キーワード:岩下志麻 智恵子抄を含む記事

日本最大の古書市、「七夕古書大入札会」。都内の古書籍商の皆さんで作る明治古典会さんが主催で、我々一般人は加盟店さんに依頼、入札するシステムとなっています。一昨年はコロナ禍のため、中止。昨年は規模を大幅に縮小しての開催でした。

出品された品の基本的に全品を手にとって見ることが出来る一般下見展観が行われます。ただ、どうも昨年同様、かつての規模ではないような感じです。

七夕古書大入札会2022 一般下見展観

期 日 : 2022年7月8日(金)・7月9日(土)
会 場 : 東京古書会館 東京都千代田区神田小川町3-22
時 間 : 7/8 10:00~18:00  7/9 10:00~16:00
料 金 : 無料
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一昨日でしたか、ネット上に出品目録が出、拝見。驚きました。今年は光太郎の肉筆等が出品されていません。当方、昭和の終わり頃からの、冊子になった目録をほぼすべて入手していますが、毎年、光太郎の書幅やら書簡やら署名本やら、何かかんかは必ず光太郎の肉筆物が出品されていました。時には『高村光太郎全集』未掲載の書簡等が出ている年も。逆に、以前から古書店さんが在庫として持っていたものだけで、目新しい物はなかったという年もあれば、とんでもないニセモノが掲載されていた年もありましたが、それにしても光太郎の名がないという年はありませんでした。当方が冊子目録を入手していない年もありますので、その中で掲載がなかった年もあったかもしれませんが。

規模が大幅に縮小された昨年ですら、複数の出品があったのですが、まぁ、光太郎の名が忘れられてしまって……というわけではなく、たまたまだと信じたいところです。

その中でも、一応、光太郎に関わるものをご紹介します。

まず、光太郎が題字を揮毫した中原中也の詩集『山羊の歌』。やはり光太郎と交流のあった堀口大学宛ての献呈署名が入っています。ビッグネームからビッグネーム宛てということで、そこそこの価格になっていますね。
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それから、昨年亡くなった篠田桃紅さんの書。
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過日、BS松竹東急さんでテレビ放映して下さった、昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」(岩下志麻さん丹波哲郎さん主演)の題字です。
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上記画像は公式パンフから。
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こちらは映画の冒頭。ところが、よく見ると一致しません。篠田さん、横書きのバージョンと、縦書きのそれと、二種類書かれたようです。今回の出品物はパンフレットなどに使われた横書きのもの、映画冒頭のものは、他にポスターなどにも使われたもので、縦書き、というわけです。
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今回の出品物には光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)の一節を書かれたものも。こちらの筆跡は初めて拝見しました。

篠田さんの回顧展的な展覧会、すでに複数回開催され(現在も虎ノ門の菊池寛実記念 智美術館さんで開催されています)が、この「智恵子抄」題字は出品されないなぁ、と思っていたら、まさか売りに出されるとは、という感じでした。

ところで、七夕古書大入札会。存命の人物に関わるものはほとんど出品されません。かつて吉本隆明氏が亡くなった後、草稿やらが結構出るようになり、改めて「ああ、吉本氏も亡くなったんだなぁ」と思いましたが、今回もそんな感じでした。いずれ瀬戸内寂聴さん、高良留美子さん、半藤一利さん、西村賢太さんあたりのものが出て来るようになるのでは、と思っております。

当方、9日(土)に観て参ります。目録に載っていない追加出品で光太郎関連が出ることも有り得ますし、他の文豪のものすごいものの出品はありまして、それが手にとって見られる機会です。皆様もぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

春子さんより速達にて稔氏胃潰瘍の由、夜十時電報、今日午后八時半死去の由、

昭和28年(1953)4月27日の日記より 光太郎71歳

春子さん」は、看護師の資格を持つ智恵子の姪で、南品川ゼームス坂病院で智恵子の最期を看取った宮崎(旧姓・長沼)春子です。「稔氏」は詩人の宮崎稔。光太郎が取り持って春子と結婚しました。その後、光太郎生前最後の詩集『典型』の編集などに当たっています。深酒がたたっての胃潰瘍、そして死でした。

テレビ放映情報、2件ご紹介します。

まず、智恵子の故郷・福島二本松。

徳永ゆうきの一期一会はなうた旅 #12

BSJapanext 2022年6月13日(月) 19:00~21:00

実力派演歌歌手の徳永ゆうきが北海道・東北地方の7道県をおさんぽ! その土地にゆかりのある方と一緒に北国の絶景やグルメ・工芸品等を巡ります。旅先を訪れる際にはその場所にまつわる”はなうた”を歌いながら、別れ際にはお世話になった方々へ歌をお届けします♪ みるだけでなく、聞いても楽しい旅番組です!

今回は二本松市を徳永ゆうきがを旅します。絶景!二本松城から眺める安達太良山。名菓「玉羊羹」の製造工程を見学。世界が認める日本酒に大興奮!

出演者 徳永ゆうき 箭内夢菜
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4月に昭和42年公開の松竹映画「智恵子抄」(岩下志麻さん、丹波哲郎さん主演)を放映して下さったBS松竹東急さん同様、この春に開局し、全番組無料放映のBSJapanextさんの番組です。

智恵子の名は番組紹介にありませんで、羊羹の玉嶋屋さん、酒蔵の奥の松酒造さんなどを訪れるようですが、2時間の番組ですので、どこかしらに智恵子がからむような気はしています。

ご出演は演歌歌手にして鉄道マニアとしても知られる徳永ゆうきさん、そして郡山ご出身の箭内夢菜さん。6月6日(月)放映の#11が、やはりこのお二人で猪苗代町編でした。同時期のロケだったのでしょう。
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ぜひご覧下さい。

もう1件、再放送です。

再 ふるカフェ系 ハルさんの休日▽岩手・花巻〜宮沢賢治が愛した花壇をめでるカフェ

NHK Eテレ 6月12日(日) 18:30~18:55  6月14日(火)13:30~14:00

岩手県花巻市の宮沢賢治ゆかりのカフェへ。それは庭にある花壇!賢治が晩年に設計した花壇には色とりどりの美しい花。賢治がよく訪れたという木々の建築をリノベーション。

宮沢賢治の世界を感じながら、素朴な味わいの郷土料理も堪能できる、くつろぎのカフェ。ここでしか見られない貴重なものが、賢治の花壇。不思議な文様のレンガの花壇は、賢治が晩年に設計したもので、○○仕込み。花を愛で、賢治を想う和風建築のカフェは、室内もすごい。賢治の妹ゆかりのオルガンや、さまざまな木々で作られた床の間の設えや意匠も見どころがいっぱい。そして若い人の感覚を取り入れたリノベーションも必見です!

【出演】渡部豪太 花巻市のみなさん

6月9日(木)の初回放映を拝見いたしました。
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宮沢賢治ゆかりのカフェということで、まずは賢治が命名したイギリス海岸からスタート。
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マルカンさんも登場。
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そして、今回の舞台、茶寮かだんさん。おそらく戦中戦後に光太郎も目にした建物です。
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まずは店主の一ノ倉さんのレクチャー。
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カフェですので、料理も堪能。
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その後、屋外に出、賢治設計の花壇を見ていると……
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なるほど。

再びカフェ内部に。
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当方、平成30年(2018)に訪れた際は、この部屋で珈琲を頂きました。

するとそこへ……
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マルカンさんのリノベも手がけられている小友氏。こちらのオープンの際にもアドバイザー的なことをなさったそうで。

最後は店主・一ノ倉さんの感懐。空き家となっていた豪邸、荒れていた花壇を改修し、カフェとして再生、さらにご自分で農業もされているというご苦労を……
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頭が下がりました。

渡部さん演じるハルさんも……
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本放送をご覧になっていない方、こちらもどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

羽田によかず、リーチ今日来たりしと見え、夜の録音ニュースにて声をきく、

昭和28年81953)2月17日の日記より 光太郎71歳

「リーチ」は陶芸家のバーナード・リーチ。明治末、ロンドン留学中の光太郎と親しくなり、それが直接のきっかけで来日、白樺派の面々とも交流を持ちました。戦前は日本、イギリス、そして中国などを行ったり来たりしていましたが、昭和10年(1935)に帰国後はしばらく母国にとどまり、この時が18年ぶりの来日。翌年まで日本に滞在しました。

光太郎、この後、リーチの宿泊先を訪ねていきますし、中央公論社主催の座談会で、リーチ、柳宗悦、濱田庄司らと旧交を温めます。

都内から映画の上映情報です。

丹波哲郎 生誕100年祭

期 日 : 2022年5月23日(月)~6月1日(水)
会 場 : 新文芸坐 東京都豊島区東池袋1丁目43−5 マルハン池袋ビル
料 金 : 〈2本立て〉一般 ¥1,700 22歳以下・シニア・障がい者 ¥1,300 友の会 ¥1,150
      〈1本のみ〉一般 ¥1,500 22歳以下・シニア・障がい者 ¥1,100 友の会 ¥950
       各回入替制 全席指定席

名優にして怪優、丹波哲郎の生誕100年を記念した特集。007映画にも出演した国際スターだが、どこか怪しげな役もぴったりはまる丹波さんらしい作品10本が選ばれている。上映されるのは、新東宝時代の『殺人容疑者』『女奴隷船』、深作欣二監督との『白昼の無頼漢』『ジャコ萬と鉄』『軍旗はためく下に』、ややエログロの『ポルノ時代劇 忘八武士道』『地獄』といった珍品、文芸作品『智恵子抄』、『丹下左膳』『暗殺』の本格時代劇。

上映スケジュール
 5月23日(月)
  殺人容疑者(1952/80分/BD) 12:00 15:30
  女奴隷船(1960/83分/BD)  10:15 13:45 17:15
 5月24日(火)
  白昼の無頼漢(1961/82分/35mm) 12:00 15:45
  ジャコ萬と鉄(1964/99分/35mm) 10:00 13:45 17:30
 5月25日(水)
  ポルノ時代劇 忘八武士道(1973/81分/35mm) 12:30 16:15
  地獄(1999/101分/35mm) 10:30 14:15 18:00
 5月26日(木)
  智恵子抄(1967/125分/35mm) 11:30 16:00
  軍旗はためく下(もと)に(1972/96分/35mm) 09:30 14:00 18:30
 5月27日(金)
  丹下左膳(1963/95分/35mm) 10:30 14:35
  暗殺(1964/104分/35mm) 12:30 16:35
 5月28日(土)
  地獄 11:45 15:35
  ポルノ時代劇 忘八武士道 10:00 13:50 17:40
 5月29日(日)
  ジャコ萬と鉄 18:45
  白昼の無頼漢 17:00 20:45
 5月30日(月)
  軍旗はためく下(もと)に 09:30 14:00 18:30
  智恵子抄 11:30 16:00 20:30
 5月31日(火)
  女奴隷船 12:00 15:30 19:00
  殺人容疑者 10:15 13:45 17:15 20:45
 6月1日(水)
  暗殺 10:30 14:35 18:40
  丹下左膳 12:35 16:40 20:45
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先日、BS松竹東急さんでテレビ放映された、昭和42年(1967)中村登監督作品の松竹映画「智恵子抄」がラインナップに入っています。大画面で観るのはまた違った感じでしょう。
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それにしても、光太郎を演じられた故・丹波さん、ご存命なら生誕100年だったというのがちょっとした驚きでした。100年前というと1922年、大正11年ということになります。翌年には関東大震災があった年です。

智恵子役の岩下志麻さんは昭和16年(1941)――奇しくも『智恵子抄』刊行の年ですね――のお生まれですので、約20歳の差があったお二人が夫婦役だったわけですが、それを感じさせませんでした。

お近くの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

午后一時過一緒に出かけて新宿地球座に「天井サジキの人々」を見る、萬寿荘にて余は夕食、

昭和27年(1952)12月19日の日記より 光太郎70歳

光太郎が意外と映画好きで、戦前から映画鑑賞をたびたびしていましたし、戦後の花巻郊外太田村蟄居中も、時折花巻町中心街に出て、賢治実弟の宮沢清六らと映画館に足を運んでいました。そして帰京後も。

一緒に」は、この頃、光太郎の身の回りの世話を何くれとなくみてくれていた、詩人の藤島宇内と、です。

映画「天井桟敷の人々」は、昭和20年(1945)製作のフランス映画。19世紀初頭のパリを舞台としています。光太郎のパリ留学は20世紀初頭で、約100年の隔たりがありましたが、それでも懐かしく思う部分も多かったでしょう。

新宿地球座」は、現・新宿ジョイシネマ、「萬寿荘」は「萬寿園」の誤りです。

昨日のこのブログでは、BS松竹東急さんで放映された昭和42年(1967)公開の映画「智恵子抄」(岩下志麻さん、丹波哲郎さん主演)について書きました。そこで、ついでというと何ですが、過去の「智恵子抄」映像化作品がらみで、別件をご紹介します。

NHKさんが、来年、テレビ放送開始70周年を迎えるということで、過去の放映番組のクロニクルを散りばめたりする特設サイトを設けられました。
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NHKさんでは「智恵子抄」映像化を2回なさってくださいまして、その中で双方が紹介されています。

まず、昭和48年(1973)放映の「銀河テレビ小説 生きて愛して」。全30回で、光太郎役が片岡仁左衛門さん(当時は「片岡孝夫」)、智恵子役に大空真弓さんでした。このドラマについては、当方も拝見したことがありませんでしたし、手持ちの資料が少なく、詳細も不分明でした。当時のPR誌『グラフNHK』に、以下の記事が載っていたのは見つけていましたが。
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これによると、当時まだ新人だった水沢アキさんが、智恵子の妹・セキの役でした。

ところが、先月はじめ、NHKさんのサイトで5分間のダイジェスト動画がアップされました。全30回のうちの第何回なのかは記述がありませんが、おそらく最初の頃、あるいは逆に最後の頃のような気がします。

戦後、光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村という設定で、そこに当会の祖・草野心平が訪ねてきます。心平役は前田吟さんでしたが、当方、この動画でそれを初めて知りました。
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山小屋で酒を酌み交わす二人。やがて、光太郎が「戦犯」として糾弾されている、という話題になり……。

その後、光太郎の山小屋にほど近い、山口分教場でのシーン。光太郎は児童や先生たちと、ストーブを囲んでよもやま話。
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公開されているのはこの2つのシーンだけでしたが、それでも初めて拝見し、「おお」という感じでした。
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ちなみに光太郎役の片岡仁左衛門さんのお嬢さんである片岡京子さんは、平成12年(2000)に、津村節子さん原作の舞台「智恵子飛ぶ」で、智恵子役を演じられました。元々、某大物女優が智恵子役だったのですが、その女優が身内の薬物事件逮捕で降板、セキ役だった京子さんが急遽智恵子役に抜擢、というドタバタがありましたが、それでも親子で時を経て光太郎智恵子役という稀有な例でした。

続いて、「人物録」ページの中の佐久間良子さんの項で、佐久間さん主演の平成3年(1991)に放映された単発スペシャルドラマ「智恵子と光太郎 極北の愛」が紹介されています。
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こちらは当方もリアルタイムで拝見、VHSテープに録画いたしました。光太郎役は小林薫さんでした。他の主な役どころは、光太郎の父・光雲が故・佐藤慶さん、智恵子の親友・田村俊子で小野みゆきさん、智恵子の最期を看取った姪の春子役に喜多嶋舞さん、光太郎アトリエの隣家の炭屋という設定で小林稔侍さんと高橋ひとみさんが夫婦役といったところでした。

やはりサイト内でダイジェストの動画が公開されています。ご覧下さい。

NHKさんのこうしたアーカイブ的な取り組み、文化史的な部分でも、重要な取り組みですね。当方の元にも回り回って照会がありまして、昭和4、50年代頃の番組の録画がないか、というものでしたが、残念ながら期待には添えませんでした。

他局さんでも同様の取り組みが広がることを期待しております。

【折々のことば・光太郎】

午前モデル、ストーブをたき、裸体スケッチ、十二時終る、


昭和27年(1952)11月11日の日記より 光太郎70歳

生涯最後の大作、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作2日目です。

描かれた細かい年月日は特定できませんが、スケッチは複数枚現存しています。
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昨夜、無料放送のBS松竹東急さんで放映された松竹映画「智恵子抄」昭和42年=1967)を、11年ぶりに拝見しました。2度目の拝見ということで、いろいろ冷静に分析しつつ見られました。

冒頭は、智恵子の顔を持つ、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」。
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これまで気づいていませんでしたが、タイトル題字揮毫は、昨年亡くなった篠田桃紅さんでした。公式パンフレットにも記述があったのですが、見落としていました。

智恵子役の岩下志麻さん、光太郎役の丹波哲郎さん、共に実にいい感じでした。

岩下さんは、智恵子が心を病む前と後、そして病みつつある葛藤の時期と、それそれにしっかりと演じ分けられ、尺的には意外と早い段階で心を病む構成で、それだけに鬼気迫る演技の連続となり、さぞ大変だったろうと思いましたが、見事に演じきられていました。

磐梯山でのシーン。
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その後の九十九里浜。
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南品川ゼームス坂病院での臨終の場面。
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丹波さんも、苦悩の連続となった光太郎そのもの、という感じでした。

脇を固める皆さんも、それぞれに。

前回拝見した時には気づかなかったのですが、光太郎詩の朗読を複数回なさっている寺田農さんもご出演なさっていました。当時の寺田さんはまだ大部屋だったようで、公式パンフレットにはクレジットがありませんでした。役柄はちょい役でしたが、美に取り憑かれ、心を病んで自殺してしまう画学生という設定。ただ、のちの智恵子の悲劇を暗示するという意味では重要な役どころでした。
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ところで、だいぶ以前にも書きましたが、当方自宅兼事務所のある、千葉県香取市佐原地区でもロケが行われていました。ただ、公式パンフレットでは「佐原」が「佐倉」と誤植されています。
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冒頭の「パンの会」のシーン。
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それから後半になって、智恵子が心を病んだことに自責の念を感じる光太郎を、「パンの会」での友人だった石井柏亭(平幹二朗さん)が慰めるシーン。
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それぞれ夜間の撮影でわかりにくいのですが、この二つのシーンは、香取市佐原地区の中央を流れる小野川沿いで撮影されています。佐倉にはこういう場所はありません。

九十九里浜、そして前半部では犬吠埼でのロケもありましたので、そのあたりと同時期にロケツアーが行われたのでしょう。
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閑話休題。

ラストは智恵子が歿してから、年老いた光太郎が戦後に蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋という設定。ここで光太郎が智恵子の像を作っているところでジ・エンドです。
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これは史実と異なりますし、冒頭部分で「乙女の像」を使っているので、岩手の山小屋ではなく、終焉の地となった中野の貸しアトリエで「乙女の像」を作っているシーンにすればよかったのに、と思いました。

それでも非常に見応えのある作品です。明後日、5月1日(日)の12:00~14:30、やはりBS松竹東急さんで再放送がありますので、ご覧になっていない方、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

立太子の日、 モデル来る、ひるまでスケッチ 着衣1、


昭和27年(1952)11月10日の日記より 光太郎70歳

1ヶ月前に花巻郊外旧太田村の山小屋から帰京した光太郎、ついに「乙女の像」制作にかかりました。

「立太子」は、現・上皇陛下が正式に皇太子になられた「立太子の礼」が執り行われたことを表します。

テレビ東京さん系で放映されている「出没!アド街ック天国」。明後日のオンエアは、現在ご開帳期間中の信州善光寺さんがメインで取り上げられます。

出没!アド街ック天国〜善光寺〜

地上波テレビ東京 2022年4月30日(土) 21:00~21:54

7年に一度の秘仏ご開帳!「信州 善光寺」▼人生を変えた!?極上みそ汁&名物おやき▼そば好き長野県民絶賛の信州ラーメン&山菜名人やま爺の草鍋▼泊まれるアートなお寺

待ちに待った7年に一度のご開帳!「信州善光寺」へ出没。門前にはご開帳に合わせた新店を始め、そば好きの地元民も行列する“信州ラーメン”、山菜名人・やま爺の春限定“草鍋”など美味しい名物が揃います。長野県産食材を使ったアップルパイ、栗バーガーなどのスイーツや、野沢菜たっぷりのおやきやニラせんべいなど地元のおばあちゃんお手製のおこびれ(おやつ)も人気。秘仏のご開帳で盛り上がる門前散策を楽しみましょう。

【司会者】 井ノ原快彦、片渕茜(テレビ東京アナウンサー)
【レギュラー出演者】 峰竜太、薬丸裕英、山田五郎
【ゲスト】 もう中学生、羽賀朱音(モーニング娘。’22)
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光太郎の父・光雲とその高弟・米原雲海の手になる仁王像、三宝荒神像、そして三面大黒天像の納められている仁王門をぜひ取り上げていただきたいものです。

テレ東さん、系列局が少ないためテレビではリアルタイムでの視聴が不可能、という地域が多いのですが、動画配信サイト「GYAO!」さんでは最新回を1週間無料放映して下さいます。

また、同じく「TVer」さんでは、プライム帯(19:00~22:00)の放映についてはリアルタイム配信が始まりました。その告知のためにテレ東さんが出した広告が「自虐的で面白い」と、話題になっています。
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この手の取り組み、もっと広まってほしいものです。

さて、「出没!アド街ック天国〜善光寺〜」、ぜひご覧下さい。ついでに言うなら、明日は無料放送のBS松竹東急さんで、過日ご紹介した岩下志麻さん、丹波哲郎さん主演の松竹映画「智恵子抄」(昭和42年=1967)の放映があります。そちらもお見逃しなく。

【折々のことば・光太郎】

澤田伊四郎氏来訪、「智恵子抄」皮製、劉生日記皮製をもらふ、50,000圓印税、

昭和27年(1952)11月2日の日記より 光太郎70歳

「智恵子抄」皮製」は、光太郎の帰京記念という名目で、澤田伊四郎が興した龍星閣が発行した特製本です。二重函、表紙が羊皮製でした。
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昭和42年(1967)、松竹さん制作の映画「智恵子抄」(岩下志麻さん/丹波哲郎さん主演)が、テレビ放映されます。

智恵子抄

BS松竹東急(BS260ch) 2022年4月29日(金)19:54~22:24 再放送 5月1日(日)12:00~14:30

アカデミー賞外国語映画賞ノミネート作品。高村光太郎の詩集「智恵子抄」と佐藤春夫の「小説 智恵子抄」を、近年国際的に再評価される監督・中村登が映画化。至純無限の愛をうたいあげる、華麗な文芸ロマン大作。

高村光太郎は画学生の長沼智恵子と見合いをし、ふたりは結婚。幸せな暮らしを営む芸術家夫婦だったが、やがて智恵子の文展落選、父の焼死、実家の倒産と心労が重なり、智恵子は服毒自殺をはかる……。

出演 岩下志麻 丹波哲郎 ほか
原作 高村光太郎 佐藤春夫
脚本・監督(演出) 中村登
公開・放送年 1967年公開
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同作、時折各地の上映会等にかけられますが、DVD等が市販されておらず、当方も1度しか見たことがありません。また、テレビ放映もほとんどされておらず、有料の特殊なCS放送でかかったことがあるかもしれませんが、当方の知っている限り、10数年前にWOWOWさんで放映があったくらいだと思います。

キャストは智恵子役に岩下志麻さん。以下、昭和63年(1988)刊行の雑誌『彷書月刊』第4巻第10号「特集 高村智恵子」に載った岩下さんの回想です。
 
 私が、高村光太郎さんの『智恵子抄』の智恵子を演じさせて戴いたのは昭和四二年ですから、もう随分昔になります。
 中村登監督のもとで、光太郎役は丹波哲郎さんでした。
 その時、はじめて智恵子の切り絵を見せて戴きましたが、優れた色彩感覚、繊細で巧妙な技術、その切り絵から智恵子の純粋な魂の叫びが聞こえてくるような感動で、長い間見とれていたのを今も鮮明に覚えています。又、精神に異常をきたしてしまった智恵子をうたった光太郎の詩の何篇かに心から涙しました。
 『智恵子抄』は、夫婦の愛のあり方、愛についてを改めて考えさせられた作品でもあります。今も、私は“智恵子”と聞くと、病弱で非社交的でやさしいが勝ち気で、単純で真摯で、愛と信頼に全身を投げだしているような智恵子が目の前にいる様で、なつかしさでいっぱいになります。
 それ程、『智恵子抄』は、私にとって心に残っている映画の一つです。

