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毎年ご紹介していますが、今年も京都の知恩院さんでの紅葉ライトアップが再来週から始まります。 

知恩院 秋の紅葉ライトアップ2017

期  間 : 2017年11月3日(金・祝)~12月3日(日)
拝観時間 : 17時30分~21時30分(21時受付終了)
場  所 : 浄土宗 総本山知恩院(京都市東山区林下町400 )
       友禅苑、大鐘楼、宝佛殿、女坂
拝観料金 : 大人800円(高校生以上) 小人400円(小・中学生)
       団体割引 大人30名以上、1割引き

 知恩院は浄土宗の開祖、法然上人(1133〜1212)がお念仏のみ教えを広め、入寂された遺跡に建つ由緒ある寺院です。正式名称は華頂山知恩教院大谷寺という、浄土宗の総本山です。
 江戸時代、浄土宗を信仰した徳川家康公が、当寺を京都における菩提所と定めたことから寺領が拡大され、現在の大伽藍が築かれました。

 今年の知恩院ライトアップは、友禅染の創始者宮崎友禅斎を祀る庭園「友禅苑」、阿弥陀如来立像をお祀りする「宝佛殿」、日本三大梵鐘の一つである「大鐘楼」をライトアップします。

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主な見どころ】002
友禅苑
友禅染の祖、宮崎友禅斎の生誕300年を記念して造園された、華やかな昭和の名庭です。池泉式庭園と枯山水で構成され、補陀落池に立つ高村光雲作の聖観音菩薩立像が有名です。

宝佛殿
平成4年に建立。和様式重層寄棟造りで、堂内には高さ4.8mの阿弥陀如来立像、四天王が祀られています。

大鐘楼
大鐘は高さ3.3m、口径2.8m、重さ約70トン。寛永13(1636)年に鋳造され、日本三大梵鐘の一つとして広く知られています。僧侶17人がかりで撞く除夜の鐘は京都の冬の風物詩として有名です。


関連行事 

オープニングイベント おてつぎフェス Hand to Hand:promotion of the Nembutsu

【期間】 11月3日(金・祝)・4日(土)・5日(日)

 三門コンサート (二胡とシンセサイザーの共演)
   開始時間 ❶18:00〜18:30 ❷19:00〜19:30
  〈二胡〉帯金 真理子 〈シンセサイザー〉森 孝良  〈曲目〉月影、赤とんぼ、ジュピターなど
 お坊さんと話してみませんか
  宝佛殿にて開催   開始時間 ❶18:30〜19:00 ❷19:30〜20:00
  3日 ライブハウスでも人気 女性布教師 中村 祐華
  4日 人形芝居・紙芝居で親子連れ必見 山添 真寛
  5日 ニュージーランドから来たお坊さん 作田 法道(ウィズフォード・スティーブン)
 

聞いてみよう! お坊さんのはなし
 11月7日以降の毎日(月曜日を除く) 宝佛殿にて開催 
 開始時間 ❶18:00〜 ❷18:45〜 ❸19:30〜 ❹20:15〜
 (各回お話15〜20分、木魚念仏体験10分程度)《週替わりテーマ》 
 1週目「お坊さんとは?」 
 2週目「なぜ手を合わせるの?」
 3週目「幸せとは?」
 4週目「死にむかうとは?」

 仏教に馴染みのない方でもお気軽にお越しください。お話の後には皆さまと共に木魚を打ちながら「南無阿弥陀仏」とお念仏をお称えします。知恩院の荘厳な空間の中、日常では味わえない貴重な体験をしてみませんか?
 

新企画 ぶつけてみよう! あなたのオモイ

毎週月曜日(6日・13日・20日・27日) 宝佛殿にて開催
開始時間 ❶18:00〜 ❷19:00〜 ❸20:00〜
 簡単なお話と木魚念仏体験の後、お坊さんが皆さまの悩みや日頃の想いをお聞きします。



昨秋のライトアップの様子です。



今年のPR動画が、現在2本(追って増えるようです)。知恩院さん、かなり攻めてます(笑)。




ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

智恵子はこよなき審判者であり、 うちに智恵子の睡る時わたくしは過ち、 耳に智恵子の声をきく時わたくしは正しい。

連作詩「智恵子抄その後」中の「元素智恵子」より
 
昭和24年(1949) 光太郎67歳

6篇からなる連作詩「智恵子抄その後」。翌年元日発行の雑誌『新女苑』に掲載されました。

うちに智恵子の睡る時」は、昭和16年(1941)以降。この年8月に刊行された『智恵子抄』のために書き下ろされたと推定される「荒涼たる帰宅」をもって、公表された智恵子をメインに謳った詩は途絶しました。そしてまさしく「わたくしは過ち」、愚にも付かない大量の翼賛詩を書き殴り、多くの前途有為な若者を戦場へと駆り立てたのです。

戦後、昭和20年(1945)の「松庵寺」で、再び智恵子が詩に現れ、以後、連作詩「暗愚小伝」などで断片的に智恵子が謳われました。そして、「智恵子抄その後」。よみがえった智恵子の声を聴くようになった光太郎は、ヒューマニストとしての再生を果たしたと言えるのでしょう。

今日行われる合唱の演奏会です。情報を得たのが昨日でして、ご紹介が遅れました。

先日もご紹介した鈴木憲夫氏作曲の「レモン哀歌」がプログラムに入っており、鈴木氏ご本人もゲスト出演されるそうで、これは紹介せざるを得ません。

鈴木憲夫の世界2~女声合唱の響宴

期   日 : 2017年5月13日(土)
場   所 : 京都コンサートホール 大ホール 京都市左京区下鴨半木町1番地の26
時   間 : 開場 13:00  開演14:00
出   演 : アベリア クリスタルエコーズ 女声コーラス コール・リーベン
        
女声コーラス ベルヴォア 女声コーラス ラ・コール 
        女声コーラス みちくさ  
女声コーラス 向日葵 沙羅の木合唱団
        女声コーラス アコルト
指   揮 : 箸尾哲男 田末勝志
ピ ア ノ : 小澤まり子 木下亜子 鈴木華重子 寺本佳世子 和田蕗子
ゲ ス ト : 鈴木憲夫  
料   金 : 1,500円 全席自由
問い合わせ : 090-6063-4132 (中島理恵)
プログラム : レモン哀歌 永訣の朝 地球ばんざい 地球に寄り添って 想い出(合同演奏)

2013年11月に行われた「鈴木憲夫の世界」の第2回コンサートです。
2013年のコンサートでは、混声合唱、女声合唱、少年少女の合唱など様々な合唱団が出演しましたが、今回は女声合唱団のみの演奏となっています。
9つの女声合唱団が、初期作品「永訣の朝」から「レモン哀歌」まで、「鈴木憲夫の世界」をうたいます。
鈴木憲夫氏も、ゲストとして参加されます。

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鈴木憲夫氏の「レモン哀歌」、いい曲ですのでじわじわと広まっているということでしょう。以前にも書きましたが、女声版、混声版があります。難易度的には難しすぎず、優しすぎず、メロディーラインの美しい曲です。全国の合唱団の皆さん、ぜひ取り上げて下さい。


【折々のことば・光太郎】

底がぬけるといふ事は そんなにやさしいことではない。 だが又そんなにやさしい事かも知れない。

詩「夏書十題 底」より 昭和3年(1928) 光太郎46歳

ここでの「底がぬける」は、「すべてをかなぐり捨てて、思い切った行動をとる」とでもいったような意味合いでしょうか。たしかになかなか難しいことですが、その気になりさえすれば、存外たやすいし、やってみたら非常によかった、なぜもっと早くやらなかったんだろうと感じる、という面もあるかも知れません。

そんなにやさしい事かも知れない」という奇妙な日本語の使用も、ある意味、「底がぬけ」た一例のような気がします。いくら対句とはいえ、語格に敏感だった光太郎、通常はこんな破格の用法は使いません。しかし、あえてそう表現してみると、これはこれで効果的だな……みたいな。

古都・京都に春を告げるイベントです。

知恩院 春のライトアップ2017

期  間 : 2017年3月3日(金)~12日(日
拝観時間 : 18時00分~21時30分(21時受付終了)
場  所 : 浄土宗 総本山知恩院(京都市東山区林下町400 ) 三門周辺、友禅苑、女坂、宝佛殿
拝観料金 : 大人 500円  小中学生 300円

主な見どころ】

友禅苑
 友禅染の祖、宮崎友禅斎の生誕300年を記念して造園された、華やかな昭和の名庭です。池泉式庭園と枯山水で構成され、補陀落池に立つ高村光雲作の聖観音菩薩立像が有名です。

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宝物殿
 平成4年に建立。和様式重層寄棟造りで、堂内には高さ4.8mの阿弥陀如来立像、四天王が祀られています。

【聴いてみよう! お坊さんのはなし】
 ライトアップ期間中、宝佛殿にて毎日開催
 開始時間: (Ⅰ)18:15~ (Ⅱ)19:00~ (Ⅲ)20:00~ (各回15~20分程度)
 ※状況により開催時間が変更になる場合がございます
 「おかげさまの心」「お寺のお参りの心構え」「極楽と天国の違い」など、知恩院のお参りを通し
 て、より仏教に
親しみを感じていただけるような内容になっています。お話の後には皆さんと共に木
 魚を打ちながら「南無阿
弥陀佛」とお念佛をお称えします。
 知恩院の荘厳な空間の中、お坊さんと一緒に貴重な体験をしてみませんか?
 参加された方限定で3月25日(土)に開催する体験イベントのご案内をいたします。
 どうぞお楽しみにお待ちください。


