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北海道から書道展の情報です。

『毎日新聞』さん北海道版の記事。

書家土井さん初個展 深川で15日まで大作並ぶ /北海道

 毎日書道展で活動する若手書家、土井伸盈(しんえい)さん(39)の初めての個展「挑戦。―ここから」が、深川市1の9の「アートホール東洲館」で開かれている。15日まで。
 土井さんは浦臼町出身。 道教育大札幌校で故・辻井京雲さんから書を学び、毎日書道展会員、創玄書道会二科審査会員。 将来を期待される若手書家の1人で、札幌市の北海高で書道を指導している。
 会場には、原民喜の詩「原爆小景より」の2連作、高村光太郎の詩「牛」のほか、歌手の中島みゆきさんの「異国」の歌詞の一部を書いた大作など、漢字と近代詩文書を織り交ぜた迫力ある作品が並んだ。
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展覧会詳細は以下の通り。

第一回 土井伸盈 書の個展 挑戦。――ここから

期 日 : 2021年8月3日(火)~15日(日)
会 場 : アートホール東洲館 北海道深川市1条9番19号 深川市経済センター2階
時 間 : 10:00~18:00 最終日は16:00まで
休 館 : 8月10日(火)
料 金 : 無料
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お近くの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

食事の時八時過取手町の石材商藤巻佐平さんといふ人の名刺を持つてその娘さん来訪。昨夜花巻にとまりし由。いつぞや書いた中村氏の墓の文字を石材の都合で、縮小して書いてくれといふ。紙持参。食事を終りて直ちに書く。故陸軍中尉中村義一之墓 故海軍大尉中村恒二之墓と二行に並べて書く。九時過辞去。

昭和23年(1948)7月3日の日記より 光太郎66歳
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永らくこの墓石の所在地が不明でしたが、今年2月、偶然に見つけました

書もよくした光太郎に、墓石の文字揮毫が依頼された例は他にも複数あります。

昭和26年(1951)に亡くなった、山形出身の詩人・森英介の墓石。こちらは米沢市相生町の善立寺さんというお寺にひっそりと佇んでいます。正面に「森英介之墓」、向かって左側面に「智応院正行日重居士」(戒名)と刻まれた文字の揮毫が光太郎です。

昭和25年(1950)には、郵便物の授受等を記録した「通信事項」というノートの中に以下の記述があります。
佐野悌一氏へ墓の文字封入テカミ(「佐野修三墓」二枚)

この年の日記は失われており、名前の出てくる二人の素性、どういった事情なのか、墓の所在地など、一切不明です。情報をお持ちの方、御教示いただければ幸いです。

まずは『北海道新聞』さん。一昨日の掲載でした。

卓上四季 土壇場の美

日本は建国以来、国運上の危機に不世出の大人物が現れるという。その一人が、土壇場に押し詰められたような推古天皇の時代の聖徳太子であると高村光太郎が「美の日本的源泉」に書いている▼とりわけ「日本美顕揚の御遺蹟は大和法隆寺に不滅の光を放つ」と称賛。金堂壁画は「大陸文化を摂取しながら日本独特の美の源泉を濁らしめず」と評価した。瀬戸際が浮き彫りにする人の真価だ▼それに比べて見苦しい身の処し方である。きのう議員辞職願が認められた菅原一秀前経済産業相のことだ。地元で祝儀などの名目で現金を配った疑いが報じられていた。東京地検特捜部は近く、公職選挙法違反の疑いで略式起訴する方針という▼起訴相当とした検察審査会の議決を受けた東京地検特捜部の再捜査期限が迫っていた。疑惑発覚から1年半余り。追い込まれた土壇場での辞職願だった▼菅原氏は「おわび申し上げる」というだけで説明は不十分と言わざるを得ない。国会の場で説明を尽くすべきだった▼本人は返上の意向だが、賞与にあたる期末手当の満額支給も批判の的に。過去の公選法違反事件で辞職が情状酌量による公民権停止の期間短縮につながった例もある。この期に及んでの辞職理由も説明が欠かせまい。土壇場の語源は江戸期の罪人が自らの墓穴を掘ってできる土盛り場にある。進退窮まる場面で遁走(とんそう)するようではあまりに醜い。

引用されている「美の日本的源泉」は、「日本美の源泉」の原題で、『婦人公論』の昭和17年7月号から12月号に連載された評論です。戦後、中央公論社刊の『高村光太郎選集』に収める際、光太郎の意志で改題されました。「青空文庫」さんに入っていますので、ぜひお読み下さい。引用箇所は、連載の第2回にあたる「法隆寺金堂の壁画」から採られています。
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書かれたのが戦時中、しかもミッドウェー海戦での大敗直後なので、「土壇場」の一語や、「危い、きはどい時機」、「其の禍」あたりにはそうした背景が反映されています。

コラムの後半部分で述べられている人物については、論評するのも馬鹿馬鹿しいほどなので、割愛します。一言だけ言わせていただければ、「コロナ禍」という「土壇場」、「危い、きはどい時機」に、いったい何を考えているんだか……ですね。

もう1件、光太郎には触れられていませんが、『福井新聞』さん。やはり一昨日です。

越山若水

小浜市出身の詩人で児童文学者の山本和夫さんは太平洋戦争の開戦と同時期に、ビルマ(現ミャンマー)に向かう。旧日本陸軍の報道班員で戦意高揚を求められながらも、持ち前のヒューマニズムにあふれる手記を著している▼報道班員には作家、画家らが選ばれ、同じ班員に坂井市三国町出身の小説家で詩人、高見順もいた。班員の手記をまとめ出版された「大東亜戦争 陸軍報道班員手記 ビルマ戡定(かんてい)戦」に、山本さんの「金のパゴダ」がある▼「ビルマ人の魂の故郷はパゴダである」と書き出す。パゴダは英語で仏塔のことだ。美しく輝く金の寺塔を眺めつづる。「私は戦争の破壊と悲惨のみを見に来たのでは決してない。私は日本人あるひは東洋の人の美しさを見に来てゐるのだ。私は次の時代に茂るであらう愛と平和の芽生えを見に来てゐるのだ」▼戦争末期には、朝ドラ「エール」の主人公だった古関裕而もビルマに派遣されており終戦後、自責の念にかられている。山本さんも同じく苦悩の末、児童文学の世界の扉を開く▼ミャンマーでは国軍によるクーデターから4カ月が過ぎたが、打開策は見えない。山本さんは戦後、自著の「燃える湖」で主人公の山村少尉に訴えさせている。「平和な日本を築いてくれ。おれはそういう時代がくるのを確信する」。没後25年の山本さんの願いがミャンマーにも届いてほしい。

山本和夫、光太郎と交流があり、山本の『武漢攻略戦記 山ゆかば』(昭和14年=1939)の題字を光太郎が揮毫していますし、山本が編んだアンソロジー『野戦詩集』(昭和16年=1941)に対する好意的な論評も書きました。こちらは『高村光太郎全集』解題では、当会の祖・草野心平主宰の雑誌『歴程』を初出としていますが、それ以前に『読売新聞』に発表され、『歴程』に転載されたことが判明しています。
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当方、寡聞にして戦後の山本の活動ぶりは存じませんでしたが、花巻郊外旧太田村の山小屋に蟄居した光太郎や、それからコラムにも名が出ている作曲家・古関裕而同様、悔恨の日々を送ったとのこと。失礼ながら、「山本和夫」、全国区では忘れられかけている名だと存じますが、故郷・福井で、顕彰の機運を高めていってほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

終日雪ふる。時々霏々としてふり、遠方がけむるやうに見える。一尺近くつもる。寒さ加はる。

昭和22年(1947)12月4日の日記より 光太郎65歳

12月あたまにして、既にこの状況。やはり厳しい暮らしでした。

『朝日新聞』さんの北海道版で、大晦日にご紹介した札幌南高校書道部さんの作品について報じて下さっています

「一歩ずつ前へ」丑の書に思い込め チ・カ・ホで展示

【北海道】コロナ禍でも明るく新年を迎えてもらおうと、札幌駅前地下歩行空間「チ・カ・ホ」で、今年の干支(えと)「丑(うし)」にちなんだ書道作品と門松が展示された。
 中央を飾ったのは、札幌南高校書道部の作品。高村光太郎の詩の一節「牛は大地をふみしめて歩く」を引用し、今年1年を一歩ずつ前へ進んでいこうという思いを込めた。
 昨年12月28日から始まった展示は3日が最終日。札幌市の女性(40)は通りがかりに作品が目にとまり、家族4人で記念撮影をした。「今年はコロナが終息して、家族が笑顔で健康に過ごせる1年にしたい」
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展示が1月3日(日)までということで、ちょっと短かったのが残念ですが、光太郎詩によって北海道の皆さんが元気づけられたとすれば、喜ばしいことです。

このところ、詩「牛」(大正2年=1913)がらみをいろいろとご紹介していますが、光太郎には「鈍牛の言葉」という詩(昭和24年=1949)もあります。「牛」同様、自らを牛に仮託して作った詩です。
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  鈍牛の言葉

二重底の内生活はなくなつた。
思索のつきあたりにいつでも頑として
一隅におれを閉ぢこめてゐたあの壁が
今度こそ崩壊した。
その壁のかけらはまだ
思ひもかけず足にひつかかつる事もあるが、
結局かけらは蹴とばすだけだ。
物心ついて以来のおれの世界の開闢で
どうやら胸がせいせいしてきた。
おれはのろのろのろいから
手をかへすやうにてきぱきと、
眼に立つやうな華やかな飛び上つた
さういふ切りかへは出来ないが、
おれの思索の向ふところ
東西南北あけつぱなしだ。
天命のやうにあらがひ難い
思惟以前の邪魔は消えた。
今こそ自己の責任に於いて考へるのみだ。
随分高い代価だつたが、003
今は一切を失つて一切を得た。
裸で孤独で営養不良で年とつたが、
おれは今までになく心ゆたかで、
おれと同じ下積みの連中と同格で、
痩せさらばへても二本の角がまだあるし、
余命いくばくもないのがおれを緊張させる。
おれの一刻は一年にあたり、
時間の密度はプラチナだ。
おれはもともと楽天家だから
どんな時にもめそめそしない。
いま民族は一つの條件の下にあるから
勝手な歩みの許されないのは当前だ。
思索と批評と反省とは
天上天下誰がはばまう。
日本産のおれは日本産の声を出す。
それが世界共通の声なのだ。
おれはのろまな牛(べこ)こだが
じりじりまつすぐにやるばかりだ。
一九五〇年といふ年に
こんな事を言はねばならない牛こがゐる。

戦時中のコテコテの翼賛思想からの脱却、といったことが語られています。

二重底の内生活」は、戦時中でもロマン・ロランらの人道思想に共鳴しつつ、しかし一方では「鬼畜米英覆滅すべし」と語らざるを得なかった矛盾を指すのでしょう。少し前に書かれた自らの半生を省みる連作詩「暗愚小伝」中の「ロマン ロラン」という詩には、そのあたりに具体的に触れられています。

「牛」同様、この「鈍牛の言葉」もいい詩ですので、ぜひ広めていただきたいものです。

明日も「のろのろと」(笑)、「牛」ネタで。

【折々のことば・光太郎】

細かい雪が風なく静かに降つてゐる。樹々の枝につもりて花咲ける如し。

昭和21年(1946)1月7日の日記より 光太郎64歳

『古今和歌集』にでも出て来そうな、「雪」→「花」の見立てのようにも読めますね。

下の画像は花巻高村光太郎記念館さんで販売しているポストカードですが、なるほど、左手前の木々など、まさに花が咲いているようです。

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いろいろあった2020年も、今日で終わりです。明日から2021年、丑年です。そこで『北海道新聞』さん、12月24日(木)の記事から。

良い年願い「丑」揮毫 札南高生、28日からオンライン配信

 札幌南高の生徒は28日から来年1月4日まで、書道パフォーマンスをオンラインで配信する。毎年、札幌駅前通地下歩行空間(チカホ)で公開してきたが、今年は新型コロナウイルス感染拡大を受け中止し、パフォーマンスの様子を事前に同高で収録した。生徒たちが幅4~5メートルの特大和紙に、来年のえとの丑(うし)や人気漫画「鬼滅の刃」に出てくるせりふを力強く揮毫(きごう)する様子を見ることができる。
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 今年で10回目。書道と美術、吹奏楽の3部と放送局の生徒計35人が同高で数日に分けて収録し、15分の動画に編集した。はかま姿の生徒たちは「はい」とかけ声をかけながら、高村光太郎の詩の一節「牛は大地をふみしめて歩く」や、「鬼滅の刃」の作中のせりふ「一緒に頑張ろうよ 戦おう」などの言葉を書き上げた。動画には吹奏楽部が演奏した「鬼滅」のテーマ曲も合わせて流す。
 書道部長の2年三木優奈さん(17)は「コロナで大変な日々ですが、牛のようにゆっくりとでも前に歩こうとの思いを込めた」と話した。

 28日から、同高のホームページで無料視聴できる。チカホ北3条交差点広場では同日、同じ動画を上映するほか、29日~4日に高村の詩の一節を書いた作品を展示する。
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記事にある「同高のホームページで無料視聴」というので見つけられませんでしたが、YouTubeにはあがっていましたので、貼り付けておきます。「牛」は7分58秒頃から。


「コロナに負けず」ということで、若い人たちが光太郎詩を揮毫して下さっている姿を観て、不覚にも涙が出そうになりました(笑)。
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001詩「牛」全文はこちら。大正2年(1913)の作で、全115行の大作です。旧態依然の日本彫刻界と訣別し、この年、婚約を果たした智恵子と共に、新しい芸術を日本に根付かせようという決意を固めた頃のものです。しかし、それは決して容易なことではないとわかっており、それでも「牛」のように一歩ずつ、というところでしょうか。

