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光太郎第二の故郷・岩手花巻からの情報を2件。

まず花巻市役所さんから、新たに高村光太郎記念館さんのPR動画を作成したというお知らせを頂きました。

2分足らずの短いもので、早速拝見。
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「山口山の四季」と題されていました。「山口山」は光太郎が蟄居生活を送っていた山小屋(高村山荘)裏手の山です。そこから先が奥羽山脈、まさに「山口」です。

この地で光太郎が書いた詩「案内」(昭和25年=1950)、「山のともだち」(昭和27年=1952)に乗せて、四季折々の画像。
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いい感じですね。

リンクを貼っておきます。ぜひご覧下さい。



もう1件。

去る1月29日(日)に開催された「令和4年度高村光太郎記念館講座 光太郎のそば粉おやつ教室」の画像等も届きました。

人が集まるかな、と心配していたのですが、杞憂に終わったようで、5組の親子12名様がご参加下さったそうです。
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講師を務められたやつかの森LLCさんの方からのメールの一節。

子供達は、材料の計量に慎重な手つきで、お母さんたちが見守ります。粉袋フリフリ、卵、ヨーグルト、コメ油混ぜ混ぜ、それを合わせてモミモミ。カップに絞り、ブルーベリーのトッピング。そば粉の焼パンは、光太郎レシピでおなじみのそば粉にみそ、重曹を入れてフライパンで焼くところを見学し、バターと黒蜜をかけて試食しました。そば粉の香ばしい香り、もちもちした食感と想像を超えたおいしさに皆さん感動した様子でした。これをきっかけに光太郎に興味を持ったというお母さんの言葉に、私たちは嬉しい気持ちでいっぱいになり、まだまだ頑張れる元気をもらいました。

こういうアプローチもありですね。継続しておこなっていただきたいものです。

明日も花巻系の情報をお届けします。

【折々のことば・光太郎】

小生の駄作今更紙面を汚したるを悔みて慙汗とゞめがたく候。


明治37年(1904)10月30日 与謝野寛宛書簡より 光太郎22歳

光太郎の短歌も載った雑誌『明星』の受贈に対する礼状の一節です。4年前の明治33年(1900)から断続的に光太郎短歌が誌面を飾っており、そこで「今更」。

色鉛筆と思われる絵が描かれています。
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こちらも現在、25万円で売りに出ています

光太郎第二の故郷・岩手花巻で光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんより、画像を頂きました。同社でメニュー考案にご協力なさり、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント、ミレットキッチン花(フラワー)さんで毎月15日に限定販売中の豪華弁当「光太郎ランチ」の今月分です。猫の七福神が宝船に乗って、正月らしさを演出していますね(笑)。
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お品書きは、赤飯、白米、焼き鮭、豚肉のトマトケチャップ煮、とろろ芋の酢醤油ブロッコリー添え、赤かぶの酢漬け、塩麹入り卵焼き、デザートはパイナップルの罐詰とリンゴのコンポートだそうです。

赤飯に白米で紅白の彩り。なるほど。豚肉のトマトケチャップ煮には人参と玉葱、もち麦が入っているそうです。

毎月のことですが、光太郎日記からの引用文等を印刷したリーフレットもついています。これで税込み800円とのこと。

毎月のメニューの考案も中々大変だと存じますが、末永く愛され続けて欲しいものです。

【折々のことば・光太郎】000

ひる頃草野心平氏くる、写真アルバムについての質問いろいろ、今宿屋にかんづめの由、

昭和31年(1956)2月19日の日記より
 光太郎74歳

写真アルバム」は筑摩書房発行の『日本文学アルバム 高村光太郎』。前年から当会の祖・草野心平が編集、解説文の執筆にあたり、光太郎が歿しておよそ2週間後の4月20日に刊行されました。心平、何としても光太郎存命中に仕上げたかったようで、「宿屋にかんづめ」。その甲斐あってか、光太郎が歿する2日前にゲラを見せることができたそうです。

福島県郡山市にある老舗デパート、うすい百貨店さんで本日から始まるイベントです。

いいもの・たくさん・集マルシェ 旅するふくしま物産展

期 日 : 2023年1月5日(木)~1月11日(水)
会 場 : うすい百貨店 10階催事場 福島県郡山市中町13-1
時 間 : 10:00~18:30(最終日は午後5時閉場)

浜・中・会津の魅力が大集合! 
主催:福島県 共催:(公財)福島県観光物産交流協会
いずれの商品も売切れの際はご容赦くださいませ。お電話でのご注文はご容赦願います。交通事情により商品が入荷しない場合があります。
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008福島の百貨店で、福島の物産展。まさに「地産地消」ですが、一口に「福島」と言ってもかなりの面積(47都道府県中、堂々の第3位)ですし、太平洋沿岸の「浜通り」、西部の山中「会津」、そして智恵子の故郷・二本松を含む中央部「中通り」と、それぞれに文化や習俗も異なります。そういう意味では同じ県内でも「こんなものがあったのか」という状況になるのではないかと思われます。

調べてみたところ、昨年から既に始まっていました。10月に会津の「道の駅あいづ」さんで、11月には浜通りで「道の駅なみえ」さんでの実施でした。で、今回が最終、中通りでの開催となるわけですが、百貨店さんが会場のため、折り込みチラシが発行され、ネットにもアップされたため、当方の検索網に引っかかりました。

検索網に引っかかったのは、「ほんとの空」の語。光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来です。

安達太良山中にあるチーズケーキ工房風花さんの商品も販売され、その中に「ほんとの空のクリームソーダ 1杯 650円」。令和2年(2020)に商品化されたもので、「ほんとの空と言われる、安達太良の空。そんな空をイメージしたソーダができました。どこまでも青い空を映したような「あおぞらソーダ」爽やかなアップルソーダです。バニラアイスはまるで空に浮かぶ雲のよう。溶かしながら色の変化も楽しめます。植物由来の着色料を使った青色です。」だそうで。
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お近くの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

テレビは機械持参したしとの事ゆゑ断る、延期して録画にしてもらふこと


昭和30年(1955)11月11日の日記より 光太郎73歳

テレビ」は、撮影です。親しかった美術史家の奥平英雄との対談を放映したいという申し出がありましたが、当時は生放送が主流で、そうなると大量の機材を貸しアトリエに運び込んで中継ということになり、それは困る、ということでした。で、一旦は、録画なら、ということになったものの、それも実現せず、結局、光太郎が生前にテレビ出演することはありませんでした。

期日的には少し先の話ですが、〆切りの日程が迫っておりまして……。

令和4年度高村光太郎記念館講座「光太郎のそば粉おやつ教室」

期 日 : 2022年1月29日(日)
会 場 : 花巻市生涯学園都市会館(まなび学園) 岩手県花巻市花城町1-47
時 間 : 午前10時30分から正午 まで
料 金 : 1,000円程度(材料代、保険料)
対 象 : 花巻市在住の小学生とその保護者5組(抽選)
       注)きょうだいなどの場合は1名まで同行できます
締 切 : 1月6日(金)
申 込 : 定員をこえる場合は抽選となります。
      定員に達しない場合は、定員に達するまで引き続き募集いたします。
      次のいずれかの方法でお申し込みください。
      花巻市生涯学習課(0198-41-3587)へお電話ください。
      専用申込フォームへアクセスし、必要事項をご入力のうえ、ご送信ください。

高村光太郎にちなんだおやつを親子で作る講座です。そば粉を使ったカップケーキを作り、光太郎と食について学びます。

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現在、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の企画展「光太郎、つくりくふ。 光太郎の食 おやつ編」の関連行事です。

光太郎が昭和20年(1945)秋から、花巻郊外旧太田村の山小屋で始めた蟄居生活。光太郎は、米よりも入手しやすいそば粉を使ってパンを作ることを思いつきます。味噌を加え、重曹をいれて焼いてふくらませ、もらい物のバターや黒蜜などをつけて食べてみると、なんとも美味しかったようで、繰り返しこれを作って食べていました。

講師はやつかの森LLCの皆さん。道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント、ミレットキッチン花(フラワー)さんで毎月15日に限定販売中の豪華弁当「光太郎ランチ」や、花巻のタウン誌『花巻散歩Machicoco(マチココ)』さんに連載中の「光太郎レシピ」のメニュー考案をなさっている方々です。それらでもそば粉のパンは取り上げられていました。

対象は花巻市内ご在住の方に限るようですが、他の自治体等の皆さん、こういう取り組みもあるよ、ということで、ご参考までに。

明日もグルメ系の話題をご紹介します。

【折々のことば・光太郎】

宮崎丈二氏くる、「花霞」売出しの木版びらを持参、大正十二年のものらし、

昭和30年(1955)11月6日の日記より 光太郎73歳

宮崎丈二」は詩人。この頃、よく光太郎が起居していた貸しアトリエを訪れていました。「「花霞」売出しの木版びら」は、関東大震災直後、光太郎が智恵子の実家の福島長沼酒造から銘酒「花霞」を取り寄せ、にわか酒屋を始めた際に撒かれたものです。

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宮崎がどうやってこんな古いものを入手したのか、そのあたりは謎ですが。

昨日のこのブログ、光太郎第二の故郷・岩手県花巻市で販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」の件、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の企画展「光太郎、つくりくふ。 光太郎の食 おやつ編」の件につきましてご紹介しました。

すると、午後になって、『花巻散歩Machicoco(マチココ)』さんの最新号が届きました。
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平成29年(2017)の創刊以来、「光太郎レシピ」という連載が続いています。「光太郎ランチ」同様、やつかの森LLCさんのご協力で、光太郎の日記や書簡、周辺人物の証言などから、光太郎が食べたメニューを現代風にアレンジして紹介するものです。ちなみに表紙の焼きおにぎりは関係ありません(笑)。

今号はこちら。「カブとインゲンのブルイエとヴァンショー(ホットワイン)」だそうで。
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もう1件、グルメ系で。

今年2月に、通販会社・フェリシモさんから「日本近現代文学の世界に浸る 文学作品イメージティー」が発売されました。〈高村光太郎 著『智恵子抄』×天のものなるレモンの紅茶〉を含む4セット(他に〈中島敦著『山月記』× 虎に還るように色が変化するお茶〉〈室生犀星著『蜜のあわれ』× 燃えている金魚のように赤いお茶〉〈江戸川乱歩著『孤島の鬼』× 宝石より魅力的なチョコレートの紅茶〉)で、申し込むと毎月1セットずつ届く(バラ売りはなく、届く順番もフェリシモさん任せ)というシステムです。

004一般のお店で取り扱いが始まりました。もしかすると複数のお店で販売されているかも知れませんが、当方が情報を得たのは横浜桜木町のSTORY STORY YOKOHAMAさん。JR桜木町駅を出てすぐの「コレットマーレ」さん5階にある、老舗書店の有隣堂さん系列の書店兼雑貨店です。上記4セット以外にも、それ以前からフェリシモさんで出していた「日本近現代文学の世界へ 文学作品イメージティー」の4セット(〈芥川龍之介著「蜘蛛の糸」×蓮が香る紅茶〉〈夏目漱石著「虞美人草」×アイスクリームが香る紅茶〉〈坂口安吾著「桜の森の満開の下」×桜が香る緑茶〉〈宮沢賢治著「銀河鉄道の夜」×苹果(りんご)が香る紅茶〉)も販売されています。

過日、都内に出た際に桜木町まで足を伸ばし、〈高村光太郎 著『智恵子抄』×天のものなるレモンの紅茶〉と、〈宮沢賢治著「銀河鉄道の夜」×苹果(りんご)が香る紅茶〉を買い込んで参りました。バラで複数ずつ買えるというのがありがたいところです。
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〈高村光太郎 著『智恵子抄』×天のものなるレモンの紅茶〉は以前にもいただきましたが、〈宮沢賢治著「銀河鉄道の夜」×苹果(りんご)が香る紅茶〉は初。「苹果(りんご)が香る」ということでしたが、フレーバーはきつくなく、爽やかな感じでした。
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複数点ずつ購入して参りまして、ギフトにも使っております。皆様も是非お買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

ラジオで日米水泳をきく、

昭和30年(1955)8月6日の日記より 光太郎73歳

「日米水泳」は「第4回日米対抗水上競技大会」。「フジヤマのトビウオ」と称された古橋廣之進らが出場し、神宮水泳場、さらに大阪でも開催されました。

光太郎が戦後7年間の蟄居生活を送った花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)近くの道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント、ミレットキッチン花(フラワー)さんで毎月15日に限定販売中の豪華弁当「光太郎ランチ」、今月販売分の画像が届きました。
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今月のメニューは青豆入り麦飯、白六穀ご飯、チキンステーキ、ロール白菜、いか大根、かぼちゃ煮、塩麹入り卵焼き、お新香、焼きりんごだそうです。意外とヘルシーな献立かな、という気がしました。

グルメ系でもう1件。

高村山荘と隣接する花巻高村光太郎記念館さんで開催中の企画展「光太郎、つくりくふ。 光太郎の食 おやつ編」、今月初めに現地に赴き、展示解説の動画撮影に臨みましたが、先週、公開されました。

令和4年度高村光太郎記念館企画展「光太郎、つくりくふ。-おやつ編-」展示解説①

令和4年度高村光太郎記念館企画展「光太郎、つくりくふ。-おやつ編-」展示解説②

令和4年度高村光太郎記念館企画展「光太郎、つくりくふ。-おやつ編-」展示解説③

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計40分ほどを3本に分割しています。何とまぁ、かなりの手間だったと思いますが、字幕をつけて下さったので、当方の顔より字幕の方をご覧になって下さい(笑)。

企画展「光太郎、つくりくふ。 光太郎の食 おやつ編」は来年3月21日(月)までの開催です。

ところで、同時開催されている花巻市内の他の文化施設4館との共同企画展「ぐるっと花巻再発見!~イーハトーブの先人たち~」について、地元紙『岩手日日』さんが報じて下さいました。

先人の偉業知って スタンプラリーも 市内5施設共同企画展

 2022年度花巻市共同企画展「ぐるっと花巻再発見!~イーハトーブの先人たち~」は、市内五つの文化施設で開かれている。各施設が花巻ゆかりの先人らを取り上げ、偉業への関心や古里への愛着を育む。期間中はスタンプラリーなどのイベントもある。2023年1月22日まで。

 花巻新渡戸記念館(高松)、萬鉄五郎記念美術館(東和町土沢)、市博物館(高松)、市総合文化財センター(大迫町大迫)、高村光太郎記念館(太田)の5館が連携した企画展。

 花巻新渡戸記念館では十和田市の開拓に貢献した新渡戸稲造の父十次郎、萬鉄五郎記念美術館では石川啄木らとともに活躍し、同級生だった萬とも生涯を通じて交遊があった東和町出身の歌人小田島孤舟、市博物館では杣(そま)やマタギなど山をなりわいの場とした人々、市総合文化財センターでは早池峰山の植物研究に関わってきた先人、高村光太郎記念館では光太郎の詩「開拓に寄す」などを紹介している。

 14日には、市民ら22人が参加して共同企画展開催の5館を巡るツアーが行われ、各館の企画展担当者による展示解説や調査研究の成果に耳を傾けた。市博物館の松橋香澄学芸調査員は「山をなりわいの場とした人の暮らしや道具を紹介する展示。名前は伝えられていないが、今につながる暮らしをつくった先人たちを知ってほしい」と話していた。

 スタンプラリーは、開催館5館中3館のスタンプを集めると記念品がもらえる。残る2館と協賛館1館のスタンプでさらに記念品が入手できる。協賛館は宮沢賢治記念館、宮沢賢治イーハトーブ館、宮沢賢治童話村、石鳥谷農業伝承館、石鳥谷歴史民俗資料館、早池峰と賢治の展示館。記念品の受け取りは開催館のみ。

 問い合わせは市文化会館=0198(24)6511=へ。

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こちらは来年1月22日(日)までの会期です。

もう現地は雪に包まれる日が多くなっていますが、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

夕食は桑原氏紹介の神田淡路町の支那料理「好々」の出張料理、女将来て料理す、北京料理、皿数多くして中西氏宅一同にてくふ、アトリエに桑原氏とくふ、中々美味、

昭和30年(1955)7月24日の日記より 光太郎73歳

4月末からこの月初めまで、宿痾の肺結核のため赤坂山王病院に入院していた光太郎。結局、治癒は難しいとのことで中野の貸しアトリエに戻って療養。食慾は衰えず、この日は中華料理に舌鼓。「中西氏宅」は貸しアトリエの大家、「桑原氏」はそちらと親しかった美術史家・桑原住雄です。

一昨日、昨日と、一泊二日で岩手に行っておりました。レポートいたします。

12月3日(土)、新花巻駅に正午頃到着。
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待合室兼観光案内スペース。
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花巻東高校出身の大谷翔平選手コーナー。
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午後2時から花巻高村光太郎記念館さんで、現在開催中の企画展「光太郎、つくりくふ。 光太郎の食 おやつ編」の展示解説をせよ、ということで、駅でレンタカーを借り、市内太田地区方面へ。