光太郎の父・高村光雲原型の観音像についてはこちら

ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

心の地平にわき起るさまざまの物のかたちは 入りみだれて限りなくかがやきます。 かうして一日の心の営みを わたしは更け渡る夜に果てしなく洗ひます。
詩「真夜中の洗濯」より 大正11年(1922) 光太郎40歳

「真夜中の洗濯」は、題名のとおり、深夜に衣類の洗濯をしている様を謳った詩です。大正年間ですので、洗濯機などという物は存在せず、風呂場で残り湯を使って洗っているようです。「一坪の風呂場」「桃いろの湯気」「盥(たらい)」という語が使われています。駒込林町のアトリエ兼住居には内湯があったのですね。銭湯通いであれば、もう少し近所づきあいなども増えて、智恵子の鬱屈も緩和されたかも知れませんが。

智恵子はこの詩には登場しません。洗濯は光太郎の分担だったのか、智恵子が一年の半分近くは実家に帰っていたというためなのか、少なくとも詩からは毎晩のように、一日の終わりを締めくくる行為として洗濯にあたっていることがうかがえます。

引用部分、洗濯は衣類の汚れを落とすだけでなく、自分自身の心の汚れも洗い落とす儀式のようです。

京都から、光太郎の父・高村光雲がらみの企画展情報です。

うた詠むこころ The Composing Mind

期  日 : 2016年11月19日(土)~2017年2月12日(日)
場  所 : 清水三年坂美術 京都市東山区清水寺門前産寧坂北入清水三丁目337-1
時  間 : 午前10:00~午後5:00(入館は午後4:30まで)
休  館 : 月・火曜日(祝日は開館)  年末年始(12月26日(月)−1月3日(火))
料  金 : 大人 800円 大・高・中学生 500円 小学生 300円 団体 (20名以上)20%引

古来「ことだまの幸はふ国」といわれる日本では、歌は祈りを込めた詞であり、また森羅万象や心の機微を言葉でもって巧みに写し取り、よむ人を鼓舞し、慰め、感動を伝えてきた。その心は、日本の文化形成に大きな影響を与え、言葉のみならず、絵画や身の回りに備える調度品、刀装具などにも多く題材とされ、優れた作品を生み出してきた。蒔絵や金工などの技法でもって描かれる情景は、時に幻想的であり、歌の世界を超えた作り手たちの心象風景とも言えよう。
本展では、当館所蔵の美術工芸品の中から、歌にまつわる名品の数々をご高覧いただきたい。

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光雲の木彫、「西行法師」が出品されています。005

正確な制作年が不明なのですが、像高56㌢、桜財を使った緻密な作品です。

同館で昨年開催された企画展「明治の彫刻」にも出品され、当方、同じく京都の知恩院さんに立つ聖観音像とともに拝見して参りました。

この他にも同館では常設展もあり、そちらにも光雲作の木彫が出ていると思われます。

冬の京都もなかなか乙なものと存じます。ぜひ足をお運びください。


【折々の歌と句・光太郎】

この雪に宿かしたまへ法の師よこよひの鐘はわれつとめむに
明治33年(1900) 光太郎18歳

まるで遊行中の西行法師を謳ったような感じですね。または西行作として『新古今和歌集』あたりに載っていてもおかしくないような気もします。

各地、特に北日本や高地から、ちらほら紅葉の便りが聞こえ始めてきました。

毎年ご紹介していますが、今年も京都の知恩院さんでの紅葉ライトアップが再来週から始まります   

知恩院 秋の紅葉ライトアップ2016 

期 日 : 2016年11月3日(木・祝)~12月4日(日)
会 場 : 浄土宗 総本山知恩院(京都市東山区林下町400 )
       友禅苑、三門、宝佛殿、女坂
時 間 : 17時30分~21時30分(21時受付終了)
料 金 : 大人800円(高校生以上) 小人400円(小・中学生)
      団体割引 大人30名以上、1割引き

今年で17回目を迎える『知恩院ライトアップ2016』。
京友禅の祖・宮崎友禅斎ゆかりの庭園「友禅苑」や、日本最大級の木造二重門である「三門」、阿弥陀如来立像、四天王をお祀りしている「宝佛殿」をライトアップします。
春のライトアップで好評だった「聞いてみよう!お坊さんの話」は、土日祝日に実施します。また、オープニングイベントには「ニュージーランドから来たお坊さんと話してみよう!」「薩摩琵琶コンサート」も企画。
他にも、阿弥陀堂での法要の予定などもございます。大勢のおまいりをお待ちしております。

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主な見どころ】
友禅苑007
友禅染の祖、宮崎友禅斎の生誕300年を記念して造園された、華やかな昭和の名庭です。池泉式庭園と枯山水で構成され、補陀落池に立つ高村光雲作の聖観音菩薩立像が有名です。

三門 3年ぶりのライトアップ特別公開     
元和7(1621)年、徳川秀忠公が建立した高さ24m、幅50mの日本最大級の木造二重門。悟りの境地に到る「空門」「無相門」「無願門」を表すことから三門(三解脱門)といいます。
※回廊のみお立ち入りいただけます。

宝佛殿
平成4年に建立。和様式重層寄棟造りで、堂内には高さ4.8mの阿弥陀如来立像、四天王が祀られています   

関連行事

オープニングイベント おてつぎフェス Hand to Hand:promotion of the Nembutsu
【期間】 11月 3日(木・祝)、4日(金)、5日(土)
 ※3~5日は特別に大鐘楼の拝観が可能になります。

ニュージーランドから来たお坊さんと話してみよう!008
【時間】 ①19:00~ ②20:00~
【場所】 宝佛殿
【お話】 佐賀教区 西光寺僧侶
      作田法道師(ウィズフォード・スティーブン)

薩摩琵琶コンサート
「法然上人の御一代記」を、琵琶法師のごとく、弾き語るコンサートです。
【時間】 ①18:30~ ②19:30~(各回30分)
【場所】 三門下
【演奏】 薩摩琵琶 鶴田流 北原香菜子009
おてつぎ運動は、法然上人のみ心を信じ、一人一人が心からお念佛を称え、家庭から職場へ、地域社会へと仲間の輪をつくり、全世界の人々の幸福と平和の実現に向けて、人から人へと法然上人のみ教えを広く現代社会に伝える運動です。


当方、時折京都にも参りますが、なかなかゆっくり観て回れていないのが現状です。今年あたりは時間が取れれば、しみじみと古都の紅葉狩りとしゃれこみたいものです。

皆様も是非どうぞ。


【折々の歌と句・光太郎】

真金(まがね)掘り黄金の窟(むろ)にあひしごと奈良には藝のよろこび満つる

明治36年(1903) 光太郎21歳

京都ではなく奈良での作ですが、この年、与謝野鉄幹らと京都、奈良、高野山、堺などを旅した際の作です。幼い頃から父・光雲に連れられたり、美術学校の2週間にもわたる修学旅行があったりで、何度も訪れている奈良ですが、彫刻家(まだ卵でしたが)として、いにしえの仏像などに出会う喜びは、何度訪れても大きかったのだと思われます。

JR京都駅内のジェイアール京都伊勢丹さん7階にある美術館「えき」KYOTOさんで開催中の展覧会です。気付くのが遅れ、始まっています。 

世界の巨匠たちが子どもだったころ

期  日 : 2016年8月11日(木)~9月11日(日)
会  場 : 美術館「えき」KYOTO 京都駅ビル内ジェイアール京都伊勢丹7階
                           京都市下京区烏丸通塩小路
ル東塩小路町
時  間 : 午前10時~午後8時(入館締切:閉館30分前)
料  金 : 一般 800円  高・大学生 600円  小・中学生400円
主  催 : 美術館「えき」KYOTO、京都新聞
後  援 : 京都府教育委員会、京都市教育委員会
協  力 : おかざき世界子ども美術博物館

展覧会概要
モネ、ムンク、ロートレック、ピカソ、岸田劉生、伊東深水、山口華楊、山下清、平山郁夫など、誰もが一度は耳にしたことがある美術界の巨匠たち。優れた技術と多彩な感性で多くの名品を残した彼らは、いったい子どもの頃はどのような絵を描いていたのでしょうか?
 本展覧会では、1985年に子どものための本格的な美術博物館として開館した、おかざき世界子ども美術博物館(愛知県・岡崎市)が所蔵するコレクションより、世界の有名美術家73人が描いた貴重な作品118点を紹介します。
10代という時代は、豊かな感受性を持つ多感な時期であり、純粋であるがゆえに感情が大きく揺れ動く時期でもあります。
この時期に制作された作品は、画家の努力や情熱、絵に対する真っ直ぐな思いが画面にあふれ出ています。
 描くことに夢中だった小さな巨匠たちが残した、成長の足跡をお楽しみください。

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名だたる巨匠たちに交じって、光太郎の姉・004咲(さく)の作品が展示されているということだそうです。

右の画像で、右側に立っているのが咲。左は光太郎の母・わかと、光太郎の弟・豊周です。

咲は光太郎より6つ年上の明治10年(1877)生まれ。五男四女の長子です(光太郎は長男にして三番目)。

素川狩野寿信に師事して狩野派の日本画を学び、明治22年(1889)、数え13歳で「寿司」の名と「素月」の号を許され、翌年には上野公園桜ヶ丘の日本美術協会列品館で開催された絵画展覧会に絹本堅淡彩の「鍾馗図」を出品、天覧も受けたと言います。

