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昭和6年(1931)8月9日、新聞『時事新報』の依頼で紀行文を執筆するため、光太郎は東京本郷区の自宅兼アトリエを出、約1ヶ月の三陸旅行に発ちました。10月に発表された紀行文には石巻、金華山、女川、気仙沼、釜石、宮古といったあたりの様子が描かれています。

それを記念して、毎年8月9日には、女川光太郎祭が開催されており、今年で28回目となりました。このところ、毎年、記念講演の講師を仰せつかっており、今年も行って参りました。

会場は、JR石巻線女川駅前の商業施設シーパルピア内のまちなか交流館さん。

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県内外から多くの方々がお集まり下さいました。

最初に当方の講演。光太郎という人物の生涯を細かにたどるため、昭和22年(1947)に自らの生涯を振り返って書かれた連作詩「暗愚小伝」をもとに、連続講演の形で行わせていただいており、とりあえず今年がその最後、戦後の花巻郊外旧太田村での蟄居生活を中心に語らせていただきました。来年は「「暗愚小伝」その後」というわけで、最晩年、そして光太郎の死のあたりを扱う予定です。

その後、メインの行事。女川光太郎の会・須田勘太郎会長のご挨拶に続き、光太郎遺影、かつて海岸公園に立っていた光太郎文学碑の写真(今年・新しいパネルに代えられました)に献花。

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その後、県内外の皆さんによる、光太郎紀行文や詩の朗読。

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女川町長・須田善明氏の祝辞。須田町長、久々においで下さいました。

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まだ確定でない、と前置きされつつ、来年の今頃には、かつての海岸公園一帯をメモリアルゾーンとして整備する事業が終わる予定で、倒壊したままの光太郎文学碑も再建される見通し、とおっしゃっていました。

ちなみに現状、こんな感じです。

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すぐ近くの旧女川交番の方は、基礎部分の工事にかかっているようでした。

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その後、ギタリスト・宮川菊佳氏の演奏。宮川氏、詩の朗読の際にBGM演奏も為されていました。

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オペラ歌手・本宮寛子さんの歌。本宮さんは、光太郎文学碑が建てられた平成3年(1991)に女川で開催されたオペラ智恵子抄(仙道作三氏作曲)の公演で、智恵子役をなさった方です。

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最後に、東日本大震災の津波で亡くなった女川光太郎の会事務局長・貝(佐々木)廣氏の奥様、英子さんのご挨拶。

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終了後は、まちなか交流館さんにほど近い金華楼さんで懇親会。

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一年ぶりにお会いする方々と久闊を叙し、また、盛岡のご出身で、旧太田村の蟄居時代に光太郎がたびたび足を運んだ温泉などにもよく行かれたという方、当会顧問の北川太一先生をご存じの方など、初参加という皆さんともいろいろお話をさせていただきました。こうやって人の輪が広がっていくのだな、と実感させれられました。

毎年書いておりますが、永続的に続いて欲しいものです。

明日は女川町内各所のレポートを。


【折々のことば・光太郎】007

うつくし かぐはし ほほゑまし  

  短句揮毫 昭和25年(1950) 光太郎68歳

花巻郊外旧太田村で隠棲していた光太郎、時折、県都盛岡に出ることがあり、その際には「天よし」という飲み屋に立ち寄ることが多く、そこのマダム・たみ子さんに贈った書です。「天よし」の店名も光太郎の命名だったそうです。


マダムたみ子が長唄の免状を手にした祝いということで、「し」の字は三味線の糸を表し、長く書いたとのこと。粋な計らいですね。

女川光太郎祭で、小学生の詩の朗読もありまして「ほほゑまし」く拝聴しました。

昨日に引き続き、宮城県女川町からイベント情報です。 

第28回女川光太郎祭

期 日 : 2019年8月9日(金)
時 間 : 午後2:00~
場 所 : 女川町まちなか交流館 宮城県牡鹿郡女川町女川浜字大原1-36
料 金 : 無料
問い合わせ : 
   女川光太郎の会事務局 佐々木英子
   〒986-2243 宮城県牡鹿郡女川町鷲神浜字内山3-1NI・1街区2 桜ヶ丘東住宅404
   090-6686-7811 
内  容 : 
 献花
 光太郎紀行文、詩などの朗読
 アトラクション演奏 オペラ歌手 本宮寛子  ギター奏者 宮川菊佳 
 講演 「高村光太郎、その生の軌跡 ―連作詩「暗愚小伝」をめぐって⑦―」
     高村光太郎連翹忌運営委員会代表 小山弘明
 終了後 懇親会

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昭和6年(1931)、光太郎が三陸一体を旅した一環で立ち寄った宮城県牡鹿郡女川町。それを記念して、平成3年(1991)、当時の女川港に面した海浜公園に巨大な光太郎文学碑が建立され、さらに翌年から始まった女川光太郎祭。その後、東日本大震災による津波で甚大な被害を受けた平成23年(2011)も含め、毎年開催されています。今年は文治堂書店さんが自社のPR誌『トンボ』第8号に案内を掲載して下さいました(上記画像)。

昨年までの様子はこちら。


ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

生活も不便とはいへ、まづ正常の状態で進んでゐて、決して極端なまねはして居りません。蛇や蛙やバツタを食べて生きてゐるのではありません。

雑纂「太田村の便り」より 昭和26年(1951) 光太郎69歳

一方で、翌年行われた座談会では、蛙を食べたことや、蛇も食べようと思ったものの歯が悪いのでやめたという発言をしています。バッタについては他では言及されていません(長野県民ではありませんし(笑))。

蛙に関しては、明治末のパリ留学時代にフランス料理として食べていたので、あまり抵抗はなかったのでしょう。しかし、だからといって、それを常食にしていたわけではないということですね。

昨日は神奈川県内に出ておりました。

午前中、横浜の神奈川近代文学館さんで調べ物。主に同時代の人々が残した光太郎回想の類を調査して参りました。当会刊行の『光太郎研究』にて少しずつご紹介いたします。

その後、相模原(最寄り駅は町田でしたが)のホテルラポール千寿閣さんへ。

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こちらの敷地内にあるチャペルで行われた「兼古隆雄が奏でる ギター名曲の楽しみⅥ ギター独奏と詩の朗読」を拝聴して参りました。

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兼古氏は町田でクラシックギターの教室をなさっている方です。そしてゲストに俳優の山本學さん。

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第1部は兼古氏によるソロ演奏。バッハを除いて現代の曲でしたが、哀愁や情熱がこもり、時に軽妙洒脱、時に意外な曲の展開、また、教会というあまり広くない、しかし落ち着いた雰囲気のスペースにそれがマッチし、実にいい感じでした。

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第二部で山本學さんがご登場。

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はじめに山本さんが自選の詩を朗読、その後、兼古氏がそれぞれの詩に合うと感じられた曲を演奏というくり返しでした。特にF・ターレガの「アデリータ」など、たしかにぴったりでした。

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藤村の「初恋」(明治29年=1896)に続いて、光太郎の「レモン哀歌」(昭和14年=1939)。前年の愛妻・智恵子の臨終を謳った絶唱です。

山本さん、前半は意識して早口でたたみかけるような朗読をなさったのだと思いました。そうすることで、消えゆく智恵子の生命の炎を目のあたりにし、冷静でいられない光太郎の激情が表されていたように感じました。終末部分の「写真の前に挿した桜の花かげに/すずしく光るレモンを今日も置かう」は、智恵子歿後の現在、というわけで、一転してゆったり落ち着いた、しかし、痛切な独白といった感で読まれ、まとめをつけられました。さすがベテラン、と、当方、感心しきりでした。

サプライズが一つ。最後の栗原貞子「生ましめんかな」(昭和21年=1946)が終わったあと、会場の万雷の拍手に応えてのアンコールとなりまして、さて、山本さん、何を朗読されるのだろう、と思っておりましたところ、お口を開かれ、出て来た題名が「荒涼たる帰宅」。思わず当方、「おお」と反応してしまいました。昭和16年(1941)、光太郎がおそらく詩集『智恵子抄』出版に際して書き下ろした、智恵子葬儀の当日を謳った詩です。

どうも山本さん、正規のプログラムに入っていた詩篇も含め、「生と死」的なモチーフのそれを集められたようで、そうするとたしかに「荒涼たる帰宅」ですね。ここで「道程」(大正3年=1914)やら「樹下の二人」(同12年=1923やらは入ってきません。

終演後、山本さんとお話しさせていただきました。さらにあつかましくも、1990年代に山本さんの朗読でリリースされた光太郎詩集のCDを持参しており、ジャケットにサインしていただきました。家宝にします(笑)。

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しかし山本さん、「こんなCDが出ていたんだね。記憶にないや」とのことで、意外と物事にこだわらない豪快な一面もおありなのかな、という気がしました。さらには「’90年頃? まだ「詩」の何たるかが分かっていなかった頃だなぁ」。「いやいや、そんな事は……」と申し上げておきましたが(笑)。

連翹忌の営業もさせていただきました。来年の連翹忌のご案内を差し上げようと存じます。ぜひいらしていただきたいものです。ちなみにマネージャーの方は、連翹忌ご常連の女優・一色采子さんと親しくされているということでした。

それはともあれ、兼古氏ともども、今後も変わらぬご活躍を祈念いたします。


【折々のことば・光太郎】

一、躊躇なしにロマン ロラン  二、彼が世界で最も高い精神であるが故に、彼よりも博学な、賢明な又新らしい主義をもつ人は尠くないが、彼ほど清冽の心を持ちながらその英雄主義に他を凌駕する意識のほとんど感じられない点は全く人類の宿弊を破つてゐる。

アンケート「私の好きな世界の人物」全文 大正15年(1926) 光太郎44歳

「一」の細かな質問内容は、「世界各方面の現代名士中貴下の好まれる人物氏名」、「二」は同じく「何う言ふ点を好まれるか」でした。

この手の人物評には、光太郎自身が目指した、あるべき人物像が投影されているような気がします。

演劇系イベントを二つ。

まずは仙台発の情報。
会 場 : せんだい演劇工房10-BOX box-1  宮城県仙台市若林区卸町2-12-9
時 間 : 7/5(金)19:30〜 1作品目 7/6(土)19:30〜 2作品目
        7/7(日)13:00〜 3作品目
料 金 : 通し券(木金・土・日の3パターン/全7作品観劇可)
        一般前売:2,800円 一般当日:3,000円 
        学生前売:1,800円 学生当日:2,000円

毎年、大阪・インディペンデントシアターで行われる最強の一人芝居フェスティバル「INDEPENDENT」。2011年夏に行われたジャパンツアー仙台公演を経て、2012年から仙台でも東北の創り手を中心とした「INDEPENDENT:SND」を継続開催しています。今年も多数の応募の中から激選された6組が参戦。東北の俳優と本家大阪で評価を得た招聘作品が競演します。是非ご期待ください!


演劇ユニット箱庭 第5回公演 『38.9℃の夜』
 出演 : しゅー(演劇ユニット あかりラボ)
 脚本 : 長門美歩
 演出 : 志賀彩美(演劇ユニット 箱庭)

「女が結婚しないでいるのはよくないなんて誰が決めたことなの。だいたい世の中の習慣なんて、どうせ人が決めたことでしょう、それに縛られて一生、自分の心を騙し続けて生きるなんてつまらないことだわ。わたしの一生はわたしが決めたい。たった一度きりしかないわたしの一生ですもの。」
と高村智恵子は言ったそうだ。

演劇ユニット 箱庭 第5回公演「38.9℃の夜」では、社会人と演劇・表現活動を両立する、年齢・結婚年数が異なる3人の既婚女性で構成。「結婚して、家族を得ても、孤独だった」と言う感覚をもとに、現代に生きる女性としての生き方と、その苦悩と孤独について描き出す。その舞台の題材として取り上げられるのが高村智恵子という一人の芸術家の一生だ。

「自分の人生を生きた」そういう実感が心から湧くような生き方をしていきたい。ままならないことだらけの世の中で、智恵子は生きました。ままならないことだらけの世の中で、私たちはどう生きていこう。

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「INDEPENDENT:SND19」という演劇フェスティバル的なイベントがあり、7作品(すべてが一人芝居とのこと)が上演される中の1つとして、演劇ユニット箱庭 第5回公演を兼ねる 『38.9℃の夜』だそうです。


もう1件、愛知県長久手市から。

長久手市文化の家自主事業 創造スタッフ七夕企画 文学パフォーマンス

期  日  : 2019年7月6日(土)
会  場 : 長久手市文化の家  2F情報ラウンジ  愛知県長久手市野田農201 
時  間 : 11時00分 15時00分 18時00分
料  金 : 無料

出演 豊永洵子(ダンス) 細川杏子(フルート) 藤島えり子(俳優)

女性創造スタッフ三名によるパフォーマンスイベント。ダンサー×フルーティスト×俳優が文学作品を題材にコラボレーション! 高村光太郎の名作「智恵子抄」を、それぞれの形でお見せします。
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やはり「智恵子抄」系、どちらかというと女性に人気なのでしょうか。仙台の演劇も女性3人組、奇しくも長久手も同じく女性3人組ですね。

現代の素敵な女性達が自分の生涯をさまざまな形で表現し続けてくれていると知り、泉下の智恵子はどう思うでしょうか。


【折々のことば・光太郎】

試験制度をくぐつて来た人間の頭には、どうしても取り去れない或る箍がかかつてゐます。どうしてもコンクリイトで出来た池の中の水のやうな処があつて、海洋の水はおろか、小川の流のやうな処さへ少いやうです。どんなに有為な、立派な、若しくは偉大な人物になつても、その根性の奥にはめられた或る箍は、一生涯つきまとふかと思はれます。

アンケート「もし私に子があつたら何にするか?」より
 大正12年(1923) 光太郎41歳

「箍」は「たが」。「たがが外れる」の「たが」です。

いわゆるエリートの脳内にはその「箍」がしっかりはまっていて、外れることがないと。もちろん融通が利かないとか、思考が硬直化しているとか、そういったマイナスの意味で使われています。

今も昔も、ですね。

まずは神奈川県から朗読系のイベント情報です。

 

兼古隆雄ギター名曲の楽しみ

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期 日   : 2019年6月30日(日)
会 場 : ホテルラポール千寿閣 
            相模原市南区上鶴間本町3-11-8
時 間 : 15時開場 / 15時30分開演
料 金 : 前売券4,000円
      当日券4,500円

