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光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ青森県十和田湖でのイベントです。実は申込期間を過ぎてしまっていますが、キャンセル等があるかもしれませんのでよろしく。また、こういう取り組みもあるんだよ、ということで。

ONSEN・ガストロノミーウォーキング in カミのすむ山 十和田湖

期 日 : 2022年11月12日(土)
会 場 : 十和田湖畔休屋(青森県十和田市) 十和田湖休平(秋田県小坂町)
定 員 : 100名 (4枠×25名) ※定員になり次第締め切り
​資 格 : 6km程度の距離を歩ける方
      交通規則及び当イベントのきまりやマナーを守れる方
      年齢、性別等は一切問いません
時 間 :  9:00 受付開始 (十和田湖観光交流センター「ぷらっと」前)
       9:30 晴山獅子舞演舞開始(30分間)
      10:00 枠①スタート   (  9:45受付締切)
      10:30 枠②スタート   (10:15受付締切)
        晴山獅子舞演舞開始(30分間)
      11:00 枠③スタート   (10:45受付締切)
      11:30 枠④スタート   (11:15受付締切)
      15:00 ゴール締切 (十和田湖観光交流センター「ぷらっと」前)
料 金 : 大人・小人(小学生以上)同額 4,000円
       (ガストロノミー(お食事・飲み物)、温泉入浴券、傷害保険)

日本の魅力溢れる温泉地を舞台に、ゆっくりと歩く目線で、その地域の「食」「自然」「文化・歴史」を体感する「ONSEN・ガストロノミーツーリズム」。昨年度よりその趣旨で観光プログラムを取り組み始めて、検証を行なった一般社団法人十和田奥入瀬観光機構はこの度、一般社団法人ONSEN・ガストロノミーツーリズム推進機構が特別協力を担う日帰りイベントシリーズの「ONSEN・ガストロノミーウォーキング」に参入し、十和田湖畔温泉に特有の地域資源をウォーキングによって、一度に満喫できる「ONSEN・ガストロノミーウォーキング in カミのすむ山 十和田湖」を開催いたします。

11月12日(土)に行われる当イベントは、十和田湖畔休屋(青森県十和田市)及び十和田湖休平(秋田県小坂町)エリアの観光スポットを繋ぐ約6kmのコースを、ご参加者各自のペースで15:00までに歩いていただきます。沿道には美味しい地酒と、地元に根ざした食材にこだわった品数豊かな料理が用意され、ゴールではお土産として、地域の誇りの食材及びお菓子の配布がございます。十和田市伝統芸能の晴山獅子舞のご鑑賞や十和田神社のお参りより、この土地ならではの文化もぜひご吟味いただきたく存じます。ウォーキング後は入浴券を利用して、十和田湖畔温泉または奥入瀬渓流温泉に浸かり、お癒しの時間を過ごせます。

当イベントは国立公園である十和田湖の温泉地としての魅力を引き出し、多くの方にご体験いただくことで、地域の活性化を図っております。ご多忙の中、誠に恐縮に存じますが、ぜひご取材、ご紹介賜りますようお願い申し上げます。

ウォーキング距離:6km
所要時間:2〜3時間(温泉入浴時間は含まれておりません)
スタート/ゴール地点:十和田湖観光交流センター「ぷらっと」前 桟橋前広場
見どころ: 晴山獅子舞、十和田神社、乙女の像、十和田ビジターセンター など
※当日の天候等により、コースは予告なく変更する場合がございます。
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「乙女の像」もコースに含まれています。
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その他、雄大な自然を「めぐる」、十和田バラ焼きやヒメマスなどを「たべる」、そして温泉に「つかる」(温泉はコース設定に入って居らず、各自でだそうですが)。「るるぶ」ならぬ「るるる」ですね(笑)。
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これまで、一般社団法人十和田奥入瀬観光機構さんの主宰する冬のイベントは、令和元年度(2019年度)まで「十和田湖冬物語」、そして一昨年度、昨年度と「カミのすむ山 十和田湖 FeStA LuCe」として、それぞれ長期間の開催でした。しかし今年度は11月12日(土)の一発勝負のようです。昨年度の「カミのすむ山 十和田湖 FeStA LuCe」開催中に、コロナ禍第7波がズドンと来て大変なことになったのも影響しているのでしょうか。いずれまた旧に復してほしいものなのですが……。

【折々のことば・光太郎】

ひる頃水野清氏玄関まで、紀念碑や の紙持参、


昭和29年(1954)10月31日の日記より 光太郎72歳

水野清氏」は、親友だった作家・水野葉舟の子息。のちに政界に打って出、建設大臣、総務庁長官などを歴任されましたが、この当時はNHKさんに勤務されていました。令和元年(2019)に亡くなっています。

紀念碑」は葉舟の暮らした千葉成田三里塚に建てられた葉舟歌碑、「 の紙」(空白部分は一字不明)もそれに関わるかと思われます。元々光太郎が揮毫するはずだったのですが、体調がすぐれず断念、代わりに窪田空穂が筆を揮いました。

光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ、青森県十和田湖からの情報です。

状況をわかりやすくするために、まずABA青森朝日放送さんのローカルニュースから。ただし、先月のもので、「17日」は9月17日(土)です。

「十和田湖ひめます」を味わって! 17日からキャンペーン開催

地域団体商標に登録されている「十和田湖ひめます」の、認知度向上を図るキャンペーンが17日から始まります。
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12日は、「十和田湖ひめますブランド推進協議会」の佐々木千佳子会長たちがキャンペーンをPRしました。期間中、十和田市や秋田県小坂町にある27の認証店舗が提供するヒメマス料理を食べて応募すると、抽選で50人に2千円相当の特産品が当たります。
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こちらは、十和田食堂の「十和田湖ひめますづけ丼定食」です。
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【「十和田湖ひめますブランド推進協議会」 佐々木千佳子会長】
「(ヒメマスは)甘い、とにかく身が軟らかくて甘い、そして奇麗なピンク色というのはなかなか目にすることはないと思うのですよ」
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キャンペーンは、17日から11月6日まで行われます。
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というわけで、詳細は以下。

十和田湖ひめますを食べようキャンペーン

”十和田湖ひめます”の魅力を広く皆さんに伝えるため、十和田湖ひめます認証店によるキャンペーンを開催します。食べ比べをするなど、十和田湖ひめます料理の美味しさをご堪能ください。

また、期間中に十和田湖ひめます料理を食べて応募した方から、抽選で50名様に十和田市または小坂町の「特産品」をプレゼントいたします。

応募用紙は各店舗に備え付けてあります。

開催期間 9月17日(土)~11月6日(日)

参加店(全27店舗

参加方法
十和田湖ひめます認証店にて、十和田湖ひめますメニューを食べると、応募用紙がもらえます。アンケート、必要事項を記入の上、認証店に設置してある応募箱に投函し、応募してください。

主催 十和田湖ひめますブランド推進協議会(事務局:とわだ産品販売戦略課内) 0176-51-6743
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上記マップのPDFファイル中に「乙女の像」の語があって、当方の検索網に引っかかった次第です。ヒメマスに舌鼓を打たれたあとは、ぜひ「乙女の像」にも足をお運びください。十和田湖周辺は、今夏の大雨被害が大変でした。その復興支援にもなりますので、是非よろしくお願いいたします。また、これから紅葉シーズンですし。

ちなみに認証店のロゴは、「乙女の像」もモチーフとしているそうです。多少の無理くり感が否めませんが(笑)。
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「乙女の像」といえば、テレビ番組の再放送。

ニッポン美景めぐり 十和田・奥入瀬

BSフジ 2022年10月17日(月) 01:05〜01:33

日本の美しい景観を求めて、俳優・和合真一がカメラ片手に日本各地をめぐる旅番組。
今回の旅先は、青森県の十和田市。十和田ビジターセンターで十和田湖の歴史を学ぶ。名産のひめます料理やご当地グルメを味わう。美しい景勝地、奥入瀬渓流を散策。大自然が生んだニッポンの美景をご紹介。

旅人:和合真一  ナレーター:服部潤
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初回放映は昨年7月。さらにその後、繰り返し再放送されていますが、ご覧になったことのない方、ぜひどうぞ。こちらでもヒメマス料理が紹介されますし。

【折々のことば・光太郎】

午后奥平さんとお医者さん岡本氏とくる、診察してもらふ、尚毎月一度みてもらふつもり、

昭和29年(1954)5月16日の日記より 光太郎72歳

かなり前から結核の自覚症状があったにもかかわらず、「肺の毛細血管が弱いので……」などと、頑として認めなかった光太郎。しかし、もはや彫刻制作不可能となった体調に、とうとう白旗を揚げました。

奥平さん」は、美術評論家の奥平英雄。「お医者さん岡本氏」は、岡本圭三医師。この後で加わる他の医師ともども、その死まで光太郎の主治医として診察、治療に当たってくれました。

「踏んだり蹴ったり」とはこのことか、という感じです。

青森県十和田市の国道103号十和田湖畔子ノ口-宇樽部の3.5キロが、大雨による土砂崩れで全面通行止めとなっているそうです。

RAB青森放送さん、昨日のローカルニュース。

十和田湖観光に影響 子ノ口~宇樽部 通行止め

 先週の大雨の影響で土砂崩れが発生し十和田湖周辺の道路は通行止めが続いており観光に影響が出ています。
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 十和田市では12日の夕方から激しい雨が降り、十和田湖の子ノ口交差点から宇樽部までの国道103号が土砂崩れで通行止めになりました。
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 13日の午後には通れるようになりましたが同じ場所で土砂崩れが発生しその日の夕方から再び通行止めが続いています。
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 十和田湖には休屋地区の乙女の像などに行く予定だった観光客が訪れていましたが通行止めのため子ノ口で引き返していました。
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★観光客
乙女の像があるのでいけるかなと思ったんですけどもうそこで通行止めなのでしょうがないので子ノ口に来ました」
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「(通行止めは)途中で標識でわかりました 行きたいところに行けないのはちょっと残念かなと思いますね」
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 子ノ口にある「みずうみ亭」には売店や食堂を利用する人がいつもの年の半分ほどしかいないということです。
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★みずうみ亭 勝田和彦 社長
「この大雨の被害さえなければほんらいは押すな押すなの観光客でにぎわっている時期ですのでこの時期に通行止めなんてあるとがっかりです」
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 県はきょう午前から土砂の撤去作業を行っていますが通行再開のめどは立っていません。

ATV青森テレビさん。

大雨でルート寸断・十和田湖観光に影落とす

8月、津軽地方を中心に降った記録的な大雨は、青森県南地方にも被害をもたらしました。十和田湖周辺ではその前の週にも大雨被害が発生し観光に大きな影響が出ています。
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「夏の観光シーズンを迎えている十和田湖。ですがこちら、奥入瀬渓流とを結ぶ道路は今も通行止めが続いていて、多くの人の足に影響を及ぼしています」
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8月12日夜の雨で十和田湖畔では土砂が道路に流出し、現在も2か所で通行止めが続いています。このため青森市から休屋地区へ行くには、新郷村などを経由する必用があり、客足が遠のく原因になっていると言います。
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※十和田奥入瀬観光機構地域事業部 安藤巖乙(あんどう・いわお)部長
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「(この週末は)かなりお客さん多い時期だったので問い合わせは多かったですね。(十和田湖に)どうやって行ったらいいですかという問い合わせが多かったです」
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そして去年の倍の乗客を見込んでいた遊覧船は、8月3日と先週の2度の大雨でさらに大きな影響を受けています。
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※十和田観光電鉄 湯瀬功一(ゆぜ・こういち)さん
「お盆の帰省客にも期待していましたので少しずつ増えてきているという実感がありましたけれども、一番痛いのは土砂崩れと大雨の影響でしょうね」
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大雨被害でアクセスが不便になったことで、関係者は日程がタイトな団体客が敬遠すると見ていて、今後その影響は拡大しそうです。
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もう3年目となるコロナ禍の影響もあり、その上、今回の豪雨被害。衷心より御見舞い申し上げます。日本中、どこの観光地も程度の差こそあれ、似たような状況なのかな、という気もしますが……。

一日も早く平穏な毎日が来ることを願って已みません。

【折々のことば・光太郎】

汽車でめざめ、十時45分上野着、 伊藤氏藤島氏と地下で生ビール、モデルと別れる、伊藤氏と別れ、藤島氏とタキシで中野まで、十二時過ぎかへる、 小憩、 夫人にみやげもの進呈、

昭和28年(1953)10月25日の日記より 光太郎71歳

10月21日に行われた、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式に伴う青森行から、寝台車で帰京しました。「夫人」は貸しアトリエの大家・中西夫人です。

まず状況をわかりやすくするために、地方紙『陸奥新報』さん記事から。

教科書掲載の作家紹介/県近代文学館

 県近代文学館で特別展「教室で出会った文学」(9月19日まで)が開かれている。国語の教科書に掲載されるさまざまな文学作品は、子どもが文学の世界に触れる入り口でもあり、大人には懐かしい青春の思い出。同展は多くの教科書で取り上げられてきた森鷗外、夏目漱石、石川啄木、宮澤賢治、与謝野晶子、芥川龍之介、高村光太郎の7氏を第1部で、太宰治、三浦哲郎、寺山修司ら本県出身作家を第2部で紹介している。また黒石高校情報デザイン科の協力を得て作家たちのイメージイラストも展示されるなど、夏休みに子どもたちが楽しむことができる内容となっている。
 第1部では、森鷗外の「中村範宛書簡」や石川啄木の「金田一京助宛葉書」、宮澤賢治の「雨ニモマケズ手帳(複製)」、芥川龍之介の「自筆短冊」、高村光太郎の「桂月メダル」などが、貴重な初版本や当時掲載された雑誌などとともに展示。本県との意外な関わりを記した紹介文も目を引く。中でも与謝野晶子のコーナーでは、板柳町の歌人・安田秀次郎らの招きで、夫・鉄幹(寛)と夫婦で本県を訪れた際に書いた自作短歌の屏風(びょうぶ)も展示。見分けが付きにくいほどよく似た夫婦の直筆による多くの歌が詠み込まれており、貴重な展示物となっている。安田は、夏目漱石とも書簡のやり取りがあり、同書簡は本展が初公開。独自の町人文化が栄えた板柳町をはじめとする本県と、中央で活躍する文人との交流の深さが、第1部の展示から想像できる。
 第2部では、新課程の教科書に登場する本県出身作家に着目し、関連資料や最新の教科書などを展示。同館が調査した結果、圧倒的な数を誇ったのは、やはり太宰治で特に「走れメロス」は中学校の教科書すべてに掲載されているため、全国の中学生のいわば必読の書とも呼べる作品となっている。
 特別展では、来館者全員に黒石高校情報デザイン科作成のポストカードがプレゼントされるほか、夏休み期間中には小・中・高校生を対象にした「太宰治と文豪の秘密ガイドツアー」を実施。他にも「あおもり文学ゼミ『教室で出会った作家と青森』」、朗読劇「教室で出会った太宰作品メドレー」などのイベントが行われる。入館無料。問い合わせは同館(電話017-739-2575)へ。

というわけで、同展の詳細。

令和4年度特別展「教室で出会った文学」

期 日 : 2022年7月16日(土)~9月19日(月)
会 場 : 青森県近代文学館 青森県青森市荒川藤戸119-7
時 間 : 9:00~17:00
休 館 : 7月28日(木) 8月25日(木) 9月14日(水)
料 金 : 無料

 学校で使用する国語の教科書には様々な文学作品が掲載され、時代とともに掲載される作品も変化してきました。その中で、今も昔も多くの人に親しまれている作品や作家が存在します。
 今回の特別展では、青森県出身者という視点から離れ、教科書に作品が掲載され続けてきた7人の作家❶森鷗外(もり・おうがい)❷夏目漱石(なつめ・そうせき)❸石川啄木(いしかわ・たくぼく)❹宮澤賢治(みやざわ・けんじ)❺与謝野晶子(よさの・あきこ)❻芥川龍之介(あくたがわ・りゅうのすけ)❼高村光太郎(たかむら・こうたろう)を大きく取り上げ、青森県との意外な関わりについても紹介します。
 また、太宰治、三浦哲郎、寺山修司といった、教科書に作品が掲載されている青森県出身作家の関連資料や最新の教科書も展示します。

主な展示資料
 森鷗外   「中村範宛書簡」 「舞姫」初出雑誌 等
 夏目漱石  「安田秀次郎宛書簡」 前期3部作・後期3部作(初版含む初期の本)等
 石川啄木  「金田一京助宛葉書」3通(実物展示は7/16~8/24)等
 宮澤賢治  「雨ニモマケズ手帳(複製)」 『春と修羅』初版本 等
 与謝野晶子 「安田秀次郎宛書簡」 「自作短歌屏風」等
 芥川龍之介 『羅生門』再版本 『傀儡師』『芋粥』初版本 自筆短冊 等
 高村光太郎 『道程』初版本 「桂月メダル」(レリーフ) 自筆色紙 等
 教科書掲載の太宰治、三浦哲郎、寺山修司関連資料と、新課程の教科書 等
 その他、初版本や初出雑誌、自筆資料等、多数展示します。
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関連行事

来館者にポストカードプレゼント
 今回の特別展のポスター及びちらしのイメージは黒石高等学校情報デザイン科に制作していただきました。来館者の方々に、黒石高等学校情報デザイン科制作のイメージが印刷されたポストカードをプレゼントします。
※イメージを複数制作していただいたため、各作品を使用したポストカード(数種類)をご用意しています。
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第2回あおもり文学ゼミ「教室で出会った作家と青森」 令和4年7月31日(日曜日)
 今回の特別展で取り上げる7人の作家について紹介し、青森との意外な関わりを解説する講座です。
 時間:14時00分から15時00分
 会場:青森県立図書館4階研修室
 講師:青森県近代文学館室長
 参加無料 事前申込不要 当日は会場へ直接お越しください。

朗読劇「教室で出会った太宰作品メドレー」 令和4年8月21日(日曜日)
 津軽地方を中心にドラマリーディング(朗読劇)上演活動を続けている声優劇団「津軽カタリスト」が、教科書に掲載されてきた「走れメロス」や「葉桜と魔笛」等、太宰治の作品の朗読劇を行います。
 時間:14時00分から15時20分
 会場:青森県立図書館4階集会室
 当日はYouTube( 津軽カタリストのチャンネル )でLIVE配信も行います。
 観覧無料 事前申込不要 当日は会場へ直接お越しください。

夏休み企画「太宰治と文豪の秘密ガイドツアー」
 夏休み期間中(7月22日~8/23日)、毎日3回ずつ、対象年齢に合わせた展示の解説を行います。
 小学生 10時~  中学生 14時~  高校生 16時~
 ※この時間以外にも、ご希望に応じて解説いたします。
 ※保護者や教職員、一般の方もご参加いただけます。