非常に親孝行な娘だったそうで、父・光雲がその代表作である「老猿」の制作がなかなか思うように行かなかった時など、ひそかに水垢離(みずごり)を行っていたとのこと。

その他、高村家には淡彩素描の作品がいくつか遺されており、中には幼い光太郎を描いたものもあります。見事なできばえです。

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光太郎は絵の才能に秀でたこの姉を尊敬し、愛していましたが、佳人薄命、咲は明治25年(1892)、数え16歳の若さで肺炎を患って歿してしまいました。優しく気丈なこの姉の生涯から、光太郎は強い感化を受けました。のちに画家の智恵子と結ばれた光太郎、もしかすると智恵子の背後にやはり画家だった姉の姿を見ていたのかもしれません。

当方、先月、盛岡に齢100歳でご存命の、光太郎の従妹・加藤照さんのお宅で、咲が描いたという扇を拝見しました。照さんのお母様のふゆさんが、咲に直接貰ったそうです。

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小さめの扇面に、人物像が実に細密に描かれています。


さて、美術館「えき」KYOTOさんの 「世界の巨匠たちが子どもだったころ」。咲の絵が三点展示されています。「仙人」「栗」「鶴」。

どのような経緯か存じませんが、咲の作品が、愛知県岡崎市のおかざき世界子ども美術博物館さんに所蔵されています。今回の美術館「えき」KYOTOさんの 「世界の巨匠たちが子どもだったころ」は、おかざき世界子ども美術博物館さんの所蔵品が中心ということで、咲の作品も並んでいるといううことだそうです。

影響ということを考えれば、光雲から受け継いだ彫刻道とはまた異なる、光太郎芸術の一つの源流ともいえる咲の絵画。もっと注目されていいものですね。


【折々の歌と句・光太郎】

太田村山口山の山かげに稗をくらひて蝉彫るわれは
昭和21年(1946) 光太郎64歳

いったん中断していましたが、蝉を詠んだ短歌がまだありますので、ご紹介します。

京都の古刹、知恩院さんの情報です。

知恩院 春のライトアップ2016

期  間  2016年3月12日(金)~21(祝・月)
拝観時間  18時00分~21時30分(21時受付終了)
場  所 : 浄土宗 総本山知恩院(京都市東山区林下町400 ) 友禅苑、阿弥陀堂、女坂
拝  観  料 : 大人 500円  小中学生 300円

主な見どころ】

友禅苑
友禅染の祖、宮崎友禅斎の生誕300年を記念して造園された、華やかな昭和の名庭です。池泉式庭園と枯山水で構成され、補陀落池に立つ高村光雲作の聖観音菩薩立像が有名です。

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阿弥陀堂
明治43(1910)年に再建。本尊は御身丈2.7mの阿弥陀如来坐像。様々な法要儀式を執り行う堂宇です。堂内に並べられている木魚は自由に叩いて頂けます。法然上人のみ教え「お念佛」に触れて下さい。

【聴いてみよう! お坊さんのはなし】
ライトアップ期間中、阿弥陀堂にて毎日開催
開始時間:(Ⅰ)18時15分~、(Ⅱ)19時~、(Ⅲ)20時~(各回15~20分)
※状況により開催時間が変更になる場合がございます
今年は初の試みとして「聞いてみよう!お坊さんのはなし」を開催いたします。「なぜ祈りが必要なのか」「お寺のお参りの心構え」「極楽と天国の違い」など、知恩院のお参りを通して、より仏教を身近に感じていただけるような内容になっています。お話の後には皆さんと一緒に木魚を叩きながら「南無阿弥陀佛」とお念佛をお称えします。
知恩院の荘厳な空間の中、お坊さんと一緒に貴重な体験をしてみませんか?


知恩院さんでは、毎年紅葉の時期にライトアップをされていますが、おそらく今年から春にも実施するとのこと。来月中旬からで、桜の時期とは少しずれているような気もしますが、どうなのでしょうか。早咲きの桜などはもう咲いているのでしょうか。

当方、昨春、知恩院さんに行って参りました。光雲作の聖観音像、京都で露座の光雲作品は珍しく、興味深く拝見しました。

いよいよ春本番間近、という感じですね。


【折々の歌と句・光太郎】000

仁丹の広告よりは右にして明るき窓の五つ目の家
明治42年(1909) 光太郎27歳

ライトアップではありませんが、夜の東京の広告塔を謳ったものです。

「仁丹」。亡くなった祖父が愛用していました。「懐かしい」というイメージですが、今もちゃんと販売されているのですね。

画像は次の年の雑誌『スバル』に載った光太郎の手になるイラストです。

光太郎の父・光雲関連情報を2件。 

知恩院 秋の紅葉ライトアップ2015

期 間 : 2015年11月6日(金)~12月5日(土)
 間 : 17時30分~21時30分(21時受付終了)
場 所 : 浄土宗 総本山知恩院(京都市東山区林下町400 ) 友禅苑、阿弥陀堂、黒門
  : 大人800円(高校生以上) 小人400円(小・中学生)
       団体割引 大人30名以上、1割引き
 
後 援  : 京都府、京都市、(公社)京都府観光連盟、(公社)京都市観光協会、
          (公財)京都文化交流コンベンション  ビューロー、京都商工会議所
協 賛  : 京阪電気鉄道(株)、古川町商店街振興組合、宮崎友禅翁顕彰会

今年の知恩院ライトアップは友禅染の創始者宮崎友禅斎を祀る庭園「友禅苑」、阿弥陀如来坐像をお祀りする「阿弥陀堂」、紅葉の名勝である「黒門」をライトアップします。
また、阿弥陀堂前にて献灯ロウソクを実施いたします。
ロウソクの灯りとLEDライトを積極的に使用して、節電に取り組んでいます。

主な見どころ】
 友禅苑
友禅染の祖、宮崎友禅斎ゆかりの庭園。池泉式庭園と枯山水で構成され、補陀落池は高村光雲作の聖観音菩薩立像が佇んでいます。移ろう季節の中で、秋の趣を感じることが出来ます。
 
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 阿弥陀堂
明治43(1910)年に再建。本尊は御身丈2.7mの阿弥陀如来坐像。様々な法要儀式を執り行う堂宇です。堂内に並べられている木魚は自由に叩いて頂けます。法然上人のみ教え「お念仏」に触れて下さい。
※法要儀式のため閉門する場合がございます。
 
 黒門
徳川将軍家による寺領拡大と共に組まれた石垣と、桃山城より移設した城郭風の黒門が特徴で、現在では知恩院境内有数の紅葉の名勝となっており、背景に京の街並みを見渡すことができます。
 
 献灯ロウソク
ライトアップ期間中、知恩院の阿弥陀堂前で献灯ロウソクを行います。献灯台へ祈りの灯をお捧げください。

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知恩院さんに鎮座まします光雲原型の観音像、この春に拝見して参りました。

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こちらが紅葉をバックに光の中に浮かび上がるとなると、さぞ幻想的でしょう。


もう1件、東の京からです。

上野の東京国立博物館(トーハク)内のミュージアムショップさんで、新製品がお目見えしました。 

精密複製彫刻 高村光雲作 老猿

商品コード : BI-132
価   格  : 39,960 円(税込み)
素   材  : ポリストーン(石粉、合成樹脂混合)
サ イ ズ  : 高さ200mm 幅190mm 奥行き160mm
重   量  : 1,250g
カ ラ ー   : 木肌色(所蔵作品に基づく着色)
※飾り板付属

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同館に所蔵されている、ご存じ重要文化財「老猿」のレ無題プリカです。

少し前には田中貴金属ジュエリーさんの純金製置物「申」をご紹介しましたが、来年が申年ということも関係しているのでしょうか。

ちなみにトーハクミュージアムショップさんでは、もう1点、「ボトル栓 老猿」という商品も扱われています。こちらは新製品というわけではないようですが。

また、オンライン販売はありませんが、「老猿」のポストカードも販売されています。

これを機に、「老猿」グッズがもっと増えてほしいところです。俵屋宗達の「風神雷神図屏風」、伝・鳥羽僧正作の「鳥獣戯画」などは広く商品化されています(当方もいろいろと愛用しています)。近代物は難しいのかもしれませんが。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月5日

昭和27年(1952)の今日、即興詩「(四つの仮面は)」を作りました。

  (四つの仮面は)

 四つの仮面は不可避の造型
 踊り静まる勘紫乃を
 おれの手のやうな手が
 つつむ
 幕がおりる

筑摩書房『高村光太郎全集』第19巻の解題を引き写します。

 昭和二十七年十一月五日夜、帝国劇場で催された藤間勘紫乃舞踊発表会のプログラムに書き付けられた。当日上演された「四つの仮面舞踊の為のエチユード」と題する作品のための詩は、Ⅰ不安、Ⅱ戦争、Ⅲ苦悶、Ⅳ希望の四部に分れ、作詩者は草野心平だった。美術担当は岡田謙吉で、舞台装置の中央に、光太郎の彫刻「手」に似た向かい合う二つの手首が作られていた。光太郎は当夜、デザイナー石井荘男の乞いにまかせて、そのプログラムに「踊は人をあつめ 人をむすぶ」と書いたあと、手元にあったプログラムにこの詩をしたため、勘紫乃にそのプログラムを渡すよう依頼したという。「光 Le5 Nov.1952」の署名がある。

