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NHK Eテレさんで放映されている「にほんごであそぼ」。2月3日(月)~7日(金)まで、光太郎特集を組んで下さいました。さらに再放送が2月17日(月)~21日(金)でした。

今度は新作で、光太郎詩「レモン哀歌」(昭和14年=1939)を取り上げて下さいます。 

にほんごであそぼ 「レモン(1)レモン哀歌」

NHK Eテレ 2020年3月2日(月) 午前6時35分~午前6時45分/ 午後5時00分~午後5時10分

日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら『日本語感覚』を身につける番組。言葉を覚え始めるお子さんから大人まで、あらゆる世代の方を対象に制作しています。

そんなにもあなたはレモンを待つてゐた「レモン哀歌」高村光太郎、ひゃくにん・いっしゅの百人一首劇場/瀬を早み岩にせかるる瀧川の われても末に逢はむとぞ思ふ(崇徳院)、童謡「鉄道唱歌」、うた「うれしや歌舞伎 ~三人吉三・髪結新三~」

出演 美輪明宏 中村勘九郎 中村勘太郎 小錦八十吉 おおたか静流 池田鉄洋 中村いてう 中村仲助 ほか


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3月2日(月)~3月5日(木)までが「レモン」の特集だそうで、その初日に「レモン哀歌」。ありがたいところです。関係者と思われる方のブログで、1月に収録があったという話を読み、近々放映があるだろうと思っていたところではありました。

それから、3月6日(金)の放映では、「道程」(大正3年=1914)が取り上げられます。こちらは「リクエスト」ですので、以前の映像の使い回しかも知れません。

にほんごであそぼ 「リクエストより」

NHK Eテレ 2020年3月6日(金) 午前6時35分~午前6時45分/ 午後5時00分~午後5時10分

ひこうき山陽たんけんたい/「恩讐の彼方に」菊池寛、ヨシタケシンスケのはい!ここで名文/「道程」、野村萬斎/「梟山伏」その二、名台詞かるた/一目見ん、うた「うれしや歌舞伎 ~髪結新三~」

出演 野村萬斎 野村裕基 神田山陽(三代目) 中村勘九郎 中村勘太郎 おおたか静流 万作の会 中村いてう 中村仲助 ほか



ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

「道程」を書いたことは私のその頃の本当の気持をぶち込んだだけ自分としては記念のものであるが、詩としては穉いものだ。

談話筆記「『道程』の思ひ出――芸術院授賞に際して――」より
 昭和17年(1947) 光太郎60歳

前年創設された帝国芸術院賞の第一回受賞者と作品は、小磯良平の戦争画「娘子関を行く」、川田順の歌集『鷲』及び『国初聖蹟歌』、そして光太郎の『道程』でした。

大正3年(1914)刊行の『道程』に対し、今さら感が拭えませんが、昭和15年(1940)には『道程改訂版』が刊行されており、この時期、再び『道程』に脚光が当たっていたのは事実です。

ただ、大政翼賛会協力会議の議員や、日本文学報国会詩部会長などを歴任していた光太郎に対する箔付けといった意味合いが濃かったようにも思われます。

第64回連翹忌――2020年4月2日(木)――にご参加下さる方を募っております。詳細はこちら。新型コロナウイルス対策でイベントの中止等が相次いでおりますが、今後、パンデミック的な事態になってしまった場合は別として、今のところ予定通り実施の方向です。

来る4月2日(木)に日比谷松本楼様に於いて予定しておりました第64回連翹忌の集い、昨今の新型コロナウイルス感染防止のため、誠に残念ながら中止とさせていただくことに致しました。

NHK Eテレさんで放映されている「にほんごであそぼ」。2月3日(月)~7日(金)まで、光太郎特集を組んで下さいました。ほぼ過去の映像の使い回しでしたが、それだけに「ああ、こんなのもあったっけな」という感じでした。また、当方が存じ上げなかっただけかも知れませんが、新作(?)もあったような……。

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で、来週、2月17日(月)~21日(金)で、再放送があります。 

にほんごであそぼ

日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら『日本語感覚』を身につける番組。言葉を覚え始めるお子さんから大人まで、あらゆる世代の方を対象に制作しています。

「高村光太郎(1)冬が来た」
2020年2月17日(月) 午前6時35分~午前6時45分/ 午後5時00分~午後5時10分
きっぱりと冬が来た「冬が来た」高村光太郎、絵あわせ百人一首/山里は冬ぞ寂しさまさりける人目も草もかれぬと思へば(源宗于朝臣)、歌舞伎/舞づくし「京鹿子娘道成寺」より、投稿ごもじもじ、童謡「ペチカ」、リクエストより・うた「ベベンの冬が来た」「道程」
出演 美輪明宏 中村勘九郎 小錦八十吉 おおたか静流 うなりやベベン ほか

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「高村光太郎(2)人に」
2020年2月18日(火) 午前6時35分~午前6時45分/ 午後5時00分~午後5時10分
ひこうき山陽/いやなんですあなたのいってしまふのが「人に」高村光太郎、野村萬斎/立春、絵あわせ百人一首/淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜寝覚めぬ須磨の関守(源兼昌)、童謡「早春賦」、はんじえ/ふじばかま→めじろ、うた「道程」
出演 野村萬斎 三代目神田山陽 おおたか静流 ほか

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「高村光太郎(3)道程」
2020年2月5日(水) 午前6時35分~午前6時45分/ 午後5時00分~午後5時10分
ヨシタケシンスケのはい!ここで名文・ひこうき山陽/僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る「道程」高村光太郎、絵あわせ百人一首/人もをし人もうらめしあぢきなく 世を思ふゆゑにもの思ふ身は(後鳥羽院)、ぎお~んごー/歩く、童謡「早春賦」、投稿ごもじもじ、うた「道程」
出演 美輪明宏 三代目神田山陽 小錦八十吉 おおたか静流 白A ほか

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「高村光太郎(4)あどけない話」
2020年2月6日(木) 午前6時35分~午前6時45分/ 午後5時00分~午後5時10分
文楽/智恵子は東京に空が無いといふ「あどけない話」高村光太郎、絵あわせ百人一首/君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな(藤原義孝)、投稿ごもじもじ、童謡「早春賦」、うた「道程」
出演 竹本織太夫 鶴澤清介 三世桐竹勘十郎 おおたか静流 ほか

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「高村光太郎(5)牛」
2020年2月7日(金) 午前6時35分~午前6時45分/ 午後5時00分~午後5時10分
牛はのろのろと歩く「牛」高村光太郎、野村萬斎/摺り足、リクエストより・うた「ことわざしりとり」
出演 美輪明宏 野村萬斎 小錦八十吉 ほか

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「うた」のコーナーの「道程」は、やはりこれまでにも放映された坂本龍一さん作曲のものですが、長短2バージョンあり、両方とも放映されます。

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ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

詩を本気に書く気になつたのは後年巴里に行つてボオドレエルとヴエルレエヌとに強く打たれたからの事である。

散文「紐育より巴里へ」より 昭和3年(1928) 光太郎46歳

明治41年(1908)、パリへ移った光太郎は、プルースト研究家であったマリー・ノードリンガーという女性に、フランス語を教わりました。マリーがテキストに使用したのがボードレールやヴェルレーヌの詩。はじめ光太郎はそれらを童謡かと思ったとのことです。

しかし、そうでないと知るや、詩とはこんなにも平易な日常語で書いていいものなのだと思ったそうです。

2本ご紹介します。まず、再放送ですが。 

偉人たちの健康診断「与謝野晶子 悩める乙女と恋の病」

NHK BSプレミアム 2020年2月13日(木) 8:00~9:00

自らの恋心を赤裸々に官能的につづり、世間を騒がせた歌人・与謝野晶子。その素顔は引っ込み思案で内気な文学少女だった。何が晶子を「情熱の歌人」に変貌させたのか?それは晶子を襲った深刻な病…「恋の病」だった。恋は人の脳にどのような影響を与えるのか?脳科学と心理学から恋の病の症状を診断。さらに鉄幹と結婚後、破綻の危機に直面した夫婦関係を劇的に改善した晶子の秘策にも迫る。愛に生きた人生を健康面から読み解く。

【出演】関根勤 カンニング竹山 光浦靖子  【解説】森下明穂 植田美津恵  【司会】渡邊あゆみ

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2月6日(木)の本放送、北原白秋や石川啄木には触れられたものの、残念ながら光太郎の名は出ませんでしたが、興味深く拝見しました。お世話になっている明星研究会の松平盟子氏もご出演。

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晶子の生涯をひもときながら、その時々の「病」を「診断」。まずは……

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妻子ある寛(鉄幹)との道ならぬ恋について。光太郎智恵子につながる部分もあるな、と思いながら観ていました。

結婚後、しばらく経つと、寛の方が……

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『みだれ髪』で時代の寵児となった晶子に対し、古くさいと言われるようになった寛。これも立場を変えると光太郎に対する智恵子の苦悩にも似ているように感じました。

そして晶子も……

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これまた智恵子にもあてはまるような。「感情を表に出すのが苦手」という部分はもろにそうでしたし、光太郎の彫刻制作を優先させるため、自分の油絵制作の時間を削っていたエピソードは「いい妻」であろうとしたということに思えます。次の「仕事や家事に手が抜けない」。油絵は完璧な作を目指し、結局、うまくいかずに完成させることができなくなってしまった智恵子。家事の部分では、それを放棄して1年のうち数ヶ月は福島の実家に帰っていたこともありました。そう考えると、自分の油絵制作の時間を削ってまで率先して家事に取り組んだ時と、大きな振幅がありますね。それがそのまま智恵子の心理状態のアンバランスさを表しているような……。

そして「弱音」。有名な「あどけない話」(昭和3年=1928)の一節「東京に空が無い」「ほんとの空が見たい」「阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に/毎日出てゐる青い空が/智恵子のほんとの空だ」あたりは、智恵子の遠回しの「弱音」だったように思われます。それを光太郎がどの程度、理解していたのか……。

しかし、寛と晶子、こちらは智恵子のように心の病となることはありませんでした。その契機となったのは……

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不安定になった寛をパリへと送り出し、のちに自らもその後を追った晶子。帰国後も、国内各地に旅を重ねることで、夫婦の絆が再構築されたというのです。

たしかに光太郎智恵子も、与謝野夫妻のようにしていれば、また違った結末になったでしょう。

そして寛に先立たれ、自らも死の床についた晶子。

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ここでも昭和13年(1938)、南品川ゼームス坂病院で、「昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つ」(昭和14年=1939 「レモン哀歌」)し、その生を終えた智恵子の姿がダブりました。しかし、晶子は数え65歳でそれなりに幸福な天寿を全うし、智恵子は同じく53歳で「七年の狂気は死んで終つた」(昭和15年=1940 「梅酒」)。ある意味、対照的でもあります。

というわけで、「偉人たちの健康診断」、与謝野夫妻専門の方に言わせれば突っ込みどころがいろいろあるのでしょうが、そうでもない当方、興味深く拝見しました。見逃した方、ぜひ再放送をご覧下さい。


テレビ放映情報ということになりますと、もう1件。 

聖火ロード5min.「青森 巨大ねぷたでリレーを彩る!」

NHK BS1 2020年2月10日(月)24時00分~24時05分=2月11日(火)午前0時00分~0時05分

3 月 26 日、福島県をスタートする“東京 2020 オリンピック聖火リレー”。121 日間をかけて全国 857市区町村を巡る。聖火が駆け抜ける地域は、各地を代表する魅力あふれる場所。歴史あふれる街道や、地域の営みを感じる街並み…。そんな地域色豊かな“聖火ロード”を、聖火を迎える各地の動きとともに、47都道府県ごとに5分間で紹介。

スタートは弘前城▽東北で唯一の江戸時代から残る天守閣▽ブナの原生林が広がる白神山地の玄関口の西目屋村も▽五所川原では立佞武多の館で歓迎式典▽高校生もお囃子でお出迎え▽さらに十和田湖湖畔を巡り▽八戸市館鼻漁港の朝市にも!

出演 泉浩  語り 満仲由紀子

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昨秋から断続的に放映されている5分間番組です。

東京オリンピックの聖火リレー、青森県内では十和田湖畔の観光交流センター「ぷらっと」から、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」までもコースに入っています。まぁ、5分間番組ですし、サブタイトルが「ねぷた」ですので、十和田湖がどの程度紹介されるか、というところですが、ぜひご覧下さい。ちなみに2月12日(水)24:00~(=2月13日(木)午前0時00分~)は岩手編だそうです。


【折々のことば・光太郎】

通俗的に云つて「職人気質」と云つた気風を極度に持つてゐたやうで、その気分からの潔白さが父の人格に漲つて居るやうに思ひます。今の芸術家に見出せないやうな神経質な潔白さです。

談話筆記「恵まれたる優生遺伝の名家」より
 大正11年(1922) 光太郎40歳

光太郎、作品の芸術性といった点に於いてはあまり高い評価ができないと感じていた父・光雲に対し、その人格という部分ではこのように捉えていました。

光太郎の本格的な文学活動の出発点、『明星』における光太郎の師・与謝野晶子をメインとしたテレビ番組です。 

偉人たちの健康診断「与謝野晶子 悩める乙女と恋の病」

NHK BSプレミアム 2020年2月6日(木) 20:00~21:00  再放送 2月13日(木) 8:00~9:00

自らの恋心を赤裸々に官能的につづり、世間を騒がせた歌人・与謝野晶子。その素顔は引っ込み思案で内気な文学少女だった。何が晶子を「情熱の歌人」に変貌させたのか?それは晶子を襲った深刻な病…「恋の病」だった。恋は人の脳にどのような影響を与えるのか?脳科学と心理学から恋の病の症状を診断。さらに鉄幹と結婚後、破綻の危機に直面した夫婦関係を劇的に改善した晶子の秘策にも迫る。愛に生きた人生を健康面から読み解く。

【出演】関根勤 カンニング竹山 光浦靖子  【解説】森下明穂 植田美津恵  【司会】渡邊あゆみ


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この番組では、昨年、「東京に空が無い “智恵子抄”心と体のSOS」ということで、光太郎智恵子を取り上げて下さいました。智恵子が色覚異常だったと断定してしまった部分は納得が行きませんでしたが、それ以外はおおむね首肯できる内容でした。

今回は、「恋の病」に苦しんだ晶子だそうで、これもまた面白そうです。ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

人間の世にはいつの時でも水底に立つ者と、水面に動く者とが居た様です。水の意味を真に感ずる者は、言ふ迄もなく水底に立脚地を持つ者のみの事であります。水面に動く者の喜怒哀楽はすべて泡沫のように無駄です。水底に立つ者の心は直ちに水の本体と関係します。

散文「〔イェルゲンセン「癩病患者に与へる接吻」訳にそへて〕」より 
大正5年(1916) 光太郎34歳

「水面に動く者」=「目立つ場所、スポットライトの当たる場所で軽佻浮薄な活動にうつつを抜かし、世間の評価に一喜一憂する者」、「水底に立つ者」=「目立たぬ場所で己を空しゅうし、全体の利益を考えて慎重に行動する者」といったところでしょうか。

光太郎自身は自分を「水底に立つ者」と定義し、経営的にはまるで成り立たなかった画廊「琅玕洞」などの活動がそれに当たるとしています。

NHK Eテレさんで放映されている「にほんごであそぼ」。来週1週間、光太郎特集を組んで下さいました。ありがたし。ただ、10分間の番組ですが、全編が光太郎、というわけではないようです。 

にほんごであそぼ

日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら『日本語感覚』を身につける番組。言葉を覚え始めるお子さんから大人まで、あらゆる世代の方を対象に制作しています。

「高村光太郎(1)冬が来た」
2020年2月3日(月) 午前6時35分~午前6時45分/ 午後5時00分~午後5時10分
きっぱりと冬が来た「冬が来た」高村光太郎、絵あわせ百人一首/山里は冬ぞ寂しさまさりける人目も草もかれぬと思へば(源宗于朝臣)、歌舞伎/舞づくし「京鹿子娘道成寺」より、投稿ごもじもじ、童謡「ペチカ」、リクエストより・うた「ベベンの冬が来た」「道程」
出演 美輪明宏 中村勘九郎 小錦八十吉 おおたか静流 うなりやベベン ほか

「高村光太郎(2)人に」
2020年2月4日(火) 午前6時35分~午前6時45分/ 午後5時00分~午後5時10分
ひこうき山陽/いやなんですあなたのいってしまふのが「人に」高村光太郎、野村萬斎/立春、絵あわせ百人一首/淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜寝覚めぬ須磨の関守(源兼昌)、童謡「早春賦」、はんじえ/ふじばかま→めじろ、うた「道程」
出演 野村萬斎 三代目神田山陽 おおたか静流 ほか

「高村光太郎(3)道程」
2020年2月5日(水) 午前6時35分~午前6時45分/ 午後5時00分~午後5時10分
ヨシタケシンスケのはい!ここで名文・ひこうき山陽/僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る「道程」高村光太郎、絵あわせ百人一首/人もをし人もうらめしあぢきなく 世を思ふゆゑにもの思ふ身は(後鳥羽院)、ぎお~んごー/歩く、童謡「早春賦」、投稿ごもじもじ、うた「道程」
出演 美輪明宏 三代目神田山陽 小錦八十吉 おおたか静流 白A ほか

