そんな中、先月25・26日に行われた国公立大学の2次試験のうち、京都大学さんの前期日程文系国語の問題に光太郎の文章が出題されました。
昭和15年(1940)11月に書かれ、翌年元日発行の雑誌『知性』第4巻第1号に発表された「永遠の感覚」の全文です。
同じく代々木ゼミナールさん。
駿台予備校さん。
来年度以降の受験生向けでしょうか、「問題分析」も。
駿台予備校さん。
河合塾さん。
それにしても、泉下の光太郎、このような形で自分が書いた文章が俎上に乗せられていることに苦笑しているかもしれません(笑)。
【折々のことば・光太郎】
何か揮毫する事はいつでもしますが、紙が乏しいです。和紙が不自由ですから紙さへお送りあれば書きます。
自身では書家を名乗ったことはありませんが、特に戦後になって花巻郊外旧太田村に移ってから、頼まれて書を揮毫する機会が大幅に増えました。そして書けば書くほど、その腕前が上がっていったようです。
しかし戦後の物資不足が解消していなかったこの時期、やはりきちんとした紙は不足していまして、時に粗悪なボール紙や障子紙に揮毫することもありました。