるとよく分るけれど、何だか不快(いや)だから止すが、一種のセンチメントを浮べる芸術にセンチメンタルなものの種々な着物を着せたものではつまらない。さう言ふ作に限つて、誰でも読者は引き入れられ易いものである。然し大した価値のある作でない事は勿論である。

談話筆記「センチメンタリズムの魔力」より 明治45年(1912) 光太郎30歳

文芸作品についての評です。大仰なセンチメンタリズムを前面に押し出した、ある意味、下らない小説などへの批判。造形芸術にもあてはまるような気がします。

7/14(土)、岩手花巻からの帰り、皇居東御苑内の三の丸尚蔵館に寄って参りました。こちらで開催中の「第80回展覧会 明治の御慶事-皇室の近代事始めとその歩み」を拝見。

 
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光雲作の木彫「文使」が展示されており、拝見して参りました。

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平成14年(2002)に、茨城県近代美術館他を巡回した「高村光雲とその時代展」の際に見ていますので、二度目となりますが、改めて見て、その超絶技巧にはやはり舌を巻きました。

画像には写っていませんが、文使の背部の帯の結び目など、どうやったら一木から彫り上げられるのだろうという感じです。それから文使いのかしこまった表情。人形のようなそらぞらしさは無く、確かに血の通った人間の描写です。全体のシルエットというか、モデリングというか、そういった点でも守旧にとどまることなく、西洋美術のエスキスもちゃんと取り入れた光雲ならではのしっかりしたもので、作り物感がありません。

また、台座の部分には、蒔絵と螺鈿細工が施されています。おそらくそれぞれ専門の職人の手によるものと思われますが、これまた精緻な作りとなっていました。

明治33年(1900)の作で、当時の皇太子(後の大正天皇)ご成婚に際し、逓信省から献上されたということです。献上当時、文使が手にしている柳筺には、このご成婚に際して発行された記念切手17枚(妃殿下の年齢に合わせて)が入れられていたとの事。何とも粋な計らいですね。

図録を購入して参りました。

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三の丸尚蔵館さんでの企画展示で発行される図録は、いつも圧巻です。とにかく解説文がすごい。今回のものも、維新後の近代化の波の中で、皇室の慶事がどのように変遷していったのか、それから光雲も内部装飾に関わった皇居の造営に関してなど、非常に興味深く拝読しました。

で、新たな発見が一つ。「お前、そんな事も知らなかったのか」とお叱りを受けそうですが、明治天皇の生年は、光雲と同じ嘉永5年(1852)でした。光雲がことさら明治天皇を敬愛して已まなかったその裏側には、自分と同年だという一種の親近感的な感情もあったのではないかと思った次第です。確証はありませんが。

他にも、一級品の出品物がずらり。ただ、三の丸尚蔵館さん、展示スペースが狭いので、入れ替えながらの展示です。現在は後期です。下の画像、クリックで拡大します。
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8月5日(日)までの会期です。ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

実に飛躍(ル ボン)は其の合言葉である。多彩、多音、流動は其の趣味の基本である。胆大、強行、率直は其の用意である。

散文「未来派の絶叫」より 明治45年(1912) 光太郎30歳

「未来派」は、イタリアを中心に興った芸術運動で、過去の芸術の徹底破壊と、機械化によって実現された近代社会の速さを称えるもの。明治42年(1909)、詩人のマリネッティの「未来主義創立宣言」によって始まった運動です。

光太郎、過去の伝習の破壊という部分には共鳴しつつも、拙速といえば拙速なその展開にとまどい、全てを肯定しているわけではありません。ただ、やはり、共感する部分も多かったのは事実です。

長野県から企画展情報です

明治維新150年記念 幕末から昭和の芸術家たちと近代数寄者のまなざし

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期 日 : 2018年7月15日(日)~9月17日(月・祝)
会 場 : サンリツ服部美術館  長野県諏訪市湖岸通り2-1-1
時 間 : 9時30分~16時30分
料 金 : 大人1,000(900)円 小中学生400(350)円
      
 ( )内は団体20名様以上の料金
休 館 : 祝日を除く月曜日(ただし、8月6日、13日、27日は開館)

 今から150年前、明治という新たな時代が訪れます。新政府主導のもと、政治、産業、教育、文化などあらゆるものが日々発展し、日本は急速な近代化を成し遂げていきました。
 このような激動の時代の中、芸術家たちは伝統的な美意識と新たな時代の表現を模索しながら、多くの名品を世に生み出していきました。また、武家や町衆などによって支えられていた茶の湯では、明治期に入ると政財界の人々が嗜むようになり、近代数寄者たちによる豪華な茶の湯文化が花ひらきます。
 この度、サンリツ服部美術館では明治維新150年を記念し、幕末から昭和にかけて制作された絵画や工芸作品、近代数寄者ゆかりの茶道具などをご紹介いたします。目まぐるしく移り変わる時代の中で、芸術家や数寄者たちが求めた美の世界をお楽しみください。

主な出品作品
 ・冷泉為恭「養老勅使図」 江戸時代19世紀
 ・久保田桃水「山吹鮎図」 江戸―明治時代20世紀(後期出品)
 ・竹内栖鳳「鮮魚」 昭和時代 20世紀(後期出品)
 ・竹内栖鳳「夏木野雀」 昭和時代 20世紀(前期出品)
 ・高村光雲「鍾馗像」 明治時代 19世紀
 ・富本憲吉「白磁壺」 昭和11年(1936)
 ・長次郎「黒楽茶碗 銘 雁取」 桃山時代 16世紀

関連行事
 第2回美術講座
 日時:2018年7月23日(月) 13時30分から(受付開始13時)
 講師:山盛弥生氏(実践女子大学香雪記念資料館客員研究員)
 演題:近代の日本画を知る―新旧と東西
 会場:サンリツ服部美術館 2階喫茶室  定員:60名  参加費:入館料のみ 
 申込方法:電話、受付にて予約(電話0266-57-3311)
 *当日は休館日ですが、参加される方は13時から13時30分、講座終了後から15時30分
 まで展覧会をご覧い
ただけます。講座中は展示はご覧いただけません。


というわけで、光太郎の父002・高村光雲の「鍾馗像」が出品されます。

「鍾馗」は光雲が好んで取り上げた題材の一つで、複数の作品の現存が確認できています。右は平成14年(2002)、茨城県近代美術館他を巡回した「高村光雲とその時代展」図録から。この時だけでも2体の鍾馗像が展示されました。


また後ほど紹介いたしますが、サンリツ服部美術館さんのある諏訪からほど近い安曇野の碌山美術館さんでは、企画展「荻原守衛の人と芸術Ⅱ 【夏期】 美に生きる ―荻原守衛の親友たち―」が開催され、光太郎も取り上げて下さいます。

併せて拝見に行こうと思っております。皆様も是非どうぞ。


【折々のことば・光太郎】

この本を見ると、なるほどギリシア彫刻は、彫刻の本源だなと納得させられる。
散文「富永惣一著「ギリシア彫刻」推薦文」より
昭和28年(1953) 光太郎71歳

ミケランジェロ、ロダン等、光太郎の敬愛した彫刻家たちの系譜を辿っていくと、その行き着く先はギリシャ彫刻。光太郎にとっては、ある意味、自らのルーツというわけです。

実は光雲もそうでした。江戸期の仏師の流れを汲む光雲ですが、守旧にとどまることなく、文明開化で流入してきた西洋の文献等にも目を通し、自らの骨肉としています。

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こちらは、光雲が描いたもの。「写」とありますので、おそらく西洋の解剖学的な分野の文献から書き写したものでしょう。この骸骨や筋肉に肉付けをすれば、そのままあたかもギリシャ彫刻のようです。

今春、名古屋で開催された企画展の巡回です。おそらく光太郎の父・高村光雲の木彫が出品されます。 

明治150年記念 華ひらく皇室文化 ―明治宮廷を彩る技と美―

期 日 : 2018年7月21日(土)~9月2日(日)
会 場 : 秋田市立千秋美術館 秋田県秋田市中通2-3-8
時 間 : 午前10時~午後6時
料 金 : 一般1000円(800円) 大学生700円(560円)  高校生以下無料
      ( )内は前売、20名以上の団体および秋田県立美術館との相互割引料金
       くるりん周遊パスで観覧の場合、一般700円 大学生500円

休館日 : 会期中無休

 平成30年は、明治維新から150年目の記念すべき年にあたる。欧米に比肩する近代国家を目指して進む明治という新たな時代の激流のなかで、皇室は外国使臣をもてなし、諸国との融和をはかるとともに、わが国独自の芸術を海外へと広く紹介し、美術・工芸の保護育成にも大きな役割を果たしました。
 本展では、明治宮殿を彩った染織品や調度品をはじめ、帝室技芸員による工芸品や書画など貴重な作品の数々から、明治宮廷の華やかな世界を紹介します。
 秋田会場では、明治政府の基礎固めをする上で大きな効果があった六大御巡幸のうち、秋田県内に滞在された明治14年の御巡幸ゆかりの品や、黒田清輝による重要文化財《湖畔》(東京国立博物館蔵)[展示予定期間:7月21日(土)~8月3日(金)]が特別出品されます。


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関連事業

【特別講演会】昔語りは珠匣のごとく-平成に伝えられる明治の皇室文化-
日時:7月21日(土)午前10時30分~12時 
講師:彬子女王殿下
会場:アトリオン音楽ホール(定員550名 聴講無料)
申込:往復はがきの「往信用裏面」に郵便番号、住所、氏名(ふりがな)、年齢、電話番号を、「返信用表面」に郵便番号、住所、氏名を明記、1枚につき最大2名まで。
※2名で申し込みの場合は2名分の住所、氏名、年齢、電話番号を忘れずにご記入ください。
送り先:〒010-0001 秋田市中通二丁目3-8(アトリオン)
     秋田市立千秋美術館「彬子女王殿下講演会」係まで。
     6月21日(木)必着、応募者多数の場合は抽選。
                          
【講演会】明治宮廷が愛でた美術工芸品
日時:8月18日(土)午後2時~3時30分
講師:小松大秀(本展監修者・千秋美術館館長)
会場:千秋美術館3階講堂(定員70名 聴講無料)
申込:7月9日(月)午前9時30分より電話にて受付

【宮廷装束の着装実演】
日時:7月28日(土)[午前の部]午前11時~12時 [午後の部]午後2時~3時
講師:田中 潤氏(学習院大学非常勤講師)
会場:千秋美術館3階 講堂(事前申込不要、自由見学)

【ギャラリートーク】
日時:7月29日(日)、8月11日(土) 各日午後2時より30分程度
担当:千秋美術館学芸員
会場:企画展示室(申込不要、展覧会チケットが必要。) 

 【明治天皇の軌跡をたどる トーク&ウォーク】
明治14年北海道・東北御巡幸時の明治天皇の秋田滞在に注目し、展示室での作品鑑賞や資料を用いた解説に加えて、当時の視察先があった中通周辺を散策します。
日時:8月25日(土)午後2時~4時
担当:千秋美術館学芸員
会場:3階講堂ほか中通周辺 (定員20名、展覧会チケットが必要)
申込:7月24日(火)午前9時30分より電話にて受付


光雲の作品は、「魚籃観音像」。関連事業の小松館長による講演が「明治宮廷が愛でた美術工芸品 」ということですので、帝室技芸員であった光雲についても触れていただきたいものです。


ちなみにすぐ近くの千秋公園(久保田城址)には、幕末の久保田藩第12代藩主・佐竹義堯の銅像が建っています。

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もとは大正4年(1915)、東京美術学校に依頼があり、光雲が監督、白井雨山が原型制作を担当しました。しかし、こうした像の例に漏れず、戦時中に金属供出に遭い、現在のものは平成になってから復元されたものです。

併せてご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

日本の「美」を支那の美の一支流と見る見かたに私は同意しない。石清水のやうに水口は細いけれども、日本には美の源泉がある。その源泉の性質は、エジプトの美の源泉、ギリシヤの美の源泉、キリスト教芸術の美の源泉、支那の美の源泉などと同様の深さを持つて居り、決してただ地方的の特色があるといふやうな変種程度のものではない。