光太郎、自らを牛にたとえた例は他にもあり、戦後の昭和24年(1949)には、「おれはのろまな牛(べこ)こだが じりじりまつすぐにやるばかりだ。」という一節を含む「鈍牛の言葉」を書いていますし、同じ年には「岩手の人」という詩で「岩手の人沈深牛の如し。」としています。自らもそうありたいという願いが裏側にあるようにも読めます。光太郎自身は未(ひつじ)年の生まれですが(笑)。

コロナ対策にしても、そしてこの世の全ての事柄も、「牛」のように一歩ずつ、ということになりましょう。2021年、皆様にとって、一歩ずつでも進んでいく、良い年でありますように。

【折々のことば・光太郎】

今日もシラミ退治ツヅキ。下着全部とりかへる、数百匹を捕獲す。シヤツ類はコンロへバケツをかけてにる。


昭和20年(1945)12月24日の日記より 光太郎63歳

真冬、雪で覆われた山小屋でもシラミ禍に悩まされていました。こうして花巻郊外旧太田村での昭和20年が暮れてゆきました。

下の画像は、花巻高村光太郎記念会さんのサイトから。2週間ほど前の高村山荘です。
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北海道から書道展情報です

ミュージアム・コレクション秋~冬 鷗亭と賢治・光太郎

期 日 : 2020年10月3日(土)~2021年1月31日(日)
会 場 : 北海道立函館美術館 北海道函館市五稜郭町37-6
時 間 : 午前9時30分~午後5時00分
休 館 : 月曜日 祝日等の場合は翌火曜日 11月30日(月)~12月4日(金)
      12月28日(月)~2021年1月4日(月)
料 金 : 一般260(210)円 高大生150(110)円 ( )内団体料金

宮沢賢治と高村光太郎。生前に一度だけ出会ったふたりの詩が、金子鷗亭の書により、一堂に会します。
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金子鷗亭、明治39年(1906)、北海道松前出身の書家です。近代詩を書いた作品(近代詩文書)が多く、光太郎詩も取り上げていて、平成26年(2014)に佐賀唐津で開催された「比田井天来門下四書家の足跡を辿る 四神の書-上田桑鳩・手島右卿・金子鴎亭・桑原翠邦」でも光太郎詩を扱った作品が展示されました。おそらく、細かな出品目録等が出なかった展覧会で、当方の検索網に引っかからなかったこうした例はもっとあったと思われます。

ちなみに令孫・金子大蔵氏も光太郎詩を題材にされた作品を多数書かれています。

数年前、光太郎詩が書かれた鷗亭の作品集的な書籍を入手しました。平成15年(2003)刊行の『教本・鷗亭詩文書名品選8 高村光太郎「冬の言葉」「金秤」』。
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「冬の言葉」は昭和3年(1928)、「金秤」は明治44年(1911)に、それぞれ発表された詩です。
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「冬の言葉」は長い詩なので、上記画像は冒頭部分だけです。

同じシリーズの第11巻には、やはり光太郎詩「葱」(大正15年=1926)を書いた作品が載っているはずなのですが、そちらは未入手です。

それから賢治の詩も書かれているそうで、それらの集成とのこと。首都圏であれば見に行くところですが……。

お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

ありったけの力で最善を尽くせばいいのです。自分を捨ててかかればいいのです。僕はお金も名誉も望みません。世の中の役に立てばいいのです。

談話筆記「高村光太郎先生説話 一四」より
昭和25年(1950) 光太郎68歳

花巻郊外旧太田村に蟄居中、近くの山口小学校で開かれたPTA主催講演会の冒頭に語った言葉です。

膨大な翼賛詩文を書いていた戦時中も、考え方の根本はこうだったと思われます。ただ、そのベクトルが誤った方向だったわけで……。

直接光太郎智恵子には関わりませんが……。 

"部分日食"北海道でも観測…厚い雲間から太陽下欠ける様子 観光名所「幣舞橋 乙女の像」と幻想的共演も

 6月21日午後、太陽の一部が月に隠れる部分日食が見られました。北海道釧路市のシンボル「幣舞橋」では、四季を表す乙女像との幻想的なコラボレーションが楽しめました。
 部分日食は太陽と月と地球が一直線上に並び、太陽の一部が地球から見て隠れる現象で、日本で観測されるのは2019年12月以来約半年ぶりです。
 釧路市では午後4時30分ごろ、観光名所「幣舞橋」の欄干に設置された四季を表す乙女像の奥に、厚い雲間から“欠けた太陽”が姿を現しました。
 北海道で次に日食が観測できるのは10年後の2030年6月1日で、太陽がリング状に見える金環日食だということです。

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ローカルテレビ局、UHB北海道文化放送さんのニュースから。

キーワード検索「乙女の像」でヒットし、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」かと思ったのですが、北海道釧路市の幣舞(ぬさまい)橋に設置された「道東四季の像(四季の乙女の像)」(昭和50年=1975)でした。

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光太郎のDNAを受け継ぐ4人の彫刻家の競演。左から、「春」が舟越保武、「夏」は佐藤忠良、「秋」を柳原義達、そして「冬」で本郷新。それぞれ高村光太郎賞の受賞者だったり、審査員だったりし、光太郎と交流のあった面々です。

元々「乙女の像」という言葉は、「仁王像」「騎馬像」などと同様、彫刻のモチーフを表す普通名詞だったようです。ところがその意味での使用例が減少し、「乙女の像」といえば「十和田湖」という感じになってきているのかな、と思われます。

さて、部分日食、千葉県の自宅兼事務所では残念ながら厚い雲に遮られ、見られませんでした。ただ、その時間、通常の曇りの日に比べて暗かったように感じました。確か平成24年(2012)の金環日食は息子と二人で見た記憶がありまして、その時もだいぶ暗くなったように感たことを覚えています。

次回、日本で全国的に日食が見えるのは2030年6月1日だそうで、その頃は自分は一体どうしているのかな、などとも思いました。あまり変わらない生活をしているような気もしますし、そうであってほしいのですが(笑)。


【折々のことば・光太郎】

いくら平気でゐるつもりでも強い電燈の光を横から浴び、向ふにレンズがねらつてゐると思ふとやはり無心にはなり得ないものだと感じた。

散文「仕事場にて」より 昭和15年(1940) 光太郎68歳

雑誌『新女苑』第四巻第五号のグラビアページから。登山家の木暮理太郎の塑像(現存は確認できず)を制作している際の話です。さしもの光太郎も、カメラを向けられると緊張したようで(笑)。
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昨日のこのブログで、台風19号関連の話題を当会の祖・草野心平にからめてとりあげて下さった『神戸新聞』さんの一面コラムをご紹介しましたが、同様の趣旨で、光太郎智恵子の名を出して下さいました『北海道新聞』さんの一面コラムをご紹介します。

卓上四季 まずまずの災厄

000「あれが阿多多羅(あたたら)山 あの光るのが阿武隈川」。高村光太郎が詩集「智恵子抄」でうたった亡き妻の故郷は、福島県中部の町だった。その川は濁流と化し、堤を越えて家々をのみ込んだ▼台風19号で最も多くの犠牲者を出したのは、原発事故の傷なお癒えぬ福島県。海沿いのいわき市では、高齢で体の不自由な夫が寝室の浸水から脱出できず、握った妻の手を離れ冷たくなった。「長いこと、世話になったな」の言葉を残して▼そんな悲劇を招いた災害を「まずまずに収まった」と評価した安倍晋三政権の幹部がいる。発生当時はそういう状況だったと反論しているらしい。結果に責任を負うのが政治家というものだ。その鉄則を知らないとは言わせない▼自民党の二階俊博幹事長。衆院初当選時の田中派を離れて竹下派に合流。小沢一郎氏らと自民党を割って新生党を結成したが、新進、自由、保守の各党を経て自民党に戻った。政界を浮遊した末に今がある▼「まずまず」発言の後の言動も、フラフラと的外れだ。発言を撤回したかというと、「不適切であったと言っているのだから、それでいいんじゃないか」と、はっきりしない。被災地を訪問はしたが、被災者に謝罪したとの話は聞かれない▼「綸言(りんげん)汗の如(ごと)し」の例え通り、一度発せられた政治家の言葉は元に戻らない。そうした最低限の倫理も通じない今の政治の姿を、台風は暴き出した。2019・10・20


やはり阪神淡路大震災の神戸同様、平成28年(2016)の北海道豪雨や胆振東部地震などで被災した北海道。他人事ではないのでしょう。

逆に想像力の欠如した「まずまずの災厄」発言に対する当然の批判。御用新聞ではない地方紙の気概が感じられますね。わけのわからない輩に「つぶさなあかん」と云われてしまうかもしれませんが(笑)。

しかし、また台風接近の予報となっています。まぁ、当地もそうですが、被災地それぞれ、万全の準備をおこたりなく。


【折々のことば・光太郎】

其の芸術の自然淘汰は万能の「時」がしてくれる。国家は唯頗る親切な又慧眼な芸術的栽培者であればいい。

散文「帝展の彫刻について 二」より 大正14年(1925) 光太郎43歳


アカデミックな作品に埋め尽くされ、個性が感じられなかった帝展(帝国美術院展覧会)の評から。100年後の「表現不自由展」のことを予言しているようです。

頗る親切な又慧眼な」「国家」であってほしいものですが、いつの時代もそれは幻想なのでしょうか。

過日、次の日曜(6月23日)に、長野県松本市で、光太郎詩歌に曲をつけた故・清水脩氏作曲の「亡き人に」「智恵子抄巻末のうた六首」「私は青年が好きだ」が演奏される、一般合唱団コーロ・カンパーニャさんの演奏会をご紹介しましたが、同日、北海道でも「智恵子抄巻末のうた六首」が演奏されます。

北海道教育大学札幌校グリークラブ・混声合唱団 OB・OG演奏会

期     日  : 2019年6月23日(日)
会     場 : 札幌市教育文化会館 小ホール  札幌市中央区北1条西13丁目
時     間 : 13:30開演
料     金 : 500円

北海道教育大札幌校の男声合唱団「グリークラブ」OBらによる演奏会。グリークラブは1957年創部。女子学生の増加に伴い、75年に混声合唱団になった。当日は、漫画家やなせたかしが作詞した合唱曲集「愛する歌」から「ひばり」、清水脩作曲の「智恵子抄巻末のうた六首」など15曲を披露する。混声合唱団のOB・OG、現役生の計約20人も出演し、4曲を合唱する。


フライヤー(チラシ)等の画像がネット上で見つかりませんでした。

010「智恵子抄巻末のうた六首」は、それまでにも独唱歌曲や箏曲で、光太郎詩に曲をつけたり、光太郎詩の朗読に乗せて演奏したりといった作品をいろいろ作られていた清水氏が手がけた、初の光太郎テクストによる合唱曲です。まず男声版が昭和39年(1964)に作られ、混声版へのアレンジが昭和42年(1967)、消長の激しい合唱曲の世界で、古典的定番の一つとして歌い継がれています。

終わってから気がついたのでこのブログではご紹介しませんでしたが、今年3月には、目白の学習院大学さんで、同大輔仁会音楽部大学男声合唱団さんと神戸の甲南大学グリークラブさんの交歓合唱演奏会でも演奏されました。

「うた六首」は、昭和16年(1941)刊行の『智恵子抄』に収められた、智恵子をモチーフとした短歌六首です。

 ひとむきにむしやぶりつきて為事するわれをさびしと思ふな智恵子

 気ちがひといふおどろしき言葉もて人は智恵子をよばむとすなり

 いちめんに松の花粉は濱をとび智恵子尾長のともがらとなる

 わが為事いのちかたむけて成るきはを智恵子は知りき知りていたみき

 この家に智恵子の息吹みちてのこりひとりめつぶる吾(あ)をいねしめず

 光太郎智恵子はたぐひなき夢をきづきてむかし此所に住みにき

それぞれ正確な作歌時期は不明ですが、「ひとむきに……」は大正13年(1924)10月の第二期『明星』がおそらく初出です。「為事」は「しごと」と読みます。

「この家に……」、「光太郎智恵子は……」の二首は、昭和13年(1938)9月の『いづかし通信』に発表されました。したがって、智恵子存命中。以前にも書きましたが、智恵子歿後の作と勘違いされることが多くあります。

「気ちがひと……」、「いちめんに……」は、智恵子の没した翌年の昭和14年(1939)、『中央公論』に「旧詠一束」の題で掲載された15首に含まれ、これが現在確認できている初出です。ただ、「旧詠」ですから作歌時期は遡るでしょう。「この家に……」、「光太郎智恵子は……」も同じ項に再録されています。

また、「気ちがひと……」は、戦後、花巻の佐藤隆房(宮沢賢治主治医、光太郎の花巻疎開に尽力、戦後すぐには光太郎を自宅離れに約1ヶ月住まわせました)に贈った智恵子紙絵にこの歌を揮毫してもいます。「おどろしき(おとろしき)」は、「恐ろしい」の意の古語です。

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『智恵子抄』で「よばむとすなり」だった結句が、戦後のバージョンでは、「よばむとすらむ」と変えられています。「よばむとすなり」の「なり」は、伝聞推定の助動詞。「呼ぼうとしているようだ(そういう声が聞こえる)。」とでも訳しましょうか。「よばむとすらむ」の「らむ」は、やはり助動詞ですが、複数の意味のうち「現在の伝聞」を採ればほぼほぼ同じ意味です。光太郎、短歌はきちんと書き留めておかない習慣だったので、この変更にはそれほど深い意味はないのでは、と思います。

「いちめんに……」は、昭和9年(1934)の、智恵子の九十九里浜での療養生活を下敷きにしています。

「わが為事……」は、やはり昭和14年(1939)の『知性』に載ったのが現在確認できている初出です。こちらも「旧詠一束」の題で15首載せられたうちの1首です。

この6首以外にも智恵子を詠んだ光太郎短歌はけっこうありますが、それらは採らず、作歌時期もばらばらなこの6首を『智恵子抄』の巻末でピックアップした光太郎の意図をくみ取りたいものです。


閑話休題、今後とも、清水脩氏作曲の光太郎詩歌に曲をつけた楽曲、演奏され続けてほしいものです。


【折々のことば・光太郎】

人としてのフアン ゴツホを知るには是非見て置く可き書物の一つだらう。兄を此上無く敬愛してゐた妹が女らしい緻密な筆で書いたやさしい回想録。凡てを内側から照らし出してゐる。

雑纂「訳書広告 エリザベト ゴツホ「回想のゴツホ」」より
 大正10年(1921) 光太郎39歳

『回想のゴツホ』は、フィンセント・ファン・ゴッホの妹であるエリザベート・ゴッホによる評伝。この年、光太郎の訳で叢文閣から出版されました。

北海道から講演会の情報です。
会    場 : 札幌文化芸術交流センター SCARTS 
            札幌市中央区北1条西1丁目 札幌市民交流プラザ2F
時    間 : 10時30分~12時
料    金 : 500円 
         ご受講の方は彫刻美術館で開催中の砂澤ビッキ展―樹―」展を無料でご観覧いただけます。
講    師 : 新関伸也氏(滋賀大学教育学部教授)

美術の教科書でもおなじみの彫刻家たち。仏師としての修練をつみ、西洋の写実を取り入れた光雲。その息子にしてフランス近代彫刻の巨匠ロダンに心酔した光太郎。そして西洋彫刻のもうひとりの紹介者であり、日本近代彫刻の礎を築いた荻原。日本の伝統的な技法と、西洋由来の彫刻が出会った時代に、彼らが生んだ作品の魅力とは?