同様に、平成30年(2018)、文藝春秋さんから刊行された『美しく、狂おしく 岩下志麻の女優道』に載った、岩下さんへのインタビュー。

「これは、私が是非やらせていただきたいって松竹にお願いしたの。高村光太郎の詩集を読んで、ぜひこれは映画でやりたいなと思っていました。企画室長に直に『やりたい』とお願いしていたら、たまたま松竹でも私でやろうと思っていたようです。それで『智恵子抄』をやれることになりました。」
――丹波さんの光太郎も格好よかったです。
「実際の高村光太郎さんは丹波さんによく似ていらっしゃるみたいですね。丹波さんが亡くなられた時にご自宅に伺ったら、事務所の方が、『丹波は生前、自分の一番好きな作品は“智恵子抄”だって言っていた』って。嬉しかったです。」
――岩下さんは『智恵子抄』のどういうところに魅力を感じられたのですか。
「やっぱり精神に異常をきたす純粋性です。そこを凄く演じてみたいと思いました」


さらに平成23年(2011)、『朝日新聞』さんの福島版に連載された「「ほんとの空」を探して」の第一回に収められた岩下さんの談話。

「学生時代に本屋で買って感激したのが最初。光太郎への純真な愛情、光太郎からも心から愛された智恵子。その役をやってみたい、と思った。川端康成さんの『雪国』と二つの企画を松竹さんにお願いしたら、両方OKになった」
「智恵子の異常なほどの性格の美しさにほれた光太郎役に、丹波さんも入れ込んでいた。あの映画はDVDになっていない。ご仏前で見せてあげたいのに」
「今こそ2人の姿に見る夫婦、家族、友人、地域の愛の絆を確かめる時。私もまた、あの詩集が読みたくなっちゃったわ」


光太郎役の丹波哲郎さんは、映画の公式パンフレット中に「光太郎に扮して」と題し、

不世出の巨人と云われた高村さんに、私が似ているそうで光栄です。事実でなければとうてい信じられない愛情物語の中に身を置いて、二百本の映画歴のすべてをぶつけます。

と語られていました。

丹波さんご自身、こういう方向性で俳優としてやっていきたかったのでしょう。しかし、周囲からの需めは異なり、「キイハンター」とか「Gメン’75」とか、さらには「大霊界」とか、そっちの方面へ行ってしまわれたのですね……。

そのあたり、丹波さんと共演された原田大二郎さんは下記のようにご発言なさっています。
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実際、「智恵子抄」での丹波さんの演技、存在感等々、秀逸でした。

他のキャストは……
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丹波さんをはじめ、鬼籍に入られてしまった方が多いのですが、なかなか豪華ですね。

「智恵子抄」の映画は、この松竹版の10年前に、東宝さんが原節子さん、山村聰さんで制作しました。そちらはVHSビデオが市販され、当方も持っていますし、松竹版より多く上映会等が催されています。ところがこの松竹版は前記の通り、市販DVD化がされておらず、なかなか見られません。この機会をお見逃しなく。

ちなみにBS松竹東急さん、この春から全番組無料放映で放映を開始しました。他にもそういう局がいくつかあって、ありがたいかぎりです。

【折々のことば・光太郎】

大宮氏くる、小坂氏見える、大宮氏より鉄ベラ一本求める、


昭和27年(1952)10月24日の日記より 光太郎70歳

「鉄ベラ」は、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のための道具でしょう。「大宮氏」というのが不分明です。道具鍛冶か、それらの販売店か、そんなところだと思うのですが、下の名前も解りませんし……。情報をお持ちの方は御教示いただけると幸いです。

明治大学さん主催の市民講座です。

公開講座「映画で旅する昭和 よみがえる風景の記憶」

期 日 : 2022年1月13日(木)~2月10日(木) 毎週木曜日
会 場 : 明治大学駿河台キャンパス 東京都千代田区神田駿河台1-1
時 間 : 13:00~14:30
料 金 : 通常会員料金 13,200円 明大カード・福利厚生会員料金 11,880円
      学生・生徒・教職員会員料金 6,600円 法人会員料金 10,560円
講 師 : 中村実男 (ナカムラ ミツオ) 元明治大学商学部教授


映画は「風景の記憶装置」です。失われた昭和の風景が、画面のなかで登場人物と共に息づいています。本講座では、数多くの映画を通して、昭和の街と風景の変遷をたどります。第1回・第3回・第5回では、2019年度の春期講座の続編として、北海道・東北、鎌倉・京都、四国・九州・沖縄を取り上げます。第2回では浅草に加えて、木場、千住、四つ木など、隅田川・荒川以東の東京下町を初めて取り上げます。第4回では、戦前の「特急三百哩」から昭和50年の「新幹線大爆破」まで、昭和の「鉄道映画」の系譜をたどります。紹介する主な作品は下記の通りです。

01/13 映画のなかの北海道・東北
    夕陽の丘、幸福の黄色いハンカチ、駅 STATION、馬、警察日記、北上夜曲、
    乱れる、乱れ雲、智恵子抄、ほか
01/20 映画のなかの東京下町
    綴方教室、稲妻、洲崎パラダイス、下町、抱かれた花嫁、東京さのさ娘、
    見上げてごらん夜の星を、ほか
01/27 映画のなかの鎌倉・京都
    祇園の姉妹、山の音、夜の河、舞妓はん、古都、ツィゴイネルワイゼン、
    寅次郎あじさいの恋、早春物語、ほか
02/03 鉄道映画の世界
    特急三百哩、点と線、天国と地獄、大いなる旅路、特急にっぽん、喜劇急行列車、
    新幹線大爆破、洋画のなかの鉄道、ほか
02/10 映画のなかの四国・九州・沖縄
    陸軍、長崎の鐘、二十四の瞳、空の大怪獣ラドン、永遠の人、張込み、旅の重さ、
    男はつらいよ ハイビスカスの花、ほか
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講師の中村氏は、都市交通論、都市交通史、都市史などがご専門とのことで、「数多くの映画を通して、昭和の街と風景の変遷」をたどるというコンセプト。

第一回「映画のなかの北海道・東北」中に、「智恵子抄」。昭和32年(1957)、東宝さんが山村聰さん、原節子さん主演で製作した熊谷久虎監督作品の方か、昭和42年(1967)、松竹さんの丹波哲郎さん岩下志麻さん主演、中村登監督作品の方か、あるいはその両方か判然としませんが。

ご興味のある方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

夜六時半公民館の賢治子供の会の劇を見る、


昭和26年(1951)10月19日の日記より 光太郎69歳

「花巻賢治子供の会」は、宮沢賢治記念館の初代館長も務められた故・照井謹二郎氏が昭和22年(1947)に立ち上げ、第一回公演は光太郎の山小屋前の野外で行われました。以後、花巻町や太田村で光太郎の指導を仰ぎながら、賢治の童話を上演し続けました。会の命名も光太郎だそうです。賢治実弟・清六息女の潤子さんなどもメンバーでした。

この項、最終回です。

10月2日(土)
沖縄県立芸術大学音楽学部第32回洋楽定期公演~沖縄から発信する現代の音楽~」が、那覇市の沖縄県立芸術大学奏楽堂ホールさんで開催されました。江幡侑奈氏作曲の「《冬が來た》高村光太郎の詩による」が演奏されました。
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10月2日(土)~11月14日(日)
二本松市の智恵子生家二階部分の特別公開、智恵子紙絵の実物展示が行われました。

10月3日(日)
文芸誌『ウルトラ』第17号が発行されました。詩人の木戸氏による安達太良山を謳った詩 、と、エッセイ「百千倍のアトムその充填――智恵子抄を離れて――」が掲載されています。
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10月5日(火)
当会から冊子『光太郎資料』第56集を発行いたしました。

10月6日(水)
つむぎ書房さんから野樹優氏著の小説『非愛の海』が刊行されました。光太郎智恵子に触れられています。
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10月8日(金)~10月10日(日)    
東京都北区の北とぴあドームホールさんを会場に、演劇公演「小夜なら×表現集団蘭舞 あの夕暮れをもう一度」が行われました。4本立ての内の「金魚鉢の夜」で、光太郎智恵子に触れられていました。

10月8日(金)~10月30日(土)
東京都港区のCLEAR GALLERY TOKYOさんで、現代アート作家来田広大氏のインスタレーション「あどけない空#2 The artless sky #2」が開催されました。
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10月8日(金)~11月23日(火)
鎌倉市のギャラリー笛さんで「回想 高村光太郎と尾崎喜八 詩と友情 その8」が開催されました。
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10月8日(金)~11月28日(日)
富山市の富山県水墨美術館さんで「チューリップテレビ開局30周年記念「画壇の三筆」熊谷守一・高村光太郎・中川一政の世界展」が開催されました。

10月9日(土)~11月3日(水)
宮崎市の宮崎県立美術館さんを会場に開催された「皇室と宮崎~宮内庁三の丸尚蔵館収蔵作品から~」の前期日程で、光雲の木彫「文使」(明治33年=1900)が展示されました。
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10月12日(火)~12月26日(日)
兵庫県三田市の兵庫県立人と自然の博物館さんで「身近な海のベントス展」が開催されました。光雲の弟子であった故・小林三郎氏旧蔵の、光太郎が留学のため横浜港を出航したカナダ太平洋汽船の貨客船・アセニアンの船上で詠んだ短歌 「海を観て太古の民のおどろきをわれふたたびす大空のもと」(明治39年=1906)を揮毫した短冊が出品されました。

10月16日(土)
福岡県太宰府市の太宰府市文化ふれあい館さんで「第6回太宰府学講座 日本近代木彫史と山崎朝雲、冨永朝堂」が開催され、光雲にも触れられました。講師は田鍋隆男氏(元福岡市博物館学芸課長)でした。

10月20日(水)
生活の友社さんから雑誌『美術の窓』№458 2021年11月号が発行されました。富山県水墨美術館さんの 「チューリップテレビ開局30周年記念「画壇の三筆」熊谷守一・高村光太郎・中川一政の世界展」に関し、記事が2本載りました。まず、同館館長であらせられる中川美彩緒氏が「和魂洋才-書画のススメ」というコーナーで、展示中の光太郎画帖「有機無機帖」について。さらに拙稿「五匹目の「蝉」」。
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10月21日(木)~11月23日(火)
青森県十和田市の十和田湖畔休屋地区で「カミのすむ山 十和田湖 FeStA LuCe 2021-2022 第1章 光の紅葉物語」が行われました。イルミネーションを中心としたイベントで、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップも為されました。

10月23日(土)
テルミン奏者大西ようこさんによる「第12回RCAテルミンの夕べ ウルトラマンが読む「智恵子抄」」がオンラインでライブ配信されました。初代ウルトラマンのスーツアクターを務められた古谷敏氏による「智恵子抄」朗読が為されました。
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同日、石川県金沢市のNigiwaiSpace新保屋さんで「金沢ナイトミュージアム 秋色探し朗読会 」が開催され、こちらでも「智恵子抄」朗読がプログラムに入りました。
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10月27日(水)
講談社さんから小田原のどか氏著『近代を彫刻/超克する』が刊行されました。「光太郎とロダン」という章を含みます。

10月29日(金)~11月21日(日)
東京都港区六本木の国立新美術館さんで、第8回日本美術展覧会(日展)が開催され、第5科・書部門で、光太郎詩文を書いた作品が入選し、展示されました。
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10月30日(土)
大分市のiichiko総合文化センターさんで第74回全日本合唱コンクール全国大会 高等学校部門が開催され、高等学校部門Bグループ九州代表として出場の鹿児島高等学校音楽部さんが、西村朗氏作曲の「千鳥と遊ぶ智恵子」を自由曲で演奏、みごと銀賞に輝きました。

同日、吉夏社さんから髙橋純氏編訳『高田博厚=ロマン・ロラン往復書簡 回想録『分水嶺』補遺』が刊行されました。光太郎にも触れられています。
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10月31日(日)
東京都渋谷区の代々木能舞台さんで「和編鐘コンサート in 代々木能舞台 響きにつつまれていのちの煌めきの中へ 智恵子抄 愛と絆の調べ」が開催され、ゆきね氏の和編鐘演奏、河崎卓也氏の朗読により、「第二部 智恵子抄 愛はすべてをつつむ」が上演されました。

同日、NHK BSプレミアムさんで「プレミアムドラマ山女日記3」の「第三話 あどけない空・安達太良山」が放映されました。再放送が11月7日(日)でした。
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11月3日(水)
ハピネット・メディアマーケティングさんから 朗読CD「朗読喫茶 噺の籠 ~あらすじで聴く文学全集~ 坊ちゃん/耳なし芳一・雪女/詩集「生きる」」がリリースされました。光太郎詩詩「道程」(大正3年=1914)、「冬が来た」(同)が含まれています。朗読は、声優の豊永利行さんでした。
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11月5日(金)~11月28日(日)
京都市の知恩院さんで「秋のライトアップ二〇二一」が行われ、光雲作の聖観音像のライトアップも為されました。
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11月8日(月)
二本松市の智恵子顕彰団体「智恵子のまち夢くらぶ」さんが投票を募っていた「あなたが選ぶ『智恵子抄』総選挙」の結果発表がありました。最多得票は「レモン哀歌」(昭和14年=1939)でした。
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同日、『毎日新聞』さんに「美とあそぶ 秋川雅史さん/1 これまでで一番の自信作」が掲載され、テノール歌手秋川雅史氏が、光雲が主任となって作られた皇居前広場の楠木正成像の模刻作品により、第105回記念 二科展彫刻部門で入選を果たした件について語られました。
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11月9日(火)
作家の瀬戸内寂聴さんが亡くなりました。複数のご著書で光太郎智恵子にも触れられていました。

11月10日(水)
幻冬舎さんから湊かなえ氏著『残照の頂 続・山女日記』が刊行されました。「プレミアムドラマ山女日記3」の原作です。「武奈ヶ岳・安達太良山」の章で、「智恵子抄」がモチーフに使われています。
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11月13日(土)11時~11月30日(火)
花巻市のいわて花巻空港で、光太郎が終戦後に7年過ごした高村山荘(同市太田)周辺を撮影した写真や、光太郎の詩をしたためた書作品など約20点の展示「高村光太郎と花巻」が開催されました。
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11月15日(月)
樹海社さんから間島康子氏著『ハユラコ hajurako 間島康子随想集』が刊行されました。「智恵子の空」というエッセイを含みます。
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11月19日(金)
マガジンハウス社さんから雑誌『 & Premium no.97 January 2022 PEACEFUL MOMENTS 静かに過ごす時間が、必要です。』が発行されました。「あの人が愛した、静かな時間。」という項で智恵子が紹介されました。

11月20日(土)
BS朝日さんで「ゆるっと山歩(さんぽ)に行こう ▽登山を始めたい方必見!絶景やグルメも堪能!」が放映され、安達太良山の紹介の中で「智恵子抄」が取り上げられました。出演は女優の酒井美紀さん他でした。
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11月21日(日)
東日本大震災の津波により甚大な被害を受けた宮城県女川町で、光太郎文学碑の精神を受け継いで募金で建設費用を集め、町内の各浜、21箇所に津波の際の避難の目安となるランドマークとして建てられ続けてきた「いのちの石碑」最後の1基が完成 ・除幕されました。
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11月22日(月)
虹色社(なないろしゃ)さんから、なみ氏編のアンソロジー『近代文学叢書Ⅲ すぽっとらいと 珈琲』が刊行されました。明治43年(1910)の雑誌『趣味』に発表された光太郎エッセイ「珈琲店より」を含みます。
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12月3日(金)
福島二本松の智恵子顕彰団体「智恵子のまち夢くらぶ」さんから『「智恵子抄」出版80周年記念文集』が刊行されました。
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12月4日(土)~2022年2月20日(日)
青森県十和田市の十和田湖畔休屋地区で「カミのすむ山 十和田湖 FeStA LuCe 2021-2022 第2章 光の冬物語」が開催中です。イルミネーションを中心としたイベントで、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップも為されています。
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12月4日(土) ・12月12日(日)
松竹さんプロデュースの「朗読劇 智恵子抄」が、東京音中央区銀座の銀座ブロッサム中央会館さん、二本松市の安達文化ホールさんで、それぞれ上演されました。光太郎役は横内正氏、智恵子役が一色采子さんでした。
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12月5日(日)
地上波フジテレビさんで「正しく学んで福招き!おてらツアーズ」の放映があり、信州善光寺さんの光雲とその高弟米原雲海による仁王像が取り上げられました。
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12月10日(金)
文治堂書店さんからPR誌『とんぼ』第13号が発行されました。巻頭に、光太郎終焉の地・中野のアトリエの持ち主でいらっしゃる中西利一郎氏の玉稿。光太郎がここで暮らした最晩年の回想や、北川先生がここを訪れ、光太郎に親炙するに至った経緯などが書かれています。文治堂書店主・勝畑耕一氏は、「小川義夫さんを悼む」という一文。ご生前の北川先生を支え、各種出版のサポート等をなさっていた、北斗会(北川先生が高校教諭だった頃の教え子さん達の会)会長であらせられた、故・小川義夫氏の追悼文です。巻末近くに、北川先生のご遺著『遺稿「デクノバウ」と「暗愚」』書評が4本。さらに当方の連載「連翹忌通信」も掲載されました。
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同日、中央公論新社さんから、室生犀星 文/濱谷浩 写真の『写文集 我が愛する詩人の伝記』が発行されました。昭和33年(1958)、『婦人公論』に連載されたものから、犀星の文章のみで『我が愛する詩人の伝記』、濱谷の写真集として『詩のふるさと』として二分冊で刊行されたものを一冊にまとめ、犀星没後60年記念出版という位置づけで「完全版」として出版したものです。

12月10日(金)~12月19日(日)
東京藝術大学大学美術館正木記念館さんを会場に、「髙村光雲・光太郎・豊周の制作資料」が開催されました。
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12月12日(日)
詩人の高良留美子さんがご逝去されました。女性史に関する複数の御著書で智恵子に触れて下さっていました。

12月15日(水)
 マガジンハウス社さん刊行の『BRUTUS』2022年1月1日・15日合併号が発行されました。「百読本 何度でも読む。読むたびに知る」という特集で、各界著名人等の愛読書が紹介されています。デザイナーの皆川明氏が、『智恵子抄』をご紹介下さっています。
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12月17日(金)
あすなろ書房さんから、宮川健郎氏編『日本の文学者36人の肖像(上)』が刊行されました。当方、未入手でして、手に入り次第改めてご紹介します。

12月19日(日)
名古屋市の電気文化会館さんで「日本歌曲コンサート~朝岡真木子の歌曲を中心として~」公演があり、朝岡真木子氏作曲「 ”智恵子抄”より レモン哀歌」が演奏されました。
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12月20日(月)
『週刊現代』さん12月25日・1月1日合併号に、「巨弾ノンフィクション 丹波哲郎は二度死ぬ 大スターはなぜ晩年に「大霊界」へ傾斜したのか」の第4回として、「岩下志麻と共演した『智恵子抄』に秘められた真実」という記事が載りました。

12月22日(水)
左右社さんから西川清史氏著『文豪と印影』が刊行されました。目次に光太郎の名が見えますが、こちらも未入手でして、手に入り次第改めてご紹介します。
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12月23日(木)
東京都八王子市の八王子市芸術文化会館大ホールにおいて「こうもりクラブプロデュース 星降る夜のクリスマスオイリュトミー」が開催されました。光太郎・相田みつを・茨木のり子らの詩がモチーフとして使われました。

12月25日(土)~2022年2月13日(土)
青森市の国際芸術センター青森[ACAC]さんで、彫刻家の小田原のどか氏の個展「近代を彫刻/超克するー雪国青森編@ 国際芸術センター青森」が開催中です。光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の小型試作、「乙女の像」オマージュの作品等が展示されています。
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12月(日付不明)
文芸誌『風越(かざこし)―詩とエッセイの同人誌―』第5号が発行されました。詩人の小山修一氏による「「道程」から考える詩の追求」が掲載されています。
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それから、その都度の月日に載せませんでしたが、「光太郎レシピ」が連載されている『花巻まち散歩マガジンMachicocoマチココ』さんが隔月刊で発行されました。また、毎月15日には、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんで豪華弁当「光太郎ランチ」が限定販売されました。
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昨年同様、コロナ禍が猛威を振るった一年でしたが、秋以降、それも収まりつつあり、昨年よりも多くの事項をご紹介する事ができました。特に、美術館さん等での企画展示、音楽/演劇系の公演、各種市民講座等、昨年は中止に追い込まれたものがまた開催されるようになり、喜ばしい限りです。

来年はさらにそれが拡大し、コロナ禍前の水準まで復して欲しいと思う今日この頃です。

【折々のことば・光太郎】

晴れ、雲あり、涼、 栗落ちはじめる


昭和26年(1951)9月27日の日記より 光太郎69歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋周辺、栗の木が多く自生しており、その実は貴重な食材となりました。

最近刊行された雑誌を3件ご紹介します。ネタに困っている時には3回に分けるところですが……。

まず、マガジンハウス社さん刊行の『BRUTUS』、2022年1月1日・15日合併号。

巻頭特集が「百読本 何度でも読む。読むたびに知る」。各界著名人等の愛読書が紹介されています。
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デザイナーの皆川明氏が、『智恵子抄』をご紹介下さっています。
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皆川氏、5月に発売されたムック『& Premium特別編集 あの人の読書案内。』でも、『智恵子抄』をご紹介下さいました。

紹介の理由として、「開くだけで、外界から離れて自分の世界に。」と記されています。パリへのご出張の際にも、スーツケースに入れられるそうで、「カフェに座ってこれを読んでいると落ち着く、というと簡単な表現ですが、頭の中には好きな世界が広がって、外側には違うカルチャーがある。それが案外心地いい」、「字間が少し開いた旧仮名遣いのやや大きな字が並び、ページに広がる空いた空間も読みやすい」とのこと。

当方もいずれ、パリのカフェで『智恵子抄』を繙いてみたいものです(笑)。いつになることやら、ですが(笑)。

他の方々は、以下の通り。敬称略で、すみません。

フワちゃん(タレント)/『窓ぎわのトットちゃん』 黒柳徹子
平野紗季子(フードエッセイスト)/『たんぽるぽる』 雪舟えま
熊木幸丸(ミュージシャン)/『クリエイティブ・マインドセット』 トム・ケリー他
乗代雄介(小説家)/『「岩宿」の発見』 相沢忠洋
神田伯山(講談師)/『師匠、御乱心!』 三遊亭円丈
石沢麻依(小説家)/『七つのゴシック物語』 イサク・ディネセン
按田優子(料理家)/『生き物としての力を取り戻す50の自然体験』
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平野啓一郎(小説家)/『マイルス・デイビス自叙伝』 マイルス・デイビス他
紺野真(料理人)/『レネ・レゼピの日記』 レネ・レゼピ
小林エリカ(作家)/『シャーロック・ホームズ最後の挨拶』 コナン・ドイル
斉藤壮馬(声優)/『煙か土か食い物か』 舞城王太郎
佐藤健寿(写真家)/『三国志』 横山光輝
白石正明(編集者)/『社交する人間』 山崎正和
小林快次(恐竜学者)/『荒野へ』 ジョン・クラカワー
佐藤亜沙美(ブックデザイナー)/『檸檬』 梶井基次郎
岸本佐知子(翻訳家)/『十二神将変』 塚本邦雄
磯野真穂(人類学者)/『見知らぬものと出会う』 木村大治
兼近大樹(お笑い芸人)/『黒いマヨネーズ』 吉田敬
前田司郎(劇作家)/『赤毛のアン』 モンゴメリ
渡邉康太郎(コンテクストデザイナー)/『人間の土地』 サン・テグジュペリ
藤岡弘、(俳優 武道家)/『武士道』 新渡戸稲造


特別定価800円です。

続いて、『週刊現代』さん、12月25日・1月1日合併号(特別定価550円)。
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短期集中連載と思われますが、「巨弾ノンフィクション 丹波哲郎は二度死ぬ 大スターはなぜ晩年に「大霊界」へ傾斜したのか」の第4回として、「岩下志麻と共演した『智恵子抄』に秘められた真実」が、4ページにわたって掲載されています。ご執筆はノンフィクションライター野村進氏。
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松竹映画「智恵子抄」で、光太郎役を務められた丹波さんと智恵子役で共演なさった岩下志麻さん、テレビドラマでの丹波さんの代表作「Gメン'75」で共演された原田大二郎さんへのインタビューなどで構成されています。

私生活でも丹波さんと親しくされていた岩下さん(今号ではハワイで偶然に丹波さんと出会ったエピソードなども紹介されています)、以前から、丹波さんが「智恵子抄」の光太郎役が自分の中で一番印象に残っているとおっしゃっていたと紹介されていましたが、原田さんも同じような発言をなさっています。原田さんご自身のご感想ですが。
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そして、丹波さんの「智恵子抄」への思い入れや、のちの霊界への傾倒は、難病で亡くなった貞子夫人の存在が大きい、と、野村氏。その告別式での丹波さんの言葉。

