カテゴリ:東北以外 > 兵庫県

基本、自然科学系の企画展示なのですが……。

身近な海のベントス展

期 日 : 2021年10月12日(火)~12月26日(日)
会 場 : 兵庫県立人と自然の博物館 兵庫県三田市弥生が丘6
時 間 : 10時~17時
休 館 : 月曜日
料 金 : 大人200(150)円 大学生150(100)円 70歳以上100(50)円
      ( )内団体料金 高校生以下無料 

水の底に生息する生物を総称してベントス(底生生物)といいます。私たちの生活圏のすぐそばにある沿岸海洋には、カニ、貝類、海藻などの多種多様なベントスが生息しています。本展示企画では、兵庫県を中心とした日本沿岸で見られるベントスと人の生活、文化、歴史との関わりについて紹介します。標本や展示を見て少しでもベントスに興味を持っていただければ幸いです。

身近な海には驚くほど多様な生物が生息しています。海の生物多様性、そして人と海、人とベントスの関係を標本、地形模型、映像、水槽展示を通してお伝えします。
・美しいカニ類、貝類、海藻類などの標本を約100点展示(予定)
・地味で不思議なベントス「フジツボ」を10種類以上水槽展示(予定)
・超貴重。詩人・高村光太郎が海を前に詠んだ短歌の直筆短冊も公開
・ダイバーが25年に渡って撮影した神戸の海洋生物を大迫力の画面でスライドショー上映
003
004
005超貴重。詩人・高村光太郎が海を前に詠んだ短歌の直筆短冊」は、当方所蔵のものです。揮毫されている短歌は明治39年(1906)、留学のため横浜港を出航したカナダ太平洋汽船の貨客船・アセニアンの船上で詠んだ短歌。翌年元日発行の雑誌『明星』未歳第1号に掲載されました。

光太郎にとって、初めての長い船旅で、季節風の影響もあり、海は大荒れ。しかも乗った船、アセニアンが総排水量3,882トン、外洋を航海する船としては小さなもので、大揺れだったそうです。そのワイルドな海に乗り出した感覚を、まるで太古の民が初めて丸木舟で外洋に漕ぎ出した時に感じた驚きのようだとしています。

その時点では「海を観て太古の民のおどろきをわれふたたびす大空のもと」。それが明治43年(1910)の雑誌『創作』に再録された際には、初句が「海にして」と改められており、以後、その形で流布しました。

短冊の初句は「海をみて」。従って、明治43年(1910)以前の揮毫と推定できます。

この短冊、元々光太郎の父・光雲の弟子であった故・小林三郎氏の旧蔵で、小林氏のご息女(この方も亡くなっています)からいただきました。富山県水墨美術館さんで今週から始まる「チューリップテレビ開局30周年記念「画壇の三筆」熊谷守一・高村光太郎・中川一政の世界展」にお貸しすることも考えていたのですが、同展、短冊や色紙などの小さな書はあまり出さず、大幅のものを中心にということで、それは無くなりました。

会場の兵庫県立人と自然の博物館さんの学芸員氏が、平成30年(2018)翌年、光太郎ゆかりの地・宮城県女川町で開催された女川光太郎祭(昨年、今年はコロナ禍のため中止)にご参加、光太郎詩の朗読をなさいまして、その関係で、こちらに貸し出し依頼が来ました。

この他、光太郎智恵子光雲関係のさまざま、依頼があれば展示等のためにお貸ししますし、当方手元に無いものは、仲介できる場合もありますので、ご関係の方、お考え下さい。

さて、「身近な海のベントス展」。コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

ねてゐうちち黒沢尻より斎藤充司氏他4人の小学教師遊びにくる、豚鍋をつくりて食事。ジン酒一本もらふ。皆「典型」持参。署名。


昭和26年(1951)1月8日の日記より 光太郎69歳


「斎藤充司氏」に関しては、こちら。日記が失われている前年の昭和25年(1950)にも、少なくとも2回、光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋を訪問し、写真を撮影しています。

「典型」は、やはり前年に刊行された、光太郎生前最後の詩集(選詩集等を除く)です。

緊急事態宣言の解除を受け、各地の美術館さん等の再開があいついで居ます。ところが、なかなか旧に復するには至らないようで、「そう来るか」というものも……。

神戸市の兵庫県立美術館さん。まずは状況をわかりやすくするために、昨日の『毎日新聞』さん神戸版から。 

超・名品展が開幕 ファン来場多く 県立美術館で7日まで /兵庫

 県立美術館(神戸市中央区脇浜海岸通1)で2日、「開館50周年 超・名品展」(毎日新聞社など主催)が開幕した。新型コロナウイルスの影響で同美術館はこの日から再開。会期は大幅に短縮されたが、初日から多くの美術ファンらが訪れている。7日まで。

 1970年に県立近代美術館としてオープン以来、節目ごとに名作展などを開催してきた。 今回は「名品とは、時の流れや見る人によって変化する」との視点で、「復活」した作品や「誰も知らない」ものにも光を当てた。絵画、彫刻、版画、写真など多彩なジャンルや時代の約100点を展示。作家は東山魁夷、小磯良平、高村光太郎、草間彌生ら多岐にわたる。
 来館した伊丹市の大学教員、 香曽我部秀幸さん(70)は「見応えのある作品が多い」と楽しそうに鑑賞していた。 混雑緩和のため、観覧は県立美術館のホームページから事前予約が必要。【木田智佳子】

003

会期は大幅に短縮された」とあり、「どのくらいだ?」と思ったところ、何とまあ、たった6日間の開催だそうです。

早速、同点について調べてみました。 

期 日 : 2020年6月2日(火)~6月7日(日)
会 場 : 兵庫県立美術館 神戸市中央区脇浜海岸通1-1-1(HAT神戸内)
時 間 : 10:00~18:00
休 館 : なし
料 金 : 一般 1,300円 大学生900円 高校生以下無料

令和2(2020)年は、当館の前身である県立近代美術館が開館して50年目にあたります。本展はこれを記念して開催するものです。
開館以来の50年。この間、日本全国のみならず世界規模で見ても、美術の概念や社会における美術に対する期待のあり方は大きく変わりました。その中で、新たに発見・発掘された名品、解釈がかわることで新たな魅力が付与された名品があり、一方、オーラの幾分かが減少することで評価の核心が見えにくくなった名品の存在があります。また、全国各地で美術館・博物館建設が進み、それらの施設が地域とのかかわりを探る中で、地域ならではの価値が見出されて名品となった作品もあることでしょう。
本展は、そのような作品の評価の変遷や、受容のされ方、あるいは作者と作品への関心が遠のくさまにも注目しながら、名品とは何か、何であったのか、そして美術館および観覧者にとって、どのような可能性を持ちうるのかを探ろうとするものです。扱う時代区分としては、当館が前身の近代美術館時代から収集や展覧会開催の対象としてきた近代を扱うこととし、各作品の開館当時の美術状況と評価の地平を探る意図から、下限を近代美術館開館の1970年前後に設定したいと思います。また、この期間の美術の流れが概観できる構成とし、あわせて県内の美術を考える上で重要な作品、当館収蔵品のうち、50年の歩みの中で評価が確立した名品なども紹介することとします。※新型コロナウイルス感染防止のため、会期変更となりました。


002

当初予定では4月11日(土)からでしたが、6月1日(月無題2)まで休館を余儀なくされ、その後、会期は変えずに6月7日(日)までとのこと。当然、この後の特別展、企画展等の予定も組んであるわけですから、これも苦渋の決断なのでしょう。たとえ6日間の開催でも、せっかく企画したからにはやるぞ、と、いうことでしょうか。