 第一部 ギターソロ
  A.ヨーク    子守歌
  J.S.バッハ
       前奏曲、サラバンド、メヌエット
  A.バリオス   郷愁のショーロ
  L.ブローエル  11月のある日
   穴戸睦夫   前奏曲とトッカータ

 第二部 語りとギターの饗宴
  共演 俳優 山本學
   島崎藤村   初恋
   高村光太郎  レモン哀歌
   中原中也   骨
   長田 弘   イツカ向コウデ
   栗原貞子   生ましめんかな 

神奈川と東京多摩地区の情報誌『タウンニュース』さんに案内記事が出ていました。

ギターと朗読を楽しむ 兼古隆雄さんが弾く

 ホテルラポール千寿閣で30日(日)、ギター教室も営む兼古隆雄さんと「下町ロケット」にも出演した俳優・山本學さんの演奏会が催される。午後3時30分開演(3時開場)。
 第一部はギターソロ。A・ヨーク「子守歌」やJ・S・バッハ「前奏曲」「サラバンド」などの名曲が演奏される。第二部は朗読とギターのコラボ。島崎藤村「初恋」や高村光太郎「レモン哀歌」など、ベテランの語りの芸を披露する。2人のコラボは好評で、10月には西日本のツアー企画が進行しているという。チケット前売4000円。(問)兼古隆雄ギター教室【電話】042・722・6740


山本學さん、1990年代に学研さんからリリースされた朗読CD全集「サウンド文学館パルナス」で、光太郎詩の朗読をなさっています。

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久しぶりに拝聴しましたが、渋い、しかし明るいお声、ゆったりした間の取り方、さすがです。

ぜひ足をお運びください。


もう1点。同様の朗読系イベントで、過日ご紹介した石川県金沢市での「『智恵子抄』詩人高村光太郎と智恵子~本田和の語り」につき、『中日新聞』さんが報じましたのでご紹介します。

詩の朗読×チェロ演奏 市民芸術村 智恵子抄の世界表現

010 音楽に合わせて物語や詩の朗読をする金沢市の本田和(かず)さんの公演「『智恵子抄』詩人高村光太郎と智恵子」(北陸中日新聞後援)が十七日、金沢市民芸術村であり、七十人の来場者が光太郎の詩の世界とチェロの演奏を楽しんだ。
 智恵子抄は、光太郎が妻への思いをつづった詩集。愛にあふれる詩を、本田さんが情感を込めて読み上げた。大阪フィルハーモニー交響楽団のチェリスト林口真也さんが重厚な音色を奏で、詩に込められた感情を引き立たせた。
 公演は、本田さんの活動を支援する団体「きくはなすの会」が主催した。(小坂亮太)


時折書いていますが、光太郎の詩、意外と朗読向きです。全国の朗読愛好者の皆さん、ぜひぜひ取り上げて下さい。


【折々のことば・光太郎】

御質問の件簡単なる敬語を以て御答へ仕るは仕極難事と存じ候。甚だ失礼ながら右御断り申上候。

アンケート「現代名流の日本画観」より 明治43年(1910) 光太郎28歳

「敬語」は、言葉の種類としての謙譲語とか尊敬語とかの敬語ではなく、尊敬の念をもっての讃辞、といった意味でしょう。「褒めることが出来ないからお答えできません」ということだと思われます。

光太郎、どうも同時代の日本画に関しては目の敵にしていたようで、あちこちで「古くさい」「生命感に欠ける」的な批判を繰り返していました。

「仕極」は「至極」の誤りでしょう。

朗読系のイベント情報です。

『智恵子抄』詩人高村光太郎と智恵子~本田和の語り

期    日  : 2019年6月17日(月)
会    場 : 金沢市民芸術村 PIT2 ドラマ工房 石川県金沢市大和町1-1
時    間 : 19:00開演~20:00終演(開場18:30)
料    金 : 前売券2000円 当日券2500円
問い合わせ  : きくはなすの会(090-2373-5458)

明治・大正・昭和を生きた詩人の高村光太郎とその妻智恵子の愛の軌跡を描いた『智恵子抄』を語る。チェロの音色がその世界を広げる。
語り:本田和 チェロ:林口眞也

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本田さんという方、当方、直接は存じ上げませんが、CDを一枚持っております。

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平成21年(2009)リリースの「本田和語りの世界 セロ弾きのゴーシュ」。表題作はご存じ宮沢賢治の童話ですが、他に「智恵子抄―語りとギターのための―」「蜘蛛の糸―独奏チェロと語りのための―」が収録されています。ひさびさに聴いてみましたが、艶のある美声で、情感あふれる朗読。いい感じでした。恋愛時代の「僕等」(大正3年=1914)に始まり、結婚後の「あどけない話」(昭和3年=1928)、智恵子が心を病んでからの「千鳥と遊ぶ智恵子」(昭和12年=1937)、「山麓の二人」(昭和13年=1938)、その葬儀を謳った「荒涼たる帰宅」(昭和16年=1941)、最後が絶唱「レモン哀歌」(昭和14年=1939)でした。アコースティックギターのオリジナル音楽と共に語られ、音楽はそれぞれの詩に合わせ、はじめおだやかで叙情的に奏でられていたものが、徐々に緊迫感を増す奏法となり、やがて静謐に幕を閉じるという感じでした。

今回はチェロとのコラボだということですが、やはりこうしたドラマチックな構成が為されるのではないでしょうか。

また近くなりましたらご紹介しますが、来月には神戸での公演もあるとのことです。お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

ここは温泉もいいが、宿の建築が甚だ面白く、私は毎日荒れ果てた無人の部屋部屋を見てたのしんだ。昔の宿の主人が建築道楽であつたさうで、木口の太さといひ、組方といひ、いかにも岩手独特の手丈夫な趣が大まかに出てゐてよい。
散文断片「(私は温泉が)」より
 
昭和20年代前半(1940年代後半) 光太郎66歳頃

010光太郎歿後に見つかった原稿用紙5枚(以降欠)の文章から。題名はなく、今のところ雑誌等に発表されたことも確認できていません。

「ここ」は、花巻南温泉郷の一番奥、西鉛温泉です。昭和20年(1945)、花巻の宮沢賢治の実家に疎開した翌日から結核性の肺炎で高熱を出し、一カ月の臥床。床上げの後、予後を養うために一週間滞在しました。当時は明治館改め秀清館という一軒宿で、明治22年(1889)の創業。この頃は、賢治の母の実家が経営していました。当時としては珍しい、四階建ての日本家屋で、建築設計にも手を染めていた光太郎、その造作に感心しきりでした。

戦後には県の職員保養所を兼ね、昭和47年(1972)には閉鎖。残念ながら建物は現存しません。その後、愛隣館という観光ホテルが建ち、現在は「西鉛温泉」という呼称は廃され、「新鉛温泉」と称されています。

光太郎終焉の地・東京中野から朗読系イベント情報です。
会 場 : 古民家asagoro 東京都中野区若宮3丁目52-5
時 間 : 昼の部 13:30~15:30    宵の部 16:00~18:00
料 金 : ¥3,000

月を撮り続けているカメラマン、河戸浩一郎による映像作品の上映会です。月の映像詩の作品数本の上映と朗読を交えた映像作品の上演を行います。(朗読:蓑毛かおり)

今回はVol.8、全15回開催予定の折り返し地点でもあるので、いつもの作品上映に加え、新しい試みとして、高村光太郎の「智恵子抄」を取り上げ、月と絡めてご紹介します

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なかなかシャレオツなイベントのようですね。

確かに『智恵子抄』収録の詩篇の中には、月を詠み込んだものがいくつかあります。

まず結婚前、恋愛時代の作から。

 七月の夜の月は/見よ、ポプラアの林に熱を病めり  (「或る夜のこころ」 大正元年=1912)

 あなたは女だ/男のやうだと言はれても矢張女だ/あの蒼黒い空に汗ばんでゐる円い月だ/世界を夢に導き、刹那を永遠に置きかへようとする月だ  (「おそれ」 同)

 御覧なさい/煤烟(ばいえん)と油じみの停車場も/今は此の月と少し暑くるしい靄(もや)との中に/何か偉大な美を包んでゐる宝蔵のやうに見えるではないか/あの青と赤とのシグナルの明りは/無言と送目との間に絶大な役目を果たし/はるかに月夜の情調に歌をあはせてゐる  (同)

 瓦斯(ガス)の暖炉に火が燃える/ウウロン茶、風、細い夕月  (「或る宵」 同)

何となく、月の持つ一種の神秘性を智恵子に仮託しているようにも思えます。

その後は『智恵子抄』中に月はしばらく登場しません。次に月が現れるのは、智恵子の葬儀を謳った「荒涼たる帰宅」(昭和16年=1941)。

    荒涼たる帰宅007 (2)

 あんなに帰りたがつてゐた自分の内へ
 智恵子は死んでかへつて来た。
 十月の深夜のがらんどうなアトリエの
 小さな隅の埃を払つてきれいに浄め、
 私は智恵子をそつと置く。
 この一個の動かない人体の前に
 私はいつまでも立ちつくす。
 人は屏風をさかさにする。
 人は燭をともし香をたく。
 人は智恵子に化粧する。
 さうして事がひとりでに運ぶ。
 夜が明けたり日がくれたりして
 そこら中がにぎやかになり、
 家の中は花にうづまり、
 何処かの葬式のやうになり、
 いつのまにか智恵子が居なくなる。
 私は誰も居ない暗いアトリエにただ立つてゐる。
 外は名月といふ月夜らしい。

ほぼ一切の感情を表す単語を排し、客観描写に徹しながら、しかしそれがかえって深い喪失感を表しているように思えます。葬儀は10月8日。たしかにちょうど中秋の名月の頃ですね。

ちなみにこの詩は『智恵子抄』刊行(昭和16年=1941)に際して書き下ろされたと推測されています。したがって、実際の智恵子の葬儀より3年近く経ってから書かれたものですが、まるでその場で書いているような臨場感が感じられます。

おそらく、このあたりを朗読で取り上げて下さるのでしょう。ありがたいかぎりです。


【折々のことば・光太郎】

ロンドンからパリへ来ると、西洋にはちがひないが、全く異質のものではない、自分の要素もいくらかはまじつてゐるやうな西洋、つまりインターナシヨナル的西洋を感じて、ひどく心がくつろいだ。魚が適温の海域に入つたやうな感じであつた。

散文「父との関係2 ――アトリエにて3――」より
昭和29年(1954) 光太郎72歳

そして、そのパリで、光太郎は芸術家として、また、人間として、開眼したということになるわけです。

昨日は、都内に出ておりました。駒場の日本近代文学館さんで調べ物の後、赤坂のサントリーホールさんへ。過日ご紹介した、第35回アイメイトチャリティーコンサートを拝聴。

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こちらは東京パイロットクラブさんというボランティア団体の主催行事でした。「パイロット」は一般的な「航空機等の操縦者」の意ではなく、「水先案内人」という本来の意味から転じ、社会全体の水先案内的にさまざまなボランティア活動に取り組むということだそうです。ちなみに同会の初代会長は神近市子。その後の歴代会長には村岡花子や平林たい子といった錚々たる名が並んでいます。一昨年、105歳で亡くなった日野原重明医師も名誉会員だったそうで。

「アイメイトチャリティーコンサート」は、同会の主要な活動の一つ。アイメイト(盲導犬)育成活動への助成を行うためのものとのこと。

昨日は、以前からこのコンサートに出演されてきた女優の一色采子さんが「智恵子抄」の朗読をなさるというので、はせ参じた次第です。

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開場前から長い行列。大ホールではなくブルーローズ(小ホール)での開催でしたが、キャパ400席弱の7割ほどが埋まったでしょうか。

開演前の一コマ。

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かつては美智子さまが皇后陛下時代にいらしたことも何度かおありだそうで、昨日ももしかしたら、と思っていましたが、それはありませんでした。ただ、お嬢様の黒田清子さんがお見えでした。黒田さんはほぼ毎年いらしているようです。

一色さん、まずは第1部の最後でご登場。「詩と音楽のマリアージュ 高村光太郎作「智恵子抄」より」ということで、ピアニスト田中健さんの奏でるショパンの楽曲に乗せ、「人に」(大正元年=1912)、「あどけない話」(昭和3年=1928)、「樹下の二人」(大正12年=1923)、「レモン哀歌」(昭和14年=1939)の4篇を朗読なさいました。

一色さんの朗読を拝聴するのは、一昨年、二本松の智恵子の生家での催し以来2度目でしたが、凛とした中にも情感溢れる朗読で、いい感じでした。何度も書いていますが、一色さんのお父様の故・大山忠作画伯が智恵子と同郷で、智恵子をモチーフにした作品も複数遺され、そうしたご縁で智恵子顕彰にも一役かわれている次第です。

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第2部では、オペラの名曲の数々。その進行役を一色さんが務められました。

出演された音楽家の皆さん、非常にハイレベルでした。

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第2部のピアノ伴奏でご出演の渕上千里氏、前述の二本松での一色さんの朗読に際し、電子ピアノで伴奏をなさっていましたし、かつて故・平吉毅州氏作曲の混声合唱組曲「レモン哀歌」CD(平成11年=1999 フォンテック)に、ピアノで参加されていました。

実際にアイメイト(盲導犬)と共に生活されている音楽家の方の演奏もありました。その方々の演奏中、ステージでおとなしく座っている姿はほほえましいものでした。

インタビューもあり、ピアニストの高橋雅枝さんという方、右手の点字の楽譜を左手で読みながら右手の練習を、右手で左手の点字の楽譜を読みながら左手の練習をなさり、それぞれを覚えてから両手で演奏されるということで、なるほど、そういうふうにするのかと、初めて知りました。視覚障害のあるピアニストの方、皆さんがそうなさっているのでもないのでしょうが。

終演後のカーテンコール。アイメイト君も真ん中に写っています。

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さらに一色さんとお話しさせていただき、こちらも。

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なかなか見聞の広まる経験となりました。


【折々のことば・光太郎】

街を歩いて、あちこちで見かけた詩のかけらをこの冬中に詩集にまとめたい。すさまじいもの、浅間しいもの、いくつにも分れているような美をひつくるめた面白さだな。都会人の心なら、だれでも知つている東京の魅力だ。ほんとうは東京を礼賛したかつたんだが、街をうたえばどうしてもエレジーになる。結局、東京はそういうところなんだ。

談話筆記「新春放談」より 昭和29年(1954) 光太郎72歳

それを詩集にまとめるという構想は実現しませんでしたが、前年には「東京悲歌」という詩も書いた光太郎。岩手花巻郊外旧太田村で過ごした7年間の間に浄化されたその眼には、「東京に空が無いといふ、/ほんとの空が見たいといふ」(「あどけない話」(昭和3年=1928)という智恵子の気持ちが実感できたのではないかと思われます。