まだ時間が早いので、記念館にほど近い道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんへ。
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産直コーナーの中に、光太郎関連グッズ等のスペース。
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少し離れたところで、先頃発売され始めた新商品「こうたろう&ちえこ ブランデンブルグの森」が販売されていました。それから、「智恵子のレモンキャンディ」も。
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無料休憩スペース的な一角に、今夏、道の駅に隣接して作られたガソリンスタンド「リベルタはなまき西南SS」のオープン記念で、スタンドを経営する冨士見総業さんから寄贈された光太郎賢治関連書籍等のコーナー。
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その脇では、「宮沢賢治と俳句」というミニ展示。
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花巻俳句協会さんの肝煎りのようでした。
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さて、花巻高村光太郎記念館さんへ。

といっても、まずは記念館ではなく、敷地内の高村山荘。光太郎が戦後の7年間を過ごした山小屋です。套屋に覆われたこの山小屋内に光太郎の魂の分霊がいまも居るような気がしていまして、「光太郎先生、また来ました」とご挨拶。今年3回目ですが(笑)。
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既に雪が降ったのですが、まだ根雪になってはいません。
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そして記念館。
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早速、展示「光太郎、つくりくふ。 光太郎の食 おやつ編」を拝見。
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昨今のこの手の展示で流行ですが、大きなタペストリーが実に効果的です。等身大(より小さいのですが)光太郎パネルも。こちらは以前に作られたものの使い回しです。
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そうこうしているうちに市役所の皆さんがご到着。当方のべしゃくる解説を録画し、YouTubeで配信するそうで、光太郎の生涯を俯瞰しつつ、関連するパネル展示ごとにシナリオを考えて喋りました。

図録、とまではいきませんが無料で配付の冊子。
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前半部分は当方の執筆です。配信動画用に喋った内容もこちらとかぶっています。
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というわけで、「光太郎、つくりくふ。 光太郎の食 おやつ編」、期間が長く来年3月21日(火・祝)まで。ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

夜新宿天兼といふにて天ぷら夕食、車で往復<天兼といふ家中々上等、>


昭和30年(1955)4月9日の日記より 光太郎73歳

天兼」さん、現在も新宿に健在です。おそらく再訪したいと思ったのでしょうが、残念ながら宿痾の肺結核のため、この日が生涯最後の外食(入院食は除きます)となったようです。

昨日に続いて、花巻グルメ系。

まずは道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント、ミレットキッチン花(フラワー)さんで毎月15日に限定販売中の豪華弁当「光太郎ランチ」、昨日販売分の画像をいただきました。
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新米ご飯、麦飯、牛カツ、鮭ポテト、根菜の肉味噌かけ、大根とわかめのバター炒め、塩麹入り卵焼き、白菜の塩漬け、サツマイモとりんごの甘煮だそうで。肉食系男子の当方としては(笑)、牛カツや肉味噌かけがうれしいところですし、鮭ポテトというのもどんなものだろうと気になります。サツマイモとりんご、これも共に好物でして、それがコラボされているというのもいいですね。

もう1件。「光太郎ランチ」メニューの考案に当たられているやつかの森LLCさんが商品開発に関わられたお菓子。少し前に現物が送られてきました。ありがたし。
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クッキー3種の詰め合わせです。
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上から順に、まずチョコ味。
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控えめな甘さとカカオのほろ苦さ、練り込まれたアーモンドの風味がいい感じです。

続いてチーズ味。
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チーズ感はそれほど強くなく、チーズは苦手という方でも、チーズ味と云われなければ分からないかも知れません。非常に香ばしい風味でした。

色鮮やかなストロベリー味。
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昔のカルメ焼きのような食感です。製法的にも共通するのでしょう。イチゴの香りがふわっと広がります。

袋から出した画像。盛ったのはクリムトの絵皿ですが、心霊写真のようになってしまいました(笑)。
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すると、かたわらのマッサージチェアでぷーすか眠っていた怪獣が目を覚まし……
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「おやつニャ!」とチーズ味をくわえてさっとテーブルの下に。油断も隙もありゃしません(笑)。
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猫にチョコ味は禁物ですし、ストロベリーもフレーバーがきつい感じで、「まあこれならいいか」と、割って小指の先ほど与えました。

ところで商品名は「こうたろう&ちえこ ブランデンブルグの森」。箱に入っていた栞にその由来が。
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「ブランデンブルグ」はJ.S.バッハの有名な曲ですね。光太郎はこの曲が好きで、ずばり「「ブランデンブルグ」」という長い詩(昭和23年=1948)も書きました。

さらに、帰京後の昭和27年(1952)11月に行った講演「南沢座談」から。

ある時山を歩いていたら、見晴らしの方から、ブランデンブルグの曲のあのくり返しのところがきこえて来るのです。開拓のどこかで、すばらしい蓄音機を買つたな、と思つて暫らく耳を傾けていたのですが、そのあとで開拓の人に会つたとき、「開拓じや、だれかすばらしい蓄音機の盤を買つたな」というと、誰もそんなものは買わないという。つまりわたしの幻聴だつたのです。砂漠を歩いている人が水をほしがつていると、本当に水が湧いているようにみえるのと同じことなのでしよう。わたしは気味がわるくなつて、ぞつとしました。それからすぐに花巻の宮沢さんの親戚の清六さんという人の家に行つて、そこにすつかりそろつているブランデンブルグをかけてもらいました。それをきいていると、まるでのどがかわいているとき水をのむように、音楽が身体中にしみわたつてゆくのです。音楽がこんなにも心理的に人間を左右するものだということを発見しておどろきました。それは耳できいているのでなく、皮膚から空気の振動を通してきいているというような感じです。盲目の人が物にふれ、指の先から触覚を通して音をきくというのと同じことです。わたしは人間にこれほど音楽が必要だということをはじめて知つたのです。

正確な筆録はされていないようで、賢治実弟の清六を「親戚」とするなどしていますが、おおむね光太郎の語った通りでしょう。「音楽」というものの本質を、さらっと語る光太郎。さすがです。

ところで「ブランデンブルグ」は、ドイツの地名ですが、そこそのものより、ベルリンの「ブランデンブルグ門」からベルリン動物園の間に広がる広大な森が有名です。光太郎、ドイツには足を踏み入れていませんが、バッハの曲からの連想でしょう、蟄居生活を送っていた太田村の山小屋周辺の森を「ブランデンブルグの森」と呼ぶこともあったようです。

さて、「こうたろう&ちえこ ブランデンブルグの森」、おそらく道の駅はなまき西南さんなどで販売されているのだと思われます。花巻土産の定番の一つとなってほしいもので、ぜひ皆様、お買い上げを。

ついでというと何ですが、先月、智恵子の故郷・福島二本松に行った際に購入したレモンケーキ。
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こちらも道の駅(道の駅「安達」智恵子の里さん)で販売されています。

【折々のことば・光太郎】

のどかに晴、 九時頃中西夫人宅にて皆と一緒にお雑煮を祝ふ、桑原さんが記念撮影、 来訪者なし、 平熱、 風なくよき日和なり、


昭和30年(1955)1月1日の日記より 光太郎73歳

昭和30年(1955)の年明けです。光太郎の生命の炎、あと1年3ヶ月。まだ差し迫ってどうこうという状況ではありませんでした。

中西夫人宅」は、起居していた貸しアトリエの母屋、「桑原さん」は美術評論家の桑原住雄です。

光太郎が戦後の七年間、蟄居生活を送った山小屋(高村山荘)に隣接する花巻高村光太郎記念館さんでの企画展です。

企画展「光太郎、つくりくふ。 光太郎の食 おやつ編」

期 日 : 2022年11月23日(水・祝)~2023年3月21日(火・祝)
会 場 : 高村光太郎記念館 岩手県花巻市太田3-85-1
時 間 : 8:30~16:30
休 館 : 12月28日(水)~2023年1月3日(火)
料 金 : 一般 350円 高校生・学生250円 小中学生150円

彫刻家で詩人として知られる高村光太郎は、戦後、62歳の時に太田村山口(現花巻市)へ移住し、約7年間の独居自炊の生活を送りました。山小屋での光太郎の食事内容は日記等に残されており、野菜等は自給でしたが、村人や友人たちの援助、そして光太郎の工夫により豊かな食生活を送っていたことがわかります。

この企画展では、光太郎の「食」をテーマに、手作りのおやつや好きな飲み物に焦点をあて、光太郎風のハイカラな食の楽しみ方を紹介します。
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同館では、以前にも企画展示「光太郎の食卓」が行われました。その際は光太郎の「食」全般についてのものでしたが、今回は特に「おやつ」に着目しての展示となります。

花巻まち散歩マガジン machicoco(マチココ)』さんで連載中の「光太郎レシピ」や、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんで毎月15日に限定販売中の豪華弁当「光太郎ランチ」などの考案、調理等に当たられているやつかの森LLCさんの協力で、岩手時代の光太郎日記等から、光太郎が食したであろう「おやつ」を再現した写真パネル、光太郎に食の援助を行った人物の紹介パネルなどの展示になるそうです。

図録、とまではいきませんが、関連する内容をまとめた冊子を無料配付するとのことで、その半分ほどでしょうか、当方が執筆しました。また、そのあたりを元に、オンライン講座の形で当方が講師として語る動画が来月には公開予定です。その収録等のため、来月初めに現地に行って参ります。

もう1件。今年7月、道の駅はなまき西南さんで開催された「器と楽しむ光太郎ランチ」展の巡回が行われています。

器と楽しむ光太郎ランチ

期 日 : 2022年10月20日(木)~11月21日(月)
会 場 : 土沢カフェくるみ 岩手県花巻市東和町土沢8区115
時 間 : 10:00~17:00
休 業 : 火・水曜日
料 金 : 無料
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花巻ご在住のMICHINOさんという方の色鉛筆画で、道の駅はなまき西南さんで販売されている「光太郎ランチ」を洒落た器に盛りつけて描いた作品。それから実際に「光太郎ランチ」に添えられたメニュー表(光太郎の日記等も引用されています)もセットになっています。

また、MICHINOさんの絵本『器と楽しむ光太郎ランチ』も販売されているようです。
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それぞれ、ぜひ足をお運びください。

明日も花巻グルメ系の話題で。

【折々のことば・光太郎】

神経痛は相かはらずいたむ、動くのがおつくう、(略)ラジオなどきいてゐる、 明朝は九時頃中西夫人の方にて雑煮を祝ふこと、


昭和29年(1954)12月31日の日記より 光太郎72歳

神経痛」は結核性の肋間神経痛です。「中西夫人の方」は、起居していた貸しアトリエの母屋。昭和29年(1954)が暮れて行きます。

一昨年から道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんに入っているテナント、ミレットキッチン花(フラワー)さんで、光太郎の日記などを元に現代風にアレンジしたメニューを組み、毎月15日に限定販売されている豪華弁当・光太郎ランチ。今月分の画像を送っていただきました。
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今月のメニューは、新米御飯、石垣団子、チキンソテーきのこソース、鱈と牛蒡の煮込み、りんごと胡桃のサラダ、葡萄ジュース寒天、シュークルート、塩麹入り卵焼き。「収穫の秋」ですので、新米や、りんごなども採れたてのものを使われているのでしょう。

思えば「光太郎ランチ」、お披露目会が行われたのが一昨年の10月でしたので、まる二年となったわけですね。メニューの考案などにあたられている「やつかの森LLC」さん、これ以外にも『花巻まち散歩マガジン machicoco(マチココ)』さんで連載中の「光太郎レシピ」も担当されていて、なかなかに大変だと存じます。どちらも末永く続いてほしいものです。

ところで、まだ詳細が発表されていませんが、来月末から開催される花巻高村光太郎記念館さんでの企画展示で、次回は光太郎の食、特に「おやつ」系に絞ったものが計画されています。以前には「食」全体についての企画展示が為されましたが、次回は「おやつ」だそうで、実際にお菓子作りの講座等も企画されています。

当方も資料作成等、協力させていただいているところです。詳細が公表されましたらまたご紹介いたします。

【折々のことば・光太郎】000

新潮の佐野英夫氏くる、ブドウ、桃もらふ、「天上の炎」文庫本のこと


昭和29年(1954)7月9日の日記より 光太郎72歳

佐野英夫氏」は、新潮社の編集者。『天上の炎』は、光太郎が敬愛していたベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレンの詩集。光太郎訳の元版は大正14年(1925)に新しき村出版部から刊行されました。その後、昭和26年(1951)には白玉書房から復刊。さらに昭和27年(1952)には、創元文庫のラインナップに入りました。そして新潮文庫。こちらは翌昭和30年(1955)に出ました。解説は創元文庫と同一の、金子光晴によるものでした。

光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ、青森県十和田湖からの情報です。

状況をわかりやすくするために、まずABA青森朝日放送さんのローカルニュースから。ただし、先月のもので、「17日」は9月17日(土)です。

「十和田湖ひめます」を味わって! 17日からキャンペーン開催

地域団体商標に登録されている「十和田湖ひめます」の、認知度向上を図るキャンペーンが17日から始まります。
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12日は、「十和田湖ひめますブランド推進協議会」の佐々木千佳子会長たちがキャンペーンをPRしました。期間中、十和田市や秋田県小坂町にある27の認証店舗が提供するヒメマス料理を食べて応募すると、抽選で50人に2千円相当の特産品が当たります。
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こちらは、十和田食堂の「十和田湖ひめますづけ丼定食」です。
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【「十和田湖ひめますブランド推進協議会」 佐々木千佳子会長】
「(ヒメマスは)甘い、とにかく身が軟らかくて甘い、そして奇麗なピンク色というのはなかなか目にすることはないと思うのですよ」
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キャンペーンは、17日から11月6日まで行われます。
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というわけで、詳細は以下。

十和田湖ひめますを食べようキャンペーン

”十和田湖ひめます”の魅力を広く皆さんに伝えるため、十和田湖ひめます認証店によるキャンペーンを開催します。食べ比べをするなど、十和田湖ひめます料理の美味しさをご堪能ください。

また、期間中に十和田湖ひめます料理を食べて応募した方から、抽選で50名様に十和田市または小坂町の「特産品」をプレゼントいたします。

応募用紙は各店舗に備え付けてあります。

開催期間 9月17日(土)~11月6日(日)

参加店(全27店舗

参加方法
十和田湖ひめます認証店にて、十和田湖ひめますメニューを食べると、応募用紙がもらえます。アンケート、必要事項を記入の上、認証店に設置してある応募箱に投函し、応募してください。

主催 十和田湖ひめますブランド推進協議会(事務局:とわだ産品販売戦略課内) 0176-51-6743
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上記マップのPDFファイル中に「乙女の像」の語があって、当方の検索網に引っかかった次第です。ヒメマスに舌鼓を打たれたあとは、ぜひ「乙女の像」にも足をお運びください。十和田湖周辺は、今夏の大雨被害が大変でした。その復興支援にもなりますので、是非よろしくお願いいたします。また、これから紅葉シーズンですし。

ちなみに認証店のロゴは、「乙女の像」もモチーフとしているそうです。多少の無理くり感が否めませんが(笑)。
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「乙女の像」といえば、テレビ番組の再放送。

ニッポン美景めぐり 十和田・奥入瀬

BSフジ 2022年10月17日(月) 01:05〜01:33

日本の美しい景観を求めて、俳優・和合真一がカメラ片手に日本各地をめぐる旅番組。
今回の旅先は、青森県の十和田市。十和田ビジターセンターで十和田湖の歴史を学ぶ。名産のひめます料理やご当地グルメを味わう。美しい景勝地、奥入瀬渓流を散策。大自然が生んだニッポンの美景をご紹介。

旅人:和合真一  ナレーター:服部潤
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初回放映は昨年7月。さらにその後、繰り返し再放送されていますが、ご覧になったことのない方、ぜひどうぞ。こちらでもヒメマス料理が紹介されますし。

【折々のことば・光太郎】

午后奥平さんとお医者さん岡本氏とくる、診察してもらふ、尚毎月一度みてもらふつもり、

昭和29年(1954)5月16日の日記より 光太郎72歳

かなり前から結核の自覚症状があったにもかかわらず、「肺の毛細血管が弱いので……」などと、頑として認めなかった光太郎。しかし、もはや彫刻制作不可能となった体調に、とうとう白旗を揚げました。

奥平さん」は、美術評論家の奥平英雄。「お医者さん岡本氏」は、岡本圭三医師。この後で加わる他の医師ともども、その死まで光太郎の主治医として診察、治療に当たってくれました。