というわけで、主に若い世代を対象とした感じですが、はるか昔に「教室」を巣立たれた皆様もぜひどうぞ(笑)。

光太郎に関しては、まず『道程』初版本。大正3年(1914)、200部ほど自費出版で作られ、光太郎によれば、嘘かまことか、書店を通じてきちんと売れたのは七冊だけだったそうで、現在残っているものは、光太郎が友人知己に献呈したものがほとんどと考えられます(当方も一冊持っていますが)。それでも残本が多く、中身はそのままに奥付と外装を換えて何度か刊行されました。国会図書館さんのデジタルデータで公開されているものは、大正4年(1915)の改装本です。オリジナルの形で残っているものは、刊行後に関東大震災や太平洋戦争があったことを考えると、数十冊あるかないかと思われます。
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「桂月メダル(レリーフ)」。昭和28年(1953)10月、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式の際に関係者に配付されたもの。小品ではありますが、完成作としては光太郎最後の彫刻作品です。
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それから、「自筆色紙」。こちらは詳細不明です。やはり「乙女の像」の関連で、現地の関係者に揮毫して贈呈したものかな、と思われます。

それから「等」。光太郎本人の書ではありませんが、詩「道程」を大書した作品が展示されている模様です。
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ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

十和田休屋によき敷地を見つけて台石建設の万般の手筈を終わりし由、

昭和28年(1953)8月19日の日記より 光太郎71歳

「乙女の像」についてです。原型は既に完成していましたが、設置場所は宙に浮いた格好になっていました。というのも、元々この事業に関わっていた地元の怪しげなボスと旧厚生省の外郭団体のドンが、プロジェクトから外される形となり、その腹いせに当初建設予定地の子の口(ねのくち)への設置はまかり成らん、と、横槍を入れてきたためです。いつの時代にもこういう輩がいるのですね(笑)。

それに対し、像を含む公園全体の設計を担当した建築家・谷口吉郎、光太郎の身の回りの世話等も行っていた詩人の藤島宇内が再度十和田湖に出向き、現在の設置場所である休屋御前ヶ浜にいい感じの場所を見つけ、交渉を済ませてきたというわけです。

直接は光太郎とは関わりませんが……。

まず『スポーツニッポン』さん。5月24日(火)掲載分です。

アントニオ猪木氏 自身と同じ1メートル90の墓を青森に建立 亡き妻納骨 中央には「道」の刻印

107 元プロレスラーのアントニオ猪木氏(79)が青森県十和田市に「アントニオ猪木家の墓」を建立した。建立式を22日に行い、19年に亡くなった妻・田鶴子さんの納骨などを済ませた。墓は夫妻がよく訪れた蔦温泉旅館の近くにある。墓の高さは猪木氏の現役時代と同じ1メートル90。中央には「道」、さらに猪(いのしし)と木の絵などが刻まれた。
 関係者によると、全身性アミロイドーシスで闘病中の猪木氏は、式典で出席者らに謝辞を述べ、最愛の人を見送ったという。

蔦温泉は明治の文豪・大町桂月が愛し、晩年には本籍地も移し、さらに桂月の墓も建てられた場所です。

光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」は、元々、十和田湖の景勝美を世に広めた桂月と、道路整備等に腐心した元青森県知事・武田千代三郎および地元の村長・小笠原耕一の「十和田の三恩人」を顕彰するものでした。そこで、光太郎は十和田湖に「乙女の像」制作のための下見に行った昭和27年(1952)、蔦温泉にも立ち寄って、桂月の墓参をしています。当方も一度、お参りさせていただきました。また、桂月の墓の傍らには、昭和9年(1934)に建立された武田と小笠原を顕彰する碑「両先醒芳躅記念碑」も現存します。

猪木氏、この一角にお墓を建てられたそうです。画像は十和田の観光情報サイト「とわこみゅ」さんから。
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左から「アントニオ猪木家の墓」、「両先醒芳躅記念碑」、そして桂月の墓です。

猪木氏、亡き奥様ともども蔦温泉を何度も訪れていたということで、蔦温泉を管理してきた小笠原家からこの場所を提供してもらったようです。現在、旅館は小笠原家の手を離れてしまったようですが。

スポーツ誌『Number』さんのサイトにも記事が出ていました。

アントニオ猪木79歳はなぜ青森に「墓」を建立したのか? 病との闘いと亡き“ズッコさん”への思い「まだ、お迎えが来てくれないよ」

 2022年5月22日、アントニオ猪木は青森県十和田市の蔦温泉にいた。周囲には八甲田の山々がそびえている。
 猪木には、やっておかなければならない一つの人生の行事があった。長いこと自宅の仏壇に置かれていた妻・田鶴子さん(通称ズッコさん)の遺骨を墓に収めることだ。
 青森県の山中の静かな温泉地にその墓は作られた。場所を決めたのは猪木だった。猪木の無類な世界観によって、あえて青森の蔦温泉に行きついたのかと、筆者は驚愕を覚えた。それは生まれ育った横浜でも、東京でもなく、ブラジルでもパラオでもアラビアの砂漠でもなかった。

「アントニオ猪木家の墓」の全貌とは
 新しい「アントニオ猪木家」の墓は蔦温泉の近くに建立された。渓流沿いの小路から少し歩いて20メートルほど続く不規則な階段を上がると、正面には愛する蔦温泉で56歳の生涯を終えた明治~大正期の文豪・大町桂月の墓がある。隣にはこの健脚の「酒仙」大町と共に十和田開発に貢献した武田千代三郎(元青森県知事)、小笠原耕一(元十和田村村長)らの記念碑もある。
 その奥にできたのが「アントニオ猪木家」の墓だ。石碑を覆っていた白い布が取り払われた。
 正面には「道」という大きな文字が見える。その左には縦に「アントニオ猪木家」。手前の右内側には「道」の詩の全文が刻まれて、左内側の墓誌には「猪木田鶴子」という名前が一つだけある。その次に刻まれる名前が「アントニオ猪木」なのか「猪木寛至」なのか、筆者は知らない。本人に聞いてみようかな、とも思ったが、あえて聞かないことにした。
 雪解け水を含んだ新緑の渓流のせせらぎに、カエルたちの合唱が重なる。豊かな自然を感じることができ、心安らぐ場所だ。
 午前11時過ぎ、暗くなった空から少し雨が落ちてきた。「猪木さんもズッコさんも、晴れ男・晴れ女なのに、雨?」という声も聞こえた。

「もう少し元気になった姿を」と猪木は言った
 ズッコさんが亡くなったのは2019年8月だったから、もう3年近く前になる。2人はこの温泉が気に入って、都会の喧騒から遠ざかるように、何度も静かな時をここで過ごしていたという。
 今の猪木は多臓器不全を引き起こすアミロイドーシスという深刻な病を抱えている。「まだ、お迎えが来てくれないよ」とか「もういいじゃないか、猪木」という古舘伊知郎さん的な言葉を自分に投げかけてもいる。でも、それは額面通りの言葉ではなくて、逆に「もう少し、生きてやるよ」という意思表示のように筆者には聞こえる。猪木は寡黙に戦っている。
 目の前には、瞳を閉じて悲壮感すら漂わせてリハビリを続ける猪木がいる。体調を示すさまざまな数字とも戦いながら、積極的にうまいものを食べようとする猪木がいる。
 車イスに乗った猪木に「元気ですか」という言葉はもう似合わないのかもしれない。「どうせ、よくはならないから」と猪木は自虐的な言葉まで発して、ちょっと笑ってみたりもする。それでいて「もう少し元気になった姿を皆さんに見せないとね」と相変わらずのサービス精神も忘れていない。
 あれだけの強靭さを誇った猪木の肉体が老人のものになったことは否定できない。人は誰でも歳を重ねる。なにせ79歳だ。でも、「闘魂」が猪木から消えうせることはない。それを「静かな闘魂」と筆者は呼ぶ。もし、不老不死の妙薬があるというなら、人体実験でもいいから真っ先に猪木に飲んでもらいたいと思う。「飲みますか」と聞いたら、「ああ、いいですよ」と猪木は言うだろう。生きたいからだ。
 今の猪木にとって東京から青森まで移動するということはある意味大きな戦いであり、挑戦だ。仙台でブレイクを挟んだとはいえ、長距離の移動はかなりの疲労とリスクを伴う。自宅やお気に入りの都内のホテルで過ごす日々とは違う。
 かつて飛行機に乗って地球の裏側のブラジルと日本を日常のように往復していた時代の猪木を知る人ならば、「青森なんてほんの数時間の距離でしょう」と言いたくもなるだろう。
 だが、自由に動かなくなった体という事実は、そんな言葉さえ打ち消してしまう。

かつて猪木が語っていた死生観「砂漠に消えるのがいい」
 蔦温泉旅館に入ると、壁に額がかかっている。「つたえ歩きで」という名の詩だ。
 「風呂場からゆぶねに浸かれば あつい熱が心地よく体のしんへと入ってくる 汗ばんだ体を水風呂につかれば 小さなことはふきとんで 気分は天国 杖をわすれて廊下を歩く 千年の温 蔦温泉」(原文ママ)
 猪木が詠んで自ら書いたものだ。
 波乱万丈の人生を歩んできた猪木もまたここにたどり着いたのか、と思ってしまった。
 かつて猪木は死を語るとき、「足跡を消したい。砂漠の砂の中に消えるのがいいな」と言っていたが、こうして「アントニオ猪木家」の墓を作ってしまった。それも青森の山中だ。
 しかし、猪木家ではなく「アントニオ猪木家」というのが猪木らしいかな、とも思った。お墓が好きな人はそんなにいないだろうが、ある年齢を迎えると、そういうことを考えるようになるのだろう。
 前日、筆者は蔦温泉から車で30分ほど離れたところにある八甲田山中の温泉宿・ホテル城ヶ倉に泊まった。この宿の廊下にも猪木の書いた文があり、また前の敷地にはズッコさんの記念碑があった。
 そこには「鶴」という大きな文字とズッコさんが使っていた小さな手鏡がレイアウトされていて、猪木の言葉が続いていた。
「花に嵐のたとえがあるように さくらの花のように散っていた ズッコ いつまでもいつまでも 皆んな心の中で生きてるよ」
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お墓には猪木氏の座右の銘的な「道」も。
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元は僧侶にして宗教学者の清沢哲夫が昭和26年(1951)に発表したものです。

この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし   
踏み出せば その一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ

光太郎の「道程」(大正3年=1914)と通じるものがあると夙に指摘されています。清沢が「道程」を意識したのかどうかは、当方寡聞にして存じませんが。

もしかすると猪木氏、ご自身の愛された蔦温泉、大町桂月等十和田の三恩人、光太郎、「道」、「道程」、そのあたりの関連も考えられて、この地を選んだのかも、などと想像してしまいます。

いずれはここも十和田の新たな観光名所の一つとなるのかも知れません。そうなることで、大町桂月等十和田の三恩人や「乙女の像」、そして光太郎にもまたスポットが当たってほしいものですが、ただ、猪木氏にはまだここには入っていただきたくないものですね。

ちなみに奥様の納骨式の様子、YouTubeに上がっています。再生回数既に170万回超だそうで。



猪木氏の歌う「木蘭の涙」、泣けますね。

【折々のことば・光太郎】

昨夜雪ふる、うすい初雪、 あたたか、


昭和28年(1953)1月8日の日記より 光太郎71歳

「乙女の像」制作のため、前年秋に帰京して初の雪。それまで7年を過ごした花巻郊外旧太田村の豪雪とは較べようもありませんが、それでも岩手時代を思い出したことでしょう。

新刊です。

近代を彫刻/超克するー雪国青森編

2022年3月28日 小田原のどか著 書肆九十九合同会社 定価2,200円+税

2021年冬、国際芸術センター青森[ACAC]主催にて開催された「小田原のどか個展 近代を彫刻/超克するー雪国青森編」の展覧会図録、刊行。

雪中行軍遭難事件、工部美術学校と東京美術学校、ロダンと高村光太郎、模型、義手、墓碑、彫像、慰霊碑──。彫刻と近代の分岐点としての、青森・八甲田。「創造的断層」が立ち現れる。
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目次:
 ◎はじめに
 ◎図版[撮影:小山田邦哉]
 ◎本展のためのキーワード集[執筆:小田原のどか]
 ◎論考「彫刻の来た道:「国民のはじまり」をたどる」[執筆:小田原のどか]
 ◎作品リスト
 ◎関連作家プロフィール
 ◎小田原のどかと巡る青森[執筆:慶野結香]
 ◎関連イベント
 ◎展覧会情報
 ◎謝辞

3月刊行ということで、すぐ注文しましたが、つい先日届きました。昨年12月から今年1月にかけて(本来2月まででしたが、コロナ禍のため会期短縮)、青森市の青森公立大学国際芸術センター青森 [ACAC]さんで開催された彫刻家・小田原のどか氏の個展「近代を彫刻/超克するー雪国青森編@ 国際芸術センター青森」図録という位置づけです。なざぜ会期終了後の発売なのかよくわからないのですが……。

同展、八甲田山系を挟んで南北に位置する二つの彫刻――大熊氏廣作「雪中行軍記念像(歩兵第5連隊遭難記念碑)」(明治39年=1906)と高村光太郎作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像 昭和28年=1928)」――それぞれへのオマージュでした。

光太郎より一世代前で、十分にその基本構想を果たせないまま閉校となった工部美術学校出身の大熊と、その創立が工部美術学校のアンチテーゼとしての側面も持つ東京美術学校出身の光太郎。この二人が「欧化と国粋のはざまで揺れ続けた、この国の近代彫刻史の裏と表」、そして先述の二像を「八甲田山の両側に立つこれらの彫刻の足元には、創造的断層が走っています。それは、ありえたはずの彫刻の分岐点です。」「八甲田の山並みは彫刻史の起伏と重なり、彫刻は歴史の定点観測装置に転じます。」としています。

ロダニズムの洗礼を受けていない大熊、もろにロダンと向き合わざるを得なかった光太郎、その点以外でも、二人の一世代の差は、当時の社会的状況の中、近代化や戦争の問題等、ジェネレーションギャップを生んでいます。そういう意味ではまさに「創造的断層」ですね。そして小田原氏が以前から取り組まれている、公共彫刻のあり方という問題でも、この二像にはそれぞれに一つの答えが包摂されていると思います。そんなことも感じつつ、当方、1月に同展を拝見して参りました。特に大熊の「雪中行軍記念像(歩兵第5連隊遭難記念碑)」については、当方、ほとんど知識がありませんでしたので、興味深く存じました。
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今回の書籍(図録)も、「雪中行軍記念像(歩兵第5連隊遭難記念碑)」の方にウェイトが多くかかっているように感じます。反面、「乙女の像」や光太郎についてはもう少し調べていただきたいな、という感があります。小田原氏が昨年刊行された『近代を彫刻/超克する』でも、戦時の金属供出に遭った光太郎の公共彫刻の存在をご存じないまま書かれていたようですし、今回のものでも「「乙女の像」が光太郎最後の彫刻作品」「台座の石は福島産」と、ネット上などにも散見される誤った記述が為されています。光太郎最後の彫刻作品は、小品ではありますが、「乙女の像」除幕の際に関係者に配付された「大町桂月記念メダル」です。
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台座の石は「折壁石」で、折壁石というブランド名は岩手県東磐井郡室根村(現・一関市)の折壁地区で採れたことに由来します。ところがネット上ではいまだに「福島産」となっているサイトが多く、閉口しています。「折壁石」、かつては日本橋三越さん等にも使われ、しかし現在ではほぼ枯渇してしまいました。「乙女の像」を含む一帯の設計に当たった建築家・谷口吉郎が「石材は福島県産の折壁石」(「十和田記念像由来」『高村光太郎と智恵子』昭和34年=1959所収)と書いてしまったことが原因で、勘違いが起こっているようです。まず「福島県産の折壁石」というのが矛盾しています。

谷口は「湖畔の像」(雑誌『文学散歩』第10号 昭和36年=1936)では、こんなことも書いています。

 私は、このモニュマンが年月のために、あまり、わびしい姿になるのを好まなかったので、台座の表面には、福島産の黒ミカゲを張ることにした。これなら、光沢のある肌にコケがすぐはえる心配もなく、変色もない。
 そのことを草野心平氏に話すと、「福島県の石なら、智恵子さんの故郷だから、それがいい」と、すぐ讃意を得た。心平さんも福島の産だった。


105ここでは「折壁石」が「黒ミカゲ」に変わっています。それでは、先に「折壁石」と書いたのが誤りだったのかというと、そうではありませんでした。「乙女の像」の設置工事の監督を務められた当時の青森県技師・小山義孝氏の証言によれば、これは間違いなく岩手県産の「折壁石」であるということでした。氏はサンプルとして渡された「折壁石」の石版を永らく保管されていましたが、終活の一環として寄贈され、現在、このサンプルは十和田湖畔の観光交流センター「ぷらっと」に展示されています。『十和田湖乙女の像のものがたり』(平成27年=2015 十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会編)所収、寄贈の際の小山氏の談話。

 こちらは、台座の石でございます。名前は折壁石と申しまして岩手県産のものでございます。(略)見た目は黒っぽくて御影石ということになるんでございましょうけれども、ちゃんとした名前になりますと折壁花崗閃緑岩。閃緑岩というのは地球の古い地質から出て来るものでございますが、北上山地・北上山脈の南の方で尽き果てる所で地表に現れたのではと推測しています。
 それで、折壁石が使われているところは東京の三越デパートの床や壁、それから国会議事堂にも使われておりますよと。ところが十年位前には採り尽くしてしまい現在はもうほとんどないそうです。要は、名品なんですね。


なぜ「岩手産」が「福島産」に間違われてしまったのか不明ですが、一度その誤りがある程度定着してしまうと、なかなか真相が表に出て来ない、そういう例ですね。こうした件は光太郎智恵子がらみでいくつもあり、このブログ等で必死に配信しているのですが、なかなか正しく伝わりません。

閑話休題、そういった点を差し引いても『近代を彫刻/超克するー雪国青森編』、好著です。ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

午后古田晁氏来る、詩人叢書のこと、承諾、中山義秀氏に解説をたのむこと、

昭和27年(1952)12月13日の日記より 光太郎70歳

古田晁」は筑摩書房社主。「詩人叢書」は、翌年三月刊行の『現代日本名詩選 道程・典型』。小説家の中山義秀が解説を書いています。中山には「智恵子抄」を一つのモチーフとした短編「生ける魂」(昭和18年=1943)があり、それをめぐって光太郎と書簡のやりとり等がありましたし、中山の回想文も残っています。