「高村光太郎(4)あどけない話」
2020年2月6日(木) 午前6時35分~午前6時45分/ 午後5時00分~午後5時10分
文楽/智恵子は東京に空が無いといふ「あどけない話」高村光太郎、絵あわせ百人一首/君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな(藤原義孝)、投稿ごもじもじ、童謡「早春賦」、うた「道程」
出演 竹本織太夫 鶴澤清介 三世桐竹勘十郎 おおたか静流 ほか

「高村光太郎(5)牛」
2020年2月7日(金) 午前6時35分~午前6時45分/ 午後5時00分~午後5時10分
牛はのろのろと歩く「牛」高村光太郎、野村萬斎/摺り足、リクエストより・うた「ことわざしりとり」
出演 美輪明宏 野村萬斎 小錦八十吉 ほか


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ラインナップを見ると、どうもここ数年間で放映されたものの再編集のようです。昨年には同様の企画で、当会の祖・草野心平が1週間取り上げられていました。ちなみに「うた」のコーナーの「道程」は、やはりこれまでにも放映された坂本龍一さん作曲のものでしょう。

こうしてみると光太郎詩、あえて子供向けに書かれたものでなくとも、子供にもある程度理解できる内容のものが多いのだな、と感じました。逆に、あえて子供向けに書かれたもの(戦時中に多いのですが)には、ほとんどろくなものがありません。「少年飛行兵の夢」(昭和18年=1943)とか、「ぼくも飛ぶ」(同)とか……。

閑話休題、「にほんごであそぼ」、ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

男女が一緒になれば、自然に家事が出来ます。正当に住むによい様にする為めには、女は女だけの仕事がありませうが、力業を要する事は男子のするのが当然で、それをするので職業の妨げになるといふのは、怠慢を弁護する申分でせう。
談話筆記「妻君の位置」より 大正4年(1915) 光太郎33歳

ここで云う「家事が出来ます」は、やらなければならないことが生じる、という意味でしょう。

光太郎、当時としては家事の分担をかなり担っていた方だと思われます。ただ、「力業を要する事は男子のするのが当然」ということは、「力業を要しない事は男子がやらなくともよい」ということになり、「女は女だけの仕事がありませう」あたりと併せ読むと、まだまだその辺の意識は不十分だったようにも思えます。

しかし、「力業を要しない事は女子がやるのが当然」とは云っていませんのでよろしく。

2020年となってしまいましたが、暮れの内に光太郎らがメディアで紹介された件をご紹介しておきます。


まず、『朝日新聞』さん。12月28日(土)の書評欄。同紙で書評をご担当の方々が、「今年の3点」をそれぞれ挙げられている中に、中村稔氏ご執筆の『高村光太郎の戦後』を選ばれた方が。

心を揺さぶる本とともに 書評委員が選ぶ「今年の3点」 石川健治(東京大学教授)

①人外(にんがい、松浦寿輝著、講談社・2530円)001
②主権論史 ローマ法再発見から近代日本へ(嘉戸一将著、岩波書店・9900円)
③高村光太郎の戦後(中村稔著、青土社・2860円)
 人外という「被造物の尊厳」との対比で「人間の尊厳」を考えさせるのは①。人格の始期と終期、人格的同一性と「記憶」、人格内部での相剋、人格の「承認」と社会関係、疎外された類的存在=他者としての「神」など根本問題を巡る。
 天皇代替わりの年に、日本的な「国民主権と天皇制」の存立機制に迫ったのが②。明治憲法と皇室典範の双方を起草した、法制官僚・井上毅の章は必読。
 ③は、己を虚しくして宇宙の大生命を体現しようとした以上責任のとりようがない表現人が、「戦後の」一市民の立場でこれを再読することで「戦後責任」をとろうとした事例を探求。射程は当然、自主表現人(筧克彦)であった現人神(あらひとがみ)天皇と、戦後の象徴天皇の関係にも及んでいよう。

石川氏、7月の同紙には「自らの「愚」究明する表現人の責任」と題した同書の長い書評を寄せられていました。


続いて、NHK Eテレさんで放映の「日曜美術館」とセットの「アートシーン」。12月22日(日)の放映で、光太郎実弟にして鋳金分野の人間国宝だった髙村豊周が取り上げられています(昨年の記事「回顧2019年(10~12月)。」でもちらっとご紹介しましたが)。

東京都庭園美術館さんで、10月から開催されている「アジアのイメージ―日本美術の「東洋憧憬」」展の紹介の中ででした。同展は、日本の近現代の造形作家たちがインスパイアを受けた、「アジア」の伝統的な作品と並べるという、面白い展示が為されています。

まず、古代中国の青銅器。

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豊周の師・香取秀真の作。

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そして豊周。

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かなり磊落な性格だったという豊周ですが、その作は緻密です。

工芸だけでなく、絵画も。光太郎の留学仲間だった安井曾太郎。花瓶がやはり古代中国のものです。

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同展ポスターやフライヤーに使われた、杉山寧の仏画(素描)。

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同館館長の樋田豊次郎氏のコメント。

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同展、1月13日(月・祝)までの開催です。レポートはこちら。ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

質樸な字面のみから考へればこれは不思議のやうであるが、結局詩は内にあるものだけは、どんな形のもとにも必ず人の心へその響を伝へるものであるといふ事を示してゐるのである。

散文「矢野克子詩集『いしづゑ』序」より 昭和18年(1943) 光太郎61歳

「内にあるものだけは、どんな形のもとにも必ず人の心へその響を伝へるものである」。文学作品だけでなく、造型やら音楽やら、あらゆる芸術に当てはまることではないでしょうか。

この日には毎年同じようなことを書いていますが、今年もとうとう大晦日とあいなりました。とりあえず無事に一年を終えられそうで、胸をなで下ろしております。

さて、2019年最後の日、再放送ではありますが、テレビ放映で光太郎が取り上げられます。大晦日ということで、ありがたさが一入(ひとしお)です。 

びじゅチューン! 「指揮者が手」

NHK Eテレ 2019年12月31日(火) 19:50~19:55

古今東西の美術作品を井上涼のユニークな発想でうたとアニメーションに。今回は、高村光太郎の彫刻「手」(東京国立近代美術館所蔵)。この彫刻は、指をやんわり曲げていたり親指が反り返っていたりと、細かいニュアンスを伝えようとしているみたいに見える。これは、オーケストラを動かす指揮者なのかもしれない!「て」という音を効果的に取り入れた歌詞で、左手一本で音楽を自由にあやつる孤高の指揮者を歌う。

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『毎日小学生新聞』さんに「井上涼の美術でござる」という漫画を連載されているマルチアーティスト・井上涼氏の作になるアニメーションを根幹とした5分間番組です。

初回放映は平成30年(2018)10月31日でした。その後、何度目かの再放送となります。

鯰やらレモンやら、それからおそらく九十九里浜など、光太郎を象徴するさまざまなアイテムがちりばめられ、光太郎フリークにはたまりません(笑)。ぜひご覧下さい。


ところで、このブログ、平成24年(2012)にYahoo!ブログとしてスタートしましたが、Yahoo!さんがブログ事業から撤退、やむなく今年8月にLivedoorさんのブログに移転しました。移行ツールを使い、過去の記事は無事にすべて移動できましたが、文字のサイズや画像の位置などがむちゃくちゃになっていたり、Yahoo!ブログ内でリンクを貼っていたりといった点を修正せねばならず、コツコツやって参りました。新しい記事から順次修正し、平成26年(2014)まで来ましたが、結局、今年中には終わりそうにありません。まあ、気長にやろうと思っております。

以前のYahoo!ブログの頃は、そのサービスが終了した今年の初夏ごろまで、毎日のように「閲覧数が多い」ということでご褒美にTポイントが加算されていました。ある程度たまったところで、さまざまな寄付に使わせていただいていましたが、もうそれもできなくなり、その点は寂しい限りです。

閲覧数といえば、Livedoorさんのブログに移転後は、日々の訪問者数が激減しています。特にYahoo!ブログの方がサーバーから削除された後は、1日に十数人とかが当たり前。それもそのはず、googleさんやYahoo!さんなどの検索エンジンで、このブログがほとんど引っかからないというのが大きいようです。別に訪問者数、閲覧数を伸ばして悦に入りたいわけではなく、情報を皆様にお伝えしたいので、今後はフェイスブックやツイッターなどとの併用なども視野に入れなければならないかな、と思っております。


Tポイントの寄付は出来なくなりましたが、皆様方から頂いた郵便物に貼られていた切手の寄贈は、例年通り公益社団法人日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)さんに郵送して寄付いたしました。同会サイト上の「協力団体一覧」の先月分に、「高村光太郎連翹忌運営委員会」として掲載して下さっています。

それから、Tポイントの寄付は出来なくなった分、何かないかと思っていましたところ、思いついたのがベルマーク。以前は当方の子供達がかつてお世話になっていた保育園さんに匿名で郵送していたのですが、そちらは子供達が卒園して20年ほど経ち、現在もベルマークを集めているかどうかわからない状況なので、今年からベルマーク教育助成財団さんにお送りすることに致しました。こちらも郵送で寄贈を受け付けており、しかも東日本大震災被災校支援に限定して使われる「震災寄贈」というカテゴリがあるとのことで、あちらにいろいろご縁のある当会としては、うってつけです。ところが、「震災寄贈」と「一般寄贈」があり、封筒に「震災」か「一般」か明記せねばならなかったのですが、そのあたりの注意事項をよく読まずに何も書かないで送ってしまい、「一般」扱いとなってしまいました。来年以降、気をつけようと思いました。

で、過日、お礼状が届きました。

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さらにJOCSさん同様、サイト上の「今月の寄贈者」欄に載せていただいております。ただ、「高村太郎連翹忌運営委員会」となっていて、笑いましたが(笑)。


さて、明日から2020年。明朝は、これまた例年通り、愛犬をお供に、昭和9年(1934)、心を病んだ智恵子が半年間療養生活を送った九十九里浜片貝海岸に初日の出を見に行って参ります。

来年もよろしくお願い申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

進むに従つて又いろいろな段階を経る事であらうが、大切なのは、どんなに詩境が深くなつても、いつまでも此の初一歩の魂を失はない事である。

散文「藤井照子詩集『石花采』序」より 昭和16年(1941) 光太郎59歳

「石花采」は「てんぐさ」。ところてんなどの原料となる海藻ですね。藤井照子は、光太郎が選者を務めていた雑誌『新女苑』の投稿詩欄から出た詩人。そのため、上記のようなアドバイスが贈られています。のちに光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のモデルを務めた藤井照子とは、同姓同名の別人です。

ちなみにこのブログ、現在開設から8年目。来年5月には9年目に突入します。やはり「光太郎智恵子らに関する情報を広く紹介する」という「初一歩の魂」を「失はない」ようにやっていきたいと存じます。

光太郎ゆかりの地を扱うテレビ番組が目白押しです。ただし、光太郎の名が出てくるかどうか……というところですが。


まず、花巻。 

ブラタモリ#150 花巻~花巻はなぜ宮沢賢治を生んだ?~

NHK総合 2019年12月7日(土)  19時30分~20時15分

「雨ニモマケズ」「銀河鉄道の夜」…多くの名作を生んだ賢治を育んだ花巻の秘密をタモリさんがブラブラ歩いて解き明かす▽地質・鉄道・音楽…賢治とタモリさんの共通点は?

「ブラタモリ#150」で訪れたのは岩手県の花巻市。花巻で生まれ育った宮沢賢治は、ここで何を見て、何を感じたのか?そして名作はどのようにして生まれたのか?▽賢治が農業技術の改良を目指した理由は、東北の地質にあり?▽花巻にいろんな種類の石が集まる理由とは?幼少期の賢治が遊んだ河原でタモリさんも石拾い!▽「銀河鉄道の夜」のモデルになった列車ってどんな形?▽晩年の賢治がつくった「花壇」に込めた思いとは!?

出演 タモリ 林田理沙  語り 草彅剛


メインは宮澤賢治。光太郎と交流があり、その没後には光太郎や当会の祖・草野心平によって世に知られるようになり、それに恩義を感じた父・政次郎らが、光太郎の花巻疎開のお膳立てをしてくれました。

番組では、光太郎が実際に乗った花巻電鉄も大きく取り上げられます。


同じく花巻を含む岩手県内。 

じゅん散歩 岩手

地上波テレビ朝日 各回9:55~10:25

2019年12月2日(月)  「岩手県・盛岡」を散策 ▽レトロ建築が並ぶ「みちのくの城下町」▽“東京駅の兄"明治期の赤レンガ銀行▽伝統工芸品・南部鉄器3年待ちの工房へ

2019年12月3日(火) 「岩手県・花巻」を散策▽菊池雄星&大谷翔平選手の母校!花巻東▽りんご&郷土の味いろいろ 人気直売所▽純ちゃん挑戦!地元名物「わんこそば」

2019年12月4日(水) 「岩手県・中尊寺 平泉」を散策▽源義経&弁慶終焉の地の名物和菓子▽年間200万人来訪!世界文化遺産・中尊寺巡り▽金箔3万枚!金色に輝く金色堂

2019年12月5日(木) 「岩手県・花巻 賢治巡り」▽宮沢賢治の故郷でゆかりスポット散策▽地元土産で人気!特大「最中」▽所蔵4千点!宮沢賢治記念館の直筆原稿

2019年12月6日(金) 「岩手県・盛岡町家」を散策▽明治期の商家が立ち並ぶ町家通り▽伝統建築を改装した町家観光施設▽午後3時からのちょい呑み「もっきり」

出演 高田純次

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来週の放映はすべて岩手。編集の都合なのか、盛岡、花巻、平泉を行ったり来たりの放映です。木曜の放映がやはり賢治がらみです。


続いて、昨日もご紹介した宮城県女川町。 

歌のあとさき「中村雅俊~希望編」

NHK BSプレミアム 2019年12月5日(木)  17時45分~18時00分

歌手の人生を歌とインタビューで紐解く「歌のあとさき」。俳優でありながら、歌手としても多くのヒット曲を生み、今も第一線で歌い続ける「中村雅俊」を取り上げる。

中村の故郷、宮城県女川町は、東日本大震災で被災、復興支援に駆け付けた中村は、学生時代に女川の風景を歌った「私の町」で人々を激励した。続いて発表した「君がいてくれたら」でこれまで出会った全ての人に感謝をこめる。俳優として18年の朝ドラ「半分、青い。」で好演したことをきっかけに初の座長公演も行った中村は、自分と同世代の人を元気づける曲「だろう!」を発表。俳優、歌手として自らを奮い立たせる。

出演 中村雅俊  語り 石澤典夫

これに先立ち、2日(月)には「旅立ち編」、3日(火)が「飛翔編」、4日(水)で「転機編」が放映されますが、番組説明で「女川町」の語が出てくるのは5日(木)だけでした。


さらに、十和田湖。 

夢釣行 ▽十和田湖の彩りを映す可憐なヒメマス~紅葉燃ゆる陸奥ルアーゲーム~

BS日テレ 2019年12月1日(日) 17時00分~17時30分

釣り人の夢は尽きることがありません。幻の魚に出会うこと、大型の魚を狙うこと、旅先の風土や人々に触れること…。そして、心震わせる出来事が、また次の夢へとつながっていきます。この番組では、自然や人々との出会いに満ちた「夢の釣り旅」を追います。

紅葉燃ゆる陸奥の景勝地、十和田湖。秋深まるこの時期、産卵のために浅場を回遊するヒメマスをミノーイングで誘い出す。可憐なトラウトの躍動を天然色の世界に堪能する。

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もう1件。 

その他の人に会ってみた★人気アイドル密着!王林が謎の号泣&十和田湖の(秘)スポット

地上波TBS 2019年12月3日(火) 23時56分~24時55分

この番組は、世の中にあふれる様々なアンケート調査や統計で 「その他」 の項目に含まれるような、その世界での所謂 「王道の選択」 をしなかった異色の経歴の持ち主を “その他さん” と称し、その生き様を追う人物調査バラエティ。

MC を務めるのは、数々の番組で司会を務め、独自の視点で切り込むスタイルが好評の東野幸治。毎回様々なゲストとともに、“その他さん” の人生の選択に驚き、そして時には心温まるエピソードも !? 人とは違う道を選んでいるからこその興味深いエピソードが盛りだくさんの “その他さん” が登場する。

青森のアイドルから全国区に!りんご娘・王林に密着▽銀座で会った初タピオカ女子&潔癖症の美女&吉村宅での謎のパーティー▽十和田湖で会ったエリート官僚が驚きの転身

人気観光地・十和田湖周辺のその他さん
 ◇女性デザイナーが考案「KUMADAKO」とは? ◇エリート官僚が驚きの転身!ホテルの定額サービスとは? ◇願い事が叶う!十和田湖の(秘)パワースポットとは?