芸術の秋となりまして、このブログサイトにて紹介すべき事項がかなりたまって参りました。本日は光太郎第二の故郷・岩手花巻発の情報を5件ほどまとめて。

時系列順に、まず9月12日(月)、IBC岩手放送さんローカルニュース。花巻高村光太郎記念館さんで現在開催中の企画展示「光太郎、海を航る」についてです。

光太郎の海外留学時代の足跡たどる ゆかりの地で企画展/岩手・花巻市

 日本を代表する詩人で彫刻家の高村光太郎の海外留学時代の足跡をたどる企画展が、ゆかりのある岩手県花巻市で開かれています。
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 高村光太郎は東京美術学校=現在の東京藝術大学を卒業後、1906年からアメリカ、イギリス、フランスの3か国へ留学しています。
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光太郎が晩年を過ごした花巻市にある「高村光太郎記念館」では、企画展「光太郎、海を航る」が開かれていて、初公開となるイタリアから弟に宛てた絵はがきや解説付きのパネルなどが展示されています。
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およそ3年余りの海外生活は光太郎の価値観を大きく変え、旧態依然とした日本美術界に不満を持つようになります。会場にはこのほかにも留学時代を思う直筆の短歌や世界的な視野に立った芸術評論の原稿なども展示されています。
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企画展「光太郎、海を航る」は9月30日まで花巻市の高村光太郎記念館で開かれています。

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続いて9月15日(木)、市発行の『広報はなまき』さん。「花巻歴史探訪[郷土ゆかりの文化財編]」という連載で花巻高村光太郎記念館さんの収蔵品をご紹介下さいました。
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こちらの書幅は、企画展示「光太郎、海を航る」の方ではなく、常設展示室の方に出品されていたと思います。

同じく9月15日(木)、一昨年から道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント「ミレットキッチン花(フラワー)」さんで、光太郎の日記などを元に現代風にアレンジしたメニューを組み、毎月15日に限定販売されている豪華弁当・光太郎ランチ。今月分の画像を送っていただきました。
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すりリンゴ入り蒸しパン、白六穀御飯、鶏肉カレー炒め、茄子の串焼き、大根菜の炒め、かぼちゃサラダ、塩麹卵焼き、きゅうりの糠漬け、フルーツ(ぶどう)だそうです。

メニューの考案などにあたられている「やつかの森LLC」さん、9月12日(月)には、花巻市の社会教育施設「まなび学園」さんで活動されている「わかくさ女性学級」での出前講座。「高村光太郎の山荘~ハイカラ料理を知ろう」と題し、光太郎が郊外旧太田村の山小屋で蟄居生活を送っていた頃の様子を寸劇にしたり、光太郎の「食」について紹介したりなさったそうです。こちらでも光太郎ゆかりのお弁当。
愛ちゃんの栗拾い
開会あいさつ
光太郎と菅原先生
山の少女朗読
かぼちゃのエピソード
ランチボックス
ランチボックス盛り付け
最後に『読売新聞』さん岩手版の記事。9月17日(土)の掲載でした。

賢治自筆「雨ニモマケズ」…記念館で手帳展示、県内6年ぶり

 花巻市の宮沢賢治記念館で、賢治が代表作の詩「雨ニモマケズ」を書き残した自筆手帳が16日、公開された。県内での展示は6年ぶりで、10日間限定の25日まで。貴重な手帳を一目見ようと多くの人が訪れている。
 手帳の大きさは縦13・1センチ、横7・5センチで、黒革で覆われている。165ページにわたり、文学作品の下書きやメモ、経典などが記され、「雨ニモマケズ」は51ページから60ページに書かれている。
 詩は、賢治が花巻の実家で闘病中だった1931年11月3日に書かれたものと推察されており、2年後の33年9月、賢治は37歳で生涯を閉じた。手帳は賢治の没後、東京都の喫茶店「モナミ」で高村光太郎や草野心平らを中心に開かれた追悼会で、弟・清六氏が持参した賢治愛用のトランクから見つかった。
 同館の牛崎敏哉学芸員は「本来人に見せるものとして書いたわけではない賢治の晩年の願いや祈りが込められている」と指摘する。
 初日の16日は、来館者が手帳に顔を近づけながら鉛筆の文字を観察する姿が見られた。手帳を見るために静岡県藤枝市から訪れた公務員名手小枝さん(55)は「当時この手帳を手にとって詩を書いたと思うと感慨深い。汗などもきっとにじんでいるのでしょう」と話していた。
 19日は、清六氏の孫・宮沢和樹氏による講演も行われる。開館は午前8時半~午後5時(入館は午後4時半まで)。入館料は一般350円、高校生・学生250円、小・中学生150円。問い合わせは同館(0198・31・2319)へ。
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岩手めんこいテレビさんのローカルニュースでも取り上げられていました。

賢治直筆『雨ニモマケズ』手帳公開 2016年以来2回目の限定公開<岩手・花巻市>

 普段は見ることができない宮沢賢治が手帳に書いた直筆の「雨ニモマケズ」。岩手県花巻市の宮沢賢治記念館では、開館40周年を記念して9月16日からこの手帳が公開されています。

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 2022年で開館40周年を迎えた花巻市の宮沢賢治記念館で、16日から始まった特別展示の目玉は、賢治直筆による『雨ニモマケズ』が書かれた手帳です。この手帳は、賢治生誕120周年にあたる2016年に一度だけ公開されたもので普段はお目にかかる事は出来ません。2021年、東北を中心とした大型観光キャンペーンの期間中に公開される予定でしたが延期となっていました。
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 この他にも貴重な作品が数々展示されていて訪れた人を楽しませていました。
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 大阪から来た人「(雨ニモマケズ)はイメージ残ってるので本物が見れて嬉しいです。直筆よね、貴重な経験だと思います」
 これらの貴重な作品は、9月25日まで展示されています。

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こちらには光太郎の名は出ませんでしたが、手帳の「発見」の現場となった、賢治歿後の昭和9年(1934)、新宿モナミで開かれた賢治追悼の会の写真がパネル展示されているのがわかりました。『読売』さん記事はこのあたりを参考になさったのでしょう。光太郎は前列左から4人目です。
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さて、花巻。秋のいい季節となります。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

盛岡大慈寺小学校長さん佐藤氏くる、


昭和29年(1954)1月15日の日記より 光太郎72歳

光太郎が花巻郊外旧太田村の山小屋に蟄居していた頃からの知り合いだった、盛岡の小学校長・佐藤憲政が、中野の貸しアトリエを訪問しました。このように、花巻や盛岡の人々が、上京したついでに光太郎の元を訪れるケースはあとを断ちませんでした。それだけ慕われていたということなのでしょう。

光太郎第二の故郷、岩手花巻からの情報を2件。

まず、毎月恒例の光太郎ランチ。一昨年から道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント「ミレットキッチン花(フラワー)」さんで、光太郎の日記などを元に現代風にアレンジしたメニューを組み、毎月15日に限定販売されている豪華弁当です。

今月分がこちら。
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赤飯、小豆餅、牛すき煮、じゃがいも甘辛煮、鰹フライ、白菜と南瓜の花の酢の物、塩麹卵焼き、お新香、デザートだそうで。酢の物がさっぱりしていて美味しかったそうです。西瓜が夏らしく、また彩りも添えていますね。

3枚目の画像、背景は道の駅のインフォメーションコーナーで開催されている、地元ご在住のMICHINOさんという方の色鉛筆画「器と楽しむ光太郎ランチ」です。

花巻からもう1件、日帰りツアー的な案内です。

花巻電鉄の軌跡 廃線跡の今

期 日 : 2022年8月28日(日)
料 金 : 5,000円

【8/28(日)限定!】
JR花巻駅、花巻温泉郷から出発し、現在は廃線の「花巻電鉄」跡を巡るガイド付きツアーです。当時の様子を写真で振り返り、現在の様子を写真に収めていただくフォトツアーです。

【乗車場所】JR花巻駅東口、花巻温泉(佳松園・ホテル紅葉館・ホテル花巻・ホテル千秋閣)、廣美亭、台温泉バスロータリー、新鉛温泉愛隣館、鉛温泉バス停前、山の神温泉(優香苑・清流館)、大沢温泉山水閣、渡り温泉(ホテルさつき・別邸楓)、志戸平温泉(ホテル志戸平・游泉志だて)、松倉温泉風の季

【下車場所】JR花巻駅東口、JR新花巻駅西口、花巻温泉(佳松園・ホテル紅葉館・ホテル花巻・ホテル千秋閣)、廣美亭、台温泉バスロータリー、新鉛温泉愛隣館、鉛温泉バス停前、山の神温泉(優香苑・清流館)、大沢温泉山水閣、渡り温泉(ホテルさつき・別邸楓)、志戸平温泉(ホテル志戸平・游泉志だて)、松倉温泉風の季

09:20 花巻駅東口
09:40 新鉛温泉愛隣館、鉛温泉バス停前、山の神温泉(優香苑・清流館)、
     大沢温泉山水閣、渡り温泉(ホテルさつき・別邸楓)、
     志戸平温泉(ホテル志戸平・志だて)、松倉温泉風の季
10:10 花巻温泉(佳松園・ホテル紅葉館・ホテル花巻・ホテル千秋閣)、
     台温泉バスロータリー、廣美亭
花巻電鉄【花巻温泉駅跡】(15分)
花巻電鉄【花巻温泉線廃線跡スポット】(60分)
源氣屋にて白金豚ランチ(50分)
花巻電鉄【中央花巻駅跡、西花巻駅跡、西公園跡、稲荷前駅跡、馬面電車、花巻駅跡】(100分)
15:00 JR花巻駅東口
15:20 JR新花巻駅西口
15:40 花巻温泉(佳松園・ホテル紅葉館・ホテル花巻・ホテル千秋閣)、
     台温泉バスロータリー、廣美亭
16:10 新鉛温泉愛隣館、鉛温泉バス停前、山の神温泉(優香苑・清流館)、
     大沢温泉山水閣、渡り温泉(ホテルさつき・別邸楓)、
     志戸平温泉(ホテル志戸平・志だて)、松倉温泉風の季
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昭和20年(1945)から27年(1952)にかけ、当時の花巻町および郊外太田村で暮らした光太郎が生活の足として使った花巻電鉄。左上は光太郎も乗ったデハ3型、静態保存されているものです。その廃線跡を廻るツアーとのこと。「廃線」と聴くだけでロマンを感じますね。廃線にならずに済んでいればそれにこしたことはなかったのかもしれませんが……。

ご興味のおありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

午后新宿三越にゆき書棚をかふ、


昭和28年(1953)11月3日の日記より 光太郎71歳

およそ1週間前には丸井で本棚を購入しましたが、さらに三越でも(笑)。

どれがどうと特定出来ませんが、このあたりかな、というのが下の画像です。
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いわゆるライトノベルです。

小説家・芥木優之介には恋と飯が足りていない

2022年7月6日 硯昨真著 宝島社(宝島社文庫) 定価750円(税込み)

太宰治の“桜桃”、森鴎外の“饅頭茶漬け”――。謎の美女が繋ぐ“文豪グルメ”と“人の絆”。天才偏屈作家のほっこり恋物語!

芥木優之介は、大学時代に処女作で新人賞を総嘗めにし、文壇にデビューした小説家である。それから六年。全く文章を書けなくなった芥木は、古アパートで貧乏生活を送っていた。それは自身に課した「文筆業以外で稼いだ金で飯は食わない」ポリシーのため。そんな時、大家の姪という儚げな美女・こずえが現れる。栄養失調で意識が朦朧とする芥木に、“芋粥”を食べさせるこずえ。彼女にときめく芥木だが、「これからはお家賃の方をきちんとお願いします」と言われ、絶体絶命に! 偏屈で人間嫌いだった芥木だが、縁を切っていた人々と向き合うことになり……? 謎の美女が繋ぐ、“文豪グルメ”と“人との絆”。天才偏屈作家のほっこり恋物語!

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目次
 芥川龍之介の芋粥  谷崎潤一郎の小鰺の二杯酢漬け  太宰治の桜桃 前編 
 太宰治の桜桃 後編  宮沢賢治の天ぷらそばとサイダー  高村光太郎の牛鍋
 森鷗外の饅頭茶漬け  夏目漱石の落花糖


主人公・芥木優之介。その名の通り、芥川龍之介を彷彿とさせられる小説家です。しかし、芥川と違って(ある意味共通して)、いろいろ考えすぎるあまり、なかなか作品が書けない、という設定です。まぁ、一言で言うと「面倒くさい」(笑)。そうなってしまったのには、そうなってしまうだけの理由―この業界特有の―があるのですが、それは読み進めていくうちにおいおい明かされていきます。

他の登場人物は、芥木に負けず劣らず面倒くさく、彼を一方的にライバル視する作家・津島修也(いわずもがなですが、「津島」は太宰治の本名由来です)、芥木ファンが嵩じて作家デビューを果たした書店員・三鳥(「島」ではなく「鳥」です)、善人だけれどズレまくっている編集者・滝谷(しかし、欲得ずくでない仕事態度が芥木を動かし、再びペンを執らせます)、そして借家の大家にしてヒロイン的なこずえら、個性豊かな面々。

そこに目次にあるような、文豪たちが書き残したさまざまな料理や食材がからみます。そういった意味でも近代文学オマージュ的要素もふんだんに盛り込まれています。

われらが光太郎に関しては、詩「米久の晩餐」(大正10年=1921)がモチーフの「高村光太郎の牛鍋」。この章には『智恵子抄』巻頭を飾った詩「人に」(「いやなんです/あなたのいつてしまふのが」)も使われ、こずえに対して揺れ動く芥木の心情が象徴されます。特に「――それでも恋とはちがひます」というフレーズ。

作者の硯昨真氏、存じ上げない方でしたが、どうもご自身のご経験をかなり落とし込んで書かれているのでは、と思われます。作家としてデビューし、編集者との丁々発止のバトルなどの苦労等。妙にリアリティーがあります。違っていたらごめんなさい、ですが。

ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

中野の祭礼、みこし出てゐる、 夜在宅、 タウリンエキスをのむ、

昭和28年(1953)9月15日の日記より 光太郎71歳

中野の祭礼」は、9月半ばということで、おそらく中野氷川神社さんの祭礼と思われます。「タウリン」、この頃にはもう広まっていたのですね。1000㍉㌘かどうかはわかりませんが(笑)。

特に何もなければ、新刊書籍の紹介を今日から4連発で。この系統はつい後回しになってしまい、溜まってしまいました。

まずは岩手から届いたミニブック。

michino絵本 器と楽しむ光太郎ランチ

2022年7月 企画デザイン/文/写真/発行 やつかの森LLC 色鉛筆画/MICHINO
 料理制作/ミレットキッチン花 定価700円(税込み)


癒しの時間

色鉛筆で花の絵を描くMICHINOさん。光太郎の魅力を発信する「光太郎ランチ」の応援団になっていただきました。

毎月「光太郎ランチ」弁当を買って来て器に盛り付ける。MICHINO風楽しみ方。1年間描き続け、その絵が素敵な本になりました。心癒やされる時間をぜひどうぞ。

お申し込み先 やつかの森LLC FAX 0198-29-2672 kotarocafe30@gmail.com
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現在、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんで開催中の同名の展示を、一冊の絵本にしたものです。道の駅のテナント「ミレットキッチン花(フラワー)」さんで、毎月15日に販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」を洒落た器に盛りつけて描いた作品群。
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メニュー及び光太郎の日記等から抜粋された食に関する一節が左側のページ、右ページには地元ご在住のMICHINOさんという方の描いた色鉛筆画。12回分が掲載されています。合間には、「光太郎ランチ」実物の写真や、花を描いたMICHINOさんの色鉛筆画など。

道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さん、花巻市街のマルカンさんで販売中ですし、FAX、メールでも注文可。ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

午后週間サンケイより吉岡達夫氏ら三人来たり写真をとつてゆく、

昭和28年(1953)9月1日の日記より 光太郎71歳

「週間」は「週刊」の誤り。光太郎、ときどきやらかします(笑)。「写真」はこちらの記事のためのもの。この年9月27日号に掲載されました。
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昨日の新聞二紙から。

まず、「土用丑の日」だったということで、『朝日新聞』さんの土曜版から、鰻の蒲焼きについての記事。かなり長いので全文は引用しませんで、後半のみを。前半では、土用丑の日に夏ばてを防ぐため、栄養価の高いうなぎを食べる慣習について、平賀源内がうなぎ屋のために考案し、広まったという『定説』について。「裏付けとなる文献が、今のところ見つかっていない」ということで、肯定する根拠も、さりとて否定する根拠もないそうです。さらに、隅田川下流域の「江戸前うなぎ」がブランド化していった歴史、調理方法の変遷など。

そして、後半。「江戸前うなぎ」の名店の一つで、光太郎も通った「駒形前川」さんに取材。こちらは令和元年(2019)の『週刊ポスト』さんでも、光太郎にからめて紹介されていました。光太郎の父・光雲が生まれた嘉永5年(1852)に出た「江戸前大蒲焼」番付にも載った店です。また、光雲といえば、光雲の談話筆記『光雲懐古談』(昭和4年=1929)に、前川さんが登場します。