散文「五十澤二郎著「歴史教室」推薦文」より
 昭和22年(1947) 光太郎65歳

明治期以降の、西洋の猿真似や袋小路に嵌った伝統芸術などには価値を認めなかった光太郎ですが、遠く古代から中世の日本美術には一定の理解を示していました。過剰に「神国日本」を讃美し、国民を煽っていた戦時中の反省から、連作詩「暗愚小伝」の執筆にかかっていた時期に書かれたこの文章、美の部分での日本の歴史はやはり否定できない、というスタンスが見て取れます。

このところ、新刊書籍を頂く機会が多く、助かっています。昨日は歌人の松平盟子様から下記書籍が届きました。ありがたし。  

真珠時間 短歌とエッセイのマリアージュ

2018年7月24日  松平盟子著  本阿弥書店  定価2,600円+税

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言葉・音楽・旅など時の移ろいに心を寄せ、綴り続けた四半世紀の軌跡。

松平様が編集発行なさっている短歌誌『プチ★モンド』に連載されたエッセイ「真珠時間」、「琥珀時間」を根幹に、『読売新聞』さん連載のコラム「短歌あれこれ」、そして書き下ろしエッセイ「光太郎とラリックをつなぐ「蝉」」が掲載されています。

「ラリック」はルネ・ラリック。フランスのガラス工芸作家です。現代でもラリックブランドのガラス工芸品は日本でも人気ですね。先行するガレやドームとともに、その分野の三大巨匠と称されることもあります。ちなみに上記『真珠時間』カバーの装幀にもラリックの作品があしらわれています。

そのラリックと光太郎をつなぐ仮説、的なエッセイですが、かなり正解である確率の高い説です。

光太郎の談話筆記に「パリの祭」という作品があります。明治42年(1909)、欧米留学からの帰朝後に『早稲田文学』に発表されたものです。前年、ロンドンからパリに渡り、およそ1年間を過ごしたパリのさまざまな風物が語られています。

その中に、ラリックに関する記述も。ただ、ラリックという人物についてではなく、工芸品店としてのラリックについてです。

冬になると美術工芸品の新物が盛に売り出されます。工芸品でパリに名高い店が二軒ある。一つはラリツクと言つてプラース ド バンドーンにある店。二つと同じ品を作らないのを誇りとしてチヤンとラリツクの銘を打つて置きます。も一つをガイヤールと言ふ。この二軒は競争で新物を作り出し売出すのです。

「プラース ド バンドーン」はパリ1区のヴァンドーム広場。カルティエやティファニーも店を構えています。「ガイヤール」はリュシアン・ガイヤール。やはりガラス工芸作家ですが、日本ではあまり知られていないようです。

光太郎がパリに滞在していた明治41年(1908)、ラリックは、それまでジュエリーデザインを主軸にしていたのを、それ以前から手がけていたガラス工芸に軸足を移したとのこと。香水商フランソワ・コティから香水瓶のデザインを注文されたことがきっかけだそうです。

その頃、パリではジャポニスムはまだ大きな流れとして健在でした。ガラス工芸の分野でも、ガレやドームが日本風の意匠を取り入れたことは有名ですし、ラリックや先述のガイヤールも例外ではありませんでした。

そして、ラリックには蝉をモチーフにし002た作品があります。右の画像は『真珠時間』から採らせていただきました。

光太郎がパリでそれを目にし、のちに木彫「蝉」を制作する一つの契機となったのではないか、というのが松平様の仮説です。

4月頃でしたか、松平様から「こういう文章を発表するのでチェックして欲しい」ということで、今回の草稿が送られて来て一読。「なるほど」という感想でした。確証はありませんが、否定する材料もなく、あり得る話だな、というところです、とお答えしておきました。

ただ、「論文」として発表できる質の内容ではなく、そのあたりは松平様もよくおわかりのようで、「エッセイ」としての発表です。しかし、光太郎彫刻を考える上で、一石を投じる提言であることは間違いありますまい、と存じます。

他のエッセイの部分を読み(まだ熟読は致しておりませんで、斜め読みですが)、こうした発想にいたられた理由が少し解ったような気がしました。すなわち、パリに滞在されたことがおありだということ。やはり彼の地での見聞がないとたどり着かない発想だと思いました。

版元サイトから注文可能です。是非お買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

牛酪(バタ)を臭いと言ふ人には本当の牛酪を嘗めさせるに若くはない。

散文「熊野と公衆」より 明治45年(1912) 光太郎30歳

「熊野」は「ゆや」と読み、三浦環主演のオペラの題名です。衣裳も背景もすべて歌舞伎風、歌舞伎の公演の間に上演され、うまくいけば日本独特の歌劇の誕生、ということになったのですが、結果は「公衆」に、さんざんな酷評をされました。

光太郎は、単に管弦楽や合唱に慣れていない「公衆」が浅はかな批判を展開しているとし、「本物」に触れることの重要性への提言として、上記の一節を記しています。

昨日に引き続き、いただきものです。  

続装丁家で探す本 追補・訂正版

2018年6月20日 かわじもとたか著 杉並けやき出版発行 星雲社発売 定価6,000円+税

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むかしの装丁家だから活字で残したい−。装丁家430人の装丁本9100冊の情報を掲載。「ブログで探す装丁本」「田村泰次郎「肉体の門」の装丁家たち」など、装丁家について記した装丁挿話も収録。両開き本。【「TRC MARC」の商品解説】


労作です。光太郎を含む近現代の芸術家たちが誰のどんな本の装幀を手がけたのか、そのリストがメインです。その数429名、9,000冊余のデータが記され、456ページです。さらにそれと別にエッセイ的な「装丁挿話」167ページが掲載されています。

平成19年(2007)に正編が刊行され、今回その続編ということですが、こうしたリストを一冊にまとめたものの類例がないということで、貴重な資料です。

光太郎に関しては、協力させていただきました。筑摩書房さんの『高村光太郎全集』別巻に、光太郎のそれのリストが載っていますので、その情報を提供しました。しかし、『高村光太郎全集』のリストは、「装幀・題字」で、書籍全体の装幀ではなく、題字のみ光太郎の揮毫というものも一緒に掲載されています。そこで、明らかにそういうものは除かれています。ただ、書籍によっては光太郎の関与の度合いが不明のものも多く、装幀まで手がけているのか、題字揮毫のみなのか不明というものも実は多く存在します。

著者のかわじ氏と書簡やメールのやりとりをした中で、とにかく日本では装幀者の扱いが低い、と言うことを嘆かれていました。正編の方の「TRC MARC」さんの商品解説では、「個人名の付いた美術館で何故装丁本を集めないのか? 図書館では何故、装丁家で本が探せないのか?」とありますが、まさにそのとおりですね。

昨今は少しずつ状況が改善されてきているようで、たとえば神奈川近代文学館さんのサイトの蔵書検索ページでは、雑誌を除く図書で「装幀・挿画者名」での検索が可能になっていますし、日本近代文学館さんのサイトの検索ページでも、個々の図書の注記欄に「装幀・誰々」と記述があればフリーワード検索で引っかかります。また、各地の文学館さんでも装幀に的を絞った企画展等が散見されます。しかし、確かにまだまだですね。

ちなみに光太郎に関しては、昭和48年(1973)、春秋社発行の『高村光太郎 造型』(『高村光太郎選集』別巻)に、その時点で把握されていた光太郎装幀、題字揮毫の書籍の図版が全て掲載されていますし、平成12年(2000)に静岡アートギャラリーさんで開催された「高村光太郎の書 智恵子の紙絵」展で、光太郎装幀、題字揮毫の書籍を多数展示して下さいました。

どうも当方の感覚としては、全体の装幀を手がけたものと、題字揮毫のみのものと、厳密に区別する必要性をあまり感じません。ただ、光太郎にしてみれば、題字を揮毫してあげたのに、装幀全体は気に入らない、みたいなケースはあったかもしれません。カラフルな表紙の色と、光太郎の枯淡的書体が合っていないと感じる書籍も実在します。

いずれにせよ、かわじ氏の提唱される「装幀者の地位向上」的な動きは、もっとあっていいと思われます。

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【折々のことば・光太郎】

人物がよく把握されており、瑣末的技巧におちいらず、彫刻としての構造も堅固であり、動勢も強く、全体としての魅力に富み、生きている。この生命観がその頃の一般彫刻に欠けていたのである。

散文「荻原守衛 北條虎吉肖像」より 
昭和26年(1951) 光太郎69歳

盟友・荻原守衛の作品評ではありますが、結局、光太郎自身が目指す彫刻の在り方が表現されているような気がします。

こういうケースは結構あるように思われます(文学系でも)。

新刊書籍です。  

彫刻 SCULPTURE 1 ――空白の時代、戦時の彫刻/この国の彫刻のはじまりへ

2018年6月30日  小田原のどか編集  トポフィル  定価2,700円+税

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彫刻とは何か?── 「空白の時代、戦時の彫刻」と「この国の彫刻のはじまりへ」の2つの特集を柱に、 8本の書き下ろし論考、2人の彫刻家へのインタビュー、鼎談、詩を収録。 この国が孤立主義と軍国主義に落ちこんでいった時代と併走し、国家権力の流れを映し出した「彫刻」に光を当てる。 彫刻をめぐる叢書「彫刻 SCULPTURE」創刊号(次刊は2019年夏、刊行予定)。

目次
 【巻頭言】小田原のどか「近代を彫刻/超克する」
 【インタビュー】小谷元彦「彫刻の変わらなさ」
 【詩】山田亮太「報国」
 ■特集I:空白の時代、戦時の彫刻
  平瀬礼太「戦争に似合う彫刻」
  千葉慶「公共彫刻は立ったまま眠っている──神武天皇像・慰霊碑・八紘一宇の塔」
  椎名則明「鑿の競作──《和気清麻呂像》建設を巡る諸問題」
  迫内祐司「近代日本における戦争と彫刻の関係──全日本彫塑家連盟を中心に」
 【鼎談】白川昌生+金井直+小田原のどか「『彫刻の問題』、その射程」
 ■特集II:この国の彫刻のはじまりへ
  金子一夫「工部美術学校の彫刻教育の歴史的意義」
  髙橋幸次「ロダンの言説輸入と高村光太郎──「道」について」
  田中修二「彫刻と地方(試論)──朝倉文夫と北村西望の場合から」
  小田原のどか「空の台座──公共空間の女性裸体像をめぐって」
【インタビュー】青木野枝「彫刻という幸いについて」
[資料]マップ・年表・索引


文字色を変えて目立つようにしましたが、日大芸術学部さんの教授で、連翹忌にもご参加下さり、このブログにもたびたび登場されている髙橋幸次氏による論考「ロダンの言説輸入と高村光太郎──「道」について」が掲載されている他、他の箇所でもたびたび光太郎、それから光太郎の父・高村光雲に言及されています(索引がついているので、ありがたいかぎりです)。

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amazonさんで註文をしておりまして、届くのが来月初めとのことでしたが、昨日届きました。「早いな」と思って開封してみると、なんと「謹呈」の文字。髙橋先生のご指示だそうで、大感謝です。amazonさんの方はキャンセルいたしました。

髙橋先生以外にも、平成25年(2013)に刊行された『彫刻と戦争の近代』著者の平瀬礼太氏(以前は姫路市立美術館さんにお勤めでしたが、愛知県美術館さんに異動されているようです)、平成6年(1994)刊行の『近代日本最初の彫刻家』を書かれた田中修二氏(大分大学教授)など、見知ったお名前も多く、「ほう」という感じでした。

500ページ超の厚冊ですが、それだけに読み応えがありそうです。また、「彫刻を巡る叢書」の第1巻という位置づけだそうで、第2巻は来夏の刊行とのこと。すばらしい取り組みです。

それから、奥付によると、彫刻家の小田原のどか氏が「編集・造本・発行」となっており、なるほど、インパクトのある装幀ですし、中身も美しく仕上がっています。図版も多く、理解の手助けとなっています。

ぜひお買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】002

手法は相当荒々しいけれど確かに彫刻になつている。当時のお人形じみた日本の彫刻の中にこんなものが作られているのはおもしろい。

散文「荻原守衛 銀盤(柳敬助像)」より
 
和26年(1951) 光太郎69歳

昨冬、信州安曇野の碌山美術館さんで、学芸員の武井敏氏との対談形式による美術講座「ストーブを囲んで 「荻原守衛と高村光太郎の交友」を語る」をやらせていただき、レジュメ作成のために、改めて光太郎が荻原守衛について書いたものを読み返してみました。明治末に彗星の如く現れ、強烈な光芒を遺して逝ってしまった守衛に対し、的確な讃辞が与えられています。それも、盟友としての身びいきに終始することなく、批判すべきところは批判しつつ、しかしそれを差し引いてもどれだけ守衛の彫刻を認めていたかが、文章の端々から伝わってきます。