MC 東野幸治  進行 江藤愛(TBSアナウンサー)
ゲスト 王林(りんご娘)  吉村崇(平成ノブシコブシ)


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光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」。ちらっとでもいいので映してほしいものです。

それぞれ、ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

詩の本質は意味にもなく、声調にもなく、音韻にもなく、語彙にもない。それらのものは唯詩を形づくる素材であり、手段であり、方式であり、媒体であり、部品である。詩の本質は、その詩全体が人を打つて来る不可避不可抗の感動力であつて、これはもともと無形、無名のものである。指示し得ないけれども人の心に実存する以心伝心の磁力である。

散文「詩の本質」より 昭和18年(1943) 光太郎61歳

早世した宮澤賢治なども、もしこの文章を読んだら「そうそう」と首肯しそうだな、と思いました。











昨夜、NHK BSプレミアムさんで放映された「にっぽんトレッキング100 満喫!紅葉ワンダーランド~安達太良山&磐梯山~」を拝見しました。

智恵子の故郷、福島二本松に聳え「ほんとの空」があると語った安達太良山、そして心を病んだ智恵子が光太郎にもたれ「わたしもうぢき駄目になる」とつぶやいた磐梯山。それぞれの絶景がふんだんに取り上げられました。

しかし、この手の番組で以前はよくあった、枕としての「高村光太郎の『智恵子抄』で「ほんとの空」がある山と謳われた安達太良山」という紹介がなく、代わって「古くは『万葉集』に詠まれた安達太良山」となっていました。やはり令和改元による影響でしょうか。まったく、意外なところで強力なライバルが出現したものです(笑)。

めげずに紹介し続けます(笑)。まず、話の流れで安達太良山系。 

ココに福あり fMAP「温泉より愛をこめて」

NHKBSプレミアム 2019年11月24日(日)  5時00分~5時30分

全国5位130をこえる温泉地がある福島県。その恵みを私たちが享受できるのは、知られざる「人の力」のおかげだ。二本松市の岳温泉に湯を届けるため、雪山に毎週登る男たち。つげ義春の漫画で知られる天栄村の二岐温泉を守るため、ブナの原生林を守った人。金山町の大塩温泉では、日本有数の「炭酸の湯」を集落の共有財産として守り、恵みを分かち合ってきた。福島の自然が生み出す宝物「温泉」をめぐる三つの物語をお届けする。

ココに福あり fMAP」という番組、NHK福島放送局さんの制作で、福島では総合テレビでおおむね毎月第二金曜日の夜に放映されているそうです。そちらが系列のBSプレミアムさんで放映されます。

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今回放映されるのは、福島では昨年3月に放映された回です。したがって、令和改元前なので、「古くは『万葉集』に詠まれた安達太良山」ではなく「高村光太郎の『智恵子抄』で「ほんとの空」がある山と謳われた安達太良山」という紹介がされていてほしいものです(笑)。

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続いてラジオ番組。こちらは完全に「智恵子抄」系です。 

スペシャルプログラム Sound Travelogue ~沢木耕太郎、日本を旅する~ ラジオドラマ 高村光太郎「智恵子の紙絵」

FMヨコハマ84.7 2019年11月28日 24:00~深夜1:00007

作家、沢木耕太郎が日本を旅する番組。今回の舞台は会津若松。高村光太郎「智恵子の紙絵」のラジオドラマとともに、福島の旅の魅力の詰まった「Sound Travelogue=音の紀行文」をお楽しみください。


出演 沢木耕太郎、佐々木望、杉原夕紀、池田理恵 ほか


FM放送ですので電波の届く範囲が限られますが、聴取可能な地域の方、ぜひどうぞ。当方自宅兼事務所のある千葉県は微妙なところです。ただ、昨今はインターネットでもラジオが無料聴取できます(それも地域によりけりですが)ので、そちらで拝聴します。


もう1件。紅葉のライトアップがなされている京都知恩院さんがらみのテレビ番組です。

京都紅葉生中継2019~皇室ゆかりの秋を訪ねて~

BSイレブン 2019年11月24日(日)  19時00分~20時54分

◆晩秋の京都から、鮮やかに色づいた紅葉を かつては宮廷人や平安貴族が風流を楽しむための遊びだった「紅葉狩り」。 町民文化が大きく花開いた江戸時代以降は庶民にも広がり、現代に生きる私たちにも、その儚く美しい姿を見せてくれます。 KBS京都・BS11共同制作『京都紅葉生中継2019』。元号が“令和"となり、天皇陛下即位の礼も行われた本年は、“皇室ゆかりの秋を訪ねて"をテーマに、世界遺産・仁和寺から生放送いたします。◆メイン放送席は、皇室ゆかりの世界遺産“仁和寺" 平成6年(1994)に世界遺産に登録された、仁和寺。平安時代の宇多法皇以来、明治維新に至るまで皇子皇孫が仁和寺の門跡を相続し、御室御所とも呼ばれ親しまれてきました。京都には多くの門跡寺院がありますが、そのはじまりが仁和寺です。 遅咲きの御室桜が有名ですが、実は紅葉の名所でもあり、本年、史上初めて本格的なライトアップを実施しています。◆“皇室ゆかりの名所にある紅葉"を、生中継とVTRで紹介

生中継(予定) ※日本で唯一の皇室の菩提寺である、泉涌寺別院『雲龍院』 ※後嵯峨天皇の勅願寺にして、昨年770年ぶりに公開された『新善光寺』 ※江戸時代に仮御所としても使用された“粟田御所"『青蓮院門跡』 ※9年ぶりに方丈庭園が夜間公開される門跡寺院『知恩院』◆“皇室ゆかりの名所にある紅葉"を、生中継とVTRで紹介


司会 竹内弘一(KBS京都アナウンサー)  八木菜緒(BS11アナウンサー)
ゲスト 賀来千香子(女優)  東儀秀樹(雅楽師)
解説 所功(京都産業大学 名誉教授)
リポーター  村田千弥(フリーアナウンサー)  大倉未沙都(タレント)


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光太郎の父・光雲の手になる聖観音像が取り上げられるといいのですが……。


【折々のことば・光太郎】

私は元来芸術に於ける手技を中々貴ぶものだ。手技を追ふものではないが、手技の純芸術的世界にも深い法悦を感じるものだ。線を目送し、描出を味はひ、色調を静観してゐる事のうちに言ひ知れぬ深い世界を見るのである。

散文「岸田君の芸術の事」より 大正10年(1921) 光太郎39歳

ここで言う「手技」は、「技法」の意。造型芸術に携わる以上、基本的な技法には通じていなければならないということでしょう。ただ、あまりにそうしたテクニックのみに拘るのはよくない、とも。

「岸田君」は岸田劉生。劉生の絵には、そうした「手技」が理想的な形で使われているという話の流れからの発言です。

新刊情報です

日本の名峰 DVD付きマガジン64紅葉色めく湯の山 安達太良山

2019年11月19日 DeAGOSTINI 定価917円+税


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山を愛するすべての人へ 臨場感あふれる映像で名峰に迫る 自然派ドキュメンタリー

秋、山がもっとも美しく着飾る季節。優美な稜線を引く、たおやかな山、安達太良山。錦秋を迎え、その女性的な美しさを際立たせる。

だが、その時は極めて短い。やがて訪れる厳冬期、深い雪と、吹きすさぶ風がこの山の姿を一変させる。

一面、白の世界となるこの山に、かつて冬山の厳しさと、幻想的な美しさを教えられた旅人。まだ知らぬ秋の風景を求めて、再び安達太良山を訪れた。


同じシリーズの44号、『雪煙舞う厳冬の安達太良山』が、今年初めに刊行されています。同じ山の号が刊行されるとは思っていなかったので、嬉しい誤算でした。


このシリーズ、平成25年(2013)から同27年(2015)にかけ、BS TBSさんで放映されていた「日本の名峰・絶景探訪」という登山番組とのタイアップで、同番組を収めたDVDが付録として毎号ついています。本誌の構成も、そのDVDに準じています。

確かにその番組では、平成26年(2014)に、#32雪煙舞う厳冬の安達太良山」、#58 「紅葉色めく湯の山 安達太良山」と、安達太良山が2回取り上げられました。44号は#32、そして今号は#58を元にしています。放映は2回とも、女優の春馬ゆかりさんがナビゲーター。そこで、上記解説に「かつて冬山の厳しさと、幻想的な美しさを教えられた旅人。まだ知らぬ秋の風景を求めて、再び安達太良山を訪れた」とあるわけです。


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あちこちに「高村光太郎」、「智恵子抄」、「ほんとの空」の文字。

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まさに季節としてもいい感じのネタですね。本誌と付録のDVDをご覧の上(上記発行日、奥付に従って11月19日としていますが、10月21日には発売になっています)、ぜひ足をお運び下さい。

ただ、安達太良山、決して易しい山ではありません。つい最近も高齢の方お二人が遭難、亡くなったそうで……。

【折々のことば・光太郎】

老成組は大方皆物欲しげに時代の皮相に照応するやうな主題を選んで小さく固まつて居り、中老組は従来の惰力で唯レイルをすべつて居り、青年組は何が何だかわからないかのやうにジヤズソングじみた無方位の浅さの中に精力を放散させてゐる。
 
散文「帝展彫刻の技術感――低調と混迷との現象――」より
昭和6年(1931) 光太郎49歳

官設展覧会の彫刻の部を評した一文ですが、彫刻に限らず、芸術界一般に対しての苦言にも読めます。

さらに深読みすれば、社会全体――国や地方公共団体、企業、学校、その他あらゆる組織が腐って行く構図のようにも読めます。

テレビ放映情報です。

日曜美術館「わしがやらねばたれがやる~彫刻家・平櫛田中~」

NHK Eテレ 2019年10月27日(日)9:00~9:45  再放送 2019年11月3日(日) 20:00~20:45

西洋化の波が押し寄せる中、日本伝統の木彫の新たな形を模索した平櫛田中。6代目尾上菊五郎と作り上げた代表作「鏡獅子」の制作秘話を通してその生き様(ざま)に迫る。
歌舞伎の6代目尾上菊五郎の姿をとどめた近代彫刻の最高峰「鏡獅子」。実に22年の歳月をかけて作られた全長2mの彩色が施された木彫の像は、圧倒的な存在感を誇る。作者は岡山県井原市出身の平櫛田中(ひらくし・でんちゅう/明治5年-昭和54年)。ロダンなど西洋彫刻が流入し新たな衝撃が広がる時代のなかで、日本伝統の木彫の新たな可能性を模索した平櫛田中。107年の天寿を全うした、その生きざまに迫る。


【出 演】尾上右近 田中修二(大分大学教育学部教授)
【司 会】小野正嗣 柴田祐規子

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光太郎の父・光雲の高弟であり、光太郎とも親しかった平櫛田中がメインです。現在岡山の井原市立田中美術館さんで開催中の田中回顧展にからめての構成のようです。出演される大分大学の田中修二教授、先般、信州善光寺さんでの光雲とその高弟・米原雲海
による仁王像の調査に参加されたり、それをうけて今月初めに開催された「第14回善光寺サミット」で講演をなさったりしています。また、以前から近代彫刻史関連で、さまざまな示唆に富むご著書も世に問われています。

さらに言うなら、現在、熊本市現代美術館さんで開
催中の「きっかけは「彫刻」。―近代から現代までの日本の彫刻と立体造形」展でも展示されている木彫「鏡獅子」にスポットが当てられます。一昨年、テレビ東京さん系の「美の巨人たち」でもこの作品が取り上げられ、興味深く拝見しました。今回も期待しております。

ぜひご覧下さい。


ついでというと何ですが、「日曜美術館」とセットの「アートシーン」。主に放映日の時点で開催中の全国各地の展覧会を紹介する番組です。10月13日(日)の放映では、新宿中村屋サロン美術館さんで開催中の「生誕140年・中村屋サロン美術館開館5周年記念 荻原守衛展 彫刻家への道」が取り上げられました。

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短い時間でしたが、濃い内容でした。ただ、「アートシーン」で紹介された展覧会は「日曜美術館」本体では取り上げられないことがほとんどなので、その意味では残念ですが。



熊本の「きっかけは「彫刻」。―近代から現代までの日本の彫刻と立体造形」展は11月24日(日)まで、中村屋さんの「生誕140年・中村屋サロン美術館開館5周年記念 荻原守衛展 彫刻家への道」が12月8日(日)までの会期です。それぞれ光太郎作品も出ていますので、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

彫刻といふのは唯モデルを見ていろんなポオズの面白い、情趣あるものを作る事でもなく、昔風な唐美人や仏像を今様に彫りなほす事でもない。何しろ或る実体を人間の手で生まうといふのであるから、こんなやり甲斐のある、一生を投じても惜しくない、たのしみな、清雅な錬金術はないわけである。

散文「帝展の彫刻について 完」より 大正14年(1925) 光太郎43歳


田中や守衛も同じようなことを考えていたのではないでしょうか。

2件ほど。

日曜美術館「異端児、駆け抜ける!岸田劉生」

NHKEテレ 2019年10月6日(日)  20時00分~20時45分

フランスの印象派に憧れた大正時代の画壇で、ひとりデューラー風の肖像画を描き続けた異端児がいた。岸田劉生。現代画家の会田誠さんが<意識高い系>画家・劉生を語る。

日本美術史上、最も有名な少女・麗子。岸田劉生が何度も描いた愛娘7歳の肖像「麗子微笑」は、謎のほほえみを浮かべている。また静物画では、果物の配置や色つやに、ただならぬ気配が漂う。そして何の変哲もない“坂道”は、今にもこちらに迫ってきそうな迫力。岸田劉生が描くと、いつも何かがヘン。劉生は日本の洋画家の中で飛びぬけて<意識が高い><理想が高い>と語る現代画家の会田誠さんとともに、劉生の真の姿に迫る。

【司 会】小野正嗣 柴田祐規子
【ゲスト】会田誠(現代美術家)  田中晴子(東京ステーションギャラリー 学芸室長)
【出 演】山内崇嗣(アーティスト) 土師広(修復家)
     都築千重子(東京国立近代美術館 主任研究員)
 塩谷亮(画家)

本放送が9月29日(日)にありまして、拝見しました。東京ステーションギャラリーさんで開催中の「没後90年記念 岸田劉生展」にスポットを当てています。

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同時代の画家の中で、光太郎が最も高く評価していた一人である岸田劉生。なぜ光太郎が劉生を認めていたのか、その理由が分かったような気がしました。というか、彫刻と絵画、ジャンルは違えど光太郎との共通点のようなものが随所に垣間見えたというか。

まず、写実に軸足を置きながらも、単なる細密描写的な写実にとどまらず、深い精神性をも表現しようとしていたこと。


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そのバックボーンにあった、「自然」への賛美。

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そして細かな話ですが、岸田は「岸田の首狩り」と称されるほど、友人たちを捕まえてはその肖像画のモデルにしていました。下記は光太郎とも共通の友人だったバーナード・リーチ

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光太郎も同様に友人知己を片っ端から彫刻のモデルにしていた時期がありました。

それから、それぞれ自分の妻をモデルにしていたという点も共通項です。


そして西洋と東洋の融合。

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結論としては、この時代としては劉生の意識の高さが目立つ、という方向でした。

上記番組説明欄では<意識高い系>となっていますが、「系」がつくと揶揄するニュアンスを含みます。すなわち「意識高い」だけだとプラスの意味、「意識高い系」はマイナスの意味です。本放送を見る前に「おやっ」と気づき、劉生をディスるのかな、と思っていましたが、ちゃんと番組の中でコメンテーターの方が劉生は「系」ではないと否定して下さっていました。説明欄を執筆した方は、その違いをご存じなかったのでしょう。


ところで、9月24日(火)に放映されたBS日テレさんの「ぶらぶら美術・博物館」でも、同じく東京ステーションギャラリーさんで開催中の「没後90年記念 岸田劉生展」を取り上げていましたが、こちらは気がつかず、見逃してしまいました。

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失敗しました。


さて、もう1件。

びじゅチューン!「指揮者が手」

NHKEテレ 2019年10月9日(水)  19時50分~19時55分
        10月14日(月) 5時55分~6時00分  24:50~24:55


古今東西の美術作品を井上涼のユニークな発想でうたとアニメーションに。今回は、高村光太郎の彫刻「手」(東京国立近代美術館所蔵)。この彫刻は、指をやんわり曲げていたり親指が反り返っていたりと、細かいニュアンスを伝えようとしているみたいに見える。これは、オーケストラを動かす指揮者なのかもしれない!「て」という音を効果的に取り入れた歌詞で、左手一本で音楽を自由にあやつる孤高の指揮者を歌う。

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昨年、最初の放映がありました。笑えます。しかし、ただ笑えるだけでなく、よく光太郎について調べていると感心もさせられます。

それぞれぜひ御覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

偽らざる感情の発露は凡て真であつて、同時に美だと思ひます。僕だつて人間ですから、嬉しい時には笑ひもし、癇癪の起つた時には随分怒鳴り散らす事もあります。其前に何の遠慮も会釈もないのです。それと同じ事で画でも矢張書き度くつて書き度くつて耐まらない時がある、さう云ふ時こそ本当のものが出来るのです。

散文「真は美に等し」より 大正2年(1913) 光太郎31歳 

「記者」と「主人」による戯曲風のスタイルで書かれています。上記部分は「主人」のセリフから。

同じ作品の中で「岸田君や木村君の様な人が、もつと沢山現はれて来なければ駄目だと思ひます」とも記されています。

3件ほど。

まず、東京ステーションギャラリーさんで開催中の「没後90年記念 岸田劉生展」関連です。

日曜美術館「異端児、駆け抜ける!岸田劉生」

NHK Eテレ 2019年9月29日(日)  9時00分~9時45分
再放送 10月6日(日) 20時00分~20時45分

フランスの印象派に憧れた大正時代の画壇で、ひとりデューラー風の肖像画を描き続けた異端児がいた。岸田劉生。現代画家の会田誠さんが<意識高い系>画家・劉生を語る。

日本美術史上、最も有名な少女・麗子。岸田劉生が何度も描いた愛娘7歳の肖像「麗子微笑」は、謎のほほえみを浮かべている。また静物画では、果物の配置や色つやに、ただならぬ気配が漂う。そして何の変哲もない“坂道”は、今にもこちらに迫ってきそうな迫力。岸田劉生が描くと、いつも何かがヘン。劉生は日本の洋画家の中で飛びぬけて<意識が高い><理想が高い>と語る現代画家の会田誠さんとともに、劉生の真の姿に迫る。

【司 会】小野正嗣 柴田祐規子
【ゲスト】会田誠(現代美術家)  田中晴子(東京ステーションギャラリー 学芸室長)
【出 演】山内崇嗣(アーティスト)土師広(修復家)都築千重子(東京国立近代美術館 主任研究員)
     塩谷亮(画家)

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ちなみに「没後90年記念 岸田劉生展」に関しては、先週の『日本経済新聞』さんで大きく取り上げられています。

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長いので全文の引用はしませんが、光太郎に触れた箇所を。

38歳で急逝した劉生を厳しい批評家でもあった髙村光太郎は「時代を乗り越えた純美の深い探求者であつた」と偲(しの)び、「神秘の扉はしまつてしまつた。彼にかはる者は無い」と言い切っている(「岸田兄の死を悼む」)。


続いて、智恵子関連で。

昼の特選ドラマ劇場 おかしな刑事~居眠り刑事とエリート警視の父娘捜査

BS朝日 2019年9月30日(月) 12時00分~13時55分

「東京タワーは見ていた!消えた少女の秘密・血痕が描く謎のルート!」▽テレビ朝日系列で2011年に放送された第8シリーズ。篤志家の社長が刺された!その背後には、30年前、東京タワーの下で起きた誘拐事件の影が…!?