いろいろ紹介する事項が多く、間が空いてしまいましたが、先週末、京都に行って参りましたのでレポートします。

目的地は2カ所。まずは東山の知恩院さんに。

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こちらにある友禅苑という庭園には、光雲が原型を作成した聖観音像が鎮座ましましています。

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この像は秋11月、紅葉の季節にライトアップされます。

知恩院さんには何度も足を運んでおりますが、実はそのライトアップの報道を読むまで、こちらに光雲原型の観音様がいらっしゃることを存じませんで、この機会にと思い、拝見して参りました。

光雲は江戸の生まれで、東京をホームグラウンドにしていましたので、東京には光雲作の仏像を収める寺院が非常に多いのですが、京都はそうでもありません。

数年前にその発見が報じられた嵯峨野の大覚寺さん、鷹が峰の光悦寺さんなどが有名なところです。

そちらは堂内や宝物館に収められていますが、知恩院さんのものは露座です。京都で露座の仏像でちょっとしたもの、というのは珍しいのではないでしょうか。


知恩院さんを出て、そのまま歩いて南下、円山公園や祇園を抜け、清水方面へ向かいました。知恩院さんを含め、早咲きの桜がみごとでした。まだソメイヨシノはほとんど開花していませんでした。

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ただ、雨だったのが残念でした。それはそれで風情があったのですが。

次なる目的地は、清水寺近くの清水三年坂美術館さん。

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こちらでは、2月から企画展「明治の彫刻」を開催中です。

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光雲作の木彫が4点、展示されています。「聖観音像」「月宮殿 天兎」「老子出関」「西行法師」です。

他に光雲と親交の深かった石川光明、光雲高弟の山崎朝雲などの木彫、今年1月、テレビ東京系の「美の巨人たち」で取り上げられた森田藻己の根付「竹の中の大工」もありました。光雲が森田の根付けを愛用し、絶賛していたとのこと。

木彫は見る機会が多いのですが、今回、牙彫(げちょう・象牙彫刻)がたくさん出品されており、まとめて牙彫を見るのは初めてなので、興味深く拝見しました。明治前半には牙彫が輸出品としてもてはやされましたが、光雲は師匠伝来の木彫にこだわり、廃仏毀釈で仏像の注文がほとんどなくなっても牙彫にはてをつけなかったそうです。また、金工でなく、木彫や牙彫で作られた自在置物もあり、「こんなものもあったのか」と驚きでした。

企画展は館の二階でしたが、一階は常設展的に、彫刻以外の七宝や金工、漆芸などの作品が並んでいました。こうした明治の「超絶技巧」がちょっとしたブームですが、やはり凄い、と思いました。

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同館では同館自体でこのような展示を行いつつ、さらに出張巡回で「特別展 超絶技巧!明治工芸の粋」も展開しています。現在は山口県立美術館に巡回中です。こちらでも光雲の木彫が並んでいます。

館の方とお話をさせていただきましたが、こちらの展示品はほぼすべて、館の所蔵する「村田コレクション」だそうで、外部から借り受けることはほとんどないそうです。「光太郎展をやりませんんか?」という営業の意図もあっておじゃましたのですが、どうもそうはいかないようです。

さて、「明治の彫刻」、来月17日まで開催中です。知恩院さんともども、足をお運び下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 4月1日

明治42年(1909)の今日、日本女子大学校桜楓会の機関誌『家庭』が創刊されました。

この雑誌の編輯人は小橋三四子、発行兼印刷人は柳八重。いずれも智恵子と親しい同大の先輩で、1年半後には二人を介して光太郎と智恵子の邂逅が実現します。

『家庭』には智恵子の描いたカットも掲載されました。数多い挿画の中でどれが智恵子の手になるものか特定できない面がありますが、このあたりは智恵子作と云われています。

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2月も下旬となりましたので、そろそろ3月に行われるイベント等の情報を順次お伝えします。

京都からシンポジウムの情報です。

福島大学うつくしまふくしま未来支援センター京都シンポジウム 『ほんとの空が戻る日まで』―東日本大震災及び原発事故からの福島の闘い―

東日本大震災発生から4年。
震災からの復旧・復興への取組みを通して東北・福島の想いを関西につなぐとともに、住民レベルでの減災意識の啓発を図ることを目的として、「うつくしまふくしま未来支援センター京都シンポジウム『ほんとの空が戻る日まで』-東日本大震災及び原発事故からの福島の闘い-」(主催:福島大学、福島大学うつくしまふくしま未来支援センター、共催:立命館大学、大阪大学 ほか)を開催します。

あの日から4年が経過しようとしています。
長い月日が経過した今でも福島県では約12万4千人の避難者(うち県外避難者約4万7千人)が原発事故の収束と地元帰還の見通しが立たない中、放射線被ばく、雇用喪失、生活再建、食の安全、子育てへの不安が重くのしかかり、借り上げ住宅、仮設住宅といった厳しい環境の下で生活しています。
そして、県民193万7千人が言われなき風評と闘いながら日々生活しています。
震災・原発事故で傷ついた東北は震災直後、関西から心強いメッセージ、そして支援をいただきました。それに感謝し我々の経験そして想いを関西に返す事により、減災意識を高めることができればと考えます。
そして歴史の繋がりの強い京都で開催し、皆様に今一度福島のことを考え、福島に寄り添っていただくことを目的に開催するものです。

日 時  平成27年3月8日(日) 12時00分~17時20分 ※同日10時00分~11時15分 開会前DVD上映(鑑賞自由)
場 所  立命館大学朱雀キャンパスホール (京都市中京区西ノ京朱雀町1)
参加募集人数  事前申込制 350名
※参加費無料
※2月28日(土)までに、チラシ裏面の参加申込書によりFAXまたはE-mailでお申し込みください。
申込み先 福島大学うつくしまふくしま未来支援センター
FAX:024-504-2865 E-mail:fure@adb.fukushima-u.ac.jp
参加対象者 一般市民、大学関係者、学生、行政職員、福島県から避難している方 他
問い合わせ先 福島大学うつくしまふくしま未来支援センター  TEL 024-504-2865
主催: 国立大学法人福島大学、福島大学うつくしまふくしま未来支援センター
共催: 立命館大学、国立大学法人大阪大学
後援(予定): 文部科学省、復興庁、福島県、京都府、京都市、双葉地方町村会、公益社団法人経済同友会 他

プログラム
※10:00~11:15 開会前DVD上映(鑑賞自由)
OECD東北スクールの集大成 東北復幸祭〈環WA〉in PARIS
11:20~12:00 受付 
  12:00~ うつくしまふくしま未来支援センターの活動紹介
  12:10~ 開会
挨 拶 福島大学学長 中井勝己 立命館大学学長吉田美喜夫 大阪大学総長平野俊夫
12:25~13:25 Ⅰ部
基調講演「誰もが発信できる時代 福島の今を丁寧に世界に伝えるために」
堀潤氏 ジャーナリスト(元NHKアナウンサー)
 13:35~15:05  Ⅱ部
福島の現状報告
①「福島大学の活動状況」 中田スウラ  FURE*センター長
②「福島県における放射能の現状」大瀬健嗣 FURE*農・環境復興支援部門特任准教授
③「食の安全と農業の再生に向けた闘い」小山良太 FURE*副センター長、食・農復興支援担当マネージャー
④「こども支援を通して見えてきたこと」本多環 FURE*こども・若者支援部門特任教授
 15:20~17:10  Ⅲ部
パネルディスカッション『震災・原発事故からの福島の闘い』
[コーディネーター] 開沼 博 FURE* 地域復興支援部門特任研究員
[パネリスト]
・サトウタツヤ 立命館大学文学部教授
・久保 壽彦 立命館大学経済学部教授
・遠藤 勝裕 氏 経済同友会震災復興委員、日本学生支援機構理事長
・高橋 美奈子 氏 福島市飯坂温泉松島屋旅館女将
・佐藤 彰彦 FURE*地域復興支援部門特任准教授
 17:15 閉会
挨拶 FURE*センター長 中田スウラ
 
*FURE:うつくしまふくしま未来支援センターの略

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あの日からもうすぐ4年。当方、昨年は10回以上福島に足を運びました。行くたびに少しずつ復興が進んでいる様子が見えるものの、まだまだ道半ば、いや、半ばまでも行っていないかも知れません。安達太良山の山の上に毎日出ている青い空は、美しい「ほんとの空」ですが、ほんとの意味での「ほんとの空」とはまだ言えません。

現在、国会会期中ですが、安倍政権は脱原発というつもりはさらさらないようです。4年経っても12万人以上が避難生活を送っているのに、です。

先月は、阪神淡路大震災から20年ということで、いろいろな取り組みが報じられていました。ぜひ関西の皆さんにも、福島の現状と課題を知っていただき、今後の日本全体を考えるよすがとしていただきたいものです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月20日

昭和26年(1951)の今日、龍星閣から詩集『智恵子抄』が復刊されました。

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詩集『智恵子抄』。オリジナルは昭和16年(1941)8月に刊行され、同19年'1944)、版元の龍星閣が休業するまでの間に13刷まで版を重ねました。。

戦後、昭和22年(1947)の11月、白玉書房という書肆が、休業中の龍星閣に代わって『智恵子抄』を出版。オリジナルの龍星閣版に戦後の詩「松庵寺」「報告」を加えました。

