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最近手に入れた古いものシリーズ、昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」(中村登監督 岩下志麻さん主演)関連です。

まず、カセットテープ。
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「女優 岩下志麻 美しさと妖しさと 2」という題名。「美しい映画音楽と共に語る名作の精粋」だそうで、岩下さんがご出演なさったドラマ・映画の原作等を、そのドラマ・映画の音楽に乗せて岩下さんが朗読するというコンセプトでした。

ジャケットの隅に「品質保証 1969」とあり、昭和44年(1969)のリリースかと思いましたが、取り上げられている「草燃える」は昭和54年(1979)のNHK大河ドラマでしたので、それ以後の制作です。ちなみに「草燃える」での岩下さんは北条政子役でした。

他の作品はすべて映画で、「雪国」(昭和40年=1965)、「古都」(昭和38年=1963)、そして「智恵子抄」(昭和42年=1967)。すべて中村登監督作品です。

「智恵子抄」では、詩「樹下の二人」(大正12年=1923)、「あどけない話」(昭和3年=1928)、「千鳥と遊ぶ智恵子」(昭和12年=1937)、「値ひがたき智恵子」(同)、「荒涼たる帰宅」(昭和16年=1941)。合間に映画「智恵子抄」の脚本をアレンジしたミニドラマ的なものも挿入されています。史実とは異なりますが、昭和13年(1938)、歿する直前の智恵子が病院を抜け出し、光太郎と共に暮らした駒込林町のアトリエ兼住居へ勝手に帰ってきて……
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この映画、一度拝見しましたが、このシーンの岩下さんの鬼気迫る演技は圧巻でした。光太郎役は丹波哲郎さんでしたが、テープでは岩下さんの一人芝居で構成されています。

これ以外にも、まったく同じ音源を使ったカセットテープがリリースされていました。題して「カセット文芸シリーズ 智恵子抄 婉という女」。こちらはかなり前に入手していました。
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こちらも正確な発行年は分かりませんが、JANバーコードが印刷されていることから、こちらの方が新しいのかな、という気がします。ちなみにカップリングの「婉という女」は昭和46年(1971)公開の今井正監督作品です。

もう1点、映画「智恵子抄」のスチール写真。これ以外に、岩下さんのサイン入りを含め、20数種類、この映画のスチール写真をコツコツ集めましたが、新たに一枚加わりました。
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史実ですと、昭和8年(1933)、光太郎智恵子が東北から北関東の温泉巡りをした途中の会津磐梯山でのエピソード。シナリオは以下。クリックで拡大します。
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詩「山麓の二人」(昭和13年=1938)で謳われた、「わたしもうぢき駄目になる」と呟く場面です。

こういうものにどの程度の価値があるのだ? と問われると、何とも答えに窮するところですが、さりとて散逸するに任せるのも忍びなく……。

最近手に入れた古いものシリーズ、とりあえず明日まで続けます。

【折々のことば・光太郎】

夜久しぶりにみみずくの声をきく。しやがれ声なり。春以来きかざりき。


昭和21年(1946)9月20日の日記より 光太郎64歳

ミミズクの声も、田舎あるあるです(笑)。

⼭形⼤学さん主催の⾼校⽣朗読コンクール。東北6県(青森・秋田・岩手・宮城・山形・福島)在住の高校生、または各県内の高校に在学中の高校生(高等専門学校生は1~3年生)を対象にしています。毎年、東北ゆかりの作家の作品を課題にし、宮沢賢治、井上ひさしなどに混じって、光太郎も取り上げられました。平成27年(2015)年開催の第8回で、課題は「智恵子抄」でした。予選、本選があり、本選はホールを使って大々的に行われていました。

今夏、「大学ジャーナル」さんというサイトに、今年度の第13回の応募案内が出ました。それによると久々に光太郎の「智恵子抄」が課題ということで、「おお、これはありがたい」と思ったものでした。

ところが、その後、いつまでたっても主催する山形大学さんのサイトには詳細な情報が出ませんで、「あ、こりゃ、コロナ禍で中止になったんだろうな」と思っておりました。

すると、今月に入って同大の学長定例記者会見が行われ、その中に「第13回⼭形⼤学⾼校⽣朗読コンクール審査結果発表」も含まれていました。「えっ、やったの?」という感じでした。
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「どういうことだ」と思っていたら、昨日、『毎日新聞』さんの山形版に関連記事が出ました。

山大高校生朗読コン 山形東・吉田さん2位「気持ち伝わるように」/山形

000 山形大は、東北6県の高校生の文化交流を目的に同大が開催している「山形大学高校生朗読コンクール」で、県立山形東高2年の吉田遥さんが、予選を通過した14人のうち、上位3人に与えられる学長賞で2位に輝いたと発表した。
 コンクールは2008年度に始まり、今年で13回目。東北にゆかりのある作家が課題文となる。今年は、高村光太郎とその妻智恵子(福島県出身)の出会いから恋愛時代や結婚、智恵子の発病から死へと続く物語の「智恵子抄」だった。 選考基準は、内容を理解しているかや話し方など。今年度は東北地方の23の高校から84人が応募した。
 記念品の盾と賞状を受け取った吉田さんは「2人の気持ちが聞いている人に伝わるように心がけた。今後も聞いていたいと思ってもらえる朗読をしていきたい」。同大の玉手英利学長は「テキストは同じだが一人一人違った色合いがある。多くの人に聞いてもらえたら」と話した。本選出場者の朗読は同大のユーチューブチャンネルで視聴できる。

そこで、YouTubeを拝見。
これを見てようやく腑に落ちました。例年のようにホールを使って大がかりにではなく、録音審査での実施だったそうで。上記のプレスリリースもよく読めば小さく書いてありました。
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課題文は「智恵子抄」中の随筆「智恵子の半生」(昭和15年=1940)の一節。詩「あどけない話」(昭和3年=1928)の制作背景的な部分で、「あどけない話」自体も引用されている箇所でした。
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動画の最後は審査に当たられた山本陽史教授の講評的なご挨拶。
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曰く「東北は10年前の震災を乗り越えて来て、今年は世界中がコロナ禍で大変な思いをしている。そんな時に「言葉」の力で分断をくい止めて、皆さんが繋がっていけるよう……」なるほど、その通りですね。

また、こうした活動を通し、多くの方々に光太郎智恵子の世界がもっと広まっていってほしいものだと、いつもながらに思います。

【折々のことば・光太郎】

朝六時、詩碑に詣づ。

昭和20年(1945)8月1日の日記より 光太郎63歳

「詩碑」は花巻桜町に立つ宮沢賢治の「雨ニモマケズ」碑です。昭和11年(1936)、花巻からの依頼で光太郎が筆をふるい、同詩の後半部分を揮毫しました。除幕式の際には智恵子が入院中ということもあったのでしょう、光太郎は不参加。代わって当会の祖・草野心平が赴きました。

かつて自分が文字を書いた碑を初めて眼にしたその心境は、いかばかりだったのでしょうか。
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今月2日、政府は秋の褒賞受賞者を発表しました。このうち、当方の気付いた範囲では、光太郎関連のお仕事をなさったお二人の方が、ともに学術研究、芸術などの分野で活躍した人に贈られる紫綬褒章を受章されました。

まず、俳優の中井貴一さん。『毎日新聞』さんから

俳優・中井貴一さんに紫綬褒章 「自分の人生、間違いばかりではなかった」

9 社会派ドラマからコメディーまでこなす幅広い演技力で、40年近く日本の芸能界を支えてきた。紫綬褒章の知らせに「必死に一つの事を継続する。その結果が今回のご褒美につながったのかと、自分の人生、間違いばかりではなかったと安堵(あんど)しております」とコメントを寄せた。

 1981年のデビュー以来、多くの映画やテレビドラマに出演。数々の映画賞に彩られた俳優人生だが、「振り返ればアッという間。最近でも己の進歩の無さに愕然(がくぜん)とする事も多々あります」と謙虚に見つめる。新型コロナウイルス禍では「人の心までもが侵される事が、最も恐れるべき事」とし、「我々の仕事を通して少しでも安らぎにつながるよう、愚直に生きてまいりたい」と決意をつづった。
 父は37歳で死去したスター俳優、佐田啓二さん。「この褒章は無念にも早逝(そうせい) した父と供に受けさせていただきたい」と敬愛の念をにじませた。

中井さん、平成17年(2005)にキングレコードさんから発売されたCD「日本の詩歌 高村光太郎」で光太郎詩25篇の朗読をなさっています。
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久々に聴いてみましたが、張りのある伸びやかなお声で、丁寧に読まれています。キングさんのサイトで調べたところ、廃盤となってしまっているようですが、通販サイトなどではまだ入手出来るようです。ぜひお買い求めを。

それから中井さん、直接、光太郎には関わりませんが、昨日もこのブログで触れた、光太郎ゆかりの地・宮城県女川町の復興を描いた平成28年(2016)の映画「サンマとカタール~女川つながる人々」では、ナレーションを担当なさいました。
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こちらはDVD化され、やはり通販サイト等でまだ入手可能のようです。

続いて演出家の鵜山仁さん。『朝日新聞』さんから

「多様性を発展させたい」 演出家・鵜山仁さん

AS20201101001419_comm 「舞台演出はひとりでは何もできない職業。スタッフ・キャストが集まる現場を代表していただけるのだと思う」。受章の知らせを受け、稽古場で接してきた人々の顔が浮かんだ。
 所属する文学座で38年にわたって「グリークス」などの多彩な作品を手がけ、こまつ座では「父と暮せば」「人間合格」など幾多の井上ひさし戯曲に向き合った。過去に芸術監督も務めた新国立劇場の「リチャード二世」で先月、12年かけて全5作を上演したシェークスピア歴史劇シリーズが完結。「長年継続していくと作品が違う形で見えてくる」。慶応大では合唱に打ち込み、オペラの演出も多い。
 コロナ禍の中で演出作の公演中止が相次ぎ、演劇の存在意義を改めて考えた。「一色に染まらず、違う物の見方や問題提起を打ち出せるかが勝負。多様性を発展させていければと思っています」

鵜山さん、平成23年(2011)に、光太郎を主人公とした渡辺えりさん作の舞台「月にぬれた手」の演出を手がけられました。脚本は昨年、ハヤカワ演劇文庫の一冊として上梓されています。
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初演は東日本大震災直後ということもあり、予定の回数を上演できませんで、翌年、再演されました。当方、そちらを拝見。その際のパンフレットには、鵜山さん、「再演にあたって」という文章を寄せられています。
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主人公の光太郎を演じられた金内喜久夫さんは今年お亡くなりになりましたが、空の上から鵜山さんのご受賞を喜ばれているのでは、と存じます。

というわけで、お二人の受賞、まことに喜ばしく存じますし、今後のさらなるご活躍にも期待したいところです。

ところで、こうした褒賞、さらにはやはりこの時期の文化勲章や文化功労者、叙勲なども、「総合的、俯瞰的に人選」し、あがってきた推薦名簿などからも認定を拒否して名前を除外することもあるのでしょうか(笑)。

【折々のことば・光太郎】

どういふ風な人達を私が嫌ふかはお解りの事と信じてゐます。

散文「どういふ風な人達を私が嫌ふか」より 大正5年(1916) 光太郎34歳

雑誌『秀才文壇』第20年第9号に、「芸術家書簡集」の総題で、武者小路実篤、萩原朔太郎ら24名の書簡が紹介されている中の一篇です。

内容的には、大正元年(1912)に第一回展覧会を開催し、翌年、同人間の意見の相違から解散したヒユウザン会(のちフユウザン会)と、光太郎、岸田劉生らによってその後結成された生活社に関わり、大正2年(1913)の書簡からの引用と思われます。宛先はおそらく『秀才文壇』編輯に携わっていた、美術にも造詣の深かった野口安治でしょう。

芸術上の考え方については、光太郎、妥協を許さず、「こういう人達とは一緒にやっていけない」と判断すると、ばっさり切り捨てる傾向がありました。同じヒユウザン会に所属しながら『高村光太郎全集』にほとんど名前が見あたらない人々が、そういう人達なのでしょう。

『日本農業新聞』さんの一面コラムに、光太郎の短歌。6月25日(木)の掲載です。 

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厄災の中で詩歌がどれほど心を慰めてくれることか。岩波文庫別冊『声でたのしむ 美しい日本の詩』で、改めて実感した▽編者は最高の“ 目利き”の大岡信、谷川俊太郎ご両人で、肝は〈声でたのしむ〉。谷川さんは末尾で「つい百年前まで詩は吟じるのが当たり前だった」と説く。確かに声を出すのと、ただ字面を目で追うのとは感じ方、体感する言の葉の響きが違う▽和歌から近・現代詩まで幅広い。珠玉作をいくつか。〈うらうらに照れる春日に雲雀(ひばり)あがり情悲しも独りおもへば〉( 大伴家持)。〈海にして太古の民のおどろきをわれふたたびす大空のもと〉(高村光太郎) 。〈マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや〉(寺山修司)。既に万葉の時代に情を〈こころ〉と読む。光太郎の歌は青年の大志と不安を指す。寺山の〈身捨つる祖国〉の大胆な表現に驚く▽ちょうど「青嵐(せいらん)」の時分で詩は茨木のり子「六月」がいい。〈どこかに美しい人と人との力はないか〉と問い〈したしさとおかしさとそうして怒りが鋭い力となってたちあらわれる〉と結ぶ。与謝野晶子の〈君死にたまふことなかれ〉。副題は「 旅順口包囲軍の中に在る弟を歎(なげ)きて」。代表的な反戦歌でもある▽朗読こそが詠み人の魂に近づく道かもしれない。

引用されている光太郎の短歌は、明治39年(1906)、3年半にわたる欧米留学の旅立ちに際し、横浜港から乗船したカナダ太平洋汽船の貨客船・アセニアン船上で詠んだものです。引用元の『声でたのしむ 美しい日本の詩』の編者のお一人・故大岡信氏が、『朝日新聞』さん紙上で連載されていた「折々のうた」の、記念すべき第一回に取り上げられもしました。

光太郎自身は、「此の歌、余の代表作の如く知人の001間に目され、屡〻(しばしば)揮毫を乞はる。余も面倒臭ければ代表作のやうな顔をしていくらにても書き散らす。余の短冊を人持ち寄らば恐らくその大半は此の歌ならん。雑誌『キング』第5巻第9号 昭和4年=1929と書いていますが、なかなかどうしてやはり「秀歌」といっていいものだと思います。

ちなみに『声でたのしむ 美しい日本の詩』、このブログではご紹介しませんでしたが、岩波書店さんから今年初めに刊行されています。

是非お買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

上州と聞けば赤城山 高橋成重、萩原恭次郎

アンケート「上州とし聞けば思ひだすもの、事、人物」全文
 昭和10年(1935) 光太郎53歳

雑誌『上州詩人』第17号に掲載されました。「高橋成重」は、高橋元吉が一時期使っていた筆名「高橋成直」の誤植です。

昨日ご紹介したアンケート「山と海」でも、山としては何度も訪れた赤城山を挙げ、海ではアセニアン船上での太平洋航海を語っています。

最近手に入れた古いものシリーズです。

今回はアナログレコード。昭和58年(1983)にリリースされた野口五郎さんのLP「野口五郎 増刊号」です。野口さん自選のベストアルバム的なコンセプトで、「私鉄沿線」「19:00の街」など14曲の他、野口さんによる朗読4篇が収められています。

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ラストが光太郎詩「道程」(大正3年=1914)を元にした「GOROの道程」朗読。

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無理くり感がありますが(笑)。まあ、このあたりが「昭和」の感覚ですね。