出演者  伊東四朗、羽田美智子、石井正則、小倉久寛、辺見えみり、山口美也子、木場勝己、小沢象、丸山厚人、菅原大吉 (他)

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年に数回、再放送が繰り返されています。今年6月にも再放送がありました。二本松の智恵子の生家、その裏山の光太郎詩碑、安達太良山の光太郎詩碑などが舞台となっています。


もう1件。

朝の!さんぽ道 【長野市編】旅人:渡辺正行

テレビ東京 2019年10月3日(木) 7時35分~8時00分

今話題になっている街を訪ね、様々な人にふれあいながらブラブラ街を散歩します。「あっ!」と驚いたり、「へ~!」と感心したり、思わず声に出したくなるような不思議なモノや人を探していきます。さらに、途中で出会った人に「あ~よかったな!」と思った“幸せエピソード”も聞いていきます。もちろんご当地ならではのグルメ情報も満載!騒がしい朝に飽きた人に、1日の始まりを楽しくする!ほんわか散歩番組です。

今週は、芸術の秋に食欲の秋…秋に行きたい街をテーマに、一足先に様々な秋の風景を探して歩きます。ご当地グルメや温泉が登場!

今回は、江戸時代に「一生に一度は善光寺詣り」と謳われた観光名所、善光寺からスタート◆参道で発見!おやきに次ぐ新名物「じゃがバタまん」とは?&200年続く老舗和菓子店がプロデュース!信州産リンゴをたっぷり使ったアップルパイに舌鼓◆8代続く!門前蕎麦の老舗で信州名物のクルミ蕎麦に大満足◆信州のリンゴがぷかぷか浮くリンゴ温泉でほっこり


今年、開眼百周年を迎える、光太郎の父・高村光雲と、その高弟・米原雲海による仁王像などが納められている信州善光寺さんからスタートするそうです。仁王門も取り上げていただきたいところです。


それぞれ、ぜひ御覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

五月の空は水を含んで晴れ、 五月の空はブランダルジヤン。 光り満ちて若く、 木々の新緑大気をよろこぶ。

詩「風かをる」より 昭和16年(1941) 光太郎59歳

いったん作られた後、「四月の馬場」と改題、内容も大幅に変えられて発表された詩の原型から。

ブランダルジャンは「blanc d'argent」。仏語で「銀白色」の意です。

光太郎が終生敬愛し続けた、オーギュスト・ロダンを取り上げるテレビ番組が2件、近々放映されますのでご紹介します。

フランス人がときめいた日本の美術館 #15「大原美術館(岡山・倉敷)」

BSイレブン 2019年9月15日(日)  21時00分~22時00分

《傑作選》日本で初めて西洋美術を紹介▼モネから直接買い付けた絵も収蔵されている、大原美術館。そこには、大原孫三郎と画家・児島虎次郎の知られざる物語があった。

1930年、当時日本で唯一の西洋美術を鑑賞できる美術館として開館した、大原美術館。本館はギリシャローマの神殿建築を模したファサードが印象的。モダンな建築様式の分館、古い蔵を再利用した工芸・東洋館の、三つの館に分かれている。本館入口では、ロダンの彫刻が迎えてくれる。ルノワール、セザンヌ、ゴーギャン、モネの傑作『睡蓮』…名だたる印象派巨匠たちの絵画が一堂に会し、これらのほとんどが常設展示というのも驚き。

いったい誰が、こんな素晴らしいコレクションを? モネからは絵画を直接買い付けたエピソードが?…そこには、実業家・大原孫三郎と、新進気鋭の画家・児島虎次郎との知られざる物語があった。 さらに、「美しく保存された蔵に民藝のコレクションが調和する」とソフィーさんが称した工芸・東洋館では、大原孫三郎の思いを受け継ぎ、生涯に渡って民藝運動を支援し続けた、その長男・總一郎の思いにも迫る。

紹介作品
◆クロード・モネ『睡蓮』 ◆エル・グレコ『受胎告知』 ◆マティス『マティス嬢の肖像』 ◆ジャクソン・ポロック『カットアウト』 ◆児島虎次郎『和服を着たベルギーの少女』◆棟方志功『二菩薩釈迦十大弟子板画柵』 ほか

出演者  旅人 松本愛(モデル・タレント)  語り 椎名桔平


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この番組、週に2回放映があり、金曜日の20時からが新作の放映、日曜日の21時からは過去の放映の再放送となっています。

で、こちらは再放送。初回放映は今年の1月でした。その際には気がつきませんでした。番組説明に「本館入口では、ロダンの彫刻が迎えてくれる。」とあるので、多少の説明はあるのでしょう。

ちなみに今月6日放映の「#45 東京国立博物館『黒田記念館&本館』」では、光太郎作のブロンズ「黒田清輝胸像」(昭和7年=1932)、写りましたが説明はスルー(笑)。ちょっと残念でした。

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もう1件、こちらはもろにロダンです。

プレミアムシアター エイフマン・バレエ「ロダン」&歌劇「イドメネオ」

NHKBSプレミアム 2019年9月15日(日)24時00分~28時35分 = 9月16日(月) 0時00分~4時35分

ロシアの鬼才ボリス・エイフマン振付けのバレエ「ロダン」。彫刻家ロダンと2人の女性の愛憎を描く。▽後半はカーセン演出、マドリード・レアル劇場の歌劇「イドメネオ」

「近代彫刻の父」と呼ばれるロダンと、愛弟子のカミーユ・クローデル、そして妻ローズ。3人の愛と葛藤を、ロシアの鬼才ボリス・エイフマンがダイナミックなダンスで浮き彫りにするバレエ「ロダン」。鍛え上げられたダンサーの肉体が彫像に形を変えていく斬新な振付けに注目。▽1:38~後半は、マドリード・レアル劇場の歌劇「イドメネオ」。演出家ロバート・カーセンがモーツァルトのオペラを現代的な視点で描き出す。

出演
エリック・カトラー,ダビー・ポルティージョ,アネット・フリッチュ,エレオノーラ・ブラット,ベンジャミン・ヒューレット,オリヴァー・ジョンストン,アレクサンドル・ツィムバリュクほか

ナレーション: 水落幸子(みずおち ゆきこ)

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「ロダン」は0時4分~1時36分の放映だそうです。音楽はラヴェル、サン・サーンス、マスネ、ドビュッシー、サティー。なるほど、ロダンと同時代のフランス音楽というわけですね。

番組説明にある「鍛え上げられたダンサーの肉体が彫像に形を変えていく斬新な振付け」、上記画像がそうですが、とんでもないことになっていますね(笑)。

一昨年、歿後百年を記念して公開されたフランス映画「ロダン カミーユと永遠のアトリエ」を彷彿とさせられます。

それぞれぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

詩はわからない程いいのだとえらい人が言つた 詩はつかまへ様のないのがいいとなつかしい詩人が言つた 詩は一気息でなければならぬと巧者な批評家が言つた
詩「現実」初出形より 大正2年(1913) 光太郎31歳

詩「現実」は、雑誌発表時にはもともと11行の詩だったのですが、翌年の詩集『道程』に収められる際、冒頭2行だけの形にばっさり削られました。その削られた部分の抜粋です。

こののち、詩に限らず、造形芸術でも具象より抽象がもてはやされるようになり、現代詩、現代アートにつながっていくわけですが、「わからない程いい」「つかまへ様のないのがいい」というのは、詩でも造型でも具象にこだわった(単なる写実一辺倒ではなかったところに光太郎の本質があるわけですが)光太郎一流のアイロニーですね。

3件ほど。

<BSフジサスペンス劇場>『浅見光彦シリーズ22 「首の女」殺人事件』

BSフジ 2019年9月3日(火)  12時00分~13時58分 

福島と島根で起こった二つの殺人事件。ルポライターの浅見光彦(中村俊介)と幼なじみの野沢光子(紫吹淳)は、事件の解決のため、高村光太郎の妻・智恵子が生まれた福島県岳温泉に向かう。  光子とお見合いをした劇団作家・宮田治夫(冨家規政)の死の謎は?宮田が戯曲「首の女」に託したメッセージとは?浅見光彦が事件の真相にせまる!!

<出演者> 中村俊介 紫吹淳 姿晴香 菅原大吉 冨家規政 中谷彰宏 伊藤洋三郎 新藤栄作 榎木孝明 野際陽子 ほか

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初回放映は平成18年(2006)。年に何度かBS放送で再放送が繰り返されています。細かな部分は端折っていますが、大筋では故・内田康夫氏の原作を忠実に踏襲しています。


続いて、直接光太郎には関わりませんが……。

フランス人がときめいた日本の美術館 #45「東京国立博物館『黒田記念館&本館』」

BS11イレブン 2019年9月6日(金)  20時00分~20時58分

フランス人の美術史家、ソフィー・リチャード氏のメッセージをもとに、フレッシュで透明感のある旅人がトキメキの旅へ。日本の美術館の魅力を再発見する、美術館探索ドキュメンタリー。

黒田清輝に鎧と兜▼日本近代洋画の父・黒田清輝が遺した黒田記念館で、明治時代に日本美術界に新風を巻き起こしたその絵画の数々を堪能。本館では人気の「甲冑」を見る。

東京国立博物館の『黒田記念館』は、“日本近代洋画の父"と言われた黒田清輝の、美術教育に対する遺志を実現するために、昭和3年に建てられた。旧歌舞伎座などを手掛けた岡田信一郎が設計し、2002年には東京都有形文化財にも指定されている。
フランスに留学して西洋美術の基礎を学んだ黒田は、帰国後、後進の育成に尽力。当時はタブー視されていたヌード画や、軽やかな色彩の絵『逍遥』を発表するなど、西洋絵画の基本を日本に広げ、美術界に新風を起こした。
そんな黒田が、多忙な中で時間を見つけては別荘で描いたという「雲」をモチーフとした作品や、手軽な木の板に思いつくままを写生した作品を紹介。技法の縛りから解放された自然な絵からは、黒田の意外な一面を見ることができる。
そして、東京国立博物館本館では、美術品としての「甲冑」の展示を見る。美しい鎧で戦うことは、武士にとって非常に重要であったということを示し、今に伝える甲冑の数々…。実用品であり美術品でもある、そんな甲冑の変遷を見ていく。

紹介作品:黒田清輝「湖畔」「智・感・情」「椅子による女」「逍遥」「雲」、甲冑より「金小札紅糸中白威腹巻」「赤糸威鎧」「仁王胴具足」「裾濃威筋兜」ほか

<出演者> 野村麻純

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東京国立博物館さんの別館的な付帯施設、黒田記念館が取り上げられます。光太郎によるブロンズの「黒田清輝胸像」(昭和7年=1932)が展示されており、そちらも紹介してほしいものです。

光太郎の黒田評。

概括してヒウザン会の傾向をのべると、フオウビズム、印象派、後期印象派の三つに分れ、われわれの崇拝の的はゴオガンとゴツホであつた。先輩の中で、われわれの兎も角承認したのは黒田清輝氏ただ一人である。(「ヒウザン会とパンの会」より 昭和11年=1936)

明治二十年代に黒田清輝が帰朝するまでの日本での油絵研究はすべて変則なもので、油絵具はまるで便利な泥絵具であるかのやうに使はれた。西欧の通俗画の馬鹿正直な通俗的受け入れであつた。脂色で下画きをして其上へ色をつけてゆくやうな古風な方法も伝へられたが、其は別に復興期のグリザイユ方式の深い研究からの理解に由るのではなく、たださう画くものださうだからさう画くといふ程度の事であつた。黒田清輝は太陽のやうに日本の油絵の世界を明るくした。画風もラフアエル コランやレオン レルミトやジユール バスチアン-ルパアジユ風の通俗的外光派に属して居り、画面の陰影を黒でなしに紫に画くといふので紫派といはれた通り日本に初めて明るい外光の写生派を樹立したが、油絵研究上の方法や教学の方面にも従来の五里霧中の状態を一掃して、秩序ある勉強の方式をフランスから正しく輸入した。むしろ日本に於ける油絵は此時から本当に始まつたと言つてもいいのである。(「素材と造型」より 昭和15年=1940)


ついでに、「黒田清輝胸像」についても。

今美術学校と黒田記念館とにある黒田清輝先生の胸像は二三年かかつて其後つくつた。これは黒田先生を学生時代によく見てゐたので作りよかつた。先生の頭蓋の形の特異さが殊に彫刻的に面白かつた。所謂法然(ほふねん)あたまである。この頃から私もだんだん彫刻性についての自分自身の会得に或る信念を持つやうになつた。


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最後に、宮城県限定の放映ですが……。

ミヤギテレビ報道特別番組 千年後のあなたへ 私たち二十歳になりました

ミヤギテレビ 2019年9月7日(土)  10時30分~11時00分

東日本大震災の2年後、女川町の高台に「いのちの石碑」を建てた中学生たちは今年、成人式を迎えた。故郷を離れ、震災の風化を感じながらも、いま伝えたいことがある。

女川中学校の生徒たちは、多くの命が奪われた悲しみを繰り返してはいけないと町内21の浜の最大津波到達地点に石碑を建てる活動を始めた。1基目が建ったのは2013年11月。「夢だけは 壊せなかった 大震災」 生徒たちが授業で考えた俳句を刻んだ。あの日から8年半、番組ではそれぞれが子どもの頃に描いた「夢」へ着実に歩む姿と、1000年後の命を守るためのメッセージを伝える。

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このブログでたびたびご紹介しています、光太郎文学碑の精神を受け継ぐ「いのちの石碑」関連です。そのプロジェクトの中心となって活動してきたかつての中学生達が成人式を迎えたということで、これまでの活動を振り返る内容のようです。

これはぜひ系列の日テレさん系で全国放映もしていただきたいものです。


視聴可能な方、それぞれぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

詩の訳などは素より馬鹿げた事なので、専らあらましを述べたに過ぎない。

雑纂「訳者曰」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

雑誌『星雲』に発表した翻訳「詩篇」(エミイル ブルデル)に附した注から。光太郎は、散文ならともかく、西洋の詩は韻文の要素が強く、原文で読まない限りその魅力は理解できないというスタンスでした。

2件、ご紹介します。

まず、光太郎の師・与謝野夫妻関連。

英雄たちの選択「100年前の教育改革~大正新教育の挑戦と挫折~」

NHKBSプレミアム 2019年8月21日(水)  20時00分~21時00分

目前に迫る2020年の教育改革。子供の自発的学習を促すアクティブ・ラーニング等が、教育現場を大きく変えようとしている。今から100年前、それを先取りするような改革があった。大正新教育運動だ。与謝野晶子など名だたる芸術家や教師たちが、草の根から子供中心の教育を掲げて活躍した。しかし、運動は20年ほどで下火に。大正新教育は、何を目指し、なぜ挫折したのか?現代にも通じる教訓を徹底討論で明らかにする。
【司会】磯田道史 杉浦友紀 
【出演】高橋源一郎 小針誠 山辺恵理子
【語り】松重豊

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大正10年(1921)、与謝野夫妻や西村伊作らによって創設された文化学院さんが取り上げられます。光太郎は西村とも親しく、その求めに応じてゲストティーチャーとして学院に招かれたことがあるはずです。また、日中ハーフの詩人・黄瀛は、光太郎が保証人となって学院に入学するなどしています。


もう1件。女川光太郎祭を開催して下さっている宮城県女川町がらみで。

伊達な旅紀行 いいトコ!みやぎ

BS-TBS 2019年8月26日(月)  18時24分~18時30分

週に一度は伊達な旅。いいトコ!みやぎへさあ出かけましょう。女川町は自然に囲まれた港町。東日本大震災で、町は甚大な被害を受けましたが、住みよい町として整備されました。そんな女川町で新しいスタートに挑戦している方がいます。今回は、女川町・出島へ移住された方をご紹介。