一昨日から1泊で花巻に行っておりました。

昨日は、郊外旧太田村で、第62回高村祭。昭和20年(1945)、本郷区駒込林町のアトリエ兼住居をを空襲で失った光太郎が、宮沢賢治の実家や賢治の主治医・佐藤隆房らの勧めで、花巻に疎開。そのために東京を発った5月15日に、毎年、高村祭が開催されています。

例年は光太郎が7年間暮らした山小屋(高村山荘)敷地内の「雪白く積めり」詩碑(光太郎の遺骨ならぬ遺髯が埋まっています)の前で行っていましたが、昨日は朝まで本格的な雨だったため、数百メートル離れた旧山口小学校跡地の、スポーツキャンプ村屋内運動場(通称・高村ドーム)での実施となりました。こちらが会場となるのは平成24年(2012)以来のことでした。

前日から、光太郎もよく泊まっていた大沢温泉さんに宿泊していましたが、朝5時過ぎに宿を出、レンタカーで旧太田村、高村山荘に。

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5時半から会場設営と言うことで、そのお手伝いです。その時点でかなりの雨だったので、高村ドームでの開催が決定。早速、作業にかかりました。当方、高村祭で講演などを仰せつかったりもしますが、こういう力仕事の方が性に合っています(笑)。

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ほぼ終わったところで、宿に戻りました。5時過ぎではチェックアウトも出来なかったので。ついでに雨に濡れた体を露天風呂で温めました。

そして再び旧太田村。シャンソン系歌手のモンデンモモさん、舞踊家の増田真也さんと落ち合い、開会前に周辺をご案内しました。そのあたりは明日書きますので省略。

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午前10時、開会。

光太郎遺影に献花・献茶の後、市立西南中学校の生徒さんの先導で、光太郎詩「雪白く積めり」(昭和20年=1945)を全員で朗読。その後、主催者ということで、花巻高村光太郎記念会の新会長・大島俊克氏のご挨拶など。

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山口小学校が統合された太田小学校さん2年生児童の合奏、光太郎詩「案内」の群読。それから旧山口小学校の校歌斉唱。光太郎作詞ではありませんが、光太郎や当会の祖・草野心平のアドバイスは入っているとのこと。それにしても数十年前に廃校になった学校の校歌が歌い継がれているというのは驚きです。

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西南中学校さん1年生諸君は、光太郎を詠み込んだ歌詞の「西南中学校精神歌」。さらに語りも今年は今までより充実していました。

詩の朗読で、花巻南高校さんと花巻高等看護専門学校の生徒さん。

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花巻高等看護専門学校の皆さんは、さらに合唱も。

第1部の最後は、総合花巻病院さんの後藤勝也院長による記念講演「高村光太郎と花巻病院」。

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花巻病院、そして先述の佐藤隆房元院長と光太郎とのエピソードなどをご紹介下さいました。後藤院長ご自身、幼い頃に花巻電鉄の車内で光太郎が向かいの席に座ったというご経験がおありだそうでした。

昼食後、第2部。地元の方々のお祭り的な要素が色濃く残っています。光太郎がこの地にいた頃は、旧山口小学校でこの時期に運動会(光太郎もビンつり競走に出場しました)が実施され、それが地区全体のイベントのような感じでしたが、それが高村祭に引き継がれているように思われます。

トップバッターは、昨年から参加して下さっている花巻農業高校鹿(しし)踊り部の皆さん。昨夏、長野県で行われた第42回全国高校総合文化祭郷土芸能部門で、見事、最優秀賞を受賞されました。

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勇壮な演舞でした。激しい動きで、しかもかなり長時間。こりゃ大変だ、と思っていましたところ、踊り終わってかぶりものを取ったら、何と、女子生徒も2名混ざっていまして、驚きました。

ちなみにこの鹿踊りに触発されて現れたのでしょうか、この後、会場を後に新花巻駅を目指してレンタカーを発車したところ、会場すぐ近くの山口集落の中心あたりで、野生の鹿(牝鹿でした)に遭遇しました。このあたり、年に3、4回は訪れているのですが、鹿に遭遇したのは初めてで、これにも驚きました。残念ながら急いでいたので、車を駐めて写真を撮る余裕がありませんでしたが。

閑話休題、高村祭に戻ります。

続いては地元の婦人会の皆さんの踊り。婦人会といいつつ、歌と太鼓は男性の方(笑)。しかもお一人は、昭和24年(1949)、サンタクロース姿の光太郎と一緒に写真に収まった高橋征一さんでした。

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改めてこの山口小学校があった場所で高村祭が行われているんだなと、感慨深いものがありました。

そして、モンデンモモさん。

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光太郎詩にオリジナルの曲を付けた「道程~冬が来た」「案内」「もしも智恵子が」の3曲を熱唱。

ここまで拝見拝聴したところで、家庭の事情もあり、早く帰らねばならず中座させていただきました。

帰ってからネットを開くと、早速、IBC岩手放送さんのローカルニュースがアップされていました。

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詩人で彫刻家の光太郎を偲ぶ「高村祭」/岩手・花巻市

 岩手ゆかりの詩人で彫刻家の高村光太郎を偲ぶ「高村祭」が15日、花巻市で開かれました。
 高村光太郎は、詩集「道程」や「智恵子抄」などの作者として知られています。62回目を数える今年の高村祭は、朝方の雨の影響で光太郎が過ごした高村山荘に近い、屋内運動場に場所を移して開かれました。
(朗読)
「雪白く積めり…」
 高村祭は、74年前の5月15日に光太郎が戦火を逃れて東京を発ち花巻に疎開したことから、毎年この日に開催されています。地元の中学生や高校生が光太郎の詩の一節を引用した歌や、作品の朗読を披露しました。
(合唱)
「心はいつもあたらしく…」
(朗読)
「岩手山があるかぎり南部人種は腐れない新年はチャンスだあの山のように君らはも一度天地に立て」
(花巻南高校3年・三浦莉奈さん)
「(光太郎の詩は)聞いている人にダイレクトに届く人に伝わりやすい」
 会場には県の内外から多くのファンが足を運び、朗読やコーラスに耳を傾けて光太郎に思いを馳せていました。


手作り感溢れる、しかし盛大に行われた高村祭。泉下の光太郎、面はゆい思いをしつつも喜んでいるのではないでしょうか。

明日も関連する内容で。


【折々のことば・光太郎】

以前にはパリの「空気」ベルリンの「空気」と並んで、東京の「空気」があつた。それが今は「東京」といつても何もないではないか。ただもの珍しい文化のかけらが、尖つたガラスの破片が散らばつているようにそこらにあるだけで、私はそうしたものにはぶつかるが「空気」を感ずることができない。

談話筆記「おろかなる都」より 昭和27年(1952) 光太郎70歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため再上京した直後のインタビューから。7年ぶりに見た生まれ故郷・東京は、光太郎の目にはこう映っていたのです。

光太郎詩の朗読を含む演奏会情報です。

第35回アイメイトチャリティーコンサート

期    日 : 2019年5月25日(土)
会    場 : サントリーホールブルーローズ(小ホール)  東京都港区赤坂1-13-1
時    間 : 開場12:30 開演13:00
料    金  : 5,000円 全席自由 収益は公益財団法人アイメイト協会へ寄付

プログラム
 第1部
        会長挨拶
       ピアノ独奏 高橋雅枝(アイメイト)
       ソプラノ独唱 大石亜矢子(アイメイト)
       お話「アイメイトと共に」 アイメイト使用者
       詩と音楽のマリアージュ 高村光太郎作「智恵子抄」より
                    朗読 : 一色采子 ピアノ : 田中健

 第2部 オペラコンサート~オペラの名曲を集めて~
       構成・演出 : 原純  ピアノ : 水谷真理子/田中健/渕上千里
       語り : 一色采子   バイオリン独奏 : 松井利世子
       モーツァルト「ドン・ジョバンニ」より    ドニゼッティ「ルチア」より
       サン・サーンス「サムソンとデリラ」より  ヴェルディ「オテロ」より 他
       ソプラノ:鎌田滋子、大石亜矢子、加賀山弥生  メゾソプラノ:仲野玲子
       テノール:工藤和真    バリトン:大貫史朗、ヴィタリ・ユシュマノフ

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「アイメイト」は、いわゆる盲導犬ですが、公益財団法人アイメイト協会さんは、「盲導犬という呼び方では、「利口な犬が盲人を連れて歩いている」と受け取られがち」とのことで、「アイメイト」という呼称を使用しているそうです。

女優の一色采子さんによる「智恵子抄」抜粋の朗読がプログラムに入っています。「智恵子抄」系は、一昨年、二本松の智恵子の生家で朗読されています。何度かご紹介していますが、一色さんのお父様の故・大山忠作画伯は智恵子と同郷の二本松ご出身。智恵子をモチーフにした作品も複数遺されています。その遺作の数々が寄贈されて設立されたのが、二本松駅前の大山忠作美術館さん。一色さんが名誉館長です。

一色さん、アイメイト活動へのご協力も以前からされていたとのことで、このコンサートへのご出演も毎回のようになさっているようです。以前には現在の上皇后さま(当時は皇后陛下)もご臨席下さったということです。

ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

そんなに食事にやかましい僕が、お酒を飲むのは感心できないが、まあ、一つぐらい悪いことをしなくちゃ……なんでも完全というのは危険である。

談話筆記「たべものの話」より 昭和27年(1952) 光太郎70歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため再上京した直後のインタビューから。栄養を考え、基本的に自炊生活を続けた光太郎ですが、夜は当会の祖・草野心平の経営する居酒屋「火の車」などで杯をあけることもたびたびでした。

昭和20年(1945)、宮沢賢治の実家の誘いで、光太郎が岩手花巻に疎開するため東京を発った5月15日、光太郎を偲ぶ高村祭が、毎年、手作りのイベントとして、光太郎が7年間の独居自炊生活を送った旧太田村の山小屋(高村山荘)敷地内で行われています。

第62回 高村祭

期 日 : 2019年5月15日(水)
会 場 : 高村山荘 「雪白く積めり」詩碑前広場 岩手県花巻市太田3-85-1
         雨天時はスポーツキャンプむら屋内運動場 岩手県花巻市太田11-363-1
時 間 : 10:00~14:30頃
料 金 : 無料
内 容 :
 式典
  児童生徒による詩の朗読、器楽演奏、コーラス等
  特別講演 「高村光太郎と花巻病院」 講師 後藤勝也氏(総合花巻病院院長)
  花巻と光太郎の縁を取り持った総合花巻病院創設者・佐藤隆房と高村光太郎の関係

無料臨時バス運行 
 往路  花巻駅西口発 午前9時30分   高村山荘着  午前9時50分
 復路  高村山荘発   午後2時30分   花巻駅西口着  午後2時50分

光太郎が花巻に疎開してきた5月15日に毎年開かれる「高村祭」。光太郎が暮らした高村山荘にある「雪白く積めり」の詩碑の前では、地元の小・中学生や高校生、花巻高等看護専門学校生による合唱や楽器の演奏、詩の朗読などが行われます。また、この日は無料で高村光太郎記念館・高村山荘に入館できます。

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山荘周辺、新緑の美しい季節ですし、この日は山荘に隣接する花巻高村光太郎記念館さんも入場無料。ぜひ足をお運びください。

ついでというと何ですが、先週の『秋田魁新報』さんに載った記事をご紹介しておきます。

「気ままな旅」花巻・高村記念館へ行く

 3月下旬、新青森駅7時43分発はやぶさ10号で盛岡へ向かう。目的地は花巻市太田にある高村光太郎記念館・高村山荘。列車は1時間で盛岡駅に到着した。
 駅内のカフェで朝食をとり、トヨタレンタカー盛岡駅南口店で小型乗用車・ヴィッツを借りる。カーナビに行く先をセットし、盛岡南インターから東北自動車道へ入る。約30分車を走らせ、花巻南インターでおりる。記念館まで11キロ。
 県道12号(花巻大曲線)を右折して、道なりに10分程行くと県道37号(花巻平泉線)と交差する。前方に「花巻南温泉峡」のアーチ看板を確認し、交差点を左折してすぐ高村橋(豊沢川)にかかる。ここから5分くらいで記念館に着く。
 高村光太郎記念館・高村山荘は2015年4月28日にリニューアルオープンしている。森の中にある、白く瀟洒(しょうしゃ)な記念館はこぢんまりとして温もりに満ちていた。切妻(きりづま)屋根(漆黒(しっこく)と銀色)の建物が左右に2棟(母屋(おもや)と離れ、あるいは夫婦のように)並び渡り廊下で繋(つな)がっている。母屋は入り口(受付)・展示室1・詩朗読コーナー・休憩コーナー・土産品(色紙、書籍、絵葉書)コーナー等で、離れは展示室2・企画展示室で構成されている。
 特に展示室1では代表作の彫刻や詩が紹介されていた。たとえば十和田湖畔に建つ裸婦像「乙女の像」の中型試作(妻・智恵子がモチーフ)父・高村光雲の還暦記念として制作された胸像試作「光雲の首」(欧米留学後初の彫刻作品)近代的感覚を表現した、天を真っ直ぐ貫くような人差し指「手」のレプリカ(実際に触れて体感できる)をはじめ「道程」「レモン哀歌」などの詩作品も鑑賞できる。また展示室2は、「東京からみちのく花巻へ」「地上のメトロポオルを求めて」「書について」「賢治を生みき、我をまねきき」のテーマで、高村光太郎の人物像が多面的に理解できるように演出されていた。 そもそも彫刻家、詩人として知られた高村光太郎の記念館が花巻市太田(旧太田村山口)にあるのは、戦火で東京のアトリエを失い、花巻へ疎開してきたことによる。7年間、太田村山口で山居生活を送りながら多くの詩や書を残した。特に書には一家言をもち「正直親切」「大地麗(うるわし)」といった名作を学校などに寄贈する一方、トレードマークの彫刻については封印していた。それは戦時中の己の翼賛活動を恥じ入る、自分への罰であった。
 光太郎は村人との交流により、この地に文化の花を咲かせ、国際的な連携拠点となるようなメトロポオル(中心地)の建設を夢見た。すべては花巻へくる奇縁になった宮沢賢治との出会いにある。光太郎は賢治を認め、世に知らしめた。「宮沢賢治全集」の題字を手がけたり「雨ニモ負ケズ」の詩碑を揮毫(きごう)したり。彼の短歌が物語る。「みちのくの花巻町に人ありて賢治をうみき われをまねきき」
(東北女子大学家政学部教授 船水周)