他に光太郎と交流のあった宮沢賢治の「雨ニモマケズ」、中原中也の「サーカス」、それから島崎藤村の「千曲川旅情の歌」のパロディ朗読も収められています。

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ライナーノート(という言葉は当時はなかったか、あっても一般的ではなかったように思いますが)的な部分に、こちらも無理くり感がありますが、「道程」が引かれています。

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「高村太郎」となっているのはご愛嬌(笑)。

それにしても、野口さん、光太郎が亡くなった昭和31年(1956)のお生まれだったのですね。

野口さんの一つ年上で、さらに郷ひろみさんを加えて「新御三家」と称された故・西城秀樹さん。三回忌となりましたが、脳梗塞から復帰後は、朗読劇にも挑戦されるようになり、やはり「道程」(雑誌『美の廃墟』初出掲載の102行バージョン)を取り上げて下さっていました。

ちなみに現在発売中の『週刊現代』さんに、西城さんの3回忌ということで、その当たりにも触れられた記事が出ています。題して「西城秀樹 いまだから言える話 もう三回忌なんですね」。

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ただ、「高村光太郎」とか「道程」とかの文字はありませんでした。

ところで、今さらアナログレコードを買って、聴けるのか? とお思いの方がいらっしゃいましょうが、大丈夫です。EP、LP、それからSPまで聴け、さらにUSBでPCと接続し、デジタルデータが作れるレコードプレーヤーを持っています。光太郎作詞の戦時歌謡や、光太郎詩の朗読が収められたSPを聴く都合があり、購入しました。

明日も最近入手したアナログレコードをご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

此の人等は、しん底から自分の立つてゐる地面を考へたことがあるでせうか、そして、今、世界の人間がどの位の芸術境に立ち入つてゐるかを見渡した事があるでせうか。
アンケート「日本画と四画伯について」より
大正元年(1912) 光太郎30歳

「四画伯」は、竹内栖鳳、寺崎広業、横山大観、下村観山。けちょんけちょんですね(笑)。海外留学からの帰朝後まだそれほど経っていない時期ですので、西洋で見た最先端の芸術と比較した時、日本画の古臭さ、そこから発展しようとしない閉鎖性などが許し難かったのだと思われます。

しかし、大観や観山は日本画の革新を目指し、いわゆる「朦朧体」などに挑戦していました。ところがこれなども光太郎にとっては小手先だけの工夫に過ぎない、という感覚だったのかもしれません。


京都からコンサート情報です。 

魂に響く朗読と音楽のle petit boheur reading aloud&piano vocal concert

期 日 : 2020年3月10日(火)
会 場 : ピアノサロン Atelier Minoya 
       京都市上京区下立売通り智恵光院西入る中村町521
時 間 : 14:00開演
料 金 : 5,000円(お茶菓子付)
出 演 : 松本愛子(Sop/Pf)  木暮昌子(フリーアナウンサー)

プログラム :
 J.S.バッハ シンフォニア変ロ長調BMV800
 シューベルト 即興曲第3番 変ロ長調 D935,Op142
 シューマン 幻想小曲集 Op.12(2.飛翔、3.何故に、5.夜に)
 チレア 「アドリアーナ・ルクブルール」より「私は卑しい僕」
 プッチーニ「ジャンニ・スキッキ」より「お父さまにお願い」
 
 高村光太郎 詩集「道程」より「さびしきみち」
 川端康成 「掌の小説」より「有難う」

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「le petit bonheur」は仏語で「些細な幸せ」だそうで。

光太郎詩「さびしきみち」(大正元年=1912)がプログラムに入っています。

    さびしきみち
 
 かぎりなくさびしけれども
 われは004
 すぎこしみちをすてて
 まことにこよなきちからのみちをすてて
 いまだしらざるつちをふみ
 かなしくもすすむなり
 
 ―― そはわがこころのおきてにして
 またわがこころのよろこびのいづみなれば
 
 わがめにみゆるものみなくしくして
 わがてにふるるものみなたへがたくいたし
 されどきのふはあぢきなくもすがたをかくし
 かつてありしわれはいつしかにきえさりたり
 くしくしてあやしけれど
 またいたくしてなやましけれども
 わがこころにうつるもの
 いまはこのほかになければ
 これこそはわがあたらしきちからならめ
 かぎりなくさびしけれども
 われはただひたすらにこれをおもふ
 
 ―― そはわがこころのさけびにして
 またわがこころのなぐさめのいづみなれば
 
 みしらぬわれのかなしく
 あたらしきみちはしろみわたれり
 さびしきはひとのよのことにして
 かなしきはたましひのふるさと
 こころよわがこころよ
 ものおぢするわがこころよ
 おのれのすがたこそずゐいちなれ
 さびしさにわうごんのひびきをきき
 かなしさにあまきもつやくのにほひをあじはへかし
 
 ―― そはわがこころのちちははにして
 またわがこころのちからのいづみなれば


初出は『第一回ヒユウザン会展覧会目録』です。光太郎詩には珍しく、全編仮名書き。これは、一字一字、心に刻みつけるような気持で書いたため、とする説がありますが、蓋し、そのとおりでしょう。智恵子と生きていこうと決断する頃の作で、直接的には智恵子の名はなく、『智恵子抄』には省かれていますが、『智恵子抄』を補う作品です。

のち、雑誌『朱欒』第2巻第11号に、漢字仮名交じりの形で改作したものを発表しましたが、大正3年(1914)、詩集『道程』に収める際、再び全編仮名書きに戻しました。

「もつやく(没薬)」、「ずゐいち(随一)」、「わうごん(黄金)」などは、現代の人々には仮名書きではわかりにくいかも知れません。

おそらく、木暮さんというアナウンサーの方の朗読で「さびしきみち」が取り上げられるのだと思われます。ありがたいかぎりです。

ご都合の付く方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

会ふも会はぬも自然のことで、別に無理をするには及ばず、因縁があればいつかお目にかかる事と存じます。人の世はただ水の流れるやうに淡淡たるところに不可言の妙味があるやうに存ぜられます。

散文「往復書翰」より 昭和16年(1941) 光太郎59歳

初出は雑誌『現代文学』第4巻第10号。詩人の菊岡久利との往復書簡がおそらくそのまま掲載されています。この時点で菊岡と光太郎に直接の面識はなく、しかし、共通の友人はたくさんいて、これまで会わなかったのは不思議ですね、的な話の流れです。

「因縁があればいつかお目にかかる」。まさにその通りですね。当方もこういう活動をしていると、この人とはこうやって出会う因縁だったんだな、と思うことがしばしばです。

追記 新型コロナウイルス対策のため、本公演は中止となったそうです。


大阪から朗読系の情報です。 

「声に出してみる美しい日本語」ワークショップ・公演

大阪を代表する劇作家・演出家で、テレビのコメンテーターやエッセイスト、NHKアニメ「リトルチャロ」の原作者としても知られるわかぎゑふ氏による朗読ワークショップ。舞台で思い切り声を出してみたい人、演劇的体験をしてみたい人の最初の一歩として、取り組みやすい朗読を体験してみませんか。正しい姿勢や、声の出し方、日常生活にも役立つしゃべり方の基礎などを楽しく学び、最後には舞台で発表を行います。本番ではプロの俳優らと同じ舞台に!ぜひご参加ください!!

ワークショップ


 期 日 : 2020年2月21日㈮ 25日㈫ 28日㈮ 3月4日㈬ 7日㈯ 8日㈰ 12日㈭ 14日㈯ 17日㈫
       19日㈭ 21日(リハーサル)
 会 場 : 枚方市市民会館小ホール
 時 間 : 平日19:00~21:00 土曜14:00~16:00 日曜13:00~16:00
 料 金 : 無料
 資 格 : 市内在住・在職・在学の中学生以上 40人(応募多数の場合は抽選)
        練習日程の内最低5日間の稽古とリハーサル・本番に必ず参加できる方

公 演

 期 日 : 2020年3月21日(土) 22日(日)
 会 場 : メセナひらかた会館多目的ホール 大阪府枚方市新町2-1-5
 時 間 : 3/21 夜  3/22 昼
 
 作・構成・演出 : わかぎゑふ
 出 演 : うえだひろし(リリパットアーミーⅡ) 内山絢貴(劇団五期会) 辰寿広美
       森崎正弘(MousPieceーree) 是常祐美(シバイシマイ)
 演目(予定) : 「雨ニモ負ケズ」(宮沢賢治) 「竹」(萩原朔太郎)
          「道程」(高村光太郎)ほか


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ワークショップに参加し、その後、プロの皆さんと一緒に公演に臨む、というコンセプトのようです。

ただ、公演の方が時間、料金等、調べてみましたが不明です。わかりましたらまたご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

動物園の動物は皆確に動物であつてしかもその動物ではない。駝鳥は駝鳥でなく獅子は獅子でない。

散文「動物園の根本的改造」より 昭和5年(1930) 光太郎48歳

雑誌『文藝春秋』に載った散文です。当時の動物園のあり方を「動物に就て違つた概念を教へこみ、自然を安直に観察させ、事実をいい加減に考へる習癖をつけさせる」と批判しています。

「駝鳥」は、詩「ぼろぼろな駝鳥」(昭和3年=1928)、「獅子」は「傷をなめる獅子」(大正14年=1925)を、それぞれ踏まえています。

   ぼろぼろな駝鳥


何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。007

動物園の四坪半のぬかるみの中では、
脚が大股過ぎるぢやないか。
頸があんまり長過ぎるぢやないか。
雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢやないか。
腹がへるから堅パンも食ふだらうが、
駝鳥の眼は遠くばかりみてゐるぢやないか。
身も世もない様に燃えてゐるぢやないか。
瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまへてゐるぢやないか。
あの小さな素朴な頭が無辺大の夢で逆まいてゐるぢやないか。
これはもう駝鳥ぢやないぢやないか。
人間よ、
もう止せ、こんな事は。


   傷をなめる獅子

獅子は傷をなめてゐる。
どこかしらない
ぼうぼうたる
宇宙の底に露出して、
ぎらぎら、ぎらぎら、ぎらぎら、
遠近も無い丹砂(たんしや)の海の片隅、
つんぼのやうな酷熱の
寂寥の空気にまもられ、
子午線下の砦(とりで)、
とつこつたる岩角の上にどさりとねて、
獅子は傷をなめてゐる。

そのたてがみはヤアヱのびん髪、014
巨大な額は無数の紋章、
速力そのものの四肢胴体を今は休めて、
静かなリトムに繰返し、繰返し、
美しくも逞しい左の肩をなめてゐる。

獅子はもう忘れてゐる、
人間の執念ぶかい邪智の深さを。
あの極楽鳥のむれ遊ぶ泉のほとり
神の領たる常緑のオアシスに、
水の誘惑を神から盗んで、
きたならしくもそつと仕かけた
卑怯な、黒い、鋼鉄のわなを。

肩にくひこんだ金属の歯を
肉ごともぎりすてた獅子はかう然とした。
憤怒と、侮蔑と、憫笑と、自尊とを含んだ
ただ一こゑの叫は平和な椰子の林を震撼させた。
さうして獅子は百里を走つた。

今はただたのしく傷をなめてゐる。
どこかしらない
ぼうぼうたる
つんぼのやうな孤独の中、
道にはぐれても絶えて懸念の無い
やさしい牝獅子の帰りを待ちながら、
自由と闊歩との外何も知らない、
勇気と潔白との外何も持たない、
未来と光との外何も見ない、
いつでも新らしい、いつでもうぶな魂を
寂寥の空気に時折訪れる
目もはるかな宇宙の薫風にふきさらして、
獅子はをなめてゐる

朗読系イベントです。 

梅花の朗読会

期 日 : 2020年2月15日(土)
会 場 : 
守谷中央図書館 3階 視聴覚室 茨城県守谷市大柏937番地の2
時 間 : 午後2時から午後3時30分
料 金 : 無料

読み聞かせ研修(朗読)講座を受講した方々が、 その成果をお披露目します。
楽しい朗読と群読。あなたの心に届きますように。


司会 澤 則子
 1 『道程』          高村 光太郎/著    出演者 全員
 2 『ラブ・ミー・テンダー』 江国 香織/作   鬼形 允子
 3 『ざしき童子のはなし』  宮沢 賢治/作
小川 政江・草野 美津子・小磯 節子・下拂 有子  
 4 『梅のにおい』      夢野 久作/作   青木 明子・神田 綾子・遠藤 その子
 5 『日本は二十四時間』 松谷 みよ子/作    青井 雅代
 6 『青春とは』        サムエル・ウルマン/詩  
髙橋 博子・平沢 琴路・福住 孝子・藤沢 由美
 7 『お祭り』         北原 白秋/著   ~開場の皆様 全員で


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光太郎詩の代表作の一つ「道程」(大正3年=1914)が、オープニングで取り上げられています。ありがとうございます。

当方が市民講座等でこの詩に触れる際には必ず申し上げていますが、執筆から既に1世紀以上経っていながら、少しも古くささを感じさせず、現代の我々、特に若い世代へのエールとして、少しも色あせていないように思います。

全国の朗読愛好者の皆さん、光太郎詩はあまり朗読向きではないと思われがちなところもあるようですが、そのようなことはありません。どんどん取り上げていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

僕は一度やり出したら、碁でも将棋でも何でもわれを忘れて打ち込みさうで、あぶなくてならないんです。ゆゑにこいつに深入りしてはならないといふ臆病な考へから、自ら警戒して自重してゐるために、何でも好きだが、何にもしないといふ妙な具合になつてしまつたのでせう。

談話筆記「何でも好きだ」より 大正15年(1926) 光太郎44歳

彫刻、絵画、書、詩、翻訳、評論、短歌、俳句など、実にマルチな才能を随所に発揮した光太郎ですが、さりとて「趣味」といえるのものは特になかったようです。

朗読CDの新譜情報です。 

「能登麻美子おはなしNOTE」朗読CD第7弾 ルルとミミ/夢野久作

2019年12月28日 文化放送 定価3,000円
出演 能登麻美子  ジャケット AYA KAKEDA
無題2
【Disc-1】
1 ルルとミミ/夢野 久作

【Disc-2】
「能登麻美子おはなしNOTEアーカイブ」※データCD
1 録り下ろしトークパート
2 数の子は音を食うもの/北大路魯山人
3 木の花の咲くや姫(古事記より)/現代語訳:武田祐吉
4 喫茶店にて/萩原朔太郎000
5 雪に埋もれた話/土田耕平
6 笛吹きとプカ/ダグラス・ハイド
7 山の雪/高村光太郎
8 詩とはなにか/山之口獏
9 十年後のラジオ界/海野十三
10 ジェラルド太守の魔法/ケネディ・パトリック
11 赤いねこ/沖野岩三郎
12 春がくる前/小川未明
13 川へ落ちたたまねぎさん/村山籌子
14 三重宙返りの記/海野十三
15 朝/太宰治
16 世の中と女/芥川龍之介
17 ピアノ/芥川龍之介
18 三角と四角/巌谷小波004
19 化粧/神西清
20 お母さんの思ひ出/土田耕平
21 晩春/岡本かの子
22 飴チョコの天使/小川未明
23 桜間中庸の詩
   里の春、山の春/新美南吉
24 雨粒/石原純
25 居酒屋の聖人/坂口安吾
26 ふしぎな岩/林芙美子
27 夜/竹久夢二
28 高瀬舟/森鴎外
29 桜間中庸の詩
30 中原中也の詩
31 一緒に歩く亡霊/田中貢太郎
32 心の王者/太宰治
33 鶴の笛/林芙美子
34 不思議な帽子/豊島与志雄
35 うさぎさんとおほかみさん/村山籌子005
36 手風琴/小川未明
37 秋と漫歩/萩原朔太郎
38 指/江戸川乱歩
39 ざしき童子のはなし/宮沢賢治
40 三本の棗/片山広子
41 蟹のしょうばい/新美南吉
42 秋の歌/寺田寅彦
43 月夜のかくれんぼ/槇本楠郎
44 鳥箱先生とフウねずみ/宮沢賢治
45 路上/梶井基次郎
46 うた時計/新美南吉
47 キリストのヨルカに召された少年/フョードル・ドストエフスキー
48 三百年後/小倉金之助