声の旅人・ナレーション 山本里菜(TBSアナウンサー)

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出島(いずしま)は女川湾の入り口に浮かぶ島で、女川光太郎の会・須田勘太郎会長がお住まいです。いずれ行ってみようと思いつつ果たせないでいるのですが、やがて本土と橋でつながる計画が進行中だとか。

それぞれぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

わかつたなんて思うのはまちがいで……。わかつたと思つた人はそこでおしまいですね。
対談「先生山を下る」より 昭和27年(1952) 光太郎70歳

日々これ精進、ということでしょう。

昨日、NHK BSプレミアムさんで放映された「偉人たちの健康診断 東京に空が無い “智恵子抄”心と体のSOS」を拝見しました。

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全体的にはなかなかのクオリティでした。

健康系の番組ですので、心を病んだ智恵子がメイン。そこから様々な知恵を学び取ろうというコンセプトです。

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再現ビデオの部分は、予想通り平成27年(2015)にNHKさんの地上波総合テレビで放映された、「歴史秘話ヒストリア 第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」」からの使い回しでした。しかし、久しぶりに見て、やはり感動してしまいました(笑)。そういえば、MCの渡邉あゆみさん、当時「ヒストリア」でも司会でした。

龍星閣版『智恵子抄』初版の映像も「ヒストリア」からの転用。したがって、「ヒストリア」の際にお貸しした当方手持ちの『智恵子抄』です(笑)。

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コメンテーターとしてご出演なさった、『詩人の妻 高村智恵子ノート』(昭和58年=1983 未来社)の著者・郷原宏氏をはじめ、医学系の専門家の方々による分析や説明など、「なるほど」という点が多く、その点がすばらしいと思いました。

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智恵子の故郷・福島二本松、戦後に光太郎が逼塞した花巻郊外旧太田村、そして光太郎最後の大作にして智恵子の顔を持つ「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ十和田湖などの映像もふんだんに使われていました。

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また、光太郎彫刻や智恵子の紙絵、古写真、ブリヂストン美術館さん制作の美術映画「高村光太郎」から光太郎の動画なども使われ、手間がかかっている丁寧な作りだと感心しました。

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当会顧問・北川太一先生ご所蔵の、智恵子から母・センに宛てた書簡(昭和6年=1931)も。

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同じく北川先生ご所蔵の、結婚前の光太郎から智恵子へのラブレター(大正2年=1913)は紹介されませんでした。

しかし、一点、苦言を呈させていただくと、「智恵子が色覚異常であった」と、ほぼ断言していた点。

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確かにそういう説はあります。その根拠は、智恵子が福島高等女学校時代の親友だった上野ヤスにそう語ったことがある、という証言です。あとは状況証拠的に、結局、油絵で大成できなかったことや、画学生時代に人と違う色遣いを好んでいたという証言、それから光太郎の残した「彼女は色彩について実に苦しみ悩んだ。」(「智恵子の半生」昭和15年=1940)、「その油絵にはまだ色彩に不十分なもののある事は争はれなかつた。その素描にはすばらしい力と優雅とを持つてゐたが、油絵具を十分に克服する事がどうしてもまだ出来なかつた。」(同)という回想がある程度です。

智恵子が色覚について医師の診断を受けたという記録は見あたりません。また、番組でも解説されていましたが、女性の場合は発症率が非常に低い(番組では500人に1人としていました)のです。色覚異常はほぼ100%遺伝によるもので、女性の場合、両親双方から遺伝因子を受け継がないと発症しません。となると、智恵子の父母弟妹などにもその症状が現れているはずなのですが、そうした記録も見あたりません(もっとも、智恵子以外は自覚することができなかったのかもしれませんが)。

そう考えると、智恵子が色覚異常だったと断定するのは早計だと思われます。

ただ、その後の専門家の方の解説が非常に興味深いものでした。人類に一定の割合で色覚異常が発現するのは、狩りをしていた太古の時代の名残だろうというのです。

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保護色で目くらましをはかる獲物や、人類の天敵たる肉食獣を発見しやすいそうで。これは存じませんでした。

後半は、やはりパラアート的な部分、アートセラピーなどの関連で智恵子の紙絵が紹介されました。

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智恵子同様、切り絵に取り組んでいる患者さんもご出演。興味深く拝見しました。

ラストは「乙女の像」。

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8月1日(木)、午前8:00から9:00、同じNHK BSプレミアムさんで再放送があります。ご覧になっていない方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

私はふざけた事は大厭ひなんですけれど、上品なユーモアは好きです。変なあくどい漫画は、手許にあれば裂き捨てる位なんですが、気品高きものは、飽かず眺めます。

談話筆記「悪趣味を排す」より 大正14年(1925) 光太郎43歳

漫画とは同列に扱えないとは思いますが、後の智恵子の紙絵も、「上品なユーモア」「気品高きもの」として、「飽かず眺め」たことでしょう。

テレビ放映情報です。

にほんごであそぼ

NHK Eテレ 2019年7月30日(火) 6時35分~6時45分  再放送 17時00分~17:10

日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら『日本語感覚』を身につける番組。言葉を覚え始めるお子さんから大人まで、あらゆる世代の方を対象に制作しています。今回は、玉屋鍵屋、文楽/智恵子は東京に空が無いといふ「あどけない話」高村光太郎、ヨシタケ×山陽のおよおよ/「蟹工船」小林多喜二、歌/浜辺の歌、五十三次ロケンロー。

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公式サイトに拠れば、「今週は、リクエストを頂いた回の再放送です!」だそうで、調べてみましたところ、平成29年(2017)6月29日に初回放映のあった回のようです。

文楽の三代桐竹勘十郎さんによる人形浄瑠璃仕立てで、光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)の冒頭2行「智恵子は東京に空が無いといふ、/ほんとの空が見たいといふ。」が、50秒間で演じられます。

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この番組、時折、光太郎詩を取り上げて下さるので、ありがたい限りです。再放送や過去の映像の使い回しも多いのですが、それでもありがたく存じます。

ちなみにここ数年ですと、「人に」(大正元年=1912)、「道程」(大正3年=1914)、「」(大正2年=1913)、「冬が来た」(大正2年=1913)など。それらの回も再放送を望みますし、新作もどんどん作っていただきたく存じます。そして、主な視聴対象である小さいお子さん達に、光太郎の名と作品を刻みつけていただきたいものです。


ちなみに明晩はNHK BSプレミアムさんで、やはり「あどけない話」に関わる「偉人たちの健康診断東京に空が無い “智恵子抄”心と体のSOS」が放映されます。併せてご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

ロダンに対する敬愛の情が此の訳をさせたのは素よりの事である。面白づくと一緒に考へられては堪らない。

雑纂「「ランスの本寺」の正誤と訂正、其他」より
 大正4年(1915) 光太郎33歳

翌年、単行書として刊行される光太郎訳の『ロダンの言葉』に関して。「面白づく」は「おもしろいというだけで、無責任にすること。興味本位」。そんなものではないのだよ、という宣言です。

雑誌系を2件。


まず、NHKサービスセンターさんで発行している『NHKウィークリーステラ』。NHKさんのテレビ・ラジオ番組ガイド的な雑誌です。

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明後日放映の「偉人たちの健康診断 東京に空が無い “智恵子抄”心と体のSOS」が、意外と大きく取り上げられています。

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高村光太郎と妻・智恵子の愛の記録 『智恵子抄』を現代医学の視点で読み解く

 太平洋戦争前夜の1941年8月、ある一冊の詩集がこの世に出た。彫刻家の高村光太郎が、妻・智恵子との日々をつづった『智恵子抄』だ。
 明治末期、まだ女性が画家になるなど考えられなかった時代に画家を目指した智恵子。世間の冷たい目にさらされる中、「芸術は自由であるべき」と主張する光太郎に出会い、2人は結ばれる。
 しかし生活は困窮、結婚の翌年、智恵子は肺結核を患う。病状が悪化するたびに福島県の実家へと赴いた智恵子は、東京よりも濃い安達太良山の青空を“ほんとの空”と呼んで愛した。現代医学の視点から見ると、自然に親しむことは副交感神経を活性化し、リラックス効果を得ることができるという。
 智恵子が40代半ばになったころ、商売をしていた実家が倒産。直後から智恵子には、幻覚の症状が表れ、それを絵に描き写すようになる。医師の診断は現代で言う「統合失調症」。入院した智恵子は、差し入れの千代紙などを使って切り絵に没頭していった。近年の研究によると、統合失調症の人は好きなことに熱中すると、症状が安定するという。
 智恵子は何に苦しみ、何を救いとして生きたのか? 美しくも悲しい2人の愛の記録『智恵子抄』を現代医学の目でひもとく。


NHK BSプレミアムさんで、初回放映は明後日、7月25日(木)です。再放送は来週8月1日(木)の朝。ぜひご覧下さい。


続いて、毎月ご紹介しています『月刊絵手紙』さん。「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」という連載があり、今号は昭和14年(1939)の随筆、「書について」から。

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平成29年(2017)の12月号でも、まったく同じ文章が使われましたが、今号が光太郎も絶賛した良寛の書を特集しているということで、あえて同じものを再録したとのことです。

この連載もさらに長く続いて欲しいものです。


【折々のことば・光太郎】

僕の芸術のよい所とわるい所とをたしかにありありと、感知し得るものは世に二人しかない。君は其の貴い一人だ。君にこのあはれな集をおくる僕のまづしい喜びを信じて下さい。

雑纂「水野葉舟宛「道程」献辞」より 大正3年(1914) 光太郎32歳

親友の作家・水野葉舟に贈った第一詩集『道程』の見返しにしたためた文言です。

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二人しかない」という「僕の芸術のよい所とわるい所とをたしかにありありと、感知し得るもの」の一人が葉舟。もう一人は、おそらく智恵子でしょう。

明治末に急逝した碌山荻原守衛が存命であれば、ここに加わったかも知れませんが。

TBSさん系のローカルテレビ局・IBC岩手放送さん。毎週金曜日の夜に「ぶっくまーく岩手」というミニ番組を放映なさっているそうです。

「ブックマーク」は栞(しおり)ですね。「しおりをはさんで、また見たくなる。そんな岩手の映像を、毎週お届けします。いにしえから受け継がれてきた伝統の匠の技、北国ならではの美味しい食べ物、 懐かしくも美しいみちのくの風景、岩手ファンを増やす魅力的な観光地、など、など。2分30秒に凝縮した珠玉の映像と音声で、つづって行きます。」だそうで。

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ネット上でも配信されており、先週、花巻高村光太郎記念館さんの回がアップされました。

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いつ放映されたものかよくわかりませんが、雪の季節のロケだったようで……。

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彫刻作品が展示され、詩の朗読を聞けるコーナーもある、第一展示室。

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光太郎の遺品や書などを展示する第二展示室。

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隣接する、光太郎が昭和20年(1945)の秋から丸7年間を暮らした山小屋(高村山荘)の紹介も。

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全国ネットでも放映していただきたいものです。

また、学校さんも夏休みに入り、そろそろ梅雨明けでしょうし、夏の観光シーズンとなります。ぜひ現地にも足をお運びいただきたく存じます。


【折々のことば・光太郎】

宮沢賢治の清書原稿は甚だきれいであるが、その手記初稿の難読さは想像以上で、殆と古代エジプト的イエログリフに近い。編者はその解読に一方ならぬ努力をしてゐるが、筆写の際、万一にも魯魚の誤なきを期しがたい。

雑纂「宮沢賢治文庫おぼえ書」より 昭和21年(1946) 光太郎64歳

『宮沢賢治文庫』は、昭和21年(1946)から同24年(1949)にかけ、日本読書購買利用組合から、光太郎と賢治の実弟・清六の編集で6冊が刊行されました(予定では全11巻)。装幀・題字は光太郎。各巻に光太郎と清六による「おぼえ書」が収められています。

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当方手持ちのものは、花巻高村光太郎記念館さんに無期限貸与中(笑)。第二展示室にて展示されています。上記は平成28年(2016)にTVIテレビ岩手さんで放映された「5きげんテレビ」から。キャプションが間違っていますが。

それにしても、賢治の筆跡を「イエログリフ(ヒエログリフ)」とは、すごい例えですね(笑)。もっとも、こういう状態ですからむべなるかな、という気もしますが。

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以前もちらっとご紹介しましたテレビ放映情報です。

偉人たちの健康診断「東京に空が無い “智恵子抄”心と体のSOS」

NHK BSプレミアム 2019年7月25日(木) 20時00分~21時00分  再放送 8月1日(木) 8時00分~9時00分

健康のヒントは歴史にあり!歴史上の人物の日常生活や病歴、さらには健康へのこだわりから、現代の私たちが元気で長生きするためのヒントを探ります。

太平洋戦争前夜の1941年、一冊の詩集「智恵子抄」がベストセラーとなった。彫刻家・高村光太郎が、画家を目指す妻・智恵子との出会いから死別までの27年間の愛の軌跡をつづった純愛詩集だ。そこには、夫・光太郎をこよなく愛しながらも数奇な運命に見舞われた智恵子の、心と体が発するSOSが記されていた!そして、ついに心を病んでしまった智恵子の心を、夫のもとにつなぎとめた奇跡の○○○とは?時代を超えた純愛物語!

【出演】 関根勤 カンニング竹山 榊原郁恵
【解説】 郷原宏 河村正二 宮崎良文 池淵恵美
【司会】 渡邊あゆみ

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当会顧問・北川太一先生がお持ちの、智恵子から母・センに宛てた書簡が紹介されるそうで、その他、NHKさんですのでCMが入りませんから、正味1時間、けっこうみっしり詰まった内容になるかと存じます。

スタジオゲストの郷原宏氏は、昭和58年(1983)に、未来社から『詩人の妻 高村智恵子ノート』という書籍を刊行された方で、平成27年(2015)にBSフジさんで放映された「発掘!歴史に秘めた恋物語~高村光太郎と智恵子~決して女神でない」にもご出演なさいました。

NHKさんというと、やはり平成27年(2015)に、「歴史秘話ヒストリア 第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」」を放映して下さいましたが、その際の映像がいろいろと使い回しされるようです。

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今回の予告編に出たこちら。左は「ヒストリア」の再現Vに出演された鈴木一真さんと前田亜希さん。右の『智恵子抄』は、「ヒストリア」の際にお貸しした当方手持ちの『智恵子抄』です(笑)。昨年放映された「民謡魂 ふるさとの唄 福島県二本松市」でも使われました。どうもNHKさん内部でアーカイブ的な映像として登録されているようです。

こちらも前田亜希さんですね。

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番組内容紹介にある「心を病んでしまった智恵子の心を、夫のもとにつなぎとめた奇跡の○○○とは?」の「○○○」、最初は「レモン」かな、と思っていました。昭和13年10月5日(水)、南品川ゼームス坂病院で、光太郎が持参したレモンをがりりと噛んで、一瞬、意識が正常に戻って逝ってしまった智恵子。そこで、レモンには精神を落ち着かせる効用が……的な話になるのかなと思っていましたが、どうもそうではないようです。

予告編に拠れば「○○○」は「アート」。なるほど、最近はやりのパラアート的な部分、アートセラピーなどの分野で智恵子の紙絵が取り上げられることも多いので、そっちか、という感じでした。

ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

自分の彫刻がもう一ぺん生きかえつて来たのを、大変ありがたいと思つて感謝しております。

談話筆記「裸婦像完成記念会挨拶」より 昭和28年(1953) 光太郎71歳

智恵子の顔を持つ、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の完成記念会での挨拶から。

よくあるたとえの、ローソクの火が燃え尽きる前に一瞬輝きを増す、まさしくそれが起こったわけで、同じ挨拶で光太郎が述べたとおり、像の制作中はそれまで悩まされていた結核性の喀血も不思議と止んだそうです。

まじめな論文などでは許されないのでしょうが、あの世から智恵子が力を貸してくれた、的な、そんな解釈をしたくなります。

地上波テレビ朝日さん、そして系列のBS朝日さんで放映中の「やすらぎの刻~道 テレビ朝日開局60周年」。先月放映の第48話、そして直前の第47話でも、光太郎の『智恵子抄』が取り上げられました。

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倉本聰さんによる、その脚本集第一巻が出版されました。

やすらぎの刻~道~ 第1巻

2019年6月21日 倉本聰著 双葉社 定価1,800円+税


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4月からテレビ朝日系で毎週月曜日から金曜日に約1年にわたり放送される連続ドラマ「やすらぎの刻 ~道」の原作本。テレビ全盛期を支えた者だけが無償で入れる老人ホーム「やすらぎの郷」を舞台に名優たちが演じる現代劇は前作「やすらぎの郷」と同様に展開される一方で、今回は主人公・菊村栄(石坂浩二)がドラマ内で執筆するシナリオ「道」が新たに映像化される。

第50話までが収録されており、『智恵子抄』に触れられた第47話、48話も収められています。

第47話、48話とも、主人公である石坂浩二さん演じる脚本家の菊村栄が、どこに発表する当てもなく書いているシナリオ「道」が、菊村の脳内ドラマとして描かれる「道」パート。戦前から戦時中の山梨県の架空の集落「小野ヶ沢」が舞台です。