そして、今日ご紹介した一節にしてもそうですが、守衛が亡くなって数十年経った光太郎最晩年まで、そのスタンスが不変だった点に、守衛に対する敬愛の念の深さを改めて感じます。

上記『彫刻 SCULPTURE 1 ――空白の時代、戦時の彫刻/この国の彫刻のはじまりへ』では、守衛についてもかなり言及されています。

NHK文化センターさんによるカルチャースクール講座で、光太郎の父、高村光雲の師である高村東雲の末裔にあたられる三代高村晴雲氏による彫刻の実技講習です。 

佛像彫刻入門

期 日 : 2018年7月7日(土) ・ 7月21日(土) ・ 8月4日(土) ・ 8月21日(土) 
       9月1日(土) ・ 9月15日(土)

会 場 : NHKカルチャー横浜ランドマーク教室 
       横浜市西区みなとみらい2-2-1ランドマ-クプラザ5F
時 間 : 13:00~17:00
料 金 : 40,435円
講 師 : 高村晴雲氏

彫刻刀の扱い方から、地紋彫り、線彫りの天人像、立体佛へと進みます。各人の進度にあわせてじっくりと指導していきます。

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同じNHKカルチャー横浜ランドマーク教室さんで、同一の講座が4月から6月にかけて、やはり全6回で開講されていましたが、人気が高いのでしょうか、すぐさま次の全6回です。

光雲一派の流れを汲む伝統の木彫、その火が絶えることなく受け継がれていってほしいものです。


【折々のことば・光太郎】

モデルは車屋であつたようだが、制作には卑俗なものが感じられず、人物のよさを正直に出している。こういう初期の草創時代を経て日本の近代彫刻はだんだん発達してきたのである。

散文「長沼守敬 老夫」より 昭和26年(1951) 光太郎69歳

長沼守敬は、安002政4年(1857)の生まれ。光太郎より一世代前の彫刻家です。父・高村光雲を別格とすれば、この世代で唯一、光太郎が認めていた彫刻家でした。ただし、あくまで次世代の自分たちが乗り越えるべき守旧派として、です。長沼以外の同世代の彫刻家は、乗り越えるとか何とか、そういう対象としての認識すらしていません。

「老夫」は明治31年(1898)頃の作。翌年には東京美術学校に塑像科が設けられ、長沼が初代教授に任ぜられています。長沼は明治21年(1888)、開校前の準備期間から彫刻科の臨時職員でした。

モデルの車夫に関しては、光太郎の回想が残っています。昭和30年(1955)の散文「モデルいろいろ」から。

最初に来たモデルは四十歳位の男で、人力車夫といふことであつた。裸になつてモデル台に立つたが、褌をしたままであつた。先生は居らず生徒達には文句をいふ権利がなかつたので、そのまま油土を仕事台にのせて一尺二三寸の塑造をはじめた。どこからどう作ればいいのか指導者が一人も居なかつた。そのうち山田先生が紋付袴でやつて来られて部屋に入るなり、モデルの車夫を叱りとばした。なぜ褌を取らんかといふのである。車夫はお菊婆さんとの約束でこれでいいんだと言ひ張る。先生は、ここは学校だ。そんな我がままは許さん。美術の手本になるのが分からんか、といふやうなことをいつていやおう言はせぬ勢でモデルをやつつけた。車夫も弱つたやうであつたが、ぢや、いよいよお開帳か、と言ひながら褌を取つてモデル台に立つた。(略)この車夫が今日ぎりで、明日は来なくはないかといふ心配が起り、大いに車夫にサービスした。車夫は翌日も来た。それからずつと美術学校のモデルをつづけてゐたやうである。

「山田先生」は山田鬼斎、「お菊婆さん」は、モデルの周旋をしていた老女です。

この人物がモデルと知っていたので、「卑俗なものが感じられず」としたのでしょう。「こういう初期の草創時代を経て日本の近代彫刻はだんだん発達してきた」という、その一端も光太郎が担っていました。その草創期のままにとどまらなかったところが光太郎の光太郎たるゆえんですが。

皇居東御苑内の三の丸尚蔵館さんでの企画展示です。4月から始まっていますが、展示替えに伴い、光太郎の父・高村光雲作の木彫が、来月から展示されます。 

第80回展覧会 明治の御慶事-皇室の近代事始めとその歩み

会 期 : 平成28年4月28日(土)~8月5日(日)
      前期:4月28 日~5月27日 中期:6月2日~7月1日 
      後期:7月7日(土)~8月5日(日)
休館日 : 毎週月・金曜日 7月16日(月・祝)は開館し7月17日(火)は休館
時 間 : 午前9時~午後4時45分(入館は午後4時30分まで)
料 金 : 無料

慶応3年(1867)正月に明治天皇が践祚し,同年12月には王政復古の大号令が発せられます。これは,平安時代からの摂関制と,鎌倉時代以来の武家政治の終わりを告げるものでもありました。翌年には正月に天皇の御元服儀,8月に即位礼が挙行され,その直後に改元が行われて,若き天皇とともに明治という時代が幕を開けたのです。欧米列強と肩を並べるために,天皇を中心とした近代国家の形成は急務であり,天皇および皇族の新たな役割が模索されることになります。それは,主に儀礼をつかさどる存在であった近世の朝廷とは大きく異なるものでした。
まだ戊辰戦争が継続する中,京都御所紫宸殿で行われた即位礼では,儀式の次第は古制をほぼ踏襲しながらも,参加者の服制や式場の鋪設は日本の本来的,理想的なあり方に戻そうと努めるなど,新旧の要素をうまく結合させた新しい天皇の姿を示そうという姿勢がうかがえます。
そして,明治2年(1869)以降,政治の中枢は京都から東京へと移り,明治21年になると近代国家としての行事を行うのにふさわしい明治宮殿も竣工しました。その後,明治27年の天皇大婚二十五年の祝典や,同33年の皇太子(大正天皇)御成婚といった御慶事のたびに,海外諸国の例も参考としながら盛大な儀式,祭典が開催され,内外に対して広く近代皇室の姿が公開されていきました。
三の丸尚蔵館では平成19年に,皇室の御慶事が相継いだ大正時代をテーマにした展覧会「祝美(いわいのび) ―大正期皇室御慶事の品々」を開催しました。その前段階にあたる明治時代の御慶事および皇室の諸行事に関する三の丸尚蔵館所蔵の美術品や書陵部の資料を,明治150年にあたるこの年に紹介します。本展が,様々な模索を通して近代皇室の基盤が整備されていく,明治という時代の重要性を再認識していただく機会となれば幸いです。

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光雲作品は、「文使」。明治33年(0031900)頃の作です。材は桜、50センチほどの高さです。

「文使」は、文書を届ける役人です。服装が闕腋袍(けってきのほう)ですので、飛鳥時代から平安時代のものです。文書を収めた柳筥(やなぎばこ)を捧げ持ち、かしこまる姿を表しています。

光雲は明治30年(1897)に古社寺保存委員会委員に任ぜられ、翌年には京都、奈良、滋賀、和歌山と2府2県を廻る出張に出ています。その際に関心を持った古代の風俗を取り入れたと考えられます。

また、光雲が出仕していた東京美術学校の制服(教官・生徒とも)が、初代校長・岡倉天心の発案による、闕腋風のデザインでした。

だいぶ不評で、やがて廃止されましたが、光太郎が入学した明治30年(1897)当時はまだ残っており、光太郎の制服姿の写真も残っています。

下記画像、まずは教官。左から光雲、黒川真頼、岡倉天心、橋本雅邦、川端玉章です。明治27年(1894)のもの。

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こちらは細谷三郎(左)と光太郎(右)。細谷はのちに而楽(しらく)と号し、仏像修復の分野で活躍します。明治30年(1897)の撮影です。

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閑話休題。三の丸尚蔵館さん、ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

光雲は仏師の旧套を脱して新時代の彫刻を創りだそうと努力し、当時日本にあまり扱われなかつた鳥や獣を好んで彫つた。刀法はふるいが、題材が新しいので、何かしら新鮮なものがとらえられ、また伝統的彫刻から写生の方向に赴くにつごうがよかつたのである。

散文「高村光雲 老猿」より
 昭和26年(1951)
 光太郎69歳

光太郎晩年に書かれた光雲評です。重要文化財の「老猿」(明治26年=1893)について。この作は東京国立博物館さんに所蔵されており、常設ではありませんが、時折、展示されます。現在も並んでいるようです。

岐阜県から企画展情報です。

驚異の超絶技巧!明治工芸から現代アートへ

期 日 : 2018年6月30日(土)~2018年8月26日(日) 
会 場 : 岐阜県現代陶芸美術館 岐阜県多治見市東町4丁目2-5
時 間 : 午前10時~午後6時
料 金 : 一般 900(800)円 / 大学生 700(600)円 / 高校生以下無料
      ※( )内は20名以上の団体
休館日 : 月曜日 7月17日(火) (ただし、7月16日(月)は開館

 近年、明治工芸に対する注目度が飛躍的に高まってきました。陶磁、七宝、金工、牙彫、木彫、漆工、刺繍絵画など、おもに輸出用としてつくられた工芸作品が海外から里帰りし、多くの人が瞠目するようになったのです。2014年から翌年にかけて、当館など全国6会場を巡回した「超絶技巧!明治工芸の粋」展は、そんな明治工芸再評価の機運を盛り上げるための画期的な展覧会でした。

 大好評を博したその企画の第2弾として、明治工芸と現代アートの超絶技巧が対決する展覧会を開催します。明治工芸を産み出した工人たちのDNAを受け継ぎ、超絶技巧プラスαの機知に富んだ現代作家の作品も多数展示します。

参加現代アーティスト(五十音順)
青山悟(刺繍)、稲崎栄利子(陶磁)、臼井良平(ガラス)、大竹亮峯(木彫)、加藤巍山(木彫)、佐野藍(石彫)、更谷富造(漆工)、鈴木祥太(金工)、高橋賢悟(金工)、橋本雅也(牙彫)、春田幸彦(七宝)、本郷真也(金工)、前原冬樹(木彫)、満田晴穂(自在)、山口英紀(水墨)

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案内にあるとおり、平成26年(2014)から翌年にかけ、日本橋の三井記念美術館さんから始まり、静岡佐野美術館さん、山口県立美術館さん、郡山市立美術館さん、富山県水墨美術館さん、そして今回と同じく岐阜県現代陶芸美術館さんを巡回した展覧会「超絶技巧! 明治工芸の粋」の第二弾です。

今回も皮切りは三井記念美術館さんで、当方、昨秋に拝見して参りました。光太郎の父・高村光雲の木彫「布袋」像が展示されていました。

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おそらく今回も展示されるはずです。ぜひ足をお運び下さい。

ちなみに同展はこの後、9月7日~10月21日で山口県立美術館さん、11月16日~12月24日に富山県水墨美術館さん、さらに年が明けて平成31年(2019)1月26日~4月14日には大阪のあべのハルカス美術館さんを巡回予定です。それぞれ、また近くなりましたらご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

日本へ帰つて来てしまつてからは、滅多に会う機会もないけれど、今でもその面影は頭にあるし、好意をもつてその絵なども見ている。思い出すといい気持ちの人で、ああした人が頭の中に生きているということは愉快なものである。
談話筆記「パリの梅原龍三郎君」より 昭和29年(1954) 光太郎72歳

梅原龍三郎は、光太郎より5歳年少でした。光太郎が明治42年(1909)に留学を終えて帰国する際、貸借契約がまだ残っていたカンパーニュ・プルミエル街のアトリエを引き継いでくれました。当時から光太郎はパリに来ている他の日本人画家達より、頭一つ抜け出していると感じていたそうです。

思い出すといい気持ちの人で、ああした人が頭の中に生きているということは愉快なものである」と言われるような人物でありたいものですね。

京都から展覧会情報です。

あっ!きのこの大B級仮装展

期 日 : 2018年6月23日(土)~2018年7月1日(日) 無休
会 場 : 学森舎 京都府京都市左京区超勝寺門前町89
時 間 : 12:00〜19:00
料 金 : 無料