(はじまりを歩く)江戸前うなぎ 東京都 白米とみりん、客層を広げる

 昼下がりの「駒形前川」。7代目主人の大橋一仁さん(43)が、かっぽう着姿で取材に応じてくれた。もとは川魚問屋だったが、220年ほど前、初代がうなぎ料理を始めた。「目の前が大川だから、前川。浅草へ遊びに行く人が舟で乗り付け、腹ごしらえする店だったみたいです」
 しょうゆとみりんを煮詰めた「生(き)だれ」。生だれをつぎ足し、つぼに入っているのが「母(ぼ)だれ」。これが代々続く秘伝のタレだ。「生だれと母だれ、なめると味が全く違う。母だれには、積み重なってきたうなぎのうまみがつまっている」という。
 うなぎをつぼにつけるのは、さばいて、串をうち、素焼きにして、蒸しに入れ、余分な脂を落とした後の工程だ。うなぎの身が、新しい良質な脂とうまみをつぼに落とし、同時に、母だれの熟成したうまみをたっぷり吸い込んで、再び焼かれる。
 老舗の蒲焼きが、甘くないのに、うまい理由は、ここにあった。

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 先代たちの歴史は「選択」の連続だった。関東大震災、東京大空襲では、つぼを大八車に載せて逃げた。店が焼失しても、ゼロから再出発した。2011年3月、東日本大震災の大きな揺れが店を襲ったその時も、一仁さんの父で6代目の一馬さんは、客や従業員の安否を確かめながら、つぼのことを鬼気迫る表情で案じていた。一馬さんは病気で他界し、7代目となった一仁さんが、長引くコロナ禍と向き合ってきた。
 店の伝統を裏付けるような資料を残す余裕は、先代たちになかったようだ。だからこそ、番付「江戸前大蒲焼」の存在は「色んな人にうちを知ってもらえて、ありがたい」。
 江戸前うなぎに「蒸す」という調理工程が加わった背景には、江戸時代後期のコレラの流行がある、と一仁さんは考えている。「より衛生的で安全な提供方法を考えた結果、先人は蒸すことを選択した。天然か、養殖かも、選択の一つ。守るべきこと。変えるべきこと。いつの時代も、両方を考えないといけない」
 江戸時代に花開いたうなぎ文化もいま、岐路に立たされている。稚魚や親ウナギの保全、人工孵化(ふか)や完全養殖。絶滅危惧種となってしまったニホンウナギと共存するための、新たな選択肢が模索されている。
 かつては筒を沈めるだけで、ウナギがとれたという隅田川。今でも釣りスポットとして人気だが、ネット上で「隅田川の魚は食べても美味だ」と薦める人は見かけない。
 目の前の水辺にいたヘンな魚を、焼いて食べたら、うまかった。しょうゆ、山椒、みりん、ご飯をつけたらもっとうまかった。そんなシンプルな話だったのだ。ある時までは。

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「駒形前川」は、池波正太郎、高村光太郎、山田耕筰といった文化人がひいきにしていた。現在は千葉県銚子市の問屋から天然に近い環境で育てた養殖うなぎ「板東太郎」などを仕入れている。雷門通りにある「やっこ」も、ジョン万次郎や勝海舟が訪れた名店だ。
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当方自宅兼事務所のある千葉県香取市。利根川の水運の要所として、江戸時代から続く古い街並みも残る観光地です。やはり利根川の関係で鰻も昔からの名物で、旧市街には江戸時代創業のうなぎ屋さんが数店。さらに住宅街である自宅兼事務所近くにはその支店も。

以前は、遠隔地の友人、仕事の打ち合わせに訪れた方などが訪ねてきた際には、そうした店にご案内することも少なくなかったのですが、最近はとんと足が遠のいています。とにかく美味ではありますが、やはり価格の問題がありまして……。以前は二千円ほどで食べられましたが、最近は四千円台と記憶しております。記事にもあった資源としての減少の問題が大きいのでしょう。

ちなみに今年の土用丑の日は、2回。昨日と、8月4日(木)も該当します。光太郎父子に愛された「駒形前川」さん、ぜひ足をお運び下さい。

もう1件、やはり昨日の『福島民報』さん。「福島県 今日は何の日」という連載です。

「福島県 今日は何の日」 1990(平成2)年7月23日 国体スローガン 友よ、ほんとうの空にとべ!

 1995年に開催した第50回国民体育大会のテーマ(愛称)が「ふくしま国体」、スローガン(合言葉)が「友よ ほんとうの空に とべ!」に決定した。
 テーマは美しい自然など本県の持つ特性を県名に込め、平仮名で柔らかく表現した。スローガンの「ほんとうの空」は「智恵子抄」などによって県内外に知られており、本県の全体的な印象として定着していると判断した。
 4月中旬からスローガンとテーマを公募し、テーマに1万7664点、スローガンに1万4250点が寄せられた。
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平成7年(1995)の「ふくしま国体」。このテーマに「ほんとうの空」の語が使われたことで、以後、福島の形容詞として、「智恵子抄」由来の「ほんとの空」、その変形種「ほんとうの空」の語が広く使われるようになっていきました。ただ、平成23年(2011)の東日本大震災による福島第一原子力発電所のメルトダウン以後、また違った意味が付加されるようになってしまったのは残念ですが……。

ちなみに「ふくしま国体」のテーマソング、佐藤信氏作詞、林光氏作曲の「ほんとうの空へ」は、現在でも時折コンサート等で演奏されています。
「林光ソングをうたい継ぐ(5)~ほんとうの空へ(1990年代)」。
合唱団じゃがいも第48回定期演奏会 林光さん没後10年を偲んで。
こちらも末永く愛されて欲しいものです。

【折々のことば・光太郎】

山口小学校長浅沼氏今朝来訪の由、又午后くるとの事、 午后東方亭主人くる、トマトをもらふ、 山口小学校長くる、自園の桃をもらふ、


昭和28年(1953)8月24日の日記より 光太郎71歳

山口小学校」は、かつて光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くにあった小学校。そこの先生方や子供たちとは深い交流がありました。校長・浅沼政規は光太郎に関する貴重な回想を数多く残しました。子息の浅沼隆氏は、現在も光太郎の語り部として花巻で活動されています。

東方亭」は、戦前からの光太郎行きつけのトンカツ屋。荒川区の三河島に店がありました。

定期購読させていただいている『花巻まち散歩マガジンMachicocoマチココ』の第31号が届きました。前号で5周年となったのを機に、今号からいろいろと変更が。

まず、判型。これまでA5判だったものが、一回り大きくなりました。下の画像、左が今号、右が前号です。
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それから、これまで隔月刊で年6回発行だったものが、年4回となるそうで、いわば季刊への変更ということでしょう。今号はタイトル(ロゴも変更され、サブタイトルも「花巻まち散歩マガジン」から「花巻散歩」になりました)の下に「2022.SUMMER」とあります。総ページ数は32ページ、これまでと変わりません。定価も500円で据え置きです。
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特集1は賢治関係、特集2は、先頃NHKさんの「ふるカフェ系 ハルさんの休日▽岩手・花巻〜宮沢賢治が愛した花壇をめでるカフェ」で紹介された、茶寮かだんさんです。
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創刊号から連載されてきた「光太郎レシピ」も健在。昭和20年(1945)から堂27年(1952)にかけて、光太郎が花巻及び郊外旧太田村に住んでいた間の日記や書簡、周辺人物の証言等から、光太郎が作ったメニューを割り出し、現代風にアレンジするというコンセプトです。

今号は「花わさびのおむすびとわらびと山菜の天ぷら」。
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天ぷらのレシピがこちら。
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天ぷらはこの季節、夏バテ予防にもいいかもしれませんね。

メニューの考案、調理等に当たられているやつかの森LLCさんは、同様に光太郎日記等からのアレンジで手がけられているのが、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんで毎月15日に限定販売中の豪華弁当「光太郎ランチ」。道の駅テナントのミレットキッチン花(フラワー)さんの商品です。

今月分はこちら。
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ニラ炒飯、豆ご飯、豚肉とみず(山菜)の煮込み、鮭の昆布巻き、じゅんさい、塩麹卵焼き、抹茶饅頭、お新香だそうで。

少し前にはくり返しラジオ番組で取り上げて下さっていました。さらにテレビ等の取材も入るとありがたいところですね。

さて、『マチココ』さん、花巻市内各所の協力事業所等で販売されている他、最近は盛岡市、北上市の書店さんなどでも取り扱っているようですし、オンラインで年間購読申し込みもできます。ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

朝北川太一氏余の誕生祝とてイセエビ3尾持参、


昭和28年(1953)3月12日の日記より 光太郎71歳

光太郎誕生日は明治16年(1883)3月13日。満70歳となりましたが、この項、慣例により数え年で表記し、年齢加算もその年の元日としています。そこで「光太郎71歳」です。

当会顧問であらせられた、故・北川太一先生、伊勢海老3尾とは豪勢な(笑)。グッジョブですね(笑)。

通販サイト・フェリシモさんで販売している「日本近現代文学の世界に浸る 文学作品イメージティー」。全4セット、月イチで1セットずつ届くシステムになっています。注文したところ、まず4月分として「中島敦 著『山月記』× 虎に還るように色が変化するお茶」が届き、続く5月分でお目当ての「高村光太郎 著『智恵子抄』×天のものなるレモンの紅茶」が届きました。予定では5月中旬には届くはずが、品切れ状態だったそうで、月末にずれ込みました。
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文庫本サイズのケースに、ティーバッグ17個入り(「Tバック」ではありません(笑))。
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早速、賞味。「中島敦 著『山月記』× 虎に還るように色が変化するお茶」は、青い紅茶(矛盾していますが(笑))で、ヴィジュアル的にインパクトがありましたが、こちらはいたって普通の色です。しかし、商品説明に「はじけるように香りが立ち上る、新鮮なレモンをトッピング」とあり、「ああ、確かにレモンティーだ」。最初からレモンピール(皮を粉末にしたもの)が混ぜてあるわけです。
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まぁ、それだけなのですが(笑)、それでも高級な茶葉を使ってはいるんだろうな、というのは分かりました。当方、基本的には珈琲党なのですが。ただ、もしかすると「ドイツ製」というのに惑わされているのかもしれませんが(笑)。

言わずもがなですが、『智恵子抄』に収められ、南品川ゼームス坂病院での智恵子の臨終を謳った「レモン哀歌」(昭和14年=1939)由来です。

  レモン哀歌 005
 
 そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
 かなしく白くあかるい死の床で
 わたしの手からとつた一つのレモンを
 あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
 トパアズいろの香気が立つ
 その数滴の天のものなるレモンの汁は
 ぱつとあなたの意識を正常にした
 あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
 わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
 あなたの咽喉に嵐はあるが
 かういふ命の瀬戸ぎはに
 智恵子はもとの智恵子となり
 生涯の愛を一瞬にかたむけた
 それからひと時
 昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
 あなたの機関はそれなり止まつた
 写真の前に挿した桜の花かげに
 すずしく光るレモンを今日も置かう

レモンについては、翌年に書かれた随筆「智恵子の半生」の中で、このようにも書いています。

 私自身は東京に生れて東京に育つてゐるため彼女の痛切な訴を身を以て感ずる事が出来ず、彼女もいつかは此の都会の自然に馴染む事だらうと思つてゐたが、彼女の斯かる新鮮な透明な自然への要求は遂に身を終るまで変らなかつた。彼女は東京に居て此の要求をいろいろな方法で満たしていた。家のまはりに生える雑草の飽くなき写生、その植物学的探究、張出窓での百合花やトマトの栽培、野菜類の生食、ベトオフエンの第六交響楽レコオドへの惑溺といふやうな事は皆この要求充足の変形であつたに相違なく、此の一事だけでも半生に亘る彼女の表現し得ない不断のせつなさは想像以上のものであつたであらう。その最後の日、死ぬ数時間前に私が持つて行つたサンキストのレモンの一顆を手にした彼女の喜も亦この一筋につながるものであつたらう。彼女はそのレモンに歯を立てて、すがしい香りと汁液とに身も心も洗はれてゐるやうに見えた。
(略)
 百を以て数へる枚数の彼女の作つた切紙絵は、まつたく彼女のゆたかな詩であり、生活記録であり、たのしい造型であり、色階和音であり、ユウモアであり、また微妙な愛憐の情の訴でもある。彼女は此所に実に健康に生きてゐる。彼女はそれを訪問した私に見せるのが何よりもうれしさうであつた。私がそれを見てゐる間、彼女は如何にも幸福さうに微笑したり、お辞儀したりしてゐた。最後の日其を一まとめに自分で整理して置いたものを私に渡して、荒い呼吸の中でかすかに笑ふ表情をした。すつかり安心した顔であつた。私の持参したレモンの香りで洗はれた彼女はそれから数時間のうちに極めて静かに此の世を去つた。昭和十三年十月五日の夜であつた。


これ以前のかなり早い時期から、駒込林町の光太郎アトリエではレモンが使われていました。詩人・歌人の上田静栄の回想から。上田は智恵子の親友・田村俊子の弟子でした。

 ひろい東京に田村御夫妻の他に知人もない私にとつて、あのアトリエの雰囲気と(高村)御夫妻の様子は東京のすべてを代表してゐるやうに魅力のあるものに思はれた。智恵子夫人をいたはりながら客の間をとりなされる高村先生の態度が、いかにも男らしく優雅なものに見えて深く心に残つた。(田村)女史のお相手に夫人は静かに椅子にかけられたまま、高村先生がアトリエの北のすみの水屋にたたれて、レモンの浮いた冷たい飲み物をつくつてみなにすすめられた。たけの高いハイカラなガラスのコツプで、散歩のあとなのでとても美味しく頂いた。
(未定稿「美しき思ひ出の人びと」昭和34年=1959頃 『歌文集 こころの押花』昭和56年=1981所収)

これが大正4年(1915)頃のことです。光太郎智恵子が結婚披露を行ったのが大正3年(1914)ですので、まだ新婚の時期です。レモンは明治の早い時期に日本へ輸入されていましたが、それにしてもシャレオツですね。

さて、「『智恵子抄』×天のものなるレモンの紅茶」。「室生犀星 著『蜜のあわれ』× 燃えている金魚のように赤いお茶」、「江戸川乱歩 著『孤島の鬼』× 宝石より魅力的なチョコレートの紅茶」、「中島敦 著『山月記』× 虎に還るように色が変化するお茶」との4点セットで、月イチでの送付(順番はフェリシモさん任せ)です。単価は1セット税込み1,980円。

先月、朗読イベントとコラボした企画で、大正浪漫喫茶­秋葉原和堂さんが『文豪達のティータイム -日本近現代文学の世界へ-』を開催し、オリジナルコラボフードとのセットでの販売も行われました。光太郎に関しては「高村光太郎のレモンケーキ~ざくろゼリー添え~」。そちらも結構な入りだったようで、一時、紅茶は品切れでした。そこで当方自宅兼事務所に「『智恵子抄』×天のものなるレモンの紅茶」が届いたのは予定より遅れたのですが、品切れ状態も解消されたようです。

オンラインで注文可。ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

晴、 午前モデル、 午后石炭一トン来る、


昭和28年(1953)2月6日の日記より 光太郎71歳

石炭」はストーブ用です。

戦前、駒込林町のアトリエでは、粘土の凍結防止のためにストーブを焚き続け、それを詩「金」(大正15年=1926)では「工場の泥を凍らせてはいけない。/智恵子よ、/夕方の台所が如何に淋しからうとも、/石炭は焚かうね。」と謳っていました。「工場」はアトリエ、「」は粘土です。喰うものを喰わなくても石炭に「金」を使うのだという宣言です。「智恵子抄」が嫌いだ、という人の中には、こういう光太郎の身勝手さが我慢ならない、という意見もあるようです。

戦後のこの時期は、どちらかというと粘土の凍結防止よりも、モデルにヌードになってもらうためということで、ストーブをガンガン焚いていたようです。光太郎自身は七年に及ぶ花巻郊外旧太田村の山小屋での蟄居生活で、マイナス20度の世界に耐え抜いていましたので。

それにしても「トン」単位で石炭を買うというのも凄い話ですね(笑)。

毎月15日に販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」。光太郎第二の故郷ともいうべき、岩手県花巻市の「道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)」さん内の「ミレットキッチン花(フラワー)」さんで販売されています。

今月分がこちら。メニュー考案に当たられているやつかの森LLCさんから画像を送りいただきました。
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「のり巻き寿司」、「竹の子ご飯」、「ほっけ焼き」、「わらびのお浸し」、「うるいと豚肉の炒め」、「ヨモギの天ぷら」、「塩麹卵焼き」、「ヨモギ白玉フルーツぜんざい」、「お新香」だそうです。

お買い求め下さった方の感想。

うるいは酢みそではなく、炒めてたべるのもいいし、ヨモギは天ぷらもいいですね。
手間を惜しまず、光太郎への愛情も感じられますね。

なるほど。

末永く愛されていってほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

夕方笹村草家人氏くる、碌山館の話をきく、

昭和27年(1952)12月12日の日記より 光太郎70歳

笹村草家人」は彫刻家。信州安曇野の碌山美術館建設に奔走しました。

光太郎の親友だった碌山荻原守衛の作品は、まず守衛没後の明治44年(1911)、新宿中村屋の敷地内に守衛のアトリエを移築し、「碌山館」と名付けて一般に公開されました。その後、大正5年(1916)、安曇野の守衛生家に新たに10坪の建物を新築、そちらを「碌山館」としました。