「しみじみと感じますのは、夫婦というものは、半世紀以上も一緒におりますと、ふたりがまさにひとりになってしまっているんです」

まるで、智恵子を亡くした光太郎ですね。もっとも、光太郎智恵子の結婚生活は20数年でしたが。

ところで、野村氏、岩下さんへの取材の際に、松竹映画「智恵子抄」のスチール写真を御持参なさったそうです。その写真の画像も載っていますが、こちらです。
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当方手持ちのスチール写真をスキャンしました。

岩下さん、これを御覧になって、「これは、智恵子が精神病院から逃げ出して、うちに帰ってきたところですね。『もう病院には戻りたくない。おうちにいたい』と光太郎の絵の具をめちゃくちゃにしたあと、ワァーワァー泣き出して、そんな智恵子を光太郎が抱きしめているシーンです」。

ところが、残念ながら岩下さん、勘違いなさっています。上記は磐梯山のシーン。詩「山麓の二人」(昭和13年=1938)で謳われた、「わたしもうぢき駄目になる」と取り乱す場面です。

同じシーンの別のスチール写真がこちら。こちらでしたら磐梯山だとすぐわかります。
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ちなみに磐梯山ではこんなカットも。
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岩下さんがおっしゃった、病院から抜け出して、のシーンはこちら。
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丹波さんも岩下さんも、特にこのシーンでは鬼気迫る演技でした。

岩下さん、当方もお世話になっております信州安曇野の碌山美術館さんで、光太郎のブロンズ代表作「手」を御覧になって、丹波さんを思い起こされたそうです。碌山美術館とは書いてありませんが、まず間違いありません。
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ご一緒したかったな、と思いました。

最後にもう1冊。一般書店で販売されていない、文芸同人誌です。
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ご執筆なさっている、詩人の小山修一氏からいただきました。『風越(かざこし)―詩とエッセイの同人誌―』第5号。

小山氏の玉稿は「「道程」から考える詩の追求」。大正3年(1914)、まず雑誌『美の廃墟』に発表され、同じ年に刊行された第一詩集『道程』の表題作となった、「道程」に関してです。意外と有名な話ですが、「道程」、3月の雑誌初出時には102行もある長大なものでした。それが同じ年10月刊行の詩集『道程』に収録された際、現行の9行の形に改変されています。

この改作に関し、小山氏、「その長詩を表舞台からひっこめ、九行の詩に熟成完結させた事実は、詩をつくるものの一人としておおいに理解できるし、その潔さには驚愕するばかりです」「一度雑誌に発表した作品の圧倒的部分を切り捨てるなんて、そうそうたやすくできるものではありません」としています。

詩の実作者としての立場からのご発言ゆえ、重いものがありますね。ちなみに小山氏、今年度、「第37回三木露風賞」で最優秀に輝かれています。

『風越』、奥付画像を載せておきます。ご入用の方、下記まで。
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【折々のことば・光太郎】

午前花巻にゆかうとしてゐる時、中原綾子さん突然来訪。ダツトサンで来た由。花巻行を中止、中原さん今夜田頭さんに泊まる事になり、夕方まで談話。
昭和26年(1951)9月14日の日記より 光太郎69歳

中原綾子は歌人。智恵子存命中から光太郎と交流があり、美人すぎる歌人でもあったこと、智恵子の心の病の状況を唯一詳しく手紙に書き送った相手であることなどから、口さがない人々は光太郎の愛人だったのではないか、などとも噂しました。

田頭さん」は屋号で、旧太田村村長だった高橋家です。

美術家の篠田桃紅さんが亡くなりました。今日の朝刊で知って、驚いている次第です。

『朝日新聞』さん。

美術家の篠田桃紅さん死去 107歳、エッセーも人気

002 前衛書から出発して独自の表現空間を切り開いた美術家の篠田桃紅(しのだ・とうこう、本名篠田満洲子〈ますこ〉)さんが1日、老衰のため死去した。107歳だった。葬儀は近親者で営んだ。喪主はめい篠田爽子(そうこ)さん。
 中国・大連市生まれ。幼いころから家庭で書、水墨画の手ほどきを受けた。文字の枠をはみ出して、書を基礎にしつつ、戦後は墨による抽象表現を模索した。
 1956~58年の米ニューヨーク滞在中、米国など各地で個展を開いて注目を集めた。
 大英博物館などに作品が収蔵されているほか、国立京都国際会館や東京・芝の増上寺にも壁画の大作がある。岐阜県に本籍があったこともあり、同県関市に市立篠田桃紅美術空間がある。
 せまいジャンルに限られたくないと、自ら「美術家」と称した。年齢を重ねても凜(りん)としたたたずまいや、「絶対描きたくないものは描きません」「人として何が完成形なのか、わかりません」といったきっぷのいい語り口が、多くの共感を呼んだ。79年に日本エッセイスト・クラブ賞を受けた随筆「墨いろ」など著作も多く、「一〇三歳になってわかったこと」などが人気を呼んだ。映画監督の篠田正浩さんはいとこ。

『時事通信』さん。

美術家の篠田桃紅さん死去

 水墨を使った独自の抽象作品で国際的に知られる美術家の篠田桃紅(しのだ・とうこう、本名満洲子=ますこ)さんが1日、老衰のため東京都内の病院で死去した。
 107歳だった。葬儀は近親者で済ませた。喪主はめい、爽子(そうこ)さん。
 中国東北部(旧満州)の大連生まれ。幼少から書を始め、第2次世界大戦後、文字を解体した抽象表現「墨象」に取り組んだ。1956年に渡米し、ニューヨークを拠点にシカゴやパリなど欧米で個展も開いた。58年に帰国し、東京・芝の増上寺大本堂の壁画やふすま絵を手掛けるなど精力的に活動を続けた。
 エッセイストとしても活躍。著書に日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した「墨いろ」などがある。映画監督の篠田正浩さんはいとこ。

当方、篠田さんの御著書を2冊、拝読しました。どちらも軽く光太郎に触れて下さっています。

平成26年(2014)刊行の『百歳の力』(集英社新書)。
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帯が「一〇三歳」となっていますが、増刷の関係ですね。

曰く、

 若いときには、いまのような仕事をしているとは一切予想はついていなかったし、予定もしなかった。予想も予定もない、いきあたりばったり。出たとこ勝負でずっとやってきました。高村光太郎の詩「道程」と同じです。

 僕の前に道はない
 僕の後ろに道は出来る

 ほんとにそう、いつも高村光太郎の詩を心に思い浮かべて生きてきた。私の前に道はない。誰かが歩いた道を私は歩いているんじゃない。先人のやってきたことをなぞっていない。でもいきるってそういうことです。
 前半は私にあてはまりますよ。でも、後半は私にあてはまるとは思わない。私の後ろに道などないですよ。なくてかまわないと思っているんです。道というほどのものができてなくても、作品というものが残っている。それはある程度残っている。どこかに、ある。
 人が敷いてくれた道をゆっくり歩いていけばいいというような一生は、私の性格には合わないんだからしようがない。私の前に道がないのは自分の性格ゆえの報い。そう思って受け入れてきました。

達観、ですね……。

もう一冊は、『一〇三歳になってわかったこと』(幻冬舎)、平成27年(2015)刊行です。

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こちらでは、

 百歳を過ぎて、どのように歳をとったらいいのか、私にも初めてで、経験がありませんから戸惑います。
 九十代までは、あのかたはこういうことをされていたなどと、参考にすることができる先人がいました。しかし、百歳を過ぎると、前例は少なく、お手本もありません。全部、自分で創造して生きていかなければなりません。
(略)
 これまでも、時折、高村光太郎の詩「道程」を思い浮かべて生きてきましたが、まさしくその心境です。

 僕の前に道はない
 僕の後ろに道は出来る

 私の後ろに道ができるとは微塵も思っていませんが、老境に入って、道なき道を手探りで進んでいるという感じです。
 これまでも勝手気ままに自分一人の考えでやってきましたので、その道を延長しています。日々、やれることをやっているという具合です。

 日々、違う。
 生きていることに、
 同じことの繰り返しはない。

  老いてなお、
  道なき道を手探りで進む。

とのこと。

もしかすると、他の御著書にも同様の記述があるのかも知れません。

光太郎が「道程」を書いたのは、大正3年(1914)。篠田さんのお生まれはその前年の大正2年(1913)。そう考えると、すごいものがありますね。ちなみに同じ大正2年(1913)生まれというと、森繁久弥さん、丹下健三氏、金田一春彦氏、家永三郎氏など。驚いたことに、『ごんぎつね』の新美南吉や、『夫婦善哉』を書いた織田作之助もそうでした。この二人は早世していたので、意外でした。

上記両著の中にも、当方にとっては様々な歴史上の人物とも言える人々との交流の様子などが記されています。会津八一、中原綾子、三好達治、北村ミナ(北村透谷未亡人)、イサム・ノグチ、ロバート・キャパ、それから、たまたま見かけただけだそうですが、芥川龍之介……。くらくらします。光太郎智恵子とは交流がなかったようですが。

その107年のご生涯で、抽象表現による新しい美を産み出し続け、現役でありつづけられたその道程には、まさに感服です。ちなみに来月には横浜そごう美術館さんで、「篠田桃紅展 とどめ得ぬもの 墨のいろ 心のかたち」が開催予定とのこと。急遽、追悼展的な形になるのではないかと思われます。

追記・篠田さん、昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」(岩下志麻さん、丹波哲郎さん他ご出演)の題字を揮毫なさっていました。


謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

【折々のことば・光太郎】

粉雪 終日来訪者なし。 昭和22年(1947)1月4日の日記より 光太郎65歳

花巻郊外旧太田村での蟄居生活。厳冬期には、さすがに来訪者も少なく、光太郎自身もステイホーム。おのずと、自分自身と向き合う時間が長くなり、詩の創作に影響していきます。

000昨日は銚子の犬吠埼周辺に行っておりました。生活圏ではあるのですが、昨年からコロナ禍のため不要不急の外出は控え続けており、久しぶりでした。

昨年、福島二本松で開催された「智恵子講座2020」で講師を務めさせていただいた折、ご聴講下さった、都内からお越しの「かたりと」のお二人(津軽三味線の小池純一郎氏、奥様で朗読家の北原久仁香さん)と、今秋、「智恵子抄」をメインとしたコラボ公演を都内で開催することになり、その打ち合わせです。

光太郎智恵子ゆかりの犬吠埼を訪れたいというお二人のご希望もあり、光太郎智恵子が大正元年(1912)に泊まった宿である暁鶏館(現・ぎょうけい館)さんをご紹介しました。お二人は土曜の夜からご宿泊、当方は日曜(昨日)の朝にお伺いした次第です。

ちなみに「かたりと」のお二人、来月には二本松でやはり「智恵子抄」のご公演。近くなりましたらまたご紹介します。

ぎょうけい館さんに行く前に立ち寄った、光太郎智恵子が歩いた君ヶ浜から見た犬吠埼灯台。智恵子没後の昭和15年(1940)に書かれた光太郎の随筆「智恵子の半生」には、「君が浜の浜防風を喜ぶ彼女はまったく子供であった。」とあります。
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いざ、ぎょうけい館さんへ。君ヶ浜と反対方向、灯台の南側です。
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こちらのロビーで、お二人と打ち合わせ。どういう方向性だか、具体的に見えてきました。

その後、お二人を御案内して、周辺を散策。
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昔、生け簀だった石組み。ここで泳がせておいた魚を宿泊客に供していたそうです。

当方手持ちの戦前の絵葉書。海側から撮影されたものです。
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暁鶏館全景はこんな感じでした。右の方の棟は後から建て増しされたもののようで、さらに古い絵葉書には写っていません。
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KIMG4672奇岩列石の連なる遊歩道を通り、灯台へ。しかし、残念ながらコロナ禍のため、1月8日から公開は中止しているとのこと。せっかく昨年には国の重要文化財に指定されたのに、残念です。

竣工は明治7年(1874)。暁鶏館の創業と同じ年です。大正元年(1912)に訪れた光太郎智恵子も、この灯台を見上げたかと思うと、感無量ですが……。できれば99段の階段を上って、上からの絶景を見たかったのですが、いたしかたありません。他の観光客の方々も残念そうでした。

左下は、灯台のあたりからみた君ヶ浜。
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逆方向、ぎょうけい館さん。
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ぎょうけい館さんに歩いて戻る途中、建物の取り壊し工事が為されていました。おそらく、大正元年(1912)に、智恵子が妹・セキ、友人の藤井勇(ユウ)とともに最初に泊まった御風館(ぎょふうかん)のあった場所です。御風館自体はかなり早く廃業し、大正期の建物も現存せず、取り壊されていたのは昭和戦後期の建物と思われます。
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やはり古絵葉書。キャプションにはありませんが、手前の屋根が御風館です。
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その後、当方の車にお二人を乗せ、犬吠の南、長崎方面へ。光太郎詩「犬吠の太郎」に謳われた、「長崎の太郎」こと、阿部清助の墓に詣でました。

   犬吠の太郎KIMG4680
 
 太郎、太郎
 犬吠(いぬぼう)の太郎、馬鹿の太郎

 けふも海が鳴つてゐる
 娘曲馬のびらを担(かつ)いで
 ブリキの鑵を棒ちぎれで
 ステテレカンカンとお前がたたけば
 様子のいいお前がたたけば
 海の波がごうと鳴つて歯をむき出すよ
 
 ね
 今日も鳴つてゐる、海が――
 あの曲馬のお染さんは
 あの海の波へ乗つて
 あの海のさきのさきの方へ
 とつくの昔いつちまつた
 「こんな苦塩じみた銚子は大きらひ
 太郎さんもおさらば」つて
 お前と海とはその時からの
 あの暴風(しけ)の晩、曲馬の山師(やし)の夜逃げした、あの時からの仲たがひさね
 ね、そら
 けふも鳴つてゐる、歯をむき出してKIMG4681
 お前をおどかすつもりで
 浅はかな海がね

 太郎、太郎
 犬吠の太郎、馬鹿の太郎
 さうだ、さうだ
 もつとたたけ、ブリキの鑵を
 ステテレカンカンと
 そして其のいい様子を
 海の向うのお染さんに見せてやれ 001

 いくら鳴つても海は海
 お前の足もとへも届くんぢやない
 いくら大きくつても海は海
 お前は何てつても口がきける
 いくら青くつても、いくら強くつても
 海はやつぱり海だもの
 お前の方が勝つだらうよ
 勝つだらうよ002

 太郎、太郎
 犬吠の太郎、馬鹿の太郎 

 海に負けずに、ブリキの鑵を
 しつかりたたいた
 ステテレカンカンと
 それやれステテレカンカンと―― 

版画は隣町・旭市ご出身の版画家、土屋金司氏の作になるものです。詩を刻んだ方は、ぎょうけい館さんのロビーにも展示されています。

太郎は暁鶏館で働いていた、当時で言うと下男。本名は阿部清助。父は会津藩士だったそうですが、知的障害があったようで、現代では差別的表現になりますが「馬鹿の太郎」と呼ばれていました。しかし、皆から愛されるキャラだったようです。昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」(丹波哲郎さん、岩下志麻さん主演)では、故・石立鉄男さんが演じていました。

光太郎、太郎の(ややこしいですね(笑))鮮烈な印象が後々まで残っていたようで、昭和3年(1928)に書かれた詩「何をまだ指してゐるのだ」にも太郎が登場します。

続いて、犬吠埼の背後、愛宕山へ。銚子で最も標高が高く、「地球の丸く見える丘展望館」が整備されています。灯台に上れなかったので、その代わりに、です。

早咲きの、おそらく河津桜ではないでしょうか、もう咲いていました。
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展望台からの眺め。
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めずらしくよく晴れていて、風もあまりなく、こんな好条件は滅多にありません。

館内に展示されていた、吉田初三郎作の鳥瞰図のコピー。
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銚子の歴史、文化等に関する説明板。
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文学関係。
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光太郎の碑は無いのですが(ぜひ建てて欲しいものですけれど)、光太郎智恵子に関する説明は書かれています。
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さらに、すぐ近くの「風のアトリエ」さんというレストランで昼食。数年ぶりに行きましたが、相変わらず料理が美味でした。

ついでにいうなら、こちらは昔からなぜかヤギさんを飼っており……。
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小池氏、ずいぶんなつかれていました(笑)。

この後、車で都内に帰られるお二人を、ぎょうけい館さんまで送り届けました。
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不要不急の外出を避けている毎日で、ひさびさにのどかな陽光の下、歩き回って、実にいい気分でした。以前は、愛犬と共に朝夕けっこう歩いていたのですが、愛犬が17歳となり、もうあまり歩けなくなってしまったので、散歩は徒歩30秒の公園まで自分が抱っこしていき、数分間歩かせる程度になってしまったため、なおさらです。
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少しでも早く、コロナ禍の終息、収束を願います。

【折々のことば・光太郎】

夜食に久しぶりで牛鍋をやる。酒ののこりをのみ、牛肉五十匁ほど、葱、キヤベツ入にて美味限りなし。米久をおもひ出す。

昭和21年(1946)10月28日の日記より 光太郎64歳

米久」は浅草に現存する牛鍋屋です。大正10年(1921)には、「米久の晩餐」という長大な詩も書きましたし、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため上京した昭和27年(1952)には、早速、久しぶりにここを訪れています。

最近手に入れた古いものシリーズ、昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」(中村登監督 岩下志麻さん主演)関連です。

まず、カセットテープ。
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「女優 岩下志麻 美しさと妖しさと 2」という題名。「美しい映画音楽と共に語る名作の精粋」だそうで、岩下さんがご出演なさったドラマ・映画の原作等を、そのドラマ・映画の音楽に乗せて岩下さんが朗読するというコンセプトでした。

ジャケットの隅に「品質保証 1969」とあり、昭和44年(1969)のリリースかと思いましたが、取り上げられている「草燃える」は昭和54年(1979)のNHK大河ドラマでしたので、それ以後の制作です。ちなみに「草燃える」での岩下さんは北条政子役でした。

他の作品はすべて映画で、「雪国」(昭和40年=1965)、「古都」(昭和38年=1963)、そして「智恵子抄」(昭和42年=1967)。すべて中村登監督作品です。

「智恵子抄」では、詩「樹下の二人」(大正12年=1923)、「あどけない話」(昭和3年=1928)、「千鳥と遊ぶ智恵子」(昭和12年=1937)、「値ひがたき智恵子」(同)、「荒涼たる帰宅」(昭和16年=1941)。合間に映画「智恵子抄」の脚本をアレンジしたミニドラマ的なものも挿入されています。史実とは異なりますが、昭和13年(1938)、歿する直前の智恵子が病院を抜け出し、光太郎と共に暮らした駒込林町のアトリエ兼住居へ勝手に帰ってきて……
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この映画、一度拝見しましたが、このシーンの岩下さんの鬼気迫る演技は圧巻でした。光太郎役は丹波哲郎さんでしたが、テープでは岩下さんの一人芝居で構成されています。

これ以外にも、まったく同じ音源を使ったカセットテープがリリースされていました。題して「カセット文芸シリーズ 智恵子抄 婉という女」。こちらはかなり前に入手していました。
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こちらも正確な発行年は分かりませんが、JANバーコードが印刷されていることから、こちらの方が新しいのかな、という気がします。ちなみにカップリングの「婉という女」は昭和46年(1971)公開の今井正監督作品です。

もう1点、映画「智恵子抄」のスチール写真。これ以外に、岩下さんのサイン入りを含め、20数種類、この映画のスチール写真をコツコツ集めましたが、新たに一枚加わりました。
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史実ですと、昭和8年(1933)、光太郎智恵子が東北から北関東の温泉巡りをした途中の会津磐梯山でのエピソード。シナリオは以下。クリックで拡大します。
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詩「山麓の二人」(昭和13年=1938)で謳われた、「わたしもうぢき駄目になる」と呟く場面です。

こういうものにどの程度の価値があるのだ? と問われると、何とも答えに窮するところですが、さりとて散逸するに任せるのも忍びなく……。

最近手に入れた古いものシリーズ、とりあえず明日まで続けます。

【折々のことば・光太郎】

夜久しぶりにみみずくの声をきく。しやがれ声なり。春以来きかざりき。


昭和21年(1946)9月20日の日記より 光太郎64歳

ミミズクの声も、田舎あるあるです(笑)。

今年一年を振り返る2回目で、今日は5月から8月です。

5月14日(木)
地方紙『岩手日報』に、「「非常の時」共感呼ぶ 高村光太郎が花巻空襲後に詩作 勇敢な医療者たたえる」という記事が載りました。昭和20年(1945)の花巻空襲の際に、自らの危険を顧みず負傷者の救護に当たった花巻病院の関係者に贈った詩「非常の時」が、コロナ禍に立ち向かう現在の医療従事者の皆さんに対するエールとしても読める、ということで話題になっているという内容でした。

5月16日(土)~5月31日(日)
福島二本松の智恵子の生家/智恵子記念館で「高村智恵子 生誕祭」が開催されました。「上川崎和紙で作ろう智恵子の紙絵」、智恵子作「紙絵」実物展示公開、生家二階の特別公開などが行われました。
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6月2日(火)~6月7日(日)3d3c3058-s
神戸市の兵庫県立美術館で「特別展 開館50周年 超・名品展」が開催され、光太郎作のブロンズ「裸婦坐像」(大正6年=1917)が展示されました。コロナ禍のため、会期を大幅に短縮しての開催でした。

6月2日(火)~6月8日(月)
千葉市のそごう千葉店美術画廊で、「近代秀作木彫展」が開催され、光太郎の父・光雲作の「孔子像」、「大国主命」、「瑞雲」、光雲の師・髙村東雲の孫にして光雲の弟子・髙村晴雲の「釈迦如来像」などが展示されました。

6月2日(火)~8月23日(日)
立川市のたましん美術館で、「開館記念展Ⅰたまびらき―たましんの日本近代美術コレクション―」が開催され、光太郎ブロンズの代表作「手」(大正7年=1918)が出品されました。
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6月2日(火)~8月30日(日)
長野県安曇野市の豊科近代美術館で、
高田博厚生誕120年記念展―パリと思索と彫刻―」が開催され、光太郎に関わる展示も為されました。

6月5日(金)~9月6日(日)
愛知県小牧市 のメナード美術館で「所蔵企画展 画家たちの欧羅巴」が開催され、光太郎の木彫「鯰」(昭和6年=1931)が展示されました。
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6月6日(土)
地方紙『岩手日日』に、「手作りマスク人気 一節印字した紙片同封も 高村光太郎記念館」という記事が掲載されました。花巻高村光太郎記念館さんの女性スタッフの方々による手作り光太郎マスクの件でした。マスクは光太郎の揮毫「正直親切」をあしらった手ぬぐいを素材とし、「光太郎の食卓カレンダー」もセットで販売されたりもしました。

 6月8日(月)
1月25日(土)~2月2日(日)に新国立劇場小劇場にて公演された鈴木勝秀×る・ひまわり第3弾公演舞台『る・ぽえ』DVDが発売されました。「高村光太郎「智恵子抄」をモチーフにした夫婦の話」を含みます。
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6月13日(土)
地上波テレビ東京の「新美の巨人たち」が「希望を与え続けてきた『ノートルダム大聖堂』復活への祈り」を放映し、昨年、火災に遭ったノートルダム・ド・パリが取りあげられ、光太郎詩「雨にうたるるカテドラル」が紹介されました。系列のBSテレ東では6月20日(土)に放映がありました。

6月14日(日)
『毎日新聞』に、島根県立石見美術館専門学芸員・川西由里氏による「今よみがえる森鷗外15 美術界に残した足跡 一歩退き冷静に見つめ」と言う記事が掲載され、光太郎と鷗外について紹介されました。

6月15日(月)
文治堂書店からPR誌『トンボ』第10号が発行されました。1月に亡くなった当会顧問であらせられた北川太一先生の追悼特集が組まれました。
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6月20日(土)
ナカニシヤ出版から渡邊毅氏著『道徳教育における人物伝教材の研究 人は偉人を模倣する』が刊行されました。「第三章 偉人に学び生きた偉人たちの群像」中の「第七節 僕の後ろに道は出来る ―高村光太郎とオーギュスト・ロダン」で光太郎に触れられています。

6月27日(土)・28日(日)
新宿区のパフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』で、「角田佳代ひとり芝居『売り言葉』」の公演がありました。智恵子を主人公とする一人芝居でした。
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6月24日(水)
ローカルテレビ局IBC岩手放送の「わが町バンザイ」のオンエアが「花巻南温泉峡」。花巻高村光太郎記念館・高村山荘が大きく取り上げられました。