※本講演会は彫美連続講座の第1回として開催するものです。彫刻の見方や楽しみ方を学び、芸術鑑賞の幅を広げる全4回の講座です。
※今年度より1講座ごとのお申込みとなりました。

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昨年も光雲に関わる講座「銅像時代-明治150年の光と影」を開催して下さった本郷新記念札幌彫刻美術館さんの主催です。

光太郎の父にして明治木彫界を代表する光雲、さらに彫刻家としては光太郎唯一無二の親友だった荻原守衛、そして光太郎。この三者を取り上げるということで、ありがたい企画です。

申し込みは同館まで。お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

美術史上から見ると、明治初期の衰退期に彫刻の技術面に於ける本質を、父の職人気質が頑固に守り通して、どうやらその絶滅を防いだことになる。彫刻の技術上の本質については無意識のうちに父は伝統の橋となつた。たとへば彫刻のこなしとか、木取りとか、肉合(にくあ)ひとか、つり合ひとかいふものは作品の高下に拘わらず彫刻に内在すべきもので、これを口やかましく父が伝へただけでも父の役目は果されてゐると見るべきである。

散文「父との関係1 ――アトリエにて2――」より
 昭和29年(1954) 光太郎72歳

明治初年の廃仏毀釈により、仏師としての仕事が激減した際、同業者がどんどん転業していく中で、木彫の孤塁を守り通した光雲。光太郎はその部分の功績を評価しています。しかし、同じ文章で「結局父光雲は一個の、徳川末期明治初期にかけての典型的な職人であつた。」とし、特にその製作態度の部分で手厳しい評を与えてもいます。

北海道小樽に昨年オープンした似鳥美術館さん主催の市民講座です。  

似鳥美術館研究会「日本における人体像の表現―高村光雲と光太郎」

期    日 : 平成30年12月8日(土)
会    場 : 旧三井銀行小樽支店 北海道小樽市色内1丁目3-1
時    間 : 10:30 ~ 12:00
料    金 : 一般1,500円、小樽市民1,000円、学生700円
講    師 : 岩崎直人氏 (札幌芸術の森学芸企画担当係長)

かつて作家・小林多喜二が働いていた旧北海道拓殖銀行小樽支店。長い時を経て似鳥美術館として生まれ変わり、現在は日本画や洋画、ガラス工芸作品など約300 点以上を常設展示しております。「似鳥美術館 研究会」は、そんな多岐に渡る似鳥美術館のコレクションを紐解いていく、初の本格美術講座です。

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今年の5月から始ま001り、月1回のペースでさまざまなジャンルの美術講座が開かれています。で、12月の講座が光雲と光太郎。会場は同じ小樽芸術村の中にある「旧三井銀行小樽支店」です。

同館ではオープン当初から光雲とその弟子筋の木彫群を一つの目玉として下さっていますし、今年、光太郎のブロンズ「十和田湖畔裸婦像のための手」も、新たに購入されたそうです。また、最近、光雲の「不動明王像」もラインナップに加わったとのこと。

残念ながら、華々しくオープンしたものの、収蔵品がそれっきりで増えるでもなし、こうした講座等の事業を行うでもなし、やがて忘れ去られて寂しく閉館……という美術館さんも現実に少なくない中、似鳥さんの取り組みには頭が下がります。

今後もこうした活動を継続し、できれば売りに出ている光太郎の木彫なども展示品に加えていただきたいものですが……。


【折々のことば・光太郎】

松木氏に依頼されたこの鯉の木彫製作によつて私は数々の彫刻上の経験を味ひ、さまざまなメチエに関する自覚を得た。

散文「松木喜之七遺稿集「九官鳥」によせて――
松木喜之七氏と私の鯉――」より
昭和25年(1950) 光太郎68歳

松木喜之七は新潟長岡の実業家。002趣味人でもあり、文化芸術そしてスポーツにも関心を寄せ、長岡市スポーツ協会の前身・長岡市体育団の会長を務めたりもしました。

戦前、昭和9年に亡くなった光雲の存命中、端午の節句のためにと光太郎に鯉の木彫を依頼、大枚500円をおいていきました。光太郎は早速制作にとりかかりますが、悪癖が頭をもたげ、何度作っても自分で納得が行きません(ブロンズの「成瀬仁蔵胸像」は14年かかりました)。鱗の処理が出来ない、というのです。鱗をリアルに彫ってしまうと俗な置物のようになるし、さりとて彫らずば鯉にならないし……というわけで、結局、完成しませんでした。光太郎、代わりにと「鯰」を進呈しています。現在、愛知小牧のメナード美術館さんに収蔵されている作品です。

確認されている、光太郎が木彫に取り組んでいるところを撮った唯一のスナップ、土門拳による昭和15年(1940)の写真に、「鯉」が写っています。

その後、松木は召集されて、軍服姿で光太郎の元を訪れ出征の挨拶。しかし、南方戦線で還らぬ人となってしまいました。

近々開催の市民講座系、2件ご紹介します。

まずは北海道帯広から、文学系。  

釧路高専公開講座「高村光太郎の文学」

期  日  : 2018年11月17日(土) 
会  場 : とかちプラザ 講習室402  帯広市西4条南13丁目1
時  間 : 13:00~15:00
料  金 : 無料
定  員 : 70人
講  師 : 小田島本有氏(釧路工業高等専門学校 創造工学科 一般教育部門教授)

父光雲や、後に妻となる智恵子の存在に注目しつつ、『智恵子抄』や戦争に対する姿勢を通して高村光太郎の文学を浮き彫りにします。

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続いて、光太郎第二の故郷とも言うべき、岩手花巻から美術系。  

岩手大学教育学部出前講座「彫刻ってこう観るの!? 光太郎の作品から入る近代芸術の世界」

期  日 : 2018年11月20日(火) 
会  場 : 花巻市生涯学園都市会館(まなび学園)3階2・3中ホール
        岩手県花巻市花城町1-47

時  間 : 午後1時30分から午後3時30分まで
料  金 : 無料
定  員 : 50人 花巻市内在住または勤務者
講  師 : 藁谷収氏(岩手大学教育学部教授)

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それぞれお近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

一地方に徹底したものは即ち普遍に徹底したものである。

散文「鈴木白羊子詩集「太陽花」序」より 昭和16年(1941) 光太郎59歳

鈴木白羊子は、伊豆下田に住んでいた詩人。光太郎も寄稿した雑誌『太陽花』、『向日葵』などを刊行していました。「太陽花」、「向日葵」共にヒマワリの別名です。よほど好きだったのか、雑誌名にも、詩集名にも使っています。

引用文は、宮澤賢治を評した散文「コスモスの所持者宮澤賢治」(昭和8年=1933)中の「内にコスモスを持つものは世界の何処の辺遠に居ても常に一地方的の存在から脱する。内にコスモスを持たない者はどんな文化の中心に居ても常に一地方的の存在として存在する。」に通じます。

また、愛妻智恵子の追悼文的な「智恵子の半生」中の「一人に極まれば万人に通ずる」も同じ趣旨と言えましょうか。

震度7の大地震による被害で、北海道が大変なことになっています。亡くなられた方には謹んでお悔やみ申し上げます。

平成23年(2011)の東日本大震災当時、当方自宅兼事務所のある地域もそれなりの被災地となり、いろいろ大変だったこと、そして津波の犠牲となられた当時の女川光太郎の会事務局長・貝(佐々木)廣氏のことなどを思い出しています。

さて、北海道に本拠を置く日本ハムファイターズさん関連で。8月30日(木)の『スポニチ』さんから。 

日本ハム・清宮、初の単独ポスター登場 逆転Vへ「お楽しみはこれからだ」

 首位の西武を6・5ゲーム差で必死に追う日本ハムが、初めてドラフト1位の清宮幸太郎内野手(19)の単独ポスターを作製したことが29日、分かった。逆転優勝の機運を高めるため、9月上旬から道内各所に掲示される予定だ。今月21日の1軍昇格から高校通算111本塁打の本領を発揮している怪物ルーキーが「主力選手」と認定された。
   逆転優勝への機運を高めるため、北海道を一丸にする。球団が初めて作製した清宮の単独ポスターが道内各地に登場するのは9月上旬予定。球団関係者は「10月に(優勝で)ファンの皆さまと一緒に喜ぶため、チームを盛り上げたいという思いでポスターを作りました」と思いを明かした。
  清宮は昨秋のドラフトで7球団競合の末に入団。キャンプ期間のコンディション不良などで開幕は2軍だった。5月9日のオリックス戦でプロ1号を記録したものの、その後は打撃不振や右肘の炎症などで今月中旬までは大半が2軍暮らし。それでも21日に今季3度目の1軍昇格を果たすと、前日28日までの7試合で打率・385、3本塁打、8打点と好成績を残し、今回の抜てきにつながった。
  シーズン終盤の時期に緊急作製されたポスターは「♯お楽しみはこれからだ」という言葉と躍動感あふれる写真で「逆襲」を予感させるものとなっている。清宮の他にも主将の中田、レアードら計10選手で各1000枚、計1万枚が作られた。
  今季は二刀流で看板選手だった大谷がポスティングシステムでエンゼルス、抑えの増井がオリックス、正捕手の大野が中日にそれぞれFA移籍。大幅な戦力ダウンで開幕前の下馬評は低かった。それでも主将の中田を中心にチーム一丸となり開幕から白星を重ね、現在も西武、ソフトバンクと優勝争いを展開。清宮を筆頭に浅間、渡辺ら若手を積極的に起用しているが、栗山監督は「もう年齢は関係ない。勝てるメンバーで戦う」と語っている。
  今季、チームはビジターで27勝29敗1分けだが、ホームは33勝22敗2分けと大きく勝ち越し。逆転優勝の実現には北海道のファンの後押しは不可欠だ。今月に入って失速したチームは24日から26日まで札幌ドームで行われた楽天3連戦で7カードぶりに勝ち越し。ファンの大声援を力に変えて再び上位の西武、ソフトバンクを猛追する態勢を整えた。
  シーズン佳境の時期にポスターを新たに作製するのは球団では初の試み。一丸で2年ぶりの優勝を目指す。

問題のポスターがこちら。

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お気づきでしょうか。

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光太郎詩の代表作の一つ「道程」からのインスパイアですね。同じ「コータロー」つながりで、ということでしょうか。

これまでもスポーツ界などで偉業を成し遂げた人々への形容として、「道程」のフレーズが使われてきました。野茂英雄選手大相撲の横綱・白鵬関、それからスポーツではありませんけれど(「盤上の格闘技」ともいえますが)、将棋の藤井聡太七段……。

清宮選手、プロ野球ではまだまだ偉業といえる実績はありませんが、「清宮の後ろに道は出来る」の一節に相応しい活躍を期待したいと思います(個人的には東北楽天ファンですが(笑))。

そしてその活躍で、北海道の皆さんを勇気づけていってもらいたいものです。がんばろう、北海道。


【折々のことば・光太郎】

吐き出さずにゐられないものをどういふ形で打ち出したらいいのか、それを知らないために空しく自己の内天を殺してしまふ人も多いと思ふのであるが、それが詩といふ近代形式によつて最も身近に表現され得るといふ事を知つた者にとつては、此世にかかる解放と美の世界との存在するよろこびが身につくわけである。

散文「雑誌『新女苑』応募詩選評」より 昭和16年(1940) 光太郎59歳

ある意味、「吐き出さずにいられないものを打ち出す」=「自己の能力を存分に発揮する」ということになりましょうか。野茂投手、白鵬関、藤井七段、そして光太郎、皆それが出来、活躍につながったわけですね。清宮選手、そして世の中の全ての人々が、それぞれの分野でそうなれるような世の中であってほしいものです。

早くにご案内を頂きながら、紹介するのを失念していました。 

なつやすみ所蔵企画展 え! からはじまる、ストーリー。

期 日 : 2018年7月3日(火)~9月24日(月・祝)
会 場 : メナード美術館  愛知県小牧市小牧五丁目250番地
時 間 : 10:00~17:00
料 金 : 一般 900円(700円)   高大生 600円(500円)   小中生 300円(250円)
         ( )内は20名以上の団体料金および前売料金
休館日 : 月曜日(祝休日の場合は直後の平日)