この時点では鋳造されていない石膏原型のものが多かったのですが、昭和28年(1953)、笹村が顧問格となり荻原碌山研究委員会(のち碌山作品保存会)が発足。作品の保存修復、鋳造が進められていきます。おそらくこの日の笹村訪問はそのあたりでのアドバイスを受ける意味合いだったのでしょう。

昭和30年(1955)には、穂高中学校に守衛作のブロンズ「坑夫」(明治40年=1907、パリ時代に光太郎が絶賛し、ぜひ石膏に取って持ち帰るようにと進言した作品)が設置され、その台座題字を光太郎が揮毫しています。
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穂高中学校に隣接する敷地に碌山美術館が建立されたのは、さらにその後、光太郎が歿してからの昭和33年(1958)のことでした。

秋葉原のカフェで、2件。

まずは昨日始まった「コラボカフェ」、期間限定メニューの饗応です。プレスリリースなどから。

近現代日本文学文豪たちの作品をイメージしたメニューがフェリシモと秋葉原和堂のコラボカフェに登場|4月20~5月15日までの期間限定

フェリシモは、秋葉原和堂で展開するコラボカフェで、4月20日~5月15日の期間限定で「YOU+MORE!×フェリシモミュージアム部 日本近現代文学の世界に浸る 文学作品イメージティー」をメニュー化した、特別コラボカフェメニューを『文豪達のティータイム』と題して展開します。近現代日本文学文豪たちの作品をイメージしたドリンクメニューや、オリジナルコラボフード、デザート、が登場します。文学に浸るイメージにぴったりな秋葉原和堂の店内で、ドリンクメニューの作品を読めば、その世界に没頭できます。コラボカフェ期間中、朗読イベント『文学公演「文豪たちのティータイム」』を開催します。

◆コラボカフェ企画の概要
文豪達のティータイム -日本近現代文学の世界へ-|YOU+MORE!×フェリシモミュージアム部×秋葉原和堂
開催期間/2022年4月20日(水)11時~5月15日(日)20時まで(L.O.19時30分)
営業時間/24時間
お食事提供時間/11時~22時(フードL.O.21時/L.O.21時30分)
・定休日/年中無休
※新型コロナウイルスの影響により営業時間や席数が変更になる場合があります。
※混雑時は90分制となる場合があります。

場所/〒101-0021 東京都千代田区外神田6-14-2サカイ末広ビル地下1階 「秋葉原和堂
アクセス/JR秋葉原駅徒歩7分/銀座線末広町駅4番出口徒歩0分/上野駅徒歩10分/御徒町駅徒歩7分/湯島駅徒歩6分
TEL/03-6284-4369

◆期間限定コラボカフェメニューについて
大正から昭和、近現代日本で生まれた文豪の作品に着想を得て作り上げたフェリシモの「イメージティーをメニュー化したドリンクと、セットで楽しめるフードやデザートが期間限定で登場します。

【期間限定】文学作品イメージティー&まるで本みたいなミルクレープのセット 各種800円(税込)
思わずめくりたくなってしまう、本のページをイメージしたミルクレープ。
文豪たちの著作をイメージしたお茶1種と一緒に、思わずめくりたくなってしまう本のページをイメージしたミルクレープが楽しめます。
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◇イメージティー一覧
 芥川龍之介 著「蜘蛛の糸」×蓮が香る紅茶
 夏目漱石 著「虞美人草」×アイスクリームが香る紅茶
 宮沢賢治 著「銀河鉄道の夜」×苹果が香る紅茶
 坂口安吾 著「桜の森の満開の下」×桜が香る緑茶
 高村光太郎 著『智恵子抄』×天のものなるレモンの紅茶
 室生犀星 著『蜜のあわれ』× 燃えている金魚のように赤いお茶
 江戸川乱歩 著『孤島の鬼』× 宝石より魅力的なチョコレートの紅茶
 中島敦 著『山月記』× 虎に還るように色が変化するお茶
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◇オリジナルコラボフード、デザート一覧
 夏目漱石のアフタヌーンティーにぴったり ペイストリー&スープセット ¥900(税込)
 芥川龍之介の親子丼定食 ¥1,200(税込)
 坂口安吾のライスカレー ¥1,100(税込)
 宮沢賢治の鉱物バニラアイス ¥700(税込)
 江戸川乱歩のおにぎりセット ¥900(税込)
 室生犀星の甘味セット ¥500(税込)
 中島敦の杏仁豆腐と虎風ロールケーキセット¥800(税込)
 高村光太郎のレモンケーキ~ざくろゼリー添え~ ¥800(税込)
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というわけで、光太郎を含む文豪達をイメージした紅茶と食事。

光太郎インスパイアの「高村光太郎のレモンケーキ~ざくろゼリー添え~」は、「妻・智恵子を詠った『レモン哀歌』をイメージした、さわやかなレモンケーキ。 偉大なる彫刻家であった高村光 太郎に畏敬の念を表し、彼の彫刻作品「柘榴」イメージのざくろゼリーを添えました。」だそうです。ざくろゼリーが酸っぱそうで、画像を見ただけでパブロフの犬のように唾液が分泌されてしまいます(笑)。
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それから「宮沢賢治の鉱物バニラアイス」。鉱物が入っていて歯が折れないかと心配になってしまうのですが(笑)。「宮沢賢治の理解者であった妹・トシとの永遠の別れを綴った詩『永訣の朝』より、「天上のアイスクリーム」をイメージしたアイスクリーム。 彼が大好きだった鉱物をイメージをしたゼリーを添えて。」ということなので、大丈夫でしょう。

紅茶の方は、以前にご紹介したフェリシモさんが通販で扱っているもの。「高村光太郎 著『智恵子抄』×天のものなるレモンの紅茶」を含む全4セットで、月に1セット届き、その都度払いです。他の4セットもあり、合計8セットです。届く順番はフェリシモさん任せとのことで、当方の手許にはまず今月分として「中島敦 著『山月記』× 虎に還るように色が変化するお茶」が届きました。
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ティーバックにただお湯を注ぐと青いお茶なのですが、底に蜂蜜を入れて置いてから淹れると画像のようにグラデーションが楽しめる、というわけで「虎に還るように色が変化するお茶」。なるほど。文庫本をイメージしたパッケージもシャレオツです。

いずれ「高村光太郎 著『智恵子抄』×天のものなるレモンの紅茶」が届きましたら、またレポートいたします。

さて、「文豪達のティータイム」、朗読イベントも開催されます。

文学朗読公演「文豪たちのティータイム」

期 日 : 2022年4月23日(土)~5月15日(日) 全9公演
会 場 : 秋葉原和堂 東京都千代田区外神田6-14-2サカイ末広ビル地下1階

秋葉原和堂にて文学朗読公演を開催いたします。無料公演は開演時間なりましたら始まります。通常のカフェのご利用でご観覧頂けます。有料公演はチケットの購入が必要です。
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4月23日(土曜日)無料公演 13:00~ 16:00~ 
芥川龍之介「蜘蛛の糸」
芥川龍之介の生きた世界を覗ける、特別な時間をお届けします。
【出演】山﨑竜之介 藤川マサミ 【シナリオ】吉本久吏輔の上 【音楽】藤川マサミ

4月24日(日曜日)無料公演 13:00~ 16:00~ 
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」
【出演】明峰柚月 鹿子島光人 【シナリオ】リン・寺島光咲

4月30日(土曜日)無料公演 13:00~ 16:00~ 
室生犀星「蜜のあわれ」
金魚の少女と小説家の老人。二人が織りなす、妙に艶かしくどこか温かい会話劇。室生犀星、晩年の作品をお楽しみ下さい。
【出演】今村一誌洋 天音果歩 【シナリオ】天川谷綾音

5月1日(日曜日)無料公演 13:00~ 16:00~
高村光太郎「智恵子抄」
秘められた高村光太郎と智恵子の想い。詩とショートストーリーが、大人の純愛の真実を紡いでいく。みなさまの優雅なティータイムに安らぎとスパイスをお届けします。
【出演】水野里美   藤田正純【シナリオ】仲村弦己

5月3日(火曜日・祝日)無料公演 13:00~ 16:00~ 
大文豪・夏目漱石が職業作家として初めて世に送り出した小説・『虞美人草』が、100年の時をこえ令和によみがえります。それぞれの思惑が絡みあう複雑な男女関係を、4人の声優陣と、原作とは異なった視点でお届けします。鑑賞後に書店へ立ち寄っていただけたら、きっと漱石先生もお喜びになることでしょう。
【出演】松下誌紋 川内一子 今村一誌洋 汐風有華 【シナリオ】村田真太郎

5月7日(土曜日)有料公演【チケット代金*ワンドリンク付き2,500円】*終演後物販あり
開演 13:30~ 16:30~ 
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」
宮沢賢治と親友がつづる、星空の夢。朗読劇「銀河鉄道の夜」
【出演】秋野かほり 【ゲスト】陽香留 【シナリオ】アオノアツコ 【音楽】歌唱あり

5月8日(日曜日)無料公演 13:00~ 16:00~ 
室生犀星「蜜のあわれ」
天真爛漫な金魚の少女・赤子と、それに翻弄されつつも愛してやまない老小説家のおじさまとの、儚くも微笑ましい一匹と一人のやり取りを、どうぞお楽しみください。
【出演】平居正行 乙坂みどり 【シナリオ】天川谷綾音

5月14日(土曜日)無料公演 13:00~ 16:00~ 
高村光太郎「智恵子抄」
日本で最も有名な純愛詩集から溢れだす、愛する人に傾けた恐ろしいまでの愛情。二人の声優が迫真の演技でお届けします。
【出演】山﨑竜之介 汐風有華 【シナリオ】仲村弦己

5月15日(日曜日)有料公演【チケット代金*ワンドリンク付き3,500円】
【チケット販売】https://t.livepocket.jp/e/at0h7 開演 13:30~ 16:30~ 
坂口安吾「桜の森の満開の下」
ここにあるのは無限の書物と、それを語る声。ほのかな灯りとアコーディオンの音色。そして、物語を閉じ込めたお茶たち―――五感で楽しむ一日限りのティータイムをあなたに。声優・中野裕斗(蟲師 ギンコ役)/土井美加(蟲師 声 ワンピース コビー役)、世界的アコーディオン奏者・丸茂睦の生演奏で紡ぐ物語を、和堂にてゆったりとお楽しみください。
【出演】中野裕斗 土井美加 【演出】宮澤はるな(一部出演) 【音楽・生演奏】丸茂睦 

上記メニューを頂きながら、朗読も聴けてしまうという企画です。いい感じですね。ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

毛皮を出し、風通し、

昭和27年10月23日の日記より 光太郎70歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のために移り住んだ東京中野の貸しアトリエに、7年間蟄居生活を送った花巻郊外旧太田村の山小屋から、カモシカの毛皮を持ってきたようです。もはや戦後の混乱もほぼ収まっていた東京で、これを着て歩いたのでしょうか?
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光太郎実弟にして、鋳金分野の人間国宝となった豊周の回想には、こんな記述がありますが。

 帰った直後の僕の記憶に残っているのは、あの秋、日本橋の三越で、僕の個展をやった時、兄がわざわざ見に来てくれたことだ。例のカーキ色の労働服を着て、長靴で、両手をポケットに突込んで、兄はこの恰好で東京中を歩いていたのだが、どう見ても三越に来る人種ではない。事実、不思議なものでも見るように周囲の人たちがじろじろ兄を見つめていた。兄が受付の芳名簿へ署名しているのを見た若い女が、
「あら、高村光太郎よ。」
とびっくりして小声でささやいていた。僕が世話になっている人や、奥さん達が四、五人いたので兄はみんなに挨拶してくれたが、あとで家内がその人達に叱られたという。
「あんな恰好をさせて置いては気の毒だから、先ず靴を買ってあげなさいよ。お金がないならもう一つ作品を買うから、もっと世話してあげなければ。」
これには全く困ってしまった。そんなことを言えば、
「極上のイギリスか何かの背広ならいいけれど、そこらにぶらさがっているのを着る位なら、この方が好きだ。」
という兄なのだから。


こういうのを「達観」というのでしょう(笑)。

令和2年(2020)、光太郎が戦後の七年間を過ごした花巻郊外旧太田村に建設された「道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)」さんでのネタを2件、ご紹介します。

まず、道の駅内のテナント、ミレットキッチン花(フラワー)」さんで毎月15日に販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」。光太郎の日記や書簡、周辺人物の回想文などから、光太郎が作った料理を現代風にアレンジして詰め合わせたものです。

今月販売分がこちら。
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内容は、ヨモギご飯、カレーチャーハン、豆腐ステーキ蕗味噌、大根と鯖の醤油煮、のびるの酢味噌がけ、じゃが芋バター炒め、塩麹卵焼き、抹茶白玉小豆添え、お新香だそうです。

NHKさんがローカルラジオ番組「ゴジだっちゃ!」、さらに全国放送のラジオ番組「マイあさ!」で紹介して下さったためか、今月は事前の予約注文が多く入ったそうです。ありがたいことです。

さらに4月22日が「道の駅の日」だそうで、この前後、全国の道の駅で関連イベント等が行われるところがあるとのこと。道の駅はなまき西南さんでは、4月16日(土)、4月17日(日)に、キッチンカーや屋台等がずらっと出て、賑やかに販売会が行われたそうです。

「光太郎ランチ」のメニュー考案にあたられているやつかの森LLCさんもご出店。画像を送って下さいました。
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メインは、パン好きな光太郎をイメージして、こぶし苑銀の鳩さんに特注した「ホットドック、ナポリタンドック、焼きそばドッグ」、加工組合さんに加入している仲間による「あんこ餅、きなこ餅、ごま餅」、タカハシ菓子工房さん「チョコ、アーモンドスフレ、セサミ、パルミエ」などのクッキーなどを販売したそうです。

土曜日は強風でお客さんも多くなかったそうですが、日曜日は好天に恵まれ、用意した品々、あっというまに完売とのこと。お買い求めいただいた方には、光太郎の日記を抜粋しハガキ大にプリントしたものも配布されたそうです。

同じくやつかのもりLLCさんから、光太郎が七年間の蟄居生活を送っていた山小屋(高村山荘)周辺の画像も頂いております。

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上から、水芭蕉、カタクリ、辛夷(コブシ)、キクザキイチゲ。岩手はこれから春本番、という感じですね。

残念ながら、5月15日(日)に予定されていた高村祭は、コロナ禍明けやらぬため、3年連続の中止となりましたが、東北新幹線も復旧したことですし、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

夕方より小坂氏と「火の車」行、又草野氏を加へて林家、東方亭を訪ふ、


昭和27年(1952)10月19日の日記より 光太郎70歳

小坂氏」は、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のための助手・小坂圭二。「火の車」は、当会の祖、草野心平が経営していた怪しい居酒屋(笑)です。「林家」「東方亭」は、共に、戦前から光太郎が通っていた店で、三河島にありました。

花巻郊外旧太田村の山小屋生活では、飲み歩くこともままならなかったわけで、その反動が一気に出ているような気がします。

昨日、NHKさんのラジオ第1で全国放送されている「マイあさ!」という番組の5時台で、光太郎第二の故郷・岩手県花巻市の「光太郎ランチ」が取り上げられました。
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「マイあさだより」という、スタジオと全国のレポーターとを電話で繋ぎ、地域の話題を紹介してもらうコーナーで、花巻のローカルFM「えふえむ花巻」のパーソナリティーを務められている味園史湖さんのリポート。味園さん、先日、やはりNHKさんで岩手・宮城・福島三県を対象に放送されていた「ゴジだっちゃ!」という番組でも、「光太郎ランチ」をご紹介下さいましたが、今回は全国放送でした。