人気声優の能登麻美子さん。文化放送さん運営のインターネットラジオ「AG-ON」で、古今の文学作品を朗読する「能登麻美子おはなしNOTE」という番組をお持ちです。その録音を集めたCDの第7弾だそうで、光太郎の随筆「山の雪」(昭和26年=1951)が収められています。

このシリーズで光太郎作品が取り上げられるのは2度目。最初は平成28年(2016)発行の「第3弾 シグナルとシグナレス」でした。その際は、やはり随筆の「珈琲店より」(明治43年=1910)が収録されていました。美声もさることながら、しっとり落ちついたいい雰囲気の朗読でした。

で、今回の第7弾。「このシリーズ、まだ続いていたんだ」と、嬉しくなりました。ネットで注文できます。ぜひお買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

詩を朗読するといふ事は人が詩を熱愛するのあまりに起こる衝動である。われにもあらず声に出るのである。その朗読をきく者は音響といふ要素の力に変形した詩の力に打たれる。詩は朗読といふ音響によつて淘汰され、洗練される。朗読のゆるがせに出来ないわけが此所にある。

散文「照井瓔三著『国民詩と朗読法』序」より
 昭和17年(1942) 光太郎60歳


光太郎の朗読観、なるほど、といった感じですね。ただ、戦前の光太郎はあまり朗読に魅力を感じていなかったふしがあります。それが、開戦後、翼賛詩の朗読会などに積極的に出演するようになり、そうした中で改めて朗読の良さに気づいたようです。翼賛詩を通じて、というのが少し残念です。

朗読CDのシリーズもの、新しくリリースされました。 

【近代文学の泉】朗読で味わう文豪の名作

2019年12月10日 株式会社トゥーヴァージンズ CD13枚組 定価27,000円+税

本商品は、芥川龍之介『羅生門』や太宰治『走れメロス』、夏目漱石『夢十夜』といった誰もが知る文豪の名作中の名作を収録した総収録時間約823分、全13巻の完全新規朗読の保存版CD集。

風間杜夫さん、寺田農さん、長塚京三さん、橋爪功さん、広瀬修子さん(50音順)の豪華名優と文化人が語り手として熱演。それぞれの語りが作品を彩り、物語の情景が自然と浮かんできます。

耳から聴くことでより作品の理解も深まり、改めて作品の素晴らしさに気付くと同時に、また読んだことのない作品でも朗読者の声のみが収録されているので息遣いや間の取り方などが感じられ、より物語の世界へ入り込むことができます。

日本近代文学作品の名作の中から文豪、俳人の短編を選り抜きました。

CD13枚、全21作品を収録し、詩集2作品(『若菜集』と『智恵子抄』)で一部の詩を割愛した以外、小説19作品はすべて原文全てを朗読しております。また、特製の小冊子には作品解説の他、朗読者の方々のコメントも掲載。

日本近代文学史に残る文豪の名作が今、朗読で甦ります。朗読で味わう物語の世界を是非お楽しみ下さい。


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CD全13巻(総収録時間約823分) 特製冊子(P92)、特製ケース

第1巻 「夢十夜」 夏目漱石(70:11) 朗読・寺田農
第2巻 「高瀬舟/寒山拾得」 森鷗外(59:47) 
朗読・長塚京三
第3巻 「刺青」 谷崎潤一郎(25:19) 朗読・寺田農
第4巻 「秘密」 谷崎潤一郎(59:02) 朗読・寺田農
第5巻 「蜘蛛の糸/杜子春/羅生門」 芥川龍之介(74:31) 朗読・橋爪功
第6巻 「十三夜」 樋口一葉(56:46)
  朗読・広瀬修子
第7巻 「山月記/名人伝/牛人」 中島敦(77:08) 朗読・橋爪功
第8巻 「檸檬/ある崖上の感情」 梶井基次郎(60:03) 朗読・長塚京三
第9巻 「注文の多い料理店/セロ弾きのゴーシュ」 宮沢賢治(61:48) 朗読・風間杜夫
第10巻 「人間椅子」 江戸川乱歩(68:53) 朗読・橋爪功
第11巻 「走れメロス/桜桃」 太宰治(59:28) 朗読・風間杜夫
第12巻 「若菜集」より 島崎藤村(77:10) 朗読・広瀬修子
第13巻 「智恵子抄」より 高村光太郎(73:15) 朗読・寺田農


というわけで、俳優・寺田農さんによる「智恵子抄」朗読がラインナップに入っています。

寺田さん、平成6年(1994)にクレオハウスという会社の出したVHSビデオ「日本文学紀行 名作の風景 智恵子抄」という作品で、ナレーション、朗読を務められていました。

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およそ25年ぶりの「智恵子抄」。どんな感じなのだろうと思います。


ぜひお買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

百パーセントの童心。此は学んで得られるところではない。

散文「非凡の詩的偉観」より 昭和4年(1929) 光太郎47歳

朋友・北原白秋を評する中での一節です。同じ文章では、白秋をして「巨大に成長し、微細に鍛錬せられた稀代の童子」とも定義しています。自らには欠けていたそうした部分で、光太郎は白秋を高く評価していました。

 先週末、若手俳優の滝口幸広さんの訃報が出ました。

『デイリースポーツ』さん。 

俳優・滝口幸広さん死去 34歳 テニスの王子様、仮面ライダードライブなどで活躍

 俳優の滝口幸広さんが13日に突発性虚血心不全の001ため亡くなったことが15日、分かった。34歳だった。滝口さんの公式ブログで所属事務所が発表した。通夜、告別式は近親者のみで執り行う。

ブログには「これまで温かく応援してくださったファンの皆さまならびにお世話になった関係者の皆さまへご報告致しますとともに厚く御礼申し上げます」と記されている。

 滝口さんは千葉県出身。04年にフジテレビ系ドラマ「ウォーターボーイズ2」でデビュー。14年にはテレビ朝日系「仮面ライダー ドライブ」にも出演した。

 ミュージカル「テニスの王子様」など、舞台でも存在感を見せ、今年もミュージカル「青春鉄道」や「MANKAI STAGE『A3!』」などにも出演。年末の舞台「明治座の変~麒麟にの・る」にも出演予定で、来年も1月に「MANKAI STAGE『A3!』~AUTUMN2020」のスケジュールが発表されていた。


『朝日新聞』さんの紙面から。

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滝口さん、ともに平成24年(2012)に開催された朗読系の公演「僕等の図書室」(以下、「1」)及び「僕等の図書室2」(以下、「2」)で、「智恵子抄」の朗読を披露なさいました。

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「1」のパンフレットから。


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「2」のパンフレットから。

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それぞれに公演の模様がDVD化されています。

まず「1」。

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滝口さんがメインで、三上真史さん、中村龍介さんがサポートメンバーとして途中から合流。光太郎の随筆「智恵子の半生」(昭和15年=1940)を換骨奪胎したものをト書きにしつつ、「智恵子抄」所収の詩篇を朗読なさいました。30分ほどの構成でした。

「2」。台本的には「1」と同一。サポートメンバーが中村さんはそのままに、三上さんが大山真志さんに変更。

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滝口さん、こちらでは、感極まったか、最後は涙ぐみつつの朗読でした。

DVDは2枚組となり、DISK2の「特典映像」には、出演者それぞれのインタビューなども。

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「1」「2」それぞれLe Himawari(る・ひまわり)さんという演劇制作会社から販売されています。

それにしても滝口さん、前途有為な34歳という若さでの急逝。実に残念です。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

芸術家の名誉は作品にあるのだから、勲章なんかいくら胸にぶら下げでもなんにもならんよ、それよりも金でもくれて大いに仕事させてくれたほうがありがたいね。
談話筆記「梅原・安井両君おめでとう」より
昭和27年(1952) 光太郎70歳


明治末、それぞれに光太郎と留学仲間だった梅原龍三郎、安井曾太郎が文化勲章を受章した際の談話です。上記の一節だけ読むと、ケチをつけているようにも読めますが、そういうわけではなく、両者の受賞を素直に喜んでいます。

その上で、副賞としての金品授与を伴わなかった文化勲章の制度が前年に改正され、受賞者は同時に文化功労者にも認定、文化功労者年金法に基づく終身年金が支給されるシステムとなったことを受けての、「政府も粋な計らいをするじゃん」的な発言です。

朗読系イベント情報です

月の映像詩と朗読の夕べ つきおもふこころ

期 日 : 2019年10月26日(土)
時 間 : 19:00~
会 場 : 3丁目カフェ 神奈川県横浜市青葉区美しが丘1丁目10−1
料 金 : 3,500円 ワンドリンク付き

月を撮り続けているカメラマン河戸浩一郎による作品(月の映像詩)の上映会。
今回は、短編作品を数本と月への想いをより深くさせてくれる文章の朗読を交えた映像作品を上演します。
戦時中に書かれたあるお手紙と高村光太郎の詩集「智恵子抄」を題材にした朗読作品。
みのもかおりさんの朗読と合わせて、月の映像を味わっていただきたいと思います。
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映像作家の河戸浩一郎氏。今年6月にも「月の映像詩上映会 ツキミチルノコトvol.8」で、「智恵子抄」を取り上げて下さっています。

その際、朗読なさった方が「蓑毛かおり」さんとなっていましたが、今回告知されている「みのもかおり」さんと同一人物でしょう。

御都合の付く方、ぜひどうぞ。

このブログで同じ趣旨のことを繰り返し書いていますが、光太郎詩、意外と朗読に向いています。もっともっと多くの方に取り上げていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

ところが、人間が一度美しいと見たもの、これだけは永遠に「美」なのです。歴史というものは、権威に対する人間の奉仕を記録したものですから、絶えず変化していますが、その中にあつて、どんなに時代が変つても、美しいものは美しいものとして変ることがないのです。

講演会筆録「芸術と農業」より 昭和27年(1952) 光太郎70歳

河戸氏が取り上げられている月の美しさもそうなのでしょうし、当方など、光太郎の芸術世界(造型/文筆)などもそうだと思えます。

今年6月に、相模原市にて開催された「兼古隆雄が奏でる ギター名曲の楽しみⅥ ギター独奏と詩の朗読」で共演なさった、俳優の山本學さんと、ギタリストの兼古隆雄氏によるコンサートの情報です。

中原中也記念館さんでの公演のみ把握しておりましたが、改めて調べましたところ、今日から西日本各地での開催でした。

山本學+兼古隆雄 朗読とギターの饗宴

滋賀(栗東)公演
日 時 : 2019年10月17日(木) 18:30開場/19:00開演
場 所 : 
栗東芸術文化会館さきら小ホール  滋賀県栗東市綣二丁目1番28号
料 金 : 【前売】2,500円 【当日】3,000円
主 催 : 滋賀で詩とギターを聴く会 090-3119-4816(藤田智弘)

松江公演
日 時 : 2019年10月18日(金)19:00~(開場 18:30)
場 所 : 松江市民活動センタースティックビル504  島根県松江市白瀉本町43
料 金 : 一般【前売】2,000円 【当日】2,500円 高校生以下【前売】1,000円 【当日】1,500円
共 催 : 山陰アマチュアギターネットワーク 090-8248-3437(入江史雄)
        山陰ギタ弾こ会 080-9794-9811(木村秀樹)

周南公演
日 時 : 2019年10月19日(土)19:00~(開場 18:30)
場 所 : 周南市文化会館 地下展示室   山口県周南市徳山5854-41
料 金 : 【前売】2,000円 【当日】2,500円  ※自由席
共 催 : 周南市文化振興財団  阿部ギター工房 0834-21-9171

山口公演
日 時 : 2019年10月20日(日)18:30~(開場 18:15)
場 所 : 中原中也記念館  山口市湯田温泉1-11-21
料 金 : 無料(要予約)
主 催 : 中原中也記念館 083-932-6430

下松公演
日 時 : 2019年10月21日(月)18:00~
場 所 : 下松市国民宿舎大城 一階 会議室  山口県下松市笠戸島14-1
料 金 : 【前売】2,500円 【当日】3,500円

主 催 : 今治淳子 090-7775-9023

プログラム
 第一部 山本 學 自選の詩を読む
  高村光太郎 荒涼たる帰宅   中原中也 春日狂想 骨   長田弘 イツカ向コウデ
  栗原貞子 生ましめんかな
 第二部 レオ・ブスカーリア作「葉っぱのフレディ」

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詩の朗読は6月の相模原公演(レポートはこちら)と同一のようですが、プラス「葉っぱのフレディ」。ベテラン俳優の山本さんがどのように料理するのか、興味深いところです。

それぞれお近くの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】


いかなる場合にも、美を忘れるやうになつたといふことは、美を忘れ得るほど精神が下り坂になつてゐるといふことである。ただ騒がしく、せつかちなのは決して精神の旺盛なことを意味しない。

散文「美を忘るる者危し」より 昭和19年(1944) 光太郎62歳


バラエティー番組などでひっぱりだこの「ただ騒がしく、せつかちな」だけの芸人などには、ぜひ山本さんの朗読などがおすすめですね(笑)。

光太郎がらみのコンサート情報を2件。

まずは仙台からで、もう今日になってしまいました。言い訳させていただけるなら、千葉大停電の影響もあったのか、情報を得るのが遅くなりました。

サロンコンサート《 いざなう月の琴 》vol.27 

期 日 : 2019年9月13日(金)
時 間 : 19:00~
会 場 : アクテデュース 宮城県仙台市青葉区大町1-1-15 大町川村ビル4F
料 金 : 3,000円
出 演 : 齋藤卓子(ピアノ演奏とお話)002

*プログラム*
 高村光太郎『智恵子抄』と共に
  ロベルト・シューマン(1810-1856)
  ・ダヴィッド同盟舞曲集 Op.6
  ・ピアノソナタ 第1番 Op.11 第1, 2楽章
  ・幻想小曲集 Op.12「夜に」
  ・交響的練習曲 Op.13
  ・子供の情景 Op.15「トロイメライ」
  ・幻想曲 ハ長調 Op.17 第3楽章         他
 クララ・シューマン(1819-1896)
  ・音楽の夜会 Op.6 第2曲 ノットゥルノ

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クララ・シューマン生誕200年の記念日にお送りするサロンコンサート《 いざなう月の琴 》はいわば『ひとり シューマンと智恵子抄』。『シューマンと智恵子抄』。この組合せを唐突に思う方もいらっしゃるかもしれませんが、画業と音楽、ジャンルは違えど彼等は芸術家同士の夫婦であり、互いの才能を尊重しながらも、しかし半身は心を病み早逝するなど、その生き様には共通点が多く、また『智恵子抄』にシューマンのピアノ曲を重ねた時に私の中で面白いほどイメージが合致するところがあり、4人への敬愛の念も加わって、この思い付きにはかねてより深い愛着を持っていました。『シューマンと智恵子抄』は10年ほど前に友人の朗読家 荒井真澄さんとのコラボレーションとして数回上演していますが、久方振りに向き合う今回は改めて内容を組み直し、ピアノも朗読も!単独チャレンジで行います。


ピアニストの齋藤卓子(つなこ)さん。平成24年(2012)に、やはり仙台の古民家レストラン「びすた~り」さんで、朗読の荒井真澄さん、墨画の一関恵美さんとのコラボで「シューマンと智恵子抄」を公演なさっています(それ以前にもやられたそうです)。そこで、平成25年(2013)に第57回連翹忌では、齋藤さんのピアノに合わせ、一関さんがその場で墨画を描くアクションペインティングを披露していただきました(荒井さんはご都合が付かずお二人でした)。