美術から物語へ、物語から美術へ ふたつが出会った時、いったい何が生まれるのか…。

 切っても切れない縁にある美術と物語。素晴らしい物語は、読めばその情景が鮮明に脳裏に浮かび、素晴らしい絵画は、画中で展開される物語を想像させます。
 画家たちもまた聖書やギリシア神話、オペラなどに触れ、浮かんだイメージを多くの絵画に残しており、文筆家たちはイメージを装幀そうていや挿画そうがはもちろん、情景描写など文学的表現そのものに活かそうとしました。
 互いの表現を求め合う美術と文学。本展は、このふたつの出会いによって生まれた新たな物語を当館のコレクションの「え(絵)」に探すものです。それは「え!」という驚きをともなうものかもしれません。

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同館に所蔵されている光太郎の木彫「001鯰」(昭和6年=1931)が出品されています。

現存が確認されている3点のうちのひとつです。残り2点は、上野の東京国立博物館さんに寄託されているものと、竹橋の国立近代美術館さん所蔵のもの。3点とも時々展示されますが、常設展示というわけではありません。

他にも同館の所蔵作品は逸品ぞろいで、出品リストによれば、今年、横浜美術館さんで大理石像が出て大きな話題となったロダンの「接吻」のブロンズをはじめ、岸田劉生、梅原龍三郎、藤田嗣治、佐藤忠良、松本竣介ら、光太郎と関わりの深かった作家の作がずらり。

この機会をお見逃しなく。


もう1件。

昨秋、北海道小樽にオープンした似鳥美術館さんからの情報です。 

新収蔵作品のお知らせ

似鳥美術館に、新しく作品が三点増えました。
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高村 光太郎《十和田湖畔裸婦像のための手》
詩人であり、彫刻家であった高村光太郎。
似鳥美術館二階で多数の作品を展示中の高村光雲は、実父である。
本作は、十和田湖畔にある裸婦像「乙女の像」制作にあたって習作として作られたもの。

 平櫛 田中《燈下萬葉良寛上人像》《仙桃》
高村光雲らと並ぶ、日本近代彫刻の代表的な作家の一人。
この度の新収蔵作品二点には、木彫への彩色が施されている。

 高村光雲に関わりのある作家の作品が、続けて新収蔵となりました。
ますます充実の似鳥美術館彫刻コレクションを、ぜひ観にいらしてください。

※高村 光雲《観音》は展示をお休み致します。


というわけで、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」(昭和28年=1953)のための習作です。光太郎歿後、何点かブロンズに鋳造されたうちの一点です。

大正7年(1918)制作の代表作「手」から連なる観音菩薩の「施無畏印」の形、荒々しい肉付けながらも優美さも内蔵するフォルムなど、公開を想定しなかった習作ではありますが、逸品です。

同館では、もともと光太郎の父・光雲やその弟子筋の作品の収集に力を入れて下さっており、そうした流れで購入されたようです。

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収蔵されている光雲作品は、左上→右下の順で、「魚籃観音像」(昭和9年=1934)、「聖観音像」(制作年不明)、「郭子儀」(昭和4年=1929)、「大黒天像」(大正13年=1924)、「投網打つ恵比寿像」(制作年不明)。弟子筋では米原雲海、山崎朝雲の作が収められており、さらにここに平櫛田中と光太郎の作が加わるわけで、なかなか充実のラインナップです。


それぞれぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

日本の今の作家の名を一々上げて、それに就いて論ずるとよく分るけれど、何だか不快(いや)だから止すが、一種のセンチメントを浮べる芸術にセンチメンタルなものの種々な着物を着せたものではつまらない。さう言ふ作に限つて、誰でも読者は引き入れられ易いものである。然し大した価値のある作でない事は勿論である。

談話筆記「センチメンタリズムの魔力」より 明治45年(1912) 光太郎30歳

文芸作品についての評です。大仰なセンチメンタリズムを前面に押し出した、ある意味、下らない小説などへの批判。造形芸術にもあてはまるような気がします。

北海道から美術講座の情報です。

連続講座2018 彫刻探訪のススメ~150年物語

◎第1回 象・型・形-造形に探る凸オスと凹メス
 日時:6月3日(日) 10:30~12:00
 講師:寺嶋弘道(本郷新記念札幌彫刻美術館館長)
  *パスポートで鑑賞できる展覧会:第2回本郷新記念札幌彫刻賞受賞記念 加藤宏子展

◎第2回 銅像時代-明治150年の光と影
  日時:9月16日(日) 10:30~12:00
 講師:木下直之氏(東京大学大学院教授、静岡県立美術館館長)
  *パスポートで鑑賞できる展覧会:オペラの衣裳と舞台美術:煌く「アイーダ」の世界展

◎第3回 素材との出会い-彫刻制作40年
  日時:11月18日(日) 10:30~12:00
 講師:松隈康夫氏(彫刻家、札幌大谷大学教授)
  *パスポートで鑑賞できる展覧会:本田明二展 ひとノミひとノミ、私は木を削る

◎第4回 人と馬の彫刻-広場とアトリエの物語
  日時:2019年2月17日(日) 10:30~12:00
 講師:山田のぞみ(本郷新記念札幌彫刻美術館学芸員)
 *パスポートで鑑賞できる展覧会:コレクション展「本郷新の見た『異国』」

彫刻の見かた・楽しみ方を学び、芸術鑑賞の幅を広げる講座です。今年は明治改元から150年。西洋美術が本格的に紹介されて以来、造形芸術は大きな変貌を遂げてきました。素材や技法、テーマや表現内容、都市空間や産業との関係など、歴史を辿りつつ彫刻芸術のありようを探ります。

 ・展覧会パスポート付き
  受講生は彫刻美術館の展覧会をいつでも鑑賞することができます。
 ・会場:札幌市資料館 研修室
   札幌市中央区大通西13丁目
   (札幌市営地下鉄東西線「西11丁目駅」1番出口より西へ徒歩5分)
 ・受講料:3,500円(4展覧会のパスポート付)
  ※4回全て受講できない場合はご相談ください。
 ・定員:60名(先着順)

*主催:本郷新記念札幌彫刻美術館(札幌市芸術文化財団)
*道民カレッジ連携講座(1回1単位、全4単位)

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かなり専門的な内容の講座のようですが、それだけに充実したものになりそうです。

特に9月の第2回は、光太郎の父・高村光雲が制作主任として関わった上野の西郷隆盛像などにも触れられるようです。講師の木下直之氏は、銅像に関するご著書等が多数おありで、このブログでも以前に、『戦争という見世物 日清戦争祝捷大会潜入記』(平成25年=2013 ミネルヴァ書房)をご紹介しました。また、当方、平成23年(2011)に刊行された『東京の銅像を歩く』(祥伝社)という書籍も持っております。

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お近くの方、ぜひどうぞ。


西郷隆盛像といえば、明日、上野の東京藝術大学大学美術館さんで始まる企画展「NHK大河ドラマ特別展「西郷どん」」で、西郷像の制作過程の写真が初公開されるとのこと。早速拝見に行きまして、レポートいたしますのでお楽しみに。
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【折々のことば・光太郎】

この「ダビデ」はもう単なる写実ではない。写実をしつかり踏まへた上での、もつと幅広な、もつと彫刻的本質の方に真剣な探求を志した、いはば美の原型への肉迫を事とした、さうして又如実逼真の現象性を超越した詩精神の高度な具象と放射とを体現した芸術である。

散文「「聖ジヨルジオ」と「ダビデ」」より
 昭和18年(1943) 光太郎61歳

「ダビデ」は、ロダン同様、光太郎が目標とした、ルネサンス期の彫刻家、ミケランジェロの代表作の一つです。

最大級の讃辞ですね。そして同時に光太郎が目指した彫刻のありようの一つの形が、この文から見て取れます。すなわち、「写実を超えた写実」。「言うは易し、行うは難し」ですが。

過日ご紹介した、北海道の小樽芸術村似鳥美術館さんがオープンしました。

先月末の内覧会の報道。 まずは『朝日新聞』さんの北海道版からです。

北海道)小樽芸術村、9月1日にグランドオープン

 小樽市色内1丁目の「小樽芸術村」が9月1日にグランドオープンする。四つの施設は市指定有形文化財と歴史的建造物を活用したもので、旧北海道拓殖銀行小樽支店を改修した「似鳥美術館」などが30日、報道陣に公開された。
 似鳥美術館は1923年の建築で、地上4階・地下1階建て。プロレタリア作家の小林多喜二がここに勤めていたことでも知られる。2~4階に岸田劉生、横山大観、ルノワール、ユトリロなどの絵画約110点のほか、高村光雲らの木彫14点、棟方志功の作品5点を展示する。地下1階は、ガラス工芸品や照明器具など約160点が並ぶグラスギャラリー。6本の円柱が並ぶ1階の吹き抜けのホールはミュージアムショップとなった。
 芸術村は昨年7月、「ステンドグラス美術館」と「アールヌーヴォー館」が先行オープン。今年8月には「旧三井銀行小樽支店」を復元し、歴史的建造物として一般公開を始めた。観覧料は全館共通で一般1900円、学生1400円、中学生以下は無料。ミュージアムショップは入場無料。(佐久間泰雄)


続いて、UHB 北海道文化放送さんのニュースから。 

小樽芸術村 9月1日グランドオープンへ 「似鳥美術館」お披露目 北海道小樽市

 北海道小樽市の歴史的建造物を利用した小樽芸術村。「似鳥美術館」オープンでいよいよ完成です。9月1日のグランドオープンを前に8月30日、お披露目されました。
 小樽芸術村は、2016年オープンしたステンドグラス美術館など、2つの施設に加え8月、「旧三井銀行小樽支店」がオープンしていて、今回の「似鳥美術館」で全面オープンとなります。
  「似鳥美術館」は1923年に建てられた、旧北海道拓殖銀行小樽支店を修復したもので、アールヌーヴォー、アールデコグラスや国内外の絵画、彫刻などが展示されています。
 建物自体も小樽市指定有形文化財で、吹き抜けに立つ6本の円柱も特徴です。
 小樽芸術村は9月1日、グランドオープンで、今後注目の施設となりそうです。
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そして一昨日にはオープン。『北海道新聞』さんから。 

小樽芸術村が全面開業 似鳥美術館オープン

【小樽】家具・インテリア製造小売り最大手のニトリ(札幌)が小樽市中心部で歴史的建造物を使って整備を進めてきた「小樽芸術村」が1日に全面開業し、記念式典が行われた。ニトリホールディングス(札幌)の似鳥昭雄会長や高橋はるみ知事らが新たな観光・文化拠点の誕生を祝った。
 芸術村の四つ目の施設となる「似鳥美術館」が1日にオープン。旧拓銀小樽支店(1923年建築)を改修し、美術品約280点を収蔵する。式典で高橋知事は「岸田劉生ら大家の作品を展示し、小樽や北海道の魅力発信に貢献していただけると思う」とあいさつした。
 開館時間は4館とも午前9時半~午後5時(11~4月は午前10時~午後4時)。入館料は3館共通が一般1900円、学生1400円など。中学生以下無料。

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『朝日新聞』さんの北海道版には、似鳥会長のインタビューも。

