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昨日は、連翹忌会場である日比谷松本楼様に行って参りました。昨年5月、仙台で「シューマンと智恵子抄」というコンサートを開催されたピアニストの齋藤卓子さんとご一緒させていただきました。

 
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今度の連翹忌では、斎藤さんのピアノに合わせ、「墨画」の一関恵美さんに実際に描いていただくというパフォーマンスをご披露していただきます。そのため、斎藤さんとメールのやりとりをしている中で、会場の下見も可能ですよ、という話になり、昨日、ご案内した次第です。一関さんは所用のため上京できず、斎藤さんと二人で松本楼様を訪れました。
 
本来ならそのお二人に朗読の荒井真澄さんが加わるのですが、荒井さんは御都合が合わず、今度の連翹忌には参加されません。残念ですが、来年以降に期待しましょう。
 
しかし、お二人でも素晴らしいパフォーマンスが拝見できることと期待しております。お二人は昨年、パリに行かれ、あちらで同様のパフォーマンスをなさったそうです。すごいですね。
 
会場の2階大広間を見せていただいた後、少し時間がありましたので、1階のレストランでお茶しました。松本楼様と言えば、光太郎・智恵子も食べた氷菓(アイスクリーム)。昨日の東京は初夏のような陽気でしたので、ちょうど良い具合でした。
 
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こちらのアイスクリームは昨年11/30、BSジャパンの「小林麻耶の本に会いたい<本に会える散歩道 日比谷>」で紹介された逸品です。
 
美人と差し向かいでお茶。これも役得ですが、こうしたシチュエーションに慣れないせいか、緊張しました(笑)。斎藤さんは岩手の宮古にご在住です。もうすぐ3.11ということもあり、自然と震災の話になりました。それからもちろん光太郎を巡る話(斎藤さんのお誕生日は奇しくも智恵子の命日、レモン忌の10月5日だそうです。奇遇ですね)。
 
長らく音楽に携わってこられた中で、光太郎の詩は、詩そのもののリズム感(白秋などの定形詩的なものの)とかそういったことではなく、バックに流れる音楽を感じる、というお話でした。そして冬を愛した光太郎の精神、東北人としての震災に対する思い、そういったもろもろの熱い思いをこめて、当日は一関さんとのコラボに臨まれるそうです。ご期待下さい!
 
近々書きますが、今度の連翹忌では他にも凄いサプライズがあります。まだまだ連翹忌ご参加希望の方のお申し込みを受付中です。こちらをご参考にお申し込み下さい。


【今日は何の日・光太郎】3月9日

明治45年(1912)の今日、数寄屋橋有楽座で開催された「東京仮装会」の発起人に、永井荷風、市川左団次らと共に名を連ねました。
 
この時の案内状を発見しました。いずれ活字に致します。

いろいろなところから、いろいろな案内、刊行物等届いております。順次御紹介します。

二本松市 智恵子のまち夢くらぶ主催 智恵子講座 '13

智恵子の故郷、福島・二本松で地道に活動を続けられている智恵子のまち夢くらぶさん主催の講座です。
 
この講座も長く続いています。今年は光太郎とその周辺人物をテーマに行うとのことです。
 
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当方にも講師の依頼があり、お受けすることにしました。
 
申し込み等の詳細は、上の画像をご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎】3月5日

昭和41年(1966)の今日、中央公論美術出版から、光太郎の太田村時代の素描集『山のスケッチ』が刊行されました。

昨日のブログにて、今年4月2日(火)の第57回連翹忌のご案内を掲載しました。
 
そもそも「連翹忌」とは何ぞや? 歴史をひもといてみます。
 
高村光太郎は、昭和31年(1956)4月2日、東京中野の中西利雄のアトリエで亡くなりました。青森県から委嘱された十和田湖畔の裸婦像制作のため、花巻郊外太田村山口の山小屋から上京したのが昭和27年(1952)秋。裸婦像完成後はまた山に帰るつもりでしたが、健康状態がそれを許さず、ごく短期間、山に帰った以外、(そうした際に少し前のブログに書きましたSL・C-61 20号機を利用した可能性があります)結局は中野のアトリエが終の棲家となりました。
 