あっ!きのこによる、紙工作で作ったチープな自撮り作品500点を展示します。名画や妖怪、キャラクターや有名人にあの手この手でなりきっています。6月23日19時30分〜はアウトサイダーキュレーター櫛野展正さんをお招きしてトークイベントを開催します。要予約で2000円(軽食付き)  是非お越しください。

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パロディー系(それも脱力系の)ア000ートの展覧会です。チラシがすでにボッティチェリの「プリマヴェーラ」のパロディーになっています。

元ネタは古今東西の有名な作品から、村山槐多などの少しマニアックなものまで幅広く、作者・あっ!きのこさんのサイトを見て、爆笑してしまいました。それぞれ悪意のあるパロディーではなく、リスペクト、というより元ネタへの「愛」に溢れています。

光太郎ブロンズの代表作「手」(大正7年=1918)も取り上げて下さいました。

元気の出る展覧会だと思われます。ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

物は一見するに如くはないが、一見する甲斐ある人と、甲斐なき人とある事は争はれない。スケツチ帖を厚くしに渡欧する人々も多い世の中である。

散文「画家九里四郎君の渡欧を送る」より 明治44年(1911) 光太郎29歳

九里(くのり)四郎は光太郎より3歳年下。光太郎が彫刻科を終えてから再入学した東京美術学校西洋画科での同級生で、白樺派の面々とも関わっていますが、現代ではほぼ忘れられかけた画家と言っていいでしょう。

光太郎曰く、九里は「一見する甲斐ある」画家。他の箇所では「色彩に対して本能的な好趣味と理解力とを有(も)つてゐる」「此一事は実に芸術家の旅行券(パツスポオト)である」と激賞しています。

東京上野の東京藝術大学大学美術館さんで、昨日始まった企画展です。

NHK大河ドラマ特別展「西郷どん」

期 日 : 2018年5月26日(土)~7月16日(月・祝)
会 場 : 東京藝術大学大学美術館 東京都台東区上野公園12-8
時 間 : 午前10時~午後5時
料 金 : 一般1,500円(1,200円) 高校・大学生1000円(700円) 中学生以下無料
          ※ ( )は20名以上の団体料金
休館日 : 月曜日(※ 7月16日(月・祝)は開館)

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明治維新から150年、2018年の大河ドラマの主人公は西郷隆盛です。
薩摩(鹿児島)の一介の下級武士から身を起こし、明治維新を成し遂げた西郷隆盛。しかし、この稀代の英雄には、肖像写真が一枚も残っておらず、その生 涯は多くの謎に包まれています。本展覧会は大河ドラマと連動しながら、西郷隆盛ゆかりの歴史資料や美術品などによって、「西郷どん」の人物像と激動の時代を 浮き彫りにします。
西郷の風貌を最も忠実に伝えるとされる肖像画や、座右の銘を記した書「敬天愛人」。西郷がその婚礼に尽力した篤姫が所有していた華麗な調度品には多くの 展覧会初公開品が含まれます。また幕府瓦解のきっかけとなった幕末の最重要史料「討幕の密勅」も登場。そして、あの有名な銅像「上野の西郷さん」の制作過程 を物語る新出写真まで、西郷隆盛の魅力のすべてを味わいつくす展覧会です。


報道がなされています。

まず、『東京新聞』さん。  

顔がない!上野西郷像 制作過程写真、初公開

 台東区・上野の東京芸大大学美術館で二十六日から始まるNHK大河ドラマ特別展「西郷どん」で、上野公園にある西郷隆盛像の制作過程の写真が初公開される。「顔が彫られておらず、肖像写真を残さなかった西郷の顔を表現するのに、苦労した様子がうかがわれる」と同美術館の黒川広子教授(近代工芸史)は話している。
 西郷像は東京美術学校(東京芸大の前身)の教授だった高村光雲が率いるチームが制作。肖像写真がないため、隆盛の実弟従道の顔写真や隆盛が着用した陸軍大将の軍服、肖像画などを参考にした。
 初公開の写真は、銅像の基にする木像を制作する過程で、犬を連れた和服姿の西郷隆盛像を正面から撮影。西郷と犬の顔がまだ彫られていなかった。左上部に、紙幣や郵便切手の図案制作などに携わったイタリア人銅版画家のキヨッソーネが描いた西郷の顔の絵もはめ込まれていた。
 黒川教授は「写真の使用目的は不明だが、西郷をよく知る人に印象を語ってもらうため、あるいは、制作の進捗(しんちょく)状況について資金を提供した関係者に報告するために、使ったのではないか」と推測する。
 写真は六月十七日まで公開される。


続いて『毎日新聞』さん。 

上野西郷どん “のっぺらぼう”の西郷像の写真初公開 東京・上野で特別展

 俳優の鈴木亮平さんが主演を務めるNHK003の大河ドラマ「西郷(せご)どん」の展覧会「NHK大河ドラマ特別展『西郷どん』」が東京・上野の東京芸術大学大学美術館で26日から開催される。「上野の西郷さん」の愛称で親しまれている西郷像の制作過程を示す古写真を初公開。写真は、木形制作の段階で西郷と犬の顔面が“のっぺらぼう”になっており、肖像写真を残さなかった英雄の面貌(めんぼう)をどう表現するのか、彫刻家の高村光雲率いる制作チームの苦労を今に伝える貴重な一枚になっている。
 同展はドラマと連動しながら、主人公の西郷隆盛ゆかりの歴史資料や美術品などにより、その人物像と激動の時代を浮き彫りにする。西郷の風貌を最も忠実に伝えるとされる肖像画や、座右の銘を記した書「敬天愛人」、西郷がその婚礼に尽力した篤姫が所有していた華麗な調度品など展示する。
 また幕府瓦解(がかい)のきっかけとなった幕末の最重要史料「討幕の密勅」も展示。犬好きの西郷が地元・鹿児島の住民から「白い犬ユキを借り受ける代わりに渡した」という逸話が残る刀装具も初公開される。
 開館時間は午前10時~午後5時(入館は閉館の30分前まで)。毎週月曜は休館。料金は、一般1500円、大学・高校生1000円。会期は7月16日まで。
 「西郷どん」は、明治維新から150年となる2018年に放送される57作目の大河ドラマ。薩摩の貧しい下級武士の家に生まれた西郷隆盛(吉之助)の愚直な姿に、カリスマ藩主・島津斉彬が目を留め、西郷は斉彬の密命を担い、江戸へ京都へと奔走。勝海舟、坂本龍馬ら盟友と出会い、革命家へと覚醒し、やがて明治維新を成し遂げていく……という内容。NHK総合で毎週日曜午後8時ほかで放送。


NHKさんの首都圏ニュースでも。 

「のっぺらぼう」の西郷像の写真

明治時代、東京・上野に西郷隆盛の像を作る過程で写された、顔が彫られていない「のっぺらぼう」の状態の木型の写真が残されていることがわかり、調査に当たった専門家は「顔写真が1枚もないなかで、顔の制作に苦労したことがわかる」と話しています。
この写真は、東京藝術大学大学美術館で10年ほど前に見つかり、その後、調査が進められてきました。
 縦16.5センチ、横10.5センチの紙に焼かれた写真には、東京・上野にある犬を連れた西郷隆盛の銅像とほぼ同じ姿の木型が写されていますが、西郷も犬も顔が彫られておらず、「のっぺらぼう」の状態になっています。
また、写真の左上には西郷の肖像画が付け加えられています。
 調査に当たった東京藝術大学の薩摩雅登教授によりますと、上野の西郷像は大学の前身に当たる東京美術学校が制作を進め、今回の写真は、銅像を作る前に試作した木型の途中の状態を写したと考えられるということです。
 銅像が完成したのは、明治10年の西南戦争で西郷が自害してから20年以上がたった明治31年で、薩摩教授は「西郷の死後、しばらくたっているうえに顔写真が1枚もない。肖像画から横顔などを想像して立体にするのはさぞかし大変だったと思う。写真からは顔の制作に苦労したことがわかる」と話しています。
この写真は、東京藝術大学大学美術館で26日から開かれる、大河ドラマ「西郷どん」の特別展で初めて公開されます。
 上野の西郷隆盛像は、明治31年に完成したあと、120年にわたって上野のシンボルとして親しまれていますが、制作は大きな困難を伴いました。
 東京藝術大学の薩摩雅登教授によりますと、西郷隆盛は明治10年の西南戦争で自害し政府から反逆者とされていましたが、市民の間で人気が根強く続いていたことから明治22年に大日本帝国憲法の発布にあわせて名誉回復が図られ、東京に銅像が作られることになりました。
 当初は馬に乗った軍服姿の予定でしたが、予算が足りなかったことや、西郷のいとこの大山巌の進言などによって、浴衣姿になったということです。
 制作には、高村光太郎の父親で日本を代表する彫刻家の高村光雲などが参加し、東京美術学校が総力を挙げて取り組みましたが、資料が乏しかったことから難航したと言います。
 特に苦心したのは顔の制作で、写真が1枚も残されていないなか、イタリアの画家キヨッソーネが描いた肖像画や、弟の西郷従道や大山巌の顔、それに西郷をよく知る人物の話を基に進められたということです。
 高村光雲は当時の新聞に、西郷と面識がなく肖像画しか残されていないなかで、顔を立体で表現する難しさについて語っています。
 銅像はこうした苦労の末に完成しましたが、除幕式で西郷の妻がその姿に不満を持ったというエピソードも残されています。

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早速、拝見に行って参りました。

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報道では「のっぺらぼう写真」の件が大きく扱われていますが、そちらは展示の
最後の最後。そこにたどり着くまで、西郷本人をはじめ、島津家の人々、大久保利通、天璋院篤姫ら、また、「敵側」だった彰義隊や新選組(当方、心情的にはこちらの側です)に関する資料などが実に豊富に展示されていました。展示リストはこちら

ちなみに最近流行の音声ガイドは、「西郷どん」で大久保利通役の瑛太さん。しかし、展示自体はあまりドラマを前面に押し出さない、「真面目な」ものでした。

問題の写真は下記左。こういうものが残っていたというのには驚きでした。ミュージアムショップで、ほぼ原寸大と思われるポストカードになって販売されていました。

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展示の解説パネル、それから図録(上記右画像)の解説文には、像制作時の光雲の苦心談が、明治32年(1899)の『中央新聞』に掲載されていると書かれていました。昭和9年(1934)の『小樽新聞』に載った苦心談は存じていましたが、『中央新聞』の記事は未確認で、調べてみようと思いました。

また、ミュージアムショップでは、西郷像を描いた錦絵をあしらったクリアファイルも販売していましたので、ゲットしました。2種類あり、A4三つ折りになっている豪華なものと、「チケットホルダー」なる細長い小型のもの。

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それぞれ勿体なくて実用は出来ません(笑)。

「のっぺらぼう」写真は6/17(日)までの展示。さらに東京展のあと、7月28日(土)~9月17日(月)で大阪展(大阪歴史博物館さん)、9月27日(木)~11月18日(日)には鹿児島展(鹿児島県歴史資料センター黎明館さん)も予定されています。それぞれ、また近くなりましたらご紹介いたします。


【折々のことば・光太郎】

ミケランジエロこそ造型の権化である。造型の中の造型たる彫刻は、従つてミケランジエロの生来を語るものであり、ミケランジエロの他の営為――土木、建築、絵画、詩歌の類はすべて彼の彫刻家的幽暗の根源から出てゐる。

散文「ミケランジエロの彫刻写真に題す」より
昭和16年(1941) 光太郎59歳

自身も彫刻以外に、詩歌、絵画、書、建築、装幀、評論、翻訳など、実に様々な分野に大きな足跡を残しながら、やはり彫刻を第一考えていた光太郎。そうした部分では大先輩ミケランジェロを範としていたと思われます。

北海道から美術講座の情報です。

連続講座2018 彫刻探訪のススメ~150年物語

◎第1回 象・型・形-造形に探る凸オスと凹メス
 日時:6月3日(日) 10:30~12:00
 講師:寺嶋弘道(本郷新記念札幌彫刻美術館館長)
  *パスポートで鑑賞できる展覧会:第2回本郷新記念札幌彫刻賞受賞記念 加藤宏子展