北海道)小樽芸術村が全面開業 ニトリ会長が抱負語る

 ニトリホールディングスが小樽市で整備してきた小樽芸術村(色内1丁目)が1日、「似鳥美術館」のオープンで全面開業した。似鳥昭雄会長が朝日新聞の取材に答え、「小樽芸術村を歴史と芸術が響き合う場所として世界に発信していきたい」と抱負を語り、年間20万人の来館者を目標に、小樽や道内の観光振興に貢献したい意向を示した。
 芸術村は小樽運河近くの1920~30年代に建てられた4棟で構成。旧三井銀行小樽支店など「商都」として栄えた時代を象徴する銀行などの建物を活用した。美術館は芸術村の中核施設で、旧北海道拓殖銀行小樽支店を改修した。地上4階、地下1階建て。2~4階に岸田劉生やピカソなどの絵画110点やガラス工芸品160点など、似鳥会長が収集してきたものを含めて展示している。
 似鳥会長は小樽を選んだ理由を「明治から昭和にかけて北海道の経済発展の礎となった土地。当時をしのばせる歴史的建造物が多く、同時代の美術、工芸品を展示することで新たな文化創造や発信ができる。北海道の風景や食に新しい感動をプラスしたい」と述べた。
 小樽には年間790万人の観光客が訪れており、「1990年代の小樽観光を牽引(けんいん)したのが閉館した石原裕次郎記念館ならば、バトンタッチして小樽芸術村が小樽観光のお役にたてたらうれしい」と話した。
 ニトリは1967年に「似鳥家具店」として札幌で創業し、今年で50年。ニトリ北海道応援基金や夕張、小樽への寄付などのメセナ(企業の社会貢献)にも取り組んできた。「60歳まで努力して余裕ができたら社会貢献を考えていた。業績のいい企業がメセナを行うのは欧米では当たり前のこと。そういう文化が根付けば豊かな国になる」と述べた。
     ◇
 ニトリホールディングスの似鳥昭雄会長が1日、小樽市で朝日新聞のインタビューに答えた。主な一問一答は次の通り。
 ――創業の札幌でなく、小樽で小樽芸術村を開設したのはなぜですか。
 「基本は現代の建物ではなく、昔からの建物を使って美術館をしたかったんです。小樽は明治から昭和にかけて北海道の経済発展の礎となった土地。当時をしのばせる歴史的建造物が多く、同時代の美術、工芸品を展示することで新たな文化創造や発信ができる。札幌と小樽は近いからやろうと決意したのが6、7年前かな。旧三井銀行小樽支店は7、8年前から見ていました。運河前の旧荒田商会と旧高橋倉庫が譲っていただけるということになり、そのうち、似鳥美術館になったここ(旧北海道拓殖銀行小樽支店)もうまくいきまして、今日に至ったんです」
 ――小樽がかつて物流・金融の要所の街だったということも関係ありますか。
 「そうです。昔、私も父親に連れてこられて、小樽によく来ました。こちらが商業の地ということで、こちらの方が栄えていたんですね。札幌よりもね。だから、日銀はこちらにありましたよね。問屋街で、よく父親が『安く買うなら小樽だ』ということで、小学校の時に連れて行ってもらっていたんです」
 ――今回、四つの歴史的建造物を活用して小樽芸術村ができています。旧三井銀行は展示館というものではなく、銀行そのものを保存していますね。
 「ああいう建物は日本では珍しい。日本を代表する建物じゃないかなと。あそこにペタペタ絵を飾っちゃうと、建物が薄れちゃう。だから建物だけを見せていく」
 ――似鳥美術館の展示品には日本画、洋画、木彫、ガラス工芸と多岐にわたっています。似鳥会長のお気に入りのものは。
 「みんな好きなんです。きれいなもの、美しいものにほれてしまうと。そういう傾向があります。やはり、ステンドグラスなど、日本になかったものが特に興味がありましたね。日本全国各地をみましても、ああいうものは少ないものですから、自分のところで美術館をつくりたいなあと」
 「昔から小樽は、ガラスの街で有名なところですよね。いま、ガラス工芸は少なくなっているのですが、本当のガラスでできたもの、世界の名品をここに見てもらうことが、小樽にぴったりではないかと」
 ――小樽には年間790万人の観光客が訪れます。小樽芸術村の役割をどう考えますか。
 「歴史と芸術が響き合う場所として世界に発信していきたい。北海道の風景や食に新しい感動をプラスしていきたい」
 ――観光名所だった石原裕次郎記念館が閉館しました。
 「1990年代の小樽観光を牽引(けんいん)してきたのが石原裕次郎記念館ならば、バトンタッチして小樽芸術村が小樽観光を引っ張って、お役に立てればうれしい」
 ――ニトリは道内では、小樽市に1億円、夕張市に5億円などの寄付をしています。会社のメセナ(企業の社会貢献)について、どう考えていますか。
 「私が60歳まで努力して余裕ができたら、社会貢献しようと考えていました。それで、『北海道応援基金』っていうので、年1億円で出していこうと。それから植樹ですよね。夕張では桜2万本を植樹し、これも、もう10年近く経つかな。桜が少しずつ大きき成っていますよね」
 ――業績がよい企業はメセナを積極的に行うのは、欧米では当たり前だとおっしゃっていました。
 「そうそう。もうかっていても、全然、出さない企業もあるんですよね。ビジネスとして社会貢献というのが一つありますよね。既存のお客さんが増えることと、また欲しいと言われるような商品をつくることです。そのほかに、文化に関することというのは、欧米では当たり前ですし、一定の企業、豊かな企業が社会貢献することが根付けば、豊かな国になると思うんですよね。日本はまだまだ足りない」
 ――今年はニトリの創業50年。9月には国内外の店舗数が500になります。
 「500店というのは一つの区切りですね。50年、500店、(売上高)5千億円といったし、純利益も500億円を超えた。『5、5、5』というのはいいですね。こんどは『1、1、1作戦』とか。5年後に1千店、1兆円、最終利益1千億円。これはちょっと、まぁいいかな、そんなもんかな」(佐久間泰雄、鯨岡仁)
     ◇
■小樽芸術村の建物
①似鳥美術館(旧北海道拓殖銀行小樽支店)
②旧三井銀行小樽支店
③ステンドグラス美術館(旧高橋倉庫)
④小樽芸術村ミュージアムショップ(旧荒田商会)


すばらしい理念だと思います。

光雲らの木彫に目を付けて下さったのも、ありがたい限りですね。光太郎の木彫も、ここに加えていただければさらにありがたいのですが。

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ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

観自在こそ たふとけれ まなこひらきて けふみれば 此世のつねの すがたして わがみはなれず そひたまふ

詩「(観自在こそ)」全文 昭和21年(1946)頃 光太郎64歳頃


七五調四句の「今様」という様式で、題名は付されていません。そのため、昨年、このブログで1年間載せ続けました【折々の歌と句・光太郎】でもご紹介しましたが、『高村光太郎全集』では、詩の巻に入れざるを得ず、「第3巻 詩三」に収録されています。

光太郎、敬虔な仏教徒というわけではありませんでしたが、仏師だった父・光雲が手がけた観音像などを幼い頃から目の当たりにし、自身もブロンズの代表作「手」では、観音菩薩の手印・施無畏の相をモチーフにするなどしています。

戦争協力への反省から蟄居生活を送る中、仏にすがる気持ちも育まれていたかも知れません。

北海道から新たな美術館オープンの情報です。

ニトリ小樽芸術村さんのサイトから。

「旧三井銀行小樽支店」公開と「小樽芸術村」グランドオープンのお知らせ

この度、株式会社ニトリホールディングス(札幌市北区、代表取締役社長兼COO 白井俊之、以下ニトリ)は、昨年オープンしたステンドグラス美術館(旧高橋倉庫)、ミュージアムショップ(旧荒田商会)に加え、この今年8 月1 日より隣接する「旧三井銀行小樽支店」を、小樽を代表する歴史的建造物の一つとして公開いたします。さらに9 月1 日より「旧北海道拓殖銀行小樽支店」を修復し、アールヌーヴォー・アールデコグラスと所蔵する絵画・彫刻を一堂に集め「似鳥美術館」として公開いたします。
ニトリは、これまで「ニトリ北海道応援基金」などを通じて、道内の教育・観光・文化活動を支援してまいりましたが、企業メセナ活動の一環として本施設をグランドオープンし、北海道のさらなる観光発展に寄与すると同時に、国内外の多くの方々が優れた文化・芸術に触れ、情操を育み、感動を共有できる場所にしてまいります。

【小樽芸術村 概要】
名 称 :小樽芸術村 英文名 :OTARU ART BASE
昨年7 月より公開●ステンドグラス美術館(旧高橋倉庫)  所在地:小樽市色内1丁目2-17
昨年7 月より公開●小樽芸術村ミュージアムショップ(旧荒田商会)  所在地:小樽市色内1丁目2-17
8 月1 日より公開●旧三井銀行小樽支店  所在地:小樽市色内1丁目3-10
9 月1 日より公開●似鳥美術館(旧北海道拓殖銀行小樽支店)  所在地:小樽市色内1丁目3-1
B1 に、アールヌーヴォー・アールデコグラスギャラリー、
似鳥美術館ミュージアムショップ併設

◆似鳥美術館(旧北海道拓殖銀行小樽支店)
建物:1923 年(大正12 年)の建築。かって作家・小林多喜
二が働いていた旧北海道拓殖銀行小樽支店。2階ホールまでの吹き抜けは、6本の古典的円柱が圧巻。ステンドグラス美術館、旧三井銀行小樽支店同様に小樽市指定有形文化財。
面積:3,309 ㎡(1,002 坪)
4階は横山大観、川合玉堂などの日本画、
3階は岸田劉生をはじめとする日本・海外の洋画、
2階には高村光雲とその弟子たちの木彫
地下はアールヌーヴォー・アールデコグラスギャラリーとなっています。

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というわけで、光太郎の父・高村光雲とその弟子達の作品が、ある程度まとめて展示されるようです。

光雲の作品は、さまざまな美術館に分散しており、それも多くて数点というところが多く、まとめて所蔵している館(京都清水三年坂美術館さんなど)にしても、それらが常に展示されているわけではないので、これは嬉しいニュースです。

点数やどんな作品か、また、弟子達のメンバー構成といった点などが不明ですが、新たな情報が入り次第お伝えします。


【折々のことば・光太郎】

私は拾つた篠懸木の一枚の葉を 如何に木で彫らうかと考へてゐる。

詩「美しき落葉」より 昭和19年(1944) 光太郎62歳

篠懸木は「すずかけのき」と読み、プラタナスの和名です。

多くの前途有為な若者達を戦場へと駆り立てた罪深い翼賛詩を大量に書き殴るかたわら、光太郎は彫刻の方面での戦争協力はほとんど行いませんでした。

同時代の彫刻家の多くは、もはやブロンズが使用できないとなると、セメントまでも使用して、兵士の姿などを彫刻にし、戦意高揚に資していました。光太郎がそうした愚にもつかぬ彫刻に手を染めなかったのは、さすがです。もっとも、大量の翼賛詩による原稿料などで、生活が保障されていたためと考えることもできますが……。

先日、主に北海道の文学に注目する北方文学研究会さん発行の同人誌『北方人』の第27号を頂きましたが、その中で、釧路で発行されている文芸同人誌『河太郎』第43号が紹介されていました。光太郎に触れる論考が掲載されているとのことで、関係先(web上にアップロード作業をされている同誌サポーターの奈良久氏)に連絡をとったところ、無料で頂いてしまいました。恐縮です。

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光太郎に触れる論考は、『釧路新聞』記者の横澤一夫氏による「原始の詩人たちの時代 『 至上律 』 『 北緯五十度 』 『 大熊座 』」。

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昭和初期に北海道で発行されていた詩誌 『至上律』、『北緯五十度』、『大熊座』に関するもので、それぞれ弟子屈で開拓に当たりながら詩作を続けた更科源蔵を中核とした雑誌です。

このうち、『至上律』は光太郎の命名。他に発表したものからの転載が多いのですが、ヴェルハーレンの訳詩などを多数寄稿しています。この雑誌は戦後まで続き、隠遁生活を送っていた花巻郊外太田村のスケッチなども寄せました。

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『大熊座』は、昭和13年の刊行。一号で終わってしまいましたが、詩「夢に神農となる」、「高村光太郎作木彫小品・色紙・短冊頒布」の広告を寄せています。

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『北緯五十度』には光太郎の寄稿は確認できていません。

これら三誌をめぐり、更科と光太郎以外にも、さまざまな人物が関わっています。伊藤整、尾崎喜八、猪狩満直、草野心平、真壁仁、森川勇作……いずれも光太郎と因縁浅からぬ面々です。それらの織りなす人間模様について詳しく述べられ、興味深く拝読致しました。

さらに昨日ご紹介しましたが、今年の明治古典会七夕古書大入札会に、光太郎のものを含む、更科の詩集『種薯』(昭和5年=1930)を特集した雑誌『犀』(同6年=1931)のための草稿類が出品されており、奇縁を感じました。

先述の通り、web上にアップロードされています。是非お読み下さい。


【折々のことば・光太郎】

――原始、 ――還元、 ――岩石への郷愁、 ――燃える火の素朴性。

詩「荻原守衛」より 昭和11年(1936) 光太郎54歳

亡き友を偲ぶ詩です。守衛が(そして自らも)目指した彫刻のあるべき姿が端的に表されています。

この年刊行された相馬黒光による守衛回想、『黙移』に触発されての作と思われます。現在、夏季企画展示「高村光太郎編訳『ロダンの言葉』展 編訳と高村光太郎」が開催中の信州安曇野碌山美術館さんに、この詩を刻んだ詩碑が建てられています。

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主に北海道の文学に注目する北方文学研究会さん発行の同人誌『北方人』の第27号を頂きました。いつも送って下さっていて、恐縮です。

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さらに恐縮なことに、当会発行の『光太郎資料47』をご紹介下さっています。

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また、当方も寄稿している文治堂書店さん発行の同人誌、「トンボ」第3号の紹介も。ありがたいことです。

それから、釧路で発行されている同人誌『河太郎(かたろう)』の紹介の中に、光太郎の名が。

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光太郎と交流のあった更科源蔵、猪狩満直といった詩人が北海道出身だったり移住したりしていた関係、北海道で発行されていた雑誌に光太郎の寄稿がたびたびあったためですね。とりあえずネットで発行元らしきところを見つけ、送って下さるよう頼んでみました。届きましたらまたご紹介します。


その『トンボ』の第4号も届きました。

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3名の方々による、先頃亡くなった同社創業者の渡辺文治氏の追悼文が掲載されており、当会顧問・北川太一先生の玉稿も含まれています。

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その他、半ば強引に2ページ分の連載を持たされてしまい(笑)、今年で61回目を迎えた連翹忌の歴史と現況について書け、という指示でしたので書きました。

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掲載誌をごそっと送られていますので、ご入用の方はこちらまで。


【折々のことば・光太郎】

足もとから鳥がたつ 自分の妻が狂気する 自分の着物がぼろになる

詩「人生遠視」より 昭和10年(1935) 光太郎53歳

光太郎にとっては不意打ちのようだった智恵子の心の病の顕在化、それにより智恵子が夢幻界へと飛び立ってしまったこと、それに伴う喪失感などが、見事に表現されています。

しかし、病が顕在化したとされる昭和6年(1931)夏から3年半経って、その間に智恵子の自殺未遂、青根温泉などへの湯治旅行、九十九里浜での転地療養などを経、南品川ゼームス坂病院へ入院させる頃に書いた詩です。

まずはすでに始まっている展覧会の情報から。

コレクション選 新収蔵品展 ひびき合うコレクション【前期】

会 期 : 2017年4月8日(土)~5月28日(日)
会 場 : 札幌芸術の森美術館 札幌市南区芸術の森2丁目75番地
時 間 : 9:45~17:00
料 金 : 無料
休館日 : 月曜日

 札幌芸術の森美術館では、1990年の開館以来、寄贈や購入を通じてコレクションを着実に充実させ、現在では1,551点の作品を所蔵するにいたっています。そのコレクションをふりかえれば、彫刻、油彩、日本画、水彩、素描、版画、写真、工芸、写真、部族芸術と幅広いジャンルの作品を収集しています。なかでも、日本の近代彫刻をたどることのできる彫刻のコレクション、そして札幌出身の個人コレクターの寄贈による北海道絵画史を一望できるコレクションは特筆に値します。こうしたコレクションは、絶え間ない作品収集によって形作られています。美術館にとってコレクションはかけがえのない基礎資源であり、また美術館の歴史はコレクションを形成してきた歴史であるともいえるでしょう。
 
 これまで「札幌芸術の森美術館コレクション選」では、当館が収蔵する作品を継続的にご紹介してきましたが、その一方で、近年収蔵された作品をまとめて展示する機会はほとんどありませんでした。本展では、近年新しく収蔵された作品を中心に、また、師と弟子、盟友との切磋琢磨などが感じられる新収蔵作品とつながりの深い既存の収蔵作品とあわせて展示いたします。コレクションの共演をお楽しみください。