作品リストもネット上に出ており、それによれば光太郎作品は大正6年(1917)の「裸婦坐像」。ブロンズの小品です。信州安曇野の碌山美術館さん、花巻の髙村光太郎記念館さん、二本松の智恵子記念館さん、神奈川県立近代美術館さん、千葉県立美術館さんなど、各地に同型のものが所蔵されていますが、こちらは京都国立近代美術館さん所蔵のもの。おそらく、滋賀の銀行家だった野田守雄が光太郎に直接注文し、渡されたもので、数少ない大正期の鋳造です。

005

006

その他、リストを見ると、確かに「超・名品」の名に恥じぬ作品の数々。光太郎とも親交の深かった作家の作品も多数出ており、首都圏開催でしたらすぐにでも見に行きたいところです。

同館蔵のものより借り受けた作品の方が多いかな、という感じで、これだけのものを借りるだけ借りて結局展示できませんでした、ではたしかにもったいないと思います。たとえ6日間の展示でも。

観覧には予約が必要とのことですが、ぜひにという方、同館までお問い合わせ下さい。


【折々のことば・光太郎】

分らなくても宜いのか、或は分らない程宜いのか知らないが、政治家の言葉をもつとずつと分る言葉にして呉れると宜いですね。聴けば一般の人が分るやうにね。今のでは聴いただけでは分らない。

座談会筆録「芸術と生活を語る」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳

80年前からそうだったのですね。「真摯に受け止めて……」「任命責任は私にあると痛感……」「国民の皆様には丁寧な説明を……」「説明責任を果たして……」「誤解を与えたとすれば発言は撤回……」「印象操作はやめていただきたい……」「××には当たらない……」(笑)。さすがに「募ってはいるが募集はしていない」「森羅万象すべて担当しておりますので」というような、まったくもって意味不明の発言はなかったと思いますが(笑)。

先週の『神戸新聞』さんの一面コラム「正平調」。光太郎と、当会の祖・草野心平について触れて下さいました。

正平調2020・4・10

詩人の草野心平さんは東京で居酒屋を開いていた。品書きがしゃれている。「悪魔のこまぎれ」は酢だこのこと。スープは「白夜」で、ウイスキーは「炎」。さすがは言葉遊びの名手◆生活を支えるために始め、なじみの客には高村光太郎や佐藤春夫らがいたというが、商いとしては実際のところどうだったか。4年で閉じた店の名は「火の車」である◆作家の山口瞳さんがサントリーの社員だったころ、「バー調査」なる仕事があった。著書に書いている。夜ごと酒場に足を運んで客のふりをし、1時間でトリスは何杯売れたか、ソーダは何本…と数えたそうだ◆トリスが1杯30円の店もあった時代で、会社から500円をもらい一晩に3軒まわる。ぐびりとのどを鳴らす音が聞こえそうだが、仕事となれば苦労も多かったとか。いずれにせよ、景気のいい話には違いない◆酒場に限らず、いま町のお店で調査をすれば、聞こえてくるのは火の車の悲鳴と損失補償を求める声、声、声だろう。外出自粛の要請で客が来ない。といって店を閉めれば収入の道は途絶える。どうすりゃいい◆政府はしかし、個別の休業補償には後ろ向きという。みなが額に汗して働き、まじめに税金を納めてきたのはこういうときのためではなかったのかい。

新型コロナに伴う居酒屋等への休業要請→損失補償無し→火の車。なるほど。

概して地方紙さんは「忖度」の必要性があまりないようで、政権に対しての手厳しい論調が目立ちます。全国の52新聞社さんと共同通信さんのニュースを束ねた地方紙連合「47NEWS」のサイトには、こんな論評も。おそらく、いくつかの地方紙さんには紙面にも載ったのではないでしょうか。

いったい何だったのか「緊急事態宣言」対策失敗でも責任取るつもりない安倍首相

 新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、安倍晋三首相が7日に発令した緊急事態宣言。本来なら大きな局面転換のはずである。だが、結果として宣言の発令後も多くの人々が出勤などのために外出し、多くの店も営業を続けざるを得ない状況になっている。それどころか、宣言から3日を経た現在も、休業補償を要請する店舗や施設などの範囲すら分からない。「決められない政治」も極まれりである。(ジャーナリスト=尾中香尚里)

 ▽国民の痛み和らげる「補償」を否定
 緊急事態宣言とは一体何だったのか。そんな疑問がわいてくる。
 感染拡大の防止に向け、本気で国民の行動変容が必要だと首相がいうなら、まず「十分な補償によって国民の生活を守りきる」ことをしっかりと示した上で、外出自粛や休業を要請しなければならなかった。ところが首相のしたことは、逆に国会質疑や記者会見で「補償を行わない」方針を明確に伝えることだった。
 これで国民の行動変容を促せるわけがない。それどころか、このままでは感染拡大を抑えられないまま、いらだつ首相がさらなる強制力を求めて憲法改正など「不要不急」の政治案件に傾き、コロナ対策がさらに置き去りにされる、という最悪の展開になりかねない。
 今回の緊急事態宣言は、憲法改正のテーマに挙げられる「緊急事態条項」とは全く異なり、現行の日本国憲法による制約を受けている。その発令は、首相が国民に一方的に何かを求めるだけのものであってはならない。宣言発令の最大の意義は、感染拡大を食い止めるため「全ての責任を持つ」と、首相が国民に誓うことだ。
 痛みを伴う協力を国民に求めなければならない。しかし、その痛みを可能な限り和らげる責任は、自らが引き受ける。首相はそのことを誠心誠意、全身全霊をかけて国民に訴えなければならなかった。
 痛みを和らげるために最低限必要なのが「補償」である。補償によって将来への安心感が得られれば、さまざまな私権制限に対する国民の協力が得やすくなり、感染拡大の防止につながるはずだ。
 ところが、安倍首相は宣言発令に先立つ7日の衆参の議院運営委員会の質疑で、「民間事業者や個人の個別の損失を直接補償することは現実的ではない」と答弁した。むしろ「補償を行わない」メッセージを強く打ち出してしまったのだ。

▽「感染症対策」=「経済対策」なのか?
 与野党問わず多くの質問者が補償について尋ねたが、答弁は毎回、見事に同じ表現。官僚の答弁書をただ読んでいるだけだった。補償が難しいなら難しいなりに、多少なりとも苦渋をにじませる表現や表情の一つもあればまだ良かったのだが、全く無機質な答弁が、壊れたテープレコーダーのように繰り返された。
 ここで問題にしたいのは、補償を否定したこと自体ではない。その「理由」である。答弁で首相はこう言っていた。
 「直接の自粛要請の対象となっていない分野においても、売り上げや発注の減によって甚大な影響が生じていることも勘案すると、政府としてさまざまな事業活動のなかで発生する民間事業者や個人の方々の個別の損失を直接補償することは現実的でない」
 この答弁からうかがえるのは、首相は「休業補償」を「経済への悪影響を防ぐための対策」と考えており、「感染症対策」として見ていない、ということだ。
 「経済対策」と「感染症対策」は明確に違う。東京電力福島第1原発事故で「原子力緊急事態宣言」を発令した経験を持つ菅直人元首相が、8日のブログでその点を指摘している。以下に引用したい。
 「例えば夜、国民が盛り場で酒を飲むことをやめさせるためには、国民に『店に行かないように』と訴えるより、店自身に一時休業してもらう方がより確実です。こうした店に、休業に伴う減収分の補償をしっかりと約束した上で休業を要請すれば、店側も安心して従うはずです。
 総理は7日の国会質疑で『民間事業者や個人の方々の個別の損失を直接補償することは現実的ではない』と繰り返し答弁しました。理由は、経済的な影響は休業を直接要請する店だけでなく、そこに材料を卸している業者にも及ぶため、店だけを休業補償することはできない、ということのようです。
 しかし、実際に人と人が接触する場所はお店です。お店に休業してもらえば、人と人の接触は確実に減り、感染を減らすことができるはずです。補償はそのために行うべきなのです」