この時、解説文執筆者として中山を推したのが古田なのか光太郎なのか、日記の文脈だけでは不分明ですが……。
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昨日はNHKさんのアーカイブ的な活動についてご紹介しましたので、ついでというと何ですが、NHKさんがらみで。

手前味噌で申し訳ありませんが、先月中旬、NHK青森さんで放映されているロカールワイド「あっぷるワイド」に、当方がビデオ出演させていただきました。

青森と言えば、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」。そこで、ウクライナ危機にもからめ、「戦争」、「平和」といったキーワードから、像に込めた光太郎の思いなどを掘りさげるというコンセプトでした。

放映後にDVDに焼いたものを送って下さいまして、拝見。、10分弱の尺で、そういう話を事前に聞いていた段階では、少し短いかな、と思っていたのですが、なかなかどうして濃密な内容でした。

放送をふまえ、NHK青森さんのサイトに、「"わが詩をよみて人死に就けり" 高村光太郎 ~「乙女の像」に込めた願い~」というページが設けられました。そちらをご覧いただければそれで終わりなのですが(笑)、一応、概略を。
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まずは十和田湖。当方もお世話になっています、現地のボランティアガイドの方がご出演。十和田湖を訪れた皆さんに、こういう説明をなさっているそうで。
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そして千葉の当方自宅兼事務所。八戸支局からディレクター氏とカメラさん、音声さんがわざわざ取材にいらっしゃいました。
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特に戦時中の光太郎について語って欲しいというので、手持ちの資料等お見せしながらべしゃくりました。
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光太郎の翼賛詩「十二月八日」詩稿。複製ですが。
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先日まで放映されていた朝ドラ「カムカムエブリバディ」でも使われた、光太郎作詞の国民歌謡「歩くうた」関係。

歌をバックに、こんな映像も。この手のアーカイブ映像はNHKさんの得意とするところですね。
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学徒出陣で海軍に招集された方が書いて貰った日章旗寄せ書き。光太郎も一筆したためています。
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そして戦後、ということで、光太郎が7年間の蟄居生活を送った花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)。
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ここで光太郎は自らの戦争責任と向き合いました。
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そして、昭和27年(1952)、青森県から十和田湖周辺の国立公園指定15周年記念モニュメントの制作依頼。それが「乙女の像」です。
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サンフランシスコ講和条約により、GHQの占領は解除、日本の独立国家としての復権がなった時期でもあり、芸術家が再び自由に制作をできるようになったことも、像の制作を決意した一因でしょう。

「小山さんは「肺結核を患い、もう長くは生きられないことを自覚していた高村は、みずからの“道程”の集大成として、高村が生涯をささげた“美”と最愛の妻 智恵子への“愛”、そして戦争の経験から来る“平和”の象徴となる像を、『智恵子観音像』という形で制作した」と言います。」だそうで(笑)。

そして厳しい自己省察、反省を経ての、光太郎の到達点。
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引用されているのは詩「新年」(昭和23年=1948)の一節です。

こうした光太郎の願いが実ることなく、ロシアによるウクライナ侵攻……。また、その報道の陰でかすんでしまっていますが、シリアやミャンマーなどでも戦火が絶えたわけではありません。人類一人一人が、「平和」についてもっともっと考えなければならないと存じます。
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ところで、そうした意味も含め、NHK青森さんのこのレポート、BS放送などででも、ぜひ全国ネットの電波に乗せていただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

午前モデル、 小坂さんくる、此のモデルを今年一ぱい契約する。

昭和27年(1952)11月12日の日記より 光太郎70歳

「モデル」は、「乙女の像」制作に際し雇ったプール・ヴー美術研究所所属のモデル、藤井照子。「小坂さん」は、光太郎の助手として粘土こねなどを行ってくれた小坂圭二です。

結局、契約は延長され、翌年も藤井がモデルを務めています。ただ、完成した像の顔は智恵子の顔。光太郎自身は公的には「智恵子の顔」とは言いませんでしたが。

おまけ

手前味噌ついでに……。このブログ、平成24年(2012)5月3日に開設しまして、今日で丸10年です。10年間、1日も休まず投稿し続けました。まぁ。時折、前日に書いておいて翌日に予約投稿、などというインチキもありましたが(笑)。

10年間、投稿出来ないほどに体調を崩すこともなく、また、世の中が投稿出来ないほどに乱れることもなく(投稿を始めた前年が東日本大震災でしたが)、「平和」であることのありがたさを噛みしめております。

今後、何年間、投稿が続けられるのか、というところですが、引き続きよろしくお願い申し上げます。

青森レポートの2回目です。
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1月19日(水)朝、宿泊させていただいたポニー温泉さんを後に、この日も十和田湖奥入瀬観光機構の方の車に乗せていただき、青森市を目指しました。

途中で見た八甲田山。この日も快晴で、「こんなにきれいに見えることはめったにありませんよ」だそうで。
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車は奥入瀬渓流からその八甲田山中に入り、徐々に山頂が近づいてきました。
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山頂付近には樹氷。沿道の木々も樹氷に近い状態。
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全県一円が東京スカイツリーより低い(笑)千葉県民には、実に新鮮な風景です。

峠を越えると、津軽富士こと岩木山もその偉容を現しました。
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最初の目的地、国際芸術センター青森[ACAC]さんに到着。やはり雪に覆われていました。
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こちらで、彫刻家・小田原のどか氏の個展「近代を彫刻/超克するー雪国青森編@ 国際芸術センター青森」が開催中です。
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八甲田山の南北に位置する、2つの近代彫刻、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」と、大熊氏広作の「雪中行軍記念像(歩兵第5連隊遭難記念碑)」へのオマージュです。

「雪中行軍」というと、我々の世代は、新田次郎の小説『八甲田山死の彷徨』や、それを原作とした高倉健さん主演の映画「八甲田山」などで、概略を存じていますが、光太郎の東京美術学校在学中の明治35年(1902)、青森の陸軍第8師団の歩兵第5連隊が雪中行軍演習中に遭難し、210名中199名が凍死した事件です。

ちなみにこの日、八甲田山を越えて青森市に入った当方ですが、遭難現場周辺も通りました。関連施設などもあるそうでしたが、冬期閉鎖ということでした。

大熊氏広作の「雪中行軍記念像(歩兵第5連隊遭難記念碑)」は、生存者の一人、後藤房之助伍長をモデルにしたものです。後藤は雪中で直立したまま仮死状態で発見され、その後、一命はとりとめたとのこと。
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会場に入ってすぐ、やはり生存者の一人・小原忠三郎伍長の義手(後藤も小原も救出後、壊死した手を切断したそうで)と、乙女の像のポストカードが並べられていました。これにより、展覧会全体の概要を象徴する、という意図なのでしょう。
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会場手前の方は、「雪中行軍記念像(歩兵第5連隊遭難記念碑)」関係が中心。
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十和田湖観光交流センターぷらっとさんに光太郎胸像を寄贈された、田村進氏作の模刻も展示されていました。
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所狭しと並んだ角柱状の作品は、遭難死した兵士たちの墓標をモチーフにしたもの。「幸畑墓苑」の名で、遭難現場近くに実物が現存しているそうです。現在は雪に埋もれていますが。
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後半は乙女の像関連を中心に。やはり土産物のミニチュアに混じって、十和田湖の像の除幕後、光太郎から青森県に寄贈された小型試作(右手後方ガラスケース内)も並んでいました。鋳造は像本体と同じく伊藤忠雄です。
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赤く光っているのは、一昨年、東京藝術大学大学美術館陳列館での「PUBLIC DEVICE -彫刻の象徴性と恒久性-」に小田原氏が出品された作品。
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光太郎の訳著『ロダンの言葉』普及版(昭和4年=1929)の表紙に用いた、ロダンの素描がモチーフです。
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光太郎、同じデッサンを、遡って明治43年(1910)、親友の水野葉舟の小説集『おみよ』のカバーにも使おうとしました。ところが同書はこのデッサンのために「風俗壊乱」とされて発禁処分(笑)。

ところで本展、大熊氏広と光太郎という、ほぼ一世代異なる二人の対比、という側面も強調されていました。
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大熊は日本近代彫刻の黎明期、工部美術学校に学び、わが国銅像のほぼ最初の作「大村益次郎像」を作ったことで歴史に名を残しました。大熊らの世代はロダンを学ばず、その前の世代のきれいな彫刻を範としていました。そのため、光太郎の大熊評はさんざんです。ちなみに千葉の当方自宅兼事務所から徒歩10分程のところに、大熊作の郷土の偉人・伊能忠敬像が現存しています。

さて、皆様、ぜひ足をお運び下さい、と言いたいところですが、新型コロナ変異株の蔓延による措置として、2月13日(日)までの開催予定だった同展、1月23日(日)で閉幕だそうです。まったく、いつまで続くコロナ禍ぞ、ですね……。それにしても、打ち切り前に拝見できたのはラッキーでした。

その後、当初予定にはなかったのですが、時間があったので市街に出て、棟方志功記念館さんに案内していただきました。
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志功と光太郎、直接の交流はなかったようですが、当会の祖・草野心平は志功とのコラボがたくさんありました。

館内、志功作品は撮影可。
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それから撮影不可でしたが、光太郎と関係の深かった高田博厚作の志功銅像がありました。それは存じませんでしたし、つい最近、高田にも関わる市民講座の講師を務めたばかりでしたので(後ほどレポートいたします)「おお」という感じでした。

昼食後、ここから羽田へ飛んで千葉に帰る手筈で青森空港さんへ。

昨年、除幕披露された三沢市ご出身の森本千絵氏による幅11メートルの大型ステンドグラス「青の森へ」を拝見するのも今回の青森行の目的の一つでした。
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中央付近、乙女の像もあしらってくださっています。ありがたし。
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同行して下さった十和田湖奥入瀬観光機構の方によれば、「下の方の四角は湖水でしょうかね」。なるほど。

というわけで、昨日レポートした「カミのすむ山 十和田湖 FeStA LuCe 2021-2022 第2章 光の冬物語」、上記の「近代を彫刻/超克するー雪国青森編@ 国際芸術センター青森」、「青の森へ」と、乙女の像三昧の1泊2日でした(笑)。

来年、2023年は、乙女の像除幕から70周年となります。ついでにいうなら、光太郎生誕140周年でもあります。光太郎、蟄居生活を送っていた最中も「70歳になったらほんとうの彫刻を始める」と言っており、数え70歳で乙女の像に取りかかったため、そうした周年になるわけです。

そこで、地元で乙女の像の古稀にあわせ、記念イベントを、ということで関係の皆さんに発破をかけさせていただいて参りました。実現することを強く望みます。

以上、青森レポートを終わります。

【折々のことば・光太郎】

穴ぐらの整備にかかり、かたづけもの、 校長さんが生徒三人に薪をかついでよこす。

昭和26年(1951)11月24日の日記より 光太郎69歳

「校長さん」は、蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くの山口小学校長・浅沼政規。「穴ぐら」は野菜などの貯蔵庫です。冬籠もりの準備に追われていた光太郎、「70歳になったらほんとうの彫刻を始める」と言ってはいたものの、一年後には乙女の像制作にかかっているとは、思っていなかったことでしょう。

一昨日、昨日と、青森県を廻っておりました。今回は光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」三昧でした。2回に分けてレポートいたします。

1月18日(火)、東北新幹線七戸十和田駅へ午前10時半過ぎに到着。予想はしていましたが、かなりの積雪でした。
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ただ、2日間とも好天に恵まれ、雪が舞っている時もありましたが、吹雪には遭遇せずに済んでラッキーでした。

十和田湖奥入瀬観光機構の方に迎えに来ていただき、十和田湖へ。公共交通機関としては、八戸駅からバスが日に1便だけ出ているのですが、千葉の自宅兼事務所最寄り駅を始発で発っても、それには間に合いません。当初予定では七戸十和田駅から十和田市街まで路線バス、そこからタクシーと覚悟していたのですが、迎えに来ていただけることになり、さらに青森市を廻った翌日もずっと車に乗せて下さいまして、実に助かりました。

途中の奥入瀬渓流。
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そして十和田湖到着。
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遊覧船が係留されていますが、運休中です。

十和田湖観光交流センターぷらっとさん。平成30年(2018)以来、3年ちょっとぶりです。
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2階が光太郎や、十和田湖を紀行文で世に知らしめた明治の文豪・大町桂月の資料展示コーナーとなっています。入場無料です。
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平成26年(2014)のオープン以来展示されている、乙女の像除幕の日に書かれた、光太郎を初めとする関係者一同の寄せ書き色紙。さらに乙女の像台座に使われた岩手県一関市産折壁石の見本。ともに乙女の像序幕の際に工事監督だった元青森県の土木技師・小山義孝氏の寄贈です。
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像を含む周辺一帯の設計をした建築家・谷口吉郎が「福島産の折壁石」とあちこちに書き記してしまったため、福島産と思われてきましたが、折壁石というブランド名は岩手県東磐井郡室根村(現・一関市)の折壁地区で採れたことに由来します。ところがネット上ではいまだに「福島産」となっているサイトが多く、閉口しています。

同じくオープン以来展示されている、光太郎の「大町桂月記念メダル」。
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乙女の像序幕の日に、関係者に記念品として配付されたもので、小品ながら完成した彫刻としては光太郎最後の作品です。こちらもネット上に「乙女の像が光太郎最後の作品」という記述が目立ちますが、それも誤りです。

平成30年(2018)に寄贈披露会が行われた、光太郎胸像(生前の光太郎をご存じの田村進氏作、題字は当会顧問であらせられた北川太一先生揮毫)と、乙女の像制作時に使われた回転台
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さらにその後購入された、乙女の像小型試作。ただし光太郎歿後に鋳造されたものです。
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昨年、当方が寄贈した『婦人公論』。詩「十和田湖畔の裸像に与ふ」初出の昭和29年1月1日号です。
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書籍といえば、図書コーナー的なところにこんな書籍も置いてありました。
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昨年行われた東京五輪の聖火リレー記念誌。乙女の像前でもセレモニーがあり、その写真も。
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1階には、平成24年(2012)の朝ドラ「梅ちゃん先生」でテーマ曲バックのジオラマを作成された山本高樹氏作のジオラマ。乙女の像もちゃんとあります。
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その後、歩いてリアル乙女の像を見に行きました。
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考えてみると、この季節、昼間に乙女の像を見るのは初めてだったような……。以前に開催されていた「十和田湖冬物語」の際は、2回ともライトアップされている夜間でしたので。
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再びぷらっとさんに戻り、地元の観光関係の皆さんと懇談。久しぶりにお会いする方もいらして、懐かしゅうございました。
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そして日が暮れ、「カミのすむ山 十和田湖 FeStA LuCe 2021-2022 第2章 光の冬物語」を拝見。イルミネーションやプロジェクションマッピング等を駆使したイベントです。
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会場は、十和田神社さんから乙女の像までの範囲で、ぐるっと回って1㌔㍍弱というところでしょうか。まぁとにかく幻想的な世界でした。
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イルミネーションは、エリアごとにどんどん内容が変わり、飽きさせません。また、積雪をうまく活用しているのにも感心しました。
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十和田神社さんの境内では、社殿をスクリーンにしてのプロジェクションマッピング。
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乙女の像もライトアップ。
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像からは、来た道を戻るのではなく、湖畔方面へ別のルートが延びています。途中で元の道に合流しますが。
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平日でしたので来訪者は少なかったのですが、それでもカップルなどがちらほら。「いい思い出になるだろうな」と思いました(笑)。

その後、再び車で十和田市街まで送っていただき(本当に感謝です)、宿泊。

続きは明日、レポートいたします。

【折々のことば・光太郎】

旧小屋の薪を整理して軒下を歩けるやうにする、雪の時の準備。


昭和26年(1951)11月23日の日記より 光太郎69歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋周辺も、厳冬期には半端ない積雪となります。そのための準備ですね。

実際、一昨日あたりの山小屋周辺は、新たに数十㌢の積雪があったそうです。

昨日から一泊二日の日程で、青森県に来ております。

東北新幹線🚄で七戸十和田駅に下り立ち、十和田湖奥入瀬観光機構の方に迎えに来ていただき、十和田湖へ。
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早速、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」と久しぶりに対面。
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その後、十和田湖観光交流センターぷらっとさんで、地元の観光関係の皆さんと懇談。
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日が暮れてから、イルミネーションのイベントカミのすむ山 十和田湖 FeStA LuCe 2021-2022 第2章 光の冬物語」を拝見しました。
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「乙女の像」もいい感じにライトアップ。
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宿泊は十和田市街に戻り、「ポニー温泉」さんで。

今日は青森市に移動し、国際芸術センター青森[ACAC]さんで、彫刻家の小田原のどか氏の個展「近代を彫刻/超克するー雪国青森編@ 国際芸術センター青森」を拝見します。

さらに青森空港で、昨年2月に序幕された、三沢市ご出身の森本千絵氏による幅11メートルの大型ステンドグラス「青の森へ」も拝見、そのまま羽田に飛ぶ予定です。

詳しくは帰りましてから。

大晦日の地方紙『デーリー東北』さんの記事から。

「乙女の像」制作中の写真、七戸に 助手務めた彫刻家・小坂の親戚、宮沢さん方 

001 十和田湖のシンボルで、詩人で彫刻家の高村光太郎が晩年に手掛けた「乙女の像」は、野辺地町出身の彫刻家・小坂圭二が助手を務めて仕上げた高村の最高傑作と言われる作品だ。制作中の写真は、これまでごく一部の関係者しか持っていないとみられていた。だが、今年に入り、小坂と家族ぐるみの付き合いしをしてきた七戸町の宮沢弘子さん(72)方から1枚が見つかった。関係者は十和田市や野辺地町以外での発見に驚いている。
 乙女の像は1953年、十和田八幡平国立公園の指定15周年を記念して作られた。高村が自分の命が残り少ないと予期しながら手掛けた最後の作品で、東京で小坂と共に制作した。
 今回、見つかった写真は、像に針金を巻き付けた場面で、これから本格的な作業に入ることをうかがわせる一枚。高村と小坂が像を挟むように並んで写っている。
 乙女の像の調査などに携わった、十和田奥入瀬観光機構の山本隆一事務局長は、撮影時期は「完成前の53年3月ごろのものではないか」とみる。高村の日記にあった記述とも一致するという。
 山本事務局長もこの写真自体は資料として残っているとしつつ、「七戸で見つかったことは思わぬ発見」と驚く。
 宮沢さんによると、写真は親戚関係に当たる小坂が過去に送ってきた物という。これまで他の作品などと共に長年、保管してきた中、「実は制作途中の写真が残っていること自体が貴重なのでは」と気付き“発掘”したという。
 宮沢さんは今月、七戸町に写真のコピーを寄贈。東北新幹線駅の七戸十和田駅が十和田湖の玄関口の一つであることから、駅への展示を提案した。
 写真について宮沢さんは「(圭二)おじちゃんが七戸にもゆかりがあることが分かるきっかけになる」と強調。「七戸との縁は知られていない。十和田湖への観光客や地元の人に、少しでも知ってもらえたらうれしい」と話している。