【折々のことば・光太郎】

わたしはいつも新年には国旗を立てるが、四角な紙にポスターカラーで赤いまんまるをかいて、それを棒のさきにのりではり、窓の前の雪の小山にその棒をさす。まつ白な雪の小山の上の赤い日の丸は実にきれいで、さわやかだ。空が青く晴れているとなおさらうつくしい。

散文「山の雪」より 昭和25年(1950) 光太郎68歳

同じ件を、同じ年に書いた詩「この年」でも取り上げています。

  この年000
 
 日の丸の旗を立てようと思ふ。
 わたくしの日の丸は原稿紙。
 原稿紙の裏表へポスタア・カラアで
 あかいまんまるを描くだけだ。
 それをのりで棒のさきにはり、
 入口のつもつた雪にさすだけだ。
 だがたつた一枚の日の丸で、
 パリにもロンドンにもワシントンにも
 モスクワにも北京にも来る新年と
 はつきり同じ新年がここに来る。
 人類がかかげる一つの意慾。
 何と烈しい人類の已みがたい意慾が
 ぎつしり此の新年につまつてゐるのだ。
 
その若き日には、西洋諸国とのあまりの落差に絶望し、「根付の国」などの詩でさんざんにこきおろした日本。老境に入ってからは15年戦争の嵐の中で「神の国」とたたえねばならず、その結果、多くの若者を死に追いやった日本。そうした一切のくびきから解放され、真に自由な心境に至った光太郎にとって、この国はことさらに否定すべきものでもなく、過剰に肯定すべきものでもなく、もはや単に世界の中の日本なのです。
 
素直な心持ちで紙に描いた日の丸を雪の中に掲げる光太郎。激動の生涯、その終わり近くになって到達した境地です。

まずは横浜から。

ロコさんの朗読会 春風にさそわれてよむ詩~「智恵子抄」~「ポケット詩集」

期 日 : 2019年4月19日(金)
会 場 : Kikcafe  神奈川県横浜市保土ケ谷区岩井町29-4
時 間 : 14:00~16:00
料 金 : 1,000円 ワンオーダー制
出 演 : ロコさん(石川弘子)
      まりこミュージアム読み会を経て2003年横浜を中心に小学校での読み聞かせ開始
      紙芝居劇場、大人のための絵本、朗読会活動を継続中

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ロコさんこと石川弘子さん、一昨年には世田谷の上用賀アートホールさんで開催された「真理パフェFourth」という公演の中でも「智恵子抄」を取り上げて下さり、当方、拝聴して参りました



続いて、北海道から。うっかりしていて当日になってしまいました。こういうイベントもあったんだということで

朝日カルチャーセンター 朝日JTB・交流文化塾講座 佐藤春夫『小説智恵子抄』を読む

期   日 : 2019年4月16日(火)
           札幌市中央区北2条西1丁目 札幌ANビル4階
時   間 : 10:30~12:00
料   金 : 1,944円
講   師 : 佐藤 雅子(朗読コーチ・フリーアナウンサー) 

これから朗読を始めてみようという方、少し経験のある方に。まず自分の自然な声を見つけましょう。腹式呼吸と息の使い方をしっかり覚えていただきます。高村光太郎の詩集『智恵子抄』をもとに佐藤春夫が紡いだ二人の物語『小説智恵子抄』。「あれが阿多多羅山…」で始まる有名な詩「樹下の二人」をモチーフにした場面を選び、朗読を楽しみます。


『小説智恵子抄』は、光太郎が亡くなった昭和31年(1956)から翌年にかけ、雑誌『新女苑』に「愛の頌歌(ほめうた) 小説智恵子抄」の題で連載されたものです。昭和32年(1957)、実業之日本社から刊行され、角川文庫のラインナップにも入りました。KADOKAWAさんのサイトで検索するとヒットしますので、絶版となっているわけではないようです。

著者は、「連翹忌」の名付け親にして、明治末から光太郎に親炙した佐藤春夫。光太郎を直接知る人物のそれだけに、光太郎智恵子の姿が実に生き生きと描かれています。昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」(岩下志麻さん主演)は、「原作」としてこの「小説智恵子抄」をクレジットしています。


来月には、サントリーホールで、当会会友・一色采子さんによる「智恵子抄」朗読も行われます(また近くなりましたらご紹介します)。朗読系の皆さん、どんどん取り上げていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

私は歳といふものを殆と気にとめてゐない。実は結婚する時自分の妻の年も知らなかつた。妻も私が何歳であるか訊きもしなかつた。亡くなる五六年前に一緒に区役所に行つて、初めてその時妻の年を知つたが、三つ位しか違はぬことが分つた。私は現在目の前にあるものを尊しと思ふ。

談話筆記「回想録 一」より 昭和20年(1945) 光太郎63歳

光太郎智恵子、やはりある意味豪快な夫婦でした。

結婚する時」は、上野精養軒で結婚披露宴を行った大正3年(1914)、「一緒に区役所に行つて」は、智恵子の統合失調症がのっぴきならない状態になって、ようやく入籍をした昭和8年(1933)のことです。

4月11日(木)、文京区立森鷗外記念館さんの特別展「一葉、晶子、らいてう―鷗外と女性文学者たち」、田端文士村記念館さんの「恋からはじまる物語~作家たちの恋愛事情~」展とハシゴした後、渋谷に向かいました。

目指すは渋谷区文化総合センター大和田さん内の渋谷伝承ホール。

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こちらで劇団Yプロジェクトさんのプロデュース公演「ブーケdeコンセール 詩劇と音楽」を拝見。

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2部構成で、第1部が「ラフマニノフの抒情(ロマン)」。八谷晃生さんという方によるピアノで、ロシアのセルゲイ・ラフマニノフの「プレリュードニ長調Op.23-4」と「ピアノソナタ2番Op36変ロ長調」の2曲が演奏されました。曲目の通り第2部へのプレリュード(前奏曲)的な感じでした。

そして第2部が「長編詩劇・高村光太郎の生涯 愛炎の荒野。雪が舞う、」。事前の告知で、内容的には光太郎の生涯を追う、というのは何となくわかりましたが、それをどう料理するのかまではわかっていませんでした。開演前にいただいたパンフレットを見ましたところ、出演される役者さんたちの一言ずつやプロフィールなどが。1チーム8人ずつ、2チームが交互に3日間で6公演、当方が見たのはBアクトさん(下記画像右半分の皆さん)による公演です。

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Aアクトさんを含め、「高村光太郎という芸術家の生涯を少しでも伝えられたら」、「様々な表現で高村光太郎の生涯をキャスト一丸になりお伝えします」、「光太郎という人間を全身で感じていただけると感激です」といった記述。キャスト名は書かれていません。代わりに、「劇中で語られる人物紹介」ということで、光太郎の父・光雲にはじまり、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」一帯の公園設計を担った谷口吉郎まで、50名超の名が(ただ、宮沢賢治など、この欄に抜けている人物も実際には居ました)。

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「語られる人物」であってキャストというわけではないのだろう、と思って読んでいましたところ、第2部開演。

舞台は基本、暗がりです。椅子が8脚並べられ、黒づくめの役者さんたちが座っています。第1部でピアノ演奏をなさった八谷さんがBGM的に舞台下手(しもて)隅でピアノ演奏(これがうるさすぎず、適度な音量で豊かに情感を添え、絶妙でした)。役者さんたちは、一人ずつ前に出て来て、光太郎詩文の朗読やナレーションによる状況説明。そこだけスポットが当たるようにしてありました。お一人の担当部分が終わる頃、次の役者さんが出て来てバトンタッチ。基本、その繰り返しでした。つまり、全員が光太郎というわけで、だから上記「一言」でああしたご発言だったのかと納得いたしました。

役者さんたち、それぞれに熱のこもった語りで、8人がめまぐるしく交替することで変化も生じ、当然ながら取り上げる詩文によって語り口を変え、ぐいぐい引き込まれました。単なる語りだけでなく、最小限ではありましたが動きも入り、視覚的効果も考えられていました。

前半は「智恵子抄」収録の詩篇を軸に、光太郎智恵子の純愛のドラマ的な。「なるほど、無難にまとめているな」という感でした。しかし、後半、智恵子歿後になって、ある意味、意外な展開となります。特に太平洋戦争開戦後に光太郎が大量に書き殴った翼賛詩が、かなりの数、取り上げられました。通常、演劇等で光太郎が扱われる場合、この時期はさらりと流されるのが普通です。光太郎の人生最大の汚点であるわけで(この時期こそが憂国烈士・光太郎の真骨頂、とする愚か者も多くて困っているのですが)、扱いが難しいというのが理由でしょう。

しかし、今回の公演では陰惨な、空虚な、安直な、浅薄な、愚劣な、こけおどし的な、がらんどうな、悪魔的な、紋切り型の、子供だましの 、狂気さえ感じる、罪深い翼賛詩の数々が語られました。順不同ですが、「十二月八日」、「さくら」、「シンガポール陥落」、「必死の時」、「琉球決戦」、「軍艦旗」など。光太郎に余り詳しくない観客の方々は、かなり意外の感を持たれたのではないでしょうか。

このあたりにじっくり焦点を当てる演劇は少なく、類例を挙げれば、当会会友・渡辺えりさんの脚本になる「月にぬれた手」(平成23年=2011)くらいでしょうか。木野花さん演じる老婆が光太郎に投げつけた「戦争中にこいづが書いた詩のせいでよ、その詩ば真に受げて、私の息子二人とも戦死だ。」「おめえがよ、そんなにえらい芸術家の先生なんだらよ。なしてあんだな戦争ば止めながった? なしてあおるだげあおってよ。自分は生ぎでで、私の息子だけ死ねばなんねんだ。」という台詞がありました。

といって、今回の公演も、単に光太郎をディスるだけでなく、光太郎同様に、或いはそれ以上に軽々しく大政翼賛に走った文学者たちも語られ、さらに戦後にはそういった面々が無節操な豹変ぶりをやらかしたこともやり玉に挙げていました。そして一人光太郎のみ、花巻郊外旧太田村での不自由な蟄居生活――「自己流謫(るたく)」――「流謫」は「流罪」に同じ――で、自らの罪に向き合ったことも語られました。この時代こそが、ヒューマニスト光太郎を語る上で最も重要な時期なわけで、ここをしっかり描いて下さったのもありがたいところでした。

終末は再び「智恵子抄」。「樹下の二人」(大正12年=1923)で、幕。

あらためてパンフレットを読み返してみると、最初のページに「光太郎の言葉に触れることは、時代の分節点にある今日、何かを教えてくれるのではないでしょうか」とありました。なるほど、と思いました。

終演後のホワイエ。

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急いで帰る都合があり、役者さんのお一人とだけ少しお話しさせていただき、名刺をお渡しして帰りました。

すると、昨日、脚本・演出を担当された小野寺聰氏から、自宅兼事務所にご丁寧にお電話がありまして、上記のような感想をお伝えし、その他いろいろお話しさせていただきました。そういうケースも珍しいので、恐縮いたしました。役者さんたちは、いろいろな劇団などから集まった特別編成だそうで、今のところ再演の予定はないというお話でした。ただ、光太郎の生き様的な部分に感銘を受けた役者さんもいらして、さらにちゃんとやりたいみたいなお話もあったそうです。期待したいところです。


以上、都内レポート終わります。


【折々のことば・光太郎】

今更罹災の体験などと改まつてきかれると変なもので、私などは独身者の事とて万事が簡単至極である。罹災者達の中には病人や老幼者をかかへて敢闘した人達も多い事と思ふが、さういふ人達に対して深甚の同情を禁じ得ない。
散文「罹災の記」より 昭和20年(1945) 光太郎63歳

この年4月13日(昨日ですね)の空襲で、亡き智恵子と過ごした駒込林町25番地のアトリエ兼住居は灰燼に帰しました。自らも既に老年に入っていた光太郎、自分はともかく「病人や老幼者をかかへて敢闘した人達」への気遣いを優先させています。しかし、同じ文章の終末では「敵の腰砕け、敵の気力折れ尽きるまで、戦に冷徹して、神明からうけた大和民族の真意義を完たからしめねばならない」とも発言しています。

その愚昧さに気づくまで、あと数ヶ月を要します。

4月2日、光太郎命日、連翹忌が近づいて参りました。東京日比谷公園松本楼さんでは、当会主催の連翹忌の集いを行いますが、光太郎第二の故郷ともいうべき岩手花巻でも、花巻としての連翹忌を開催して下さっています。また、当日、光太郎が暮らした山小屋(高村山荘)敷地内の「雪白く積めり」詩碑前では、地元の皆さんによる光太郎詩朗読などの「詩碑前祭」も。

今年も花巻市さんの広報紙『広報はなまき』3月15日号に案内が出ました。

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お近くの方はぜひそちらにご参加下さい。


【折々のことば・光太郎】

余事ながら、腰掛けの仕事卓に使ふ回転椅子は昔パリの百貨店ボンマルシエで買つて来た仕入物であるが、実に丈夫でまだ何ともなつていない。別に高価な品ではないのだが、金物などの作り方が丁寧親切に出来てゐるには感心する。螺旋で上下し、回転軸は別にあり、ばねで後ろへ傾くやうになつてゐる。
散文「三十年来の常用卓」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳

欅の板で自作した仕事机に関する散文の末尾の部分です。自作の仕事机は天板が台形で、体の正面に当たる部分が斜めに切ってあって、左の方が手前に張り出し、肘を載せられるようになっている作りで、これが甚だ使いやすいとのこと。たまたまそういう形の板があったのでそのようにしてみたそうです。

それとセットの椅子は、明治末の留学時にパリで購入した物を持ち帰ったそうで、記述を読むと現代ではごくあたりまえの事務椅子のようですが、当時としては珍しいものだったようです。他の文章等でもこの椅子についての記述があり、やはり高級品でなくともしっかりした作りであることに感心したと述べています。

2件ほどご紹介します。

まず、おそらく朗読系の公演だと思われます。詳細がよくわからないのですが……。

話楽庵  弥生の会

期  日 : 2019年3月31日(日)
会  場 : 話楽庵 栃木県小山市萱橋730-9

時  間 : 14:00〜
料  金 : 1,000円
出  演 : わたなべ紀子
演  目 : 下野古麻呂物語
        高村光太郎 智恵子抄より「あなたはだんだんきれいになる」「レモン哀歌」 
                     他

弥生の月は、私の誕生月です。20日に還暦を迎えます。還暦は、生まれ変わって新しい人生を歩み始めるという意味もあるとか…新たな話楽の世界を作り上げていきたいと、思います。

話楽…話は、楽しい。音楽と話の融合。そして…音霊と言霊の世界。流体話法・流体演技・共鳴体の世界。


続いて、テレビ放映情報。

おかしな刑事~居眠り刑事とエリート警視の父娘捜査(8) 東京タワーは見ていた! 消えた少女の秘密・血痕が描く謎のルート!