◎第2回 銅像時代-明治150年の光と影
  日時:9月16日(日) 10:30~12:00
 講師:木下直之氏(東京大学大学院教授、静岡県立美術館館長)
  *パスポートで鑑賞できる展覧会:オペラの衣裳と舞台美術:煌く「アイーダ」の世界展

◎第3回 素材との出会い-彫刻制作40年
  日時:11月18日(日) 10:30~12:00
 講師:松隈康夫氏(彫刻家、札幌大谷大学教授)
  *パスポートで鑑賞できる展覧会:本田明二展 ひとノミひとノミ、私は木を削る

◎第4回 人と馬の彫刻-広場とアトリエの物語
  日時:2019年2月17日(日) 10:30~12:00
 講師:山田のぞみ(本郷新記念札幌彫刻美術館学芸員)
 *パスポートで鑑賞できる展覧会:コレクション展「本郷新の見た『異国』」

彫刻の見かた・楽しみ方を学び、芸術鑑賞の幅を広げる講座です。今年は明治改元から150年。西洋美術が本格的に紹介されて以来、造形芸術は大きな変貌を遂げてきました。素材や技法、テーマや表現内容、都市空間や産業との関係など、歴史を辿りつつ彫刻芸術のありようを探ります。

 ・展覧会パスポート付き
  受講生は彫刻美術館の展覧会をいつでも鑑賞することができます。
 ・会場:札幌市資料館 研修室
   札幌市中央区大通西13丁目
   (札幌市営地下鉄東西線「西11丁目駅」1番出口より西へ徒歩5分)
 ・受講料:3,500円(4展覧会のパスポート付)
  ※4回全て受講できない場合はご相談ください。
 ・定員:60名(先着順)

*主催:本郷新記念札幌彫刻美術館(札幌市芸術文化財団)
*道民カレッジ連携講座(1回1単位、全4単位)

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かなり専門的な内容の講座のようですが、それだけに充実したものになりそうです。

特に9月の第2回は、光太郎の父・高村光雲が制作主任として関わった上野の西郷隆盛像などにも触れられるようです。講師の木下直之氏は、銅像に関するご著書等が多数おありで、このブログでも以前に、『戦争という見世物 日清戦争祝捷大会潜入記』(平成25年=2013 ミネルヴァ書房)をご紹介しました。また、当方、平成23年(2011)に刊行された『東京の銅像を歩く』(祥伝社)という書籍も持っております。

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お近くの方、ぜひどうぞ。


西郷隆盛像といえば、明日、上野の東京藝術大学大学美術館さんで始まる企画展「NHK大河ドラマ特別展「西郷どん」」で、西郷像の制作過程の写真が初公開されるとのこと。早速拝見に行きまして、レポートいたしますのでお楽しみに。
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【折々のことば・光太郎】

この「ダビデ」はもう単なる写実ではない。写実をしつかり踏まへた上での、もつと幅広な、もつと彫刻的本質の方に真剣な探求を志した、いはば美の原型への肉迫を事とした、さうして又如実逼真の現象性を超越した詩精神の高度な具象と放射とを体現した芸術である。

散文「「聖ジヨルジオ」と「ダビデ」」より
 昭和18年(1943) 光太郎61歳

「ダビデ」は、ロダン同様、光太郎が目標とした、ルネサンス期の彫刻家、ミケランジェロの代表作の一つです。

最大級の讃辞ですね。そして同時に光太郎が目指した彫刻のありようの一つの形が、この文から見て取れます。すなわち、「写実を超えた写実」。「言うは易し、行うは難し」ですが。

昨年、歿後百年を記念して公開されたフランス映画「ロダン カミーユと永遠のアトリエ」のDVDが今月発売となり、入手、拝見しました。 

ロダン カミーユと永遠のアトリエ

2018年5月2日 コムストック・グループ 定価3,800円+税

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創った。愛した。それが人生だった。天才彫刻家ロダン没後100年記念作!
 1880年パリ。彫刻家オーギュスト・ロダンは40歳にしてようやく国から注文を受ける。そのとき制作したのが、後に《接吻》や《考える人》と並び彼の代表作となる《地獄の門》である。その頃、内妻ローズと暮らしていたロダンは、弟子入りを願う若いカミーユ・クローデルと出会う。 才能溢れるカミーユに魅せられた彼は、すぐに彼女を自分の助手とし、そして愛人とした。その後10年に渡って、二人は情熱的に愛し合い、お互いを尊敬しつつも複雑な関係が続く。二人の関係が破局を迎えると、ロダンは創作活動にのめり込んでいく。感覚的欲望を呼び起こす彼の作品には賛否両論が巻き起こり…。
 
《考える人》《地獄の門》で名高い彫刻家オーギュスト・ロダンの半生を、没後100年を記念して忠実に描いた伝記映画。
 近代彫刻家の父”と称されるロダンの没後100年を記念し、パリ・ロダン美術館の全面協力で製作された本作は、ロダンの製作過程の細部まで再現し、人間関係や当時のエピソードからロダンの内面まで掘り下げ映画化された。国立西洋美術館(《地獄の門》を常設展示)で、没後100年を記念した特別イベントを開催。今後も、横浜美術館で「ヌード NUDE ―英国テート・コレクションより」が開催され、その目玉として、ロダンの大理石彫刻 《接吻》 が日本初公開される。【2018年3月24日(土)~6月24日(日)】

ロダンと愛弟子カミーユ・クローデルの愛と葛藤の物語を官能的に描く。
 イザベラ・アジャーニ主演映画の大ヒットで人気の高い女流彫刻家カミーユ・クローデルの波乱に満ちた生き様がロダン視点で描かれる本作。カミーユが去った後ロダンは、愛をぶつけるようにモデルたちとの官能的な絡み合いを繰り広げていく。愛と苦悩の日々の末、近代彫刻の父が創り上げた最高傑作誕生の瞬間とは・・・ 監督は男女の激しい愛憎と心のかけひきの描写に定評のあるフランスの巨匠ジャック・ドワイヨン。主演は『ティエリー・トグルドーの憂鬱』でカンヌ国際映画祭、セザール賞の主演男優賞をW受賞したヨーロッパきっての演技派ヴァンサン・ランドン。


その若き弟子、カミーユ・クローデルとの愛憎を軸に、光太郎が終生敬愛した鬼才ロダンの彫刻にかける執念が描かれます。

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代表作「地獄の門」の制作中のシーンから始まります。

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門の一部、現在、横浜美術館さんで開催中の「ヌード NUDE  ―英国テート・コレクションより」で、大理石に写した像が目玉として展示されている「接吻」を前にする二人。今後の二人を暗示していることはいうまでもありません。

激しく求め合う二人ですが、ロダンは長年連れ添った内縁の妻、ローズ・ブーレと別れることも出来ません。

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彫刻の部分でも師の影から抜け出せず、カミーユの苦悩は深まり、やがて精神崩壊をきたします。ただ、以前も書きましたが、心を病んだ悲惨なカミーユの姿は、映画では描かれませんでした。象徴的に使われていたのが、カミーユの彫刻「分別盛り」の一部、「嘆願する女」。物語の終盤、ロダンが画廊でこれを見るシーンで、二人の関係の修復不可能な破綻、その後のカミーユの運命が暗示されました。

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他の登場人物として、モネやセザンヌ、光太郎が訳した『ロダンの言葉』の原典の一部を書いたオクターヴ・ミルボー。

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光太郎も岐阜まで会いに行った、日本人女優・花子

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ロダンの秘書も務めた詩人のリルケ。

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カミーユとの関係が破綻した後も、ある意味ロダンの肥やしとして必要だった若い女性たち。

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そして、人物以外にも、人物以上の存在感を放つ彫刻作品の数々。

「ヴィクトル・ユーゴー」。

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「カレーの市民」。

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「地獄の門」と、その一部の「考える人」。

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「ダナイード」。

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カミーユの「ワルツ」。

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そして「バルザック」。

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この「バルザック」において、ロダンはもはや「時代」を突き抜けてしまったという描き方になっていました。ラストシーンは、現代の箱根彫刻の森美術館さん。子供達が「バルザック」を使って「だるまさんが転んだ」で遊んでいます。時代を超え、国を超え、愛されるロダン作品、という演出でしょうか。

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ロダンは芸術家としては超一流、ところが人としては……という描写、しかし、そうでなければ生み出せなかった偉大な彫刻群、という意図も感じられます。光太郎に観せたかった一作です。

せひお買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

ロダンの作を見れば、直ちに人間を見る事が出来る。生きた人間に接した時よりも更に人間的な人間の力を見る事が出来る。

散文「MÉDITATIONS SUR LE MAÎTRE」より
明治43年(1910) 光太郎28歳

光太郎がロダンを評した文章のうち、初期のものの一つです。

このコーナー、筑摩書房『高村光太郎全集』からほぼ掲載順に言葉を拾っていますが、今回はロダンがらみの内容ということで、若干順番を変えさせていただきました。

名古屋から企画展情報です。

明治150年記念 華ひらく皇室文化 ―明治宮廷を彩る技と美―

期 日 : 2018年4月17日(火)~5月27日(日)
会 場 : 徳川美術館名古屋市蓬左文庫 名古屋市東区徳川町1017
時 間 : 午前10時~午後5時
料 金 : 一般 1,400円・高大生 700円・小中生 500円 
      毎週土曜日は小・中・高生入館無料
      20名様以上の団体は一般200円、その他100円割引
休 館 : 月曜日

平成30年は明治維新から150年にあたる記念すべき年にあたり、明治期の宮廷文化にスポットを当てた展覧会を行います。明治政府と皇室は、欧米諸国との融和をはかるため、美をこらした鹿鳴館において、各国の使節をもてなすとともに日本独自の芸術品を広く海外に紹介しました。こうした動きは、日本の国際的地位を高める一方で、江戸時代から続く美術・工芸の保護育成に大きな役割を果たしました。本展では、華やかな明治期の宮廷を彩った調度品や染織品、帝室技芸員の絵画・工芸品を一堂に集め、日本の美と技の粋を堪能する機会とします。

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帝室技芸員の作品ということで、光太郎の父・高村光雲の作「魚籃観音像」が出品されています。出品目録に依れば、「個人蔵」ということです。

魚籃観音は、光雲がたびたび手がけた題材の一つで、最近では一昨年、三重県総合博物館さんで開催された「新津市誕生10周年特別展覧会 過去から未来へ~津のあゆみ~」に津市教育委員会さん所蔵の作が出ています。また、東京葛飾区の貞林院瑞正寺さんには、吸収合併された三田貞林寺旧蔵の作が所蔵されており、平成14年(2002)に三重県立美術館さん他を巡回した「高村光雲とその時代展」に出品されました。

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おそらくこれらと同様の構図のものでしょう。

その他、徳川家、皇室ゆかりの工芸品の数々が出品されています。最近流行の「超絶技巧」系で、宮川香山、濤川惣助、並河靖之らの作、さらに作者等不明ながら、皇室の方々の日用品的なものも多数。


こちらも全国巡回の予定で、以下の日程になっています。

 2018年7月21日〜9月2日/秋田市立千秋美術館
 2018年10月2日〜11月25日/京都文化博物館
 2019年3月16日〜5月10日/泉屋博古館分館
 2019年3月20日〜5月18日/学習院大学史料館

各会場、また光雲の作が展示されるようであれば、近くなりましたところでご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

変な英語の看板は此頃少くなつたが、此次は文字を隣国人に軽蔑されない程度に高めたい。もう一つは一般大衆に美術を馴れしめる方法として公共建築(銀行、郵便局、諸官衙、学校、図書館、病院等)には必ず絵画なり彫刻なりを適当の程度に附随させるやうに定めること。

散文「適材 岸田氏に寄す」より 昭和15年(1940) 光太郎58

「岸田氏」は岸田国士。第二次近衛内閣下の新体制運動推進を目して結成された大政翼賛会の文化部長に任ぜられました。その岸田の推薦で、光太郎は中央協力会議の議員となり、どんどん戦時体制の歯車と化していくことにます。この後、一貫して光太郎は公共建築や工場等の美的環境保持といったことを提言していきます。