お近くの方、ぜひどうぞ。


もう1件。都内から歌曲系です。

4人のバリトンコンサート ハンサムなメロディー

期 日 : 2019年9月22日(日)
時 間 : 15:00~
会 場 : めぐろパーシモンホール 大ホール 東京都目黒区八雲1-1-1
料 金 : 一般 3,500円 区民割引 3,000円 学生 1,000円
出 演 : 宮本益光、加耒徹、近藤圭、与那城敬

*プログラム*

第1部 私の好きな歌 
 ラフマニノフ  夜の静けさの中 Op.4-3 (加耒)  シューベルト ブルックにて (近藤)
 湯山昭 木犀のセレナーデ (宮本)  トスティ 理想の人 (与那城)
第2部 オペラアリア集
 レハール   『メリー・ウィドウ』より 祖国のためなら (宮本)
 ロッシーニ  『セヴィリアの理髪師』より 私は街の何でも屋 (加耒)
 モーツァルト 『魔笛』より オイラは鳥刺し (近藤)
 ビゼー    『カルメン』より 闘牛士の歌 (与那城)
第3部 加藤昌則歌曲集
 落葉 (与那城) 冬の木になる (宮本) レモン哀歌 (加耒) 旅のこころ (近藤)
第4部 あなたに・・・
 『ティファニーで朝食を』より ムーンリバー (加耒)
 『ガイズ&ドールズ』より 運命よ、今夜は女神らしく (近藤)
 『レ・ミゼラブル』より 星よ (与那城)
 『マイ・フェア・レディ』 より 君住む街角 (宮本)
 加藤昌則 もしも歌がなかったら (全員)

オペラアリア、ミュージカル音楽に日本歌曲まで今を輝くバリトン4人衆があなたに贈る華麗なひととき。その魅力あふれる声と華やかな佇まいで高い人気を誇る4人の歌い手、宮本益光、加耒徹、近藤圭、与那城敬が、バリトンの魅力を存分に味わえる多彩な4部構成プログラムをお贈りします。各テーマを通して4人それぞれの個性をたっぷりとご堪能ください。
バリトン4人に加え、ピアノには作曲など多岐に渡る活動をみせる加藤昌則が登場。
さらには“handsome弦楽四重奏”として神奈川フィルのコンマスを務める﨑谷直人らが豊かな彩りを添えます。
この凛々しくハンサムなメンバーが、煌びやかなオペラの名曲から加藤昌則作曲の心に染み入る歌曲まで、とっておきの時間をお届けします。

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加藤昌則氏という方、今回もピアノでご参加されるそうですが、この方が作曲された「レモン哀歌」がプログラムに入っています。平成20年(2008)の作品だとのことですが、寡聞にして存じませんでした。

光太郎詩、どうも一般にはそう思われていないようなのですが、意外と朗読向きですし、ということは歌曲の歌詞としても適しています(光太郎自身はあまり自作の詩に作曲されることを好まなかったのですが)。

光太郎の精神を重んじ、リスペクトの念を持ってきちんと作曲される分には大歓迎ですので、作曲されるみなさん、ぜひ取り上げていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

ああ 人類の道程は遠い そして其の大道はない 自然の子供等が全身の力で拓いて行かねばならないのだ 歩け、歩け どんなものが出て来ても乗り越して歩け この光り輝やく風景の中に踏み込んでゆけ

詩「道程」初出形より 大正3年(1914) 光太郎32歳

光太郎詩の代表作にしてあまりにも有名な(こんな新聞記事を読むと最近はそうも言えなくなってきたかな、という感がありますが)「道程」。最初に雑誌『美の廃墟』に掲載された段階では、何と102行もある長大な詩でした(全文はこちら)。それが約7ヶ月後に詩集『道程』に収められる際に、ばっさり削られ、現在知られている僅か9行の形に圧縮されました。

上記の部分のあとに、「僕の前に道はない」という現在知られている形とほぼ同一の形が続きます。

ちなみに102行の原型、花巻髙村光太郎記念館さんの第一展示室に、映像と朗読で光太郎詩を紹介するブースがあり、そちらでベテラン声優の堀内賢雄さんによる朗読が聴けます。

台風15号の影響で、千葉県では停電が続いています。

自宅兼事務所は今朝の6時台から停電で、12時間以上たった現在も復旧していません。そこでパソコンが使えないためスマホから投稿します。ブログ移転後初です。パソコンと勝手が違い、悪戦苦闘しています(笑)。とりあえず投稿だけはしておいて、あとで直します。

地方紙『福島民報』さんの記事から。


「アートフェス」多彩に 二本松で9日まで

 芸術で二本松市を盛り上げる「にほんまつアートフェス」は七日、市内で始まった。九日まで多彩なイベントを繰り広げる。
 にほんまつDMOの主催。初日は市コンサートホールで舞踊や朗読が行われた。福島市出身の舞踊家・二瓶野枝さんが「智恵子抄」をテーマにコンテンポラリーダンスを披露し、二本松市ゆかりの女優・一色采子さんが詩を朗読した。続いて一色さんが朗読する「黒塚」に合わせて二瓶さんが舞った。安達ケ原の鬼婆(おにばば)伝説を独自の解釈で演じた。圧巻の舞台が観衆を魅了した。


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今日の停電もそうですが、この日もトラブルに見舞われ、拝見に伺うはずが、行けませんでした。愛車が高速道路走行中にエンジントラブルを起こし、走行不能に。JAF さんに電話して助けを求めたところ、提携している修理工場の方が駆けつけてくださり、現場は茨城県の高萩市だったのですが、潮来市の当方なじみの修理工場まで愛車ごと運んでくださいました。その点は非常にありがたかったのですが、一色さんには申し訳ない気持ちでいっぱいですし、当方自身楽しみにしていたので残念です。

それにしても、送り届けてくださったJAF さん提携工場の方には感謝感激でした。またまた感謝感激させていただきますので、電力会社の方、停電の復旧をよろしくお願いいたします。


まとまりませんが、慣れないスマホからの投稿、とりあえずこの辺で。

昨日に続き、福島ネタで。智恵子の故郷・二本松で開催されるイベント情報です。

にほんまつArt Fes

期 日 : 2019年9月7日(土)~9日(月)
会 場 : 二本松市コンサートホール 道の駅「安達」(下り線)
      霞ヶ城公園 本丸跡 二本松市市民交流センター

 二本松市では9月7日(土)~9日(月)の3日間、「にほんまつ Art Fes」が開催されます。
 アートを切り口にコンテンポラリーダンス、朗読、彫刻ライブなど二本松の素晴らしさを味わえるアートフェスが開催されます。
 芸術の秋にぴったりのイベントですので、ぜひご家族連れでお越しください。

プログラム

 「妖艶 Bewitching」
  9月7日(土) 二本松市コンサートホール 15:00~17:00 入場料¥2,000
   第一部 コンテンポラリーダンス「あどけない話」 ダンス 二瓶野枝
   第二部 朗読「智恵子抄」 朗読 一色采子  ピアノ 田中健
   第三部 共演「黒塚」
   第四部 トークショー 一色采子&二瓶野枝

 いっしょに作ろう! 参加型イベント
  9月8日(日) 
道の駅「安達」(下り線) 11:00~16:00
  ワンコインワークショップ/橋本仏具彫刻店・アーティスト橋本和成による彫刻ライブ

 菊松くんのお誕生日を、お祝いしよう! 日本酒で乾杯
  9月9日(月) 
霞ヶ城公園 本丸跡 13:00~

 ざくざく汁振る舞い&出発式!
  9月9日(月) 二本松市市民交流センター 18:00~

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9月7日(土)、コンサートホールさんで開催の「妖艶 Bewitching」では、お父様が同市ご出身の日本画家、故・大山忠作画伯であらせられ、ご自身も観光大使を務められている一色采子さん、そして福島ご出身のダンサー、二瓶野枝さんのご共演。お二人は一昨年、智恵子生家で開催された「智恵子・レモン忌 あいのうた」でもご共演なさいまして、当方、拝見いたしました。とても幻想的な雰囲気でした。

チラシの記載が誤っているそうで、ピアノの田中健氏、一色さんの朗読の際に演奏なさるとのこと。今年5月、サントリーホールで開催された「第35回アイメイトチャリティーコンサート」でも、一色さんとコラボなさっていますので、その際と同様の感じになるのかな、と思っております。

地元紙二紙で告知の記事が出ています。

まず『福島民友』さん。

【二本松】秋彩るアーティスト集う 9月7日から二本松でフェス

 「にほんまつ Art Fes」は9月7日から3日間、二本松市内で開かれる。ダンスから朗読、彫刻まで文化、芸術分野の実力者が顔をそろえて熱い舞台、ライブを繰り広げ、文化の秋を彩る。にほんまつDMOの主催。
 「妖艶」と銘打たれた初日は市コンサートホールで、コンテンポラリーダンス、朗読などが披露される。ダンスを踊るのは福島市出身の舞踊家二瓶野枝さんで、「あどけない話」と題して声楽、オペラ、歌曲、合唱の共演ピアニストとして著名な田中健さんのピアノをバックに情感あふれる舞台を繰り広げる。
 朗読では女優で、二本松市観光大使の一色采子さんが美しく響き渡る声で「智恵子抄」を読み上げる。「黒塚」の舞台、トークショーも予定されている。時間は午後3時からで、入場料2千円。
 8日は会場を道の駅「安達」下り線に会場を移し、明治時代から続き、木彫りと漆塗りの技術を守る同市の橋本仏具彫刻店木彫刻師5代目橋本和成さんがアーティストとしてライブでの彫刻制作に臨む。来場者誰もが参加できるワンコイン・ワークショップも行われる。
 最終日は霞ケ城公園などで市の観光マスコット「菊松くん」の誕生日を祝い、日本酒を絡めたイベントが行われる。問い合わせはにほんまつDMO(電話0243・22・0785)へ。


続いて『福島民報』さん。

感性豊かな初秋いかが にほんまつArtFes 9月7日から

 舞台や彫刻ライブなど芸術で二本松を盛り上げる「にほんまつArt Fes」は9月7日から9日まで、二本松市内で開かれる。にほんまつDMOの主催。
 七日は、市コンサートホールで「妖艶」をテーマに、コンテンポラリーダンスや智恵子抄の朗読などが披露される。ダンスは福島市出身の舞踊家・二瓶野枝さんが、朗読は女優で二本松市観光大使の一色采子さんが出演する。「黒塚」の舞台やトークショーなども催される。時間は午後三時から午後五時まで。入場料は二千円。
 八日は、道の駅安達下り線でワンコインワークショップなど参加型のイベントが繰り広げられる。明治時代から続く、木彫りと漆塗りの技術を守る橋本仏具彫刻店の木彫刻師五代目・橋本和成さんによる彫刻ライブが見どころ。
 九日は、午後一時から霞ケ城公園本丸跡で市観光マスコット「菊松くん」の誕生日を祝って日本酒で乾杯する。午後六時からは市民交流センターで郷土料理「ざくざく汁」の振る舞いを実施する。


ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

私は此を訳しながらフアン ゴツホの精神に打たれたて幾度か筆を措いた。味へば味ふほど深い彼の心は凡ての人に向かつて一の消ゆる事無き天の火となるであらう。

雑纂「訳書『回想のゴツホ』序文」より 大正10年(1921) 光太郎39歳

『回想のゴツホ』は、フィンセント・ファン・ゴッホの妹、エリザベットによるゴッホ評伝です。

味へば味ふほど深い彼の心は凡ての人に向かつて一の消ゆる事無き天の火となる」。光太郎さん、あなたの詩文が(一部を除いて)そうですよ、と言いたくなります(笑)。

しばらくこの系列、ご紹介しないでいたら溜まってしまいました。2回に分けてご紹介いたします。

まず、仙台に本社を置く『河北新報』さん。8月9日(金)に行われた第28回女川光太郎祭について報じて下さいました。系列の『石巻かほく』さんでは既報ですが、同じ記事ではありませんでした。

高村光太郎しのび詩を朗読 戦前に訪れた女川で祭り

 戦前に宮城県女川町を訪れ、紀行文や詩を残した詩人で彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)をしのぶ光太郎祭が、同町のまちなか交流館であり、県内外から約60人が参加した。
 「女川・光太郎の会」が主催。朗読の部では、光太郎が女川漁港の様子を記した紀行文や詩集「道程」などの詩を、女川小の児童ら15人が読み上げた。
 朗読に先立つ講演では、高村光太郎連翹(れんぎょう)忌運営委員会の小山弘明代表が光太郎の晩年の姿を紹介。終戦直後から7年にわたって花巻市の山荘に暮らした光太郎の心理を解説した。
 小山代表は一連の戦争を賛美する詩を書き連ねたことに罪の償いの思いがあったと説明し「(あえて)不自由な山奥を選んだ。彫刻家の自負もあったが、行いへの反省から一度も彫刻を作らなかった」と述べた。
 光太郎は1931年に時事新報社の依頼を受け、石巻から宮古までを旅した。91年には女川港近くに、光太郎来訪を記念する文学碑が建立された。光太郎祭は92年に始まり、今年は9日に開催された。

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当方の講演についても的確にご紹介下さり、ありがたいがきりです。