47話では、「道」パートの語り手である農家の四男坊・根来公平(風間俊介さん)が母(岸本加世子さん)を亡くし、その知らせを受けて海軍航空隊に入営していた次兄の公次(Kis-My-Ft2の宮田俊哉さん)が帰省、公平と三男の三平(風間晋之介さん)が、村の共同墓地で公次を出迎えたシーン。昭和16年(1941)の晩秋、太平洋戦争開戦直前という設定です。

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公次、久しぶりに目にする故郷の山々を前に……

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そして美術好きな三平に向かって……

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さらに「読んでみろ。沁みる」。敬愛する兄の言葉に、三平は……

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続いて第48話。

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夜になって、公次が三平・公平の部屋にやってきて……

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手に取ってみる三平と公平。すると、書き込みのしてあるページがあることに気づく二人。それは「あどけない話」(昭和3年=1928)のページで、「阿多多羅山の山の上に/毎日出てゐる青い空が/智恵子のほんとの空だといふ。」の箇所、「阿多多羅山」が消されて「小野ヶ沢」となっています。

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第47話での公次のセリフ「いいな、小野ヶ沢は」は、この伏線だったというわけで……。

この後、夜が明けたらまた基地に戻らねばならない公次のホイスパーで、「あどけない話」。公次はおそらく、米英との戦争が始まれば南方に派遣されるであろうこと、そして無事帰ってくるのが困難であろうことが分かっています。それだけに故郷の風景は心に沁みたのでしょう。

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沁みました(笑)。

脚本集第一巻、一般新刊書店で平積みになっています。ぜひお買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

かういふ質問には私にはまつたく苦手です。希望はあるけれど、予測は無いのです。(希望を書いてよければむろん新興リアリズムの詩の横溢を望みます。)

アンケート「貴下は後継詩壇を背負ふ人として如何なる人々を推されるか」
全文  
昭和5年(1930) 光太郎48歳

新興リアリズムの詩」は、この時期の光太郎が近い位置にいたプロレタリア詩、アナーキズム系を指すのではないかと思われます。そういった方面に期待は寄せるが、それが主流になることもないだろうという光太郎の予想、みごとに当たります。そして光太郎自身も、軍部翼賛の方向に……。

昨日、NHK Eテレさんで放映された日曜美術館「火だるま槐多~村山槐多の絵と詩~」を拝見しました。

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先般、未公開作品100余点が発見され、また脚光を浴び始めてい夭折の天才画家・村山槐多(明治29年=1896~大正8年=1919)。その早すぎる晩年に光太郎と交流がありました。番組サブタイトルの「火だるま槐多」は、光太郎が彼に捧げた詩「村山槐多」(昭和10年=1935)から採られ、その説明もありました。

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コメンテーターとしてビデオ出演なさり、さらに槐多の詩の朗読も披露された詩人の高橋睦郎氏は……。

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ちょっとカチンときましたが(笑)、まぁ、たしかにそうとも言えますね。

そして槐多絵画の代表作や、新たに見つかった作品などが、彼の詩と共にいろいろ紹介されました。

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知っているようでよく知らなかった、槐多の短い生涯もうまくまとめられており、非常にわかりやすく見応えもありました。

次の日曜の夜、再放送があります。

日曜美術館 「火だるま槐多~村山槐多の絵と詩~」

NHK Eテレ 2019年6月30日 20:00~20:45

自由奔放な絵を描き、22歳の若さで夭折した村山槐多。没後100年にあたる今年、展覧会開催を機に新発見の作品も相次いでいる。村山槐多の絵を詩の朗読とともに見ていく
火だるまのような色、ガランス(暗赤色)こそ槐多の絵の最大の特徴である。『自画像』や『カンナと少女』。そして赤いオーラを放ちながら裸の僧侶が小便する『尿する裸僧』。今年は槐多が亡くなって丁度(ちょうど)100年。展覧会の開催を機に新発見の作品も相次いでいる。番組では、新たな作品の紹介をまじえながら、村山槐多の絵を詩の朗読とともに見ていく

【ゲスト】美術史家…村松和明
【出演】世田谷美術館館長…酒井忠康 詩人…高橋睦郎
【司会】小野正嗣 柴田祐規子


再放送といえば、地上波テレビ東京さんで、今年4月に放映された「開運!なんでも鑑定団」。ゲスト秋川雅史さんが、光雲作の木彫の名品「寿老舞」をお持ちになった回。

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系列のBSテレ東さんで放映があります。

開運!なんでも鑑定団【秋川雅史のお宝がスゴイ&日本のゴッホ(秘)絵画】

BSテレ東 2019年6月27日(木)  19時55分~20時55分

歌手・秋川雅史のお宝に衝撃の鑑定結果!さらに秋川の意外な趣味とは?▽母が70万円で購入した妖しい輝きを放つ大きな水晶球は本物?▽“日本のゴッホ”山下清の貴重絵も!

MC 今田耕司 福澤朗  ゲスト 秋川雅史  アシスタント 片渕茜(テレビ東京アナウンサー)
出張リポーター 松尾伴内(出張鑑定in 茨城県五霞町)  ナレーター 銀河万丈、冨永みーな


それぞれ見逃されている方、ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

一、肌の凍る様な冬が好き。
二、空気の透きとほつた山が好き。

アンケート「どちらが好きか」より 明治45年(1912) 光太郎30歳

一は「夏と冬と」、二は「山と海と」という設問に対しての回答です。生涯冬を愛し、晩年には岩手の山中に独居自炊の生活を送った光太郎らしい回答です。

またテレビ放映情報です。

光太郎と交流のあった夭折の天才画家・村山槐多(明治29年=1896~大正8年=1919)。先般、その未公開作品100余点が発見され、また脚光を浴び始めています。それらを展示している愛知県岡崎市のおかざき世界子ども美術博物館さんの「没後100年 岡崎が生んだ天才 村山槐多展」でのロケを中心にしています。

日曜美術館 「火だるま槐多~村山槐多の絵と詩~」

NHK Eテレ 2019年6月23日(日) 9:00~9:45  再放送 2019年6月30日 20:00~20:45

自由奔放な絵を描き、22歳の若さで夭折した村山槐多。没後100年にあたる今年、展覧会開催を機に新発見の作品も相次いでいる。村山槐多の絵を詩の朗読とともに見ていく
火だるまのような色、ガランス(暗赤色)こそ槐多の絵の最大の特徴である。『自画像』や『カンナと少女』。そして赤いオーラを放ちながら裸の僧侶が小便する『尿する裸僧』。今年は槐多が亡くなって丁度(ちょうど)100年。展覧会の開催を機に新発見の作品も相次いでいる。番組では、新たな作品の紹介をまじえながら、村山槐多の絵を詩の朗読とともに見ていく

【ゲスト】美術史家…村松和明
【出演】世田谷美術館館長…酒井忠康 詩人…高橋睦郎
【司会】小野正嗣 柴田祐規子

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サブタイトルの「火だるま槐多」は、光太郎詩「村山槐多」(昭和10年=1935)から採って下さいました。

    村山槐多

 槐多(くわいた)は下駄でがたがた上つて来た。
 又がたがた下駄をぬぐと、
 今度はまつ赤な裸足(はだし)で上つて来た。
 風袋(かざぶくろ)のやうな大きな懐からくしやくしやの紙を出した。
 黒チョオクの「令嬢と乞食」。

 いつでも一ぱい汗をかいてゐる肉塊槐多。
 五臓六腑に脳細胞を遍在させた槐多。
 強くて悲しい火だるま槐多
 無限に渇したインポテンツ。

 「何処にも画かきが居ないぢやないですか、画かきが。」
 「居るよ。」
 「僕は眼がつぶれたら自殺します。」

 眼がつぶれなかつた画かきの槐多よ。
 自然と人間の饒多の中で野たれ死にした若者槐多よ、槐多よ。


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以前にも書きましたが、槐多は詩も書き、光太郎に見て貰ったりもしていました。歿した翌年、大正9年(1920)には、『槐多の歌へる』の題で詩集が出版され、光太郎も推薦文を寄せています。番組紹介で「詩の朗読とともに」とあるのは、おそらく槐多の詩でしょうが、光太郎の「村山槐多」もぜひ取り上げていただきたいものです。

詩「村山槐多」は、槐多の死後17年も経ってからの作です。同様に、翌年には歿後26年経った親友の碌山荻原守衛を偲ぶ「荻原守衛」という詩も書いています。双方、根柢には先に逝ってしまった敬愛すべき親しい芸術家への哀悼の意がこめられ、似たような読後感を受けます。なぜこの時期に、という疑問が残りますが。

ちなみに、来月末から、長野県上田市でも槐多の作品展が開催されます。残念ながら休館となってしまった信濃デッサン館さん、それからこちらは現在も健在の戦没画学生慰霊美術館・無言館さん館長の窪島誠一郎氏が槐多に惚れ込み、かつては信濃デッサン館さんで描いた作品を多数展示されるなどしていた縁ですね。関連行事として窪島氏とおかざき世界子ども美術博物館副館長代行・村松和明氏の対談も予定されています。


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さらにちなみに、美術図書出版の老舗・求龍堂さんから、『真実の眼ーガランスの夢 村山塊多全作品集』というカタログレゾンネ的な書籍も出版されました。編著は村松氏です。

他紙は存じませんが、『朝日新聞』さんでは広告も出ました。ただ、求龍堂さん自体のサイトにはまだ情報が出ていないようです。

当方、上田の展覧会には参ずるつもりです。関連する情報等出ましたら、またご紹介します。

さて、「日曜美術館」さん、ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

ロダンの彫刻や素画は近代が有し得た天才性の一分水嶺である。一均衡である。此巨大な芸術家の暗示する未だ目覚めざる美が東洋に在る事を信ずる私達は、先づ此古代的近代人の閲歴から生れた言葉を深く味ひたいと思ふ。

雑纂「訳書広告「続ロダンの言葉」」全文 大正9年(1920) 光太郎38歳

この年刊行された光太郎訳『続ロダンの言葉』の広告から。

いったいに光太郎は、自己の芸術を推し進めるだけでなく、先人(ロダンやミケランジェロその他)や同時代の芸術家(槐多や守衛など)にも学び、いいものはいいと評価する姿勢を崩しませんでした。

論語に曰くの「学而不思則罔 思而不学則殆」ですね。先人などに学ぶだけで自分なりの考えを持たなければ真の理解にはたどり着かず、自分だけの考えに頼って広く他から学ぶことをおろそかにすれば、独断に陥って危険だ、といったところでしょうか。光太郎はこのあたりのバランスが絶妙だったように思われます。

テレビ放映情報です。

たけしのニッポンのミカタ! 老若男女がなぜ登る?山に魅せられたニッポン人

テレビ東京 2019年6月21日(金) 21時54分~22時54分

▽山頂に渋滞!9000人が集まる安達太良山の山開きに密着 ▽個人で山を購入!? 一万坪をひとり占め…山の(秘)楽しみ方 ▽人生が変わる!? 三浦豪太&市毛良枝が山で出会った奇跡の風景 ▽登山者数世界一! あなたの知らない高尾山

司会   ビートたけし、国分太一 
ゲスト  三浦豪太(プロスキーヤー・登山家)、市毛良枝(女優)

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智恵子の故郷・福島二本松に聳え、先月19日、第65回山開きが開催された「ほんとの空」のある安達太良山。その山開きの様子が紹介されます。

当方、今年、山開きに合わせ、初めて山頂まで登りました。そこでもしかすると当方も映るかもしれません(笑)。ロープウェイの奥岳登山口駅で、テレビ局スタッフらしき皆さんに「切符を買っているところを、手だけ撮らせて下さい」と言われ、承諾いたしました。地元のローカルニュース系だろうと思っていたのですが、ことによるとこの番組ということも考えられます。山頂付近ではテレビ局さんらしきクルーには気づかなかったのですが(番組紹介にあるとおり、多くの人で人山の黒だかりでした(笑))、途中の登山道でそれっぽい人達を追い越したような気もします。

安達太良山と光太郎智恵子との関わり、そして「ほんとの空」的な紹介が少しでも為されれば、と思っております。キー局がテレ東さんで、全国的には試聴可能地域が限られますが、番販の形で他局系でも遅れて放映されるようですので、各地域でご注意していて下さい。

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【折々のことば・光太郎】

大酒はもとより大毒。のまずにすむなら酒はのまぬが一番。もしのむなら安くてわるい酒は禁物。高くてもよい酒が結構なれど安くてよい酒なら尚ほ結構な道理でございます。

雑纂「古雅清醇 ゐなか酒「花霞」引札」より
 大正12年(1923) 光太郎41歳

「花霞」は、智恵子の実家、福島県油井村(現・二本松市)の長沼酒造で作っていた日本酒のブランドです。この年9月1日の関東大震災後、とにかく物が不足していたことから、光太郎が東京に取り寄せ、自ら荷車を引いて売り歩いたとのこと。ラベルや引札も木版で作りました。引札は二本松の智恵子記念館さんに展示されています。

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ちゃんとやればそれなりに商売になったのでしょうが、結局は友人知己にただで呑まれてしまい、ほとんど儲けにならなかったとのこと。当会の祖・草野心平は無実です(笑)。この頃はまだ光太郎と知り合っていませんし、第一、中国に居ました。

まず出版系から。

NHK大河ドラマ・ガイド いだてん 後編

2019年7月5日 NHK出版 定価1,100円+税

話題の大河ドラマ、ガイドブック第2弾!
巻頭は、阿部サダヲ×中村勘九郎×役所広司の座談。
新聞記者・田畑政治の同僚、世界の舞台で大活躍の水泳選手など、新しい登場人物を一挙紹介! 
関東大震災、第二次世界大戦の足音……逆境の中でも輝くアスリートの栄光と苦悩、それを支える人々の泣き笑い。000
波乱万丈のドラマをさらに深掘りできる一冊!

【章立て】
 座談 阿部サダヲ×中村勘九郎×役所広司
 出演者紹介&インタビュー
 水泳チーム座談会
 水泳撮影の舞台裏
 美術特集~関東大震災からの復興を描く
 女子アスリートの系譜
 オリンピックとその時代
 あらすじ
 大友良英とスゴ腕ミュージシャンたち
 実感放送~スポーツ中継の歴史をひもとく
 いだてん新聞 ほか

主に9月15日(日)放映の第36回までをカバーする内容です。以後の放映については9月に「完結編」が刊行されるそうです。

「あらすじ」の項で、第36回までのかなり詳細な内容が明らかになっています。「ここまでネタばらしちゃっていいのか?」と思うほどでした。それによれば、昭和11年(1936)のベルリンオリンピックまでが描かれています。

このドラマ、これまでも、光太郎智恵子ゆかりの人物が登場していました。光太郎がその肖像レリーフを手がけた嘉納治五郎師範(役所広司さん)、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」が顕彰する対象の武田千代三郎(永島敏行さん)、そして小学生だった智恵子をかわいがり、道を示した寺島しのぶさん演じる二階堂トクヨ(トクヨについてはまた明日、詳述します)……。

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今後登場する新キャラの中にも、光太郎ゆかりの人物が多数含まれます。

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まず、アスリート系。今後、水泳陣がクローズアップされていきまして、代表チームを引っ張るリーダー的な存在・高石勝男。斎藤工さんが演じられます。

昭和6年(1931)、雑誌『モダン日本』に掲載されたアンケート「私の贔屓(ひいき)集」での光太郎の回答が以下の通り。

 野球     贔屓人物移動中にて挙げ難し
 庭球     コオシエ
 ラグビー  いまだ渾沌たり
 陸上競技  走高跳のキムラ
 水上競技  曾てタカイシなりしが今移動中
 将棋     土居八段、関根名人、
 碁      呉少年

「コオシエ」はフランスのテニス選手。昭和5年(1930)には来日し、東京や大阪で日仏対抗の試合を行っています。「キムラ」は早稲田大学の学生だった木村一夫。アムステルダム(昭和3年=1928)、ロサンゼルス(昭和7年=1932)の両オリンピックでともに6位入賞でした。「土居八段」は土居市太郎、「関根名人」は十三世名人関根金次郎。碁の「呉少年」は呉清源です。そして「タカイシ」が高石勝男。「移動中」って、光太郎、冷たいですね(笑)。


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続いて、上白石萌歌さん演じる前畑秀子。ロスでは銀、4年後のベルリンでみごと日本女性初の金メダリストとなりました。

以前にこのブログに書きましたが、光太郎、彫刻家の眼で観て、前畑の身体美を絶賛しています。昭和16年(1941)、『読売新聞』に連載された座談会「新女性美の創造」から。

 吉田 「水泳の人の身体は違ふ。」
 高村 「前畑さんなどは普通では肥りすぎてゐるやうにい
     はれるけれども、僕などの立場から見ると実に美し
     いものですね。」
 竹内 「前畑さんは丁度理想的な寸法で決して肥りすぎて
     はをりません。あの人がドイツから帰つて来た日に
     私、宿舎へ行き、身体測定をしました。(略)寸法で
     いひますと身長が一六〇糎、胸の周りが九〇・二
     糎。(略)それから目方はあの人は五八瓩です。」

「吉田」は吉田章信(体育研究所技士・文部省体育官)、「竹内」は医師の竹内茂代です。

当時の日本女性の平均値は身長150㌢、体重53㌔㌘ぐらいだったそうですので、たしかに立派な体格です。同じ座談によれば、前畑と死闘を演じたドイツのゲネンゲルも全く同じ体格だったそうです。


