戦時中から光太郎と交流があった埼玉県東松山市元教育長の故・田口弘氏が、昭和40年(1965)の連翹忌の集いで、やはり光太郎と深い繋がりのあった彫刻家・高田博厚と意気投合。その結果整備されたのが、東武東上線高坂駅前から伸びる高田の彫刻群を配した「高坂彫刻プロムナード」。光太郎胸像(昭和35年=1960)も含まれています。
その光太郎胸像が、『広報ひがしまつやま』の今月号で取り上げられていました。

作者は同市ご在住のイラストレーター・絵子猫さん。サンリオさんやポケモン系などのお仕事のかたわら、市の母子手帳表紙なども手がけられています。絵子猫さんの手に掛かると、武骨な光太郎像が何ともメルヘンチック(笑)。
絵子猫さん、昨年は、同市で開催された「彫刻家 高田博厚展2022」の関連事業として、彫刻プロムナード設置作品の数点を描かれ、ご講演もなさいました。

5月号にはやはり新作の「憩い」。
もうこうなると、プロムナードの全作品(32点)を描かれ、画集として出版(当然、市が補助をして(笑))していただきたいものです。
同市、昨年は大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場した比企氏ゆかりの街(同市は元々は比企郡松山町でした)として脚光を浴び、さらに今年はWBC(ワールドベースボールクラシック)日本代表チームの斬り込み隊長・ヌートバー選手の関係で有名になりました。お若い頃、ソフトボールをなさっていたヌートバー選手のお母さまが同市のご出身、現在もお祖父様とお祖母様は同市ご在住です。
「高坂彫刻プロムナード」、ぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
チエ子は病勢ますます募るので知人の周旋で品川のゼームス坂病院といふ病院へ先月末入院させました、実に可哀想でありません、其後小生家事整理に日を送つてゐますがさびしさ極まりありません。
心の病がもはやどうにもならなくなった智恵子、ついにその終焉の地となった南品川ゼームス坂病院に入院しました。