今回見つかったという写真と同じものは、当会顧問であらせられた故・北川太一先生もお持ちで、既に昭和59年(1984)刊行の『新潮日本文学アルバム 高村光太郎』や、平成27年(2015)、十和田湖・奥入瀬観光ボランティアの会さんが出され、当方も3分の1ほど執筆させていただいた『十和田湖乙女の像のものがたり』などに掲載されています。

ただ、北川先生旧蔵のものがキャビネ版程度の大きさでしたし、助手を務めた小坂本人の遺品であるということ、一般にはあまり知られていない写真という意味でも、貴重なものといえるでしょう。

左下が問題の写真。右下は少し前に撮られたと見られるもので、やはり北川先生がご提供下さって『十和田湖乙女の像のものがたり』に掲載されている写真です。どちらもおそらく詩人の藤島宇内の撮影と思われます。藤島は当会の祖・草野心平の弟子筋で、像の制作に当たってあれこれ世話を焼いてくれました。
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両方とも十和田湖畔の「十和田湖観光交流センターぷらっと」さんに、タペストリーにプリントされて展示されてもいます。
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タペストリーは、「乙女の像」完成後に小坂がもらい受け、さらに小坂の弟子筋の彫刻家、北村洋文氏の手に渡った「乙女の像」制作時に使われた回転台(左上写真にも写っています)が、「ぷらっと」さんに寄贈された平成30年(2018)に、新たに作られました。

記事にある山本氏によると、小坂は七戸町の宮沢家(宮沢賢治とは無縁だそうです)から小学校に通っていたとのことでした。

その山本氏から頂いた、一昨日、令和4年元日の「乙女の像」画像。
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「最低気温-16℃、最高気温-6℃」だそうで、いやぁ、「寒い」などというものではないでしょうね(笑)。

今月中旬には現地に行く予定でおりますが、心して行って参りたいと思います。

【折々のことば・光太郎】

(智恵子命日)レモンを供へる。
 
昭和26年(1951)10月5日の日記より 光太郎69歳

昭和13年(1938)に亡くなった智恵子の命日。回忌の数え方でいうと、十三回忌は前年でした。ただ前年の日記は失われており、残念です。

「供へる」と言っても、おそらく手元に智恵子の遺影は無かったはず(昭和20年=1945の空襲で焼けてしまったため)。

そして「乙女の像」。光太郎自身、オフィシャルな場ではそう明言しませんでしたが、その顔は明らかに智恵子の顔、と言われています。

上記、藤島宇内の回想文「逝ける詩人高村光太郎」(昭和31年=1956 6月、『新女苑』第234号)より。

 製作にかかる時、
「智恵子さんの写真もなにも戦災でなくしたのに、どうやってその何十年も前に見た顔をつくるんですか、」ときくと、高村さんは、
「この手に智恵子のかたちがのこってるんですよ。」
と、あの子供の頃から彫刻できたえ上げた大きな両手で、空間に形を示しながら答えていました。


泣けるエピソードですね。

青森から彫刻の個展情報です。

小田原のどか「近代を彫刻/超克するー雪国青森編」@ 国際芸術センター青森

期 日 : 2021年12月25日(土)~2022年2月13日(土)
会 場 : 国際芸術センター青森[ACAC]展示棟ギャラリーA
       ⻘森市⼤字合⼦沢字⼭崎152-6
時 間 : 10:00~17:00
休 館 : 12月29日(水)~1月3日(月)、1月14日(金)~1月16日(日)、
      1月28日(金)~1月30日(日)
料 金 : 無料

公共空間に置かれた彫刻を歴史や社会を批評的に読み解くメディアと捉える小田原のどか(1985年宮城県生まれ)は、彫刻家としての制作活動のみならず、複数の媒体での執筆連載、出版社「書肆九十九」の運営など、多岐にわたる活動を展開している。これまでに『小田原のどか作品展《↓》』(同志社女子大学mscギャラリー、2014)、『STATUMANIA 彫像建立壁』(ARTZONE、2017)、『近代を彫刻/超克する』(トーキョーアーツアンドスペース、2019)といった個展のほか、『群馬青年ビエンナーレ2015』(群馬県立近代美術館)、『ゲンビどこでも公募2015』(旧日本銀行広島支店)、『あいちトリエンナーレ2019』、『PUBLIC DEVICE -彫刻の象徴性と恒久性-』(東京藝術大学大学美術館 陳列館、2020 ※共同キュレーターを兼任)などで作品を発表。主な著書に『近代を彫刻/超克する』(講談社、2021)、また、自身が経営する版元から『原爆後の75年:長崎の記憶と記録をたどる』(長崎原爆の戦後史をのこす会編、書肆九十九、2021年)、共同の出版プロジェクトから『彫刻の問題』(白川昌生、金井直、小田原のどか著、トポフィル、2017)、『彫刻 SCULPTURE 1──空白の時代、戦時の彫刻/この国の彫刻のはじまりへ』(小田原のどか編著、トポフィル、2018)などを出版。そのほか、東京新聞、芸術新潮、ウェブ版美術手帖で連載を担当、群像、現代思想などに寄稿多数。

本展では、『表層/地層としての野外彫刻 プロジェクト2021「ここにたつ」』の2021年度の試みとして、小田原が青森県内の野外彫刻を実際にリサーチし、雪深い冬季に屋外の彫刻が見られなくなってしまうという環境にも着目しながら、大熊氏廣《雪中行軍記念像(歩兵第5連隊遭難記念碑)》や高村光太郎《乙女の像》、高村のアシスタントを務めた野辺地出身の小坂圭二をはじめとする青森ゆかりの彫刻家を調査した成果を発表する。小田原は、大熊氏廣と高村光太郎のふたりを「欧化と国粋のはざまで揺れ続けた、この国の近代彫刻史のおもてと裏」と捉え、八甲田山の両側に立つふたつの彫刻の足元に、「創造的断層」、「ありえたはずの彫刻史の分岐点」を見る。そして、本展において、《乙女の像》のために高村光太郎が残した「十和田湖畔の裸像に与ふ」という詩の一節に対しても応答を試みる。
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彫刻実作のかたわら、『彫刻 SCULPTURE 1 ――空白の時代、戦時の彫刻/この国の彫刻のはじまりへ』(部分)、『近代を彫刻/超克する』(全体)などを執筆され、近代彫刻史のご研究もなさっている、小田原のどか氏の個展です。

光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」オマージュの部分もあるということですし、光太郎彫刻自体も展示されるそうです。これはぜひ拝見に伺わねば、と思っております。

この展示のために、土産物として販売されていた(現在もされているのでしょう)「乙女の像」のミニチュアを貸して欲しい、とのことです。
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当方、ご協力したいのはやまやまですが、この手のものは手元にありません。サンリオさんのハローキティ十和田湖乙女の像バージョンのグッズは各種取り揃えましたが、ちょっと趣旨が違うようですし……。また、昔のテレホンカードも数十枚。こちらはいずれ十和田湖観光交流センターぷらっとさんあたりにでも寄贈しようかな、と思っています。

というわけで、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

忠善さんの奥さんくる、ビール瓶進呈の事きめる、忠雄さんとりにくる 廿数本。米糠のあたらしいのをくれる。


昭和26年(1951)9月8日の日記より 光太郎69歳

ビール党だった光太郎、蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋でも、何だかんだでビールを入手できていたようです。おそらく当時は瓶を換金できたのでしょう。代わりに米糠、村人との微笑ましい交流ですね。

光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ、青森県十和田湖休屋地区で、10月21日(木)~11月23日(火・祝)に開催されていた「カミのすむ山 十和田湖 FeStA LuCe 2021-2022 第1章 光の紅葉物語」に続き、「第2章 光の冬物語」が始まりました。第1章同様、「乙女の像」のライトアップも為されているようです。

まず地方紙『東奥日報』さん記事。

十和田湖畔に幻想的な光/フェスタ第2章開幕

 十和田湖畔を光で彩る「カミのすむ山 十和田湖 FeStA LuCe(フェスタ・ルーチェ)2021-2022」の第2章が4日、始まった。雪が舞う寒空の下、地元に残る伝説を表現した幻想的な光が十和田神社周辺を包み込んだ。
 神社や乙女の像付近を回る約1キロのコースに「生の光」「風の光」など六つのエリアを設定し、イルミネーションやプロジェクションマッピングを生かして伝説の世界観を演出した。
 姉妹と一緒に訪れた十和田湖小学校2年の森田陽菜さんは「神社のプロジェクションマッピングの模様にびっくりした。いろいろな光があって楽しい」と話した。この日は音楽に合わせて花火が上がり、会場を盛り上げた。
   フェスタは十和田湖冬物語実行委員会(中村秀行実行委員長)が主催。11月23日まで行われた第1章に続く第2章は4日から来年2月20日(12月29、30日を除く水・木曜日休業)まで、時間は午後5時半~同9時。
 花火は土日祝日限定(24日は実施、1月1、2日はなし)で、観覧できるのは各日先着1500人。イベントのチケットがない人は予約が必要。問い合わせは十和田奥入瀬観光機構(電話0176-24-3006)へ。
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続いて『デーリー東北』さん。

雪景色彩る幻想的な光/十和田湖畔ライトアップ

 光の祭典「カミのすむ山 十和田湖 FeStA LuCe(フェスタルーチェ)2021―2022」の第2章「光の冬物語」が4日、十和田神社周辺で開幕した。雪に包まれた夜の湖畔は色とりどりのイルミネーションに彩られ、訪れた人たちが、光と自然が織り成す幻想的な世界に酔いしれた。来年2月20日まで。
 フェスタルーチェは十和田湖冬物語実行委員会が主催。従来の雪祭りをリニューアルしたイベントとして昨年度初めて開催した。本年度は2章立てとし、秋に第1章の「光の紅葉物語」を実施していた。
 冬を迎えた湖畔の神社周辺約1キロの参道は、十和田湖伝説をモチーフにライトアップされ、神社本殿ではプロジェクションマッピングの投影が行われた。期間限定の花火や津軽三味線の演奏も来場者を楽しませた。
 開催時間は午後5時半~9時。入場料は前売り券1200円、当日1600円、小学生以下無料となる。
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開催要項等は、下記の通りです。

カミのすむ山 十和田湖 FeStA LuCe 2021-2022 第2章 光の冬物語

期 日 : 2021年12月4日(土)~2022年2月20日(日) 水・木曜休み
会 場 : 青森県十和田市大字奥瀬十和田湖畔休屋地区 
時 間 : 17:30– 21:00
      
1月・2月の土日祝日は花火が上がり終了時間を21:30まで延長(1/1・2を除く) 
料 金 : 前売券 1,200円 当日券 1,600円 パスポート 3,000円
      ※小学生・未就学児のご入場は無料。
      ※パスポートはオンラインでのみ販売。イベント期間中は何回でも入場可。
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昨年の様子がこちら。


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ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

昌歓寺に立つ放光塔といふ字をかく約束す、


昭和26年(1951)7月19日の日記より 光太郎69歳

法音山昌歓寺さんは、光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋から4㌔ほどの場所にある、曹洞宗の寺院です。光太郎は当時の住職と親しい間柄でした。

どうも境内に建てる石碑の文字の揮毫を頼まれたらしいのですが、この約束は空手形に終わったようです。同じ昌歓寺さんの十一面観音像を彫るという約束も同様で、こちらは光太郎歿後、光太郎と交流があった彫刻家・森大造が代作しました。

テレビ番組の再放送情報を2件。

まずはNHKさんの「連続テレビ小説カムカムエヴリバディ」。

連続テレビ小説カムカムエヴリバディ(16)「1943-1945」

NHKBSプレミアム 2021年11月27日(土) 09:45〜10:00

稔(松村北斗)の出征を見届けた安子(上白石萌音)。稔の子を授かっているとわかったのは、稔が出征したふた月後のことでした。ラジオからは連日アメリカからの攻撃の知らせが流れ、勇(村上虹郎)も徴兵が決まり、戦争はさらに安子たちの日常を変えていきました。時が経(た)ち、安子は元気な女の子を出産しました。名前は『るい』。稔が考えた名前です。しかしその名前に込められた本当の意味は、周囲には明かせないもので…

【出演】上白石萌音,村上虹郎,YOU,西田尚美,段田安則,松村北斗

本放送は11月22日(月)でした。

先週放映された予告編で流れた、光太郎作詞の「歩くうた」が使われました。戦時中のシーン、女学生たちが「歩くうた」を歌いながら行進するように歩いていきます。軍事教練か勤労動員か、その行きか帰りか、という感じでした。
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そのかたわらでは、主婦たちが集まって、なにやら作業をしています。なんとまぁ、竹槍の製作中でした。
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当時の世相を表すポスターなどの小道具。
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光太郎作詞、飯田信夫作曲、そして徳山璉(たまき)の歌唱による「歩くうた」は、「国民歌謡」としてラジオで繰り返し流され、レコードも発売されで、それなりにヒットしました。おそらくそれを受けて、「歩け歩け運動」というのが提唱され、できるだけ交通機関を使わず、歩くことが奨励されました。燃料や電力を軍事用に優先させるためですね。

幼児向けのこんな絵本も出版されました。昭和16年12月(1941)初版で、その後も版を重ねています。
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当時の母親たちが、こんなものを子供に読み聞かせていたのかと思うと、ぞっとします。

光太郎の「歩くうた」にしても、他の翼賛詩とともに、年少者向けの詩集『をぢさんの詩』(昭和18年=1943)に収録されました。自称・研究者の中にも、「この時期の作品こそ、光太郎詩の真髄だ。「一億一心」「滅私奉公」「八紘一宇」の精神が体現されていて、まことに素晴らしい!」と、涙を流して有り難がるアナクロニストが存在するのが嘆かわしい限りです。

ちなみにもうすぐ太平洋戦争開戦の12月8日ですが、毎年、にわか光太郎ファンが、SNS上に光太郎詩「十二月八日」(昭和17年=1942)などを引用しまくります。まるで軍歌を大音量で流して走る街宣車のようですね。

閑話休題、その後、ドラマでは……
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歩いたり竹槍を作ったりしていても、戦争相手は容赦してくれないわけで……。

もう1件、再放送情報を

ニッポン美景めぐり 十和田・奥入瀬

BSフジ 2021年11月28日(日)  03:30~04:00 

日本の美しい景観を求めて、俳優・和合真一がカメラ片手に日本各地をめぐる旅番組。
今回の旅先は、青森県の十和田市。十和田ビジターセンターで十和田湖の歴史を学ぶ。名産のひめます料理やご当地グルメを味わう。美しい景勝地、奥入瀬渓流を散策。大自然が生んだニッポンの美景をご紹介。

旅人:和合真一 ナレーター:服部潤
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7月19日(月)に初回放映があり、今月初めにも再放送されまして、確認できている限り3度目の放映です。

光太郎最後の大作、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」が紹介されます。

それぞれ、御覧になっていない方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

新小屋は少々しける。柱など生木のせいか。しかし静かにねられる。鼠も蛾もゐない。

昭和26年(1951)6月9日の日記より 光太郎69歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋、完成した増築部分で初めて就寝した際の記録です。小屋は奥羽山脈の麓で、二尺も掘れば水が湧くという場所。水の利には困りませんでしたが、湿気が多いのは夏場の難点でした。

光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のたつ、青森十和田湖畔休屋地区で、「カミのすむ山 十和田湖 FeStA LuCe 2021-2022 第1章 光の紅葉物語」が開幕しました。

まず地方紙『東奥日報』さん記事。

十和田湖畔、色めく秋の演出 ライトアップイベント開幕 11月23日まで

 十和田湖畔を光で彩る「カミのすむ山 十和田湖 FeStA LuCe(フェスタ・ルーチェ)2021−2022」が21日、休屋地区の十和田神社周辺を主会場に開幕した。訪れた観光客らが、幻想的にライトアップされた参道沿いの紅葉を楽しんだ。
 十和田神社の鳥居や本殿、乙女の像を巡る約1キロのルートを、大小のボール型照明や投光器などで自然の色合いを生かしながら演出する。午後5時20分、鳥居前で関係者らが点灯式を行い、湖畔のにぎわい復活に期待を寄せた。
 八戸市から訪れた佐々木睦美さん(34)は「近場で楽しめるイベント。真冬のイルミネーションとはちょっと違って、光に温かみも感じた」、友人の大館知世さん(35)は「赤くライトアップされた木の間から月が見えて幻想的だった」と話し、約1時間の散策を満喫していた。
 フェスタはこれまでの「十和田湖冬物語」のリニューアルイベントで、同物語実行委員会(中村秀行実行委員長)が主催し前年度から開催。本年度は秋の第1章と冬の第2章に分けて行う。第1章は11月23日までで、時間は午後5時半〜同9時。新型コロナウイルス感染対策のため、1日の入場者数を制限する。
 チケットなど問い合わせは実行委事務局の十和田奥入瀬観光機構(電話0176-24-3006)へ。
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続いて『デーリー東北』さん。

紅葉、光で美しく/十和田湖フェスタルーチェ開幕

008 光の祭典「カミのすむ山 十和田湖 FeStA LuCe(フェスタルーチェ)2021―2022」(十和田湖冬物語実行委員会主催)が21日、湖畔の十和田神社周辺で開幕した。11月23日までを第1章の「光の紅葉物語」とし、赤や黄色に染まる木々を幻想的にライトアップしている。
 フェスタルーチェは従来の雪祭り・十和田湖冬物語をリニューアルしたイベントで、昨年度初めて開催。今季は2章立てで、12月4日~来年2月20日は「光の冬物語」に衣替えする。
 神社本殿や周辺約1キロの参道が色とりどりの光で照らされ、会場に流れる音楽と共に神秘的な世界を作り出している。紅葉は色付き始めで、今後さらに見応えが増しそうだ。
 時間は午後5時半~9時。入場には新型コロナウイルスワクチンの接種済証や検査の陰性証明が必要となる。

主催の十和田奥入瀬観光機構の方から、画像を頂きました。

まず点灯式。右はその後の十和田神社さん境内の様子。
DSC_2181 点灯式3 IMG_8809
この奥に、ライトアップされた「乙女の像」。
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いい感じですね。

記事にあるように、11月23日(火)までが紅葉シーズンに合わせての「光の紅葉物語」、仕切り直して12月から来年2月までは、雪景色の中での「光の冬物語」だそうです。

ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

目覚めて時計午后三時なるに驚きおきる、昨夜三時にねたり、


昭和26年(1951)2月22日の日記より 光太郎69歳

この時期、実に体調が悪かったというのが、こういうところにも表れているような気がします。12時間も爆睡してしまったわけで……。

光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ、青森十和田湖からイベント情報です。

カミのすむ山 十和田湖 FeStA LuCe 2021-2022 第1章 光の紅葉物語

期 日 : 2021年10月21日(木)~11月23日(火・祝)
会 場 : 青森県十和田市大字奥瀬十和田湖畔休屋地区 
時 間 : 17:30– 21:00
料 金 : 前売券 1,200円 当日券 1,600円 パスポート 3,000円
      ※小学生・未就学児のご入場は無料。
      ※パスポートはオンラインでのみ販売。イベント期間中は何回でも入場可。

イルミネーションが秋と冬で変化する!