自由人の当方はあまりいつもと変わらないのですが、世間的にはゴールデンウィークだそうで、記事の題名を「GWレポート」とさせていただきます。特に深い意図はないのですが、これまでこの手のレポートの際には「都内レポート」「東北レポート」などと行った先の地名を使用することが多かったところ、そうした地方の枠を超えて動き回っておりますので、そうします。

まずは一昨日の日曜日、生活圏の千葉銚子。市街の飯沼山圓福寺(飯沼観音)さんの本堂で開催された「仏と鬼と銚子の風景 土屋金司 版画と明かり展」、それから「銚子浪漫ぷろじぇくとpresents語り「犬吠の太郎」」を拝見して参りました。

土屋氏は、銚子や、当方自宅兼事務所のある香取市に隣接する旭市ご在住の版画家です。

たまたま今月、当方趣味の音楽活動の関係で、旭市の東総文化会館さんに行きましたところ、大ホールの巨大な緞帳のデザインも、土屋氏の版画でした。

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それから、当方自宅兼事務所のある香取市での個展もなさっています。会場は旧市街の与倉屋大土蔵。光太郎詩「雨に打たるるカテドラル」が使われた映画「FOUJITA]などのロケにも使われている、土蔵としてはおそらく日本一の大きさであろうという土蔵です。

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全国を飛び回っている当方ですが、逆に地元の情報に疎い部分があり、土屋氏の作品、ちゃんと拝見するのは今回が初めてでした。

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会場の飯沼観音さん。中央が本堂で、階段の下に入り口があり、そこから入ります。

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いきなり「犬吠の太郎」がお出迎え。

太郎は本名・阿部清助。光太郎詩「犬吠の太郎」のモデルとして有名になりました。大正元年(1912)、銚子の犬吠埼を訪れた光太郎智恵子が逗留していた暁鶏館(現・ぎょうけい館)で下働きをしていた人物です。旧会津藩士の子だというのですが、銚子の長崎地区出身という説と、銚子を訪れた曲馬団にくっついて来て銚子に定住するようになったという説と、二通りあります。ちなみに長崎地区には太郎の墓が現存しています。

お寺さんでの開催ということで、仏画的なモチーフが多かったのですが(ちなみに土屋氏、元は仏師志望だったそうです)、太郎系、それからやはり犬吠を訪れ、「宵待草」を詠んだた竹久夢二系で、犬吠などの風景を取り上げたものも多くありました。

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黒いのは、版木です。こちら、おそらく、ぎょうけい館さんにも飾られていたと記憶しています。

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最近、取り入れられたそうですが、刷った後に紙をくしゃくしゃにしてまた伸ばすという技法が使われているものも。すると不思議な陰影や立体感が生まれ、面白い試みだな、と思いました。

ちなみに版画展に関しては、先週、NHKさんのローカルニュースで取り上げられました。 

復興の願いを作品に込め 版画家が展示会 千葉 銚子

東日本大震災による津波で、大きな被害が出た千葉県旭市に住む版画家が、復興への願いを込めて制作した作品などを集めた展示会が、隣の銚子市で始まりました。

会場の銚子市にある飯沼観音の本堂には、旭市の版画家、土屋金司さん(63)の作品、およそ70点が展示されています。
旭市では、東日本大震災による津波で15人が犠牲になり、中には、復興への願いを込めて十一面観音や地蔵の姿を刷り上げた作品があります。
また、詩人の高村光太郎が銚子を訪れた際に作った詩、「犬吠の太郎」の一場面を表現し、びょうぶのように仕立てた作品も展示されています。
土屋さんは「震災で被災した人たちにも元気と癒やしを感じてもらえれば」と話していました。
展示会は29日まで開かれ、最終日には土屋さんの作品の前で、地元の人による「語り」の上演が行われることになっています。


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旭市の飯岡地区では、東日本大震災の本震から3時間近く経った午後5時26分に津波が押し寄せ、15名の尊い命が犠牲となりました。その追悼、復興祈念も兼ねているとのことです。


版画展会場の一角で、「銚子浪漫ぷろじぇくとpresents語り「犬吠の太郎」」が行われますが、その会場の正面には六曲一隻というか、二曲三隻というか、大きな屏風。こちらも太郎系です。

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力強い作品です。聞けば、最初に太郎をモチーフとされた35年ほど前の作品だそうです。女性は太郎が惚れていた曲馬団のヒロイン・お染さん。

さて、時間となりまして、「銚子浪漫ぷろじぇくとpresents語り「犬吠の太郎」」。

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銚子浪漫ぷろじぇくと」さんというのは、「銚子が保有する近代の文化的な遺産を掘り起こし、多くの人に銚子の魅力を知ってもらいたい」という思いで活動されている、地域おこしの団体さんのようです。

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今回は、そちらに所属されている関根真弓さんという女性による一人芝居的な感じでした。知的障害があった太郎が、曲馬団の花形・お染に優しくされ、淡い恋心を抱きます。しかしお染は興行師と駆け落ちし、太郎は淋しく残されるというストーリーです。光太郎が詩「犬吠の太郎」を書いたことで、銚子では有名な話として語り継がれています。一人芝居でしたが、バックの効果音、バナナのたたき売りやサーカスの呼び込み、南京玉すだれなどの声は、銚子浪漫ぷろじぇくとのみなさん総出だそうです。

終演後の関根さんと、土屋氏。

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公演の前後にそれぞれとお話をさせていただき、今後も光太郎を取り上げて下さいとお願いしておきましたが、実現してほしいものです。


【折々のことば・光太郎】

自分等の生活の時々刻々こそ貴い意味の流れである。自分等を通じてあらはれる至上のものの意志である。姿である。それが積もりつもつて個人としての一生、社会としての世紀がずつしり重く築かれるのである。

散文「日常の瑣事にいのちあれ」より 大正11年(1922) 光太郎40歳

津波被害により、貴い生活の時々刻々、日常の瑣事を奪われた方々に、謹んで哀悼の意を表します。

テレビ放映情報です。

ぶらぶらぶらぶら美術・博物館▽横浜美術館「NUDE」展~ヌードは挑戦だ!裸体表現の変遷

BS日テレ 2018年5月1日(火) 21時00分~22時00分

誰もが一度は目にしたことがある古今東西の名画・彫刻・文化財を、時空を超えた“ライブなお散歩感覚"で体験します。作品の背景・エピソードを知れば、美術博物は身近で楽しいものに!名解説者・山田五郎、おぎやはぎと一緒にぶらぶらしよう!

英国国立美術館テートからロダンの「接吻」はじめ、マティスやピカソなど巨匠たちが“ヌード"を表現した傑作が来日! かわいい動物と触れ合える「オービィ横浜」も紹介。

出演者 山田五郎 おぎやはぎ(小木博明、矢作兼) 高橋マリ子

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先週放映された、NHKさんの「日曜美術館」でも取り上げられた、光太郎が敬愛していたロダンの「接吻」大理石像を目玉とする、横浜美術館さんで開催中の「ヌード NUDE  ―英国テート・コレクションより」展がメインです。


その「日曜美術館」の再放送もありますので、ご紹介しておきます。

日曜美術館 ヌードがまとうもの~英国 禁断のコレクション~

NHK Eテレ 2018年4月29日(日) 20時00分~20時45分

テーマはヌード!イギリスの国立美術館・テートの所蔵作品が登場。初来日となるロダンのなまめかしい石像から、風景画家ターナーが生涯、隠し続けた作品まで続々、見参。

横浜美術館で開かれている、ヌードをテーマとした展覧会。美の象徴として、愛の表現として、内面を映し出す鏡として、芸術家たちが挑み、形とした作品がずらり。ゲストの作家・島田雅彦らが、存分にヌードを語る。19世紀末に、そのなまめかしさを激しく批判され、描き直したミレイの「ナイト・エラント」、そして若き日の留学中にその実物を見て衝撃を受けた日本画の大家・下村観山が模写した作品も登場する。

司会  小野正嗣 高橋美鈴
ゲスト 島田雅彦(作家・法政大学教授)  長谷川珠緒(横浜美術館学芸員)
出演  小尾修(洋画家) 大植真太郎(ダンサー) 森山未來(俳優・ダンサー)
    平原慎太郎(ダンサー)


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やはり目玉の作品だけあって、最初に大きく取り上げられました。

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昨年公開されたフランス映画「ロダン カミーユと永遠のアトリエ」で描かれた、ロダンとカミーユ・クローデルの禁断の愛も紹介されました。

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併せて御覧下さい。


再放送といえば、こちらも。

にほんごであそぼ

NHK Eテレ 2018年4月27日(金)  6時35分~6時45分/17時00分~17時10分

2歳から小学校低学年くらいの子どもと親にご覧いただきたい番組です。日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることができます。今回は、花鹿亭/「テスト」瀧川鯉八、ここで名文/僕の前に道はない…「道程」高村光太郎野村萬斎/ややこしや「まちがいの狂言」高橋康也、百人一首/かくとだにえやはいぶきのさしも草…(藤原実方朝臣)、名文を言ってみよう!/春はあけぼの、歌/蜘蛛の糸

出演 美輪明宏 野村萬斎 野村裕基 うなりやベベン 瀧川鯉八 ほか

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坂本龍一さん作曲の「道程」が、おおたか静流さんの歌で流れました。


もう1件。 

新・BS日本のうた「五木シェフの歌声レストラン!全員参加で新鮮ソング三昧」

NHK BSプレミアム 2018年4月28日(土) 12時00分~13時30分

お料理ミュージカル!? 歌う!踊る!注目の歌手が赤丸急上昇の新曲を持ち寄ってレストランは大賑わい▽童謡誕生100年・菅原洋一の心の歌▽“待ってました!”のあの名曲

 古今東西名曲特選
「夜明けのブルース」「熊野古道」「かえりの港」 智恵子抄 「柳ヶ瀬ブルース」「夫婦舟」「X+Y=LOVE」「北へ帰ろう」「恋歌酒場」
名曲の輝き
「揺藍のうた」「赤とんぼ」「この道」
スペシャルステージ
「家へおいでよ(カモナマイハウス)」「ミネソタの卵売り」「ジャンバラヤ」「味噌汁の詩」「港町 涙町 別れ町」「契り」ほか。

司会 小松宏司
出演 一条貫太 五木ひろし 小沢あきこ 冠二郎 菅原洋一 瀬口侑希 中澤卓也 野村美菜 はやぶさ 藤原浩 松前ひろ子 水森かおり ミッツマングローブ

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三代目コロムビア・ローズ改め野村美菜さんによる「智恵子抄」。

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智恵子の故郷・旧福島県安達町(現・二本松市)の皆さんのソウルソングです。作詞は二本松にほど近い小野町出身の故。・丘灯至夫氏。ソウルマウンテン安達太良山も歌い込まれています。ソウルフード「ざくざく」は入っていませんが(笑)。


それぞれ、ぜひ御覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

素より人間生活の全部を趣味といふやうな事ばかりで掩ふ事はなかなか出来ません。しかし又趣味のない人間生活、乃至は趣味の低い人間生活ほど惨憺たるものはありますまい。趣味の無い所には醜悪が必ず潜んで居り、憫む可き滑稽が必ず伏在してゐるやうに思はれます。

散文「趣味といふ事」より 明治45年(1912) 光太郎30歳

ここでいう「趣味」とは、「趣味は読書です」などの、「仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしてしている事柄」という意味ではなく、「趣味がいい」、「悪趣味」といった、「どういうものに美しさやおもしろさを感じるかという、その人の感覚のあり方」の意です。

いわば「花より団子」の「花」でしょうか。

兵庫県から企画展情報です。 

春季特別展示 書寫山圓教寺―歴史を語る美術と工芸

期 日 : 2018年4月21日(土)~6月3日(日)
会 場 : 書写の里・美術工芸館 兵庫県姫路市書写1223番地
時 間 : 午前10時~午後5時
料 金 : 一般 300円  大学・高校生 200円  中学・小学生 50円
       20人以上の団体は2割引
休館日 : 月曜日(休日を除く)、休日の翌日(土曜・日曜、休日を除く) 
          4月24日(火)から5月6日(日)までは無休