6月27日(土)~7月4日(土)
高知県安芸郡安田町の映画館、大心劇場で、昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」(岩下志麻さん、丹波哲郎さんほかご出演)が上映されました。
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dfa8dbd36月27日(土)~9月13日(日)
石川県七尾市の石川県七尾美術館で、企画展「伝えゆく池田コレクションの魅力 〈第1期〉~日本画・彫刻を中心に~/~美濃焼と漆工を味わう~」が開催され、光太郎の父・光雲の木彫、昭和6年(1931)の「聖観音像」が出品されました。

7月1日(水)
雑誌『群像』2020年7月号に、彫刻家・小田原のどか氏による「彫刻の問題――加藤典洋、吉本隆明、高村光太郎から回路を開く―」が掲載されました。

7月3日(金)
海竜社から、中川越氏著『愛の手紙の決めゼリフ 文豪はこうして心をつかんだ』が刊行されました。「冷厳な決別の中に永遠の愛をひそませた高村光太郎」という章を含みます。
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7月4日(土)~8月23日(日)
広島県呉市の呉美術館で「令和2年度コレクション展Ⅰ 呉の美術 没後70年 南薫造をしのぶ」が開催され、南と交流のあった光太郎のブロンズ代表作「手」(大正7年=1918)が出品されました。

7月6日(月)
日本コカ・コーラ社から、「リアルゴールド ウルトラチャージレモン 「やる気」をアップする、“あの人”の金言つきデザインボトル」が発売され、光太郎詩「道程」(大正3年=1914)の一節「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」も採用されました。
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7月8日(水)
テノール歌手の永田峰雄さんが亡くなりました。平成15年(2003)、カメラータトウキョウさんから「別宮貞雄歌曲集「智恵子抄」/ロベルト・シューマン歌曲集「詩人の恋」」をリリースされていました。

7月10日(金)
宮中歌会始の選者も務められた歌人の岡井隆氏が亡くなりました。光太郎に関する著書もおありでした。

7月11日(土)~9月27日(日)
和歌山県伊都郡高野町の高野山霊宝館で「令和2年度夏期企画展「如来 -NYORAI-」が開催され、光雲作の「仏頭」(昭和8年=1933頃)が展示されました。金剛峯寺さんご本尊の薬師如来坐像のための習作です。
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7月15日(水)
広報はなまき7月15日号に、「花巻歴史探訪 郷土ゆかりの文化財編 高村光太郎『手』」という記事が載りました。

7月18日(土)~9月21日(月)
千葉市の千葉県立美術館で、「コレクション展 高村光太郎の生きた時代」 が開催され、光太郎ブロンズ8点と、交流のあった作家の作品が出品されました。

7月20日(月)
秀明大学出版会から、同大学長の川島幸希氏著『140字の文豪たち』が刊行されました。氏がツイッター上で「初版道」というアカウントを展開中で、本書はそちらに掲載されたツイートを再編したものです。光太郎にも触れられています。
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8月5日(水)
ソニーミュージックから、J-POPアーティスト・米津玄師さんのニューアルバム「STRAY SHEEP」が発売されました。米津さんご自身、「智恵子抄」収録の絶唱「レモン哀歌」(昭和14年=1939)からのインスパイアもあるかもしれないとおっしゃっている「Lemon」を含みます。

8月7日(金)
岩手県花巻市の花巻高村光太郎記念館近くに、道の駅「はなまき西南」(愛称・賢治と光太郎の郷)がオープンしました。施設内に光太郎、賢治に関する説明板等が展示されています。これにあわせ、花巻高村光太郎記念会で、新商品「智恵子のレモンキャンディー」を発売しました。
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8月7日(金)~13日(木)
宮城県女川町の女川つながる図書館で、「詩人・光太郎と賢治 ~えにしをめぐる~」展が開催されました。
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8月9日(日)
地上波テレビ朝日の「秘湯ロマン」が、栃木県那須塩原市の「塩の湯温泉柏屋旅館」を取り上げ、昭和8年(1933)に逗留した光太郎智恵子にも触れられました。

8月10日(月)
東京都中央区の浜離宮朝日ホールで、「サードアルバムリリース記念 精緻な歌声でつづる日本の心 小林沙羅 ソプラノ・リサイタル 日本の詩(うた)【3/12振替公演】」が開催され、光太郎詩に曲を付けた「或る夜のこころ」「あなたはだんだんきれいになる」「亡き人に」(中村裕美さん作曲)が演奏されました。
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8月16日(日)
歌手の二代目コロムビア・ローズさんが亡くなりました。昭和39年(1964)、丘灯至夫作詞、戸塚三博作曲の「智恵子抄」がヒットし、その年の紅白歌合戦に出場されました。

8月17日(月)~8月23日(日)
全国31局のコミュニティFM局でオンエアされているラジオ番組「仮面女子 雪乃しほりのワクワクサワー」という番組で、「智恵子抄」へのオマージュ的な「ほんとうの空・青い空」というラジオドラマが放送されました。
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b6977be8-s8月20日(木)
三笠書房から板野博行氏著『眠れないほどおもしろいやばい文豪 こうして生まれたあの名作』が刊行されました。「智恵子との「ピュアピュア♡」な関係 高村光太郎」という項を含みます。

同日、静岡は伊東で刊行されている同人誌的な総合文芸誌『岩漿』の第28号が発行されました。主宰の小山修一氏によるエッセイ「高村光太郎と木下杢太郎」が掲載されています。

8月22日(土) 
『朝日新聞』さんの岩手版に「光太郎の心、今も 東京で空襲、賢治の縁で疎開」という記事が載りました。

同日、劇作家・女優の渡辺えりさんがご出演なさったテレビ番組「ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 渡辺えり×石原正康」がBS朝日でオンエアされました。渡辺さんが、光太郎と交流のあったお父様・渡辺正治氏や、ご自身と光太郎詩との思い出などを語られました。
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8月25日(火)
BS-TBSで、「日本の名峰・絶景探訪▼雪煙舞う厳冬の安達太良山 福島」が放映されました。初回放映は平成26年(2014)の再放送でした。

8月29日(土)
岩手のテレビ局・めんこいテレビさんで1時間の特番「智恵子さん、岩手は気に入りましたか、好きですか?~高村光太郎の山小屋暮らし7年~」が放映されました。
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8月30日(日)
地上波TBSで、「東京の空 #ぼくの、わたしの“ほんとの空”。」の放映がありました。さまざまな事情を抱える人々の、「東京の空」への思いを紹介するもので、光太郎詩「あどけない話」(昭和2年=1927)にも触れられました。

【折々のことば・光太郎】001

学校までの道にて雪中に兎の足あとを発見す、図の如し この形兎になること亘さんにきけり


昭和20年(1945)12月9日の日記より 光太郎63歳


明治生まれとはいえ、都会育ちの光太郎にとっては珍しかったのでしょう。

横に並んでいる二つが後ろ足 、縦の二つが前足です。 ウサギは前足をついてから後足を広げて前に出るため、後ろ足の足跡が前につきます。

昨日の『朝日新聞』さん、高知版から。 

高知)「客が一人でも上映」 山の中の映画館・大心劇場

 ウグイスのさえずりが里山に響く。周囲1キロに000集落もない。「山の中の映画館」と呼ばれる「大心(だいしん)劇場」(高知県安田町内京坊)を館主の小松秀吉さん(68)は38年間、続けてきた。なぜ、そんな不便な場所で営業を続けるのか。
 ――開館のきっかけは
 父親が約2キロ先の街中で、1954年から映画館を経営していた。テレビの普及で利用客が減り、休館状態となった。当初は取り壊す予定だったが、父親が自宅の敷地内に移築すると決断した。82年に「大心劇場」の名で開館。30歳だった自分が館主となった。
――なぜ移築したのですか
 昭和の映画館を残すのと、映画館が好きな息子の私のためという二つの思いが、父親にあったのだろう。以前の映画館では、3歳のころからステージや客席が遊び場。中学、高校時代は夏、冬休みにアルバイト感覚で、自分でフィルムを借りて上映していた。大阪の大学に進学後も、映画館巡りは欠かさなかった。
 ――よく開館に踏み切った
 最初は、昭和の映画館を体感できる博物館を始めるつもりだった。映写機やスクリーン、昭和の映画のポスターも200枚は集めていたから。旅先でここを知った旅行客に寄ってもらえるかもって。でも、県内で次々と単館の映画館が姿を消すのを見ちゃうとね。設備がそろっているのに、なぜ上映しないのかと、思うようになった。
 ――経営はどうでしたか
 当初は父親の印鑑の営業などを手伝い、上映で赤字が出てもその収入で補?(ほてん)した。10年ぐらい前から黒字になり、次回のフィルム代くらいは出るようになった。
 ――どうやって黒字に
 人とのつながりだ。大学時代に映画館ともう一つ夢中になったのがギターの弾き語り。「豆電球」の名前で地域の秋祭りなどで歌っている。そこで知り合った人に映画館を紹介する。そのうち、来館者が県内外に100人できた。
 家族経営なのでかかるのは電気代やフィルム代。一週間の上映で100人入れば黒字。客が足らないと「あんたが100人目よ」と100人の誰かに連絡すると、本当に来てくれる。
 ――音響がいいと聞きました
 フィルム映写機のドキュメンタリー映画「旅する映写機」で取材を受けた時、音響スタッフが館内のスピーカーや新しいアンプなどを使ってドルビーデジタルサラウンドを出せるよう再構築してくれた。館は木造で音の反響が柔らかい。大音量で音が外に漏れても文句をいう家はない。
 ――新型コロナウイルスの影響で休業3カ月後の今月、再開。最初の上映映画は「上を向いて歩こう」でした
 お客の顔を見ると本当にうれしかった。(坂本)九ちゃんの歌が流れた時は、涙も出たし、これからも上映する覚悟が持てた。知らない者同士が、同じ空間の中で映画から一人ひとり力をもらう。映画館の醍醐(だいご)味やね。(今林弘)
     ◇
 こまつ・しゅうきち 高知県安田町出身。映画館とその隣で喫茶「豆でんきゅう」を経営。大心劇場(0887・38・7062)は、懐かしい日本映画を中心に1作品約1週間の期間で1日2回(午後1時、7時)、月2作品を上映。客席84席。次回上映は6月27日~7月4日の「智恵子抄」。詳細はホームページ(http://wwwc.pikara.ne.jp/mamedenkyu/別ウインドウで開きます)。


5月のこのブログでご紹介
させていただいた、高知県安田町のミニシアター、大心劇場さん。コロナがなければ3月に昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」(岩下志麻さん、丹波哲郎さん主演)を上映して下さる予定でした。今月から営業を再開され、最初は昭和37年(1962)の日活映画「上を向いて歩こう」(舛田利雄監督・坂本九さん主演)を上映。続く再開2本目が、延期措置となった「智恵子抄」だそうです。 

昭和の名作。感動の大公開!! 智恵子抄002

期 日 : 2020年6月27日(土)~7月4日(土)
会 場 : 大心劇場 高知県安芸郡安田町内京坊992-1
時 間 : 1回目昼1時より 2回目夜7時より
料 金 : 1,500円

<監督>中村 登 <原作>佐藤 春夫/高村 光太郎
<出演者>岩下 志麻、丹波 哲郎、ほか
<作品紹介>美しく清らかな純愛をうたう感動無限の最高名篇

画像は3月公開予定時のものです。日程ご注意ください。

光太郎役の故・丹波哲郎さんは、ご自分で最も気に入っていた出演作の一つだそうですし、若き日の岩下志麻さん演じる智恵子の鬼気迫る様子、見応えのある作品です。

また、個人的な理由になりますが、おそらく当方自宅兼事務所のある千葉県香取市佐原地区でもロケが行われており(冒頭近くの「パンの会」のシーン)、感慨深いものがあります。

それにしても、『朝日新聞』さんの記事を読み、経営されている小松秀吉氏の「意気」に感動しました。

お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

言葉はまた着物の裂れ地と同じく、聯絡や関係が大切なのであつて、一部分のものではない。前後の関係、時間の関係に依つてその美が生れるのだから、その均衡に対する鋭い感じがないと、たていとばかり利いて横糸の弱いものが出来上つたりしてしまふ。

談話筆記「ことばの美に就いて」より 昭和18年(1943) 光太郎61歳

彫刻家としての造型感覚が、言葉を紡ぐ上でも有効に作用していた光太郎ならではのとらえ方ですね。

まだ新着情報不足がつづいていますので、今日も最近手に入れた古いものシリーズです。

昨日は、光太郎詩「道程」を元にした詩の朗読を含む昭和58年(1983)にリリースされた野口五郎さんのLPレコードをご紹介しましたが、やはりLPレコードをもう一枚。

野口さんのアルバムの前年、昭和57年(1982)、キングレコードさんから発売された「映画音楽・佐藤勝10」。

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平成11年(1999)に亡くなった、作曲家・佐藤勝氏の映画音楽001を集成した10枚組シリーズの1枚です。

佐藤氏といえば、「隠し砦の三悪人」「用心棒」「椿三十郎」などの黒澤明監督作品、光太郎が亡くなった昭和31年(1956)公開の「太陽の季節」などの石原裕次郎主演作品、山田洋次監督の「幸福の黄色いハンカチ」などを手がけた方ですが、それ以外にも「これも佐藤作品か」、「えっ、こんなものまで」というような映画(日本映画史上に残るような)の音楽もたくさん作られています。10枚組シリーズの収録曲一覧、右画像をご覧下さい。

そして、昭和42年(1967)公開の、中村登監督作品「智恵子抄」(松竹)。岩下志麻さんが智恵子、故・丹波哲郎さんで光太郎でした(過日、コロナ禍に関する記事でもこの映画をご紹介しました)。「映画音楽・佐藤勝10」には、この「智恵子抄」の音楽が収録されています。

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当方、この「智恵子抄」は1度拝見しただけですが、各シーンで効果的に使われていた佐藤氏の音楽、印象的でした。

その10年前に製作された原節子さん、山村聰さん主演の「智恵子抄」(東宝)はVHSテープで市販されましたが、松竹の「智恵子抄」は販売用ソフトになっていません。ぜひDVD化を望みます。

ちなみに佐藤氏の作品集成のうち、「智恵子抄」が収められたもの、CD版ではかなり以前に入手しました。アナログレコード版とはまたラインナップの組み方が異なっています。

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今回佐藤氏について改めて調べたところ、当方存じませんでしたが、映画音楽以外にも、有名な「若者たち」や由紀さおりさんの「恋文」なども作曲されているそうで、驚きました。

NHKさんで現在放映中の連続テレビ小説「エール」で、古関裕而、古賀政男山田耕筰らの作曲家に光が当たっていますが、佐藤氏についてももっと知られていいと思います。


【折々のことば・光太郎】

彼は過激を欲しない。彼は律度を欲する。彼は異様を欲しない。彼は正順を欲する。
散文「寸言 ――シヤヷンヌについて――」より
 大正5年(1916) 光太郎34歳

「シヤヷンヌ」は、フランスの画家、ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ。印象派の面々と世代的に同じですが、奇を衒わず、しかし守旧に堕することもなく、独自の芸術をつきつめました。そうした部分で光太郎、かなり共鳴する部分があったようです。

この手の評論的な文章での光太郎の常ですが、他の芸術家を好意的に評するとき、それが光太郎芸術の目指すある面を表していることが多くあります。「過激を欲しない」「律度を欲する」「異様を欲しない」「正順を欲する」、たしかに光太郎芸術にも当てはまります。

昨日は青森の『東奥日報』さんから、コロナ禍による十和田湖の現状についての記事を紹介いたしましたが、本日は同様の件で、『高知新聞』さんから。 

コロナなかりせば… 大心劇場(安田町)上映まで歯食いしばる

 新型コロナウイルスの感染拡大により、高知県内でもさまざまなイベントが中止に追い込まれ、活動の自粛を余儀なくされている。コロナ禍がなければ、にぎわっていたであろう「あんな催し」「こんな取り組み」を紹介。次回にかける関係者の思いと共に、随時紹介していく。
 高知県安芸郡安田町内京坊の「大心劇場」は月に1、2本の映画を上映する、山の中の映画館だ。昭和30年代の純愛もの、任侠劇、高知ロケが行われた近作など上映作は多彩。だが、3月初旬から休館を余儀なくされている。
 座った途端、懐かしさでほっとする客席。周囲は、往年の映画ポスターがぐるり囲む。
 「映画の中でしかなかったものが、現実になった。朝起きて、『夢で良かった』じゃない世界になったね」。コロナ禍をこう表現するのは、館主の小松秀吉さん(68)。上映は、国道55号や町内に掲げる名物の手描き看板が知らせてくれるが、今は姿を消している。

 劇場は映画上映だけの場所ではない。併設するステージでは、シンガー・ソングライターとして「豆電球」の名で活動する小松さんが歌ったり、プロの歌手が登壇。2018年10月には、双子の歌手「こまどり姉妹」が30年ぶりに来町。トークと歌声を披露した。
 年号が改まる2019年4月30日夜は常連客ら約30人がカウントダウンイベントに参加。昭和の開館から三つ目の時代の幕開けを祝った。

 今年からは旅行会社のツアーの巡り先にもなっていたという大心劇場。小松さんは「今はじっと我慢するしかない。山の中に映画を見に来てくれるお客さんに力をもらってきた。東部の映画の灯は絶対に守っていく」。山の湧き水で溶いたペンキを手に、上映を待つ映画の看板作りに取り掛かった。(北原省吾)

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(左)上映日が未定の「智恵子抄」(中村登監督)の看板前に立つ小松秀吉さん。「ヒーローじゃなく、マスクが世界を救ってるね、今は」
(右)令和の幕開けを祝う常連客ら(2019年5月1日未明)003

待ち遠しいね~ 安田町のゆるキャラ 安田朗(あんたろう)
 レトロな大心劇場の再開が待ち遠しいね~。町にはほかにも、おいしいごはん屋さんとか、おやつを売りゆう所があるきん、落ち着いたらぜひ遊びにきてよ~。ぼくもまたいろんな所へ安田町のPRしに行くきん、会いにきてね~!

高知県安田町の大心劇場さん。写真のキャプションにあるとおり、昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」(岩下志麻さん、丹波哲郎さん主演)を、この3月に上映して下さる予定でした。

3月に、このブログでご紹介しようと、途中まで005記事を書きました。ところが、観覧料金が大心さんのHPに記載されていなかったので、電話で問い合わせてみたところ、おそらく記事にある小松さんでしょう、「あー、ホームページはまだ直してないんですけど、新型コロナで無期限延期にしたんですわ」とのことでした。「ありゃま」という感じでした。右は予定されていた上映のポスターです。

まさに見出しの通り「コロナなかりせば」ですね。ちなみに「せ」は助動詞「き」の未然形、そこにプラス助詞「ば」ですから反実仮想の用法です。

油断は禁物ですが、徐々に緊急事態宣言の解除が進むようで、「智恵子抄」の上映も遠くない日に実現して欲しいものです。観覧料金は1,500円だそうです。

こうした大心さんのようなミニシアターが存続の危機、という報道が為されたのは先月くらいだったでしょうか。その後、どうなっているかと調べてみましたところ、クラウドファンディング「ミニシアター・エイド(Mini-Theater AID)基金」なるものが立ち上がり、支援の輪が広がっているようです。

同様に、全国の新刊書店さん、古書店さんを支援する「ブックストア・エイド基金」も展開中です。素晴らしい!

「不要不急」と、とかく後回しにされがちな文化芸術分野ですが、そうしたものが一切無い世界を想像してみて下さい。当方には耐えられません。

466億円もの予算を組んで、「不要不急」どころか「不要」でしかない、しかも利権の匂いのプンプンするものを配るより、こうした部分に予算を廻せ、きちんと制度を整備しろ、と言いたくなりますね。制度と言えば、同じく「不要不急」どころか「不要」でしかない、いや、「有害」な法案は拙速に強行採決されそうな勢いですが……。


【折々のことば・光太郎】

桐葉亭々   短句揮毫  戦後期?

「亭々」は「ていてい」。樹木が葉を繁らせ、高々と聳えるさまです。桐は実は樹木というより草に近いのだそうですが(だから成長が早く、軽いのだそうで)、そろそろ紫の可憐な花があちこちで見られているのではないでしょうか。

「亭々」、寡聞にして当方は存じない言葉でした。明治人にとってはあたりまえの言葉だったのか、それとも光太郎のボキャブラリーが豊富だったのか、どちらなのでしょうか。

イラストレーター・ただまひろさんのツイート「『世界がもとに戻ったらしたいことまとめ』」が話題になっています。

Yahoo!さんのニュースサイトから。 

飲み会に部活?『世界がもとに戻ったらしたいこと』ツイートに反響、自粛の我慢を希望へ変換

『世界がもとに戻ったらしたいことまとめ』と題した漫画のツイートが、大きな話題となったイラストレーター・ただまひろさん(@mappy_pipipi)。同ツイートは31.1万のいいねを集めたほか、「コロナが終息したら、みんなは何したい?」という問いかけに応えたユーザーから、多くの「したいこと」が寄せられ、1000件以上のコメントが付いた。この漫画に込めた思い、自粛生活を送るユーザーへのメッセージを聞いた。

■31.1万の“いいね”集めた漫画、大反響の裏に「みんなの我慢」

――『世界がもとに戻ったらしたいことまとめ』をツイートしようと考えたきっかけは?

【ただまひろさん】私にできることは、「自粛しよう」と注意喚起するよりも、漫画を読んでくれた方にこの先の楽しいことを想像してもらい、それを実現するために今がんばろうと感じてもらうことだと思い、公開しました。

――漫画の中には11個の「したいこと」が描かれていますが、どんなことを意識して制作したんですか?

【ただまひろさん】「したいこと」はもっといっぱいあると思いますが、自分がしたいことや、周りの人がしたいと言ってることを選びました。またイラストについても、読者の方が自分に当てはめて読めるように、一つのキャラクターを使うのではなく、いろんな人を描きました。

――“いいね”はもちろん、多くの人が自分のしたいことを書いてリプライしています。

【ただまひろさん】想像以上のたくさんの「したいこと」があって、今みんなが我慢してるんだと改めて感じました。みんなのしたいことを絶対できるようにするために、今一人一人ががんばらないといけないと思います。

――ただまひろさんは、イラストレーターのほかにクレープ屋でも働かれているとか。やはり、コロナの影響を感じますか?

【ただまひろさん】そうですね。今何も影響がないという人はいないと思います。いつまで続くのかわからない状態でストレスが溜まりますが、誰かのせいにはしたくないなと思っています。

■バイト先のクレープ屋にもコロナの影響、「誰かのせいにはしたくない」
――今回にしても、クレープ屋のお客さんを描いた漫画にしても、絵や言葉にとても温かみがありますね。描く際に心がけていることは何でしょうか?

【ただまひろさん】ありがとうございます。ちょっと笑えてホッとするものを目指してるので嬉しいです。一人一人思うことは似ていたとしても、まったく同じわけではありません。自分は良かれと思って描いたとしても、誰かを傷つけてしまうかもしれない。そういうことがなるべく無いように心がけています。

――多くの反響がありましたが、SNSで作品を発信することの良い点、また大変だと思うことはありますか?

【ただまひろさん】良い点は、実際に会ったことがない人にも作品を見てもらえたり、自分では想像できなかった考えを知れる点です。誰でも見られて何でも言えるのが良いところですが、それが大変な面でもあると思います。

■嘆いてもどうしようもない、「家でどう楽しく過ごすか考えることにシフトチェンジ」

――『世界がもとに戻ったらしたいことまとめ』の最後には「したいことを楽しみに過ごそう!」とありますが、まさにゴールデンウイークも自粛生活となっています。ユーザーへ何か伝えたいことは?

【ただまひろさん】私も、旅行や帰省など色々と計画を立てていました。もう近場にも行けない状態ですので、家でお菓子作って食べて筋トレしての繰り返し...の予定です。どこにも行けないのを嘆いていてもどうしようもないので、今は家でどう楽しく過ごすか考えることにシフトチェンジするほうがいいと思います。

――ちなみに、ただまひろさんの一番したいことは?

【ただまひろさん】まずは帰省して両親や祖父母に会いたいです。あとは友だちと集まって、ごはんや飲み会をパーッとやりたいです!

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したいことを楽しみに過ごそう!」というポジティブな考え方がいいですね!