【出品作品】
 1. 鈴木武右衛門《シルバーペンダントのAisha》 砂岩、赤御影石、銀 2011年
 2. 佐藤忠良《智恵子抄のオリエ》 ブロンズ 1971年 [既収蔵作品]
 3. 笠井誠一《ボトルとミルク缶のある風景》 油彩、キャンヴァス 2012年
 4. 笠井誠一《ふいごのある卓上静物》 油彩、キャンヴァス 2008年
 5. 吉田芳夫《演技者Y(本田明二氏)》 ブロンズ 1982年
 6. 本田明二《けものを背負う男》 木(カツラ) 1982年 [既収蔵作品]
 7. 阿部国利《体内のリズム》 水彩、素描 2002年
 8. 阿部国利《崩壊するマスク》 油彩、キャンヴァス 1995年
 9. 矢崎勝美《愛のシリーズ2》 シルクスクリーン、オフセット、手彩色(吹付) 1972年
 10.矢崎勝美《愛のシリーズ3》 シルクスクリーン、オフセット、手彩色(吹付) 1972年


館蔵品のコレクション展です。収蔵品が多い館では、こういった形でローテーション的に展示品の入れ替えを行うことがよくあります。同館では光太郎の「薄命児男児頭部」(明治38年=1905)、「裸婦坐像」(大正6年=1917)を所蔵しており、それらもこうした形で出す機会があるのだと思われます。

今回、当方の注目は、光太郎を敬愛していた彫刻家、佐藤忠良の「智恵子抄のオリエ」。

「オリエ」は佐藤の息女で、女優の佐藤オリエさんです。佐藤はたびたびオリエさんをモデルに彫刻を制作していました。


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左はずばり「オリエ」(昭和24年=1949)、右は「冬のオリエ」(同41年=1966)。

「智恵子抄の」というのは、昭和45年(1970)に、TBS系テレビで放映された「花王愛の劇場 智恵子抄」で、オリエさんが智恵子役を演じたためです。ちなみに光太郎役は故・木村功さんでした。

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佐藤としては、自分が敬愛していた光太郎の妻をお嬢さんが演じたということで、感慨深いものがあったのではないでしょうか。

首都圏であれば観に行きたいところですが……。


美術館がらみでもう一点。光太郎の親友だった碌山荻原守衛を偲ぶ会です。 

第107回碌山忌 

期 日 : 2017年4月22日(土)
会 場 : 碌山美術館 長野県安曇野市穂高5095-1
時 間 : 10:30~
料 金 : 無料 (18:00からの「碌山を偲ぶ会」のみ参加費1,000円)
日 程 :
 10:30~     ミュージアム・トーク(碌山館)
 11:00~     墓参
 13:00~     ミュージアム・トーク(企画展・第二展示棟) 
 13:30~15:00 碌山忌コンサート(グズベリーハウス)
 15:30~17:15 研究発表フォーラム・ディスカッション 
          「荻原守衛-ロダン訪問の全容とロダニズムの展開-」(杜江館)
 18:00~     碌山を偲ぶ会(グズベリーハウス)

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昨年、「夏季特別企画展 高村光太郎没後60年・高村智恵子生誕130年記念 高村光太郎 彫刻と詩 展 彫刻のいのちは詩魂にあり」を開催してくださり、関連行事の講演会では当方に講師を務めさせてくださった碌山美術館さんの主催行事です。

毎年行っていたのですが、昨年は地域の会議と重なってしまい、欠礼。今年からまたお邪魔いたします。同館では、7/1(土)~9/3(日)には、夏期特別展「『ロダンの言葉』編訳と高村光太郎」、12/2(土)に美術講座「ストーブを囲んで 「荻原守衛と高村光太郎の交友」を語る」を開催してくださいますので、情報収集もかねていって参ります。

また、ネット上で詳細な情報が出ていないので全容が不明ですが、光太郎とも関わるはずですので、研究発表フォーラム・ディスカッションが非常に興味深く感じております。


それぞれお近くの方、ご都合のつく方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

護る者から詩は逃げて、 振りはらふ者に詩はまつはる。 こんなあまのじやくにはお構無(かまひな)しに、 おれはどしどし道をゆかう。

詩「「詩」」より 昭和2年(1927) 光太郎45歳

後に光太郎は、「詩は日記のようなもの」と発言しています。つまりは原稿用紙に向かって呻吟しながら作るものではなく、自然にできてしまうということでしょう。「振りはらふ者に詩はまつはる。」とは、そうした意味だと思われます。

だからといって、光太郎の詩が稚拙で無技巧というわけでもなく、発表する詩に対しては、かなり推敲を施した跡がみられます。


ネットでいろいろ検索をしていて、気になる展示情報を見つけました。9月から始まっていました。   

常設展アーカイヴ平成28年度第3期 文学館の中の美術―宮崎丈二

期  日 : 平成28年9月13日(火)~11月7日(月)
会  場 : 北海道立文学館 札幌市中央区中島公園1番4号
時  間 : 9:30~17:00(展示室入場は16:30まで)
料  金 : 一般500円 高大生250円 中学生以下・65歳以上無料

常設展アーカイヴは、当館の所蔵資料を年に数回テーマを変えながらご紹介する小企画スペースです。
 平成28年度第3期は、「文学館の中の美術―宮崎丈二」として、北海道にゆかりの詩人・画家の宮崎丈二関連資料をご紹介します。
これらの資料は、旭川市生まれの詩集の収集家で宮崎丈二に私淑した高橋留治氏より寄贈されたものが中心となっています。
 宮崎の詩について高橋氏は、「日常生活のありふれた用語を自分のものに洗い尽して、平明な詩を書き続け、その詩は中にキラリと光る、幽かな余韻がこころに長く残る。」と書いています。
 平明で明るく、そして心に響く宮崎丈二の詩と絵の世界をお楽しみ下さい。

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宮崎丈二は明治30年(1897)、銚子生まれの詩人です。大正期からさまざまな詩誌の刊行に関わり、それらに光太郎作品を積極的に載せていました。また、やはり光太郎と縁の深い岸田劉生とも交流があり、岸田の興した草土社にも参加するなど、画業でも優れた作品を遺しています。

光太郎晩年は、詩人の西倉保太郎、材木商の浅野直也との3人組で、中野のアトリエを訪れたり、光太郎を飲みに連れ出したりもしました。光太郎歿後には、昭和32年(1957)の第1回連翹忌にも参加しています。

昨年、『高村光太郎全集』に漏れていた、宮崎宛(西倉保太郎と連名宛)の光太郎書簡を見つけました。昭和27年(1952)1月19日付けで、まだ光太郎が再上京する前、花巻郊外太田村から送られたものです。

007  新年のおたよりいろいろいただき、たのしい思をいたしました。蘭の莟がもう開く頃かと、うらやましく存じます。清香をおもひやります。
  寄書の酔筆にも、雅興想意、小生も新年には例のもの一盞、又醇醸の焼酎を得て珍しく三十五度の風味を味ひました。
  冬もあたたかく雪少なく、これは物足りません。

上記説明で、展示品の多くが高橋留治氏の寄贈による、とあります。高橋氏は宮崎の研究に功績のあった方で、当方、氏の書かれた『評伝 無冠の詩人 宮崎丈二――その芸術と生涯――』(昭和49年=1974 北書房)を持っています。540ページ余の労作で、光太郎と宮崎の交流にも触れ、非常に示唆に富むものです。

そういう経緯もあり、今回の展示も近くで開催されていれば是非拝見に伺うところですが……。


だいぶ以前にも書きましたが、やはり宮崎が刊行に関わっていた雑誌『太陽花』の第2巻第1号に、アメリカの詩人、ウォルト・ホイットマンの「栗色の顔をした野の若者よ」の光太郎訳が掲載されました。それに関する宮崎宛の光太郎書簡も現存します。

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『太陽花』は静岡で刊行されていた地方詩誌です。たびたび光太郎も寄稿していましたが、現存部数が非常に少ないようで、「栗色の顔をした野の若者よ」光太郎訳がどういう内容なのか、不明です。掲載誌は横浜・港の見える丘公園にある神奈川近代文学館さんに所蔵されています。しかし、「栗色の顔をした野の若者よ」の載ったページだけ破り取られており、読めませんでした。今回の展示がある北海道立文学館さんにも所蔵はないようです。

刊行は昭和2年(1926)1月。しかし、大正15年が前年の12月25日まで、翌12月26日から31日までが昭和元年ということで、先に印刷が終わっていたであろうこの号、奥付は大正16年となっています。

情報をお持ちの方はこちらまでご教示いただければ幸いです。


【折々の歌と句・光太郎】

夕ぐれをひとり離れし神の鹿かすかなる音に人を泣かしむ
明治35年(1902) 光太郎20歳


このところこのコーナーで紹介し続けている、奈良での作の一つです。鹿は奈良公園の鹿でしょう。

万葉の昔から、鹿の鳴き声は秋の風物詩。文字で表すと「ピュウーーーー」といったところでしょうか。高い音程の、一種もの悲しい特徴的な声です。

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画像は当方自宅兼事務所所在地の千葉県香取市に鎮座する香取神宮の神鹿。昨日撮影してきました。ちょうど食事タイムで、大半の鹿さんたち、ニンジンを食べるのに忙しく、鳴いていませんでした(笑)。

直接的には光太郎には関わりませんが、光太郎が多大な影響を受けた、ロダンの企画展。北海道札幌での開催です。 

開館35周年記念 ロダン展

会 場 : 本郷新記念札幌彫刻美術館 札幌市中央区宮の森4条12丁目
会 期 : 2016年7月9日(土)~9月25日(日) 
休 館 : 月曜日 
      7/18(月・祝)9/19(月・祝)は開館し7/19(火)9/20(火)は休館
時 間 : 10:00~17:00(入館は16:30まで) 7月17日(日) 8月27日(土)は19:30まで
料 金 : 一般 1,000(800)円、65歳以上 800(640)円 高大生 600(540)円 中学生以下無料

本郷新記念札幌彫刻美術館は今年で開館35周年を迎えます。
これを記念し、フランスの彫刻家・オーギュスト・ロダン(1840-1917)の展覧会を開催します。
パリで生まれたロダンは、ほとんど独学によって彫刻家として大成し、身体の生命感を彫刻の本質と捉えた独自の表現により、「近代彫刻の父」と称賛されました。
札幌生まれで戦後日本の具象彫刻を牽引した彫刻家・本郷新(1905-1980)は、師・高村光太郎の著作『ロダンの言葉』や、ロダンの実作を通して、この巨匠に多くを学んでいます。
本展は、日本近代の彫刻家たちに多大なる影響を与え、彫刻家・本郷新の源流ともなったロダン芸術の魅力を広く伝えようとするものです。
代表作《地獄の門》の関連作をはじめとする、国内美術館所蔵のロダンの彫刻作品22品を中心に構成します。

〔出品作品〕
 《考える人》 1880年 (静岡県立美術館蔵)
 《カレーの市民》 第一試作 1884年 (静岡県立美術館蔵)
 《パオロとフランチェスカ》 1887-89年頃 (静岡県立美術館蔵)
 《眠れる女(裸婦)》 1887年 (札幌芸術の森美術館蔵)
 《フロックコートを着たバルザック》 1891-92年 (札幌芸術の森美術館蔵)
 《ジャン・デールの裸体習作》 1868-89年頃 (中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館蔵)
 《衣をまとったバルザック》 1897年 (北海道立函館美術館蔵)
  ほか

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関連行事

ロダンナイト
開館35周年を祝い、開館時間を延長、無料で観覧いただけます。イベントも開催
日 時:7月17日(日)17:00~19:30

ギャラリートーク
日 時:7月23日(土)、8月6日(土)、9月10日(土) 各回14:00~14:40
※申込不要、要展覧会観覧料

ロダンにタッチ!
一部の出品作品にさわって鑑賞いただけます。手でロダン彫刻を味わう特別なひとときをお楽しみください。
日 時:会期中の毎週土曜10:00~11:00

ミュージアムコンサート
日 時:8月27日(土)17:00~18:00

会 場:札幌彫刻美術館 本館


館の名前になっている本郷新は、舟越保武、佐藤忠良らとともに、光太郎に影響を受けた彫刻家です。光太郎没後の10年間限定で行われた「高村光太郎賞」の選考委員に名を連ねました。

同館は「記念館」と「本館」から成り、ロダン展は「本館」、「記念館」は本郷のアトリエをそのまま使い、本郷の作品などの常設展示が為されています。

併せてご覧下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

ゆるぎなく水面(みのも)の影のこむらさき緑さすよと見れば消えたり

明治34年(1901) 光太郎19歳

「こむらさき」は美しい紫色の羽を持つ蝶です。一回り大きいオオムラサキは日本の国蝶ということになっています。

昨年、神奈川平塚市美術館さんを皮切りに、愛知碧南市藤井達吉現代美術館さん、姫路市立美術館さんと巡回し、明日まで足利市立美術館さんで開催されている企画展です。最後の巡回が、北海道函館で行われます。 

開館30周年特別展 画家の詩、詩人の絵―絵は詩のごとく、詩は絵のごとく Poetry of the painter,Paintings of the poet

会 期 : 2016 年6月18日(土) ~8月7 日(日)
時 間 : 9:30 ~ 17:00
会 場 : 北海道立函館美術館 函館市五稜郭町37-6
休館日
 :  月曜日(祝日と重なる場合は開館  祝日開館に伴う振替日)
料 金 : 一般 920(720)円 高大生 610(410)円 小中生 300(200)円
                          ( )内は前売・団体・リピータ料金
障害者手帳をお持ちの方及び付添の方(1名)、児童/老人福祉施設入所の方及び付添の方(1名)は無料

※前売券は6月12日まで、当館受付カウンターにて販売しております。(開館日のみ)
なお、6/14~6/17までの展示替え期間中は、美術館裏口・職員通用口で販売いたします。
 