▽居酒屋に休業要請と補償が必要な理由
 首相は感染拡大の防止に向け「人と人との接触を8割削減する」必要があることを訴えた。そんなことを国民の努力だけに求めても無理だ。まず国として「人と人とが接触する場をできるだけ作らせない」ことに全力を挙げなければならない。例えば国民に「飲み会を避けてほしい」のなら、国民に「飲み会はやめて」と言うだけでなく、国として「飲み会を行う場所をふさぐ」ために、居酒屋に一時休業を求めるべきなのだ。
 もしそうなれば、それは居酒屋に対する大きな私権制限である。居酒屋の経営は壊滅的な打撃を受ける。だから、首相は十分に言葉を尽くして居酒屋側に休業への協力を求めつつ、同時に十分な補償を約束し、居酒屋が自発的に休業に協力しやすい状況をつくることが肝要なのだ。休業を求める期間をできる限り短くし、その間に感染拡大を抑止できるよう最大限の力を尽くすことは言うまでもない。
 居酒屋への休業補償が「経済対策」ではなく「感染症対策」であること、すなわち「人と人との接触の場をふさぎ、感染拡大を防ぐ」という目的を達成するために補償が必要なのだ、ということを明確に理解していれば、「(居酒屋の)関連業界に補償しないこととの不公平さ」を気にした答弁は出てこないだろう。
 もちろん、苦境に立つ関連業界を救うための経済対策は、別途行うべきだ。しかし、あの首相答弁は、政権が施策の目的とその優先順位を理解できていないことを露呈したという点で、大きな不安を抱かせるものだった。
 この問題に限らないが、首相は結局、今回のコロナ問題を経済問題としか考えていない気がしてならない。発想の起点がいちいち「国民の生命と健康を守る」ことではなく「景気の悪化を防ぐ」ことにあるのだ。
 だから、事業規模108兆円の緊急経済対策にコロナ収束後の観光やイベントのキャンペーン費用が盛り込まれ、その総額が国民への現金給付の規模より大きかったり、「お魚券」「お肉券」などの消費喚起策が取り沙汰されたりする。
 そう言えば、西村康稔経済再生担当相は8日、緊急事態宣言の対象7都府県知事とのテレビ会議で「休業要請の2週間程度見送り」を打診したとの報道も流れた。この件については菅義偉官房長官が9日の記者会見で「そうした事実は承知していない」と否定したが、こうした報道が流れること自体、政権がコロナ対策を「景気対策」と考えていることの証左と言えるし、政府の発信の混乱は「政権の意思決定過程がどうなっているのか」という別の不安を抱かせる。ただでさえ不安な多くの業者を、さらに混乱に陥れている。
 こんなことで、首相がうたう「2週間後には感染者の増加をピークアウトさせ、減少に転じさせる」ことが、本当にできるのか。極めて心許ない。

001 000

 ▽この有事に、憲法改正の活発な議論?
 今懸念しているのは、こうした政権の対応のまずさによって、結果として感染拡大を防げなかった時、首相がどういう態度に出るかである。
 安倍政権がコロナ問題でこんなにも腰の引けた対応しかできないのであれば、おそらく2週間で感染拡大を食い止めるのは難しいだろう。政治決断によってこれだけ国民に多くの負担を強いておいて、感染拡大防止に失敗したのであれば、当然政治責任を負うべきはずである。だが、安倍首相は7日の記者会見で「私が責任を取ればいいというものではない」と言い放った。
 この発言だけでも衝撃的だったが、筆者が危機感を抱くのはその後である。首相が自らの政治責任を取ることなく、その座に居座った後に「緊急事態宣言には罰則規定がないから国民の外出を止められなかった」などと言って、自分たちの無策による結果を法律に転嫁し、それを改憲によるさらなる「強権」獲得への理由付けにしかねない、ということだ。
 その兆候はすでにある。記者会見に先立つ衆院議院運営委員会。安倍首相は、憲法改正による緊急事態条項の導入について質問した日本維新の会の遠藤敬氏に対し「新型コロナウイルス感染症への対応も踏まえつつ、国会の憲法審査会の場で、与野党の枠を超えた活発な議論を期待したい」と答えたのだ。
 少なくともこうしたことは、感染拡大を防ぐために「もうこれ以上の手はない」と自他ともに認めるだけのあらゆる手立てを尽くすまで、どんなことがあっても決して口にすべきではない。そもそも憲法改正といった大きなテーマの議論は、最低でも「平時」に行うべきことだ。自ら緊急事態宣言を出しているような「有事」の今、どさくさに紛れて議論すべきことでは決してない。
 今は新型コロナウイルスの感染拡大防止に全力を注ぐべき時だ。緊急事態宣言を含め、現行法で政権が現在手にしている「道具」を十分に使い切って、あらゆる対策を行うべき時だ。それをしないうちに「道具が悪い」としてさらに強力な「武器」を求めるのは、単に政権の能力不足を棚に上げているだけだ。そのことを強く自覚してほしい。


いかが思われますか?


【折々のことば・光太郎】

いろいろありますが、その一例 トルストイ著 人生読本

アンケート「家庭教育によいよみもの」全文 昭和7年(1932) 光太郎50歳

トルストイの『人生読本』は、明治20年(1887)の刊行。おそらく光太郎が読んだのは、昭和3年(1928)の八住利夫訳(春秋社)だと思われます。

アンケートに回答した昭和7年(1932)といえば、7月には智恵子が睡眠薬アダリンを大量に服用しての自殺未遂も起こしました。アンケート自体は3月に発表されていますので、その少し前ですが、前年頃から智恵子の心の病は誰の目にも明らかになっており、光太郎、「人生」について色々考えるところがあったのかもしれません。

兵庫県のギャラリーでの展示情報です。 

井上よう子展 ―言葉がくれたもの―

期 日 : 2019年12月7日(土)~12月18日(水)
会 場 : 
ギャラリー島田 神戸市中央区山本通2-4-24リランズゲートB1F・1F
時 間 : 11:00-18:00 ※最終日は16:00まで
料 金 : 無料


小学時代「アンネの日記」に衝撃を受け、中3での姉の死から大きな喪失感を抱えた高校時代は、石川啄木「一握の砂」「悲しき玩具」、高村光太郎「智恵子抄」に、失われゆく自己・存在・命への愛おしさ、激しくはない静かな言葉にこそ宿る深淵な哀しみを共感していた。描き続けてきた絵には、そんな言葉達から受けた物が少なからず影響していると思う。
近年「言葉」に寄り添う依頼が重なり、不思議な気持ちでいる。
白石一文さんの小説への挿絵、後藤正治先生の「節義のために」「言葉を旅する」の装幀画…他。今年は村上春樹展や装幀画展、図書館での展示依頼。
変わらずブルーに塗れ、光を追いながら、言葉と共に…の展を構想しています。
井上よう子

30年前に出会い、すでに画ける人だった。そのころから青を基調にしていたが、誠実極まりない表現者としての深化を伴走できたことはこの上ない喜びだ。命あるものは必ず逝く。その哀切を抱きながら人は生きる。死や別離の降り積もる体験が抒情を削ぎ落とし、近作では荘厳の気配に満ちながら射し落ちる光が背筋を正す。日常でも画作においても「生きること」を飽まず問い続ける姿勢は、恩師、三尾公三の「完成度、インパクト、発想の斬新性、格調」の教えへのまっすぐな応答である。
島田誠

008


『毎日新聞』さんの兵庫版に紹介記事が出ています。 

言葉の力、絵に添えて 西宮の井上さん個展 神戸・18日まで /兵庫

 青を基調にした風景画や室内画に取り組んできた西宮市在住の画家、井上よう子さん(61)の個展が、神戸市中央区山本通2のギャラリー島田で開かれている。18日まで。今回は「言葉がくれたもの」というテーマを掲げた。青の陰影や光の描写が深化した絵画40点が並ぶ2会場には、小説や随筆の一節が、所々に小さく掲示されている。学生時代に好きだったという高村光太郎の「智恵子抄」、青に言及される村山由佳の「ヘヴンリー・ブルー」……。 井上さんは「作家の陳舜臣さんのエッセーや白石一文さんの新聞小説の挿絵など、近年は言葉に引き寄せられる仕事に恵まれましました。振り返ると、学生時代からさまざまな言葉に有形無形に刺激を受けてきたので、展示に加えてみました。散文詩的に楽しんでもらえたら」と話す。
 入場無料。ギャラリー島田(078・262・8058)。