当方も、「① 集まって、飲み会したい」、「③ お祭りに行く」、「④スーパー銭湯とサウナに行きたい」、「⑥ 旅行する」、「⑪ 普通の生活を送りたい」あたりはまさに当てはまります。

それ以外に是非やりたいこと、というか、今、やれなくて困っていることなのですが「図書館系で調べものをしたい」と思っています。

少し前に、このブログで紹介すべきネタが不足している、と嘆いたところ、メールで情報提供があったり、ネットでいろいろ調べている中で網にかかった情報があったりしています。で、その情報について詳しく調べたり、ご教示いただいた資料を閲覧したりしたいのですが、主要な図書館系はどこも休館中……。困っています。

例えば、当方と同じ千葉県ご在住で、連翹忌にもよくご参加いただいている方から、ご自宅近くだという千葉県文書館さんの情報をご提供いただきました。こちらは「県の行政文書や古文書などの資料を収集保存し、その活用を図るとともに、県の行政に関する情報を提供する施設」だそうですが、こちらにローカルテレビ局・チバテレさん制作の「房総プロムナード」という番組がDVDで保存されていて、視聴できるというのです。

同番組、現在は制作は終了しているようですが、'90年代末、'00年代くらいのものは、時折、再放送されています。ご教示いただいたのは、それより古いもので、2本。まず、昭和52年(1977)制作の「文学散歩 九十九里の浜」。こちらに当時存命だった智恵子の妹・斎藤セツが出演しているというのです。セツは昭和4年(1929)の智恵子実家・長沼家の破産後、あちこち転々としたのち、九十九里に夫や子ども、そして母・センと共に落ちつき、昭和9年(1934)には、半年余り、心を病んだ智恵子を引き取っていました。その智恵子の思い出を語っているということで、これはぜひ見てみたいと思っております。写真はいくつかの資料に載っているのですが、動画となると、見たことがありません。ちなみに下記は昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」(岩下志麻さん、丹波哲郎さん主演)のパンフレットから。

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また、平成2年(1990)制作の「文学散歩 ~九十九里町~」。こちらには、智恵子が療養していた斎藤家(田村別荘)が紹介されているとのこと。やはり「智恵子抄」の故地、という扱いです。この建物は移築・保存されていたのですが、平成11年(1999)、感情的な行き違いが元で、突如、取り壊されてしまって今は見ることが出来ません。


それから、他の方からの情報提供で、どうも『高村光太郎全集』未収録の短歌が載っているらしい雑誌についても教えていただきましたし、先述の通りネットでいろいろ調べている中で網にかかった情報もあります。

そうした場合、平時であれば国会図書館さん、日本近代文学館さん、神奈川近代文学館さんなどに出向いて調べるのですが、三館とも休館中です。

昨日の政府見解では「図書館や公園の再開は容認」ということですが、個々の館の対応等まだ不透明ですし、たとえ再開しても、そこまで行くためには公共交通機関を利用しなければならず、結局はまだ当分無理でしょう。国会図書館さんのデジタルデータは、自宅兼事務所のPCで見られるものもありますが、当方が必要とする情報はほぼ「国立国会図書館内限定」か「図書館送信資料」。後者であれば隣町の成田市立図書館さんで見られますが、こちらも休館中(GW中、臨時に開館という話でしたが、PCの置いてあるフロアは閉鎖)……。

まったく、困っています。

それから、自分で自分に腹が立っていることが一つ。

当会として年2回発行しております『光太郎資料』、次号(智恵子命日の10月5日発行予定)の執筆にかかっているのですが、そのために必要な資料(光太郎と交流のあった詩人・風間光作執筆の回想)が見あたらなくなってしまっています。読んだ記憶が確かにあるので、書庫の蔵書のどこかに転載されているはずなのですが、いったいどの本に載っていたのか、忘れてしまいました。

言い訳させていただければ、書庫はこういう状況でして……。

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4畳半の部屋ですが、三方が作り付けの書棚(20年ほど前、現在の自宅兼事務所を新築した際に造ってもらいました)、それ以外にも通常の本棚を置いてあります。書棚は天井が吹き抜けですのでやけに高く、9段、天板の上まで使っているので10段です。蔵書がどれだけ冊数があるのか、数えるのは早々にやめてしまいました(笑)。書物以外に、上記の図書館さん系で取ってきたコピーなども多数。何処に何が書いてあるかほぼ頭に入っているのですが、どうしても今探している文章が見つかりません。

元は戦時中の雑誌に載っていたことが分かっていますので、やはり平時であれば、国会図書館さん等に出向いてすぐコピーが取れますが、いかんせん、主要な図書館さん系はこぞって休館中……。まいっています。

そんなわけで、「世界がもとに戻ったらしたいこと」、当方は、まず「図書館系で調べものをしたい」です。やっぱり、変わり者なのでしょうかね(笑)。

さて、皆さんの「世界がもとに戻ったらしたいこと」は何でしょうか? そして、ただまひろさんのツイートにある通り、「「したいことを楽しみに過ごそう!」ですね。


【折々のことば・光太郎】

美しきものをおさむ   短句揮毫  昭和24年(1949) 光太郎67歳

東北大学総長を務めた結核学者・熊谷岱蔵の描いた画帖を収める箱のための箱書きとして揮毫しました。

上記当方書庫、6:4、いや、7:3くらいで古書の方が多いと思います。中には100年以上前のものも。となるとかなりボロボロだったりもしますが、そこに描かれている内容は、光太郎の詩文をはじめこれもまた、まごうかたなき「美」です。

昨日も書きましたが、このところのイベント等の自粛やら延期やら中止やらで、このブログのネタに困っています。仕方がないことですが、ついでに言うなら講師を仰せつかっていた市民講座等も続々中止、1年以上前から関わっていた展覧会も中止……。医療現場の最前線で闘っている病院関係の方々や、感染の恐怖におびえながらも通常通りに仕事せざるを得ないさまざまな職種の皆さんなどに比べれば、どうということはないだろう、とも思うのですが、やはり困りますね……。

さて、ネタ不足に対する苦肉の策の第二弾として、光太郎智恵子とは直接関係ないのですが、今日は散歩ネタで。先週木曜日でしたか、すこぶる陽気がよかったし、あまりに暇だったので、自宅兼事務所から徒歩30分ほどの旧市街を散歩しました。はじめに断っておきますが、田舎ですので、散歩している分には「密」の状態はあり得ません。さらにその日はどこの店にも寄りませんでした。まぁ、第一、休業している所が多いのですが……。専門家会議等の提言でも散歩はOKということでしたし。

自宅兼事務所のある香取市佐原地区、平成8年(1996)、関東地方で初めて伝統的建造物群保存地区に指定された、古い街並みが残っています。まるで光太郎智恵子が歩いていてもおかしくないような(苦しいのですが)。そこで、コロナ禍が収まったら、皆さんにどんどん観光に来ていただきたく、その参考に、というコンセプトです。

「光太郎智恵子が歩いていてもおかしくない」というか、おそらく昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」(岩下志麻さん、丹波哲郎さん主演)のロケも行われています。ただ、確証がありません。パンフレットには同じ千葉県北部の「佐倉」と書かれています。しかし、写真を見るとどうみても「佐原」でして。「佐原」と「佐倉」昔からよく混同されています。

佐原地区、コロナ騒ぎの前は、平日でもバスツアーなどで観光客の皆さんが多く、また、かえって平日の方が、旅番組系、ドラマやCMなどのロケが多かったのですが、さすがに閑散としていました。

少し前に放映されていた、波瑠さんがご出演なさった大同生命さんのCMは佐原で撮られました。 

 

佐原は元々、利根川支流の小野川沿いに、江戸への舟運で栄えた街です。こちらが小野川。水源から河口の利根川との合流地点までのバイアスがあまりないので、流れはゆるやか、それだけに清流、という感じではありません。ただ、川沿いの道は無電柱化が進み、その意味では景観美が確立されています。

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ところどころに古い橋も残っています。

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下の画像は「樋橋(とよはし)」。通称「ジャージャー橋」。元は農業用水を通す橋で、溢れた水が川に落ちていたので、そういう名です。現在は観光用に30分だか1時間だかに一度、機械仕掛けで人為的に落水させています。

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それから石段は「だし」。荷の積みおろしをするための船着き場です。今もあちこちに残っています。

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船宿も昔は結構あったそうですが、昨年あたりに最後の一軒、「木の下旅館」さんも旅館としては廃業、とんかつ屋さんにリノベーション。ただ、建物はそのまま残っています。

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そのあたり、リアルにそういう内容で、昨年、テレビ東京さんの深夜ドラマ「日本ボロ宿紀行」(深川麻衣さん、高橋和也さん主演)で取りあげられました。劇中歌「旅人」のPVは木の下旅館さんに泊まって作成されたという設定でした。

 

また、木の下旅館さんの対岸にある床屋さんもPVに登場。昭和レトロ感あふれる建物です。

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こちらはやはり少し前に放映されていた、故・大杉漣さん、永山絢斗さんご出演のオロナミンCのCMでも使われていました。




そうした舟運も、鉄道の普及と共に衰退。下記は舟運から鉄道への過渡期の遺構。小野川から佐原駅まで数百㍍を繋いでいたベルトコンベヤーの跡です。

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しかし、小野川沿いを中心に、江戸時代からそのまま続いている老舗もかなり健在。

元々この辺り一帯の大地主でもあった、寛政12年(1800)創業の佃煮屋さん「正上」さん。しょっちゅうテレビで取りあげられます。

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左下はお茶屋さんで「大高園」さん、明和2年(1765)創業。右下は天明2年(1782)創業の蕎麦屋の「小堀屋」さん。昆布の粉を練り込んだ真っ黒な蕎麦が名物です。

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江戸時代と同じ製法でごま油を作り続けているという「油茂(あぶも)製油」さん。このお店が現在も営業している中で最も古く、正確な年代は不明ながら350年以上だそうです。

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文化元年(1805)創業の「福新呉服店」さん。

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勝海舟も逗留したことがあるという造り酒屋の「馬場酒造」さん。創業は天保年間、煙突は明治33年(1900)の建造だそうで。

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植田屋荒物店」さん(宝暦9年=1759年~)。「荒物」は、竹や木などの自然素材で作った笊、籠、箒などのエコ商品です。

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左は「虎屋菓子舗」さん(明暦2年=1657~)。和菓子はもちろん、洋菓子も扱っています。右は陶磁器の「紀の国屋」さん。光太郎が生まれる前年の明治15年(1882)に東京から移転してきたそうです。

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これらのお店は、江戸時代や明治期からの老舗ですが、建物はそのままに、異業種に転換したというお店も少なくありません。

和風雑貨の「素顔屋(すっぴんや)」さん。元は家具屋さんでした。当方愛用の傘はここで購入。着物の際にも使える番傘風の洋傘です。

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並木仲之助商店」さん。元は荒物の卸問屋さんでしたが、現在は和紙やお香などを置いています。

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手前はアンティークショップ、奥はフランス料理店「夢時庵(むーじゃん)」さん。

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板前割烹 真亜房(まあぼう)」さん。地産地消にこだわり、ブランド肉の「恋する豚」などを使った料理がおいしいお店です。

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蕎麦屋の「香蕎庵(かきょうあん)」さん。蕎麦とフレンチを融合させ、「トリュフ蕎麦」なども人気だそうで。

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イタリアン、というか、「洋麺屋」と看板に掲げる「ワーズワース」さん。ボリュームたっぷりのパスタが人気です。尖塔のような蔵の形が面白いですね。

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小野川を運行する観光舟めぐりの事務所。

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左下はサツマイモ専門の和菓子屋「さわら十三里屋」さん。十数年前まで新刊書店の「正文堂」さんでした。しばらく空き店舗だったのが、数年前にリノベーション。

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右上が「中村屋商店」さん。元は畳屋だったのが、和風雑貨の店となり、さらに現在はホテル「NIPPONIA」さんのフロント、レストランも兼ねています。

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「NIPPONIA」さんは、古民家や蔵を改装し、宿泊施設としたちょっと変わったホテルです。現在4棟、13部屋。フロントからは徒歩で移動。「商家町全体をホテルに」というコンセプトです。上記の「並木仲之助商店」さんの一部も使われています。

それ以外には、古民家一軒まるごと借りる形の棟。

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豪商の邸宅だった棟。忍び返し的な柵が塀の上に。

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蔵を改装した棟。

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いい感じですよね。

長くなりましたので、続きは明日。


【折々のことば・光太郎】

すかり秋になつて、栗がさかんに屋根に落ち、毎日栗飯を炊き、昔の目黒の料亭を時々思ひ出します。

雑纂「消息の中から」より 昭和23年(1948) 光太郎66歳

花巻郊外旧太田村の山小屋に蟄居していた時のものです。「目黒の料亭」というのは戦前の話でしょうか。光太郎が歩いた東京の街並みも、上記佐原の街並みと似た感じだったのでは、と思われます。こじつけっぽく苦しいのですが(笑)。

この一年を振り返る企画の最後となります。今日は10月から今月のできごとです。詳細は各項のリンクをご参照下さい。毎日書いていますが、主なものに限らせていただきます。書籍等の発行日は奥付の記述に典拠し、実際の発売日とは異なる場合があります。

まず、昨日、書き忘れました9月分の追補を。

9月20日(金)
文治堂書店さんからPR冊子『トンボの眼玉』№9が刊行されました。今年4月に刊行された当会顧問・北川太一先生の『光太郎ルーツそして吉本隆明ほか』の宣伝になっています。『高村光太郎の戦後』を青土社さんから上梓された中村稔氏、吉本に詳しい評論家の久保隆氏、同じく芹沢俊介氏の玉稿、そして拙稿「『高村光太郎全集』未収録作品集成」が掲載されています。

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9月23日(月)~12月17日(火)
栃木県佐野市にある佐野東石美術館さんで第4回「森の交響曲(シンフォニー)」展が開催され、光雲木彫「牧童」が展示されました。

さて、10月以降に入ります。

10月3日(木)・4日(金)
ホテルメトロポリタン長野さん及び信州善光寺さんで「第14回善光寺サミット」が開催されました。光雲とその高弟・米原雲海による仁王像開眼100周年を記念し、田中修二氏(大分大学教授)、藤曲隆哉氏(東京藝術大学大学院非常勤講師)による記念講演『善光寺仁王諸像の魅力について』などが行われました。

10月5日(土)~11月24日(日)
小樽文学館さんで特別展「歿後50年 伊藤整と北海道展」が開催され、光太郎に関わる展示も為されました。


10月5日(土)・6日(日)・12日(土)・13日(日)
長野市のギャラリー花蔵さんで「thee第13回公演『売り言葉』」が上演されました。本来一人芝居である野田秀樹氏の戯曲『売り言葉』を、島崎美樹さん、ミズタマリさんのふたり芝居とする演出でした。

10月5日(土)~12月15日(日)
群馬県立土屋文明記念文学館さんで「萩原恭次郎生誕120年記念展 詩とは?詩人とは?」が開催され、光太郎に関する展示も行われました。「萩原恭次郎生誕120年記念展」は前橋文学館さんとの共同企画で、同館では11月2日(土)~来年1月26日(日)まで、「何物も無し!進むのみ!」を開催中です。

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10月6日(日)
福島県二本松市のラポートあだちさんで、智恵子を偲ぶ「第25回レモン忌」が開催されました。記念講演はテルミン奏者の大西ようこさんによる「もう一つの智恵子抄」でした。

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同日、当会で会報的に発行している冊子『光太郎資料』52集を発行いたしました。

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同日、地方紙『伊豆新聞』さんに「新・埋もれ火を訪ねて 鈴木白羊子」という記事が載りました。光太郎と交流のあった詩人・編集者の鈴木白羊子を紹介するもので、光太郎にも触れられています。

 10月6日(日) 10月10日(木)
福島市の古関裕而記念館さん、二本松市の市民交流センターさんで、シャンソン系歌手モンデンモモさんのコンサート「FUKUSHIMA DAISUKI MOMO CONCERT 2019」が開催され、「智恵子抄」にオリジナルのメロディーを付けた曲などが演奏されました。

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10月7日(月)

岩手県花巻市・北上市の光太郎ゆかりの石碑等を巡る市民講座「岩手花巻高村光太郎記念館講座 詩と林檎のかおりを求めて 小山先生と訪ねる碑めぐり」が開催されました。講師は当方が務めさせていただきました。

10月10日(木)
『日本経済新聞』さんに、元アナウンサー・近藤サトさんによる「読書日記 ナレーター 近藤サト(2) 「緑色の太陽」 芸術の核心を見る手助け」という記事が載りました。

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10月11日(金)
元花巻高村光太郎記念会理事長・佐藤進氏が亡くなりました。進氏、父君は佐藤隆房。昭和8年(1933)に歿した宮澤賢治の主治医でもあり、賢治の父・政次郎ともども、昭和20年(1945)4月の空襲でアトリエ兼住居を失った光太郎を花巻に招き、その後も物心両面で光太郎を支えてくれた人物で、進氏ご本人も光太郎と交流がありました。


10月12日(土)
集英社さんからインターナショナル新書の一冊として津上英輔氏著『危険な「美学」』が刊行されました。「「美に生きる」(高村光太郎)ことの危険」という章で光太郎に詳しく触れています。

同日、俳優の中山仁さんが亡くなりました。昭和42年(1967)の松竹映画「智恵子抄」(岩下志麻さん主演)で、髙村豊周役を演じられました。

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10月12日(土)~2020年1月13日(月・祝)
港区の東京都庭園美術館さんにおいて「アジアのイメージ―日本美術の「東洋憧憬」」展が開催中です。光太郎実弟・髙村豊周の鋳金作品が展示されています。12月22日(日)、NHK Eテレさんの「アートシーン」で紹介がありました。


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10月13日(日)
仙台市の宮城野区文化センターパトナホールで、コンサート「第19回 華 日本の詩歌の会」が開催され、歌曲「レモン哀歌」が演奏されました。


10月14日(月・祝) 11月17日(日) 12月15日(日)
二本松市の福島県男女共生センターさんで、「智恵子講座2019」が開催されました。主催は智恵子のまち夢くらぶさん、講師は木戸多美子さん(詩人)、坂本富江さん(太平洋美術研究所 高村光太郎研究会)、澤正宏さん(福島大学名誉教授)でした。

10月15日(火)
神戸新聞総合出版センターさんから『画家 池田永治の記録―その作品と年譜―』が刊行されました。光太郎が昭和20年(1945)、花巻に疎開する前日に書かれた揮毫(チョッキの背に書かれたもの)が紹介されています。池田は智恵子と同時期に太平洋画会に所属し、漫画家、挿絵画家としても活躍した人物です。

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10月17日(木) ~21日(月)0359af50-s
山本學+兼古隆雄 朗読とギターの饗宴」が、滋賀県栗東市芸術文化会館さん、島根県松江市市民活動センターさん、山口県周南市文化会館さん、山口市中原中也記念館さん、山口県下松市国民宿舎大城さんでそれぞれ開催され光太郎詩の朗読が為されました。

10月20日(日)
本の泉社さんより『季論21 2019秋 第46号』が発行されました。歌人・内野光子氏の「「暗愚小傳」は「自省」となり得るのか――中村稔『髙村光太郎の戦後』を手掛かりとして」が17ページにわたり掲載されています。

10月26日(土)
横浜市の3丁目カフェさんで「月の映像詩と朗読の夕べ つきおもふこころ」の公演がありました。月を撮り続けているカメラマン河戸浩一郎氏による作品(月の映像詩)の上映会で、「智恵子抄」を題材にした朗読作品が、みのもかおりさんの朗読で披露されました。
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10月27日(日)
NHK Eテレさんで「日曜美術館 わしがやらねばたれがやる~彫刻家・平櫛田中~」の放映がありました。光雲にも触れられました。再放送11月3日(日)でした。

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11月1日(金)
土曜美術出版社さんから『詩と思想』2019年11月号が刊行されました。「特集 詩人・作家の死生観」の中で、詩人の豊岡史郎氏による「高村光太郎の自然観と死生観」が載っています。


11月1日(金)~12月1日(日)
京都市の知恩院さんで「20周年! お坊さんに会いに行こう! 知恩院秋のライトアップ2019」が開催され、光雲作の聖観音像もライトアップされました。

11月2日(土)・3日(日)
盛岡市の旧岩手銀行赤レンガ伝統工芸館で「IWATE TRADITIONAL CRAFTS year 2019 ~(ホームスパン)」が開催され、光太郎遺品にして英国の世界的染織家エセル・メレ作の毛布が展示されました。3日には岩手県立大学盛岡短期大学部の菊池直子教授による特別講演「高村光太郎のホームスパンを探る!」が開催されました。


やはり11月2日(土)・3日(日)で、渋谷区の新国立劇場さんに於いて「新国立劇場バレエ研修所公演 バレエ・オータムコンサート2019」が開催され、プログラムに「檸檬(レモン)哀歌」が入りました。

11月3日(日)
写真家の田沼武能氏に文化勲章が伝達されました。光太郎の肖像写真を手がけられた他、光太郎令甥の故・髙村規氏と木村伊兵衛門下で兄弟弟子として活躍されました。

11月4日(月・振)
台東区の旧平櫛田中邸アトリエにおいて「潮見佳世乃歌物語コンサート 智恵子抄」が開催されました。


11月7日(木)
 『週刊新潮』さんの11月7日号で「「ほんとの空の下」の山小屋」という記事が3ページにわたって掲載されました。安達太良山のくろがね小屋を紹介する中で、光太郎智恵子にも触れて下さいました。

11月13日(水)
俳優の滝口幸広さんが34歳の若さで亡くなりました。平成24年(2012)に開催された朗読系の公演「僕等の図書室」及び「僕等の図書室2」で、「智恵子抄」の朗読を披露なさいました。

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11月14日(木)
『朝日新聞』さんの岩手版に「高村光太郎のはがき寄贈 70年前に受け取る」という記事が載りました。横浜に住む女性が中学生だった昭和25年(1950)、光太郎から受け取った葉書を花巻高村光太郎記念館さんに寄贈した件でした。21日(木)には全国版にも同じ記事が掲載された他、その前後、地方紙にも記事が載りました

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 11月16日(土)
名古屋市のザ・コンサートホールさんで、「伊藤晶子ソプラノリサイタル ~演奏生活70周年を記念して~」が開催され、朝岡真木子さん作曲の「智恵子抄」改訂初演が為されました。

 11月19日(火)
 DeAGOSTINIさんから『日本の名峰 DVD付きマガジン64 紅葉色めく湯の山 安達太良山』が刊行されました。付録のDVDを含め、光太郎智恵子に触れて下さっています。


11月20日(水)
日本コロムビアさんからソプラノ歌手・小林沙羅さんのアルバム「日本の詩(うた)」がリリースされました。「或る夜のこころ ―『智恵子抄』より」(作曲/中村裕美さん)を含みます。

11月23日(土)
江東区立東大島文化センターさんで第64回高村光太郎研究会が開催されました。研究発表は元いわき市立草野心平記念文学館の小野浩氏で「黄瀛から見た光太郎・賢治・心平」、当会顧問北川太一氏子息の北川光彦氏が「高村光太郎が彫刻や詩の中に見つけた「命」とは」、書家の菊地雪渓氏による「光太郎の書について―普遍と寛容―」でした。

11月26日(火)
『日本経済新聞』さんに「日本美術の中の動物十選(10) 高村光雲「老猿」」という記事が載りました。千葉市美術館館長・河合正朝氏による文化面の連載の一環です。

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11月27日(水)~2020年4月12日(日)
山口市の中原中也記念館さんで「清家雪子展――『月に吠えらんねえ』の世界」が開催中です。光太郎に関わる展示も為されています。

11月28日(木)
FMヨコハマさんで「スペシャルプログラム Sound Travelogue ~沢木耕太郎、日本を旅する~ ラジオドラマ 高村光太郎「智恵子の紙絵」」がオンエアされました。

11月29日(金)
静岡県浜松市の鴨江アートセンターさんで「SPAC出張劇場『星の時間 〜高村光太郎「智恵子抄」より〜』」の公演がありました。吉見亮さんの電子パーカッション演奏に合わせての、布施安寿香さんの一人芝居でした。

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11月30日(土)
光文社さんから光文社新書の一冊として評論家長山靖生氏著『恥ずかしながら、詩歌が好きです 近現代詩を味わい、学ぶ』が刊行されました。「第七章 犯罪幻想(ミステリ)と宇宙記号(SF)の世界――萩原朔太郎、高村光太郎、山村暮鳥、千家元麿、三好達治、佐藤惣之助――」「第九章 直情の戦争詩歌、哀切の追悼詩歌――北原白秋、三好達治、高村光太郎、折口信夫――」などで光太郎に触れられています。