続いて、『日本経済新聞』さん。終戦の日の掲載でした。

「8.15」の落とし穴 悲しみの前には熱狂があった

8月は「戦争」がメディアにあふれる季節であ000る。いわゆる「8月ジャーナリズム」だが、あの惨禍と過ちを記憶する記号として、やはり「8.15」の意味は大きい。令和の時代にも、決してゆるがせにはできぬ日付だ。
もっとも、そこには落とし穴もある。この日付だけで戦争を振り返ると、軍部や政治家が暴走して続けた戦争に、多くの日本人が「巻き込まれた」という被害者イメージが強まるのである。
前線での玉砕と餓死。本土空襲。沖縄戦。原爆投下。人々は戦争に疲れ果て、食糧を求め、死におびえた……。太平洋戦争末期は、たしかに国民は過酷な運命に従うほかなかっただろう。
しかし、前史を忘れてはいけない。別ののぞき窓から戦争を眺めるとき、相貌は大きく異なるのだ。たとえば、37年に日中戦争が起きた当時はどうだっただろう。
北京郊外の盧溝橋で日中両軍が衝突したのは7月7日。戦火は上海にも移り、本格的な戦争が始まった。政府は8月15日に「暴支膺懲(ぼうしようちょう)」声明を出す。暴虐な中国を懲らしめるという意味だ。のちの敗戦の8年前の「8.15」である。
このときの世論の沸騰ぶりはただならぬものだった。
「もはや躊躇(ちゅうちょ)する猶予なしに徹底的にガンとやってもらうことです」「徹底的に支那軍を膺懲の要あり」「この際、行くところまで行ってもらわぬと困る」「皇軍の精鋭よ、徹底的に東亜の禍根を一掃せられよ」
文芸春秋社が発行していた雑誌「話」の同年10月号の記事「日支事変に際し政府に望む」に並んだ読者の声である。「膺懲」という言葉が世に躍り、さかんに国民大会
が開かれ、戦勝の報が届くたびに提灯行列が街を埋めた。
文化人も積極的に戦争に加わっている。例を挙げれば林芙美子の従軍記「戦線」は、歌い上げるような戦争礼賛ぶりだ。かつての「放浪記」の作家は時局に大いに感じ入って従軍し、中国の国民政府が逃れていた新首都、漢口への「一番乗り」をやってのけた。
「戦線は美しい」と芙美子は称揚する。敵兵を「堂々たる一刀のもとに」斬り殺す場面にも「こんなことは少しも残酷なことだとは思いません」とつづる。従軍は朝日新聞社が全面的にバックアップ、芙美子は帰国するや講演に飛び回った。大ベストセラーになった「戦線」は戦後、封印された。
庶民も文化人も、熱に浮かされていたといえばそれまでだが、なんと熱狂しやすい国民性だろう。もちろん、それをあおったメディアの責任もきわめて大きい。前線と銃後それぞれの、おびただしい数の「美談」が紹介され、人々は物語に酔ったのである。
この当時は戦時体制下とはいえ、物資はまだ十分に出回り、大衆娯楽も息づいていた。
「街には『露営の歌』だの『上海だより』だの軍歌調の歌謡がながれていたが、同時に『忘れちゃイヤよ』だの、『とんがらかっちゃダメよ』だのという歌も決してすたれたわけではなかった」。安岡章太郎は「僕の昭和史」でこう回想している。001
実際に、漢口が陥落した38年秋の雑誌をひもといてみても、消費を楽しむムードは消えていない。旅行雑誌「旅」の同年11月号には「旅は満州へ」「台湾へ」と読者をいざなう広告が載り、洋酒「ジョニー・オーカー」や「さくらフヰルム」が宣伝に努めている。
こんな日常のなかで、戦争は泥沼化していった。戦争とはある日突然始まるのではなく、日常と重なりつつ進んでいくものだということがわかる。行きづまりを打開しようと日本は対米英戦に突入し、またも世間は大いに留飲を下げるのである。
「この日世界の歴史あらたまる。/アングロサクソンの主権、/この日東亜の陸と海とに否定さる」。開戦を知り、高村光太郎が残した詩だ。ほとんどの国民が大本営発表に浮き立ち、勝った勝ったと興奮した。
そして、やがて迎えた「8.15」。こちらののぞき窓から眺める戦争は、ただただ悲しい。「暴支膺懲」の熱狂から8年、無一物となった日本人はようやく正気に戻るのである。熱狂の代償の大きさを思わざるを得ない。
当時も、冷静な人はいた。日中戦争勃発時の外務省東亜局長、石射猪太郎は「暴支膺懲」声明について、「独りよがりの声明。日本人以外には誰も尤(もっと)もと云ふものはあるまい」と日記に書きとめた。近衛文麿首相を指していわく「彼は日本をどこへ持つて行くと云ふのか。アキレ果てた非常時首相だ。彼はダメダ」。
熱狂と歓呼は、しかし、そういう思いを押し流していった。さまざまなのぞき窓から歴史を眺めることで、教訓を深く胸に刻まなければならない。

引用されている詩はずばり「十二月八日」という詩です。毎年、12月8日になるとこの詩を引っ張り出してドヤ顔をする愚か者が者がいて閉口しています(笑)。逆に、明治松の留学から帰朝直後に書かれた、日本社会の旧態依然を批判する「根付の国」(明治43年=1910)をして「非国民の妄言」などと言う輩が今もいて、開いた口がふさがりませんでした(笑)。そういうやつばらこそ無言館さんに行って欲しいものです。


お次は『朝日新聞』さん。先月ご紹介した喜国雅彦氏著『今宵は誰と -小説の中の女たち-』が書評欄で取り上げられています。

(コミック)『今宵は誰と 小説の中の女たち』 喜国雅彦〈著〉 「妙にそそる」ヒロインが誘う読書

 登場人物が実在の本について語る“書評マンガ”とでも呼ぶべきジャンルがある。その主人公たちは基本的に読書家だ。しかし、本作の主人公の場合はちょっと違う。
 転勤で引っ越した日の夜、先住者が残していった文庫本を暇つぶしに読み始める。「小説なんて読むのは何年ぶりだっただろう」という非読書家の彼が、そこから読書にハマるのだ。その運命の一冊は、安部公房『砂の女』。シュールなストーリーもさることながら、「妙にそそる」ヒロインが彼を虜(とりこ)にしたのだった。
 以降、川端康成『眠れる美女』、三島由紀夫『潮騒』、ツルゲーネフ『はつ恋』、S・キング『ミザリー』など内外の名作を読(よ)み漁(あさ)る。共通点は印象的な女性が登場すること。彼女らが読後の夢にも登場し、もうひとつの物語を描き出す。その妄想力は、フェティッシュな男女関係描写に長(た)けた作者ならでは。主人公が居酒屋で出会った本好きの女との関係も絶妙だ。
「これは……エロ小説じゃないか!!」といった主人公のピュアな感想、身もフタもないツッコミに苦笑する一方、太宰治『女生徒』をツイッターになぞらえるなど鋭い分析も。権威や世評に囚(とら)われない偏愛的読書ガイドである。
 南信長(マンガ解説者)

評では触れて下さいませんでしたが、光太郎の『智恵子抄』も取り上げられています。

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明日は『福島民報』さん、『山形新聞』さんなどからご紹介します。

【折々のことば・光太郎】

別に運動するのなんのつていうのでなく毎日ただ気をつけるだけで、無理しないこと、それから睡眠をよくとること、それから食物で、自分の体に肥料を与えること。あとは日光にあたり水を吸い込んで植物とおんなじ生活をすりや人間はいいんです。

対談「芸術と生活」より 昭和28年(1953) 光太郎71歳

光太郎流の健康法です(笑)。

昭和6年(1931)8月9日、新聞『時事新報』の依頼で紀行文を執筆するため、光太郎は東京本郷区の自宅兼アトリエを出、約1ヶ月の三陸旅行に発ちました。10月に発表された紀行文には石巻、金華山、女川、気仙沼、釜石、宮古といったあたりの様子が描かれています。

それを記念して、毎年8月9日には、女川光太郎祭が開催されており、今年で28回目となりました。このところ、毎年、記念講演の講師を仰せつかっており、今年も行って参りました。

会場は、JR石巻線女川駅前の商業施設シーパルピア内のまちなか交流館さん。

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県内外から多くの方々がお集まり下さいました。

最初に当方の講演。光太郎という人物の生涯を細かにたどるため、昭和22年(1947)に自らの生涯を振り返って書かれた連作詩「暗愚小伝」をもとに、連続講演の形で行わせていただいており、とりあえず今年がその最後、戦後の花巻郊外旧太田村での蟄居生活を中心に語らせていただきました。来年は「「暗愚小伝」その後」というわけで、最晩年、そして光太郎の死のあたりを扱う予定です。

その後、メインの行事。女川光太郎の会・須田勘太郎会長のご挨拶に続き、光太郎遺影、かつて海岸公園に立っていた光太郎文学碑の写真(今年・新しいパネルに代えられました)に献花。

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その後、県内外の皆さんによる、光太郎紀行文や詩の朗読。

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女川町長・須田善明氏の祝辞。須田町長、久々においで下さいました。

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まだ確定でない、と前置きされつつ、来年の今頃には、かつての海岸公園一帯をメモリアルゾーンとして整備する事業が終わる予定で、倒壊したままの光太郎文学碑も再建される見通し、とおっしゃっていました。

ちなみに現状、こんな感じです。

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すぐ近くの旧女川交番の方は、基礎部分の工事にかかっているようでした。

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その後、ギタリスト・宮川菊佳氏の演奏。宮川氏、詩の朗読の際にBGM演奏も為されていました。

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オペラ歌手・本宮寛子さんの歌。本宮さんは、光太郎文学碑が建てられた平成3年(1991)に女川で開催されたオペラ智恵子抄(仙道作三氏作曲)の公演で、智恵子役をなさった方です。

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最後に、東日本大震災の津波で亡くなった女川光太郎の会事務局長・貝(佐々木)廣氏の奥様、英子さんのご挨拶。

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終了後は、まちなか交流館さんにほど近い金華楼さんで懇親会。

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一年ぶりにお会いする方々と久闊を叙し、また、盛岡のご出身で、旧太田村の蟄居時代に光太郎がたびたび足を運んだ温泉などにもよく行かれたという方、当会顧問の北川太一先生をご存じの方など、初参加という皆さんともいろいろお話をさせていただきました。こうやって人の輪が広がっていくのだな、と実感させれられました。

毎年書いておりますが、永続的に続いて欲しいものです。

明日は女川町内各所のレポートを。


【折々のことば・光太郎】007

うつくし かぐはし ほほゑまし  

  短句揮毫 昭和25年(1950) 光太郎68歳

花巻郊外旧太田村で隠棲していた光太郎、時折、県都盛岡に出ることがあり、その際には「天よし」という飲み屋に立ち寄ることが多く、そこのマダム・たみ子さんに贈った書です。「天よし」の店名も光太郎の命名だったそうです。


マダムたみ子が長唄の免状を手にした祝いということで、「し」の字は三味線の糸を表し、長く書いたとのこと。粋な計らいですね。

女川光太郎祭で、小学生の詩の朗読もありまして「ほほゑまし」く拝聴しました。

昨日に引き続き、宮城県女川町からイベント情報です。 

第28回女川光太郎祭

期 日 : 2019年8月9日(金)
時 間 : 午後2:00~
場 所 : 女川町まちなか交流館 宮城県牡鹿郡女川町女川浜字大原1-36
料 金 : 無料
問い合わせ : 
   女川光太郎の会事務局 佐々木英子
   〒986-2243 宮城県牡鹿郡女川町鷲神浜字内山3-1NI・1街区2 桜ヶ丘東住宅404
   090-6686-7811 
内  容 : 
 献花
 光太郎紀行文、詩などの朗読
 アトラクション演奏 オペラ歌手 本宮寛子  ギター奏者 宮川菊佳 
 講演 「高村光太郎、その生の軌跡 ―連作詩「暗愚小伝」をめぐって⑦―」
     高村光太郎連翹忌運営委員会代表 小山弘明
 終了後 懇親会

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昭和6年(1931)、光太郎が三陸一体を旅した一環で立ち寄った宮城県牡鹿郡女川町。それを記念して、平成3年(1991)、当時の女川港に面した海浜公園に巨大な光太郎文学碑が建立され、さらに翌年から始まった女川光太郎祭。その後、東日本大震災による津波で甚大な被害を受けた平成23年(2011)も含め、毎年開催されています。今年は文治堂書店さんが自社のPR誌『トンボ』第8号に案内を掲載して下さいました(上記画像)。

昨年までの様子はこちら。


ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

生活も不便とはいへ、まづ正常の状態で進んでゐて、決して極端なまねはして居りません。蛇や蛙やバツタを食べて生きてゐるのではありません。

雑纂「太田村の便り」より 昭和26年(1951) 光太郎69歳

一方で、翌年行われた座談会では、蛙を食べたことや、蛇も食べようと思ったものの歯が悪いのでやめたという発言をしています。バッタについては他では言及されていません(長野県民ではありませんし(笑))。

蛙に関しては、明治末のパリ留学時代にフランス料理として食べていたので、あまり抵抗はなかったのでしょう。しかし、だからといって、それを常食にしていたわけではないということですね。

昨日は神奈川県内に出ておりました。

午前中、横浜の神奈川近代文学館さんで調べ物。主に同時代の人々が残した光太郎回想の類を調査して参りました。当会刊行の『光太郎研究』にて少しずつご紹介いたします。

その後、相模原(最寄り駅は町田でしたが)のホテルラポール千寿閣さんへ。

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こちらの敷地内にあるチャペルで行われた「兼古隆雄が奏でる ギター名曲の楽しみⅥ ギター独奏と詩の朗読」を拝聴して参りました。

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兼古氏は町田でクラシックギターの教室をなさっている方です。そしてゲストに俳優の山本學さん。

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第1部は兼古氏によるソロ演奏。バッハを除いて現代の曲でしたが、哀愁や情熱がこもり、時に軽妙洒脱、時に意外な曲の展開、また、教会というあまり広くない、しかし落ち着いた雰囲気のスペースにそれがマッチし、実にいい感じでした。

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第二部で山本學さんがご登場。

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はじめに山本さんが自選の詩を朗読、その後、兼古氏がそれぞれの詩に合うと感じられた曲を演奏というくり返しでした。特にF・ターレガの「アデリータ」など、たしかにぴったりでした。

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藤村の「初恋」(明治29年=1896)に続いて、光太郎の「レモン哀歌」(昭和14年=1939)。前年の愛妻・智恵子の臨終を謳った絶唱です。

山本さん、前半は意識して早口でたたみかけるような朗読をなさったのだと思いました。そうすることで、消えゆく智恵子の生命の炎を目のあたりにし、冷静でいられない光太郎の激情が表されていたように感じました。終末部分の「写真の前に挿した桜の花かげに/すずしく光るレモンを今日も置かう」は、智恵子歿後の現在、というわけで、一転してゆったり落ち着いた、しかし、痛切な独白といった感で読まれ、まとめをつけられました。さすがベテラン、と、当方、感心しきりでした。

サプライズが一つ。最後の栗原貞子「生ましめんかな」(昭和21年=1946)が終わったあと、会場の万雷の拍手に応えてのアンコールとなりまして、さて、山本さん、何を朗読されるのだろう、と思っておりましたところ、お口を開かれ、出て来た題名が「荒涼たる帰宅」。思わず当方、「おお」と反応してしまいました。昭和16年(1941)、光太郎がおそらく詩集『智恵子抄』出版に際して書き下ろした、智恵子葬儀の当日を謳った詩です。

どうも山本さん、正規のプログラムに入っていた詩篇も含め、「生と死」的なモチーフのそれを集められたようで、そうするとたしかに「荒涼たる帰宅」ですね。ここで「道程」(大正3年=1914)やら「樹下の二人」(同12年=1923やらは入ってきません。

終演後、山本さんとお話しさせていただきました。さらにあつかましくも、1990年代に山本さんの朗読でリリースされた光太郎詩集のCDを持参しており、ジャケットにサインしていただきました。家宝にします(笑)。

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しかし山本さん、「こんなCDが出ていたんだね。記憶にないや」とのことで、意外と物事にこだわらない豪快な一面もおありなのかな、という気がしました。さらには「’90年頃? まだ「詩」の何たるかが分かっていなかった頃だなぁ」。「いやいや、そんな事は……」と申し上げておきましたが(笑)。

連翹忌の営業もさせていただきました。来年の連翹忌のご案内を差し上げようと存じます。ぜひいらしていただきたいものです。ちなみにマネージャーの方は、連翹忌ご常連の女優・一色采子さんと親しくされているということでした。

それはともあれ、兼古氏ともども、今後も変わらぬご活躍を祈念いたします。


【折々のことば・光太郎】

一、躊躇なしにロマン ロラン  二、彼が世界で最も高い精神であるが故に、彼よりも博学な、賢明な又新らしい主義をもつ人は尠くないが、彼ほど清冽の心を持ちながらその英雄主義に他を凌駕する意識のほとんど感じられない点は全く人類の宿弊を破つてゐる。

アンケート「私の好きな世界の人物」全文 大正15年(1926) 光太郎44歳

「一」の細かな質問内容は、「世界各方面の現代名士中貴下の好まれる人物氏名」、「二」は同じく「何う言ふ点を好まれるか」でした。

この手の人物評には、光太郎自身が目指した、あるべき人物像が投影されているような気がします。

演劇系イベントを二つ。

まずは仙台発の情報。
会 場 : せんだい演劇工房10-BOX box-1  宮城県仙台市若林区卸町2-12-9
時 間 : 7/5(金)19:30〜 1作品目 7/6(土)19:30〜 2作品目
        7/7(日)13:00〜 3作品目
料 金 : 通し券(木金・土・日の3パターン/全7作品観劇可)
        一般前売:2,800円 一般当日:3,000円 
        学生前売:1,800円 学生当日:2,000円

毎年、大阪・インディペンデントシアターで行われる最強の一人芝居フェスティバル「INDEPENDENT」。2011年夏に行われたジャパンツアー仙台公演を経て、2012年から仙台でも東北の創り手を中心とした「INDEPENDENT:SND」を継続開催しています。今年も多数の応募の中から激選された6組が参戦。東北の俳優と本家大阪で評価を得た招聘作品が競演します。是非ご期待ください!