葬儀は4月4日、青山斎場に於いて行われました。白屏風の前に置かれた棺の上に、光太郎の甥で写真家・高村規氏撮影の肖像写真と、コップに挿した連翹の花が並べられた簡素な祭壇は、十和田湖畔の裸婦像台座を設計した建築家、谷口吉郎の意匠でした。梅原龍三郎、石井鶴三、尾崎喜八、武者小路実篤、そして草野心平が弔辞を読み、同日、落合火葬場にて荼毘に付されました。
 
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弔辞を読む草野心平
 
なぜ、連翹の花なのか。生前の光太郎が中西家アトリエの窓の下に咲く連翹を見て、中西夫人に「あの黄色い花は何て言う花なんですか」と問い、夫人が「あれは連翹という花ですよ」と教えたところ、「かわいらしい花ですね」と言ったとのこと。
 
まさに3月末から4月はじめに咲き始める花です。我が家の庭の連翹(かつての連翹忌で光太郎の親友だった水野葉舟のご子息、元建設大臣の水野清氏が御持参されたものを持ち帰り、庭に挿しておいたら根付きました)は、昨年、3月下旬になっても咲かず、やきもきしていましたが3月31日に咲きました。2日には剪って、まず駒込染井霊園の高村家の墓に供え、残りを連翹忌会場・日比谷松本楼に飾らせていただきました。
 
さて、翌昭和32年(1957)4月2日、一周忌の法要を中野のアトリエで執り行うこととなりました。草野心平の書いた案内状が現存しています。
 
  連翹忌 御案内          
 
今年もまた連翹の咲く季節が巡つてきました。四月二日は故高村光太郎の一周忌ですが、この日を連翹忌となづけ、今後ひきつづいて高村さんの思ひ出を語りあひたいと存じます。その第一回の会合に是非御出席願ひあげます。
 場所 中野区桃園町四八 中西家アトリエ(電話 38 七四〇二)
 時  一九五七年四月二日午後五時半
 会費 三百円(当日御持参乞ふ)
  (高村豊周家から色々御寄付があります)
右 発起人一同
 
この時から「連翹忌」の名称が使われ始め、これが第一回「連翹忌」ということになりました。記録によれば参加者47名。今にして見れば錚々たるメンバーです。席上、詩人の佐藤春夫が黒い手帳を取り出し、次の短歌を披露しました。
 
れんげうにかなしみのいろあらたなり きみゆきてよりひととせをへぬ
 
以後、一ツ橋如水会館、銀座資生堂パーラーなどに会場が変遷しつつ連綿と続き、平成11年(1999)から日比谷松本楼に会場が落ち着き、今日に至っています。日比谷松本楼は、明治末に光太郎と智恵子が訪れ、名物の氷菓(アイスクリーム)を食べた店です。
 
一昨年は東日本大震災直後ということもあり、東北方面からの参加が不可能、計画停電等の心配もあり、集まりは中止となりました。しかし、募った参加費のうち一部を東北への義援金として回し、それをもって第55回連翹忌としました。また、特に声かけはありませんでしたが、足が確保できる人は三々五々、駒込染井霊園に墓参に行きました。当方も連翹の花を供えに行きました。
 
昨年は2年ぶりの集まりとなり、57名が参加。2年ぶりということで、久闊を序する姿が会場のあちこちで見受けられました。
 
光太郎へ、そして女川光太郎の会事務局長であった故・貝廣氏をはじめとする東日本大震災で亡くなられた方々へ黙禱を捧げ、義援金の報告等が行われました。その後、高村光太郎記念会事務局長・北川太一氏の御挨拶、同理事長の高村規氏の発声による乾杯と続きました。
 