聞き手は田中孝宜アナウンサー、久保田明菜アナウンサーのお二人。
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田中 味園さん、今朝はどんな話題ですか?
味園 はい、あのー、今日はお弁当の話題なんですけど、暖かくなってきて、あのー、もう少ししたらお弁当持って出かけるというのもいい季節になってきますよね。
田中 そうですねー。
味園 今日は私の地元、岩手県内陸部、花巻の道の駅で販売されているユニークなお弁当の話題です。
田中 ほう。
味園 花巻にゆかりのある、詩人・彫刻家の名前がついたお弁当なんですけれども、花巻ゆかりといいますと、詩人で作家の宮沢賢治を思い浮かべるかもしれません。
田中 うん、うん。
味園 が、賢治ではありません。
久保田 はい。
味園 お弁当の名前は「光太郎ランチ」といいます。「光(ひかり)」に「太郎」です。あの、詩人で彫刻家の高村光太郎が食べていたものを再現して詰め合わせたお弁当なんですね。
田中 ほう。
久保田 へー、高村光太郎、花巻にゆかりがあるんですか?
味園 そうなんです。高村光太郎は終戦の前後に七年ほど、花巻に疎開していた時期がありました。で、地元の人々とも交流を持っていました。花巻には、当時、光太郎が住んでいた高村山荘ですとか、高村光太郎記念館があります。その光太郎ゆかりのエリアに、令和2年8月に「道の駅はなまき西南」が誕生しました。
田中 うん。
味園 そこで、月に一回販売されているのが「光太郎ランチ」というわけなんですね。
田中 ほう。
味園 光太郎が食べていたものを、日記に残していまして……
田中 はい、はい、はい。
味園 その日記を元に、光太郎が食べていたものを詰め合わせたお弁当なんです。
田中 なるほど。え、高村光太郎って、どんなものを食べていたんですか?
久保田 フフフ。
味園 気になりますよね?
久保田 うん、うん、うん。
味園 えー、例えば今月15日に販売されたメニューを見てみます。お写真、届いてますかね?
久保田 はい、番組のツイッターにも載せています。

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味園 はい。茶殻ご飯、そば粉のチーズ蒸しパン、焼き鮭、イカの煮つけ、粉ふき芋、きんぴらごぼう、白菜と葱の酢味噌和え……。まだあります。煮豆に塩麹入りの卵焼き……。
田中 ほうほう。
味園 おさつ芋餅、お新香。お総菜など11種類入って税込み800円で販売しています。
久保田 これは一日のメニューでなくて、いろいろ詰め合わせているんでしょうけど、お魚に野菜に、こう、調理方法もバラエティー豊かですね。
味園 そうですね、はい。毎月メニューは変わります。おかずの種類も多くて、彩りも鮮やか、でも、それだけではありません。お弁当を購入しますと、レジで素敵な箸袋とお品書きを渡されるんですね。
田中 ほう。
味園 添えられたA5の紙に、先ほどのお弁当の内容が書かれたお品書きと、光太郎の日記から抜粋された文などが掲載されています。
久保田 あ、今、写真にもそのA5サイズで添えられている、あの、紙も番組のツイッターに載せてあります。
味園 はい。例えば昭和21年3月13日、ちなみに3月13日、光太郎の誕生日なんですけれども、一部紹介しますと、「雪がちらつく」……「朝食、小豆のご飯を」ですね「粥にする」。
田中 ほー。
味園 「終日読み物、雑誌新聞類」……「今日、東京より来たりしチーズをはじめて開ける、オーストラリア製なり」。
田中 へー。
味園 ……ですとか、昭和23年の誕生日には「今朝霧が立ちこめ、春を思わしむ」、「良き小麦粉にてパンを蒸す、よく出来たり」など。こういうものを見ると、お弁当がさらに楽しめますよね。
久保田 うん、うん。
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田中 ほう……でも、何か、どんな天気だったかも分かりますし、それを食べた、何か状況が見えてくるような気がしますね。
味園 そうですね。何だか光太郎の当時の息遣いが感じられるような気がしますよね。
田中 そうそう、そうですね。
味園 戦後とは言っても、光太郎は色んな人との交流がありまして、珍しい食材を使っていたり、そば粉のパンケーキを自分で焼いたりと、日記やお弁当から、グルメな食事、自炊の様子が伝わってきます。添えられた箸袋や献立表からも、このランチに携わっている地元のスタッフの皆さんの温かい気持ちが感じられるんですが、ま、ちなみに箸袋と献立表は、地元で光太郎をこよなく愛するグループの皆さんがいらっしゃいまして、光太郎のことにとても詳しい方たちなんですが、ボランティアで協力して作ってくれているということなんですね。
久保田 ふーん。
味園 毎月15日のみ、限定10食、毎回売り切れる人気のお弁当ですが、事前に別途注文することも可能とのことです。
久保田 じゃあ、今も光太郎は地元で愛されているわけですね。
味園 そうですね。光太郎は地域の方たちとの交流を大切にしていたようですけれど、このランチを販売する「道の駅はなまき西南」も、いろんな形で地域の方々との交流を大事にしています。地元の農産物を購入出来る産直、飲食店、広いコミュニティースペースなどがありまして、人々が集える場所にもなっています。で、他にも大事な役割がありまして、地域の高齢者への食事の配達をしているんですね。
久保田 うん、うん、うん、うん。
味園 道の駅で地元の女性グループが日々、内容を変えたお弁当とお総菜を作って販売していまして、お弁当を希望する地元の高齢者に届けています。
田中 はー、道の駅になかなか行けない高齢者ともつながりを作っていると言うことなんですね?
味園 そうですね。お弁当を配達することで、会話を交わして元気で過ごしているか、「見守り」にもなっているというわけですね。
久保田 ふーん。
味園 この道の駅には地元の児童生徒が作った四季折々の飾り、絵などが飾られたり、秋には地域の方が作った案山子(かかし)がずらっと並んだりと、人々の交流の様子が、あちこちに感じられるんですけれども、もしかしたら、光太郎もこんな風に、岩手の四季の移り変わりを、地元の人たちと共に楽しんでいたかもしれません。
田中 そうですね、うん。
味園 あのー、地元ゆかりの光太郎ランチを地元産の食材で提供していることもありまして、この道の駅は、いろんな所の道の駅の一つではなくて、高村光太郎がこの地域に住んで、その息吹が感じられる道の駅にもなっているのではないかな、と感じます。
田中 はい。
久保田 そうですね。味園さん、ありがとうございました。
田中 ありがとうございました。
久保田 岩手県花巻市から、味園史湖さんでした。


話題となっている道の駅は、「道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)」さん。「光太郎ランチ」を販売しているのは、テナントの「ミレットキッチン花(フラワー)」さん。メニューの考案や、番組で紹介された光太郎日記抜粋などには「やつかの森LLC」さんが当たられています。本当に頭の下がる思いです。

この話題の際にはいつも書いていますが、「光太郎ランチ」、末永く愛されて欲しいものです。

ちなみに今回の放送分、4月6日(水)まで、NHKさんの聴き逃し配信「らじる★らじる」で聴取可能です。

【折々のことば・光太郎】

七時おきる、 猪熊氏と植村鷹千代氏の対談をきく、ラジオ、


昭和27年(1952)9月7日の日記より 光太郎70歳

光太郎もNHKさんのラジオ放送、よく聴いていました。「猪熊氏」は新制作派の画家・猪熊弦一郎でしょう。光太郎とは旧知の仲でした。「植村鷹千代」は美術評論家です。

少し前はネタ不足で困っていたのですが、このところ、逆に紹介すべき事項が多く、それはそれで困っています。嬉しい悲鳴ですが。新刊書籍等も取り上げるべきなのですが、そちらは後回しにし、今日は岩手発の情報を、3件まとめてお届けします。

まず、光太郎第二の故郷ともいうべき、花巻から。道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんで、毎月15日に限定販売中の豪華弁当「光太郎ランチ」。今月分の画像等を、メニュー考案に当たられているやつかの森LLCさんから送っていただきました。
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そば粉のパンは以前にも入っていましたが、今回はチーズ入りだそうで、チーズ大好きの当方としては涎が出ます(笑)。先月先々月も使われて好評だったという塩麹入り卵焼きが、引き続き入れられました。イチゴの赤が彩りを添えていますね。

先月分に関してですが、NHKさんのローカルラジオ番組で取り上げられました。仙台放送局さんから岩手、宮城、福島の三県に向けて、平日の夕方5時05分から6時まで放送されていた情報番組で、「ゴジだっちゃ!」(3月11日(金)で最終回だったようですが)。
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「だっちゃ通信」というコーナーがあって、各地の情報提供者から耳寄りな情報を届けてもらうというコンセプトのようでした。3月2日(水)の同コーナーは、花巻のローカルFM「えふえむ花巻」のパーソナリティーを務められている味園史湖さんのリポート。

聞き手はメインパーソナリティーの杉尾宗紀アナウンサーと、水曜日担当パーソナリティーの名雪祥代さん。名雪さんは本職のアナウンサーではなく、サックスプレイヤーだそうです。

味園 今日はユニークなお弁当の話をしたいと思います。花巻市にゆかりのある、有名な彫刻家・詩人の名前がついたお弁当なんですが。
杉尾 花巻といえば、宮沢賢治じゃないんですか?
味園 うん、思いますよね。ところがですね、お弁当の名前は「光太郎ランチ」っていうんですね。
杉尾 「光太郎ランチ」?
味園 フフフ、はい、あの、実は詩人で彫刻家の高村光太郎の日記を元に、光太郎が食べたものを再現して詰め合わせたというお弁当なんですね。
名雪 へー。
杉尾 高村光太郎って、花巻の、ゆかりがあるんですか?
味園 あるんです、はい。実はその宮沢賢治とのご縁で、あのー、花巻に疎開していた時期があるんですよ、七年ほど。
名雪 へー。
杉尾 ほー、七年間も。
味園 そうなんですよ。はい、で、ま、その光太郎ゆかりの、あの、ランチ、毎月15日にですね、限定10食だけ販売しております。
杉尾 何と。いや、高村光太郎っていえば、安達太良山で、福島のつながりがあるっていう、そう思い浮かぶんですが。
味園 そうですよね、はい、花巻にも。
杉尾 岩手にもね、つながりがあるんだね。
味園 そうなんです、そうなんです。
名雪 へー。
味園 で、先月、2月15日、私、張り切って何と買いに行ってきたんです。
杉尾 限定10食を。
味園 はーい、そうなんです。たぶん一番乗りだとおもうんですけど。
名雪 さすが、気合い入れて、すごい。
味園 その日のメニューが、ちらし寿司、スルメ入りの焼きパン、これ、シンプルなホットケーキにちょっとスルメが入っているような感じ。
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名雪 へー。
味園 で、あと、鮫の煮つけ、これ、白身魚ですね。煮込みハンバーグの光太郎風、切り干し大根の酢の物に、塩麹入りの卵焼き。めちゃくちゃおいしかったです。
杉尾 ほあー。
味園 あと、お新香。結構入ってて、税込み800円なんですね。
名雪 あらー。
杉尾 これ、あの、味園さんから、あの、画像をですね、送っていただいたんですけど、手許にあるんですが、これ、ちょっと、800円はいいですねー。
名雪 リーズナブルですねー。
味園 見えないですよね、800円。
杉尾 見えない、見えない。
名雪 うんうん。
杉尾 これ、倍ぐらいの値段で売っても……。
味園 スタッフの人が、今、聴いていたら、嬉しくて泣いてるかも。フフフ。
名雪 これを、高村光太郎の日記を元に作られたっていうことなんですか?
味園 はい。日記に、あの、食べたもの、作ったものをですね、記していまして。そこから掘り起こして、メニューを組み合わせて、毎月ですね。あのー、違ったメニューを出してるんですね。
名雪 おもしろー。
杉尾 高村光太郎が煮込みハンバーグとか、なんか、焼きパンとか、食べてたってことですか?
味園 そうです、そうです。
杉尾 ほあー。
味園 あの、実際、あの、御自分で料理される方だったんで、けっこうハイカラな料理も作られて、そうなんんです。で、今回もですね、このランチだけじゃなくてですね、箸袋に「2月の光太郎ランチ」っていう文字と、黄色い福寿草の絵が印刷されていて……。
杉尾 ほんとだ。すごくきれい、オシャレ。
名雪 かわいい
味園 そうなんです。
杉尾 あと、ネコヤナギの絵が、ちょっとね。
味園 そうなんです、そうなんです。
杉尾 隅に、ちょっとあしらってあって。
味園 それ以外にも、昭和21年の光太郎の日記などからちょっと抜粋して、「今日は終日雪が降っていて人が来なかった」とか、「周りの雪の景色が美しくてまた珍しい」とかですね。そういう、あのー、ランチを食べるだけじゃなくて、当時の光太郎の暮らしの雰囲気とか。
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杉尾 あー。
味園 あの、献立表、こういう丁寧なものを作った人たち、お弁当作った人たちの思いまで、あの、伝えられてくるような、あったかいお弁当なんですよねー
名雪 思いを馳せながら食べることが出来て、幸せですねー。
味園 ちなみにこの毎月15日販売というのが、あの、光太郎が東京上野を出発したのが昭和20年の5月15日だったそうで、この15日をとって、毎月15日に販売しているんですけど。
杉尾 なるほど。
味園 今でもですね、高村山荘という、光太郎が住んでいた場所とか、高村光太郎記念館って、この道の駅のそばにあるんですが。
杉尾 記念館もあるんですね。
味園 そうなんです。この道の駅が「道の駅はなまき西南」、「西」に「南」で「はなまき西南」という場所なんですが、令和2年8月に誕生しまして、ま、あのー、産直とか地元の焼肉店とか、コンビニエンスストアとか、コミュニティースペースもあるんですが、実はあの、地域の高齢者の方々への食事の配達という役割もね。
杉尾 あー、大事ですね。
味園 で、お弁当を作って、宅配するだけじゃなくって、この道の駅でも買える、そのお弁当の一つが「光太郎ランチ」ということなんですね。
名雪 へー、なんかいっぱいアイディア詰まってるんですね、みなさんのね。
杉尾 ねー。
味園 ほんとにあの、光太郎と地域の交流が色んな形で残ってまして、地元の中学校で歌われている歌の中に、光太郎の言葉、「心はいつでも新しく、毎日何かしら発見する」っていう歌詞が……で、言葉が入っている書も伝わっていたりというふうに地域とのつながりが、今でも色々と感じられる、そういう場所の道の駅なんですけれども。今までたくさんある道の駅の一つじゃなくて、高村光太郎がこの地域に住んで、その息吹が感じられる道の駅、そういう場所で、毎月一回、15日の11時頃から、この光太郎ランチ、限定10食、販売されてるんですけど、毎月売り切れるほど人気なんですが、事前に別途注文出来るそうなので。
名雪 おお。
味園 まあ、あのー、これからお出かけにいい季節ですからね、はい。あのー、この岩手県花巻市の「道の駅はなまき西南」、東北自動車道花巻南インターチェンジから、車で7分。はい、高村光太郎記念館まで車で8分という場所にあります。
杉尾 はい、お問い合わせ電話番号、お願いします。
味園 はーい。「道の駅はなまき西南」、電話は0198-29-5522、0198-29-5522番です。
名雪 はい、お腹のすいちゃうような、いいお話でしたね。フフフ、ありがとうございました。
杉尾 ありがとうございました。
味園 ありがとうございました。

この放送の影響があったらしく、今月分は、何と、販売開始から5分で完売したそうです。

NHKさん、全国的にも広めていただきたいものです。

続いて、ラジオの中でも触れられている高村光太郎記念館さんがらみ。現在開催中の企画展「第二弾・高村光太郎の父・光雲の鈿女命(うずめのみこと) 受け継がれた「形」」の関係で、花巻市さんのサイトから。

令和3年度高村光太郎記念館講座「光雲と東雲の彫刻とその系譜」の収録映像を期間限定で配信します

令和4年3月6日(日曜)に収録した令和3年度高村光太郎記念館講座の映像をYouTubeで期間限定配信いたします。
※新型コロナウイルス感染拡大の影響により、観客を集めての講座は中止としました。
配信期間:令和4年3月31日(木曜)まで
下記リンクからぜひご覧ください。
収録映像をご覧になった方は、アンケートにご協力をお願いいたします。
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どうも自分で自分の動画を見る気になりませんし、「ぜひご覧下さい」とも言いにくいのですが……。本来ならしっかり見て反省し、次に生かさなければならないのでしょうが……。

最後に、一昨日の『岩手日報』さん一面コラム。

風土計 2022.3.15

高村光太郎は新聞記者に敬意を払っていたらしい。「記者殿」と、敬称で呼んだ詩がある。〈…事件にぶつけるからだからは/火花となつて記事が飛ぶ。/どこへでも入りこみ/どんな壁の奥でも見ぬく。〉▼〈対象に上下なく、/冒険は日常茶飯。/紙と鉛筆とカメラとテープと、/あとはアキレス筋の羽ばたく翼。〉(「記者図」)。どんな所にも行って、壁の奥を見抜く記者に憧れを抱いていたのかも知れない▼どこへでも入り込むのが記者の使命とはいえ、同業者として胸をえぐられることが起きた。ウクライナ首都近郊で、米国人ジャーナリストがロシア軍の銃撃で亡くなった。避難民の取材に当たっていたという▼今、この時もウクライナでは多くの記者が活動している。彼らによって、暮らしの場が戦場に変わったむごさが白日の下にさらされる。いつ銃弾降り注ぐか分からぬ中、目の前の理不尽を記録しているに違いない▼〈…「記者殿」は超積極の世界に生きて/時代をつくり、時代をこえ、/刻々無限未来の暗黒を破る。〉。 光太郎の詩は、危険を顧みず伝える記者へのエールに聞こえる▼侵略政権は、声高に「フェイクニュース」だと宣伝する。だが壁の奥を見抜く眼力と、カメラが切り取る真実の前では無力だろう。ペンの強さを示し、「未来の暗黒を破る」戦いでもある。