光太郎は白玉書房社主の、「龍星閣の同意を得ているという言を信用して出版を許可したのですが、実は同意をきちんと得ていなかったことが判明、白玉書房版は絶版となりました。そして同26年(1951)になって、龍星閣からオリジナルの形に戻して復刊されました。

その後、昭和31年(1956)に、草野心平の編集で新潮文庫版が出され、そちらが広く流通したため、今日、『智恵子抄』というと、新潮文庫版を想起する人がほとんどです。新潮文庫版は、戦後の詩篇を数多く含みますが、オリジナルは昭和16年(1941)作の、智恵子の葬儀を謳った「荒涼たる帰宅」まで。内容的には智恵子歿後の駒込林町のアトリエを舞台にした「梅酒」(昭和15年=1940)までです。

京都から企画展情報です。 
 場 清水三年坂美術館 京都市東山区清水寺門前産寧坂北入清水三丁目337-1
 期 2015年2月21日(土)~2015年5月17日(日)月・火曜日休館(祝日は開館)
 金 一般800円、大・高・中学生500円

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明治の彫刻が日本の美術館で展示されることは滅多にない。展示されるとしても せいぜい木彫や牙彫で、他の素材を使った作品は展示されない。明治の彫刻には、 木彫、牙彫以外に漆彫刻や貝殻、べっ甲、珊瑚などを彫刻して木や象牙に象嵌する彫嵌(ちょうがん)作品もある。
今回の展示では高村光雲や石川光明、安藤緑山らの牙彫・木彫 作品に加え、堆朱陽成や逸見東洋の堆漆作品、旭玉山、田中一秋らの彫嵌作品など、明治の多様な彫刻美術の全貌をご高覧いただきたい。


清水三年坂美術館さんは、幕末、明治の金工、七宝、蒔絵、薩摩焼を常設展示する日本で初めての美術館として平成13年(2001)に、京都清水寺近くに開館しました。平成23年(2011)には企画展「高村光雲と石川光明」を開催して下さっています。

また、昨年から東京日本橋静岡三島山口と、全国巡回中の「超絶技巧! 明治工芸の粋」展も、同館の所蔵品によるものです。

光雲の木彫がある程度まとめて見られる機会はそう多くありません。当方も桜の時期にでも暇を見つけて行ってこようかなと思っています。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月13日

昭和23年(1948)の今日、電車を乗り間違いました。

花巻郊外太田村の山小屋で暮らしていた時期のエピソードです。花巻の町に出、その帰途、花巻電鉄の西花巻駅から下り線に乗るはずが、間違って上り線に乗ってしまい、一時間半ほど無駄にしてしまいました。

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以前にもご紹介しましたが、こちらは当方手持ちの古絵葉書です。

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こちらは現在の花巻駅近くの 西公園で、静態保存されている車両「デハ3」。

「馬面電車」と呼ばれる非常に細長い独特の形状です。

京都からの情報です。 

知恩院 秋の紅葉ライトアップ2014

 間 : 2014年11月1日(土)~11月30日(日)
 間 : 17時30分~21時30分(21時受付終了)
 所 : 浄土宗 総本山知恩院(京都市東山区林下町400 ) 友禅苑、阿弥陀堂、黒門坂 
料 金 : 大人800円(高校生以上) 小人400円(小中学生)
      [団体割引]大人30名以上、1割引き
   京都府 京都市 (公社)京都府観光連盟 (公社)京都市観光協会、
      (公財)京都文化交流コンベンションビューロー 京都商工会議所
   西日本旅客鉄道(株)京都支社 京阪電気鉄道(株) 古川町商店街振興組合
      宮崎友禅翁顕彰会
 
~復興への祈り~
今年の知恩院ライトアップは友禅染の創始者宮崎友禅斎を祀る庭園「友禅苑」、阿弥陀如来坐像をお祀りする「阿弥陀堂」、紅葉の名勝である「黒門坂」をライトアップします。
また、災害復興のため阿弥陀堂前にて献灯ロウソクと三門前広場にて宮城「希望の環」による東北地方物産の直売(11月15日[土]〜24日[月])を実施いたします。
 
主な見どころ】
 友禅苑
友禅染の祖、宮崎友禅斎ゆかりの庭園。池泉式庭園と枯山水で構成され、補陀落池は高村光雲作の聖観音菩薩立像が佇んでいます。移ろう季節の中で、秋の趣を感じることが出来ます。
 
 阿弥陀堂
明治43(1910)年に再建。本尊は御身丈2.7mの阿弥陀如来坐像。様々な法要儀式を執り行う堂宇です。堂内に並べられている木魚は自由に叩いて頂けます。法然上人のみ教え「お念仏」に触れて下さい。
※法要儀式のため閉門する場合がございます。
 
 黒門坂
本年のライトアップが初公開となる黒門坂。徳川将軍家による寺領拡大と共に組まれた石垣と、桃山城より移設した城郭風の黒門が特徴で、現在では知恩院境内有数の紅葉の名勝となっており、背景に京の街並みを見渡すことができます。
 
 災害復興支援 献灯
ライトアップ期間中、知恩院の阿弥陀堂前で献灯ロウソクを行います。献灯台へ祈りの灯をお捧げください。
※献灯冥加は災害復興のため一部寄付いたします。
 
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寺の町だけあって、京都にも光雲の仏像がかなりあります。そのうち、知恩院さんの聖観音像が、紅葉を背景としたライトアップ。
 
近郊の方、あるいは紅葉を見に上洛される方、ぜひとも足をお運び下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月30日

昭和42年(1967)の今日、二玄社から『高村光太郎全詩稿』が刊行されました。
 
光太郎の手元に残された大正5年(1916)から、昭和31年(1956)に歿するまでの詩稿、およそ850枚を写真製版し、北川太一先生が詳細な解説を加えた、上下二分冊の書籍です。
 
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昭和20年(1945)4月、空襲により駒込林町のアトリエは灰燼に帰しました。その際、光太郎はそれまでの詩稿を持ち出ましたが、行方不明となりました。
 
十和田湖畔の裸婦像制作のため、昭和27年(1952)に再び上京した光太郎の元に、詩稿の束が戻ってきました。それは炎上したアトリエの隣家、蔵石家で奇跡的に保管されていたのです。 
 
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アトリエ炎上から岩手時代を経て、歿するまでの詩稿はそのまま光太郎の手元に蓄積され続け、戻ってきた古い詩稿と合わせ、その数およそ850枚。中には光太郎の単行詩集に収録されず、同人誌的なものに発表されただけで終わり、どんな詩だったのか不明のものも、数多く含まれていました。
 
のちの筑摩書房刊行『高村光太郎全集』編纂に大いに役立ったことは言うまでもありません。
 
その詩稿を写真製版し、刊行されたのが『高村光太郎全詩稿』です。
 
推敲の跡が生々しく残り、さらに雑誌等に発表した後、単行詩集に収録する際の改変の跡などもうかがえる詩もあります。何より、活字からは感じ取りにくい、光太郎の息づかい的なものが、肉筆の文字から伝わってきます。
 
難点は、B4サイズの大判で、コート紙を使用しているため、かなりの重量であること。当方手持ちのクロス貼り表紙のもの(革張り表紙の特製版もあります)の上巻は3.7㌔㌘、下巻は3.8㌔㌘でした(笑)。

昨日、小学館さんで刊行している雑誌、『サライ』の12月号を取り寄せて手に入れました。
 
実は、現在、店頭で販売されているのは1月号です。ではなぜ先月号を手に入れたのか、と申しますと、ネットで調査中、12月号の付録「平成26年『サライ』特性カレンダー 「日本美術の名宝」暦」に光太郎の木彫「鯰」が使われているという情報を得たからです。
 
喜び勇んで書店に行ったのが14日。その時点では毎月10日発売というのを知らず、既に12月号は売られていませんでした。あきらめきれずにネットでバックナンバーが購入できないかと試み、ようやく手に入れた次第です。
 
早速開封してみると、こんな感じでした。
 
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そして6月が「鯰」。竹橋の東京国立近代美術館が所蔵しているもので、今年開催された「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」の千葉展と岡山展で出品されたものです。
 
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他のラインナップは以下の通り。
 
1月:国宝「普賢菩薩像」、2月:狩野山雪「雪汀水禽図屏風」、3月:俵屋宗達「風神雷神図屏風」、4月:岩佐又兵衛「浄瑠璃物語絵巻」、5月:円山応挙「藤花図屏風」、7月:狩野永徳「洛中洛外図屏風」、8月:葛飾北斎「諸国瀧廻り」、9月:久隅守景「夕顔棚納涼図屏風」、10月:快慶「阿弥陀三尊像」、11月:狩野秀頼「高尾観楓図屏風」、12月:雪舟「秋冬山水図」。
 
こうしてみると、近代は光太郎だけですね。
 
それから本誌の方では光雲が紹介されています。
 
10月にこのブログで紹介した京都国立近代美術館で開催中の「皇室の名品-近代日本美術の粋」展の記事が載っており、光雲の「松樹鷹置物」が大きく載っています。
 
この雑誌は美術関連にも力を入れています。7月号では「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」を取り上げて下さいました。ありがたいことです。
 
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当方、時折利用する雑誌専門の通販サイト「Fujisan.com」で入手しましたが、小学館さんのサイトからもバックナンバーが取り寄せられます。ともに定価750円。ぜひお買い求めを。