「いだてん」、幻に終わった昭和15年(1940)の東京オリンピック招致の話にもなりますので、そうした関係から政治家の面々も登場します。

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昭和7年(1932)の五・一五事件で暗殺された犬養毅(塩見三省さん)。「木堂」の号で書家としても有名だった犬養、光太郎はその晩年に書かれた「書についての漫談」(昭和30年=1955)の中で、書家としてより書の理論家としての犬養を高く評価しています。


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昭和11年(1936)の二・二六事件で命を落とした高橋是清。今年3月に亡くなった萩原健一さんです。光太郎、昭和2年(1927)の随筆「人の首」で、肖像彫刻を作ってみたい人物を挙げていますが、その中に高橋の名も。曰く「写真で見ると、高橋是清氏と、浜口雄幸氏とが面白い」。政治家で名を挙げているのはこの2人だけです。

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今後、五・009一五事件や二・二六事件、それ以前に次回6月16日(日)の放映から大正12年(1923)の関東大震災が描かれますし、やがて嘉納治五郎が必死の思いで誘致に成功した東京オリンピックも日中戦争の影響で返上と、ある意味悲惨な時代が舞台となっていきます。それにもめげず、それぞれの競技に打ち込むアスリートや、体育行政関係者達の姿が今後の焦点。元々時代劇の流れをくむ大河ドラマ、定番の戦国時代や幕末の合戦や斬り合いなどの代わりに、スポーツによる戦いが描かれ、その意味では従来の大河に対するアンチテーゼともいえるかもしれません。

ちなみに右は『NHK大河ドラマ・ガイド いだてん 後編』に掲載されている写真。光太郎の父・光雲が主任となって制作された上野の西郷隆盛像ですが、関東大震災直後の写真で、台座や像のあちこちに尋ね人的な張り紙が為されています。


余談になりますが、「いだてん」、当方自宅兼事務所のある千葉県香取市でもロケが行われています。

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6月2日(日)放映の第21回「櫻の園」。大正9年(1920)のアントワープ五輪で惨敗して帰国した水泳代表チームが、現地での屈辱を回想するシーン。

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古式泳法で泳ぐ日本チームが、練習用プールで欧米選手に笑いものにされた、という設定です。世界の主流は新しく考案されたクロールに移っていましたが、日本にはまだ伝わっていませんでした。

この練習用プールとして使われたのが、香取市と茨城県稲敷市にまたがる横利根閘門(よことねこうもん)。利根川と、その支流である横利根川の間に設けられたレンガ造りの水門で、船が航行する際に二つの川の異なる水位を調整してから通るための施設です。閘門はパナマ運河がこの方式ですし、東京の下町にもいくつか現存しています。

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光太郎が第一詩集『道程』を刊行し、智恵子と結婚披露を行った大正3年(1914)に工事が始まり、大正10年(1921)に完成しました。現在はあまり船舶の通行はありませんが、現役です。補修は行われたものの、ほぼ建造当時の姿を残し、平成12年(2000)には国指定重要文化財に認定されました。

したがって、「いだてん」の役者さん達が泳いでいたのは、川です(笑)。オンエアが6月では、まだ寒い時期のロケだったでしょうに……。

背景に小さく映っている建物がこちら。機械室のような。これもほぼ当時のままです。たしかにアントワープっぽいかもしれません(笑)。

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古式泳法をせせら笑う欧米選手の背後に映っている並木。香取市の木に指定されているポプラです。

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香取市、江戸時代から続く古い街並みも残っており、旅番組(最近は散歩系番組)などで取り上げられることも多く、また、ドラマや映画のロケにもしょっちゅう使われています。NHKさんですと、やはり大河ドラマ「八重の桜」(平成25年=2013)や連続テレビ小説「花子とアン」(平成26年=2014)など。横利根閘門も、泉ピン子さん主演の2時間ドラマ「名司会者・寿鶴子殺人スピーチ(2) 花嫁に忍び寄るストーカー そして父が殺された!14年前の殺人事件に翻弄された運命の恋人達に捧げる涙の結婚式」(平成18年=2006・フジテレビ)などのロケが行われました。隠れた桜の名所でもあります。

閑話休題。「いだてん ~東京オリムピック噺(ばなし)」、ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

この奈良にまゐりてより、私ただ夢ごこちに日を送り居ることに候。南大門の仁王の前に初めて立ち候ときの私、斑鳩(いかるが)の法隆寺に金堂の壁画を透し見し時の私、何知らずわななきしこの腕お察し下されたく候。

雑纂「「相思」より」全文 明治34年(1901) 光太郎19歳

東京美術学校の修学旅行で初めて奈良を訪れ、古仏の数々に接した際の感動を、書簡体で与謝野夫妻の『明星』に寄せたものです。後に知るロダンの彫刻と併せ、これらも光太郎彫刻の骨肉の一つとなりました。

まず明らかに「智恵子抄」に触れられるもの。

やすらぎの刻~道 #48 テレビ朝日開局60周年

地上テレビ朝日 2019年6月12日(水)  12時30分~12時50分
BS朝日      2019年6月13日(木)  7時40分~8時00分

巨匠・倉本聰氏が1年間をかけて描くのは、山梨を舞台に昭和~平成を生き抜いた無名の夫婦の生涯。そして『やすらぎの郷』のその後。2つの世界が織り成す壮大な物語!

出演
 清野菜名 風間俊介 宮田俊哉(Kis-My-Ft2) 佐藤祐基 風間晋之介 井上希美
 木下愛華 (他)
作  倉本聰
主題歌 中島みゆき『慕情』『進化樹』『離郷の歌』
(株式会社ヤマハミュージックコミュニケーションズ)

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放映開始前の4月、このブログでご紹介しましたが、いよいよ劇中で「智恵子抄」が取り上げられる回の放映があります。舞台は太平洋戦争開戦前夜、山梨県の山間部・「小野ヶ沢」という架空の集落です。元養蚕農家だった根来家、語り手の四男・公平(風間俊介さん)は、半年ほど前の父(佐戸井けん太さん)に続いて母(岸本加世子さん)を亡くします。公平の親友たちの家を含む集落のかなりの世帯が開拓団として満州に渡る直前、という設定です。霞ヶ浦の海軍航空隊に入営していた次男の公次(Kis-My-Ft2の宮田俊哉さん)が、母の死の知らせを受けて帰郷、公平に『智恵子抄』を渡すそうで。昭和16年(1941)という設定ですから、龍星閣版『智恵子抄』はこの年8月に刊行されているので、矛盾はありません。

書き込みのしてあるページがあることに気づく公平。それは「あどけない話」(昭和3年=1928)のページで、「阿多多羅山の山の上に/毎日出てゐる青い空が/智恵子のほんとの空だといふ。」の箇所、「阿多多羅山」が消されて「小野ヶ沢」となっているそうです。

このドラマ、人にとっての「故郷」「原風景」とは何か、的な問いかけが全体を貫くメインテーマとなっており、そうした中でこのような展開となるのでしょう。

ネット上では無料配信も為されています。


続いて再放送ですが……。

昼の特選ドラマ劇場 おかしな刑事~居眠り刑事とエリート警視の父娘捜査 東京タワーは見ていた!消えた少女の秘密・血痕が描く謎のルート!

BS朝日 2019年6月13日(木)  12時00分~13時55分

伊東四朗が叩き上げの刑事、羽田美智子がエリート警視という凸凹父娘コンビを演じる大人気シリーズの第8弾 ‼ 篤志家の社長が刺された! その背後には、30年前、東京タワーの下で起きた誘拐事件の影が…!?

出演 伊東四朗 羽田美智子 石井正則 小倉久寛 辺見えみり 山口美也子 木場勝己 小澤象
   丸山厚人
 菅原大吉 (他)

初回放映は平成23年(2011)。その後、年に数回、地上波テレ朝さんや系列のBS朝日さんでくり返し放映されています。当方、しばらくその存在に気づきませんで、今年の4月、やはりBS朝日さんでの再放送を初めて観ました。

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事件の鍵を握る母子が、智恵子の故郷・福島二本松出身という設定(実際には違うのですが……)。

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そこで、伊東四朗さん扮する鴨志田刑事、娘の(実は秘密)岡崎警視(羽田美智子さん)と共に、二本松へ。岳温泉、安達太良山、智恵子生家、その裏手の鞍石山などでロケが行われました。

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ところで下の画像の石碑、安達太良山にあるようなのですが、当方、場所が分かりません。先月、安達太良山の山開きに参上した際に探したものの、見つけられませんでした。情報をお持ちの方はご教示いただけると幸いです。

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さらに、光太郎の父・光雲が手がけた仁王像が納められた信州善光寺、そして光太郎智恵子が結婚の約束を結んだ上高地をめぐる旅番組。

美しい日本に出会う旅▼初夏、新緑の上高地へ 北アルプスの絶景秘湯と天空の花園

BS-TBS  2019年6月12日(水) 21時00分~21時54分

いま一番美しい季節を迎えた信州へ!善光寺参りをスタートに、安曇野・上高地へと絶景をめぐる初夏の旅です。七味唐辛子に並ぶ大人気名物が、「鯉焼」。そのこだわりの秘密とは?北アルプスの絶景が映る田んぼの絶景、安曇野。ここだけの不思議な蚕は、若草色でした!上高地への入り口に、絶景露天風呂の湯宿がありました。でも離れの湯は、なんと車で20分の秘湯?そして今だけの幻の花・ニリンソウの絶景を求めて、上高地ハイキングへ。そこで出会ったのは伝説の画伯でした。瀬戸康史さんがご案内します。

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安曇野も入っていますので、碌山美術館さんも取り上げていただきたいところですが……。


それから、光太郎第二の故郷ともいうべき岩手・花巻。光太郎を敬愛し、光太郎もその才を高く評価していた宮沢賢治がらみです。

心に刻む風景 宮沢賢治(3) 岩手県花巻市…教師として訪れた地

地上波日本テレビ 2019年6月12日(水)  21時54分~22時00分

歴史に名を残す人物の誕生の地や活躍の舞台、終の棲家などを訪ねます。今も残る建物や風景から彼らの人生が浮かび上がってきます。

語り 中村吉右衛門

5分間番組です。(3)ということで、先々週は盛岡、先週は小岩井農場でした。で、明日が花巻。賢治は花巻出身なので「訪れた」というのはおかしいような気もしますが……。光太郎がその碑文を揮毫した「雨ニモマケズ」碑あたりを紹介してほしいものです。


それぞれ、ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

ひどい時には右手は使へず、左手でハガキなどを書く時もある。卓に向つて字を書くといふ姿勢そのものにすでに病因の一つがあるかと思ふこともある。しかし今年あたりはどうしてもこの病気を退治して、もう一度彫刻の仕事にとりかかりたいと思ふので、自分の健康について、今いろいろ検討を加へてゐる。

散文断片「健康について」より 昭和31年(1956) 光太郎74歳

亡くなったその年の、おそらく正月に書かれたと思われるボツにした原稿の断片から。光太郎、最期まで自身が結核であることを認めたがらず、恢復に一縷の望みを寄せていました。単に生きながらえたいというより、やはり彫刻がやりたかったのですね。

直接、光太郎智恵子には関わりませんが……。

まず、昨日朝のNHKさんの「ニュース おはよう日本」。愛犬の散歩を終え、リビングで新聞のテレビ欄に目を落とすと……。

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「上皇ご夫妻・約60年前の秘蔵フィルム」。「これは!」と思い、急いでテレビをつけましたが、時既に遅く、天気予報が始まったところでした。なぜ「これは!」と思ったかというと、4月に信州安曇野の碌山美術館さんにお邪魔した際、そういうお話を伺っていたからです。

その後、ネットで調べましたところ、やはり碌山美術館さんがらみでした。

上皇ご夫妻・約60年前の秘蔵フィルム

4月に退位された上皇さまと上皇后さま。
約60年前の姿を修めたとされる16ミリフィルムが長野県安曇野市・碌山美術館に残されていた。
美術館には日本近代彫刻の父・荻原碌山の作品などが展示されている。
碌山美術館・濱田卓二は「上皇ご夫妻が美術館にご来館されたことがあり、そのときの記録フィルムと伝わっている」と話す。
昭和36年3月、穂高町報には当時皇太子ご夫妻だったお二人が長野県内での視察の途中に美術館に立ち寄られたという記録が残っている。
民間人がビデオカメラを持っていること自体が珍しかった時代、地元の中学校教師が撮影したものを寄贈した。
しかし美術館には再生機がなく、中身が確かめられたことはなかった。
専門業者に再生を依頼したところ、3月の雪の中の上皇ご夫妻の様子が1分40秒間うつされていた。
お二人はこの訪問の2年前にご結婚し、翌年には長男になる天皇陛下がお生まれになっていた。
成城大学非常勤講師・瀬畑源は「ご夫妻で全国に行きはじめる初期の時代の映像。美智子妃はまだ地方視察に行くことがほとんどなかったと思う。国民との関係をどう作るのか、自分たちがどう理解しないといけないのかということを実際に実地で学んでいったという時期」と話す。
当時美術館でご夫妻を迎えた彫刻家・荻原碌山の親族・荻原義重は「わずか数メートル前で皇太子ご夫妻をお迎えできることは昔はなかった。皇室と一般の人たちの垣根が取り払われた感じがした」という。



民間人がビデオカメラを持っていること自体が珍しかった時代」という部分がおかしいのですが(ビデオカメラという物自体おそらく存在しませんで、当時は16ミリカメラです)、現今の若い人々にはそのあたりの区別が付かないのでしょう。

ご成婚が昭和34年(1959)、それからほどなく碌山美術館さんを訪れられたそうで、まだ個人美術館というものが珍しかった時代、おそらくお二人での最初の個人美術館ご訪問だったのでは、というお話でした。現在では碌山荻原守衛の作品以外に、親友だった光太郎の作品も複数展示して下さっている同館ですが、当時はまだ光太郎作品の展示はなかったように思われます。

その後のご訪問はないということで、館の方では、また改めてゆっくりいらしていただきたいというようなお話をされていました。実現してほしいものです。


テレビ系の話題を出しましたので、ついでというと何ですが、光太郎智恵子ゆかりの地や光太郎周辺人物に関わる近々放映の番組をご紹介します。

まず、大正元年(1912)、結婚前の光太郎智恵子が愛を確かめ合った、千葉銚子犬吠埼。

ブラタモリ#136 「銚子~銚子はなぜ日本一の漁港になった?~」

NHK総合 2019年6月8日(土) 19:30~20:15

水揚げ量8年連続日本一!千葉県・銚子漁港に全国の漁船が集まる秘密をタモリさんが解き明かす!▽“トンガリ”地形が生んだ奇跡の漁場▽しょうゆマネーが漁港を生んだ!?
「ブラタモリ#136」で訪れたのは千葉県・銚子市▽銚子はむかし島だった?犬吠埼で1億2000万年前の地層を手がかりに、太平洋に突き出したトンガリ地形の秘密を探る▽坂道の上に広がる台地で生まれた高級品とは?▽銚子電鉄・緑のトンネルに「鉄道大好き」タモリさんも大興奮!▽江戸時代の銚子にばく大な利益をもたらした「しょうゆ」にかくされた秘密とは!?▽マイナス35度!巨大冷凍工場が日本一の銚子漁港を支えた!