ときに絵は詩のように語りかけ、詩は絵のような豊かな色彩とかたちを提示します。事実、多くの画家が詩を書き、詩人が絵を描いてきました。明治から現代までの画家と詩人の詩と絵を一堂にあつめ、ひとつの観点から捉えます。

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ネット上で出品作家の一覧等が見つかりませんが、これまでの巡回先とほぼ同様となるはずです。主催に名を連ねる『読売新聞』さんの報道では、「明治から現代まで、60人を超える画家や詩人の作品から、詩と絵画の密接な関係を探ります。」とのことです。

光太郎作品について、館に問い合わせました。大正3年(1914)に描かれた「日光晩秋」、同年に描かれた洋酒の瓶と果実を描いた「静物」、新潟・佐渡島の歌人・渡邊湖畔の息女を描いた「渡辺湖畔の娘道子像」(大正7年=1918)の3点が、会期中通しで展示されるそうです。

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図録を兼ねた書籍『画家の詩、詩人の絵-絵は詩のごとく、詩は絵のごとく』は、青幻社さんから広く販売中です。

関連行事として、以下の通り。 

美術講演会 【祖父 清六から聞いた 兄 宮沢賢治 -絵画について-】

日 時 : 6月18日(土)午後2時~005
会 場 : 当館講堂(聴講無料)

講 師 : 宮澤和樹(みやざわ・かずき)氏 
       (林風舎代表取締役)  

展示の目玉の一つが、賢治の絵画「日輪と山」ということで、賢治の実弟にして、戦時中に光太郎の花巻疎開を実現させた故・宮沢清六の令孫・和樹氏による講演です。

和樹氏、様々な機会でご講演をなさっていますが、必ずと言っていいくらい、賢治と光太郎との魂の結びつき、宮沢家と光太郎の深い縁について、お話下さっています。今回もそういったお話が出るのではないでしょうか。

◆ギャラリー・ツアー

日 時 : 7月2日(土)、23日(土)各日午後2時~(約30分)
会 場 : 特別展示室内(展覧会観覧券が必要です)
※学芸員の解説とともに、展示室をめぐります。


ぜひ足をお運び下さい。

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【折々の歌と句・光太郎】

金ぶちの鼻眼鏡をばさはやかにかけていろいろ凉かぜの吹く
制作年不詳

おそらく明治末と推定は出来ます。その頃よく手がけた、白黒反転の「籠書き」で書かれた短冊から採りました。

九段下の書道用品店・玉川堂さんの所有で、昨年、千葉流山で開催された「後閑寅雄喜寿チャリティ書画展」に「参考借用陳列敬仰作品」として出品され、その後、玉川堂さんに見せていただきに参りました。今年4月2日の第60回連翹忌でも展示させていただきました。

今日の関東は、梅雨の晴れ間の快晴です。本来、これを「五月晴れ」と称します。この場合の「五月」は旧暦五月。「五月雨」も同様です。

朝のうちは涼しい風が吹いていました。ただ、日が高くなると、蒸し暑くなりそうです。

皆様もこれからの季節、熱中症等お気を付け下さい。

光太郎のブロンズ作品が1点ずつ出品されている企画展が開催中です。

まずは静岡。 

静岡市美術館開館5周年記念 大原美術館展 名画への旅

会 場 : 静岡市美術館 静岡県静岡市葵区紺屋町17-1葵タワー3階
会 期 : 2015年4月18日(土)~5月31日(日)
時 間 : 10:00~19:00
休 館 : 月曜日
料 金 : 一般1300円 大高生・70歳以上900円 中学生以下無料

大原美術館は、日本で初めて西洋美術が鑑賞できる美術館として1930(昭和5)年岡山県倉敷市に開館しました。その豊富なコレクションの基礎を築いたのは、実業家・大原孫三郎(1880-1943)とその盟友で岡山県出身の洋画家・児島虎次郎(1881-1929)でした。虎次郎は孫三郎の支援を受けて三度渡欧し、フランス、ベルギー、ドイツ、スペインなどを巡ります。今でこそ西洋絵画は身近な存在ですが、海外の情報を得ることも旅行も容易でない当時に、虎次郎がもたらした名品の数々は、日本で高い関心と熱狂をもって受け入れられました。美術館創設時の強い公共精神―若い芸術家や一般の愛好者のために優れた美術作品を鑑賞、研究する場を提供する―は現在まで受け継がれ、そのコレクションはそれぞれの時代を反映しながら豊かに発展してきました。
静岡市美術館開館5周年記念となる本展では、児島虎次郎の作品をはじめ、珠玉の西洋絵画、日本近代美術の名作、そして静岡ともゆかり深い芹沢銈介や民藝運動の作家、さらに山口晃ら近年活躍めざましい現代の作家たちの作品など、大原美術館を代表する75点を一堂に紹介します(会期中一部展示替えあり)。大原美術館のこれまでの活動を辿りながら、孫三郎と虎次郎が目指した美術館、そして初めて本物の西洋絵画に触れた当時の人々の熱い想いに、改めて触れる機会となれば幸いです。


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光太郎の作品は、「腕」(大正7年=1918)が並んでいます。非常に迫力と量感に溢れた作品です。

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藤島武二、岸田劉生、梅原龍三郎、バーナード・リーチなど、光太郎と縁の深い作家の作品も出展されています。

気づくのが遅くなり、主な関連行事のうち、未実施のものは以下だけになってしまいました。すみません。

講演会「洋画家たちの挑戦-大原美術館所蔵作品を中心に」

日 時 2015年5月10日(日)14:00~15:30 (開場13:30~)
講 師 柳沢秀行氏(大原美術館学芸課長)


続いて北海道は札幌から。 

彫刻の美~本郷新に学ぶ彫刻鑑賞

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会 場 : 本郷新記念札幌彫刻美術館 札幌市中央区宮の森4条12丁目
会 期 : 2015年4月25日(土)~6月28日(日)
時 間 : 10:00~17:00
休館日 : 月曜日
料 金 : 一般500円 65歳以上400円 大高生300円 中学生以下無料

彫刻家本郷新(札幌生まれ、1905-1980)による『彫刻の美』は、青少年向けの芸術叢書として1942年に冨山房から出版されました。彫刻の本質や魅力を平明かつ的確に、また美しくつづった名著として再版を重ね、今なお読み継がれています。 本展は、本書のなかの本郷の言葉を手がかりに「彫刻の美」を味わおうとするものです。「量」「動勢」「調和」「材質」等、本郷の提示する彫刻の要素に着目しながら、作品の見どころを紹介します。 当館および札幌芸術の森美術館の所蔵品のなかから、日本近代彫刻の優品を中心に、その源流にあるロダン等の西洋近代彫刻の作品を加えて構成。彫刻と言葉の響き合う空間にぜひおでかけください。

[おもな出品作家]
 荻原守衛、戸張孤雁、高村光太郎、中原悌二郎、本郷新、佐藤忠良、舟越保武、ロダン、ブールデル、マイヨール、デスピオ

関連行事

■美術講座「彫刻の美~本郷新芸術の源流」
当館学芸員が本郷新の彫刻芸術とその源流にある西洋近代彫刻についてお話しします。
日時:2015年5月16日(土)14:00~15:00 会場:本館研修室     講師:樋泉綾子(当館学芸員)
*申込不要、要展覧会観覧料
無題
■講習会「おとなのデッサン教室」
講師とともに「彫刻の美」展の作品を鑑賞し、彫刻のデッサンを学びます。
日時:2015年5月30日(土)14:00~16:30
講師:國松明日香氏(彫刻家)
参加料:1,800円   定員:20名
申込方法:5月13日(水)9:30より電話受付開始(011-642-5709)


光太郎作品は、「裸婦坐像」(大正6年=1917)。小品ですが、愛らしい彫刻です。


それぞれ光太郎作品は1点ずつの展示ですが、お近くの方で、普段、光太郎の彫刻の実物を目にする機会のない皆さん、ぜひどうぞ。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 5月9日010

平成22年(2010)の今日、音楽ユニット古川本舗のCD「SING ALONG」がリリースされました。

いわゆるVOCALOID系で、田中到氏作曲の「レモン哀歌」(若干の詩の改変有り)が収録されています。なかなか軽妙、それでいて哀愁漂うメロディーで、一度聴くとけっこう頭から離れません。

昨日の『日本経済新聞』さんの文化面掲載の記事に、光太郎の名がちらっと出ました。

北海道文教大学教授にして、昨年まで北海道文学館理事長を務められた神谷忠孝氏によるもので、「北海道文学ここにあり」と題するものです。サブタイトルが「小林多喜二や石川啄木ら、ゆかりある作家・作品を紹介」となっています。

北海道出身の作家の作品、もしくは北海道に題を採った文学作品を「北海道文学」と定義し、北海道文学館での企画展、昨年増補版が刊行された『北海道文学大事典』の編集などを通し、その豊かさが語られています。

また、北海道は文芸同人誌の刊行が盛んであることにも言及されています。「雪深く極寒の北国は人を屋内にとじ込める。ドストエフスキーやトルストイを生んだロシアと同じく、北海道の気候は物語を紡ぐ想像力を養うのかもしれない。」とのこと。なるほど、太宰治や寺山修司を生んだ青森、石川啄木や宮澤賢治を生んだ岩手も同じかもしれません。

さて、神谷氏の挙げる「北海道文学」に関わる人名は、以下の通り。

国木田独歩、有島武郎、小林多喜二、寺山修司、知里幸恵、池沢夏樹、吉増剛造、円城塔、渡辺一史、山田航、石川啄木、寒川光太郎、そして高村光太郎。

北海道に理想郷を見てやってきた作家は多い。(略)詩人の高村光太郎、函館などで新聞記者として暮らした石川啄木も有名だ。

光太郎が北海道に渡ったのは、欧米留学から帰って2年経った、明治44年(1911)。経営していた日本初の画廊・琅玕洞(ろうかんどう)を畳み、札幌郊外の月寒で酪農のかたわら、芸術作品の創作を夢見てのことでした。しかし具体的な考えはなく、行き当たりばったりの計画だったため、たちまち頓挫し、引き返していますが。くわしくはこちら

その体験を元に作ったのが、詩「声」です。

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止せ、止せ
みじんこ生活の都会が何だ
ピアノの鍵盤に腰かけた様な騒音と
固まりついたパレツト面の様な混濁と
その中で泥水を飲みながら
朝と晩に追はれて
高ぶつた神経に顫へながらも
レツテルを貼つた武具に身を固めて
道を行くその態(ざま)は何だ
平原に来い
牛が居る
馬が居る
貴様一人や二人の生活には有り余る命の糧(かて)が地面から湧いて出る
透きとほつた空気の味を食べてみろ
そして静かに人間の生活といふものを考へろ001
すべてを棄てて兎に角石狩の平原に来い

そんな隠退主義に耳をかすな
牛が居て、馬が居たら、どうするのだ
用心しろ
絵に画いた牛や馬は綺麗だが
生きた牛や馬は人間よりも不潔だぞ
命の糧は地面からばかり出るのぢやない
都会の路傍に堆(うづたか)く積んであるのを見ろ
そして人間の生活といふものを考へる前に
まづぢと翫味(ぐわんみ)しようと試みろ

自然に向へ
人間を思ふよりも生きたものを先に思へ
自己の大国に主たれ
悪に背(そむ)け

汝を生んだのは都会だ
都会が離れられると思ふか
人間は人間の為したことを尊重しろ
自然よりも人工に意味ある事を知れ
悪に面せよ

PARADIS ARTIFICIEL!

馬鹿
自ら害(そこな)ふものよ

馬鹿
自ら卑しむるものよ


画像は昔の絵葉書、農商務省月寒種羊場。光太郎が訪れた明治末よりは新しいものですが。


その後も光太郎は、北海道在住の詩人、更級源蔵と親しくなり、たびたび北海道移住の夢を語ります。戦後の花巻郊外太田村での独居生活も、この夢に通じるところがあるのでしょう。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 3月25日

大正14年(1925)の今日、ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレン(光太郎の表記ではヴエルハアランまたはヹルハアラン)の詩集 『天上の炎』を翻訳、新しき村出版部から刊行しました。

画像は扉です。当方、カバーなししか持っていないもので。

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北海道からイベント情報を2件ご紹介します。

「モンクール読み語りライブ 〜「詩」を想い、そして 思い出す日。20」

日 時 : 2014年6月29日(日) 開場12時頃/開演13時
場 所 : 詩とパンと珈琲 モンクール 
       札幌市中央区北3条西18丁目2-4 北3条ビル1F(南向き)
料 金 : 投げ銭
特 集 : 高村光太郎・城理美子
主 催 : ヨミガタリを楽しむ会
 
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朗読系のイベントのようです。光太郎を取り上げてくださる由、ありがたいかぎりです。
 




高村智恵子紙絵複製展

日 時 : 2014年5月23日(金) ~7月28日(月) の土・日・月
場 所 : ギャラリー日の丘 北斗市三ツ石347 0138-75-3557
 
明治・大正期の詩人高村光太郎の妻智恵子の切り絵を貼り重ねた作品複製約40点を展示する。
 
『北海道新聞』さんのイベント情報で見つけました。「智恵子の切り絵を貼り重ねた作品複製」という部分、意味がよくわからないのですが……。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 6月5日

明治45年(1912)の今日、『読売新聞』に智恵子を紹介する記事「新しい女(一七) 最も新しい女画家」が掲載されました。
 
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前月に第1回与謝野晶子からはじまった連載の17回目で、他に田村俊子、相馬黒光、松井須磨子、長谷川時雨などが「取り上げられ、翌年には単行本にもなりました。
 
かなり好意的に紹介されています。一部抜粋します。
 
『好きなのは、やはりゴオガンのです』話す時、その声は消えるやうに低くなる、『このごろ描きましたのは――』と立つて壁によせかけた小さな板を裏返して『ぢきこの近くなのです』、見ると、木立の間から畠を越えて夕空が明るくのぞかれる、木の葉といひ草の葉といひ、女とは思はれぬほどつよくそして快く描いてある、ふとセザンヌの雨の画を思ひだしたので、そのことをいふと『えゝセザンヌもほんとにようございますわね』と子どもらしく口を開いて目をほそめた、