BS朝日 2019年4月1日(月)  21時00分~22時54分

伊東四朗が叩き上げの刑事、羽田美智子がエリート警視という凸凹父娘コンビを演じる大人気シリーズの第8弾 ‼ 篤志家の社長が刺された! その背後には、30年前、東京タワーの下で起きた誘拐事件の影が…!?

出演
 伊東四朗 羽田美智子 石井正則 小倉久寛 辺見えみり 山口美也子 木場勝己 小澤象 丸山厚人
 菅原大吉 (他)

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地上波テレビ朝日さんで、平成23年(2011)年に初回放映があったものです。その後、テレ朝さんや系列のBS朝日さんで何度か再放送されています。

上記の番組説明では書かれていませんが、初回放映時のサブタイトルが「地上333メートルの殺意!! ホームレスが隠した事件の謎!? 安達太良山で待ち受ける真実!! 『智恵子抄』に秘められた想いとは…」。その後、そのサブタイトルが使われなくなり、「智恵子抄」がらみの内容だとわからなくなってしまいました。

昨年の暮れにも再放送があり、この手のサスペンスものがとにかく大好きな愚妻が拝見、「こんなドラマやってたよ」と教えてくれ、ようやくその存在に気づいた次第です。

調べてみましたところ、智恵子の故郷・二本松でもロケが行われ、櫟平ホテルさん、二本松市さん、岳温泉観光協会さんなどが協力に名を連ねています。岳温泉さん、智恵子生家、その裏山の光太郎詩碑がある鞍石山などでもロケがありました。

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羽田美智子さんといえば、平成27年(2015)にNHK Eテレさんで放映された「趣味どきっ!女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門 第5回「智恵子、愛と死 自省の「道程」 高村光太郎×智恵子」」にもご出演。最近では今年封切りの北原白秋を主人公とし、光太郎も出演した映画「この道」では与謝野晶子役をなさっていました。

ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

私はその頃の数年間家事の雑務と看病とに追はれて彫刻も作らず、詩もまとまらず、全くの空白時代を過ごした。私自身がよく狂気しなかつたと思ふ。其時世人は私が彫刻や詩作に怠けてゐると評した。

散文「自作肖像漫談」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳

「その頃」は、智恵子の心の病が顕在化した昭和6年(1931)から、南品川ゼームス坂病院に入院させた同10年(1935)の頃です。同9年(1934)には光太郎の父・光雲が胃ガンで没してもいます。

そうした事情に通じていない無責任な世間は、光太郎が怠けていると評したとのこと。残酷といえば残酷ですね。

富山県から演劇の公演情報です。

劇団「喜び」公演「智恵子抄」

期   日 : 2019年3月21日(木・祝)
会   場 : 高岡市生涯学習センター (ウィング・ウイング高岡) 
富山県高岡市末広町1-7
時   間 : 14:00〜
料   金 : 前売 一般2,000円 中・高生1,000円 当日 一般2,500円 中・高生1,500円
         お菓子・飲み物付

彫刻家であり詩人である高村光太郎その妻智恵子。珠玉の愛の物語を『智恵子抄』の詩と共にお届けします。
脚本・一人芝居 茶山千恵子

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茶山さんという方、直接は存じ上げませんが、以前にも高岡で光太郎智恵子関連の市民講座や朗読をなさって下さっていた方です。



ありがたいところです。


【折々のことば・光太郎】

あの世とは何も遠いところではない。あの世とはみんなの頭の中にいつでも存在してゐるし、現世といつでも交通してゐるところである。

散文「某月某日」より 昭和14年(1939) 光太郎57歳

前年に亡くなった智恵子の新盆を迎えての感懐です。

同じ文章では「智恵子が今更あの世からのこのこお精霊さまになつて此の家にやつて来るなどとはしらじらしくて考へられず、おまけに智恵子は年中此所にゐるのだから、そんなあらたまつた事をする気が起らない」「私はあの変な戒名といふもので智恵子をよぶ気にはまるでなれない。何々院何誉何々大姉とは随分人を茶にしてゐるもので、たとひ自分の戒名があるとしてもそんな名をよばれて、すぐに「はい」と返事が出来ようとはおもへない」と書いています。

昨日は盆ならぬ、彼岸の入りでした。


第63回連翹忌(2019年4月2日(火))の参加者募集中です。詳細はこちら

「大人のための」というと、何やらエッチなものを連想する方がいらっしゃるかもしれませんが(当方だけでしょうか(笑))、そういうネタではありませんので悪しからず(笑)。

まずは朗読イベント、鹿児島での開催です。  

「大人のための夜の朗読会」

期    日 : 2019年2月22日(金)
会    場 : 御菓子司 鳥越屋  鹿児島県指宿市湯の浜4-11-9 0993-22-3878
時    間 : 19:00~20:00
料    金 : 無料

ギターやピアノの生演奏が流れる中、「本と人とをつなぐ〝そらまめの会〟」の下吹越かおるさんなどが詩人・高村光太郎さんの詩や物語などを朗読。定員25人で参加は無料。申し込みは不要ですが、電話確認がお勧めです。

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光太郎を取り上げて下さり、ありがとうございます。タイトルに「大人のための」だけでなく「夜の」までついて、さらに妖しい雰囲気ですが(笑)、そういうわけではないのでしょう(笑)。


朗読、というか、音読ですが、こんな本も出ています。こちらも「おとなのための」(笑)。 

もっと心とカラダを整えるおとなのための1分音読

2019年2月15日 山口謠司(大東文化大学文学部准教授) 自由国民社 定価1,300円+税

道程、銀河鉄道の夜、二十四の瞳……毎朝1分、毎晩1分、おなじみの名文を読めば心とカラダがスッキリ!!
テレビ朝日系ドラマ「Doctor-X~外科医・大門未知子」医療監修医師・ジャーナリスト 森田 豊先生推薦!
「音読に没頭する時間を持つことは、心とカラダの健康につながるでしょう。」

目次
推薦の言葉
「毎日の健やかな心とカラダのために、音読をお薦めします。」 (医師・ジャーナリスト 森田 豊)
第1章 元気が出る音読
 道程(高村光太郎) 蜘蛛の糸(芥川龍之介) 竹馬余事(柳田国男) 論語(孔子)
 努力論(幸田露伴)たけくらべ(樋口一葉) 漱石先生とドイツ語(小宮豊隆)
 山月記(中島 敦) 
あの山越えて(種田山頭火) 偶成(朱熹) 
 将に東遊せんとして壁に題す(月性) 
不識庵機山を撃つの図に題す(頼山陽)
 白鳥(ステファンヌ・マラルメ、訳:上田 敏) 
魯山人の料理王国(北大路魯山人)
 三四郎(夏目漱石) 母性のふところ(高村光太郎) 
雨ニモマケズ(宮沢賢治)
 歌をよむには(秋艸道人) 富嶽百景(太宰 治)
 ●column1 「音読」と「朗読」は何が違う?
 第2章 気持ちが落ち着く音読
  夏夜(土井晩翠) ふらんす物語(永井荷風) 小倉百人一首
 夜ふる雪(北原白秋) 銀河鉄道の夜(宮沢賢治) 伊勢物語 胡蝶(八木重吉)
 三百年後(小倉金之助)
一房の葡萄(有島武郎) ふるさと(高野辰之)
 かもめ/夏の夜(島崎藤村) 赤い蝋燭と人魚(小川未明) 
こほろぎ(木下杢太郎)
 反古(小山内 薫) 武蔵野(国木田独歩) 山椒大夫(森 鷗外) 
 春望(杜甫)/静夜思(李白) 落葉松(北原白秋) こころ(夏目漱石)
 ●column2 歩きましょう!
 第3章 音やせりふを楽しむ音読
  人形の家(ヘンリック・イプセン、訳:矢崎源九郎) 金色夜叉(尾崎紅葉)
 赤い蝋燭(新美南吉)ドグラ・マグラ(夢野久作) 羅生門(芥川龍之介)
 燕の歌(ガブリエレ・ダンヌンチオ、訳:上田 敏) 風の又三郎(宮沢賢治)
 父帰る(菊池 寛) 
金ちゃん蛍(与謝野晶子) 弁天娘女男白浪(河竹黙阿弥)
 人間失格(太宰 治) 
耳無芳一の話(小泉八雲、訳:戸川明三) 蟹工船(小林多喜二)
 土(長塚 節) 機織虫(山村暮鳥) 
二十四の瞳(壺井 栄)
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類似の書籍は少なくないと思われますが、たまたま検索網に引っかかったので……。

ちなみに来(きた)る4月2日(火)の第63回連翹忌では、昨秋、智恵子の故郷・福島二本松で開催された「高村智恵子没後80年記念事業 全国『智恵子抄』朗読大会」で、大賞を獲得された宮尾壽里子さんに朗読をご披露いただく予定です。


【折々のことば・光太郎】

詩を書くのに文語の中に逃げ込む事を決して為まいと思つた。どんなに傷だらけでも出来るだけ今日の言葉に近い表現で詩を書かうと思つた。文語そのものから醸成される情趣と幽玄性と美文性とは危険である。その誘惑は恐ろしい。
散文「某月某日」より 昭和11年(1936) 光太郎54歳

詩集『道程』(大正3年=1914)所収の詩編などで、口語自由詩を確立した光太郎ですが、その初期には文語詩も書いていました。そこには戻らないつもりでいたものの、この数年後、特に太平洋戦争開戦後は、再び文語詩の「誘惑」に負けてしまうことになります。

第63回連翹忌(2019年4月2日(火))の参加者募集中です。詳細はこちら

経済界では「ニッパチ」という語が使われており、古来、2月と8月は消費が落ち込むと言われています。文化芸術方面にもそれがあるようで、特に2月はその方面のイベントなどが多くありません。これが来月になると、またいろいろあるという情報を得ています。

2月も後半となりましたので、来月開催のイベントも少しずつご紹介します

大人のための朗読会

期    日 : 2019年3月2日(土)
会    場 : 大森南図書館  大田区大森南一丁目17番7号 03-3744-8411
時    間 : 午後2時から午後3時30分
料    金 : 無料
出    演 : 朗読ボランティア「響の会」
                                        土井千枝子さん、中田美津子さん、大橋優喜子さん、岩瀬悦子さん
演    目 : 『ひかるさくら』 『太宰治 舌切雀』 『蜘蛛の糸』 『智恵子抄』
対    象 : 中学生以上
定    員 : 先着40名 電話か来館で申し込み

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いつも書いていますが、光太郎詩は定型になっていない自由詩でも、意外に朗読向きです。また、散文も。やはり光太郎の鋭い言語感覚の表れでしょう。

全国の朗読愛好者の方々、どんどん取り上げていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

私はいつも最も突き進んだ芸術の究極境が此の冬の美にある事を心ひそかに感じてゐる。満目蕭条たる芸術を生み得るやうになるまで人間が進み得るかどうか、それはわからない。此は所詮人間自身の審美の鍛錬に待つ外はないにきまつてゐる。

散文「満目蕭條の美」より 昭和7年(1932) 光太郎50歳

春の花や秋の紅葉を愛でる日本古来の感覚とは異なり、冬の厳しい自然に究極の美を見た光太郎。これも近代人としての新しい感覚なのでしょう。

第63回連翹忌(2019年4月2日(火))の参加者募集中です。詳細はこちら

朗読系のイベントを二つ、ご紹介します。 

大人がたのしむお話会

期    日 : 2019年2月9日(土)
会    場 : 杉並区立方南図書館 杉並区方南1-51-2
時    間 : 14:00~
料    金 : 無料
出    演 : おはなし会ボランティアのみなさん
演    目 : <絵本>おおはくちょうのそら(手島圭三郎)
           < 詩  >私たちの星(谷川俊太郎)
         <語り>幻のスパイス売り(アリソン・アトリー)
         < 詩  >祝婚歌・生命は(吉野弘)
         <絵本>つみきのいえ(加藤久仁生・平田研也)
        <朗読>智恵子抄(高村光太郎)

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三彩の会朗読ライブ 高村光太郎著 「智恵子抄」

期    日 : 2019年2月10日(日)
会    場 :  淡路町カフェ·カプチェットロッソ 
千代田区神田淡路町2-1クオリア御茶ノ水1F
時    間 : 13:00~ / 16:00~
料    金 : 2,000円 (ワンドリンク付き)
出    演 : 酒井敬幸(81プロデュース)・秋吉徹 (81プロデュース)
                              水野貴雄  (プロダクション・エース)

 ~詩人・彫刻家高村光太郎が愛妻智恵子夫人 を偲んでうたった詩集「智恵子抄」~ 激動の昭和を生きた亡き光太郎の想いを、平成最後の世に酒井 敬幸をゲストに迎え、三彩の会が皆様にお届けします 興味のある方もない方も是非見に来てください!