000


000 001



「智恵子抄」からインスパイアされた作品も並んでいるとのことで、ありがたく存じます。

ご都合の付く方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

北原白秋さんの「邪宗門」が出版された時にはまつたく驚いた。日本語がこんなにも自由に、又こんなにも豊麗に使へるのかと思つた。

散文「あの頃――白秋の印象と思ひ出009――」より
 昭和18年(1943) 光太郎61歳


『邪宗門』は光太郎が欧米留学から帰国した明治42年(1909)に易風社から上梓されました。その後の光太郎詩にも大きく影響を与えていると言えるでしょう。

2年後の同44年(1911)には、版元を東雲堂書店に移し、第二版が刊行。光太郎が装丁、表紙絵を担当しました。

上記井上さんは青を基調としていますが、赤を効果的に使った光太郎の装幀も美しいですね。

兵庫県から企画展情報です。 

春季特別展示 書寫山圓教寺―歴史を語る美術と工芸

期 日 : 2018年4月21日(土)~6月3日(日)
会 場 : 書写の里・美術工芸館 兵庫県姫路市書写1223番地
時 間 : 午前10時~午後5時
料 金 : 一般 300円  大学・高校生 200円  中学・小学生 50円
       20人以上の団体は2割引
休館日 : 月曜日(休日を除く)、休日の翌日(土曜・日曜、休日を除く) 
          4月24日(火)から5月6日(日)までは無休

 書寫山圓教寺(しょしゃざんえんぎょうじ)は平安時代に性空上人(しょうくうしょうにん)によって開かれた天台宗の古刹で、西国巡礼第27番札所として今日も参拝者が絶えることはありません。標高371mの人里から隔絶した山上の境内は、今も聖域としての凛とした空気が流れ、法灯を守り続けてきた伝統が感じられます。
 平成30年は西国三十三所草創1300年と位置づけられており、特に書寫山圓教寺を開いた性空上人は、途絶えていた観音巡礼を花山法皇らとともに再興した一人と伝えられることから、圓教寺にとって記念すべき年といえるでしょう。
 本展では、圓教寺に残る絵画や日常用いる仏具、什物など、圓教寺の歴史やかつての巡礼の賑わいを感じさせる作品を展示紹介します。

イメージ 1

イメージ 2

関連行事

実演・解説「書写塗」
 平成30年4月30日(月祝) 5月4日(金祝)   (1)11:00~12:00 (2)13:00~14:00
 講師/岡田道明氏(塗師) 場所/企画展示室前
 備考/自由に見学できますが、入館料が必要です。
    漆にかぶれる体質の方はお気を付けください。

講演会「書写塗と精進料理」
 平成30年5月3日(木祝) 13:30~15:00
 講師/佐藤光明氏(書寫山寿量院) 場所/会議室
 備考/当日先着順40人、講演会は無料ですが、展示をご覧になるには入館料が必要です。

講演会「西国巡礼と書寫山圓教寺」
 平成30年5月20日(日) 13:30~15:00
 講師/大樹玄承氏(書寫山圓教寺執事長) 場所/会議室
 備考/当日先着順40人、講演会は無料ですが、展示をご覧になるには入館料が必要です。



光太郎の父・高村光雲と、さらに東京美術学校で同僚だった漆工家の六角紫水による「修正会(しゅしょうえ)鬼面」が展示されています。

イメージ 3


この面については、平成28年(2016)のこのブログでもご紹介いたしました。


お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

水野君は天成の書家である。不思議なほど書がおのづから出来てゐる。その上正しい習学を常に怠らないので、いかにも趣の深い、衒気の微塵も無い、清純な、しかも豊かな、格のたしかな書を書かれる。

散文「私も欲しい 水野葉舟書幅販布会」より
 昭和16年(1941) 光太郎59歳

作家・水野葉舟は、第一期『明星』以来の光太郎の親友。能書家としても知られていました。「趣の深い、衒気の微塵も無い、清純な、しかも豊かな、格のたしかな書」には、やはり書に並々ならぬ興味を持っていた光太郎の良しとした、書のあるべき姿が表されているようです。

このブログでたびたび取り上げております、野村朗氏作曲の「連作歌曲 智恵子抄」が演奏されるコンサートです。 

新井俊稀 クラシカル・サロン・コンサート

期 日 : 2017年12月27日(土)
会 場 : 西宮市甲東ホール 兵庫県西宮市甲東園3丁目2番29号(アプリ甲東 4階)
時 間 : 13時30分開場 14時00分開演
料 金 : 一般3,000円  学生1,000円
出 演 : 光太郎役 新井俊稀(Br) 智恵子役 宮永あやみ 
      ピアノ 
下茂さやか/木下敦子
曲 目 : 野村朗作曲 連作歌曲「智恵子抄」  
      フレデリック・ショパン作曲「幻想曲 ヘ短調 作品49」
      美しい日本の童謡・唱歌・歌曲に寄せて 赤とんぼ・初恋・九十九里浜・落葉松
      他

イメージ 1

イメージ 2


新井氏、今年3月にはドイツ・ハイデルブルグで、4月には東京文京区で、それぞれ野村氏作曲の「連作歌曲 智恵子抄」を演奏して下さいました。もともと神戸のご出身だそうで、今回は地元での公演ですね。


さらに、「連作歌曲 智恵子抄」を含む新井氏のCDも発売中です。 

日本の抒情歌 赤い花 白い花

2017年12月1日  新井音楽事務所 シューベルティアーデ倶楽部  定価3,000円(税込み)

イメージ 3


<CD1>新井俊稀 日本の抒情歌
 01.初恋(作詞:石川啄木/作曲:越谷達之助)
 02.落葉松(作詞:野上彰/作曲:小林秀雄)
 03.鐘が鳴ります(作詞:北原白秋/作曲:山田耕筰)
 04.荒城の月(作詞:土井晩翠/作曲:瀧廉太郎)
 05.平城山(作詞:北見志保子/作曲:平井康三郎)
 06.赤とんぼ(作詞:三木露風/作曲:山田耕筰)
 07.朧月夜(作詞:高野辰之/作曲:岡野貞一)
 08.赤い花白い花(作詞/作曲:中林ミエ)
 09.ねむの木の子守歌(作詞:美智子皇后陛下/作曲:山本正美)
 10.さびしいカシの木(作詞:やなせたかし/作曲:木下牧子)
 11.日々草(作詞:星野富弘/作曲:加羽沢美濃)
 12.今日もひとつ(作詞:星野富弘/作曲:なかにしあかね)
 13.おかあさん(作詞/作曲:玉城篤)
 14.津軽のふるさと(作詞/作曲:米山正夫)
 15.青葉城恋唄(作詞:星間船一/作曲:さとう宗幸)
 16.芭蕉布(作詞:吉川安一/作曲:普久原恒勇)
 17.水色のワルツ(作詞:藤浦洸/作曲:高木東六)
 18.はるかな友に(作詞/作曲:磯部俶)
 19.別れの歌(作詞:サトウハチロー/作曲:中田喜直)
 20.めぐり逢い(作詞:荒木一郎/作曲:武満徹)
                                
<CD2>連作歌曲 智恵子抄〜その愛と死と〜
 詩:高村光太郎/作曲:野村朗
 01.千鳥と遊ぶ智恵子
 02.あどけない話
 03.レモン哀歌
 04.間奏曲
 05.案内