北海道文学の研究者、盛厚三氏から北方文学研究会発行の同人誌『北方人』第19号を戴きました。ありがたいことです。
 
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光太郎は、その度に頓挫しましたが、何度か北海道移住を企てており、北海道在住だった詩人等との交流もいろいろとありました。今号に掲載されている盛氏の「評論/釧路湿原文学史(2)」にも、そうした詩人のうち、更級源蔵、猪狩満直といったあたりが紹介されており、興味深く拝読しました。
 
また、以前のブログでご著書『序文検索―古書目録にみた序文家たち』をご紹介させていただいた、かわじもとたか氏も「書誌/個人名のついた雑誌―日本人編(3)」を寄稿されています。
 
当方、やはり北海道出身(と思われる)詩人・編集者の八森虎太郎にあてた光太郎書簡(ハガキ)を2通持っています。一通は昭和24年(1949)9月のもので、以前のブログでご紹介しました。
 
もう一通がこちら。昭和23年(1948)5月のものです。
 
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「落下傘」をいただき、又池田克己氏詩集をもいただき、何とも恐縮に存じました、 大変立派に出来てゐるので気持ちよく思ひました、 池田さんからは「法隆寺土塀」をもいただき、 この処詩の大饗宴です。
厚く御礼申上げます。
 
『落下傘』は金子光晴の詩集です。『池田克己詩集』『法隆寺土塀』とも、札幌にあった日本未来派発行所から上梓されたもの。こちらは雑誌『日本未来派』を発行しており、光太郎も寄稿しています。昭和23年(1948)7月刊行の第13号。「十年前のあなたは 十年後のあなたは」というアンケートへの回答です。
 
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ただし光太郎が答えているのは「十年前のあなたは」の項のみ。この時点では、健康に不安を抱え、十年後にはもうこの世にいないだろう、などと考えていたのでしょうか。実際、8年後に亡くなっています。
 
昭和23年(1948)の十年前は同13年(1938)、智恵子がこの年10月に亡くなりました。 
 
ちなみに上記ハガキに出てきた三冊、すべてこの号の裏表紙に広告が出ています。
 
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更級源蔵や猪狩満直、そしてこの『日本未来派』の面々、さらにマイナーな北海道詩人(島田正など)との交流、内地出身ながら北海道と縁のあった詩人(猪狩もそうですが、他に宮崎丈二など)との交流もあり、そのあたり、もっと掘り下げなければ、と思っているところです。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 5月28日000

平成19年(2007)の今日、NHK教育テレビ(現・Eテレ)の「知るを楽しむこの人この世界 ほとけさまが教えてくれた 仏像の技と心」第8回「「西郷さん」で会いましょう~童子のこころで」で、光雲作西郷隆盛像が取り上げられました。
 
ナビゲーターは彫刻家の藪内佐斗司氏。飛鳥時代の広隆寺弥勒菩薩像、天平期の興福寺阿修羅像、さらに定朝、運慶、快慶と、仏像彫刻の流れを追う番組でした。

その最終回で光雲作西郷像。渋谷のハチ公同様、ランドマークとして待ち合わせの場所に使われたことから、「「西郷さん」で会いましょう」というサブタイトルになっています。
 
日本放送出版協会からテキストも発行されました。

北海道からのイベント情報です

労文協リレー講座 第6回「高村光太郎における戦中と戦後―『智恵子抄』から『暗愚小伝』まで」

期 日 : 2014/3/19 
会 場 : 北海道自治労会館(札幌市北区北6西7) 
時 間 : 午後6時 
料 金 : 当日受講500円
主 催 : 北海道労働文化協会 
講 師 : 田村一郎氏(元鳴門教育大教授)

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先日ご紹介した福井県鯖江市での「夢みらい館・さばえフェスタ ~女と男 つなげよう ひろげよう 新たな明日へ~」もそうですが、光太郎と直接関わりの薄い土地でもこうした講座が開かれています。ありがたいかぎりです。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 2月24日

昭和16年(1941)の今日、光太郎が序文を書いた藤井照子詩集『石花采(てんぐさ)』が刊行されました。
 
「藤井照子」というと、後に十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)が作られた際のモデルが「藤井照子」ですが、同姓同名の全くの別人です。
 
こちらの藤井照子は昭和14年(1939)から同16年(1941)まで光太郎が選者を務めていた、雑誌『新女苑』の応募詩欄の常連投稿者でした。
 
ところが筑摩書房『高村光太郎全集』(増補版)別巻の人名索引では二人の藤井照子が混同されています。

【今日は何の日・光太郎】5月6日

昭和15年(1940)の今日、詩「新緑の頃」を書きました。
 
昨日は、家族サービスで、茨城県の筑波山周辺(雨引観音楽法寺、茨城県フラワーセンター)に行って参りました。新緑の山がとても美しく、こういうときには「日本に生まれてよかった」と思います。
 
帰ってきてネットで新しい情報の調査。すると、『北海道新聞』さんの記事がヒットしました。 

新緑の頃

寒さに震える大型連休。それでも、近郊の山々はやわらかな萌木の色に染まり、互いにほほ笑み合っているかのようだ。高村光太郎の「新緑の頃」は、この季節を喜びいっぱいに歌う▼<青葉若葉に野山のかげろふ時、ああ植物は清いと思ふ。植物はもう一度少年となり少女となり/五月六月の日本列島は隅から隅まで/濡(ぬ)れて出たやうな緑のお祭>。「冬の詩人」とも呼ばれる光太郎には珍しい春の詩。いつ終わるとも知れない厳しい冬を熟知しているからこそ、ようやく巡りきた命の再生に感謝し、心を沸き立たせる▼それは北の地に暮らす私たちの実感でもある。どんな老木も、生きているかぎり、みずみずしい葉を芽吹かせる。いまある場所をじっと動かず、寒さに耐えながら、気温と日照のかすかな変化を感じ取り、春への日数を積算しているのだろう▼北電泊原発が停止したのは去年の5月5日だった。道民は節電など暮らしに工夫を凝らし、原発に由来しない電気で春夏秋冬を過ごしてきた。あれから1年。ほっと息をつく▼だが、緑なす列島の中で、福島第1原発と周辺の街や野山や海や川では放射能との闘いが続く。道内の水や空気や土を清く保ちたいと願うのは地域エゴではない。生きとし生けるものへの義務だろう▼幾春(いくはる)も深呼吸できる大気を―。濡れ出たばかりの無垢(むく)な命に誓う。きょう「みどりの日」。2013・5・4
 
『朝日新聞』さんでいえば、「天声人語」にあたる欄でしょう。ありがたいことです。しかし、北海道では「寒さに震える大型連休」なんですね。
 
ちなみに詩全文は次の通り。

 
   新緑の頃002
 
 青葉若葉に野山のかげろふ時、
 ああ植物は清いと思ふ。
 植物はもう一度少年となり少女となり
 五月六月の日本列島は隅から隅まで
 濡れて出たやうな緑のお祭。
 たとへば楓の梢を見ても
 うぶな、こまかな仕掛に満ちる。
 小さな葉っぱは世にも叮寧に畳まれて
 もつと小さな芽からぱらりと出る。
 それがほどけて手をひらく。
 晴れれば輝き、降ればにじみ、
 人なつこく風にそよいで、
 ああ植物は清いと思ふ。
 さういふところへ昔ながらの燕が飛び
 夜は地蟲の声さへひびく。
 天然は実にふるい行状で
 かうもあざやかな意匠をつくる。
 
画像は先日、碌山忌の際に碌山美術館でいただいて来た楓の苗です。2階のベランダから家の裏山の新緑をバックに撮ってみました。秋には真っ赤に染まるとのこと。今から楽しみです。
 
再び『北海道新聞』さんの記事。「緑なす列島の中で、福島第1原発と周辺の街や野山や海や川では放射能との闘いが続く」……。「幾春(いくはる)も深呼吸できる大気を―」その通りですね。

昨日は、当方の住む千葉県北東部でも雪が積もりました。館山などの南房総ほどではありませんが、比較的温暖な地域で、東京や神奈川で雪になっても、この辺は雨、ということが多いのですが、昨日は積もりました。
 
雪がやんでから、犬の散歩に出かけました。「雪やこんこ」の歌の通り、「犬は喜び庭かけまわり」の状態でした。我が家の犬は先日9歳になりましたので、そろそろ老犬の仲間入りですが、大はしゃぎでした。一面真っ白になった近くにある会社の駐車場をぐるぐる歩き回っていました。
 
と、一昨日に『毎日新聞』さんに掲載された記事を思い起こしました。

山は博物館・味な道内ハイク:手稲山 日本初のスイス式山小屋 スキー客に愛され90年 /北海道

1月13日(日)11時19分配信002
 札幌市街地の西にある手稲山(1023メートル)。標高550メートル付近に丸太造りの山小屋「手稲パラダイスヒュッテ」が建っている。北海道大学が1926年に日本初のスイス式山小屋として建設した。今あるのは当時の設計図に基づいた94年の建て替えだが、当時の雰囲気をそのまま伝え、山スキーの拠点として愛され続けている。【去石信一】

 ヒュッテは静かな林の中にある。扉を開けると風除室、その奥が居間だ。右側にテーブル、左側は流しや物置があり、中央のまきストーブが赤々と燃える。2階は広い板の間で30人が寝られる。
   ◇  ◇
 スキーは大正時代に人気になり、手稲山は北大生にとってスキー登山の格好の場所だった。軽川駅(現JR手稲駅)が利用されたが日帰りには遠く、林業用の粗末な小屋に宿泊。北大山スキー部OBの在田(ありた)一則・元北大教授(71)は「西洋のスキー教本や映画に登場する丸太造りの山小屋にみんなあこがれた」と話す。
 その中、北大スキー部創立15周年を記念して山小屋建設の話が持ち上がり、札幌で設計事務所を開いていたスイス人が協力。2階建てが完成した。雑誌「山と雪」3号(30年)によると、北大の学生と職員は1泊10銭、その他は15銭。週末の軽川駅はスキー客でにぎわったという。
 これを契機に北大や鉄道会社が札幌・定山渓を中心にした山々に10年で18棟の山小屋を建て、西洋で言われた「ヒュッテン・ケッテ」(山小屋の鎖)が実現。スキーで泊まり歩くのが冬の醍醐味(だいごみ)となった。札幌鉄道局や定山渓鉄道は盛んにツアーを組み、日本山岳会北海道支部の高澤光雄・元副支部長(80)は「切符を売るためだったが、戦争に備えて体を鍛えるため、国も奨励した」と指摘する。
   ◇  ◇
 現在、ヒュッテは北大山スキー部OBらが年間を通して週末だけ小屋番し、宿泊者を受け入れる。取材で訪ねた昨年末、67~71歳の3人がビールを飲みながら山談議し、現役北大生約10人も山小屋の夜を楽しんだ。その時訪れたOBの
倉持寿夫さん(71)は、新雪を歩く楽しさを高村光太郎の詩「道程」に例え、「僕の前に道はない、僕の後ろに道はできるところ」と話した。
 北大生は無料。学外者も10~4月は610円、5~9月は490円で宿泊できる。在田さんは「どんどん泊まって山小屋生活の素晴らしさを楽しんでほしい」と願う。戦後建設も含め、定山渓付近に9棟が現存している。
 
北海道の山中と千葉の駐車場を一緒にしては怒られるかも知れませんが……。
 
本当に偶然ですが、元々、今日の【今日は何の日・光太郎】も「道程」ネタです。もともとそのつもりでいました。
 
【今日は何の日・光太郎】1月15日

昭和20年(1945)の今日、青磁社から詩集『道程』再訂版が刊行されました。
 
明日は「「道程」三題・その2」ということでこの『道程』再訂版について書きましょう。

ロンドンでは「熱い夏」が繰り広げられていますが、日本では「暑い夏」ですね。
 
光太郎は生涯冬をこよなく愛した詩人でした。詩「冬が来た」(大正2年)では、「冬よ/僕に来い、僕に来い/僕は冬の力、冬は僕の餌食だ」と謳っています。
 
逆に夏は大の苦手だと、いろいろな文章などで語っています。
 
下の画像は当方が持っている葉書です。昭和24年(1949)9月、花巻の山小屋から詩人で編集者でもあった八森虎太郎に宛てたもの。八森は北海道の札幌青磁社に勤務していました。

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おてがみと小包と忝くいただきました。中々乏しい品をお送り下され恐縮至極です。
今夏は小生妙に夏まけがひどく七月から八月にかけて四度高熱を発し臥床、村の人に食事の世話などされました。今は恢復しましたが、用心して静養してゐます。
秋冷の候がくれば相変らず元気になることと思つてそれを待つてゐます。
そのため諸方に御無沙汰を重ねてゐます。

「四度高熱を発し」はおそらく今でいう熱中症だったと思われます。
 
今と違って冷房もなかった時代でしたが、逆に今のように地球温暖化などと騒がれることもなかった時代でした。それでも光太郎は夏の暑さを大の苦手としていました。
 
当方、光太郎と違い、どちらかというと寒さの方が苦手です。しかし、このところの暑さには閉口しています。特に昼間の暑さは尋常ではありませんね。といって、冷房に長時間当たるのもあまり好きではありませんし、節電ということもありますので、ほとんど冷房なしで頑張っています。ただ、暦の上ではもうすぐ立秋。朝夕は少ししのぎやすくなってきたかなという感じです。
 
朝、四時頃からヒグラシやホトトギス、カラスが鳴き始めます。この時間帯は過ごしやすい。しかし、六時頃になってミンミンゼミが鳴き始めると同時に暑くなり始め、今(午後三時)、アブラゼミが鳴いている時間帯は炎熱地獄です。
 
みなさんもくれぐれも体調にお気をつけ下さい。

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