今年は「FeStA LuCe」として、会期を2つに分けて開催します。秋・冬それぞれに変化するイルミネーションをお楽しみ下さい。

『第1章 光の紅葉物語』では美しく色付いた樹木のライトアップをメインに神社参道を演出します。
『第2章 光の冬物語』では幻想的な動物たちが登場。ウィンターシーズンらしいイルミネーションへ変化します。

「FeStA LuCe:フェスタ・ルーチェ」は、イタリア語の「フェスティバル」と、光という意味の「ルーチェ」を合わせ、特別な光の世界を楽しんでもらいたいという思いを込めたイルミネーションイベントです!2017年に初めて和歌山で開催されてから毎年開催されているこのイベントですが、昨年は青森県の十和田湖に初上陸を致しました。今年も十和田神社をメイン会場として幻想的な世界が広がります。

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昨年から始まったイベントですが、以前は「十和田湖冬物語」として開催されていたイベントが、イルミネーションなどを中心に形を変えて実施されたもの。

昨年の様子はこちら
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「乙女の像」のライトアップも為されました。
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好評だったのでしょう。今年は会期が延長され、さらに2期に分けての実施になります。まず紅葉の時期とぶつけての開催ということで、「第1章 光の紅葉物語」。12月から来年2月までは「第2章 光の冬物語」だそうです。

当方もいずれかには参上するつもりでおります。皆様も是非どうぞ。

【折々のことば・光太郎】

上々の天気、温、 窓を開けて渓流を見る、


昭和26年1月30日の日記より 光太郎69歳

湯治的に滞在していた、花巻南温泉峡・大沢温泉での記述です。「渓流」は、宿の下を流れる豊沢川。真冬ですので、こんな感じだったかな、というところです。
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青森からオープンキャンパスの情報です。

弘前学院大学日本語・日本文学科 2021年度第3回オープンキャンパス(来校型)

期 日 : 2021年9月26日(日)000
会 場 : 弘前学院大学 青森県弘前市稔町13-1
時 間 : 午前の部 10:00~12:00
      午後の部 13:00~15:00
料 金 : 無料

弘前学院大学では、新型コロナウイルス感染症予防及び熱中症対策を講じたうえで、来校型オープンキャンパスを実施いたします。
当日はご来場頂く皆様の健康と安全面に考慮し、会場を学科別に、参加人数を各学科20名以内(高校3年生限定)に制限し、完全予約制での開催とさせて頂きます。
002コロナウイルス感染症拡大の状況を鑑み、「緊急事態宣言及び蔓延防止対象地区」からの参加につきましては、オンライン型へのお申込みをお願いいたします。

参加申込みは「LINEアプリ」から行います。まずは、弘前学院大学公式LINEをお友達登録して下さい。

午前の部
 ・文学部 英語・英米文学科
   学部・学科紹介
   学部企画「Shakespeareに親しんでみよう」
 ・文学部 日本語・日本文学科
   学部・学科紹介
   学部企画
    「詩の世界-宮沢賢治・草野心平・高村光太郎について-」
   在学生による学科の魅力紹介001
   キャンパスライフ・トーク
午後の部
 ・社会福祉学部 社会福祉学科
   学部・学科紹介
   学部企画「先輩に聞く」
 ・看護学部 看護学科
   学部・学科紹介
   学部企画
   「自分で包帯法をマスターしてみよう!」
   看護棟の見学

文学部 日本語・日本文学科さんで、東北ゆかりの三詩人、光太郎、賢治、心平が取り上げられます。青森といえば、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」があり、光太郎とも縁の深い土地です。また、当会の祖・心平についても扱っていただけるそうで、有り難く存じます。

参加される高校生諸君には、三詩人の織り成した詩的世界について、興味を抱いていただければと存じます。

【折々のことば・光太郎】

朝日新聞への詩清書、 昭和23年(1948)12月23日の日記より 光太郎66歳

「朝日新聞への詩」は「新年」と題したものでした。おそらく翌年元日あたりに掲載予定だったのでしょうが、GHQの検閲を通らなかったと見え、お蔵入りとなりました。

    新年1008

 新年といふ何か一つのエフエメエルに
 われらが又もかける喜は四度目だが、
 やつぱり新しくことほがう、
 ことほぐ事はそこらにそこらにまるで見あたらず、
 つめた生活を更につめられ、
 暫時は自由も棚上げといふ国情は
 むしろ手ごたへある応答だ。
 新年には手製の大きな凧をあげて
 あのトウのうなりのひびきをきかう。
 新年にはよくまはる羽根でもついて
 ともかく空を仰いで遊ばう。
 さうして祈らう。
 世界に戦争の来ませんやうに、
 天変地異の起きませんやうに、
 われら一人一人が人間であり得ますやうに、
 一人一人が天のかけらを持ち得ますやうにと。


社におくられた原稿では6、7行目「暫時は自由も棚上げといふ国情は/むしろ手ごたへある応答だ。」に赤でチェックが入り、「やめる」と書き込まれているそうです。終戦後でも、そういった意味では何もかも自由というわけではありませんでした。

カタカナの部分は共に仏語で、「エフエメエル」は「ephemere」で「はかない」といった意、「トウ」はおそらく「全部」とか「みんなの」を表す「tout」と思われます。

一昨日、昨日と、みちのくの光太郎智恵子ゆかりの地、十和田湖と安達太良山でランタン打ち上げイベントが行われました。その報道をご紹介します。

まず十和田湖。「第56回十和田湖湖水まつり」の一環としての「スカイランタン」。『東奥日報』さん。

夜空にランタン、幻想の輝き/十和田湖

 十和田湖畔休屋で7日夜、湖水まつり(同実行委主催)が開かれた。オレンジや青の光がともったスカイランタン1130個が浮かび上がり、来場者が幻想的な輝きに見入った。イベントは昨年に続き2回目。ランタンは縦約60センチ、横約35センチで、発光ダイオード(LED)を内蔵。「AOMORIバルーン集団ねじりんご」と共同で製作した。
 来場者は会場内の各所にそれぞれ陣取り、ランタンが飛び去らないように取り付けた20メートルのひもを使って、思い思いの高さでランタンを夜空に浮かべた。フィナーレには約5分間、花火が上がり、花火とスカイランタンの光が夜空を彩った。
 家族と会場を訪れた青森県十和田市の美容師・佐々木美由紀さん(27)は「ランタンには家族が健康でいてほしいという願いを込めた。子どもたちも『きれい』と言って楽しんでくれた」と話した。
 会場にはフードコートが設けられ、かき氷などを食べながらゆったりと過ごす人も見られた。遊覧船による約50分のナイトクルーズも行われた。
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『デーリー東北』さん。

夜空に浮かぶ明かりに願い込め 十和田湖湖水まつり開幕

 十和田湖湖水まつりが7日、十和田市の休屋地区で開幕した。夜には市民の願いが書き込まれた1131個のスカイランタンが打ち上げられ、参加者が夜空に広がるオレンジとブルーの柔らかな明かりに、新型コロナウイルスの早期収束などの願いを込めた。
 ランタンの打ち上げは、昨年から実施しており、今年は新たに湖上から眺める遊覧船ナイトクルーズや花火のショーも行った。
 この日は、参加者が、午後8時半の合図で一斉にランタンを夜空に放った。
 十和田市東二番町の主婦福田麻衣さん(39)は「家族が仲良く元気に暮らせることを願った」、長女の莉子ちゃん(5)も「映画みたいできれい。また見たい」と満足げな様子だった。
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『北鹿新聞』さん。

湖上彩る花火とランタン 十和田湖 湖水まつり 「コロナ収束」の願いも

 小坂町と青森県十和田市にまたがる十和田湖畔で7、8日の両日、十和田湖湖水まつり(実行委主催)が開かれた。観光客らはスカイランタンと花火の共演を楽しんでいた。
 夏の十和田湖の活性化を目的に行われており、今年で56回目。新型コロナウイルス感染症対策で入場者を制限し開催した。
 7日夜、参加者はヘリウムガスを浮力とし、発光ダイオード(LED)ランプを内蔵した「スカイランタン」を購入。ランタンに願い事を書き、ひもをつけて午後8時30分に一斉に空に上げた。
 オレンジ色や青色の1131個のランタンが夜空に輝く中、200発の花火が音楽に合わせて打ち上げられた。入場した観光客、約2400人は幻想的に漂うランタンと十和田湖の水面に反射して輝く花火に「きれい」などと歓声を上げて楽しんでいた。
 同時刻に行われた「十和田湖遊覧船ナイトクルーズ」では観光客が湖上から花火を楽しんでいた。
 このほか、午後5時から同9時まで焼きそばなど5店の飲食店ブースが出店した。
 親子で訪れた青森県南部町の30代の女性は「ランタンにコロナ収束の願いを書いて飛ばした。今年初めての素晴らしい花火だった」と笑顔で話した。
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続いて、安達太良山。『福島民報』さん。

福島・二本松の夜空にランタン舞う 願い事託しフェス

 ランタンに願い事を託して夜空に放つ「LEDスカイランタンフェスティバル」は7日、福島県二本松市のあだたら高原リゾートで始まった。9月19日まで計8回実施する。
 赤、青、緑、ピンク、オレンジの5色の発光ダイオード(LED)を入れたランタンに、参加者が願い事を書いた短冊を結んで空に放した。開催中の「あだたらイルミネーション」と合わせて幻想的な雰囲気を醸し出していた。
 今後は14、21、28、9月4、11、18、19の各日に催す。午後6時に受け付けを開始し、同8時にランタンを空に放つ予定。参加料は3500円(税込み)。前日までに要予約。問い合わせは富士急安達太良観光へ。
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記事にあるとおり、安達太良山では来月中旬までの土曜日と、9月19日(日)に開催されます。コロナ感染にはお気を付けつつ、コロナ収束の願いを込め、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

岡本弥太の除幕式は今日午後の由。

昭和23年(1948)7月17日の日記より 光太郎66歳

岡本弥太(明32=1899~昭17=1942)は高知出身の詩人で、光太郎と直接会ったことはなかったようですが、生前唯一の詩集『瀧』を光太郎に贈り、光太郎からの礼状が届けられたりしました。そうした縁から、高知に建てられた詩碑の揮毫を光太郎が依頼され、それに関する記述です。
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光太郎生涯最後の大作「乙女の像」の立つ、青森県十和田湖畔でのイベント情報です。

第56回十和田湖湖水まつり

期 日  : 2021年8月7日(土) 8日(日)
会 場  : 十和田湖畔休屋地区
問合せ  : 十和田湖観光交流センターぷらっと 0176-75-1531

①願い事を書いたスカイランタンを大空へ (Sold out)
願いを込めた2,000個の「スカイランタン」が、十和田湖の夜空へ浮かび上がる!
参加費 ¥3,000/個
1個につき2名まで入場可能。未就学児は入場無料。
スカイランタンはヘリウムガスを浮力とし、LEDランプを内蔵、細い糸付きでリリースし、イベント終了後お持ち帰りいただけます。

②十和田湖遊覧船ナイトクルーズ
大人¥2,000/人  小学生¥1,000/人 小学生未満は無料。(Sold out)
桟橋より出発し、幻想的なスカイランタンと花火を湖から望むことが
できる50分のナイトクルーズ。キラキラ光る氷のドリンク付き。
スカイランタンの打ち上げはできません。遊覧のみ。

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17:00受付開始!
入場受付にて、検温・手指消毒・マスク着用をお願いします。ご協力頂いたお客様には チェック済みシールをお渡しします。マスクにお貼りください。WEBチケットまたは紙チケットをご提示ください!

スカイランタンチケットをご購入のお客様へは『スカイランタン引換券』を、ナイトクルーズご乗船のお客様へは『キラキラドリンク引換券』をお渡しします。太陽広場には出店が登場します。屋台フードでお祭りムードを味わいましょう!夕焼けの十和田湖を眺めたり湖畔の散策もおすすめです。

スカイランタンチケットをご購入のお客様は、「十和田湖観光交流センターぷらっと」にて スカイランタンの引換が出来ます。是非スカイランタンには願い事を書いてみてください。ペンをご用意しています!

19:30スカイランタン引換終了
スカイランタンチケットをご購入のお客様は、17:00~19:30までの間に引換をお願いします。

19:40乗船開始
ナイトクルーズご乗船のお客様へは20:00までにご乗船ください。20:10出航~21:00着岸です。 スカイランタンが湖面に映る様子や、花火を湖から眺める事の出来る50分間のクルーズです。船内ではキラキラ光るドリンクを1杯プレゼント! お食事のご用意は ございませんのでご注意下さい。

20:30スカイランタンリリース
皆さまの願いがこもったスカイランタンが夜空と湖面を彩ります。幻想的な世界をお楽しみ下さい。

20:50フィナーレの花火打上
音楽に合わせて約4分間の打上花火がフィナーレを飾ります。

21:00終了
お気をつけてお帰りください。

一昨年の第54回までは、花火大会がメインで、「乙女の像」ライトアップもなされていたのですが、コロナ禍の影響もあり、昨年の第55回から実施方法が、チケット制でランタン打ち上げをメインとする方法に変更となりました。昨年の様子はこちら

また、昨年は無くなった花火の打ち上げが、今年はフィナーレの4分間限定ですが、復活するそうです。

既にチケットは完売だそうですが、キャンセル等あるかもしれません。公式サイトよりご確認下さい。

【折々のことば・光太郎】

尚坂上の地所村の基本財産たる地面を今処分してゐるので希望せずやとの事。村人に分配中、一坪三円程度との事。一緒に行つてみる。坂上の平坦部が欲しい旨のべる。金の都合がつけばそれだけ申し込むつもり。後の余の美術館をつくるつもりのところ。

昭和23年(1948)6月27日の日記より 光太郎66歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くの山林が売りに出たそうで……。興味深いのは、「余の美術館をつくるつもり」という構想があったこと。結局、土地の購入も、個人美術館建設も実現しませんでしたが。

テレビ放映情報です。

ニッポン美景めぐり 十和田・奥入瀬

BSフジ 2021年7月18日(日) 24:30~24:55 =7月19日(月) 0:30~0:55

日本の美しい景観を求めて、俳優・和合真一がカメラ片手に日本各地をめぐる旅番組。
今回の旅先は、青森県の十和田市。十和田ビジターセンターで十和田湖の歴史を学ぶ。名産のひめます料理やご当地グルメを味わう。美しい景勝地、奥入瀬渓流を散策。大自然が生んだニッポンの美景をご紹介。

旅人:和合真一 ナレーター:服部潤
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光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」(昭和28年=1953)が取り上げられます。

グルメ的な部分では、十和田バラ焼き、ヒメマスの塩焼きなどが紹介されるとのこと。

もう1件、今日の放映ですし、光太郎などに関わらないかも知れませんが、光太郎ゆかりの地、宮城県女川町を舞台とした番組です。

いのちは末来を憶えてる 〜震災10年の、あくる日から〜

BSフジ 2021年7月17日(土) 15:00〜15:55

東日本大震災から10年。新たな歩みを始めた被災地の復興から“復幸”へと進もうとする姿を紹介する。番組から誕生した鎮魂と未来への歌を、宮城県女川町で平原綾香が歌唱。今年3月、東京・渋谷のスタジオで平原綾香が新曲のレコーディングに臨んだ。曲名は「いのちは未来を憶えてる」。時制に矛盾があるようにも思えるこの曲、作詞は大物・松井五郎、プロデュースは平原を高校生時代に見出した新田和長、作曲はデビュー曲「Jupiter」でプロデュースと編曲を担当した坂本昌之。

工業デザイナーとして名を上げていた中川聰(さとし)は、東日本大震災が起きるとすぐに東京から被災地へと向かった。ユニバーサルデザインを手がける中で知り合った多くの視覚障がい者たちが気になったためだ。しかし、実際に足を運んで心配になったのは、被災した子供たちのことだった。気持ちがどんどん内に入り込んでいることを直感したため、美術教師の経験を生かし、絵や短い文章で外に吐き出してもらうことにした。避難所や学校で対話しながら集めた作品は、震災2ヶ月後にはニューヨークで展示され、世界に向けてのメッセージ発信を始めた。この活動は「Hug Japan」と命名された。震災10年を迎えた今年、その時の子供たちに彼が会いたくなったのは、単なる懐かしみからだけではない。つらい過去があったからこそ、前向きに未来へと向かえている面があるのではないか、実際に会って確かめてみたい、そう考えたのである。

フリーアナウンサー笠井信輔にとって、今年はリベンジの年でもあった。震災直後に被災地入りし、以来、毎年欠かさなかった取材に、昨年は自らが生死の境をさまよう大病を患って出向けなかったからだ。命の重さをより深く知った彼の耳に飛び込んで来たのは、「Hug Japan」の10年ぶり再起動への誘いだった。番組では、笠井ばかりでなく、平原も「Hug Japan」参加者を訪ねる旅に出る。中川も懐かしい再会を果たす。

旅の途中、笠井がこの10年間の取材を通じて交流を深めた人たちと、ばったり出会うシーンも見ものだ。そして、それぞれに被災者の過去と未来を共有した3人は、女川町での公開収録の場で地元の方々を前にその思いを語り合う。

<出演者>笠井信輔 平原綾香 中川聰 <ナレーション>近藤サト
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女川で光太郎、といえば、このブログでもたびたび取り上げている、「いのちの石碑」。震災後に、当時の中学生たちが中心となって、津波からの避難の際に目印となるランドマークとして、女川町内に建て続けられている石碑です。

昭和6年(1931)の光太郎の女川来訪を記念する「高村光太郎文学碑」――東日本大震災の津波に呑まれて亡くなった故・貝(佐々木)廣氏が中心となって、昭和6年(1931)に光太郎が訪れたことを記念して建てられたもの――の精神を受け継ぎ、費用全額は寄付で集められました。