 書寫山圓教寺(しょしゃざんえんぎょうじ)は平安時代に性空上人(しょうくうしょうにん)によって開かれた天台宗の古刹で、西国巡礼第27番札所として今日も参拝者が絶えることはありません。標高371mの人里から隔絶した山上の境内は、今も聖域としての凛とした空気が流れ、法灯を守り続けてきた伝統が感じられます。
 平成30年は西国三十三所草創1300年と位置づけられており、特に書寫山圓教寺を開いた性空上人は、途絶えていた観音巡礼を花山法皇らとともに再興した一人と伝えられることから、圓教寺にとって記念すべき年といえるでしょう。
 本展では、圓教寺に残る絵画や日常用いる仏具、什物など、圓教寺の歴史やかつての巡礼の賑わいを感じさせる作品を展示紹介します。

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関連行事

実演・解説「書写塗」
 平成30年4月30日(月祝) 5月4日(金祝)   (1)11:00~12:00 (2)13:00~14:00
 講師/岡田道明氏(塗師) 場所/企画展示室前
 備考/自由に見学できますが、入館料が必要です。
    漆にかぶれる体質の方はお気を付けください。

講演会「書写塗と精進料理」
 平成30年5月3日(木祝) 13:30~15:00
 講師/佐藤光明氏(書寫山寿量院) 場所/会議室
 備考/当日先着順40人、講演会は無料ですが、展示をご覧になるには入館料が必要です。

講演会「西国巡礼と書寫山圓教寺」
 平成30年5月20日(日) 13:30~15:00
 講師/大樹玄承氏(書寫山圓教寺執事長) 場所/会議室
 備考/当日先着順40人、講演会は無料ですが、展示をご覧になるには入館料が必要です。



光太郎の父・高村光雲と、さらに東京美術学校で同僚だった漆工家の六角紫水による「修正会(しゅしょうえ)鬼面」が展示されています。

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この面については、平成28年(2016)のこのブログでもご紹介いたしましたが、毎年1月18日の「修正会(しゅしょうえ)」において、現役で使われているようです。


お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

水野君は天成の書家である。不思議なほど書がおのづから出来てゐる。その上正しい習学を常に怠らないので、いかにも趣の深い、衒気の微塵も無い、清純な、しかも豊かな、格のたしかな書を書かれる。

散文「私も欲しい 水野葉舟書幅販布会」より
 昭和16年(1941) 光太郎59歳

作家・水野葉舟は、第一期『明星』以来の光太郎の親友。能書家としても知られていました。「趣の深い、衒気の微塵も無い、清純な、しかも豊かな、格のたしかな書」には、やはり書に並々ならぬ興味を持っていた光太郎の良しとした、書のあるべき姿が表されているようです。

テレビ放映情報を2本、いずれも次の日曜です。

日曜美術館 ヌードがまとうもの~英国 禁断のコレクション~

NHK Eテレ 2018年4月22日(日)  9時00分~9時45分
      再放送 4月29日(日) 20時00分~20時45分

テーマはヌード!イギリスの国立美術館・テートの所蔵作品が登場。初来日となるロダンのなまめかしい石像から、風景画家ターナーが生涯、隠し続けた作品まで続々、見参。

横浜美術館で開かれている、ヌードをテーマとした展覧会。美の象徴として、愛の表現として、内面を映し出す鏡として、芸術家たちが挑み、形とした作品がずらり。ゲストの作家・島田雅彦らが、存分にヌードを語る。19世紀末に、そのなまめかしさを激しく批判され、描き直したミレイの「ナイト・エラント」、そして若き日の留学中にその実物を見て衝撃を受けた日本画の大家・下村観山が模写した作品も登場する。

司会  小野正嗣 高橋美鈴
ゲスト 島田雅彦(作家・法政大学教授)  長谷川珠緒(横浜美術館学芸員)
出演  小尾修(洋画家) 大植真太郎(ダンサー) 森山未來(俳優・ダンサー) 平原慎太郎(ダンサー

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当方も拝見して参りました、光太郎が敬愛していたロダンの「接吻」大理石像を目玉とする、横浜美術館さんで開催中の「ヌード NUDE  ―英国テート・コレクションより」展が取り上げられます。

出演される、ダンサー系のお三方は、同展の関連行事として今月5日に開催された『談ス/NUDE』公演のキャスト。おそらくその模様がVで流れるのでしょう。

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ちなみに4年間、同番組の司会を務められていた、俳優の井浦新さんは、3月でご卒業なさいました。制作のお手伝いをさせていただいた平成25年(2013)10月放映の「智恵子に捧げた彫刻 ~詩人・高村光太郎の実像」の回の収録でお会いしたのが昨日のようです。当時、相棒だった伊東敏恵アナは、現在、甲府放送局で放送部副部長さんにご栄転なさっています。それぞれ新天地でのご活躍を祈念いたしております。


もう1件、同じ日の夜。

新・BS日本のうた「五木シェフの歌声レストラン!全員参加で新鮮ソング三昧」

NHK BSプレミアム 2018年4月22日(日) 19時30分~21時00分

お料理ミュージカル!? 歌う!踊る!注目の歌手が赤丸急上昇の新曲を持ち寄ってレストランは大賑わい▽童謡誕生100年・菅原洋一の心の歌▽“待ってました!”のあの名曲

 古今東西名曲特選
「夜明けのブルース」「熊野古道」「かえりの港」 智恵子抄 「柳ヶ瀬ブルース」「夫婦舟」「X+Y=LOVE」「北へ帰ろう」「恋歌酒場」
名曲の輝き
「揺藍のうた」「赤とんぼ」「この道」
スペシャルステージ
「家へおいでよ(カモナマイハウス)」「ミネソタの卵売り」「ジャンバラヤ」「味噌汁の詩」「港町 涙町 別れ町」「契り」ほか。
司会 小松宏司
出演 一条貫太 五木ひろし 小沢あきこ 冠二郎 菅原洋一 瀬口侑希 中澤卓也 野村美菜 はやぶさ 藤原浩 松前ひろ子 水森かおり ミッツマングローブ

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三代目コロムビア・ローズ改め野村美菜さんの「智恵子抄」がラインナップに入っています。昭和39年(1964)、二代目コロムビア・ローズさんリリースのカバーです。平成27年(2015)には、初代コロムビア・ローズさんも加わり、お三方で歌われました森昌子さんもレパートリーになさっています。

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それぞれ、ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

この原始芸術の姿を以てわれわれの前に並べられている十余点の彫刻は、相当目を驚かす類の怪奇さを示してわれわれに迫つてくるが、よく見ていると、その怪奇さを怪奇と感じさせない芸術のデリカシーがあつてわれわれをたのしく誘いみちびく。妙に心ひかれる。

散文「現代化した原始美 土方久功彫刻個展」より 昭和28年(1953) 光太郎71歳

若い頃には、大英博物館で見たエジプト彫刻に魅せられた光太郎。この頃手がけていた最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」にも、プリミティブな美と、「デリカシー」が込められているような気がします。

土方久功(明33=1900~昭52=1977)は、東京美術学校での後輩にあたり、昭和初期から戦局が烈しくなるまで、日本統治下にあったパラオで勤務していました。帰国後、南方の民俗、風俗を題材とした彫刻を手がけています。

信州安曇野の碌山美術館さんでのイベント及び企画展情報です。

まずは光太郎の盟友・碌山荻原守衛の忌日、碌山忌。

第108回碌山忌

期  日 : 2018年4月22日(日)
会  場 : 碌山美術館 長野県安曇野市穂高5095-1
内  容 :
  8:15~     開館60周年記念企画展オープニング
  10:30/13:00 ミュージアムトーク
  13:30~15:30 碌山忌コンサート
  16:00      墓参
  18:00~     碌山を偲ぶ会


明治43年(1910)、数え32歳の若さで逝った守衛を偲ぶ記念日です。入館料は無料、18:00~の「碌山を偲ぶ会」のみ、食事が饗されますのでその分で参加費1,000円です。例年、記念講演等が行われているのですが、今年は割愛だそうです。


前日から、春の企画展が始まります。

開館60周年記念企画展 荻原守衛の人と芸術 Ⅰ 【春季】  彫刻家 荻原守衛 -石膏原型に彫刻の生命を観る-

期 日 : 2018年4月21日(土)~5月27日(日) 
時 間 : AM9:00~PM5:10
料 金 : 大人 700円 (600円)  高校生 300円 (250円)  小中学生 150円 (100円)
       ( )内20名以上の団体
休館日 : 4/23のみ

日本に近代彫刻の息吹をもたらした荻原守衛(1879-1910年号:碌山)の「生命の芸術」はいまなお私たちの心に響き続けています。本展は、開館60周年を記念して、普段は展示していない石膏原型、デッサン、スケッチブックなど全てを展示して、荻原の芸術の全貌をご覧いただくものです。
明治以降に制作された彫刻のうち重要文化財の指定を受けているものは全国にわずか6点しかありませんが、そのうち2点が荻原の《女》と《北條虎吉像》です。このたびは、約20年ぶりに肖像彫刻の傑作と讃えられる《北條虎吉像》を展示いたします。是非この機会にご覧ください。

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このところ、あえてブロンズ彫刻の石膏原型が展示される企画展が見られるようになってきました。昨年は、光太郎の母校・東京藝術大学大学美術館さんでの特別展 「藝「大」コレクション パンドラの箱が開いた!」で、光太郎卒業制作「獅子吼」の石膏原型とブロンズを並べて比較するという試みがあったりしました。

塑像彫刻は、はじめに粘土で原型を作ったあと、それを石膏に取り、さらにそこから型を作ってブロンズで鋳造、というのが通常の手順ですが、そうした段階を踏むごとに細部がぼやっと甘くなっていきます。したがって、石膏の段階の方が、作者の指遣い等がより生々しく残り、作者の意図も表されています。

今回の目玉は「北條虎吉像」の石膏原型。この原型が重要文化財に指定されています。この像は、明治42年(1909)の文部省美術展覧会に出品され、光太郎が「他の作と根を張つてゐる地面が違ふやうにちがふ。」「此の作には人間が見えるのだ。従つて生(ラ ヸイ)がものめいてゐるのだ。僕が此の作を会場中で最もよいと認める芸術品であるといふのは此の故である。」と絶賛したものです。

また、チラシには「坑夫」の石膏原型002も。これは守衛パリ滞在中の作品で、光太郎がぜひとも石膏に取って、日本に持ち帰るようにと勧めたそうです。


ちなみに夏期企画展は7月21日(土)からで、「美に生きる ――荻原守衛の親友たち――」だそうで、光太郎や、新たに寄贈された斎藤与里の絵画も取り上げられます。また近くなりましたら詳しくご紹介します。


ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

彫刻性といふものを的確に説明する事は甚だ困難であるが、それは洋の東西を問はず、古往今来の相当な彫刻に共通な、あの一種の手に触れてみたくなるやうな、たとへば水に濡れた岩や石のやうな、樹幹のやうな、貝殻のやうな、不可言の面白味ある魅力、又たとへば山嶽や圓い海のやうな、実有の悠遠感を抱かせる大きさと、安定感と流動感とを同時に備へた釣合ある実体の起伏を持つ特殊の性質を指すのである。

散文「文展第三部所感」より 昭和14年(1939) 光太郎57歳

この年の文展評の中から。こういう作品が見られないことを嘆いています。遠く明治末には、守衛の「北條虎吉像」にそれがあったのに、というところでしょう。

一昨日の横浜行レポート、続きです。

神奈川近代文学館さんでの特別展「生誕140年 与謝野晶子展 こよひ逢ふ人みなうつくしき」拝観後、車をみなとみらい地区に向けました。次の目的地は、横浜美術館さん。お目当ては、「ヌード NUDE  ―英国テート・コレクションより」展




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さらにお目当ては、この展覧会の目玉、ロダン作の「接吻」の大理石像。

これのみ、写真撮影が可でした。

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想像していたより大きく、見上げるような高さでした。後で調べたところ、パリのロダン美術館にあるオリジナルは180センチほどだそうで、レプリカであるこちらもほぼ同じでしょう。それがさらに展示台に乗っています。

ブロンズの「接吻」は、平成24年(2012)、上野の国立西洋美術館さんで開催された「手の痕跡 国立西洋美術館所蔵作品を中心としたロダンとブールデルの彫刻と素描」展などで拝見したことがありまして、そちらは高さ90センチほど。

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「接吻」というとその大きさ、とい003うシナプス回路が脳内に出来上がっていましたので、意外でした。