2枚組で、2枚目がまるまる「連作歌曲 智恵子抄」です。

ぜひお買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

花が美しいといふ。しかし人体の不思議な弾力ある圓さが花より美しくないか。天空が美であるといふ。しかし人体の色の微妙さが其に及ばないと思へるか。雲が綺麗だといふ。しかし人の髪の毛の房々が雲より魅力に乏しいと感じられるか。花を描き、天空を画き、雲を写す画家が、人間の裸体を画くに何の不思議もない。

散文「裸体画について」より 大正10年(1921) 光太郎39歳

文章の要旨は、いまだ世間一般に根強かった裸体画への抵抗を諭し、低俗な性的興味を戒めるものです。

本題には関わりませんが、散文であるにもかかわらず、詩のような文体に感じられます。というか、句点で行分けすれば、立派に自由詩として成立するように思われます。平易な口語で巧妙に対句を使いつつ、文末ではまったくの繰り返しを避けて変化を付けるあたり、これぞ美文と思います。

兵庫県姫路市立美術館さんでの企画展情報です。

画家の詩、詩人の絵 絵は詩のごとく、詩は絵のごとく

会 期 : 2016 年2月13 日(土) ~3月27 日(日)
時 間 : 10:00 ~ 17:00
会 場 : 姫路市立美術館 姫路市本町68-25 
休館日
 : 月曜日(祝日を除く)、祝日の翌日
料 金 : 一般900円、大高生600円、小中生200円

「絵は黙せる詩、詩は語る絵」といわれてきました。ときに絵は詩のように語りかけ、詩は絵のような豊かな色と形をありありと提示します。日本の近代洋画は、文学からの自立を目指した西洋近代美術の影響のもとで始まっています。特に印象派以後、新しい造形表現を積極的に取り入れた結果、実に多様な作品がうまれました。青木繁、村山槐多、長谷川利行など詩歌と画技において秀でた作家や、宮沢賢治、富永太郎、立原道造など絵を描いた詩人も少なくありません。本展は、明治から現代までの画家と詩人の詩と絵を一堂に集め紹介します。


昨年、神奈川平塚市美術館さん、愛知碧南市藤井達吉現代美術館さんと巡回した企画展が、今度は姫路で開かれます。図録を兼ねた書籍『画家の詩、詩人の絵-絵は詩のごとく、詩は絵のごとく』は広く販売中です。

光太郎の油絵も3点展示されます。大正3年(1914)に描かれた「日光晩秋」、同年に描かれた洋酒の瓶と果実を描いた「静物」、そして新潟・佐渡島の歌人・渡邊湖畔の息女を描いた「渡辺湖畔の娘道子像」(大正7年=1918)です。当方、平塚展を観て参りました。こちらでは「日光晩秋」は展示されなかったのですが、今回は並ぶそうです。

イメージ 2

姫路市立美術館さん、調べてみましたところ、世界遺産姫路城のすぐ近くです。併せて足をお運び下さい。

イメージ 1

ただ、講演会、ギャラリートーク等の関連行事について、まだ不明です。判明次第ご紹介いたします。


【折々の歌と句・光太郎】

佐渡が島荒き波路にまもられて我が魂は常久に生く
大正7年(1918) 光太郎36歳

上記「渡辺湖畔の娘道子像」を描く関係もあり、この年10月に光太郎は佐渡島の渡辺湖畔邸を訪れています。この歌は帰京後、湖畔に送った書簡にしたためられました。

兵庫県姫路市から、光雲がらみのイベント情報です。 

ちょこっと関西歴史たび 書寫山 圓教寺

 JR西日本では、平成25年春から、「歴史を知ると散策がさらに楽しくなる」をテーマに、地域と連携し、個人やグループのお客様でもお楽しみいただける期間限定の特別公開、特別講座など魅力的な企画をご紹介する「ちょこっと関西歴史たび」キャンペーンを四季ごとに開催しております。
 平成27年度冬季は、映画のロケ地としても有名な「書寫山 圓教寺(兵庫県姫路市)」を取り上げます。キャンペーン期間中は、通常非公開の「六臂如意輪観音像(ろっぴにょいりんかんのんぞう)」を特別公開するほか、国指定重要文化財の「四天王像(してんのうぞう)」をはじめ寺宝の特別公開など、さまざまな特別企画をご用意いたします。

イメージ 1  イメージ 2

期間
 平成28年1月9日(土曜日)から3月31日(木曜日)
開催場所
 書寫山圓教寺(兵庫県姫路市)
協力
 姫路市、公益社団法人姫路観光コンベンションビューロー、神姫バス株式会社
拝観時間
 8時30分から16時(3月1日以降は17時)
 ※注釈 入山時、志納金として500円をお願いしております。(中高生以下、無料)
アクセス
 JR神戸線「姫路駅」より神姫バスで約30分、その後ロープウェイで約4分。
    摩尼殿(まにでん)まで徒歩20分。
 ※注釈 ロープウェイは毎時15分ごとに発車

キャンペーン特別企画
「六臂如意輪観音像」特別公開
 摩尼殿本尊。通常年一回、1月18日の鬼追い会式の時にだけ開帳される六臂如意輪観音像を特別拝観できます。
 ・期間
 平成28年1月9日(土曜日)から3月31日(木曜日)
 行事のため、毎月28日および1月18日(月曜日)、2月3日(水曜日)、3月21日(月曜日)
 の13時から15時はご覧いただけません。
 ・場所・時間
 場所 摩尼殿、公開時間 9時から16時(3月1日以降は17時まで)
 ・料金
 無料(予約不要)

この「六臂如意輪観音像」が光雲作のようです。また、やはり光雲作の鬼の面―1/18(月)に開催される修正会(しゅしょうえ)=鬼追い式会で使用されるもの―も展示されているようです。

イメージ 3  イメージ 4

気付くのが遅れ、ご紹介するのが遅くなってしまいました。申し訳ありません。

秘仏の御開帳といえば、昨年は高野山金剛峯寺で開創1200年記念大法会があり、やはり光雲作の秘仏・薬師如来が初公開されました。こういうケースはまだまだあるのでしょうね。


【折々の歌と句・光太郎】

いかにして何をたのみしわれならむつひに消ゆべき此の光なり
明治34年(1901) 光太郎19歳 

何やら宗教的な煩悶といったものが背後に見えるような気がします。

翌年には東京美術学校彫刻科の卒業制作で、日蓮の塑像である「獅子吼」を作り、田中智学の法華経に熱中して本門寺の説教に通ったり、光雲の高弟・平櫛田中の手引きで西山禾山の臨済禅の提唱を聴いたりしています。

やはり幼い頃から仏師としての光雲の姿を見て育ち、「仏」の世界を身近に感じていたのでしょう。

『朝日新聞』さんでいえば、「天声人語」にあたる、新聞の一面コラム。このほど地方紙2紙で相次いで光太郎智恵子を取り上げて下さいました。 

神戸新聞 正平調 2014/09/09

高村光太郎の詩「秋の祈(いのり)」で、「喨々」という言葉に出合う。漢和辞典を引くと「りょうりょう」と読み仮名が記されていた◆音が明るく響き渡るさまをいう。詩人は詩の書きだしと終わりで、この言葉を繰り返す。「秋は喨々と空に鳴り」。明るく澄み切った秋空の様子を歌っているのだろう◆秋の青空を見上げながら、そういえばあの時も青かったと思い出す空がある。決して明るい思い出ではない。12年前の9月、当時の小泉首相を乗せた政府専用機が平壌(ピョンヤン)の空港に降り立った。見守ったテレビに映る平壌の空は真っ青だった◆前後して神戸出身の拉致被害者、有本恵子さんの両親に何度か話をうかがう機会があった。神戸の街頭で支援を訴える活動の合間のことだ。いろんな情報や政治の動きが飛び交う中、こう言っていた。「楽観はしておりません。しかし何があろうと、絶対に悲観致しません」◆先日、有本さんの父明弘さんの講演を伝える記事で、「恵子を取り戻せる最後のチャンス」の言葉を読んだ。同じ日、横田めぐみさんの両親は神奈川で「願って待つしかない。本当にしんどい時期」と語った◆この秋、日朝交渉が大きな局面を迎える。被害者と家族は想像を絶する苦しみの日々を耐え忍んできた。今はただ、それぞれの再会の訪れを秋の祈りとしたい。2014・9・9
 