演劇ユニット箱庭 第5回公演 『38.9℃の夜』
 出演 : しゅー(演劇ユニット あかりラボ)
 脚本 : 長門美歩
 演出 : 志賀彩美(演劇ユニット 箱庭)

「女が結婚しないでいるのはよくないなんて誰が決めたことなの。だいたい世の中の習慣なんて、どうせ人が決めたことでしょう、それに縛られて一生、自分の心を騙し続けて生きるなんてつまらないことだわ。わたしの一生はわたしが決めたい。たった一度きりしかないわたしの一生ですもの。」
と高村智恵子は言ったそうだ。

演劇ユニット 箱庭 第5回公演「38.9℃の夜」では、社会人と演劇・表現活動を両立する、年齢・結婚年数が異なる3人の既婚女性で構成。「結婚して、家族を得ても、孤独だった」と言う感覚をもとに、現代に生きる女性としての生き方と、その苦悩と孤独について描き出す。その舞台の題材として取り上げられるのが高村智恵子という一人の芸術家の一生だ。

「自分の人生を生きた」そういう実感が心から湧くような生き方をしていきたい。ままならないことだらけの世の中で、智恵子は生きました。ままならないことだらけの世の中で、私たちはどう生きていこう。

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「INDEPENDENT:SND19」という演劇フェスティバル的なイベントがあり、7作品(すべてが一人芝居とのこと)が上演される中の1つとして、演劇ユニット箱庭 第5回公演を兼ねる 『38.9℃の夜』だそうです。


もう1件、愛知県長久手市から。

長久手市文化の家自主事業 創造スタッフ七夕企画 文学パフォーマンス

期  日  : 2019年7月6日(土)
会  場 : 長久手市文化の家  2F情報ラウンジ  愛知県長久手市野田農201 
時  間 : 11時00分 15時00分 18時00分
料  金 : 無料

出演 豊永洵子(ダンス) 細川杏子(フルート) 藤島えり子(俳優)

女性創造スタッフ三名によるパフォーマンスイベント。ダンサー×フルーティスト×俳優が文学作品を題材にコラボレーション! 高村光太郎の名作「智恵子抄」を、それぞれの形でお見せします。
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やはり「智恵子抄」系、どちらかというと女性に人気なのでしょうか。仙台の演劇も女性3人組、奇しくも長久手も同じく女性3人組ですね。

現代の素敵な女性達が自分の生涯をさまざまな形で表現し続けてくれていると知り、泉下の智恵子はどう思うでしょうか。


【折々のことば・光太郎】

試験制度をくぐつて来た人間の頭には、どうしても取り去れない或る箍がかかつてゐます。どうしてもコンクリイトで出来た池の中の水のやうな処があつて、海洋の水はおろか、小川の流のやうな処さへ少いやうです。どんなに有為な、立派な、若しくは偉大な人物になつても、その根性の奥にはめられた或る箍は、一生涯つきまとふかと思はれます。

アンケート「もし私に子があつたら何にするか?」より
 大正12年(1923) 光太郎41歳

「箍」は「たが」。「たがが外れる」の「たが」です。

いわゆるエリートの脳内にはその「箍」がしっかりはまっていて、外れることがないと。もちろん融通が利かないとか、思考が硬直化しているとか、そういったマイナスの意味で使われています。

今も昔も、ですね。

まずは神奈川県から朗読系のイベント情報です。

 

兼古隆雄ギター名曲の楽しみ

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期 日   : 2019年6月30日(日)
会 場 : ホテルラポール千寿閣 
            相模原市南区上鶴間本町3-11-8
時 間 : 15時開場 / 15時30分開演
料 金 : 前売券4,000円
      当日券4,500円

 第一部 ギターソロ
  A.ヨーク    子守歌
  J.S.バッハ
       前奏曲、サラバンド、メヌエット
  A.バリオス   郷愁のショーロ
  L.ブローエル  11月のある日
   穴戸睦夫   前奏曲とトッカータ

 第二部 語りとギターの饗宴
  共演 俳優 山本學
   島崎藤村   初恋
   高村光太郎  レモン哀歌
   中原中也   骨
   長田 弘   イツカ向コウデ
   栗原貞子   生ましめんかな 

神奈川と東京多摩地区の情報誌『タウンニュース』さんに案内記事が出ていました。

ギターと朗読を楽しむ 兼古隆雄さんが弾く

 ホテルラポール千寿閣で30日(日)、ギター教室も営む兼古隆雄さんと「下町ロケット」にも出演した俳優・山本學さんの演奏会が催される。午後3時30分開演(3時開場)。
 第一部はギターソロ。A・ヨーク「子守歌」やJ・S・バッハ「前奏曲」「サラバンド」などの名曲が演奏される。第二部は朗読とギターのコラボ。島崎藤村「初恋」や高村光太郎「レモン哀歌」など、ベテランの語りの芸を披露する。2人のコラボは好評で、10月には西日本のツアー企画が進行しているという。チケット前売4000円。(問)兼古隆雄ギター教室【電話】042・722・6740


山本學さん、1990年代に学研さんからリリースされた朗読CD全集「サウンド文学館パルナス」で、光太郎詩の朗読をなさっています。

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久しぶりに拝聴しましたが、渋い、しかし明るいお声、ゆったりした間の取り方、さすがです。

ぜひ足をお運びください。


もう1点。同様の朗読系イベントで、過日ご紹介した石川県金沢市での「『智恵子抄』詩人高村光太郎と智恵子~本田和の語り」につき、『中日新聞』さんが報じましたのでご紹介します。

詩の朗読×チェロ演奏 市民芸術村 智恵子抄の世界表現

010 音楽に合わせて物語や詩の朗読をする金沢市の本田和(かず)さんの公演「『智恵子抄』詩人高村光太郎と智恵子」(北陸中日新聞後援)が十七日、金沢市民芸術村であり、七十人の来場者が光太郎の詩の世界とチェロの演奏を楽しんだ。
 智恵子抄は、光太郎が妻への思いをつづった詩集。愛にあふれる詩を、本田さんが情感を込めて読み上げた。大阪フィルハーモニー交響楽団のチェリスト林口真也さんが重厚な音色を奏で、詩に込められた感情を引き立たせた。
 公演は、本田さんの活動を支援する団体「きくはなすの会」が主催した。(小坂亮太)


時折書いていますが、光太郎の詩、意外と朗読向きです。全国の朗読愛好者の皆さん、ぜひぜひ取り上げて下さい。


【折々のことば・光太郎】

御質問の件簡単なる敬語を以て御答へ仕るは仕極難事と存じ候。甚だ失礼ながら右御断り申上候。

アンケート「現代名流の日本画観」より 明治43年(1910) 光太郎28歳

「敬語」は、言葉の種類としての謙譲語とか尊敬語とかの敬語ではなく、尊敬の念をもっての讃辞、といった意味でしょう。「褒めることが出来ないからお答えできません」ということだと思われます。

光太郎、どうも同時代の日本画に関しては目の敵にしていたようで、あちこちで「古くさい」「生命感に欠ける」的な批判を繰り返していました。

「仕極」は「至極」の誤りでしょう。

朗読系のイベント情報です。

『智恵子抄』詩人高村光太郎と智恵子~本田和の語り

期    日  : 2019年6月17日(月)
会    場 : 金沢市民芸術村 PIT2 ドラマ工房 石川県金沢市大和町1-1
時    間 : 19:00開演~20:00終演(開場18:30)
料    金 : 前売券2000円 当日券2500円
問い合わせ  : きくはなすの会(090-2373-5458)

明治・大正・昭和を生きた詩人の高村光太郎とその妻智恵子の愛の軌跡を描いた『智恵子抄』を語る。チェロの音色がその世界を広げる。
語り:本田和 チェロ:林口眞也

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本田さんという方、当方、直接は存じ上げませんが、CDを一枚持っております。

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平成21年(2009)リリースの「本田和語りの世界 セロ弾きのゴーシュ」。表題作はご存じ宮沢賢治の童話ですが、他に「智恵子抄―語りとギターのための―」「蜘蛛の糸―独奏チェロと語りのための―」が収録されています。ひさびさに聴いてみましたが、艶のある美声で、情感あふれる朗読。いい感じでした。恋愛時代の「僕等」(大正3年=1914)に始まり、結婚後の「あどけない話」(昭和3年=1928)、智恵子が心を病んでからの「千鳥と遊ぶ智恵子」(昭和12年=1937)、「山麓の二人」(昭和13年=1938)、その葬儀を謳った「荒涼たる帰宅」(昭和16年=1941)、最後が絶唱「レモン哀歌」(昭和14年=1939)でした。アコースティックギターのオリジナル音楽と共に語られ、音楽はそれぞれの詩に合わせ、はじめおだやかで叙情的に奏でられていたものが、徐々に緊迫感を増す奏法となり、やがて静謐に幕を閉じるという感じでした。

今回はチェロとのコラボだということですが、やはりこうしたドラマチックな構成が為されるのではないでしょうか。

また近くなりましたらご紹介しますが、来月には神戸での公演もあるとのことです。お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

ここは温泉もいいが、宿の建築が甚だ面白く、私は毎日荒れ果てた無人の部屋部屋を見てたのしんだ。昔の宿の主人が建築道楽であつたさうで、木口の太さといひ、組方といひ、いかにも岩手独特の手丈夫な趣が大まかに出てゐてよい。
散文断片「(私は温泉が)」より
 
昭和20年代前半(1940年代後半) 光太郎66歳頃

010光太郎歿後に見つかった原稿用紙5枚(以降欠)の文章から。題名はなく、今のところ雑誌等に発表されたことも確認できていません。

「ここ」は、花巻南温泉郷の一番奥、西鉛温泉です。昭和20年(1945)、花巻の宮沢賢治の実家に疎開した翌日から結核性の肺炎で高熱を出し、一カ月の臥床。床上げの後、予後を養うために一週間滞在しました。当時は明治館改め秀清館という一軒宿で、明治22年(1889)の創業。この頃は、賢治の母の実家が経営していました。当時としては珍しい、四階建ての日本家屋で、建築設計にも手を染めていた光太郎、その造作に感心しきりでした。

戦後には県の職員保養所を兼ね、昭和47年(1972)には閉鎖。残念ながら建物は現存しません。その後、愛隣館という観光ホテルが建ち、現在は「西鉛温泉」という呼称は廃され、「新鉛温泉」と称されています。

光太郎終焉の地・東京中野から朗読系イベント情報です。
会 場 : 古民家asagoro 東京都中野区若宮3丁目52-5
時 間 : 昼の部 13:30~15:30    宵の部 16:00~18:00
料 金 : ¥3,000

月を撮り続けているカメラマン、河戸浩一郎による映像作品の上映会です。月の映像詩の作品数本の上映と朗読を交えた映像作品の上演を行います。(朗読:蓑毛かおり)

今回はVol.8、全15回開催予定の折り返し地点でもあるので、いつもの作品上映に加え、新しい試みとして、高村光太郎の「智恵子抄」を取り上げ、月と絡めてご紹介します

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なかなかシャレオツなイベントのようですね。

確かに『智恵子抄』収録の詩篇の中には、月を詠み込んだものがいくつかあります。

まず結婚前、恋愛時代の作から。

 七月の夜の月は/見よ、ポプラアの林に熱を病めり  (「或る夜のこころ」 大正元年=1912)

 あなたは女だ/男のやうだと言はれても矢張女だ/あの蒼黒い空に汗ばんでゐる円い月だ/世界を夢に導き、刹那を永遠に置きかへようとする月だ  (「おそれ」 同)

 御覧なさい/煤烟(ばいえん)と油じみの停車場も/今は此の月と少し暑くるしい靄(もや)との中に/何か偉大な美を包んでゐる宝蔵のやうに見えるではないか/あの青と赤とのシグナルの明りは/無言と送目との間に絶大な役目を果たし/はるかに月夜の情調に歌をあはせてゐる  (同)

 瓦斯(ガス)の暖炉に火が燃える/ウウロン茶、風、細い夕月  (「或る宵」 同)

何となく、月の持つ一種の神秘性を智恵子に仮託しているようにも思えます。

その後は『智恵子抄』中に月はしばらく登場しません。次に月が現れるのは、智恵子の葬儀を謳った「荒涼たる帰宅」(昭和16年=1941)。

    荒涼たる帰宅007 (2)

 あんなに帰りたがつてゐた自分の内へ
 智恵子は死んでかへつて来た。
 十月の深夜のがらんどうなアトリエの
 小さな隅の埃を払つてきれいに浄め、
 私は智恵子をそつと置く。
 この一個の動かない人体の前に
 私はいつまでも立ちつくす。
 人は屏風をさかさにする。
 人は燭をともし香をたく。
 人は智恵子に化粧する。
 さうして事がひとりでに運ぶ。
 夜が明けたり日がくれたりして
 そこら中がにぎやかになり、
 家の中は花にうづまり、
 何処かの葬式のやうになり、
 いつのまにか智恵子が居なくなる。
 私は誰も居ない暗いアトリエにただ立つてゐる。
 外は名月といふ月夜らしい。

ほぼ一切の感情を表す単語を排し、客観描写に徹しながら、しかしそれがかえって深い喪失感を表しているように思えます。葬儀は10月8日。たしかにちょうど中秋の名月の頃ですね。

ちなみにこの詩は『智恵子抄』刊行(昭和16年=1941)に際して書き下ろされたと推測されています。したがって、実際の智恵子の葬儀より3年近く経ってから書かれたものですが、まるでその場で書いているような臨場感が感じられます。

おそらく、このあたりを朗読で取り上げて下さるのでしょう。ありがたいかぎりです。


【折々のことば・光太郎】

ロンドンからパリへ来ると、西洋にはちがひないが、全く異質のものではない、自分の要素もいくらかはまじつてゐるやうな西洋、つまりインターナシヨナル的西洋を感じて、ひどく心がくつろいだ。魚が適温の海域に入つたやうな感じであつた。

散文「父との関係2 ――アトリエにて3――」より
昭和29年(1954) 光太郎72歳

そして、そのパリで、光太郎は芸術家として、また、人間として、開眼したということになるわけです。

昨日は、都内に出ておりました。駒場の日本近代文学館さんで調べ物の後、赤坂のサントリーホールさんへ。過日ご紹介した、第35回アイメイトチャリティーコンサートを拝聴。

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こちらは東京パイロットクラブさんというボランティア団体の主催行事でした。「パイロット」は一般的な「航空機等の操縦者」の意ではなく、「水先案内人」という本来の意味から転じ、社会全体の水先案内的にさまざまなボランティア活動に取り組むということだそうです。ちなみに同会の初代会長は神近市子。その後の歴代会長には村岡花子や平林たい子といった錚々たる名が並んでいます。一昨年、105歳で亡くなった日野原重明医師も名誉会員だったそうで。

「アイメイトチャリティーコンサート」は、同会の主要な活動の一つ。アイメイト(盲導犬)育成活動への助成を行うためのものとのこと。

昨日は、以前からこのコンサートに出演されてきた女優の一色采子さんが「智恵子抄」の朗読をなさるというので、はせ参じた次第です。

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開場前から長い行列。大ホールではなくブルーローズ(小ホール)での開催でしたが、キャパ400席弱の7割ほどが埋まったでしょうか。