出演 タモリ 林田理沙  語り 草彅剛

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この番組では、一昨年、「#81 十和田湖・奥入瀬 ~十和田湖は なぜ“神秘の湖”に?~」が放映され 、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」を2秒間(笑)映して下さいました。ちなみに先週の放送は、当方自宅兼事務所のある千葉県香取市でした。


続いて、光太郎の姉貴分・与謝野晶子がらみ。

百年名家 「金沢八景に残る明治の薫り~旧伊藤博文金沢別邸と旅館 喜多屋~」

BS朝日 2019年6月9日(日) 12時00分~12時55分

今回訪ねるのは、景勝地・金沢八景。すっかりと様変わりしてしまった町並みの中、与謝野晶子が愛した料亭旅館と伊藤博文が建てた海浜別荘には、明治の薫りが残っていた。

出演 八嶋智人、牧瀬里穂   案内人 水沼淑子(関東学院大学教授)


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この番組では、平成24年(2012)に、東京千駄木の光太郎実家に隣接する旧安田楠雄邸が取り上げられたことがあります。


さらに、NHK Eテレさんの「日曜美術館」。連翹忌にも何度かご参加下さった、神奈川県立近代美術館の水沢勉館長がゲスト出演。

日曜美術館 「エロスと死の香り~近代ウィーンの芸術 光と影~」

NHK Eテレ 2019年6月9日(日)  8:00~8:45
      再放送 6月16日(日) 20:00~20:45

120年前のウィーンで人間のエロスを描き出したクリムト。一方で老いや死のモチーフにも臨んでいた。クリムトに影響を受けたシーレも含めウィーンの芸術の光と影を描く。
19世紀半ばからの都市改造で町並みが生まれ変わったウィーン。その公共建築物の絵画の仕事を請け負ったのがグスタフ・クリムト。当初は伝統的な絵画を描いていたが、飽き足らずウィーン分離派を結成。人間のエロスを奔放に描き、批判も受けた。更に建築、工芸などあらゆるジャンルを融合させる総合芸術を目指した。エゴン・シーレは、若くして父親を亡くし、死の恐怖を感じながら自我を見つめるように自画像を描き続けた。

ゲスト 神奈川県立近代美術館館長…水沢勉 藤原紀香  司会 小野正嗣 柴田祐規子


現在、東京都美術館さんで開催中の「クリムト展 ウイーンと日本1900」にからめた内容です。ウィーン分離派を代表するグスタフ・クリムトとエゴン・シーレにスポットが当たります。水沢館長、広い守備範囲の中でもウィーン分離派には一家言お持ちで、関連する御著書も多数。そして、クリムトやシーレと同じウィーン分離派の作家であるヨーゼフ・エンゲルハルトが明治37年(1904)のセントルイス万博のために制作した寄木細工「Merlinsage」が、明治44年(1911)に、智恵子が描いた雑誌『青鞜』の、有名な表紙絵の元ネタであることをつきとめられたりもなさっています。そのあたりのお話がちょっとでも出るといいのですが……。

それぞれ、ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

こつちがのん気に構えていれば、向うものん気で、明けつぱなしで話が出来る。まつたく花巻はいい温泉である。

談話筆記「花巻温泉」より 昭和31年(1956) 光太郎74歳

光太郎最後の談話筆記です。かつて足かけ8年を過ごした花巻周辺の温泉郷中の、大澤温泉、鉛温泉、花巻温泉、台温泉などについて、実地に訪れた経験を元に語っています。そして最後にそれらを総称して、上記の発言。他の有名な温泉地と異なり、こすっからい対応をする宿などどこにもなかったと褒めています。

いずれも小ネタ的な感じですが、4件ほどご紹介します。

遠くへ行きたい「元世界王者内藤大助もノックアウト!岩手の若きチャンプ達」 岩手県一関~花巻

地上波日テレ 2019年4月28日(日)  6時30分~7時00分

元ボクシング世界チャンピオンの内藤大助が様々な分野の若きチャンピオンに会いに岩手県を旅する。▽1.絶景渓谷“厳美渓”に130年続く名物“空飛ぶだんご”▽2.岩手発祥“わんこそば”の小学生チャンピオンが魅せる驚異のすすり▽3.1300年の伝統芸能“鬼剣舞”の危険な技に挑戦!▽4.絶品!バケツでジンギスカン▽5.世界チャンプを生んだ高校ボクシング部員と拳の語らい▽6.浴槽から湧き出る!?レトロな温泉

旅人 内藤大助

最後の「レトロな温泉」というのが、光太郎もたびたび宿泊し、堪能した鉛温泉藤三旅館さんの、白猿の湯です。番組公式サイトから。

「花巻温泉郷」の「鉛温泉 藤三旅館」は600年の歴史を持つ温泉だ。レトロで風情ある温泉の名物は自噴天然岩風呂「白猿の湯」。湯口はなく、浴槽の底から湯が湧き出てくるという。そのため風呂はかなり深く、立って入るのが流儀だ。内藤は温泉につかりながら、若者たちに熱いパワーをもらった、平成最後の「遠くへ行きたい」を振り返る。

その他、宮沢賢治御用達で、やはり光太郎も足を運んだ花巻市街のそば屋「やぶ屋」さんも登場します。

岩手といえば「わんこそば」。内藤は「やぶ屋 花巻総本店」で、わんこそばに挑戦することに。笹川博之さんによると、わんこそばは花巻が発祥なのだそう。店内には勢いよくそばをすする先客たちが。小学生の菊池陸くん、高橋世良くん、板橋暖人くんの3人組で、「元祖わんこそば全日本大会 小学生の部」で2年連続で優勝したチャンピオンだという。内藤は世良くんと3分1ラウンド勝負で、わんこそば対決をすることに。勝敗はいかに?


続いては、当会の祖・草野心平がらみで。

校歌を訪ねて「第104回 福島県川内村立 川内小学校」

BS-TBS 2019年5月2日(木)  18時24分~18時30分

誰にでもある小学校や中学校の校歌の思い出。この番組は東日本大震災の被災県を中心に小中学校の校歌を紹介します。
今回ご紹介する学校は、福島県川内村立川内小学校。学校が建つ川内村は、東日本大震災による原発事故で全村避難となった地域。幸い放射線量が少なかったため、翌年には川内村で学校生活を再開できました。そんな川内小学
校の校舎は木のぬくもりが温かい、平屋のオシャレな校舎。児童たちも隠れ家的スペースの「デン」や、畳敷きの「図書室」などお気に入りの場所で楽しく学校生活を送っています。また川内小では他県との交流も盛んで、長崎大学や北海道の士別市の学校などお互いに行き来して交流を深めています。番組では、そんな川内小での学校生活や、他県との交流、そして将来の夢について児童たちにインタビュー。また川内小学校の校歌を、全校児童による斉唱でお届けします。



心平が愛したカエルにちなみ、心平を名誉村民として下さった川内村の川内小学校さんが取り上げられます。この番組、これまでにも同じ川内村の川内中学校さんや、「いのちの石碑」の活動で光太郎と関わる宮城県の女川中学校さんなどが取り上げられています。


川内中学校さんの校歌は心平の作詞ですが、小学校さんの方は、丘灯至夫作詞。やはり福島出身で、二代目コロムビア・ローズさんが歌った「智恵子抄」の作詞者です。


続いても福島系です。 

新 鉄道・絶景の旅 「仙台~三春~いわき みちのく桜紀行」

BS朝日 2019年5月2日(木)  19時00分~20時54分

春のみちのくを満喫!東北屈指の桜の名所めぐり▽8000万年もの歳月をかけて築かれた大自然の造形美!あぶくま洞を探検▽桜の絶景駅▽ビックリ仰天!桁違いの超~デカ盛りメニューを発見▽ビール焼きそば?▽郷土名物!ふくしまブルブル?▽激安!アイスバーガーの元祖…青春の味!?▽三春名物!ピーマン味噌で食べる?三角油揚げ▽白石名物!うーめん?▽地味に有名?評判の駅弁▽鉄道遺産・レンガの油庫▽東北本線▽磐越東線   

船岡の一目千本桜▽二本松・合戦場の枝垂れ桜▽三春の滝桜▽名山!安達太良連峰&蔵王連峰▽色彩のハーモニー!枝垂れ桜&春モミジ▽花の楽園!菜の花で描く…ハートマーク

ナレーター 林家たい平

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昨年5月に初回放映があり、再放送です。

智恵子の故郷、二本松が大きく取り上げられます。ただし、光太郎智恵子の名は出てきませんでした。

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二本松駅のシーンでは、そうというナレーションはありませんでしたが、光太郎の詩碑が映りました。

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光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)の一節を刻んだ詩碑で、建立は昭和51年(1976)です。その他、二本松城、合戦場のしだれ桜などが紹介されます。


最後は光太郎の姉貴分・与謝野晶子がらみ。

高島礼子が家宝捜索!蔵の中には何がある?▼中国画家の水墨画…コウエツ…高額鑑定

BS-TBS 2019年5月2日(木)  21時00分~21時54分

高島礼子が日本全国の蔵へ!埋もれた家宝捜索の旅。  江戸時代勝山藩の城下町として栄えた岡山県真庭市勝山。 創業200年を超える老舗酒蔵に残されていたのは、 与謝野晶子の歌。そして、清末期・中国の画家の水墨画! 驚きの高額鑑定が!  人口1000人の日本一美しい村・新庄村。 4軒の蔵を大捜索!「村に1軒しかない宿に、蔵に眠る品々を集めて飾りたい!」 という依頼にチーム高島が全力で協力! 見つかったのはベロアイの器…アメリカ製の・・・!?  福岡県朝倉市。 30年手つかずの蔵!家主も知らない蔵の中を徹底捜索!  築220年のお宅で出会ったコウエツナナシュとは? 父から受け継いだ品に驚きの評価!

出演 高島礼子 「蔵」のスペシャリスト一級建築士の渡辺義孝さん 「くらや」の鑑定士・山岡真司さん

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今月4日放映の同じ岡山県真庭市編では、光太郎の朋友だった陶芸家バーナード・リーチの作品が取り上げられました。その際は情報を得るのが遅れ、事前にこのブログでご紹介できませんでしたが……。


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今回は「与謝野晶子の歌」だそうで、晶子も鉄幹ともども各地を旅し、行った先々でいろいろ書き残したりしていますので、期待できそうです。


それぞれぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

むやみに計画を壮大にしてそのために神身を労し過ぎ、仕舞に何のために苦しんではゐるのか分らなくなり、果ては絶望的破壊的な考へ方まで抱くに至るやうな例もままあるのは気の毒である。分相応より少し内輪なくらゐに始めるのがいいのだと私は信じてゐる。

散文「開墾」より 昭和22年(1947) 光太郎65歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)前に、僅かばかりの畑を作って農耕に従事したことを指します。僅かばかりの畑が、自分一人でやって行くには分相応というわけで。

農耕に限らず、全ての仕事に当てはまるような気もしますね。ただ、こういう言い訳をして可能性に蓋をしてしまうのもどうかとも思いますが。

終わってしまった話ですが、光太郎の父・光雲の関連で2件。

まず、テレビ東京系で先週火曜日(4/16)に放映された「開運! なんでも鑑定団」。

ゲストはテノール歌手の秋川雅史さんでした。秋川さん、ご自身でも独学で木彫を手がけられているということで、鑑定依頼品は秋川さんが尊敬する光雲の木彫。

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入手の経緯がとても面白い話でした。

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結局、600万円でご購入とのこと。

そして、日本大学芸術学部さんの大熊敏之先生による鑑定。本人鑑定額は買ったと時と同じ600万円でしたが……。

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オープン・ザ・プライス!

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なんと倍の1,200万円!

それもそのはず。

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弟子の手が入った工房作ではないというわけで。

さらに……。

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この作品、見覚えがあると思って調べてみましたところ、平成14年(2002)に茨城県近代美術館さん他を巡回した「高村光雲とその時代展」に出品されていました。

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題して「寿老舞」。確かに浅草の骨董商・晴雅堂清水さんで所蔵されていたものです。

大正13年(1924)の作ということで、この年、光雲は皇室に納められた「松樹鷹」、「養蚕天女」(東京国立博物館特別展 御即位30年記念「両陛下と文化交流―日本美を伝える―」で先月まで展示されていました)など、傑作を作っています。

秋川さん、いい買い物をしましたね。

公式サイトはこちら。系列のBSテレ東さんでは2ヶ月遅れくらいで放映がありますし、地上波テレ東さんでもいずれ再放送があります。また、テレ東系列以外の地方局でも、いわゆる「番販」の形で、休日の昼間などに放映される場合がありますので、ゲスト秋川さんの回でチェックしてみて下さい。


続いて、昨日行われた「第604回毎日オークション 絵画・版画・彫刻」。やはり光雲作という彫刻が2点、出品されました。

まず、木彫の「大黒天」。昭和6年(1931)の作。高さ7.5㌢の小さなものです。

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予想落札価格が50万円から80万円という設定でしたが、実際には160万円で落札されました。


もう1点、昭和5年(1930)の「世直福神(2点1組)」。こちらはブロンズで、大きさ的には「大黒天」とほぼ同じです。


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予想落札価格は20万円から30万円。結果は21万円でした。


やはり光雲彫刻、人気が高いというわけですね。今後も末永く愛され続けてほしいものです。


明日は光雲木彫を観て参ります。


【折々のことば・光太郎】

その無数に舞ひ落ちてくる雪片の動きを見つめてゐると眩暈をおこします。何だか気持ちのよい眩暈です。自分のからだが宙に浮くやうな気がします。

散文「雪解けず」より 昭和21年(1946) 光太郎64歳

7年間の蟄居生活を送った、雪深い花巻郊外旧太田村の山小屋での作です。「眩暈」は「めまい」です。

NHKさんの大河ドラマ「いだてん ~東京オリムピック噺(ばなし)~」。視聴率的には厳しい状況だそうですし、レギュラー出演者の逮捕などのケチもつきましたが、当方は毎週楽しく拝見しております。

先週は統一地方選挙速報の関連で放映が休止でしたが、今週の第14回から新章に突入します。 

いだてん ~東京オリムピック噺(ばなし)~ (14)「新世界」

NHK総合 2019年4月14日(日) 20時00分~  再放送 2019年4月20日(土) 13寺05分~
NHK BSプレミアム  2019年4月14日(日) 18時00分~

ストックホルムから帰国する四三(中村勘九郎)。報告会で大勢の高師の仲間が健闘を称える中、敗因を厳しく問いただす女性が出現。永井道明(杉本哲太)の弟子・二階堂トクヨ(寺島しのぶ)である。同じ頃、孝蔵(森山未來)は四三とは逆に東京から旅立とうとしていた。円喬(松尾スズキ)とは別の師匠について地方を回るのだ。自分は円喬に見限られたと落ち込む孝蔵。しかし、出発のとき、新橋駅に円喬が駆けつけて−

出演
中村勘九郎,綾瀬はるか,生田斗真,永山絢斗,満島真之介,山本美月,近藤公園,武井壮,森山未來,神木隆之介,
橋本愛,荒川良々,峯田和伸,松尾スズキ,柄本時生,杉本哲太,中村獅童ほか

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明治45年(1912)のストックホルムオリンピック編が終わり、時代は大正へと移ります。そして新キャストが続々登場。

その一人が永島敏行さん演じる武田千代三郎。

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以前にもご紹介しましたが、元青森県知事で、十和田湖の景観に打たれ、道路の開墾等に尽力しました。そのため、雑誌『太陽』で初めて十和田湖の美しさを世に広めた大町桂月、武田に協力して十和田湖周辺の整備に力を尽くした法奥沢村長・小笠原耕一と共に、「十和田の三恩人」と讃えられました。

昭和28年(1953)に除幕された、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」は、元々周辺の国立公園指定15周年を記念し、「十和田の三恩人」を顕彰するためのモニュメントとして作られたものです。

右は「乙女の像」除幕式の際に、関係者に配られた光太郎による記念メダルの石膏原型。肖像は大町桂月ですが、武田の名も刻まれています。

青森県知事退任後、武田は大日本体育協会副会長に就任。箱根駅伝の開催に取り組み、「駅伝」の名付け親ともなります。

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もう一人、「この人も出るか!」と驚いたのが、二階堂トクヨ。演じられるのは寺島しのぶさんです。

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二階堂は宮城県三本木町(現・大崎市)の出身です。地元の小学校で准訓導として教壇に立ちながら宮城県の師範学校入学を目指していましたが、明治28年(1895)、同県では女教員は休みが多い、能率が上がらないなどの理由で女教員廃止決議が採択されてしまいました。そこで、隣接する福島県師範学校に入学しようとしましたが、こちらは福島県に籍が無ければ不可。そこで、初代福島民報社長にして国会議員でもあった小笠原貞信の養女となり、小笠原姓となりました(のちに「二階堂」に復姓)。

そしてめでたく福島師範を卒業し、赴任したのが智恵子の母校・安達郡油井村(現・二本松市)の油井小学校でした。明治32年(1899)、智恵子は高等科に在学中で、トクヨは智恵子の6歳下の妹・ミツ(尋常科2年)の担任となりました。さらにそれだけでなく、トクヨは智恵子をかわいがり、智恵子は友人と共にトクヨの下宿を訪ねたり、一緒に安達ヶ原を散歩したりしたとのこと。

向学心溢れるトクヨは、さらに同33年(1900)には東京女子高等師範に進学しました。この際には智恵子の実家・長沼家が資金援助を行ったらしいとのこと。智恵子との直接の関わりは1年間だけでしたが、智恵子は強烈な印象をトクヨから受けました。同じように油井小学校で教壇に立った後に日本女子大学校に進学した服部マスもおり、智恵子が日本女子大学校に進む希望を固めたのは、この2人の影響が大きいようです。

智恵子が日本女子大学校に進んだのは明治36年(1903)、この年、トクヨは女高師の最終学年でした。記録は確認できていませんが、おそらく、上京した智恵子はトクヨと再会し、久闊を叙しただろうと推定されます。

翌年、女高師を卒業したトクヨは、金沢の高等女学校に赴任。ここで体操の授業を持たされたことがきっかけで、体育のスペシャリストになっていきます(本来の専門は国語だったそうですが)。明治44年(1911)には、母校の助教授となり、大正元年(1912)には、英国留学。その際、横浜港には智恵子、さらに光太郎も見送りに現れたそうです。同4年(1915)に帰国、東京高師教授就任、同11年(1922)、二階堂体操塾(現・日本女子体育大学)設立……すごい女性ですね。

ちなみにここまで、佐々木孝嘉氏著『ふるさとの智恵子』(昭和53年=1978 桜楓社)を参考にさせていただきました。

「いだてん」。このトクヨの活躍も楽しみにしつつ、拝見したいと思います。皆様もぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

自然は人をつくる。この霊峰の此の偉容に毎日毎朝接してゐる上高下の部落は幸である。
散文「日本の母」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳

「霊峰」は富士山。「上高下」は、光太郎が詩部会長に就任した日本文学報国会と読売新聞社が提携して行われた「日本の母」顕彰事業のため訪れた、山梨県南巨摩郡穂積村。現在の富士川町上高下(かみたかおり)地区です。

ここは冬至の前後、日の出が富士山頂付近からのぼる「ダイヤモンド富士」の名所としても有名です。

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