12月2日(月)~22日(日)
杉並区の古書店・西荻モンガ堂さんで「個人名のついた研究会会誌の世界」展が開催され、かつて当会顧問・北川太一先生が発行されていた『光太郎資料』などが展示されました。

12月4日(水)~12月28日(土)
京都市のおもちゃ映画ミュージアムさんで「戦争プロパガンダ展 ポスター・雑誌・映画」が開催されました。光太郎の翼賛詩に関する資料も展示されました。

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12月7日(土)(土)~12月18日(水)
神戸市のギャラリー島田さんで「井上よう子展 ―言葉がくれたもの―」が開催されました。「智恵子抄」からインスパイアされた絵画も並びました。

12月7日(土)~2020年1月26日(日)
花巻市の5つの文化施設で「ぐるっと花巻再発見!~イーハトーブの先人たち~」という統一テーマの元に行われる共同企画展が開催されています。花巻高村光太郎記念館さんでは「光太郎からの手紙」。花巻市総合文化財センターさんの「ぶどう作りにかけた人々 ―北上山地はボルドーに似たり―」でも、光太郎に関わる展示が為されています。


12月10日(火)
株式会社トゥーヴァージンズさんからCD13枚組「【近代文學の泉】朗読で味わう文豪の名作」がリリースされました。俳優の寺田農さんによる「智恵子抄」朗読を含みます。

12月13日(金)~15日(日)
岡山市の城下公会堂 さんにおいて劇団カタオモイ旗揚げ公演「売り言葉」が上演されました。ご出演は櫻井杏子さん、久永柚月さん、松尾千晶さんでした。

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12月15日(日)
文治堂書店さんからPR誌『トンボ』第9号が発行されました。拙稿「連翹忌通信」の題で連載されております。

追記 12月20日()
ワルトラワラの会さんから文芸同人誌『ワルトラワラ』第45号が発行されました。料理研究家の中野由貴さんご執筆の「イーハトーヴ料理館 賢治たちの自炊めし 二膳目 光太郎さんからの食アドバイス」が5ページにわたり掲載されています。

 12月21日(土)・22日(日)
大阪市のアートギャラリーフジハラさんで「演劇創造ユニット [フキョウワ] 第一回公演 売り言葉」が開催されました。雀野ちゅんさんのご出演でした。


12月22日(日)
二本松市の市民交流センターで女優の林亜佑美さんによる「一人芝居 売り言葉」の公演がありました。

追記 12月28日(月)
文化放送さんから声優の能登麻美子さんによる「能登麻美子おはなしNOTE 朗読CD第7弾 ルルとミミ/夢野久作」がリリースされました。光太郎随筆「山の雪」朗読を含みます。


また、各月の項には書きませんでしたが、雑誌『月刊絵手紙』さん、隔月刊誌『花巻まち散歩マガジンMachicoco(マチココ)』さんが、それぞれ「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」、「光太郎レシピ」という連載を今年も掲載し続けて下さいました。

と。まあ、今年も実にいろいろなことのあった一年間でした。関係各位に改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。来年以降もどうぞよろしくお願い申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

一番先に気のついた事はその詩がすべて形象に向つて動いてゐる事である。映像として詩の情景が具象され、うちつけな露はな抒情よりも其を包んだ場面としての表現がすべてに行き亙つてゐる。

散文「大野良子詩集『馬頭琴』読後感」より
 昭和15年(1940) 光太郎58歳

この手の文章に共通することですが他者への評でありながら、一面、光太郎の目指す……とまでは行かなくともよしとする詩のあり方が示されています。

毎日のように言い訳をしていますが、とりあげるべき事項が多く、今日も「智恵子抄」がらみで3件まとめてご紹介します。余裕のある時は1件ずつ3日に分けるのですが……。


まずは、名古屋からコンサート情報。

伊藤晶子ソプラノリサイタル ~演奏生活70周年を記念して~

期 日 : 2019年11月16日(土)
会 場 : ザ・コンサートホール 愛知県名古屋市中区栄2-2-5
時 間 : 14:00開演
料 金 : 4,000円

プログラム
 本居長世 十五夜お月さん 青い眼の人形 白月  小松耕輔 母
 大中寅二 椰子の実   平井康三郎 歌曲集「日本の笛」より   團伊玖磨 三つの小唄  
 朝岡真木子 改訂初演「智恵子抄」
  人に あどけない話 風にのる智恵子(委嘱・初演) 千鳥と遊ぶ智恵子 レモン哀歌

出演 伊藤晶子(sp) 伊藤眞理(pf) 朝岡真木子(pf)

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朝岡真木子さんとおっしゃる方の作曲になる独唱歌曲「智恵子抄」全5曲が演奏されます。ありがたいことです。


続いて、地方紙『福島民報』さんの記事。

丘灯至夫さんの作品合唱 東京で「歌う会」

 小野町出身の作詞家、故丘灯至夫さんの作品を歌う会は九日、都内の品川プリンスホテルで開かれた。
 丘さんが二〇〇九(平成二十一)年に他界する前からほぼ毎年開催している。十六回目の今回は、芸能関係者や親交のあった知人ら約百人が集まった。
 丘さんの妻ノブヨさんが「年に一度の歌う会の開催を幸せに思い感謝している」とあいさつした。出演者たちがステージに上がって「高原列車は行く」や「郡商青春歌」「智恵子抄」などの名曲を歌った。歌手の水木一郎さん、県民謡連盟会長の佃光堂さんも熱唱。最後は全員が輪になって、大ヒット曲の「高校三年生」を合唱した。

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昨年もちらっとご紹介しましたが、こういう催しが為されているそうです。

作詞家の故・丘灯至夫氏は智恵子の故郷・二本松に近い小野町のご出身で、昭和39年(1964)リリース、二代目コロムビア・ローズさんによる「智恵子抄」は、二本松市の正午のチャイムに使われるなど、二本松市民の皆さんのソウルソングの一つです。


最後に訃報。俳優の中山仁さんが先月亡くなっていたそうで。下記は「共同通信」さんの配信記事。

俳優の中山仁さんが死去 ドラマ「サインはV」でコーチ役004

 テレビドラマ「サインはV」のコーチ役などで活躍した俳優の中山仁(なかやま・じん、本名中山仁平=なかやま・じんぺい)さんが10月12日午後5時25分、肺腺がんのため東京都内の自宅で死去した。77歳。東京都出身。葬儀・告別式、お別れの会は故人の遺志で行わない。

 早稲田大中退後、文学座養成所に入り、劇団「NLT」を経て三島由紀夫らと「浪曼劇場」を設立。1960~70年代に放送されたバレーボールチームが舞台のスポ根ドラマ「サインはV」で、熱血鬼コーチ役を演じて全国に知られた。他の主な出演作にドラマ「七人の刑事」「ウルトラマン80」など。



さらに『朝日新聞』さん。

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中山さん、昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」(岩下志麻さん主演)にご出演なさっていました。光太郎実弟にして、家督相続を放棄した光太郎に代わって高村家を嗣ぎ、のちに鋳金分野の人間国宝となる豊周(とよちか)の役でした。

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当方、この映画は一度だけ拝見しましたが、非常に爽やかな豊周だったという印象です。

謹んでご冥福をお祈りさせていただきます。


【折々のことば・光太郎】

彼の画はやはらかい画です。偉大、崇高、厳正、剛直、清澄といふ様な性質は無いかも知れません。しかし限りなき太陽の温かさ、親しさ、神々しさをさげ思はせます。そして徹底的に自己の道を極め尽した大きな魂を思はせます。自己の天凜を生かし尽した人の貴さを思はせます。

散文「美術院の将来品―ルノワール、セザンヌと、ロダン―――」より
大正9年(1920) 光太郎38歳


光太郎が範とした芸術家のうち、彫刻家はミケランジェロとロダンでした。絵画の分野では、ルノワール。その評はイコール、光太郎のあるべき絵画観、芸術観を如実に表しています。

まずは横浜から。

ロコさんの朗読会 春風にさそわれてよむ詩~「智恵子抄」~「ポケット詩集」

期 日 : 2019年4月19日(金)
会 場 : Kikcafe  神奈川県横浜市保土ケ谷区岩井町29-4
時 間 : 14:00~16:00
料 金 : 1,000円 ワンオーダー制
出 演 : ロコさん(石川弘子)
      まりこミュージアム読み会を経て2003年横浜を中心に小学校での読み聞かせ開始
      紙芝居劇場、大人のための絵本、朗読会活動を継続中

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ロコさんこと石川弘子さん、一昨年には世田谷の上用賀アートホールさんで開催された「真理パフェFourth」という公演の中でも「智恵子抄」を取り上げて下さり、当方、拝聴して参りました



続いて、北海道から。うっかりしていて当日になってしまいました。こういうイベントもあったんだということで

朝日カルチャーセンター 朝日JTB・交流文化塾講座 佐藤春夫『小説智恵子抄』を読む

期   日 : 2019年4月16日(火)
           札幌市中央区北2条西1丁目 札幌ANビル4階
時   間 : 10:30~12:00
料   金 : 1,944円
講   師 : 佐藤 雅子(朗読コーチ・フリーアナウンサー) 

これから朗読を始めてみようという方、少し経験のある方に。まず自分の自然な声を見つけましょう。腹式呼吸と息の使い方をしっかり覚えていただきます。高村光太郎の詩集『智恵子抄』をもとに佐藤春夫が紡いだ二人の物語『小説智恵子抄』。「あれが阿多多羅山…」で始まる有名な詩「樹下の二人」をモチーフにした場面を選び、朗読を楽しみます。


『小説智恵子抄』は、光太郎が亡くなった昭和31年(1956)から翌年にかけ、雑誌『新女苑』に「愛の頌歌(ほめうた) 小説智恵子抄」の題で連載されたものです。昭和32年(1957)、実業之日本社から刊行され、角川文庫のラインナップにも入りました。KADOKAWAさんのサイトで検索するとヒットしますので、絶版となっているわけではないようです。

著者は、「連翹忌」の名付け親にして、明治末から光太郎に親炙した佐藤春夫。光太郎を直接知る人物のそれだけに、光太郎智恵子の姿が実に生き生きと描かれています。昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」(岩下志麻さん主演)は、「原作」としてこの「小説智恵子抄」をクレジットしています。


来月には、サントリーホールで、当会会友・一色采子さんによる「智恵子抄」朗読も行われます(また近くなりましたらご紹介します)。朗読系の皆さん、どんどん取り上げていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

私は歳といふものを殆と気にとめてゐない。実は結婚する時自分の妻の年も知らなかつた。妻も私が何歳であるか訊きもしなかつた。亡くなる五六年前に一緒に区役所に行つて、初めてその時妻の年を知つたが、三つ位しか違はぬことが分つた。私は現在目の前にあるものを尊しと思ふ。

談話筆記「回想録 一」より 昭和20年(1945) 光太郎63歳

光太郎智恵子、やはりある意味豪快な夫婦でした。

結婚する時」は、上野精養軒で結婚披露宴を行った大正3年(1914)、「一緒に区役所に行つて」は、智恵子の統合失調症がのっぴきならない状態になって、ようやく入籍をした昭和8年(1933)のことです。

このブログで毎年恒例となっております、この1年を振り返る企画です。今回は1~3月分を。

ただし、昨年12月からの継続で今年1月にかかったもののうち、昨年の回顧で扱わなかったものからご紹介します。また、新聞コラム等で少しだけ光太郎智恵子に触れてくださった、的なものは申し訳ありませんが、割愛させていただきます。

2017年12月9日(土)~2018年1月14日(日)
静岡県島田市博物館さんで、第71回企画展「宮村弦 -モールス・コード- 新しい言葉の{カタチ}」が開催されました。モールス・コード(モールス符号)を視覚化した作品ということで、「智恵子抄」(智恵子歿後に書かれた「亡き人に」(昭和14年=1939)の最終行「あなたの愛は一切を無視して私をつつむ」)も展示されました。

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2017年12月23日(土)~1月28日(日)
調布市武者小路実篤記念館さんで、企画展「画家の手紙 制作と友への思い」が開催され、光太郎から武者小路宛ての葉書(昭和23年=1948)が展示されました。

1月1日(月)
若松英輔著「NHKカルチャーラジオ 文学の世界 詩と出会う 詩と生きる」のテキストが発行されました。「第11回 今を生きる詩 ── 高村光太郎と柳宗悦のまなざし」を含みます。ラジオ放送は3月15日(木)、3月22日(木)でした。

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同日、カワイ出版から『吉田寛子作品集 或る夜のこころ』が刊行されました。光太郎詩「或る夜のこころ」(大正元年=1912)に曲を付けた女性三部合唱曲を含みます。

1月2日(火) ~ 2月5日(月)
島根県立美術館さんで、「コレクション企画展 みんなの美術室」が開催され、光太郎ブロンズの代表作「手」(大正7年=1918)が展示されました。1月28日(日)には、関連企画として同館の長谷川三郎館長が、「手」に就いて語られる、「館長の特別授業」がありました。

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1月2日(火)~3月11日(日)
愛知県小牧市のメナード美術館さんで、「開館30周年記念コレクション名作展 30のテーマ Ⅱ期」が開催され、光太郎の木彫「栄螺」(昭和5年=1930)と「鯰」(同6年=1931)が出品されました。

1月7日(日)NHKさんの大河ドラマ「西郷どん」の放映が始まり、第一話冒頭のシーンで、光太郎の父・光雲が主任として制作に当たった上野の西郷隆盛像除幕(明治31年=1898)が描かれました。


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1月6日(土)~2月12日(月・振休)
広島県呉市美術館さんで、「開館35周年記念 呉市立美術館のあゆみ展」が開催され、光太郎ブロンズの代表作「手」(大正7年=1918)が展示されました。

1月10日(水)
NHKラジオ長野放送局のローカル番組「ゆる〜り信州」で、関根太朗アナウンサーによる光太郎詩「レモン哀歌」(昭和14年=1939)、「狂奔する牛」(大正14年=1925)、「人類の泉」(大正2年=1913) の朗読がありました。

1月11日(木)
笠間書院さんから『永井和子随想集 日なたと日かげ』が刊行されました。「たじろぐ――高村智恵子のこと 智恵子の切り絵――レモン会」というエッセイが掲載されています。

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同日、筑摩書房さんからちくま文庫の一冊として『文豪文士が愛した映画たち ─昭和の作家映画論コレクション』が刊行されました。光太郎の散文「美の祭典」(昭和15年=1940)が収録されています。

1月12日(金)
文藝春秋さんから伊集院静『文字に美はありや。』が刊行されました。月刊誌『文藝春秋』さんの平成26年(2014)1月号から昨年の4月号まで連載されていた、「文字に美はありや」の単行本化で、「猛女と詩人の恋」という章で光太郎智恵子に触れています。

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1月13日(土)
埼玉県東松山市立図書館に、「田口弘文庫 高村光太郎資料コーナー」がオープンしました。昨年亡くなった同市元教育長で、光太郎と交流のあった田口弘氏からの寄贈品を展示するものです。同日、当方による記念講演も行われました。

同日、『朝日新聞』さんの土曜版の連載、「みちのものがたり」が「高村光太郎「道程」 岩手 教科書で覚えた2大詩人」ということで、光太郎をメインに取り上げて下さいました。

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さらに同日、昨年公開された映画『八重子のハミング』のDVDが発行されました。原作は「現代の智恵子抄」というコピーが用いられ、劇中、升毅さん演じる主人公が『智恵子抄』を読むシーンがありました。

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1月13日(火) ~ 3月25日(日)
東京オペラシティ アートギャラリーさんで「谷川俊太郎展 TANIKAWA Shuntaro」が開催され、光太郎から昭和29年(1954)5月20日に送られた、谷川氏の詩集『62のソネット』の受贈礼状が出品されました。

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1月13日(火) ~ 4月1日(日
文京区立森鷗外記念館さんで、コレクション展「鴎外・ミーツ・アーティスト―観潮楼を訪れた美術家たち」が開催され、光太郎から鷗外に宛てた葉書(明治43年=1910)、明治42年(1909)の雑誌『スバル』(覆刻。裏表紙に光太郎が鷗外を描いたカリカチュア(戯画)が掲載)、光太郎著書『造型美論』(昭和17年=1942)、『某月某日』(同18年=1953)。それから与謝野寛が光太郎について触れた鷗外宛の書簡(明治42年=1909)等が展示されました。

1月15日(月)
文治堂書店さんから『トンボ』第5号が発行されました。元青森テレビアナウンサーの川口浩一氏が、「十和田湖「乙女の像」秘話 ~太宰治が結ぶ隠れた絆~」という文章を寄せられています。また、当方の連載「連翹忌通信」の第二回が掲載されました。

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1月15日(月)~1月21日(日)
渋谷区のshibuya gallery「Arc」さんにおいて、MAIA STARSHIP朗読劇「いやなんです あなたのいってしまふのが −智恵子抄より」が上演されました。

1月20日(土) ~ 4月15日(日)
千葉市の千葉県立美術館さんで、「北詰コレクション メタルアートの世界Ⅱ-メタルアートの匠と技-」が開催され、光太郎実弟にして鋳金分野の人間国宝・髙村豊周の。「青銅環文壺」(昭和35年=1960)、「青銅花盛」(制作年不詳)、「朱銅花入」(昭和41年=1966)が出品されました。

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1月25日(木) ~ 1月29日(月)/2月1日(木)~
2月5日(月)
墨田区の両国エアースタジオさんで、劇団空感演人による演劇「チエコ」が上演されました。平成22年(2010)、同25年(2013)に上演されたものの再演でした。

1月28日(日)
牧歌舎さんから西浦基氏著『高村光太郎小考集』が刊行されました。

1月29日(月)
横浜市永田地区センター さんにおいて、市民講座「文豪と和菓子」が開催されました。「高村光太郎・室生犀星・夏目漱石それぞれのゆかりの和菓子をいただきながら、作品を楽しんでいただきます」というコンセプトでした。講師は一般財団法人出版文化産業振興財団の読書アドバイザー、城所律子氏でした。

1月31日(水) ~ 2月11日(日)
岡山市のCAFE×ATELIER Zで、書道展「中村文美作品展〜琥珀の文箱に文字を集めて」が開催されました。光太郎の「冬が来た」(大正2年=1913)を書いた作品が展示されています。

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2月1日(木)
世界文化社さんから『家庭画報』2018年3月号が発行されました。、「残したいことば、未来につなぐことば――心を伝える絵手紙」というコーナーがあり、花巻郊外旧太田村から送られた光太郎の書簡(ハガキ)が紹介されています。昭和22年(1947)、4月6日付で、宛先は東京在住の姪・高村珊子さんです。

2月2日(金)~2月25日(日)
青森県十和田湖畔休屋地区で、「十和田湖冬物語2018」が開催されました。光太郎最後の大作「乙女の像」のライトアップが行われた他、ステージイベントでのプロジェクションマッピングにも「乙女の像」が登場しました。

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2月7日(水)~2月12日(月・祝)
長野市の信濃善光寺さんで、「第十五回長野灯明まつり 未来へ繋ぐ平和の灯り」が開催され、光太郎の父・高村光雲と、その高弟・米原雲海による仁王像などが安置されている仁王門もライトアップされました。

2月10日(土) ~ 5月6日(日)
北区の田端文士村記念館さんで「田端に集まる理由(ワケ)がある~明治の田端は芸術家村だった!?」が開催されました。光太郎も寄稿し、芸術運動「パンの会」の一つの源流となった雑誌『方寸』に関する展示が為されました。3月25日(日)には、関連イベントとして古田亮 氏(東京藝術大学大学美術館准教授)による講演会「明治の美術 ~東京美術学校を中心に~」が開催されました。

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2月15日(木)
秋田県小坂町に、同町出身の出版社・龍星閣主人の澤田伊四郎にあてた光太郎の書簡、署名本などが寄贈された件が報じられました。

2月17日(土)
三鷹市芸術文化センター星のホールさんで行われた「CINEMA SPECIAL三回忌・原節子」の一環として、昭和32年(1957)の東宝映画「智恵子抄」の上映がありました。

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同日、港区の東洋英和女学院大学大学院さんで、「2017年度連続講座・シンポジウム「生と死の物語 高村光太郎 ―智恵子抄 心の病に寄り沿うということ―」が開催されました。講師は福田周氏(東洋英和女学院大学人間科学部教授)でした。

2月18日(日)
朝日新聞出版さんから『週刊 日本百名山 改訂新版 42号 磐梯山 安達太良山』が刊行されました。「深田久弥『日本百名山』から」の項で光太郎智恵子に触れられています。

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2月21日(水)
国書刊行会さんから、田中修二氏著『近代日本彫刻史』が刊行されました。光太郎、光雲に触れられています。


2月24日(土)
仙台市の東北大学さんの片平キャンパスで、シンポジウム「ほんとの空が戻る日まで--震災の記録と教訓を残し、未来に活かす」が開催されました。福島大学うつくしまふくしま未来支援センターさんの主催で、福島県の被災地において残存する資料や記録の保全と活用に取り組むさまざまな活動を紹介し、将来の大規模災害にいかに備え、活かしていくべきかについて議論されました。
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同日、花巻市文化会館さんで、第42回花巻市民劇場公演 「多田等観物語 日が昇る 観音山に帰りたい」が上演されました。光太郎と交流のあったチベット仏教学者にして僧侶の多田等観を主人公とするもので、光太郎も登場しました。平成16年(2004)の再演でした。

2月25日(日)
千代田区の神田伯剌西爾(ぶらじる)さんで、市民講座「ポエトリーカフェ 《高村光太郎 篇》」が開催されました。

2月26日(月)
文藝春秋さんから春日太一氏著『美しく、狂おしく 岩下志麻の女優道』が刊行されました。昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」(中村登監督作品)が取り上げられています。

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2月26日(月) ~28日(水)
千代田区の3331 Arts Chiyodaさんで、立本夏山氏による「ひとり芝居プロジェクト新作公演 立本夏山 智恵子抄」東京公演がありました。巡回で6月26 日 (火) に尼崎公演、6月28 日 (木)の松山公演、6月30 日 (土)/7月1日(日)で高知公演も行われました。

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3月2日(金) ・3日(土)
名古屋市のHITOMIホールさんで、「プリズムステージ 朗読と音楽が紡ぐ、純愛 智恵子抄 「田園交響楽」より」の公演がありました。智恵子が愛したベートーヴェンの交響楽第6番「田園」をモチーフに、ヴァイオリン・チェロ・ハープの演奏、朗読による構成で、朗読と光太郎役を俳優の橋爪淳氏、苅谷なつみさんのヴァイオリン、日野俊介さんがチェロ、田中敦子さんでハープでした。

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3月2日(金) ~4日(日)
足立区のアトリエTANTOOさんで、劇団TANTOOさんの第9回公演「売り言葉」が開催されました。野田秀樹氏脚本で、平成14年(2002)、大竹しのぶさん出演で初演された演劇です。

3月5日(月)
国文学者の平岡敏夫氏がご逝去なさいました。光太郎に関する論文等、複数おありでした。

3月7日(水)
NHK BSプレミアムで、「プレミアムカフェ 名作紀行 (1)寺山修司 (2)石川啄木 (3)高村光太郎」が放映されました。平成13年(2001)6月11日に初回放映があったものの再放送で、ナビゲーター役は銅版画家の山本容子さんでした。8月29日(水)、8月30日(木)にも放映がありました。

3月7日(水)~11(土)
『日本経済新聞』 さんで、宗教学者の山折哲雄氏が「私の履歴書」という連載で、花巻空襲の際の光太郎戦後の光太郎などに触れられました。

3月9日(金)~18日(日)
京都市の知恩院さんで「春のライトアップ2018」が開催されました。補陀落池に立つ高村光雲作の聖観音菩薩立像もライトアップされました。

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3月10日(土)
新宿区の日本出版クラブ会館さんで、「山根基世の朗読指導者養成講座 やまねこ朗読発表会」が開催され、光太郎詩「樹下の二人」(大正12年=1923)も扱われました。

同日、共に画家の深沢省三・紅子夫妻の長男で、戦時中、学徒出陣前に光太郎のアトリエを訪ね、詩「四人の学生」(昭和18年=1943)のモデルとなり、戦後は岩手雫石のご自宅に光太郎を泊めたりもした、深沢竜一氏が亡くなりました。

3月11日(日)~5月20日(日)
秋田県小坂町立総合博物館郷土館さんで、企画展「平成29年度新収蔵資料展」が開催されました。小坂町出身の澤田伊四郎に宛てた書簡、署名本等が展示されました。

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3月13日(火)
名探偵・浅見光彦シリーズを生んだ推理作家の内田康夫氏がご逝去されました。昭和61年に光太郎彫刻の贋作をメインのモチーフとして、『「首の女(ひと)」殺人事件』を執筆なさいました。同作はその後、ドラマ化、コミック化もされました。