【今日は何の日・光太郎】 12月22日

大正3年(1914)の今日、上野精養軒で光太郎智恵子の結婚披露宴が行われました。
 
99年前の今日が、二人の結婚記念日というわけです。まぁ、共棲生活に入ったのはもっと前と推定されますし、逆に入籍したのは昭和8年(1933)ですから実に20年近く後ですが。
 
雨男光太郎の面目躍如で、この日も冬には珍しい豪雨だったそうです。
 
以前にも書きましたが、第一詩集『道程』の刊行も同じ大正3年です。したがって、来年・2014年は『道程』刊行100周年、光太郎智恵子結婚100周年ということになります。そのあたりの線で顕彰活動を進めていこうと考えております。

京都から展覧会情報です。 

皇室の名品-近代日本美術の粋-

 
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会 期 : 2013/11/9(土)~2014/1/13(月・祝)
会 場 : 京都国立近代美術館 京都市左京区岡崎円勝寺町(岡崎公園内)
入場料 : 当日一般1,300円 学割・前売り割引あり
 
記念イベント
11/16(土) 記念講演会 「皇室と日本近代工芸」 京都国立近代美術館学芸課長 松原龍一
11/23(土) 記念鼎談 「皇室が護り育てた日本近代美術」
       大原美術館長 高階秀爾・前京都国立近代美術館長 尾﨑正明・
       宮内庁三の丸尚蔵館研究官 太田彩
12/14(土) 記念講演会 「皇室と明治の美術」 東京芸術大学 古田亮
同展サイトから
 本展は、代々の皇室に引き継がれてきた美術品群が国に寄贈されたことを受け、平成5(1993)年に開館した宮内庁三の丸尚蔵館が所蔵する美術工芸品の中から、選りすぐった近代以降の作品約180点を、六つの章に分け体系的に紹介するものです。日本画の横山大観、竹内栖鳳、油彩画の高橋由一、彫刻の高村光雲、七宝の並河靖之、金工の海野勝珉など、内国勧業博覧会や万博への出品作、御成婚や御即位を祝して制作された作品など、皇室ゆかりの名品が一堂に会します。
 本年12月に天皇陛下は傘寿を迎えられます。その佳き年と、京都国立近代美術館の開館50周年、宮内庁三の丸尚蔵館の開館20周年が重なりました。各館の記念事業の一つとして、皇室とは特別にゆかりの深い京都の地で、皇室が守り育んでこられた、まさに近代日本美術の粋をご観覧いただけるまたとない機会となります。
 
上記チラシにも載っていますが、光雲の作品も展示されます。
 
大正13年(1924)の作、「松樹鷹置物」。宮内庁001の三の丸尚蔵館に所蔵されているものです。ただし後期のみの展示となっていました。前期は11/9~12/8、後期が12/11~1/13で、前後期でかなり展示品の入れ替えがあるようです。
 
他には以下の通り。
「鶴亀置物」 
 明治40年(1907) 竹内久一との合作 後期
「萬歳楽置物」 
大正5年(1916) 山崎朝雲との合作 前期
「猿置物」 大正12年(1923) 前期
「矮鶏置物」 明治22年(1889) 後期
 
光雲と皇室との関連は深く、明治20年(1887)の皇居造営の際に内部の装飾彫刻を手がけたのを皮切りに、同23年(1890)には帝室技芸員に任命、同26年(1893)には皇居前広場に建つ楠木正成像原型を完成させ、その他、何度も御前彫刻を仰せつかっています。
 
せっかくの機会ですので、足をお運び下さい。当方も「松樹鷹置物」が並ぶ後期に行ってみようと思っています。
 
【今日は何の日・光太郎】 10月22日

昭和17年(1942)の今日、詩人の風間光作、西山勇太郎と群馬県宝川温泉湯ノ小屋を訪れました。
 
この時、宿の主人・鈴木重郎の日記帳に言葉を書き残しています。

京都からイベント情報です。  

京のみちと街道を知る―道文化を考えるシンポジウム

趣旨
毎日歩いている道路が、どんな道であり路であったのか、知れば知るほど深いお話があります。
人と人をつなぐ大切な道について、まず知ることあら始め、その意義を尊び、建設・維持・管理という不断の努力が支えていること、知らない道を行く旅の意味、また人生の道についての思いを語り、「道文化」の醸成をはかりたいと思います。  

日時など
主催:NPOうるわしのまち・みちづくり 
協賛:社団法人 近畿建設協会  協力:日本国際詩人協会
日 時:平成25年9月27日(金)13:30~16:00(予定)
場 所:ANAクラウンプラザホテル
(旧京都全日空ホテル京都市営地下鉄東西線二条城前下車)
参加費:無料  先着100名で受付終了

プログラム
「わたしの道:高村光太郎の『道程』をめぐって」講師 尾崎まこと氏(詩人)
「京みちと欧米のみち」  講師 宗田好史氏(京都府立大学教授)
「街道の文化・みちの文化」講師  藤本貴也氏 (全国街道交流会議 代表理事)
 
光太郎には「求道者」のイメージがつきまといます。「道」は、時に「道」を踏み外すこともあった光太郎を読み解く一つのキーワードと言えるでしょう。
 
詩では「道程」をはじめ、「さびしきみち」「老耼、道を行く」「詩の道」「最低にして最高の道」「根元の道」「永遠の大道」「われらの道」など、「道」を謳った作品が多く存在します。
 
短歌でも昭和24年(1949)の作で、次のようなものがあります。
 
 吾山にながれてやまぬ山みづのやみがたくして道はゆくなり
 
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光太郎の生き様が端的に表されています。
 
【今日は何の日・光太郎】 9月5日

昭和20年(1945)の今日、8月の花巻空襲の際、身を挺して怪我人の看護に当たった総合花巻病院の職員表彰式に出席、自作の詩「非常の時」を朗読しました。
 

  非常の時
 
 非常の時012
 人安きをすてて人を救ふは難いかな。
 非常の時 
 人危きを冒して人を護るは貴いかな。
 非常の時
 身の安きと危きと両つながら忘じて
 ただ為すべきを為すは美しいかな。
 非常の時
 人かくの如きを行ふに堪ふるは
 偏に非常ならざるもの内にありて
 人をしてかくの如きを行はしむるならざらんや。
 大なるかな、
 常時胸臆の裡にかくれたるもの。
 さかんなるかな、
 人心機微の間に潜みたるもの。
 其日爆撃と銃撃との数刻は
 忽ち血と肉と骨との巷を現じて013
 岩手花巻の町為めに傾く。
 病院の窓ことごとく破れ、
 銃丸飛んで病舎を貫く。
 この時従容として血と肉と骨とを運び
 この時自若として病める者を護るは
 神にあらざるわれらが隣人、
 場を守つて動ぜざる職員の諸士なり。
 神にあらずして神に近きは
 職責人をしておのれを忘れしむるなり。
 われこれをきいて襟を正し、
 人間時に清く、
 弱き者亦時に限りなく強きを思ひ、
 内にかくれたるものの高きを
 凝然としてただ仰ぎ見るなり。
 
花巻空襲や職員表彰式については、加藤昭雄著『花巻が燃えた日』(熊谷印刷出版部 平成11年=1999)、同『絵本 花巻がもえた日』(ツーワンライフ 平成24年=2012)に詳しく記述があります。
 
この詩は毎年5月15日に開催される花巻光太郎祭で、ほぼ毎回、花巻高等看護学校の学生さんによって朗読され続けています。

一昨日から昨日にかけ、京都に行って参りました。無題1
 
目的は京都国立近代美術館さんで開催中の企画展「芝川照吉コレクション展~青木繁・岸田劉生らを支えたコレクター」の拝観でしたが、少しだけ観光もしてきました。
 
当方の乗った夜行バス、京都着は午前6時過ぎ。この時間ではさすがに美術館は開いていませんので、館の空く9時半までの時間をつぶさなければなりません。
 
さて、光太郎といえば智恵子。智恵子といえば福島。福島といえば今年は「八重の桜」。というわけで(強引ですが)、それ関係の場所を巡りました。
 
まず、現在「八重の桜」で展開中の戊辰戦争が終わり、明治になってから八重が暮らした新島邸
 
京都御所の裏にたたずんでいます。
 
こちらも内部の拝観には時間が早かったので、門の外から見ただけでしたが、趣のある建物でした。
 
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鴨川べりに出て、コンビニでパンとコーヒーを買って朝食。その後、まだ時間が早いので下鴨神社さんまで足を伸ばしました。ここは福島や光太郎との縁はないとは思うのですが、一度行ってみたかったので。
 
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さらに、京都国立近代美術館さんに近い金戒光明寺さんに行きました。ここは以前にも行ったことがあるのですが、幕末に京都守護職・会津藩本陣が置かれたところです。

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以前のブログにも書きましたが、「八重の桜」での金戒光明寺でのシーン(外観)は、当方の暮らす千葉県香取市にある観福寺さんというところで撮影されました。さすがに本家(笑)の方が立派です。
 
本堂に上がると、参拝者が自由に書くノー000トが。見ると、その前の日の日付で「福島から来ました。最後まで諦めなかった会津様を見習い、諦めずにがんばろうと思います」という書き込み。日本全体では被災の記憶が薄れつつあるようで、閣僚のトンデモ発言なども飛び出していますが、まだまだ被災地での被災は続いています。ほんとうにがんばってほしいものです。
 