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以前にも書きましたが、光太郎の詩作品は、そうだと思われていない部分も多いのですが、意外と朗読に向いています。歯切れのよいフレーズ感、わざとらしくなく散りばめられた韻、そして内容。

ぜひぜひ多くの方々に取り上げていただきたいものですし、聴いていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

軍港の候補地だといふ女川湾の平和な、澄んだ海を飛びかふ海猫の軍団が、網をふせた漁場のまはりにたかり、あの甘つたれた猫そつくりの声で鳴きかはしてゐる風景は珍鳥に値する。

散文「三陸廻り 七 気仙沼」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

気仙沼の皆さんには申し訳ありませんが、光太郎、気仙沼の街の様子は東京の真似のようだとがっかりしていますので、気仙沼の部分ではなく女川港を出航し、気仙沼へ向かうという場面です。

確かに女川港ではウミネコをよく眼にします。東日本大震災で壊滅し、復興なったJR石巻線女川駅も、ウミネコが羽ばたく姿をモチーフとしています。

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朗読イベントの情報です。 

大人のための朗読会 『道一その先』000

期 日 : 2019年1月26日(土)
会 場 : 成増アートギャラリーB (成増図書館向かい側)
                           板橋区成増3-13-1 アリエスビル3階
時 間 : 14:00~15:00
出 演 : 朗読ワークショップ 声流
内 容 : おくのほそ道(松尾芭蕉)、蠅(横光利一)、
                           道程(高村光太郎)
料 金 : 無料
  : 直接または電話で成増図書館 03-3977-6078 定員:40名(申込順)


光太郎の「道程」を取り上げて下さるそうで、ありがとうございます。大正3年(1914)年の作品ですので、105年経ちますが、まだまだ現代人の心の琴線に触れる部分を持った詩だと思います。

読書離れ、活字離れといったことが言われている昨今ですが、そうした傾向に歯止めをかけるためにも、こうした取り組みは重要なことだと思われます。逆に朗読は静かなブームだそうで、それが「静かな」に終わらないようにとも思います。

やはりこうして公共図書館さんなどが普及に力を入れて下さるのが手っ取り早いし、ある意味、使命のような気がします。地方の小都市などではなかなか難しいのでしょうが……。


【折々のことば・光太郎】

詩の文学性が究められるのは啓蒙的に有意義だ。その研究者は大きな学的貢献を為すであらう。けれども詩の生命はいこぢにまで其の文学性に因由しない。文学性は詩の持つ性質である事を止めない。詩の発生は全く別個のところに始まる。必要に始まる。道草を許さないところに始まる。

散文「詩の文学性」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

詩は個々人の内部から、心の叫びとして自然発生的に生まれ、結果としてそれが文学性を持つ、ということでしょうか。はじめから文学性溢れる詩を書こう、というスタンスはありえないということにもなるでしょう。

そうした詩の持つ性質が、朗読に適しているということでしょう。

昨日は「高村智恵子没後80年記念事業 全国『智恵子抄』朗読大会」についてレポートを書きましたが、近々都内で行われる光太郎詩を扱う朗読系公演を2本、ご紹介します。 

表現同人じゃがいも11月公演 光チーム

期   日 : 2018年11月23日(金・祝)~25日(日)
時   間 : 11/23 19:00~  11/24 13:00~  11/25 16:00~
会  場  : 小劇場じゃがいも村 中野区鷺ノ宮4-1-13 吉田ビル 地下1階
料  金  : 1,500円 (風チームとの通し観覧2,000円)

  水杜明寿香 「永訣の朝」 作:宮沢賢治  「火星がでてゐる」  作:高村光太郎
  山本真弓   「器量のぞみ」 作:宮部みゆき
  石井行    「眠り姫の国の話。」 作:石井行
  多田伸也   「走れメロス」 作:太宰治
  外丸麦    「雪だるまの幻想」 作:岸田國士 翻案:麦人

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平成26年(2014)に、同じ会場で「一人語り『智恵子とゐふ女』」という公演があり、拝見して参りました。その際に出演された声優の麦人氏のお弟子さん?的な方々のようです。

やはり声優の水杜明寿香さんが、光太郎詩「火星が出てゐる」(大正15年=1926)を朗読なさいます。


もう1件。 

joプロジェクト《キョウユウ》第7回公演 朗読館「文豪散歩」名作シリーズ【コンパクト版】第1/10集

期 日 : 2018年11月25日(日)
時 間 : 14:00 (開場:13:30)
会 場 : シネマハウス大塚 東京都豊島区巣鴨4-7-4-101
料 金 : 一般 1,800円  学生・22歳以下 1,500円

 「タイトルだけは知っている」「学校で習った」・・・けれど、実は読んだことがない、内容をすっかり忘れてしまった、という経験はありませんか? 長きに渡って読み継がれてきた作品は、時代を超え、瑞々しく、味わい深く、私たちの心に沁みてきます。普遍のテーマ、美しい言葉の響き。。。『文豪散歩』は、心に残りやすいよう作品をコンパクトにまとめ10回シリーズでお送りする朗読館。今一度、名作に触れてみてください。

菊地茜
 俳優。 お芝居空間イスモナティに立ち上げメンバーとして所属。舞台の他、朗読・読み聞かせの活動もして
いる。
 
野田香苗
 朗読家。活動名は、言葉と音楽を仲良しにする研究室「和みの風」。童話、小説、随想、詩を中心に既存の
作品を朗読する。和洋様々な楽器奏者との共演により音楽の力を信じ、言葉の響きを大切に作品の世界を届けている。ブログ http://wafuu.exblog.jp/

三田朱美
 フリーアナウンサー。joプロジェクト《キョウユウ》主宰。FM愛媛を経て、 フリー後は、bayfm、NACK5ほかFMラジオでニュースやパーソナリティーを。司会、カルチャースクール講師、企業VPナレーション、朗読等を中心に活動中。はなすきく主宰。

芥川龍之介作「杜子春」 宮沢賢治作「やまなし」 高村光太郎作「智恵子抄」より
壺井栄作「二十四の瞳」

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フリーアナウンサー・三田朱美さんとそのお仲間達のようです。「智恵子抄」から朗読をなさって下さるとのこと。


それぞれ今週末であまり日にちがありませんが、とりあえずご紹介しておきます。


【折々のことば・光太郎】

今の世にこれほど素直な、ありのままな詩を見るのは珍しい。しかもそれが正しい技術によつてゆるみなき表現を持ちおのづから人間生活の深い実相と感動とを人にさとらしめる。書いているところはほんの身辺の日常事であるが、それが不思議に瑣末の感を起させず、凡俗の気をきれいに絶つてゐる。

散文「大木實詩集「故郷」序」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳

大木實は大正2年(1913)生まれの詩人。

やはり他者の詩の評でありながら、光太郎の目指す一つの境地も表されているように感じます。

昨日は智恵子の故郷・福島二本松で、「高村智恵子没後80年記念事業 全国『智恵子抄』朗読大会」を拝聴して参りました。

会場は二本松コンサートホールさん。これまでもたびたび智恵子がらみの公演等で使われています。昭和63年(1988)開館ですが、ネオバロック風の味のある建物です。どうも、建築家の藤森照信氏による先月の碌山美術館さん開館60周年記念講演「碌山美術館の建築と建築家について」を聴いて以来、この手の建築を見ると「古典主義」だの「ロマネスク」だの「バロック」だの「ゴシック」だのと、気になってしかたがありません(笑)。

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午後1時、開演。

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最初に、過日、同じく「高村智恵子没後80年記念事業」の一環として行われました、「智恵子検定 チャレンジ! 智恵子についての50問」の表彰式。当方、プレゼンテーターを務めさせていただきました。

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その後、本編に。

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主催の智恵子のまち夢くらぶ・熊谷代表、来賓を代表して三保恵一二本松市長のご挨拶。

審査員の皆さん。

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閉会式でのショットですが、中央が審査委員長・福島大学名誉教授・澤正宏氏。左端は先述の熊谷氏、そのお隣が太平洋美術会の坂本富江さん、右から二人目で地元二本松にお住まいの詩人・木戸多美子さん、右端がやはり智恵子顕彰の団体で、智恵子を偲ぶレモン忌主催の智恵子の里レモン会会長・渡辺秀雄氏。

さて、いよいよ朗読。今回、24名の予定で募集したところ、26名応募があり、しかし1名の方はご欠席とのことで、25名となりました。当日開演前にくじ引きで順番を決め、前後半に分けて、まずは前半13名。

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休憩をはさんで後半12名。

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圧倒的に女性が多く、男性は3名でした。それから、その点がちょっと寂しかったのですが、県外からのご出場は2名のみ。ただ、県内の方々は、浜通りのいわき、相馬、南相馬、中通りでも郡山、福島、伊達など、地元二本松以外からのご参加の方が多く、その点はよかったと思いました。

皆さん、それぞれに工夫を凝らした朗読をされたり、朗読以外でご自分の思いを語られたり、いろいろでした。原発事故にからめて熱く想いを語られた方もいらっしゃいました。事前には25名という多人数ですので、途中でダレてしまうのでは? と危惧しておりましたが、そういうこともなく、終わってみればけっこうあっという間でした。

審査集計の間に、アトラクション。地元の箏曲サークル・福箏会さん。一昨年には智恵子生家で演奏をご披露なさいました。今回は定番の「六段」と、これも二本松市民のソウルソング「智恵子抄」。ちなみに作詞の故・丘灯至夫氏は二本松に近い小野町のご出身で、一昨日には品川プリンスホテルで「故丘灯至夫さんの作品を歌う会」があったとのこと。ほぼ毎年開催されていて、今年で15回目だそうです。

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ダンスサークル・スタジオGENさん。モンデンモモさんのCDをバックにソシアルダンス。

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このあとすぐに審査発表……のはずでしたが、審査が大もめだそうで、なかなか結果が出ません。それもそうでしょう。25名の方、本当に甲乙つけがたいところがありました。しかし、甲乙つけなければならないのが審査員のつらいところ(当方、審査員を仰せつからなくて本当によかったと思いました(笑))。

そして、いよいよ発表です。以下の通りとなりました。

 大賞   宮尾壽里子さん 埼玉県越谷市 「山麓の二人」
 優秀賞 緑川明日香さん いわき市     「樹下の二人」
   〃  吉岡玲子さん   いわき市     「人類の泉」
   〃  斎藤イネさん   南相馬市     「樹下の二人」
 特別賞 七海貴子さん   郡山市      「あどけない話」
   〃  宗像りか子さん  郡山市      「人に」
 奨励賞 丹治美桜さん   福島市      「レモン哀歌」
   〃  菅野久子さん   二本松市    「智恵子の切抜絵」

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大賞の宮尾さんは、詩人でもあり、都内で何度も「智恵子抄」系の朗読講演をなさっている方で、さすがにさすがでした(笑)。

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奨励賞のお二人のうち、丹治美桜さんは、最年少の小学4年生(右上画像)。先述の智恵子検定にも参加してくださいました。将来が楽しみです(笑)。もうお一方は、おそらく逆に最高齢、90歳になられたという菅野久子さん。詩ではなく散文の「智恵子の切抜絵」を読まれましたが、民話のような語り口で、味がありました。

その他の受賞者の皆さんも、それぞれにすばらしい朗読でしたので、納得です。ただ、「あの人が入らなかったのか」というのもあったのですが、受賞者数に制限がありますので、しかたありますまい。審査員の皆さんも泣く泣く枠に収めざるをえず、ご苦労なさったと思われます。

終了後、二本松駅前のアーバンホテルさんで懇親会。

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会場には、地元の書家の方の作品でしょうか、光太郎詩「あどけない話」を書いた軸。

書といえば、朗読大会の賞状は、手漉きの紙に、地元の方が手書きで書かれたそうで、そうしたお話も披露されました。

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先述の智恵子検定、当日、智恵子生家での個展のため受検できなかった、朗読審査員の坂本富江さん、問題を貰ってご自宅でやってみたそうで、すると、50点満点中の49点だったとのこと。非公式ですが特別に「ゴールドマイスター」の認定証授与。

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夢くらぶ熊谷代表がおっしゃっていましたが、智恵子顕彰にかかわっているおかげで、そうでなければ知り合うはずもなかったいろいろな人と輪を広げられるし、一番喜んでいるのは天国の智恵子ではなかろうか、とのこと。そのとおりですね。

朗読大会、これが初の試みでしたが、2回、3回と続いて欲しいものです。審査員はやりたくありませんが(笑)。


【折々のことば・光太郎】

美を追はずしておのづから美を樹てる。已むを得ざるところに発足するものは強い。
散文「田村昌由詩集「蘭の国にて」序」より
 昭和17年(1942) 光太郎60歳

田村昌由は大正2年(1913)北海道生まれの詩人です。

この手の光太郎の文章の特徴でもありますが、他者への評でありつつ、自らの求める詩の在り方をも色濃く示しています。

朗読大会、出場者の方々それぞれに、光太郎の「已むを得ざるところ」の心の叫びを表現して下さいました。泉下の光太郎も喜んでいることでしょう。

以前からこの件に関し、ちょこちょこ記述しておりましたが、いよいよ日にちが迫って参りました。 

高村智恵子没後80年記念事業 全国『智恵子抄』朗読大会

期   日  : 平成30年11月18日(日)
場   所  : 
二本松市コンサートホール 福島県二本松市亀谷1-5-1
時   間  : 午後1時から
観 覧 料 金   : 1,000円

発 表 時 間   : 『智恵子抄』、『智恵子抄その後』他、高村光太郎詩1作品の朗読と
         自分の想いを5分以内で
発  表  順  : 前半12名、後半12名を当日抽選で決定
          追記 昨日電話があり1人多い25名となったそうです。
朗読者参加費 : 2,000円(小中学生1,000円)
表   彰  : 大賞1名  優秀賞3名  特別賞 奨励賞若干名

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初の試みということで、参加者が集まるかどうか不安視されており、そこで、これまで各地で「智恵子抄」系などの朗読をなさった下さった方々をご紹介したところ、けっこう釣れました(笑)。

仙台ご在住で連翹忌でも朗読をしていただいた荒井真澄さん、いわき市に住まわれ、同市の草野心平記念文学館さんなどのイベントに出演されている緑川明日香さん、埼玉にお住まいで、都内で朗読イベント等を主催されている詩人の宮尾壽里子さん。それから、郡山で活動されている宗方和子さんにも案内を送っていただいたところ、宗方さんが講師を務められているカルチャースクールでの生徒さんが数名。

先月中頃の時点で既に23名の応募があり、あと1名、というお話でした。

審査委員長は、福島大学名誉教授・澤正宏氏。その他の審査員には、太平洋美術会の坂本富江さん、地元二本松にお住まいの詩人・木戸多美子さんなど。

当方は入っていません。山吹色の饅頭を貰って「お主もワルよのう」とやりたかったのですが(笑)。ただ、過日行われた「智恵子検定 チャレンジ! 智恵子についての50問」の表彰式を兼ねるそうで、表彰状授与をせよと命ぜられておりますので行って参ります。

その他、アトラクション的に地元の琴の団体さんの演奏なども予定されているそうです。

ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

詩人は機微を見る。寸言片語の間に底辺の全生活をも把握する。

散文「海野秋芳詩集「北の村落」序」より 昭和16年(1941) 光太郎59歳

海野秋芳は、大正6年(1917)、山形県出身の詩人です。結核のため昭和18年(1943)、27歳で早世しています。

海野の故郷・山形県西村山郡朝日町の朝日町エコミュージアムルームさんに、この文章の光太郎自筆原稿が収蔵、一般公開されています。

「全国『智恵子抄』朗読大会」に出場される皆さんには、光太郎の見た「機微」をぜひ表現していただきたいものです。

各地の公立図書館さん等での講座です。 

文学講座「近代詩歌の名作に親しむ秋」

期 日 : 2018年10月21日(日)
場 所 : 豊中市庄内公民館 大阪府豊中市三和町3丁目2番1号
時 間 : 13:30~15:00
料 金 : 無料
講 師 : 川内通生さん  (近代文学研究家)