引用されている詩「記者図」は、光太郎最晩年の昭和29年1月11日に書かれ、14日の『新聞協会報』に掲載されました。

   記者図001

 「記者殿」は今でも「記者殿」。
 時間の密度はますます濃く、
 空間は不平等にちぢみ上り、
 事件にぶつけるからだからは
 火花となつて記事が飛ぶ。
 どこへでも入りこみ
 どんな壁の奥でも見ぬく。
 対象に上下なく、
 冒険は日常茶飯。
 紙と鉛筆とカメラとテープと、
 あとはアキレス筋の羽ばたく翼。
 紅顔、白髪、
 「記者殿」は超積極の世界に生きて
 時代をつくり、時代をこえ、
 刻々無限未来の暗黒を破る。


『新聞協会報』は、おそらく新聞記者向けの業界紙のようなものでしょうから、読者は新聞関係者ということで、多分に「ヨイショ」が入っているように思われます。そうと分かっていても、これを読んだ当時の新聞関係者たち、決して悪い気はしなかったでしょう。「風土計」にあるように「光太郎の詩は、危険を顧みず伝える記者へのエールに聞こえる」というのもうなずけます。

いったいに、光太郎の詩には、様々な分野で活動する人々への、エール的な要素を持つものが少なくありません。

戦後の詩でいえば、医療関係者へのエールということで、コロナ禍の中、再び注目を集めた「非常の時」(昭和20年=1945)、花巻の商工会からの依頼で作った「初夢まりつきうた」(昭和25年=1950)、開拓農家をたたえる「開拓十周年」(昭和30年=1955)、すべての岩手県民に向けた「岩手の人」(昭和23年=1948)など。こうした傾向は、戦前から既にありました。

しかし、そのエールが戦時中にはプロパガンダとして使われ、厖大な光太郎の翼賛詩を読んだ前途有為な多くの若者が死地に赴いたわけで、功罪相半ば、いや、差し引き「罪」の方が大きいでしょう。その点は光太郎自身もいたいほどわかっていて、だからこそ七年間も郊外の寒村で蟄居生活を送ったのだと思います。

それにしても、ジャーナリストが巻き込まれているウクライナ危機……。なぜ、満州国やらベトナムやらアフガンやらの教訓が往かされないのでしょうか……。

【折々のことば・光太郎】

花巻温泉より花巻駅、タキシにて買物、やぶまで、 やぶにて中食、タキシにて山口まで、 小屋まで運転手にルツクを運んでもらふ、 小屋無事、スルガさんに挨拶にゆく、

昭和27年(1952)6月22日の日記より 光太郎70歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のための現地下見から帰りました。小屋を出たのが14日ですから、1週間以上ぶりでした。

作家が紡いだ言葉が、まさしく食べ物が如ごとく体を構築する感覚を、もっとダイレクトに感じることが出来るイメージティー」だそうで。

YOU+MORE!×フェリシモミュージアム部 日本近現代文学の世界に浸る 文学作品イメージティーの会

心震わす言葉を飲み干して

大正から昭和、近現代日本で生まれた文豪の作品に着想を得て作り上げたイメージティー。本を読んで作品の魅力を知る。その先に進んでみたくて、嗅覚や味覚から作中に登場するモチーフを感じられるのはもちろん、一部は視覚でも楽しめるよう、作品を象徴する色に着目したお茶をご用意しました。
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月1セット ¥1,800(+10% ¥1,980) 1セットだけ(1ヵ月だけ)の購入も可能です。

■セット内容 / 1gまたは2g入りテトラティーバッグ17個、箱
■サイズ / 箱:縦約15cm、横約10.5cm、厚さ約3.5cm
※この商品は書籍ではありません。 ※箱に直接食品を入れないでください。 ※写真は作品をより楽しむための調理例です。
●毎月1回、4種類の中から、1種類ずつお届けします。(全種類届くと、以降はストップします)
(原産国名:ドイツまたは日本〔原料原産地名(茶葉):中国〕)

※2022年4月分(2022年3月下旬~2022年4月下旬)からのお届けになります。2022年3月分でお申し込みの場合、2022年4月分のご予約として承ります。
※各種キャンペーン・送料計算の対象はお届け月分になります。ご注意ください。
※各種W便・追加便などのお申し込みはできません。

※この商品は特性上、不良品・お届け間違い以外の交換・返品はお受けできません。不良品・お届け間違いの交換・返品は、期限内(商品到着後10日以内)にご返送ください。

■ マークの数字の回数だけ届くと、自動的にお届けが終了します。
■ 掲載画像の中から、毎月1種類をお届けします。
■ お届けする順番はフェリシモにおまかせください。
■ 1回だけのご注文も可能です。
ストップする場合は、お届け後にストップの連絡が必要です。

〈高村光太郎著『智恵子抄』× 天のものなるレモンの紅茶〉
私はあなたの愛に値しないと思ふけれど
あなたの愛は一切を無視して私をつつむ 「智恵子抄」より
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高村光太郎著の詩集『智恵子抄』に綴られた一編・レモン哀歌よりイメージした、「わたしの手からとったひとつのレモン」をモチーフにした紅茶です。

表紙側には高村光太郎の妻・智恵子が恋焦がれた、彼女の故郷にある「阿多多羅山」と、その上に広がる「ほんとの空」を。また、トパアズの香りを漂わせるレモンをデザインに取り入れ、思わずはっと目が覚めるような爽やかな色合いにまとめました。
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裏表紙側は病床の智恵子が作った「切り絵」をテーマに、二人の出会いを象徴する花・グロキシニヤで飾りました。光太郎のアトリエを訪ねる際に、智恵子がグロキシニヤの大鉢を持ってきたと光太郎は書き残しています。

《作品をもっと楽しむために…》
香りがはじけるように立ち上る、新鮮なレモンをトッピングして。まるで自身の半身のようにも思える大事な人と、一緒の時間を過ごしたい。そんな時におすすめなアレンジです。
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イメージティーを納めた本型パッケージは文庫本と同じサイズで、本好きのこころをくすぐります。

なるほど、いい感じですね。

他のラインナップは〈中島敦著『山月記』× 虎に還るように色が変化するお茶〉〈室生犀星著『蜜のあわれ』× 燃えている金魚のように赤いお茶〉〈江戸川乱歩著『孤島の鬼』× 宝石より魅力的なチョコレートの紅茶〉だそうです。

で、こちらのセットは「パート2」だそうで、既に「パート1」が出ていました。そちらは〈芥川龍之介著「蜘蛛の糸」×蓮が香る紅茶〉〈夏目漱石著「虞美人草」×アイスクリームが香る紅茶〉〈坂口安吾著「桜の森の満開の下」×桜が香る緑茶〉〈宮沢賢治著「銀河鉄道の夜」×苹果(りんご)が香る紅茶〉だそうです。
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ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

白瀧幾之助氏よりヘラ十数本送り来る、


昭和27年(1952)4月10日の日記より 光太郎70歳

白瀧幾之助は光太郎より10歳上の画家。東京美術学校西洋画科出身で、光太郎の先輩です。遠く明治38年(1905)、ニューヨークに留学。翌年、やはり渡米してきた光太郎を迎え、いろいろ世話を焼いてくれました。さらに光太郎より一足早くロンドンに移り、ここでもあとを追ってきた光太郎の面倒を見てくれました。ロンドンではもう一人、画家の南薫造を交え、3人でつるんでいたそうです。禿頭で大男の白瀧は「入道」、小柄な南は「アンファン(仏語「enfant」=「子供」)」と呼ばれていました。光太郎はどんなあだ名だったか不明ですが。

その後、白瀧はパリへ。当方、その頃、ロンドンの光太郎からパリの白瀧へ送ったハガキをたまたま入手しました。

そして、またまた光太郎も白瀧に続いてパリ入りします。ただ、帰国は光太郎の方が早く、白瀧は明治44年(1911)までパリにとどまっていました。

しばらく途絶えていた二人の交流が、戦後のこの時期になって突如、復活。さらに光太郎帰京後の昭和29年(1954)には、白瀧が光太郎のアトリエを訪問しています。






定期購読しております隔月刊誌『花巻まち散歩マガジンMachicocoマチココ』第30号が届きました。

隔月刊誌で通巻30号ということは、30号÷年6回で、ちょうど5周年。そこで、特集が「感謝の5周年」。
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誌上アーカイブ的に、こんなことをやってきたよ、という振り返り。
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平成30年(2018)2月の第6号の特集は、「賢治の足跡 光太郎の足跡」でした。

5周年を期に、次号でリニューアルを行うそうです。
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これまでの隔月刊から季刊に変更、サイズを一回り大きくするとのこと。

光太郎の日記や書簡等から、光太郎が食べていたメニューを現代風にアレンジして紹介する連載「光太郎レシピ」はそのまま継続されるようです。

で、今号の「光太郎レシピ」。「ボロネーゼとカフェノワールエスプレッソ仕立て」だそうで。
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パスタは光太郎書簡に「ヌイエット」があることからのインスパイアとのこと。

さて、メニューの考案、調理等に当たられているやつかの森LLCさんで、もう一つ手がけられているのが、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんで毎月15日に限定販売中の豪華弁当「光太郎ランチ」。

今月分は……
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ちらし寿司など、一足早くひな祭りっぽい感じですね。

こちらの「光太郎ランチ」も、末永く愛されて欲しいものです。

【折々のことば・光太郎】

(藤島宇大氏 谷口吉郎氏)来訪、十和田湖記念碑彫刻の件をはじめてたのまれる。談話をいろいろきく。


昭和27年(1952)3月21日の日記より 光太郎70歳

「藤島宇大」は「藤島宇内」の誤りですが、「とうとう来たか」という感じです。当時の青森県知事にして、太宰治の実兄・津島文治の発案による、十和田湖周辺の国立公園指定15周年記念モニュメント制作の依頼。これが生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」として結実することになります。前年から青森県では佐藤春夫ら、中央の著名文化人等に相談するなど、いろいろと段取りを立て、この日の二人の訪問に至ります。二人には佐藤からの丁重な手紙が託されていました。

光太郎第二の故郷、岩手花巻で光太郎顕彰に当たられている、やつかの森LLCさんよりの情報ご提供で……。

まず、同社がメニュー作成に関わり、
道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんで毎月15日に限定販売中の豪華弁当「光太郎ランチ」の今月発売分について。
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イカめし、時々無性に食べたくなります。そば粉のパンケーキは、光太郎の得意料理の一つです。

つづいて、同じくやつかの森LLCさんが、光太郎の日記等を元にメニュー考案に関わり、隔月刊誌『花巻まち散歩マガジンMachicocoマチココ』さんに連載中の「光太郎レシピ」について。来月10日発売の号が通算30号だそうで、それを記念して花巻高村光太郎記念館さんで撮影が行われたとのこと。
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ドカ雪ですね。
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メニューはパスタをメインに、
コーヒー、アップルパイ、ほうれん草のスープの組み合わせとのこと。「坪内逍遥のシェークスピアの本も添えて一人読書の雰囲気を」だそうです。

『マチココ』さん、花巻市内各所の協力事業所等で販売されている他、最近は盛岡市、北上市の書店さんなどでも取り扱っているようですし、オンラインで年間購読申し込みも可です。
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都内東銀座にある県のアンテナショップ「いわて銀河プラザ」さんあたりでも、取り扱いが始まるとなお良いのですが……。

最後に、IBC岩手放送さんで1月19日(水)に放映された「わが町バンザイ!」のDVDも送って下さいましたので、ご紹介します。
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光太郎が蟄居生活を送っていた旧太田村を含む花巻西南地区をぶらり散歩、ということで、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんからスタート。
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まずは撮影交渉。本当にアポなしなのでしょうか(笑)。
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壁の上部に光太郎肖像。
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安藤駅長、快くOK。
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タイトルコール。
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光太郎、賢治についての展示もあるインフォメーションスペース。
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ただ、安藤駅長が光太郎賢治について語った部分はカットされたそうで(笑)。

マルカン大食堂関連など、新商品等の紹介。
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これは存じませんでした。

道の駅テナントの焼肉店・味楽苑さん。
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光太郎が蟄居生活を送った山小屋(高村山荘)も紹介されました。
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そうでもないのですが(笑)。
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いい感じですね。

その他、光太郎も足を運んだ音羽山清水寺さん。
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さらに地元の農業法人さんや個人商店さんなどが取り上げられていました。

オンエアのあった日、当方、青森に行っておりました。宿泊した十和田市のポニー温泉さんでテレビをつけると、何とまぁ、9チャンネルだか10チャンネルだかが、IBC岩手放送さんでした。「ありゃま、十和田でも映るんだ」と、これは存じませんでした。オンエアされた時間帯には、もう青森を後にしていましたので、リアルタイムでは拝見できませんでしたが。

花巻といえば、詳細はまだ非公表ですが、来月下旬から花巻高村光太郎記念館さんで企画展示が予定されており、また協力させていただいております。一昨年に開催された企画展示で出品した、光太郎の父・光雲作の「天鈿女命像」を軸に、その他の新規寄贈品等も展示することになります。詳細が公表されましたら、またご紹介いたします。

【折々のことば・光太郎】

午后一時ラジオ婦人の時間で余の詩の朗読あり、きく、草野君解説、石黒達也朗読。

昭和26年(1951)12月13日の日記より 光太郎69歳

「草野君」は当会の祖・草野心平、「石黒達也」は俳優。

現在、NHKさんではラジオ第一放送で月1回、「保管されている貴重なラジオ放送音源やエッセンスをあらためてご紹介・再発見する番組」ということで「発掘!ラジオアーカイブス」という番組をオンエアしています。光太郎がらみではありませんが「婦人の時間」も取り上げられています。

この日の放送分が残っているかどうか不明ですが、他に光太郎の肉声が収められた「朝の訪問」などは残っており、ぜひ放送していただきたいものです。






1月11日(火)、『毎日新聞』さんの岩手版から。

「わんこそば」発祥は花巻 40年歴史追い続け結論 花巻の泉沢さん、研究成果自費出版 /岩手

000 「はい、じゃんじゃん!」。給仕の掛け声で、次々とおわんにそばが入れられる岩手名物のわんこそば。花巻市の泉沢善雄さん(68)はその歴史を約40年追い続けた。発祥の地を巡り「盛岡説」と「花巻説」で論争が続いたが、泉沢さんは自身の調査で「100%花巻」と結論付けた。
 花巻説は江戸時代前期の盛岡藩主・南部利直が花巻に寄った際、献上されたそばがおわんに盛られていたことに、盛岡説は大正時代の首相、原敬=盛岡市出身=が同市に墓参りで帰省した際に「そばは椀コに限る」と言ったことに由来。両市は互いに「発祥」を譲らなかった。
 泉沢さんは、店主らの聞き取りや郷土史の文献調査などで、明治時代に初めてわんこそばという名称で提供したのが花巻の「大畠家」だと突き止めた。一方、盛岡で広まったのは、戦後、盛岡のそば屋が大畠家を参考にして始めたことがきっかけだった。
 さらに盛岡で普及する前の1946年、詩人高村光太郎が知人に送った手紙に「花巻のワンコソバでも早く復活すればいい」という記述を見つけたのが決定打となった。「重要な証拠。2年ほど前に古本屋で偶然見つけたときはうれしかった」
  泉沢さんは県内の高校を卒業後、上京し銀行に勤務した。そばとの関わりは79年、体調を崩した母親のため25歳で花巻市のそば屋に転職したことから始まる。「いろいろな巡り合わせでそばと出合った」と懐かしむ。仕事にも慣れた83年ごろ、調査を始めた。
 研究成果をまとめた本を2021年8月に自費出版。「わんこそばの調査は終えた」と肩の荷を下ろす。今後は従来、関心がある宮沢賢治研究にいそしむつもりだが「新事実を見つければまた調べ始めるかも」。わんこそばとの縁は切れそうにない。

泉沢氏とわんこそばの件につきましては、昨年11月に『日本経済新聞』さんに取り上げられまして、このブログでも紹介させていただきました。

日経さんには、戦後、花巻の老舗そば店・嘉司屋さんに光太郎が訪れていたという記述があった程度でしたが、今回の記事によると、光太郎の書いた書簡にわんこそばに関する記述があって、それが花巻発祥説の根拠となったそうで、驚きました。

となると、泉沢氏のご著書にも光太郎に関する記述があるだろうと思い、調べてみました。題名は『わんこそば―その歴史と文化―』。昨年8月の刊行でした。県内の図書館さんやそば店さんに寄贈された他、花巻のマルカンビルさんや賢治の学校さんで販売、とのこと。先月、マルカンビルさん、賢治の学校さん双方に立ち寄りましたが、気づきませんでした。もう売り切れていたのか、そちらで販売されていることを知らなかったので見落としたのか、というところです。

また3月に花巻行きの予定ですので、その際に探してみようと思っております。地元の方々は、その前にぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

