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若い力による活動を、2件ご紹介します。

まず1件目。地上波テレビ朝日さんで今日未明放映された「テレメンタリー2015「“3.11”を忘れない57 女川いのちを守る会~1000年後へのメッセージ~」から。

舞台は平成23年(2011)の東日本大震災による津波で大きな被害を受けた宮城県女川町。震災の年に当時の女川第一中学校(現在は統合された女川中学校)に入学した子供たち(昨春、卒業)が、中学校時代に授業で取り組んだ津波対策、それが「いのちの石碑」プロジェクトです。

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かつて同じ女川町に建てられた高村光太郎文学碑の精神を受け継いで、設置費用1,000万円は募金でまかなうことに。彼らは修学旅行先などでも募金活動を行いました。

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その結果、わずかな期間で目標額を達成(当会でも協力しています)、平成25年(2013)、彼らが3年生の秋には一基目の碑が除幕。

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今回の番組後半では、卒業後の彼らを追っています。

気仙沼の唐桑中学校では、高校生になった彼らがゲストティーチャーとして中学生に講話。

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さらに今年3月には、仙台で行われた国連防災世界会議パブリック・フォーラム中の、宮城県子ども支援会議主催のシンポジウムでの発表。

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碑はこれまでに6基が設置され、彼らが20歳になるまでに全21基の完成を目指しています。さらに現在は今年中の完成を目指し、震災体験や津波対策をまとめた「いのちの教科書」を編集中とのこと。

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頭が下がります。

大震災で、家族や友人、自宅、彼らが失ったものはたくさんありますが、逆に彼らが得たものも多いのではないでしょうか。

かつて女川に光太郎文学碑を建てるために奔走し、あの日、津波に呑まれて亡くなった、女川光太郎の会の貝(佐々木)廣氏も、空の上から喜んでいるような気がします。


もう1件ご紹介します。

昨日午前中、このブログを書いている時に、電話がかかってきました。荒川区立第一日暮里小学校の、羽中田彩記子(はながたさきこ)校長先生からでした。

少し前に、今月2日の第59回連翹忌で参加者に配付した資料の残部、それから、当方も一部執筆した『乙女の像のものがたり』(年少者向けに書いたページもあります)を寄贈しましたので、そのお礼でした。

その中で、先週、同校であった大きなイベントの話をお聞きしました。以下、『東京新聞』さんから。  

ケネディ大使、英詩の読み聞かせ 荒川区の第一日暮里小

『東京新聞』 2015.4.15
 キャロライン・ケネディ駐日米大使が14日、英語教育に力を入れている荒川区立第一日暮里小学校(西日暮里3、羽中田彩記子(はながたさきこ)校長)を訪れ、英語の詩の読み聞かせを行った。
 2年生の児童23人が教室で「ハローソング」などの英語の歌を披露すると、「ファンタスティック!」と大使。「私の日本語よりうまい。今度は私に日本語を教えて」と英語で話し掛けた。
 読み聞かせは、幼いころから詩に親しんだ大使の希望で実現。大使就任前にニューヨーク市教育局の仕事をしていた時、貧しい地区の高校が詩など芸術をカリキュラムの中心にし、出席率などが上がったという(「キャロライン・ケネディが選ぶ『心に咲く名詩115』」、早川書房刊)。
 この日、大使が選んだのは「ザ・リトル・タートル」「キープ・ア・ポエム・イン・ユア・ポケット」の2編と、絵本の「グッドナイト・ムーン」。授業を終えた皆川輝太朗(こうたろう)くん(7つ)は「めったに会えない人。うれしかった」。大沢衣栞(いおり)ちゃん(7つ)も「ケネディさんのように英語を話せたらいいな」と話した。
 荒川区は2004年度から全小学校の全学年で週1回、英語の授業を行っている。第一日暮里小は本に親しむ教育に力を注いでおり、週3回の朝には「ことばの時間」を設け、詩を読んだり、書き写したりする指導も行っている。卒業生には詩人で彫刻家の高村光太郎がいる。 

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同じ件は各紙で報道されましたが、『東京新聞』さんのみ、光太郎の名を出して下さいました。

今回の訪問先として、いくつかの学校さんが候補に挙がったそうなのですが、記事にも有るとおり、大使が幼いころから詩に親しんでいたということで、最後に決め手になったのが、光太郎だそうです。

同校は単に光太郎の母校というだけでなく、毎年、6年生を中心に光太郎顕彰、というか光太郎について学ぶ活動を継続されています。昨秋の研究発表会にもそれが盛り込まれていました。

それから、記事には書かれていませんが、5年生と6年生が、ケネディ大使に光太郎詩「道程」と「山のともだち」の群読を聴いていただいたとのこと。

これもすばらしいですね。


「求道者」としての生涯を全うした光太郎。時にけつまづき、時に良かれと思って進みながら道を外れ、その生涯は決して賞賛のみが与えられるべきものではありませんでした。しかし、外れた時には素直にそれを認め、また新たな道を追求し続けたその姿勢は、非難されるべきではありません。

若い世代には、こうした光太郎の生きざまを通じていろいろなことを学び、その若い力で、この社会をよりよくしていってほしいものです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 4月21日

平成7年(1995)の今日、日本クラウンから吾妻栄二郎のシングルCD「折鶴の舞/智恵子のふるさと音頭」がリリースされました。

2曲とも、智恵子をモチーフにしています。

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少年写真新聞社刊『図書館教育ニュース』という刊行物があります。学校図書館向けのもので、本編はB2判のポスターサイズでカラー印刷、付録にB4判二つ折りの冊子がついています。月3回の刊行で、公称7,000部。学校の図書室などに掲示するものです。
 
今日発行の第1300号は、「詩と美の世界に生きた高村光太郎 理想的な生き方や妻への愛情を詩に込めた旧道的な生涯」という題で、光太郎がメインに扱われています。
 
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 道を写したイメージ写真のバックには詩「道程」が印刷されています。
 
本編の編集は版元の少年写真新聞社さんですが、監修は花巻の高村記念会です。
 
また、付録の冊子には「「彫刻」と「詩」、高村光太郎芸術の二本柱」という題で、拙稿が掲載されています。1月末ぐらいでしたか、花巻の高村記念会さんを介して執筆依頼があり、書かせていただきました。
 
学校図書館向けということで、一般には流通しない刊行物ですが、学校の先生方、勤務校で購読されている場合にはご高覧下さい。
 
付録に掲載の拙稿は、PDFファイルの形でご提供できます。ご入用の方はお申し付け下さい。本編は版元の少年写真新聞社さんに連絡すれば、もしかすると入手できるかも知れません。
 
【今日は何の日・光太郎】3月8日

昭和38年(1963)の今日、第6回高村光太郎賞の受賞者が発表されました。詩部門は高橋元吉、金井直、田村隆一の3名、造型部門は堀内正和、西大由の2名でした。

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