その後、しばしの歓談の後、一昨年、昨年と、光太郎を主人公とした舞台「月にぬれた手」の公演をなさった渡辺えり様率いる劇団「おふぃす三○○」の皆様による光太郎詩「旅にやんで」「葱」「月にぬれた手」の朗読の後、恒例のスピーチをお願い致しました。
 
まずは震災の関係もあり、東北の皆様にそれぞれの地の現状等を語っていただきました。
 
さらに一昨年に開催された光太郎関連行事のご報告ということで、鎌倉笛ギャラリーの山端通和様には「回想 高村光太郎 尾崎喜八 詩と友情」展について、群馬県立土屋文明記念文学館の佐藤浩美様には、企画展「『智恵子抄』という詩集」についてご報告いただき、光太郎・智恵子に関する著書を新たに刊行された(刊行される)方々にも一言いただきました。
 
また、生前の光太郎を知る、鋳金家で人間国宝の斎藤明様には、光太郎に関する貴重な思い出をご披露いただきました。
 
今後も、光太郎・智恵子を敬愛する皆様のネットワークの総本山として、連翹忌を続けて参ります。新たな方々の御参加もお待ちしております。皆様方のお力で、光太郎・智恵子を敬愛する人々のネットワークをさらに拡げていただきたいものです。ご参加お申し込み、お待ちしております。
 
【今日は何の日・光太郎】2月13日

昭和54年(1979)の今日、十和田湖畔の裸婦像台座や光太郎葬儀の祭壇を設計した建築家・谷口吉郎の葬儀が、光太郎と同じ青山斎場で行われました。

今年も光太郎忌日、連翹忌が近づいて参りました。以下の要領で、第57回連翹忌を開催いたします。
 
当会名簿にお名前のある方には郵送いたしましたので、近日中に届くかと思われます。
 
また、広く参加者を募ります。参加資格はただ一つ「光太郎・智恵子を敬愛している」ということのみです。
 
下記の要領で、お申し込み下さい。
 



第57回連翹忌の御案内
 

                                       
日 時  平成25年4月2日(火) 午後5時30分~午後8時
 
会 場  松本楼  〒100-0012 東京都千代田区日比谷公園1-2 tel 03-3503-1451(代)
 
会 費  10,000円

御参加申し込みについて
 ご出席の方は、会費を下記の方法にて3月22日(金)までにご送金下さい。
 会費ご送金を以て出席確認とさせて頂きます。
 
 郵便振替 郵便局備え付けの「払込取扱票」にてお願い致します。
              口座 00100-8-782139  加入者名 小山弘明
 
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 申し訳ございませんが、振込手数料はご負担下さい。
 
 当日、お時間に余裕のある方には参加者に配付する資料の袋詰めをして頂きたく存じます。早めにお越し頂き、 ご協力の程、よろしくお願い致します。
 

ごあいさつ

 新しい年度の連翹忌も、もう間近になりました。この一年を顧みても随分沢山の出来事が、世界のあちこちで起こりました。世情の混迷のみならず、自然現象の異常も数え切れないほどです。いつもお目にかかる皆さんの身辺にお変わりのないことを、心からお祈りしております。

 しかしそんな時でも、今年で生誕百三十年を数える高村さんへの関心はますます強く深く、昂まっております。この集まりを推進する委員の人々の新資料発掘や研究会の研究誌続刊の努力は勿論、次々に公刊される印刷物や音楽などの公演、展覧会の開催等々はこれからも続くでしょう。花巻の高村記念会は新しい再生を迎えようとし、青森の彫刻家田村進氏によって力ある光太郎像も誕生するはずです。

 これは私ごとですが、あの東日本大震災の三月を含めて未だに運動不自由ななか、初めて女川に運んで下さった仲間の皆さんに感謝します。その私も数え年で八十九歳です。四月二日には是非お目にかかって、たくさんのお話をお聞きするのが楽しみです。

平成二十五年二月吉日
                               北川太一

【今日は何の日・光太郎】2月12日

明治44年(1911)の今日、浅草「よか楼」で開かれた「パンの会」に出席しました。
 
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