先だっては、天皇陛下自らが、オンラインで開かれた「第5回国連水と災害に関する特別会合」中の講演で、「いのちの石碑」についても触れられています。

それから、有料のCS放送で、その「いのちの石碑」が取り上げられます。通常、このブログではCS放送はご紹介していないのですが、今回は特別に。

旅チャンネル「のんが行く!東北ふれあい旅」#4 宮城 女川

CS旅チャンネル 2021年7月24日(土) 21:00~21:30(以後、繰り返し放映)

旅チャンネルでは、東日本大震災における被災地域の復旧・復興に繋がるよう、2011年より東北地方の各地域を紹介する旅番組を制作、放送し続けることで東北地方を観光の面で応援してまいりました。
東日本大震災から丸十年経った2021年。東北地方に縁のある女優・のんが、東北地方の被災地を訪ね、現地で街の復興に取り組む同世代の女性たちの案内で各地を巡る模様を全4話シリーズで特別番組として放送。

この度の最後にのんが訪れたのは、宮城県女川。女川で生まれ育った二児のママでもある案内役とまず向かったのは、案内役が震災当時勤務していた病院。病院から自宅が流されるのを間近に見たという当時の話などを聞く。そしていのちの石碑や元女川交番などの震災遺構に触れた後、新しくできた街の中心施設に向かいます。旅の最後は地元の子供たちとの触れ合いを楽しみます。東北の未来に思いを馳せます。
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光太郎文学碑のかたわらにある、震災遺構旧女川交番も取り上げられます。

契約されている方は、ぜひご覧下さい。契約していなくとも、現時点での予定では、8月末までに12回ほど繰り返し放映されるようで、うまくいけば無料放送の日にあたるかな、と思っております。

【折々のことば・光太郎】

午前盛岡美術工芸学校開校式への祝辞を書く。


昭和23年(1948)4月29日の日記より 光太郎66歳

盛岡美術工芸学校」は、変遷を経て、現。・岩手大学。光太郎と縁の深い深沢省三・紅子夫妻、舟越保武らが教壇に立ち、光太郎もたびたび同校を訪れました。光太郎を名誉教授に、という話もありましたが、光太郎は固辞したそうです。

この日に書いた祝辞は、『高村光太郎全集』第11巻に収録されていますが、同校教授だった佐々木一郎著の『岩手の美術と共に歩んで』(昭和62年=1987)には、直筆原稿の画像が収められています。
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畠山智行氏。俳優兼「津軽弁ロックシンガー」だそうです。

光太郎詩「道程」(大正3年=1914)インスパイアの曲を作られ、動画投稿サイトYouTubeにアップなさいました。
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昨年567(コロナ)が始まってあまり歌えなかったこの歌 今年も歌って行きます 津軽弁ロックシンガー始めて6年目に突入しました 色んな事がありました 全国車で下道で移動 歌も活動も全て獣道でした その思いを高村光太郎さんの道程を津軽弁で朗読し(道、津軽弁でけんどと言います)歌にしました

内容は 他人と同じ人生は嫌で生きて来た だから自分が切り開いた自分の道(人生)だ 今振り返った時辛い時苦しい時 あなたが私を支えてくれた この道はみんなの道だ こんな内容の歌です
畠山氏ブログより)


実際の投稿動画がこちら。


歌の前に、津軽弁による「道程」朗読が入ります。

わのめさけんどねぇ                                           僕の前に道はない
わの後さけんど出来ら                                       僕の後ろに道は出来る
うおりゃ!!自然よ                                                  ああ、自然よ
とっちゃよ                                                                父よ
わがおがらへでけだ                                   僕を一人立ちにさせた
うんだでぐでっけぇとっちゃよ                                      広大な父よ
わがらまなぐばはなさねんでまもてけ              僕から目を離さないで守る事をせよ
むったどとちゃの気迫ば                                            常に父の気魄を
わさぁぱんぱんにしてけ                                              僕に充たせよ
この果でねぇけんどの行ぎさぎさぁ                            この遠い道程のため
このめねぇ生様の行ぐどごさぁ                                  この遠い道程のため

その後の歌も、「going my way」的な内容で、だから最初に「道程」か、という感じでした。

津軽弁ということもあり、高木恭造の詩を想起しました。

畠山氏の作品の方が、格段にポジティブですが、DNAを揺さぶられるというか、何というか、そういう部分では同じ根っこを感じます。

ちなみに今日は、ジャズシンガー・潮見佳世乃さんの「歌物語コンサート 智恵子抄・羽衣伝説」を聴いて参ります。

こうした2次創作によって、光太郎智恵子の世界を広めていただくことは大歓迎です(健全な精神に基づくリスペクトが伴うことが条件ですが)。各分野の表現者の皆様、よろしくお願い申し上げます。

【折々のことば・光太郎】003

「智恵子抄」三冊白玉書房より届く。


昭和23年(1948)1月3日の日記より
 光太郎66歳

白玉書房版『智恵子抄』。昭和19年(1944)太平洋戦争の激化により、オリジナル『智恵子抄』(昭和16年=1941)版元の龍星閣が休業、昭和25年(1950)に再興し、翌年には『智恵子抄』復元版を出版しますが、その間、昭和22年(1947)から白玉書房版が刊行されていました。昭和25年(1950)の第5刷まで確認できています。
 
オリジナル『智恵子抄』に、「松庵寺」(昭和20年=1945)、「報告」(同21年=1946)の2篇が補われましたでした。どちらも智恵子の命日(10月5日)に書かれたものです。
 
ただ、白玉書房社主の鎌田敬止は、そもそもの版元である龍星閣の澤田伊四郎と十分に連絡を取っていなかったようで、この出版には若干のトラブルが生じました。

一昨日行われた、東京オリンピック聖火リレーの青森県(2日目)についての報道をご紹介します。

まず『朝日新聞』さん青森版。

聖火ようやく公道にお出まし 東北の沿岸駆ける 青森

 県内で行われている東京五輪の聖火リレーは、2日目の11日、69人のランナーの手で県南を巡った聖火が八戸市の館鼻漁港に届けられ、終了した。
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 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、1日目の全行程と2日目のむつ市、三沢市で公道での開催が中止となったため、県内で聖火ランナーが公道を走ったのは、十和田市、おいらせ町、階上町、十和田湖、八戸市のルートのみとなった。
 2日目の出発地点となった十和田市の市民交流プラザ「トワーレ」周辺には、真夏日となる暑さにもかかわらず、応援や見物に訪れた人々が多く集まり、関係者がコロナ対策のために「声を出さずに応援して」と呼びかけていた。
 午前10時13分、第1走者の金子春雄さん(70)が、トーチを手に走り始めると拍手がわき起こり、沿道の観客は手やタオルを振って応援した。中央公園の周囲2・7キロを回った聖火が十和田市現代美術館のアート広場に到着すると、市内の小学生ら約30人に拍手で迎えられた。
 聖火はその後、おいらせ町の百石高校~木内々小学校の2・5キロ、階上町の小舟渡漁港~「はしかみハマの駅あるでぃ~ば」の3・5キロ、十和田湖畔の乙女の像~観光交流センターの0・9キロを巡った。
 最終区間の八戸市では、ロンドン五輪の女子レスリング金メダリスト、小原日登美さん(40)が第1走者を務め、蕪嶋神社を出発した。最終走者は小原さんと同郷で、ロンドン五輪で同じ日に金メダルを獲得した伊調馨選手(36)。五輪4連覇を果たした伊調さんを一目見ようと、多くの人が沿道に訪れた。
 伊調さんは、沿道の市民に手を振りながらゆっくりと走った。子どもたちと家族4人で来た八戸市内に住む主婦長南愛さん(41)は「(活躍を)テレビで見て感動していたので興奮しました。コロナがなければ、もっと応援できた。でも聖火リレーを見て応援したくなりました」と話した。
 ゴール地点の館鼻漁港には、抽選で選ばれた人たちや関係者ら約700人が伊調さんを出迎え、2人が指導を受けたレスリング教室の子どもたちも伴走した。聖火皿に聖火を移した伊調さんは「感無量で、言葉にできない気持ち。楽しく走ることができました」と笑顔であいさつした。
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続いて『読売新聞』さん。

「スポーツ流鏑馬」の第一人者、ギリシャからつないだ聖火「めっちゃ気持ちよかった」

002 東京五輪の聖火リレーは、青森県内2日目の11日、十和田市から八戸市までの4市町を巡った。
 十和田湖の最終走者を務めた十和田乗馬倶楽部代表・上村鮎子さん(50)は走り終えると「晴れ渡ったロケーションで、たくさんの応援を受けて走れて、めっちゃ気持ちよかった」とすがすがしい表情を見せた。
 第2子の出産後の2000年から本格的に乗馬に取り組み、今は流鏑馬(やぶさめ)を競技化した「スポーツ流鏑馬」の第一人者として知られる。古代オリンピックもスポーツ流鏑馬も神事から発展しており、スポーツを通じて地域を明るく元気にしたいという自身の活動に通じるものを感じる。
 「ギリシャからつないできた聖火を次につないだ。その感動と経験を活動の糧にしたい」。東京五輪後は、2025年の大阪万博をスポーツ流鏑馬で盛り上げたいと考えている。これからも「人馬一体」で走り続けたい。

最後は、地方紙『東奥日報』さん。

歓喜のラン 一目でも/公道リレー 笑顔の出迎え

 東京五輪の聖火が青森県内に到着して2日目の11日、県南各地の公道を駆け巡ったランナーは熱い日差しを浴び、元気にトーチを掲げた。沿道の住民たちは集まり、大きな声援を送る一幕も。夏季五輪57年ぶりとなる一大イベントに気持ちを高ぶらせた。
 聖火リレーの最終区間となった八戸市の館鼻漁港周辺。一目見ようと沿道に多くの観客が訪れ、ランナーたちに熱い視線を送った。コース上では走者を先導するスポンサー企業の関連車が「最高の笑顔でランナーを迎えましょう」と呼び掛け。オリジナルの扇子やタオルなどを多くの観客に手渡した。
 最後の催しが行われるセレブレーション会場入り口は、五輪4大会連続金メダリストの伊調馨さん(36)の到着を見ようとする観客で混雑。午後7時40分ごろ、郷土が生んだヒロインが到着すると、沿道の盛り上がりは最高潮に達した。伊調さんと伴走した孫の応援に訪れたという同市の松田美雄さんは「この日をずっと楽しみにしていた」と感無量の様子。親子で沿道を訪れた同市白銀小6年の出貝朱(あや)さんは「二度とない貴重な場面だったし、ランナーが手を振ってくれてうれしかった」と笑顔だった。
 この日の出発点となった十和田市中心部。沿道に多くの市民が集まり、拍手や身ぶり手ぶりを交えてランナーを控えめに応援した。市民は間隔を空けて歩道に立ち、声を出さずに手を振ったり、スマートフォンのカメラでランナーを撮影したりしていた。
 前回の東京五輪が開かれた1964年に東京に就職、ブルーインパルスが青空に描いた五輪マークを見たという十和田市の米田正美さん(76)は、市街地コースの最終ランナーを迎えるイベントを観覧。「一生の思い出になる。このまま五輪をやってもらいたい」と喜んだ。
 十和田湖区間のコースでも、地元住民やランナーの家族らが応援に駆け付けた。聖火が近づいてくると大きく手を振って背中を後押しした。
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賛否両論はありましょうが、とりあえず……。

【折々のことば・光太郎】

朝弱つてゐた手桶が凍結でこはれ漏水甚しく使用できず 盥を手桶の代りに使ふ事にする

昭和22年(1947)12月14日の日記より 光太郎65歳

水は凍ると体積が膨張する、というわけですね。

昨日、東京オリンピックの聖火リレーの青森県(2日目)が開催されました。午後6時20分頃には、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」前に到着。

NHKさんの、夕方のローカルニュースから。

青森県の聖火リレー2日間の行程をすべて終える

 青森県で行われている東京オリンピックの聖火リレーは2日目の11日,十和田市やおいらせ町などの公道でリレーが行われていて、まもなく県内最後の聖火リレーが八戸市で始まります。
 青森県の聖火リレー2日目の11日は、最初のランナーが午前10時すぎに十和田市をスタートしたあと、おいらせ町と階上町をめぐりました。
 おいらせ町では前回の東京オリンピックで聖火リレーの走者の伴走を務めた一戸実さんなどが笑顔で沿道に手を振りながら走っていました。
 聖火はこのあと再び十和田市内の十和田湖周辺をめぐり、まもなく午後7時ごろから八戸市で県内最後の聖火リレーが始まります。
 八戸市では、オリンピックのレスリングで金メダルを獲得した伊調馨選手や小原日登美さんも走ります。
 最後のランナーは午後7時半ごろに館鼻漁港にゴールして、県内での行程をすべて終え、聖火は次の北海道に引き継がれます。
 県の実行委員会は、聖火リレーを観覧する場合は大声を出さずに拍手で応援したり、マスクを着用したうえで密にならないよう間隔を保ったりして、新型コロナウイルスの感染対策を徹底するよう呼びかけています。
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現地の関係者の方が撮影された画像。
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聖火到着を待つ間。沢田鶏舞倶楽部・保存会の皆さんによる「祈りの舞」。
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聖火到着。ここでの最終ランナー・十和田乗馬倶楽部の上村鮎子さんは、十和田市で受け継がれている桜流鏑馬を大きく育てた方で、十和田市のアクティビティの「顔」だそうです。
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サポートランナーである地元十和田湖中学校さんの生徒さんたちと。

司会の方のアナウンス。

乙女の像は十和田湖国立公園15周年記念として彫刻家で詩人の高村光太郎が、生涯最後に作り上げた大作です。この十和田湖の大自然に溶け込みながらも世界に向かって人間の美しさや愛、救済、命などを発信しており、平和と希望の象徴とされるオリンピック聖火と図らずも重なっています。オリンピック聖火リレーを通じて青森県が世界に誇る十和田湖の魅力を再発見、再認識していただきたいと考えております

いいですね。昨年、当方が校閲した文面です(笑)。

しかし、コロナ禍なかりせば、何の懸念もなくもっと大盛り上がりで実施できたのに、と思うと残念ですし、関係者の皆様もいろいろな配慮をせざるを得なくて大変だったでしょう。とりあえず、無事に終えることができ、喜ばしく存じます。

他の報道等でも「乙女の像」附近が報じられていましたら、明日、ご紹介します。

【折々のことば・光太郎】

雪まだふつてゐる。二尺余つもる。屋根から雪がはみ出して来る。時々薄日がさしては又ふりしきる。風無し。しづかにふる雪、息をつめてふるやうに見える。
昭和22年(1947)12月13日の日記より 光太郎65歳

夜には三尺に達したそうです。

開催の可否自体、未だ賛否両論というところで、なかなか大々的にはご紹介しにくいのですが、東京オリンピックの聖火リレーについて。

今月10日(木)、11日(金)の2日間、青森県で聖火リレーが実施されます。国内でコロナの「コ」の字もなかった一昨年12月に発表された、当初の計画案とはだいぶ変更になり、規模をかなり縮小しての実施のようです。

6月11日(金)には、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の建つ十和田湖での開催。

『広報とわだ』今月号から。
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004午前中には十和田市役所付近の通称「官庁街通り」を進む「市街地コース」で実施され、おいらせ町、階上町を廻って、夕方から「十和田湖コース」。その後、八戸市にバトンタッチだそうです。

「十和田湖コース」、出発が十和田湖観光交流センターぷらっと。遊覧船の桟橋近くに平成26年(2014)にオープンした施設で、特産のヒメマスや、光太郎、大町桂月などについての展示が為されています(入場無料)。また、平成30年(2018)には、新たに「乙女の像」制作の際に光太郎が使用した彫刻用の巨大な回転台、青森ご出身の彫刻家・田村進氏(生前の光太郎をご存じです)制作の光太郎胸像が寄贈されました。手前味噌で恐縮ですが、内部の光太郎に関する説明パネルは当方の執筆です。そしてゴールが「乙女の像」。約0.9㌔㍍の道程です。

当初予定では、十和田湖でもミニセレブレーション(リレー走者を迎えるセレモニー)が計画されており、三村申吾青森県知事のごあいさつで、光太郎や「乙女の像」に触れられる予定でした(「これで間違ってないか」ということで、こちらにその原稿が回ってきまして、チェックさせていただきました)。また、詳細は未定でしたが、当方にも光太郎や「乙女の像」についてちらっと話をしてくれ、という依頼も。しかし、ミニセレブレーションは「市街地コース」のみ、それも関係者だけでの実施となったそうです。

同じ青森県内でも、むつ市や三沢市など10市町村では、リレーの実施が中止となったそうです。

NHKさんの5分間番組で、リレーの模様が報じられます。

聖火リレーデイリーハイライト「青森県 2日目」

NHK総合 2021年6月11日(金) 23:30〜23:35

東京2020五輪の開会式まで47都道府県を121日かけてつなぐ聖火リレー。その志あふれる走りや美しいコースの風景などその日のハイライトを5分にまとめて毎日紹介。

青森県2日目のコースはむつ市 十和田市 三沢市 おいらせ町 階上町 十和田市 八戸市。見どころは地域の人々の憩いの場であるむつ市の田名部川周辺、雄大で神秘的な自然が守られている十和田市の十和田湖など。音楽:カイト(嵐 作詞・作曲 米津玄師)。

【語り】林田理沙
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最初に書きましたように、開催の可否自体、未だ賛否両論というところで、なかなか大々的にはご紹介しにくいのですが、とりあえず……。

【折々のことば・光太郎】

葱、ハウレン草等皆雪に埋まる。 井戸のあたりの水は凍結。室内の水は朝凍り、昼間はとけきらずにゐる。


昭和22年(1947)12月5日の日記より 光太郎65歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋での、三度目の冬。三度目とはいえ、その厳しさは変わりません。

先月から今月にかけ、各種報道で光太郎の名がいろいろ出たりしていたのですが、3.11関連を続けて取り上げたり、速報性が重要な情報を先にご紹介したりで、申し訳ないと思いつつも、後回しにしていた件が結構あります。数日間、その関係でいきます。

まずは青森の地方紙『デーリー東北』さん、先月初めの記事。

郷土教育に「あおもりアッテラ」 はちつぶ(八戸)が十和田の小学校に寄贈/青森

 青森県内40市町村の祭りや名産品などが描かれた絵合わせカードゲーム「あおもりアッテラ!」を考案した、八戸市の情報発信メディア「はちつぶ」(大山知希代表)は3日、郷土教育の教材として活用してもらおうと、十和田市教委を通じて市内16小学校に寄贈した。
 カードは全54枚。3種類の遊び方ができ、県の魅力を子どもから大人まで楽しく学べるゲームとなっている。同市を代表する絵柄には、十和田湖と「乙女の像」が描かれている。
 この日は、大山代表のほか、同ゲームのデザインなどに携わった、デーリー東北新聞社の社内分社「東北のデザイン社」の担当者らが市役所を訪問。市教委教育総務課の白山利明課長補佐に目録を手渡した。白山課長補佐は「いろんな面で使えるゲームなので大事に活用したい」と話した。
 大山代表は「(同ゲームの)遊びを通じて、青森県の名産品や地域に興味を持つきっかけになってほしい」と語った。
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絵合わせカードゲーム「あおもりアッテラ!」。調べてみましたところ、昨年には既に販売が開始されていました。