弘さんに風呂桶進呈の約束、


昭和26年(1951)11月13日の日記より 光太郎69歳

弘さん」は、光太郎が蟄居生活を送っていた、花巻郊外旧太田村の山小屋近くの開拓地に入植した青年。「風呂桶」は、昭和23年(1948)、村人や宮沢家の厚意で光太郎に贈られた物でしたが、薪を大量に使わなければならず、結局、あまり使われませんでした。

花巻に現存し、平成29年(2017)、花巻高村光太郎記念館さんで開催された企画展「光太郎と花巻の湯」で展示されました。
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定期購読しています『花巻まち散歩マガジンMachicocoマチココ』さんの第29号が届きました。
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裏表紙に連載中の「光太郎レシピ」。今号は「チキンソテーのきのこソース&林檎と胡桃のサラダ」。
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チキンときのこの組み合わせ、あまり見かけないような気がしますが、実に美味しげですね。

その他、巻頭特集は「橋のある風景」。光太郎が暮らした郊外旧太田村方面の「高村橋」が取り上げられていないのが残念ですが……。

「光太郎レシピ」企画に携わられているのが、やつかの森LLCさん。道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんで毎月15日に限定販売中の豪華弁当「光太郎ランチ」などにも関わられています。

今月15日に販売の分。
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マチココさんの「光太郎レシピ」、「光太郎ランチ」ともども、光太郎の日記や書簡、周辺人物の回想等から、光太郎が作ったメニューを分析、現代風にアレンジというコンセプトです。

それぞれ、末永く続いて欲しいものですね。

当方、今日、明日と一泊で花巻に行って参ります。

【折々のことば・光太郎】

日報の祓川氏来訪 講和の詩七日までにとの事。岩手川特撰一本もらふ。

昭和26年(1951)9月3日の日記より 光太郎69歳

日報」は岩手日報、「講和」は第二次大戦正式終結のためのサンフランシスコ講和条約を指します。9月8日が調印式でした。

」は、「岩盤に深く立て」。講和条約調印により、GHQによる占領体制が解除、日本の独立国家復帰がなされることを念頭に書かれました。

  岩盤に深く立て
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 四ツ葉胡瓜の細長いのをとりながら
 ずゐぶん細長い年月だつたとおもう。
 何から何までお情けで生きてきて
 物の考へ方さへていねいに教えこまれた。
 もういい頃と見こみがついて
 一本立ちにさせるという。
 仲間入りをさせるという。
 その日が来た。
 ヤマト民族よ目をさませ。
 口の中からその飴ちよこを取つてすてろ。
 オツチヨコチヨイといわれるお前の
 その間に合わせを断絶しろ。
 その小ずるさを放逐しろ。
 世界の大馬鹿者となつて
 六等国から静かにやれ。
 更生非なり。
 まつたく初めて生れるのだ。
 ヤマト民族よ深く立て。
 地殻の岩盤を自分の足でふんで立て。

世界の大馬鹿者となつて/六等国から静かにやれ。」あたり、戦犯として訴追されかねなかった自らに対する叱咤のようにも読めますね。

岩手川」は、地酒。まさかこれがギャラだったわけではないと思いますが(笑)。 

新刊書籍です。

近代文学叢書Ⅲ すぽっとらいと 珈琲

2021年11月22日 なみ編 虹色社(なないろしゃ) 定価2,500円+税

文芸作品と写真を集結
芳醇にして、つややかな闇 ―<珈琲>―
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【収録作品】
珈琲店より/高村光太郎 甘話休題/古川緑波 あばばばば/芥川龍之介
砂糖/永井荷風 大阪の憂鬱/織田作之助 鼻/ニコライ・ゴーゴリ
失われた半身/豊島与志雄 コーヒー五千円/片山廣子 田巻安里のコーヒー/岸田國士
白い門のある家/小川未明 雪の夜/織田作之助 カフェー/勝本清一郎
コーヒー哲学序説/寺田寅彦 判官三郎の正体/野村胡堂 老人と鳩/小山清
妙な話/芥川龍之介

いわゆるアンソロジー系、テーマは「珈琲」です。

光太郎作品は、明治43年(1910)の雑誌『趣味』に発表されたエッセイ「珈琲店より」。前年まで滞在していた、パリでの苦い思い出が綴られています。

初めにことわっておきますが、どこまでが実体験なのか、全てかもしれませんし、逆に、まったくの妄想かもしれません。または話半分かも……。モンマルトルの繁華街での深夜に、イカした(死語ですね(笑))三人の美女を見かけ、ふらふらと後をつける光太郎。女たちの入ったカフェに自分も入り、女たちと呑み始めます。「珈琲店」には「カフェ」とルビが振られていますが、酒がメインの店です。ひとしきり、女たちと盛り上がった後、そのうちの一人と一夜を過ごし……。

翌朝、コーヒーを飲みながら、目を覚ました女の青い瞳に、さまざまな物を連想します。インド洋の紺青の空、エーゲ海の海の色、ノートルダム・ド・パリのステンドグラス、モネの絵画、サファイア……。

そして自分も起き上がり、洗面台へ。すると……

熱湯の蛇口をねぢる時、図らず、さうだ、はからずだ。上を見ると見慣れぬ黒い男が寝衣(ねまき)のままで立つてゐる。非常な不愉快と不安と驚愕とが一しよになつて僕を襲つた。尚ほよく見ると、鏡であつた。鏡の中に僕が居るのであつた。
「ああ、僕はやつぱり日本人だ。JAPONAIS だ。MONGOL だ。LE JAUNE だ。」と頭の中で弾機(ばね)の外れた様な声がした。

3年半にわたる欧米留学で、最初の一年余を過ごしたニューヨークと較べ、パリでは人種差別的な扱いを受けることはなかったようですが、庶民一人一人の生活にまで「芸術」がしっかり根付いているフランスと、「芸術」を見る眼がまるで進んでいない旧態依然の日本との、目のくらむような格差には日々打ちのめされ続けていました。さりとて、故国を捨て、軸足をフランスに据え、完全にとけ込むことも、光太郎には出来ませんでした。

「珈琲店より」と同じ頃のエッセイ「出さずにしまつた手紙の一束」には、こんな一節も。

僕には又白色人種が解き尽くされない謎である。僕には彼等の手の指の微動をすら了解することは出来ない。相抱き抱擁しながらも僕は石を抱き死骸を擁してゐると思はずにはゐられない。その真白な蝋の様な胸にぐさと小刀(クウトウ)をつつ込んだらばと、思ふ事が度々あるのだ。僕の身の周囲には金網が張つてある。どんな談笑の中団欒の中へ行つても此の金網が邪魔をする。海の魚は河に入る可からず、河の魚は海に入る可からず。駄目だ。早く帰つて心と心をしやりしやりと擦り合せたい。

しかし、そうして帰った日本にも、「目覚めてしまった」光太郎には居場所がなく……。

まぁ、この辺りを論じだしたらきりがありませんし、ここではそれが目的ではありませんので、この辺にしておきます。

他に14人、15篇(芥川の作品が2篇ですので)の、「珈琲」にまつわる珠玉の名文集です。ところどころに挿入されている、「珈琲」がらみのモノクロ写真もいい感じで、シャレオツな一冊となっています。

ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

夜ビールをのむ。 松雲閣別館、 夜あつし。 午前より談話速記。今泉氏の質問に答へる形。

昭和26年(1951)8月27日の日記より 光太郎69歳

フランスではアブサンなども呑んでいた光太郎でしたが、後半生はビール党でした。「松雲閣別館」は、花巻温泉の高級旅館。建物は現存し、平成30年(2018)には国の登録有形文化財指定を受けました。

今泉氏」は、美術評論家の今泉篤男。この際の談話は、この年10月と11月の『中央公論』に、それぞれ「青春の日」「遍歴の日」の題で掲載されました。「青春の日」中には、やはりパリでの体験等が語られています。

1ヵ月前ですが、先月11日の『日本経済新聞』さんの文化面。花巻そば友の会元副幹事長・泉沢善雄氏の署名記事です。

「はい、ジャンジャン!」おかわり自由 わんこそばの謎 独特の掛け声で知られる岩手名物の歴史、四半世紀かけて調査

 「はい、ジャンジャン、はい、ドンドン!」。こうした給仕の掛け声とともに、一口大のそばを何杯もおかわりする岩手名物わんこそば。石川啄木や宮沢賢治の作品・日記にも、わんこそばらしきものを食べる記載がある。なぜこうした食べ方が生まれたのか。長く花巻のそば屋に勤めた私は、この謎を追い続けて四半世紀以上になる。
 意外に思われる方も多いだろうが、掛け声の中で食べる現在のスタイルが定着したのはそう古いことではない。1980年代前半、東北新幹線の暫定開業に合わせ、テレビ局が盛岡のそば店「東家」に取材に来た。静かにそばを給仕していると、ディレクターが掛け声を要望。女将さんがアドリブでやった「はい、ジャンジャン」がその後、定番となったのである。なお、全く同じではつまらないと、アレンジした掛け声を使う店も多くある。
 私は花巻の老舗「やぶ屋」に定年まで勤め、57年開始の「わんこそば全日本大会」にも裏方として長く関わった。若い頃から、大会の準備や打ち上げでご一緒した先輩方の話を書き留め続けた。今では亡くなった方も多く、貴重な記録になったと思う。
 90年代以降は図書館で古い文献を調べたり、花巻や盛岡の老舗を何件も訪ねて話を聞かせてもらったりと調査を続けた。花巻と盛岡にはそれぞれにわんこそば起源説がありライバル関係にあるともいえるが、純粋に謎を追っていることを伝えると皆さん快く話を聞かせてくれた。
 私が調べたところでは、わんこそばをメニューとして最初に出したのは花巻の「大畠家」。江戸時代から代々御用そばを任され、殿様や城代などにそばを提供した。明治になり、町民から「お殿様が召し上がったそばを食べてみたい」との希望があり、これに応えて提供したのがわんこそばの始まりとみられる。
 対して、盛岡で最初にわんこそばを出したのは「わんこや」(既に廃業)。戦後間もなく、何か名物をと考え、花巻に珍しい食べ方があると聞いて大畠家を視察している。大畠家の女将さんによると、作り方や給仕の方法を教えてあげたという。その後、盛岡のそば組合で「加盟店みんなで売ろう」という動きがあり、容器をそろえて売り出した。1杯いくら、ではなく食べ放題方式も盛岡で導入されたようだ。
 国分謙吉・岩手県知事(在任1947~55年)の時代に、県の要請で東京の物産展にわんこそばを出すようになり、岩手名物として全国に認知が広がった。こうした経緯を踏まえ、わんこそばの発祥は花巻、発展させたのが盛岡、と私は結論づけている。わんこそばの起源が、親戚が集まった席でおなかいっぱいになるまでそばをごちそうする「そば振る舞い」にあったのも間違いない。
 調査結果をまとめた本を2001年に出版。出版にあたっては、宮沢賢治や高村光太郎も訪れた花巻の老舗「嘉司屋」の4代目社長、佐々木喜太郎氏が強く応援してくれた。自分たちのしてきたことを後世に伝えたいという思いもあったろう。今夏には、新たな調査結果を加えた増補改訂版を出したところだ。
 わんこそばと似た食文化は全国のそば名産地にみられる。新潟県三条市の「サイメン」、長野県松本市の「とうじそば」、島根・出雲の「カケソバ」などなど。本で紹介する際、各地の詳しい方に手紙や電話でお話は聞いたが、コロナ禍もあり実際に訪れることはできていない。いつかは食べに行きたいものだ。
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花巻出身の力士も参加した1960年、第4回のわんこそば大会(岩手県花巻市の嘉司屋)

嘉司屋さんは、花巻市中心街・東町(マルカンビル裏手)にある、創業明治37年(1904)の老舗のそば屋さん。大正15年(1926)には、少し離れた末広町に支店も開店したそうです。昭和20年(1945)の花巻空襲で、本店が焼失、しばらくは支店のみで営業を続けていたとのこと。平成8年(1996)に元々本店があった現在地に戻ったそうですが、そうすると、記事にある「高村光太郎も訪れた」は、支店時代のことということになります。

このブログで毎日、最下部に書いています【折々のことば・光太郎】のために、岩手時代の光太郎日記を読み返しているのですが、残念ながら嘉司屋さんの名が見つかっていません。読み飛ばしてしまったか、読み返していない部分に記述があるのかも知れません。また、日記も脱落している部分が多いので(昭和24年=1949と25年=1950のほとんど、その他にもところどころ)、たまたまその間に嘉司屋さんに行ったとも考えられます。嘉司屋さんについて「ここに書いてあるよ」という情報がありましたら、御教示下さい。

来週末にまた花巻に行って参りますので、その際は嘉司屋さんに寄ってみようと思っております。もしかすると何か光太郎関連のものが残っているかも知れません。ちなみに光太郎が、わんこそばに挑戦したという記述は、日記以外の文献等も含めて見当たりません(笑)。

当方、学生時代に初めて花巻を訪れた際に、やはり老舗のやぶ屋さん(こちらは光太郎日記に頻出します)で、わんこそばにチャレンジしました。結果は61杯でリタイア。胃のキャパとしては、もう少しいけたような気がしますが、同じ味が延々続くのが耐えられなかったという感じでした。薬味やおかず的なものも饗されるのですが、それを早々に消費してしまったのが痛かったと思います(笑)。現在はどうだか存じませんが、当時のやぶ屋さんでは、わんこそば10杯が、通常のそば1杯ぶんだということでしたので、それでも6杯ぶんは食べたことになります。ちなみに仲間内で一番食べた男は、111杯でした(笑)。

胃腸に自身のある方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

十時頃校長さん平賀さん迎にくる、学校にゆく、CIEの映画につづきて余の談話一時間。聴衆は湯口、太田のP・T・A・の会員達其他、


昭和26年(1951)8月2日の日記より 光太郎69歳


学校」は、蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋から1㌔㍍弱の山口小学校。「CIE」は、GHQの部局の一つ、「民間情報教育局 (Civil Information and Education Section)」です。「Education Section」ということで、教育・宗教・芸術などの文化戦略を担当し、メディアの検閲や教育基本法制定に関与したそうです。映画の制作なども行っていたのですね。

昨日ご紹介した、宮城県女川町の「いのちの石碑」の件について、もう少し書こうと思っておりましたが、予定変更です。そちらの件は明日に廻します。

本日ご紹介するのは、光太郎第二の故郷とも云うべき岩手花巻で、光太郎顕彰活動にあたられている、やつかの森LLCさんの活動です。

まず、いわて花巻空港さんでのミニ展示。地方紙『岩手日日』さんから。

太郎もめでた美しき風景 やつかのもり 詩と写真展示

 彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)の顕彰活動に取り組む花巻市の合同会社やつかのもり(藤原正代表)は、展示会「高村光太郎と花巻」を同市東宮野目のいわて花巻空港ターミナルビルで開いている。光太郎が終戦後に7年過ごした高村山荘(同市太田)周辺を撮影した写真や、光太郎の詩をしたためた書作品など約20点を並べている。30日まで。
 光太郎の詩には、同山荘周辺の景色の美しさが描写されている。同展では、同社が2019~21年ごろに同山荘周辺で撮影した紅葉や雪景色などの風景写真と、「冬が来た」「牛」などの詩、同市四日市の安部勝衛さん(83)による書「岩手の人」を展示。光太郎の花巻での暮らしを紹介するパネルも設置した。
 藤原代表(70)は「光太郎の愛した風景を、詩に触れながら楽しんでもらいたい」と話している。
 開催時間は午前7時15分~午後7時30分(最終日は2時)。

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やつかの森LLCさんから送られてきた画像。
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紅葉
いい感じですね。写真は、写真集『山からの贈り物 やつかの森の四季』から採られたもののようです。また、後のパネルが木目を生かしたものであるのもいいと思います。昔ながらの白いペンキを塗ったベニヤに、丸い穴を無数に開けたタイプの無機質なものなどでは、せっかくの作品が生きません。

同じくやつかの森LLCさんが、昨年オープンした「道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)」さんのテナント「ミレットキッチン花(フラワー)」さんとのコラボで展開している光太郎ランチ。毎月15日のみ限定販売されている豪華弁当で、かつて光太郎が作ったメニューを現代風にアレンジしています。

今月分がこちら。
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小豆ご飯・牛カレー炒飯、ふろふき大根、鱈のムニエル、卵焼き、稗入り里芋と小松菜の和え物、舞茸の天婦羅、お新香、林檎のケーキだそうで。

末永く続いてほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

よみうり本社より山村亀二郎氏といふ人、支局の人と同道来訪、賞金十万円現金と、パーカー万年筆一本もらふ。


昭和26年(1951)5月31日の日記より 光太郎69歳

賞金」は、詩集『典型』による第2回読売文学賞のものです。光太郎、のちにこの十万円を、蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くの山口小学校と、地元青年団にそっくり寄附してしまいました。

パーカー万年筆」、もちろん健在なのでしょうが、ある意味、懐かしいですね。

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