3月15日(木)
長野県安曇野市の碌山美術館さんから、『碌山美術館館報第38号』が発行されました。昨年12月2日に同館で開催された、美術講座「ストーブを囲んで 「荻原守衛と高村光太郎の交友」を語る」の筆録が掲載されています。同館学芸員の武井敏氏と、当方の対談形式でした。

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3月16日(金)
墨田区のすみだトリフォニーホールさんでコンサート「第29回 21世紀日本歌曲の潮流」が開催されました。野村 朗氏作曲の歌曲「樹下の二人 詩集『智恵子抄』 より (詩/高村光太郎)」 が、バリトン・森山孝光氏、ピアノ・森山康子さんにより演奏されました。

3月17日(土)~5月13日(日)
横浜市の神奈川近代文学館さんで、特別展「生誕140年 与謝野晶子展 こよひ逢ふ人みなうつくしき」が開催され、光太郎が絵を描き、晶子が短歌を添えた屏風紙二点が展示されました。

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3月21日(水)
短歌研究社さんから『短歌研究』 4月号が発行されました。「再録 明星研究会講演 松平盟子│『みだれ髪』を超えて~晶子と口語自由詩~」ということで、昨秋、日比谷公園内の千代田区立日比谷図書文化館さんで開催された、やはり明星研究会さん主催の「第11回 明星研究会 <シンポジウム> 口語自由詩の衝撃と「明星」~晶子・杢太郎・白秋・朔太郎・光太郎」での、歌人・松平盟子氏による第一部講演の筆録が掲載されています。

3月27日(火)
光太郎がたびたび宿泊をした花巻温泉旧松雲閣別館が登録有形文化財に登録されました。

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明日は4~6月編をお送りします。

この項が終わるまで、【折々のことば・光太郎】はお休みいたします。

大正元年(1912)、光太郎智恵子が愛を確かめ合った千葉銚子でのイベント情報です。 

仏と鬼と銚子の風景 土屋金司 版画と明かり展

期   日 : 2018年4月27日(金)~30日(月)
会   場 : 飯沼山圓福寺(飯沼観音)本堂 千葉県銚子市馬場町1-1
時   間 : 10:00~16:00 (最終日15:00まで)
料   金 : 無料

仏と鬼と銚子の風景を版画で表現した旭市出身の版画家・土屋金司さんの作品展。

≪特別上演≫ 語り【犬吠の太郎】
 銚子浪漫ぷろじぇくとによる「犬吠の太郎」語り公演。土屋金司氏の版画と共にお楽しみください。当日は、境内にて和スイーツの販売(雨天中止)も実施いたします。
(開 催 日) 4月29日(日・祝)
(開催時間) 1回目12:00~ 2回目14:00~
(開催場所) 飯沼観音 本堂
(料金) 無料

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土屋氏は銚子に隣接する旭市のご出身だそうで、光太郎智恵子が宿泊した暁鶏館(現・ぎょうけい館)の館内にも作品が展示されています。記憶が定かではないのですが、そのうちの一枚が、光太郎詩「犬吠の太郎」(大正元年=1912)を刻んだ版画だったはずで、「≪特別上演≫ 語り【犬吠の太郎】」につながるのだと思われます。

太郎は暁鶏館で働いていた、当時で言うと下男。知的障害があったようで、現代では差別的表現になりますが「馬鹿の太郎」と呼ばれていました。しかし、皆から愛されるキャラクターだったようです。昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」(丹波哲郎さん、岩下志麻さん主演)では、故・石立鉄男さんが演じていました。

光太郎、太郎の(ややこしいですね(笑))印象が後々まで残っていたようで、昭和3年(1928)に書かれた詩「何をまだ指してゐるのだ」にも太郎が登場します。


    何をまだ指してゐるのだ001

 逆まく波のしぶきにうつそり濡れながら、
 あの岩の出鼻に裸で立つて、
 空の果まで何にも見えない沖の深みを見透すやうに、
 馬鹿の太郎は何をまだ指してゐるのだ。

 炎天溫気(うんき)の砂ほこりのまんなか、
 ゴオストツプの忙しい生産社会の人ごみにまぎれこみながら、
 建てかけた鉄骨の外には昼の月すら見えない空に手をあげて、
 馬鹿の太郎は何をまだ指してゐるのだ。 
 

会場の飯沼観音は、銚子の中心街です。昭和4年(1929)、光太郎を敬愛していた日中ハーフの詩人・黄瀛がここを訪れ、境内の火の見櫓から見た風景を「銚子ニテ」という詩に謳っています。

ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

一番危険なのは、アンデパンダン展がアンパンデタラメ展となることである。
散文「アンデパンダンについて」より 昭和25年(1950) 光太郎68歳

光太郎には珍しく、オヤジギャグが炸裂しています(笑)。

「アンデパンダン」は仏語の「Indépendants」。本来、「独立した人々」の意ですが、サロン等の公設展覧会に対する無審査、無賞の展覧会を指すようになりました。この年4月、盛岡市の松屋画廊で「第一回岩手アンデパンダン展」が開催され、深沢省三・紅子夫妻、舟越保武らも出品しました。

無審査であるのをいいことに、デタラメな作品がまかり通るようでは本末転倒、という警句です。

注文しておいた書籍が届きました。 

美しく、狂おしく 岩下志麻の女優道


2018年2月26日  春日太一著  文藝春秋  定価1,750円+税

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2018年が女優生活60周年となる岩下志麻さんが自らが出演してきた数々の作品について詳細に語り下ろしました。岩下さんほど多彩なフィルモグラフィーを持つ女優はなかなかいません。60年代前半は巨匠・小津安二郎監督の「秋刀魚の味」に主演し、「古都」「雪国」など川端康成原作の作品では可憐な演技を見せて松竹の清純派看板女優として活躍。順風満帆の女優生活でしたが、67年、篠田正浩監督と当時タブーとされていた主演女優を続けながらの結婚に踏み切り、独立プロ「表現社」を立ち上げて新たな道を切り拓きました。「結婚したからダメになったと言われたくない」との思いを抱いて篠田監督と二人三脚で「心中天網島」「はなれ瞽女おりん」といった名作を生み出します。74年に出産から復帰すると松竹を退社、「鬼畜」「疑惑」といった松本清張原作・野村芳太郎監督の一連の作品で情念の女を演じ、新たな一面を披露します。80年代~90年代はなんといっても「極道の女たち」シリーズ。こうした作品についてはもちろん、「五瓣の椿」「卑弥呼」「悪霊島」「鬼龍院花子の生涯」「瀬戸内少年野球団」といった記憶に残る作品、さらに大河ドラマ「草燃える」「独眼竜政宗」「葵 徳川三代」に関する秘話も満載です。今でこそ「大女優」のイメージが強いですが、岩下さんは、主演女優をつとめながらの結婚、出産、独立プロでの映画製作などタブーの打破、新しいことへの挑戦を続けてきた反骨の人です。また「普通の人の役はやりたくない」と言い、悪女、狂女でこそ輝きを発揮してきました。インタビュー・構成は「あかんやつら」「天才 勝新太郎」など映画愛溢れる作品でお馴染みの春日太一さん。岩下さんの言葉から、医者志望で女優に興味がなかった高校生が、徐々に女優という仕事に憑りつかれていく様子を浮かびあがらせます。女優の年代記であり、仕事論であり、同時に美の下に隠す狂気を語った濃厚な一冊です。

というわけで、映画史研究家の春日太一氏による、岩下さ002んへのインタビューで構成されている書籍です。インタビューは毎回2時間、全11回。1年間にわたって行われたそうです。

岩下さんがご出演なさった50本ほどの映画やテレビドラマについて、それぞれの思い出などが語られ、岩下さんの来し方がまとめられています。

その中で、昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」(中村登監督作品)についても語られています。

それによれば、当時、川端康成原作の「古都」「雪国」、有吉佐和子原作の「紀ノ川」など、いわゆる「文芸映画」に出演されていた岩下さんから、ぜひ智恵子を演じたいと申し出て実現したとのこと。光太郎役は故・丹波哲郎さんでした。

また、岩下さんは、役作りに懸命に取り組むために研鑽を積まれるそうで、「はなれ瞽女おりん」の際には、本物の瞽女さんに取材したり、盲学校の見学に行かれたりしたとのことですし、「智恵子抄」の際には、精神科病院にも行かれたそうです。

当方、「智恵子抄」は一度拝見しましたが、岩下さんの鬼気迫る演技の背景には、そういうことがあったのかと思い当たりました。

岩下さん、その後も「桜の森の満開の下」、「卑弥呼」などで魔性の美女を演じられたり、「鬼畜」や「婉という女」などでも心の闇を抱えた女性を演じられたりしています。具体的な記述はありませんでしたが、そうした役柄の原点に「智恵子抄」があるような気もしました。そこで、本書の題名が「美しく、狂おしく」なのだなと納得いたしました。

本書以外にも、岩下さん、昭和63年(1988)刊行の雑誌『彷書月刊』第4巻第10号「特集 高村智恵子」や、平成23年(2011)の『朝日新聞』さん福島版の連載「「ほんとの空」を探して」でも「智恵子抄」に言及なさっています。思い入れの強い作品の一つ、ということなのでしょう。本書も、200本ほどもある出演作の中から50本ほどを特にセレクトしてのインタビューでした。その中に「智恵子抄」が入っているわけです。

しかし、残念ながらDVD、ブルーレイ等、販売用のソフト化がされていません。これを機に、ぜひお願いしたいところです。

ちなみにこちらは「智恵子抄」のスチール写真。20種類あまりこつこつ集めましたが、そのうち1枚、岩下さんのサイン入りが含まれています。ニセモノでないことを祈ります(笑)。

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【折々のことば・光太郎】

それは最早金銅では出ない木彫独自の刻みの美であり、創りであり、温かい素材精神の生かし方であり、植物体質への清純な愛であり、湿潤な日本風土から生れる自然随順的帰依の深厚な心法である。

散文「技法について」より 昭和16年(1941) 光太郎59歳

日本の仏像の変遷を説いた評論の一節です。飛鳥、白鳳、天平を経て、徐々に大陸将来の金銅仏の影響を脱し、平安期には木彫仏の傑作が次々生まれたあたりを指しています。

仏像ではありませんが、光太郎が目指した木彫の在るべき姿も、こういうことなのでしょう。

今年一年の回顧、2回目です。4~6月を書きます。

4月1日(土)
北海道釧路で刊行されている文芸同人誌『河太郎(かたろう)』の43号が発行されました。光太郎に触れる横澤一夫氏による「原始の詩人たちの時代 『 至上律 』『 北緯五十度 』『 大熊座 』」が掲載されています。

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4月2日(日)
日比谷松本楼さんにおきまして、
第61回連翹忌を執り行いました。全国からゆかりの方々など、70余名のご参加をいただき、盛会となりました。

同日、光太郎第二の故郷ともういうべき花巻では、詩碑前祭、花巻連翹忌法要が行われました。

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同日、高村光太郎研究会さんより『高村光太郎研究 (38)』、当会から『光太郎資料 47』が刊行されました。

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4月5日(水)
光太郎に触れた御著書等もあった詩人の大岡信氏が亡くなりました

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4月6日(木)
江東区公会堂ティアラこうとうさんで、「第5回 春うららの朗読会」が開催され、宮尾壽里子さん作の「智恵子さん」を、宮尾さん、小川弘子さん、藤田治子さんが上演なさいました。

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4月8日(土)
NHK BS1さんで「実践! にっぽん百名山 「安達太良山」」が放映され、光太郎智恵子に触れられました。4月18日(火)、7月29日(土)に再放送がありました。

4月8日(土)~5月7日(日)
福島県二本松市の智恵子生家で、通常は立ち入り禁止となっている智恵子の居室を含む二階部分の期間限定公開が行われました。30日(日)までは、生家裏手の智恵子記念館で、紙絵の実物展示も行われました。

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4月10日(月)
花巻市の高村山荘裏手の高台の「智恵子展望台」がリニューアル整備されました。

4月11日(火)
盛岡市の盛岡地区更生保護女性の会さんの総会が開催され、その中で当方の講演「心はいつでもあたらしく 高村光太郎 つまずきと反省と求道と」を組み込んで下さいました。

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4月14日(金)~6月26日(月)
花巻市の高村光太郎記念館さんで、企画展「光太郎と花巻の湯」が開催されました。

4月15日(土)〜6月18日(日)
福島県いわき市の草野心平記念文学館さんで「春の企画展 草野心平の詩 料理編」が開催され、光太郎智恵子の通った焼き鳥「いわき」,、居酒屋「火の車」に関する展示も為されました。

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4月17日(月)
文京シビックホール小ホールで、「新井俊稀クラシカルサロンコンサートVol.14」が開催され、野村朗氏作曲の「連作歌曲 智恵子抄」が演奏されました。

4月20日(木)
隔月刊誌の『花巻まち散歩マガジン「Machicoco(マチココ)」』が創刊されました。花巻高村光太郎記念館さんの協力で「光太郎のレシピ」が連載されています。

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4月22日(土)
信州安曇野の碌山美術館さんで、「第107回碌山忌」が開催されました。研究発表フォーラム・ディスカッション「荻原守衛-ロダン訪問の全容とロダニズムの展開-」。同館学芸員の濱田卓二氏が、文献から推定される、守衛のロダン訪問の時期、内容等について。碌山友の会会長を務められている幅谷啓子氏から、近代日本でのロダン受容史について。最後は、地元ご出身の彫刻家・酒井良氏が、実作者の立場から。それぞれ、光太郎にも触れる発表をしていただき、興味深く拝聴しました。

4月22日(土)・5月27日(土)・6月24日(土)
秋田県生涯学習センターさんで「【あきたスマートカレッジ】文学リレー講座~戦中・戦後の文学~高村光太郎」が、北条常久氏を講師に行われました。第一回が「青年光太郎『道程』 ~彫刻家父光雲と詩人光太郎~」、第二回は「光太郎と智恵子『智恵子抄』 ~智恵子の愛に清められ~」、第三回に「戦中・戦後の光太郎『暗愚小伝』 ~花巻高村山荘での生活~」でした。

4月23日(日)
コールサック社さんから森三紗さん著『宮沢賢治と森荘已池の絆』が刊行されました。「高村光太郎と宮沢賢治と森荘已池」という章を含みます。

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4月27日(木)
求龍堂さんから酒井忠康氏著『片隅の美術と文学の話』が刊行されました。「高村光太郎―パリで秘密にしたもの」「高村光太郎の留学体験」を含みます。

5月1日(月)
日本絵手紙協会さん発行の雑誌『月刊絵手紙』の5月号が発行されました。「すべては「詩魂」ありてこそ 高村光太郎の書」という特集を組んで下さいました。

同日、日本聖書協会さんから『聖書を読んだ30人 ~夏目漱石から山本五十六まで~』が刊行されました。「高村光太郎と聖書 美のうしろにあるものを表現しようとした詩人・彫刻家」を含みます。

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5月3日(水)
墨田区のすみだトリフォニーホール大ホールにおいて、「やまとうたの血脈(けちみゃく)Ⅷ 抒情は詩人の武器であったか?~大正、昭和前期の詩による合唱曲展」が開催され、光太郎作詞、佐藤敏直作曲「猛獣篇」より「傷をなめる獅子」「苛察」が演奏されました。指揮・藤井宏樹氏、合唱・Ensemble PVDさん、ピアノ・浅井道子さんでした。

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5月5日(金・祝)
二本松市の智恵子純愛通り記念碑前(智恵子の生家近く)集合・出発で、「好きです智恵子青空ウオーク」が開催されました。

5月7日(日)
千葉県松戸市の森のホール21さんで、東葛合唱団はるかぜさんの第13回演奏会が開催され、二代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」(丘灯至夫作詞・戸塚三博作曲)が演奏されました。

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5月10日(水) 〜16日(火)
杉並区のラピュタ阿佐ケ谷で、「芳醇:東宝文芸映画へのいざない」が開催され、昭和32年(1957)公開の東宝映画「智恵子抄」(原節子、山村聡主演)が上映されました。

5月11日(木)
NHKEテレさんの「にほんごであそぼ」で、光太郎詩「人に」を取り上げて下さいました。再放送は5月25日(木)でした。

5月13日(土)~28日(日)
この期間の土、日に、二本松市の智恵子生家奥座敷において、「高村智恵子 生誕祭 上川崎和紙で作ろう切り絵体験」が行われました。

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5月13日(土)
京都コンサートホールさんにおいて、「鈴木憲夫の世界2~女声合唱の響宴」公演があり、光太郎作詞、鈴木憲夫氏作曲の「レモン哀歌」が演奏されました。

5月14日(日)
東京都調布市の文化会館たづくりさんで、「第121回 午後のティーサロン ~「映画の中の日本文学」(戦前昭和の文学)~ ~音楽&映画への語らい~」が開催され、昭和32年(1957)公開の東宝映画「智恵子抄」(原節子、山村聡主演)が上映されました。

同日、神奈川県相模原市の相模女子大学さんでオープンキャンパスが開かれ、日本語日本文学科では【高村光太郎『レモン哀歌』を読み解く】の模擬授業が為されました。

5月15日(月)
花巻市の高村山荘前広場で、「第60回高村祭」が開催されました。記念講演は藤原冨男氏(元花巻市文化団体協議会会長) 演題 『思い出の光太郎先生』でした。

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5月16日(火)
光太郎に関わる数々の書籍を刊行して下さった、文治堂書店元社長の渡辺文治氏が亡くなりました

5月17日(水)、21日(日)、27日(土)
福岡市映像図書館ホールシネラさんで、「特別企画 中村登監督特集 60年代松竹映画を代表する監督・中村登の特集」が行われ、昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」(岩下志麻、丹波哲郎主演)が上映されました。

5月21日(日)
神奈川県相模原市の津久井湖城山公園で、「森のコンサート マリンバの響き ~智恵子抄の世界~」公演がありました。マリンバ・松本律子さん、朗読・中村雅子さんでした。

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5月27日(土)
愛知県豊橋市の豊橋市民文化会館ホールにおいて、第5回コーロ・フェリーチェ演奏会が開催され、光太郎作詞、鈴木憲夫氏作曲の「レモン哀歌」が演奏されました。

5月31日(水)
第36回新田次郎文学賞(新田次郎記念会主催)の授賞式があり、光太郎や光雲が登場する小説「リーチ先生」(集英社)で受賞した原田マハさんに記念品などが贈られました。

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6月1日(木)
日本絵手紙協会さん発001行の雑誌『月刊絵手紙』の6月号が発行されました。この号から、「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」という新連載(全1ページ)が始まりました。

同日、『毎日新聞』さんの静岡版に静岡県袋井市の寺院「可睡斎(かすいさい)」さんの境内に再建された「活人剣の碑」の由来を伝える紙芝居の完成が報じられました。同碑は明治33年(1900)、光雲原型によって建立されたものでした。

6月10日(土)
筑摩書房さんから、ちくま文庫の一冊として和田博文氏編『猫の文学館Ⅰ 世界は今、猫のものになる』が刊行されました。光太郎詩「猫」を収めています。

6月10日~8月20日(日)
北海道立函館美術館さんで、「ニッポンの写実 そっくりの魔力」展が開催され、光雲木彫、「天鹿馴兎(てんろくくんと)」(明治28年=1895・個人蔵)、「砥草刈(とくさがり)」(大正3年=1914・大阪市立美術館蔵)、「西行法師」(制作年不明・清水三年坂美術館蔵)の3点も並びました。

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6月11日(日)~6月20日(火)
袋井市さんの市役所2階・市民ギャラリーで、「YUKIKO」さんによる、可睡斎(かすいさい)さんの活人剣碑の紙芝居原画展が開催されました。

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6月12日(月)
文芸教育研究協議会会長・西郷竹彦氏が亡くなりました。黎明書房さんから平成5年(1993)刊行の『名詩の美学』他で、光太郎に触れて下さっていました。

6月17日(土)
山梨県韮崎市の韮崎市市民交流センターNICORI ニコリにおいて、「大人の為の朗読会・朗読のつどい」が開催され、「智恵子抄」も取り上げられました。

6月21日(水)
千代田区の学士会館さんで「現代歌人協会公開講座「高村光太郎の短歌」」が開催されました。メインパネリストは歌人の松平盟子さん、染野太朗さんでした。

6月22日(木)
昭和24年(1949)刊行の「宮沢賢治名作選」の編集に関わり、光太郎とも交流のあった吉田コトさんが亡くなりました

6月24日(土)
仙台市のJazz Me Blues Nola(ジャズミーブルースノラ)さんで、「朗読とテルミンで綴る 智恵子抄」公演がありました。朗読・荒井真澄さん、テルミン・大西ようこさんでした。

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6月28日(水)、29日(木)、7月12日(水)、13日(木)
NHKEテレさんの「にほんごであそぼ」で、光太郎詩「あどけない話」を取り上げて下さいました。

6月30日(金)
BSジャパンさんで「武田鉄矢の昭和は輝いていた 昭和のロングセラー蚊取り線香&コカ・コーラ」が放映され、コーラを我が国で最も早く取り上げた詩とされる光太郎の「狂者の詩」(大正元年=1912)が取り上げられました。

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同日、千代田区の東京国立近代美術館で、プレミアムフライデーの活用方法として美術館巡りなどを提案するPRイベントが開催され、光太郎のブロンズ「手」(大正7年=1918)が「登場」しました。ナビゲーター役は関ジャニ∞の横山裕さんと丸山隆平さんでした。

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さらに同日、河出書房新社さんから中村圭子氏編『命みじかし恋せよ乙女 大正恋愛事件簿』が刊行されました。『青鞜』がらみで智恵子に触れられています。翌日から文京区の弥生美術館さんで始まった同名の企画展図録を兼ねています。


明日は7、8、9月をふり返ります。


【折々のことば・光太郎】

彫刻の本性は立体感にあり。しかも彫刻のいのちは詩魂にあり。

散文「彫刻十個條」より 大正15年(1926) 光太郎44歳

題名の通り、十ヶ条の条文と、四ヶ条めまでは詳しい解説が付いています。五ヶ条目以降は条文のみ。光太郎彫刻論の集大成的な文章ですので、十ヶ条すべてご紹介します。

「詩魂」とは、物事の本質を十分に見極め、さらに端的に表現する精神とでもいいましょうか、彫刻をはじめとするすべての光太郎芸術の根幹に流れている基調となるものです。

昨日まで1泊2日で、光太郎第二の故郷とも言うべき岩手花巻に行っておりました。2日に分けてレポートいたします。

まずは光太郎が戦後の7年間を暮らした、郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)に隣接する高村光太郎記念館さんの「秋期企画展 智恵子の紙絵 智恵子抄の世界」。状況をわかりやすくするために、新聞各紙の報道を引用いたします。

一昨日の『朝日新聞』さん。

岩手)智恵子の紙絵を公開 15日から高村光太郎記念館

 花巻市太田の高村光太郎記念館で15日から企画展「智恵子の紙絵・智恵子抄の世界」が始まる。光太郎の妻智恵子が、晩年の療養中に包装紙や色紙をはさみで切り抜いて作った「切り抜き絵」のオリジナルや複製品など約30点を集めた。同館は「繊細で豊かな智恵子の色彩感覚を間近で感じ取ってほしい」としている。11月27日までで、期間中は休館しない。
 心の病に侵された智恵子が1938年に52歳で亡くなるまで、療養の一環として光太郎にだけ見せるため制作した。アジやイチゴなどを繊細に切り取って台紙に貼り付けたもので、光太郎が「紙絵」と名付けた。戦時中も作品を花巻市や山形県などに疎開させたため、焼失を免れたという。(溝口太郎)

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続いて昨日の『岩手日報』さん。

智恵子の紙絵に光 花巻・高村光太郎記念館企画展

 花巻市太田の高村光太郎記念館で15日、企画展「智恵子の紙絵・智恵子抄の世界」が始まった。彫刻家で詩人の光太郎(1883~1956年)の妻智恵子(1886~1938年)に光を当て、色彩豊かな切り絵作品を紹介する。
  福島県二本松市出身で洋画家だった智恵子は芸術的苦悩から心を病み、病床で包装紙と小さなはさみで花や果物をモチーフに創作活動を続けた。
  展示作品約30点はいずれも最晩年の作。細部にこだわる繊細さと、構図や色使いの大胆さを併せ持つ。光太郎との唯一の合作「いちご」も展示する。
 映画「智恵子抄」のポスターなど関連資料を紹介し、花巻高村光太郎記念会が詩集「智恵子抄」ゆかりの風景を取材した映像作品も上映。同会企画担当の高橋卓也さん(40)は「(智恵子が)本能のまま無垢(むく)のセンスで仕上げた作品を間近に見てほしい」と来場を呼び掛ける。
  11月27日まで午前8時半~午後4時半。休館日なし。入場料は一般550円、高校・学生400円、小中学生300円。問い合わせは同館(0198・28・3012)へ。