引用されている「秋の祈」は大正3年(1914)、ちょうど100年前の作です。詩集『道程』の最後に収められた詩で、おそらく『道程』のために書き下ろされたものと推定されています。
 
  秋の祈000
 
秋は喨喨(りやうりやう)と空に鳴り
空は水色、鳥が飛び
魂いななき
清浄の水こころに流れ
こころ眼をあけ
童子となる

多端粉雑の過去は眼の前に横はり
血脈をわれに送る
秋の日を浴びてわれは静かにありとある此を見る
地中の営みをみづから祝福し
わが一生の道程を胸せまつて思ひながめ
奮然としていのる
いのる言葉を知らず
涙いでて
光にうたれ
木の葉の散りしくを見
獣(けだもの)の嘻嘻として奔(はし)るを見
飛ぶ雲と風に吹かれるを庭前の草とを見
かくの如き因果歴歴の律を見て
こころは強い恩愛を感じ
又止みがたい責(せめ)を思ひ
堪へがたく
よろこびとさびしさとおそろしさとに跪(ひざまづ)く
いのる言葉を知らず
ただわれは空を仰いでいのる
空は水色
秋は喨喨と空に鳴る
 
「喨喨」。「デジタル大辞泉」によれば、「音の明るく澄んで鳴り響くさま」。いかにも「秋」というイメージの言葉ですね。画像は以前も使いましたが、二本松の智恵子の生家です。
 
しかし昨日あたりから秋晴れとはほど遠い全国的な豪雨。広島の土砂災害も記憶に新しいところですが、命を落とす方の出ないように祈るばかりです。 

福島民報 あぶくま抄 2014/09/08

〈くもとあそひ風とうたへる春秋の世の塵[ちり]しらぬやまの湯の宿〉。歌人柳原白蓮[びゃくれん]の直筆の短歌は、二本松市岳温泉の「陽日の郷あづま館」に残る。NHK朝の連続テレビ小説「花子とアン」で主人公の親友である葉山蓮子のモデルだ。太平洋戦争で最愛の長男を亡くす。終戦直後、半生を描いた映画「麗人」が反響を呼び、かつて絶縁状を出した炭鉱王は死去する。昭和27(1952)年秋、66歳の歌人は「やまの湯」で「世の塵」を落とす。翌年に世界連邦平和運動の婦人部長となる。文豪・幸田露伴も二本松と縁が深い。明治20(1887)年、20歳で文学を志し北海道から徒歩で上京する。苦難の旅は著書「突貫紀行」に記される。9月28日、二本松の亀谷坂で決意を新たにする。住民が運営する、にぎわいの拠点「亀谷坂露伴亭」は5周年を迎えた。露伴が訪れた記念日も営業する。11月に5周年事業を計画する。詩集「智恵子抄[ちえこしょう]」で知られる二本松市出身の高村智恵子をしのぶ「レモン忌」は10月5日の命日に行われる。12月に夫・光太郎と結婚して100年を迎える。二本松に秋の風が吹く。文学史を彩る3人の人生が重なる。
 
当方、寡聞にして柳原白蓮や幸田露伴が二本松にゆかりがあることは存じませんでした。
 
智恵子の命日「レモン忌」のつどいは、書かれている通り、10月5日に二本松市の智恵子生家に近い「ラポートあだちで行われます。今回で第20回となり、毎年、この時期の日曜日に行っているのですが、今年はちょうど智恵子の命日「レモンの日」と重なります。
 
当方、記念講演を依頼されており、「智恵子、新たなる横顔」という題でお話しさせていただきます。ただ、詳しい案内文書等、こちらにも届いておりませんので、詳細はまた追ってご紹介いたします。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月11日
 
昭和17年(1942)の今日、洛陽書院から詞華集『日本詩集』が刊行されました。
 
当代一流の詩人達による戦争協力詩を集めたアンソロジーです。同種のものには、この時期、おびただしく出版されました。そのうち大政翼賛会文化部編 『軍神につづけ』、日本文学報国会編 『辻詩集』(ともに昭和18年=1943)が、現在開催中の「ヨコハマトリエンナーレ 2014 大谷芳久コレクション」で展示されています。同展では光太郎個人の詩集『大いなる日に』(昭和17年=1942)、『記録』(同19年=1944)も並んでいます。
 
イメージ 2
 
『日本詩集』での光太郎作品は、随筆「詩005精神」、詩が9篇掲載されています。「必死の時」「危急の日に」「独居自炊」「正直一途なお正月」「事変二周年」「最低にして最高の道」「彼等を撃つ」「新しき日に」「夜を寝ざりし暁に書く」です。
 
光太郎作品を収めたこの種のアンソロジーの類は、少なく見積もっても40種類ほど刊行されています。当方手元にも30数冊あります。一部、画像を載せます。
 
戦後、昭和22年(1947)になって、蒋介石に対して書かれた、「蒋先生に慙謝す」という詩の中で、こうした自身の戦時中の行動について、光太郎はこのように述べています。
 
  蒋先生に慙謝す
 
わたくしは曾て先生に一詩を献じた。
真珠湾の日から程ないころ、無題1
平和をはやく取りもどす為には
先生のねばり強い抗日思想が
巌のやうに道をふさいでゐたからだ。
愚かなわたくしは気づかなかつた。004
先生の抗日思想の源が
日本の侵略そのものにあるといふことに。
気づかなかつたともいへないが、
国内に満ちる驕慢の気に
わたくしまでもが眼を掩はれ、
満州国の傀儡をいつしらず
心に狎れて是認してゐた。
人口上の自然現象と見るやうな
勝手な見方に麻痺してゐた。
 
天皇の名に於いて
強引に軍が始めた東亜経営の夢は
つひに多くの自他国民の血を犠牲にし、
あらゆる文化をふみにじり、
さうしてまことに当然ながら
国力つきて破れ果てた。
侵略軍はみじめに引揚げ、無題
国内は人心すさんで倫理を失ひ、
民族の野蛮性を世界の前にさらけ出した。
先生の国の内ではたらいた
わが同胞の暴虐むざんな行動を
仔細に知つて驚きあきれ、006
わたくしは言葉もないほど慙ぢおそれた。
日本降伏のあした、
天下に暴を戒められた先生に
面の向けやうもないのである。
 
わたくしの暗愚は測り知られず、
せまい国内の伝統の力に
盲目の信をかけるのみか、
ただ小児のやうに一を守つて、
真理を索める人類の深い悩みを顧みず、
世界に渦巻く思想の轟音にも耳を蒙(つつ)んだ。
真理の究極を押へてゆるがぬ
先生の根づよい自信を洞察せず、
言をほしいままにして詩を献じた。
今わたくしはさういふ自分に自分で愕く。
けちな善意は大局に及ばず、
せまい直言は喜劇に類した。
わたくしは唯心を傾けて先生に慙謝し、無題2
自分の醜を天日の下に曝すほかない。
 
 
戦後になってこういう詩を書いている光太郎を、ヘイトスピーチ大好きなネトウヨがちやほやしている理由がよく判りません。彼等にしてみれば「変節の裏切り者」「売国奴」そのもののような気がするのですが……。
 
あの輩は、戦時中の戦争協力詩だけが光太郎詩の本質だと思っているのかも知れませんね。困ったものです。

以前にご紹介しましたが、兵庫県人権啓発協会さん企画、東映さん制作の40分程のドラマで「ほんとの空」という作品があります。

001

 
身近にひそむ人権問題にスポットを当てた作品で、一昨年の制作ということもあり、福島の原発事故による風評被害、いわれなき差別を扱っています。そこでタイトルが「ほんとの空」というわけです。白石美帆さん他のご出演です。
 