あおもり絵合わせカードゲーム「あおもりアッテラ!」

あおもりを遊んで学ぼう!
 ★ 遊びながら青森を学べる絵合わせカードゲームが誕生
 ★ 青森県内40市町村の祭りや文化、名産品をイラスト化
 ★ 作画はニシワキタダシさん 幅広い年代が一緒に楽しめる
 ★ お土産に 知育玩具に 郷土教材にも
 ● ルールは3通りでいずれも簡単。
 ● トランプとしても遊べる。
 ● 絵合わせゲームのため、年齢、性別、国籍に関係なく楽しめる。
 ● 家庭での知育玩具として、また 幼保園・小学校での郷土教育の教材として。

カードは全54枚。青森県内40市町村の祭りや文化、有名人、名産品などをピックアップし、イラストレーターのニシワキタダシさんに作画を依頼。ニシワキタダシさんの作風と青森の朴とつとしたイメージが相まって、とてもステキなカードができました。

3歳以上からお年寄りまで楽しめる簡単なルール。遊び方は、絵を合わせるだけなのでとても簡単。 基本的なルールは3通りで、年齢、性別、国籍に関係なく、誰でもすぐに覚えられ、一緒に楽しめます。トランプとしても使えます。

カードゲームは対面コミュニケーションがベースとなるため、子どもの対話力や社会性、思考力、想像力を育む効果があると言われています。青森の魅力を知るお土産としてだけではなく、コロナ禍でステイホームが日常になる中、家庭での知育玩具として、また幼保園や小学校での郷土教育の教材として、「アッテラ!」をぜひご活用ください。

イラストレーター■ ニシワキタダシ氏
イラストレーター。1976年生まれ。なんともいえないイラストやモチーフで、書籍や広告、グッズなど幅広く活動中。著書に『かんさい絵ことば辞典』(パイ インターナショナル)、『えでみる あいうえおさくぶん』(あかね書房)、『ぼくのともだちカニやまさん』(PHP研究所)、『かきくけおかきちゃん』(大福書林)、『くらべる・たのしい にたことば絵辞典』(PHP研究所)などがある。

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なるほど、青森県の名物いろいろの絵を担当させていただきました。関西在住なので「なるほど」「へぇ~」と青森を感じながら描いていました。子どもたちがゲームを通じて、自分の育つ場所のことを自然と覚えられるのはとても素敵だなと思います。それを担う絵で関わらせてもらえてうれしいことですし、子どもに限らず大人や他府県の人たちにも青森の色が広がるゲームになればうれしいなと思います。
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なるほど、という感じでした。これなら小さいお子様でも楽しめそうですね。さらに、自然と青森の郷土遺産、特産品などに詳しくなれそうです。

上記『デーリー東北』さんの記事にありましたが、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」をあしらったカードも入っています。ありがたし。
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他に「リンゴ」、「弘前城」、「太宰治」、「遮光器土偶」、「津軽三味線」などなど。しかし、「何じゃ、そりゃ?」というものも(笑)。「なぜに青森で自由の女神?」、「よもぎたトマト四姉妹って誰?」、「スチューベンって、何?」という感じです。不勉強で申し訳ありません(笑)。

ニシワキタダシ氏のほっこりしたイラストもいいですね。それにしても上記商品説明欄中の氏の紹介で、「なんともいえないイラスト」って、「なんとか形容しなさいよ!」と突っ込みたくなりましたが(笑)。

ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

ホロホロを採取。宮沢さんへおみやげの為。タランボは院長さん宅へのつもり。

昭和22年(1947)5月15日の日記より 光太郎65歳

「タランボ」は「タラの芽」、「ホロホロ」は正確には料理の名前なのですが、どうやら「ウコギ」のことのようです。

「宮沢さん」は賢治の父・政次郎や、実弟清六らの一家、「院長さん」は佐藤隆房です。光太郎が疎開してきてちょうど2周年記念ということもあり、この日から4泊5日で花巻町の佐藤邸に滞在しました。

過日ご紹介しました、青森空港に新たに設置の巨大ステンドグラス「青の森へ」が除幕されました。光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」もあしらわれています。

青森の地方紙『東奥日報』さんの記事。

幅11メートル 青森空港に大型ステンドグラス

 日本交通文化協会(東京)と青森空港ビルは、青森市の同ビル1階ロビーに三沢市出身のアートディレクター森本千絵さん(44)=東京都在住=が原画・監修を手掛けた大型ステンドグラス「青の森へ」を設置し24日、現地で完成披露除幕式を開いた。
 完成した作品は縦2.4メートル、横11.4メートル。ガラスは約3200ピースにも及び、85色を使い分け、中でもこだわりの青系統は25色を使った。新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言が発令されていた昨年春、森本さんは約3カ月をかけ、青森ねぶた祭のねぶたやハネト、リンゴ、こけし、十和田湖、奥入瀬の風景など青森県の風物詩を描いた原画を完成させた。
 この原画を基に、静岡県熱海市のクレアーレ熱海ゆがわら工房の職人6人が、昨年5月から半年以上をかけて作品を仕上げた。
 除幕式で三村申吾知事は「(コロナ収束後)いずれ全国、世界から訪れるたくさんの方を出迎えるシンボルとして親しまれれば」とあいさつ。
 森本さんは式典後の取材に「緊急事態宣言のさなか、ねぶたに行けない悲しさから、おはやしやねぶた祭りの動画や音楽をアトリエに響かせ、跳ねながら原画を描いていた。このような状況でなければ、これほど情熱的に絵に思いをぶつけることはなかった」と制作を振り返った。
 地域活性化や観光振興を目的に、地元に縁がある作家のアート作品を空港や駅などに設置する日本交通文化協会の事業の一環。日本宝くじ協会が助成した。森本さんは2019年の第4回東奥文化選奨受賞者。
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同じく『デーリー東北』さん。

青森空港に大型ステンドグラス 三沢出身の森本さん、光とガラスで青森表現

 三沢市出身のアートディレクター森本千絵さんが原画と監修を手掛けた大型ステンドグラス作品「青の森 へ」が24日、青森空港旅客ターミナルビル1階ロビーにお目見えした。作品には奥入瀬渓流の流れや、青森ねぶた祭で躍動するハネトなどが多彩な色彩のガラスで描かれている。森本さんは「季節ごとに変わる光の表情を楽しんで」とPRしている。
 全国の駅や空港、公共施設などでアートの普及を進める日本交通文化協会(本部・東京)が企画し、森本さんに依頼。日本宝くじ協会が助成し、青森空港ビルに作品が寄贈された。
 作品は縦2・4メートル、横11・4メートルの大きさ。森本さんの切り絵を基に、クレアーレ熱海ゆがわら工房(静岡県熱海市)の職人6人が約3200ピースのガラスを使い制作した。
 使われている色は全85色で、森本さんが特にこだわったのは青。微妙に色彩の異なる25色を巧みに使い分け、青森の自然や文化をきめ細やかに表現した。
 除幕式には森本さんをはじめ三村申吾知事、林哲夫青森空港ビル社長らが出席。三村知事は「青森への深い愛情と圧倒的なクオリティーに感激した」と褒めたたえた。
 制作に携わったこの10カ月間、新型コロナウイルスの影響で恒例だった里帰りがかなわなかったという森本さん。望郷の思いも込めた作品について「青森に初めて降り立った人も青森らしさを感じられると思う」と自信をのぞかせた。
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続いて、仙台に本社を置く『河北新報』さん。

青の彩りお出迎え 青森空港にステンドグラス設置

  青森空港(青森市)のターミナルビルに24日、青森県の祭りや自然をモチーフにした大型ステンドグラス「青の森へ」が設置された。青色だけでも25種類を使い分け、青森ねぶた祭や奥入瀬渓流など青森を代表する風物を繊細な色合いで表現。除幕されると、搭乗客らから歓声が上がった。
 横11・4メートル、縦2・4メートルの大きさで、85色が用いられた。原画作者のアートディレクター森本千絵さん(44)=三沢市出身=は「青森へ行きたくても行けない状況だからこそ、いとしさを込めることができた。春夏秋冬、それぞれの光で変化を楽しんでほしい」と語った。
 三村申吾知事は「青森の空の玄関口が鮮やかに彩られた。訪れる人にとって心地よい場所になるよう願う」と期待した。
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テレビのローカルニュースでも。

NHKさん。

青森空港に大型ステンドグラス

青森空港に、三沢市出身の芸術家が監修した大型のステンドグラスが設置され、24日、完成披露の除幕式が行われました。
このステンドグラスは、新型コロナウイルスの影響が続く中、文化や芸術の面から人々を元気づけようと活動している日本交通文化協会が、日本宝くじ協会の助成を受けて青森空港に寄贈したものです。
24日の完成式典には、三村知事や、ステンドグラスの原画を描いた三沢市出身のアートディレクター森本千絵さんたちが出席し、光をいっぱいに受けたステンドグラスが披露されました。
「青の森へ」と名付けられたこの作品は、縦2.4メートル、横11.4メートルで、静岡県の工房に依頼して制作されました。
ねぶた祭やこけし、奥入瀬渓流など、85種類の色を使ったおよそ3200のガラスピースを組み合わせて青森県の魅力を表現しています。
アートディレクターの森本千絵さんは、「青森県に住んでいる人もそうでない人にも楽しんでもらえると思います。光の入り具合で表情が違うので季節ごとに楽しんでほしいです」と話していました。
岐阜県から受験で青森県を訪れていた18歳の男性は、「とてもきれいです。ひと目見ただけで青森と分かるのでいいと思います」と話していました。
このステンドグラスは、青森空港の1階、国内線のチケットロビーに展示されています。
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RAB青森放送さん。

青森空港に新たなシンボル 名物や景勝地を描いたステンドグラス完成

青森空港に県内の名物や景勝地を描いたステンドグラスのアート作品が完成し24日お披露目されました。
青森空港の1階ロビーに完成したこの鮮やかな作品は三沢市出身の
アートディレクター、森本千絵(もりもと・ちえ)さんが原画と制作を監修した大型ステンドグラス『青の森へ』です。
作品は日本交通文化協会が森本さんに制作を依頼し、青森空港ビルに寄贈しました。縦2・4メートル、横11・4メートルの作品にはねぶたやこけし、りんごや十和田湖など、県内の工芸品や風景などをイメージしたガラスが散りばめられています。森本さんは去年5月から原画となる切り絵を描き、静岡県熱海市の職人たちが仕上げたもので、85種類の色と3200ピースのガラスが使われています。
★利用客は…
「すごく青森っぽくていいなと思いました」
「SNSにアップして使わせてもらおうと思っています」
★アートディレクター 森本千絵 さん
「たぶん春夏秋と表情が違うのでその光の表情を楽しんでもらいたいと同時に、歩いたりして楽しんで見ていただきたいと思います」 
ステンドグラスは青森の空の玄関口の新たなシンボルとして、訪れる人たちを出迎えます。
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あちらにお立ち寄りの際は、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

今日賢治同志会の当日なり。新聞に余の名も講演題目までつけて広告中にあり、後藤氏のなせる事ならん。不都合なり。余はゆかず。

昭和21年(1946)10月20日の日記より 光太郎64歳

本人の承諾を得ぬまま、勝手に講師として名を出されたそうで……。花巻郊外旧太田村の七年間で、何度かこういうことがあったそうです。

まず、青森十和田とその周辺の情報を扱うネット上のニュースサイト「BUNKKA新聞」さんから。

十和田市郷土館企画展 新収蔵資料展開催 新たに収蔵品となった資料を公開

 十和田市郷土館で1月9日から3月21日迄の期間、企画展「新収蔵資料展」を開催することとなった。
 十和田市郷土館は重要な歴史的文化遺産の収集、保存及び展示を行い、郷土の歴史にちて理解を深めるために昭和43年に設置が決まった。
 市民から全面的な協力を得て資料を収集している郷土館として収蔵品は1万点を超え、平成24年に現在の場所(道の駅奥入瀬ろまんパークを過ぎて西コミュニティセンター(旧十和田湖支所)を左折)に移転した。
 主に考古・歴史・民俗の3分野の展示を行っている。
 《考古》明戸遺跡、寺上遺跡等から発見された縄文時代の土器、石器、土偶、ヒスイ等を中心に展示。土器を実際に触れるコーナーもあり、復元された土器から時代の流れや、当時の流行りなども想像できる。
 《歴史》中世から近現代までの時代の変化を知ることが出来る。苫米地家から寄贈された兜・陣笠・古文書や滝沢家から寄贈された古文書等を展示。軍馬補充部資料も豊富で馬具や当時の日記等もある。
《民俗》昔の生活用品や麻布や絹織り用の器具や製品、漁業や林業等で使われていた道具も展示。昔の農家を再現したコーナーもあり、バッコウやマンガ等の農具を展示している。
 また、十和田湖を愛した文豪、佐藤春夫氏「十和田湖上口吟」が飾られている。佐藤氏は詩人、作家として著名で、三本木高校の校歌を作詞したことが縁となり、十和田湖・奥入瀬渓流の景観に感動したとされる。その後、十和田国立公園指定15周年記念事業にも参加。旧知の仲であった高村光太郎を功労者顕彰記念碑(乙女の像)の制作者となるよう尽力。
 資料展は収蔵品数が豊富で歴史を振り返りながら楽しめる。入場は無料。午前9時から午後5時までの開館で、月曜休館となっている。お問い合わせは...0176‐72‐2340迄
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調べたところ、詳細は以下の通りでした。

十和田市郷土館企画展「新収蔵資料展」

期 日 : 2021年1月9日(土)~3月21日(日)
会 場 : 十和田市郷土館 十和田市大字奥瀬字中平61-8
時 間 : 午前9時~午後5時
休 館 : 月曜日
料 金 : 無料

市民の皆様から寄贈いただいた資料など、新たに郷土館の収蔵品になった資料を一同に集め公開します。ぜひご来館ください。
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佐藤春夫の「十和田湖上口吟」は、昭和27年(1952)6月、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作の下見のため十和田湖を訪れた光太郎に随伴した際に作られた詩です。

佐藤の『小説高村光太郎像』(昭和32年=1957)から。

 湖畔と湖上とを二日がかりに隈なく周遊して、十和田は晩春首夏、新緑と残紅との最も絢爛な季節であつた。
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 高村氏は湖上でもしきりに感歎の声を上げて、この清澄な水底に水に浸み入る太陽を反射してきらりと光る金色の女体を横臥させて沈めてみたらといふやうな奇想もあつたらしいが「子の口」の地を見つけてここに台座七尺といふ大作をしやうと乗気になり県庁では附近に地を相してアトリエを建ててもよいと言つてゐたが、制作にはやはり田舎は不便だからと、あれほどの執着を見せてその後は例の月光堂やら、離れの書斎などもできてゐた太田村山口の山居をも捨てて、東京に出ようと、思ひがけない決意の程をも見せて一切は急速に確実に決定した。
(略)
 わたくしも、最初の遊覧では僅に奥入瀬だけを歌ひ得て、ただ風景に圧倒されて歌ふすべも知らなくかつ親しみにくかつた十和田湖を、わたくしも今度は、はじめて歌へるやうな親しみを湖上の船で感じ、わたくしは早速に、はじめの二三行を捉へたものであつた。
 その夜わたくしは枕頭で湖上吟を推敲してどうやらまとめることのできたのを手帳に浄写して置いた。
 翌日みんな集つての食事の席で、食後こつそりとこれを隣席の大先輩に示して久しぶりに高教を仰いだ。ほんの即興詩だといふのを、即興詩と呼び捨てるには惜しい構成のしつかりしたものと気に入つてもらへた。おそらく前日来の上機嫌でこの好評を嬴(かちえ)たものと思ふ。
(略)
 さうして感心してゐるわたくしの方へ、おもむろに笑顔を向けながら、佐藤君には今度湖上での名吟ができてゐるのだ。と記者に言つてから、再びわたくしを顧み、どうですあれを見せてやりませんか。言はれてわたくしは自分の部屋に近いのを幸と、座を飛び出してノートを持ち出して来た。高村氏は例の大きな手をひろげてそれを受け取り、003
   ここにして
   わがこころ
   放たれて
   禽(とり)となり
   水潜(みづかつ)ぎ
   魚となり
   湾(わた)に住む
   岸べには
   うちけむる
   ななかまど002
   橅(ぶな) 桂(かつら)
   さみどりの
   したたりて
   瑠璃に溶け
   咲き残る
   躑躅花(つつじばな)
   照り映えて
   十和田湖に
   逝く春は
   絢爛(きららか)に
   ささらなみ
   風光り

 しづかに調子づいて読み終つてから、一行に棒書きにだらだらと書き流してしまつてはいけないのだよ、とノートを記者たちの前へ突き出して見せ、そら、ね、かういふ短い句を、かういふふうにずらつと頭をそろへて並べたところに湖上の水面を見せてゐるのだから。とわたくしのため、記者にねんごろな説明をしてやるのであつた。


引用が長くなりましたが、こういう背景で作られた詩です。色を変えた部分を、のちに色紙に揮毫したものと思われます。

ちなみに「ささらなみ」の部分、原文では「漣」と「⺡(さんずい)」に「奇」で「ささらなみ」とルビが振ってあるのですが、「⺡(さんずい)」に「奇」の字がどうしてもみつかりません。色紙の方では「さゝ羅なミ」となっています。

さて、お近くの方、コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

夜ホタルとぶ  昭和21年7月19日の日記より 光太郎64歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋、現在でも蛍が生息しています。当方も平成29年(2017)の7月に、その幻想的な光を見ました。

千葉の自宅兼事務所の近くでも、20年くらい前までは蛍が普通に見られたのですが、農業用水の岸をコンクリートで固めてしまって以来、見られなくなりました。残念です。

光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップも為された青森県十和田湖畔での「カミのすむ山 十和田湖 光の冬物語 2020-2021 in国立公園十和田湖 十和田神社 by FeStA LuCe」。昨年11月に始まり、先月いっぱいで閉幕しました。
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上の画像は十和田奥入瀬観光機構さんのサイトから。