近代を代表する詩人、石川啄木、宮沢賢治、高村光太郎について、一日ずつ、それぞれの作品を紐解きながら、その時代背景や考えかたを学んでみませんか。関連資料の紹介もあります。

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10月レコード鑑賞会 秋を感じる名曲集

期 日 : 2018年10月24日(水)
場 所 : コミュニティーCafé ぶんぶん 三重県亀山市東御幸町63 亀山市文化会館
時 間 : 13:30~15:30
料 金 : 500円(喫茶代)

故・加藤剛朗読による智恵抄、収穫の歌、小さい秋見つけた 他
※諸般の事情により、急遽曲目が変わる場合もあります

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朗読・朗読講座(大人のためのお話し会)

期 日 : 2018年10月27日(土)
場 所 : 三郷市立北部図書館  埼玉県三郷市彦成3丁目364番地
時 間 : 午後2時~3時30分頃まで 
料 金 : 無料

「奥の細道 立石寺(りっしゃくじ)~象潟(きさがた)」(松尾芭蕉作)の一部抜粋朗読とミニ解説
「道程」高村光太郎作 朗読講座 皆さんと一緒に朗読します。    
対象:16歳以上のかた 持ち物:筆記用具

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それぞれお近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

彼のやうな人にはめつたに会はない。この白皙の貴公子は巴里に生れればよかつた。このやうな詩人をあれだけで死なしめた日本の貧しさ、あはれさを思ひ、憮然とする。

散文「尾形亀之助を思ふ」より 昭和23年(1948) 光太郎66歳

尾形亀之助は、草野心平の『歴程』同人の詩人。明治33年(1900)、宮城県の素封家の家に生まれました。定職を持たず、実家からの仕送りで生活していましたが、実家の没落後は貧窮に陥り、昭和17年(1942)、衰弱死しています。

朗読系の公演です。 

Jun企画「言葉の奥ゆき 通(アゲイン)」~夏休みの宿題~

期   日 : 2018年8月30日(木) ~9月2日(日) 全7回
時   間 : 8/30 16:00 19:00  8/31 19:00  9/1 13:00 16:00  9/2 13:00 16:00
会   場 : WESTEND STUDIO 東京中野区新井5-1-1
主   催 : 劇団スタジオライフ
料   金 : 各回1枚 4,300円

今回は~夏休みの宿題~ということで、夏休みの読書感想文の宿題に応じる如く、古今東西の作品を朗読させていただきたく思います。それこそ―モーパッサンから有島武郎まで、ジャンルに拘らず物語も加えて、心に響く珠玉の作品を集めました。そして前回は、詩のみの朗読参加だった宇佐見輝、千葉健玖にも一作品を担って貰います。朗読の後には、毎ステージ、出演メンバーと倉田によるトークセッションも開催いたします。

朗読は、モーパッサン「ジュール叔父」、有島武郎「一房の葡萄」他を予定しております。詩は、島崎藤村、北原白秋、高村光太郎他を予定しております。朗読は、一人一作品となり、2回出演の場合も同じ作品になります。詩は、<詩>のメンバーだけで行う場合と、<朗読&詩>のメンバーも加わって行う回とがあります。各回、出演者によるトークセッションがあります。

※朗読・詩の作品、出演者は都合により変更になる場合があります。

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細かい部分がよくわからないのですが、ともかくも、光太郎詩を朗読で取り上げて下さるようです。

初日の8月30日(木)は、都内3箇所で、歌曲、そして朗読で、光太郎が扱われるわけで、ありがたい限りです。

ご興味のある方、お問い合わせの上、足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

詩はもとより技術を要するが、小さな技巧よりも大きなまことが望ましい。心の内側から真に出たものを処理する事が望ましい。さうすれば必ず何処かに新鮮さが生ずる。

散文「雑誌『新女苑』応募詩選評」より 昭和14年(1939) 光太郎57歳

深尾須磨子のあとを継いで光太郎が選者となった、月刊誌『新女苑』の投稿詩の選評です。昭和14年(1939)から同16年(1941)まで36回、光太郎の選評が載りました。そのうち、これは、と思う一節のある回からワンフレーズずつ書き抜きます。

今回にしてもそうですが、他者の、しかも一般読者の作品に対する選評でありつつ、端的に光太郎の詩論が表れているものが多く、なるほど、と思わせられます。

今日は第27 回女川光太郎祭でした。雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ台風13号ニモ負ケズ(笑)、昨夜遅くに宮城県女川町に着きました。
宿泊は例年どおり、女川駅裏のトレーラーハウス、エル・ファロさん。

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光太郎祭会場は駅前商業施設シーパルピアさんの一角にあるまちなか交流館さん。

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すぐ先は海で、平成3年(1995)に建立され、先の東日本大震災で倒壊した光太郎文学碑がある場所です。昭和6年(1931 )、紀行文執筆のため光太郎が女川を訪れたことを記念する碑でした。

周辺はメモリアルゾーンとして整備中。碑はまだ倒れたままです。

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さて、光太郎祭。午後2時スタート。はじめに東日本日本大震災犠牲者(当時女川光太郎の会事務局長だった貝廣氏を含め)への黙祷。その後、光太郎の生涯を追う形で毎年続けている当方の講演。

そして女川町内外の皆さんによる献花、光太郎詩文の朗読。

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朗読の際にはクラシックギタリスト宮川菊佳氏がBGMを演奏してくださいました。

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オペラ歌手・本宮寛子さんの歌に続き、最後に故・貝氏夫人の英子さんのご挨拶。

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これをもちまして閉会となり、すぐ近くの中華料理店に会場を移し、懇親会。

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来年の再会を約して散会となりました。

地道な顕彰活動ですが、今後も永続的に行われてほしい、否、途切れさせてはいけないものだと思います。来年以降、広くご参加をお待ちしております。

昭和6年(1931)、光太郎が三陸一体を旅したなかで立ち寄った宮城県牡鹿郡女川町。それを記念して毎年開催されている女川光太郎祭が、今年も例年通り、今月9日(光太郎が三陸に向けて旅立った日)に開催されます。  

第27回女川光太郎祭

期 日 : 2018年8月9日(木)
時 間 : 午後2:00~
場 所 : 女川町まちなか交流館 宮城県牡鹿郡女川町女川浜字大原1-36
内 容 : 
 献花
 光太郎紀行文、詩などの朗読
 講演 「高村光太郎、その生の軌跡 ―連作詩「暗愚小伝」をめぐって⑥―」
     高村光太郎連翹忌運営委員会代表 小山弘明 

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会場は昨年と同じく、JR女川駅前商業施設シーパルピア内のまちなか交流館さん。小ホール的な部屋があり、そちらです。

今年も記念講演を仰せつかっており、連作詩「暗愚小伝」(昭和22年=1947)に基づいて光太郎の生の軌跡をひもとく6回目となります。今年は主に太平洋戦争中の、道を踏み誤った光太郎についてです。

昨年までの様子はこちら。


こうしてみると、東日本大震災での甚大な津波被害からの復興の様子が見て取れます。今年の女川はどうなっているかと、ある意味、期待しています。

手作り感溢れるアットホームなイベントです。ぜひ足をお運びください。ただ、また台風が接近しており、嫌な予感がするのですが……。


【折々のことば・光太郎】

詩は一切を包摂する。理性も知性も感性も、観念も記録も、一切は詩の中に没入する。即ちその一切を被はないやうな詩は小さいのである。気が一切を呑むのである。
散文「気について」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

なるほど。

福島から今週末のイベント情報を2件。

まずは、智恵子の故郷・二本松に聳える安達太良山中腹の岳温泉から。 

第1回“ほんとの空”マルシェinあだたら

期 日 : 2018年8月4日(土) 荒天時中止
会 場 : 湯の森公園 福島県二本松市岳温泉1-97 
時 間 : 10時~17時

高村智恵子が語った“ほんとの空”のある岳温泉で“ほんとの空”の色を感じませんか?

和紙小物体験、井上窯 萬古焼絵付け体験、ドローン体験、 スラックライン、ボルダリング体験など盛りだくさんのイベントです。

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直接光太郎智恵子に関わるイベントではないようなのですが、「ほんとの空」の語を使われてしまっては、紹介しないわけに行きません(笑)。


その翌日には、福島市で下記が開催されます。 

中嶋朋子朗読会

期 日 : 2018年8月5日(日)
時 間 : 14時~
料 金 : 無料

脚本家・倉本聰さんの代表作「北の国から」で主人公の娘・黒板蛍役を演じた女優・中嶋朋子さんが福島県ゆかりの名作をその優しさとしなやかさで読みあげます。ゲストには福島県出身の詩人・和合亮一さんを迎え、中嶋さんの穏やかさと和合さんの激しさがコラボレーションされた朗読会をお届けします。

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同じ会場で開催中の展覧会「森のささやきが聞こえますか―倉本聰の仕事と点描画展」の関連行事的なイベントです。

地元紙『福島民友』さんの記事から。

女優・中嶋朋子さん無料朗読会 福島で8月5日、倉本聰さん企画展同時開催

 名作ドラマ「北の国から」の蛍役で多くの人の心をつかんだ女優中嶋朋子さんを招いて福島民友新聞社が8月5日に開く「中嶋朋子朗読会」の詳細プログラムが決まった。
 とうほう・みんなの文化センター(福島市)で好評開催中の展覧会「森のささやきが聞こえますか―倉本聰の仕事と点描画展」と同時開催で、朗読会は無料。
 中嶋さんは蛍を22年間にわたって演じ表現力に磨きをかけた一方、朗読やナレーションにも意欲的に取り組んできた。今回の公演では、まず、本県ゆかりの名作として高村光太郎作「智恵子抄」、草野心平作「蛙の歌」を、優しくしなやかに読み上げる。
 また倉本さんが富岡町をテーマに描いた点描画「夜の森 桜はそっと呟(つぶや)く」に添えた詩を、ゲストの詩人和合亮一さん(福島市)と2人で朗読。和合さんも自作「詩の礫(つぶて)」などを披露、中嶋さんのトークショーにも出演する。
 開場は午後1時、開演は同2時。問い合わせは福島民友新聞社事業部(電話024・523・1334)へ。
◆日時 8月5日午後2時から(開場・午後1時)
◆場所 とうほう・みんなの文化センター(県文化センター)福島市春日町、電話(024・534・9191)
◆入場無料、全席自由
◆プログラム ▽1部:中嶋朋子さん朗読(高村光太郎作「智恵子抄」、草野心平作「蛙の歌」) ▽2部:和合亮一さん朗読(「詩の礫」、「木にたずねよ」) ▽3部:中嶋朋子さん、和合亮一さんの共演(倉本聰作「夜の森 桜はそっと呟く」) ▽4部:中嶋朋子さんトークショー(ゲスト・和合亮一さん)
◇主催 福島民友新聞社
◇大清プロダクション創立30周年記念事業


中嶋さんといえば、平成24年(2012)、TBSラジオの「ラジオシアター~文学の扉」という番組で、やはり「智恵子抄」の朗読をされ、それがある意味、伝説の朗読的な扱いで今も語りぐさになっています。


今回はさらに当会の祖・草野心平の作品も取り上げて下さるということですし、かくれ光太郎ファン(笑)の和合亮一さんもご登場。それでいて無料というのですから、太っ腹です。おそらく満員盛況となるのでは、と推測いたしております。

というわけで、ほっといても人が集まりそうですが、ぜひ足をお運びください、と記しておきます(笑)。


【折々のことば・光太郎】

演芸物にも注意がいる。いくら一般大衆の需要に応ずる仕事ではあつても、あまりひどいめちやくちやな言葉をしやべり散らす演芸者は避忌すべきである。巷間で勝手に演ずるのは自由だが、放送局で其を取り上げる時には相応の思慮がいる。

ラジオ放送「日本語の新らしい美を」より 昭和7年(1932) 光太郎50歳

光太郎がJOAK(現・NHKラジオ第一)に出演し、ラジオ番組や日本語全般について語った談話の一節です。今日のテレビのバラエティーなどにもあてはまる発言ですね。

「あまりひどいめちやくちやな言葉をしやべり散らす」政治家ばかりのこの国ではありますが……。

昨日は福島県の郡山市、それからいわき市に行っておりました。2回に分けてレポートいたします。

まずは郡山。市中心部の郡山市公会堂で開催された、「第2回朗読パフォーマンス声人(こえびと)LIVE ∞生きる∞」。を拝見して参りました。

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会場の郡山市公会堂は、建物自体が登録有形文化財に指定されています。こういう場所での公演というのもいいものだと思いました。

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この手の建造物は、通常、入口の扉を開けるとホワイエ的な空間があるのですが、ここはそうではなく、いきなりホールなので、びっくりしました。

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今回、客席としては使用しませんでしたが、2階席もあったりして、これまたレトロでいい感じでした。

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会場後方には、書家の方が書かれたという「あどけない話」(昭和3年=1928)。

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先月拝見に伺った「第38回日本教育書道藝術院同人書作展」でも感じましたが、書家の皆さん、光太郎詩からインスパイアを受けるというケースが多いようで、ありがたいかぎりです。

「ほんとの空」と安達太良山の水彩画も。

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ご出演は朗読パフォーマンス声人(こえびと)さん。郡山のコミュニティFM・ココラジでパーソナリティーを務められている宗方和子さんという方が代表で、宗方さんが講師を務められているカルチャースクールでの生徒さん達がメンバーだそうでした。

智恵子の故郷、二本松に近い郡山で、地元の方々がこうした公演をなさって下さるというのが非常にありがたいところです。

二部構成で、第1部は『朗読 アラカルト』、三つの作品から。ロバート・マンチ作「ラヴ・ユー・フォーエバー」――岩崎書店さんから刊行されている絵本です―――。斎藤隆介作「ベロ出しチョンマ」――今年の連翹忌で朗読をお願いした山田典子さんがご出演された朗読系の演劇公演「智恵子から光太郎へ 光太郎から智恵子へ ~民話の世界・光太郎と智恵子の世界~」でも取り上げられました。我が故郷・千葉県の義民・佐倉宗吾伝説を元にしています。そして、黒柳徹子さんの「窓ぎわのトットちゃん」からの抜粋。