さて、岡山県に本社があり、岡山県、香川県で受信できるテレビせとうちさんで、この作品の放映があります。

ほんとの空 

テレビせとうち 2014/8/14 (木) 14:50 ~ 15:30 (40分)
 
番組概要   生活の中の偏見を見つめ直す、ある家族の物語。
 
番組詳細   白石美帆 湯浅美和子 ほか
 
それから、神戸市では上映会が催されます。 

「心かよわす市民のつどい」

◆日時◆ 平成26年8月26日(火曜) 13時30分~16時 (開場13時)
 
◆会場◆ 神戸文化ホール・中ホール (神戸市中央区楠町4-2-2)
 
◆定員◆ 800名 (7月8日(火曜)から電話・FAXにて先着順受付)
 ★一時保育あり  1歳6か月~就学前のお子さま対象。無料。定員10名(先着順)
 *神戸文化ホール内託児室
 
◆プログラム◆
1.人権啓発映画「ほんとの空」上映  ※日本語字幕・副音声あり   
 企画:兵庫県・(公財)兵庫県人権啓発協会  上映時間:36分
 「意識と人権」~あなたの思いをわたしのものに~
 高齢者や外国人に対する排除、不利益な扱い、同和問題や原発事故に伴う風評被害の問題、これら多くの人権課題に共通する根っこの部分は、わたしたちの誤った考え方や思い込み、偏見という「意識」です。
 このドラマは、誤解や偏見に気づき人と深く向き合うこと、他者の気持ちを我がこととして思うことの大切さに気づかせてくれます。

2.講演会「ダウン症の娘と共に生きて」 (90分)
 講師:金澤泰子さん、金澤翔子さん (いずれも書家)  *要約筆記、手話通訳あり
  金澤泰子さん
  書家。金澤翔子さんの母。1943年生まれ。明治大学卒業。書家の柳田泰雲・泰山氏に師事。1990年、東京・大田区に「久が原書道教室」を開設。久が原書道教室主宰。東京芸術大学評議員。
  金澤翔子さん
  書家。1985年、東京生まれ。5歳の時より母・泰子さんに師事し、書道を始める。20歳で銀座書廊において初の個展を開催。2012年のNHK大河ドラマ「平清盛」の題字を揮毫。2013年に国体開会式において巨大文字を揮毫。紺綬褒章受章。天皇御製を謹書。
 
◆入場料◆
無料(ただし、事前に申し込みが必要)
 
◆申込方法◆
1.電話またはFAXで下記へ申込み(先着順)受付後、入場券を送付します。
  FAXの場合は、郵便番号、住所、名前、電話番号、参加人数、一時保育希望の場合は、お子さまの名前・年齢・性別を記載してください。
2.申込先・問い合わせ先  神戸市保健福祉局人権推進課
  TEL : 078-322-5234 FAX : 078-322-6048
 
 
6月には高知さんさんテレビさんで放映がありましたが、ぜひ、全国ネットでも放映してほしいものです。その他、自治体や学校さんなどでぽつぽつ上映されているようですが、もっともっと広まってほしいものですね。
 
 
 【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月11日
 
昭和26年(1951)の今日、花巻郊外太田村山口の山小屋で、地元の青年の持ってきたスイカを食べました。
 
日記に以下の記述があります。
 
午前弘さん西瓜持参、初もの、一緒にくふ。美味。新鮮この上なし、

神戸からイベント情報です。 

平成26年度兵庫県舞台芸術団体フェスティバル「群読・青春詩歌の響き」-高村光太郎「道程」から100年-

期 日 : 2014年8月23日(土) 
開 演 : 18:00  (開 場 17:30) 
会 場 : 兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール
主 催 : 劇団自由人会   兵庫県劇団協議会 
 
構成・演出  ふるかわ照 
演奏  真山ゆかこ   木村知之

問い合わせ先   劇団自由人会 :078-784-3701 
 
入場無料(自由席)※要予約
【申込方法】劇団自由人会(078-784-3701)まで、お電話ください。
申込締切:8月21日(木)5:00PMまで
※お電話のみでの受付です。
※未就学児童の入場はご遠慮ください。
 
イメージ 1
 
神戸電子専門学校声優タレント学科の学生さんも出演されるようです。
 
今年は「道程」100周年。少しずついろいろなところでクローズアップされています。ありがたいかぎりです。
 
上記バナーにある「幻の102行」は、雑誌『美の廃墟』に発表されたオリジナル「道程」の意ですね。以前、こちらで全文を載せました。お読み下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月7日
 
昭和39年(1964)の今日、『週刊朝日』第69巻第33号に「レコード界の智恵子合戦 歌謡曲は清潔ムードから文芸ブームへ?」が掲載されました。
 

イメージ 2
 
 
この年1月に、コロムビアから二代目コロムビア・ローズさんの歌で「智恵子抄」、7月にはクラウンから苅田千賀子さん「智恵子」/守谷浩さん「磐梯山の智恵子」がリリースされたことを受けての記事です。
 
イメージ 4
  
ちょうど50年前。時代を感じます。
 
ちなみに表紙はこちら。
 
イメージ 3
 
この年、秋に開催される東京オリンピックに出場、400mメドレーリレーで4位に入賞する水泳選手、故・木原美知子さんです。今の浅田真央さんや福原愛さんなどのようなアイドルアスリートのはしりでした。

あちこちの美術館、文学館等での企画展。ちょぼちょぼと光太郎作品も展示されています(またはこれからされます)。いくつかご紹介します。

 

期 日 : 平成25年2月23日(土)~4月14日(日) 
会 場 : 兵庫県丹波市立植野記念美術館 兵庫県丹波市氷上町西中615番地4
時 間 : 午前10時~午後5時
休 館 : 毎週月曜日(月曜日が祝日の場合はその翌日)
料 金 : 一般 300円 大学・高校生 200円 小学生100円
 
 
イメージ 1
 
「ある銀行家の日本画コレクション」というのは、「長谷川コレクション」ということで、調べてみましたところ、山形銀行、殖産銀行の関連のようです。山形美術館に300点近くが寄贈され、同館の常設展示で入れ替えをしながら並べられているようです。
 
丹波の企画展はその中からのセレクトのようで、001光太郎の色紙「牛」が含まれています。
 
昭和12年(1937)10月31日に、山形の長谷川吉三郎(元山形銀行頭取)に宛てた書簡(『高村光太郎全集』第14巻)にこの作品について書かれています。
 
拝啓、其後御無沙汰に打過ぎ居りました。夏の暑さなどに遮られ、のびのびとなつて居りました色紙を今日の日曜日に書きましたゆゑ不出来ながら明朝小包にてお送りいたします。文字の方は拙詩“牛”の中の一行に有之、デツサンの方はコンテにて描きました。彫刻の方も追々着手の運びといたします。
 
詩「牛」は有名な「道程」と同じ大正3年(1914)の作。115行もある大作で、これも意外と有名な作ですね。
 
「コンテ」は素描用の画材で、クレヨンに近いものです。したがって厳密には日本画ではありません。他の出品作は富岡鉄斎、川合玉堂、川端龍子などのバリバリの日本画で、その中でこの光太郎色紙は異彩を放っています。チラシによれば夏目漱石の画も出品されるようです。
 