閉幕直前の地方紙二紙の記事をご紹介します。まず『デーリー東北』さん

十和田湖光の冬物語、来場者1万人突破/青森

 十和田湖畔休屋で昨年11月から開催している光の祭典「カミのすむ山 十和田湖 光の冬物語 in 国立公園十和田湖 十和田神社 by フェスタ・ルーチェ」(十和田湖冬物語実行委員会主催)の来場者が25日、1万人を突破した。節目の来場となったのは、十和田市東十二番町の介護士安藤麻紀さん(30)。同神社入り口の鳥居前で記念セレモニーを行い、実行委の中村秀行委員長が安藤さんに記念品を贈呈した。
 毎年恒例の雪祭り・十和田湖物語は今冬、「光の冬物語」としてリニューアル。同神社周辺約1キロのコースを、十和田湖伝説をモチーフにしたイルミネーションなどで演出し、幻想的な空間を創り出している。
 写真共有アプリ「インスタグラム」やテレビCMからイベントを知り、八戸市在住の友人と一緒に足を運んだという安藤さん。中村委員長から記念品として、限定グッズや十和田市の地酒、秋田県小坂町のワインを受け取り、思い掛けない幸運に驚きながら、「最高の贈り物、時間になった」と喜んでいた。
 「光の冬物語」は31日まで。開催時間は午後5~8時。入場は当日1600円、小学生以下無料。問い合わせは専用ウェブサイトか、同実行委=電話0176(75)1531=へ。
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続いて『東奥日報』さん

「光の冬物語」来場者1万人/十和田

 青森県十和田市休屋地区の十和田神社をメイン会場に昨年11月に開幕した「光の冬物語」の来場者数が25日、1万人を突破し、対象者に記念品が贈られた。
 1万人目は、同市の介護士安藤麻紀さん(30)と、友人で八戸市の看護師沼澤由佳さん(30)。イベント実行委員会の中村秀行委員長らが記念品のオリジナルマグカップや地酒、秋田県小坂町のワインを贈呈した。安藤さんは「テレビCMを見てとてもきれいだったので来てみた。1万人目は予想もしていないこと。友人と最高の時間にしたい」と話した。
 光の冬物語開催は午後5時〜8時、1月末まで。200発の花火が会場を彩る関連イベント「冬花火in十和田湖」を入場者数の制限を設けて28〜30日午後6時すぎに行う(30日は満員)。問い合わせは実行委(電話0176-75-1531)へ。
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以前は「十和田湖冬物語」として開催されていたイベントが、イルミネーションなどを中心に形を変えて実施されたもので、どうなることかと心配していたのですが、それなりの賑わいだったようで、胸をなで下ろしました。

初めての試みで、来て下さる人がいないと仕方がありませんし、さりとてクラスターを起こしては大変だし、関係者の皆さんのご苦労はさぞ大変だったと思われます。調べてみましたところ、やはりコロナ禍対策ということで、会期中に開催時間の変更などもあったようでした。

記事にあるとおり、地元ではテレビCMも放映されていたのですね。


下の動画、「乙女の像」は1分54秒頃から。

来冬以降、どういう形になるのか未知数ですが、もしまた実施され、さらにコロナ禍が終息するようであれば、ぜひ行ってみたいものです。

関係者の皆さん、お疲れさまでした。

【折々のことば・光太郎】

早池峯に霞かかり山脈の遠近大和絵の如し。平和な村の風景。 暑からず、寒からず、空気かをる如し。
昭和21年(1946)5月4日の日記より 光太郎64歳

終戦後初めて迎えた春。空には爆撃機も戦闘機も飛んでいないわけで、「平和」の語が実感されたことでしょう。

まず地方紙『東奥日報』さんの記事から

巨大ステンドグラス 制作大詰め/2月下旬、青森空港に設置 原画・森本さん(三沢出身)出来栄え絶賛

  青森県三沢市出身のアートディレクター森本千絵さん(44)=東京都=が原画・監修を担当した大型ステンドグラス「青の森へ」が来月、青森空港に設置される。制作が大詰めを迎えた19日、森本さんは静岡県熱海市のクレアーレ熱海ゆがわら工房を訪れ、出来栄えを確認した。取材に対し「すごくきれい。想像を超えるクオリティー」と絶賛した。
 ステンドグラスは縦2.4メートル、横11.4メートル。森本さんは、切り絵の原画に、青森ねぶた祭のねぶたやハネト、太陽のように赤いリンゴ、十和田湖や奥入瀬、白神山地といった青森県の風景を描いた。
 原画を基に工房の職人6人が昨年5月、制作に着手。使用したガラスは約3200ピースにも及び、色は85種類を使い分け、中でもこだわった青系統は25種類を使用した。
 森本さんはこの日、十和田湖畔にある高村光太郎制作の「乙女の像」を描いた部分を自然光で確認し、形を整えるなどした。「毎年、青森に行っているが、昨年はねぶた祭りに行けず悔しい思いをした。作品は青森の方へのラブレターのつもり。この絵を通し新たなつながりが生まれたらうれしい」と話した。
 ステンドグラスは青森空港の公共スペースに2月下旬に設置される予定。今回の設置は、パブリックアート普及や、地元に縁のある作家の作品による地域活性化を目指し、全国の公共施設にアート作品を設置する日本交通文化協会(東京)の事業の一環。森本さんは第4回東奥文化選奨受賞者。
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010当方、森本さんが表紙を描かれた書籍を一冊持っております。平成27年(2015)刊行の『少女は本を読んで大人になる』(クラブヒルサイド・スティルウォーター編・現代企画室刊)。東京・代官山クラブヒルサイドさんにて、平成25年(2013)から翌年にかけ、全10回で行われた読書会「少女は本を読んで大人になる」の筆記を元にしたものです。

光太郎と交流のあった彫刻家舟越保武のご息女・末盛千枝子さんによる「高村光太郎著 『智恵子抄』を読む」が掲載されており、そのお話そのものも拝聴に伺いました。

森本さんも同じ講座の別の回で「赤毛のアン」を担当され、その筆録も収録されています。

調べてみましたところ、昨年11月にも『東奥日報』さんに今回のステンドグラス「青の森へ」制作の予告的な記事が出ていましたが、その折には「乙女の像」の語が含まれていなかったため、当方の検索網には引っかかりませんでした。

「青の森へ」、パブリックアート制作集団「クレアーレ熱海ゆがわら工房」さんのお仕事だそうです。公益法人日本交通文化協会さんのサイトで、「青の森へ」についての詳細な情報を発見しました

青森空港に大型パブリックアート作品設置 青森出身のアートディレクター森本千絵氏 原画・監修 ステンドグラス「青の森へ」 2021年2月完成予定

 当協会と青森空港ビル株式会社(青森県青森市、代表取締役社長:林哲夫)は、一般財団法人日本宝くじ協会の「社会貢献広報事業」の助成を受け、青森空港旅客ターミナルビル1階チケットロビーに大型ステンドグラス「青の森へ」を設置することが決定しました。2021年2月に完成を予定しています。
 青森空港は、毎年夏に開催される青森ねぶた祭や、青森県立美術館や十和田市現代美術館などへのアート鑑賞、世界遺産の白神山地をはじめとした自然などを目的に国内外から訪れる多くの観光客や、青森県民にとって重要な玄関口となっています。昨年旅客ターミナルビルの大規模リニューアル工事が完了し新しく生まれ変わった青森空港に本パブリックアート作品を設置し、訪れる人々を幻想的な青の光でお迎えします。
 この作品の原画・監修を務めるのは、青森県三沢市出身で、アートディレクターとして企業の広告制作やミュージシャンのアートワークを手掛けるなど多方面で活躍している森本千絵氏。青森県が誇る青森ねぶた祭のねぶたや跳人(ハネト)と呼ばれる踊り手、太陽のような赤いりんご、十和田湖や奥入瀬や白神山地など、人々を魅了してやまない青森の風物風景が表現されています。そして、森本氏が青森空港のために特別に制作した切り絵をもとに、「クレアーレ熱海ゆがわら工房」(静岡県熱海市)で6人のステンドグラス職人が製作します。
 本作品を空港利用者の大半が利用する場所に設置することで、多くの利用者に青森の風情を鮮烈に印象づけ、より一層の賑わいや心地よさをご提供できると考えています。設置後には、青森空港にて完成披露除幕式を行う予定です。

※このパブリックアートは、一般財団法人日本宝くじ協会の「社会貢献広報事業」の助成を受けて整備されています。

○当事業の目的
①アートディレクター・森本 千絵氏の切り絵をもとにしたステンドグラス作品により、パブリックアートの普及を促進
②パブリックアートを通じて気軽に芸術に慣れ親しむことで、人々の心を和ませ、元気づける空間を創出
③青森県に縁のある作家の作品によって地域の活性化、観光開発に貢献

○題名 「青の森へ」
○原画・監修 森本 千絵氏
○設置場所 青森空港旅客ターミナルビル1階チケットロビー
○規模と仕様 縦2.4m×横11.4m
○ステンドグラス製作
クレアーレ熱海ゆがわら工房(静岡県熱海市泉230-1)
建築家・隈研吾氏の設計によるクレアーレ熱海ゆがわら工房はステンドグラススタジオ、釉薬研究施設、焼成サンプル室、ショールームなども完備され、数多くのアーティストとのコラボレーションが展開される第一級のパブリックアートの創造拠点です。
○作家プロフィール 森本 千絵(もりもと・ちえ)
アートディレクター・コミュニケーションディレクター・武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科客員教授
1976年青森県三沢市で生まれ、東京で育つ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科を経て博報堂入社。2007年、もっとイノチに近いデザインもしていきたいと考え「出会いを発見する。夢をカタチにし、人をつなげる」をモットーに株式会社goen°(ゴエン)を設立。現在、広告の企画、演出、商品開発、ミュージシャンのアートワーク、本の装丁、映画・舞台の美術や、動物園や保育園の空間ディレクションを手がけるなど活動は多岐にわたる。ニューヨークADC賞、東京ADC賞グランプリ、伊丹十三賞、日本建築学会賞など多数受賞。

「青の森へ」の原画も掲載されていました。
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上記『東奥日報』さん記事ではよく判らなかったのですが、かなり横長の作品なのですね。そしてほぼ中央に「乙女の像」。ありがたいことです。

当方、青森へも時々足を運びますが、いつも新幹線です。今度はこれを観るために空路を使ってみようかな、などと思いました。ただ、あまり飛行機に搭乗するのは好きではありませんで……(笑)。「あんな重たいものが空を飛ぶはずがない」などと非科学的なことは言いませんが、着陸態勢に入った際のツンツンツンと少しずつ高度を下げていくあの感覚が気持ち悪いのです。20年以上前になりますが、北海道に飛んだ際、濃霧のため新千歳空港になかなか着陸出来ず、1時間程も上空を旋回したことがあり、その際は酔いそうでした(笑)。

さて、続報に注意していたいと思います。

【折々のことば・光太郎】

〈(前の水田で蛙がしきりに啼く。美しき声なり。)〉〈夕方蝙蝠一匹軒をとぶ〉

昭和21年(1946)4月9日の日記より 光太郎64歳

田舎あるあるですね(笑)。当方も、以前、古い友人から夏の夜に電話がかかってきた際、受話器を通しても友人の耳には蛙の声が凄かったそうで「お前、どんな所に住んでるんだ?」と言われました。こちらは蛙の合唱など、慣れてしまってまったく気にならなかったのですが(笑)。

ついでに言うなら、コウモリも時折見かけます(笑)。

過日、ご紹介しました青森十和田湖畔でのイベント、「カミのすむ山 十和田湖 光の冬物語 2020-2021 in国立公園十和田湖 十和田神社 by FeStA LuCe」が開幕しました。

地元の報道から。まず地方紙『東奥日報』さん

多彩な光 十和田湖畔に魅力/「冬物語」開幕

「カミのすむ山 十和田湖」-。地元に残る伝説を基に夜の十和田湖畔を電飾で彩る「光の冬物語」が18日、青森県十和田市休屋地区の十和田神社をメイン会場に開幕した。参道や湖畔をイルミネーションなどで演出し、家族連れらが幻想的な空間に酔いしれた。
 十和田神社の鳥居をスタート地点に本殿、乙女の像、湖畔を巡る約1キロのコースを設定。イルミネーション、3D、レーザー、ライトアップ、プロジェクションマッピングなどを駆使し、「生の光」「風の光」「願の光」など六つのエリアを設けた。
 来場者は、光の点が雪のように舞う演出に歓声を上げながら、普段と違う雰囲気を楽しんだ。十和田湖小学校1年の森田陽菜(ひな)さん(6)と同2年の姉・真由さん(8)は「シカとかウサギとか動物がたくさん。ダイヤのような道もあってきれいだった」と話した。
 光の冬物語は、巨大雪像や連夜の花火などを展開してきた「十和田湖冬物語」のリニューアルイベント。実行委員会(中村秀行委員長)が、和歌山市などで同様のイベントを企画する団体に協力を依頼した。
 来年1月31日まで毎晩午後5-9時。中学生以上は入場料(当日1600円、前売り1200円)が必要。問い合わせは実行委(電話0176-75-1531)へ。
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続いて、ATV青森テレビさん

十和田湖の新イベント「光の冬物語」開幕

青森県十和田市で、冬の十和田湖をイルミネーションやプロジェクションマッピングで彩る新たなイベント「十和田湖光の冬物語」が11月18日に開幕しました。点灯式では、関係者や地元の人たちがイベントの開幕を祝いました。「十和田湖光の冬物語」は、毎年2月に雪像や花火などを行っていたイベントを、2020年からイルミネーションイベントに一新しました。会場の中心となる十和田神社の参道には、およそ230メートルにわたって動物をモチーフにした高さ2メートルほどの巨大なイルミネーションが10体並ぶほか、広大な空間を活用したプロジェクションマッピングも楽しむことができます。十和田湖光の冬物語は2021年1月31日まで、十和田神社を中心に十和田湖畔をおよそ1キロにわたって、色鮮やかなイルミネーションで彩ります。
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最後に、仙台に本社を置く地方紙『河北新報』さん

十和田湖畔彩る「光の冬物語」開幕 来年1月末まで

 十和田湖(青森県十和田市、秋田県小坂町)の冬祭り「カミのすむ山 十和田湖 光の冬物語」が18日開幕した。従来の内容を一新し、十和田神社の参道や散策路を多彩なイルミネーションで彩る。来年1月31日まで。
 湖畔に残る大蛇伝説を基に、六つのストーリーを幻想的な光と音楽で演出。参道や散策路に鹿などの像が置かれ、プロジェクションマッピングで投影された光が樹木に揺らめいた。
 地元の小学生らによる点灯式が現地であり、小山田久市長は「光をテーマに、歴史と伝統に彩られた冬のイベントが誕生した。多くの人が来ることを期待したい」と話した。
 開催は午後5~9時。小学生以下無料で、中学生以上1200円(当日1600円)。昨年までは花火大会や雪像作りなどを実施していたが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、取りやめた。
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光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」もコースに入っており、ライトアップが為されているそうです。十和田奥入瀬観光機構の方から送っていただいた画像。感謝です。
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コロナ禍には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

大体自然を性で区別すれば湖というのは女性になるが、十和田湖の場合は乙女ともいうべきもので本当に『聖』そのものだ。こんな意味を表現したモニマンであれば大自然の中にモニマンが立つていてもちつともおかしくない。


談話筆記「傑作が出来そうだ 十和田湖は乙女 
意欲に燃ゆ高村さん 十和田の水を賛嘆」より
昭和28年(1953) 光太郎71歳

上記「光の冬物語」を最初に紹介した日に、これを引用しようと思っていたのですが、忘れていました。

中野の貸しアトリエで「乙女の像」を制作中の光太郎を、『東奥日報』東京支局寺山記者が訪れて取った談話の一節です。確認出来ている限り、「乙女の像」に関し、光太郎自身が「乙女」という語を使った最初の記録です。ただ、像というより、十和田湖本体に「乙女」をイメージしていたという感じではありますが。

また、「乙女の像」という語は、かつては「仁王像」「騎馬像」のように普通名詞として使われていた語でもあります。

光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ、青森十和田湖からイベント情報です

昨冬まで「十和田湖冬物語」として開催されていたイベントが、新型コロナの影響もあるのでしょう、形を変えて実施されるようです。

カミのすむ山 十和田湖 光の冬物語 2020-2021 in国立公園十和田湖 十和田神社 by FeStA LuCe

期 日 : 2020年11月18日(水)~2021年1月31日(日)
会 場 : 十和田神社 青森県十和田市大字奥瀬十和田湖畔休屋486
時 間 : 17:00~21:00
料 金 : 前売チケット おとな1,200円(税込)当日チケット おとな1,600円(税込)
      小学生以下無料

イルミネーションと光の十和田神社 あたらしい「冬物語」がはじまる!

舞台は国立公園十和田湖十和田神社。日が暮れる頃より、大きな樹木に囲まれた鳥居をくぐり、約1kmの道のりを歩いていきます。修験者が修行や祈願をしていた「開運の小径」の”6”になぞらえて、6つの光の演出を中心に、光で道を作り人々をいざなう。荒れた湖が平和で穏やかになり、人々が祈願に訪れる場所になるまでの様子をイルミネーション、3D、レーザー、ライトアップ、プロジェクションマッピング、など森に溶け込んだ光と音楽の演出で湖畔を帰る道のりまでを創ります。
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これまでは、夏期には駐車場として使われている広大なエリアを特設会場に、自衛隊の皆さんのご協力で巨大雪像が作られ、その前のステージでコンサートやプロジェクションマッピングが行われたり、花火の打ち上げがあったり、会場内にはプレハブやかまくらのブースが出たりというイベントでした。当方、平成26年(2014)平成30年(2018)にお邪魔しました。

今回は特設会場ではなく、通常の街並みが会場となるようで、「十和田神社周辺全長約1kmの道のりを、諸説語り継がれる十和田湖伝説をもとに、イルミネーションやプロジェクションマッピングを使い、神秘的な光で演出」だそうです。

また、これまでは「乙女の像」のライトアップが為されていたのですが、今回はどうなるのか、問い合わせてみます。

追記 例年通り、「乙女の像」のライトアップも為されるそうです!

夏の「湖水まつり」も、昨年までは花火大会的なイベントだったのが、今年からランタン打ち上げをメインに様変わり。冬も大きくリニューアルということで、どんな感じになるのかな、というところです。

報道等がなされましたらまたご紹介いたします。

【折々のことば・光太郎】

天性的に、生涯、童子の性情を失ひ切らぬ者がある。かゝる種類の詩人こそ、天成の童謡詩人で、童謡とは本来斯の如き詩人にのみ許された詩の一ジヤンルであつて、斯の如き詩人以外の詩人の筆のすさびに成る、童子の発想法を模倣した片言まじりの詩の如きは、極言すれば童謡の冒涜に過ぎない。


散文「藻汐帖所感」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

最近発見した童謡に関する評論です。子供向けだからといって馬鹿にするな、と、手厳しい論調になっています。くわしくはこちら

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