それから、ブロンズにはブロンズの量感の良さがありますが、それとは異なる大理石の質感もまた魅力的だと思いました。

光太郎は、明治43年(1910)の散文「第三回文部省展覧会の最後の一瞥」中で、次のように述べています。

RODIN の胸像の青銅(ブロンズ)の色は色ばかり見てゐても快感を与へられる。そして、その材料の色と彫刻の内容とがぴたりと出合つて居る。 ST.JOHN は青銅で、接吻は大理石であつた。

「ST.JOHN」は聖ヨハネ。おそらく明治13年(1880)作の「説教する洗礼者ヨハネ」でしょう。たしかにこれが大理石だと、かなりの違和感があるように思えます。

ちなみに光太郎も、大理石彫刻を手がけています。

残念ながら、現物の現存は確認できていませんが、大正6年(1917)、実業家・図師民嘉の子息・尚武に依頼された「婦人像」(仮題)がそれです。

大正五、六年頃か、落合にいた実業家の息子が、美人の、西洋人の写真を持って来てね、それをどうしても大理石で作ってくれっていううんだな。その写真がぼやっとした芸術写真でね。僕は面白くって作りかけたけれど、どうしても出来上らない。随分重いものだったけれど、それを欲しくて仕方がなくて、出来上らないうちに自動車で来て持っていってしまった。はじめに金を貰っていたんだけれど、出来上らなかったんだから、といってあとでその家にお金を返しに行った。そしたらちょうど息子さんが居なくてね。お母さんが出て来た。ところがお母さんは知らないんだね、そんなことでお金を使っていたってことを。それは何か映画女優か何かの写真だったらしいんだが、それであとで散々叱られた、とその息子が書いてきたことがあった。
(「高村光太郎聞き書」 昭和30年=1955)

そのドラ息子(笑)に宛てた書簡も残っています。

まず、大正6年(1917)3月31日付。

拝啓 先日は大変懇ろな御手がみ頂戴いたし小生も稍心を安んじ申候 あれ以来石屋に再三の催促をいたし漸く両三日前石が到着いたしました 今度の石は材質殊の外よろしく 一寸パリアンマーブルの面影あるような気がいたします 全く東京では求めがたき品と信じます それで大変嬉しくおもつて居ります 職工は三日から参りまして點模(ホンダン)にかかります 其を督励して出来るだけ早くしかし充分に心を尽して私が仕上げます 今月中には大てい御手許にさし上げられるかと思つて居ります 今日は他の近作と同時にあの原型も一緒に写真にとりました 写真が失敗でなかつたら御覧に入れます (写真の技術が小生は大下手故心配して居ります) 
(略)

さらに同年4月28日付。

(略)
例の大理石はあれから仕事いたして居りますがも少し運びました上自分のアトリエに持ち来りて最後の仕上げをいたす心算で居ります 今月も最早三四日になりましたが完成はいま少々御猶予をねがはねばならぬ事まことに御気の毒に存じます 
(略)
今少し仕事の運びたる上アトリエに持ち来り 貴下に一度見て頂いてから最后の仕上げをいたしたく存じて居りますゆゑ其節は一寸御報告申上げるつもりでございます よろしく御承知置き下さるやうお願ひ申上げます
(略)

光太郎、粘土で原型を作り、その上でそれを大理石に写すという手法で制作していたようです。荒削りには職人さんの手を借りていたようで、そういうこともやっていたんだ、と興味深く感じました。

おそらくその粘土での原型が左下。写真のみ現存しています。

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右は、前年から取り組んでいた歌人の今井邦子の像。こちらも大理石に写すつもりでしたが、やはり実現しませんでした。こちらも現物は現存が確認できていません。どこからか、ひょっこり出てこないものかと思っているのですが……。

閑話休題。

「ヌード NUDE  ―英国テート・コレクションより」を拝観した後、同時開催の同館コレクション展も拝見しました。藤田嗣治、岸田劉生、河野通勢ら、光太郎と交流のあった作家の作品も含まれており、ラッキーでした。

皆様もぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

「来るべきところへ来た。行くべきところへ行かないでは居ないだらう。」 これが正直な、私自身の現状に対して私の有つてゐる心である。

散文「文展第二部に聯関する雑感」より 大正2年(1913) 光太郎31歳

この後、延々と自分が歩いてきた道について、こうであった、そして今後はこうなるだろう、といった言が続きます。どうも翌年に発表した詩「道程」の原形(初出形)102行ロングバージョンのさらに原型のような気がします。

今日は長くなりましたので、もう引用する気力がありません(笑)。いずれまた何かの機会にご紹介します。

毎月ご紹介しています、日本絵手紙協会さん発行の月刊誌『月刊絵手紙』の4月号が届きました。昨年の6月号から「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」という連載が為されています。

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今号は大正9年(1920)に書かれた評論、「彫刻鑑賞の第一歩」から、かなり長文で抜粋されています。

過日のこのブログでご紹介いたしました、横浜美術館さんで開催中の「ヌード NUDE  ―英国テート・コレクションより」展の紹介記事「高村光太郎も尊崇したロダンの彫刻――「ヌード NUDE  ―英国テート・コレクションより」(横浜美術館)――」が、併せて掲載されています。画像は同展の目玉出品物、ロダン作「接吻」の大理石像です。『月刊絵手紙』さんで、この展覧会を取り上げるとは、意外といえば意外でした。

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後ろの方のページにも、同展の案内が。

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これはもう、「同展を観に行きなさい」という、泉下の光太郎からの啓示と捉え(笑)、今日、観に行って参ります。同じ横浜ですので、神奈川近代文学館さんで開催中の特別展「生誕140年 与謝野晶子展 こよひ逢ふ人みなうつくしき」にも、併せて足を運んで参ります。

皆様も、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

何にしろ、もつとしつかりした作品が出来て来なくてはならない。どうも為方がない。画くより外はない。そして画くといふ事について幾度も血の出るまで思ひ返さねばならない。画くといふ事は言ふまでもなく命に外ならないのだから。
散文「光風会の一瞥」より 大正2年(1913) 光太郎31歳

「光風会」は、上野竹之台陳列館で開催された「光風会第二回洋画展覧会」。留学仲間だった有島生馬、山下新太郎、南薫造、柳敬助、津田青楓、師にあたる藤島武二、「パンの会」での盟友・石井柏亭らの作が並び、光太郎は誉めもしていますが、批判もしています。友人知己だからと言って容赦せず、「血の出る」思いを込めて制作した作品でなければ認められないという、光太郎の芸術感がよく表されています。

NHK文化センターさんによるカルチャースクールの情報です。 

佛像彫刻入門

期 日 : 2018年4月7日(土) ・ 4月21日(土) ・ 5月19日(土) ・ 6月2日(土) ・ 6月16日(土)
       ・ 6月30日(土)

会 場 : NHKカルチャー横浜ランドマーク教室
       横浜市西区みなとみらい2-2-1ランドマ-クプラザ5F
時 間 : 13:00~17:00
料 金 : 40,435円
講 師 : 高村晴雲氏

彫刻刀の扱い方から、地紋彫り、線彫りの天人像、立体佛へと進みます。各人の進度にあわせてじっくりと指導していきます。

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講師の高村晴雲氏は、三代目晴雲。光太郎の父、高村光雲の師である高村東雲の末裔にあたられる方です。したがって、江戸から続く高村一派の木彫の正統な系譜を嗣いでいます。ご自宅は鎌倉です。

NHKカルチャーさんの会員限定の講座のようですが、ご紹介しておきます。


【折々のことば・光太郎】

私はやつぱり歩んで行かう。何処へ、何処へ。何処へと問ふのは間違つてゐる。歩む事を歩むのだ。

散文「西洋画所見」より 大正元年(1912) 光太郎30歳

やはり文部省美術展覧会(文展)の評で、『読売新聞』に掲載されました。

『高村光太郎全集』には、11月1日から16日にかけての11回分が掲載されていますが、最終回に当たる第12回(17日掲載)が脱落しており、今回引用したのはその第12回の一節です。

文展等のアカデミズムには与しないという主義主張を再確認する一文です。

昨日開会した企画展です。直接的には光太郎に関わりませんが……。

ヌード NUDE  ―英国テート・コレクションより

期 日 : 2018年3月24日(土)~6月24日(日)
会 場 : 横浜美術館 神奈川県横浜市西区みなとみらい3-4-1
時 間 : 10時~18時 *ただし、2018年5月11日(金)、6月8日(金)は、20時30分まで
料 金 : 一般 1,600円(1,500円)   大学・専門学校生 1,200円(1,100円)
         中高生 600円(500円)   
65歳以上 1,500円   ( )内団体料金
休館日 : 木曜日、5月7日(月)*ただし5月3日(木・祝)は開館

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ヌード――人間にとって最も身近といえるこのテーマに、西洋の芸術家たちは絶えず向き合い、挑み続けてきました。美の象徴として、愛の表現として、また内面を映しだす表象として、ヌードはいつの時代においても永遠のテーマとしてあり続け、ときに批判や論争の対象にもなりました。

本展は、世界屈指の西洋近現代美術コレクションを誇る英国テートの所蔵作品により、19世紀後半のヴィクトリア朝の神話画や歴史画から現代の身体表現まで、西洋美術の200年にわたる裸体表現の歴史を紐ときます。フレデリック・ロード・レイトンが神話を題材として描いた理想化された裸体から、ボナールらの室内の親密なヌード、男女の愛を永遠にとどめたロダンの大理石彫刻《接吻》[日本初公開]やシュルレアリスムの裸体表現、人間の真実に肉迫するフランシス・ベーコン、さらにはバークレー・L・ヘンドリックスやシンディ・シャーマンなど、現代における身体の解釈をとおして、ヌードをめぐる表現がいかに時代とともに変化し、また芸術表現としてどのような意味をもちうるのか、絵画、彫刻、版画、写真など約130点でたどります。
2016年のオーストラリアを皮切りにニュージーランド、韓国へと国際巡回する本展。待望の日本上陸です。

本展のみどころ
1. テーマは「ヌード」。西洋の芸術家たちの挑戦の軌跡を追う。
「ヌード」は西洋の芸術家たちが絶えず向き合ってきた永遠のテーマです。しかし、「ヌード」をテーマにした大規模な展覧会は前例が少なく、挑戦的な試みです。本展は、この難しいテーマに意欲的に取り組み、ヴィクトリア朝から現代までのヌードの歴史を辿ります。

2. 近現代美術の殿堂、英国テートからヌードの傑作が集結。
1897年の開館以来、世界屈指の近現代美術コレクションと先進的な活動で常に美術界をリードしてきたテート。その至高の作品群よりヌードを主題とした作品が集結します。ロダンの大理石彫刻《接吻》をはじめ、ターナーが描いた貴重なヌード作品や、マティス、ピカソ、ホックニーなど19 世紀後半から現代まで、それぞれの時代を代表する芸術家たちの作品が出品されます。

3. ロダンの大理石彫刻《接吻》が日本初公開!
ロダンの代表作であり、男女の愛を永遠にとどめた《接吻》。情熱に満ち、惹かれ合うふたりの純粋な姿が、甘美な輝きに包まれています。「恋愛こそ生命の花です」*、こう語るロダンにとって、愛することは生きることそのものであり、また制作の原点であったといえるでしょう。ブロンズ像で広く知られる《接吻》ですが、高さ180センチ余りのスケールで制作された迫力の大理石像は世界にわずか3体限り。そのうちの一体がついに日本初公開です。 *高村光太郎訳『ロダンの言葉抄』より



光太郎が敬愛したオーギュスト・ロダンの代表作の一つ、「接吻」の大理石像が目玉です。



出品されているのは、英国テート・ギャラリー所蔵の優品からセレクトされたもので、ロダンは「接吻」のみ、あとは、ターナー、ドガ、ルノワール、マチス、ピカソ、ジョルジュ・デ・キリコ、ヒンリ・ムーア、ジャコメッティといったあたりが一般的なところでしょうか。出品目録はこちら

関連行事も色々充実しています。

ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

彫刻は私の狂疾である。私にとつて、世の中で一番魂の誘惑者となるものは彫刻である。私の眼には、彫刻は、諸芸術の中でも、最も神秘的に見え、最も魅力に富んで見え、最も作者の全人格の内秘を語り出すもののやうに見える。
散文「彫刻に関する二三の感想」より 大正元年(1912) 光太郎30歳

おそらく、ロダンにとってもそうだったのではないでしょうか。

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