3/19を境に出品作の入れ替えだそうで、「牛」がその前なのか後なのか、それとも全会期通しで並ぶのか、わかりかねます。すみません。
 
【今日は何の日・光太郎】2月21日

昭和28年(1953)の今日、来日した陶芸家バーナード・リーチと久しぶりに再会、旧交を温めました。

1/27(日)の「神戸新聞」さんに以下のコラムが載りました。「朝日新聞」で言えば「天声人語」のような欄でしょうか。 

正平調 

武庫川にほど近い西宮市の住宅地で、レモンがいっぱいなっている002。数日前、本紙阪神版に載った写真である。なんてみずみずしい色だろうと目が留まった◆段上町2の安井進治さん宅だ。阪神・淡路大震災で自宅が全壊し、両親が亡くなった。その翌年、更地になった所にレモンの苗木1本を植えた。実を付けるまでレモンは年月がかかるというが、なるほど実が枝をしならせ始めたのは、かれこれ5年ほどたってのこと◆秋になった実は、年の瀬には黄色く変わる。1月になると香りはいっそう強くなって、近くを通るだけで気づくほどになるそうだ。まるであの日の記憶を呼び覚ますように被災地で香りを放つ…と想像がつい膨らんでいく◆高村光太郎の「レモン哀歌」を重ねてしまう。息を引き取る前に愛妻はレモンを口にする。その「数滴の天のものなるレモンの汁」でかすかな笑みが浮かぶ。そんな別れの詩から、あの香りと味には生きる力をかきたてる何かがあると感じる◆大震災といえばヒマワリが象徴だ。少女の命が奪われた神戸市東灘区の民家跡に咲いたのが、この花。見かけた近くの男性が少女の名をとって「はるかのひまわり」と名付けた。やがてその種が、震災の教訓を伝えるシンボルとして全国に広がる◆明るいヒマワリが復興を語る花なら、かぐわしいレモンは復興への香り。そんな想像を膨らませながら、黄色い実を見続ける。2013・1・27
 
西日本で「大震災」といえば18年前の1月に起きた阪神淡路大震災なのですね。いまだ震災の記憶をとどめるものがこのように残っていることで、記憶の風化を防ぐことにもなっているのでしょう。
 
東日本大震災からもうすぐ2年。こちらの傷跡はまだまだいたるところに残っています。この記憶も風化させないようにしていきたいものです。
 
【今日は何の日・光太郎】1月30日

昭和28年(1953)の今日、中央公論社から刊行された『高村光太郎選集』全6巻が完結しました。

明治42年(1909)、光太郎は、ニューヨーク、ロンドン、パリでの3年余の留学を終える決意をし、3月から4月にかけ、締めくくりにイタリアを旅行します。パリから陸路、スイス経由でイタリアに入り、ヴェニス、フィレンツェ、ローマ、ナポリなどを廻ってルネサンス期の芸術作品などを見た光太郎、それらの持つ圧倒的な力に打ちのめされます。
 
先の高村光太郎研究会で、大阪在住の研究者・西浦氏から光太郎が廻った各所の写真等をいただきました(今年、行かれたそうです)。後のブログでその辺りも紹介しようと思っています。
 
さて、光太郎。5月にはいったんロンドンに渡り、テムズ河口から日本郵船の船に乗って、帰国の途に就きます。到着地は神戸港でした。「海の思出」には以下のように書かれています。
 
 日本に帰る時は盛夏の頃ロンドンから郵船の松山丸とかいふ小さな汽船に乗つたが、事務長の好意で愉快な航海をした。
 
この一節を読んで、「あれっ?」と思いました。既知の光太郎作品や年譜では、この時に乗った船の名が、「松山丸」ではなく、すべて「阿波丸」となっているからです。よくある光太郎の記憶違いなのだろうと思いました。「盛夏の頃」というのも間違いで、正確には5月15日です。同様に、船名も単なる間違いだろうと思いました。『高村光太郎全集』第21巻に収録されている、親友だった水野葉舟にあてた書簡は帰国の船中から書かれたもので、「阿波丸船上より」とか「五月十五日に倫敦からこの阿波丸にのり込んで今は地中海の上に居る。」と書いてあるので、まず「阿波丸」で間違いないと思ったのですが、一応調べてみました。
 
すると、この当時、日本郵船には「松山丸」「阿波丸」ともに就航していたことがわかりました。ただし、「松山丸」は3,099トンの小さな船で、一方の「阿波丸」は6,039トンと、「松山丸」の倍位の大きさでした。
 
明治34年(1901)10月、東洋堂刊の『風俗画報増刊乗客案内郵船図会』によれば、欧州航路の説明として、「此航路に供用する汽船は悉く六千噸以上の双螺旋大汽船にして。電気燈、煽風機等諸般の設備其の他の結構。総て最新式に拠れり。」とあります。「松山丸」は明治18年(1985)の建造ですから「最新式」とは言えませんし、何より「六千噸以上」の条件に当てはまりません。
 
また、昭和59年 海人社刊『日本郵船船舶百年史』によれば、欧州航路に就航した船の中に、「阿波丸」の名はありますが、「松山丸」の名はありません。
 
やはり「松山丸」と書いたのは光太郎の記憶違い、従来通り「阿波丸」に乗ったと断定してよいでしょう。
 
イメージ 1
 
この点を高村光太郎研究会で発表したところ、北川太一先生から「何もないところから『松山丸』という実在の船の名が出て来るというのも考えにくいので、もしかしたら、他の時に他の場所で『松山丸』という船に乗ったのかもしれないから、調べるように」と、宿題を出されてしまいました(さらにイタリア旅行についても宿題を出されています)。参りました(笑)。
 
ちなみに「阿波丸」。太平洋戦争中に米潜水艦に撃沈された有名な「阿波丸事件」の「阿波丸」とは別の船です。やはり船名使い回しで、光太郎が乗ったのはⅠ世、大戦中に撃沈されたのはⅡ世です。余談になりますが、明治45年(1912)、東京市長・尾崎行雄から贈られ合衆国ワシントンポトマック河畔に植えられた桜6,040本を運んだのが、光太郎の乗った「阿波丸」Ⅰ世です。同じ「阿波丸」でも、Ⅰ世は日米友好のシンボルを運び、Ⅱ世は米軍により撃沈。皮肉なものですね。
 
9/12のブログに書きましたが、現在、横浜港に保存されている「氷川丸」。「阿波丸」と同じく日本郵船の船です。ただ、「氷川丸」の方が20年ほど新しく、総排水量も11,622トンと「阿波丸」の2倍程の大きさなのですが、参考になるかと思い見て来ました。なかなか面白いものがありました。皆さんも横浜にお立ち寄りの際にはぜひ行ってみてください。
 
「海の思出」、最後は「私は海が実に好きだ。私は船に乗ると急に若くなる。」の一言で締めくくられます。次回、この一言をめぐる考察を書き、このレポートを終えさせていただきます。

最近入手した昔の絵葉書です。

イメージ 1
 
恐らく明治、大正の頃のものでしょう。写っているのは日本郵船の「阿波丸」という船です。戦時中に米軍潜水艦に撃沈された有名な「阿波丸事件」の「阿波丸」とは別の船です。

イメージ 2
 
この船が何なのかというと、明治42年(1909)、光太郎が欧米留学から帰る時に乗った船なのです。留学の最終滞在地はパリでしたが、そちらから一旦ロンドンに渡り、阿波丸に乗り込みました。下船場所は神戸。光太郎の父・光雲が迎えに来ており、神戸からの汽車の中で、光太郎を中心に銅像を制作する会社を興す計画が語られましたが、光太郎は取り合いませんでした。
 
ところで、少し前に昭和17年(1942)の『海運報国』という雑誌に載った「海の思出」という少し長い光太郎の随筆を見つけました。今まで知られていなかった文章です。この中で、幼少年期の海の思い出-小学校の遠足で見た品川の海、14歳頃に一人旅で訪れた江の島、16歳で富士山頂から見た太平洋-、欧米留学で乗った船の思い出が語られています。
 
どうも今まで知られていた文章には載っていなかったと思われる事実がかなり語られており、現在、鋭意調査中です。秋に高村光太郎研究会という会合があるのですが、そこで発表を頼まれており、この件で発表するつもりで居ります。
 
そのためついこの前も国会図書館に調査に行きましたし、この絵はがきも購入しました。
 
後ほど調査した内容はこのブログでも紹介しましょう。

↑このページのトップヘ