開演前の一コマ。

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かつては美智子さまが皇后陛下時代にいらしたことも何度かおありだそうで、昨日ももしかしたら、と思っていましたが、それはありませんでした。ただ、お嬢様の黒田清子さんがお見えでした。黒田さんはほぼ毎年いらしているようです。

一色さん、まずは第1部の最後でご登場。「詩と音楽のマリアージュ 高村光太郎作「智恵子抄」より」ということで、ピアニスト田中健さんの奏でるショパンの楽曲に乗せ、「人に」(大正元年=1912)、「あどけない話」(昭和3年=1928)、「樹下の二人」(大正12年=1923)、「レモン哀歌」(昭和14年=1939)の4篇を朗読なさいました。

一色さんの朗読を拝聴するのは、一昨年、二本松の智恵子の生家での催し以来2度目でしたが、凛とした中にも情感溢れる朗読で、いい感じでした。何度も書いていますが、一色さんのお父様の故・大山忠作画伯が智恵子と同郷で、智恵子をモチーフにした作品も複数遺され、そうしたご縁で智恵子顕彰にも一役かわれている次第です。

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第2部では、オペラの名曲の数々。その進行役を一色さんが務められました。

出演された音楽家の皆さん、非常にハイレベルでした。

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第2部のピアノ伴奏でご出演の渕上千里氏、前述の二本松での一色さんの朗読に際し、電子ピアノで伴奏をなさっていましたし、かつて故・平吉毅州氏作曲の混声合唱組曲「レモン哀歌」CD(平成11年=1999 フォンテック)に、ピアノで参加されていました。

実際にアイメイト(盲導犬)と共に生活されている音楽家の方の演奏もありました。その方々の演奏中、ステージでおとなしく座っている姿はほほえましいものでした。

インタビューもあり、ピアニストの高橋雅枝さんという方、右手の点字の楽譜を左手で読みながら右手の練習を、右手で左手の点字の楽譜を読みながら左手の練習をなさり、それぞれを覚えてから両手で演奏されるということで、なるほど、そういうふうにするのかと、初めて知りました。視覚障害のあるピアニストの方、皆さんがそうなさっているのでもないのでしょうが。

終演後のカーテンコール。アイメイト君も真ん中に写っています。

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さらに一色さんとお話しさせていただき、こちらも。

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なかなか見聞の広まる経験となりました。


【折々のことば・光太郎】

街を歩いて、あちこちで見かけた詩のかけらをこの冬中に詩集にまとめたい。すさまじいもの、浅間しいもの、いくつにも分れているような美をひつくるめた面白さだな。都会人の心なら、だれでも知つている東京の魅力だ。ほんとうは東京を礼賛したかつたんだが、街をうたえばどうしてもエレジーになる。結局、東京はそういうところなんだ。

談話筆記「新春放談」より 昭和29年(1954) 光太郎72歳

それを詩集にまとめるという構想は実現しませんでしたが、前年には「東京悲歌」という詩も書いた光太郎。岩手花巻郊外旧太田村で過ごした7年間の間に浄化されたその眼には、「東京に空が無いといふ、/ほんとの空が見たいといふ」(「あどけない話」(昭和3年=1928)という智恵子の気持ちが実感できたのではないかと思われます。

一昨日から1泊で花巻に行っておりました。

昨日は、郊外旧太田村で、第62回高村祭。昭和20年(1945)、本郷区駒込林町のアトリエ兼住居をを空襲で失った光太郎が、宮沢賢治の実家や賢治の主治医・佐藤隆房らの勧めで、花巻に疎開。そのために東京を発った5月15日に、毎年、高村祭が開催されています。

例年は光太郎が7年間暮らした山小屋(高村山荘)敷地内の「雪白く積めり」詩碑(光太郎の遺骨ならぬ遺髯が埋まっています)の前で行っていましたが、昨日は朝まで本格的な雨だったため、数百メートル離れた旧山口小学校跡地の、スポーツキャンプ村屋内運動場(通称・高村ドーム)での実施となりました。こちらが会場となるのは平成24年(2012)以来のことでした。

前日から、光太郎もよく泊まっていた大沢温泉さんに宿泊していましたが、朝5時過ぎに宿を出、レンタカーで旧太田村、高村山荘に。

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5時半から会場設営と言うことで、そのお手伝いです。その時点でかなりの雨だったので、高村ドームでの開催が決定。早速、作業にかかりました。当方、高村祭で講演などを仰せつかったりもしますが、こういう力仕事の方が性に合っています(笑)。

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ほぼ終わったところで、宿に戻りました。5時過ぎではチェックアウトも出来なかったので。ついでに雨に濡れた体を露天風呂で温めました。

そして再び旧太田村。シャンソン系歌手のモンデンモモさん、舞踊家の増田真也さんと落ち合い、開会前に周辺をご案内しました。そのあたりは明日書きますので省略。

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午前10時、開会。

光太郎遺影に献花・献茶の後、市立西南中学校の生徒さんの先導で、光太郎詩「雪白く積めり」(昭和20年=1945)を全員で朗読。その後、主催者ということで、花巻高村光太郎記念会の新会長・大島俊克氏のご挨拶など。

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山口小学校が統合された太田小学校さん2年生児童の合奏、光太郎詩「案内」の群読。それから旧山口小学校の校歌斉唱。光太郎作詞ではありませんが、光太郎や当会の祖・草野心平のアドバイスは入っているとのこと。それにしても数十年前に廃校になった学校の校歌が歌い継がれているというのは驚きです。

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西南中学校さん1年生諸君は、光太郎を詠み込んだ歌詞の「西南中学校精神歌」。さらに語りも今年は今までより充実していました。

詩の朗読で、花巻南高校さんと花巻高等看護専門学校の生徒さん。

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花巻高等看護専門学校の皆さんは、さらに合唱も。

第1部の最後は、総合花巻病院さんの後藤勝也院長による記念講演「高村光太郎と花巻病院」。

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花巻病院、そして先述の佐藤隆房元院長と光太郎とのエピソードなどをご紹介下さいました。後藤院長ご自身、幼い頃に花巻電鉄の車内で光太郎が向かいの席に座ったというご経験がおありだそうでした。

昼食後、第2部。地元の方々のお祭り的な要素が色濃く残っています。光太郎がこの地にいた頃は、旧山口小学校でこの時期に運動会(光太郎もビンつり競走に出場しました)が実施され、それが地区全体のイベントのような感じでしたが、それが高村祭に引き継がれているように思われます。

トップバッターは、昨年から参加して下さっている花巻農業高校鹿(しし)踊り部の皆さん。昨夏、長野県で行われた第42回全国高校総合文化祭郷土芸能部門で、見事、最優秀賞を受賞されました。

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勇壮な演舞でした。激しい動きで、しかもかなり長時間。こりゃ大変だ、と思っていましたところ、踊り終わってかぶりものを取ったら、何と、女子生徒も2名混ざっていまして、驚きました。

ちなみにこの鹿踊りに触発されて現れたのでしょうか、この後、会場を後に新花巻駅を目指してレンタカーを発車したところ、会場すぐ近くの山口集落の中心あたりで、野生の鹿(牝鹿でした)に遭遇しました。このあたり、年に3、4回は訪れているのですが、鹿に遭遇したのは初めてで、これにも驚きました。残念ながら急いでいたので、車を駐めて写真を撮る余裕がありませんでしたが。

閑話休題、高村祭に戻ります。

続いては地元の婦人会の皆さんの踊り。婦人会といいつつ、歌と太鼓は男性の方(笑)。しかもお一人は、昭和24年(1949)、サンタクロース姿の光太郎と一緒に写真に収まった高橋征一さんでした。

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改めてこの山口小学校があった場所で高村祭が行われているんだなと、感慨深いものがありました。

そして、モンデンモモさん。

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光太郎詩にオリジナルの曲を付けた「道程~冬が来た」「案内」「もしも智恵子が」の3曲を熱唱。

ここまで拝見拝聴したところで、家庭の事情もあり、早く帰らねばならず中座させていただきました。

帰ってからネットを開くと、早速、IBC岩手放送さんのローカルニュースがアップされていました。

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詩人で彫刻家の光太郎を偲ぶ「高村祭」/岩手・花巻市

 岩手ゆかりの詩人で彫刻家の高村光太郎を偲ぶ「高村祭」が15日、花巻市で開かれました。
 高村光太郎は、詩集「道程」や「智恵子抄」などの作者として知られています。62回目を数える今年の高村祭は、朝方の雨の影響で光太郎が過ごした高村山荘に近い、屋内運動場に場所を移して開かれました。
(朗読)
「雪白く積めり…」
 高村祭は、74年前の5月15日に光太郎が戦火を逃れて東京を発ち花巻に疎開したことから、毎年この日に開催されています。地元の中学生や高校生が光太郎の詩の一節を引用した歌や、作品の朗読を披露しました。
(合唱)
「心はいつもあたらしく…」
(朗読)
「岩手山があるかぎり南部人種は腐れない新年はチャンスだあの山のように君らはも一度天地に立て」
(花巻南高校3年・三浦莉奈さん)
「(光太郎の詩は)聞いている人にダイレクトに届く人に伝わりやすい」
 会場には県の内外から多くのファンが足を運び、朗読やコーラスに耳を傾けて光太郎に思いを馳せていました。


手作り感溢れる、しかし盛大に行われた高村祭。泉下の光太郎、面はゆい思いをしつつも喜んでいるのではないでしょうか。

明日も関連する内容で。


【折々のことば・光太郎】

以前にはパリの「空気」ベルリンの「空気」と並んで、東京の「空気」があつた。それが今は「東京」といつても何もないではないか。ただもの珍しい文化のかけらが、尖つたガラスの破片が散らばつているようにそこらにあるだけで、私はそうしたものにはぶつかるが「空気」を感ずることができない。

談話筆記「おろかなる都」より 昭和27年(1952) 光太郎70歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため再上京した直後のインタビューから。7年ぶりに見た生まれ故郷・東京は、光太郎の目にはこう映っていたのです。

光太郎詩の朗読を含む演奏会情報です。

第35回アイメイトチャリティーコンサート

期    日 : 2019年5月25日(土)
会    場 : サントリーホールブルーローズ(小ホール)  東京都港区赤坂1-13-1
時    間 : 開場12:30 開演13:00
料    金  : 5,000円 全席自由 収益は公益財団法人アイメイト協会へ寄付

プログラム
 第1部
        会長挨拶
       ピアノ独奏 高橋雅枝(アイメイト)
       ソプラノ独唱 大石亜矢子(アイメイト)
       お話「アイメイトと共に」 アイメイト使用者
       詩と音楽のマリアージュ 高村光太郎作「智恵子抄」より
                    朗読 : 一色采子 ピアノ : 田中健

 第2部 オペラコンサート~オペラの名曲を集めて~
       構成・演出 : 原純  ピアノ : 水谷真理子/田中健/渕上千里
       語り : 一色采子   バイオリン独奏 : 松井利世子
       モーツァルト「ドン・ジョバンニ」より    ドニゼッティ「ルチア」より
       サン・サーンス「サムソンとデリラ」より  ヴェルディ「オテロ」より 他
       ソプラノ:鎌田滋子、大石亜矢子、加賀山弥生  メゾソプラノ:仲野玲子
       テノール:工藤和真    バリトン:大貫史朗、ヴィタリ・ユシュマノフ

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「アイメイト」は、いわゆる盲導犬ですが、公益財団法人アイメイト協会さんは、「盲導犬という呼び方では、「利口な犬が盲人を連れて歩いている」と受け取られがち」とのことで、「アイメイト」という呼称を使用しているそうです。

女優の一色采子さんによる「智恵子抄」抜粋の朗読がプログラムに入っています。「智恵子抄」系は、一昨年、二本松の智恵子の生家で朗読されています。何度かご紹介していますが、一色さんのお父様の故・大山忠作画伯は智恵子と同郷の二本松ご出身。智恵子をモチーフにした作品も複数遺されています。その遺作の数々が寄贈されて設立されたのが、二本松駅前の大山忠作美術館さん。一色さんが名誉館長です。

一色さん、アイメイト活動へのご協力も以前からされていたとのことで、このコンサートへのご出演も毎回のようになさっているようです。以前には現在の上皇后さま(当時は皇后陛下)もご臨席下さったということです。

ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

そんなに食事にやかましい僕が、お酒を飲むのは感心できないが、まあ、一つぐらい悪いことをしなくちゃ……なんでも完全というのは危険である。

談話筆記「たべものの話」より 昭和27年(1952) 光太郎70歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため再上京した直後のインタビューから。栄養を考え、基本的に自炊生活を続けた光太郎ですが、夜は当会の祖・草野心平の経営する居酒屋「火の車」などで杯をあけることもたびたびでした。

昭和20年(1945)、宮沢賢治の実家の誘いで、光太郎が岩手花巻に疎開するため東京を発った5月15日、光太郎を偲ぶ高村祭が、毎年、手作りのイベントとして、光太郎が7年間の独居自炊生活を送った旧太田村の山小屋(高村山荘)敷地内で行われています。

第62回 高村祭

期 日 : 2019年5月15日(水)
会 場 : 高村山荘 「雪白く積めり」詩碑前広場 岩手県花巻市太田3-85-1
         雨天時はスポーツキャンプむら屋内運動場 岩手県花巻市太田11-363-1
時 間 : 10:00~14:30頃
料 金 : 無料
内 容 :
 式典
  児童生徒による詩の朗読、器楽演奏、コーラス等
  特別講演 「高村光太郎と花巻病院」 講師 後藤勝也氏(総合花巻病院院長)
  花巻と光太郎の縁を取り持った総合花巻病院創設者・佐藤隆房と高村光太郎の関係

無料臨時バス運行 
 往路  花巻駅西口発 午前9時30分   高村山荘着  午前9時50分
 復路  高村山荘発   午後2時30分   花巻駅西口着  午後2時50分

光太郎が花巻に疎開してきた5月15日に毎年開かれる「高村祭」。光太郎が暮らした高村山荘にある「雪白く積めり」の詩碑の前では、地元の小・中学生や高校生、花巻高等看護専門学校生による合唱や楽器の演奏、詩の朗読などが行われます。また、この日は無料で高村光太郎記念館・高村山荘に入館できます。

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山荘周辺、新緑の美しい季節ですし、この日は山荘に隣接する花巻高村光太郎記念館さんも入場無料。ぜひ足をお運びください。