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というわけで、花巻高村光太郎記念会さん所蔵の、実物の紙絵2点。

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あとは複製ですが、遠目には区別が付かない精巧なものです。

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「花巻高村光太郎記念会が詩集「智恵子抄」ゆかりの風景を取材した映像作品」は、プロジェクタで上映されています。下の画像の右上です。

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その下が「映画「智恵子抄」のポスター」。昭和32年(1957)の東宝版(原節子さん主演)、同42年(1967)の松竹版(岩下志麻さん主演)のものです。

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他にそれらの公式パンフレット、それから光太郎生前の昭和26年(1951)と同28年(1953)に、東京で開催された智恵子紙絵展のパンフレットも展示されています。そのあたり、当方がお貸しいたしました。

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一昨日も、早速、秋田県大仙市から団体さんがお見えでした。ありがたいかぎりです。

また、同じ敷地内の旧高村記念館、先月から「森のギャラリー」として利用されています。

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現在、盛岡市の岩手県立美術館さんで、企画展「花森安治の仕事 デザインする手、編集長の眼」が開催中。昨年、NHKさんの朝ドラ「とと姉ちゃん」で扱われた、雑誌『暮しの手帖』編集長だった花森安治の関連です。それに合わせ、森のギャラリーでも『暮しの手帖』などが展示されています。

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花森と共に、同誌の編集に当たった大橋鎭子は、昭和25年(1950)、光太郎にも寄稿を依頼するため、旧太田村の山小屋にもやってきました。その際に持ってきたか、その前後に東京から送ったものです。結局、光太郎の寄稿は実現しなかったようですが。


ぜひ足をお運び下さい。

ただし、注意が一点。記念館周辺、熊が出没しています。

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記念館さんの看板には、爪を研いだ痕が。006

基本的には臆病な動物なので、人気のない時間帯に歩いているようですが……。


【折々のことば・光太郎】

不思議なほどの脱卻のあとに ただ人たるの愛がある。 雨過天青の青磁いろが 廓然とした心ににほひ、 いま悠々たる無一物に 私は荒涼の美を満喫する。

連作詩「暗愚小伝」中の「終戦」より 
昭和22年(1947) 光太郎65歳

昭和20年(1945)、4月の空襲で東京を焼け出され、宮沢賢治の実家に身を寄せた光太郎。その宮沢家も終戦5日前の空襲で全焼し、旧制花巻中学校の元校長・佐藤昌宅で、8月15日を迎えました。正午には近くの鳥谷ヶ崎神社で玉音放送を聴いています。

10月には郊外太田村の、熊が歩き回る山小屋に移り住み、その頃には忠君愛国精神の呪縛から解き放たれ、「ただ人たるの愛がある」という境地に達しました。

」は「却」の正字です。

なかなかネット上に情報が公開されなかったため、(まだごたごたしているようで、市のフェイスブックには情報が出ていますが、ホームページ等には未掲載です。広報誌の今月号にも載りませんでした) 紹介が遅れましたが、岩手花巻の高村光太郎記念館さんで、秋の企画展が始まります。 

秋期企画展 智恵子の紙絵 智恵子抄の世界

期  日 : 2017年9月15日(金)~11月27日(月) 会期中無休
会  場 : 高村光太郎記念館 岩手県花巻市太田3-85-1 0198-28-3012
時  間 : 午前8時30分から午後4時30分まで
料  金 : 一般 550円(450円) 高校生及び学生 400円(300円)
                           小中学生 300円(200円) ( )内団体料金

 彫刻家で詩人として知られる高村光太郎。その妻、智恵子は雑誌『青鞜』創刊号の表紙絵を描き、新鋭の画家として注目されるなか光太郎と出会い、結ばれました。結婚後、智恵子は自身の油絵に対する芸術的苦悩や実家の一家離散が重なり、心の病に侵され睡眠薬で自殺を図ります。一命は取りとめたものの長い療養生活に入り、その後回復することはなく、昭和13年に入院先のゼームス坂病院でこの世を去ります。享年数え53歳の生涯でした。
 晩年の智恵子は作業療法として身の回りにあった色紙や包装紙など、様々な紙をマニキュア鋏で切りぬき、台紙に貼りつける「切り抜き絵」を多く制作します。それらは光太郎ただ一人に見せるために作られました。後に光太郎は智恵子の遺作となった切り抜き絵を「紙絵」と名づけました。太平洋戦争の空襲で光太郎はアトリを全焼し自身の作品の多くが焼失しましたが、智恵子の紙絵は花巻など地方に疎開させていて難を逃れました。
 この企画展では智恵子の紙絵のほか、愛の詩集ともいわれる詩集「智恵子抄」に関わる資料などを公開します。展示を通して智恵子の思いを感じていただければ幸いです。

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チラシ表面に使われているのは、昭和20年(1945)、花巻に疎開した光太郎を一時期自宅に住まわせ、その後も何くれとなく世話を焼いてくれた、初代花巻高村記念会理事長・佐藤隆房に贈った智恵子紙絵です。光太郎による画賛「智恵子遺作 切抜絵数種恵存」そして短歌「気ちがひといふおとろしきことばもてひとは智恵子をよばむとすらむ」が書き込まれています。

今回の展示では、これともう一点、二尾の魚をあしらった紙絵の、実物二点、あとは複製の紙絵が20点ほど展示されます。また、関連資料としていろいろ。先週、花巻高村光太郎記念会の方が当方自宅兼事務所に立ち寄られ(二本松や九十九里など、智恵子ゆかりの地の映像が会場内で流されるそうで、その撮影の合間に立ち寄られました)、いくつか展示できそうなものをお貸ししました。光太郎生前の昭和26年(1951)と同28年(1953)に、東京で開催された智恵子紙絵展のパンフレット、「映画になった智恵子抄」ということで、昭和32年(1957)公開・原節子さん主演と、同42年(1967)公開・岩下志麻さん主演の映画「智恵子抄」のポスター。


関連行事というわけではないのでしょうが、併せてご紹介しておきます。 

智恵子アート体験

期  日 : 2017年9月の毎週土曜
会  場 : 森のギャラリ-(旧高村記念館) 高村山荘・高村光太郎記念館敷地内
時  間 : 午前10時から12時まで 所要時間30分程度
費  用 : 500円 高村山荘入館料、材料費

型紙を使って紙を切り取り、ハガキや色紙に張り合わせて作り上げる紙絵制作体験を行っています。
子どもから大人までどなたでも手軽に楽しめます。
詳しくは、高村光太郎記念館 0198-28-3012へ。

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昭和41年(1966)に竣工した、旧高村記念館が、先月、「森のギャラリー」としてリニューアル。この手のちょっとしたイベントなどに使えるようになっています。紙絵の制作体験も先月末に一度行われました。おそらく2日と9日にも行われていたのではないかと思われます。


当方、別件もあり、今週末に行って参ります。詳しくはその後にレポートいたします。


【折々のことば・光太郎】

智恵子が私の支柱であり、 智恵子が私のジヤイロであつたことが 死んでみるとはつきりした。 智恵子の個体が消えてなくなり、 智恵子が普遍の存在となつて いつでもそこに居るにはゐるが、 もう手でつかめず声もきかない。 肉体こそ真である。

連作詩「暗愚小伝」中の「おそろしい空虚」より
 昭和22年(1947) 光太郎65歳

昭和13年(1938)10月5日、智恵子歿。その当初の光太郎はこうでした。「肉体こそ真」という考えから脱却し、智恵子は元素となっても常に自分を囲繞してくれている、と考えられるようになったのは、戦後になってからです。

ジャイロ(羅針盤)を失って、「おそろしい空虚」にはまりこんだ光太郎は、同じ詩の中で「乞はれるままに本を編んだり、変な方角の詩を書いたり」してしまったと述懐されます。空虚な翼賛詩の乱発と、それをまとめた詩集『大いなる日に』(昭和17年=1942)、『をぢさんの詩』(同18年=1943)、『記録』(同19年=1944)などを指します。

昨日は東京調布での、昭和32年(1957)公開の東宝映画「智恵子抄」(故・原節子さん主演)上映情報をご紹介しましたが、10年後の同42年(1967)に封切られた松竹映画「智恵子抄」(岩下志麻さん主演)の上映情報です。

特別企画 中村登監督特集 60年代松竹映画を代表する監督・中村登の特集 「智恵子抄」 

日 程 : 2017年5月17日(水)14:00002
        21日(日)14:00  27日(土)11:00
場 所 : 福岡市映像図書館ホールシネラ
       福岡市早良区百道浜3丁目7番1号
料 金 : 600円 (大人) 
      500円 (大学生・高校生)     
      400円 (中学生・小学生) すべて当日券

高村光太郎は画学生の智恵子と見合いし、結婚する。油絵に没頭する智恵子だが、文展に出した絵は落選する。火事のため田舎に住む智恵子の父親が死亡、また実家が倒産したとの知らせが届く。苦しむ智恵子は自殺を図る。高村光太郎の詩集「智恵子抄」と佐藤春夫の「小説智恵子抄」を原作とした映画。「智恵子抄」の詩を効果的に使いながら二人の純愛を描く。アカデミー賞外国語映画賞ノミネート。

監督:中村登    出演:岩下志麻 丹波哲郎 他 
1967年/35ミリ/カラー/125分/松竹


当方、一度拝見しましたが、鬼気迫る岩下さんの智恵子、重厚な丹波さんの光太郎、それぞれすばらしい演技でした。

丹波さんもそうですが、脇を固める俳優陣の皆さんにも既に亡くなった方が多く、その意味では懐かしさにひたれます。智恵子の親友・和子役の南田洋子さん、その夫は岡田英次さん(柳敬助夫妻がモデルです)、光太郎の親友・石井柏亭で平幹二朗さん、犬吠の太郎に石立鉄男さん、智恵子の両親が加藤嘉さんと宝生あや子さん、智恵子の主治医を内藤武敏さんなどなど。

「中村登監督特集」としては、「智恵子抄」以外に、「我が家は楽し」、「土砂降り」、「集金旅行」、「危険旅行」、「いろはにほへと」、「古都」、「夜の片鱗」、「二十一歳の父」、「暖春」、「紀ノ川」、「惜春」が上映されるそうです。

お近くの方、ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

木を彫ると心があたたかくなる。 自分が何かの形になるのを、 木は喜んでゐるやうだ。
詩「偶作十五篇」より 昭和2年(1927) 光太郎45歳

造形芸術のカテゴリーとして一口に「彫刻」といいますが、正確には「彫塑」というべきです。木や石などを彫ったり削ったりして作る「彫」と、粘土などを積み重ねて作る「塑」、ある意味真逆です。「彫」は余分なものをそぎ落とすマイナス、「塑」はゼロからどんどん足してゆくプラスの製法です。光太郎はどちらもこなしました。

長じてから、ミケランジェロやロダンを範とした「塑」に取り組む際には、ある意味身構えて臨むことが多かったようですが、幼い頃から自然と身につけた「彫」の場合は、時に遊び心を抱きながら取り組んでいたようにも思えます。

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今日は、8月から10月の光太郎関連の動きを振り返りますが、やはり7月で書き落としていましたので、そちらから。

7月(日付不明) 花巻高村光太郎記念館さんから、『光太郎 1883―1956』が刊行されました。同館展示品などの写真集です。

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8月1日(月) 文京区のケーブルテレビ区民チャンネルさんで、「ぶんきょう浪漫紀行 高村光太郎」の後編が初放映されました。

同日、岩手日日新聞社さんから、観光PR誌『岩手大陸』第3号が発行され、花巻高村光太郎記念館さんが大きく紹介されました。

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8月2日(火) コールサック社さんから、曽我貢誠氏他編『少年少女に希望を届ける詩集』が発行されました。光太郎詩「道程」「冬が来た」も収められています。

8月9日(火) 宮城県女川町のフューチャーセンターcamassを会場に、「第25回女川光太郎祭」が開催されました。当方の記念講演に始まり、地元や遠方の皆さんによる詩の朗読、当会顧問・北川太一先生の講話などが行われました。

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8月10日(水) 講談社文芸文庫の一冊として、室生犀星著『我が愛する詩人の伝記』が復刊されました。光太郎アトリエ訪問記も掲載されています。

8月10日(水)~28日(日) 埼玉東松山市立図書館で、「高村光太郎資料展~田口弘氏寄贈資料による~」が開催されました。21日(日)には、田口弘氏によるご講演もありました。

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8月11日(木)~9月11日(日) 美術館「えき」KYOTOにおいて、「世界の巨匠たちが子どもだったころ」展が開催され、光太郎の姉・さく(咲子)の日本画が展示されました。

8月14日(日) 『朝日新聞』さんの一面コラム「天声人語」で、終戦記念日にからめ、光太郎に触れて下さいました。

8月17日(水) 日本ヴォーグ社さん刊行の雑誌『手づくり手帖』第10号に載った、色彩アートセラピスト・江崎泰子氏による「巻頭特別エッセイ 色はこころの表現」で、智恵子の紙絵について触れられました。

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8月20日(土)~28(日) 花巻市の宮沢賢治記念館で、「「雨ニモマケズ」展」が開催され、光太郎が揮毫した「雨ニモマケズ」詩碑の碑文の書が展示されました。

8月28日(日)~9月2日(金) 千代田区の神保町シアターで、「一周忌追悼企画  伝説の女優・原節子」の一環として、昭和32年(1957)の東宝映画「智恵子抄」が上映されました。

9月10日(土)~10月23日(日) 石川県立美術館にて企画展「近代美術の至宝 明治・大正・昭和の巨匠」が開催され、光太郎のブロンズ「手」が出品されました。

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9月11日(日) 福島市子どもの夢を育む施設こむこむ館で、「アナウンサーたちが言葉で綴る物語の世界 第20回定期朗読ステージ 季節はめぐり…そして今~朗読集団「原 國雄とその仲間たち」~」が開かれ、「智恵子抄」が取り上げられました。

9月16日(金) 茨城県守谷市の茶房かやの木で、「おとばな結成3rd記念コンサート フルートとギターと語りのコンサート『おとばなノスタルジア館』」が開催、光太郎詩「レモン哀歌」が取り上げられました。

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9月17日(土) 岡山県赤磐市中央公民館で、「第14回おかやま県民文化祭参加事業 岡山県生涯学習大学連携公開講座「高村光太郎と智恵子の運命」」が、三浦敏明氏 (東洋大学名誉教授)を講師に開催されました。

9月17日(土)~10月10日(月) 津市の三重県総合博物館において、「新 津市誕生10周年特別展覧会「過去から未来へ~津のあゆみ~」展が開かれ、光雲作の木彫「魚籃観音立像」が出品されました。

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9月17日(土)~11月6日(日) 東京ステーションギャラリーさんで、企画展「動き出す!絵画 ペール北山の夢 ―モネ、ゴッホ、ピカソらと大正の若き洋画家たち―」が開催され、光太郎油彩画「上高地風景」「佐藤春夫像」が出品されました。

9月18日(日) 福島二本松の智恵子生家近くで、智恵子のまち夢くらぶさん主催の「智恵子純愛通り記念碑第8回建立祭 坂本富江さんの絵で語る智恵子の生涯」が開催されました。

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9月21日(水) 花巻市の宮沢賢治詩碑前広場に於いて、「賢治祭パート2 《追悼と感謝をこめて》」が開催され、「宮沢賢治と高村光太郎」の題で、当方が講話をさせていただきました。

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9月22日(木)~12月25日(日) 静岡県三島市の大岡信ことば館さんで開催の「谷川俊太郎展 ・本当の事を云おうか・」で、光太郎から谷川氏に宛てられた昭和29年(1954)の葉書が展示されました。

9月24日(土) 福島二本松の安達文化ホールで、「【高村智恵子生誕130年記念事業】原節子主演「智恵子抄」フィルム上映会」が実施されました。

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同日、いわき市のいわき芸術文化交流館「アリオス」では、国立大学法人福島大学うつくしまふくしま未来支援センター (FURE)さん主催の「シンポジウム in いわき ほんとの空が戻る日まで~ふくしま浜通り地方の復興・再生~」が開催されました。

さらに同日、銀座CHEEPA'S CAFEで、テルミン奏者大西ようこさん他による「ぷらイム in チーパズカフェ 2 ~ アトムも来るよ! ~」公演があり、初代鉄腕アトムの声を演じられた清水マリさんによる「智恵子抄」朗読もプログラムに入りました。

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9月25日(日) 『読売新聞』さんの土曜版の連載「名言巡礼」で、岡山赤磐出身の詩人にして光太郎と交流の深かった永瀬清子が取り上げられ、光太郎との関わりについても言及されました。

9月26日(月) 品川郷土の会会長を務められ、智恵子終焉の地・南品川ゼームス坂病院跡の「レモン哀歌」詩碑建立に尽力された、土屋恒行氏が亡くなりました。

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10月1日(土) 株式会社アールビーズさん発行のランニング愛好家向け雑誌『ランナーズ』10月号、「熊出没の青森鹿角は駅伝の故郷 武田千代三郎と乙女の像の因縁」という記事で、「十和田湖畔の裸婦群像(乙女の像)」にふれられました。

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同日、青森県十和田市の『広報とわだ』では、「特集「十和田湖・奥入瀬渓流」」を組み、光太郎に言及しました。

さらに同日、荒川区のムーヴ町屋で、第20回TIAA全日本作曲家コンクール入賞者披露演奏会が開催され、野村朗氏作曲「連作歌曲「智恵子抄巻末の短歌六首」より」が、森山孝光氏(Br)、森山康子氏(pf)で演奏されました。

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10月2日(日)~11月27日(日) 二本松市の歴史民俗資料館及び智恵子記念館で、「智恵子生誕一三〇年・光太郎没後六〇年記念企画展 智恵子と光太郎の世界」が開催されました。関連行事的に、2日(日)には高村光太郎研究会員・大島裕子氏による「記念講演会  『智恵子抄の世界』―智恵子生誕130年に伝えたいこと―」、さらに智恵子を偲ぶ第22回レモン忌も開催されました。

同日、郡山市の市民文化センターで、市制施行90周年・合併50年を記念して同市出身の湯浅譲二氏が作曲した「あれが阿多多羅(あだたら)山」が初演されました。

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さらに同日から11月1日(火)にかけ、鎌倉市のギャラリー笛さんにおいて、展示「回想 高村光太郎 尾崎喜八 詩と友情 その五 鎌倉における光太郎と喜八」が行われました。

10月5日(水) 二本松市智恵子の生家に於いて、「福島現代美術ビエンナーレ 2016 - 氣 indication -。」の一環として、画家・小松美羽さん、詩人・和合亮一氏のコラボによるアクションペインティングと朗読が行われました。

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10月10日(月) 二本松市市民交流センターにおいて、智恵子のまち夢くらぶさん主催の「智恵子講座'16」が始まりました。昨年からのカウントで、第5回が「セザンヌとポスト印象派」、講師は後藤學氏 (喜多方美術館館長)でした。第6回は11月20日(日)、宮川菊佳氏 (ギタリスト)で、「美の同志 高村光太郎~クラシックのギターと共に~」。第7回の「平塚らいてうと青鞜社」(福島大学名誉教授・澤正宏氏)/第8回 「参加者による高村智恵子を語るつどい」(12月18日(日))で終わりました。

10月10日(月)~11月23日(水) 二本松市霞ヶ城公園に於いて、「第62回 菊の祭典 二本松の菊人形」が開催され、光太郎智恵子の人形も展示されました。

10月15日(土) 麗人社さん発行の雑誌『美術屋・百兵衛 2016年秋号 vol39 岩手県特集』で、「彫刻家・高村 光太郎」10㌻が掲載されました。

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10月20日(木) 響林社さんからwisさんの朗読によるCD、<声を便りに>オーディオブック 「智恵子抄(抄) 高村光太郎 ― 十七編抜粋 ―」がリリースされました。

10月23日(日) 俳優の平幹二朗さんが亡くなりました。平さんは、昭和42年(1967)、松竹映画「智恵子抄」(中村登監督、主演・岩下志麻さん、丹波哲郎さん)にご出演。光太郎の親友、石井柏亭の役でした。また、平成12年(2000)には、津村節子さんの小説を原作とした舞台「智恵子飛ぶ」で、ズバリ光太郎役を演じられました。

10月25日(火)~2017年2月13日(月) 盛岡市の盛岡てがみ館さんで、第51回企画展「文豪たちの原稿展」。現在も開催中、光太郎原稿「國民まさに餓ゑんとす」他が展示されています。

10月26日(水)~12月4日(日) 堺市博物館さん他3会場で、「河口慧海生誕150年記念事業「慧海と堺展」」が開催され、光雲木彫「釈迦牟尼仏」が出品されました。

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10月30日(日) 集英社さんから、原田マハさん著『リーチ先生』が刊行されました。光太郎の親友だった陶芸家、バーナード・リーチを描く小説で、光太郎、光雲、豊周も登場し、活躍します。

明日は、残る11・12月を振り返ります。


【折々の歌と句・光太郎】

吾山にながれてやまぬ山みづのやみがたくして道はゆくなり
昭和24年(1949) 光太郎67歳

個人的に、光太郎短歌・俳句等の中で、最も好きな作品です。晩年となり、「行雲流水」の境地に達し、しかし、流されるのではなく、あくまで求道者たらんとするその姿勢。ここに光太郎の真骨頂があるように思われます。

俳優の平幹二朗さんが亡くなりました。昨日、登山家の田部井淳子さんの訃報をお伝えし、2日続けての訃報、非常に心が痛みます。 

平幹二朗さん死去、82歳=シェークスピア劇で活躍

009 シェークスピア劇やNHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」「国盗り物語」の主演で知られ、舞台からドラマまで幅広く活躍した俳優の平幹二朗(ひら・みきじろう)さんが23日死去した。

 82歳だった。広島市出身。俳優の平岳大(ひら・たけひろ)さんは長男。

 平さんは、東京都世田谷区の自宅の風呂場で倒れているところを発見され、その後死亡が確認された。

 俳優座を経てテレビドラマ「三匹の侍」で注目を集めた後、浅利慶太さん演出の劇団四季「ハムレット」の主役で舞台俳優としての地歩を確立。「NINAGAWAマクベス」や「王女メディア」など、長年にわたって故蜷川幸雄さんの作品に出演した。悲劇の主人公を格調高く演じ、シェークスピア作品を得意とし、自ら演出も手掛けた。

 ドラマはNHK大河など時代劇に多数出演した他、現代劇でも存在感を見せた。近年もほぼ毎年出演作があり、放送中のフジテレビ系のドラマ「カインとアベル」にも出演していた。

 舞台でも衰えを見せず、昨年の「王女メディア」に続き、今年は9月から10月上旬まで「クレシダ」に出演、年明けの舞台も予定していた。

 「天城越え」「GOEMON」など映画にも多数出演した。1998年紫綬褒章、2005年旭日小綬章。

(時事通信 10月23日(日)23時54分)


平さんは、昭和42年(1967)、松竹映画「智恵子抄」(中村登監督、主演・岩下志麻さん、丹波哲郎さん)にご出演。光太郎の親友、石井柏亭の役でした。

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映画冒頭近く、隅田川沿いの西洋料理屋で開催された「パンの会」の狂騒のシーン、後半の、智恵子の心の病が顕在化した後、光太郎と二人、酒場で語り合うシーンに登場されました。

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平成12年(2000)には、津村節子さんの小説を原作とした舞台「智恵子飛ぶ」で、ズバリ光太郎役を演じられました。

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それにしても、訃報を読んで、82歳というのには驚きました。非常に若々しいイメージでしたので……。

ちなみに、ご子息でやはり俳優の平岳大さんは、フラメンコにも取り組まれており、「智恵子抄」も取り上げて下さっています。あまり大々的に宣伝していないようなので、このブログではご紹介していませんが。

何はともあれ、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


【折々の歌と句・光太郎】

ニホンゴ ハヨサノアキコノネツプ ウニイキテウゴ キテトビ テチリニキ 〔晶子会のため〕                       
昭和26年(1951) 光太郎69歳

訃報の紹介が続きましたので、挽歌的な作を一つ。ただし、亡くなってすぐではなく、10周忌の会に際して電報で寄せた作です。

のち、雑誌『スバル』に漢字仮名交じりで掲載されました。

日本語は与謝野晶子の熱風に生きて動きて飛びて散りにき

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