以前にも書きましたが、公共交通機関に揺られている際に読むミステリーや時代小説などを除き、光太郎関係以外はあまり読まない当方にとって、こうした朗読系公演で、普段接しない作品に接するのは実に新鮮な感じです。また、出演者の方々の、一生懸命伝えようとする姿勢にも好感が持てます。

第2部が「ドラマリーディング  ロンド ~智恵子抄 雷火~」。「佐藤春夫原作」となっていまして、佐藤の『小説智恵子抄』を下敷きにはなさったのでしょうが、ほぼほぼオリジナルの脚本で、宗方さんの手になるものだそうでした。「雷火」は光太郎詩「おそれ」(大正元年=1912)中の「あなたの今言はうとしてゐる事は世の中の最大危険の一つだ/口から外へ出さなければいい/出せば即ち雷火である」から採られた一言です。ちなみにこのフレーズ、智恵子からの愛の告白を意味します。

明治末の光太郎智恵子の出会いから、昭和13年(1938)の智恵子の死(今年が歿後80周年です)までの、光太郎詩の朗読を中心に、二人の共棲生活の軌跡が描かれていました。説明に当たる部分は説明に終始せず、主に智恵子が母・センや親友・田村俊子に送った手紙を朗読するというかたちで説明し、うまい手法だな、と思いました。また、時間の経過と共に光太郎智恵子役の方が交代し(20代、結婚当初、智恵子晩年の頃と3組)、それで時間の経過を表すという手法も用いられ、面白い試みだなと思いました。

「ドラマリーディング」と銘打っていますので、出演者の皆さんは、基本的に台本片手に演じられていました。今年の1月に目黒で拝見した「MAIA STARSHIP朗読劇 いやなんです あなたのいってしまふのが −智恵子抄より」もそうでしたが、下手に暗記しようとしてかえって「こうだったっけ?」的に自信なさげになったり、間違いだらけの朗読やセリフ回しになったりするより、割り切って台本片手の方がずっといいと感じました。何より、出演者の方々の熱演あってのことですが。

ヤマ場では、ダンサー・橋本みなみさんがご登場。千々に乱れる智恵子の心を舞踊で妖しく表現。

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橋本さん、ベリーダンスがご専門だそうで、中東系の音楽に乗せての舞でしたが、壊れて行く智恵子がよく表現されていました。

最後は出演者全員で「あどけない話」の朗読。

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左から、柳敬助、智恵子晩年の頃の光太郎、青年期の光太郎、結婚当初の光太郎、智恵子の姪にしてその最期を看取った長沼(のち宮崎)春子、晩年の智恵子、智恵子の母・セン、結婚当初の智恵子、20代の智恵子、柳八重

後ろのスクリーンには、会場後方に展示されていた「あどけない話」の書と、安達太良山の水彩画が映り、心憎い演出でした。

終演後、出演者の皆さんによるお見送り。

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この公演、郡山市の「ファミリーホームいぶき」さんで生活している子供たちの通学支援チャリティーを兼ねているとのことで、募金箱に募金をし、さらに、宗方さんと少しお話をさせていただきました。今後、二本松でのレモン忌や当会主催の連翹忌等でご縁が持てればと思っております。

その後、いわき市の草野心平記念文学館さんで開催中の「開館20周年記念 夏の企画展 宮沢賢治展 ―賢治の宇宙 心平の天―」へ。そちらについては明日、レポートいたします。


【折々のことば・光太郎】

基調としての季節感に裏うちされぬ日本文学といふものをあまり見なかつた。日本文学にとつて季節の感情ほど読者に直接にアッピイルし易い武器はなかつた事を意味する。日本特有のセンチメンタリズムには必ず背景として又基調として、月が冴えたり、花が散つたり、風鈴が鳴つたり、虫がすだくといふやうな「身にしみる」道具が具備する。

散文「日本の秋と文学」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

いわゆる「もののあはれ」。それはそれでいいとして、それだけにたよっている浅薄な文芸作品はいただけないというのです。同時に、自分は決してそんなものは書かないぞという表明でもありましょう。

智恵子の故郷福島・二本松に近い郡山から、朗読・舞踊系の公演情報です。 
会 場 : 郡山市公会堂  福島県郡山市麓山一丁目8-4
時 間 : 開場13:30分  開演14:00
料 金 : 無料

 第1部 朗読アラカルト
  「ラヴ・ユー・フォーエバー」  ロバート・マンチ作 
  「ベロ出しチョンマ」  斎藤隆介作  
  「元気の皮」(窓ぎわのトットちゃんより)  黒柳徹子作
 
 第2部 ドラマリーディング
  「ロンド ~智恵子抄 雷火~」  佐藤春夫原作  


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ご出演は、朗読パフォーマンス声人(こえびと)さん。調べたところ、郡山のコミュニティFM・ココラジでパーソナリティーを務められている宗方和子さんという方が代表で、カルチャースクールでの生徒さん達などがメンバーのようです。それから、郡山ベリーダンス・スクールの橋本みなみさんという方がダンスでご出演されるとのこと。

原作が佐藤春夫となっていますので、佐藤の「小説智恵子抄」(昭和31年=1956)を下敷きにしているのでしょう。

これ以上、詳細が分かりません。分かりませんので、観に行ってきます(笑)。レポートは後ほど。


【折々のことば・光太郎】

藤間節子さんの舞踊を見に東京にゆかれない。智恵子を踊る藤間さん、節子さんの芸に宿る智恵子、それを見にゆかれないのは甚だつらいがわたくしはもう山の住人になり過ぎて、東京の街を歩ける状態に今居ない。

散文「村にて」より 昭和24年(1949) 光太郎67歳

「智恵子抄」の二次創作として、生前の光太郎が唯一許し、実際に上演されたたのが、藤間節子(黛節子)による舞踊化のみでした。奇しくも上記「第2回朗読パフォーマンス声人(こえびと)LIVE ∞生きる∞」でも舞踊が入ります。

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しかし、花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)に蟄居中の光太郎は、帝国劇場でのリサイタルに招かれながら、欠礼。その代わりにパンフレットに寄せた一文です。3年後の昭和27年(1952)には、蟄居を解除し、再び東京に戻りますが、この時点ではまだそういうわけには行かなかったということでしょう。

ちなみに当方、今日、明日と1泊2日で、旧太田村に行って参ります。明日から花巻高村光太郎記念館さんで、企画展「光太郎と花巻電鉄」が始まります。

俳優の加藤剛さんの訃報が出ました。 

加藤剛さん死去 「砂の器」「大岡越前」 80歳

 映画「砂の器」やテレビ時代劇「大岡越前」で知られた俳優の加藤剛(かとう・ごう、本名・剛=たけし)さんが6月18日、胆嚢(たんのう)がんで死去したことが9日わかった。80歳だった。所属する俳優座が発表した。葬儀は家族で営んだ。お別れの会を9月22日、東京都港区六本木4の9の2の俳優座劇場で予定している。
 1961年、早稲田大学文学部(演劇)卒業。俳優座の養成所を経て64年、入団。デビューは62年のテレビドラマ「人間の条件」だった。代表作は70年から99年まで続いた「大岡越前」(TBS)。犯罪に厳しく、人間に温かい名奉行ぶりで人気を博した。NHK大河ドラマでは「風と雲と虹と」(76年)、「獅子の時代」(80年)で2度主演した。
 松本清張原作の映画「砂の器」(74年)では、冷徹さの裏に苦悩を隠し持つ天才音楽家を演じ、映画をヒットに導いた。平和問題への関心が高く、木下恵介監督の「この子を残して」(83年)では、放射線医学の研究者で自らも長崎で原爆に被爆した永井隆博士を誠実に力演した。
 俳優座を代表する俳優の一人として舞台に立ち続けた。80年代から上演された「わが愛」3部作に主演。95年には強制収容所のガス室に消えたポーランド人医師を描いた「コルチャック先生」に、99年には「伊能忠敬物語」に主演した。
 紀伊国屋演劇賞(79、92年)、芸術選奨文部大臣賞(92年)など受賞多数。08年に旭日小綬章を受けた。
 映画「忍ぶ川」などで共演した栗原小巻さんは「悲報に接し、めまいがいたしました。彼はとても知性的で、懸命で、高潔な人でした。人柄も画面や舞台の中の彼そのままでした」と話した。
 俳優座養成所でともに学んだ長山藍子さんは「温かいユーモアもありました。論理だけではなく情の厚さも加わる、あの『大岡裁き』。剛ちゃんだからこそ演じることができたのだと思います」と話した。

『朝日新聞』2018/07/10


加藤さんによる「智恵子抄」の朗読が、2種類、ソフト化されています。

まずは昭和42年(1967)、日本ビクターさんのフィリップスレーベルからリリースされたLPレコード。

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28編の詩が収められています。まだ20代の加藤さんの若々しい声が、印象的です。

ジャケットの内側に、加藤さんの言葉、「僕もまた大風のごとく」。

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 「智恵子抄」の朗読者として僕を、というお話のあったとき、正直のところひどく迷いを感じた。そして考える日数をいただいた。清冽な愛のかたちを思うとき、恐らく日本人の誰もが脳裏に浮かべるだろう、それは美しい詩集である。編まれて以来どれほどの数の人の胸の中に暖かくしみとおり唇の上で愛されてきた作品かを考えると、若い僕などの力の及ぶ範囲は自ずと知れていよう。
 ましてやこの作品の高さに相応しい、磨かれた朗読術――方法論を身につけられた諸先輩が数多くいられるではないか、と僕は心を決しかねた。
 そんな夜半、濃い珈琲を道づれに作品集のページを繰りながら、僕は高村光太郎先生のこんな言葉にふと捉えられた。
 「ともかく私は今いわゆる刀刃上をゆく者の境地にいて、自分だけの詩を体当り的に書いていますが、その方式については全く暗中模索という外ありません。いつになったらはっきりした所謂詩学が持てるか、そしてそれを原則的な意味で人に語り得るか、正直のところ分りません」
 この「自分だけのための体当り的詩」が僕にもうたえぬものか。「智恵子抄」の世界が、生活者としての詩人の心の内を小止みもなく衝きあげるみずみずしい言葉にこんなにもあふれている以上、「所謂詩学」などは無縁なのかも知れない。「方式」などは二の次かもしれない。生命によせる素直な讃美や感動、人を愛する激しく豊かな心のうねり、それらに唯ぴったりと己を重ね合せようとするところに、意外にも僕の出発点はありはすまいか。それが「朗読」と呼べるかどうかはわからない。事実今の僕にとって「方式」は明確ではないのだ。
 僕は多分「詩人高村光太郎」の役を与えられた俳優の発想で「智恵子抄」に立ち向かおうとしているのだと思う。なんとも盲蛇式の図々しい発想ではあるけれども。
 その夜半、僕は冷えた珈琲を啜って再度、智恵子のイメージを追慕した。
 「わがこころはいま大風の如く君にむかへり」。学生時代から何となく暗誦んじていた「郊外の人に」の最初の一節が、不思議に新しい響きを持って心を占めた。僕もまた、今はただひたすら大風のごとく、この仕事に挑むほかはない。

何とも誠実なお人柄が偲ばれる文章です。

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画像はレコーディング風景。左はレコードの監修者で、映画監督の故・若杉光夫氏です。

ちなみにこのレコードは、昭和51年(1976)、フォンタナ・レコードさんから覆刻されました。

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2回目は、昭和62年(1987)。新潮社さんでシリーズ化していた「新潮カセットブック」の一つとしてでした。タイトルは「『智恵子抄』より」。

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詩が29篇、それから「智恵子抄」に収められた「巻末の短歌」6首。

こちらはジャケットに加藤さんの言葉はありませんが、翌年発行の雑誌『彷書月刊』(ちなみに題字揮毫は当会顧問・北川太一先生です)第4巻第10号、「特集 高村智恵子」に掲載された、加藤さんの「無辺際を飛ぶ天の金属」という文章で、前述のレコード、そしてこのカセットブックに触れられています。

 「高村智恵子様。不躾ないい方を許002して下さい。もし、詩
人・彫刻家高村光太郎の役が僕に与えられたのだったら――、そんな発想がある日きらりと全身をつらぬきました。ここからすべての風が起こり、すべてが燃えひろがりました。僕の『智恵子抄』はこのときにはじまったのです。」(エッセイ集『海と薔薇と猫と』)
 と、私はそのとき、正直に記している。私の朗読で「智恵子抄」がレコード化された二十年前であった。この類まれな詩篇の美しさ、高さに、はたして己れが相応しいか、と迷い続けた録音前数ヵ月。けれど、「もう人間であることをやめ」て、「見えないものを見、聞えないものを聞」く、「元素智恵子」は、いつのまにか、あたかも明晰な自然のように無理なく「光太郎」としての私のかたわらにいたのだった。
 「智恵子様。何十年かのち、僕が老優になったときもう一度、この作品を朗読する光栄をお与え下さいますよう」、と私が心の中で結んだ手紙に、「智恵子」からの「返事」が届いたのは二十年後で、この光栄な機会は、あやうく老優になる前に再び訪れた。今回はカセットブックである。「智恵子」が私の「光太郎」を許容してくれたのか、と私は嬉しい。「智恵子」は私にとっても永遠に「無辺際を飛ぶ天の金属」である。


こちらのカセットブックは、同じ新潮社さんからCD化され、現在も販売中です。


そして、平成23年(2011)には、『朝日新聞』さんの福島版で連載された「「ほんとの空」を探して」の第二回にご登場。やはり「智恵子抄」朗読について語られています。

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末尾近くの「国家ではなく、一人ひとりの人間が権威を持つ。光太郎先生と智恵子さんの自由への思いは、我々に力を与えてくれる」というお言葉、その通りですね。


謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

土門拳は不気味である。土門拳のレンズは人や物を底まであばく。レンズの非情性と、土門拳そのもののの激情性とが、実によく同盟して被写体を襲撃する。この無機性の眼と有機性の眼との結合の強さに何だか異常なものを感ずる。

散文「土門拳写真集「風貌」推薦文」より 昭和28年(1953) 光太郎71歳

光太郎もそのレンズの餌食となった、写真家・土門拳の写真集に寄せた一文から。

朗読レコードにしてもそうですが、まだデジタル技術が開発されていなかったとはいえ、「真」を「写」す技術、それが芸術へと昇華していくことに、光太郎も新時代の到来を感じていたようです。

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