ついでというと何ですが、先週の『秋田魁新報』さんに載った記事をご紹介しておきます。

「気ままな旅」花巻・高村記念館へ行く

 3月下旬、新青森駅7時43分発はやぶさ10号で盛岡へ向かう。目的地は花巻市太田にある高村光太郎記念館・高村山荘。列車は1時間で盛岡駅に到着した。
 駅内のカフェで朝食をとり、トヨタレンタカー盛岡駅南口店で小型乗用車・ヴィッツを借りる。カーナビに行く先をセットし、盛岡南インターから東北自動車道へ入る。約30分車を走らせ、花巻南インターでおりる。記念館まで11キロ。
 県道12号(花巻大曲線)を右折して、道なりに10分程行くと県道37号(花巻平泉線)と交差する。前方に「花巻南温泉峡」のアーチ看板を確認し、交差点を左折してすぐ高村橋(豊沢川)にかかる。ここから5分くらいで記念館に着く。
 高村光太郎記念館・高村山荘は2015年4月28日にリニューアルオープンしている。森の中にある、白く瀟洒(しょうしゃ)な記念館はこぢんまりとして温もりに満ちていた。切妻(きりづま)屋根(漆黒(しっこく)と銀色)の建物が左右に2棟(母屋(おもや)と離れ、あるいは夫婦のように)並び渡り廊下で繋(つな)がっている。母屋は入り口(受付)・展示室1・詩朗読コーナー・休憩コーナー・土産品(色紙、書籍、絵葉書)コーナー等で、離れは展示室2・企画展示室で構成されている。
 特に展示室1では代表作の彫刻や詩が紹介されていた。たとえば十和田湖畔に建つ裸婦像「乙女の像」の中型試作(妻・智恵子がモチーフ)父・高村光雲の還暦記念として制作された胸像試作「光雲の首」(欧米留学後初の彫刻作品)近代的感覚を表現した、天を真っ直ぐ貫くような人差し指「手」のレプリカ(実際に触れて体感できる)をはじめ「道程」「レモン哀歌」などの詩作品も鑑賞できる。また展示室2は、「東京からみちのく花巻へ」「地上のメトロポオルを求めて」「書について」「賢治を生みき、我をまねきき」のテーマで、高村光太郎の人物像が多面的に理解できるように演出されていた。 そもそも彫刻家、詩人として知られた高村光太郎の記念館が花巻市太田(旧太田村山口)にあるのは、戦火で東京のアトリエを失い、花巻へ疎開してきたことによる。7年間、太田村山口で山居生活を送りながら多くの詩や書を残した。特に書には一家言をもち「正直親切」「大地麗(うるわし)」といった名作を学校などに寄贈する一方、トレードマークの彫刻については封印していた。それは戦時中の己の翼賛活動を恥じ入る、自分への罰であった。
 光太郎は村人との交流により、この地に文化の花を咲かせ、国際的な連携拠点となるようなメトロポオル(中心地)の建設を夢見た。すべては花巻へくる奇縁になった宮沢賢治との出会いにある。光太郎は賢治を認め、世に知らしめた。「宮沢賢治全集」の題字を手がけたり「雨ニモ負ケズ」の詩碑を揮毫(きごう)したり。彼の短歌が物語る。「みちのくの花巻町に人ありて賢治をうみき われをまねきき」
(東北女子大学家政学部教授 船水周)




【折々のことば・光太郎】

わたしはいつも新年には国旗を立てるが、四角な紙にポスターカラーで赤いまんまるをかいて、それを棒のさきにのりではり、窓の前の雪の小山にその棒をさす。まつ白な雪の小山の上の赤い日の丸は実にきれいで、さわやかだ。空が青く晴れているとなおさらうつくしい。

散文「山の雪」より 昭和25年(1950) 光太郎68歳

同じ件を、同じ年に書いた詩「この年」でも取り上げています。

  この年000
 
 日の丸の旗を立てようと思ふ。
 わたくしの日の丸は原稿紙。
 原稿紙の裏表へポスタア・カラアで
 あかいまんまるを描くだけだ。
 それをのりで棒のさきにはり、
 入口のつもつた雪にさすだけだ。
 だがたつた一枚の日の丸で、
 パリにもロンドンにもワシントンにも
 モスクワにも北京にも来る新年と
 はつきり同じ新年がここに来る。
 人類がかかげる一つの意慾。
 何と烈しい人類の已みがたい意慾が
 ぎつしり此の新年につまつてゐるのだ。
 
その若き日には、西洋諸国とのあまりの落差に絶望し、「根付の国」などの詩でさんざんにこきおろした日本。老境に入ってからは15年戦争の嵐の中で「神の国」とたたえねばならず、その結果、多くの若者を死に追いやった日本。そうした一切のくびきから解放され、真に自由な心境に至った光太郎にとって、この国はことさらに否定すべきものでもなく、過剰に肯定すべきものでもなく、もはや単に世界の中の日本なのです。
 
素直な心持ちで紙に描いた日の丸を雪の中に掲げる光太郎。激動の生涯、その終わり近くになって到達した境地です。

まずは横浜から。

ロコさんの朗読会 春風にさそわれてよむ詩~「智恵子抄」~「ポケット詩集」

期 日 : 2019年4月19日(金)
会 場 : Kikcafe  神奈川県横浜市保土ケ谷区岩井町29-4
時 間 : 14:00~16:00
料 金 : 1,000円 ワンオーダー制
出 演 : ロコさん(石川弘子)
      まりこミュージアム読み会を経て2003年横浜を中心に小学校での読み聞かせ開始
      紙芝居劇場、大人のための絵本、朗読会活動を継続中

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ロコさんこと石川弘子さん、一昨年には世田谷の上用賀アートホールさんで開催された「真理パフェFourth」という公演の中でも「智恵子抄」を取り上げて下さり、当方、拝聴して参りました



続いて、北海道から。うっかりしていて当日になってしまいました。こういうイベントもあったんだということで

朝日カルチャーセンター 朝日JTB・交流文化塾講座 佐藤春夫『小説智恵子抄』を読む

期   日 : 2019年4月16日(火)
           札幌市中央区北2条西1丁目 札幌ANビル4階
時   間 : 10:30~12:00
料   金 : 1,944円
講   師 : 佐藤 雅子(朗読コーチ・フリーアナウンサー) 

これから朗読を始めてみようという方、少し経験のある方に。まず自分の自然な声を見つけましょう。腹式呼吸と息の使い方をしっかり覚えていただきます。高村光太郎の詩集『智恵子抄』をもとに佐藤春夫が紡いだ二人の物語『小説智恵子抄』。「あれが阿多多羅山…」で始まる有名な詩「樹下の二人」をモチーフにした場面を選び、朗読を楽しみます。


『小説智恵子抄』は、光太郎が亡くなった昭和31年(1956)から翌年にかけ、雑誌『新女苑』に「愛の頌歌(ほめうた) 小説智恵子抄」の題で連載されたものです。昭和32年(1957)、実業之日本社から刊行され、角川文庫のラインナップにも入りました。KADOKAWAさんのサイトで検索するとヒットしますので、絶版となっているわけではないようです。

著者は、「連翹忌」の名付け親にして、明治末から光太郎に親炙した佐藤春夫。光太郎を直接知る人物のそれだけに、光太郎智恵子の姿が実に生き生きと描かれています。昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」(岩下志麻さん主演)は、「原作」としてこの「小説智恵子抄」をクレジットしています。


来月には、サントリーホールで、当会会友・一色采子さんによる「智恵子抄」朗読も行われます(また近くなりましたらご紹介します)。朗読系の皆さん、どんどん取り上げていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

私は歳といふものを殆と気にとめてゐない。実は結婚する時自分の妻の年も知らなかつた。妻も私が何歳であるか訊きもしなかつた。亡くなる五六年前に一緒に区役所に行つて、初めてその時妻の年を知つたが、三つ位しか違はぬことが分つた。私は現在目の前にあるものを尊しと思ふ。

談話筆記「回想録 一」より 昭和20年(1945) 光太郎63歳

光太郎智恵子、やはりある意味豪快な夫婦でした。

結婚する時」は、上野精養軒で結婚披露宴を行った大正3年(1914)、「一緒に区役所に行つて」は、智恵子の統合失調症がのっぴきならない状態になって、ようやく入籍をした昭和8年(1933)のことです。

4月11日(木)、文京区立森鷗外記念館さんの特別展「一葉、晶子、らいてう―鷗外と女性文学者たち」、田端文士村記念館さんの「恋からはじまる物語~作家たちの恋愛事情~」展とハシゴした後、渋谷に向かいました。

目指すは渋谷区文化総合センター大和田さん内の渋谷伝承ホール。

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こちらで劇団Yプロジェクトさんのプロデュース公演「ブーケdeコンセール 詩劇と音楽」を拝見。

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2部構成で、第1部が「ラフマニノフの抒情(ロマン)」。八谷晃生さんという方によるピアノで、ロシアのセルゲイ・ラフマニノフの「プレリュードニ長調Op.23-4」と「ピアノソナタ2番Op36変ロ長調」の2曲が演奏されました。曲目の通り第2部へのプレリュード(前奏曲)的な感じでした。

そして第2部が「長編詩劇・高村光太郎の生涯 愛炎の荒野。雪が舞う、」。事前の告知で、内容的には光太郎の生涯を追う、というのは何となくわかりましたが、それをどう料理するのかまではわかっていませんでした。開演前にいただいたパンフレットを見ましたところ、出演される役者さんたちの一言ずつやプロフィールなどが。1チーム8人ずつ、2チームが交互に3日間で6公演、当方が見たのはBアクトさん(下記画像右半分の皆さん)による公演です。

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Aアクトさんを含め、「高村光太郎という芸術家の生涯を少しでも伝えられたら」、「様々な表現で高村光太郎の生涯をキャスト一丸になりお伝えします」、「光太郎という人間を全身で感じていただけると感激です」といった記述。キャスト名は書かれていません。代わりに、「劇中で語られる人物紹介」ということで、光太郎の父・光雲にはじまり、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」一帯の公園設計を担った谷口吉郎まで、50名超の名が(ただ、宮沢賢治など、この欄に抜けている人物も実際には居ました)。

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「語られる人物」であってキャストというわけではないのだろう、と思って読んでいましたところ、第2部開演。

舞台は基本、暗がりです。椅子が8脚並べられ、黒づくめの役者さんたちが座っています。第1部でピアノ演奏をなさった八谷さんがBGM的に舞台下手(しもて)隅でピアノ演奏(これがうるさすぎず、適度な音量で豊かに情感を添え、絶妙でした)。役者さんたちは、一人ずつ前に出て来て、光太郎詩文の朗読やナレーションによる状況説明。そこだけスポットが当たるようにしてありました。お一人の担当部分が終わる頃、次の役者さんが出て来てバトンタッチ。基本、その繰り返しでした。つまり、全員が光太郎というわけで、だから上記「一言」でああしたご発言だったのかと納得いたしました。

役者さんたち、それぞれに熱のこもった語りで、8人がめまぐるしく交替することで変化も生じ、当然ながら取り上げる詩文によって語り口を変え、ぐいぐい引き込まれました。単なる語りだけでなく、最小限ではありましたが動きも入り、視覚的効果も考えられていました。

前半は「智恵子抄」収録の詩篇を軸に、光太郎智恵子の純愛のドラマ的な。「なるほど、無難にまとめているな」という感でした。しかし、後半、智恵子歿後になって、ある意味、意外な展開となります。特に太平洋戦争開戦後に光太郎が大量に書き殴った翼賛詩が、かなりの数、取り上げられました。通常、演劇等で光太郎が扱われる場合、この時期はさらりと流されるのが普通です。光太郎の人生最大の汚点であるわけで(この時期こそが憂国烈士・光太郎の真骨頂、とする愚か者も多くて困っているのですが)、扱いが難しいというのが理由でしょう。

しかし、今回の公演では陰惨な、空虚な、安直な、浅薄な、愚劣な、こけおどし的な、がらんどうな、悪魔的な、紋切り型の、子供だましの 、狂気さえ感じる、罪深い翼賛詩の数々が語られました。順不同ですが、「十二月八日」、「さくら」、「シンガポール陥落」、「必死の時」、「琉球決戦」、「軍艦旗」など。光太郎に余り詳しくない観客の方々は、かなり意外の感を持たれたのではないでしょうか。

このあたりにじっくり焦点を当てる演劇は少なく、類例を挙げれば、当会会友・渡辺えりさんの脚本になる「月にぬれた手」(平成23年=2011)くらいでしょうか。木野花さん演じる老婆が光太郎に投げつけた「戦争中にこいづが書いた詩のせいでよ、その詩ば真に受げて、私の息子二人とも戦死だ。」「おめえがよ、そんなにえらい芸術家の先生なんだらよ。なしてあんだな戦争ば止めながった? なしてあおるだげあおってよ。自分は生ぎでで、私の息子だけ死ねばなんねんだ。」という台詞がありました。

といって、今回の公演も、単に光太郎をディスるだけでなく、光太郎同様に、或いはそれ以上に軽々しく大政翼賛に走った文学者たちも語られ、さらに戦後にはそういった面々が無節操な豹変ぶりをやらかしたこともやり玉に挙げていました。そして一人光太郎のみ、花巻郊外旧太田村での不自由な蟄居生活――「自己流謫(るたく)」――「流謫」は「流罪」に同じ――で、自らの罪に向き合ったことも語られました。この時代こそが、ヒューマニスト光太郎を語る上で最も重要な時期なわけで、ここをしっかり描いて下さったのもありがたいところでした。

終末は再び「智恵子抄」。「樹下の二人」(大正12年=1923)で、幕。

あらためてパンフレットを読み返してみると、最初のページに「光太郎の言葉に触れることは、時代の分節点にある今日、何かを教えてくれるのではないでしょうか」とありました。なるほど、と思いました。

終演後のホワイエ。

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急いで帰る都合があり、役者さんのお一人とだけ少しお話しさせていただき、名刺をお渡しして帰りました。

すると、昨日、脚本・演出を担当された小野寺聰氏から、自宅兼事務所にご丁寧にお電話がありまして、上記のような感想をお伝えし、その他いろいろお話しさせていただきました。そういうケースも珍しいので、恐縮いたしました。役者さんたちは、いろいろな劇団などから集まった特別編成だそうで、今のところ再演の予定はないというお話でした。ただ、光太郎の生き様的な部分に感銘を受けた役者さんもいらして、さらにちゃんとやりたいみたいなお話もあったそうです。期待したいところです。


以上、都内レポート終わります。


【折々のことば・光太郎】

今更罹災の体験などと改まつてきかれると変なもので、私などは独身者の事とて万事が簡単至極である。罹災者達の中には病人や老幼者をかかへて敢闘した人達も多い事と思ふが、さういふ人達に対して深甚の同情を禁じ得ない。
散文「罹災の記」より 昭和20年(1945) 光太郎63歳

この年4月13日(昨日ですね)の空襲で、亡き智恵子と過ごした駒込林町25番地のアトリエ兼住居は灰燼に帰しました。自らも既に老年に入っていた光太郎、自分はともかく「病人や老幼者をかかへて敢闘した人達」への気遣いを優先させています。しかし、同じ文章の終末では「敵の腰砕け、敵の気力折れ尽きるまで、戦に冷徹して、神明からうけた大和民族の真意義を完たからしめねばならない」とも発言しています。

その愚昧さに気づくまで、あと数ヶ月を要します。

4月2日、光太郎命日、連翹忌が近づいて参りました。東京日比谷公園松本楼さんでは、当会主催の連翹忌の集いを行いますが、光太郎第二の故郷ともいうべき岩手花巻でも、花巻としての連翹忌を開催して下さっています。また、当日、光太郎が暮らした山小屋(高村山荘)敷地内の「雪白く積めり」詩碑前では、地元の皆さんによる光太郎詩朗読などの「詩碑前祭」も。

今年も花巻市さんの広報紙『広報はなまき』3月15日号に案内が出ました。

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お近くの方はぜひそちらにご参加下さい。


【折々のことば・光太郎】

余事ながら、腰掛けの仕事卓に使ふ回転椅子は昔パリの百貨店ボンマルシエで買つて来た仕入物であるが、実に丈夫でまだ何ともなつていない。別に高価な品ではないのだが、金物などの作り方が丁寧親切に出来てゐるには感心する。螺旋で上下し、回転軸は別にあり、ばねで後ろへ傾くやうになつてゐる。
散文「三十年来の常用卓」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳

欅の板で自作した仕事机に関する散文の末尾の部分です。自作の仕事机は天板が台形で、体の正面に当たる部分が斜めに切ってあって、左の方が手前に張り出し、肘を載せられるようになっている作りで、これが甚だ使いやすいとのこと。たまたまそういう形の板があったのでそのようにしてみたそうです。

それとセットの椅子は、明治末の留学時にパリで購入した物を持ち帰ったそうで、記述を読むと現代ではごくあたりまえの事務椅子のようですが、当時としては珍しいものだったようです。他の文章等でもこの椅子についての記述があり、やはり高級品でなくともしっかりした作りであることに感心したと述べています。

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