金戒光明寺さんでは、以前に行ったときには足を踏み入れなかった会津藩士の墓所にも行きました。本堂でもここでも、手を合わせつつ心の中で「福島の復興を見守っていてください」とお願いして参りました。
 
ちょうど9時半くらいになったので、京都国立近代美術館さんに行き、「芝川照吉コレクション展~青木繁・岸田劉生らを支えたコレクター」を観ました。
 
昨日書き忘れましたが、光太郎以外にも岸田劉生、清宮彬、バーナード・リーチ、石井柏亭・鶴三兄弟、硲伊之助、柳敬助、高村豊周など、光太郎の周辺にいた人物の作品も多く、興味深く拝見しました。
 
長谷川昇という画家の作品も一点。こちらは東京美術学校で彫刻科を卒業したあと西洋画科に再入学した光太郎の、西洋画科での同級生で、会津出身です。
 
というわけで、今回の京都行は、京都にいながら福島を偲ぶ旅でもありました。また近いうちに福島にも行って参ります。
 
【今日は何の日・光太郎】 6月24日

昭和14年(1939)の今日、銀座三昧堂ギャラリーで開催されていた、南洋パラオで暮らしていた異端の彫刻家・杉浦佐助の個展が閉幕しました。

光太郎は図録に推薦文を書いています。

昨夜、居住地域から夜行バスに乗って、京都に行って参りました。
 
京都国立近代美術館で開催中の企画展「芝川照吉コレクション展~青木繁・岸田劉生らを支えたコレクター」を観るためです。帰りは新幹線を使い、先ほど帰って参りました。
 
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今月初めのこのブログでご紹介しましたが、光太郎の水彩画とされる作品が一点、出品されています。光太郎顕彰の世界ではその存在が知られていなかったものです。
 
芝川照吉(明治4=1871~大正12=1923)は、企画展の副題にもあるとおり、青木繁や岸田劉生を援助した実業家で、そのコレクション総数は1,000点以上だったそうです。しかし、関東大震災や、没後の売り立て(競売)で散逸、最後に残った180点ほどが京都国立近代美術館に寄贈されました。今回の展覧会はそれを中心に、関連作品をまじえて構成されています。
 
絵画以外にも工芸作品が多く、同館自体が京都という土地柄上、工芸の収集、展示に力を入れているということもあり、館としてはうってつけだったようです。
 
さて、光太郎の水彩画。「劇場(歌舞伎座)」と題された八つ切りのあまり大きくないものです。制作年不明とキャプションに書かれています。「印象派風」というと聞こえはいいのですが、はっきりいうと何が何だかさっぱりわからない絵です。かろうじて歌舞伎の定式幕が描かれているのが判然とするので、「歌舞伎座」という副題が納得出来るという程度です。
 
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千葉市美術館の学芸員さんから情報を得、画像も送っていただいたのですが、本当に光太郎の作品なのか半信半疑でした。今日、実際に作品を見てもまだ半信半疑でした。

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数年前に大阪の阪急文化財団逸翁美術館でもそれまで知られていなかった光太郎の絵画が出ましたが、こちらは日本画で、与謝野晶子が自作の短歌を書き、絵を光太郎が担当したもの。来歴もはっきりしていましたし、絵も類例があるものなので、即座に間違いないと思いました。
 
しかし、今回の水彩画は、芝川照吉のコレクションという点で来歴は大丈夫だろうと思いつつ、類例がないことが気にかかっていました。
 
そう思いつつ、企画展会場の最後にさしかかると、芝川没後の大正14年(1925)に開かれた売り立て(競売)の目録がパネルに拡大コピーされて展示してありました。「おっ」と思い、詳しく観ると、最後の辺りに今回の水彩画と思われるものもちゃんと載っていました。
 
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上記はその売り立て会を報じた新聞記事です。

これで少なくとも大正末の時点ではこの作品が光太郎作と認定されていたことは間違いないのでしょう。また、売り立ての「後援」に、光太郎と親しかった画家・石井柏亭が名を連ねています。これはこの作品が間違いない一つの証左になりそうです。さらに、他の出品物はやはり岸田劉生やら青木繁やらのもの。いけないものはまざっていないようです。
 
というわけで、今回の水彩画も間違いないものだろうと思いますが、まだ確定はできにくいところがあります。もう少し調べてみるつもりではありますが。
 
明日も京都レポートを。
 
【今日は何の日・光太郎】 6月23日

大正4年(1915)の今日、浅草山谷八百善で開かれた、北京移住のため離日する陶芸家・バーナード・リーチの送別会に出席しました。
 
今日観てきた芝川コレクションにもリーチの作品が多数含まれていました。

先頃、京都と大阪の堺に行って参りました。京都では大覚寺さんで新たに見つかった光雲の木彫などを観、堺では与謝野晶子の命日・白桜忌のつどいに参加して参りました。
 
ところが、その京都と堺から、また新たな情報が舞い込んできました。
 
まずは京都。
 
京都国立近代美術館さんで開催中の企画展「芝川照吉コレクション展~青木繁・岸田劉生らを支えたコレクター」に、光太郎の水彩画が出品されているとのこと。

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以下、文化庁さんのサイトから抜粋させていただきます。
 
 芝川照吉という名のコレクターをご存じでしょうか。その人物が,わが国近代美術を代表する青木繁や岸田劉生を世に送り出した張本人だということを知れば,いやが上にも興味がそそがれるにちがいありません。
 そしてこの「芝川コレクション」には,当初1000点を超える作品が集結していましたが,このたび遺族の手元に残された現存する178点が,京都国立近代美術館に一括収蔵の運びとなりました。
 それら貴重な作品群を,関西でははじめて公開する記念の展覧会を開催いたします。
 青木繁が没した翌年(1912年),坂本繁二郎,正宗徳三郎らが中心となって青木繁の遺作展の開催と『青木繁画集』の刊行が計画されました。この時それらの実現に向けて,全面的に資金援助したのが芝川だったのです。そしてこれらの事業を主宰した人たちから,お礼として青木の作品を譲り受け,とりわけ代表作《女の顔》は,芝川家ご遺族の手によって今日まで残された貴重な作品といって過言ではありません。
 さらに本コレクションの核を成す岸田劉生を中心とする草土社の画家たちの作品も見逃せません。岸田劉生が芝川照吉を描いた《S氏の像》(1914年)頃から,ふたりの親密な関係がはじまり,東京国立近代美術館が所蔵する重要文化財の《道路と土手と塀(切通之写生)》(1915年)もコレクションに含まれていたのです。
 
というわけで、そのコレクションの中に、光太郎の水彩画が含まれていたわけです。題名は「劇場(歌舞伎座)」。制作年は不明、23.5×35.4センチの小さな絵です。
 
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当方、つてを頼って画像データを入手しました(さすがにこのブログでは転載できませんが)。不思議な絵です。これだけがポッと出てきて「光太郎作の水彩画だ」と言われても、信用できません。しかし、芝川コレクション自体の来歴がしっかりしているので、信用できると思います。
 
この芝川コレクション、国立国会図書館のデジタルデータに当時の図録が納められており、光太郎の名も目次に載っています。ところが光太郎の作品が載っているページが欠損しており、どんなものか以前から気になっていました。
 
ただ、芝川コレクション全体は膨大なものだったようなので、今回の水彩画以外にも光太郎作品が入っていた可能性もあります。しかし、大正12年(1923)の関東大震災などで失われてしまったものも多いとのこと。残念です。
 
さて、今回の「芝川照吉コレクション展」。光太郎の水彩画以外にも、光太郎の近くにいた作家の作品が数多く含まれています(出品リスト)。岸田劉生、柳敬助(光太郎の親友・妻、八重を介して智恵子が光太郎に紹介されました)、石井鶴三、高村豊周(下記参照)、富本憲吉、石井柏亭、奥村博(平塚らいてうの「若いツバメ」)、清宮彬、バーナード・リーチなどなど。会期は6月30日まで。
 
これはまた京都に行かなければならないなと思っています。
 
さらに大阪・堺からも新着情報が。明日、紹介します。
 
【今日は何の日・光太郎】 6月2日

昭和47年(1972)の今日、光太郎の弟で、鋳金の道に進み、人間国宝に認定された高村豊周(とよちか)が歿しました。
 
ほとんどの光太郎塑像の鋳造を担当し、光太郎没後は連翹忌などその顕彰活動に奔走しました。また、光太郎に関するたくさんの回想録は、すぐ身近にいた立場からのもので、非常に貴重なものです。光太郎同様、文才にも恵まれ、歌会始の召人に任ぜられた他、四冊の歌集を遺しました。

京阪に行って参りました。2回に分けてレポートします。
 
昨日の夜、居住地から夜行バスで京都に向かいました。夜行バスなるものを使うのは初めてでした。午後9時に出発、今朝6時20分に京都駅八条口に到着。運賃は片道で8820円。新幹線を利用するより格段に安い金額ですし、眠っている間に着くので時間の有効活用という意味でもいい方法でした。ただし、寝心地はあまりよくありませんでした。乗り心地を取るか、時短と金額の安さを取るか、という選択ですね。
 
目指すは嵯峨野の大覚寺さん。霊宝殿という宝物館で先月から「大覚寺の栄華 幕末・近代の門跡文化」展が開かれていまして、昨年末、新たに大覚寺さんで発見された光雲の木彫三点が初めて公開されています。
 
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図録は刊行されず、上記のチラシが図録代わりでした。
 
発見された木彫は3点。いずれも20センチちょっとの小さなものですが、光雲の職人技が冴えわたっています。
 
最も古いのが「木造聖観音菩薩立像」。大正5年(1916)4月3日と箱書にありました。
 
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続いて「木造白衣大士」。箱書は大正6年(1917)12月。こちらはチラシに画像がありません。
 
もう1点が「木造聖徳太子孝養像」。大正7年(1918)11月23日作の箱書。
 
光雲は多くの弟子を抱え、弟子がメインで作った作品も光雲が仕上げに手を入れれば光雲のクレジットが入る、という工房スタイル-ガラス工芸のエミール・ガレの工房と似ています-だったとのことですが、弟子の手がほとんど入っていない場合のクレジットは「高光雲」となっているそうです。今回の3点は全て「」が使われていました。
 
それから、元々大覚寺さんにある無題2ことが知られていて、報道はされなかったのですが、光雲筆の墨画「ひよこ図」(昭和9年=1934)も展示されていました。逆に当方はこの作品の存在を知らず、こんなものもあったんだ、という感じでした。
 
それ以外には、こちらの研究とは関わりませんが、鎌倉~江戸期の五大明王像や、堂宇内の狩野派の障壁画など、観るべきものが多く、また、市街地から離れた嵯峨野の風情も堪能いたしました。
 
「大覚寺の栄華 幕末・近代の門跡文化」展は明後日までですが、今後も寺宝の一つの目玉として、光雲作品は常設で観られるようにしてほしいものです。
 
午後からは大阪・堺にて与謝野晶子忌日・白桜忌に初めて参加して参りました。明日はそちらをレポートします。
 
【今日は何の日・光太郎】 5月29日

昭和14年(1939)の今日、茨城県取手市の長禅寺で、光太郎が題字のみ揮毫した「小川芋銭先生景慕の碑」が除幕されました。
 
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小川芋銭(うせん)は、茨城県牛久沼のほとりに暮らし、河童の絵を描き続けた日本画家です。光太郎と同じく、取手の分限者、宮崎仁十郎(その息子、稔は光太郎が出雲の神となって、智恵子の看護をした姪の春子と結婚します)と交友があり、その縁で光太郎が碑の揮毫をしました。また、光太郎は同じ年に「芋銭先生景慕の詩」という詩も書いています。
 
取手長禅寺さんにはもう一つ、光太郎が題字を揮毫した「開闡(かいせん)郷土」碑も残っています。

ニュース検索でヒットしました。

光雲作 仏像を発見 大覚寺、蔵から3体 4月3日から初公開

京都新聞 3月26日(火)23時9分配信
 
京都市右京区の大覚寺は、4月3日から開く霊宝館の春期名宝展で、彫刻家高村光雲が大正期に制作した木造の仏像3体を初公開する。仏像は境内の蔵から見つかり、26日、関係者に披露された。

 光雲(1852~1934年)は、伝統的な木彫に西洋写実主義を取り入れて日本彫刻を復興したことで知られる。代表作は「老猿」(重要文化財)で、長男は詩人で彫刻家の高村光太郎。

 仏像は「木造聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)立像」(1916年)、「木造白衣大士(びゃくえだいし)像」(17年)、「木造聖徳太子孝養(こうよう)像」(18年)。いずれも一木造りで、高さは約21~22センチ。1969年に亡くなった同寺の故草繋全?元門跡が所有していた。遺族が同寺へ寄贈した遺品群の中から見つかったという。

 大正期の光雲の作品は、弟子たちの工房で作られたものが多いとされるが、仏像を納めた木箱の署名には、光雲が自ら手がけた作品にみられる「高邨(たかむら)」と記されていた。

 春期名宝展「大覚寺の栄華~幕末・近代の門跡文化」では3体の仏像のほか、琵琶湖疏水の設計者・田辺朔郎が大正天皇に献上した自筆の般若心経や、光雲が描いた「ひよこ図」、富岡鉄斎の水墨画などを展示する。5月31日まで。有料。
 
 
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<高村光雲作品>京都の大覚寺で仏像など3作品見つかる

毎日新聞 3月26日(火)21時45分配信
 
 京都市右京区の大覚寺は26日、東京・上野公園の「西郷隆盛像」などで知られる彫刻家、高村光雲(1852~1934)が制作した仏像など3作品が新たに見つかった、と発表した。

 聖徳太子孝養(こうよう)像▽聖観世音菩薩(ぼさつ)像▽白衣大士(びゃくえだいし)像--の3点で、いずれも高さ約20~22センチの一木造り。像が納められた箱の表記から1916~18(大正5~7)年制作とみられる。戦後、同寺の復興に尽力した草恕リ全※(くさなぎぜんぎ)門跡(1883~1969)の遺品として蔵に保存されており、昨年12月の調査で見つかった。草恕リ門跡が入手した時期や経緯は分かっていない。

 箱のふたには光雲自筆の署名があり、「村」の字は「邨」と記してあった。調査した伝統文化財保存研究所(大津市)の石川登志雄代表(日本史・文化財学)は「大正期の光雲作品の多くは、工房での共同制作とされるが、署名に『邨』の文字を使っている場合、光雲自身の手がかなり入っている可能性が高いとの研究もある。光雲はこの3作を大事な注文作と考えていたのだろう」と話している。

 4月3日~5月31日、同寺霊宝館で開催する特別名宝展「大覚寺の栄華 幕末・近代の門跡文化」で公開される。
 
光雲は元々仏師ということもあり、数多くの作品を手がけました。中にはこのように新たに発見される例もあります。ただ、三体まとめて、しかも京都の有名な寺院からの発見ということで、ニュースバリューがあるのですね。
 
時間を作って見に行ってこようと思っております。ぜひ皆さんも足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎】3月27日

明治43年(1910)の今日、「銭形平次」シリーズの原作者、野村胡堂と橋本ハナの結婚式が行われ、金田一京助と智恵子が介添えを務めました。

ハナは智恵子の妹、セキの同級生でした。

新刊ではなく、昨年発行されたものですが、つい先程届きましたので紹介します。 

高村光雲と石川光明

 平成23年(2011)9月 清水三年坂美術館編・発行 定価2,000円

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昨年8月から11月にかけ、京都清水寺近くの清水三年坂美術館さんで開催された企画展「帝室技芸員series3 彫刻 高村光雲と石川光明」の図録です。光太郎の父・光雲と、もう一人、同時代の、というか同じ嘉永五年生まれの彫刻家・石川光明(こうめい)、二人の作品を約三十点ずつ集めた企画展だったようです。
 
不覚にも、この企画展があったことを知りませんでした。京都は大好きな街の一つですし、知っていれば観に行ったのですが、残念なことをしました。ただ、図録だけは同館のオンライン販売で入手できました。
 
光雲と光明、同じ年に生まれた彫刻家同士というだけでなく、もっとたくさんの共通点があります。まず、同じ浅草の生まれであること。そして、光雲は仏像彫刻の「仏師」の家に弟子入りし、光明は神社仏閣の外装などを主に行う「宮彫師」の家に生まれたという違いはありますが、ともに廃仏毀釈による苦難の時代を経て、復権した木彫で名を為したこと。そして共に東京美術学校(現・東京芸術大学)教授となり、共に帝室技芸員に任じられたこと。共に各種の博覧会や皇居造営の際の彫刻に腕を振るったこと、など。したがって、二人は莫逆の友です。この図録に、先に逝った光明を惜しむ光雲の談話(初出『美術之日本』第5巻第9号 大正2年=1913 9月)も掲載されていますが、友を失った光雲の語り口には、哀惜の意が深く込められています。
 
さて、図録に収められた光雲作品、当方も初めて見るものがほとんどでした。平成11年に中教から刊行された『高村規全撮影 木彫高村光雲』、平成14年に千葉市美術館他四館で開催された企画展の図録『高村光雲とその時代展』、それぞれ100点近くの光雲作品写真が掲載されていますが、今回掲載されている物との重複はほんの数点です。
 
驚いたのは同じモチーフ(例えば鍾馗、西王母、獅子頭など)の彫刻だから同一のものだろうと思うと、よく見たら木目や彩色の工合などが微かに違い、別の作品だとわかることです。もう光雲の頭の中にはそれぞれのモチーフの設計図が叩き込まれており、寸分違わぬものが幾つも出来るのですね。
 
そういった点を抜きにしても、その超絶技巧には舌を巻きます。この点は光明の作品にも言えることですが、「ここまでやるか」という細部まで細密に彫っています。例えば上の画像の観音像が手にしている蓮。実際に見た訳ではないので断言はできませんが、他の作品の例を当てはめれば、別に作って手に差し込んであるのではなく、一本の木から掘り出してあり、手とつながっているはずです。後ろの髪飾りや首飾りも同様です。
 
こうした作り方を光太郎は芸術ではなく職人仕事だ、と蔑む部分があったようです。光雲自身も自分を芸術家とは捕らえていませんでした。
 
当方など、実作者ではない立場から、「凄いものは凄い」「美しいものは美しい」と思います。明治初期の工芸、特に欧米向けの輸出品の中には、有象無象の作家が超絶技巧を見せようとするあまり、ゴテゴテとした装飾過剰に走ったゲテモノのような作品もあります。しかし、光雲の木彫にはそういう嫌らしさは感じられません。
 
明治期の彫刻、ゲテモノは別として、もっともっと評価されていいと思います。

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